雑文集 2

2012.7月の掲示板

日ごろのこころにては,

往生かなうべからず。     (『歎異抄』第16章から)

友人から送られてきた寺報に「善いことをしようと思えばできるし,悪いことを止めようと思えば止められるーこれを「思いあがり」という。」とあった。そうなのだ。これまで,自分の行動は自分の思いのままになると思いこんできたし,それが常識というものなのだ。これまで,自分で考え自分で判断して,自分で行動を選択することが当たり前のように思ってきた。これまで,「心を入れかえて頑張ります。」などとの言葉もよく聞いた。最近,随心起行・随縁起行という言葉を学んだけれど,実は自分の心ほど思いどおりにならないものはないのだ。そして「ウサギの毛・羊の毛の先のちりのような罪で,宿業ではないということはない。」と。僕たち,現代人は,自分の心一つで何でも決められると思っている。「日ごろのこころ」は,僕たちの日常の感覚だ。でも,それでは往生かなわないといわれる。

親鸞聖人は,「親鸞めずらしき法をもひろめず」(『御文』1−1)とおっしゃっているのに,僕たちの常識を逆なでするような言葉が多い,というよりほとんどすべてが僕の「よし」と思っていることを覆されてしまう。「善人でも往生をとげる,悪人であればなおさらだ。」,「人の善意による行動というのは,思うように助け遂げることが出来ない。」,「亡くなった父母の供養のために一度も念仏したことはない。」,「親鸞は一人も弟子を持っていない。」,「念仏を申しているのは行でもないし善でもない。」「殺人をおかさないのは,私の心が善いからではない。」「縁にあえば,どんなこともしてしまう。」などなど。

上記の「おもいあがり」だが,自分ではそう思っていないから余計厄介なのだ。「日ごろのこころ」に支配されている。それに気づかされるのは聴聞しかない。阿弥陀さんの智慧をいただくよりほかにない。

「弥陀の智慧をたまわりて、日ごろのこころにては、往生かなうべからずとおもいて、もとのこころをひきかえて、本願をたのみまいらすをこそ、回心とはもうしそうらえ。(『歎異抄』第16章)       2012.7.1


『ないおん』6月号

「共に生きていきたい」

   大谷派高雲寺住職 藤本了勝

 定年を半年ほど残して退職し、福井県敦賀市の海辺の過疎の地にあったいわゆる空き寺に入寺して七年になる。すぐに保護司を拝命したせいか、当初は健全育成団体や保護司の研修会などにお呼び出しを受けることが多かった。

 もう少年院の話はしたくないとの思いもあったものの、新入り僧侶に法話の機会なんてあろうはずもない。で、求めに応じて講演などを引き受けてきた。そこで気づかされたのは、自分の第二の出発点が少年院生徒の言葉だったということだ。

 初任院長として赴任した有明高原寮(長野県安曇野市)での院長面接で明日仮退院するI君が、「院長先生、僕少年院に入ってよかったです。」の言葉に驚き、「えっ、どうして。」と聞きなおすと「自分に向き合うことができました。」と泣きくずれた。

 そうだった。自らの正体に出会う時、わが身のおぞましさに気づく時、それを嘆きながらも、そのことに気づけた喜びが与えられた。そのことを何十年も忘れ、上から目線で生徒を指導して、それがおかしいことだとは露とも思っていない無慙愧な自分がいた。 わが身を問うことなくして、ひたすら生徒を改善することばかりに価値を見出してきていた。

 それからは生徒の言葉や作文が珠玉の言葉だと思えるようになった。そして生徒の眼差しの優しさに驚いた。「どうして生徒たちはこんなにも優しいのか。」

 「少年院送致」という裁判官の審判は、「あなたはしばらくこの世から消えていなさい。」という宣告だ。ほとんどの生徒は、「自分なんかこの世にいないほうがいい。」と思い、自尊感情に欠ける心情を抱えて入院してきた。 そんな生徒たちが、親を泣かせ被害者を傷つけてきた自らに気づき、そんな自分が人に大切にされていることが分かるようになる。そうなると一変して人に優しくできる自分を発見して、そんな自分を好きになってくる。

 僕たちのような上から目線での優しさとは違う優しい言動に触れさせてもらった。 親鸞聖人は「すべて、よきひと、あしきひと、とうときひと、いやしきひとを、無碍光仏の御ちかいには、きらわず、えらばれず」と。それには、「みな、いし・かわら・つぶてのごとくわれらなり。」(『唯信鈔文意』)の自覚があるからだと思う。

僕たちの日常はどうなのか。「安心・安全」のキャッチフレーズの裏側にはリスクを嫌い、排除の論理がまかり通っている。「きらわず、えらばれず」との仏さまの願いを忘れて生きているではないか。「どんな人とも共に生きていきたい。」は、正しい人、賢い人しか生きられぬ今の世には成り立たないのか。

2012.6月の掲示板

心中をあらためんとまでは,

思う人あれども,

信をとらんと,

思う人なきなり。          (蓮如上人『御一代記聞書』から)

蓮如上人が御在世のときは,上人を慕って多くの人が聴聞に集まっただろうと想像できます。それらの人々を見ながら,蓮如上人が嘆かれたであろうというこの言葉。沢山の方がお参りに来て,仏法を聴聞しているが,どうも方向が違うと思われているのである。自分の心の始末や気の持ち方を工夫することばかりに終始しているのではないかと。晩年の『御文』になるとそういう蓮如上人の思いの強さが感じられます。

僕たちの聴聞の姿勢はどうか。「いい話だった。」との声を聞くことも多いけれど,その意味は何か。その声の中味はどうなのだろう。「いい話」って何か。自分が言い当てられて,少し自分の姿があぶり出されることもある。聞法が教養を身につける場になっているのではないか。それを親鸞聖人は「日ごろのこころにては、往生かなうべからず」とおっしゃっている。往生を求めているようで,実はそうでない自分があらわになる。「たすけたまえ」とは申していない自分がいるのだ。本願をたのまぬ自分がいる。

 蓮如上人の「信をとる」の言葉は,随分誤解を招いているような気がする。自分で努力して信心を取るように聞こえる。でも,蓮如上人は「これしかしながら弥陀如来の御かたよりさずけましましたる信心とは、やがてあらわにしられたり。かるがゆえに行者のおこすところの信心にあらず、弥陀如来の他力の大信心ということは、いまこそあきらかにしられたり。これによりて、かたじけなくも、ひとたび他力の信心をえたらんひとは、みな弥陀如来の御恩をおもいはかりて、仏恩報謝のために、つねに称名念仏もうしたてまつるべきものなり。」(『御文』5−12)と言ってくださっている。

実は「信をとる」のは僕たちの仕事ではないのだ。弥陀如来の御心からさずけまします信心なのだ。僕たちのできるのは,ひたすら聞法,ひたすら阿弥陀さまにひれ伏すことではないのか。「今度の我等が後生たすけたまえともうすをこそ、安心を決定したる念仏の行者とは申すなり。」なのだ。

「一向専修のひとにおいては、回心ということ、ただひとたびあるべし。その回心は、日ごろ本願他力真宗をしらざるひと、弥陀の智慧をたまわりて、日ごろのこころにては、往生かなうべからずとおもいて、もとのこころをひきかえて、本願をたのみまいらすをこそ、回心とはもうしそうらえ。(『歎異抄』第16章)       2012.6.1


2012.5月の掲示板

おたすけということは,

「平常心」をあたえて

くださること。       (曽我量深『真宗大綱』)

この言葉は,臨終間際の曽我先生が,見舞いに訪れた金子大栄先生に語られた言葉です。自ら絶食して命を終えることを考えていた曽我先生が,「これからはみなさんにおまかせします。一念発起してお水もいただきます。食事もいただきます。薬もいただきます。」と言われた。そのことを,曽我先生「この歳になりましても,煩悩がはたらくものですから,自分のことは自由にしようなどと考えまして駄目なものでございます。」と。そして,「おたすけということは,“平常心”をあたえてくださること。凡夫には“平常心”はありません。そして,南無阿弥陀仏によって,“正念”という“平常心”をあたえて,そして,わたしにご催促くださいました。」と。

この言葉を読んで,親鸞聖人の自然法爾章の言葉を思い出した。そして「凡夫には“平常心”はありません」の言葉が痛い。曽我先生をして,臨終間際なのに「煩悩がはたらく」と。ましては,僕たちには煩悩をなくすという幻想は不可能なのだ。そうなのに,エエもんになることばかりを望んでいる自分。その夢が打ち砕ける。

先日,僕のブログに「お坊さんは人生を達観しているのでは?」とのコメントが入った。そうなのだ。人生を達観しているのがお坊さんというのが一般的な常識なのだろう。ところが,僕のブログと言ったら,愚痴ばっかり。これじゃあ読む人もウンザリするのだろう。でも,煩悩まみれの弱い人間だからこそ,恥ずかしくも「聞かずにはおられないこの身」をちょうだいできるのです。そして,仏さまに「たすけたまえ」とひれ伏すことができる。

親鸞聖人の「信心のさだまるとき,往生またさだまるなり。」(『末燈鈔』)の言葉を本多弘之先生は「必然性の信頼」とおっしゃいました。僕流に言うと,おまかせの信頼感のことばではないかと思うのです。

「安楽浄土という阿弥陀如来の浄土は,遠くにあって願い求めるものではなくて,信心を獲たときに生き生きと体験されるという,感謝すべき世界を言っているのです。」(寺川俊昭『親鸞の仏道』)

「自然というは,もとよりしからしむということばなり。弥陀仏の御ちかいの,もとより行者のはからいにあらずして,南無阿弥陀仏とたのませたまいて,むかえとらんとはからわせたまいたるによりて,行者のよからんともあしからんともおもわぬを,自然とはもうすぞとききて候う。(『末燈鈔』5)       2012.5.1


2012.4月の掲示板

すべて,よきひと,あしきひと,

とうときひと,いやしきひとを,

無碍光仏の御ちかいには,

きらわず,えらばれず,

これをみちびきたまうをさきとし,

むねとするなり。          (親鸞聖人『唯信鈔文意』)

この言葉は,親鸞聖人85歳のときに著された仮名聖教に書かれたものです。僕流に言い換えれば「どんな人とも共に生きていきたいは,仏さまの願い。」ではないか。「安心・安全」の言葉を見ることが,このところ多いような気がする。耳に心地よいこの言葉には,隠された言葉があるような気がしてならない。それは(自分たちだけの)安心・安全だ。自分たちの「安全」が脅かせられるリスクを徹底的に排除する「安心」ではないか。自分たちが安全であれば,他が安全でなくても少しも心が痛まないという安心って一体何だろう。「きらわず,えらばれず」との仏さまの願いを,ものの見事に違背して生きているのではないか。東日本大震災の後,「絆」がよく話題になる。でも,本当に東北の人びとの苦悩を悲しみを我がこととして,本当に受け止めているのだろうか。「孤独死」だけではなく「孤立死」という活字も見るようになった。「みな共に生きていきたい」とは真反対のわれらの現実がある。

「正しいは冷たい」は、高原先生の口癖だった。正しさを主張する時,それに反する論者を論破し,排斥する構造があるような気がする。そして自分の意見だけが正しいに固執することが多い。違った意見が認め難いのだ。そして,僕たちは「正しい側」に立ちたいという欲がある。でも,親鸞聖人は自らを「正しい側」に立たず,煩悩具足の凡夫に立っておられる。だから「きらわず,えらばれず」なのだ。

親鸞聖人は,自らを「みな,いし・かわら・つぶてのごとくなるわれらなり。」とおっしゃる。そして「しかればわれらは善人にもあらず,賢人にもあらず。賢人というは,かしこくよきひとなり。精進なるこころもなし。懈怠のこころのみにして,うちは,むなしく,いつわり,かざり,へつらうこころのみ,つねにして,まことなるこころなきみなりとしるべしとなり。」(『唯信鈔文意』)とおっしゃっている。

「浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし 虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし」「是非しらず邪正もわかぬ このみなり 小慈小悲もなけれども 名利に人師をこのむなり」(『正像末和讃』)                       2012.4.1


2012.3月の掲示板

心の底から阿弥陀仏を信ずる

喜びが起こってきたとき,

悪心煩悩が消え去ることがないままに,

その人の前に仏が開かれた

悟りの世界があらわれる。

(『正信偈』現代語訳)

正信偈の原文は「能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃」です。僕の出身の西覚寺の寺報「こころ」から転載させていただきました。

先日お邪魔したお寺の法座で,ご講師の言葉「申している念仏に,手応えが感じられない。」が心の中におりのように残っています。僕の申しているお念仏。それって一体何なのか。「手応えがほしい。」

僕たちの心の底に,仏さまのような人になりたい,お念仏申したら「有り難い」と喜びに包まれるようになりたい,煩悩なんか消えて覚りの境地になりたい,不安にさいなまれることのないようになりたい,そんな思いがあるような気がします。聖道門(真宗以外の自力の教え)では,座禅をしたり,お百度を踏んだりして修業し,少しでも仏さまに近づく努力が尊ばれます。お念仏さえも,行として称えることを勧めます。こういう教えは分かりやすい。何とか自分の努力で仏道のステップを上げられそうです。幸せは,心の持ちようなどとも言われます。そして,ついには「あきらめが肝心」などと。努力して,ちょっとはマシな人間になりたいという思いがどうしても消えないし,煩悩のせいでこんなに苦しいのだと思う。そして何とか始末できると思っている。

「煩悩は凡夫にとっては宿業なんです。何ともならんのです。オギャーと生まれる前から煩悩の中に居るのです。生まれてからこの年になるまで,煩悩と離れたことがないのです。」「そして真宗のみなさんでも,知らんでるうちにやっぱり煩悩があってはならんと思っていらっしゃる。煩悩を断ぜず,このままのお助けだと,そうですね。昔の人が言葉で「そのままのお助け」,仏さまの方から,如来さまの方から,そのままのお助け,それが「不断煩悩得涅槃」です。」(高原覚正『正信偈』から)

「凡夫というは,無明煩悩われらがみにみちて,欲もおおく,いかり,はらだち,そねみ,ねたむこころおおく,ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず,きえず,たえずと,水火二河のたとえにあらわれたり。かかるあさましきわれら,願力の白道を一分二分,ようようずつあゆみゆけば,無碍光仏のひかりの御こころにおさめとりたまうがゆえに,かならず安楽浄土へいたれば・・。」(親鸞聖人84歳『一念多念文意』)          2012.3.1


2012.2月の掲示板

「苦悩」がいたるところに

あるにもかかわらず,

あたかもそれがないかのように,

少なくともそれを忘れたかのように,

「幸福」の追求に血道を上げてきた。

(姜尚中『親鸞 いまを生きる』朝日新書 から)

さらに「だが,3月11日が突きつけたのは,私たちが,「苦悩」を忘れることはできないということだった。自然災害だけでなく,原発事故による放射能汚染の広がりを考えれば,人間の活動力と科学の力で,「苦悩」や死をなくす,少なくともそれを和らげることができると,楽観的に信じることはもはやできないはずだ。」と続きます。

本紙の12月号に「今は,五濁悪時悪世界にいることを忘れさせるのが,今の五濁の時ではないか。」と書いた。私だけじゃなく,五濁の時にいるとは思いたくない人は多いのではないか。今年の正月参り。各ご家庭にお邪魔して,新年のあいさつをしながら,それとなく雑談をさせていただくのが楽しかった。そんな中での,ある門徒さんとの会話,「今年の元旦,気比神社でお参りしようとしたが,本殿まで行くのに1時間半もかかるほどの大混雑だった。」と。初詣は日本人の心情に深く根づいている。そこで,何をお祈りしたのだろうか。それに厄除祈願というのもある。それは,私たちの「日ごろのこころ」ではないかと思います。世間でいう常識ではないかとも思います。それを「幸福の追求に血道を上げてきた。」と言われるとドキッとする自分がいます。

人に親切にしたり,困っている人を助けたりもしたい。でも「ホメラレモセズ,クニモサレズ,ソウイウモノニ,ワタシハナリタイ。」の宮沢賢治の言葉には,「ソウイウモノニ,ナレナイ。」という嘆きが聞こえてくるような気がします。[思いがかなう」ことばかりを願い,「思い通りにならない」ことを恐れて生きる。それを親鸞聖人は「日ごろのこころにては,往生かなうべからず」(歎異抄第16章)とおっしゃいます。何を目指し,何を目当てに生きるのか。いま私が一番ほしいものは何なのか。

「一人ひとりが自らを振り返り,気づかされて,新しい価値観や新しい存在の見方ができるというのが宗教生活の始まりなのです。」(本多弘之『親鸞 いまを生きる』朝日新書)

2012.1月の掲示板

南無阿弥陀仏と念仏申すこと自体が、

すでに南無阿弥陀仏のはたらきであり、

そのことにうなずくこころも

また南無阿弥陀仏のはたらきであった

と知られるのです。

(『御文』5−22)

さらに「これが他力の信心です。今,他力の信心ひとつにうなずくとき,まちがいなく往生の歩みが始まっているのです。」(小松教務所訳)と続きます。蓮如上人の原文は「されば南無阿弥陀仏と申す体は,われらが他力の信心をえたるすがたなり。この信心というは,この南無阿弥陀仏の いわれをあらわせるすがたなりとこころうべきなり。されば,われらがいまの他力の信心ひとつをとるによりて,極楽にやすく往生すべきことの さらになにのうたがいもなし。」

私たちが仏法をムズカシイという。その理由の一つが「他力」が分からないからだと言われます。僕たち,特に現代人は理知や自分の努力などを頼りにします。それが染みついているような気がします。理解してから信じる。自分の頑張りの成果としての安心を求める。例えば,科学や技術の進歩が自分たちを幸せにしてくれると思い込んでいるのではないでしょうか。それ以外に自分たちの求めているもの(幸せ)は得られないと思っている。

蓮如上人の「たすけたまえとおもうこころの一念おこるとき」とか,「ひとすじに,この阿弥陀ほとけの御袖にひしとすがりまいらするおもいをなして」とか,歎異抄の「念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき」が分からないのです。僕たちには元々,仏法を求める心(菩提心)なんてない。そんな私が「聞かずにはおられない身」にしていただく,仏さまにひれ伏す。不思議です。弥陀如来のご本願がここに届いているからこそ,そういう身をいただける。

「あら,殊勝の弥陀如来の本願や,このありがたさの弥陀の御恩をば いかがして報じたてまつるべきぞとなれば,ただねてもおきても,南無阿弥陀仏ととなえて かの弥陀如来の仏恩を報ずべきなり」(『御文』5−22)

「浄土の大菩提心は 願作仏心をすすめしむ すなわち願作仏心を 度衆生心となづけたり」「度衆生心ということは 弥陀智願の回向なり 回向の信楽うるひとは 大般涅槃をさとるなり」(『正像末和讃』) (2012.1.1)



2011.12月の掲示板

五濁悪時の群生海

如来如実の言(みこと)を信ずべし

(正信偈)

「釈迦如来が世に出られたわけは,ただ,海のように広く深い阿弥陀仏の本願を説くためである。五濁の悪時のすべての人びとは,釈迦如来の真実のとおりのお言葉を信ずべきである。」(古田和弘訳)正信偈の「如来所以興出世 唯説弥陀本願海 五濁悪時群生海 応信如来如実言」だ。

五濁悪時って,一体いつのことなのか。少なくとも僕は,今この時が五濁悪時その時とは到底思えない。古田先生は,「阿弥陀経にある五濁悪世を,宗祖はなぜ五濁悪時と言いかえられたのか,3月11日に分かりました。宗祖は悲惨な情況を目の当たりにされたんです。」と言われた。僕には東北の大震災がテレビの世界でしかない。まして,今僕の生きている時が五濁悪時なんて,考えてもいない。が,幸せいっぱいとの実感もない。平和で,穏やかで,楽しいときも,そして温泉もある。そんな世の中を五濁悪時って言うのか。でも,それを実感することがこわい。予想もしない悲しみに襲われるときがある。そんな時うろたえ,自分ほど不幸な人はいないだろうなとの思いにかられる時がある。

実は,今は,五濁悪時悪世界にいることを忘れさせるのが,今の五濁の時ではないか。無神経で不感症な時代。でもホントは腹の底で分かっていて,不幸に襲われることをおそれ,不安だけが目立って,生命保険や医療保険,それに不老長寿の薬などのCMに目を奪われている。料理やグルメ番組のない日なんてない。これでもかこれでもかと色んな料理が紹介され,もっともっとと際限がない。おいしい物でホントの願いを紛らしているのではないか。五濁悪時を忘れさせるものは数多い。そのためか仏法を求めることもない。

ある先生のお言葉。近代以降,人間は,自然も利用できる資源と考え,人間を人的資源と呼んで商品価値とすることを優先する。人間の幸福追求のためにすべてを資源(商品)として利用することを考える。だから自然を敬うことを忘れ,人間の幸せのために自然破壊もしてしまう。それが人間を人間でなくしてしまう。今,原発が自然にやさしいとは誰も言わないだろう。そして,お念仏することで自分の思いをとげたいと考える。お念仏して自分のつみを滅したいと。お念仏まで利用する。人間の罪が五濁悪世にしていると。

「五濁悪時悪世界 濁悪邪見の衆生には 弥陀の名号あたえてぞ 恒沙の諸仏すすめたる」(『浄土和讃』) (2011.12.1)

2011.11月の掲示板

善悪の字しりがおは

おおそらごとのかたちなり(親鸞聖人)

人として生まれた者に逃れられない四苦(生・老・病・死),五苦(愛別離苦を加える)は,根源的な苦しみと言われます。でも,医学を始めとした科学の進歩はその苦悩からの解放を目指してきたように思います。世間では健康ブームといわれ,ウオーキングやジョギングなどの運動が勧められ,色んな健康食品や健康雑誌が売れています。医学の進歩は,確かに種々の病を克服してくれましたし,早期発見がキャッチフレーズとなって健康診断も盛んになりました。でも,本当に四苦・五苦は克服されたのでしょうか。種々の生命保険や医療保険が関心を集めているのは,むしろその不安が増しているからではないでしょうか。多少は日延べできても,残念なことにその苦から逃れることはできない。

だから,この生老病死を笑いのネタにしている漫談家がもてはやされるのではないか。特に,自らの老いを逃れられないことを歎く気持ちをくすぐって,笑いにしてしまう。先日,バス旅行でそのテレビが放映され,笑いごとではない人間の悲しみを,解決できぬことを知りながら,笑う自分に気づかされました。

それに加え,よかれと思って選ぶ自分のあり様が,実は,正義と思ったり善と思っているものの,見方を変えると大空事だったりする。何とか自分を正しい立場に身をおきたいと思っている。自分を肯定することだけが先走っているのではないか。「いいと思っているかもしれんけど,あんたのやっていることオカシイんやで。」などといわれると途端に自信なくしてしまったり,「今の若い者には分からんやろう。」などと意固地になってしまう。それほど頼りないものにすがって生きているのではないか。

今日の電力問題は,豊かさでまぎらわす私たちの生き様が問われている。テレビなどで,知識や見識の豊かさを競って,正しさを主張する人を見ているうちに,僕もどちらかの立場に立たなければならないような気分にさせられる。どちらの立場にたっても大空事のかたちなんだろうけれど。

ある先生に「他力」が分からないというのは,自分を過信しているからだと教えられた。自分の判断や自分の力を頼んで,自分で何とか切り開ける,自分の力で始末できると,どこかで思っているからだと。「自分は間違っていない。」と言わずにはおれない。それが仏智疑惑だと。

「よしあしの文字をもしらぬひとはみな まことのこころなりけるを 善悪の字しりがおは おおそらごとのかたちなり」(『正像末和讃』) (2011.11.1)


2011.10月の掲示板

文沙汰(ふみさた)して,

賢々(さかさか)しきひとの

まいりたるをば,

往生はいかがあらんずらん。(『末燈鈔』6)

法然上人のお言葉を親鸞聖人がお手紙に書いておられます。僕流に言いますと,「みなが知らないお聖教の言葉なんぞを使って,いかにも賢さを誇っているあり様をご覧になって,これでは往生することはできんなあ。」とおっしゃっていると。永代経や報恩講などで法話のご縁をちょうだいしている僕の姿です。この言葉の前に「浄土宗のひとは愚者になりて往生す」という有名な言葉があります。法然上人は自らを「愚痴の法然坊」と,そして親鸞聖人は自らを「愚禿」と,なのっておられます。

