現代ステリー小説の読後評2005〜2006

2005年購入作品の感想

『超・殺人事件ー推理作家の苦悩ー(東野圭吾/新潮社)★★★

 「このミステリーがすごい!」2002年第5位作品。推理小説の書き手側に視点を置き、この業界への痛烈な皮肉を込めた作品を集めた短編集。本格推理とは対極にあるような軽いノリの作品だが、あまりのばかばかしさに素直に笑える傑作。緻密なトリックが散りばめられた名作であっても、たくさん読めばさすがに疲れてしまう。最近の長編大作に読み疲れたミステリーファンの息抜きにこれほどふさわしい作品はないのではないか。以下、各作品ごとにコメントを…。

 「超税金対策殺人事件」…売れた作品の収入を使い込んでしまった作家が、所得税対策に領収書集めにかけずり回った挙げ句、それらが活かせるような作品を逆に書いてしまおうという本末転倒なお話。結末は多くの読者の予想通りだが、このばかばかしさはある意味痛快。

 「超理系殺人事件」…読者がついていけないような蘊蓄の多い作品がやたら増えている現状に対する皮肉が込められた作品か。さらにはそのような作品をありがたがる読者をも批判しているような。オチは今ひとつかも。

 「超犯人当て小説殺人事件」…異なる出版社の編集者4名がベテラン作家に呼び出され、自作の小説の謎解きをさせられる。報酬は書き下ろし新作の原稿。4人は必死で謎解きに取り組むが…というお話。最後のオチはちょっと安易な気がしないでもないが、そこへ至る急展開のラストシーンはなかなか面白い。

 「超高齢化社会殺人事件」…これは社会の高齢化のみならず、作家や読者も高齢化が進むという業界の人たちが笑うに笑えない現実化しつつある現状に警鐘を鳴らす作品か。この作品に登場する90歳のベテラン作家のボケ具合が最高。

 「超予告小説殺人事件」…売れない作家が、自分の連載小説通りに現実に殺人事件が起こり始めたことで急に売れっ子に。売れ続けるために、犯人と取り引きすることになる作家だが…というお話。これはちょっとありがちすぎるストーリーか。

 「超長編小説殺人事件」…これはまさに「超理系殺人事件」のところでも述べた、蘊蓄がやたらと多く辞書のように分厚い作品と、それをありがたがる読者が増えている現状に対する痛烈な皮肉が込められた作品。これには耳(目?)の痛い作家も多いことだろう。そして多くの場面で思わずうなずく読者も多いはず。「なんでこの筆者はこんなにストーリーと関係ないことをダラダラ書いてるんだ?」とイラついた経験は誰でもあるのでは。何とか原稿枚数を増やそうとする編集者と作家の苦労が、実にシニカルにそしてコミカルに描かれていて、これはかなり笑える。

 「魔風館殺人事件(超最終回・ラスト5枚)」…ページ数にして3ページちょっとの超短編であるが、ラストの潔さ(?)には脱帽。

 「超読書機械殺人事件」…これは作家ではなく、書評家の世界を舞台にしたお話。書評家は当然のごとく多くの新刊に目を通さねばならず、しかも書評を書くとなると、今度は自分の好みに合わなくても都合によって好意的に書いたりしなくてはならないという苦悩が待っている。この作品にはその悩みを一掃する「ショヒョックス」なる機械が登場する。もしそのような機械が実在したらどれほど助かるか…多くの書評家はこの作品を読んで大きなため息をついたのではなかろうか。しかし、一見、書評家にとっては夢のような存在であるこの機械にも大きな落とし穴があった。それもたくさん。主人公の書評家・門馬はさっそくこの機械を導入するのだが…。この落とし穴が明らかになる連続するエピソードには説得力があって非常に面白い。この本の中でも、この話が一番話題になったというのも頷ける話だ。あえて一言言わせてもらうなら、「この話、誰も死なないんですけど…。」

『荊(いばら)の城(上・下)(サラ・ウォーターズ/東京創元社)★★

 「このミステリーがすごい!」2005年海外編第1位作品。嬉しいことに最新の1位作品が文庫本で刊行されているということで早速購入。舞台は19世紀半ばのロンドン、主人公は下町でスリを生業にして暮らす少女。日本国内を舞台にしたミステリーに慣れている自分としては、この時点でかなり感情移入が難しいのだが、1位作品ということで我慢して読み進めていくと、少女の知人の詐欺師が田舎の古城で暮らす令嬢を騙し遺産を奪おうという計画を彼女に持ちかけ、彼女が侍女として城に潜り込むというように話は進展していく。そこで次第に二人の仲は深まっていき…と、まるで心温まる名作アニメ劇場を見ているような展開なのだが、上巻の3分の2ほど読み進めたところで幕を下ろす第一部の結末の衝撃は半端ではない。そして始まる第二部で読者は驚愕の事実を知ることになる。下巻の半ば近くまでこの第二部は続き、前半は第一部とリンクした謎解き(?)の数々にただただ感心させられるばかりなのだが、下巻の冒頭での二度目のどんでん返しの後は、登場人物のあまりの愚かさに少々不愉快さを感じさせられるかもしれない。そして、その第二部の結末は、第三部に仕掛けた最後のどんでん返しのネタをバラしすぎで、これはちょっと失敗ではないか。結局第三部は多少スリリングな展開をするものの、第一部の結末を上回る衝撃は得られぬまま終末を迎えることになる。しかし、がっかりすることはない。淫靡な香りが漂う内容でありながら、不思議と清らかな光を感じるエピローグが秀逸である。2001年海外第1位作品『ポップ1280』を読んだときにはかなり失望させられたものだが今回は十分に満足できた。

『柔らかな頬(上・下)(桐野夏生/文藝春秋)★★

 「このミステリーがすごい!」2000年第5位作品。直木賞受賞作。うらぶれた北海道の海辺の村での暮らしに嫌気がさしたカスミは、高校卒業後に家出をし、東京へ出てきて勤め先の男性と結婚、二人の娘に恵まれる。しかし、夫の仕事はうまくいかず、ぱっとしないその夫にも嫌気がさし、夫の仕事の取引相手の石山と関係を持つようになったカスミ。その石山が北海道に買った別荘にカスミ一家は招待され、そこでカスミの幼い娘は謎の失踪を遂げる。石山の家庭も、やがてカスミの家庭も崩壊し、それでもとりつかれたように娘を探し続けるカスミ。下巻では事件の真相に関する様々な想像が交錯し、読者を振り回す。そして、事件に興味を持った、癌で余命僅かな元刑事・内海と、一度は捨てた故郷を目指すカスミが最後に見た物は…という話なのだが、上巻は、強い力でかなり物語に引き込まれ、なぜこれが「このミス」で5位止まりだったのか理解できなかった。確かに2000年は、1位「永遠の仔」、2位「百夜行」、3位「亡国のイージス」と大作揃いで、そう簡単に上位にいけないのは分かるが、4位の「バトル・ロワイヤル」に負けてしまうのはなぜか納得がいかなかった。しかし、その理由は結末を読んで理解できた。残りのページがどんどん少なくなっていくのに、一向に結論らしき物が見えてこない状況にふと不安がよぎったが、その予感は的中してしまった。結末にあまりに救いがないのだ。はっきり言って結末自体がないといってもよい。解説を担当した福田和也氏は、「救いがないことこそが桐野作品の魅力であり、世にあふれる多くの小説が皆まがい物に見える」とまで絶賛するが、ミステリー小説に、読後のある種の爽快感を期待している読者は完全に裏切られることになるだろう。「この作品はミステリーだと誰が言った?」と言われればそれまでだが、やはり最後まで読み切った読者にはなんらかのご褒美が欲しいものだ。突き放されてみたい方はどうぞ。

