現代ステリー小説の読後評2013

※タイトル横に【ネタバレ注意】の表記がある作品はその旨ご注意を

2013年月読了作品の感想

『アルバトロスは羽ばたかない(七河迦南/東京創元社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2011年版(2010年作品)9位作品。舞台は、児童養護施設・七海学園の子供たちが通う七海西高校。ある年の11月下旬に行われた文化祭の日に屋上からの転落事故が発生する。本当にそれは事故だったのか、それとも事件だったのか。その謎を探偵役の主人公が追う様子が描かれるのが「冬の章」で、これがプロローグの直後からエピローグの直前まで断片的に配置され、その間に過去の学園の様子を描いた「春の章」、「夏の章」、「初秋の章」、「晩秋の章」が挟まるという構成である。ミステリを読む場合、多くの読者は、結末にたどり着くまでに何とか自分で事件の真相を明らかにしてやろうという意識を持つものであろう。いわゆる「犯人当て」であるが、正直この作品では諦めた方がよい。100%不可能だと断言しよう。帯にある「終盤のどんでん返しが読者に与える衝撃は半端ではない」というコメントは事実である。しかし、「いま、もしも『ミステリの素晴らしさってなんですか?』と問われたなら、なにもいわずにそっと本書を差し出したい」というもう一つのコメントには首をかしげざるを得ない。さて、ここからネタバレをするので、本作をこれから読もうと思う方は、この先は読まないようにお願いしたい。
 さて、終盤にそれだけ強烈などんでん返しが待っているパターンと言えば…、そう、叙述トリックである。昨年読んだ
「このミス」2000年版(1999年作品)9位作品『ハサミ男』がまさにそれで、ネタが明かされた瞬間には本当に頭がパニックになった。しかし、本作も『ハサミ男』に勝るとも劣らない叙述トリックの塊である。映像化は全く不可能。ネタをばらさずにあらすじを説明するのにも苦労する作品だ。ここからは個人的な備忘録ということで、完全にネタバレさせていただく。読者は最初、校舎の屋上から転落し意識不明で眠り続けているのは瞭という女生徒で、保育士の北沢春菜が、彼女を突き落とした真犯人を見つけるために奔走する話だと理解する。そして、最後までそれを大前提に読み進めるのだが、もうそこから完全に作者に騙されている。ラストシーンで主人公が追い詰めた犯人は、なんと被害者と思われた瞭。これが最初のショック。そして、瞭に突き落とされた本当の被害者が春菜。これが二度目のショック。一体何がどうなっているのか?では、犯人を追っていたのは一体誰なのか?なんと探偵役は春菜の同僚(正確にはボランティアであり保育士ではない)であり友人の佳花だった。騙された一因は現在を描いた「冬の章」以外の「春の章」、「夏の章」、「初秋の章」、「晩秋の章」の主人公が間違いなく春菜であること。これらのエピソードは、春菜が書き残したノートの内容という設定なのだ。「冬の章」もそれ以外の章も、語り口調が全く同じなので、当然主人公は同じなのだろうと思ってしまう。で、「冬の章」の主人公が実は佳音だったというオチなのだが、ここが問題だ。思わず「冬の章」を読み返してみたのだが、かなり強引なミスリードがあちこちに見られる。一番ひどいのは冒頭のシーンだろう。事件後に刑事課を訪れた主人公が警察官に「北沢春菜です」と語りかけるのだ。つまり実際には「北沢春菜の件で訪ねてきたのですが…」というニュアンスの佳音のセリフだったというわけなのだが、そんな解釈が読者に出来るわけがない。誰がどう読んでも、春菜自身が名乗っているとしか受け取れまい。それから春菜のアパートの前で大家さんの家族に「北沢さん、北沢さんですよね?」と呼ばれて「あ、はい」と主人公が返事をするシーン。春菜の顔を知らない大家さんの家族が佳音を春菜と勘違いし、呼ばれた佳音も思わず返事をしてしまったということなのだが…。『ハサミ男』以上にアンフェア感満載の作品だ。この作品に「ミステリの素晴らしさ」があるかというと、やはり私は認めたくない。

『シューマンの指(奥泉光/講談社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2011年版(2010年作品)5位作品。この年のベストテンは8位の『小暮写真館』以外読了したが(『小暮写真館』は次に読み始めるべくレンタル済み)、本作を読み終えた今、この5位という位置は妥当に思える。3位の『叫びと祈り』が今ひとつ印象的ではなく、ちょっと高すぎるかなと思えるくらいで、この年のあとの並び方にはほぼ納得だ。本作を含めた5位以上の作品は、読んで損のないお勧めと言っておこう。
 さて、本作には、一般的なミステリ小説の例に漏れず殺人事件は登場するが、なくても成立するのではと思えるくらいの音楽を主題とした心理小説である。本作は314ページまであるが、事件が起こるのはちょうど真ん中くらいで、それまでは延々音楽について語られ続けるのである。決して専門的すぎるわけでもないのだが、クラシック好きな人、幻想的な少年達の交流に興味がある人は別にして、もっとミステリ的なものを最初から期待していた人にとってはちょっと厳しいかもしれない。主人公は音大進学を目指す高校3年生の里橋優。正確には30年後の彼が少年時代のことを回想しながら手記を記すという体裁をとっている。現代の優は、とうの昔に音楽から離れ医師として働いていたが、ある日、旧友の鹿内堅一郎から、事故で指を失ったはずの天才ピアニスト・永嶺修人が、海外でピアノを弾いていたのを見たという手紙を受け取る。その件を受け流していた優であったが、鹿内が病死した2年後、再び永嶺の演奏活動を耳にした優の過去の記憶は次々と甦り始める…。彼は、高校3年の春、同じ高校に新入生として入学してきた天才ピアニスト・永嶺修人と交流を始める。シューマンを敬愛する永嶺と、彼に感化された優は「ダヴィッド同盟」を結成し、そこに優の同級生の鹿内が加入して、音楽雑誌の刊行に向けて交換ノート「ダヴィッド同盟ノート」を彼らの中で回し始める。永嶺の演奏を偶然に初めて生で聴くこととなったある夜、女子高生の絞殺死体を発見した優は、ピアノを弾いていた永嶺に殺人は不可能と理解しつつも、心の奥底では彼を疑っていた…という物語である。ここからは、前回に続きネタバレさせていただく。
 最初は平凡な結末を迎えそうなところで「ちょっと待てよ」と思わせておいて、まだ続きがあって安心させ、さらにまた別の結末を迎えそうなところで「こんな終わり方でいいのか」と思わせておいて、また続きがあって再び安心させ、最後の最後でとんでもないどんでん返しが待っているという趣向の作品だ。またしても叙述トリックである。終盤で、殺人事件の真実は二転三転するのだが、最後の最後で明らかになるのは、なんと永嶺は実在の人物でありながら、実際には優の高校には入学しておらず、物語の中の永嶺は優が作り出した架空の人物であり、実は主人公自身が殺人に荷担していたというオチなのだ。叙述トリックも何も、現在の主人公は完全に精神的に病んでいて、過去の回想は回想で、完全に永嶺が実在していたかのように物語が進展しているので、前回の『アルバトロスは羽ばたかない』以上に犯人当ては不可能と言って良い。それでも、前回のように腹立たしく感じないのは、本作の文学性の高さによるものであろうか。そういう点で、今回の5位というランキングは妥当だと考えた次第である。音楽に満ちた幻想的世界での少年の複雑な心理を描いた文学性の高さから下位はあり得ないし、かといって、ここまで堂々とアンフェアな展開をされては、それほど上位に置くのもどうかというわけだ。好みは別れるとは思うが、前述したように個人的には一読を勧めたい一作である。

 

2013年読了作品の感想

『小暮写眞館(宮部みゆき/講談社)★★★

 「このミス」2011年版(2010年作品)8位作品。主人公の花菱英一は、ごく普通の高校1年生である。しかし、変わっているのは彼の住居。変わり者の両親が結婚20周年を記念して購入した念願のマイホームは、さびれた商店街の中の元写真館で、リフォームこそしたものの玄関のガラスショーケースや店舗内のスタジオなどをそのまま残して住んでいるのである。第一話「小暮写眞館」では、ある日、写真館の営業が続いているものと勘違いした女子高生によって、この写真館が現像した1枚の不思議な写真が英一の元に持ち込まれる。英一は、心霊写真としか思えないその写真の謎を解くため奔走する。ここまでこの紹介文を読む限りは、チープな小説の臭いがぷんぷんするかもしれないが、実際にはなかなかの人情物で十分に読み応えがある。第二話の「世界の縁側」も同じような心霊写真ぽい写真の謎を解こうとする人情話だが、弟のピカ、親友のテンコ、暫定ヒロインのコゲパンなど、多くの魅力的なキャラクターが脇を固め、冒頭から続く軽快な文体も非常に心地よく、一気に読み進めることができる。続く第三話「カモメの名前」では、少々趣が変わって、子供が作った明らかな合成写真に込められたメッセージを読み解いていくのだが、これがまた深い。そして、最終話「鉄路の春」へ向けての伏線がしっかりと張られていく。最終話は、謎解きの要素や写真の話が全くないわけではないが、もう、前半のようなミステリ小説らしさは良い意味で全くなくなっている。多くは語るまい。とにかく読んでいただきたい。この本を最後まで読み切ると、この作品が珠玉の家族小説であり恋愛小説であることが分かるはずだ。昨年1月に『ジェノサイド』を読み終えて以来の感動を覚えた。8位というこのミスランクはミステリと呼ぶにはあまりに方向性が異なるからであろう。自分の中では間違いなく2011年版1位。全読了作品の中でも相当上位に来るのではないかというくらい気に入った。大満足。

『さよならドビュッシー前奏曲(プレリュード)(中山七里/宝島社)★★

 2009年第8回「このミス大賞」受賞作である『さよならドビュッシー』の物語以前の世界を描いた短編集。前作の主人公であり探偵役であるピアノ講師・岬洋介に代わって、今回主役兼探偵役を務めるのは、前作の冒頭に登場する車椅子の老人・香月玄太郎である。本作には洋介も登場しており、玄太郎から洋介への名探偵役のバトンタッチの役割を果たす作品となっている。不動産会社の社長で、相手が警察だろうが何だろうが言いたい放題の玄太郎が、部屋に籠もって思案を巡らす安楽椅子探偵どころか、介護者のみち子とともに車椅子であちこちに駆けつけ事件を解決してしまうという痛快な物語となっているのだが、それだけに、これだけの好人物が、この後、非業の死を遂げてしまうという展開を知っているとあまりに読んでいてつらいものがある。スピンオフ作品としては斬新な設定ではあるが、そこだけが引っかかる。『さよならドビュッシー』『おやすみラフマニノフ』の一連のシリーズが気に入っていて、そのあたりが気にならない読者であれば、読めば楽しめることは間違いない。

『心に雹の降りしきる(香納諒一/双葉社)★★

 「このミス」2012年版(2011年作品)9位作品。典型的なハードボイルド小説である。県警の捜査一課でも浮いた存在である都築は、妻にも逃げられ一人暮らし。7年前に失踪した娘を捜し続ける飲食チェーン社長の井狩から、チンピラを利用して情報提供の報奨金をせしめたこともある不良刑事であったが、心のどこかで良心の呵責にさいなまれてもいた。それでも、井狩に接触してきた新たな情報提供者である興信所の梅崎に胡散臭さを感じ彼に憎しみを感じつつも、再び報奨金目当ての詐欺話に乗ってしまう。ところが、その梅崎が死体で発見される。さらに、梅崎に連絡を取っていた松村祥子という専門学校生が行方不明になっていることが判明し、7年間井狩の娘を見つけられなかった負い目もあって、次第に捜査に熱が入っていく都築。しかし、梅崎が持ち歩いていた為谷という男の死亡記事のコピーについて調べようとしたとき、どこからかの圧力がかかり、梅崎と共に怪しい仕事をしていたらしい梅崎の上司の上村が何か情報を持っているとにらんだ都築だったが、その上村も死体で発見される。様々な壁にぶちあたりながらも、ついに梅崎殺しのホシに辿り着いたものの、犯人の反撃にあい監禁されてしまう。思わぬ人物に助け出される都築であったが、やっと見つけた松村祥子の死に直面し、唯一の理解者であった上司の小池係長までも見放しそうになるくらい、都築の精神は壊れかけていた。そんな中、井狩の娘の捜索中に出会った、夫のDVから逃げ続けている母子・弓子と彩花に惹かれていく都築。都築は事件の全容をつかむことができるのか。そして、弓子とのささやかな幸せをつかむことができるのか。猪狩の娘を生きて見つけることができるのか…といった物語である。
 ハードボイルドものの主人公というと、孤独なアウトローというのは定番としても、泥臭い中年男か、クールな二枚目かにパターンが分かれると思うのだが、本作の都築は、今ひとつビジュアル的にイメージしにくい主人公である。善人にも悪人にもなりきれない悩める主人公という設定は理解できるが、典型的な暴力的悪徳中年刑事のように描かれているかと思えば、きちんとした言葉遣いで誠実そうに振る舞う好人物として描かれるシーンも多く、中途半端な印象が否めない。また、脇役陣として怪しい仕事をしている登場人物が何人か出てくるが、その描き分けも今ひとつ。文体も全体的に淡々としていて、洗練された感じがしない。このあたりが9位に甘んじた理由だと思うが、
大沢在昌
『砂の狩人』の読後コメントでも書いたように、ハードボイルドものや警察小説に若干苦手意識のある自分が結構一気に読めたので、決して面白くないわけではない。むしろ、それなりにすすめられる1冊である。ただし、帯のキャッチコピー「警察小説にニューヒーロー登場!まさに生一本!純度100%の超弩級警察小説!」はさすがに過剰すぎるが…。

『機龍警察 自爆条項(月村了衛/早川書房)★★

 「このミス」2012年版(2011年作品)9位作品。そう、前回読了した『心に雹の降りしきる』とまったく同投票数で同年同順位になった作品である。忘れないうちに、最初に今回読んだ文庫版に苦言を呈させていただきたいのは、「このミステリーがすごい!第3位」と、でかでかと書かれた帯である。実はこれは、シリーズ第2弾の本作ではなく、新作の第3弾『機龍警察 暗黒市場』のランク。本作は前述したように9位である。ぱっと見どころか、帯をじっくり見ても非常に分かりにくい。ほとんどの人は本作が3位作品だと思い込むだろう。これは詐欺的行為ではないか。
 さて、本作の内容だが、これまで過去に読んだ「このミス」ランキング作品にはなかったSF警察小説である。舞台は現代の日本なのだが、数十年前から携帯電話は勿論、二足歩行の軍用有人兵器・装甲兵装が実用化されている世界を描いているのである。ロボット好きにはたまらない世界観であろう。ロボットが登場する警察モノというとコミックやアニメで人気があった、ゆうきまさみの「機動警察パトレイバー」が思い出されるが (あとで全く同じことが巻末の解説に書かれていた)、その大人版といった感じである。警察内部でも疎まれている警視庁特捜部には特別な3機の装甲兵装が配備されており、そのパイロットも訳ありの者ばかりなのだが、他の個性豊かなスタッフ達も含め、外務省出身のキレ者・沖津旬一郎部長が見事にまとめあげて捜査を進めていく。第1弾のエピソードに関する記述が所々で現れるが、特に読んでいなくても問題はない。前回は装甲兵装のパイロットの一人、姿俊之に焦点が当てられていたようだが、今回は女性パイロットのライザ・ラードナーにスポットが当たる。第2弾であるということを意識していないと、そのあたりに少々違和感を感じるかもしれない。今回特捜部が捜査するヤマは、テロリストによる装甲兵装密輸事件。様々な圧力をくぐり抜け、テロリストの潜伏先を急襲し制圧した特捜部であったが、そこに主犯のキリアン・クインはいなかった。特捜部ははめられたのか…という感じで物語は進んで行く。 シリーズ第3弾があることからも分かるように、ハッピーエンドは予想できるわけだが(完全なハッピーではなくそこはお楽しみということにしておく)、第1弾でその存在が明らかになった「敵」の正体がちらりと今回の結末で臭わされ、次回作への期待を高めてくれている。★3つをつけてもいいくらいの魅力はある作品なのだが、本作の一番の売りであるはずの装甲兵装の描かれ方が今ひとつだったのは残念なところ。筆者がアニメの脚本家出身ということもあって、なかなかマニアックな設定があるのだが、表紙にも巻末にもそのビジュアルは全く出てこず、不満に感じている読者は多かろう。掲載した途端に、SFライトノベルっぽくなるのを気にしているのだろうか。アニメ化、実写化も期待したい作品である。