さして賢くもないのに,賢人ぶる僕って一体何だろう。「自分ってアホやなあ。」と語ることはあっても,本当にアホと思っているのか。そうなのだ,自らの愚かしさに気づかないほどのアホなのだ。自分は正しい。自分は賢い。そんなことばかり競って,論破出来たら悦に入る。あーあ。そんな僕を如来さまは正客としていてくださるんだ。入寺して満6年。入寺以来,法名である「了勝」を名乗っている。実は,戸籍上の名である「勝」が嫌なのだ。勝ち負けにあくせくする人生をやめようと思って法名を使うことが多い。ところがどうだ。勝ち負けを一向に止めない,そんなことにこだわる自分がいる。どうしょうもない。そんな時,仏さまの大悲を感じる。「往生いかがあらんずらん」と苦笑いされている。

「信心決定のひとは,うたがいなければ,正定聚に住することにて候うなり。さればこそ,愚痴無智のひともおわりもめでたく候え。如来の御はからいにて往生するよし,ひとびともうされ候いける,すこしもたがわず候うなり。」(『末燈鈔』6)       (2011.10.1)

2011.9月の掲示板

仏,阿難に告げたまわく

「汝,起ちて更に

衣服を整え合掌恭敬して,

無量寿仏を礼したてまつるべし。」 (大経)

大経では,阿難尊者は,この言葉に応えて「起ちて衣服を整え,身を正しくし面(おもて)を西にして恭敬(くぎょう)し合掌して五体を地に投げて,無量寿仏を礼したてまつりて」と続きます。僕流に言いますと,「仏さまにひれ伏す」ということではないかと思います。衣服を整えて,仏さまに合掌恭敬して礼拝しているか。このことが最近気になっています。「頭を下げることはある。でも,頭が下がることがあるか。」(46号09.11の法語)は,種村先生の口癖だった。そして,「そんな風にせんでも,お念仏に出会えたら自然に姿勢が低くなります。」(35号08.12の法語)と高原先生。いかに,かしこまって謙遜ぶっても,その仕草を見とがめた先生の言葉が突き刺さった。

先月,ある門徒さんの年忌法要でこんなことを申しました。「焼香と言われると,ついついお香を焚くことばかりに気がいって,肝心の合掌礼拝が疎かになっていないか。」と。葬儀や法要で順番に焼香するのだけれど,中にはお焼香の後,仏さまにお参りせずに,そのまま喪主の方に深々と一礼されて帰る方もある。お焼香とは言うものの,仏さまに合掌礼拝することが大事ではないか。

毎年,蓮如上人御影道中の御下向ご到着日に吉崎別院へお参りに行っている。お内陣で「お腰延べの儀」といわれる儀式がある。シャッターチャンスということで,新聞社のカメラマンが帽子を被ったままお内陣に上がるのを見ることがある。苦々しい思いをついつい同道した門徒さんに愚痴ったことがある。門徒でなければお内陣がどんなものか分からないのだろう。けど,仮に信心なくとも,参詣者の崇敬し仰ぎ見ている空気を察知できないのだろうか。

先月は,オミガキ奉仕をお願いしました。お陰できれいになりました。お内陣を荘厳する仏具も皆さまの合掌恭敬のこころでもって,美しく輝くようになるのではないでしょうか。なかなか頭の下がらない,そしてオミガキを面倒がる私たちを仏さまはちゃんとご承知の上で見守っていて下さるのではないでしょうか。

「帰命すなわちこれ礼拝なりと。しかるに礼拝はこれ恭敬にして,必ずしも帰命ならず。帰命は必ずこれ礼拝なり。」(行巻)            (2011.9.1)



月刊紙『ないおん』10月号

「生き直し」?
    元交野女子学院長
    真宗大谷派 高雲寺住職
            藤本 了勝
 少年院を退職し、入寺して満六年が過ぎた。現職時代には、何度かこの『ないおん』にも寄稿(旧姓 菅原)させていただいた。
 定年を少し残して辞表を提出したことを知ったある施設長さんが、「肩書きのない生活を始めるのですね。」と言われたことを思い出す。確かに少年院長は行政機関の長であり、かつ教育現場のトップだ。少年院での教育現場を指揮し、スタッフを束ねる役割を担っていた。
 職員に慕われ、生徒から熱い眼差しを受けることはこの上ないほど心地よいものではあったが、いつも、それは少年院長という肩書きゆえではないかとの思いも離れることはなかった。そのことが何だか嘘っぽい生活に思え、苦しかった。
 定年が近づくに従い、第二の人生を僧として生きたいと思うようになった。それで、現職中に得度を受け、教師資格を取得することを目ろんだ。
 教師検定試験を受け、口頭試問の時だった。予想どおり「なぜ得度を受けたり教師資格を取得しようとするのか。」との質問を受けた。あらかじめその答は用意していたのだが、口から出たのは、「第二の人生を生き直ししたい。」だった。「しまった。」とすぐ気づいたのだが、案の定、「考えが甘い。」と散々油をしぼられた。そうなのだ、今の自分を引き受けられないで、ユートピアを求めるようなものなのだ。
 それがなぜか合格して、夏休みなどを使って修練を終え、教師資格を取得した。そして、今の高雲寺を紹介された。定年まで待ちきれないと辞意を表明した。その途端、一日でも早く退職して新生活を始めたいとの思いが強くなっていた。辞意を表明したからには新しい施策を講ずることもできず、また、指導力が減じていくのを目の当たりにした。
 田舎の小寺にひっそりと住んで、門徒の皆さんと親鸞聖人や蓮如上人のことを語り合うという、当に夢がかなったように思えた。
 でも、それが絵に描いた「夢」だったことに気づくのに時間はかからなかった。実は、「住職」という肩書きがあったのだ。「ええゴエンさんが入寺してくれはった。」と歓迎され、毎日、野菜などを頂戴する生活をする。「住職」という公の立場を生きる結果となってしまった。
 江戸幕府によって構築された檀家制度が厳然と生き残っており、それによって今でも寺が維持されている現実があり、葬儀や法事の執行者として、寺の留守番役として期待されている。
 そして、それ以外はない。「仏教ブーム」といわれる向きもあるが、本当にそうなのだろうか。
 「寺ほど念仏に遠いところはない。」とは、僕の先生の言葉だ。そういう寺に、今僕は住んでいる。

2011.8月の掲示板

どんなにこすっても

根性までは

きれいにはならん。

このごろ「仏法聞き難し」を考えることが多い。念仏しながらも「他力をたのまぬ」心が染み込んでいる。自力をたのむ根性はしぶとく,しぶとく生き残る。弥陀にひれ伏すことがないのだ。

宗祖親鸞聖人は一生涯,法然上人始め諸先達に教えを請い,学び続けられてこられた。そして「弟子一人ももたずそうろう。」とおっしゃって,一度も「先生」になられたことはなかった。ところがどうだ。わずか6年住職をやっているだけで,「分かったふり」している。

「不得外現(ふとくげげん)賢善精進の相というは,あらわに,かしこきすがた,善人のかたちを,あらわすことなかれ,精進なるすがたをしめすことなかれとなり。そのゆえは,内懐虚仮なればなり。」「しかればわれらは善人にもあらず,賢人にもあらず。(賢人というは,かしこくよきひとなり。)精進なるこころもなし。懈怠のこころのみにして,うちは,むなしく,いつわり,かざり,へつらうこころのみ,つねにして,まことなるこころなきみなりとしるべしとなり。(親鸞聖人『唯信鈔文意』)

僕たちはよく人を評するに「あの人いい人やで。」などと好んで使う。実はその言葉の背景に,自分のモノサシや自分の思いを「よし」とする心が潜んでいないか。実際は自分の都合が先にたっているではないか。自分の在り方を「よし」としている時は,それを破るような話には聞く耳を持たない。「仏法聞き難し」だ。それは,いつも「賢善精進」を自分の立場にしているからではないか。

それを,見事なまでに,親鸞聖人は「よろずのこと,みなもって,そらごとたわごと,まことあることなき」「われもひともそらごとをのみもうしあいそうろうなかに」とおおせられて,「ひとのくちをふさぎ,相論をたたかいかたんがため」(『歎異抄』)とおっしゃる。それなのに,知らぬ間に自分はまともで,正しくて,時には賢しこぶる。さらに「教えをたれる」自分がいる。

「たとい牛盗人とよばるとも,仏法者後世者とみゆるようにふるまうべからず。(略)近代このごろのひとの,仏法しりがおの体たらくをみおよぶに,外相には仏法を信ずるよしをひとにみえて,内心にはさらにもって当流安心の一途を決定せしめたる分なくして,あまっさえ相伝もせざる聖教を,わが身の字ぢからをもって,これをよみて,しらぬえせ法門をいいて,(略)真実真実,あさましき次第にあらずや。」(『御文』3−11) (2011.8.1)


2011.7月の掲示板

御こころをしずめ

ねぶりをさまして

ねんごろに

聴聞候え。(『夏御文』3から)

今月,長浜別院の夏中に初めてご縁をちょうだいした。『夏御文』の拝読があり,事前に毛筆で書かれた御文のコピーが送られてきた。それで事前に練習をして下さいということなのだろう。天ぷらの菜箸を芯にして,巻紙風に仕立てて練習を始めました。読んでいるうちに晩年84歳の蓮如上人が切々と,そして厳しく,聴聞して信を取れと語って下さっていることが胸を突く。そして,叱られているような気分になりました。

法座に座って如何にも聴聞しているように装いながら,心の中で,「早く終わらんやろか。」と思ったり,よそ事を考えたりしている。睡魔が襲ってきて,ついウトウトとしている。そんな怠け心をとっくに見抜かれていて,「あさましきことなり。」と蓮如上人は嘆かれている。どうして,こんな僕の怠け心,サボリ心が分かるのだろう。ホントに蓮如上人は苦労人だ。だから,見抜くことができるのだ。『夏御文』には,「御こころをうかうかと御もち候らわで」とか,「御耳をすましてよくよくきこしめし候うべし」「みなみな人目ばかり名聞の体たらく,言語道断あさましくおぼえ候う。」など厳しい言葉が並んでいる。「ねぶりをさまして」とは,本当に蓮如上人らしい言葉だ。

「仏法には,明日と申す事,あるまじく候う。仏法の事は,いそげ,いそげ」と,仰せられたり。(『蓮如上人御一代記聞書』103)

ところが,僕の日常はどうだ。目先の楽しみや苦しさにとらわれて,それを追い求め,あるいは逃げ回る毎日ではないか。僕は「目くらまし」と呼んでいるけれど,肝心なことを忘れさせる道具立てがいっぱいだ。焼酎なんて典型的な誘惑だ。病気したって,しんどさからそれを早く治したいと思うが,それほど切実に仏法を求めることってあるだろうか。

清沢満之の「何をか修養の方法となす。曰く,須く自己を省察すべし。」(『絶対他力の大道』)の言葉が重なる。

「身あたたかなれば,ねぶりきざし候う。あさましきことなり。その覚悟にて,身をもすずしくもち,眠りをさますべきなり。身,随意なれば,仏法・世法,ともにおこたり,無沙汰・油断あり。此の義,一大事なりと云々(『蓮如上人一代記聞書』292) (2011.7.1)

2011.6月の掲示板

お念仏とは

仏さまの方から

私を念じてくださる

ということだった。

今年の春,出身の寺の彼岸会にご縁を頂戴した。そこで,曽我量深先生の「念仏は 仏を感ずるところの 道である」(昨年5月の『高雲寺便り』での法語)をお話させていただいた。 お話しながら,「お念仏って,手を合わせながら私が仏さまを念じるという字面ですけれど。」と言いながら,次いで出てきたのが上記のこの言葉だった。「お念仏とは 仏さまの方から 私を念じてくださるということだった。」と。言葉の方が先に出て,「ああ,そうだった。」と自分の言葉に驚いた。皆さま顔見知りの方々の笑顔にお話させていただくと,ヘンな力みがなくって口の方が考えるより先に語ってしまうような気がする。

お念仏って,自分で申すと,「己が善根(自分の手柄)とするがゆえに,信を生ずることあたわず」がついつい重なってしまう。今まで「念仏には,無義をもて義とす。」(『歎異抄』第10章)がもう一つ分からなかった。お念仏に値打ちをつけて,「お念仏申す」ことを何だか悦にいったようなものにしてきた。

今年はまだ始まったばかりだが,年間の流行語大賞は「想定外」だろうと思います。原発の問題だけじゃない,人間の幸せを理知分別で求めた結果がこれだと思います。東日本大震災という惨事の前に,人間の理知分別や経済の論理でしか語ることのできない私たち。「何をやっているんだ。」と怒号も発した。いや,それ以外に語った言葉があったろうか。それを「仏かねてしろしめして」ではなかったか。

「南無阿弥陀仏を称えて,そこに仏さまがおいでにならんような,称えるだけの念仏は念仏ではありません。そこに、もう仏さまがあなたのここにちゃんと南無の形をとっておいでになさってくださるじゃないですか。その外に仏さまってございませんよ。私の南無の姿にまでなって下さるまでに。それこそ、五劫兆載永劫のご苦労があった。どうしたら私に南無してもらえるのか。どうしたら私に合掌して南無と叫ばすことができるのか。そこで初めて私の南無の姿のところに阿弥陀さまは形をとって下さる。それを機法一体の南無阿弥陀仏と。形のない仏が、私の南無という姿になって下さいました。」(種村敏樹『双林会講義』から)

「念仏には,無義をもて義とす。不可称不可説不可思議のゆえにと,おほせそうらいき。」(『歎異抄』第10章)                                   (2011.6.1)

2011.5月の掲示板

自分の心が一番始末に困る。

承知せぬのは自分の心である。

(曽我量深)

3月20日に東本願寺で行われた御遠忌法要に代わる「被災者支援のつどい」に団体参拝した。その時,東日本の大震災なのに,その支援になぜ京都に向かうのかと自問自答した。法要に参拝しながら,御遠忌テーマでもある「宗祖親鸞聖人に遇う」がどこに行ってしまったのかとも思った。春の彼岸会法要では,救援金の募金箱をお賽銭箱の上に置いたところ,先月号でも紹介しましたが,多額の救援金が寄せられました。そして,実は法要の翌日にも「お賽銭しか持って行かなかったので。」と封筒にお金を入れて届けてくださった方があって驚きました。報道を見て「何かせずにはおられない。」という気持ちになりましたが,それは僕だけじゃなかったのだと思います。悲惨な被害状況の報道に胸が痛むし,そんな中,困難な状況の中でボランティア活動に尽力されている方々の尊い姿に接します。

そんな折,脈略はないのだが,初めて施設長になった有明高原寮を思い出した。朝ドラの舞台となっている安曇野にある施設で,日本で唯一鉄格子のない少年院だった。自主自立を重んじる教育プログラムが敷かれていて職員の熱心で献身的な指導姿勢も素晴らしかった。そんな中,生徒たちの感動体験や立ち直りに目を見張った。理想的とも言える施設に勤務できることが誇らしかった。 

「聖道門の慈悲はこちらからあわれみ,かなしみ,はぐくもうとするが,本当にあわれみ,かなしみ,はぐくむということは計画しても出来るものではない。(略)自分の心が一番始末に困る。承知せぬのは自分の心である。故に「おもうがごとくたすけとぐること,きわめてありがたし。」思うが如くなるということは世の中は一つもない。世の中は一から十まで思わざる如くに動く。」(曽我量深『歎異抄聴記』)

「慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。聖道の慈悲というは,ものをあわれみ,かなしみ,はぐくむなり。しかれども,おもうがごとくたすけとぐること,きわめてありがたし。」(『歎異抄』第4章)          (2011.5.1)

2011.4月の掲示板

 浄土真宗に帰すれども

真実の心はありがたし

(親鸞聖人『悲嘆述懐和讃』)

「虚仮不実のわが身にて 清浄の心さらになし」と続きます。親鸞聖人86歳の和讃といわれます。真実の心も清浄の心もない。虚仮不実のわが身とおっしゃる。ユートピアを想う自分の夢が砕け散る。また,「無慚無愧のこの身」ともおっしゃる厳しい言葉。心のどこかで,聞法を積めば,信心獲得すれば,真実の心がいただけて,清浄なる心が念仏の功徳としてさずかるように,思い込んでいる。今とは別人の自分に生まれ変われるとの夢を描いている。

先日,故松本梶丸先生の法話集(『知恩報徳』順教寺発行)を手に入れました。そこに,「こうして聴聞をしていると,有り難い人間になるのではなく,仏法のお聖教が理解できるようになるのでもありません。」の一文を見つけてドキッとしました。有り難い人間,仏法のお聖教が理解できるようになることを夢見ていることをズバリ言い当てられた気がしました。

今から10年ほど前,得度を受けたその年の夏,教師検定試験を受けました。その面接試験で試験官から「なぜ,得度を受けたのか?」との質問に,思わず「第二の人生を生き直したい。」と答えてしまった。あらかじめ別の答えを用意していたのに,口から出たのはそれだった。シマッタとすぐ気づいたが,当時の僕の本音が出てしまったのだ。「青い鳥」を求めるように,今の自分が引き受けられないから,別の世界を夢見ていたのだ。

「念仏往生というのは,あるとされる浄土へ生まれていくという,神話のような話ではないのです。浄土を失って,つまり言葉としての浄土はもちろん知っていても,要するにあれどもなきが如く浄土を思いながら流転し,無明の闇の中にいるわれわれに,本願を信じ念仏するという自覚は,まさにその信じようとして信じ切ることのできないものとしてあった浄土を現実の体験としてはっきりと開示してくれるのです。本願を信じ念仏するその人には,努力をまたないで,真実の浄土が間違いなく開示されてくるのです。念仏すれば,浄土が開かれてくるのです。だから浄土へ行く必要はない。」(寺川俊昭『親鸞』)

「夜明けの前は闇にきまっている。」(高光大船)   

「真実信心の行人は,摂取不捨のゆえに,正定聚のくらいに住す。このゆえに,臨終まつことなし,来迎たのむことなし。信心のさだまるとき,往生またさだまるなり。」(『末燈鈔』1) (2011.4.1)


2011.3月の掲示板

 それ,安心と申すは,(中略)

一心に,弥陀如来をたのみ,

今度の我等が後生たすけたまえと

申すをこそ,安心を決定したる

行者とは申し候うなれ。

(『夏御文』1−1)

安心は,「あんじん」と読みます。似た言葉に,スクイとか信心獲得,往生などがあります。余宗では,覚りを目指して修行したり善根を積むことによって,少しでも仏に近づくことを言われているような気がします。でも,親鸞聖人は煩悩断ち難しという身の事実に目をそむけず,比叡山から下りて,法然上人に出会われたと聞いています。法然上人は念仏一つで弥陀如来の大悲を信ずる,それで救われるという教えを説いておられた。

今の自分をよしとして「スクイを求める」ことが全くない私は「弥陀たのむ」心から最も遠いところにいる。僕たちは「たすけたまえ」と中々言えないのです。自分の力や努力で自分の始末できると思ってしまうのです。阿弥陀様に身を投げ出すことが出来ないのです。先月,風邪を引きました。久しぶりに風邪を引いたのですが,なかなか回復せず困りました。毎日夕方になると熱が出るのです。そして吐き気にも悩まされました。まさに「助けてくれ」の心情でした。その私の気持ちを察してくださったのか,何人かの方々が案じてくださり,病院へ連れて行ってくださったり,部屋の掃除をしていただいたり。食事を持って来てくださったり,皆様のご厚意に甘えっぱなしでした。なかなか回復しなかったのは歳のせいだったのでしょう。

「浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし 虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし」(「愚禿悲嘆述懐和讃」)

「誠に知りぬ。悲しきかな,愚禿鸞,愛欲の広海に沈没し,名利の太山に迷惑して,定聚の数に入ることを喜ばず,真証の証に近づくことを快しまざることを,恥ずべし,傷むべし,と」(「信巻」)        (2011.3.1)


2011.2月の掲示板

他力というは,

弥陀をたのむ

一念のおこるとき,

やがて御たすけに

あずかるなり。

(『御文』1−1)

『御文』とは,蓮如上人が私たち門徒に書かれたお手紙です。『歎異抄』は,親鸞聖人のお言葉を唯円が著したものとされています。蓮如上人は,その『歎異抄』を書写しておられる。蓮如上人はひたすらに親鸞聖人の御信心に学び続けられた方だと思います。「御文にはたしかに『歎異抄』の血が通っていることを見逃せない。」(池田勇諦)と説かれているように,『御文』は『歎異抄』を読み込まれて書かれているように思います。今月の法語。他力の信心をこれほど端的にそして的確に表現されていることに驚くばかりです。「弥陀をたのむ」という表現は,『御文』にも『歎異抄』にも,よく出てきます。ついつい,「頼む」,「お願いする」といったニュアンスで理解しがちですが,そうではなくて,「おまかせする」,「ひれ伏す」,「頭が下がる」といった意味でしょうか。僕たちは自分の力で,努力で,何とかわが身を始末できると,どこかで思っていて,弥陀の大悲を信じていないのが現実ではないでしょうか。「自力のこころをひるがえして」とよく蓮如上人はおっしゃいます。実は,阿弥陀さまは,そういう僕たちの不信をも見抜いておられると思います。

「ただ念仏して,弥陀にたすけられまいらすべしと,よきひとのおおせをかぶりて,信ずるほかに別の子細なきなり。」(『歎異抄』第二章)この言葉の額を居間に掲げています。蓮如上人が書写されたもののコピーです。時おり見上げて読んでいます。

「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて,往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき,すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。」(『歎異抄』第一章)           (2011.2.1)


2011.1月の掲示板

今年もまた

聞かずにはおられない

この身を

抱きしめる。

 明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

昨年の秋,出身の彦根の寺の報恩講に参勤しました。それは,お斎(昼食)の時の会話です。ご住職が講師の先生にTさんのことを「95歳におなりになるんです。」などと話されていた時のことです。耳が遠くなったTさんは会話内容は分からなくとも座の雰囲気から自分が話題になっていると察知されたのだと思います。突然,Tさんはご講師に向かって,「高原先生に人間にしてもらいました。」とひと言。そのひと言が僕の胸を突き刺しました。僕がTさんのことを存じ上げるようになったのは,今から40数年前。僕が20歳のときだった。いつも熱心に聴聞される姿を見てきました。それから,40数年。今は,いつも最前列に座って,演台に補聴器のマイクを据えて聴聞されています。

「人間になった。」との歓びの言葉は,立派な人間になったとか安心をいただいたとか,そういう意味ではないと思います。先生に遇うまでは,地獄道・餓鬼道を生きていることすら気づかなかった。先生に遇えて,初めて自分が恥ずべし慙愧すべし身であったことを知らされて,「聞かずにはおられない身」をいただかれたのではないだろうか。95歳になられて,昔のようにそんなにお元気ではない。でも,その熱心に聴聞される姿を見て,「聞かずにはおられない」雰囲気が感じられます。そして何より暗くないのです。「聞かずにはおられない」この身をいとおしむようです。師に出遇って生きる方向が定まったのではと思わされました。この姿を見て,新年の掲示板の言葉が出来ました。

「無慚無愧のこの身にて まことのこころはなけれども 弥陀の回向の御名なれば 功徳は十方にみちたまう」(親鸞聖人『愚禿悲歎述懐和讃』)                 (2011.1.1)


2010.12月の掲示板

汝今また自ら

生死老病の痛苦を

いとうべし

       (『大経』より)

 これは,『仏説無量寿経』(下)の中で,お釈迦さまが弥勒菩薩に告げられた言葉です。 このごろ,「厭(いと)う」という言葉がマイブームになっていて,10月の「世の住み憂きは 厭うたよりなり」(「横川法語」)だったり,「この身をもいとい」「世をいとうしるし」(「御消息」)などの言葉にひっかかり,考え込む。そして,依頼される法話での講題とさせていただいたりしています。

「いとう」を調べてみると,@いやだと思って避けるAつらいこの世を避け離れるBいたわる。かばう。などの意味があるけれど,僕には「如来のご催促」,「向きあいなさい。」に聞こえる。