 

2005年月購入作品の感想

『終戦のローレライT』(福井晴敏/講談社)★★★

 「このミステリーがすごい!」2004年第2位作品。2005年3月ロードーショー映画「ローレライ」の原作。もともと映画化を前提にして書かれた作品らしく、映画化に合わせて文庫化されたので、さっそく購入してみた。舞台は終戦間際の1945年の日本。ドイツからもたらされたフランス製の戦利潜水艦・伊507に日本各地から規格はずれの軍人達が寄せ集められ、海中に投棄された特殊兵器「ローレライ」の回収に向かうという物語。雑誌等を見ていると小説と映画とは若干設定が違うようだが、せっかく配役が決まっていることだし読んでいくのにイメージしやすいからと、小説の登場人物と映画の俳優を比較すると、これが見事にはまっている。主役級の絹見艦長=役所広司、折笠征人=妻夫木聡などは言うに及ばず、征人の親友・清永喜久雄=佐藤隆太はハマりすぎ。映画で艦内のNo2である木崎茂房=柳葉俊郎は小説では目立たないキャラで、高須成美=石黒賢がそのポジションをつとめる。映画での高須成美は得体の知れない技師という設定なので、小説での高須成美は柳葉俊郎をイメージすればよいのだろう。まだ「ローレライ」の発見のシーンには至っていないが、先を読むのが楽しみな作品である。

『終戦のローレライU』(福井晴敏/講談社)★★★

 Uの序盤で一度投棄された「ローレライ」が発見され、敵の攻撃を受けつつも折原と清水によって回収作業が行われる。そしてその「ローレライシステム」の全貌が遂に明らかになるのだが、Tの冒頭部から示されて続けていた伏線から何となく予想はできていたものの、ガンダムA誌上でも指摘されていたように、それはまさにアニメチックな世界であった。あまり詳しく書くと種明かしになってしまうのだが、多くの読者はここに至るまでに私と同様、システムの概要をなんとなくつかんでいると思うのであえて書かせてもらえば、読者の大半は、そこにガンダム世界の女性ニュータイプパイロットを重ね、またエヴァンゲリオンの女性キャラを重ねるはずだ。若者が敬遠しそうな太平洋戦争物というジャンルに、そういう設定を持ち込むところがいかにも今どきの映画的だが、それはそれでありなのだろう。幅広い読者・観客を惹きつけるには確かに効果的である。伊507に乗り込んでいる謎のSS隊員・フリッツと「ローレライ」の関係が詳細に語られた後、2隻の連合軍潜水艦との戦闘というこれまでで最大の山場を迎え、その戦闘の終了をもってこのUは終わるのだが、軍本部が伊507にさせようとしている任務の真の内容は不明のまま。V・W巻に続いていくわけだが、このあたりもTVドラマ的なうまい構成になっている。

『終戦のローレライV』(福井晴敏/講談社)★★★

 浅倉大佐が物語の舞台に舞い戻り、伊507は広島に原爆が投下されたことすらも知らないまま、軍令部から指示されたとおりウェーク島を目指す。軍令部からの無電連絡がとだえたことを訝りつつもなんとか無事たどり着いた伊507の乗員に知らされた任務の内容とは…という話なのだが、この任務というのが、たいていの読者がぼんやりと予想していた内容と異なり、あまりにちっぽけでいきなりがっかりさせられてしまう。しかし、案の定、それは乗員を欺くためのダミーの作戦であり、真の作戦内容が後に語られるのだが、これが最初の予想通りでまたがっかりさせられてしまう。浅倉大佐の陰謀の手から逃れるための乗員達の必死の抵抗のドラマがそれらの不満をかき消してくれるが、あとひとひねりなかったのかと少々残念なところではある。さて、ここにきて浅倉大佐の言う「国家としての切腹」の全貌が明らかになるわけだが、「浅倉大佐は『逆襲のシャア』のシャアのポジションだ」という意見に今ひとつピンときていなかった自分としては、「あるべき終戦の形」を実現するために暗躍する組織から外れた将官という意味では、『ジパング』の草加のイメージの方がぴったりくるのではないかと思った。草加が目指すものは、浅倉大佐とはまったく逆の方向だと思うが、『ジパング』が完結した暁には、また比較検討してみたいものだ。このVの最後で、ついに伊507の乗組員は自分たちで最終目標を決定するに至る。浅倉大佐の手を放れ、彼らの行く先に待ち受けるものは果たして何か。

『終戦のローレライW』(福井晴敏/講談社)★★★

 伊507の乗組員が自分たちで導き出した最終目標を目指したとき、そこには多数の米艦隊が彼らの行く手を遮るべく展開していた。たった1隻で戦いを挑む伊507の運命やいかに!といった展開なのだが、敵艦がやたら多いために、この戦闘シーンがかなり読むのに煩わしいものになっている。しかし、目標を見事に破壊した時の達成感は、読者も乗員にすっかり感情移入して味わうことができるだろう。ただ、そのあとの伊507の最期はあまりに見るに忍びない。これを劇場で映像として見てしまったら、読む以上につらい気持ちになるであろう。「たそがれ清兵衛」を思わせる最後のエピローグは蛇足だという意見もあるようだが、個人的にはあってくれた方がすっきりする。幻想的なエンディングが、読者を現代の汚れた現実世界に引き戻すことで台無しだということなのかもしれないが、この作品の場合、生還者のその後を読者の想像に任せるのも一つの手であるとはいえ、今一度戦争と平和について読者に考えてもらうという本作品のテーマからすれば、やはりこの現代という世界を描かなくては、この作品は完成したとは言えないと思うのである。不満点もいくつか挙げてしまったが、文句なしにオススメの一冊である。

