我が子の出産に立ち会って感じたこと 嫌だった母乳育児 おっぱいの生活をを終えて(アレルギーと陥没乳頭) 

3人目にして初めての母乳育児 かけがえのないおっぱい〜同時授乳〜

おっぱいの卒業 でてうれしかったおっぱい


嫌だった母乳育児  ・・・・yuーmamaさんの体験です・・・・

私は妊娠していた時から母乳をあげるのはいやでした。
それは自分勝手な気持ちで乳首が大きくなるから、
形を悪くしたくないと言う理由で。
私の通っていた病院は母乳外来があるほどに協力的な病院だったので、
助産婦さんにも「母乳で育てたいよね?」って聞かれて
「はい」とは言えない自分がいました。
正直母方の祖母も、母も出なかったので私もあきらめていました。
助産婦さんもそれ以上の事はあまり言いませんでした。
でも出産後、「出るからあげましょ」って言われ絞られました。
しかし私は心の中で「出ないで!」って思っていました。
うちの息子は小さく産まれた為に吸う力も弱く、
吸い付くのに30分はかかっていました。
助産婦さんがつきっきりで吸わせてくれて息子も泣きながら吸っていました。
こんなに一生懸命頑張って吸ってくれたと感じた時は涙が出ました。
この時から母乳もいいかなと少しずつ気持ちが変わっていましたが、
まだ心の中は戸惑っていました。
それからはなんとか私だけでも吸い付てくれましたが、
時間はかかり、最初の一ヶ月はいつもおっぱいを出しっぱなしでいました。
でもどうしようもなく辛くて、ついにミルクを足してしまいました。
しかしミルクを足してからちの息子はひどい便秘になりました。
1週間に一回出ればいいくらいの便秘になりました。
これはミルクのせいかわかりませんが私はそう思っていました。
泣きながら便をする息子を見ていて、どうしたらいいのかなと思い
いろんな母乳育児の本を読みました。
いろんな本を読むたびにおっぱいの不思議さを知りました。
それから私は毎日頻回授乳を始めて母乳だけで頑張ろうと思いました。
何度も何度も吸わせました。
夜など出が悪くて泣かれました。
それでも続けて一ヶ月近くかかったかもしれませんが母乳だけになりました。
今は六ヶ月を迎えました。
ミルクを足した一ヶ月は楽だった部分も正直あります。
でも今はおっぱいの形が悪くなっても飲ませてやりたいです。
可愛い我が子の為です。
こんなに素敵なおっぱいをもっと早く知っていれば良かったと思います。
これからも卒乳まで息子においしいおっぱいあげれたらいいなと思う毎日です・



おっぱいの生活を終えて 
(アレルギーと陥没乳頭)

悩んで悩んで悩みぬいて、それでも迷いながら迎えたこの日。
「おっぱいイタタが直らんの。もうバイバイしようか?」という問いに
「う〜ん」と首を傾げ考える様子の娘に私も夫もとても驚きました。
「パイパイにバイバイしてこれからはお歌歌ってネンネしようか」
というと、さっさと布団にもぐりこみ添い寝をする私に抱きついたまま
何もいわずに眠ってしまった娘。
断乳を受け入れた娘の横で母親は、父親にからかわれながら
涙を止めることができませんでした。

