雑文集1


 生徒たちから学んだ日々

交野女子学院長  菅原 

 私は、この4月に還暦を迎えました。少年院の教官を36年。最後の年をここ交野女子学院で迎えています。

振り返ってみますと、暴力団に関わっている少年たちが、いわゆるインフォーマルグループを作って幅をきかせ、真面目になろうとする少年たちが小さくなっていた時代。こういったボスが怖くて、ついつい指導に手心を加えてしまう情けない教官でした。最初はまさにボス退治が少年院教育の課題でした。

ひん発する逃走事故に振り回され、職員の指示や指導が生徒に届かないことを悩んだ時代もありました。意欲をなくしてしまう職員と酌み交わし、生徒たちには負けないぞと怪気炎を上げたときもありました。

生徒集団を健全で更生的風土にすることがまず大切との教育実践が各少年院で試みられ、集会指導を中心に、役割活動、核づくりなどに夢中になりました。カウンセリング、内観なども学びました。

一〇年目で幹部職員になってしまった私には、何にもまして、職員間の意識の不一致が、最大の悩みでした。教育の仕事は、それぞれの人間観や信条と深く関わっています。私が教育者意識過剰となって頑張れば頑張るほど、一般職員との間に溝が生まれてしまうのです。

ここ数年は、「生徒に向き合うこと」「共感すること」「寄り添うこと」といったことを再三、職員にお願いし、それが少年院教育の眼目だとさえ思っていました。

自分に向き合う作業をひたむきにして、ひどい自分になげき、泣きながら立ち上がろうとする生徒の涙を何度も見させてもらいました。この「泣きながら立ち上がる」生徒の姿の神々しさに胸が熱くなります。

それにひきかえ、私は「いい院長、すばらしい院長、院長大好き」とほめられないと気がすみません。

ここ交野の冬の体育は、持久走を取り入れています。そして毎月末に、その記録会を催しています。何組かに分かれ、全生徒が3キロの記録に挑みます。

何十人もの職員も一緒に走ってくれました。自分の記録を更新したいとする若い職員。問題児と目されている生徒に伴走する職員。ある職員は、持久走が苦手な生徒に声をかけ続けながら走りました。何人かの生徒は泣きながら走りました。いつも担任に反発ばかりしていたある生徒は、担任の伴走に顔をゆがめながら「ウワー」と叫び声を上げゴールしました。ほとんどの生徒が自分の記録を更新しました。走り終えた後の素敵な笑顔を忘れません。

こういった生徒や職員の健気な姿に出会うことのできた私は本当に幸せ者です。

菅原流になじめなかった職員には、ずいぶんつらい思いをさせたと思っています。  (2005.3)


これではいかん

菅原  了勝

  西覚寺の衆徒として得度を受けてから二度目の正月を迎えます。この間、ご住職のご好意で報恩講等の法要に、何度か法衣を着けて勤行のお手伝いをさせていただいていますが、当然とは言え、なかなか板につきません。

  僕は、二〇歳代で西覚寺へのご縁をいただきながら、久しく聞法を忘れ、役人稼業や日常生活の中に埋もれて、無為に過ごしていたような気がします。「これではいかん」と思い知らされたのは、長野県にある有明高原寮という少年院に勤務した時でした。

 着任して間もない日でした。仮退院を明日に控えた少年との面接で、「少年院に入って一番よかったのは、自分に向き合うことができたことです。○○先生の指導を受けられたことです。」と、涙で顔をクシャクシャにしながら語ってくれたA君に胸打たれました。そして、僕は五〇歳を過ぎていると言うのに、一体何をしているのだと叱られたような気持ちになりました。以下は、そのA君のことばです。

  「僕は、有明高原寮での生活を通して、まず、自分はどういう人間で、どんな所が弱くて、悪い癖は何なのか、ということを本当に深く思い知りました。このままでは、大変なことになってしまう。こう思って、自分をじっくり見つめました。けれど、思っていたほど簡単なことではなく、すぐに目をそらし、都合のいい結果ばかりを求めていました。でも、それを許さない○○先生の指導がありました。今、思えば、その指導から逃げなくなってからが、僕にとっての転機でした。
  恥をかくのを恐れ、格好ばかりを気にする。こんなに自分が情けない人間だとは思っていなく、ショックでした。自分を知ったときから、だんだん、素直になれました。肩の力を抜いて生きることがこんなにも良いものだとは、全く考えもしませんでした。」(2002.11)