「生死老病」って,普通,「生老病死」といわれる。同じ意味だ。五木寛之氏は「人間は泣きながら生まれる。」と言う。この世に生を受けることも大変なことだけれど,最初に発するのは泣き声だという。この世に生を受けた同時に,この世の四苦を背負ってしまう。つまり,生まれると同時に,いつか死ななければならない身なのだ。でも,そのことを忘れさせる文化が一杯だ。このところ,少ない門徒戸数なのに葬儀が立て込んでいる。そんな通夜の席などで,上記の言葉を語らせていただいた。私たちの日常は,「生死老病の痛苦」から逃れることばかりに終始している。「健康第一」って言うし,僕もそう思う。でも,何のための「健康第一」なのか。長生きは結構なことだけど,何のための長生きなのか。そのことを忘れているのではないか,などと話させていただいた。

 「されば,人間のはかなき事は,老少不定のさかいなれば,たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて,阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて 念仏もうすべきものなり」(『白骨の御文』5−16)                             (2010.12.1

2010.11月の掲示板

 思い通りに

生きるという

闇(やみ)

       (長谷良雄「報恩講法話」より)

 今年の報恩講。長谷良雄先生のご法話「ひと」のお話の中で,「思い通りに生きる」ことに,実は,それに満足し疑問も持たない私が「無明の闇」の真っただ中にいるのだと教えられた。 私たちは,自分の思いが遂げられるようにと頑張る。努力して,それがそれなりに実るのを楽しみにし,満足し,幸せと思う。それがなぜ「闇」なのか。 数年前,長浜別院の夏中で,その長谷先生がある門徒さんの言葉を紹介された。「仏法なんかなくても生きていける。」という一言だ。幸せを求め求め生きている。それがオカシイなんて微塵も思っていなかった。そして,一方,心の奥で不幸になることを怖れて生きてきた。

 思いがかなうことは嬉しい。そして,もっともっとと思う。いや,あまり欲をかいてはとも思う。唯一つ,そこから落ちることを怖れて生きる。それを六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)のうちの天上界と教えられた。お蔭さまで,何とか人様に迷惑をかけずに,そして後ろ指差されることなく生きている。できれば,苦しまずに,人にご迷惑をかけずにコロッと死にたい。それが天上界にいるということではないか。「もっと温もり合える関係を生きていきませんか。」という,長谷先生のお言葉が有り難かったです。そして,「本当に生きる。」ことを考えて生きたい。

 報恩講1日目に登壇いただきました山吹静子先生の紹介された親鸞聖人の御和讃とお話が重なりました。親鸞聖人85歳のとき,この御和讃が夢に告げられた。「この和讃を,ゆめにおおせをかぶりて,うれしさに書きつけまいらせたるなり」とその感激を自ら後書きに記録された御和讃です。

 「弥陀の本願信ずべし 本願信ずるひとはみな 摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり」(『正像末和讃』)             (2010.11.1


2010.10月の掲示板

世の住み憂きは

厭(いと)うたよりなり。

人間に生まるる事をよろこぶべし。

       (源信僧都『横川法語』より)

 このごろ,「厭(いと)う」の語が気になっている。で,今年の長浜別院の夏中でも,「この身をもいとい」をテーマに話をさせていただいた。 「いとう」には,嫌がるという意のほかに,大切にするという意味もある。「身体をいとうてください。」などがその例だろう。 「この世を生活していくと,色んな問題にぶつかったり,生きづらい思いをすることがあるが,それは,これではイカンとの御もよおし(ご催促)のしるしだ。」は,僕なりの現代語訳です。しかし「生活の中の不満は,自分が愛おしいという証拠です。」という現代語訳を見てビックリ。そして,妙に感心する。

 先日,ある本を読んでいて,「六道」について考えさせられた。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道だ。それによれば,私たちの有り様が,「人間」でなくて,時に餓鬼道,時に修羅道,そうでなくては天上界で浮かれ果てているというものだ。 「インチョウ先生,大好き。」と言われ,有頂天になっていた。まさに天上界の住人だった。「あなたは,三流の幹部だった。」「無能の幹部だった。」とブログにコメントされた。そうだった。現役時代,一流や有能を追い求め,走っていた。まさに修羅道のど真ん中だった。それがオカシイとはつゆとも思っていなかった。今はどうなのか。

 源信僧都は,親鸞聖人より100年も前に比叡山でお念仏に生きられた。「それ,一切衆生,三悪道をのがれて,人間に生まるる事,大なるよろこびなり。」(『横川法語』)お念仏に出会われた感激の言葉と思います。

「仏を信ぜんとおもうこころふかくなりぬるには,まことにこの身をもいとい,流転せんことをもかなしみて,ふかくちかいをも信じ,阿弥陀仏をこのみもうしなんどするひとは,もとこそ,こころのままにて,あしきことをもおもい,あしきことをもふるまいなんどせしかども,いまは,さようのこころをすてんとおぼしめしあわせたまわばこそ,世をいとうしるしにてもそうらわめ。」(『御消息集』1から)                  (2010.10.1


2010.9月の掲示板

その「やさしさ」の根っこに

悲しみがある。

だから 貴いのだ。

 先日,来訪してくれたボランティアグループのキャンピズ。その中に小学生の女児がいた。彼女は障がいのあるお兄ちゃんと一緒したいと,キャンパーとしてこのキャンプに参加していたのだ。明るくて活動的な彼女が,さりげなくお兄ちゃんたちをサポートする姿を見せてもらって,「どうして,彼女はこんなにやさしいのか。」と思った。

前にお話したことがありますけれど,僕は高校卒業まで知的障がいのある姉と一緒に育ちました。でも,僕はそれが嫌で嫌で,何とかそこから逃れたいとばかり思っていたことを思い出した。それに比し,障がいのあるお兄ちゃんたちに健気に寄り添う小学女児をまぶしい思いで見詰めた。自分の兄だけじゃなく,周りのすべてのお兄ちゃんたちにやさしかった。

先月でも触れたドラマ『明日の光をつかめ』で,少年院を仮退院した子たちの「やさしさ」が毎回表現されている。それを奇異に感じる人もあるかもしれない。それに対し,世間の常識は,あの子たちは何をしでかすか分からない怖い存在としてしか見ようとしない。少年院の生徒のやさしさを語ってきましたが,心の傷を負っている生徒たちは,時に及び腰にはなるけれど,間違いなく「やさしい」し,その価値を知っている。健全で普通と思っている人の発する「やさしさ」は,時に上から目線だったり,相手を哀れんで,自分の善意を誇らしく思っている場合がある。僕の言動はそれしかないのだけれど。

「具縛の凡愚,屠沽(とこ)の下類であるということは我が身の事実であって,隠すことではない。かえって隠そうとしたり,無自覚であることが問題なのである。具縛の凡愚,屠沽の下類である事実に立ち帰るところに,ともに「われら」として生きる世界が開けることを親鸞は呼びかけていると思われる。」(一楽真「親鸞」第5巻『親鸞の教化』から)

「されば,とも同行なるべきものなり。これによりて,聖人は御同朋・御同行とこそかしずきておおせられけり。」(『御文』1−1)   (2010.9.1)


2010.8月の掲示板

仲間を作る

というのは

そうでない人たちを

遠ざけ,軽んずる。

 今,昼ドラ『明日の光をつかめ』を楽しみに見ている。少年院仮退院者などの更生施設のドラマということで,関心を持ったのだ。その中で,主人公の女子高生のセリフ。「これまで仲間だと思っていたけど,イジメたり,見て見ぬふりしている。みんな最低だよ。」と言って部活を止めるシーンがある。 「仲間」という言葉には何だかやさしいニュアンスがある。僕にも仲間と思っている人たちがあるし,それが心強い。でも,どうなんだろう。 「仲間」という言葉には,「仲間外れ」という言葉が対になっている気がする。「村八分」という口にするのもはばかれる言葉がある。でも,誰もがそのおそれをどこかで秘めているような気がする。

 8月はお盆シーズンだ。都会地に散った家族がふるさとに集まる。家族というのは,最小単位の「仲間」だと思う。でも,いま絆(きずな)が問われている。「しがらみ」と感じている人もあるだろう。近親者でさえ,「仲間」でなくなってしまっているのではないか。

ママ友,メル友などの「〇〇友」ってどうなんだろう。都合や好みで「仲間」としているに過ぎないのではないか。好きな者同志とか,同じ考え同志の集まりほどうつろいものはないと思う。僕は少年院の生徒たちのやさしさを一杯見せてもらった。実は,「やさしさ」とか「思いやり」というのは,悲しみや嘆きの中でしか生まれないのではないか。誰も排斥しない,誰も選ばない,そんな人間関係って「正しさを標榜する」社会では成立しないのではないか。

親鸞聖人は「一切の有情は,みなもって世々生々の父母兄弟なり。」とおっしゃる。そこには,お互い罪業の身を抱えている悲しみの中で共通の広場が開けるのではないか。

僕流にいえば「誰とでも」ということなんだろう。僕は気に入った人としか付き合わない。僕は自分の都合のよい人としか付き合おうとは思わない。それが,どんなにおぞましいことなのか。「どんな誰とも共に手をつないで生きていきたい。」の願いを忘れまい。

        (2010.8.1)

2010.7月の掲示板

お話を聞く。

聞きたいと思える。

教えを請う。

これって,

門徒の幸せではないか。

 先月の上旬,あるところで法話の機会をいただいた。40数年前に1年余り勤務した職場の仲間や上司がその法座に座って下さった。法話を終え,質問の時間になって,その中の元上司が手をあげ「今,幸せですか?」との質問。予想だにしていなかった質問に回答に窮してしまった。結局,「幸せを求める。不幸を怖れるというモノサシの生活を止めました。」と応えたのだけれど,何だかウソっぽい。その後,この質問が気になり出した。

 僕が得度を受け,入寺したことに驚き,何かこの世を憂いているようなことを想像されたのだろうか。世間で言う「出家」とは程遠い,娑婆世界の中にどっぷり浸かった生臭坊主をやっているし,けど,俗にいう幸せを求め求めている生活でもない。 では,一体何を目当てに生きているのか。何をしようとしているのか。お浄土参りを願って生活しているなんて,到底言えない。頭の片隅に「此の現前の境遇に落在せるもの,即ち是なり。」(清沢満之『絶対他力の大道』)があった。つまり,今の境遇はお与えですと言いたかったのかも。

 分かったふりや取り澄ましていることも多いけれど,それに落ち着けない。サトリの境地とは,とてもいえない。むしろ迷いの真直中にいるのではないか。 そんな時,お話を聞きたい,教えを請う気持ちが起こる。それって喜びではないか。 

 「ふかき み法に あいまつる。身の幸なにに たとうべき。まことの みむね いただかん。」(「真宗宗歌」)だったのだ。

「それ,安心と申すは,もろもろの雑行をすてて,一心に,弥陀如来をたのみ,今度の我等が後生たすけたまえと申すをこそ,安心を決定したる行者とは申し候うなれ。」(夏御文第1通から)               (2010.7.1)


2010.6月の掲示板

 ご法味の世界

それを

お浄土と申します。

   (種村敏樹)

 東本願寺の正面,烏丸通に面したところに「生まれた意義と生きる喜びを見つけよう」という言葉が掲げられてある。でも,「見つけよう」とどんなに頑張っても,見つかるものではないと,僕は思う。「見つける」ことを目当てに,苦労しても見つからない。

自分のことが大嫌いで,「自分なんかこの世にいない方がいい。」と語っていた少年院の生徒たち。この子たちが,自分に向き合う作業をする過程で,どんなに被害者を,親を傷つけていたかに気づいた時,その気づけたことに感激し,「親に謝りたいと思えるようになった。」と泣く姿を何度も見せてもらいました。そして,同時にこの世に生を受けたことや,自分のまわりの人々の優しさに触れて,感謝し,明るく健気に立ち上がっていく神々しさを見せてくれました。この時,間違いなく「生きる喜び」と生きる意欲が与えられていました。そうなんです。「生まれた意義と生きる喜び」は,自分でつかむものではなく,与えられるものなのです。僕流でいえば「生まれた意義と生きる喜び」が感じられる時,それがお浄土といえるのではないでしょうか。

お浄土というのは、地獄、餓鬼、畜生のない世界。ここには地獄・餓鬼・畜生はないんです。もう一ついえば、南無のところには地獄・餓鬼・畜生はないんです。そこにあるのは、ただ純粋なる感情です。言葉を換えていえば、念仏もうさんとおもいたつこころ、求道心というところには、地獄・餓鬼・畜生はないんです。あっても、それが邪魔にならんのです。煩悩即菩提ともいわれますけれどもね。本当に、煩悩あるまま、それが障げにならない。邪魔にならない場。それが南無の心であり、それを私たちに南無阿弥陀仏として教えていて下さいます。その南無のところに開かれる感動、感激の世界。それを浄土と申します。そういうことを含めて、四十八願の第一番目に浄土とはどういう世界なのか。結論的にいいますれば、それは、感動の世界、慶びの世界。昔の人は法味とおっしゃったんじゃないですかね。法を味わう世界、ご法味の世界、それをお浄土と申します。(種村敏樹『双林会』講義より)    (2010.6.1)


2010.5月の掲示板

 念仏は

仏を感ずるところの

道である。

   (曽我量深)

 この言葉は,種村敏樹先生に教えていただいた言葉です。この短い一言にハッとしました。「一体,自分はどんなお念仏を申しているのか。」と。 確かに,僧となってお念仏を称えることは多くなった。けれど,僕の称えているお念仏ってどんなお念仏を申しているのか。折角,お念仏を与えられながら,まるで日常のあいさつ言葉のように,軽々しく,いや,何も感じないまま称えている。

 先日,ある高齢者施設で法話をしている最中に,最前列に座られていたある男性から声を掛けられた。「ゴエンさん。今の言葉をもう一度言って下さい。」と。それで,「僕たちは地獄へ行くしかないですねえ。」と繰り返しました。すると,突然,顔をゆがめられて,僕の方に向かって合掌し「なまんだぶつ,なまんだぶつ」とお念仏を申されました。ビックリするやら,自分の言葉の軽さに恥じるやら。逆に僕の方からその方にお念仏申さねばという気持ちになりました。

 いつだったか,「本願の嘉号(お念仏)をもって己が善根とするがゆえに,信を生ずることあたわず,仏智を了(さと)らず。」(『教行信証』化身土巻)を教えていただいたことがあります。お念仏を申していることを自分の手柄にしてしまうと。

 「感応道交のところに仏まします。そこに仏さまがおいでになるんです。そこに他力廻向の信心というものがあるんです。そういうことを「念仏は仏を感ずるところの道」、南無阿弥陀仏を申す、称えるということは,そこに仏さまを感じとっていく。仏さまのお心を感じさせていただく。その道すじが南無阿弥陀仏なんです。そこに真宗の念仏の特徴があるわけなんです。いえば,余宗の念仏は私から仏さまの方へということでしょう。それに対して,真宗は仏さまから私の方へ。全く方向が違うわけですわね。すべてが,仏さまの方からです。そのすべてが仏さまの方から、ということをこの私に感じとっていくところの道が南無阿弥陀仏として、この私に与えられておりますと。」(種村敏樹「双林会」講義から)

 「お念仏は仏を感ずるところの道である。他力廻向の信心ということは理智的な信心ではない。感ずるところの信心であり,感ずるままの信心である。それを他力廻向の信心というのである。如来とわれわれとの間の感応道交そのままの信心,感ずる上に更に何かをつけ加えたものではなく,感ずるままの信心,これが自然法爾と申すことであろうと思う。」(『曽我量深講義集』1         (2010.5.1)


2010.4月の掲示板

自慢することもなく

卑下することもない

私のありのまま。

   (西覚寺『一枚法語』から)

 先月,いつもの勉強会に出かけ,出身の寺の玄関でこの法語を見つける。自分に語りかけられている気がした。ご住職に「余分ないですか?」と一枚貰って帰りました。そして,そこには小さな字で「あるがままの私に気づく時,明るく広い道が開いてゆく。」と書かれてあった。

 「自慢する」「卑下する」時は,間違いなく他の人の目線を気にしているときだ。自分を語るときに見せる態度なのだ。 確か,3年前の今ごろだった。僕のブログ(ネット上での日記)にこんなコメントが入った。「人の気を引こうとする,あなたの巧みな意図は,厭らしい。」と書かれた。それを読んで落ち込んでしまった。数日後,お勤めのお稽古の日に「何を書いても自慢話みたいになってしまって,書けなくなってしまった。」と言ったところ,ある女性が「ゴエンさん。今から自慢話を書きまーす,と言って書いたら。」と言われた。 そうだった。自慢と卑下慢まみれが自分の言葉だったのだ。それをそうでないと思っていた。「巧みな意図は厭らしい。」言葉しかないのだ。それは「私のありのまま」が引き受けられないから,そうなるのだ。

 仏の悲願は無条件なのに。自分の浅知恵で考えた仏の子を演じている。「仏法者のような顔をするな,迷いの凡夫ではないか。」の声が聞こえてきた。自分に出会ったとき,あのうなずくことが出来たときの,慶びを忘れていた。

 「本当の自己,真実の自己に出会う。もう一ついえば,本願の勅命により,仰せによって,本当の自分に出会い,本当の自分の願いを知る,ということ以外に善知識に遭うということもなければ,また真の念仏というものもありません。」(種村敏樹)

 「善知識に遭い,真の教を聞くと云うは決して容易の事ではない。善知識の教を信ずると云うことは教権者流の云うやうに軽々しきことではない。唯自己に内省する刹那に善知識にあうのであるのである。即ち自己に直面するものは即ち善知識に遭わねばならず,真の善知識に遭うのは即ち一心正念の真の如来に直進せねばならぬ。」(『曽我量深選集』3−8)

 「浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし 虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし」「是非しらず邪正もわかぬ このみなり 小慈小悲もなけれども 名利に人師をこのむなり」(『正像末和讃』         (2010.4.1)


2010.3月の掲示板

 阿弥陀如来の本願,

即ち衆生の願なり。

衆生の願,仏の本願なり。

   (『玄義分・偈頌』から)

 これに続いて「即ち安楽国に生じる欲生心のおこるは,これ本来廻向せられているゆえなり。仏の方よりいえば廻向という、衆生の方よりいえば願という。故に願心のままになるのを信心という。即ちこれ本願廻向なり。ここをもって機法一体の南無阿弥陀仏というなり。」とつづく。

 「如来の本願」というと,何か遠い世界の言葉の響きを感じる。でも,「私が本当に願っているのは何か(「西覚寺一枚法語」)」という言葉と重ねると,仏さまの本願は,私たちが深い心の中で本当に願っていることではないのか。それは,実は,今,懸命に努力して求めているものとは違うのではないか。ついつい,目先のつらい思いや苦しさから逃れることばかりを考えている自分がいる。そして,もっともっとと,その欲はいつまでも尽きない。それって,いつまでも充たされることはない。 それに,今の生き様がオカシイとも思えない,何の疑問も持たずに生きているのではないか。「真実に生きたい。」「確かな人生を送りたい。」そう思えることは,それは,仏さまからの呼びかけだった。

 「願と廻向と言葉は違っているけれども,意味は全く一つなんです。」「本当の自己,真実の自己に出会う。もう一ついえば,本願の勅命により,仰せによって,本当の自分に出会い,本当の自分の願いを知る,ということ以外に善知識に遇うこともなければ,また真の念仏というものもありません。」「まず,その出発点は「真の自己に接する」また,「自己に当面する」という,そのことを抜きにして,善知識に出会うという感動もなければ,本願に出会ったという喜びもありません。」(種村敏樹)

 「中国の曇鸞大師が『大無量寿経』の如来の本願の救済のおみのりをば,それを他力ー,他力の大道であると,こういうようにおおせられたのでございます。 よく,「他力本願は駄目だ,自力本願でなけれならぬ」,こういうような批難がある。これはですね,他力という言葉は結果だけをたすけてもらう,と。そういう言葉は,これは俗語であるからである。聖語でないからでしょう。「他力と言ふは,如来の本願力なり」(行巻)だから,仏の本願をあらわすところの利他という言葉,他力という言葉でなくて利他という言葉が,仏さまのおぼしめしを直接にもっともよくあらわすところの言葉である。今日のわれわれは,他力という言葉を乱用しますですね。むやみに乱用する。乱用するために,如来の本願のご精神,本願の救済のご精神,そういうものを誤解する。」(『曽我量深説教集』1より          (2010.3.1)


2010.2月の掲示板

 慙愧(ざんき)なき者を名づけて

「人(にん)」となさず。

名づけて「畜生」となす。

   (『教行信証』から)

 昨年末,押しせまってから前の責役のMさんが亡くなった。フラフラ,ウロウロしている頼りない住職をおいて先に逝かれました。 Mさんの最後の言葉は「ありがとう」だったという。よく聞こえなかったらしいのだが,息子さんは「有り難うと言っていたんや。」と。実は,奥様に「ワシみたいなもんに,よう長年,連れ添ってくれた。」と何度も感謝の言葉を述べておられたという。その話をお聞きして,僕は,「ワシみたいなもんに」の言葉にMさんの慙愧(ざんき)を感じました。「ありがとう」をお念仏の言葉といただきました。

しかしながら,住職である僕の日常は,慙愧とは程遠い生活ではないか。ふと,昨年11月の掲示板を思い出しました。「頭を下げることはある。でも,頭が下がるってことがあるか。」です。いつもいつも,自分ってマシな人間だし,これからももっと立派になれると思い続けている。「頭が下がる」ことなく生きている。

「無慙無愧,これが私の真実のすがたですね。自分の本性にかえったら,無慙無愧ですわ。悪口ばっかやし,おべっかばっかりやし,そのことに対して痛み,悲しむこともない,この私。それが,今の真実の私のすがたでございます。ここが「無慙無愧のこの身にて,まことの心はなけれども」です。信心がどうの,念仏がどうの,そんなことは一つもございません。一つもないこの私ですけれども「弥陀の廻向の御名なれば,功徳は十方にみちたまう」これは自分がどう,ということじゃないですね。お念仏をいただいたときに,そのお念仏のはたらきが十方にみちたもう,です。(種村 敏樹)」

「(王は)無罪の父に横さまに逆害を加えた。それを思うというと、どうして安らかに眠ることができようか。「耆婆、答えて言く、善い哉。善い哉、王、罪を作すと雖も、心に重悔を生じて慙愧を懐けり」。そして、慙愧心あって、はじめて人間ということができる。父母あり、兄弟あり、姉妹ありということができる。慙愧のないところには、父母も兄弟もない。父親といっても、自分が生れてしまえばそれっきりである。乳を飲む時だけ母親であって、乳を飲んでしまえば母親もない。したがって、兄弟もないし、姉妹もない。慙愧あるところに父母あり、兄弟あり、姉妹がある。慙愧あるところに人間というものがある。慙愧のないところには、ただ畜生があるだけであると耆婆大臣が仏教の教えを説いたのである。つまり、孝行というものは、人によって強いられるものではなく、慙愧という自分自身の自覚でしょう。」(『曽我量深選集』第8巻「教行信証「信巻」聴記」から)             (2010.2.1)


2010.1月の掲示板

仏法には

明日と申す事

あるまじく候う。

   (『蓮如上人御一代記聞書』から)

 このあと,「仏法の事は,いそげ,いそげ。」と続く。

 昨年末,法友Hさんが突然,亡くなった。その通夜の席で,この蓮如上人の言葉が頭に浮かんだ。Hさんは,熱心な聞法者というだけでなく,法座を企画して僕たちに聞法の場を作ってくださった。福井別院での法座も,当初月1回だったのを月2回に増やし僕たちに聞法をうながしてくださっていた。ウチの寺の報恩講にも2年連続してお参りしてくださったから,皆さんも顔見知りだと思います。Hさんの願いは,僕たちに「聞法せよ。」ということ一つだったと思います。寺族なのに僕は,そんなHさんに甘え放しだった。いや,Hさんの熱意を利用していただけなのだ。 今年こそは,Hさんの願いに応えねば。そう思って,年頭の掲示板の法語を決めました。

 僕は怠け者だし,さして賢くもないのに,さかさかしきを競う根性が治りません。昨年は,1月に大学の同級生が逝き,年末に大事な法友を亡くしました。のほほんとしていてはイカンと僕に教えるために,二人は命終されたように思います。