『始祖鳥記』(飯嶋和一/小学館)★

 「このミステリーがすごい!」2001年第5位作品。最初に言いたいが、文庫本の裏表紙にある北上氏のPR文は明らかに過剰である。騙されてはいけない。確かにそれなりの大作だとは思うが、氏の言うような「傑作中の傑作」かと問われると正直うなづけない。時は江戸天明期。これだけで、時代劇マニア以外の読者はひいてしまうだろう。私の場合、太平洋戦争物でもかなり抵抗があったのだから、江戸時代となるとさらに抵抗は増す。なかなか話の展開になじめず、苦痛を感じつつ80ページほど読んで、主人公・幸吉とその弟が表具師として評価されるところは良い話だと思ったが、その後は特に印象に残ることはなく、ただひたすら退屈だった。凧で空を飛ぶことが生き甲斐の幸吉。藩の失政をあざ笑い民を扇動する者として捕らえられるも、かろうじて財産没収で済むのだが、彼の噂は英雄として各地に広まり、お上の悪政に不満を持つ者達に勇気を与え、行動に移すきっかけを与えていくことになるという話だ。しかし、当の主人公に全くそのようなお上に逆らう気はない点に、読者としてテンションの上げようがなく、PR文にあるような、彼の噂に動かされて「腐りきった公儀の悪政に敢然と立ち向かった」者としては、江戸の塩問屋に立ち向かおうとする行徳の地回り塩問屋・伊兵衛の活躍が挙げられるぐらいで、しかも主人公の話とは独立した全く別の話という感じである。その後は特に盛り上がることもなく、老いた幸吉が最後に滑空に成功しておしまいという展開。「このミス」2001年度版には「今年はいつまでたっても〈業界〉で話題が持ち切りになるような作品が出てこないまま締め切りを迎えてしまった」とあるが、要は不作の年だったということだ。1位の「奇術探偵曾我佳城全集」、2位の「動機」にも大きな感銘を受けなかったことを思い出し、今後、この年のランキング作品は購入の必要なしと心に決めた。

『続巷説百物語』(京極夏彦/角川書店)★★

 どうも「このミス」の審査投票者の間では、京極氏の作品は高く評価されていないらしい。前作『巷説百物語』は辛うじて20位ぎりぎりにランクインしていたが、続編の本作品はランクインすらしなかった。『超・殺人事件』でも皮肉られていたように、蘊蓄の多い分厚い作品というのはそれなりの読書家からも敬遠されるものらしい。しかし、今回読んだこの作品は京極作品の例に漏れず分厚いのであるが、決して余計な蘊蓄の贅肉はなく、かなりすらすらと読めるたぐいの話である。前作を読んでいなくとも楽しむことができる(実際そういう自分が前作の内容をほとんど覚えていない)ことからも分かるように、前知識すらさほど必要としないくらいである。さて、主人公・百介が小石を額にめりこませた死体を検死するところから始まる「野鉄砲」から、「狐者異」、「飛縁魔」、「船幽霊」というように妖怪の名前で短編が語られていくのだが、それらの怪異の正体はすべて人間の所行であり、それらの謎を解き明かしていくのが御行・又市一味である。全ての物語は一つにつながっており、次の「死神」で物語はクライマックスを迎える。又市の仕掛けによって、謎が氷解し事件が解決していくという話の流れは、京極氏のライフワークでもある京極堂シリーズとまさに共通なのであるが、事件自体は京極堂シリーズに勝るとも劣らないくらいどろどろしているものの、はるかにストーリーの流れがシンプルでスピーディーでライトに感じるのはなぜなのだろう。エピローグ「老人火」は、ちょっと氏の意図が分かりづらく物足りなかったが、全体的に一応満足はできた。「狐者異」は、3月にテレビドラマとして放映されるらしいがちょっと見てみたい気はする。

 

2005年月購入作品の感想

『スティームタイガーの死走』(霞流一/角川書店)★

 「このミステリーがすごい!」2002年第4位作品。玩具メーカーの創業者たる小羽田伝介が幻の蒸気機関車C63を完全再現し、中央本線を東京まで走らせるというイベントを計画。そしてその運転士に選ばれた男性が謎の失踪。さらにお披露目の日、出発駅で変死体は発見されるは、機関車は乗っ取られるは、さらにさらにその機関車内でまた変死体が発見された上、その機関車自体が消失してしまった…というとんでもないお話。いかにもという感じの推理小説なのだが、全体的にとにかく安っぽい感じが拭えない。筆者には申し訳ないが、文学の香りが話のどこにも全くないのに加え、では本格推理ものかというとそうでもない。キャラの立ち方もみんな中途半端で(メインキャストと思われた刑事の唐須が途中から急に存在感がなくなり肩すかしをくらう)、機関車内で発見された死体の出所のオチとか、その死体の発見後に見つかる切り取られた指の出所のオチとか、肝心の謎解きの部分も、どう考えても強引すぎて推理小説を読む目的の一つであるすっきり感が全く得られない。終章、最終章に至っては完全に蛇足に思える。アイディアとしては面白いかもしれないが、「序盤で人間が消失し、中盤で列車が消失し、そしてラストで○○○が消失してしまった。」と筆者が自慢げに語るほどのものでもなかろう。様々な鉄道小説・映画のパロディが散りばめられているらしいが、一部のマニアにしか分からないネタがいくつあってもどうしようもない。とにかく軽いミステリーをちょっと読みたいという人がいた場合に、ではこれでもどうぞと勧める作品。個人的には、同年第5位の「超・殺人事件」の方が同じ軽い作品として楽しめた。

『禿鷹の夜』(逢坂剛/文藝春秋)★★

 「このミステリーがすごい!」2001年第3位作品。そう、つい先日「二度と買うまい」と誓った2001年ランキング作品を、その舌の根も乾かぬうちに購入してしまった。99年に2位にランクインした同じ筆者の作品『燃える地の果てに』にあまり良い印象を持てなかった自分としては不安は倍増だったのだが、前作のように冒険小説でなく、ちゃんと刑事とヤクザが出てくる典型的なミステリー小説だったので一応それなりに期待して読み始めた。禿富鷹秋こと通称「禿鷹」と呼ばれる一匹狼的な刑事が主人公で、一瞬『新宿鮫』の鮫島刑事をイメージしてしまったのだが、ヤクザに取り入り金をせびるは、浮浪者をいじめるは、およそ正義感とはかけ離れた悪徳刑事で鮫島とは大違いである。これだけ枠から外れた存在でありながら『新宿鮫』とは対照的に署内での立場的な部分は全く描かれておらず、そういう部分をあえて切り捨てて、作品内で好き勝手振る舞う主人公を描く筆者の姿勢は、かえって潔く見ていて気持ちがいい。ヤクザに取り入る過程で恋人を殺され、ヤクザと共に南米マフィアの殺し屋と対決していくというストーリーなのだが、彼女を殺したのがマフィアの殺し屋でないことは、ミステリーを読み慣れた読者にははっきり言ってバレバレである。そこで、誰が殺したのかという推理を行うことが、この書を読んでいく中での一つの楽しみとなるのだが、正直主人公自身が犯人ではないかと思っていた。それぐらいぶっとんだ展開でも全く違和感のないのがこの作品なのだが、残念ながら彼はそこまでの悪人ではなく、犯人は「ああそうくるか。なるほどね。」という人物であることがラストシーンで明らかになり、予想をはずしてしまってがっかりしたのだが、先日読んだ『スティームタイガーの死走』よりは、はるかに読み応えがあって楽しめた。なぜ主人公がヤクザに取り入ろうとするのか、彼の現在の人格がどのように形成されたのか、といったことが全く謎で、このように主人公の内面を全く描かないことがこの作品の特徴なのだが、そのあたりはちょっと欲求不満を感じてしまった。視点が主人公を除いてころころ変わるのも今ひとつのような気がする。特にラストがヤクザの一人である水間の視点で終わるのに違和感を感じた。続編が発表されているようなので、それらを読んでから最終的な評価をしたいと思う。とりあえず個人的には大きなハズレ作品ではないと言える。

 