 

2013年月読了作品の感想

『メルカトルかく語りき』(麻耶雄嵩/講談社)【ネタバレ注意】★

 「このミス」2012年版(2011年作品)7位作品。著者の作品を読むのは『隻眼の少女』以来。本書には「死人を起こす」「九州旅行」「収束」「答えのない絵本」「密室荘」の5編が収録されている。タキシードにシルクハットがトレードマークの名探偵・メルカトル鮎と、彼に振り回される不幸なワトソン役の美袋(みなぎ)のコンビが謎に挑む連作なのだが、京極作品の迷探偵・榎木津礼二郎ばりの(あそこまで滅茶苦茶ではないが)メルは、もの凄い論理を展開しながらも、どのエピソードでも最後まで犯人を指摘しない(この点ではある意味、榎木津を超えている)というとんでもないミステリである。
 1編目「死人を起こす」では、アリバイの関係から犯人は関係者の桃子が濃厚そうなのだが、事件解決の報酬である館をすぐに手に入れたいがために死者を犯人に仕立て上げるという荒技を披露。死者を犯人にして、なぜ事件が解決したことになるのかそこが大いなる謎だが、このシリーズが普通でないことはこの1編目から早速伺える。
 2編目「九州旅行」では、メルと美袋の駆け引きが見所。この作品では明らかな犯人が最後に姿を見せるのだが、それが具体的にどこの誰なのか読者に明らかにされないのは本作に共通の結末である。
 3編目「収束」では、冒頭で同じ場所を舞台にした3つの殺人事件が描かれるのだが(@寺尾が岩室を殺害、A岩室が内野を殺害、B内野が関屋を殺害)、単に連続殺人事件を時間の経過を逆に描いているだけなのかと思いきや、さにあらず。ある殺人事件のあとに待ち受ける次の殺人事件をメルが予告するのだが、そのマルチエンディングというのがその正体。3つのエンディングのうち、どれが実際に起こるかは読者の想像におまかせします、という斬新なパターンなのだ。
 4編目「答えのない絵本」では、ある高校で発生したオタク教師殺人事件の謎にメル達が挑むのだが、これまでの3編にないぐらいの緻密な論理的推理が次々に展開されるのものの、なんとメルの出した結論は「犯人はいない」。容疑者であった20人の生徒の中から最後の1人にまで絞り込んだものの、結局除外された鳳が一番怪しいのだが、依頼人の関係者ということで、1編目と同様にメルが真実をねじ曲げたのであろう。しかし、1編目でも述べたように、なぜそのような解決が解決になるのか理解しかねるところ。
 5編目「密室荘」は一番ひどく、密室殺人の容疑者はなんとメルと美袋の2人のみ。美袋の視点から描かれていることから考えても犯人はメルしかありえないわけで、何度も美袋犯人説を臭わせるものの結局死体を隠蔽することで解決を図ろうとするメルであった。これまで美袋をさんざん振り回してきたメルだが、彼を犯人に仕立て上げるほどの悪党ではなかったということか。
 以上のように、とにかく斬新な連作ではあったが、結局、素直に満足できたのは2編目だけと言わざるを得ない。やはり読み物としていくら面白くても、解決がないミステリはどうかと思う。

『ADVANCE OF Ζ 刻に抗いし者』(神野淳一/アスキーメディアワークス)★★

 ミステリではなく、模型雑誌とタイアップした『機動戦士Ζガンダム』の外伝小説。前作『ADVANCE OF Ζ ティターンズの旗のもとに』では、登場したモビルスーツのいくつかが模型化され市販されるところまで行ったが、本作では雑誌の付録止まりであった。しかし小説の方は,DVDが売れに売れている『機動戦士ガンダムUC』に負けないくらいに過去の作品や設定が研究されて描き込まれている点には好感が持てる。地上編4冊、宇宙編4冊と、『UC』に負けない長編であり、戦闘後のモビルスーツの強制冷却シーンや、パイロットが出撃時に排泄パックを持ち込む様子など、これまでのアニメや小説であまり描かれることのなかったリアルで細かい描写が見られるのが特徴の作品だが、壮大なテーマを巨匠・福井晴敏が描く『UC』にはやはり及ばないのが惜しいところ。
 舞台は宇宙世紀0085年、主人公は連邦軍士官候補生のヴァン。同じく連邦軍士官候補生でヴァンが兄のように慕っているアーネスト、そしてその妹ダニカを巡る人間模様が描かれる。ヴァンは,カメラマンだった父の知り合いからティターンズの暴挙を記録したデータを入手したことでティターンズに追われる身となり、ダニカとともに反政府組織に身を投じ、ティターンズに入隊したアーネストと敵対することになる。アーネストは、戦いの中でパートナーとして組むことになった強化人間の少女・ロスヴァイセを守るためにもティターンズの正義を信じてヴァンと戦う。上記の4名以外にも多くの魅力あるキャラや本作オリジナルのモビルスーツやモビルアーマー等が多く登場する。ガンダムフリークなら一読の価値はある作品である。

『警官の条件』(佐々木譲/新潮社)★★★

 今年に入って「このミス」2012年版(2011年作品)の7位から9位作品を4冊続けて読んだが(7位「メルカトルかく語りき」8 位「警官の条件」9位「心に雹の降りしきる」同9位「機龍警察」)、最後に読んだ本書が一番面白かった。2008年版1位「警官の血」の続編なのだが、前作と比較しても順位に表れているほどの差はなく、決して負けてはいない傑作だ。
 優秀な刑事が問題を起こして退職し、釣り船の親爺になっているという話は、2002年版(2003年作品)4位作品『砂の狩人』(大沢在昌)を思い起こさせ、さらにその作品に少なからず影響を与えたと思われる2001年版(2000年作品)10位作品『川の深さは』(福井晴敏)も思い起こさずにはいられないが、その2作と大きく異なるのは、その2作では重要な役回りであった主人公に絡む女性(本作では元恋人)が本作ではちょっとしか登場しない点。その分、事件のドラマ展開に重きを置いていると言える。
 3世代にわたる警察官一家を描いた前作の3代目主人公・安城和也は本作では脇役で、彼の元上司であり、彼が辞職に追い込んだ元警視庁刑事部捜査四課特別情報分析二係係長・加賀谷仁が今回の主人公である。組織暴力・薬物・銃の扱いが専門の加賀谷は、暴力団から情報を仕入れるため、上層部や暴力団関係者から表に出せない支援を受け活躍していたが、彼をよく思わない一派から悪徳警官の汚名を着せられ職を奪われた。しかし、加賀谷の不正を暴く捜査の過程で、上層部や暴力団関係者に関する情報に関して完全黙秘を続け裁判で無罪を勝ち取ったことで伝説となり、都内の麻薬ルートに謎の組織が参入していることが分かっていながら全く実態解明が進んでいない現状に業を煮やした現場から9年ぶりの復帰要請が下る。安城が所属する一課と、加賀谷が復帰し新たに所属することとなった五課は争うように謎の組織の解明に挑むが、上司を売った前歴のある安城への風当たりはいまだに強く、安城を苦しめる。その一方で、加賀谷の裏社会に深く入り込む昔ながらの捜査は確実に成果を挙げていく。事件の真相は果たしてどちらが先につかむのか、そして加賀谷は安城が心配するように裏の世界に取り込まれてしまうのか…という物語である。
 この悪人のようで悪人でない主人公・加賀谷という人間が実に魅力的で、作品世界に一気に引き込まれてしまい、終盤を読む頃にはこのまま2人の対立や駆け引きをメインにしたシリーズ化をしてほしいという気持ちにまでなるのだが、この終盤の展開が実に早く、しかもラストはあまりにあっけない。しかもシリーズ化の楽しみが奪われる結末で、本当にがっかりさせられた。しかし,その結末もこの作品の評価を下げるものでは全くないし、前作を読んでいなくても問題なく楽しめる作品なので、是非一読を勧めたい。

『ソロモンの偽証 第T部 事件』(宮部みゆき/新潮社)【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2013年版(2012年作品)2位作品。この年の上位ランキング作品を読むのは、これが初めてである。全3部作で、しかもその1冊1冊が恐ろしく分厚いので、読み始めるのに少々勇気が必要だが、筆者が過去ハズレなしの宮部みゆきで、しかも「このミス」で2位という高評価を受けた作品となれば読むしかあるまい。
 読みながら何度も繰り返し思ったのは「人の愚かさ」である。人はなぜそんなに愚かなのか。「こんなできすぎた中学生は現実にはいないよ」と冷めた目で読んでいても、彼ら彼女らも、やはり人の愚かさを確実に持っているのだということが少しずつ露呈していく。人の愚かさは、直接関わる人を不幸にするが、関わらずとも耳にするだけで人を不愉快にする。これは小説だ、作り話だという視点を常に保っていないと、人の愚かさにあふれた作品世界に感情移入してしまって辛くなってくる作品だ。
 クリスマスの朝、城東第三中学2年A組の野田健一は、不登校だった同級生・柏木卓也の雪に埋もれた遺体を校庭で発見する。中学の保護者説明会で、卓也がD組の不良3人組とトラブルを起こして以来不登校となったこと、そしてその不良3人組が別の同級生を骨折させる事件を起こしながら学校が表沙汰にしようとしなかったことが明らかになり 、今回の件にもその不良3人組がからんでいて学校がそれを隠しているのではという疑いを持つ保護者が現れる。しかし、卓也の保護者が彼の自殺を以前から予感していたこともあり、彼はいじめとは関係なく飛び降り自殺したのだということで、事件は一旦収束しかける。しかし、彼の死は多くの人々の運命を変えていく。さらに、卓也の死が不良3人組による殺人であったという3通の告発文の出現によって、その流れは加速していく…という物語である。
 ここから、愚かな登場人物を紹介しつつネタバレな話をしていくので、読む方はご注意を。

 ●藤野涼子…多くの人物の視点から語られる本作であるが、彼女が本作の真の主人公か。刑事を父に持つA組の学級委員で、第T部では彼女の父も含め作品の中で数少ない賢明な人物。第T部のラストシーンで卒業課題として事件の真相究明をテーマとすることを決意する。
 ●柏木宏之…死んだ卓也の兄。病弱な弟を気にかける一方で、彼が親の気を引くために演技しているのではないかという疑念を持っており、半ば確信していた。にもかかわらず 、弟中心に回っている家庭に不満を持ち、さらに弟の死によってさらに壊れていく母親に絶望していく。
 ●倉田まり子…A組の涼子の友人。そのときの感情に流されるだけの彼女を涼子は鬱陶しく感じている。悪人ではないが、時間にルーズで約束も守らず、約束を破ったことを反省もしない、どこにでもいそうな愚かな少女。
 ●古野章子…B組の涼子の友人。現在の演劇部を見下す卓也の見方に共感を覚えていた。彼女も涼子同様に愚かな部分を感じさせない数少ない登場人物。
 ●野田健一…最初は聡明な人物のように思われたが、元々精神的に病んでいる母親の面倒を見ることに疲れていたことに加え、伯父に騙されて土地と家を売り脱サラしてペンション経営を始めようとしている脳天気な父親に怒りを覚え、愚かで恐ろしい計画を立て始める。
 ●森内恵美子…学生時代から優等生だったA組の担任の若い美人教師。生徒の好き嫌いがはっきりしているところなどを見透かされ、生徒の評価は分かれる。隣人の痴話喧嘩を目撃したことから逆恨みされ、その隣人に郵便受けから告発状を盗まれた挙げ句、恵美子が勝手に告発状を処分したようにマスコミに投書されたことで、世間からバッシングされ精神的に追い込まれて辞職する。
 ●三宅樹理…ニキビを気にするあまり性格がゆがみ、同じクラスの浅井松子以外に友人がいないA組の生徒。過去に自分をいじめた不良3人組に復讐するため彼らを卓也の殺害者とする告発状を3通作成し、担任の恵美子と校長、そして彼女が一方的に嫌悪感を抱いている涼子の元へ郵送する。告発状の内容がデタラメであることに気づき、樹理を諭そうとする松子を偶発的ながら死に追いやってしまい、それを気に病むどころか口封じができたことを喜ぶ樹理であったが、松子を殺してしまった精神的ショックは自分で意識していた以上に大きく、口がきけなくなり不登校となる。復讐したい気持ちは分かるが、ことの大きさを最後まで理解できなかった究極の愚か者の一人。娘の訴えに耳を貸さず、脂っこい料理ばかり作り続ける彼女の母親もどうしようもない愚か者。
 ●佐々木礼子…城東署少年課の刑事。生徒への聞き取り調査の結果、樹理が告発文の書き手であることを確信する。学校を信用していない樹理への対応を自ら引き受けるが、結局樹理は嘘の上塗りを続け、事態は混迷を深めるだけとなる。冷静沈着で刑事として有能そうな人物であったが詰めが甘かった。
 ●津崎校長…不良3人組による傷害事件を表沙汰にしなかった件はともかく、今回の卓也の死については適切な判断・処置を続けていた誠実な教育者であったが、告発文を書いたと思われる樹理への追求を怠り、礼子に説得されて樹理への対応を警察に丸投げしてしまったことで、告発文の真偽を明らかにするタイミングを逸してしまい、さらには告発文の中で犯人と名指しされている不良3人組を警察が調べようともしなかったことで、マスコミや保護者への反撃ができないまま、恵美子同様に辞職に追い込まれる。
 ●茂木悦男…報道番組「ニュースアドベンチャー」の記者。告発文を入手したことで、学校の隠蔽体質を明らかにすべく学校周辺の取材を強硬に進め、偏った視点で事件を世間に大きく広める。彼の強引な方針は局内でも問題となりトラブルを起こす愚か者の一人。
 ●不良3人組(大出・井口・橋田)…ある意味、全ての元凶は、彼ら、あるいは彼らのリーダーである大出を育てた父親にあると言っても過言ではないくらいの愚か者たち。事件後唯一学校に戻って、学校生活をやり直そうとしていた橋田は、告発文を書いたのはおまえだろうと絡んできた井口と喧嘩して、彼を3階の窓から落としてしまう。井口の命に別状はなかったが、その後、リーダー格の大出の自宅が放火され、大出の祖母が焼死するなど、自業自得とは言え、彼らにも死の影がつきまとい始める。

