逢魔ヶ刻 2章


 太陽が空の主たるその座を月に譲り渡す頃

 黄昏色に染まった街並は闇に沈み

 商都トロウは


 その戴き名を魔都へと変える




 私の名はカーミラルシュ・リューゲン

 暗黒と亡者を統べる不死の存在―――

 偉大なる主ダークファントムに仕えし者にして、闇の貴族。

 古の王国を滅ぼせし魔女カーミラの血族にして、吸血鬼が真祖。

 そして秘密結社DF団の首領代行兼、作戦立案・統合責任者。

 それがこの私の今の肩書きだ。

 現在私は、とある目的の為再びここ『銀の月灯り亭』を訪れている―――



 からんからん――

「イラッシャイマセー。お席にゴアンナイするんダヨ」

 軽やかなドアベルの音と共に侵入を果たした私を迎えたのは、
黒いバサバサとした髪を後ろで縛った、クラケットの女の声だった。

 給仕のお仕着せがまったく似合っていない。着るというより
着せられているといった印象が否めないその下働きの案内に任せ、
とりあえずテーブル席へと着いた。

 店内を見回せば数組の客―――

 訪問の主目的である存在は、見当たらなかった。

「ゴチューモンは?」

「…トマトジュース。食事は要らん」


 人間社会で活動する時の習慣となっている飲み物を注文しつつ
クラケットに尋ねた。

「ノワールは何処に居る」

「ノワール?ノワールは買い物に行ってルンダヨー」

 バタバタとせわしなく蠢くクラケットの姿を見送りながら、
心の中で舌打ちをした。仕方ない。しばらく待つとしよう―――


 先日このホテルで、そして街の劇場で七年振りに再会した私の部下。
記憶にあるよりも遥かに身長が伸び、成人の女として美しく成長していた。
だが何よりも気にかかったのが、私を見るその表情。

 人形のように静穏な赴きは記憶にある姿と何も変わらず――
それでいて、何もかもが違っていた。

 驚き、困惑、怖れ…

 闇の住人である自分にとっては、向けられることに慣れきった感情。
それらをノワールの、自分に向けた瞳に見つけた時、激しい苛立ちを感じた。

 衝動のまま、その心を出会った頃と同じ、白紙に戻そうとした。

 私以外に言葉交わす相手も無く、

 私だけを頼り、

 私だけに仕えていたあの頃に―――


「……フン」

 上着のポケットに手を差し入れ、持ってきた小瓶をテーブルの上に置く。

 茉莉花の香水。

 母上から譲り受けたもので、昔ノワールがその香りを褒めたことがあった。
あの娘が自分の感想を述べる事は稀だったから、何となしに覚えていた。
ノワールが城を出ていた間、使わなかったから殆ど減っていない。

 日頃間抜けな屍人や無気力な鎧の相手ばかりしているせいか、
つい容赦を忘れ乱暴な真似をしてしまった。
 手荒に扱ったことを詫びて、話をしよう。
だが使用人に贈り物などと、自分は何を考えているのだろうか……



「トマトジュースお待ちどうサマナンダヨー」

「……ああ」

 クラケットの声に、現実へ引き戻される。運ばれたグラスを持とうとして
手を伸ばしたとき、身を翻したクラケットの体臭が鼻をついた。



 ………



 臭い。



 ……何だ?臭いぞ。

 あのクラケット…

 このホテルは従業員を風呂にも入れんのか?
あいつは本当にバーラウンジのスタッフか?

 城で使っていたゾンビ達の不潔さを思い出し鳥肌が立った。
やつらに入浴を習慣付けさせるのに1世紀程もかけた苦労を思い起こす。

 クラケットの後姿を凝視し、ついでテーブルに置かれたグラスを観察する。

 見たところ、特に汚れてはいない。
だが、口をつけるのに些か抵抗を感じる。……不愉快な。

 ハンカチを取り出しグラスを拭うと、一口飲んだ。
トマトの味は好みだが、やはり血の代用品にはならん野菜の汁だ。

 先日昼日中に街に出た事もあり、かなり力を消耗している。
 血が飲みたい……

 だが見ず知らずの者の血を吸う気にもなれなかった。

 もし一日以上風呂に入っていない者の首筋に噛み付いてしまったら?
 恐ろしい。

 妙な病気でも感染されたら?
 悪夢だ。

 
 一体どれ程の間人の血を飲んでいないのだったか……

 そうだ、ノワール。

 城で面倒を見ていた頃、一度だけ戯れに血を吸って以来か。

 あの時はあまりの美味に、つい我を忘れて吸い過ぎた。
 体調を崩し数日伏せってしまったあの娘を見て、自分の浅ましさを
酷く恥じたものだ。


 今はどうだろう。
 体も成長したことだし、少々血を抜いても問題はないはずだ。
今夜部屋を取って、一緒に湯浴みをし、その後……

 あの美しく白い喉元に牙を立て、溢れた血を舐めとり、啜る。

 ほのかに甘い血の味と、命あるものの鼓動、乱れる息遣い――


 ……いかん。

 ふつふつと沸き立つ、甘美な妄想に身を委ねてしまった。
待ち遠しい。早く帰って来ないものか―――


「おう、お待ち(コー」

 不意に、仮面をつけた見上げるような大男が、
隣りのテーブルに料理を運んで来た。
 盆に載せた鉄板から、肉の焼ける音と匂い―――


「――――ごふッ!!??」

 凄まじい悪臭に、呼吸がつまり咽返った。
顔面を鉄槌で殴打されたかと思う程の衝撃に、しばし状況を見失う。
鼻から噴出した赤い野菜汁を、二枚目のハンカチで拭いつつ――

