現代ミステリー小説の読後評2009〜2010
※タイトル横に【ネタバレ注意】の表記がある作品はその旨ご注意を
2009年1月購入作品の感想 『ゴールデンスランバー』(伊坂幸太郎/新潮社)★★★ 「このミステリーがすごい!」2009年版(2008年作品)1位、2008年本屋大賞1位 、第21回山本周五郎賞受賞作品。さらに第139回直木賞候補にもなりながら「執筆に専念したい」という理由でノミネートを辞退したという、いわく付きの作品。久しぶりの宿泊人間ドックのお供に、何かいい本がないか考えたときに真っ先に浮かんだ本がこれ。これだけ話題になった本を文庫 化するまで待っていられないと思い、ドック出発前に書店に平積みされたハードカバー本を購入。「伊坂幸太郎作品の集大成!」と絶賛する声が大多数の中、「そこまでの作品ではないだろう」というネット上の一部のコメントが気になっていたのと、2004年に読んだデビュー作「オーデュポンの祈り」、そして昨年読んだ「アヒルと鴨のコインロッカー」に対し、実際自分は微妙な感想を持っていたので少々心配もあったのだが、今回この作品を読んでみて正直驚いた。突っ込みどころ満載だった「アヒル〜」と比較すると全くというほど突っ込む隙がなく、「アヒル〜」の最大の魅力である甘く切ないエッセンスはそのままに、ミステリーのスケールは国家レベルにまで大きくふくらんでおり、「アヒル〜」では読者に中途半端にしか与えられなかった感のある感動が、今回は次から次へと押し寄せてくる(特に終盤)といった具合だ。自分の好きな小説ベスト5にいきなりランクインしたと断言できる。すでに5作品が映画化(予定含む)されている伊坂作品だが、本作品も間違いなく映画化されるだろう。前述の「そこまでの作品ではないだろう」というネット上のコメントは、本作品登場以前まで伊坂作品の中で 高い人気をほこっている「重力ピエロ」を意識したものかもしれないと考え、比較する意味でも早速購入してしまった。「オーデュポン〜」を読んだときに、「重力〜」が文庫化されたらすぐ買おうと言っておきながら、2006年に文庫化されているにもかかわらず未だに手を付けていなかったことを大いに反省する。紹介が遅くなってしまったが、物語のあらましは、数年前にアイドルを暴行犯の魔の手から救って一躍ヒーローになった宅配便のドライバー・青柳雅春が、国家レベルの陰謀で首相暗殺の濡れ衣を着せられ、容赦のない警察の追跡から必死で逃げ回るというものである。所々で過去のシーンに飛び、主人公は楽しかった学生時代を回想する。そして、その過去のシーンに登場する人物達も、現在の青柳の動向に注目しつつ、彼を何とか助けようと手を差し伸べようと、彼の知らないところで努力するのだ。青柳は仲間の助けを借りて無事逃げ切れるのか、見えざる権力によって闇に葬られてしまうのか、最後まではらはらどきどきの連続である。これはもう文句なしの傑作、誰にでも勧められる必読の1冊である。 |
2009年2月購入作品の感想 『重力ピエロ』(伊坂幸太郎/新潮社)★★ 「このミステリーがすごい!」2004年版(2003年作品)3位、直木賞候補作品。「ゴールデンスランバー」(08年)以前の人気の高い伊坂作品ということで、「ゴールデン〜」と比較すべく文庫本を購入した。ネットなどで調べてみると、伊坂作品の中で一番好きだという人も少なくないようなのだが、結論から言うと、個人的には「ゴールデン〜」はもちろん、「アヒルと鴨のコインロッカー」(04年)にも及ばないと思う。やはり伊坂作品は新しい作品ほど洗練されレベルが上がっていると感じる。「ゴールデン〜」09年1位、「アヒル〜」05年2位、「重力ピエロ」04年3位という「このミス」での順位も妥当と思われる。主人公の泉水と、その二つ下の弟・春の兄弟には、父親が異なるという辛い過去がある。そして、発生する連続放火事件と、その現場近くに残されている謎のグラフィティアート。さらに、その放火現場と落書きの現場には遺伝子のルールとの奇妙なリンクがあることに泉水が気付いて…。といった物語なのだが、まず、この作品に重い影を残す春の生い立ちに、読者は眉をひそめずにはいられない。その内容よりも、いかに残酷であろうと、ありえない展開であろうと、とにかくインパクトのある設定を突きつけて読者を引きつけようという意図が見え隠れするところに若干の不快感を抱いてしまうのは私だけだろうか。そして肝心なミステリー部分であるが、放火・落書き現場と、遺伝子のルールのリンクについては、裏表紙のあらすじを読むまでもなく誰でも気がつくものであるし、兄弟それぞれがこれからやろうとしていることや春の父親の正体などについても、読者はすぐに見当をつけてしまうだろう。物語終盤の、事件の犯人に対する登場人物達の中途半端な対応に対しても微妙な感想を持つ。「謎解きに乗り出した兄が遂に直面する圧倒的な真実とは−。溢れくる未知の感動、小説の奇跡が今ここに。」という裏表紙のコメントは明らかに言い過ぎ。決して面白くない作品とは言わないが、「ゴールデン〜」を読んでしまった人(特に同等の感動を期待する人)には正直なところ積極的に勧められない。 『ナイチンゲールの沈黙(上)(下)』(海堂尊/宝島社)★★
あの『チーム・バチスタの栄光』の続編である。宝島社は公正を期すため自社の作品は「このミス」にノミネートせず、その結果ランキングにも登場しない。しかし、『バチスタ』の面白さを知ってしまったら、とりあえず次回作に期待して買ってしまうのは当然であろう。といっても2008年秋に文庫化されていたのに、年明けになってやっと購入し2月末にやっと読み終えた。
前作『ナイチンゲールの沈黙』では、ずいぶん厳しいことを書いてしまったが、本書を読むとなぜか全て許せてしまう。なんと、本書は前作と同じ東城大学医学部付属病院を舞台に、同じ時間軸で並行して語られる物語なのである。前作は本作のエピローグ的作品だったのだ。両作品で起こる2つの事件は直接には関係しないが、様々な場面で両作品はリンクしていて、両方を読み比べると色々と楽しめ、それだけで前作の存在価値がある。さらに驚くことに、前作の感想で「引っ張った割に事件のスケールが前作に比べ余りに小さすぎる」と書いたが、なんと本作では、前作のような殺人事件1つ発生しない。それでも前作以上に物語に引き込まれるのだから恐れ入る。 |
2009年4月購入作品の感想 『赤朽葉家の伝説』(桜庭一樹/東京創元社)★★★
「このミステリーがすごい!」2008年版(2007年作品)2位となった作品。たまたま立ち寄った図書館で見つけ、その鮮やかなデザインのカバーにも惹かれて借りたもので購入したものではない。同年度1位に輝いた「警官の血」(佐々木譲)とわずか1点差だったこともあり、相当の期待感を持って読み始めたが、結論から言えば予想以上に素晴らしい作品であった。前述した「警官の血」は、昭和の時代から三代にわたって警官となった男達の物語であったが、偶然にも本作品は、同じ時代に三代にわたって鳥取の山奥にある旧家を支えた女達の物語である。三代記ということで、章立ても「最後の神話の時代−赤朽葉万葉」「巨と虚の時代−赤朽葉毛毬」「殺人者−赤朽葉瞳子」という三部編成になっている。 |
2009年5月購入作品の感想 『禁断のパンダ』(拓未司/宝島社)★★