 このように、人の愚かさの連鎖は、恐ろしい力を持って多くの人々を不幸の波に飲み込んでいく。第T部のラストでは、相変わらず偏向した強引な取材を続ける茂木に対し、真実は自分たちで見つけると挑戦状をたたきつける涼子の姿が描かれる。「中学生が警察やマスコミを差し置いて事件を解決しようとするなんて少年漫画じゃないんだから…」という気もするが、あの宮部みゆきが安易な推理漫画チックな展開で終わらせるわけがないと信じ、第U部での思いがけない展開に期待したい。

 『遊女の如き怨むもの』(三津田信三/原書房)【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2013年版(2012年作品)4位作品。この年の上位ランキング作品を読むのは『ソロモンの偽証』に続き2作目。『ソロモンの偽証』の第1部を読了し、続けて第2部を読みたかったのだが、入手できなかったため、この刀城言耶シリーズ第8弾となる本書を読むことにした。これまでに同シリーズで読んだのは、「このミス」にランクインした第3弾『首なしの如き祟るもの』(2008年版5位)、第4弾『山魔の如き嗤うもの』(2009年版8位)、第6弾『水魑の如き沈むもの』(2011年版7位)の3冊。いずれも★★の評価をつけさせてもらったが、本書は過去最高位の4位をとっただけのことはあり、文句なしの★★★である。この先、ネタバレがあるので、今のうちに文句なしのおススメであることを述べておく。エログロやホラーは苦手という人でも、本書に関しては問題ない。遊郭を描いていても意外にいやらしさを感じないし、眠れないほどの怖さもないので、安心して読んでよい。
 その内容はというと、本書の「はじめに」から引用すれば「戦前と戦中と戦後という3つの時代の、金瓶梅楼と梅遊記楼と梅園楼という三軒の遊郭で起きた、緋桜という源氏名を持つ3人の花魁が絡む、正に『3』尽くしの奇妙な身投げが繰り返された」事件を描いたものである。第1部「花魁」では、戦前の金瓶梅楼で初代緋桜がつけていた日記を通して3人の身投げ事件が描かれ、第2部「女将」では、経営者が娘に引き継がれ梅遊記楼と名を変えたその遊郭で、2代目緋桜が絡んで再び起こった3人の身投げ事件について、新女将が刀城言耶のインタビューに答える形式で描かれ、第3部「作家」では、戦後、梅園楼という名のカフェーに変わったその遊郭に3代目緋桜が雇われたことで、過去の事件も含めて関心を持った作家の佐古荘介が、梅園楼に住み込み取材し原稿としたものを掲載するという形で描かれている。第4部「探偵」は、刀城言耶による解決編であり、さらに追記が追加されて完結している。
(この先ネタバレ注意)
 『ソロモンの偽証』と異なり、第1部から追記まですべて1冊に収まっているので一気に読み終えることができた。第1部が最も長く、先に進むにつれ各部は短くなっていく。第1部は読み物としてこれだけで十分に満足できる秀逸な作品だ。貧しい家の少女が一人前の花魁となり、良家へ嫁いでいくまでの一代記と言える第1部を読んでいるときは、「このミス」2008年版2位作品の『赤朽葉家の伝説』(桜庭一樹)を思い出した。第1部が1つの物語として十分に完成度が高くあまりに読み応えがあったので、中途半端な取材形式の第2部は物足りなく感じたが、これも作者の計算のうちだろう。第3部に入っても今ひとつ盛り上がらないと思っていたら、第3部の主人公とも言える作家が、そのラストで連続身投げ事件の被害者となるという急展開に読者は驚かされるであろう。そして、第4部で、刀城言耶の口から梅遊記楼の女将に対して、衝撃的な事件の真相が語られる。初代から3代目までの緋桜はすべて同一人物であること。そして、これまで起こってきた連続身投げ事件は、これまで言われてきたような「幽女」の仕業などではなく、緋桜による殺人と、自殺と、事故が混ざったものであること。女将に目撃され、後に身元不明の焼死体として発見された「幽女」の正体は脱走兵であろうこと。女将以外の「幽女」の目撃証言、または目撃していない証言は、すべて嘘と思われること。などなど。
 しかし、ホラーと見せかけた正統ミステリと思わせておいて、ミステリとホラーの境界の曖昧さを狙った作者の本領が、最後の短い追記で見事に発揮されている。
 「このミス」にランクインしていない同シリーズの残り4冊もいつか読んでみたいものだ。

『機龍警察 暗黒市場』(月村了衛/早川書房)【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2013年版(2012年作品)3位作品。2月末に読了した機龍警察シリーズ第2弾『機龍警察 自爆条項』(「このミス」2012年版第9位・ちなみに第1弾『機龍警察』はランク外)の続編である。龍機兵(ドラグーン)と呼ばれる特別な3機の二足歩行軍用有人兵器・装甲兵装が配備された警視庁特捜部を舞台にした近未来警察もので、これまでの2作では、訳ありの龍機兵パイロット達にスポットが当たり、第1弾では元傭兵の姿俊之、第2弾では元テロリストのライザ・ラードナーが主人公であった。本作では、最後の1人である元モスクワ民警のユーリ・ミハイロヴィッチ・オズノフを中心に物語は進んでいく。3章立てで、2章目に主人公の生い立ちが語られるのは第2弾と同様。第2弾を読んだときにはその2章目の長さに少々違和感を覚えたものだが、未読の第1弾もおそらくそのような構成だったのであろう、今回ではすっかり慣れた。
 冒頭から、特捜部を解雇されたユーリが、旧知のロシアンマフィア・ゾロトフと組んで、不正に入手した装甲兵装の高性能CPUを闇のマーケットで売りさばこうとするインパクトある展開だ。取引先で取引相手のメンバーの中に潜入捜査員がいることを指摘し、ゾロトフのさらなる信頼を得たユーリは、世界中から選ばれたバイヤーのみが参加できる入札制の大きい取引に同行できることになる。出品される商品は新型の装甲兵装、それも特捜部が使用している最新型で謎の多い龍機兵と同型の可能性があるということで、「ユーリの裏切りは本物か?」「ついに龍機兵の謎が明かされるのか?」と読者の期待も高まる一方である。そして、1章のラストで、読者の大方の予想通りユーリの裏切りは偽装で、命懸けがけの潜入捜査であることが明らかになる。この偽装を物語のラストまで引っぱって、事情を知らない特捜部の仲間達とユーリのせめぎ合いを描くのも一つの手だったと思うが、筆者はその偽装がいつマフィア側にばれるかという緊迫感の方を選んだのであろう。第3部では、これも読者の予想通りユーリの真意がばれて、装甲兵装の新型対旧型のデモ戦闘に参加させられる。もちろんユーリが乗せられる方は旧型の機体であるが、ユーリは新型の装甲兵装が龍機兵とは別物であることを見抜き辛くも勝利。突入班の活躍で取引現場は押さえられ、黒幕である支配人の逮捕にも成功する。
 今後の物語のキーとなるであろう警察内部にいる「敵」の正体については、外務省内部にもいるらしいことが分かった以外進展はない。前作で物足りなさを感じた装甲兵装の描かれ方については、これも慣れてしまったのか、前作並みの描写だったが、今回はあまり気にならなかった。あえて挙げるとすれば取引現場から脱出した支配人を追い海に出て、ゾロトフとの対決に至るまでの展開が今ひとつか。映像化すればそれなりに見栄えはしそうだが、文章のみでは少々盛り上がりに欠けた気がする。第3弾までで3人の龍機兵パイロットを軸にした物語は描ききってしまった今、次の第4弾がどのような展開になるのか楽しみである。とにかく最後の最後まで隙なくよくできており、お勧め度は★★★。

『ビブリア古書堂の事件手帖4 〜栞子さんと二つの顔〜』(三上延/角川書店)★★★

 2011年3月に第1弾の『ビブリア古書堂の事件手帖 〜栞子さんと奇妙な客人たち〜』が刊行されてから、2013年2月に刊行された第4弾の本書が刊行されるまでわずか2年。累計500万部も売れたベストセラーであり、立派なミステリでありながら、なぜか「このミス」にはランキングされたことがない (※その後発表された2014年版の2013年作品ランキングで19位にランクイン)。
 古書店の美人店主・栞子と、彼女に好意を寄せるバイトの五浦が古書にまつわる謎を次々と解いていく本シリーズが今回取り上げるのは江戸川乱歩。これまでのシリーズで取り上げられた作品と異なり、多少知識がある分、これまで以上に楽しめ、休日に半日もかからずに一気に読み切ってしまった。ただ、乱歩を扱っているからといって、物語の雰囲気まで乱歩風にはなっていないのでそこは期待しないように(そういう展開も面白そうだが)。乱歩の著作の膨大なコレクションを所有する女性からの依頼は、その貴重なコレクションを買い取る権利を与える代わりに、遺産として引き継いだ特殊な金庫の鍵の在処とパスワードを見つけてほしいというものであった。今回の見所は、ついに栞子の謎多き母親・智恵子が登場し、栞子に挑んでくるところであろうが、これまでに登場したせどり屋の志田や、敵対すると思われたヒトリ書房の店主・井上が、栞子達にいろいろとてを差し伸べてくれるところも見逃せない。筆者曰く、「この物語もそろそろ後半」とのことなので、第6弾あたりでの完結を考えているのであろう。ここまできたら、最後まで見届けるしかあるまい。

 

2013年月読了作品の感想

『ソロモンの偽証 第U部 決意』(宮部みゆき/新潮社)【ネタバレ注意】★★★

 第T部でやたらと強調されている気がした「人の愚かさ」に対し、第U部では正反対にありえないくらい聡明な中学生達が、学校内裁判を成功させるために奮闘する様子が描かれる。柏木卓也の自殺に始まる事件に関して、マスコミをはじめとする大人達に振り回されることに嫌気がさした藤野涼子は、真実を自分たちの手で見つけるため、城東第三中学の3年生の有志を集め、卒業制作の代わりとして学校内裁判を行うことを決意する。「中学生が裁判をして何になるのか?」「そもそも中学生に裁判などできるのか?」といった当然の疑問が頭に浮かび、その荒唐無稽な展開には、作者が宮部みゆきでなければ、あきれて読む気を失ってしまうところである。さすが宮部みゆきだけあって、しっかり読ませてくれるのだが、冒頭でも述べたように、裁判の準備を着々と進めるあまりに優秀な中学生達の姿、そして彼女らに理解を示し全面的に協力する大人達の姿には、意地悪な見方をすれば、あまりにリアリティがなく、共感を覚えづらい。裁判の方向性としては、大出俊次の柏木卓也殺害容疑を晴らす方向に進みそうな雰囲気であるが、いくら真実をつかむためとはいえ、悪事の限りを尽くした俊次をみんなが一丸となって救おうとする流れにも共感しづらい。
 前回同様に、ここから登場人物を紹介しつつネタバレな話をしていくので、読む方はご注意を。

 ●藤野涼子…第T部から引き続き主人公を務める優等生。学校内裁判を教師達の反対を押し切って推し進めていくリーダー的存在。被告人・大出俊次を柏木卓也殺害容疑で追求する検事側のトップとなるが、本音としては大出は無罪で、三宅樹理の告発状をデタラメと考えている。涼子としては苦しい裁判のはずだが、やる気は満々である。
 ●神原和彦…判事の井上康夫とともに頭の切れる優等生の一人として登場。他校の生徒ながら、卓也の知人ということで、なぜか裁判に参加し弁護を引き受ける謎の人物。卓也の第一発見者である野田健一を助手とし弁護側のトップに立つ。柏木の死の真相を知っていそうな怪しい人物として描かれており、卓也の自殺を思いとどまらせようと奔走するも願いかなわず、その悔恨の念から弁護人を引き受けたのでは?という印象を受けるが、作者のミスリードの可能性も。
 ●野田健一…第T部では彼の複雑な家庭模様とそれに伴う壮絶な心理状態が描かれていたが、今回は地味な語り手の一人として物語の中に埋没している。
 ●柏木宏之・倉田まり子・古野章子…第T部から一転して、健一以上にほとんど存在感がない。刑事の佐々木礼子、元校長の津崎、マスコミ代表の茂木悦男もそれなりに出番はあるが、基本的には同様。
 ●森内恵美子…探偵事務所の活躍で、告発状を自分が処分したのではなく、盗まれたことが明らかになるが、告発状を盗んだ隣人の女性と思われる人物に襲われて重傷を負い、すぐに舞台から消える。
 ●三宅樹理…母親の愚か者ぶりは健在だが、物語の終盤で、卓也の殺害現場を見たと涙ながらに涼子に語るというまさかの急展開。

 樹理の行動から見ても、第T部のありとあらゆる人物の愚か者ぶりは、すべて作者のミスリード作戦かと疑われてくる。涼子が考えるように、とんでもない真実が第V部で明らかになるのか。

『ソロモンの偽証 第V部 法廷』(宮部みゆき/新潮社)【ネタバレ注意】★★★

 ついに学校内裁判が開始されるが、基本的には第U部の雰囲気そのままに話は流れていく。こんな高レベルな裁判を行える中学生が本当に実在するのか、いや高校生でもどうだろう、といった疑問は、第U部でも述べたように誰もが抱く感想だと思うが、この作品に関して、そのような気持ちを抱くのは無粋なのだろう。そこはフィクションと割り切って、聡明な中学生達が演じる検事側と弁護側の見事な戦いぶりを黙って楽しむべきなのだろう。そういう意味では、大人よりも読書好きな中高生向けの作品なのかもしれない(連載誌の「小説新潮」を愛読書にしている中高生がそういるとは思えないが)。
 肝心の事件の真相については、帯のコピー(特に裏表紙側の「もしかしたら、この裁判は最初から全て、仕組まれていた?」)では、とんでもないどんでん返しが結末に用意されているようなことが書かれているが、はっきり言って多くの読者の予想の範囲内である。神原和彦が他校生ながら弁護人を引き受けた理由について、「卓也の自殺を思いとどまらせようと奔走するも願いかなわず、その悔恨の念から弁護人を引き受けたのでは?」という自分の予想も当たらずしも遠からずといったところであった。話の節々に描かれていた和彦の不審な様子は、作者のミスリードでも何でもなかったのである。実際には、和彦は卓也の自殺を思いとどまらせようと卓也の提案したゲームの話に乗って奔走したが、その結果に卓也が満足せず、逆に失望して憤慨し、和彦に暴言を吐いた挙げ句、和彦に見捨てられ身を投げたというものだった。弁護人助手の健一が、卓也の死に責任を感じている和彦に対して、「卓也には和彦に対し殺意があった可能性があり、和彦が卓也を見捨てて屋上から去ったのは正当防衛である」という意見でフォローするが、それがちょっと新鮮だったくらいだろうか。これを単なる可能性ではなく、実際の物語展開として描けば、意外などんでん返しとして機能したであろうが(作者の何パターンかの結末案の中にはあったはず)、さすがにミステリ的なものを狙いすぎているということで避けたのであろう。本作はそういう性質のものではないのだから。ただ、こういう結末を用意するなら、作中の和彦の不審さをもう少し抑えて、帯のコピーもあそこまで大仰に煽らなければよかったのにと思う。和彦の描き方については、作者なりのフェアなサービス精神かもしれないが。
 そして結末の次に気になったのがエピローグ。20年後、教師になっての城東第三中学に戻ってきた健一の姿を描いているが、ただそれだけ。量的にもあまりに短い。多くの登場人物達のその後をもっと詳細に描いてくれてもよかったのではないか。それが、読者の読後の余韻を楽しむ機会を奪うというなら、最初からあんな中途半端なエピローグはいらないという気もする。
 大御所に対し偉そうに個人的な好みでケチばかりつけているのは重々承知で、本作が傑作であることに異議はない。この文章量を読み切る自信があるのであれば、悩める中高生はもちろん、大人の読者にも勧めたい作品である。

