母の事

母の事を思うと 胸が熱くなる。
母の生涯は決して幸福ではなかった。おそらく母が幸福だったのは 娘時代だけだったのではないだろうか。。
数枚しかない母の娘時代の写真は どれも優しく微笑んで幸福そうだ。

明るくて働き者だった母は 倒れるその時まで働いていた。
60歳で定年退職した後一年ほどは家に居ただろうか じっとしているのはもったいないと言って
カラオケBOXで働き出した。夕方6時から夜中の12時過ぎまでで、客が帰った後の部屋の掃除だが
きれい好きの母は きっちりきれいに掃除をするので 喜ばれていたみたいだ。
母を除いては もちろん若い人達ばかりだが 気の若い母は嫌われもせず仲良くやっていたみたいだった。
ある時など、急に電話してきて、主人の着なくなった礼服はないかと言う。
聞けば、バイトで来ている男の子が 友達の結婚式に招かれたのだけど 服がないのだと。。
主人が礼服を新調した事を 私が話してたのを思い出したらしい。
新婚さんのその男の子は とても買う余裕などないから 良ければ譲ってあげてほしい・・・・
そう言う母は もうあげると言ってるに違いなかった。
そんな母だから、若い人達に好かれ 相談相手にもなっていたみたいだ。

母が倒れたと電話が入ったのは、平成5年11月22日 夜の9時過ぎだった。
カラオケBOXで仕事中に倒れて 救急車で運ばれたと・・・・・
急いで娘と病院へ向かう。
病院にはすでに妹が来ていて 救急治療室の前の廊下で不安そうに私を待っていた。
救急車に乗ってついてきてくれた カラオケBOXの店長さんもいる。
私と妹は母が倒れた時の様子を 店長さんから聞く。
暖かい暖房のよく効いた 受付の部屋から 掃除をするため外へ出た その一歩か二歩で
倒れたらしい。

店長さんから話を聞いていたその時、治療室の中から母の声が聞こえた。
「まあ お世話になりまして有難うございました」 たしかに母の声だ。
廊下にいた私達は顔を見合わせ 「たしかにおかあちゃんの声やね」 「うん、おかあちゃんや」
店長さんも「○○さんの声や、意識が戻ったんや」「良かった〜」

しばらくして救急隊の方が治療室から出てきたので 様子を聞く。
「母の声が聞こえたけど 意識が戻ったんですね」「大丈夫なんですね」
「いえ、意識は戻っていません」そんなバカな・・・
私達3人は顔を見合わせ 「確かに聞こえたね」確認し合った。
「いいえ、だれもそんな事は言ってませんし 声も出していません」そういえば廊下に居る私達には
治療室の中の 医者の声も看護婦さんの声も聞こえない。

結局、それから10日後に母は亡くなったが、その間意識が戻る事はなかった。
あの時聞いた母の声は何だったのだろう・・・
空耳だったのだろうか でも 私だけじゃない 一緒に居た娘を除いて 3人とも聞いている。

今にして思うと あれは母の最期のお礼と別れの言葉だったのではないだろうか。。
職場でお世話になり、最後は救急車に付き添ってくれた店長さん。
そして私達娘二人に 「ありがとう」と・・・
私はそう信じている。



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