2007年に行われた第6回「このミステリーがすごい!大賞」の大賞受賞作品で、2008年1月に出版された。未だ文庫化されないので図書館で借りることにしたのだが、このミス大賞の大賞受賞作を読むのは、第4回の『チーム・バチスタの栄光』、第5回の『ブレイクスルー・トライアル』に続いて、これで3作品目。前の2作は十分に楽しませてくれたので今回も大いに期待して読み始めた。 『ジョーカー・ゲーム』(柳広司/角川書店)★ 「このミステリーがすごい!」2009年版(2008年作品)で、1位の「ゴールデン・スランバー」に差はつけられたものの2位にランクインした作品。昭和13年に諜報や防諜、宣伝など、秘密戦に関する教育や訓練を目的として開設された陸軍中野学校がモデルと思われる「D機関」にまつわる5編の物語が収められている。 第1話は、本作のタイトルにもなっている「ジョーカー・ゲーム」。「魔王」と呼ばれる結城中佐がスパイ学校として「D機関」を開設するにあたり、陸軍上層部が出した条件は、参謀本部からの出向者を受け入れることであった。そしてその役を任されたのが、本編の主人公・佐久間中尉である。「D機関」を快く思っていない参謀本部の武藤大佐は、アメリカ人技師ジョン・ゴードンにスパイ容疑をかけ、「D機関」に証拠を押さえるよう命じたが、そこには「D機関」つぶしの罠が仕掛けられていた。憲兵隊を装った「D機関」のメンバーと共に、偽隊長としてゴードンの自宅に踏み込んだ佐久間の運命は…という展開である。戦時中に日本軍人でありながら全く他の軍人とは異なる思想を持った「D機関」のメンバーは、既成概念に縛られた我々の目には非常に新鮮に映る。そして、その頂点に立つ結城が、作中で最も魅力的な人物として描かれているわけだが、欲を言えば「魔王」と呼ばれるにふさわしい不気味さ、強烈なインパクトがもっとあっても良かったのではないか。淡々と読み切れてしまうところが心地よいという人もいるとは思うが、物足りないと感じる人も少なからずいるように思われる。 第2話「幽霊」では、洋服屋の店員として英国総領事公邸に出入りする「D機関」のメンバー蒲生次郎の活躍を描く。蒲生の目的は、総領事グラハムが要人暗殺計画に関わっているどうかを調査することであり、彼はグラハムの好きなチェスの相手として頻繁に公邸に通う環境を作り上げた。その調査は行き詰まりを見せたが、結城のアドバイスにより思わぬ展開に…という物語である。この物語も淡々と進んでいき、蒲生の様々な策によって最後にスマートな結末を迎える。このあたりが「最高にスタイリッシュなスパイ・ミステリー」と評される所以であろうが、やはり若干の物足りなさを感じてしまうのは自分だけだろうか。 第3話「ロビンソン」では、ロンドンで写真屋を営む「D機関」のメンバー伊沢和男が、英国の諜報機関に囚われの身となるところから物語が始まる。自白剤を打たれる寸前に彼が思い出したのは、日本を発つ直前に結城が餞別として渡してくれた1冊の本「ロビンソン・クルーソーの生涯と不思議な驚くべき冒険」であった。そこに一体どんな意味があるのか。果たして伊沢は無事に脱出することができるのか…。確かにスパイ活動の様々な手口を知ることができ、それらの技術を巧みにこなしてピンチを乗り切っていく主人公の姿を追っていくことは楽しいのであるが、やはりここもインパクト不足を感じる。あまりにあっさりしすぎ。もっとハリウッド映画的な、ハラハラドキドキ感があっても良いと思うのだが。
第4話「魔都」は、やっと読者の期待する妖しい世界を少し感じさせてくれた一編である。上海に派遣されて三ヵ月、いまだに上海での生活になじめない本間憲兵軍曹は、自分の上官であり、長い上海生活での活躍が評価され出世が約束されている及川憲兵大尉から、憲兵隊の中にいる敵国の内通者を探し出すよう命じられる。前任者は3日前に殺害され、犯人は捕まっていないらしい。その命令を受けた直後、及川の自宅が爆破された。そんな状況の中、本間は知り合いの新聞記者から、大学時代の同級生の草薙が「D機関」の一員として上海に潜入しているという情報をつかむ。 第5話「ダブル・クロス」は、「魔都」以上にかなり早い段階で先が読めてしまう話である。結城中佐の命令で、二重スパイの容疑のかかっていたドイツ人海外特派員記者のシュナイダーを調査していた飛崎少尉は、この命令を「D機関」の「卒業試験」と考え調査に尽力していた。しかし、飛崎が張り付いていたにもかかわらず、シュナイダーは遺書を残して死亡してしまう。自殺なのか?何者かに消されたのか?「D機関」のメンバーはそれぞれ結城中佐の命令通り調査のため散っていった。果たして飛崎は真相にたどり着くことができるのか…といった話だが、前述したように事件自体はたいしたことはない。この話のポイントは、現在の事件と主人公の過去とのリンクにある。そして印象的なラストシーン。謎の多い結城中佐の一面を垣間見ることができる貴重なエピソードである。しかし、この話も、もっと印象的な演出ができたはずだ。 すべての物語に共通するのは、やはり物足りなさ。スパイ小説と言えば生死を賭けたハラハラドキドキ感を味わう物だと思うのだが、仮にこの作品がそこを狙っていないにしても、あまりにも物語に厚みがないというか、飾り気がなさ過ぎる。完成に至る前のプロットを読んでいるような感じがするのだ。そのあたりがバージョンアップされた続編があるのなら、ぜひ読んでみたいと思う。 『女王国の城』(有栖川有栖/東京創元社)★★
有栖川作品で読んだことのあるものは「朱色の研究」のみで、正直あまり良い印象がなかったため、その後この著者の作品を読むことはなかったのだが、「このミステリーがすごい!」2008年版(2007年作品)で3位に入っていた本書をたまたま図書館で見かけたので借りることにした。 |
2009年6月購入作品の感想 『悼む人』(天童荒太/文藝春秋)★★★
「このミステリーがすごい!」2000年版(1999年作品)で1位を獲得した「永遠の仔」に感銘を受けて以来、是非次回作も読んでみたいと思いながら、発売から半年も手を付けていなかったこの作品。もちろん文庫化されていなかったこともあるが、それ以上に「今回はミステリーではない」というのが読まなかった最大の理由だった。しかし、意を決して図書館で借りて読むことに。 |
2009年8月購入作品の感想 『邪魅の雫』(京極夏彦/講談社)★★
「このミステリーがすごい!」1995年版(1994年作品)の『姑獲鳥の夏』から4年連続でランクインした京極作品も、最近はすっかりランキングから遠のいてしまったが、決して作品の質が落ちたとか、そういうことではなく、単に読者がより新しいモノを求めているということと、京極作品がシリーズ物のため新しい読者は途中参加しづらいということが、その理由であろう。 |
2009年10月購入作品の感想 『告白』(湊かなえ/双葉社)★★★
久しぶりに何か読んでみようと図書館の棚を眺めていて本書を発見。「このミステリーがすごい!」2009年版(2008年作品)の4位作品ということで、各年の上位3作品程度までしか読んでこなかった自分としては特に注目していなかった作品だったのだが、筆者にとって、これがデビュー作であり、しかも前年度の伊坂幸太郎著「ゴールデンスランバー」に続く2009年度本屋大賞受賞作品であることを今更ながらに知って読むことに。少々陳腐な言い方をすれば、今も議論が続けられている現行少年法への問題提起的作品ということになるのだろうが、この作品の読者を引きつける力は半端ではない。読書中も、読み終わった後も、不愉快さしか感じないといった読者もいるかもしれないが、逆に、えも言われぬ爽快さを感じる読者も少なくないはずだ。 『サクリファイス』(近藤史恵/新潮社)★
前回の読書で「このミス」の4位以下にも注目してみようと考え直し、さっそく図書館で見つけて借りたのが、「このミス」2008年版(2007年作品)の7位作品であったこの『サクリファイス』。日本ではマイナースポーツである自転車ロードレース(クローズドコースを走る競輪とは違う)を舞台にした物語であることは知っていたが、「押し寄せる感動!」「絶対に損はさせません!」「この厚さの中で、これだけの感動と物語を描き出すことができるのか!と、きっと驚かれることと思います」と派手に煽った帯の言葉の数々につられて選んだ。 『私が殺した少女』(原ォ/早川書房)★★ 「このミス」1989年度1位作品。「このミス」は、1990年より1990年刊行の作品の集計結果を1991年度版として発表するようになったので、この作品は1989年刊行の作品である。これだけ古い作品だが、今回はレンタルでなく、ちゃんと書店で購入した。「このミス」の第2号で発表された20年前の作品に、なぜ今頃手を出したかというと(3位の「奇想、天を動かす」と8位の「生ける屍の死」は読書済み)、「1988−2008年版 ベスト・オブ・ベスト発表!(別冊宝島「もっとすごい!! このミステリーがすごい!