 

2013年月読了作品の感想

『カラマーゾフの妹』(高野史緒/講談社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2013年版(2012年作品)7位作品。というよりも第58回江戸川乱歩賞受賞作として有名なのか。題名からドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を意識した作品なのだろうという見当はついたが、なんと筆者によるオリジナル続編という設定。『カラマーゾフの兄弟』を実は読んだことがなかったのだが、あらすじをかなり丁寧に紹介してくれているので特に問題なく読めた。前作は、地主が自宅の寝室で殺害され、三人の息子の中で、長男が犯人として逮捕され有罪となったが、実は次男が父親の私生児をそそのかして殺害させたという流れの物語だったのだが、今回の作者は、まったく独自のアイディアでその続編を執筆したわけではない。作者が前任者と呼ぶドストエフスキーには、元々13年後の世界を舞台に続編を執筆する計画があり、その構想メモなどをベースに今回のオリジナル続編執筆に挑戦しているのである。したがって、本当にドストエフスキーはこういう続編を書いていたのではないかと思わせるような出来映えに仕上がっている。ただし、だから面白いかと言えば、それはまた別問題で意見の分かれるところであろう。本作では、多重人格者として描かれる次男のイワンが怪しいと読者に臭わせつつ、実は最も犯人像から遠かった三男のアレクセイ(アリョーシャ)が真犯人だったというオチである。ドストエフスキーの構想メモにあったからといって、アレクセイがテロリストになるのも唐突で、実際たいした活動が描かれるわけではなく、題名にも登場する妹の存在も含めて、その設定に必然性があったのか疑問に感じるところ。筆者の力量は間違いないが、個人的な評価としては、「微妙」というのが正直なところ。

『64(ロクヨン)』(横山秀夫/文藝春秋)【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2013年版(2012年作品)1位作品。本作も含め横山作品で「このミス」ベスト10入りしたのは何と7作。2001年版『動機』2位、2003年版『半落ち』1位、2004年版『第三の時効』、『クライマーズ・ハイ』7位、2005年版『臨場』9位、2006年版『震度0』3位に、本作が続く。この中で読んだのは、『動機』、『半落ち』、『震度0』の3作。中でも『半落ち』は素晴らしかったが、本作もそれに勝るとも劣らない秀逸な作品である。
 正直、序盤は読むのが苦痛ですらある。主人公の三上義信はD県警の広報室広報官。刑事3年目で警務部の広報に異動になり、刑事失格の烙印を押されたと思い詰めるも1年で刑事部に復帰。しかし、刑事部と対立する警務部に1年間所属していたことは、いかに刑事部で功績を挙げようとも「前科」として部内で見られ、警務部に情報を漏洩しているスパイという扱いを受けていた。そして刑事部で必死に居場所を作っていた三上が再び広報官として広報室に呼び戻されたのだから、そのショックたるや想像に難くない。当初は警務部長の赤間の言いなりにならぬよう我が道を行く三上であったが、娘の家出という事件が状況を一変させる。赤間が全国の警察に娘を特別手配をしてくれたことで、赤間に服従せざるを得なくなり、赤間に逆らいながら、せっかく記者クラブとの関係改善を進めていたこれまでの努力が無駄になってしまったのである。ただでさえ娘が自殺していないか気が気でない三上は、警務部と刑事部の板挟みの中、記者クラブからも匿名問題で責められ、苦しめられる。そんな中、警務部の石井秘書課長から、さらなる難題が降りかかる。警察庁長官が視察に来るので、セッティングをせよとの命令である。14年前の昭和64年1月にD県警の管内で初めて起きた本格的な少女誘拐殺人事件、通称ロクヨンの時効を意識した視察ということだった。しかし、被害者遺族は長官の訪問を拒否。記者達も匿名問題が解決しないことを理由に視察取材を拒否し、三上は窮地に立たされる。なぜ、遺族が警察を見限ったのか。必死の調査の結果、三上は「幸田メモ」の存在にたどり着く。そしてそれは、事件当時、刑事部が大きなミスを犯し、それを隠蔽したことを記した文書であることが明らかになる。そして、このあたりから三上が勢いづいてきてぐっと面白くなってくる。そして、物語の6割が過ぎたあたりで、ついに長官視察の真相が明らかに。刑事部復帰を三上にちらつかせて長官視察をつぶせと命じる荒木田刑事部長の口から語られたのは「D県警刑事部長ポストが本庁のキャリアに召し上げられる」という情報であった。長官は視察の場でそのことを発表する予定だったのである。警務部の不祥事を次々にリークし、長官視察の妨害を図る刑事部の意図は、刑事部長ポスト召し上げ阻止にあったのである。最初は刑事部の意向に傾きかけていた三上であったが、視察をつぶしたい刑事部、記者をペテンにかけろという警務部のどちらの意向にも沿うことなく、広報官として記者の望み通り匿名をやめる決断をし、部下と記者クラブの信頼を勝ち取り、長官視察実現に向けて舵を切った。ここがこの物語の一つのクライマックスといっていいかもしれない。しかし、感動したのも束の間、急転直下の事態が発生する。刑事部の人間が一斉に警察署内から姿を消すのだ。長官視察阻止に向けての刑事部のクーデターか、と思いきや、何と新たな誘拐事件が発生して、刑事部は講堂に特捜本部を設営していたのであった。匿名報道の姿勢を変えない上層部に、再び窮地に立つ三上であったが、彼の敬愛する捜査一課長・松岡が被害者の父親の名を教えてくれ、何とか一時的に危機を脱する。しかし、長官視察の中止決定後も、マスコミの追求は厳しさを増す。三上は、松岡の乗る捜査指揮者に乗り込み、20分遅れの情報を送ることで記者を抑え、なんとか部下達を救う。そして、ついに明らかになる誘拐事件の真相。今回娘を誘拐され、身代金を持って奔走させられた人物こそ、64事件の遺族が独自に見つけた犯人だったのでる。犯人は64事件の自供に至らず、三上の娘も結局見つからず、決してハッピーエンドとは言えない結末だが、全ての伏線が最後に結実する見事なエンディングであった。

 

2013年読了作品の感想

『完全なる首長竜の日』(乾緑郎/宝島社) 【ネタバレ注意】★★

 第9回「このミス大賞」(2010年応募作品・2011年刊行)大賞作品。主人公は落ち目の少女漫画家・淳美。弟は自殺未遂を起こし植物人間状態だったが、意識不明の患者とコミュニケーションできるSCインターフェースという医療器具(著者による架空の器具)により、コミュニケーションをとることができた。彼女は、弟の自殺未遂の理由を知るために、センシングと呼ばれるその方法でアクセスを続けるが、リアルな夢の中のような状態で弟と会話はできるものの、弟はその世界の中で様々な形で自殺することでそれを打ち切ることを繰り返してきた。自分がいる世界が現実かどうかを確認するために自殺しようとしているのではと分析する淳美の気分は暗かった。そうでなくても、売れっ子の漫画家だった淳美は、長期連載作品を打ち切られることになり気分は沈んでいた。彼女には、幼い頃、母方の実家のある南の島で弟と一緒に溺れた記憶がある。そして、その母方の祖父に、せっかく弟と協力して描き上げた首長竜の絵をだいなしにされた記憶も。そんな記憶が繰り返し思い返される中、彼女の元に仲野泰子と名乗る女性から一通の手紙が届く。淳美のファンだった息子が自殺未遂を起こして入院したときに見舞いに来てくれたお礼の手紙だった。息子は最近亡くなったという。そして、久しぶりに再会した泰子の口から驚愕の事実が語られる。亡くなった息子は淳美の弟が入院している施設に入院しており、泰子とのセンシンング中に淳美の弟と会ったというのだ。同じ病院に入院しているとはいえ、物理的にまったく接続されていない人物同士が意思疎通をはかるのは不可能なはず。「ポゼッション(憑依)」という現象ではないかという泰子であったが…。
 読者は、始終夢うつつの淳美の世界に引き込まれ、不思議な気分を味わいながら読み進めることになるが、終盤大きなどんでん返しが待っている(ここからネタバレ注意)。センシングを繰り返すうちに、現実とセンシング中の世界の境界が、どんどん曖昧になっていくように感じていた淳美は、意を決して母の故郷の島を訪れる。そこでうたた寝中に見た夢で過去を追体験した淳美は、弟が幼い頃の島での事故ですでに亡くなっていたことを思い出す。そして、自分こそが人気絶頂の時に自殺未遂を起こし植物人間になったことを。つまり、これまでの本書で語られてきた物語は、すべて施設で眠り続けていた淳美の夢の中の話だったのである。そして、彼女はついにベッドで目覚める。植物人間状態から回復したのだ。そしてカウンセリングを通じて、自分が自殺しようとした理由も思いだし、立ち直って新たな人生を歩み始めてハッピーエンドと思いきや、彼女の前に過去のセンシング内で彼女が作り出した人物が現れる。やっと取り戻したと思った現実の世界が、そうでないと知った淳美は絶望し、自室に置かれていた拳銃で自殺をはかるというエンディング。なんとも救いようのない話だ。SF的設定を組み入れた不思議な幻想的世界観にこの作品の魅力があるのだろうが、「夢かうつつか」というテーマは理解できるにしても、正直、夢オチ的結末は個人的にはちょっと…という感じ。

『暴風雪』(佐々木譲/新潮社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2010年版(2009年作品)8位作品。十勝平野を十年ぶりの超大型爆弾低気圧が襲った日、志茂別の町では様々な犯罪が発生していた。@長らく地元の農業資材販売会社に勤めながら安い給料でこき使われていた西田康夫は、妻を亡くし胃癌の疑いがあることもあって、会社の金庫の金を奪って死ぬ前に豪遊勇しようと考えていた。A主婦の坂口明美は、別れたい不倫相手の菅原信也からしつこくつきまとわれ、彼の殺害を思いつく。B地元の暴力団の徳丸組の組長宅には、2人組の男が押し入り、留守番役の足立兼男を縛り、組長の妻を殺害し金庫の金を奪って逃げた。主犯の笹原史郎は、奪った金を相棒の若い男・佐藤章と山分けし別方向に逃亡する。笹原は自分の逃走ルートを安全にするため佐藤の逃げた方向を警察に密告するが、佐藤はそれを予想し、笹原と同じ方向に逃亡先を変えていた。C志茂別にただ1人残されることになる警官・川久保篤巡査部長は、地元民からの通報で、川辺で女性の変死体を発見する。被害者の薬師泰子は、菅原に貢ぎ、さらにパチンコにはまって借金を重ねた挙げ句、その返済のため徳丸組の足立によってソープランドへ運ばれようとしていたことが後に判明し、足立は警察に捕まる。D高校を卒業したばかりの佐野美幸は、母の入院中に自分を襲う義父から逃れるため家を飛び出し、通りがかりの山口誠のトラックに乗せてもらい、とりあえず母のいる病院のある帯広を目指す。Eペンションを経営する増田直哉は妻の紀子とうまくいっていなかった。そのペンションは、菅原が明美を呼び出した場所だったが、明美は菅原の殺害に失敗し絶望していた。そこに雪で車が立ち往生した佐藤、山口、美幸が現れる。笹原はそのペンション近くで転落事故を起こし凍死しようとしていた。そして偶然事故現場を通りかかった西田は、笹原の奪った金が入ったバッグを彼から預かりペンションに助けを呼びに行くが、二重遭難を防ぐため笹原の救出は諦めざるを得なかった。
 ここまでで、十分ネタバレ気味だが、かなり省略した上記のあらすじだけでも、様々な出来事が複雑に絡み合っていることが伺えるだろう。ここから本格的にネタバレとなるが、ペンションのテレビが流したニュースにより、佐藤が強盗殺人犯であることがペンション内の人間全員の知るところとなり、佐藤は豹変する。佐藤は全員の携帯電話を奪い暖炉に投げ込むが、明美は菅原が携帯電話を隠していることを佐藤に密告し、その結果、佐藤は菅原を殺害し、出てきた携帯を暖炉で処分した。明美は期せずして、菅原の殺害と携帯に残る不倫の証拠写真の処分に成功する。翌朝、暴風雪は収まり、ペンションを出て行く佐藤だったが、路上で川久保巡査部長によって銃撃戦の末、射殺される。恐ろしい経験から脱した増田夫妻は、これをきっかけに仲直りをする。西田は、笹原から手に入れた金で人生がやり直せると気づき、射殺現場の横を通過して、金庫に自分が奪った金を返すべく会社に向かう。そして、そこで物語は唐突に終わりを告げる。犯罪者は様々な形で裁かれ、ささやかな罪を持つ善良なる市民達には平和が訪れるという結末だ。決して後味が悪いものではないが、爽快感を感じるほどではない。笹原による車の盗難現場に刑事が到着するのが早すぎるのではないかとか、薬師泰子の夫が妻の死にほとんどショックを受けないのは不自然ではないかというのは、まあよいとして、やはり帯から受けた読書前の印象とのギャップが微妙な不満を感じさせている気がする。「超弩級の警察小説!」というキャッチコピーは明らかに過剰であるし、帯の解説文から伺えるほど川久保巡査部長が主人公らしく苦労したり活躍したりするわけではない。帯を見ずに読んでいたら読後の印象はもっと変わっていたかも。