 今月28日には,住職に就任して満5年になります。門徒さん方に優しくしていただき,いっぱい親切をいただいて今日に至りました。本当に有り難うございます。そして,今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 下に掲げた『御文』は,蓮如上人の最晩年の最後の『御文』と言われています。切々と私たちに語りかけられる蓮如上人の遺言とも言えるお心を僕は軽々しくあつかっているのではないか。

 僕をお育ていただいた色んな先生方が毎年のように逝かれている。そのお心を踏みにじって,のほほんと暮らしている自分が問われます。各先生方の願いかけを忘れてはいけない。そう思います。 「明日と申す事,あるまじく候う。」を新年の掲示とさせていただいたのは,そんな気持ちからです。そして,「仏法の事は,いそげ,いそげ。」なのですね。

 「しかれば愚老,当年の夏ごろより違例(いれい)せしめて,いまにおいて本腹のすがたこれなし。ついには当年寒中には,かならず往生の本懐をとぐべき条,一定とおもいはんべり。あわれ,あわれ,存命のうちに,みなみな信心決定あれかしと,朝夕(ちょうせき)おもいはんべり。まことに宿善まかせとはいいながら,述懐のこころしばらくもやむことなし。」(『御文』4−15)     (2010.1.1)


09.12月の掲示板

仏法者後世者と

みゆるように

ふるまうべからず。

   (『御文』3−11から)

 今年の報恩講の第一日目に拝読させていただいた『御文』「毎年不欠」の一節です。 この『御文』には,さらに「近代このごろのひとの,仏法しりがおの体たらくをみおよぶに,外相(げそう)には仏法を信ずるよしをひとにみえて,内心にはさらにもって当流安心の一途を決定せしめたる分なくして,あまっさえ相伝もせざる聖教を,わが身の字ぢからをもって,これをよみて,しらぬえせ法門をいいて,自他の門徒中を経回してして,虚言をかまえ,(略)真実真実,あさましき次第にあらずや。」とある。

 秋は報恩講シーズンとあって,僕のようなものにも法話の出講依頼がある。自分の今いただいているお念仏をお話させていただいているツモリ。先日,ある寺族研修に出講依頼を受けた。入寺して5年目。ついに寺族(僧侶)の研修にまで出講依頼がある,と嬉しかった。そして,懸命に準備して当日に備えた。 当日は,とても熱心にお話を聞いていただいて,質問も沢山受けた。「みなさん熱心だなあ。」と感心した。

そして,後日,友人からみなさんの感想を聞かせていただいた。その中の一つに,「出来ることならお聖教の言葉を混ぜずに話をしてほしかった。」というのがあった。 「ええっ?」法話に行って,お聖教の言葉を使ってはナゼいけないのか,と思った。そして,「坊さんはヒトの法話を聞くのが嫌いだから。」と思い,「歳はとっていても仏法では初心者の僕の話なんか聞きたくないのか。」とも思った。

 でも,この言葉が何ヶ月も僕の胸にトゲのように刺さって離れなかった。これまでの法話のレジュメを読み返していて,ハッとなった。入寺当初は,恐くてお聖教の言葉を語ることが出来なかったことを思い出した。生半可な理解で,お聖教の言葉を軽々に使ってはならないと思っていた。 ところがどうだ,このごろは平気で引用し,むしろ誇らしげに使っているではないか。自分の話を権威づけるのに使ったり,法話の調味料のように使っているではないか。身についていないお聖教の言葉をとってつけたように使っていたのが露呈したのだ。「仏法しりがおの体たらく」とは,ほかでもない僕のことだった。

 「領家・地頭・名主のひがごと(道理にあわぬこと)すればとて,百姓をまどわすことはそうらわぬぞかし。仏法をばやぶるひとなし。仏法者のやぶるにたとえたるには,「師子の身中(みのうち)の虫の師子をくらうがごとし」とそうらえば,念仏者をば仏法者のやぶりさまたげそうろうなり。」(『御消息集』10)     (09.12.1)


09.11月の掲示板

頭を下げることはある。

でも,

頭が下がるってことが

あるのか。

 「仏女」ブームらしい。写経や写仏を熱心にしたり,仏像のミニチアを飾ったり,部屋に曼陀羅を掛けるなどしているという。中には参禅したり,お寺めぐりなどをしている人もいるという。ブームと言われているのだから,相当多くの女性がハマッテいるらしいのだ。その前からアロマテラピーが話題になっていたが,ストレス解消を目指すもので,いわゆる「いやし」効果を考えている点では同様のようなものか。

 では,「仏法を求める心」って,どんなものなのだろうか。学生時代,まるで熱病にでも罹っていたかのように,寺通いをした。自分のエリート意識が打ち砕かれ,虚仮不実な自分の正体が顕わになった気がして,聴聞せずにはいられなかったような気がする。その時には,自分には「仏法を求める心」があるかのように思い込んでいた。が,少年院に就職して仕事するうちに,寺に足を向けることがほとんどなくなってしまった。ひたすら「価値ある自分」を求め,ステータスを得るうちに,「自分ってそれなりに大した者」と思うようになってしまった。 そんな時,「少年院に入ってよかった。自分に向き合うことが出来た。」といって泣く生徒に出会った。そうだった。我が身の正体を知らされて,嘆きながらも,じつは,そのことが無性に嬉しかったことを思い出した。「真実に生きたい。」「確かな人生を送りたい。」という切実な熱に,驚き,そして感銘を受けた。

 「無慙愧(むざんき)」は名づけて「人(にん)」とせず,名づけて「畜生」とす。(『教行信証』)といわれるけど,そうなると,自分って,「畜生」でしかない。「自分に向き合うこと」を忘れ,そして,今も,自分をふり返ることをしないまま,というより,そのことを問題にもせずに,のうのうと生きている。

 「無慚無愧,これが私の真実の相(すがた)ですね。地獄一定がどうの,罪悪深重の凡夫がどうの,そんなことは口でいうてるだけの話です。本音は無慚無愧でしょう。慙愧も痛みもない自分自身ですわ。それがいえば,私のこの身の事実でないですか。思いはちがいますよ。自分の思いは,機の深信がどうとか,地獄一定がどうとか申しますけれども,しかし,自分の本性にかえったら,無慚無愧ですわ。人の悪口をいわぬ,おべっかを用いぬ,と曽我先生はおっしゃったけど,悪口ばっかやし,おべっかばっかりやし,そのことに対して痛み,悲しむこともない,この私。それが,今の真実の私の相(すがた)でございます。ここが,“無慚無愧のこの身にて まことの心はなけれども 弥陀の廻向の御名なれば 功徳は十方にみちたまふ”(和讃)です。」(種村敏樹)     (09.11.1)


09.10月の掲示板

 お念仏をいただいていく生活とは,

畜生道,餓鬼道の人が

恥ずかしさ,傷ましさを

ちょうだいしていく

生活じゃないでしょうか。

「意巧に聞く」ことをおそれながら,自分流に先生の言葉を縮めた。そして,その言葉の後に次の言葉がつづく。そこで,「畜生,餓鬼道に落ちようと,人間形成の道には少しの邪魔にならんのだと,曇鸞大師はおっしゃってくださっています。このように教えをいただいております,とそういう(聖人の)お言葉のところに,親鸞聖人は本当に,姿勢の低いお方だな,一番姿勢を低くして,仰ぐ生活をなさった。」(高原 覚正『正信偈』)そして,「ウロウロしている私に,一貫したものは仏さまの大悲でしょう。」と言われる。

お念仏をいただくというと,何だか感謝,感謝で充たされ,幸せで有り難い心情に終始する生活のように思ってしまう。実はお念仏をいただくということは,自分が畜生道,餓鬼道に落ちていることに気づき,恥ずかしさ,傷ましさに身もだえすることだとおっしゃる。そして,それは「往生にさわりない」と教えられていると。

自分が畜生道,餓鬼道に落ちていると少しは思えても,それを恥ずかしいとか傷ましいとか思えない。自分をもっと,よくしたい,ましになれるとどこかで思っている。だから「往生にさわりない」と言われてもピンとこない。自分って「往生」なるものを求めているのだろうか。

先生は,「懺悔がありますと,心が安んじるし,身は育つのです。」「真宗はどこまでいっても切りがないほど,お育てをいただくことができるのです。そういう世界をお淨土というのです。」とおっしゃっている。

そうか,僕にはこの懺悔がないのだ。だから,恥ずかしくも傷ましくもないのだ。厚顔無恥の私は,そのことを恥ずべし,傷むべしなのだ。聞法するということには,自分の感受性を錆付かせないというはたらきがあるように思う。蓮如上人の「仏法は聴聞にきわまることなり。」の言葉をかみしめて生きていきたい。

「日月のくもきりにおおわるれども,やみはれて,くもきりのしたあきらかなるがごとく,貪愛瞋憎(とんないしんぞう)のくもきりに信心はおおわるれども,往生にさわりあるべからずとしるべしとなり。」(『尊号真像銘文』)  (09.10.1)


09.9月の掲示板

 自分って

ちょっとした者だと

思った途端に

お念仏が遠くなる。

 そして,感謝の念が消えていく。

 昨年の7月から教務所の依頼で教区内にある老人施設に法話に行っています。最初に訪れたある施設で,職員さんから「利用者さんたちが何よりも楽しみにしておられます。」と聞いた。施設職員さんのリップサービスと思っていたが,そうではなかった。間衣(法衣)でホールに入ると合掌で迎えられる。そして大きな声での正信偈のお勤め。法話の時間になっても,特に最前列に座っておられる利用者さん方の強い眼差しに圧倒される。ここには間違いなく切実に仏法を求めておられる方々がいる。そう感じる。 死への恐怖。進む認知症への不安。そして,何より周りから邪魔者と思われているのではないかという自分の存在そのものを脅かす思い。これらの思いに身を置いているからこそ,切羽詰まった思いでスクイを求めておられる。そう感じる。

 こんなに切実な思いで仏法を聴聞してきたことってあっただろうか。20代のころ聞法を始めたころ,自分の虚仮不実の生き方が問われて寺の門をくぐった。懸命にお寺通いをしたように思う。先生の前に座ると何もかも見透かされたように感じた。

 先日,先生の講本をいただいた。昭和52年から7年間にわたり講義された正信偈のお話の録音テープを起こして本にまとめられたものだ。先生の声が聞こえてくるような思いで読み進めた。30数年前のそのころ,僕は全国の少年院で最も若い幹部だった。仕事に夢中で,知らぬ間に抜擢されステータスも得ていた。自分って大した者だという意識があったから,当然のように寺に足を運ぶことはなくなっていた。 これではアカンと思い,第二の人生に僧侶の道を選んだ。虚飾や看板にとらわれる人生をやめて,真実の人生をと思った。ところが,どうだ。仏法を学ぶのは,スクイを求めているからか,そうではない。ええゴエンさんと言われるために,悪戦苦闘しているのではないか。40数年前の先生の言葉「寺ほど念仏に遠いところはない。」を思い出す。「寺に仏法を。」当たり前のようで,これが,本当に難しい。

「自分が偉い者と思うと世の中が暗くなる。一生涯師匠をもち,親をもつ。そうしたならばいつまでも若々しい心をもつ。」「ただ念仏について親様の御恩を思い出し,自力無効をしみじみ覚え,わが身の罪悪を知らせていただく。」(曽我量深『歎異抄聴記』)  (09.9.1)


09.8月の掲示板

そのままでイイのだ。

それなのに

何で悪ぶったり

いい人を演じる。

そのままでイイのに。

妙好人に讃岐の庄松(しょうま)という人がいる。その庄松の話。「お説教を聞いていた隣の人が,涙を流して「いやー,今日のお説教の有り難いこと,おかげで日頃の邪見の角が折れました。」とつぶやきつつお念仏されるのを,そばで聞いていた庄松が「また生えにゃよいがのう,わしは角があるままのお助けと聞いたがな。」とひとりごとのように言われたという。「そのままのお助け」とはよく聞いているハズ。それなのに,卑下慢に陥ったり(ことさら悪ぶってみせる。),仏法を分かったものに(頭で理解しようとする。)している。実は自分の正体を自分であばこうとしている。心のどこかで,自分の聞き力を信じていて自分の手でお念仏をつかまえようとしている。お念仏に出会ったフリをしても,本当に解放されていないから明るくなれない。お念仏が生きる力になっていない。「念仏をしながら,他力をたのまぬ」それを「これすなわち自力をはげむひとなり。自力というは,わがみをたのみ,わがこころをたのむ,わがちからをはげみ,わがさまざまの善根をたのむひとなり。」(『一念多念文意』)

仏様の救いは無差別,無条件なのに,それをゴチャゴチャひねまわしているのではないか。

最近,あることで40数年前に先生に言われた言葉を思い出した。それは「寺ほど,念仏に遠い所はない。」だった。いわゆるお東紛争と言われた教団問題の真っ最中だった。僕が安易に得度を受けたいと申し出たときに言われた言葉。僕はその言葉を,先生が対立する僧侶たちに対する批判の言葉として聞いていた。この寺に入寺して満4年。ようやく,実はこの言葉は先生が自らを嘆く言葉だったということが分かった気がします。お内陣の掃除をし,お朝事をして,年忌法要でお勤めして,気分をよくしている。が,ホンマに仏事になっているのか。あちこちの法座に座りながら,お説教のネタ探しをしている。お聖教の言葉を「ちょっとイイ言葉」と,お話の調味料に使っているのではないか。寺を御聖教を自分の野心を充たすものにしているのではないか。

「仏法者のやぶるにたとえたるには,「師子の身中(みのうち)の虫の師子をくらうがごとし」とそうらえば,念仏者をば仏法者のやぶりさまたげそうろうなり。」(みずから仏法者と自負するものが仏法を破るすがたをたとえて,「獅子の身の中の虫が獅子を食うようなものである」とあります。だから,念仏する人を,みずから仏法者と自負する人が破りさまたげるのであります。)(『御消息集』広本 第十通)(09.8.1)


09.7月の掲示板

アメイジング グレイス

なんという響きなのだ

私のような最低最悪のひどい者に

救いの手が届いていた。

   (アメイジング グレイスから)

世界で最も歌われている曲だと聞いたことがある。日本でも,本田美奈子が亡くなる直前に病室で歌っていた録音が随分テレビに流されていた。白鳥英美子のアカペラも人気だ。ヘイリーやキャサリン・ジェンキンスも来日公演では必ずといっていいほど演奏する。僕たち日本人にもとても親しまれている。以前テレビでこの歌のルーツを探る番組を見たことがある。特に,曲については諸説あるようだ。黒人霊歌のように思っていたが,実は,作った人は白人のイギリス人牧師で,しかも過去に奴隷運搬船の船長をしていた人だという。その歌が,何故かアフリカ系アメリカ人に特に愛唱されるようになったという。

もちろんメロディの魅力もあるが,歌詞にあるwretch(レッチ)の言葉の力だという。「レッチ」を辞書で調べると,「哀れな人,卑劣漢」とある。この言葉がアフリカ系アメリカ人の心をつかんだ。先日亡くなったアンリ・ネルソンさん(ベトナム帰還兵)が,2年前に福井の友人の寺の報恩講で歌われたのもこのアメイジング・グレイスだったことを思い出す。人を殺してしまったことの苦悩に向き合われた方だった。

Amazing grace how sweet the sound. That saved a wretch like me.を僕なりに意訳してみたのが今月の言葉だ。

正信偈の「憐愍善悪凡夫人(善悪の凡夫人を憐愍せしむ)」や「拯済無辺極濁悪(無辺の極濁悪を拯済したまう)」を思う。

「衆生仏を憶念すれば仏もまた衆生を憶念したまう」「我々と共に一緒になって我々のために御苦労下される親様のやるせない御心を静かに念じ,つつましく宿業の結果をあまんじてこれを受け,それを静かにお念仏して,黙々として念仏して進んで行く。」(曽我量深『歎異抄聴記』)「親様のやるせない御心」を感じるとき,how sweet the sound(なんて素敵な響きなんだろう)と重なってしまう。

「はじめて仏のちかいをききはじむるひとびとの,わが身のわるく,こころのわるきをおもいしりて,この身のようにてはいかが往生せんずるというひとにこそ,煩悩具したる身なれば,わがこころのよしあしをば沙汰せず,むかえたまうぞとはもうしそうらえ。」(『親鸞聖人御消息集(広本)』1)(09.7.1)

09.6月の掲示板

苦しみ,悲しみ

そして,この喜びも

みんな

仏様からの

プレゼント。

昔の同行の言葉,よく「お与え」とか「おかげさま」という言葉を聞いた。若いころ,その言葉が後ろ向きで,諦観(あきらめ)主義のように思っていた。苦しいとき,「なぜ?どうして?」と思い,そのわけをヒトのせいにすることが多かった。悲しいとき,「どうして自分はこんな辛い目にあわなければならないのか。」と自分を憐れんでいる。苦しみも悲しみも,きちんと受け止めることが出来なくて,紛らわすことや忘れることを企む。「気にせんとこ。」と自分を心の工夫で押さえ込もうとしたりする。嬉しいときには,自分の手柄だと思い,この喜びがなくなることの不安に落ち着かない。

先日,あるお寺から出講依頼があって,「講題を。」と言われた。そこで思いついたのは,「愚に帰る」だった。だが,一晩寝て,「これはとんでもない講題だ。」と気づいた。「故法然聖人は,「浄土宗のひとは愚者になりて往生す」と候いし」(『末灯鈔』第6通)が頭の片隅にあったのだろうけれど,愚に帰るってサトリの境地ではないか。源信僧都が「頑魯」と,良寛禅師が「頑愚」と自らを語っておられる。親鸞聖人が「愚身の信心におきてはかくのごとし」(『歎異抄』2章)と言い切っておられるのは,「わが身のわるく,こころのわるきをおもいしりて」(『御消息集(広本)』1)の嘆きがあるからなんだ。僕の日常を考えたら,さして賢くもないくせに賢さを競っている。「我が身のわろき」なんて,まったく思っていない。それどころか,「僕って,それなりに大したものだ。」とどこかで思っている。自分を過信しているから,阿弥陀仏の大悲が感じられない。

昔の人の「お与え」「おかげさま」の言葉は,後ろ向きではない。今ある自分を,きちんと受け止め,すべて阿弥陀様からのお与えと立ち上がる言葉だった。「愚身」は,自らを謙って名のる言葉ではなかった。「この身のようにてはいかが往生せんずるというひとにこそ」の確信があって,「かくのごとし」と言い切っておられるのだ。

「請うなかれ。求むるなかれ。なんじ何の不足かある。若し不足ありと思わば,是れ なんじの不信にあらずや。」(清沢満之『絶対他力の大道』より)    (09.6.1)


09.5月の掲示板

お念仏に出会うって

こだわりから

解放されることなんだ。

今月号の同朋新聞の2面「現代人にとって宗教とは何か」を読みました。

佐野師の言葉「念仏しても嘘をついているような気持ちにしかにしかならないし,真宗の教えは信心が要なのに,その信心がどうしても確立できない。」「そこで十数年聞いている間に,帰依や信心とは,自分がこちらからすることではなかったんだということにようやく思い至ったのです。そこで初めて,教えを聞く中で「お育てにあずかる」ということがやっと始まったという感じでした。」「親鸞聖人が教えてくださったいちばん大事なことは回向の教えですね。」「帰依といってもこちらから帰依するというのではなくて,向こうから届いてくる南無阿弥陀仏が南無(帰依)そのものを人間の中に開くということですね。」「回向というものはあくまで仏がこちらに振り向けてくださるものだということを明らかにしようとしたのが親鸞聖人だと思います。」

どうしょうもない自分を何とかしようと頑張る,努力する。お念仏のいわれを早くなんとか理解しようとする。そんな頑張りを続けて肩をいからせ,口をとんがらす。信心を確立して,早く安心したい。そんなことを考えていた。ヘンに深刻ぶった顔をして信心を得たいと思っていた。

「然るに祖師の連釈いつもかくの如くにして,二種廻向一具双連ならずば往生しがたき旨を示したまうなれば,今日得生の信心決定の場に,二種一具にしてあらわれたまう御利益なること分明なり。」「二種共に如来の廻向なるが故に,往相は仏の自利にして即ち衆生の往相の相なり。その衆生往生の相を入の四門に成就して凡夫の方へ廻らし施し,衆生を他力に向かえしめたまうを如来の廻向と伝えたまえり。」「然れば往還の名は二つにして,衆生の蒙る処の利益は唯一時に二種の益が顕わるるとなり。この故に往の当体即ち還,還の当体即ち往なり。」(『正像末和讃聞書』)

先日,ある坊守さんに初めてお会いした。その方の飾らず身構えず,何もかも突き抜けたような振る舞いに驚かされた。ああ,この気取らない自由さを見て,お念仏に出会った方の融通無碍を感じた。自分の力や頑張りでなんとかしよう,何とか自分を始末しようとしている時には,仏の回向が感じられない。自分の手でつかもうともがくだけなんだ。昔から「お与え」と言われているのは,このことなんだ。

「往相還相の廻向に もうあわぬ身となりにせば 流転輪廻もきわもなし 苦海の沈淪いかがせん」(『正像末和讃』)               (09.5.1)


09.4月の掲示板

心を入れ変える

「いい人」と言われる

それが出来ると

どこかで思っている。

 「あの人,いいヒトや。」という言葉,よく聞くし,よく使う。そして,いい人と言われたいと思う。「いい人」という言葉の何とも言えない甘い味。努力すればそんな人間になれるような気がする。昔の「修身」の基本理念は,そこにあるような気がする。そして,褒められたいとも思う。それが知らぬうちに,「僕って,たいしたもんだ。」と思い込んだり,どうして分かってもらえないのかとストレスになったり。

先月も引用させていただいた曽我量深先生の言葉。「我々が人生において最もはっきりしたものは善悪の二つであるというが,仏法よりいえばこれは分からぬもの,人間の理智では知ることの出来ぬものである。すべて善悪は宿業として生まれながらにして我々に与えられたものである。それゆえに,我々は人間の理智をもってこれを知ることは出来ぬ。また知ったとしても意の如くに行うことは出来ぬ。」(『歎異抄聴記』)

中日新聞連載の『親鸞』。ちょうど今,聖人(範宴)は20年間の比叡山での修行を放り出して,吉水の法然上人のもとに行く場面が書かれている。僕流に言えば,どんなに修行に頑張っても,「煩悩絶ちがたし。」という嘆きの一点ではないでしょうか。僕たちは,自分の力で自分を始末できると思っている。「自分は捨てたモンではない。」という自己評価から逃れ難い。自分は有能だと勝手に思い,自分は真っ当だと思い込んでいる。いや,思い込みたいし,それにしがみついているのではないか。だから,自分を問題にしないし,しようともしない。そのくせ,暗い顔して不足ばかりが口をついている。いや,心の中で「自分ひとりが我慢し,苦労しているのに報われない。」と思っているのではないか。だから,仏様の悲願が見えないし,呼びかけが聞こえない。

「我,他力の救済を忘るるときは,我が処するところに黒闇覆う。」(清沢満之『他力の救済』)

「救いを求めない」「自分の力で自分が始末できる」と思っている僕のところにまで,実は仏様の大悲は照らし続けていてくださっている。いったい何を目当てに生きているのか。一体何を大事なものにしているのか。後生大事にするものって何?