」)」の3位にランクされていたから。ちなみに1位は宮部みゆきの「火車」(1993年度版・1992年2位作品)で、これは随分前に購入して読んだはずなのだが全く記憶に残っていない。読んだのがHPを始める前だったため、記録も残っていないのが残念。本は残っているはずなので、また読み直すか…。 |
2009年11月購入作品の感想 『首無(くびなし)の如き祟るもの』(三津田信三/原書房)★★
「このミステリーがすごい!」2008年版(2007年作品)5位作品で図書館で借りた。三津田作品には、作者と同名の作家三津田信三を登場人物としたシリーズと、流浪の幻想小説家・刀城言耶(とうじょうげんや)を語り手としたシリーズがあり、本書は「厭魅(まじもの)の如き憑くもの」「凶鳥(まがとり)の如き忌むもの」に続く後者のシリーズの第3弾にあたる。ちなみに第4弾「山魔(やまんま)の如き嗤うもの」は2009年版(2008年作品)8位作品で、こちらも図書館ですでに借りてある。 『山魔(やまんま)の如き嗤うもの』(三津田信三/原書房)★★
「このミステリーがすごい!」2009年版(2008年作品)8位作品で、前述の「首無の如き祟るもの」と同時に図書館で借りた。 『インシテミル』(米澤穂信/文藝春秋)★★
「このミステリーがすごい!」2008年版(2007年作品)10位作品で、これも図書館で借りたもの(最近図書館の利用が多くなってきた)。10位という低さが少々気になったが、意味深なタイトルと「このミス」で読んだあらすじが面白そうだったので借りることに。そのタイトルの意味だが、物語を最後まで読んでも謎のまま。表紙には「THE
INCITE MILL」という英語表記もあるが、「INCITE」の意味は「励ます、 激励する、
刺激して…させる」、「MILL」の意味は「ひき臼、 製粉機、
精米機、工場、製作所、工作機械、(人・事柄を機械的に処理する)公共機関」と、今ひとつしっくりこない。ストーリーからすると「人にある刺激を与えて、人を処理していく機関」という解釈がもっとも近いだろうか。しかし、「INCITE」の発音は「インシテ」ではなく「インサイト」なのだが…(ちなみに車のインサイトは「INSHIGT」)。「ミステリーに淫してみる」「謎の施設にインしてみる」と、まあ、いろいろ解釈のしようはあり、その辺で読者に悩んでもらうのも計算のうちなのかも知れない。 |
2009年12月購入作品の感想 『扉は閉ざされたまま』(石持浅海/祥伝社)★★★
「このミステリーがすごい!」2006年版(2005年作品)2位作品で、最近の例に漏れず図書館で借りた。
表紙に描かれたサイトウユウスケ氏によるリアルかつ、やや人形チックな登場人物のイラストが目を引く。登場人物を自分なりにイメージしたい人には余計かもしれないが、個人的には嫌いではない。表紙カバーの見開きには、「『鍵のかかった扉を斧でたたき壊す』本格ミステリの世界にはよくあるシーンです。『そうではない』話を書こうと思いました。」という著者の言葉。なかなか挑戦的である。 『完全恋愛』(牧薩次/マガジンハウス)★
「このミステリーがすごい!」2009年版(2008年作品)3位作品で、前出の『扉は閉ざされたまま』と一緒に図書館で借りた。帯にはこのミスのランキングについてはもちろん「第9回本格ミステリ大賞小説部門受賞」「綾辻行人さんも激賞!『これはもう、感動するなというほうが無理な話なのである』」とある。自分が敬愛する綾辻氏がここまで絶賛するのだから自然と期待も高まる。 『そして誰もいなくなった』(アガサ・クリスティー/早川書房)★★★
現代のミステリー小説を十分に楽しむには、海外の古典作品も知っていなければいけないことに今更ながら気がつき、久々に図書館ではなく書店に行き、「ミステリが読みたい!2010年版オールタイム・ベスト・ランキングforビギナーズ第1位」という帯の付いた本書を発見。本書は、先日読んだばかりの「インシテミル」や、自分がミステリにはまるきっかけになった「十角館の殺人」など、多くの現代ミステリが影響を受けている名作ということで、いつかは読まねばと思っていたものだったため、帯との相乗効果で即購入した。この「ミステリが読みたい!」は早川書房が2007年からやっているランキングで、ストーリー、サプライズ、キャラクター、ナラティブという4つの基準によって、評価者がそれぞれ25点満点で評価をするというものである。 『新世界より(上)』(貴志祐介/講談社)★★
「ゴールデン・スランバー」「ジョーカー・ゲーム」「完全恋愛」「告白」に続く「このミステリーがすごい!」2009年版(2008年作品)5位作品。舞台は何と1000年後の日本。これはミステリ小説という以前にSF小説なのである。主人公は中学生くらいの少女・渡辺早季。彼女が35歳になったとき、過去に体験した事件を1000年後の世に伝えるため、書き記すことにしたその内容が、この作品という体裁をとっている。彼女の生きる世界は、自然が現代以上に豊かになっている以外は、一見現代と変わらない風景に見える。しかし、人々が住む町の周りは八丁標(はっちょうじめ)というもので囲まれており、子ども達はその外へ出てはいけないことになっている。その外には、バケネズミや悪鬼や業魔という恐ろしい生き物がいるから危険だというのである。では、なぜ大人は良いのかといえば、大人は呪力と呼ばれる念動力を身につけているため身を守ることが出来るからだ。子ども達には知らされていないが、小学校の卒業条件が自然発生的なこの呪力を得ることであり、呪力を得た子どもはしかるべき手続きを経たのちに全人学級という施設に進学できる。子ども達は自分の将来のために、さらにそこで呪力を磨くのである。早季も同級生から遅れながら全人学級に進学することができた。全人学級進学後の序盤では、早季、真理亜、覚、瞬、守の仲良し5人組の、バケネズミとの出会い、搬球トーナメントの様子が描かれる。搬球とは呪力を用いた球技であり、式神を用いた競技の様子を描いた万城目学著「鴨川ホルモー」(2006年)を思い起こさせる。正直このあたりはただひたすら不思議な世界観が描かれているだけで特に面白くはない。そして、上巻のメインとも言える全人学級最大の行事・夏季キャンプの話へと移っていく。生徒だけで八丁標の外に出て利根川をカヌーで遡り、テントを張って7日間過ごすというものだ。ここでミノシロモドキという謎の生物に出会ってしまったことが5人の運命を大きく変えてしまう。キャンプを通して、早季は様々な恐ろしい体験を重ね、結局4人の友人のうちの1人を失ってしまう…というのが上巻の物語のあらすじである。 『新世界より(下)』(貴志祐介/講談社)★★
上巻を読んでいる間は、「いつまで著者の妄想につきあえばいいのか」という不満すら感じていたが、下巻を前にして早く読みたいという欲求が抑えられないことに気がつく。著者の「呪力」にまんまとやられたようだ。 『アクロイド殺人事件』(アガサ・クリスティ/新潮社)★★
今月6冊目である。1カ月にミステリー小説を6冊も読むのは自己の過去最高記録かもしれない。「そして誰もいなくなった」が意外と面白かったので、クリスティの代表作を一通り読むことを決意し、「そして〜」の次に選んだのが本作品。あとは「オリエント急行殺人事件」「ABC殺人事件」あたりが今後の読書候補に挙がっている。本作品は、出版社によって「アクロイド殺し」「アクロイド殺害事件」などタイトルが異なる。著者がベストセラー作家の仲間入りするきっかけになった作品であり、また、現在では珍しくなくなった叙述トリックによりフェア・アンフェア論争が起こるなど発表時大きな話題になった歴史的作品ということで選んだが、「そして〜」や「オリエント〜」に比べると一般的な知名度は今ひとつのような気がする。 『黒百合』(多島斗志之/東京創元社)★★ なんと自分でも驚きの今月7冊目である。またまた自己記録更新だ。今回の作品は「このミステリーがすごい!」2009年版(2008年作品)7位作品である。1952年の夏、3人の少年少女が避暑地の六甲山で出会い、そこで生まれる淡い恋…。本書の帯でも、他の紹介文でも、だいたいそんな感じで紹介されている本書。一体そんな話のどこにミステリーの入る余地があるのか。単にそれだけの青臭い文芸書なら正直あまり読む気はしないと思いつつも借りてしまったので、とりあえず読み始める。目次によると、その1952年の少年少女の話と、そこから17年さかのぼった別の話が並行して語られるスタイルのようだ。読んでいて惹かれるのは、宣伝されている現在(1952年)の話より、やはり過去の方の話。両方の話に共通して登場する人物が何人かいるのだが、それぞれの物語において、はっきりリンクさせられていない人物をつなぎ合わせていくのが、どうも本書の楽しみ方らしいが、1つの殺人事件が途中にさらりと描かれているだけで、いつまでたっても肝心のミステリーらしさはどこにも現れない。どういう終わり方をするのだろうと思いきや、終盤で過去の殺人事件に関連のある殺人事件が再び発生し、ラストで誰も予想しなかった犯人が読者のみに明かされる。著者のミスリードもあって、まず犯人当ては不可能と思ってよい。この作品の味わいは、そんな叙述トリックうんぬんよりも、少年少女達が事件に関わり犯人に迫っていくというありがちなパターンでなく、事件の真相など彼らは全く知らぬまま青春真っ盛りの少年少女の夏が終わりを迎えるという展開にこそあるのではないかと思う。