『(新装版)果てしなき渇き』(上/下)(深町秋生/宝島社) 【ネタバレ注意】★★

 第3回「このミス大賞」(2004年応募作品・2005年刊行)大賞作品。元刑事が自宅の私室に覚醒剤を残して失踪した高校生の娘を探し求める過程で、彼女が恐ろしいモンスターであったことを知るという物語。問題ばかり抱えた訳ありの元刑事が無茶をしながら凶悪事件を追うという典型的なハードボイルド小説である。元刑事が失踪した娘を追うというのは、先日読了したばかりの「64」にも見られるモチーフで、こちらもありがちなパターンの1つなのかもしれない。 いつものようにあらすじをまとめると…。
 刑事だった藤島は、妻の浮気相手を暴行したことで依願退職せざるを得なくなり警備会社に再就職していたが、その職務中にコンビニで3人が惨殺された現場を目の当たりにする。連日の警察の事情聴取にうんざりする中、離婚した妻から娘の加奈子が失踪したという連絡が入る。妻に渡した以前の自宅を訪れた藤島は、娘の私室から覚醒剤と高校生が買えそうにもないブランド物の衣服を多数発見する。妻から聞き出した加奈子の友人、松下の長野の2人を問い詰める過程で、中学時代に加奈子のボーイフレンドだった緒方が自殺していることを知り、長野に薬物経験があることを察知する藤島。彼女らに逃げられ、加奈子のかかりつけの精神科医の辻村に無下に追い払われた藤島の精神は次第に壊れ始めるが、強引に独自の捜査を進めていく。加奈子の幼なじみから、加奈子が不良とつきあいがあったという情報を得て、刑事時代にコンビを組んでいた浅井からは、アポカリプスという不良少年グループがコンビニ事件に関わっているという情報を得るが、加奈子とつきあいがあったという不良の男こそ、アポカリプスのリーダー・棟方であった。そして、次に訪れた中学時代の加奈子の担任だった東は、加奈子が棟方ら不良とつきあいがあったこと、そこから薬物を入手し使用していたことを知っていた。棟方の母親から彼がたむろする場所を聞き出し、藤島が向かった先で見たものは、アポカリプスの内部抗争の現場であった。敵対勢力をつぶした棟方は藤島をも倒し、警察が駆けつける前に姿を消した。浅井によれば、棟方は地元暴力団の石丸組の不興を買い、そのせいでグループの大多数が棟方に反旗を翻したらしい。自宅に帰って眠っていた藤島は、石丸組の組員に襲われる。石丸組の探していた物を加奈子が持っていた覚醒剤だと藤島は考えたが、彼らが探していたのは「写真とネガ」であった。探していた物がないと分かった男達は、藤島を気絶させて去っていった。その後、松下からの連絡を受け、長野をかくまっている彼女の自宅へ向かった藤島であったが、そこで見つけたのは何者かに殺害された長野の遺体だった。
 そして、藤島の物語と並行して、3年前を舞台とし、中学3年生の瀬岡尚人を主人公としたもう一つの物語が語られる。過激ないじめにあっていた尚人を助けたのは同級生の加奈子であった。そして、ある日突然、尚人へのいじめがやむ。加奈子の口利きで、尚人にはアポカリプスという強力な後ろ盾ができたのである。平和な生活を取り戻した尚人は、加奈子にアポカリプスのパーティ ーに誘われる。加奈子のことをもっと知りたいと切望していた尚人は、仮にそれが加奈子の策略であろうとかまわないと、パーティに参加することを決意する。ここまでが、上巻のあらすじである。
 下巻は、3年前のアポカリプスのパーティーに参加した尚人の様子から始まる。薬物入りのビールで意識を失った尚人は、大金持ちの実業家・チョウの元に運ばれ玩具にされる。すべて加奈子のシナリオ通りであった。地獄を味わった尚人は、まずアポカリプスの女幹部・遠藤に復讐し、加奈子を追い求めるが、やっと見つけた加奈子を結局殺すことはできず、チョウの手下にあっさりと射殺されてしまう。
 今現在の物語では、心身ともに限界を迎えた藤島が、サービスエリアの駐車場の車内でついに覚醒剤に手を染める。そしてコンビニ事件の被害者の自宅に停められたバイクから、石丸組が探していたと思われる写真の束を発見した。様々な地位ある者達の少年少女を相手とした情交の様子が撮られた写真を浅井に確認させるが、写真は警察に引き渡さず加奈子を取り戻す材料として手放そうとしない藤島。しかし、それを読んでいた浅井は警察官が持ち歩かない大型の拳銃をあえて藤島に奪わせる。その銃で辻村を脅し、加奈子がチョウと組んで売春クラブを運営していることを聞き出した藤島だったが、加奈子をそのような道に進ませた原因が自分にあったことを知って衝撃を受ける。藤島は、石丸組ナンバー2の咲山から、加奈子が問題の写真をクラブの顧客にばらまくことでチョウを裏切り、チョウとアポカリプスを破滅させようとしていることを知る。石丸組はチョウから裏切られたと思い込んだ顧客達に雇われ、チョウを始末しようとしていたのである。加奈子に復讐しようとするチョウを追うという点で咲山と利害が一致した藤島は咲山と行動を共にする。チョウの手下の殺し屋となって加奈子の命を狙っている刑事の小山内(コンビニ事件の被害者達も、長野も尚人も小山内によって殺害されていた)と対峙した藤島であったが、警官に取り囲まれた小山内は拳銃で自殺。一時収容された病院を抜け出した藤島は再び咲山に合流する。そして咲山に捕まった棟方から、加奈子がチョウとアポカリプスを裏切った理由を聞く。チョウとアポカリプスによって追い詰められ自殺せざるを得なかった加奈子のボーイフレンド・緒方のための復讐であった。咲山達が捕らえたチョウを怒りにまかせて殺害した藤島は、咲山に気に入られ極道の道に足を踏み入れることに。そしてエピローグ。藤島は加奈子の中学時代の担任・東の元を再び訪れる。東の娘を売春クラブに誘い入れた加奈子に激高し、東が加奈子を殺したことに気がついたのだ。東が加奈子の遺体を埋めた場所を聞き出したとたんに東を射殺した藤島は、東から聞き出した雪山に向かう。具体的な場所まで聞いていないにもかかわらず、ひたすら当てずっぽうに雪を掘り返す藤島の姿を描いて物語は終結する。
 あまりにえげつない暴力シーン、性描写の数々に辟易することが多かったが、それでも先を読ませようとする力は半端ない作品である。刺激に飢えたハードボイルド好きにはたまらない1冊かもしれない。

『ボックス!』(上/下)(百田尚樹/太田出版・講談社) 【ネタバレ注意】★★

 今年『海賊と呼ばれた男』で本屋大賞を受賞した人気放送作家である作者が2008年に発表した高校ボクシングを描いた青春小説であり、ミステリー小説ではない。タイトルの「ボックス!」とは、ボクシングの試合中にレフリーが選手に対してかける「戦え!」「ボクシングしろ!」という意味の言葉である。勉強は得意だが運動は苦手で、中学時代にいじめられていた木樽優紀 (きだるゆうき)は、幼なじみで高校が同じになった鏑矢善平(かぶらやよしへい)からボクシング部に誘われる。鏑矢は、お調子者で本気で努力しない男であったが、天才的なボクシングセンスを持っており、前人未踏の高校八冠を狙っていた。ボクシング部に興味を持ちながらもなかなか入部しなかった木樽は、女の子との買い物帰りに再会した中学時代のいじめっ子達から暴力を受け、ついに入部を決意する。 2人が在籍する私立高校の英語教師・高津耀子は、電車内で複数の不良を一瞬で倒した鏑矢に興味を持っていたが、鏑矢のインターハイ出場が決まって正顧問の沢木だけでは手が足りな くなったことで、偶然にもボクシング部の副顧問を引き受けることになる。3年生のキャプテン南野、2年生の井手、野口、飯田、そして、1年の鏑矢しかいない小規模な部で、高津に憧れの気持ちを持っている木樽は、持ち前の真面目さで沢木の指導に忠実に従い、めきめきと腕を上げていく。先輩達もいい人ばかりだが、鏑矢に好意を持ってマネージャーになる、病弱で太った1年女子の丸野が本当にいい娘で癒される(人によってはイラッとするかもしれないが)。国体予選で、2、3年生は全敗するが、南野の最後の試合の相手の矢澤のマナーが許せない鏑矢。しかし、その鬱憤を晴らすかのように、大阪の高校ボクシング界で最も注目を浴びている稲村が 、矢澤を完全ノックアウトする。元柔道部のクラスメイト・藤森にからまれた木樽は一瞬で藤森を倒し感動を味わうが、インターハイで絶対優勝できると信じていた鏑矢がベスト16どまりで敗退したことにショックを受ける。大阪代表の中で唯一ライト級で優勝した稲村と合同合宿でスパーリングをすることになった鏑矢は 、見事に稲村を倒し、木樽は鏑矢の凄さを再認識する。ジャブとストレートだけを必死に練習してきた木樽の努力を認めた沢木が教えた左フックを身につけ、さらに自信をつけた木樽は、 中学時代のいじめっ子への仕返しに向かう。しかし、あっけなく負けてしまう木樽。勝敗が決したあとも執拗に木樽を攻撃しようとするいじめっ子達を、鏑矢は全て倒してしまう。ここまでが上巻のあらすじ。セリフが多く感情移入しやすい上に、 高校ボクシングの基本的な知識やルールについても各所で丁寧に説明されており、実に読みやすい。ボクシングの技術は喧嘩には使ってはいけないというありがちなモラルもなんのその、真面目な木樽があっさりといじめっ子への復讐を 決意し、それが簡単に実行に移される展開は、ある意味ベタだが、そこが逆に新鮮でもある。
 ここから下巻。国体で ベスト8まで勝ち上がった鏑矢は、インターハイに続きまたもや敗退を喫する一方、ライバルの稲村は優勝し、高校5冠を達成。そして選抜予選でついに稲村と公式戦初対決となった鏑矢は、稲村に敗れたショックでボクシング部を辞め、サッカー部に転部。そこで新しい才能を開花させるかと思いきや、すぐに辞めてしまい学校にも来なくなってしまう。ボクシングから逃げた鏑矢に怒りを覚えながら、木樽はますますボクシングへ熱中し力をつけ、デビュー戦の新人戦で見事優勝を果たす。木樽はさらに練習に打ち込み、沢木も鬼監督に変身、部員達も今まで以上に気合いを入れて練習するようになった時、入院中だったマネージャーの丸野が亡くなったという知らせが届く。通夜で丸野の母から、丸野がいかに鏑矢を慕っていたかという話を聞いた鏑矢は、金髪だった頭を丸刈りにしてボクシング部に戻ってきた。インターハイ予選、稲村が不出場となったライト級決勝で、鏑矢と木樽は初対決を迎える。激しい打ち合いの末、木樽に敗れた鏑矢は、宣言したとおり、黒子に徹するかのように黙々と木樽のスパーリングパートナーを務め、木樽は、沢木が鏑木にはもう勝つことができないと言わしめるほど力をつける。そして、鏑矢自身も、国体予選で話題のボクサー・鍵谷を倒し完全復活をする。そして物語はクライマックスへ。ついに超高校生級の稲村と対決することになった木樽だが、あと一歩のところで逆転負け。鏑矢に敵討ちを託す。最後の章のタイトル「惨劇」は読者を不安にさせるが、稲村との2度目の戦いに鏑矢は勝利。稲村の連勝記録を63で止めた。勝利の余韻に浸るまもなく、エピローグで一気に舞台は10年後の部室へ。10年ぶりに顧問としてボクシング部に戻ってきた高津(結婚して三島に改姓)は、昔を懐かしむ。現在の部員に、木樽と鏑矢の話をする高津。木樽は高校3冠を果たし現在は検事に、鏑矢は故障に悩まされ高校では無冠で終わったがアメリカで実業家として成功、稲村はプロになり、すでに引退していた。部員から鏑矢の印象を聞かれた高津の、「風みたいな子やった」という言葉で物語は締めくくられる。
 「弱い子が並々ならぬ努力で力をつけていき目標としていたヒーローを追い越す、しかし、強敵には敗れ、目標としていたヒーローがどん底から這い上がって敵討ちを果たす」という展開は、上巻の最後のシーンでも前述したようにベタではあるが、確かに爽快感がある(さすがに高津の結婚相手が、物語に登場する人物の誰でもなかったというのは、ベタすぎてなくてほっとしたが)。稲村の描き方が中途半端で、主人公達の前に立ちはだかる壁という感じが今ひとつなのと、主人公達の先輩、井手、野口、飯田については、それ以上に扱われ方がぞんざいなのが惜しいと感じたが、たまには、こういう作品もいいかもしれないと思わされた1作だった。

『星を継ぐもの』( ジェイムス・P・ホーガン/東京創元社) 【ネタバレ注意】★★★

 今回もミステリではない。前回のようなスポーツ青春ものでもなくSFである。1977年に発表された作品で、購入した本書には、創元SF文庫読者投票第1位という帯が付いている。「現代より、ほんのわずかの近未来、月面で発見された宇宙服を着た遺体を調査した結果、死後5万年が過ぎていることが判明した」…これだけで十分に面白そうな話だが、読んでみると予想以上に面白い。それどころか個人的オススメ小説ベスト10にいきなりランクインしたと言っても過言ではないと言えるくらい面白かった。様々な謎が主人公達の前に現れて、それを論理的に推理して解決していくという、まさにミステリ小説と同じ楽しさなのだが、何せスケールが時間的にも空間的にも通常のミステリとは比較にならない大きさで、それだけで新鮮な感動がある。前述の謎のオチは、おそらくタイムスリップあたりだろうと勝手に予想を立てていたが、全くの見当違いで、読了後、陳腐な予想をしていた自分が恥ずかしくなった。いつものごとく、これ以降、あらすじを書き留めていくので、これから本作を読もうと思う人は、このあとを読まない方が賢明である。是非、本編で主人公達が真相に迫っていく様に感動してほしい。また、本作と全く関係のないいくつかの映画や漫画に流用されている『星を継ぐもの』というタイトルだが、本作にこれ以上ふさわしいものはないことが読了後に理解できるはずである。