「心中をあらためんとまでは,思う人あれども,信をとらんと,思う人なきなり」と,仰せられ候う。(『蓮如上人御一代記聞書』176)        (09.4.1)


09.3月の掲示板

自分は賢いと考え

善人だ偉いものだと

考えることは

既に一つの妄想である。 (曽我量深)

今は受験シーズン真っただ中。受験って,頭の良さや努力などを競う一面を持つ。受験だけではない,今回の経済不況で,会社の生き残りなどが話題となっている。賢くなければ,善人でなければ,そして強くなければと思いつめ,知らぬうちに賢いこと善人であることを追い求め,そうでないと負け組になるのではないかとおそれる。だから,懸命に頑張る。それが偉いと思い込んでいる。「賢いネエ。」というほめ言葉が典型だろうか。

親鸞聖人は自らを「愚禿」と名乗られた。法然上人は「愚痴の法然房」と。源信僧都も「頑魯」とおっしゃったという。真宗は,確かに賢さや奮闘努力を条件として求めないように思う。そして,悪人こそ救われるという。

先日,ある方とおしゃべりして,「僕は,退職して寺に入るとき,仏教書以外は全部捨ててきた。親鸞聖人が山を降りられたのは,当時の知識人志向を止めたことではないか。」そう言った後,何だか気持ちのすわりが悪い。確かに,本やスーツやネクタイなどを若干捨てたのは本当だけど,全部捨てたわけじゃない。僕の頭に「愚者になりて往生す。」(法然上人)という言葉がこぶりついていて,どうも自分は勘違いして,愚者っぽく振る舞っている。「賢い」「善人」という言葉を毛嫌いしているだけじゃないか。

曽我先生は,上記の文に続いて「これが迷信邪教の温床となる。だから仏法に於いては,すべてこれ宿業である。」と語られている。愚者になろうとするおかしな自分がいた。

曽我先生は,その後「善を誇らず悪を恐れず,(略)そのようにしてすべて善も悪も与えられたものとして,我々はそこに極く素直な心をもってそれを受け取って,我々と共に一緒になって我々の為にご苦労される親様のやるせない御心を静に念じ,つつましく宿業の結果をあまんじてこれを受け,それを静にお念仏して,黙々として念仏して進んで行く。」と語られている。

「親様のやるせない御心を念じ」という言葉が胸につく。愚者にもなれない,この私。そのままでいいのだった。

「しかれば本願を信ぜんには,他の善も要にあらず,念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず,弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々」(『歎異抄』第一章から)  (09.3.1)


09.2月の掲示板

自分の目で

自分は見えない。

これは,出身の寺で先生の1周忌のときにいただいた日めくり法語「ごえんさんの言葉」のひとつ。自分の目は外を見るようについている。しかし,自分のことは自分が一番よく知っていると思い込んでいる。ホントは,ひどいもんなのに,人よりはマシな自分と思う根性が巣くっている。

昨年12月29日のこと。歯を磨いているうちに歯ブラシの柄が前歯にガツンと当たった。その瞬間に上の前歯3本がポロリと抜けた。実は,この前歯3本は差し歯だったのだ。以前にそのうちの1本が抜けたことがあったのだが,今回は根から見事に全部抜けてしまった。鏡を見るととんでもないオジジが写っているではないか。早速,歯医者に飛び込んだが,「これはダメだ。年明けになります。」と言われてしまった。帰りにマスクを直ぐ買った。が,元旦は修正会。2日から正月参りと称する各ご門徒宅のお内仏参りが待っていたのだ。マスクしてお勤めするわけにもいかず,歯抜けジジイのまま全戸を回ったから皆さんに見られてしまった。

そして正月6日,今年初めての施設法話。木ノ本のある老人施設で,大半の利用者さんは僕と同じように歯が抜けている方々だったが,「自分の目で 自分は見えない」という話をさせていただいた。みなさんニコニコと,聴いてくださった。「自分の目で 自分は見えない。」は,嘆きの言葉として今までいただいてきた。自分を写す鏡は,聞法なのだと思っていた。ところが,それだけではないことに気づいた。自分が見えないからこそ平気で人前に出ていけるんだ。決して自分は人に我が身をさらすようなことはしてきていないし,これからもようせんやろう。

先般,インタビューを受けたとき,「真宗の教えは,鏡に我が身の真実を写すようなこと。」と言ったら,即座に「そんなの絶対イヤです。」と女性アナウンサーは反応した。彼女は,彼女自身が闇を抱えているということを知っているのだろうと思った。

あるとき,「腹が立って仕方なかった。」という話をしたら,「自分の場合は,自分と似た人の言動が,特に腹立たしくなります。」と言われたことがある。そうなのだ。自分と同じようなイヤな面を人に見ると余計に批判したくなる。自分はあんなんでは決してないと言いたくなるのだ。

「人のわろき事は,能(よ)く能(よ)くみゆるなり。わがみのわろき事は,おぼえざるものなり。」(『蓮如上人御一代記聞書』195から)       (09.2.1)


09.1月の掲示板

一人じゃない。

教えを請うとき

師にも友にも遇える。

長浜教務所から送られた法語ポスター「一人居て喜ばは二人と思ふべし,二人居て喜ばは三人(みたり)と思ふべし,その一人(いちにん)は親鸞なり。」を読んで自分なりにいただいて作る。「その一人は親鸞なり。」の言葉に胸はずむ。ご法話でよく耳にする言葉だ。でも,その出典を知らなかった。「聖人が御往生に近づきて述べられたものと伝う。」と法蔵館版の『真宗聖典』の末尾に掲載されていた。親鸞聖人の直接の御作ではないかも知れない。でも,それでもいい。仏法を聴聞するとき,親鸞聖人や蓮如上人のお言葉が毎回のように僕の我執を切り破る。その度に,親鸞聖人を想う。導いてくださった諸先生を想う。

四国八十八ヶ所の巡礼に「同行二人」という言葉がある。ある友人が言ってくださった。「真宗は二人ではなく,師と仲間です。御同朋御同行です。」と。『大無量寿経』の「師長を軽慢し朋友に信なくして誠実を得難し。尊貴自大にして己道ありと謂(おも)えり。」の言葉を教えていただいた。ちょうど,反対の意味の言葉だ。いかにも正しさを追求しているようで,弟子の座を忘れると姿勢が高くなり,その結果,師も友も失くしてしまう。現代人の苦しみの筆頭は,「孤独」ではないだろうか。ネットカフェ難民を例に出すまでもなく,皆と一緒に生活しながら孤独感に悩む人は多い。「自分はひとりぼっち」と思うのはつらい。でも,その分,師や友が与えられた感激は大きいし,生きる元気も出てくる。

それには「教えを請う」こと,歩む方向が定まることが先にあるような気がする。そして,慙愧なくして歩む先は見えてこないような気もする。親鸞聖人はそれを「悲喜の涙」と感激をつづられ,「深く如来の矜哀を知りて,良に師教の恩厚を仰ぐ。」とおっしゃったように思う。

年頭にあたって,「教えを請う」こと,仏法を聴聞することが私の仕事だと思います。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

「一人居て喜ばは二人と思ふべし,二人居て喜ばは三人(みたり)と思ふべし,その一人(いちにん)は親鸞なり。」(『御臨末の御書』愚禿親鸞 満九十歳)                (09.1.1)


08.12月の掲示板

お念仏に出会うと

自然に

姿勢が低くなるものです。

突然,先生の言葉がよみがえってきた。3〜40年も前の言葉と思う。変に遠慮したり,謙虚ぶったそぶりをしている僕に,「それを姿勢が高いというのです。」と指摘された。今の僕の言葉でいうと,「諂(へつら)う自分の姿」を鋭く指摘してくださった。そして,その後「お念仏に出会うと,(謙虚ぶらなくとも)自然に,姿勢が低くなるものです。」とやさしく言ってくださったことを思い出す。「お粗末な私」を語っている最中にも,この言葉をいただいて,情けなくなったことがある。自分が破れてもいないのに,偽悪ぶっているのを見破られたのだ。

ある方のお通夜で何をお話しようかと考えている最中に,この言葉を思い出した。お聖教から言葉を見つけ出して,法話の内容を練るうちに,得意気に語る自分の姿が見えてきた。「弟子の座」を忘れ,お聖教の言葉で自分の野心を充たそうとしている姿が見えてきた。虚仮諂偽(こけてんぎ)という言葉を学んだが,それが自分の姿とは思わず,その言葉を説明する心地よさに酔う。お聖教の言葉は自らの虚仮不実な姿を映す鏡ですとも言われたのに。叱ってくださった先生はもういない。先生が懸命に歩まれた,指差された方向に自分は歩んでいるのだろうか。

報恩講シーズンでは,僕のような者にも何度か法話の依頼があった。「話をするというのは,自らを確認する。そういう場が与えられ,問われるのだ。」と聞いていた。確かに,今自分のいただいているお念仏を確認する作業でもある。だが,知らぬ間に,聞きかじったお聖教の言葉を「どうだ。」と言わんばかりに語る。自分が聴聞の場に座る時とは違う。聞かせていただく度に,自分の我が折れ,木や石のように固くなっていた心に感じる力が取り戻される,あの感触とは異質のものだ。足元がふらふらしているのに,それに目をつむって,「お取り次ぎ」などという便利な言葉で正当化してしまう。法話は共同生産だからなどと門徒さんの反応を探る。お話の後は,必ずといっていいほど評判が気になり出す。「見た目」優先の僕から逃れられないで,ウロウロしているばかり。そんな,自分が第一で高慢な浅ましい自分だと教えられる場だったのかもしれない。

「同じく仰せに云わく,坊主衆等に対せられ,仰せられ候う。「坊主と云う者は,大罪人なり」と,仰せられ候う。その時,みなみな,迷惑申され候う。さて,仰せられ候う。「罪がふかければこそ,阿弥陀如来は御たすけあれ」と,仰せられ候うと云々」(『蓮如上人御一代記聞書』289)    (08.12.1)


08.11月の掲示板

胸に顔を埋めて

伝わってくる母の体温。

「かあちゃんゴメン。」

そして

「ありがと。」

僕のような者に,それでも報恩講シーズン真っただ中,いくつかの寺で法話を依頼される。今年は,「無間地獄」をテーマに話すことが多かった。源信僧都の『往生要集』にいくつかの地獄が書かれ,その中の最低最悪の8番目の地獄「無間地獄」。それは「我今帰する所なく,孤独にして同伴なし。」というものだ。

すぐにネットカフェ難民や住所不定無職の秋葉原無差別殺人事件の犯人を思いつく。文字どおり,帰る場所がなくって,孤独で,友人も彼女もいない人たち。でも「帰るべき場所」を見失っているのは,彼らだけだろうか?

僕は母を亡くして30年になる。この歳(63歳)にして,まだ母親を思い出すことがある。それも僕が成人してからの母ではなく,小さいころのことをよく思い出す。泣きながら,母親の胸に顔を埋めて頬に伝わってくる生暖かな体温の心地よさ。あの甘酸っぱい,何とも表現のしようもない,「心のふるさと」みたいな感触を思い出す。そして,何故か「お母ちゃん,ゴメン」と言っている自分も同時に思い出す。素直に謝れたことが嬉しかった。末っ子の僕は人一倍甘えん坊なのかもしれない。でも,間違いなく,落ち着ける「心のふるさと」がそこにあった。

長じて,少年院の職員となって,「価値ある自分」を追い求め続け,ヒトの役に立つ人間になることが自分の存在意義と思っていた。それが自己実現だと思い込んで,自分が迷路に迷い込んでいるとは思いもよらなかった。そんな中で,少年院の生徒たちが,自分に向き合うことが出来た感激を語り,素直になって,自分のまわりの人々のやさしさに気づいて,一人じゃなかったと感謝する姿に出会った。本当の裸の自分自身に出会えたとき,間違いなくそこには彼ら彼女らの「帰るべき場所」があった。そして,今ある自分を引き受けられた喜びが,これからの意欲になっていくのを見せてもらった。仏法を何か特別のことにしている。そうではない。いつも「おかえり」と待っていてくださる,種々の方便をつくして待っていてくださる弥陀の大悲を忘れている。そうだ,「ただ,仏法は,聴聞にきわまることなり」(蓮如上人)なのだ。それで自分の姿が顕わになっていく。このことばを大事にして生きていきたい。

「釈迦は慈父,弥陀は悲母なり。われらがちち・はは,種々の方便をして,無上の信心をひらきおこしたまえるなりと,しるべしとなり。」(『唯信鈔文意』)  (08.11.1)


08.10月の掲示板

「泥田に蓮華咲く」

って言うけれど

自分は泥の中になんかいない。

先日,出身の寺の彼岸会法要にお参りした。そこでのご講師のお話が耳元から離れない。親鸞聖人が『教行信証』や『入出二門偈』で,そして曇鸞大師の「卑湿淤泥(ひしつおでい)に蓮華を生ず。」を説かれた。卑湿淤泥とは,凡夫・煩悩だと教えられた。よく僕は,口では凡夫だとか煩悩まみれなどと言うが,本当にそう思っているのだろうか。

先日,初めての寺の永代経に招かれた。この話をするツモリはなかった。でも,用意していた話が尽きてしまった。演台でフト思い出したのが,先日のご講師のお話。知らぬ間に蓮華を語りだしている自分がいた。確かに高原の陸地には蓮華は生せず。卑湿淤泥に蓮華咲くと言えば,いかにも「煩悩を断ぜずして涅槃を得しむ。」の図式どおり。だが,待てよ,本当に自分は泥の中にいるのか。

「ええゴエンさんが来てくれた。」と言われ,焼酎喰らって酔いつぶれる毎日に,「自分はこんなんでいいだろうか。」という問いすらない。ヨソの法座で聞いた話を,得々とおしゃべりする。そして,「仏法は聴聞にきわまる。」などとも。だから,蓮華は絵に描いた餅にしかならない。

このごろ,親鸞聖人ほど我が身の事実を嘆かれた方はいないのではないだろうかと思う。亡くなる寸前まで,「無慚無愧のこの身」とおっしゃった。だから「功徳は十方にみちたまう」との確信がある。それほどに真実の道を求められるから,我が身を嘆く。そして,「弟子一人も持たず」といつも,自分を弟子の座から外すことはなかった。

「ええゴエンさん」を演じ,先生になって,いつも自分を「これでよし」としてきている。知らぬ間に自分のあり方を肯定し,自己を過大評価している。だから,救いを求めようともしないし,自慢ばかりが一人歩きする。法座で声を張り上げて何を語っている。不感症という抜き難い病にかかってしまっている。

吾世を去りて後、経道漸く滅し人民諂(てん)偽ならん。また衆悪を為らん。(『大無量寿経』)(わたし(釋尊)がこの世を去った後には、もろもろの教の道が次第に衰えて、人人が偽り多くなり、ふたたびいろんな悪を犯す。)      (08.10.1)



08.9月の掲示板

言い争いしていることも

悩んでいることも

そんなに

大事なことだったのか。

これだけは譲れないと顔を真っ赤にして言い争う。そんなバカなことはない。今まで,何でも何回も我慢してきたが,これだけは私の言うとおりにしてもらわなアカン。などと言い張る。「誰に聞いてもらっても,私の言う方が正しいはずや。」などと,正しいことを他の人にも認めてもらおうとする。ところが,周りの人の賛意が得られず,逆に悪く言われたりすると,「どうして?」と悩んでしまうことがある。これって結構辛い。こんなにも周りに気を遣っているというのに,何故だろうと自信もなくしてしまう。「どうせ分かってもらえない。」と最初から口を閉ざし,我慢する。それも,ストレスになる。

よくよく考えてみれば,自分の思いどおりにしたい,思いどおりにならないことが悩みや怒りの正体で,その上,「いい人」を演じようとするから尚更悩みが重なる。がんじがらめに自分で自分を縛り,ひとり孤独を苦しむ。正しさを主張していても,案外,道理ではなくて感情が先にあって,それを理屈で武装していることも多い。僕なんかこの頃,聞きかじりのお聖教の言葉で人を斬ることもある。 

真宗の教えは,聖人君子やよい人になれる道ではないと教えられている。今ある自分を受け入れること。ところが,「そうは言っても。」などとジタバタしてしまう。自分は他の人よりマシと思いたい。自分は正しいと思いたい。しかし,お経には,僕たちを「薄俗にして共に不急の事をあらそう。」と正体を語られている。急がんでもいいことをあらそう性根を既にお見通しなのだ。アホな争いはしたくない。でも,そんなアホな争いに終始している僕たちを最初から見通されている。ちょっと情けないけれど,そのことって心強い。

「しかるに世人,薄俗にして共に不急の事をあらそう。(ところが、世間の人人はまことに浅薄であって、いずれも急がぬことを争い合っている。)」(『無量寿経』)        (08.9.1)


08.8月の掲示板

どんなご馳走も

紙切れ一枚さえも

そして,この今の自分も

阿弥陀さんからの

いただきもの。

8月はお盆の月。お内仏に一杯のお供えが並ぶ季節。そして,帰省客のお土産や,食卓にはご馳走が一杯の季節になりました。先日,ある方とお話していて,「お供えした缶ビール,キが抜けて飲めないから捨ててしまう。」と。そして,お仏飯も固くなってしまっているから食べられないと。そこで,お供えについて考えてみたくなりました。

お内仏は,淨土の荘厳をあらわすと教えられてきました。ですから,お仏飯もお供えも,そして仏華も淨土の荘厳なのです。ですから,お供えは亡き人に供養としてお供えするものではないのです。お盆の時季は,他の宗派の行事が盛んで,ついつい私たち真宗門徒の気持ちが揺らぐ時でもあります。

僕は,その人に「缶ビールの栓を抜かないでお供えして,その後,お下がりを冷蔵庫で冷やしていただいたら。」と申しました。実は,真宗門徒のお供えの肝心なところは,お下がりを戴くことだと思うのです。どんなものも阿弥陀さんからのいただきもの。紙切れ一枚も仏法領のものと教えられています。私が口にする全てのご馳走もお与えだと思うのです。

「こんな私」とよく言います。でも,今ここに在るのは(落在する我),ほかならぬ阿弥陀さんからのお与え,いただきものではないか。でも,自分の心得次第で何とかなると思っている,自分の修養が足りないからこうなんだと思う姿勢の高い僕がいる。今ある全てが阿弥陀さんからのお与えなのです。

亡き人の好きだったものをお供えする。それって,当然の心情だと思うのです。そして,その亡き人の好きだったものを戴くことって,その人からのプレゼントだと思うのです。お下がりを戴くことこそ真宗門徒ではないか。すべてのものが阿弥陀さんからのお与えではないか。そして,いまある自分も。

「自己とは他なし,絶対無限の妙用(みょうゆう)に乗託(じょうたく)して,任運(にんうん)に法爾(ほうに)に,此の現前の境遇に落在(らくざい)せるもの,すなわち是(これ)なり。」(清沢満之『絶対他力の大道』)      (08.8.1)


08.7月の掲示板

 「こんな私に」と思えたとき

周りの

眼差しのあたたかさに

気づく。

先日,長浜教務所から届いたポスター。「しぶといこの頭が 下がったら 淨土の光は こんなところに(榎本栄一)」この言葉に陰のように薄く「仏の本願力を観ずるに,遇うて空しく過ぐる者なし,能く速やかに功徳の大宝海を満足せしむ。」の天親大師の言葉が印刷されている。

少年院で出会った少年少女たちに共通していたのは,自尊感情をなくし,自分のことが大嫌いだったことだ。親の期待どおりでない自分や,母親に「あんたなんか産むんじゃなかった。」といわれた自分を抱えて,ヘンに粋がったり悪ぶったり。よい子でなければ,この世に存在意義がないと思い込んでいた。そして,善意あふれる人や正義をふりかざす人を敬遠することが多かった。

でも,本音は,そうではなかった。担任の先生に自分のことを洗いざらい語るようになって,どんなでも受け止めてもらえると思えたとき,実は本当の自分を分かってほしいと自分がこれまで,どんなに人を傷つけ親を泣かせてきたのかを語るようになる。ひどい最低最悪の自分だったことに気づき,そして,気づけたことへの驚きに涙する。その涙は,打ちひしがれた涙ではなく,裸の自分に出会えた感激の涙だった。そして,親に,被害者に謝罪したいと思う。そう思えたことが嬉しいと泣いた。表情豊かになって,素直になれたと喜んだ。

こういう生徒たちが,自らのおぞましさに泣きながら,立ち上がろうとする神々しい姿に出会った。「先生のお陰で,自分は変われた。」と泣いた。間違いなく弥陀の悲願が生徒たちに届いたと思えた。一方,僕の方は,少年たちのために尽くしているようで,実は「価値ある自分」を追い求めていたのではないか。その空しさにも気づいていなかった。一度きりの人生,本当の人生,確かな人生を歩みたい。

「浄土というは他力なり。」という言葉を教えていただいた。自分の力を信じ,自分の能力で何か出来ると思い込んでいた。こんなしぶとい僕にまで,仏の悲願は届いていた。そのことに気づけたのも自分の力ではなかった。

「無慚無愧のこの身にて まことのこころはなけれども 弥陀の回向の御名なれば 功徳は十方にみちたまう」(『悲歎述懐和讃』)
「煩悩にまなこさえられて 摂取の光明みざれども 大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり」(『源信和讃』)             (08.7.1)


08.6月の掲示板

 見て見ぬフリ

気づかぬフリ

イヤ

気づかない

感じない

この方が重症だ。

「事を荒立てない」。それは,気分よく生活していく上での処世術というものだ。それが大人の知恵というものだろう。角つき合わせて生活するのはしんどい。自分さえガマンしておれば,みな笑顔で暮らせる。気になる言葉や態度に出あっても,「気にせんとこ」と流す。そうすりやぁ,腹も立たない。何事も無難が一番。それって,どこかで,問題を先送りしたり,無難を優先するあまり,肝心なものを見落としてはいないか。

イジメの問題でよく話題になる。「見て見ぬフリ,気づかぬフリ」がイジメを生むし,被害児童を一番傷つけると。そして,「気にし過ぎ」の言葉も,同じように使われる。

「平穏無事」って,とっても甘い言葉。本当にそうなら結構。でも,感じないフリを積み重ねて,平穏を装っているとしたら,それでいいのだろうか。感じないフリを続けているうちに,知らぬ間に自分の感受性が錆びついてしまう。本当は人に傷つけられ,人を傷つけているのに,そのことに無頓着になる。それどころか,それに気づかないようになる。人としての感性を失って,人と言えるだろうか。

「平穏無事」や「無難」を願って生きるだけでいいのだろうか。先日,ある先生から,故能邨元宗務総長の言葉を教えていただいた。「どう生きるかが問題ではない。何のために生きるかが問題である。」と。僕の「こころざし」って何だろう。見栄えのいい生き方ばかり求めて,人生の「めあて」を見失って日暮しているのではないか。

親鸞聖人は,真実の人生,自分に正直な人生を求められた方だと思う。そして,晩年まで,自分の感性が鈍って,慙愧(ざんき)する心がないと嘆かれた方のように思う。

「無慚無愧のこの身にて まことのこころはなけれども 弥陀の回向の御名なれば 功徳は十方にみちたまう」(『悲歎述懐和讃』)            (08.6.1)


08.5月の掲示板

 人生の師は

選ぶものではなく

与えられるもの。

よき師に出会えることほど幸せなことはないと思う。

師は自分の判断で,自分のモノサシで選ぶものではなくて,もがき苦しんで歩み出そうとした時,目の前に現れるものと思う。少年院の生徒が「〇〇先生のおかげで自分は変われた。」と感涙するのを何度も見た。それはそれで嬉しかったが,それは生徒自身が「これではアカン。」と自らを嘆き,もがいたからこそ,すぐ側に素晴らしい先生がいたことに気づいたのだと思う。自分のことが大嫌いだったのに,素直に,そして表情豊かになっていった生徒たち。

ある先生の言葉。「私たちが失っているのは,人として生まれた悲しみ。」という言葉が胸をつく。苦悩がなければ救いなんか求めないし,「これじゃあアカン。」と思っていないから,当然,もがくこともない。今の自分をこれでいいとも思っていない。真実を求める気もなければ,確かな人生を志向することもない。不感症の時代と私。別の先生から,「宿善」とは,「もよおし」「根源的関心」とも教えていただいた。

喜代美には3人の師が与えられた。まず「ぎょうさん笑え。」と人生の指針を示してくれたおじいちゃん。そして,草若師匠。「アホなもんが,一生懸命生きるほど,オモロイことはない。」と。3人目は,「おかあちゃんゴメン。」と思えたとき,「おかあちゃんみたいになりたい。」という糸子という師に出会えた。もがいて,苦しんだものに与えられるビックプレゼント。

師の指し示す指の先が自分の人生の歩む方向。そのことを与えられると,迷う自分と,落ち着いてじっくり付き合えるような気がする。あの親鸞聖人は,「誠に知りぬ。悲しきかな,愚禿鸞,愛欲の広海に沈没し,名利(みょうり)の太山(たいせん)に迷惑して,定聚(じょうじゅ)の数に入ることを喜ばず・・」とおっしゃる。アホでどうしょうもない自分が大好き,いとおしいと思える自分がいる。