叙述トリックだけなら目新しいものではないからだが、やはり中学生の青春物語がメインに据えられていることについては好き嫌いが出てしまうのは仕方がないかもしれない。 読み終えた直後に著者の失踪がニュースになってちょっと驚いた。 『ABC殺人事件』(アガサ・クリスティ/新潮社)★★ 今月ついに8冊目。決してヒマなわけではないのだが…。ポワロのもとにABCの署名のある挑戦状が届き、被害者名と事件現場名がアルファベット順となるような連続殺人事件が発生する。第1の事件がアンドーヴァでのアリス・アッシャー殺害、第2の事件がベクスヒルでのベティ・バーナード殺害というように。最初から、いかにも犯人らしき怪しい人物が登場しているが、ミステリに慣れている読者であれば、明らかな犯人が探偵役によって追い詰められていくコロンボ的展開ではなく、著者がミスリードを狙っているものであることはすぐに気が付く。この作品も「アクロイド殺人事件」同様、だらだらした展開が結構気になるが、そこから一気に事件に片が付く結末は確かにそれなりの爽快感がある。しかし、その解決の過程には多少の無理を感じざるを得ない。怪しい人物が捕まった時に、その人物と真犯人がポアロの言うようなつながりを持っていたのであれば、真犯人が残した物証が絶対見つかるはずなのに、何も発見されなかったというのはあまりにも不自然。そのあたりの不満点を除けば、よく計算された作品ではある。 |
2010年1月購入作品の感想 『四日間の奇蹟』(朝倉卓弥/宝島社)★★
第1回「このミス大賞」大賞受賞作品。「このミス大賞」大賞受賞作品で過去に読んだのは、第2回の「パーフェクト・プラン」、第4回の「チーム・バチスタの栄光」、第5回の「ブレイクスルー・トライアル」、第6回の「禁断のパンダ」以来、5冊目である。 『アマルフィ』(真保裕一/扶桑社)★★
フジテレビ開局50周年記念作品として2009年7月公開された映画公開に先立ち4月に刊行された作品。この映画の脚本は、監督の西谷弘氏と真保裕一氏の2人が担当したが、真保氏が「1人で書き上げたわけではない」という理由でクレジットに名前を載せることを辞退したため、映画の脚本家のクレジットが存在せず、日本シナリオ作家協会が制作者側に抗議を申し入れるという「脚本家無記名問題」に発展した。真保氏が「最初の(自分の)アイディアが気に入っていたので小説ではそちらを採用した」「(映画の脚本は)最終的には自分の直しではないので、小説家仲間にこれが自分の脚本だとは思われたくない」と語っているように、映画の方では西谷氏によって不本意なものに変えられたことに納得できなかったようだ。案の定、映画は不評。内容の異なる小説版は、「ホワイト・アウト」で大きな感動を与えてくれた真保氏の作品だけに期待していたのだが、「このミステリーがすごい!」2010年版(2009年作品)には残念ながらランキングされず。2009年発表の国内作家のミステリー作品だけで550冊以上もあるのだから、公表される20位以内に入っていなくても仕方がないのかも知れないが、結論を先に言わせてもらえば、決して期待を裏切る作品ではなかった。 『Anniversary50』(綾辻行人ほか/光文社)★★
2009年12月にカッパノベルズの創刊50周年を記念して光文社から刊行された9人のミステリ作家によるアンソロジー。収録されている物語は、すべて「50」という数字をキーワードにして本書のために書き下ろされた作品である。 |
2010年2月購入作品の感想 『樽』(F・W・クロフツ/東京創元社)★★
図書館で素晴らしい本を見つけた。『東西ミステリベスト100』というタイトルの文庫本である。今から24年前の1986年に刊行されたこの本は、海外のミステリと国内のミステリをそれぞれ100作品ずつランキングし、あらすじやその作品にまつわる蘊蓄を紹介しているのだ。ミステリの古典をきっちり勉強してみたいと思っていた自分にはぴったりのガイドブックである。昨年読んだばかりのアガサ・クリスティ作品『そして誰もいなくなった』は4位、『アクロイド殺し』は8位にランクインしており、『ABC殺人事件』はランク外であった。このランキングを参考に、2位作品の『幻の女』〈ウイリアム・アイリッシュ〉(ミステリが読みたい!2010年版オールタイム・ベスト・ランキングforビギナーズ2位)、3位作品の『長いお別れ』〈レイモンド・チャンドラー〉(同4位)、17位作品の『死の接吻』〈アイラ・レヴィン〉(同5位)の3冊を書店で購入、7位作品であるこの『樽』と16位作品の『黄色い部屋の謎』〈ガストン・ルルー〉の2冊を図書館で借りた。さて、この『樽』は著者のF・W・クロフツが鉄道技師をしていた40歳の時、入院中に書いた処女作であり代表作であるとのこと。翻訳者の癖なのか、「」の独特の使い方が気になったが、49ページの「問題の樽は明るい青色に塗ってあり…」は、明らかに「問題の樽を乗せた馬車は明るい青色に塗ってあり…」の間違い。 『新参者』(東野圭吾/講談社)★★★
「このミステリーがすごい!」2010年版(2009年作品)1位作品。テレビドラマ化も早速決定したらしい。この作品の特徴は、ミステリ小説らしく確かに殺人事件が最初に発生し、その犯人を見つけるため刑事が捜査を開始するのだが、
前半においては、その被害者に焦点をほとんどあてないところである。日本橋で発生した一人暮らしの女性が絞殺死体で発見されるという事件を捜査するため着任したての
「新参者」刑事・加賀恭一郎は、犯人に繋がる情報をつかむため聞き込みにまわるのだが、その聞き込み先で展開される様々な人情ドラマがこの作品の肝なのである。ちょっとどころか、極上の「いい話」が9つも用意されている。 『死の接吻』(アイラ・レヴィン/早川書房)★★
『樽』の読後評でも書いたように、『東西ミステリベスト100』17位
にして「ミステリが読みたい!2010年版オールタイム・ベスト・ランキングforビギナーズ」5位の本作品を、他の何冊かの作品と一緒に購入したので早速読んでみた。著者の処女作であり代表作であるという点では、F・W・クロフツの『樽』と共通するものがある。しかし、驚くべきは、F・W・クロフツが『樽』を書いたのが40歳であったのに対し、アイラ・レヴィンが本作品を書いたのは弱冠23歳の時なのである。 『パフューム ある人殺しの物語』(パトリック・ジュースキント/) 【ネタバレ注意】★★★ 1985年に発表されたサスペンス小説なのだが、今回は映画版にたいしてのコメント(いつもの如くほとんどがあらすじの記録だが)。映画好きの職場の先輩が、これまで見た映画の中で5本の指に入る作品を教えてくれた中にあった作品で、さっそくレンタルしてみた。2006年に製作されたドイツ・フランス・スペインの合作映画で、日本では翌2007年に公開。監督はドイツのトム・ティクヴァ、脚本はトム・ティクヴァとアンドリュー・バーキン、ベルント・アイヒンガー。ストーリーは以下の通り。あまりに気に入ったので、内容を忘れたくない故、いつも以上に詳細にあらすじを書き留めておくことを最初に断っておく。これから、小説や映画に触れようとしている方は要注意。
冒頭で、牢獄から引きずり出され、興奮する大衆の前に引きずり出され死刑判決を受ける男。その男こそ、この物語の主人公、グルヌイユ(ベン・ウィショー)その人である。彼は、悪臭立ちこめる18世紀のパリの市場で誕生する。市場で魚を売る女が商売中に屋台の下でグルヌイユを出産、放置したことで、彼女は殺人未遂容疑で逮捕される。施設に送られた彼は、誰もかなわない特殊な能力を持っていた。それは、この世のすべての臭いをかぎ分ける能力であった。 あまりのインパクトに、すべてのあらすじを記してしまったが、すべてを読んでしまった方も是非一度映画を見ていただきたい。もちろん何の知識も無しに見るのが一番理想的ではある。レンタルしたDVDに何パターンかの予告編が付いていたが、あれもかなり見せすぎである。蒸留器の中の女性のシーンや、処刑台の上で群衆を煽る主人公のシーンなど、重要なシーンを安易に公開してしまうべきではなかった。この作品は、見た後にすっきりするわけでもないが、特に後味の悪さを引きずることもない。今まで体験したことのないインパクトと、独特の余韻を与えてくれたこの作品は、自分の見た映画の中でも確かに5本の指に入る傑作であった。 『黄色い部屋の謎』(ガストン・ルルー/東京創元社) 【ネタバレ注意】★★ 『東西ミステリベスト100』7位作品である『樽』と一緒に図書館で借りた同16位作品の『黄色い部屋の謎』 。いかにも古風な感じのタイトルが新鮮に感じられる。F・W・クロフツの『樽』、アイラ・レヴィンの『死の接吻』に続き、これも著者のデビュー作である。しかし、彼らと少し違うのは、『東西ミステリベスト100』にランキングこそされていないものの、『オペラ座の怪人』という代表作を別に持っていることであろう。最近の例に漏れず、読書記録として結末まであらすじを記すので、この先を読む方はご注意を。 事件は、スタンガースン博士が住むグランディエの城の離れである、通称「ぶな屋敷」と呼ばれた建物の中で起こる。この屋敷のメインルームは博士の実験室であり、その部屋の隣に、博士の娘で助手でもあるマチルド・スタンガースンの私室「黄色い部屋」があって、実験室に博士とスタンガースン家の老僕・ジャックがまだ残っている時に、マチルドが何者かに襲われて瀕死の重傷を負ったのである。