2005年月購入作品の感想

『緋色の記憶』(トマス・H・クック/文藝春秋)★

 「このミステリーがすごい!」99年海外編第2位作品。文庫化されている国内のランキング作品をかなり読破してしまったので、久々に海外編に手を出すことに。長い間手を出していなかったのは、海外が舞台だと感情移入しにくいこともあるが、01年1位作品の「ポップ1280」にあまりにもがっかりさせられたことが大きい。その後読んだ03年3位作品「わが名はレッド」も今ひとつ印象薄く、それ以後は開拓していなかったように思う。この作品は最初から文庫で出版されたもので、容易に手に入れることができた。さて、先の感情移入の話だが、狭い田舎町を舞台にしており、登場人物も限られている上、特に変わった外国の風習に触れているわけではないので、意外とすぐに話になじめた。何より、語り部である主人公が、最初から過去に大きな事件があったことを臭わせつつ、話が進んで行くところがなかなかうまい。主人公の老弁護士が、少年時代に体験した「チャタム校事件」のことを思い出しながら、過去と現在の物語が平行して語られていくのである。少年が通うチャタム校に、ある日緋色の服を着た美しい女性教師が赴任してくるところから物語は始まる。そして少年が慕う、妻子ある男性教師とその女性の仲が深まっていき…という展開なのだが、正直その「チャタム校事件」というのは大したことがなくて肩すかしをくらう。読者以外知らない、事件の真相の鍵を握る主人公の秘密というものがあるのだが、それも同様に大したことはない…と思っていたら、とどめの一発が最後に残っていた。しかし、結局これも今一歩。さんざん期待させられただけに、余程インパクトのあるオチを持ってこないとキツイのではないかと…。全体的には悪くないとは思うのだが…。

 

2005年月購入作品の感想

『戦国自衛隊・新装版』(半村良/角川書店)★★

 話題の映画「戦国自衛隊1549」の原点を知るべく、まずはオリジナルの方を購入して読んでみることに。もっと血なまぐさい話かと思いきや、意外に話が淡々と進んでいくことに少々肩すかしを食らうが(それが心地よいという意見もあろう)、今読んでも十分に楽しめる傑作。とても30年近く前に書かれたものとは思えない。オチにも特に不満はないが、欲を言えば、ちょっと短すぎ(実際文庫本はかなり薄い)。今どきのやたらディティールの細かい小説に慣れている読者には少々物足りなさを感じるかも。そこで生まれたのが福井晴敏氏のリメイクした「戦国自衛隊1549」なのであろう。次は是非そちらを読んでみたいと思う。

 

2005年月購入作品の感想

『GOTH 夜の章/僕の章』(乙一/角川書店)★★★

 『このミス』2003年度版で2位を獲得し、第3回本格ミステリ大賞を受賞した作品ということで、文庫化されたばかりのこの本を大変期待して読み始めたのだが、イカれているというか、壊れているというか、人間の暗黒面に魅せられた高校生の男女二人が殺人現場を見に行こうとする第1話「暗黒系」には、ある意味呆然とさせられた。犯人を想像するのは容易でそのあたりはたいしたことはないのだが、とにかくこの主人公二人には、罪を明らかにしようとか、犯罪者に罰を与えようとかいった、通常の感覚が完全に欠落しており、その感覚のズレが読者に強烈な違和感を抱かせるのである。もしかしたら今どきの若者は共感を覚える部分が多いのかもしれないが。連続ペット誘拐事件を描いた第2話「犬」は、『このミス』では傑作と称えられているが、個人的にこのトリックはあまりに強引すぎると思う。賛否の分かれるところではなかろうか。これだけ強引なトリックを仕掛ける筆者だから心して読まねばと臨んだ第3話「記憶」だが、まんまとやられた。お見事としか言いようがない。女主人公の森野夜の過去が明らかになるこの話は、実に綺麗に読者をトリックにひっかかる快感を味あわせてくれる。筆者はライトノベルの地位向上を狙ったと言うが、1、2話でのライトノベルにありがちな不満はここにきて完全に解消された。第4話「リストカット事件」もラストに見事な罠が仕掛けられている。男主人公の壊れっぷりもきているが、やはりそのラストの罠と落ちの美しさに感嘆させられた。第5話「土」は非常に乱歩的な臭いのする作品だが、このラストはちょっとどうか。そして最終話の「声」。多くのミステリ小説を読んできたが、すぐに最初から読み返したのはこれが初めてである。完全に筆者にしてやられたという感じである。狐に摘まれたという表現がまさにぴったりの作品。第2話の「犬」同様、「ずるい」という意見もあろうが、こちらは認める。まさに本格ミステリ大賞にふさわしい作品であると思う。

 

2005年月購入作品の感想

『百器徒然袋−雨』(京極夏彦/講談社)★★

 文庫としては9月の新刊なのだが、実際には6年前に講談社ノベルスとして刊行されたもの。10月上旬にやっと読破した。前作の『百鬼夜行−陰』を読んだときには、京極堂シリーズの番外編という印象をもったのだが、今回は主人公こそ新登場のキャラであるものの、シリーズ本家そのものといえる作品。タイトル通り「器」に関係する妖怪のサブタイトルがついた短編が3つ収められており、最後の最後まで名前が出てこない(ラスト1行で明かされる)主人公を中心に、人気キャラ(?)の探偵・榎木津礼二郎をからめて物語が展開していく。
 最初の「鳴釜」は、主人公の姪が奉公先の御曹司に暴行され、主人公から相談を受けた榎木津や京極堂が成敗するという話。最初の設定が設定だけにちょっとえげつない感じがするが、後半はコミカルに話が展開していき、榎木津の暴走ぶりに(それほどでもないが)京極ファンは満足してくれることだろう。
 次の「瓶長」は、すっかり榎木津の下僕の一人に成り下がった主人公が、またもや榎木津がらみの事件に巻き込まれるという話。榎木津は、父の買っていた「亀」と、見つけられなければ国際問題に発展するという「瓶」を、父の依頼で探し始めるのだが…といった展開。こちらも骨董趣味の世界をコミカルに描いてあって、「鳴釜」以上に気持ちよく読める。オチはそれほど意外なものではないが。
 最後の「山颪」は、「鉄鼠の檻」を彷彿とさせる京極ワールドをストレートに味わえる作品。田舎の廃寺寸前の山寺が、いつの間にか高級料亭に変わっており、住職が人知れず別人に入れ替わっているのではないかと、事件の臭いを嗅ぎ取る京極堂…という物語。ここでも榎木津は大活躍。
 短編集とはいえ、おなじみの分厚さがある作品だが、3編ともにうんざりするようなうんちくもなく、どろどろした人間模様もいつもほどはなく、実にさらっと読める仕立てになっている。京極堂シリーズをずっと読み続けてきた方には間違いなく必読の書であろう。

 