感じる力をとり戻す

菅原 

最近、非行少年に「罪障感が希薄」との指摘がよく話題になり、罪を犯したのに、反省がない、罪の意識がないとよく言われます。

自分の事件をまるで他人事のように説明する口調に、思わず声を荒げて「君は、一体なんぼのことをしてしまったのか分かっているのか。」と怒鳴りたくなってしまうこともあります。被害者が重傷を負った事件について「もう二度とあんなことしませんよ。」との軽い調子の返答が気になります。一人一人は、一見さわやかでオシャレな、そして若干気弱な印象を受ける少年が目立ちます。人として痛みを感じるアンテナだけが錆び付いているような気がします。

そして、一方で少年院等の教育内容について、被害者感情に配慮した指導とか被害者の立場に立った教育プログラムなどとも言われています。 しょく罪指導などという言葉もあります。

そういう中で、私自身の法務教官としての生き様が問われているような気がします。

情緒的であったり、感情的な言動を理性的でない、未熟さの表れと評されることも多いのですが、感じない、動じないということをもって成熟した人と言えるだろうか。

あるオヤジ狩りをした少年について「電車で率先して席を譲る少年が、実は先頭だって被害者に棍棒を振り回していた。」とのレポートを読んだことがあります。イジメの加害者は「あれは冗談ですよ。」と言い、被害者がどんなに傷ついているかに思いをめぐらす節がない事例もあります。

こういう少年たちに、懇々と非を諭し、誤りを指摘する。それによって、自らの過ちに気付き反省の弁を語る少年もあります。でも、この反省や後悔の念がもう一つ伝わらない、もどかしさを感じることもあります。

  長野県の有明高原寮という少年院で出会ったある少年の作文を思い出します。

自らの非行の事実を次々とつづり、被害者の方々へのつらい思いを書き連ねた後、『でも、このことに気付けて本当によかったです。』との一行を目にした時の感激を忘れることが出来ません。

よく、自分の犯した犯罪の反省をすると、こんなひどい人間だったのかと気付いて、生きる値打ちがないと自暴自棄になると危惧する人たちがいます。

そうでしょうか、自分に向き合い、なんてひどい自分だと自覚できたときは、実は、大変な感激の日であるということを教えてもらいました。

堅くて石のように感じることのなくなってしまっていた自分の心が、ゆらぐとき、初めて自分自身に向き合うことができた喜びではないでしょうか。

むろん、ありのままを受け入れてくれる大人の存在や、どんな自分でも抱きしめてもらえるとの安心感がその前提となるのでしょうが。


  なみだ(中学卒業生に贈る)

「変わろうなんて思っていなかったし、絶対変われないと思っていた。」これは、仮退院前に、多くの生徒が入院当初の自分を振りかえって語る言葉です。

少年院へ希望して入った生徒は一人もいない。入院当初は、表面上は「ハイ、ハイ、分かりました。」と返事をしていても、心の中は、そうではなかった。

それが、いつの間にか学習や体育に懸命に取り組んだり、真剣に生活をしている自分に気づくようになる。ちょっぴり勉強する楽しみも知る。僕は、それを「交野マジック」と呼んでいるのだけれど。

僕は、君たちの「なみだ」を見るたび、ドキドキします。色んな「なみだ」があることを知りました。くやし涙、思いどおりにならないときの怒りの涙など。でも、交野にきて初めて体験した「なみだ」を知っている。

愛に傷つき、愛に飢えた者は、素直になれない、心を開くことができない。もうこれ以上傷つきたくないから、人を愛せないし、自分をも好きになれない。

そんな自分を認め、嘆きの中から、自分を変えようとする時の「なみだ」ほど素敵な「なみだ」はないように思います。そんな泣き顔に何度も出会った僕は幸せ者です。

中学卒業おめでとう。中学校の先生方、お父さんお母さんをお迎えして、今日、発表した「卒業の決意」を忘れないでください。

平成17年3月17日  交野女子学院長  菅原 

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