 目に飛び込んで来たのは、焼けて湯気を立てるステーキと、
大量にまぶされた―――大蒜のスライス。馬鹿な。

「んー?どうしたい嬢ちゃん。大丈夫か?」

 別のテーブルで酒を飲んでいた痩男が振り返る。その手に持った物は――
串に刺して揚げた、大蒜。狂っている。

 そしてラウンジの壁に張り出された張り紙を見つけ、気が遠くなった。


『ニンニク強化月間』


 見ればそこかしこの客が、次々と大蒜料理を注文している。
貴様ら、気は確かか―――


 私は大蒜が嫌いだ。いや、好みの問題ではない。その姿を見るだけで
蕁麻疹が出る。父も母もみな大蒜アレルギーだった。これは我が一族に
背負わされた業なのか――神の、悪意の為せるわざか。

 室内に立ち込める大蒜の悪臭に、涙が溢れて止まらない。
いかん、このまま此処に居ては取り返しのつかない事になる――


 慌てて席を立ち、足早に出口に向かう途中、ラーバードの男とぶつかった。

「おやお嬢さん。泣きたいのなら拙者の胸をお貸ししますよニンニン」

 こちらが何か言う前に、二本の腕を背中に回され抱きしめられる。
同時に、もう二本の手がさわさわと―――私の尻を撫で回していた。

「ひゃうっ!?なッ……何をするか貴様ぁぁぁ!!!」

 嫌悪感にまかせ、手加減無しの拳打をラーバードの顎にねじり込む。
骨を砕く音と手応えの後、壁まで吹き飛ばした―――はずだった。
 だが壁にめり込んだはずのラーバードの姿は無く、
ばらばらになった椅子の破片が落ちているのみだった。

「忍法木っ端微塵隠れの術が無ければ、危なかった」

 わけの分からん事を呟きつつ、テーブルの下から這いずり出てくる。
この私を欺くとは、一体何者―――!?

 言い知れぬ不気味さに思わず後退りした時、背後から声をかけられた。

「――カミュ様…?」

 ああ、この抑揚の効いた声。帰ったかノワール。
とりあえず話は後だ、すぐにここを出よう―――

 安堵と共に振り返った私の眼に飛び込んで来たのは、長身の部下と――
その胸に抱えた、大きなバスケットだった。

 ギシリ――

 丁度目の高さにある、中に収められたモノを見て私は凍りついた。


 大蒜の山。


 嘘だと言ってくれ。


「新鮮でとっても香りのつよいニンニクですよ!ほらほら!」

 ノワールの後ろについていた、背の低い小娘が両手に大蒜を構え
威嚇するようににじり寄って来る。

 何のつもりだ貴様。殺されたいのか?
この私の怒りを買って、生きていられるとでも――

 …やめろ、それ以上私に近付くな。


「う……うわぁぁぁん!!」

 強者としての矜持も、闇の貴族としての誇りもかなぐり捨て、走った。

「お客サン、忘れ物ナンダヨー」

 クラケットの声が背中に届いたが、振り返る余裕も無い。

ホテルの扉を押し開け、夜の街に逃げ出す――
悔し涙が止まらなかった。人目の無い路地に飛び込み、霧化する。

 おのれ、覚えているがいい……人間共め―――



 居ずまいを正し、自分の城へと戻った。
主の帰還を告げ、物言わぬ門兵に城門を開かせる。

「―――…?」

 城内を歩いている内に、違和感を覚えた。妙な匂い。まさか、大蒜――?
自分の服に染み付いているのだろうか?――馬鹿な。

 袖口の匂いを確かめつつ進むと、食堂の入り口から
包帯を巻いた顔が覗いた。

「あららー…?今晩はお泊りなのではなかったのですかー…?」

 頬に手を当てて、困惑した表情を浮かべる。包帯まみれで分かり難いが。

「気が変わった。――それよりも、何だこの臭いは――」

 嫌な予感を感じつつも、食堂へと踏み込んだ。そこには幹部4人と―――


「カミュー。お帰りなさいなんだゾー」

「ゲゲ。帰って来たでヤンスか?」

「…言っとくけど、オニキスが言い出したんじゃないのよ」


 大量の大蒜料理が並べられていた。


「今夜居られないのなら、せっかくの機会だと思ったのですがー…」

「……死人が手作り餃子作って喜ぶな、貴様ら」



 その日は地下室の棺に篭って、負の土を涙で濡らした。