2005年10月購入作品の感想

『半落ち』(横山秀夫/講談社)★★★

 『このミス』2003年度版1位作品。アルツハイマーを患う妻が不憫で殺害してしまい自首してきた現職警官・梶聡一郎。取り調べにも素直に応じ、動機や経過についてはっきり語る梶だが、殺害から自首するまでの空白の2日間についてだけはなぜか語ろうとしない。「完落ち」と思われた容疑者は、実は「半落ち」だった、というところから始まる物語である。各章段には人名が付けられているが、彼の取り調べに関わる人物が順に登場し、この事件の謎解きに挑戦するという趣向である。担当刑事・志木、担当検事・佐瀬、新聞記者・中尾、担当弁護士・植村、担当裁判官・藤林、刑務官・古賀…、彼らの中で最初に真実にたどり着くことができるのは一体誰か?この脇役達にも重厚なドラマがそれぞれ用意されており、とにかく最後まで読者を飽きさせることがない。ところどころで彼らの推理が紹介されるが、それらを越える意外な、といっても十分に読者を納得させてくれる結末が最後の最後に待っており、読後の満足感はかなり得ることができるだろう。実に細部まで計算し尽くされ見事なまとまりを見せる作品であるという印象を持った。文句なしにオススメの1冊である。

 

2005年12月購入作品の感想

『模倣犯』(宮部みゆき/新潮社)★★★

 『このミス』2002年度版1位作品2000年前後の『このミス』ランク上位の作品は、だいたい文庫化されているのだが、この作品は未だ文庫化されていない作品の1つで、この12月に(一)〜(三)巻が同時発売となり、翌1月に(四)(五)が発売されて完結となった。作者はあの宮部みゆき、映画化もされた話題作であり、未曾有の連続殺人事件を重層的に描いた現代ミステリの金字塔がついに文庫化!」と言われれば期待するなという方が無理というものだ。年末は忙しかったので年明けにやっと読み始めたのだが、これだけの話題作でもなければ文庫本5冊にも渡る長編などまず読む気はしないだろう。「本当にこれだけの枚数を費やすのにふさわしい内容なのか?」と思える長編に何度か出会ったことがあるからだ。今回は読むのに時間がかかりそうなので、自分の備忘録も兼ね、あらすじもある程度詳しく記していこうと思うため、本作品を自分で実際に読んで楽しもうと思っている方は、適当なところでこのコメントを読むのを打ち切っていただきたい。

 (一)巻 物語は、強盗に家族を殺された過去を持つ高校生・塚田真一が、朝の犬の散歩中に公園で若い女性の右腕を発見するところから始まる。次なる主人公は、3カ月前から行方不明になっている古川鞠子の祖父・有馬義男。右腕と一緒に鞠子のハンドバッグが発見され、彼の不安は頂点に達するが、その後も彼は犯人に振り回されることになる。さらに視点はライターの前畑滋子に移る。後にこの事件のルポを書くことになり、さらに家出した真一を居候させることになる人物である。視点が複数の人物に次々と移っていくのはたいして苦にはならないが(小野不由美氏の「屍鬼」ではその点で結構辟易させられたが)、滋子と同時に登場する隣人の名が重田というのは少々いただけなかった。姓と名の別があるとはいえ、印象に残りやすい「しげ」という発音を含む名前がかぶるのは些細なことながら感心しない。2人がからむのならなおさらだ。次の章では、事件を担当する巡査部長の武上悦郎の視点に移るが、間もなく犯人からマスコミに「腕は鞠子のものではない」という電話が入って事件の異常性が高まってくる。読者へのインパクトも大きいが、実はこのことは文庫本の裏表紙でネタバレしてしまっている。しかしこれくらいのネタバレをしてしまっても痛くも痒くもないのが宮部作品なのだ。そして真一の家族を殺害した強盗の娘・樋口めぐみの登場。悲劇のヒロインかと思いきや、父の減刑目当てに、真一を獄中の父に無理矢理会わせようと、ストーカーのごとく彼につきまとう異常者として描かれている。この作品中、物語の進展に従って異常性がエスカレートしていく人物が何人も登場するが、真一を苦しめ続ける彼女は特に強烈である。鞠子の白骨死体が発見されて間もなく、武上の捜査線上に容疑者として浮かんだ前科者の田川一義が、容疑を晴らすためテレビ番組に顔と名を隠して登場する場面もまた強烈だ。犯人が番組放送中にスタジオに電話を入れ、田川が顔と名を世間にさらせば、右腕の持ち主の遺体も返すという取引を持ちかけるのだ。ここでCMをはさんで犯人の話し方が変わったことに義男が気づいたことで、捜査班の中に犯人は2人組ではないかという疑念がわき上がる。そして衝撃のラスト。犯人と思われる2人組の男が交通事故死するのである。彼らこそ真犯人なのか?次々と技を繰り出してくる筆者の技量の前には、なんの抵抗もなく(二)巻を手に取るしかないのであった。

 (二)巻 この巻の冒頭では、前巻のラストの交通事故から話はぐんとさかのぼり、事故死した犯人の一人、栗橋浩美の幼少時代からの人生と、その友人の「ピース」、そして高井和明について語られる。はっきり言って個人的にこの巻の前半部分は読んでいて不愉快きわまりなく、非常にストレスがたまった。若き日の浩美の悪行の数々が、その後に描かれる殺人の数々以上に現実味のあるものだからだろう。彼が初めて殺人を犯すところで一旦物語は浩美から離れ、終盤でもう一人の犯人が彼の旧友「ピース」であることが明らかになる。浩美と共に事故死した和明ではなく。浩美を犯罪の世界に引き込み、自分たちの犯罪を世間にアピールしようと提案したのが他でもない「ピース」だったのだ。そして、表沙汰になった彼らの犯罪の前半部分が彼らの視点から再び描かれる。そしてやはりまた、全ての真実を知りたい読者は自然と(三)巻に手が伸びてしまうことになるのである。

 (三)巻 事件のニュースに異様に興味を示す和明の行動に疑念を抱く妹・由美子の様子から描かれる。和明は浩美の犯罪に気づき始めるのだが、浩美と「ピース」は逆にそれを利用しようとする。彼らはサラリーマン・木村庄司を次の獲物に決め、これまでの罪を全て和明に押しつけるために、和明を彼らのアジトである山荘に呼び出す。この一瞬の登場に過ぎない木村にしても、これまでの被害者同様、事件の悲壮感を強調するために、筆者は彼の人生、人物像をしっかりと描き込んでいる。見事なお手並みだ。 「ピース」に薬で眠らされた和明を木村の死体と共に車で運ぶ浩美だが、目を覚ました和明の熱心な説得でついに自首を決意するに至る。しかし、時既に遅しで、精神状態が限界に達していた浩美は幻覚に惑わされ運転を誤り、和明と共に崖下に転落してゆく。こうして(一)巻のラストシーンへと話が戻るのである。なかなか巧みではないか。ここでジ・エンドというのも一つの手であろうが筆者はそうはしなかった。読者としてはやはり納得のいく結末を見たい。しかし、まだ全体の5分の3である。別々の視点から二度も事件は語られたのにだ。一体これからさらにどのような進展が待っているのか。やはり(四)巻は読まなくてはならないようだ。