鍵がかかっていて密室状態だった部屋に、博士とジャックが扉を破って飛び込んだ時、そこに犯人の姿はなかった。一体犯人は誰なのか、そしてどうやって逃げたのか。その謎に挑むのは、弱冠18歳の新聞記者ルールタビーユ と、その相棒であり本作の記述者となる弁護士・サンクレール。 そして、再び犯人がスタンガースン邸のマチルドの部屋に侵入しているのを発見したルールタビーユは、屋敷の廊下の各所に、ライバルとなる名探偵フレデリック・ラルサン、老僕のジャック、スタンガースン博士の3人を配置してから、犯人を取り押さえるべくマチルドの部屋の窓から飛び込んだが、廊下へ逃げ出した犯人はまたしても4人の前から煙のように消えてしまうのであった。そして、その数日後、三たびマチルドを襲う犯人。ルールタビーユとラルサンは睡眠薬で眠らされてしまったため、やむなく逃げ出した犯人に発砲するサンクレール。ジャックも発砲し手応えがあったが、庭で見つかったのは森の番人の刺殺体であった。マチルドの婚約者、ロベール・ダルザック教授を犯人と断定し、彼を警察に逮捕させたラルサンに対抗心を燃やすルールタビーユは、ダルザック教授の裁判の日に自分が現れなかったらこれを開けて読み上げるようにと新聞社の社長に真犯人の名前を書いた手紙を渡して旅に出た。果たしてそして裁判の日に裁判所に現れたルールタビーユに衆人の注目が集まるが、真犯人の名を明らかにするのは4時間後と告げ、裁判所内は大混乱。そして4時間後、ルールタビーユによってついに明かされたのは、なんとラルサンの名であった…。 この若い主人公の自信満々の態度と、サンクレール(筆者か)のやたらテンションが高く、今ひとつしまりのない文章が、面白 いと言えば面白いが大雑把と言えば大雑把に感じられ、この辺は評価が分かれそう。巻末の解説で問題点として挙げられている、謎のまま続編に引き継がれてしまういくつかの件については、それほど気になるものではなく、名探偵=犯人という1つのパターンを高いレベルで確立した歴史的作品という評価は全く間違いではないと言える。ただし、やはり本作品を文学的視点で見たり、現代のミステリのレベルで見てしまうと、大満足とは言えないのは仕方のないところ。 『幻の女』(ウイリアム・アイリッシュ/早川書房) 【ネタバレ注意】★★★ 『東西ミステリベスト100』、『ミステリが読みたい!2010年版オールタイム・ベスト・ランキングforビギナーズ』の両方で2位にランクされた作品だけに、否が応でも期待は高まる。
ある夜、妻と口論の末、家を飛び出した株式ブローカーのスコット・ヘンダースンは、気晴らしに近くのバーで出会った変わった帽子をかぶった若い女性に声をかける。彼女とレストランで食事をし、ショーを見に行った後、彼女と別れて深夜に帰宅してみると、そこには3人の刑事がおり、スコットのネクタイで絞殺された妻の死体と対面することに。彼は、一緒にいた変わった帽子をかぶった女性にアリバイを証明してもらおうとするが、帽子のこと以外に彼女の特徴をまったく覚えていないことに気が付く。しかも、バー、レストラン、タクシー、劇場という具合に、彼のたどったルートでいくら聞き込みをしても、目撃者は皆、スコットは1人だったと証言するのである。彼には若い愛人がおり、離婚を承諾しない妻ともめていたという事実があったこともあって、彼は殺人容疑で逮捕され、死刑判決を受けてしまう。彼は幻を見ていたのか、それとも目撃者全員が勘違いをしているのか、はたまた目撃者全員が何らかの理由で彼を罠にはめようとしているのか…。死刑執行の日まで残された時間は僅か。彼は親友・ロンバードに最後の望みを託す。
スコットに君は無罪だと思うと告げた刑事・バージェスは、バーに勤めるバーテンに真実を吐かせようと女を使って彼をつけ回し精神的に追い込むが、追い込まれたバーテンは事故死。スコットが事件の夜出会った盲目の乞食を見つけたロンバードだったが、その乞食も謎の死を遂げる…。 以上のような物語である。一番犯人でなさそうな人物が犯人で、怪しそうな人物が実は正義の味方だったというパターンは、今となってはミステリの定番中の定番であるが、70年近くも前の1942年に発表されたとは思えない面白さであった。最近、古典作品をいくつか読んでみたが、正直読んでいる途中苦痛に感じる部分が結構あって読了するのに時間がかかってしまっていたのだが、今回は全くそのようなことはなく一気に読み切ることが出来た。ミステリファン必読の1冊であることは間違いない。 |
2010年3月購入作品の感想 『ダブル・ジョーカー』(柳広司/東京創元社) 【ネタバレ注意】★★ 「このミス2010年版(2009年作品)」第2位、「本屋大賞2009」第3位作品。結城中佐が率いる陸軍の秘密諜報組織「D機関」をめぐる物語をまとめた「ジョーカー・ゲーム」の第2弾。前作は、結城中佐の「死ぬな、殺すな」というポリシーのせいもあって、スパイものにしては生死を懸けて任務に臨むような緊迫感がなく今ひとつの感があったが、果たして前作に続く5つの物語が収められた今回はどうか…。
第1話は本作のタイトルにもなっている「ダブル・ジョーカー」。ジョーカーは、トランプにおいて最高位の切り札として用いられる一方、時として有害にもなるカードであり、無視できない成果を上げながらも軍隊の常識から逸脱した異端の存在として描かれる「D機関」を象徴した表現と言える。今回は、結城中佐に対抗意識を燃やす風戸中佐によって、もう一つの秘密諜報組織「風機関」が設立され、2枚のジョーカーのうちどちらが生き残れるか、阿久津中将に試されるという物語である。元英国大使白幡樹一郎が、今夜英国のスパイと接触するという情報を、白幡の書生・森島から得た風戸は、部下に森島の処分を命じた後、深夜、白幡の別荘周辺に部下を配置した。しかし、なぜか別荘内に人の気配を感じないことに疑問を抱いた風戸は、一人で別荘内に突入する。そして、無人の屋敷の中を突っ切って一番奥の部屋の襖を開けた時、そこにいたのはなんと結城中佐であった。全ての真相を知らされ愕然とする風戸。
第2話「蠅の王」。前線の現地部隊を慰問団「わらわし隊」が訪れ、野戦病院に急遽設えられた簡易演芸場に詰めかけた日本兵は大喜びであったが、軍医の脇坂は複雑な気持ちでその講演を見守っていた。兄の影響でロシアのスパイになった脇坂は、前線でスパイ狩りが行われており、それに「わらわし隊」が関係しているという情報を得ていたからであった。「わらわし隊」の中の一体誰がハンターなのか、「笑わぬ男」という情報を元に芸人の一人に探りを入れる脇坂であったが、彼の口から出てきた名前に脇坂は驚愕する。その人物にまんまと作戦本部におびき寄せられた脇坂は拘束され、自分の考案した「ワキサカ式」と呼ばれる同志との連絡方法をはじめ、ありとあらゆる秘密が「D機関」によって掴まれていることを知り、愕然とするのであった。
第3話「仏印作戦」。中央無線電信所に勤める民間人の高林は、陸軍の電信係としてインドシナ連邦へ派遣されることになった。土屋少将の通信文を暗号化し、現地ハノイの郵便電信局から日本へ打電、また日本から届いた暗号化された通信文を解読し、土屋少将に渡すのが彼の仕事であった。ハノイに来て1ヶ月後、暴漢に襲われた高林を救ってくれた永瀬は陸軍少尉を名乗り、高林に新たな通信任務を依頼する。何か問題が起きた場合には、「D機関」の名を出せばよいと告げて…。永瀬に言われるがまま任務をこなす高林であったが、「D機関」のメンバーと思しき永瀬に、本部に出入りする現地の商人・ガオが仏印側のスパイではないかと伝えられ、ガオを避けるようになる。しかし、ガオらしき人物に尾行され追い詰められた高林は、その足音をきっかけに自分が永瀬に騙されていることに気づき本部へ連絡、永瀬のもくろみは失敗に終わる。そのおかげで、永瀬に協力していた失態は軍部から不問に付された高林であったが、ガオこそが「D機関」のメンバーであることに思い至るのであった。
第4話「棺」。ベルリン郊外で起こった列車の正面衝突事故。ヴォルフ大佐は、スパイ特有のマッチを持っていた男を尋問し、事故現場のアジア人の死体から奪ったものであるという証言を得る。男をゲシュタポに引き渡し、死体の人物・真木の調査を始めるヴォルフ。真木の自宅からは怪しい物は何も発見されなかったが、ヴォルフはスパイ特有の目立たない警報装置を見つけ、真木がスパイであったことを確信する。ヴォルフは、真木と同じ臭いのする男、日本のスパイ・結城を22年前に捕らえたものの、手痛い反撃にあって逃げられた経験を持っていた。真木の協力者が、真木の遺体が収容されている病院に引き継ぎに現れると考え監視を強化していたヴォルフであったが、彼に気付かれることなく結城自身がその引き継ぎに現れていたことを後で知り呆然とする。