僕は,漠然と親鸞聖人は自分で法然上人を選ばれたもの考えていた。でも,少し違うのではないか。聖人は20年間も修行された比叡山を降りられたから,法然上人というよき師に出会えたのだと思うようになった。

「親鸞におきては,ただ念仏して,弥陀にたすけられまいらすべしと,よきひとのおおせをかぶりて,信ずるほかに別の子細なきなり。」(『歎異抄』第二章から)             (08.5.1)




自分が正しいとき(文京区保護司会報「情報」より)           藤本 了勝 

元の肩書き

文京区の保護司会でおしゃべりさせていただいたのは、五年ほど前だったでしょうか。確か有明高原寮での経験などをお話させていただいたように記憶しています。その後、東京少年鑑別所、交野女子学院に勤務し、退職して三年目になります。一方、勤務しながら得度を受け、真宗大谷派の僧侶にもなりました。そして退職後、福井県敦賀市のはずれ、海辺の過疎の地にある空き寺に入寺しました。NHKの朝ドラ「ちりとてちん」で少し有名になった小浜まで三十分の所です。

職歴ゆえ、入寺当初から地元の健全育成団体や社会を明るくする運動などで講演を依頼されるようになりました。おしゃべりしているうちに、退職してからもまだ現役時代の話を今のことのように話す自分が嫌になり出しました。何だか退職者が現役時代を自慢気に語る自分が情けなくなったのです。弁解じみますが、今はそうでもないのです。少年院に勤務していたのは事実ですし、それを因業ととらえ直すことが、今少しはできるようになった気もします。

そして、今だから語れるようなこともありそうな気がします。

共感的理解

 教育の仕事というのは、その人の信条や人間観に直接かかわる仕事です。 少年院教育は、公的に「矯正教育」と称されているように、対象者の問題性等を「矯正」するものとされています。そうなると半ば必然として、教育内容や方法が意図的操作的なものになる宿命を背負っているような気がします。その延長線で、勢い指導者側が「自分は健康で生徒は病んでいる。」と思い込んでしまう。

 「それでいいのだろうか。」いつも、そのことを自分の中で課題にしてきました。生徒たちに直接かかわるうちに、自らに向き合い、自らを嘆き、そこから健気に立ち上がろうとする姿を何度も見せてもらいました。その神々しさに感銘を受けるうちに、「待てよ、自分はどうなのだ。」と思わされ、自らを問題にすることなく教育や指導に「熱心」な自分の姿が問われ出しました。

 熱心に仕事するのは、表向きでは生徒の更生を願い援助することなのだけれど、本音部分では「価値ある自分」を追い求めているに過ぎないのではないか。 そう思えたとき、泣きながら雄雄しく立ち上がろうとする生徒に共感し、人として人間形成の好敵手と感じられるようになりました。それが、私にとっての「共感的理解」の出発点だったように思います。

教育観の対立

 先日、地元の高等学校の教職員研修に招かれました。そこで、教職員の教育観の対立について話してほしいとの依頼を受けました。その依頼を受けてから、退職前のストレスフルな毎日を思い出しました。

 退職前の特に一年間は、私は「共感的理解」を標榜しつづけました。生徒が自らに向き合う作業をするのを、ひたすら生徒に寄り添うことをお願いしました。そのころ私には少年院教育にはこれしかないとでも言えそうな確信みたいなものがありました。 「また院長の共感が始まった。」と冷やかされながらも、多くの職員がその処遇方針に賛同して、生徒との関係をつくってくれました。

 生徒が自らを、あるいは過去の自分のおぞましさに嘆くことに共感する、あるいはそこから起ち上がる姿に共感する。それは、実は指導者である自分自身も自らのおぞましさに気づくことであり、自らも起ち上がる意欲が湧き上がったとき、共感できるのです。 生徒にきちんと対峙するには、実は自分自身が問われてしまうのです。指導の対象者と思っていた生徒が実は人間形成のための同伴者だったり鏡だったりすることに気づかされてしまう。それが私流の「共感的理解」なのです。 大半の職員は、そういう私に賛同してくれたような気がしますが、当然それに乗れない職員も出てきました。そして、これらの職員を孤立させる結果を招きました。

正しさは他を軽んずる

 私は、退職を前にして随分我がままになっていたのでしょう。「共感」が分からない職員は、それでいい、などと思って、気にしないことにしていました。自分の処遇観に酔っていた面もあったのでしょう。 これまで自分の意に沿わない仕事をしたことはないのか、と言われれば、役人稼業を長年続けられたのは、正に意に沿わないことの連続だったように思います。でも、退職を前にして、最後はもう自分の思いどおりに仕事したいとの思いが随分強かったのだと思います。

 私の方針は間違っていないという、何だか空恐ろしい確信があって、それに従わぬ者を意に介さぬといった、おごりでした。 賛同できない職員を相手にしない。これまで、施設長に不本意なまま仕えること。あの辛さを忘れ、自分の思う「正しさ」を強引に、突き進んでいたように思います。

 自らの正しさを主張し実践するとき、必ず他を軽んじてしまう。そしてそのことを気に病むことすらない。時には排斥する。排斥していることに気づかす、自らの正しさのみ口をとんがらして平然としている。排斥され孤立する人の痛みが分からなくなる。 実は、このことに思い至るようになるまで退職後三年もかかってしまいました。地元の高等学校での教職員研修に招かれなければ、気づきもしなかったろう。

入寺してから

 冒頭で、過疎地の空き寺に入寺した、と書きました。でも人里離れたところで仙人のような生活をしているわけではありません。集落の中にあって、毎日、門徒さんの笑顔をいただいて生活しています。現職時代は、十代の生徒を相手にし、職員だって皆私より年下だった。ところが、ここでは、私は「若いもん」なのです。私より年長の方々に囲まれ、野菜やお米をいただく生活をしています。やさしい門徒さん方に支えられ、大事にされて生活しています。そのことがとても有り難いと感じています。


08.4月の掲示板

 アホなもんが

一生懸命生きることほど

オモロイことはない。

      (「ちりとてちん」から)

NHKの朝ドラ「ちりとてちん」の草若師匠の言葉。落語家の言葉だから「オモロイ」という表現になるのだと思うが,僕は,真実なるものを求める言葉として聞いた。ドラマだから,当然,作り物だ。けれど,その中で使われる珠玉の言葉に僕ははまってしまった。

師匠の襲名騒動のときの一番弟子の草原の告白。「襲名の話が出て,キタッ!と思った。筆頭弟子に当然その役回りが回ってくる。そしたら,何であんなキャリアだけで華のない草原が継ぐのやと言われるんじゃないか。それが恐くなった。だから,草々に継げと言った。言ってしまってからクヨクヨして,それがしんどかった。でも,それがオモロイと思えた。」ホンマの自分に出会えたことがオモロイのだ。

主人公の祖父,正太郎の遺言「喜代美,ぎょうさん笑え。」は,主人公の人生をつらぬく価値観になっていった。「師匠の落語を学び伝えていかなくては」という目標を持った弟子たちの歩みは,神々しくて胸を打つ。そういう目標や願いを持たないままウロウロしているのが,僕たちではないか。

ついつい,僕たちはA子のように何でも出来て,勉強もできる学園の人気者を志向してしまう。そうではない。ヘタレでも,歩む方向さえつかめれば,懸命になれるし,仲間も得られる。草若師匠の臨終前の言葉。「おおきに。ありがとう。」この言葉は,歩む方向がハッキリしていた人に与えられるビッグプレゼントではないか。「お前は落語のハラが分かっとらん。落語というものは,人から人へ伝えるもの。そして,これからも伝えなければならんもの。お前はその流れの中にいる。」これも草若師匠の言葉。正に仏法もそうではないか。

そして,「ふるさと」がキーワードのようだ。帰るべき場所,自分の出発点,ホンマの自分に帰る場所として使われる。僕の「ふるさと」,帰るべき場所はどこなのか。「我今帰する所なく,孤独にして同伴なし『往生要集』」「いずれの業もおよびがたき身」などと言ってみたりしているけれど,どこかで,自分の念仏で本願をつかもうとしている。人間に生まれた悲しみの中にいると,感じることがある。今もこれからも仏法を聞くしかない。帰る場所は,一生聞きつづけることだ,と教えられた。

「親鸞におきては,ただ念仏して,弥陀にたすけられまいらすべしと,よきひとのおおせをかぶりて,信ずるほかに別の子細なきなり。」(『歎異抄』第二章から)             (08.4.1)


08.3月の掲示板

 暗闇に立って

ひかりに気づく。

昼間,よほど暑い日でもない限り,お日さんに照らされていることに気をまわすことはないような気がする。当たり前すぎて,そんなこと気にしない。でも,日が陰ってくると,畑仕事を切り上げたり,暗うなっては困るから電灯を点けたりする。

正信偈同朋奉讃を繰り読み(順番に読む)していると,「煩悩にまなこさえられて 摂取の光明みざれども 大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり」(勤行本p112『高僧和讃』)にあう。正信偈にも同様の言葉があり,仏の大悲を感得できた感激の言葉と思う。でも,僕の今の生活実感には,もう一つその言葉がピタッと心に染みない。自分のまなこが曇っていると思えないから,「光明みざれ」とも思っていない。困ること辛いことはあるにはあるけれど,食うに困っているわけでもないし,都合の悪いことばかり起こっても,要は気の持ちようでと,ごまかしている。いや,ごまかしているとも思っていない。 どこかで「まだ,マシや。」と自分を納得させている。そして,目先の話題に口角泡を飛ばしている自分がいる。一体,自分は何をしようとして生きているのか。

このごろ,「懸命に生きる。」というようなことを考える。一生懸命に生きるのは,目標や目当てにまい進している時。ところが,それをなくすと何の悩みも,壁もなくなってしまう。懸命にまい進する人をまぶしく思う。そして,挫折に苦しむ人を見たくない。生き辛さを抱えた人に掛ける言葉もないし,寄り沿うこともできない。今,僕はどこを向いて歩いているのか。

三塗(地獄・餓鬼・畜生)の真っただ中にいるのに,そうも思っていない自分がいる。今の自分を本当には納得していないのに,何とかお気楽生活を納得しようとしている。本当は黒闇の真っただ中にいながら,そうは思えず,救済を求めようともしていない。道を踏み外して歩いているのに,こんなもんやと思っている。そして,仏法を分かったものにしているのではないか。

「我,他力の救済を念ずるときは,我が処するところに光明照し,我,他力の救済を忘るるときは,我が処するところに黒闇覆う。」(清沢満之『他力の救済』から)

「仏光照曜最大一 光炎王仏となづけたり 三塗の黒闇ひらくなり 大応供を帰命せよ」(親鸞聖人〜讃阿弥陀仏偈和讃)             (08.3.1)

08.2月の掲示板

 亡くして

初めて

その人に出会いなおす。

これは,ある友人からいただいた言葉。そして,「亡くしてみないと,出会えなかった。」とも。なぜ,生あるうちに出会うことができなかったのか,との嘆きの言葉でもある。そして,遅まきながらその人に会えたことを感謝する言葉。

僕は,先月末に長兄を亡くした。ふた周りも年齢差があるから,当然ながら一緒に生活した歴史がない。僕が生まれたときは,兄は戦地に行っていたという。復員後も飛騨高山には戻らず,愛知県で生活していた。そして僕が名古屋で次兄宅に居候して学生生活を始めたころ,長兄は九州に姿を消した。長兄のヒンシュクを買うような言動を僕は嫌っていた。互いに遠隔の地に住んでいるから,会うのは両親や兄弟の葬儀の場が多かった。通夜の席などで,酔っ払って大きなことばかり言う。僕の顔が彼とよく似ているといわれ,そのことも苦になっていた。

嫌うということは,遠ざけるということだ。僕は,九州に長兄がいるということをほとんど誰にも言わなかった。それより,「僕の兄弟はみな早死にで,誰もいない。」とまで語っていた。心のどこかで,血を分けた長兄が生きていることを否定していたような気がする。今回,葬儀に参列して,あのヒンシュク者の長兄が,再婚先で義姉を始め,その子どもたちや孫たちに随分慕われ愛されていたことを知った。僕はただただ「有り難うございました。」とご厚誼をいただいた皆さんにお礼を申すほかなかった。

最近,葬儀の席で気になることがある。弔電でお決まり文句。「ご冥福をお祈りします。」そして,弔辞の「み霊に申し上げます。」の言葉。真宗の葬儀がそうなのだ。亡くなったことを認めがたい心情がこの「霊」を持ち出すのだと思う。そう考えた方が気持ちの整理ができる。でも,亡くなった方が僕の心の奥深くに血や肉となり,仏となって,自分に呼びかける。それって分かる。流行となった「千の風」。私はお墓にはいない。この真実を言い当てたことだけは間違いない。

生きている間には出会えなかった貴方が,亡くなって初めて,鬼畜の僕を照らし出してくれた。ありがとう。そして,ゴメンナサイ。

「蛇蝎奸詐(カンサ)のこころにて 自力修善はかなうまじ 如来の回向をたのまでは 無慚無愧にてはてぞせん」(親鸞聖人〜愚禿悲歎述懐 和讃)  (08.2.1)


08.1月の掲示板

 何をさがし求めているんだ

今すでに,ここに道あり。

それ以外に何が欲しいのだ。

 新しい年を迎えて,自分は寺に住まわせていただいて一体何をしようとしているのか,と考える。これまでも時折,一体何をしたいのだ,どこに向かって行こうとしているのかと思ったことがある。実はそんなときは,大抵,自分が横道にそれようとしているとき。それを,どこかで自分に黄色信号が点滅し出したときだったように思う。去年1年間は,いわば有頂天の1年間だったような気がする。門徒さんに大事にされ,支えられて暮らした。本当に有り難い。それが,逆に自分を有頂天にしてしまって,化けの皮がはがれることにもなった。

有頂天になると何も考えなくなり,「苦」もなくお気楽な毎日を過ごしてしまった。そこで,自分に「仏法を求める心」があるのか,が問われ出した。拍手や笑顔をいただくことは,この上なく心地よい。そんなところで,仏法を学ぶと自分の心にべったりと張り付いた名利心(名誉欲みたいなもの)ばかりが,目立ち,ふくらんでマシな自分を演じ求めている姿が露呈する。昨年も二人のご門徒さんの葬儀に遇いました。そして,ご法話や講演の機会もいただいた。それぞれの場面は,実は,自分に「仏法を求める心」が与えられているのかを確認する作業だったような気がする。

何をウロウロしているんだ。お前が求めているのは,真実の生き方。心底から欲しがっているものは,別にあるわけじゃない。そう呼びかけられているのに,僕は,それを素直に聞きとめられず,寄り道ばかりしている。そして,仏法を何か特別のことにしてしまっている自分がいる。日常生活のすべて,どうしょうもない毎日そのものが,仏様の御手の真ん中にあるのに。

寺の管理もいい加減。法要儀式も下手なまま。聴聞も中途半端。だからロクな法話も出来ない。決してそれでイイとは思っていません。こんな僕ですが,今年もどうぞよろしくお願いします。

「(身命をかえりみずして,)たずねきたらしめたまう御こころざし,ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり。」(『歎異抄』第二章)       (08.1.1)

12月の掲示板

 自分が正しいとき

必ず他を軽んじている。

そして,時に排斥している。

先月末,地元の高校の教職員研修に講師として招かれた。そこで,教職員間の教育観の対立などについても触れてほしいと依頼された。実は,ブログ(インターネット上の日記)に少し,そんなことも書いているのを見られていて,そんな注文がついた。それからというもの,退職前の何とも言えないストレスフルな毎日を思い出してしまった。くよくよ当時のことを振り返りながら,僕の中で,あの時のことを自分なりに整理しなければと,思っていたことは確かと思いなおす。

辞表を書いて,退職するまでの4ヶ月間というもの,毎日のようにモーツアルトのレクイエムをかけて泣いた。退職して,第二の人生を迎えるものとはとても言えない心情だった。なぜ,僕の正しさを認めてもらえないのか,どうして上級機関は僕を支持してくれないのか,そして「敵前逃亡するんですか?」とすがりつくように泣く職員を思ってまた泣いた。今考えてみれば,悲劇のヒロインのような気分だったのだろう。「仕事(教育)は,部下の幹部に任せて,院長室にこもって決裁だけしなさい。そうしないと円満な定年はない。」という上級機関の指導に,勢いで(この寺への入寺話もあって,それが結構な逃げ場になったのか)「では,辞めます。」になった。これまで,意に沿わない仕事をしたことはないのか,と聞かれれば,役人稼業を続けられたのは,不本意の連続だったのだ。でも,定年直前になって,施設長になって,という我がままもあったのだろう。自分の正しさを貫きたいなどという粋がりもあったのだろう。

退職前は,「生徒との共感」ということをひたすら標榜していたような気がする。それは間違いない教育なのだという確信めいたものがあった。そして,「共感的理解」が分からぬ職員なんか相手にしないという,傲慢があった。教育実践は心意気なくしては成立しないなどとも豪語していた。それによって,一部幹部を軽んじ孤立させ,逆に結果として,僕自身が追い出されてしまった。正しさと正しさの争いだった。正しいと主張することは,他を認めないことなのだ。

自分の頭で作ったものに,正しいものなんて,ないのに。「正しい」ものにしがみついて,他を傷つけ排斥していた事実に気づくのに二年半かかってしまった。

「(雑心なるものは)かるがゆえに宗師(善導)は,「業行を作(な)すといえども心に軽慢を生ず,常に名利と相応するがゆえに」と云えり。」(『化身土・本』)       (07.12.1)


11月の掲示板

気づけたのは
自分の力ではなかった

最近,報恩講や永代経などで,僕のようなものにお話を依頼されることがある。教学(仏法の学問)も信心もない僕が話をするとなれば,自分の身を投げ出すしかないと思い,そうしているつもりだったが,そのうち,これって単なる「ひけらかし」ではないかと思うようになった。少年院で出会った生徒たちの話をするとき,もの珍しさで聴衆を引きつけているのではないかと思うようになった。「ええゴエンさんが来てくれた。」と言われるうちに,知らず知らず「ええゴエンさん」を演じながら,自分では,ありのままの素(す)を見せてきたツモリ。この間の酩酊事件でエロ坊主の正体を露わにしたが,恥ずかしさで身が縮む思いをした。だが,友人の「2年間も化けの皮が剥がれんかったのか」のひと言で,演じていた自分を知らされた。

先日,ある先生のお話を聞いていたら「仏法なんかいらんと思って生きているやろ。」という厳しいお言葉を投げかけられた。今,私がここで生きているのに仏法はいるのか。住職として,おしゃべりするタネとして仏教を学んでいるだけではないか。自分自身の生きる力となっているのか。学習会に出席したり法話を聴聞する自分が,知らぬまに仏法を理解するもの覚えるものにしてしまっている。

「聖教をよめども,名聞がさきにたちて,心には法なき故に,人の信用なきなり。」(『蓮如上人御一代記聞書』96)

「苦悩なくして救いなんかない。」とある先生に言われた。そうなんだ,自分の生き様を見ると「苦」なんかない。それなのに仏法を求めるフリをするから,おかしくなる。身近に亡くなった人がいても,自分は死なないとどこかで思っている。何も気づかず,お気楽に生きている。空しく過ごしていることにすら気づかない。

このごろ,仏法を何か特別のことのように思い,あつかっているのではないかと思うことがある。ある方から,うちらは「ほっとけ様」やで,という言葉を聞いた。「ほっておく」と「仏様」をかけた言葉。でも,念珠かけて「南無阿弥陀仏」と称えることだけが,仏法ではないと思う。まるで仏法とは関係ないような日常生活そのものが,阿弥陀様の御手の中にある。それに,気づけよと呼びかけられているのに,仏法を別物にしてしまっているのではないか。

「およそ「欲生我国」というは,如来のたすけばや生まれさせばやと思しめし欲願したまう招喚なり」(『大本私考』)        (07.11.1)

10月の掲示板

 ちっとも

エエもんになれん

先月命終されたHさんの言葉。いつもの婦人会のお勤めの稽古のある日,雑談の中で,「(寺に通っているけれど)ちっとも エエもんになれん。」とひと言。Hさんの嘆きの言葉だった。

「さとり」,「救い」を求めるのは,言うまでもなくお釈迦さんからの仏教の一大命題だ。この「さとり」,「救い」なくしては,仏教ではなくなってしまう。蓮如上人はこれを「おたすけ」とも言われた。仏法を求めるのは,確かな人生,あるいは真実の生き方をしたいとする思いもあるが,直接的には,目の前の苦悩や自らへの嘆きが原動力となる。「このままでいいのか。」という思いにかられるのは,仏からの呼びかけが胸に届くからと思う。

Hさんの「ちっとも エエもんになれない。」の言葉には,自分の今は「エエもん」でないオゾイ自分だとの眼差しが見えてくる。そして「エエもんになりたい。」という願望が響く。それなのに,寺にこんなに通ってもエエもんになれない自分を嘆く気持ちが聞こえてくる。

寺に通ってそれなりに修養を積めば,エエもんになれるかもしれないと誰もが思う。念仏申したり,読経すれば,功徳が積めると思いたい。そして,仏法を理解したいと切実に思う。分かれば救われるような幻想を持ってしまう。ところが,なかなかワカラン。そして,心ひそかに,自分のことをそんなにオゾイものとも,思わん。それより,どこかでヒトよりマシだと思っている。

それを「ちっとも エエもんになれん。」と嘆かれたと。自らの業の深さをそうおっしゃったのだと僕はいただいた。毎日,お内仏に向って正信偈を上げられていた。仮通夜の席で,手垢で汚れた勤行集を見せていただいた。

「真宗の信心をあきらかにするためには,決して特別な知識や学問は必要ではありません。ただ,自分はたいへん罪深くあさましいものであることを自覚して,このような私をすくってくださるのは阿弥陀如来だけであると深く信じ,ひたすらにこの如来をたのみとして,淨土に生まれようと願うならば,阿弥陀如来は深くよろこばれて,その大いなる光明の中に迎え入れてくださいます。」(お文5−12 小松教務所訳)

「それ,他力の信心というはなにの要ぞといえば かかるあさましきわれらごときの凡夫の身が たやすく淨土へまいるべき用意なり」(お文 5帖−22通)       (07.10.1)

9月の掲示板

 念仏申されんようになっては

 生きている甲斐がない

 本当の言葉に出会うと,自分の,つくろってばかり,外見ばかり追い求めている姿が照らし出される。この言葉もそのうちの一つ。

7月,最近お世話になっていた,ある先生が急逝された。その先生のご法話を思い出す。冒頭でボソリと語られた,「前住が亡くなる前に,仏法を聴聞できんようになり,念仏を申されんようになっては,生きる甲斐がないと語っていたが,最近になって,その言葉が胸に染みる。」と。

このご法話をお聴きしたのは,昨年の秋だった。当時,僕は無事住職就任式を終え,果たして門徒さん方に受け入れられるだろうかとの不安もなくなり,時に「ええゴエンさんが来てくれた。」との噂話も耳に入るなど,有頂天になっている時だったように思います。褒められるってことは,本当に心地よい。そして,もっともっと褒められたいと思うようになった。「価値ある自分」を追い求めていた現職時代の虚しさを繰り返すまいと誓って入寺したハズなのに,いつしか「ええゴエンさん」と言われ続けたい自分がいた。そして,救いさえ求めていないのに,道を求めているフリして平然と寺通いしていた。

そんな時に,この言葉に出会った。「何のために生きているのか。」確かな人生,真実の生き方をしたいと思っていたはずなのに。先生は,前住の言葉を引用されて,お念仏に遇えた喜びを語っておられる。「何のために生きるのか。」方向がはっきりしている。それなのに,僕は,ウロウロと外見ばかり追い求める生活をしているではないか。

先生に目をかけられ,願いかけられていたことを今さらのように感じます。そして,「うかうか」と,のんびりしているんではないと,教えられたように思います。

「淨土眞宗に帰すれども 真実の心はありがたし 虚仮不実の我が身にて 清浄の心もさらになし」(親鸞聖人)        (07.9.1)