 プロローグでは、前述の宇宙服を着て遺体として発見された人物の死の直前の様子が描かれる。しかし、いつの時代の、どこの星の、どこの国の人物か、また何の目的で月面にいたのかも全く説明されないまま、現代(正確には現代よりわずかに未来で、月旅行程度なら一般人にも可能な時代)に舞台は移る。イギリスのメタダイン社で物質/反物質の粒子消滅に関する研究を行っていた優秀な原子物理学者のヴィクター・ハントは、上司のフォーサイス・スコットから現在の研究を中断してアメリカにある親会社IDCCへ向かうよう指示される。ハントが開発した、様々な物体を透視することができる装置「トライマグニスコープ」1号機が、アメリカで至急必要になったためであったが、何に使われるかはまだハントの耳には入っていなかった。その頃、宇宙科学省資料調査部は、持ち込まれたある合金の分析結果が信じられないものであることに驚愕していた。アメリカに到着したハントは、IDCCに力を貸してほしいと要請してきた相手が、IDCC最大の得意先である国連宇宙軍であること、そして調査対象が月面で発見された死後5万年たった身元不明の遺体であることを聞かされる。チャーリーと名付けられた遺体は、現代人と全く変わるところがなかった。しかし、5万年前に高度な文明社会が地球上にあったという痕跡は未だ発見されていない。チャーリーは他の惑星から来たとしか考えられなかったが、宇宙の全く別のところで別の進化の過程をたどった2種類の生物が最終的に同じ形態をとることはあり得ず(アニメ等ではそれが普通に描かれるが)、チャーリーは間違いなく地球人であると、生物学者のクリスチャン・ダンチェッカーは断言した。5万年前に高度な文明社会が地球上にあったという痕跡が未だ発見されていない理由として、ダンチェッカーは、大規模な天変地異が起こったか、あるいはその文明が現在は海底に没している地域に繁栄していたか、いずれにせよ風化浸蝕という自然の作用によってぬぐい去られたのだと主張した。それに対しハントは、遺体と共に発見された手帳から文字の解析を行い、カレンダーらしきものから、チャーリーの住んでいた惑星が月を持っており、かつ1年が1700日ある星であるという仮説を提示する。別の学者は、チャーリーの遺体から細胞代謝の周期および酵素作用の量的モデルを作り、チャーリーの睡眠時間と起きている時間を割り出し、1日の長さが割り出せると主張。また、別の学者はチャーリーの骨格と筋肉の構造から惑星の質量や、惑星と太陽の距離も割り出せると主張した。チャーリーは地球で進化したと主張するダンチェッカー派と、別の惑星で進化した可能性を主張するハント派の対立は平行線をたどる。
 その後、月面ではルナリアンと呼ばれるようになったチャーリーの仲間と思われる遺体がさらに14体発見され、ルナリアン研究が進んでいく中、国連宇宙軍航行通信局(ナヴコム)の本部長グレッグ・コールドウェルは、各専門領域の研究成果を統合する担当としてハントをスカウトし、ハントは快く同意した。ナヴコムの一員となったハントの仕事は増大したが、ハントによってルナリアン研究の作業は円滑に進むようになった。そして、月面でまた新たな発見があった。ルナリアンの基地の廃墟から8体の焼死体と共に発見された彼らの食料と思われる魚は、地球の生物とは何のつながりも持たないものであったのだ。月理学の権威ソール・スタインフィールドから、月の地殻の厚さが均一でなく、月の裏側にはかつて月と同じ成分の大量の岩石、土砂がぶちまけられたこと、その時期はルナリアンの生存期間に一致すること、そして、なぜかその影響を地球は受けていないことなどの情報を得たハントは、さらに研究を進め、月面上に大量の隕石が落下する前に、そこで核戦争が起こっていたことを突き止める。そして、ルナリアン文明の中心が、火星と木星の軌道の中間の、現在小惑星帯によって占められている場所にあったことが判明、その失われた惑星はミネルヴァと名付けられ、核戦争によって破壊されたと想像された。また、月面で発見されたルナリアンの食料と思われる魚もミネルヴァで捕獲されたものと考えられた。チャーリーがミネルヴァの住人であったことは、彼の所持品から明らかとなったが、ルナリアン文明とミネルヴァ文明が同一とは言い切れず、ルナリアンが地球で進化し地球から移住した者達なのか、その時ミネルヴァの別の人種・ミネルヴァンと接触したのか、あるいは最初からルナリアンはミネルヴァで進化したのかなど謎は残った。
 そして木星の衛星のガニメデで、さらなる大発見があった。地球のものではない巨大な宇宙船と、地球人とは全く異なる異星人の遺体が氷原の下から発見されたのである。ルナリアンとミネルヴァンが同一人種かどうか結論が出ないまま、ガニメアンがどこから出現し、ルナリアン、ミネルヴァンとどのようなつながりがあるのかといった新しい謎が加わったのだ。「ルナリアンのパイオニアはガニメアンと接触してミネルヴァに移住したが、両者が対立した結果2つの人種は絶滅し、ミネルヴァは崩壊した」というダンチェッカーの主張には説得力があり、ダンチェッカー派は勢いを増す。その情勢が変わったのは、月面のルナリアン基地の廃墟から書物のページを記録した大量のスライド用素材が発見されたためである。そこから、氷河期による滅亡の危機にあったミネルヴァでは、他の惑星への脱出を巡って2つの勢力が対立していたことが分かった。地球を移住先の目標としていた両陣営の先発隊が月で衝突し戦闘になったと考えられた。そしてその2大勢力は共にルナリアン(=ミネルヴァン)であり、ガニメアンは記録に登場しないことも明らかとなった。そしてハントの元に届けられた新しい情報がそれを裏付ける。ガニメアンの巨大宇宙船は2500万年もの昔から氷原に埋もれていたのだった。
 さらに驚くべき発見は、この巨大宇宙船には2500万年前の地球の動植物が満載されていたことであった。ガニメアンは2500万年前に地球上の生物をミネルヴァに移送し、その結果、そこで現代の地球人と全く同じ進化をたどったルナリアンが誕生したという仮説が立てられたのである。これで地球上に5万年前のルナリアンの文化の痕跡が残っていないことも説明できるようになったわけだ。そして、チャーリーの手書きの手帳の解読が進むにつれてハントはさらに真相に近づくと共に新たな謎を抱え込むこととなる。手帳の内容によれば、チャーリーはわずか2日でミネルヴァから月へ移動し、月面上からミネルヴァの敵の都市を正確に攻撃している。しかもわずか4分で命中報告を聞き、ミネルヴァの地表の様子を詳細に記録している。ミネルヴァと地球の月との距離は1億5000万マイルも離れているにもかかわらずである。つまり、月から見える地球こそチャーリーの故郷だという仮説が導き出されたのだ。
 しかし、この仮説も矛盾だらけで、学者達は四つの陣営に分かれた。@【純粋地球論】ルナリアン文明は地球上に起こり、地球上で自滅した。ガニメアン文明を別にすればミネルヴァ文明などなく、チャーリーの持っていた地図と地球の現在の様子があまりに違うのは大規模な地殻変動のせいであり、文明の痕跡が残っていないのも、赤道上に固まっていた都市が地殻変動で海底に没したためであるという説。最初にダンチェッカーが唱えていた説である。A【ガニメアン・ノアの箱船論】ルナリアンはガニメアンによって地球からミネルヴァへ運ばれた生物が進化したものであり、月面上からミネルヴァを見れたのはビデオ画像を通してのものであり、月面上からミネルヴァの都市を攻撃できたのも遠隔操作で衛星兵器を使ったのだという現在のダンチェッカーの説。B【植民地隔絶論】遠い過去に文明を築いた地球人はミネルヴァを植民地にしたが、地球上の文明は衰退し植民地との連絡は途絶。氷河時代から逃れるため地球に帰還しようとしたミネルヴァの人々は、月面に橋頭堡を築き自分たちを受け入れようとしない地球を攻撃し、共に滅びたという説。C【流浪民帰還論】ルナリアンはミネルヴァで進化を遂げ高度な技術文明を築き、氷河時代に滅亡の脅威にさらされると2つの大国が地球を目指して熾烈な競争を展開したというところまではAのノアの方舟説と同じだが、一勢力が地球上にすでに居住地を築いており、追いすがったもう1つの勢力が月面上から攻撃したのはAのミネルヴァ上の都市ではなく、@同様、地球上の対立勢力であったという説である。
 中立の立場をとり続けたハントは、コールドウェルからダンチェッカーと共にガニメデへ行くことを命じられる。ガニメデ行きの宇宙船の中でミネルヴァ原産陸棲生物の突然の消滅の謎について数週間話し合った2人のもとへ地球から新しい情報が届き、2500万年前にミネルヴァ上の二酸化炭素濃度が急激に高まったことが、ミネルヴァ原産陸棲生物は絶滅の原因であったことが判明。ガニメアンは、ミネルヴァの大気のバランスを回復させるために地球上の動植物を持ち込んだと考えられた。地球上の生物はミネルヴァ上で繁栄したがガニメアンの期待値には届かず、ガメニアンはミネルヴァを捨てたのではないか。そしてガニメデに到着し、地表から木星を眺めたハントは全ての謎が氷解する真相にたどり着く。
 真相は次の通りであった。ミネルヴァで繁栄したガニメアンは、2500万年前、何かのきっかけでミネルヴァ上の二酸化炭素濃度が急激に高まったことで危機に陥り、地球からの動植物移植でも十分な効果が得られずミネルヴァを捨てたが、ガニメアンのいなくなったミネルヴァでは地球動物は順調に進化を遂げ、高度なルナリアン文明を築いていた。5万年前、惑星を二分する戦争が起こりルナリアンは自滅、ミネルヴァも崩壊した。その時チャーリーはミネルヴァの月面上にいた。ミネルヴァの残骸を大量に浴びたミネルヴァの月は、わずかな生存者を乗せたまま宇宙を移動し、地球の重力に捕まったのだ。そして、ダンチェッカーが最後の謎を解く。なぜ同じ祖先とは言え、2500万年間も別の環境で進化したルナリアンと地球人が全く同じなのか。それはルナリアンこそ地球人の祖先だという説であった。ルナリアンの生き残りは決死の覚悟で月面から地球に降下し、生き延び、現代人の祖先となったのである。地球上には最初から現代人と同レベルの人類は誕生していなかったのだ。ダンチェッカーは、偉大なる祖先に敬意を払いつつ、最後に力強く宣言する。「恒星宇宙はわれわれが祖先から受け継ぐべき遺産なのだ。ならば、行ってわれわれの正統な遺産を要求しようではないか。われわれの伝統には、敗北の概念はない。今日は恒星を、明日は銀河系外星雲を。宇宙のいかなる力も、われわれをとめることはできないのだ」

 なんとも切ない余韻を残すエピローグがこのあとに続くが、人類の生い立ちが様々な謎を解明しながら明らかになっていく様、そして人間の強靱さを賛美して締めくくられるエンディングは、本当にお見事としか言いようがない。『ガニメデの優しい巨人』(ガニメアンは生き延びていたのだ!)、『巨人たちの星』、『内なる宇宙』という続編の存在を知り、すべて購入したのは言うまでもない。

『新宿鮫\ 狼花』(大沢在昌/光文社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2007年版(2006年作品)4位作品。前作の『風化水脈』を読了してから7年がすぎ、すでにシリーズ10作目の『絆回廊』が刊行され「このミス」2012年版(2011年作品)で4位にランキングされていることもあり、そろそろ読まないといけないと思って読んでみた。いつものごとくよく作り込まれたドラマの中で全ての登場人物が生き生きと描かれており、特に突っ込みどころもないのだが(ヒロインの晶がちょっとしか出てこないとか、文庫版の裏表紙で「香田は…暴力団と手を組むことを画策していた」と物語の核心に関することを明かしてしまってよいのかとか、『狼花』というタイトルに関して物語中にそれらしき記述は一瞬あったが『泥棒市場』の方がしっくりくるのではとか(全然文学的タイトルではないのは分かるが)、些細な疑問は別にして)、特別な感動もなかったのも事実。この年の「このミス」ランキング上位作品を読むのは7冊目(1位、3位、4位、6位、10位、12位、15位)だが、今のところ全て★2つとなってしまった。
 出稼ぎ中国人の明蘭はマッサージ店やクラブを転々としていたが、やっと大きなクラブに勤められるようになった矢先にそのクラブが倒産。当方にくれている彼女に手を差し伸べたのは明蘭の担当客の深見だった。深見は彼女に日本人の戸籍を用意し、盗品を扱う「泥棒市場」を共同運営するパートナーに鍛え上げる。深見と共に働き出し1年たった明蘭は毛利という名のバイヤーと知り合い、好意を持っていた深見から何のアプローチもなかったこともあって毛利と深い仲になるが、彼の正体は日本最大の暴力団・稜知会の幹部・石塚であった。その1年後、ナイジェリア人の運び屋オドメグは、同国人のナムディに商品の大麻樹脂・ハシッシュを奪われる。オドメグが住んでいたアパートの部屋すべてを借りているサンエイ企画のバックに暴力団がいることをつかんだ鮫島は、捜査の過程で「泥棒市場」の存在を突き止める。サンエイ企画の社長・竹下から「泥棒市場」に関係している組として稜知会の名を聞き出した鮫島は、外事から組対の理事官に異動していた同期キャリアの香田が外国人犯罪組織根絶のために暴力団と手を組もうとしていることを上司の桃井から聞き驚愕する。その桃井から、鮫島の宿敵・仙田こそ「泥棒市場」の管理人ではないかという話も聞かされた鮫島は、恋人の晶に連絡を取ろうとするが、メジャーデビューした晶との関係の終わりを感じていたこともあり思いとどまる。闇金系の車屋をあたっていた鮫島は、稜知会の幹部の石塚が女にベンツの2シーターを与えたこと、その女は以前仙田が戸籍を買ってやった女であったことをつかむ。捜査を進め、その女・古尾明子が「泥棒市場」で鑑定人として働いていることを確信した鮫島が、鑑識の藪と歩道橋で仙田の正体について、警察の特殊工作部隊「サクラ」の一員ではないかと立ち話をしているときに、銃を持った仙田が突然現れ、抵抗した藪を撃って逃げる。仙田と明子は姿を消し、謹慎となった鮫島は、石塚および稜知会への捜査が香田によって止められていることを知り怒りがこみ上げる。桃井の話は本当だったのだ。深見こと仙田の所有する千葉の別荘へ身を隠した明子こと明蘭は、後から駆けつけた仙田に中国へ帰るように勧められるがそれを拒絶。本音をぶつけ合う明蘭と仙田。自分達のマーケットを稜知会が狙っており、石塚はそのために明蘭に近づいたのだと主張する仙田に対し、石塚を信じている明蘭は、仙田に石塚と話し合ってほしいと懇願する。別荘にやってきた石塚から、石塚が明蘭を必ず守ること、そして警察は稜知会と手を結んでおり稜知会には手を出さないはずだという話を聞いた仙田は、ある決意をする。警察の興味を引くことで「泥棒市場」への稜知会の介入を防ごうとしていたのに、警察がグルだと気づいた仙田の孤独を知る鮫島と桃井。車の中で意見を戦わせる鮫島と香田であったが、結局平行線をたどったまま2人は別れる。鮫島を自宅へ送った香田の部下の井端は、香田を守るため鮫島を襲おうとするがそれを救ったのは仙田であった。仙田はついに鮫島に間野総治という本名を明かす。撃たれた井端に対し無傷で鮫島が解放されたことで、鮫島には仙田を匿っていたのではないかという疑いがかかり、鮫島は公式に謹慎処分となる。「泥棒市場」で初めての薬物の取引を無事成功させた明蘭であったが、取引相手のナムディは石塚によって消されていた。石塚は明蘭に、稜知会が「泥棒市場」を狙っていたこと、稜知会が警察と組むこと、警察が外国人犯罪組織を根絶したあと稜知会を狙ってくる前に自分はマーケットから手を引き中国で明蘭と新しいビジネスを立ち上げるつもりであること、そのためにナムディを消さねばならなかったことを語る。そして石塚は、しつこく迫ってくる鮫島を止めるため、警察の大物・香田と直接話をつけることも明蘭に告げた。石塚と香田が密談する場所を仙田こと間野に教えられた鮫島は急行するが、先に到着していた間野は石塚の部下を射殺していた。間野の目的は、密談の場で香田を射殺し、稜知会幹部と警察幹部が同席していたことを世間に知らしめてやろうというものであった。香田の部下の沼尻が香田の盾となっている間に鮫島は間野を射殺。香田は助かり、石塚と明蘭は逮捕された。香田は辞職願を提出し、査問会にかけられるはすだった鮫島は免職を逃れ新宿署に引き続き勤務できることになった。鮫島は、間野が香田を殺す気はなかったのではないかということ、そして自分に撃たれるつもりだったのではないかということを桃井に告げる。「通常の職務に戻りたまえ」という桃井に鼻の奥が熱くなるのを感じる鮫島であった。
 以上が、この物語のあらすじである。犯罪者側のライバルも、同じ組織に所属するライバルも同時に舞台から消えてしまうという大きな展開がある物語でありながら、今ひとつ盛り上がらないのはなぜだろう。どうやら香田は別の部署に残るような話を聞いているが、10作目を読む気になるのは当分先になりそうだ。

 