第5話「ブラックバード」。ロサンゼルスの海岸でバードウォッチに興じていた仲根晋吾は、スパイ容疑で警察に連行される。彼の義父であり地元の有力者であるマイケル・クーパーによって解放された仲根であったが、彼こそ二重経歴を持ってアメリカに渡り、西海岸で情報を収集する任務を任された「D機関」のメンバーであった。協力者にすら気付かれることなくバードウォッチを利用して情報収集を続けていた仲根は、ついに組織に紛れ込んだ二重スパイを見つけ出すが、それに満足したのもつかの間、日本の真珠湾攻撃のニュースに驚愕する。第4話でのドイツでの自己処理に忙殺されていた結城の事情と、現地で情報交換をしていた兄の病死に気付かなかった仲根のミスによって、真珠湾攻撃の情報を事前につかめなかった仲根は、彼が時間をかけて築いた情報網をダメージを最小限に食い止めることもできないまま崩壊させてしまったのである。 『長いお別れ』(レイモンド・チャンドラー/早川書房) 【ネタバレ注意】★★★ 『東西ミステリベスト100』3位、『ミステリが読みたい!2010年版オールタイム・ベスト・ランキングforビギナーズ 』4位にランキングされた作品。先月購入したものの、他に購入したものや借りたものがたくさんあって、やっと読み始めることができた。
主人公は、他のチャンドラー作品でも活躍し、ミステリ界では最も有名な私立探偵の1人に挙げられるフィリップ・マーロウ。彼はレストランの前に停められたロールス・ロイスの中で酔いつぶれ、運転する女に置き去りにされた男、テリー・レノックスに奇妙な友情を抱く。テリーを自宅に送るマーロウであったが、11月の末に再会したときも、テリーはやはりショーウインドーの前で酔いつぶれていた。マーロウに再び助けられたテリーは再起を誓ってラスベガスへ旅立っていった。クリスマスの3日前、マーロウは、テリーが一度別れた億万長者の末娘シルヴィアと再婚したことを知らされる。彼女こそ、以前レストランの前にテリーを置き去りにした女性であった。その後、マーロウのオフィスに現れたテリーは、金には困っていなかったものの幸福には見えなかった。そしてある日の早朝、憔悴しきったテリーが拳銃をにぎりしめてマーロウの前に現れ
、飛行機に乗るため国境近くのメキシコの町まで車で送ってほしいと言う。誓って犯罪は犯していないことを宣言するテリーを信じ、言うとおりにしてやったマーロウが帰宅すると、そこには刑事が待ち受けており、シルヴィア殺害容疑で手配されているテリーの逃亡を助けた容疑で執拗な取り調べを受ける。友情のため黙秘を続けたマーロウであったが、テリー自殺の報と共に解放される。事件はシルヴィアの父によって、闇に葬られようとしていた。 以上が、この物語のあらすじである。登場人物が多い上に、抽象的で分かりにくい表現が多いのが少々気になる。訳者も理解して訳しているのか疑問な箇所がいくつかあった。終盤の展開も結構分かりにくい。こうしてあらすじをまとめてみて整理するとなんとか理解できるという感じだ。アイリーンに気があったはずの主人公が、いつの間にかラストでリンダと関係を持つのも唐突。男と女は何があるか分からない、と言われればそれまでなのだが…。ここまで細かい不満を記したが、トータルで見れば、「そして誰もいなくなった」「幻の女」同様、ミステリ史に残る名作であることは間違いない。後世のハードボイルド小説は、本作品の影響を多大に受けていることだろう。著者の当時のアメリカ社会に対する批判が、登場人物の口から何度も語られている点も興味深い。確かにミステリファン必読の1冊だ。 『粘膜蜥蜴』(飴村行/角川書店) 【ネタバレ注意】★★
2008年「粘膜人間」で第15回日本ホラー小説大賞長編賞を受賞しデビューを果たした著者の2作目で、「このミステリーがすごい!」
2010年版(2009年作品)6位作品である。1作目のあらすじはだいたい知っているが、問題作と騒がれたのも納得の内容。そして今回世界観を共有する本作品も相当ぶっ飛んでいるというか、かなりイカれている。過去に読んだ作品で近いのは「このミス
2007年版(2006年作品)」で1位となった平山夢明の「独白するユニバーサル横メルカトル」だろうか。あそこまでは壊れておらず、一応それなりのストーリーはあるが、正直受け付けない人は全く受け付けないエログロ系の作品である。
第1章「屍体童子」では、まず国民学校初等科に通う12歳の子供たちが登場する。この物語の主人公で、両親に死なれ兄と共に叔父夫婦に育てられた堀川真樹夫。町の権力者で、この町唯一の病院の院長である月ノ森大蔵の息子、月ノ森雪麻呂。そして食べ物には目のない中沢大吉の3人である。ある日雪麻呂は、下男の爬虫人・富蔵を伴い、真樹夫と大吉を自宅に招待する。雪麻呂に病院の秘密の地下室に連れて行かれた2人は、そこで不気味な老人が管理する屍体保管所と、精神的におかしくなった3人の兵隊を隔離した病室を見せられる。雪麻呂の命令で兵隊の1人を刺激した大吉は、取り乱したその兵隊に殺されてしまい、パニックになる真樹夫と雪麻呂。真樹夫は、その死体を翌朝までに解体しないと殺すと雪麻呂に命令され地下室に閉じこめられる。死体を解体できないまま地下室で眠りに落ちた真樹夫であったが、夢の中に兄の美樹夫と老いた爬虫人が現れ、大吉は生き返ると告げる。雪麻呂に叩き起こされ彼に殺されかけた真樹夫は、その直後、美樹夫の言ったとおり大吉が生き返ったことで窮地を脱した。 最近の例に漏れず結末までまとめさせてもらったが、それほど酷い話でもないのでは、と思う方もいるかも知れない。しかし、それは間違いである。相当な量を端折っているので、このあらすじの結末まで読んでしまった方でも、本作を実際に読み出すと、その世界観に拒絶反応を示さない人であれば、読み終わるまで手が離せないほどに世界に引き込まれてしまうだろう。単なるエログロ作品ではな く、人間の負の部分から人間の愛憎を描いた傑作であるという見方もあながち間違いではないと思える作品なのだ。興味を持たれた方は、是非その目で確かめてもらいたい。 『グラスホッパー』(伊坂幸太郎/角川書店) 【ネタバレ注意】★★★ 「このミステリーがすごい!」2005年版(2004年作品)18位作品。低めの順位が気になるが、この年は2位に「アヒルと鴨のコインロッカー」、16位に「チルドレン」と、20位以内に3作も伊坂作品が入っていたので伊坂ファンの票が分かれてしまっただけなのかもという期待と、奥さんの蔵書の中にたまたまあったこと、そして何より著者自身が「今まで書いた小説の中で一番達成感があった」と語っていたと聞いていたことで、今回読むことにした。
主人公の鈴木は、交通事故で妻の命を奪いながら何の罰も受けずに暮らしている男・寺原長男に復讐するため、中学教師の職を辞し、長男の父が経営している悪質なキャッチセールス会社「令嬢(フロイライン)」に契約社員として潜入し、復讐の機会を窺いながら1ヵ月の間黙々と働いていた。そんなある日の夜、先輩社員で自分の教育係である同年齢の比与子に、会社への忠誠を証明するため、拉致した若い男女の殺害を強要される。しかし、2人の目の前で長男は何者かに交差点に押し出され車に轢かれて死亡。比与子の命令は、急遽、長男を突き飛ばした犯人を追跡することに変更される。 以上がこの作品のあらすじなのだが、正直この作品がなぜ18位なのか理解に苦しむ。やはり3作品同時ランクインのしわ寄せが大きいと思われる。確かに、伊坂作品の典型的な主人公(=お人好しですぐトラブルに巻き込まれる)が、押し屋と思われる男の正体をつかむため、彼の前で咄嗟に家庭教師の営業を装うシーンはあまりに馬鹿げていて読者を呆れさせるが、それ以外は非常に良くできたミステリだと思う。良心の呵責から精神を病み、次第に酷くなっていく幻覚に悩まされながらも全てを精算し楽になるため仕事を続ける鯨、冷酷無比なナイフ使いの蝉と相棒の岩西の絶妙なコンビ、感情を表に出さず穏和な良い父親を装う押し屋の槿。彼らは皆殺人者でありながら不思議と憎めないキャラクターで、主人公以上に読者を楽しませてくれる。終盤の急加速する展開も見事。構成の妙はあったが読んでいてやたらとストレスを感じた同年2位の「アヒルと鴨のコインロッカー」よりも、こちらの方が個人的には好感を持った。 『Another(アナザー)』(綾辻行人/角川書店) 【ネタバレ注意】★★★ 「このミステリーがすごい!」2010年版(2009年作品)3位作品。綾辻作品が色々なミステリ小説を読むきっかけになった自分としては、「新参者」「ダブル・ジョーカー」に負けたのは悔しいものの、久々の上位ランクインは喜ばしい限り。
主人公は15歳の少年・榊原恒一。大学教授でインドに長期間のフィールドワークに出かけることになった父の都合で、死んだ母の実家に世話になることになり、中学3年の4月に東京を離れて夜見山市にやって来た。来て早々に自然気胸を発症し入院することになった恒一は、ある日、病院の地下に降りるエレベーターの中で、見崎鳴
(みさきめい)という少女に出会う。5月に入って退院し、叔母の怜子に転校先の夜見山北中学に伝わる七不思議と、そこでの心構えの一部を聞かされ、その翌日に初めて夜見山北中学に登校した恒一は、教室の窓際の席に鳴の姿を見つける。教室全体に漂う妙な静けさ、堅苦しさ、緊張感に戸惑う恒一だったが、次第にクラス委員長の風見やお調子者の勅使河原といった仲間達の中に溶け込んでいく。体育の見学中、旧校舎の屋上にいる鳴を見つけ会話することに成功するが、彼女からは「私には近寄らない方がいい」と言われてしまう。診察のため、入院していた病院を訪れた恒一は、顔見知りになったナースの水野に、鳴と最初に出会った日に誰か死んだ人がいなかったか調べてくれるよう依頼する。あの日、鳴が向かっていたのが地下2階の霊安室以外に考えられなかったからだ。そして恒一は、その日死んだのが「ミサキだかマサキだか、そんな名前」の中学生の少女だったことを知る。