夫も私もアレルギー体質。このアレルギーというものが、
私の母乳へのこだわりの第1歩でした。
妊娠7ヶ月からアトピー予防の為に卵断ちをし、乳製品なども控えめにしたり
食事に気をつけ絶対母乳だけで育てるんだ、と決めていました。
ただ1つの不安は、乳首が陥没乳頭だったこと。
でも据えるまで頑張ろう、そう思っていましたし、
助産院の先生にも大丈夫と励まされ,お産の日を迎えました。
私を産んでくれた母の見守る中、夫の膝枕で素敵なお産。
この上ない幸福な娘との出会い。
さーおっぱいをあげたい・・・
でも、やはり娘は私のおっぱいに吸いつけません。
いろんな姿勢をしたり、乳首を吸引器で引っ張り出し、
戻らないように乳首の根元を糸で縛ってみたり、そんなことまでもして、
乳首は出ず,すいつけません。
そんな中で、私は熱を出してしまい、病院に入院、
娘は助産院で預かっていただき,卵断ちしているお母さんから
おっぱいをもらって、長い長い1週間をすごしました。
やっと退院して、喜んだものの娘はまだ、吸いつけません。
傷ついて血の出る乳首に吸い付かせる練習は、子どもも泣き、
私も半泣きで歯を食いしばるという大変さ。
それを何度も繰り返し、結局冷凍しておいた母乳を溶かし、
哺乳瓶であげる時の半分ほっとしながらも淋しい気持ち。
一生懸命搾乳しても出が悪く、
入院中と同じ様にもらい乳をせざるを得ませんでした。
この時期が1番心身ともに苦しい時でした。
それだけに、生後20日目にして初めて私のおっぱいからコクコクと
お乳を飲んでくれたときのことは忘れられません。
飲みやすい哺乳瓶になれておっぱい嫌いになっても不思議ではないのに
よく頑張ってくれたもんだと思いました。

その後、7ヶ月まで吸わせるたびに痛んだ乳首の傷も、
いろんな人のアドバイスのおかげで治り、その痛みがなくなってからは
おっぱいをあげることが心から楽しくなり、おっぱいを求められることが
うれしくてしょうがありませんでした。
アトピーのために食事制限が厳しくなり」、米さえもだめになって
雑穀と野菜とさかなの食事になっても、
おっぱいをやめたいとはまったく思いませんでした。
むしろせめておっぱいぐらいは好きなだけ飲ませてやりたいと思いました。
それに痒がる時、おっぱいをあげる時が安らぐのか、かゆみもおさまり
私自身もずいぶんとおっぱいを頼りにしていたのです。
ですから、1歳8ヶ月の時突然に出てきた乳首のかぶれ、
それがズタズタに切れ,化膿もして激しく痛むというひどいトラブルでも、
今や、娘にとっても心の支えともいえるおっぱいを「断つ」などということは
とても受け入れ難しく,とりあえず傷を直す為に、
それも娘にわからせるためというより、自分に納得させるために、
おっぱいを「休む」ことにしたのです。
でも、休み始めると、こんな中途半端なことでいいのか、という思いにくわえて、
日毎に変わっていく娘の態度に、
このまま娘がこの生活を受け入れてくれるのならいいと
私の気持ちも動いていたのです。

それから、もう2ヶ月がたちましたが、
娘はちょくちょく「赤ちゃんパイパイ」と横抱きを求めます。
抱くと、胸に顔をうずめて、しばしおっぱい気分、そして満足そうな笑顔に
少し照れた目で、私を見て、再び胸に顔を伏せる。
このこの背中をなでながら、ゆっくりと揺らしてあげるこの時
私も一緒に気持ちが安らいでいくのを感じます。
このつながりこそが、苦労しながらも楽しかったおっぱい生活からの贈物。
これからも、ずっと大切にしたい私と娘の宝物。




かけがいのないおっぱい〜同時授乳〜


次男がおなかにできた時、長男はまだ、9ヶ月。
まだまだおっぱいがほしい赤ちゃんでした。
次男ができところから今までさほどほしがらなかったおっぱいを
急にほしがるようになり、おっぱいへの執着心がひどくなってきました。
自然創業をmw座している私には、これから生まれてくる赤ちゃんと
長男に対してどう接していけばいいのか・・とか、
又、家族に同時授乳をどう理解してもらえばいいのか・・など、
いろいろな不安がたくさんあったため、そんな親の心を知ってか、
長男もその分不安だったんだと思います。
でも、おなかに赤ちゃんがいるとだんだん出が悪くなるおっぱい。
ご飯もたくさん食べましたが、その分おっぱいもほしがりました。
ただ、くわえているだけで安心だったのでしょうか・・出ないおっぱいを
少し吸ってはぼーと私の顔を見てました。