8月の掲示板

素直に 謝れたとき
 何だか妙に 嬉しかった。

 「わたしのまちがいだった わたしの まちがいだった こうして 草にすわれば それがわかる」

これはキリスト者で詩人の八木重吉の詩『草に すわる』だ。

この詩を重吉の悲しみととらえる人もいる。むろん,私のまちがいに気づくことは,つらいし,悲しい。でも,それだけじゃないと僕は思う。わたしがまちがっていたと気づけたのは,立ち上がって主張しているときではない。草にすわって,初めて気づけた。気づけた喜びが,ふわーっとやってくる。嬉しいつぶやき。そして,お尻から伝わってくるひんやりとした感触。その中で,じわじわと自分の高上がりが見えてくる。原先生がよくおっしゃっていたような気がする。「そうやったなあ。」と思えるときに自然とお念仏が出ていると。

このごろ,若手僧侶の勉強会で,僕は30数年前に亡くなった自分の母親を話題にすることが多い。母は,厳しい人だった。僕は5人兄弟の末っ子。終戦の年,42歳で僕を生んだ。そして,日本の経済発展の波に乗って商売第一の人だった。末っ子だから人一倍甘えん坊だった僕だったけれど,なかなか甘えさせてくれなかった。母乳が出ない分,姉たちが近所で山羊を飼っている家に頼んで山羊の乳をもらっては僕に飲ませ,命をつないだと言う話を聞いた。 政府の教育再生会議なる会議の提言で,ポシャッたけれど「母親が子どもを抱いて目を見ながら母乳を。」というくだりがあったという。山羊の乳で生き延びた僕の愛情飢餓感は,そこにあるのかと思ったりする。

でも,確かに覚えていることがある。母親に抱きしめられ,その体温を感じながら,「おかあちゃん,ゴメン。」といった記憶が。そして,素直に謝れたことの心地よい感触を思い出す。

昔の門徒衆は,阿弥陀仏を「親さま。」と言っていた。母親に抱きしめられると,ウソは言えないし。本当のことを語ってしまう。ウソいつわりから,本当のことを語れた嬉しさを,今は忘れてしまっている。

7月,お世話になっていた先生を亡くしてしまった。入寺して以来,僕のことを気にかけていてくださった。そして,このつたない『高雲寺便り』を「やっとる,やっとる。」と喜んで読んでくださっていたと,仮通夜の席で坊守様から聞いた。こんな僕を気にかけていてくださった。それは,感じてはいたのだけれど,亡くして初めて切実に感じることができる。有り難うございました。先生の願いかけを忘れません。

        (07.8.1)

7月の掲示板

どこをウロウロしていたのかい
 ずっと,待っていたよ
 おかえり。

5月のある日,保護司会の会合で,今年の社明運動(毎年,7月に行われる非行防止などの運動)のポスターが配られた。そのポスターを見てハッとした。ポスターに書かれていたキャッチコピーが「おかえり。」の一言だった。帰るべき場所を見失って,ウロウロしているのは,非行少年だけではない。還暦過ぎたオジジも全く同じ。

「弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。」(歎異抄)とは聞いているものの,何か特別な人にならなければならぬと心のどこかで思っている。いや,多少のことでは仏様の手には乗らんぞと秘かに頑張っている自分がいる。仏法のことは,ほとんど分からんし,そんな立派な心境にもなっていないなどと抵抗する。

お聖教に書かれている言葉のほとんどが分からない。分厚い真宗聖典を開いてみると,結構あちこちにアンダーラインが引かれているのに,その意味も理解できていないものばかり。そして,アンダーライン引いてあるということは,どこかで学んだはずなのに,どうして分からないのかと自分の頭の悪さを嘆く。僧になってからというもの,何か門徒さんを感心させるような話や言葉を言えるようになりたいという思いが強くなって仕方ない。ええゴエンさんになるために仏法を聴聞する,そういう情けない名利まみれの根性に気づいて,ああ,また阿弥陀さんが遠くなったと思う。そんな時,社明運動のポスター「おかえり。」を見た。そのままでいいんだ。何をジタバタしているのか。何か,深い慙愧の気持ちがなければとか,お聖教の言葉を知らなければとかが条件のような,そんな勘違いをしていた。

「仏智うたがうつみふかし この心おもいしるならば くゆるこころをむねとして 仏智の不思議をたのむべし」

「無慚無愧のこの身にて まことのこころはなけれども 弥陀の回向の御名なれば 功徳は十方にみちたまう」(御和讃) 南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。

「この私たちのような,一生造悪の凡夫の身で,およそ,仏になれるはずのないあさましい人間が,ひたすら阿弥陀如来をたのんで,後生(迷いの生の最後)おたすけくださいと願うとき,かならずおすくいくださることは,すこしの疑いもありません。」(御文5−6 小松教区発行の現代語訳)    (07.7.1)

6月の掲示板

青い鳥は
 いつか,どこかに,ではない。
 いま,ここに。

「青い鳥症候群」という言葉もある。いまある現在を引き受けられない若者たちに使われるようだ。よく学習会などで,お淨土は,「いつでも」「どこでも」ですよ。そして,「いま」,「ここに」ですよ,と教えられる。ところが,「いつか」,「どこかに」と思う自分がいる。

高雲寺に入寺して,今月末で満2年を迎える。時折,あの時の「今すぐにも入寺したい。」と切羽詰った気分を思い出すことがある。本当に僕は欲が深いというか業が深いなあと思う。当初は,退職後の第二の人生を漠と考えるうちに,得度を受けたいと思いだし,得度を受けたら教師資格が欲しくなり,次いで,どこか空き寺に入寺したいと思うようになっていた。京都に購入したマンションに泊まって,朝早く,御所を散歩した。あちこちのベンチにお年寄りが一人ずつ座っていた。聞こえるのは犬の散歩などの足音だけだった。この静けさは何だろうと思った。そして,同時にこんな老後はイヤだと思い出した。

教師検定試験の面接試験で,思わず「第二の人生で,生き直しをしたい。」と漏らしてしまった。シマッタと思ったが後の祭り。面接官に「甘い。」と一喝され,「一体何をしようとしているのか。」と詰問された。「青い鳥」を追い求めるような僕の心情をなじられたと感じた。それから,このことが僕の課題にもなった。

高雲寺を紹介された,ちょうどその時,匿名の投書が上級官庁に届けられ,調査を受けた。少年院長としての僕の言動を非難するものだった。そして,僕の気持ちは,高雲寺への入寺に急速に傾斜し,円満な定年退職を待てなくなってしまった。部下職員などから「敵前逃亡するんですか。」などと言われた。

「青い鳥」は高雲寺にいたのか。入寺して,今度はこれまでの職歴を誇るような自分の言動が気になりだした。退職したのに,現職時代に「青い鳥」がいたかのように語る。何ということだ。これまでの因業から逃れることは出来ず,いま,あるこのままをシャンと受け止めない。ほとほと欲の深い自分です。

このごろ,自分の我がままで,退職したり,入寺したことを,すべて「お与え」だなあと思うことがある。こんな住職と一緒に歩んでください。     (07.6.1)

5月の掲示板

  志(こころざし)を忘れると
  何も感じなくなるようだ。
  でも 空しさは埋まらない。

 「気にし過ぎ。」とか「気に病むことはない。」と言われたり言ったりすることも多い。イジメの被害に悩む人に言われることも多い。この世の中,気持ちのもちようでラクに渡っていける。そう思う人も多い。でも,そうだろうか。欲張るから,苦しくなる。だったら,欲を少なくすればいい。そりゃあそうかもしれない。でも,欲を捨てられるか。

随分前になるが,はまっていたドラマ『喜びを歌にのせて』で,偽善の代表のような牧師に対して,その妻が「罪なんかない。教会が勝手につくって,懺悔させているのよ。」と毒づく場面があった。敬虔なキリスト者を装う牧師の欺瞞性を突いた言葉で,僕は,自分がええゴエンさんを演じているのかと,ドキッとさせられた。信心なんかいらない。毎日,苦もなく感謝して日暮らしできればそれでいいではないかという人もいる。まったくそうだ。苦がなければ救いを求めることもないと思う。

また現職時代の話で申し訳ないのですが,僕は,熱心で有能な教官を目指し,またヒューマンな心根を持つよい教官たろうと努力してきた。一方で,出世志向を顕わにし,上級機関の評価をことさら気にする人たちを心のどこかであざけり笑っていた。いつも生徒たちのことを評価・分析し,問題にしてきた。そんな中で,自らを嘆き,そこから立ち上がろうとする生徒の姿に触れて,これまで疑問にもしてこなかった自分自身が問題になりだした。かって若いころ,「確かな人生」を求め,悔いのない人生を志向していたはず。それなのに知らぬ間に「価値ある自分」を追い求め,他よりマシな自分であろうとするばかりの自分がいた。いつも正しい方に身を置いて,他を斬り捨てている自分がいた。

確かな人生,自分に偽らぬ人生をと思い直してから,唾棄すべき自分が見えてきた。そんな志を持つから,自分が問題になる。ええゴエンさんを演じていけばいいのに。きっと,それを演じきる度胸も自信もない。そして,その空しさにも耐えられない。

「この夏の初めよりすでに百日のあいだ,かたのごとく安心のおもむき申し候うといえども,誠におもいいれられ候うすがたも,さのみみえたまい候わずおぼえ候う。(略)あさましくおぼえ候う。よくよく,安心の次第,人にあいたずねられ候いて,決定せらるべく候う。」(夏御文) 

この蓮如上人の悲痛なお叱りの言葉を聞いていきたい。       (07.5.1)


4月の掲示板

 「正しい」ということは
  時に
  冷たいんです 

いま,世間中,正しさがあふれている。正義,正論そして見識。そう正しさだけが求められ,それ以外を忌み嫌い,排除する風潮があるのではなかろうか。議論もケンカも,どちらが正しいのかを争う。今月,ある健全育成の団体でおしゃべりを頼まれた。その話題を考えるうちに出てきた言葉だ。

先生は,お話の中でよく「冷たい」「あったかい」という言葉を使われた。最初のうちは,それってどういう意味かと思っていた。何度かお聞きするうちに,そのニュアンスが分かる気がするようになった。

先月,ある会合で,若いお父さんが「強い子どもに育てなければ。」と語られた言葉が気になった。学校にうまく適応できないことをおそれての言葉だったようだ。それって,おかしい。強い子も弱い子もなぜ一緒に生活できないのだろうか。その会合で,「よい子でなければ親に抱きしめられない。」「親にまで仮面を脱ぐことが出来ない。」「親にまでよい子を演じなければならぬのか。」といった趣旨の話をした後で,この発言が飛び込んできた。わが子を「負け組」にしたくないとの切実な親の思いの強さに,タジタジとなった。

そんなことを考えながら,依頼された講演の演題を『健やかさって?』と決めた。健全という言葉のイメージには,健康,元気といったものがある。でも,健全ばかりを追い求めることって,果たして健康だろうか。元気ばかりを追い求める風潮には,違和感を持ってしまう。つらいものを抱える子だって,居場所があっていいはず。先日の小中学校の卒業式。来賓の祝辞に「誇りと自信」を持ってとの言葉も気になった。この言葉って,結構,当たり前のように使われる。他との比較からの「誇り」や「自信」ではないか。「勝ち組」志向がその根っこにあるように思う。

最近,マスコミで「格差社会」という活字を見ることが多い。弱い子,能力に劣る人,嫌らしい性格に悩む人には,生き場所がないのか。

「いし・かわら・つぶてのごとくなるわれらなり」(唯信鈔文意)とおっしゃる聖人のやさしさ,あたたかさを今更のように感じてしまう。そして,「ひとすじに,おろかなるものを,こころえやすからんとて,しるせるなり。」(同)と執筆されたのだ。心をこめて語りかけてくださっている。少しずつでいい。親鸞聖人や蓮如上人のお言葉を聞いていきたい。                       (07.4.1)


3月の掲示板

  倒れることによって
  起ち上がる力をいただく

この言葉は,昨年1月に亡くなった原先生の言葉。

僕なりにいただいていることを書いてみたい。僕たちは普段,倒れたくないと思い,倒れないように頑張っている。そして,心のどこかに,倒れていないことを確認しているような気がする。「ふつう」とか「みんな一緒」という言葉で自分の今ある姿をごまかしているような気がする。先月,「自分が傷つくことをおそれるな。ヒトを傷つけることをおそれたい。」と書いたけれど,そんな思いを持ちながらも,実際は,自分が傷つくのをおそれる気持ちにも気づいていないし,ヒトを傷つけているなんて考えもしない実態なのだ。それどころか,自分は他人が見ているよりもっとマシな人間なのだとどこかで自分を評価している。苦しくなると,もっと頑張らなくちゃあとか,心持ちを前向きに変えなければなどと自ら言い聞かせたりもする。しかし,なかなか前向きにもなれないし,心も晴れないまま,一見明るく振る舞っている自分がいる。

少年院で出会った少年少女たち。泣きながら起ち上がろうとする神々しい姿を何度も見せてもらいました。それは,自分がマシな人間だから起ち上がれたのではない。力があるから起ち上がれたのではない。おぞましい自分。どうしょうもないほど情けない自分に気づき,その嘆きと同時に,これではイカンと起ち上がろうとする。感受性が豊かになって,驚くほど素直になっていく,表情が豊かになる。そして,そんな健気な自分を初めて好きと思えると語ってくれました。

本当は力尽きているのに,まだまだだと踏ん張る。踏ん張っているという意識もない。自分をようやっているとホメながら,どうしてこんなことになったのかと愚痴る自分もいる。「ウソの仮面を脱いだらラクになれました。」と語った少女がいる。実は嘘八百の私を問題にしたことがあったろうか。けれど,そのことに気づく気づかぬ以前に,私の中に起ち上がれとのエネルギーが元々備わっているのではないか。それなのに,自分の力で起ち上がろうとしている。

「すなわち,信心の業識(ごっしき)によって,私たちは迷いをもち,煩悩具足のまま本願の立場に転ぜられて,真実淨土のさとり,つまり涅槃の世界に入らしめられるのであります。」(高原覚正)(07.3.1)

2月の掲示板

自分が傷つくことを おそれるな

ヒトを傷つけることを おそれたい

 ある中学校で中学生に40分程度の話をしてほしいと頼まれた。保護司として依頼されたこともあり,いま問題のイジメについて話したいと,おしゃべりの構想を練るうちに,出てきた言葉だ。少年院に勤務して,生徒たちとの面接の中で,罪の意識というか罪障感のないことに驚いた。「君は,一体なんぼのことをしてきたと思っているんだ。」と怒鳴りたくなることもしばしばだった。そして,イジメや虐待の被害体験を有する生育歴を持っていることにも驚いた。イジメの被害にあうと,自己イメージが悪くなり,自分がこの世に生を受けていることに価値を見出せなくなる。「自分なんか,いない方がいいんだ。」と思ってしまう。そこを生き抜くためには,人としての感じる力をひたすら錆付かせるしかないのだ。そして,一様に「自分のことが嫌い。」という。

そこで,僕が気になりだしたのは,イジメの現場を見ながら「関係ない。」と気にとめない大多数の生徒と学校。いや本当に気づいていないのかもしれない。ヒトを傷つける言動は,学校にも家の中にも,実はあふれている。そこを,一見明るく,何事もないように生きるのは,感じる力を錆付かせ,「よい子」を演じ続けること。演じているとも気づかないで,「よい子」「普通の子」を続けている。実は,心のどこかに「自分が傷つくのをおそれる」気持ちが潜んでいる。だから,傷つかぬように自分を守ることを優先している。一人ぼっちが嫌だから,ひたすら周りに合わせる。結果,ヒトを傷つけていることにも気づかない。最悪は,「無関心」だ。自分を守るために,ヒトを傷つけることを恥じる力を失ってしまっている。

宮沢賢治の有名な『雨ニモマケズ』の末尾。「皆にデクノボーと呼ばれ そういう者に 私はなりたい」この言葉の持つ志の高さに感心した。だが,この言葉を「賢治が,そういう者になりたいけれど,なれない。」という嘆きの言葉です。そう教えられ,ドキッとした。「ヒトを傷つけることを おそれたい」と書いたけれど,自分が傷つくことをおそれているとも思わず,当然ヒトを傷つけていることに気づかない。嘆くことすらない。志も持たない。その方がラクだから。人間の皮をかぶった鉄面皮。

ヒトを叩いたら,相手の何十分の一か自分の手も痛い。でも,今の僕は,その何百分の一の痛みも感じないようになっているのではないか。

「無慚無愧(むざんむき)にて果てぞせん」(親鸞聖人)       (07.2.1)


1月の掲示板

     念仏する心
     気づかなかったことが
     見えてくる

 この言葉は,僕が得度を受けた寺の住職から,3年前にいただいた言葉。お念仏を申せることの感激を語られた言葉といただいた。

 「いかり,はらだち,そねみ,ねたみ」まみれの自分だったなあ,と気づかされたときの感激もそうだったけれど,何も感じなくなり,空しく日常を過ごしていることにすら気づかず,問題ともせず,門徒さん方の笑顔に甘えて,お気楽な自分が照らし出された。先月の掲示板の説明文にも書いたけれど,今年こそ,同行の皆さんと一緒に,念仏のいわれを聞いていきたいと思います。

 少年院に勤務していた時,生徒たちが自らを嘆き,そのことに気づけた喜びを語り,立ち上がろうとする神々しい姿を,何度も見せてもらいました。それを,僕は「ビッグプレゼント」と造語したけど。素直になること,素っ裸になること,自分の本当の気持ちに向き合うことの素晴らしさを教えてもらいました。「ウソの仮面を脱いだらラクになれた。」というすごい言葉にも出会いました。そして,ウソ偽りまみれになりながらも意気揚々と少年院長の肩書きを背負っていた自分を,これでいいのかと問われました。

昨年1月に僕は先生を亡くしました。その代わり,一緒に語り合う,学び合う友が有り難かった。嬉しかった。そして心強かった。「(寺を)心の広場に」とは,僕の出身の寺でよく使われる言葉だ。僕もこの高雲寺を一緒に語り合う,学び合う,心の広場にしたい。そのために,一歩ずつでいい,歩みたい。

蓮如上人は,「仏恩報謝のお念仏」ということを盛んにおっしゃる。「このままでいい,このままがいい。」情けないこんな自分も阿弥陀様からのいただきもの。

「正(しょう)・雑(ぞう)の分別をききわけ,一向一心になりて,信心決定のうえに,仏恩報尽のために念仏申すこころは,おおきに各別なり。」(お文 一帖目初通) (07.1.1)


12月の掲示板

  今年一年間のお育て

  ありがとうございました 

 2006年(平成18年)をふり返って見ますと,本当に特別な1年間だったなあと思います。

 まず,1月には,水上責役(当時)とご一緒して上山し,住職修習を受け,住職の任命を受けました。そして,6月には住職就任式を賑々しく催していただきました。 夏には,キャンピズという学生ボランティアを二度にわたって受け入れ,そのうち1回は地元東浦小学校の児童と流しそうめん大会もいたしました。8月の下旬には,中国シルクロードの旅に行かせていただきました。 10月には住職として初めての報恩講を二日間にわたって厳修させていただきました。 また,お二人のご門徒の葬儀にも会わせていただきました。

 実は,掲示板の法語について,今年1年間は,書物などからの引用でなく自分がその時点でいただいているものを書こうと秘かに決めていました。ですから,ひとりよがりだったり,熟していない言葉の羅列だったりしました。それでも,僕自身の歩みが遅々としている現実から目をそらさないぞという粋がりもあったと思います。

 日ごろ「ゴエンさん」「ゴエンさん」と大事にしていただき,野菜などをいただいたり,何より道で出会う度に笑顔をいただきました。住職となってからの諸行事や法要には,本当に協力していただき,盛り立てていただきました。そうする内に,入寺当初思っていた「果たして認めていただけるか」との不安感がなくなるのと同時に,門徒の皆さんのやさしい眼差しに有頂天になってしまっていました。 仏道を歩むなんて到底言えない,救いを求めてさえいない,毎日を空しく過ごしているのに,それに向き合おうともしない日常があらわになりました。 親鸞聖人の教えに出会った喜びと感謝する報恩講で,皮肉にも「帰る場所を見失っている自分」を照らし出されたのも,その一つ。

 来年も,いや来年こそ親鸞聖人のみ教えを皆さんと一緒に学んでいきたい。

「衆生は煩悩に眼(まなこ)さえられて 見たてまつらざれども,仏は常に眼の前にまします。」
(選択集聞書一)
                        (06.12.1)


11月の掲示板

帰る場所を見失って,ウロウロしている。

 しかも,そのことに気づきもしない。

 報恩講での長谷先生のご法話から,僕なりにいただいた言葉。

不満や愚痴ばかり言っている。しかも,知らぬ間に自分の言葉を正しいことを言っていると思い込んでいる。歳を取ると(いや,歳のせいではない。自分は見識豊かで,これまで指導的立場にあった人間だとの自負心が潜んでいる。),まわりの色んな出来事や問題を批判的に見る,そして口にすることが多い。そして僕は,まわりにこんなに気をつかっているのにとの,愚痴や弁解ばかりではないか。

どうにもならない現実を前に,「あいつが,こうしてくれたら。」「この子がこうだったら。」「もっと若かったら,こんな思いをせんでもいいのに。」と,ヒトのせいにして自分を被害者の立場におく。自分がつらいのは,ヒトのせいだと思い,そして苦しむ。どこかで,自分の思う通りにことが運ばないのを怒る気持ちが巣くっている。

先日,お参りしたある寺の祈祷所で見たお札。「家内安全」「無病息災」この二つのお札が特にすり減っていた。逆に言えば,この二つが充たされず悩む人,あるいはその不安にかられた人々が圧倒的に多いのだ。お札の功徳をひたすら信じようと努める人。僕はその悩みに寄り添うことも出来ないし,向き合うことも出来ない。「抜苦与楽」といわれているけれど,目先の悩みにふりまわされて,帰る場所を見失っている自分。目の前のつらさに心を奪われて,そこから逃れることばかり考えている。

別の先生から聞いたお話。前住が亡くなる直前の言葉として,紹介された。「念仏を申すこともできず,仏法を聞くことも出来なくなっては,生きている甲斐がない。」切々と語られた。帰る場所を見失っている自分が照らし出され,ドキッとした。

 「考えてみれば,私たちの迷い悲しむ心は,そのまま内に救いを求める心でありましょう。 その心は,そのまま仏を求める心であり,仏を念ずる心です。 しかし,すでに仏が内にあって念じて下さっているからこそ,仏を念じる心が生まれるのです。」(原覚正)                                    (06.11.1)

10月の掲示板

   この情けない気持ちも,

   実は 仏様からの いただきもの。

随分前のことだ。ある友人から僕のブログを評して,「あなたは,自分で気づいたと思っているでしょう。」と指摘された。その時は,どういう意味か?と思って聞き流していた。

 シルクロードを旅して,仏道を歩む者とは到底言えない,情けない自分が照らし出された。 ガイドさんから聞いた話。ある宗派の坊さんたちが,カラオケに同席したコンパニオンを自室に「お持ち帰り」した,という。シルクロードを旅して,一体,日本の坊さんたちは,何をしている。恥知らず,と憤慨した。 しかし,自分はどうだったのだ。毎食のように酒を飲み,ウイグル美人を目で追い,仏像さえ自分の好みにあった美人を探す。ガイドさんに言われなかったら,僕も自室への「お持ち帰り」もしたかもしれないのだ。

 玄奘(げんしょう)三蔵のご苦労を思いながらも,あまりにもかけ離れた贅沢な旅。僧侶の団体旅行なのだけれど,恥ずかしくって,情けない。だから,仏像を破壊し,壁画に粘土を塗りつぶしたイスラム教のウイグル族や文化大革命をなじる気分は少しも出なかった。 貨幣価値の違いもあって,札びらで観光客相手の商人のホッペをたたくようなこともした。

 その情けない自分の姿が照らし出されたことで,なぜかホッとした。 入寺してから,みなさんに「ゴエンさん,ゴエンさん」と呼ばれ,いつしか,とりすました自分を演じていたのではないか。約1年前,「エロ坊主」と言われたことがある。その時は激怒した。でも,今だったら,「はい。そのとおり。」と笑顔を返すことができそうだ。