以上が、この物語のあらすじである。怜子が「死者」であることを臭わせる記述は作中にいくつもあり、早い段階で気がついた読者も多いことであろうが、残念ながら自分はそれを疑いつつも「怜子=三神先生」というトリックに気付くことが出来ず、そのことを確信することができなかった。しかし、そのおかげで最後の「どんでん返し」を楽しむことができたとも言える(負け惜しみかもしれないが)。帯の「ホラーと本格ミステリの融合」という言葉に嘘はなかった。それなりに賛否はあるようだが、個人的には高く評価したい作品である。 『犬なら普通のこと』(矢作俊彦+司城志朗/早川書房) 【ネタバレ注意】★★
「このミステリーがすごい!」2010年版(2009年作品)5位作品。ヤクザを主人公にしたクライムノベルである。50歳を前にして沖縄での生活にうんざりしていた真栄城一家の理事・ヨシミは、組の金庫の金を強奪し高飛びする計画を立てる。大きな取引を控え、組のダミー会社の金庫に2億という大金が眠っていることを知ったヨシミは、自分で開けることのできる本部の金庫に金を移させるため、金庫番をしている社長の葛西を襲撃するが、葛西を殺害した直後に組長の真栄城が一緒にいることに気が付き、やむなく社長同様射殺してしまう。ヨシミのアリバイ工作をしていた共犯の舎弟・彬は、その途中で指定場所を抜け出した挙げ句、口説いた女・早枝子に薬を盛られて昏倒していたが、早枝子はその場から逃げることなく、彬に県警の暴力団担当・川満殺害を依頼する。その頃ヨシミの妻・森は、400万円ほど入っていたはずの貯金通帳が空になっていることに愕然とする。ヨシミが今回の作戦資金にするため勝手に引き出していたのだ。台湾から戻ってきていた副社長の柴田によって、取引の続行と金庫の金の移動禁止が決められ予定が狂ったヨシミは、直接取引現場を襲うやり方に計画を変更する。現金を運ぶ組の車を彬が足止めしている間に、取引相手の米兵のヤクザ・カーキマフィアを始末したヨシミだったが、遅れてやってくるはずの組の車も同様に襲う予定が、結局柴田の意向で取引は延期になってしまう。しかし、柴田に反発する専務の上原の指示で金は会社の金庫ではなく本部の金庫に入れられ、ヨシミにチャンスが巡ってくる。ヨシミは彬を処分し、森を高飛びのためのクルーズ船に乗せることを決め、彬は彬で、ヨシミを裏切り早枝子と高飛びすることを決めていた。一連の騒動を対立組織の仕業と考え、戦争に備えて厳戒態勢の本部であったが、ヨシミと彬の計画など知るすべもなく、2人の襲撃に次々に組員が倒れていく。早枝子を殺した柴田の片腕・エリマキも倒したヨシミだったが、彬に撃たれ命を落とす。彬は全てが終わった後、柴田を呼び出した。柴田の手先だった彬の情報によりヨシミの計画は全て柴田に筒抜けで、社長をダミー会社に呼び寄せヨシミの計画を狂わせたのも柴田だった。柴田は彬に報酬の金を渡し、国外逃亡の手配を約束して送り出すが、柴田とつるんでいた米軍の男・アッカーマンにより、川満同様に彬は処分された。全てはこの2人の仕組んだものだったのである。そして外国航路の待合室で、森は来るはずのないヨシミを待ち続けていた…。 『龍神の雨』(道尾秀介/新潮社) 【ネタバレ注意】★★ 「このミステリーがすごい!」2010年版(2009年作品)9位作品。2010年版のランキング作品は1,2,3,5,6位と読んだのでこれが6冊目になるが、9位となるとさすがに厳しいかもと少々不安を抱きつつ読み始めた。正直読み始めてすぐに不愉快きわまりなくなる作品であると思った。まずは、義父を殺害しようとする主人公のその殺害方法があまりにも適当で、これがいきなり気に障るのだが、この後の展開がことごとく不愉快なのだ。これまでにもグロテスクな作品、残酷な作品は数多く読んできたが、あまりに非現実的だとかえって気になるものではない。しかし、この作品は妙に現実味があって非常に気分が悪くなる。景気のいいときは不幸なドラマが流行って、景気の悪いときにはその逆になる、という話を聞いたことがあるが、この作品はまさに幸せでしょうがない人が刺激を求める場合に勧めることはできても、そうでない人には勧められない作品であると思った。
第1章。フリーターの添木田蓮と中学生の楓の兄妹は、母が再婚してすぐにその母を交通事故で失い、部屋に閉じこもってばかりいる義父と暮らしているが、義父が楓を性の対象として見ているのではないかという出来事が起こり、蓮は義父に殺意を抱くようになる。そして、中学生の溝田辰也と圭介の兄弟は、父が再婚してすぐにその父を亡くし義母と暮らしているが、兄の辰也は義母に懐かず万引きを繰り返し義母を困らせることを生き甲斐にしているような毎日を送っており、弟の圭介は逆らいがたい兄と優しい義母の間に挟まれて苦しい思いをしている。この似たような境遇の2組の家族が、台風の日を境に恐ろしい事件に巻き込まれる。その日、蓮は台所のお湯を出しっぱなしにして外出することで湯沸器に不完全燃焼を起こさせ、部屋に籠もっている義父を一酸化炭素中毒事故に見せかけて殺害する計画を実行するが、自分の行為に恐ろしくなった蓮はバイト先の酒屋から自宅に電話する。誰も電話に出ないことに恐怖がピークに達した蓮は、電話の際中に酒屋の店内で万引きを行った溝田兄弟を鬼の形相で取り押さえるが、その後早く帰宅した楓が何事もなく電話に出たことで自分の計画が失敗したことを知り落ち着きを取り戻し、警察に連絡することなく溝田兄弟を義母に引き渡す。これで一件落着したかのようだが、恐ろしい事件は着々と進行し続けていた。帰宅した蓮は楓の様子がおかしいことに気が付き楓を問いただしたところ、楓は義父から暴行を受けた後義父を殺害したことを告白し、蓮は床下の収納庫から義父の死体を発見する。死体を車で運び山中に埋めることにした2人だったが、死体を運んでいる姿を万引きの件を蓮に謝りに来た溝田兄弟に目撃されてしまう。 以上がこの物語のあらすじである。終盤でのどんでん返しは確かに目を見張るものがある。そして、冒頭からずっと救いようのなかった話の数々の中にいくつか救いがあったことが明らかになり胸をなで下ろす部分もある。しかし、やはり最初に抱いた不愉快さはすべてぬぐい去れるものではなく、中途半端さを感じる結末も気分が悪い。そしてタイトルに登場し、文中にも何回か出てくる龍神の扱いも何となく中途半端。登場人物の深層心理を反映させた存在と言うことなのだろうが、序盤であれだけ具体的に描写しておきながら結局ただの幻覚で、終盤ほとんどその存在に触れないのはどうなのか…。色々な意味で非常に良くできているとは思うが、9位はきっと妥当なランキングなのだろうと納得させられた作品であった。 |
2010年10月購入作品の感想 『容疑者Xの献身』(東野圭吾/文藝春秋)★★
今年3月までの怒濤の読書はいったい何だったんだろうと思えるぐらい4月以降バタバタと忙しく、定期購読している車雑誌に目を通す以外はろくに読書をしていなかったのだが、10月に入って思わぬ時間ができたため、奥さんの書庫から1冊借りてきて読み始めた。というわけで今更ながらの本書である。
「このミス2006年版(2005年作品)」第1位作品であり、なんといっても第134回直木賞受賞作品である。「ガリレオ」シリーズ第1作目『探偵ガリレオ』を2007年に読んでそこそこ満足し、2作目以降の作品を読む気はあまりなかったのだが、本書はいつか読もうと思っていた1冊で、今回やっとその機会が巡ってきたわけである。最近は、自分の読書内容をきちんと記憶にとどめておくため、あらすじを詳細に記録し、【ネタバレ注意】と警告表示していたのだが、今回はあらすじはさらっと記すにとどめておく。今は詳細に記す時間もエネルギーもないので…。 『ラッシュライフ』(伊坂幸太郎/新潮社)★★ 今や押しも押されぬ人気作家の仲間入りを果たした伊坂幸太郎だが、正直自分の中では絶賛できる作品は『ゴールデンスランバー』のみ。過去の自分の読後評を見ても、高評価なのは他に『グラスホッパー』くらいで、これも今になってみればほとんど印象に残っていない。むしろ『アヒルと鴨のコインロッカー』の方がもう一さじ足りない惜しい作品として印象に残っている。『容疑者Xの献身』に続いて奥さんの書庫から取り出してきた本書『ラッシュライフ』は、デビュー作『オーデュポンの祈り』に続く伊坂幸太郎の2作目の作品である。冒頭にエッシャーの騙し絵が掲載されているが、実際に物語の中に登場するだけでなく、読者が騙し絵の鑑賞者のごとく作者に騙されることも暗示している。文庫版の裏表紙のあらすじには「併走する4つの物語」とあるが、実際には@権力者の画商・戸田に従わざるを得ない女性画家・志奈子、A妙なポリシーを持った一匹狼の泥棒・黒澤、B新興宗教の教祖・高橋に憧れる河原崎、C不倫相手のサッカー選手・青山とお互いの配偶者の殺害計画を練る精神科医・京子、Dリストラされた後、偶然拳銃を手に入れた豊田という5つの視点で物語は進んで行く。この5つの物語が実は複雑に絡んでおり、読者が最後に一つに収斂していくさまを体験することが、まさに騙し絵を見ているがごとき感覚なのである。実に緻密に作られたパズルのような作品で、その点については感嘆させられる。それほど衝撃的な展開やトリック等があるわけではなく、読者は少しずつ自然にパズルがはまっていく様子を楽しむことができる。