そんな毎日が続き、妊娠8ヶ月のある日、家庭内でトラブルがあり、
生活ががらりと変わってしまい、私は精神的に不安になり一人でいると
凄くいらいらして、又長男にも不安を与えてしまいました。
横になると「おっぱい、おっぱい」といっておっぱいを探します。
そんな長男の笑顔は幸せいっぱいの笑顔でした。
でも、むしょうにうっとうしく思えるときがしばしばありました。
妊娠9ヶ月の時、おっぱいを飲むごとに、おなかがキーンと張って
乳首がむずかゆくなり、だんだんおっぱいをあげるのが苦痛になり
「泣かせてまでも、断乳しよう」と心が揺れた時期もありました。
長男のことを考えると、一緒に泣いた時期もあります。

とうとう出産。入院生活。
思っていた通り、長男は大泣き。
病院に来ると、「ママ、ママ」といって、真っ先におっぱい。
ニコニコ笑っておっぱいを待つ姿。おっぱいを含んで喜んでいる顔
うれしそうに飲んでいる姿。
そんな長男を見て、いとおしく、思わず涙してしまいました。
しかし、夜の大泣きは特にひどかったらしく、我慢の1週間でした。

それから、5ヶ月。長男は、相変わらず「ママおっぱい」といいながら、
たくさん出るおっぱいをうれしそうに飲んでいます。
長男、次男と二人でおっぱいを飲んでいる姿は、たまらなくかわいいです。

私の母性を、ここまで引き出してくれたおっぱいと、
そのおっぱいの大切さを教えてくれた方々心より感謝します。




おっぱいの卒業

おっぱいをやめる時期については、さまざまな説があり、
確定した考えはありませんが、国際母乳連盟では「自然卒業」としています。
「自然卒業」は、放任と言うことではなく、”赤ちゃんが成長して自立し始めれば、
自然にお母さんのおっぱいから離れていきますよ”と言うことです。
「おっぱいの卒業」としてこういう方法もあるんだ!ということを
是非、しってください。



kさんの場合

長男がおっぱいを卒業したのは、5歳1ヶ月の時、
幼稚園の年長組として新しい生活が明日から始まろうとした時です
生後1ヶ月から悩まされていたアトピー性皮膚炎がきっかけで
母乳について勉強しているうちに
、山内逸郎先生の「母乳は愛のメッセージ」と言う本に出会い
、自然卒業の道を歩みだしました。
第2誌の妊娠がわかって1ヶ月、強いお腹の張りに
やむなくおっぱいを断念
でも、その時に長男に
「赤ちゃんが生まれたら又、おっぱいをあげるね。」と約束しました。
臨月に入って早産の心配もなく、ふとしたことから又
、おっぱいを飲みはじめ下の子が生まれてから2つのおっぱいを
二人で仲良く分け合うようになりました。
でも、だんだん私も疲れていて
何度ももうおっぱいを卒業させた方がいいのではと迷いました。
一種の癖になっていて朝起きた時にぐずって要求されるのが苦痛でした。
幼稚園入園を機会にとも考えましたが、
もし情緒が不安定になって園生活に支障をきたすようでは困ると思い
、様子を見ることにしました。何度も長男と話しあった末、
年長組になったらやめようと言うことになりました。
「今日は、おっぱいともさよならね。」と言う私の顔をジーと見て
うなずき、おっぱいを口にしていた長男。
次の日からは、何もなかったかのように
新しい生活がはじまりました。
とても、気のやさしい長男、友達も多く本当に良く遊びます。
きっとおっぱいのおかげです。



Jさんの場合

第2子のUちゃんは、2歳8ヶ月のときお兄ちゃんになり
妊娠中もずっと飲んでいました。
生まれてから同時授乳しようと思ったいたので入院中はどうかな?と
様子をうかがっていましたが、
会いにきてもあっけなくバイバイといって帰り
”あれ”っと思ってしまいました
1週間がたち家に帰り、1日目はどさくさにまぎれてねてしまい、
さて2日目
おっぱいをほしがったので、あげたら・・・
ごくごく・・と一口。たくさんでて、おっぱいにびっくり。
「まずい」と一言
それからきっぱり飲まなくなりました。


Iさんの場合

上の子のときは、
下の子ができたとき妊娠中の授乳がつらく離したが
下の子は自然に任せようと思ったので
いつでもどこでもほしがるときに上げていました
4さいになるころ、おっぱいをのんでいるのをどこかのおばさんにみられた時
そのおばさんが一言、「いいね」と・・・・
その一言が、子供にとっては、すごくはずかしかったのか、
その日から外では、ほしがらなくなった。
幼稚園にも行くようになり、
家での回数も減り園での生活でいやなことがない限り飲まなくなった。
そして、気が付いたら飲まなくなっていた。