2013年月読了作品の感想

『ガニメデの優しい巨人』(ジェイムス・P・ホーガン/東京創元社) 【ネタバレ注意】★★★

 先日読了して新鮮な感動を味わったばかりのSF小説『星を継ぐもの』の続編である。前作同様いきなり異星人のシーンから始まる大胆な展開。しかも今回はルナリアンではなくガニメアンである。前作ですっかり主役のハントの良き相棒として定着したダンチェッカーは、前作で解決したと思われていた謎の1つに疑問を感じていた。ガニメデで発見された地球生物全てが未知の酵素を持っているのはなぜか?ガニメアンが惑星ミネルヴァの二酸化炭素濃度の上昇を抑えるために地球生物を運んだという考え方は本当に正しいのかという疑問である。その頃ハントは、ガニメデの氷の下から発見された2500万年前のガニメアンの宇宙船から取り外した装置がどんな働きを持つものか実験していたのだが、それは救難信号発生装置で、宇宙の彼方でその信号をキャッチした者があった。なんと、2500万年前に滅亡したか別の星へ移住したかと思われていたガニメアンが、2500万年前に起こった宇宙船の故障と、ある実験の事故が重なったせいで、2500万年前の姿のままいきなり 現代のガニメデ基地に出現したのだ。 ガニメアンの宇宙船「シャピアロン」号からガニメデ基地に降下した小型宇宙船の中に入った地球の歓迎委員が見たスクリーンに映っていたのは3人のガニメアンであった。会話を通して、どんどん英語を習得していくガニメアン。地球人は、ガニメアンが他の惑星から来たのではなく失われた惑星ミネルヴァから直接来たことに驚き、ガニメアンは、地球人が太陽系第3惑星の住民だと知って激しく動揺していた。このガニメアン達は、母星ミネルヴァを破壊したのは地球人だと考えていたのである。 誤解は解け、初の地球人とガニメアンの記念すべき接触は友好的雰囲気の中で進み、ハントをはじめとする地球人は、ヘッドバンドを通してガニメアンのことを個々に学べるガニメアンのコンピュータ・ゾラックとの会話に夢中になった。しかし、ゾラックは、ルナリアンが戦争の末、ミネルヴァを破壊してしまったという話をなかなか理解しようとしない。ガニメアンは、憎しみ争うという感情を全く持ち合わせていなかったからであった。そして、ガニメアンの口からかつてのミネルヴァ改造計画が明らかになった。二酸化炭素濃度の上昇を防ぐため気候改良を行おうとしたが、温室効果が完全に失われてかえって危険であると判断され、次に考えられたのが太陽の温度を上昇させ、温室効果が失われた場合の問題を解決するという方法であった。慎重なガニメアンは太陽型の恒星・イスカリスで実験を行ったが失敗、ノーヴァとなったイスカリスから脱出することになったが、宇宙船の故障のため20年足らずの航海が 、その宇宙船の特殊な航法のせいもあって2500万年という年月になってしまったというわけである。そして彼らは地球生物がミネルヴァに移住させられていたことを知らなかった。 彼らがイスカリスへ旅立った後に、残ったガニメアン達によって地球生物の移住が行われたらしいのだ。ゾラックは、ハント達にミネルヴァの生物の進化の歴史を聞かせた。ミネルヴァでは、進化の過程で一部の魚類が血液と酸素を供給する循環器と 、老廃物の除去を受け持つ循環器の二重循環器構造を得た。第二循環器には毒を持つことになり、毒を持たない魚とそれをエサにする魚は深海へ移動、毒を持つ魚が浅い海で繁栄し陸棲生物へ進化した。つまり、ミネルヴァの陸棲生物は全て草食であり、それが 温和なガニメアンの人格を形成し、地球生物に対する恐怖を生んでいたのである。肉食の外敵がいない陸棲生物の数をバランスせしめていたのは事故による怪我であった。怪我をすると簡単に自分の持つ毒が体に回って死亡してしまうのである。ガニメアンは遺伝子操作によって第二循環器を永久に取り除く方法を選んだが、その代償として、他の生物と違って二酸化炭素への耐性も失ってしまったのである。ここでまた新たな謎が発生する。当初の予想と異なり、 遺伝子操作を受けていないガニメアン以外のミネルヴァの生物は二酸化炭素に対する耐性が十分にあったことが分かったのだ。では、なぜ陸棲生物が全て滅んでしまったのだろうかという謎である。
 ハントとダンチェッカーが首をひねっている頃、ガニメデから数億マイル離れた地球では、知的異星人との遭遇のニュースに世界中が沸き立っていた。そしてついに400人を超えるガニメアンが地球上に降り立つ日が来た。場所はスイスのジュネーヴ湖畔の美しい田園地帯が選ばれた。ガニメアン達は世界各国から集まってきた大勢の人々の熱烈な歓迎を受けた。ルナリアンの文書を研究していた言語学者のマドスンにルナリアンの星座図を見せられたハントは、その中に「巨人の星」という名の星を見つける。決して明るい星ではないのにルナリアンがそのように名付けたのは、ガニメアンがその星に移住したことを知っていたからではないのかと推論するハント。6か月かけて地球 各地を回ったガニメアン達は巨人の星を目指して再び旅立つことを地球人に宣言して飛び立った。宇宙船を見送りながら、解決できなかった謎が数多く残ったことを悔やむハントに対し、ダンチェッカーは全ての質問に答えてみせると断言する。ガニメアンはミネルヴァに連れて行った地球の生物の遺伝子を操作したのであり、 ガニメアンの遭難宇宙船に積まれていた斬新世の地球生物から発見された酵素もガニメアンが合成したものだというのだ。つまり、「シャピアロン」号がイスカリスに向かった後のガニメアン達が行ったと思われる実験の目的は3つ。@DNAを組み替えて地球で自然に進化した動物から二酸化炭素耐性を司る暗号を切り離すこと、Aその切り離された暗号群を次世代に伝える手段を開発すること、B新しく作り出された遺伝子情報をミネルヴァの動物に植え付けて第二循環器に頼らずに二酸化炭素を処理するメカニズムを持つ動物に改良することができるかどうか確認することである。当然その後は、ガニメアンは自分達にその遺伝情報を植え付けるつもりだったのであろうという結論だ。そして、その失敗の原因は、自己免疫のメカニズムと二酸化炭素耐性を規定する遺伝情報がセットになっていることを知らなかったためである。そして、草食の陸棲生物がミネルヴァからいなくなったのは、地球の肉食動物がミネルヴァの生物の持つ毒をものともせずに食い尽くしたからであろうと。そして、ルナリアンの進化も脳の発達を抑制する遺伝子をガニメアンが取り除いたために起こったことであろうと推察された。つまり、地球人の誕生は「失敗に終わったガニメアンの実験の帰結」なのであった。ガニメアンはそこまで分かっていて、これからの人類に期待し宇宙へ旅立っていったのである。
 彼らが旅立った後、なんと巨人の星に向けて発信したメッセージに彼らの到着を待ち望む返信があった。地球人は彼らにそのことを知らせたかったが、急加速した彼らに巨人の星からの返信を転送することはできなかった。
 以上が、この物語のあらすじである。さすがに前作のインパクトを超えるのは難しいが、生きた知的異星人との遭遇があったり、前作で解決したと思われた謎の真相が次々に明らかになったり、読み応えは十分である。第3弾『巨人たちの星』も当然読まざるを得ないであろう。

『巨人たちの星』(ジェイムス・P・ホーガン/東京創元社) 【ネタバレ注意】★★★

 『星を継ぐもの』シリーズ第3弾である。あらすじを長々と記録するのに疲れてきたので、今回は簡潔にまとめることとする。前作でガニメアンが巨人の星へ向けて飛び立ったあと、巨人の星からの通信を受信した地球側であったが、その後、通信が途絶えてしまったことに疑念を抱く。そしてその後、巨人の星の住人、ガニメアンの末裔であり、より科学技術が進んだ人種・テューリアン側には、地球と積極的に接触を図ろうとする一派と、そうでない一派が存在することが判明する。そうでない一派は、テューリアンによって庇護されたルナリアンの末裔であるジュヴレン人であり、彼らはテューリアンから地球の監視役を任されていた。彼らは、地球を陰から支配するために、太古の昔から意図的に地球の発展を遅らせるなど様々な工作をした挙げ句、自らが正当な理由によって軍事力を得るために、現代の地球は強大な軍事力を持った宇宙の脅威となる惑星であるという偽の情報をテューリアンに報告していたのである。現在の本当の地球の姿をテューリアン達に知られたくないジュヴレン人達は、巨人の星に向かうシャピアロン号を闇に葬ろうとしていた。ジュヴレン人に知られないように、テューリアンとの接触に成功したハント達は、協力してシャピアロン号を救出すると共に、ジュヴレン人達の野望を打ち砕くべく策を練る。ついに遙か彼方の異星、巨人の星に到着したハント達は、コンピュータを利用した作戦を立案する。ガニメアンのシャピアロン号には、ゾラックという対話型コンピュータが搭載されていたが、テューリアンとジュヴレン人の世界にも、それぞれヴィザー、ジェヴェックスという巨大コンピュータシステムがあった。無駄な血を流すことなく戦争を終結させるべく、ヴィザーがジェヴェックスを乗っ取る作戦が実行に移され、ジュヴレンの好戦的な指導者達は過去の世界へ飛ばされることになり、巨人の星に平和が戻るという物語である。
 科学的知的好奇心を満たしてくれる点では前作までと同じだが、生物学的な話が減り、社会的、政治的な話の割合が増えているのが本作の特徴であり、前作までの読者の支持が得られるかどうかは微妙。しかし、前作までと同様、人類の起源について、新たな真相がまたいくつか明らかになるところは大きな魅力である。

 

2013年月読了作品の感想

『内なる宇宙(上・下)』(ジェイムス・P・ホーガン/東京創元社) 【ネタバレ注意】★★★

 『星を継ぐもの』シリーズ第4弾。ハント達の活躍によって、好戦的な指導者達がいなくなったジュヴレン人の社会に平穏が訪れたかと思いきや、そうではなかった。ジュヴレン人達を自立させるために、彼らの生活を助けていたコンピュータシステム・ジェヴェックスを停止させたところ、ジュヴレン人の社会は廃退し、怪しげな宗教が乱立する状況となっていたのだ。テューリアン達から助けを求められたハント、ダンチェッカー達は再び宇宙へ旅立った。当初は、ジュヴレン社会の廃退の原因はバーチャル世界で何でも自分の思い通りのことができるジェヴェックスを停止されたことによる幻想中毒の禁断症状と思われていたが、実は原因は別にあった。ジェヴェックス内にファンタズマゴリアという別世界が誕生していて、エント人と呼ばれるその住人達がジェヴェックスに接続しているジュヴレン人の精神を乗っ取って現実社会に現れるという事態が発生していたのである。そして、その一人であるユーベリアスは、ジェヴェックスを復活させたいというジュヴレン人の願望を利用し、光軸教の教祖として信者を増やし、ジェヴェックス復活とともに大量のエント人をジュヴレン社会に送り込み、現実世界を乗っ取る計画を立てていたのだ。これまで宇宙を駆け巡ってきたハント達は、今回コンピュータ内の異世界にまで入り込んで活躍を見せるが、ユーベリアスに接続を切られて、現実世界と異世界の両方で同一人物が別行動をとることになるという前代未聞の展開が待っている。最終的に、ヴィザーの力でユーベリアスを異世界に転送して帰れなくし、異世界のハント達が現実世界の自分達と融合することで、事態は解決に向かうという物語だ。
 ヴィザーがジェヴェックスを乗っ取り、最後に悪役を異世界に飛ばして事態を解決する点が前作と一緒なのは気になるが、前述したように物語の展開は実に斬新である。ハリウッド映画や日本のコミックなどでヴァーチャル世界を描いた作品は珍しくないが、本作はひと味違う。また、ハントやダンチェッカーの人間味が、シリーズが進むごとにどんどん出てきているのを読者はお気づきのことと思うが、本作ではそれがピークに達しており、各キャラクターのファンにとってはそこは大いに楽しめるであろう。1作目からは全く考えられなかったユニークな彼らの活躍を楽しんでほしい。

『幼年期の終り』(アーサー・C・クラーク/早川書房) 【ネタバレ注意】★★

 『星を継ぐもの』シリーズで海外のSF小説の名作に興味を持ったので、各所で評価の高い作品を探して購入、早速読んでみることに。最初に選んだのが、この作品である。
 第一部の舞台は、1970年代末。アメリカとソ連が宇宙進出にしのぎを削っていたとき、世界各地の大都市上空に巨大宇宙船の大船団が現れる。それから5年、彼らは地球に対し特に何もしなかった。大国が発射したミサイルを消滅させた上で何も報復を行わず、人種差別を続ける国への太陽光を30分遮った程度のものだ。それで、世界から戦争と差別と貧困がなくなった。国連事務総長のストルムグレンは、地球上で唯一オーバーロードと呼ばれるようになった異星人の代表・カレルレンと会談することが許されていた。しかし、カレルレンに不思議な友情を感じていた彼にもカレルレンは姿を見せず、会談はすべて声のみで行われていた。そんな中、オーバーロードに逆らおうとする組織によってストルムグレンは誘拐されるが、あっさりとストルムグレンを救出したカレルレンは50年以内に地球人にその姿を現すことを約束する。事務総長としての最後の会談の時、思い切って、ある装置を用いてカレルレンの姿を見ようとしたストルムグレンは、その姿を一瞬垣間見ることができた。30年後、その時のことを振り返る90歳のストルムグレンは、それをカレルレンの友情の証と考えていた。約束の日まで、あと20年。ストルムグレンがオーバーロードの姿をはっきりと見ることはもうないのだ。
 第二部冒頭では、ついにやってきた約束の日が描かれる。地球人の前に現れたオーバーロードは、人間の思い描いていた「悪魔」の姿そのものだったが、その衝撃はすぐに消え失せた。世界は1つとなり、生活必需品は無料となり、犯罪もない、理想的な黄金時代を人類は迎える。そんな世界で、地球人が力を注いだのは教育であった。そして、カレルレンが地球人に貸し与えた過去を見ることができるテレビによって、あらゆる宗教の拠り所の虚偽が暴かれ宗教は衰退した。しかし、人類が迎えたいまだかつてない黄金時代も、長くは続かないことをカレルレンは知っていた。
 第三部では、地球上の子どもたちに同時多発的に異常が発生する様が描かれる。少年・ジェフリーの宇宙の彼方の恒星の数時間の様子を数分で見ることができる能力は、次第に力を増し、ついには銀河系の外にまでその視界は達し、ついには夢と現実の区別が付かなくなり、やがて完全に人間性を失った。妹のジェニファは寝台から離れることなく家具の配置を変え、冷蔵庫の中の食料を摂取していた。この2人の症状は世界中の子どもたちに広がり、オーバーロード達が「トータル・ブレイクスルー」と呼ぶこの現象こそ、オーバーロード達が待っていたものだと分かる。地球人が生んだ後継者達を地球人達は理解することができず、親子での殺し合いに発展する可能性もあったため、オーバーロード達は彼らを隔離せねばならないという使命を持っていたのである。オーバーロードの星へ密航したジャンが地球へ連れ戻されたとき、ある大陸に隔離された子どもたちは異様な行動をとり続けており、他の地では残された大人達の間に子どもが新たに生まれることはなく、人類は滅亡寸前であった。想像を超える地球の子どもたちの能力に危険を感じたオーバーロード達は地球を離れることを決意し、ジャンは地球に残って地球の最期の様子をオーバーロード達に中継することを約束する。そして、ジャンは地球消滅の様子を最期までオーバーロードの宇宙船へ送り続けたのである。
 この作品の重要なポイントはやはり第三部で描かれる想像を絶する地球の最期であろう。アニメ「エヴァンゲリオン」の結末もこの作品から影響を受けているのではないか。地球人が理解不能な後継者を生み出す展開にも理解に苦しむが、さらに彼らが新たな地球の歴史を作るのではなく、あっという間に地球を消滅させてしまう展開にはさらに戸惑いを覚える。人類の新しい可能性とか、そういうものを完全に超越してしまっているのだ。ただ、子どもたちがいたずらで地球を消滅させたわけではなく、物語中でも語られるオーバーロードの上位種族・オーバーマインドとの合体の副作用によって、そうなったと捉えることもできるが、この作品の一番の魅力とも言えるこの常識をはるかに超えた展開には正直自分はついていけない。