 (四)巻 真一のアルバイト先に現れる樋口めぐみ。個人的にこの作品の中で不快指数ナンバー1の彼女の登場には、もう勘弁してくれという感じであった。しかし、彼女には役割があったのである。樋口まゆみ化していく由美子を浮かび上がらせるという役割が。この後、刑事・武上の元同僚として、「建築家」という探偵役が登場する。この巻ではとりあえず簡単な紹介のみにとどまるが、今後どのような活躍をするのか大いに期待させてくれる。そして「ピース」の再登場だ。滋子と待ち合わせしていた由美子がパニックを起こしたところへ彼が突然現れて救いの手を差し伸べるのだ。あまりの出来過ぎた展開に、さすがにそれはないだろうという声が出そうになるが、後に一応フォローはされている。失望を覚えたことはもう一つあって、それはそのシーンで「ピース」の本名があっけなく明かされたことである。一体何のために今まで隠していたのか。意外な人物が「ピース」の正体だったというサプライズに期待していた自分としては、かなりがっかりさせられた。些細なことだが、その本名・網川浩一の名が、共犯の浩美と1字かぶっていることも気になった。(一)巻でも指摘したことだが、普通はそういうことは避けるのではないか。ついでにいえば、中盤で登場する俳優・高橋健二という名が、2巻で浩美が偽名として用いる中村健二とかぶっているのもひっかかった。あとがきによれば、連載していた週刊ポストの編集部に高橋健司という方がいるらしく、それが影響しているのかもしれない。話を物語に戻すと、偽弁護士によって結成されようとしていた被害者遺族の会の打ち合わせの場に、前述したように樋口めぐみ化した由美子が現れ修羅場と化す。これを演出したのも大悪党・網川だった。事件の表舞台に登場した彼は周囲の人々をさらに不幸に陥れるべく活動を続けていく。そしてラストシーンで叫ぶのである。由美子を心配する滋子に向かって「僕が本を書きます」と。とんでもない展開である。あまりにも飛び過ぎではないか。しかし、ここまできたら最終巻まで読まねばならないだろう。

(五)巻 和明は無実で別の真犯人がいることを、自著のみならずテレビに出演してまで訴える網川。関係者の困惑をよそに世間は彼の意見に同調していく。捜査側では、前巻で紹介された「建築家」がやっと登場し、この事件についての推理を展開する。ちょい役で終わらせてしまうにはもったいない人物である。彼だけでシリーズ探偵ものが作れそうだ。筆者もそのつもりで温めてきたキャラの一人ではないかとさえ思う。本名を明かさないことに今度こそサプライズを期待したが、最後まで本名すら明かされず、また裏切られた気分だった。行方が分からなくなっていた浩美の携帯電話が子供に拾われたエピソードについてもその後の続報がなく、こちらも期待はずれだった。この巻の3分の1をすぎたあたりで、網川と浩美にさらわれそうになったという女性が現れ、警察にその話が伝わることで、やっと結末へ向けて動き出すのかと思いきや、その後は成長した真一の姿がやたら強調して描かれていく。いくら修羅場をくぐってきたとはいえこんな高校生はまずいないだろうという違和感すら覚えてしまうのだが、それはひねくれすぎか。そして終盤では加速度的に網川の包囲網は狭まっていくのだが、ラストシーンでまた疑問を感じてしまった。事件を総括するテレビ番組の中で網川と滋子が対峙するというクライマックスシーンなのだが、「沈黙を守る」と警察と約束したはずの滋子が、網川を犯人だと挑発するような発言をするところがどうにも納得がいかない。網川を「模倣犯」呼ばわりしてプライドを傷つけ、怒りにまかせ衝動的に自供させようという策は理解できるが、網川が模倣したとする架空の事件を語るに当たって、容疑をかけられたまま死亡した青年をかばった友人こそが真犯人だったという話は必要だったのかということだ。網川を挑発することが目的なのなら「今回の犯行は猿真似だ」と指摘するだけで十分に効果的だったはずで、網川こそが真犯人であることを臭わすことが彼に動揺を与えるとはそれほど思えず、その行為は前述したように警察との約束を反故にすることでもあるからである(警察との約束は網川の山荘を発見したことを他言しないということでは、という意見もあろうし、いやいや警察との約束などこの際関係ないのだという意見もあろうが)。架空の事件の犯人の逮捕後のコメントまで、網川の心情を読みとってそのまま語ることで、より大きな効果を狙ったのだという意図はわからないではないが、今ひとつすっきりできなかった。作品の全てを読み通しての結論は、確かに傑作ではあるけれども、(一)巻で感じさせてくれたようなインパクトが最後まで続かなかったように思う。また、読者をうならせるような仕掛けが後半に進むにつれなくなっていったということもちょっと心残りであった。読者をあっと言わせるようなトリックに期待していたのだが(そんなもの誰も予告してないよと言われるかもしれないが)、前半で見せてくれた網川と浩美の舞台の仕掛けの数々が確かに緻密ではあっただけに、後半でもっと驚かせてほしかったというのが正直なところだ。それでも、この作品の価値を落とすような致命的な不満があるわけではなく、「現代ミステリの金字塔」というコピーに偽りはないと言っておこう。

 

2006年月購入作品の感想

『新宿鮫[風化水脈』(大沢在昌/光文社)★★★

 2000年に刊行された本書が2006年になってやっと文庫化。さっそく購入したものの、多忙のため5月下旬にやっと読み始め、月末に何とか読破。高級車窃盗団を追っていた鮫島は、ある日、かつて自分のところへ自首してきたことで逮捕され服役し、最近出所してきたばかりの藤野組組員・真壁と出会う。そして、鮫島と新宿の歴史に詳しい駐車場管理人・大江との捜査の中での交流、真壁とその女・雪絵とのドラマという2つの大きな物語が並行して展開していく中で、それら2つの物語が大きな接点を持つことが次第に明らかになっていく。正直、この真壁や、彼がかつて大怪我を負わせたことで復讐に燃える中国人・王が、第1作にも登場していたことなど全く覚えていないのだが、そんなことは全く気にすることなくこの作品は楽しむことができる。全ての伏線がラストで見事に集約され、何の不満も感じることはない。逆に、あまりの完璧なエンディングに、きれいにまとまりすぎなのではないかと感じてしまうくらいである。重箱の隅をつつくようなことをあえて言うならば、セリフの疑問文に「?」がついていないせいで、読んでいて一瞬戸惑うところが何カ所かあった程度である。今回は、このシリーズの舞台となっている新宿の歴史について掘り下げてみようという意図が筆者にはあったようだが、読者が鬱陶しく感じるほどのしつこいうんちく話などはなく、むしろ程良く勉強になるといった感じだ。とにかく、新宿鮫ファンはもちろん、一般のミステリーファンでも十分満足できる一冊である。

 