Uさんの場合

1歳7ヶ月の春・・・・
外遊びに夢中になり、疲れておっぱいを飲まずにお昼寝するようになり
気が付いたら、夜もおっぱいを飲まなくなった


Hさんの場合

1歳すぎ、風邪を引き鼻が詰まっておっぱいが飲めない日がつづいていたら
直っても、飲まなくなった。
ほしがるなら、いつでもあげようという心のゆとりがあったので子供も
こだわることなくあっさりやめたんじゃないかと思う。
「心にゆとりを・・・」大切に



Mさんの場合

1歳8ヶ月の時、近所に赤ちゃんが生まれ、見に行った時
赤ちゃんが、おっぱいを飲んでいたのを見て
「おっぱいって赤ちゃんが飲むの?」と・・・・
「うん、そうだよ」と答えたら
「じゃあ、私は赤ちゃんじゃないからもうおっぱいのまんわ」
といってそのまま飲まなくなった。


その他、外遊びで疲れて飲まなくなったり、抱っこしていて
そのまま寝る日がつづき飲まなくなった
・・・・というように、おっぱいの卒業にはいろいろあります。
ふとしたきっかけ、きっぱりやめる子、徐々に離れていく子
いろんな自然卒業!!




  3人目にして初めての母乳育児


実家の近くにある総合病院で二人の子供を出産しました。
「ぜんぜんでそうもないおっぱいね。」とか言われてすっかり自信喪失!!

今思えば、母乳ノイローゼだったかも・・・・
我が子がよく泣く姿をみて、母乳不足と私自身が決め付け、
自信を失っていくほど、ミルクを足す回数が増えていき
1ヶ月たつ頃には母乳をあきらめていました。

そんな私が、3人目を上の二人とは違う自分の家の近くの病院で出産。
誠意ある指導と援助を受け「大丈夫。母乳でいけるよ。」と励まされました。

しかし私には、最大のコンプレックスは消えません。友達に何度も足を運んでもらい
心配事をミルクをたそうかと迷いましたが、
主人が「そんなに大きくしてどうするんだ。元気で機嫌が良かったらいいじゃないか。」
と、言ってくれました。
その時、私は肩の力がスーっと抜けました。

私は哺乳動物だもの、母乳で育てられるはずだと、原点に返り自信を持って励ましました。
もうすぐ1年が経ちますが、只今愛情をあげている真っ最中!!
1番頑張ってくれた子供の為にももうしばらく母乳育児を楽しみたいです。




 でてうれしかったおっぱい


上の子をうんだあとおっぱいのでがわるく、
入院中もずっと飲ませていました。
生まれてすぐに母子同室の病院でしたが、
なかなかおっぱいも張ってこず
少ししか出ないおっぱいを泣きながらすっていた上の子でした。
朝早くでかけ、夜1番遅く帰ってくる主人。
昼間でかけることも誰とも話すことが出来ず家に閉じこもっていました。
「おっぱいが出ない親」といわれ食欲も出ず
悩みは増えるばかりでつらい日が続きました。
結局ミルクにたよることになってしまいました。
上の子の後、2度も流産し、やっと二人目のこ子を妊娠しました。
前もおっぱいが出なかったし、
今度も出ないだろうと思って気楽に待っていました。
しかし、今度はおっぱいで育てたいという気持ちはありました。
出産後、少しずつですが、おっぱいが出始めました。
1ヶ月くらいたつと、自分でも思っていた以上におっぱいが出てました。

1歳を過ぎた今・・・・
夜は、3〜4回は起きて飲んでます。
仕事上保育園に通いはじめましたが、
行く前におっぱい、帰ってきておっぱい。
このぶんでは、まだまだおっぱいの卒業は遠いようです。

ちなみに、内緒の話ですが、
4歳を過ぎた上の子は、まだ哺乳瓶でミルクをのんでいます。
もし、上の子もおっぱいでそだてていたら、
卒乳はまだまだ終わっていないでしょうね。