とうふの話あれこれ その4
ガンモドキ(飛龍頭)
昔は、江戸(東京)ではがんもどき、上方(京阪)では飛龍頭と言ったそうです。
何故ガンモドキと呼ばれるようになったかについては、3つの説があります。
@雁の味に似ているので、この名が付いたと言われています。
「雁もどき我を見捨て飛びゆきぬ とうふに羽のなきぞうれしき」という狂歌があります。
将軍家の元旦の祝宴には、鶴の肉のあつ物や、雁のたたき肉は欠かせないものだったと言われています。
庶民もこのような上流社会に倣って、雁のたたきをとうふで形をまねて「雁もどき」という名をつけたといいます。
また鶴の方も「鶴もどき」というのがあります。
こちらもいりどうふを使って油で揚げたものだったようです。
Aがんもどきの中のキクラゲの代わりに、安い糸昆布を使ったところ、円盤状の表面に糸昆布が現れて、その様子が雁が列を組んで飛ぶのに似ていたそうです。
そこで、円盤を満月に見立て、「雁もどき」と言ったそうです。
Bガンは「丸」で団子という意味です。丸いものの模倣品ということで「雁もどき」と言うようになったそうです。
ここで、ガンモドキに関しての、面白い小話をひとつ。
昔土佐の潮江にある真如寺へひとりの行脚僧がきて、和尚に面会を求めたが、不在で
あった。
ところが、ちょうど隣のとうふ屋のオヤジが留守番をしていた。
行脚僧はオヤジを和尚だと思って、突然無言の問答を始めた。
まず両手の人差し指と親指で、輪を作って見せた。
すると、とうふ屋のオヤジは指を3本出して見せた。
今度は、この僧が指を2本出した。
れで、今度はオヤジは指で片眼の下を押した。
これを見た僧は、さも恐縮したような顔をして、急に一礼して去ってしまった。
行脚僧はその後、会う人ごとに真如寺の和尚は大知識のある名人僧であると、その智徳を讃えた。
その理由を聞くと、「わしが指で輪を作って『世界は』と問うと、和尚は指を3本出して『三千世界なり』と答えたので、今度は指を2本出して『日本は』と問うと直ちに眼の下を指して『眼中にあり』と答えた。
その問答の即妙なること、到底わしらの及ぶところではない。」と言った。
一方、とうふ屋のオヤジに言わせると「あの坊主はいやな奴で、おれの商売の事をよく知っていた。
指を輪にして『このくらいのガンモドキはいくらか』と聞くので、指を3本出し『三文だ』と言ってやると、あの坊主は指2本出して『二文に負けろ』と言うから、眼の下に指をやって、『あっかんべい』してやった。」と言うのである。
この話から見ると、ガンモドキは丸いものと昔から思っていたのでしょうね。
では何故、上方では飛龍頭(ひりゅうず)と言われるようになったのでしょうか。
これも2つの説があります。
@外国人が日本で早くから住みついたのは、長崎と言われています。
ここの唐人屋敷から、いろいろな言葉が町に伝えられたといいます。
ポルトガル語では「肉団子」のことを「ヒロス」といい、それが「ひりょうず」に転化したのではないかということです。
そういえば、祖母や母はガンモドキのことを「ひろうす」と言っていました。
A無造作につくねて揚げた形が、龍の頭に似ていたからだといいます。
戒律のきびしい禅僧は、肉料理へのあこがれは強かったようです。
たとえば、肉料理を思わせるような名前の精進料理が、いくつかあります。
きじ焼・・・塩をふって焦がした豆腐
たぬき汁・・・こんにゃくのみそ汁
飛龍頭を雁の肉をなぞって、ガンモドキというのも、ひとつのあこがれを充たすためかもしれません。
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