2006年月購入作品の感想

『ダ・ヴィンチ・コード』(ダン・ブラウン/角川書店)★★★

 2004年に刊行され、3年後の2006年5月に映画が公開されるのに先立ち、3月に文庫化されたものを「これだけ話題になっているのだから読まねばなるまい」と、とりあえず購入。映画版は賛否両論あったが、原作の方は総じて好評であったので失望することはなかろうと読み始めたのだが、何より驚いたのはその読みやすさ。どうも海外物は文化の違いはもちろん、地理的要素などがからんでくるとかなり読みづらくて馴染めない作品があるものだが(巻頭の地図や登場人物一覧を読書中に何度も繰り返し見ないと混乱する作品とか)、この作品は全くそんなことはない。巻頭に地図が載っているものの見なくても全く問題はないし、登場人物は文庫本の上巻からほとんど増えることはないし、宗教・芸術関係のうんちくもけっこうあるのだが、そちらも非常に分かりやすく全く気にならない。むしろ知的欲求が程良く満たされて心地良いくらいである。正直、キリスト教と異教との対立や聖杯伝説、またそれらと芸術作品との関係などについては無知に近かったので色々と勉強になった。文章の読みやすさについては翻訳者の力量も無関係ではないのではと思う。また、学生時代にルーヴルは訪れたことがあるので、その思い出もこの作品への感情移入に大きく貢献している。
 さて、肝心の物語の方だが、ルーヴル美術館のソニエール館長が、有名なダ・ヴィンチの素描「ウィトルウィウス的人体図」の姿で死体となって発見されるところから始まる。彼と会う約束をしていた主人公の大学教授ラングドンは容疑者として警察の執拗な追究を受けるが、ソニエールの孫娘・ソフィーと出会い、無実を晴らすべくソニエールの残した暗号を解読しながらの逃亡生活が始まるという筋書きだ。
 次々と主人公の前に立ちはだかる暗号を解きつつ、迫り来る追跡者達を振り切ってテンポよく進む物語は、読んでいて実に楽しい。最初から敵の黒幕とおぼしき人物が登場しているが、当然それは作者の罠であり、黒幕の正体が二転三転するミステリーの王道パターンも見逃せない。ラストの黒幕との決着をつけるところは少々あっけない感じもして、その後のテンポの悪さも少々気になったが、最後の最後の結末は実に見事であった。

 

2006年月購入作品の感想

『今昔続百鬼−雲』(京極夏彦/講談社)★★

 2006年6月の文庫の新刊なのだが、ノベルズ版が出たのはもう5年も前の話。相変わらず時代遅れの批評だがご容赦を。「多々良先生行状記」というサブタイトルの通り、戦後間もない日本を舞台に、日本で唯一の妖怪研究家・多々良勝五郎=センセイと、その助手・沼上蓮次=俺が繰り広げる珍道中の数々を描いており、「岸涯小僧」「泥田坊」「手の目」「古庫裏婆」の四話が収められている。

「岸涯小僧」…多々良と沼上の出会いを描いた最初のエピソード。沼上は左官から印刷所に転職。そこで、戦前からの腐れ縁でもある多々良の研究を手伝うことに。多々良は月の半分をよく分からない仕事に費やし、残りの半分は研究に没頭するという、かなり変わり者の在野の妖怪研究家。多々良の非常識な振る舞いに沼上はいつも振り回され、二人は常に掛け合い漫才のような喧嘩を繰り返している。彼らはお金が貯まると伝説蒐集実地検分の旅に出かけるのだが、今回は昭和25年初夏の山梨県の山奥が舞台となる。旅の途中、夜の山中で遭難しかけた二人がやっと村を見つけたとき、「カッパかっ」という悲鳴を聞きつけるが、結局、声の主もカッパも発見できぬまま、妖怪好きの老人・村木作左衛門の家に世話になることに。そして翌朝、多々良と沼上は、村木の古い友人・津坂の死体を川で発見し、二人は容疑者扱いされることになるという物語だ。多々良が探偵役となり、事件を劇的に解決するのかと思いきや、こちらが拍子抜けするくらいあっけない幕切れが待っている。あくまで、多々良と沼上、そして村木老人と、その養女・富美の出会いを描き、また彼らのユニークなキャラクターを周知させることが目的のようで、京極堂シリーズのように、ある妖怪をテーマに話が進んでいくのは同じだが、今度は本格推理ものでないですよ、という読者へのメッセージがこめられたような作品である。「河童」「岸涯小僧」など、妖怪についての蘊蓄は相変わらず健在だが、本格ミステリーを期待した読者はちょっと期待はずれかも。

「泥田坊」…多々良と沼上が、伝説蒐集の旅の途中に遭難しかけて、やっと見つけた村で怪しい人影を見つけた後、ある男の家に泊めてもらい、翌日発見した死体のせいで容疑者扱いされるという展開は、「岸涯小僧」と全く一緒。結構先が予想できてしまう話ではあるのだが、事件との共通項があって話題に上ってくる「泥田坊」という妖怪の分析が、なかなか興味深い。いつも思うのだが、京極作品の中の妖怪についての記述が、どこまで史実でどこまで筆者の創作なのか非常に曖昧で、そこがまたこの作品群の魅力の一つなのであろう。今回も、多々良が直接事件を解決するわけではないが、彼が解決の糸口を作ったのは間違いない。当分こういうスタンスでいくのだろう。他のシリーズとの差別化があってそれはそれでよいのではと思う。

「手の目」…「岸涯小僧」「泥田坊」ともに約150ページの短編だが、さすがにこの文庫のタイトルにもなった「手の目」は約200ページもある作品だ。相変わらず作品冒頭では俺こと沼上が旅先でセンセイに腹を立てているのだが、今回のネタはギャンブルである。卑怯な手でセンセイに将棋で負けた沼上は、得意の花札で勝負を挑もうとし、ヒロイン富美が宿の女将さんのところへ花札を取りに行き、その旦那が行方不明になったという話を聞いたところから物語が動き始める。女将の話だと、原因は女に違いないというのだが、その村の男達の多くが同じように女遊びにふけっているという話に疑問を抱いた一行は、村の長老に話を聞きに行き、その直後自殺未遂の男を発見して、それをきっかけに村の男達がはまっているものの正体が明らかになる。結構先が読めてしまう上に、誰一人死ぬことがなく、最後はハッピーエンドという展開に、おどろおどろしいものを期待していた読者は物足りないものを感じてしまうかもしれないが、元々このシリーズはそういうノリなので、妖怪の勉強をしつつ、そういうほのぼのとした登場人物の行動をほほえましく見守るのが、この作品の正しい楽しみ方と言えよう。

「古庫裏婆」…前作で、このシリーズは、おどろおどろしいものを期待せず、ほのぼのと楽しむものだと述べたが、250ページにも渡る最後のこの作品は、京極堂シリーズ顔負けのおどろおどろしい京極ワールドを満喫することができる。何せ、本家本元の京極堂がついにもの多々良先生シリーズに登場するのである。期待するなという方が無理な話だ。ある年の夏の終わり、俺こと沼上とセンセイが、衛生展覧会という警察主催の巡回展で、展示されていた即身仏を見ているときに、昔の同人誌仲間の冨与巳と出会うところから物語は始まる。冨与巳は行方不明の即身仏を探しているというのだが、どうもこの展覧会に展示されているものは別物だったらしい。やがて沼上とセンセイの二人は、憧れの東北旅行に出かけるのだが、その旅先で身ぐるみはがされ、怪しい行人寺の世話になることに。そこから先はお楽しみなのだが、そこには期待通りの京極ワールドが待っている。前3作のような詳細な妖怪分析こそないものの、「古庫裏婆」という題材を見事に料理し、我々の前に提示してくれている傑作である。京極堂の前に、あの超個性的なセンセイも小さく見えてしまうのだが、二人の直接対決(?)を是非見てみたいものである。

 