ただし、この複雑さが、展開のわかりにくさに繋がっているのも事実であるし、複雑なパズルを成立させるために無理をしている部分が目に付くのも事実。例えば豊田に関する例を挙げると、彼が拳銃を持っていると知っているのに再び襲ってくる若者の行動は不自然であるし、『ゴールデンスランバー』にも同じようなシーンがあったが、襲われた豊田を都合良く通りかかった車が助けてくれるという展開もご都合主義的。戸田によって明るい未来を奪われた佐々岡を、あるマンションの一室に誘導した人物の異様な行動や、死体と一緒に狭い場所に隠れざるを得なくなった人物の冷静な対応なども到底納得のいくものではない。人気作家の作品というだけで、ついあら探ししてしまう部分もあるのは否定しないが、ラストもきれいにまとまっているようで中途半端な印象は否めず、傑作とは言い難いのが正直なところ。 『秘密』(東野圭吾/文藝春秋)★★★ これも奥さんの書棚から拝借したもの。妻の直子と小学5年生の娘・藻奈美を乗せたバスが崖から転落。夫の平介の前で生き残った娘が意識を取り戻すと、娘の肉体に妻の心が宿っており、それから平介と娘(妻)の「秘密」の生活が始まるという物語である。文庫版の裏表紙には「98年のベストミステリーとして話題をさらった感動の長編」とあるが、「このミス99年版(98年作品)」 9位ということでノーマークだった。しかし、実際読んでみて驚愕。これだけの傑作がなぜこれが9位なのかという驚きである。やはり98年が当たり年だったということだろう(1位の『レディ ・ジョーカー』は今年の3月に文庫化されたばかりで未読だが、読了した2〜5位の『燃える地の果てに』『理由』『屍鬼』『天使の囀り』はいずれも名作揃いであった。未読の6〜8位作品もチェックせねばなるまい)。今年の1月に読了した第1回「このミス大賞」大賞受賞作『四日間の奇蹟』(03年/朝倉卓弥/宝島社)が 発表された時、「物語の核になる仕掛けが、ある人気作家の先行作品とほとんど同一」という指摘を受け、その「先行作品」こそがまさに本書であるわけなのだが、夫婦の問題を題材にしているという点で自分はむしろ『スキップ』(95年/北村薫/新潮社)の方が思い浮かんだ。『スキップ』では、昭和40年代初めの17歳の女子高生の心が、既婚者となった25年後の自分の中に飛んでくるという設定で、当時の書評にもあったように、物語から性的なものを完全に排除している点が不自然で気になったのだが、本書はその点にも正面から真摯に向き合っている。また、娘が成長するにつれ、娘を心配する父親以上に、夫として妻の男性関係を気にして苦悩する平介の姿も、多くの男性読者の共感を呼んだであろう。もちろん、若い娘の肉体を手にし人生をやり直せる機会を得ながら、平介の妻という立場がある以上、青春を存分に謳歌できない直子の苦悩も見事に描かれている。唯一気になったのは、序盤において、図書館で人格の憑依について調べ、過去に海外で起こった同じような事例では結局元の人格に戻ったという事実を知る平介の様子が描かれるが、物語が進行していく中で、平介がそのこと(憑依した人格はいつか消えるという事実)を全く思い出さない点。この点にはかなり不自然さを覚えるが、これが、終盤のある展開に対するインパクトを高めるための伏線であることには、読者はすぐに気が付くであろう。そして、最後の最後に究極の「秘密」が明らかに。読んだ直後は、あまりの切なさに、「この部分は蛇足だったのでは」とも思ったが、この結末があってこその本書だと思い直した。広末涼子主演で映画化された時は結末が原作と違ったようだが、先日放映が始まった志田未来主演のTVドラマではどのように描かれるのだろうか。いずれにせよ、この結末あっての本作。文句なしの傑作である。 『レディ・ジョーカー』(高村薫/新潮社)★★ 「このミス99年版(98年作品)」9位作品の『秘密』に思いのほか感動したため、今年の3月にやっと文庫化(上・中・下の3冊)された1位 作品『レディ・ジョーカー』をさっそく購入。1947年、日之出ビールに元社員・岡村清二から送られた怪文書の全文から物語は始まる。リストラにあった自分の本当の解雇理由はもしかしたら部落差別にあったのではないかという趣旨の文書なのだが、会社を強く糾弾するわけでもなく、謂わんとしていることが分かりにくい、まさに「怪文書」。そして舞台は1990年へ。競馬仲間の物井、半田、高、布川、松戸の5人が登場する。物井は、しがない薬局を経営する岡村の弟であり、苦労して育てた娘に毛嫌いされた上、日之出ビールへ就職しようとしていた孫・秦野孝之を交通事故で亡くしていた。刑事の半田は、逸脱捜査でそれまでの殺人事件の担当を外され、日之出ビールが孝之に就職内定を与えなかった件に対する、父・秦野浩之の度重なる不可解な形での抗議に関する捜査に回されていた。在日で信金に勤める高、レディとみんなが呼ぶ障害を持った娘を連れているトラック運転手の布川、若い旋盤工の松戸、いずれも幸福からはほど遠い人生を送ってきた者達であった。施設で岡村の死を看取った物井は、老いた今、これまでの虚しい人生を振り返って最後に何か成し遂げたいと願い、仲間と協力して日之出ビールから大金をせしめることを思いつく…というのが上巻 第2章までの内容。様々な物事が複雑に絡み合っている上に、主体性のない何をしたいのか分からない人物ばかりが次々に登場し、正直、読むのにかなり疲れる。一老人の物井が、大企業の日之出から金を奪おうと一大決心する動機も曖昧で感情移入できない。しかし、これだけ高い評価を受けている作品なのだから、何かあるのだろうと読み進め ると、ここからがこの作品の真骨頂であることを思い知らされる。第3章で「レディ・ジョーカー」を名乗るグループによる日之出ビール社長誘拐事件が発生し、前述の5人からの視点は消え、誘拐される社長の城山、事件を捜査する刑事の合田、そして事件を取材する新聞記者達の視点で物語は進んで行く。超濃密なルポタージュ小説と言おうか、人物の心情の描き込みがとにかく圧巻。しかし、グリコ森永事件をモチーフにしているとは言え、基本的にはフィクション。実際にあった事件を徹底的に取材してもここまでは書けないだろう。筆者の力量恐るべしである。人物のみならず頻繁に登場する競馬場のシーンなど、あらゆるディテールに隙がなく、作品世界に引き込まれていく。ただ一つ物語とは他のところで読みながら考えさせられたのは登場人物の頭の切れ具合。理解不能なくらい頭の悪すぎる人物が登場する作品にもストレスがたまるが、城山にしろ合田にしろ、あまりに優秀すぎて、自分とは住む世界が違うというか、登場人物の誰にも太刀打ちできそうにもない劣等感に少々苦しめられた。さて、中巻、下巻と、登場人物達の様々な駆け引きが描かれ、全く退屈はしないのだが、巻末が近づいてきても一向に結末を迎える感じの展開にならないことに不安を感じ始める。しかし、物語に当然結末はやってくる。その結末は正直後味の良いものではない。社会の暗部が多数描かれたこのような物語にハッピーエンドなど存在しないことは読んでいれば分かることなので、その後味の悪さは肯定するにしても、それまでの徹底的に描き込まれた展開と比較すると、ラストはあっけなさすぎな印象は否めず消化不良な気がする。それなりのエピローグは用意されているのだが、せめて、失踪した布川と、奪った金の行方くらい臭わせてほしいと思ったのは自分だけだろうか…。 |
2010年11月購入作品の感想 『びっくり館の殺人』(綾辻行人/講談社)★ 20年近く前、自分のミステリー熱再燃のきっかけとなった綾辻氏の「館」シリーズ。本作はその第8弾であるが、2006年3月に発表され、2008年11月にノベルス版が刊行されていた記憶もおぼろげで、今回購入した文庫版が今年の8月に刊行されていたことも今回書店で見つけて初めて知り、 綾辻ファンとしては恥ずかしい限り。そして早速読み始めて、すぐに気になった点が2つ。1つは主人公・三知也の友人で、「びっくり館」のリリカの部屋で殺された館の主・龍平の孫の名が俊生で、三知也の兄の名も十志雄と、発音が同じ。そして文中の俊生の表記はなぜか「トシオ」と片仮名になってるのがいきなり怪しい。 また、龍平の死体を発見した三知也と、同級生のあおい、俊生の家庭教師の新名の3人が、「大急ぎで先にしなければならないことをしたあと、ぼくたちは念のため、もう一度〈リリカの部屋〉を調べなおした」という一文が、またいかにも怪しい。余りに見え透いた仕掛けは、読者をミスリードするための作者の罠か? そんな警戒心を抱きながら読み進め、読み終わった時の正直な感想は、とにかく物足りないということ。前者の疑問については全くトラップなしでがっがり。後者に関しては予想通りのオチの伏線であったが、そのオチ=龍平殺害の真犯人があまりにも…。リリカとトシオの父親の謎も予想通り。あとがきを読んで初めて知ったのだが、本作品は児童向けの「ミステリーランド」というレーベルから発表されたものらしい。よってあまりに難解な謎解きを仕掛けられなかった事情は分かるにしても、もう少しいつもの意外などんでん返しを見せてほしかったところ。『神様ゲーム/麻耶雄嵩』(2006年版5位)、『銃とチョコレート/乙一』(2007年版5位)、『怪盗グリフィン、絶体絶命/法月輪太郎』(2007年版8位)と、ミステリーランドの他の作品が「このミス」にランクインしているのを見ると、もっと頑張れたのではと思ってしまう。ここは次回作に期待したい。 |