 仏心(本願)は衆生の生活のあらゆる面を離れないのです。ということは,我われは,いつ・どこでも仏に出会い,本願の声を聞くことができるということです。

(高原覚正)                                          (06.10.1)


9月の掲示

 「仏に出会う」って

 仏の悲しみを身に感じることでも あるんだ。

8月21日から8日間,中国の西域,シルクロードの旅をさせていただいた。仏教東進の歴史の現場を見て,玄奘(げんしょう)三蔵の足跡を追う旅と,漠と考えていた。

 とんでもない。ラクダや徒歩で歩かれたところを,飛行機やバスを乗り継いで,それでも,「遠いなあ」を連発し,それぞれの地での一流ホテルに泊まり,「ビールは冷えてなきゃ」の一言で,毎食のように現地ガイドが冷えたビールを探し回る。出てきた食事を「これはうまい。まずい。」と品定めに終始する。民族舞踊を鑑賞しながら自分の好みに合った女性はどれかと探し,市中での自分の目線はウィグル美人を追う。

 敦煌の莫高窟は素晴らしかった。5世紀から15世紀まで1,000年もの間制作しつづけられた仏様たち。さすが世界遺産に登録されるだけのことはある。保存状態もいい。翌日の愉(ゆ)林窟もよかった。少し残念だったのは,いい所はみな別料金だったことか。 これらの仏様を鑑賞しながら,自分の好みに合った仏様を探すようになっていた。こちらの方がいい。いや,この仏様の方が美人と。

 その次の日,ベゼクリク千仏堂に行って,浮ついていた自分の気分がふっとんでしまった。どの仏様も,目はくり抜かれ,あるいは顔が削り取られ,あったと思われる塑像が破壊されてしまっているではないか。手の届かぬ天井などの壁画には,粘土が投げつけられ,説明によれば,何年もかけて破壊されたという。

 莫高窟などの仏教遺跡を見ると,単に信仰の表現というだけでなく,後世の僕たちに伝えようとのメッセージを感じ取ることが出来た。ベゼクリク千仏堂も,きっとそうだったに違いない。無惨というほかない。偶像崇拝と嫌うイスラム教のウィグル族たちの仕業という。皮肉なのは,現在,このベゼクリク千仏堂を管理しているのが,そのウィグル族の末裔なのだ。民族衣装を着た女性もいた。この女性の写真を撮るには何元か支払らわねばならない。海外に持ち出された仏画の写真が,該当の窟に掲げられていた。その額縁が傾いている上に,額縁の中の仏画も斜めになっている。大切に思っていない人たちが管理していることは一目瞭然。悲しくなってしまった。けれど,ウィグル族をなじる感情は沸いてこなかった。 好みの仏像を選んで選んでいる自分。傷つけられた仏像の声を聞かねばと思った。

 仏に出会うといいますが,仏は「色もましまさず,形もましまさず」であって,見ることもできず,手にふれることもできません。では,仏に出会うということはどういうことかといえば,本願の声を聞くということです。阿弥陀と名づけられる仏は,形をあらわすときは,名告りの声となって我われに呼びかけられます。(高原覚正)           (06.9.1) 

8月の掲示

 鏡の中の自分を 自分と思いたくない。

 でも まぎれもない 今の私が そこにいる。

鏡をのぞくと,変なジジイが映る。だから昔から鏡が嫌いだった。

5年前,教師(住職になれる資格)を取得するために教師検定を受けた。最終の検定が面接試験だった。「なぜ得度したり,教師資格を取得しようとしたのか」との質問。予想された質問だったから,「親鸞聖人の教えを門徒さんと共有したい。」などと答えるツモリだった。が,しかし,口に出たのは,「第二の人生で,生き直しをしたい。」だった。シマッタと思ったが後のまつり。面接官から「甘い。」と冷笑され,クドクドと説示された。「生き直し」という言葉の裏には,今の人生を引き受けていない自分を吐露してしまったのだ。

縁あって,ここ高雲寺に念願かない入寺させていただいた。僧となって,知らないことばかりだから,特に,声明作法を覚えることに懸命になった。寺に住まわせていただく生活を始めて,お内陣などの掃除もさせていただくようになるうちに,そのことだけで仏道を歩んでいるような気分になっている。「ええゴエンさん」に一日も早くなろうとしている。そして,そう振舞うことで,自分の中に「魔物」みたいなものが住みつく。いつかは,と思う自分がいる。

鏡に映るジジイの実態は,どうなのか。こんなんじゃダメだと思うのは,それは勉強したり修養をつんで何とかエエもんになれると思っているからではないか。

今ある自分のすべてが,阿弥陀仏からいただいたもの。どうしょうもない情けない僕を,そのまましかないやろと言ってくださっているではないか。すでに本願は僕のところにまで届いているのに。すでに抱きしめられているのに。

「自己とは他なし,・・・此の眼前の境遇に落在せるもの,即ち是なり。」(清沢満之)

「仏心(本願)は衆生の生活のあらゆる面を離れないのです。ということは,我われは,いつ・どこでも仏に出会い,本願の声を聞くことができるということです。」(高原覚正)

こんな私に仏の悲願はすでに届いていたのだ。     (06.8.1)


7月の掲示

   「嘆きがないのに 救いなんかない。」

少し前,ある法座で,救いを求めようともしていない自分といった趣旨の感話をした。入寺して1年たったこと。真宗寺院とはどうあるべきか,そして現実はどうなのか,これでいいのかなどとも話をした。そしたら,その後の法話で,「真宗寺院は在家止住です。」と言われ,また,後世者ぶり(悟ったふり)と評された。なぜ,そう評されたのか分からない。

門徒さんに大事にされ,寺の生活にも少しずつ慣れ,生活のリズムみたいなものも出来てきた。調子づいているのかもしれない。そんなお気楽な雰囲気の中で,今の自分は「救いを求めようともしていない。」と口にしてしまったからか。数日後,あるお寺でお酒を飲みながら,こんな話をしていた。しばらくして後,「嘆きなくして救済なんてありえない。」と厳しい口調で諭された。そうか。こんなんでいいかとどこかで自分を甘やかし,肯定してあぐらをかいていたのだ。

ちょうど1年前,入寺して最初に掲げたのは「慙愧なくして歓喜なし」だった。あのころは毎日モーツアルトのレクイエムを聴いていた。そんな心情だったのだ。感受性豊かな少年院の生徒たちが,自らを嘆き,立ち上がろうとする神々しい姿を見せてもらいました。感じる力を回復すると,ほんのささいな親切ややさしさが宝石のように輝きを増すことを教えられた。

ところが最近の僕はどうだ。何の嘆きもないどころか,感動したり,我が折れることもなくなっている。門徒さんの中には淋しい思いやつらい思いを抱えている人もいらっしゃるに違いないのだけれど,不感症となって毎日まいにち,ぬるま湯に浸かった日を過ごしている。

しかし,そんな僕に 「聞かざるもの,称えざるものを,聞きつ称えしものに成就したもう・・即ち称名なり。」(略本私考)と教えられた。

 仏の悲願はこんなナマクラな僕にまで届いているのか。



住職就任式 敬白文

  阿弥陀仏の御尊前に、謹んで申し上げます。 本日ここに 私は、真宗大谷派 船場山 高雲寺 第二十六代住職に就任することになりました。

 ここ高雲寺が真宗寺院として出発したのは約五三〇年前(1475)、蓮如上人がこの地に立ち寄られたことに始まると伝えられております。当寺の記録によれば、住職(蓮如上人の)「説教蒙り帰依し 御弟子となり 名を 道春と賜り 六字の名号を御染筆下され」とあります。 その折に蓮如上人から下付されたといわれる六字名号の御真筆が今日まで高雲寺に伝わっております。本日、お内陣の余間に掛けさせていただいた六字名号がそれであります。

 お文には「南無阿弥陀仏の六字のすがたは すなわちわれら一切衆生の 平等にたすかりつるがすがたなりとしらるるなり されば他力の信心のうるというも これ、しかしながら、南無阿弥陀仏の六字のこころなり このゆえに一切の聖教というも ただ南無阿弥陀仏の六字を 信ぜしめんがためなりというこころなりとおもうべきものなり」とあります。

 当寺開基に名号を下付された蓮如上人の願いかけ、そして守り伝えてきた歴代の住職始め門徒の方々の願いかけは、南無阿弥陀仏の六字名号のいわれを聞けとの呼びかけと深く感じられるのであります。

 高雲寺住職に就任させていただくのは、単にこの寺に住まわせていただくことではなく、門徒さんとともに仏法を伝持することであります。 これこそ高雲寺住職となった私の責務と感じております。

平成18年6月4日            釋 了勝 敬って申し上げます。

5月の掲示       

「淋しくない人なんて どこにもいない。
でも,一緒に歩む友がいれば, それと向き合うことができる。」

 「一人」がつらいのではない。「一人ぼっち」がつらいのだ。現職時代,沢山の生徒や職員に囲まれて,自分の思いを実現しようと言葉を尽くし語ったが,もっともっと,という思いに縛られ孤立感に悩まされた。それがイヤで人を集めて酒を飲んだのだろう。気の合う者同士が集まって,耳に心地よい話ばかりしていた。それを殊更,正しいと思い込み,のけ者を作っていたことにすら気づかなかったのだ。

 少年院の生徒たちは正直だった。一人になるのを極度に嫌い,定期的な内省のために単独室に行くのすら,言い渡されるたびに泣いた。過密な集団生活でストレスや仲違いもあるのに,一人になるのを嫌がった。家族や学校の仲間に疎外され続けてきた。だから仲間を求め,不良といわれる仲間とたむろしていた。でも淋しさを紛らすことは出来ても,満たされることはなかったはず。そして仲間外れにされることを極度におそれ,仲間外れにされないためだったら何でもやる。 
それが,少年院で一緒に生活するうちに,寮生を一緒に励まし合う仲間と思うようになる。ある生徒の「みんなの良い所に触れて過ごせたから,私は変われた。」との感謝の言葉を忘れることが出来ない。それは,たむろしていたこれまでの仲間とは異質の仲間だったのです。
 「少年院に入ってよかったことは,自分に向き合うことが出来たからです。」と語ってくれた生徒。それは,自分ひとりの作業かもしれない。でも,一緒に闘う先生と仲間がいるのです。そのことが有難く,初めて人のやさしさが分かる時でもある。ひたむきに自分に向き合う生徒たちに教えてもらったこと。歩み続ける人には,友が与えられる,そんな気持ちにさせてくれた。

 家族に囲まれながらも孤独感に悩む人もあるかもしれない。この横浜には,一人暮らしの老人が多い。淋しくないはずはない。でも,みな元気に農作業にいそしむ。一人だけれど,それだけに人と人のつながりを大切にする人たち。こういうばあちゃんたちに,支えられ学んで生きていきたい。(06.5.1)


4月の掲示

「人の痛みは 分からんもんや」

 痛みだけではない,悲しみも苦しみも。それだけじゃない,人の喜びがねたましく思えるときすらある。当たり前のことのように思えるが,この言葉を聞いたときは,親しい人の痛みが分からないという嘆きに聞こえた。分かりたいけど分からないといううめき声にも聞こえた。親しい人,愛する人だったらなおさら,分かりたいと思う。でも,本人ほどには分かろうハズもない。

 転んで擦り傷をつくって「痛いよう。」と泣く子の手をもって,「痛くない,痛くない。」と叱るような口調で言いくるめている母親を見たことがある。泣くのを止めさせようとしているのだろうか。でも,「イタイのイタイの飛んでけ。」と言って抱きしめてくれるお母さんが好き。末っ子の僕の甘えか。

 女子少年院で出会った少女たち。「先生は分かってくれない。」と泣く彼女たちを何度も見た。「分かっている。知っている。」と返しても応えにはならない。どうも,認めてほしい,受け入れてほしいといったニュアンスに近い叫びだった。そのためにはリストカットもするし規律違反もする。抱きしめてほしいという痛切な思いにタジタジとなった。

 昔は,それぞれの悲しみや喜びといったものを共有する場として,少しは寺がその役割を果たしてきた。今,悲しみや苦しみを吐露できる場所がどこにある。いや,苦しみや悲しみと向き合う人がどこにいる。ひたすら先生に疑問をぶっつけていたあのころの僕はどこにいる。 

 門徒さんには,脚を痛めた人が多い。畑仕事を重ねて歳をとるとまず脚にくる。そんな人に会うと,あいさつするに言葉に困る。病気や老後への不安に悩む人がいる。病気の親を看病しながらも,何事もないように黙々と働く人がいる。皆それぞれ抱えるものは違うけれど一緒に歩めたらいい。(06.4.1)



3月の掲示

「よい子を演じ続けた私の仮面が はがれて ラクになれた」

 ある総代さんから,掲示板の言葉について注文が出た。通学する児童生徒の心に響くものを掲げよと。

 この注文って,結構難しい。教育の現場にいたときは,生徒の心情やそれに向かい合う自分が課題になっていたから,まだ書けたと思う。今は,専ら門徒さん方との付き合いのまっただ中。通学路を通る児童生徒との共通の広場を持っていないのだ。

 掲示の言葉は,基本的には自分が今いただいたものを,ほとんどそのまま掲示している。自分の心情をそのまま発表をしているからだ。

 そこで,2月のある日,地元の小中学校の教職員研修で紹介したある少女の言葉を書くことにした。
 「よい子に見られようと,外側ばかりを作り,“優等生”を演じていたのです。でも担任の先生の面接を重ねていくうちに,人前で泣くことのできなかった私が,素直に泣けるようになりました。その涙は,長い間私の内側につもったゴミが洗い流されていくようで,私にはとても嬉しく感じました。人からどう見られるのかを無意識に気にし,化粧でかくすようにどんどん自分の感情をとじこめていた。でも,素直に吐き出す場所がやっと見つかったのです。(中略)ウソの仮面をぬぐことができたらラクになれた。素直な自分を出すことで,きっと何かが変わる。」

 ガンコでエリート意識の強い僕は,こういう生徒に出会って,初めて「こんなんでいいのか。」と問いをもらいました。仮面を脱ぐことができた喜びと同時に,キット何かが変わるという強い言葉が僕の師匠なのです。 「ええゴエンさんが来てくれた。」と言われるのは嬉しい。でも,それは僕にとって,とてもとてもあぶない言葉なのです。(2006.3.1)

2月の掲示

師を亡くして 初めて 背きつづけてきた自分に 気づく

1月5日に得度を受けた寺の老僧が亡くなった。僕がまだ大学生だったころに始めてお会いして,それから40年間お育てをいただいた。葬儀の前後は,これまでのお育てに感謝の念で一杯だった。

近ごろ,「お育て」いただきながら,少しも育っていない自分が情けなくなりだした。確かに,得度を受け,住職という肩書きこそもらえたが,あのころとどう違うのだろう。むしろ懸命に先生のお話を聞いていた,あのころの熱はどこかに行ってしまっている。

少年院に就職して,いい職員,立派な業績ばかりを追い求め,生徒たちを教育の対象,調査鑑別の対象として,分析や評価の対象物としていた。そんな自分は,たまに,彦根の求道会に出ても,後ろの方に身を隠すように座っていた。叱られるのも恐かった。

途中,20年間は,寺にも行かなくなっていた。そんな時,時折,電話やハガキを頂戴した。「どうしていますか?ちょっと原稿書いてくださいませんか。」などと。13回も転勤し,その度に住所も電話番号も変わるのに,必ず新しい住所に連絡が入った。顔を会わすたびに,曽我先生を読みなさい,と言われた。その度に「はい。」と返事しながら,いまだに,ほとんど読んでいない。

いっぱい願い掛けをし続けてくださった先生に,少しも応えられていないではないか。


「初めて」

1月の掲示

「初めて」と声を上げた感激。

何事も初事というけれど,初事の実感あるか。

 「こんなこと初めて。」「初めて出来た。」あの素直な喜びを忘れてはいまいか。なにもかもが当たり前になって,驚きを忘れてしまった私がいる。自分の立てた段取りや予定がくるうことを恐れ,思いどおりに事を運ぶことばかり考える。昨年,「想定内(外)」という言葉がはやったが,理知や理性だけで対処すると,驚きや感激を薄めてしまわないか。

交野女子学院の生徒「こんなに素直になれたのは初めて」と。素直な自分に戻れたことが,こんなにも感激だったとは。素直な自分に出会うときと,素直でなかった自分に気づくことは同時。金沢の大好きな先生に教えられた(あるおばあちゃんの)言葉「思いどおりに ならざることを 喜ばん。」

 ところが,「かかるあさましき一生造悪の凡夫(『お文』5帖6通)」が私のことなんて思いもよらない自分がいる。もがこうともしていない自分がいる。救いを求めようとさえしていない。新年,私のすべきことは,ただ一つ。(2006.1.1)

感じる力

12月の掲示
「感じる力をとり戻すと 人を傷つけてきた 自分に気づく」

 今の自分が人として感じる力を失っているなんて考えもしない。でも知らず知らずガンコになり,我がままになっている。そして,そのことに気づくこともない。
 またまた女子少年院の少女に教えられた話。
 その生徒は部屋の中でいさかいとなり,相手の子に「てめえ死ね。」と言われた。そのひどい言葉に傷ついて,泣きながら気づいたという。かって自分も暴走族やっていたとき「テメエ死ね。」などという言葉は日常語だった。それがこんなに人を傷つける言葉だったということすら考えもしなかったという。そして,母親に「あんたなんか親じゃない。」と怒鳴ったことも同時に思い出した,と語ってくれた。
 いい人でありたいし,いい人と言われたい。人に褒められると気持ちがいい。また褒められたいとがんばる。そうするうちに,そのこだわりが自分の感受性を曇らせる。

話が聞ける

11月の庫裏の掲示

「自分のことが嫌いな人は,人の話が聞けない。人の話が聞けるとき,自分のことを好きに思える。」

 これは,交野女子学院生徒の言葉。少年院に入ってしばらくの間は,誰の言葉もシラケて聞こえた。特に先生の話は,「何にゆってんねん。」と心の中で反発ばかりしていた。聞いたふりしているだけで,「早く終われ。」とばかり思っていたという。

 それがある時期から,先生の話を,成る程と思えるようになり,もっともっと聞きたいと思うようになったという。毎週の講話の時間や,夜の集会の時間がとても楽しみになった。先生に「もっと話をしてください。」と思わず言ったとき,なぜかとっても嬉しかったと,語ってくれた。その時の神々しいまでの笑顔を忘れない。

 インチョウセンセイと呼ばれ,生徒や職員におしゃべりするのが大好きだった。そして,今も講演やお説教大好き人間。そして,人の話を素直に聞くことが出来ない。批評や批判ばかりしている。

 先生の言葉に自分の我が折れ,わが身が問われたときの感激を忘れ切っていることを,生徒に教えられる。あの頃は,聴聞が喜びだった。それが,知らぬ間に,自分が語ることばかりに夢中になっている。(2005.11.1)

表白

  阿弥陀仏の御尊前に、謹んで申し上げます。
本日ここに 私は、真宗大谷派 船場山 高雲寺に後継者として入寺することになりました。
 ここ高雲寺が真宗寺院として出発したのは約530年前、蓮如上人がこの地に立ち寄られたことに始まると伝えられております。当寺の記録によれば、住職(蓮如上人の)「説教蒙り帰依し御弟子となり名を道春と賜り転宗す」とあります。 
宗祖親鸞聖人は、法然上人との出会いを
「然るに愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す」と記され、 「曠劫多生のあいだにも 出離の強縁しらざりき 本師源空いまさずは このたびむなしくすぎなまし」と感激をもって詠われております。
高雲寺開基が蓮如上人に出会われた時も同様ではなかったかと思われるのであります。真実の教えに出会い、聞法の道場として息づくことこそが開基の切なる願いに違いないと、感じるのであります。 この度、勝縁に恵まれ、この伝統ある高雲寺に入寺することが出来ました。私自身がこの場で御信心をいただくことがまずもって求められております。そして門徒の皆さんとその喜びを共有できればこんな幸せはありません。 法義相続、それは高雲寺が念仏の道場として機能することにほかなりません。それこそ高雲寺の衆徒となった私の責務と存じます。

平成17年10月30日
        釋 了勝 敬って申し上げます。


やさしさ

 10月の庫裏の掲示。

「わが身に嘆きを抱えると 人の優しさが分かる。」

 少年院で出会った生徒たち。どうしてこんなにも優しいのかと感ずること再三だった。 「地球にやさしい」などという言葉もあるが,僕だけかもしれないが,「やさしい」と言う言葉の持つニュアンスとして,強いものから弱いものへ,健常者から障がい者へのメッセージのような感じがある。「うちの子は年寄りにやさしくて嬉しい。」などと。 でも,違うことに気付いた。強者から弱者への言動とすれば,その背景に同情とかあわれみがあることとなる。「同情するなら金おくれ」だ。 15年ほど前に出版された星野富広の詩画集のタイトルを思い出した。「限りなくやさしい日々」。彼の「やさしさ」は,明らかに強者のそれではない。今ごろになって気付いた。

 枚方で出会ったある校長先生。引きこもりの息子さんを悩み,ある日,自分が教員,校長をしていることで息子さんにいらぬプレシャーをかけてきたことに気付き,スマンと思えたときから,人にやさしく出来ること,されることがこんなにも素晴らしいものだったと初めて分かったと,涙ながらに語られたことを昨日のことのように思い出される。 健常者(何という嫌な言葉だ)。正しい者,強い者が,人に優しくしたり優しくされるのは気分のいいものだ。ボランティア病などという言葉も聞いたことがある。

でも,情けない自分,ひどい自分に気付けた時に出会う「やさしさ」は,その何千倍のものだ。僕はそれをビッグプレゼントと呼んでいるのだけれど。 自分は正しいと我を張っているとき,人を批判したりけなしているとき,「やさしさ」の感動を忘れる。病んでいると人の優しい言葉に胸が一杯になることがある。キリスト教で「弱き時こそ」とか「貧しき者」というようだ。蓮如のお文にある「いたずらもの」の実感が問われている。(2005.10.1)


よい子

 9月の庫裏の掲示。「よい子しか抱きしめられないとしたら,私はいつ抱きしめられる。」とした。

 少年院で出会った生徒たち。入院当初は,よい子を演じて受け入れられようとする。よい子ぶって担任の先生に好きになってもらおうとする。それが強迫的に身についているとしか思えなかった。

でも,少年院では自分に向き合う作業することが課題。自分に向き合う作業は,自分の特長や能力を発見する作業ではほとんどない。人を傷つけ自分自身をも傷つけてきたひどい自分に出会う作業なのだ。ひどいエゲツナイ自分を嘆き,涙する。そして,そこから立ち上がろうとする神々しい姿に何度も出会った。

 そんな時,それに引きかえ僕は,「いい院長,素晴らしい院長」と言われないと気がすまない。それに苦しんだ。ある人に「役人の言動には,自分を守ることと,自分を売り出すことのどちらかしかない。」と言われドキッとしたことを思い出す。

 ひどい自分エゲツナイ自分に気付けたときの感激を教えてもらったのも少年院生徒たちだった。(2005.9.1)


お母さん

「お母さんの顔が見たくなった お母さんの顔をとおりぬけると 本当のことがわかるように思えてならない」

 8月はお盆の月。だから,この八木重吉の詩を選んだ。

 僕の母は,20数年前,77歳で亡くなった。ずいぶん厳しい人だった。よく母の前で正座して叱られたことを思い出す。

 だが,一番は,母に抱きしめられ,息苦しさの中で母の体温が頬を伝ってくる,なんとも言いがたい甘酸っぱさだ。その時,なぜだか「ゴメンナサイ」と泣いて謝っているのも同時に思い出す。今は,つつみ隠さず,母に謝ることができた時の心地よさをついつい忘れてしまっている。
 反発ばかりして,親の期待に添えなかった僕。亡くなって20数年。母親が僕に一杯願いかけをしてくれていたことが,今になって感じられる。

 交野女子学院の生徒たちを思い出す。母親の気に入る娘ではないという重荷を背負い,傷つきながらも立ち上がろうとする健気な姿を見せてもらいました。母親にだけは本当のことを分かってもらいたいと嘆きつつも,母親にだけは知られたくないとも語ってくれた彼女たち。

 亡き人の願いかけを聞くのが,盂蘭盆会法要と思う。(2005.8)

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