2006年10月購入作品の感想

『陰摩羅鬼の瑕(おんもらきのきず)』(京極夏彦/講談社)★★

 2003年8月に講談社ノベルスとして刊行され、この9月に文庫化された。早速購入したが、1200ページを超える厚さにいつもながらすぐには手をつける気にならず、ちょっと間をおいてから一気に読破した。この前作にあたる多々良先生シリーズの「今昔続百鬼」に京極堂が登場し、もしやと思っていたが、今回の作品はまさに「今昔続百鬼」から続く流れになっている。もちろん前作を読んでいなくとも、この作品は独立した1つの作品として楽しめるのだが、続けて読んでいる京極堂ファンは、思わずニヤリとするところであろう。
 さて、舞台は昭和28年の白樺湖畔の洋館。元々伯爵の家柄の由良家に嫁いだ花嫁が式の翌日変死するという事件が15年にわたって4回も続いており、今回は、その最後の事件から8年後に5回目の式が行われるにあたり探偵・榎木津礼二郎が警護に呼ばれるところから物語は始まる。実際には、急な病で一時的に視力を失った榎木津の助手として呼びつけられた、常に鬱状態の小説家・関口が、由良家の当主・昂允と生と死について問答をしているシーンから始まるのだが、これは意図的なものなのかどうなのか(たぶん意図的なのであろう)、あまりにも容易に結末を予想させる内容で、これはどうかなというのが第一の感想であった。というのも、推理好きの読者の推理を誤った方向にうまく誘導していって、最後にどんでん返しを用意しておくのが推理小説の定番と言えようが、今回はどのように良い意味での裏切りを見せてくれるのかと思いきや、あまりにも結末が予想通りだったので、少々期待外れの感があったのは否めないのだ。儒学の思想や死者の葬り方に関する様々な考察など、相変わらず豊富な蘊蓄には興味深い部分もあり、今回は、そういう学術的なアカデミックな部分のウエイトを上げているのか言えばそうでもなく、(そういう意味で結末の推理をあえて容易にしているのではと先に述べたわけであるが)特にそういう印象は受けなかった。むしろ、シリーズ初期の作品と比較すれば、蘊蓄部分は抑えられている方だろう(中盤の林羅山に関するくだりが少々長すぎ、早く物語に戻ってほしくてイライラしたが)。
 で結局今回の見所がどこかと言えば、物語の主体が次々と変わっていって、その流れの中で主要登場人物の内面が深く掘り下げられているところだろう。何だかんだ言っても、本作品の主役といってもよい関口、それに対する昂允、そして元刑事の伊庭らの人間像に惹かれて、本作品を最後まで読み切れたといっても過言ではなかろう。それでも、やはり、ラストでもっと大きな衝撃が得られるような構成にしてほしかったというのが正直な感想であった。

 

2006年12月購入作品の感想

『暗黒館の殺人(上)(下)』(綾辻行人/講談社)★★

 「このミス」2005年版(2004年作品)第7位作品。自分が推理小説に本格的にはまるきっかけとなった綾辻氏の館シリーズだが、その最新刊「暗黒館の殺人」は2004年9月に講談社ノベルスとして刊行されて以来、なかなか文庫化されないため(おそらく文庫化は2007年)、出張に合わせて図書館で借りることに。いつも以上に多数の登場人物と、建物の間取りを把握するのに少々時間を要するがそれにはすぐに慣れる。九州の山深い地図にも載っていないような湖に浮かぶ孤島に建つ漆黒の館が今回の舞台。今回の主人公かと思われたおなじみ江南孝明は序盤で脇役に転落…。その後、館の主の息子・浦登玄児に招待された大学生・中也の視点から描かれることになるのかと思いきや、江南孝明の視点に戻ったり、暗黒館をこの目で一目見てみようと冒険心を持ってやって来た中学生・市朗の視点になったり…。そして読み進むに連れて、著者の罠らしき内容の矛盾点がいくつも見つかる。どのようなどんでん返しが待っているのか楽しみながら読み進めていったのだが…。

 ここから先はネタバレありということで、今後この書で推理を楽しもうと思っている方は、この先を読むのを遠慮していただきたい。さて、先述した多くの内容の矛盾点からは、どうやらこの作品は、同じ場所を舞台にして2つの時間軸で描かれているという見当が付く。時間を固定して別の空間での出来事を、あたかも同じ場所で起こっていることのように描いた館シリーズの前作「黒猫館の殺人」とは逆の手法である。綾辻作品初心者には素直に引っかかっていただき、上級者にはそれぐらい気づかせてあげようという程度のレベルで著者は書いているようで、何が何でも引っかけてやろうという意志はうかがえない。怪しいところは傍点などで強調し、それなりに臭わせている。何よりも序盤で筆者が読者を惹きつけようとしているネタは浦登家に伝わる「肉」の正体である。いかにもそれは不死をもたらすという人魚の肉を思わせるが、実は初代当主の妻・ダリアの肉だったという オチだ。しかし、まず、一応メインの主人公と言える中也が、人魚の肉ではないかと考え始めるまでが引っぱりすぎ。読んでいる誰にでもバレバレである。まあ、実は人肉だったという衝撃的事実に向けてあえて引っぱったのであろうが、その オチもかなり最初の段階から読者の予想の範囲内で、それほどの衝撃はもたらすことができていない。次々と明らかになっていく浦登家の乱れた家系の真実も今どき衝撃的と言うほどのものではないし、所々で明らかになる館の忍者屋敷的仕掛けも全く大したことはない。物語はどんどん終盤に向かっていき、もしかしてこのまま終わってしまうのかというところで、やっとクライマックスがやってくる。時間軸の違いで、館を訪れ記憶喪失になった男が江南孝明でなく、以前館に住んでいた使用人の息子・江南忠教であったというのも予想の範囲内であったが、なんと彼が子供の頃、館が火事に見舞われたとき、同じ年代であった浦登玄児と入れ替えられていたというのだ。そして間髪入れず、この作品の主人公・中也こそ、この館シリーズの館を設計した謎の建築家・中村青司その人だったという驚愕の事実が明らかに。中也というのが玄児の名付けた愛称であることから、本名に関しては絶対何かあるとは思っていたが、そういう オチとは思っても見なかった。最後の最後でやっと綾辻行人の本領が発揮されたという感じである。しかし、読者をこの時間軸のトリックに縛るために著者がとった手法というのが、江南孝明の「夢 オチ」というのはさすがにすっきりとは受け入れがたい。物語の冒頭で暗黒館の塔から落ち気を失った江南孝明は、夢の中で過去に同じ行いをした江南忠教と意識を共有し、江南忠教が過去に体験したことはおろか、この館で過去に起こった事件の全てを、あらゆる過去の人物の視点から見てしまったという設定は、あまりに無理がありすぎるのではないか。そんな強引な手法で、「ほうらトリックに引っかかった」と言われても気分が悪い。もちろん著者にそんな意図はないのかもしれないが、この作品が館シリーズの集大成と言えるものであっても、館シリーズの最高傑作かと言われれば賛同しかねるというのが正直なところ。どうやら著者は、この作品で館シリーズを完結させるつもりはないらしい。次回作では、是非ともこれまでのような爽快な読後感を味合わせてくれるものを期待したいものだ。

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