 

2013年10月読了作品の感想

『予知夢』(東野圭吾/ 文藝春秋) 【ネタバレ注意】★★

 ガリレオシリーズ第2弾。このシリーズは、第1弾の『探偵ガリレオ』と第3弾の『容疑者Xの献身』しか読んでいなかったので、残りを全巻購入している奥さんに借りて読むことに。「このミス」2001年版(2000年作品)でランク外なのは意外。刊行のタイミングが悪かったのだろうか(ちなみに翌年は20位内に、5位『超・殺人事件』、15位『片思い』、18位『トキオ』がランクイン。28位には『レイクサイド』も)。小難しいSFばかり読んでいたせいか、妙に読みやすくて驚いた。内容もさすが東野圭吾と思わせるもので、「このミス」以外にも、各種ランキングやミステリー賞に無縁なのが少々不思議。
 第1章「夢想る ゆめみる」…16歳の少女の部屋に忍び込み、少女の母親の猟銃発砲によって逃亡し、結局逮捕された男は、17年前に少女と結ばれる夢を見たと主張。予知夢かと思いきや、実は少女の母親の過去の浮気相手の娘が持っていた人形が少女と同じ名前で、その人形を幼い頃に手に入れた男が、その名前を無意識のうちに記憶の奥底に深くすり込まれていたというのが真相。少女の母親は、過去の浮気が発覚することを恐れ、自分の娘を昔から知っていたと主張していた男をこの世から消そうと画策し、偽の手紙でおびきよせたのであった。ちょっと無理を感じる話ではあるが、謎解きとしては面白い。
 第2章「霊視る みえる」…細谷は、大学時代からの友人・小杉がホステスの清美と交際したいと相談を持ちかけてきたことをきっかけに清美と付き合うことになる。そろそろ小杉に本当のことを話さねばと彼の自宅に電話すると、別の友人の山下が、小杉に留守番を頼まれて小杉の自宅に一人でいることを知り、合流することになった。ところが、そこで彼は不思議なものを目撃する。小杉を避けていたはずの清美が窓の外に現れ、すぐに姿を消したのだ。胸騒ぎを覚えた細谷が、清美と同じマンションに住む不二子に、清美の部屋を確認してもらうと清美は死んでいた。小杉による衝動的殺人であり、目撃された清美は霊ではないかと疑われたが、探偵ガリレオこと湯川はあっさりと謎を解く。小杉の本当の恋人の交通事故現場を目撃し、彼女をゆすっていた清美を、小杉は計画的に殺害しようとしていたのだ。小杉の自宅に現れた清美は恋人の変装した姿だった。自殺に見せかけ完全犯罪をねらったが、小杉がそれに失敗し、せめて情のもつれによる衝動的な殺人に見せかけようとしたというのが真相。なかなかよく考えられている。
 第3章「騒霊ぐ さわぐ」…湯川にいつも頼ることになる刑事の草薙は、非番の日、姉から友人・弥生の夫の失踪事件について相談を受ける。弥生の夫は、ある老婆の家に立ち寄ってから行方が知れなくなったとのことだが、その家ではその日にその老婆が亡くなっており、親族と思われる二組の男女がその家で生活していた。そして、その男女は夜の決まった時間にその家から出かけるという不審な行動を繰り返していた。不審な男女がポルターガイスト現象から逃れるため、特定の時間に家を空けていることを知った草薙と弥生であったが、弥生の夫の行方は分からないままで、不審な彼らの犯罪の証拠も見つけられなかった。しかし、湯川は、古い工場から特定の時間にその家の下を通っている下水管に熱水が排水されるときに起きる共振がポルターガイストの正体であることを突き止め、床下に埋められた弥生の夫の遺体も発見する。老婆も甥に裏切られたショックで死亡したことが判明した。これはさすがに先が読めるか。
 第4章「絞殺る しめる」…部品工場の「ヤジマ工業」を経営している忠昭は、昔貸した金を返してもらうと言い残し、そのまま失踪した。娘の秋穂が、父の失踪の前夜、工場で火の玉を見たという話を聞き、妻の貴子は不吉なものを感じる。やがて、忠昭はビジネスホテルの一室で絞殺死体として発見される。金銭トラブルによる殺人事件と見せかけた、妻の貴子による保険金目当ての殺人ではないかと警察は考えたが、湯川はアーチェリーの弦を利用した時限式の自殺装置による自殺であることを見抜く。秋穂が見た火の玉は、忠昭の最終実験で弦が焼き切れる様子だったのである。従業員の坂井が共犯であり、妻の貴子も薄々夫の計画に気がついていたのであったが、湯川は「無事に保険金が支払われることを祈るね」と草薙につぶやく。いかなる理由があろうとも一切の犯罪を許さないスタンスをとる探偵が多い中で、数少ない犯人擁護の姿勢を見せた湯川が印象的な一編であった。
 第5章「予知る しる」…直樹が妻の静子と後輩の峰村と自宅でワインを飲んでいたところ、不倫相手の富由子から電話がかかってくる。直樹の自宅の向かいのマンションに引っ越してきてまで、妻との離婚を迫っていた富由子は、今すぐに自分のことを静子に話さないと首を吊ると言う。煮え切らない直樹の対応に、結局直樹の目の前で富由子は自殺してしまう。富由子の自殺を別の部屋で目撃した峰村に、直樹は真実を話し、峰村に第一発見者として彼女の部屋に行ってもらうことになる。結局、妻にも警察にも、ことの成り行きを直樹が語ったことで事件は片付こうとしていたが、不思議な証言が現れる。直樹の隣室の娘が、事件以前の夜に富由子の首つりの様子を見たというのだ。彼女には予知能力があったのか?しかし、湯川は冷静な推理で、富由子が自殺に見せかける予行練習をしていたのではないかという考えを草薙に示す。ある装置で自殺に見せかけ直樹を脅すはずが、その装置を峰村が本番で作動不能にしたことで富由子は死んだのではないかと。実は峰村は静子と不倫関係にあった。それを知った富由子が自分の自殺未遂計画に協力するよう求めてきたのであるが、峰村はその失敗を予想していた。そんな脅しは直樹に効果はなく、逆に逆上した富由子が峰村と静子の仲を暴露するに違いないと考えた峰村は、富由子の自殺に見せかけた殺害を計画したのだ。しかし、湯川達が真相にたどり着きつつあった頃、峰村の犯罪は峰村の妻の紀子によってすでに暴かれており、峰村は静子との心中を決意していた。そして、直樹の隣人の娘は、その二人の心中の様子の予知夢を見ていた…。最後にシュールな結末が用意されているところがお見事。湯川がこれを聞いたときのリアクションが知りたいが、そこまでは描かれていない。
 ★★★でも全く問題ないのだが、東野作品のアベレージが高すぎるため、今回は★★ということで。

『ガリレオの苦悩』(東野圭吾/文藝春秋) 【ネタバレ注意】★★★

 ガリレオシリーズ第4弾。こちらも「このミス」2009年版(2008年作品)ではランク外 となっている。『予知夢』同様、各賞やランキングには無縁で、各賞を総なめにした感がある第3弾『容疑者Xの献身』と比べると少々寂しい。ちなみにこの年の「このミス」では、シリーズ第5弾『聖女の救済』が18位、『流星の絆』が34位となっている。
 第1章「落下る おちる」…ピザ屋の店員の三井は配達中にぶつかってきた男・岡崎を呼び止める。その2人の前に女性が落下してきた…。単純な飛び降り自殺と思われたが、女性刑事・内海薫は、落下した女性・江島千夏の部屋を直前に訪れていた岡崎を疑う。彼女は、千夏が通販で購入した下着の段ボール箱を片付けていなかったことから、岡崎が千夏の恋人であったと推理する。そのことを隠している岡崎こそ犯人ではないかと考えたのだ。死体を自動的に落下させるトリックを自分なりに実験をしながら考えようとする薫の努力を認めた湯川は、二度と警察に協力しないという誓いを翻し、薫に手を貸す。ついにそのトリックを証明する実験映像を完成させた2人によって捜査の方向修正が行われる。映像を見せられた岡崎は驚いて千夏を殴ったことを自供。結局千夏は自殺だったのである。湯川は、薫と作った証拠映像がたまたま実験がうまくいったときのものであることを草薙に告白。「うまくいったケースだけを誇張して発表する。科学者の世界では、それは常識なんだ」という湯川のセリフが面白い。TVドラマでの登場を前提に設定された薫との名コンビ誕生の瞬間である。
 第2章「操縦る あやつる」…湯川の恩師・幸正は、不肖の息子・邦宏に頭を悩ませていた。幸正が教え子を自宅に呼んでパーティーを開いた日に、その邦宏が離れ家で何者かに刺殺される。湯川は、かつて「メタルの魔術師」と呼ばれた幸正が、火薬を使い「爆発成形」という方法で金属片を一瞬で日本刀の先端のように変形させ邦宏を殺害したことを見抜く。ここで終わらないのが東野作品。幸正はあえて完全犯罪を狙わず、湯川に謎解きをさせ、自分が逮捕させることで、内縁の娘の奈美恵が自分の介護から解放され、心置きなく恋人と結婚できるように取りはからったところまで、湯川は見抜いていたのだ。 結末は少々くさすぎるきらいもあるが、幸正に「人の心も科学です。とてつもなく奥深い」と語る湯川に、彼への見方を大きく変えた読者も多かろう。
 第3章「密室る とじる」…湯川は山奥でペンションの経営をしている友人の藤村に密室殺人の謎を解いてくれるよう依頼される。ペンションの客の1人・原口氏が、10日前に密室の部屋から抜け出しペンションから離れた渓谷で転落死したのだ。湯川は、事件当時宿泊していた藤村の妻・久仁子の弟・祐介が、特殊な美術館のオープンの準備の仕事をしていることを知り、あっさりとトリックを見破る。原口氏が宿泊していた部屋が密室に見えたのは、ホログラムのシールによってクレセント錠がかかっているように見せていたせいであり、久仁子の過去をネタに強請ろうとしていた原口氏を祐介が渓谷に呼び出して殺害したというのが真相であった。このトリックはちょっと微妙か。
 第4章「指標す しめす」…息子一家の海外旅行中に留守番をしていた老婆が殺害され、仏壇からは10キロの金塊が盗まれていた。そして玄関にいたはずの番・クロが消えていた。遺体が発見される前にその家を訪れていた保険のセールスレディ・真瀬貴美子が疑われたが、彼女のアパートからは金塊は発見できなかった。事件発覚から三日後、薫は貴美子の娘の女子中学生の葉月が、祖母からもらった振り子を使ってのダウジングによってクロの死体を発見する現場を目撃する。葉月に会った湯川は、薫に対し、ダウジングで見つけるまでクロの死体の場所を全く知らなかったという葉月の証言が嘘だと断言する。結局、貴美子の上司であり恋人でもあった碓井俊和が逮捕された。碓井は会社の金に手をつけ、早急に穴埋めする必要があったのだ。葉月は、犬にかまれた傷を貴美子に手当てしてもらっている碓井の姿を見ており、彼が金塊の話を貴美子から聞いていたことも知っていた。クロの死体が発見された場所に、以前、碓井が猫の死体を捨てていたことも知っており、最初から彼を疑っていたのだ。湯川は、「彼女は振り子によって、自分自身の心と対話している…振り子を動かしているのは彼女自身の良心だ」とダウジングの真相を薫に語る。「操縦る」に引き続き、科学一辺倒に思われがちな湯川の人間性が見事に描かれた一作。
 第5章「攪乱す みだす」…湯川に人生を狂わされたと逆恨みした科学者の1人が、湯川に挑戦状をたたきつける。警察に協力し次々に難事件を解決する湯川を快く思わなかった男は、「悪魔の手」を名乗り、謎の手段で予告通り事故を誘発し罪なき人を死に至らしめていく。科学を犯罪に利用する男を許せない湯川は、男の挑戦を受けて立つ。男の犯罪のいくつかが失敗し、表に出てきていないことを予想した湯川は、薫の協力で、男が特定の人物を事故死させられないことを突き止め、インタビューで「悪魔の手恐るるに足らず」と挑発する。薫をもだまし、まんまと男をおびき出した湯川は、男の攻撃をかわし、逮捕にこぎ着けた。男の攻撃手段は、超指向性スピーカーを使用して相手の平衡感覚を失わせるというものであった。重い話が続いてきたが、最後を締めくくるユーモアあふれるエピローグは、読者の読後感をより気持ちの良いものにしてくれる。
 長編作品のような派手さはないが、いずれの短編も湯川の人間味あふれる姿が見事に描かれており、★★★にふさわしい作品と言える。
 

『聖女の救済』(東野圭吾/文藝春秋) 【ネタバレ注意】★★

 ガリレオシリーズ第5弾。「このミス」2009年版(2008年作品)18位作品。2008年週刊文春ミステリーベスト10で5位、2009年本格ミステリベスト10で4位と、「このミス」以外のランキングでは、もう少し健闘している。 第4弾『ガリレオの苦悩』と同時発売されたが、どちらも「このミス」上位にランクインできなかったのは発売時期の関係であろう。
 会社社長・真柴義孝は、その特殊な生い立ちから血縁にこだわり、自分の子どもが早くほしいという強い願望を持っていた。妻は所詮他人であり、あくまで子どもを産むための道具としか見なしていなかった義孝は、妻の綾音とも結婚時に「1年以内に妊娠しなければ別れる」という約束をしており、共同経営者の猪飼夫婦と、パッチワーク作家である綾音の弟子・若山宏美を自宅に招いてホームパーティーを開いた日に、綾音に別れ話を切り出した。綾音は受け入れたものの、心の中では義孝殺害を決意し、故郷の北海道へ 一時帰省する。義孝と関係を持っていた宏美 は、綾音の留守中に真柴邸に泊まったが、その後、義孝と連絡が取れないことを不審に思い、真柴邸を訪れて義孝の遺体を発見する。死因は義孝が自分で煎れたコーヒーに入っていたヒ素による中毒死。コーヒーは宏美が泊まった翌朝にも2人で飲んだのに、なぜその時は無事だったのか?宏美が真柴邸を出た後に混入されたのか?薫は綾音を第一容疑者と考えるが、綾音のアリバイは完璧であり、ヒ素の混入経路も不明で、警察の捜査は行き詰まる。そして、137ページにしてやっと、主人公の探偵ガリレオこと湯川の登場となる。薫は、捜査への協力をしぶる湯川に対し、自分の上司であり湯川の友人である草薙が容疑者に恋をしているという情報で、見事に湯川をこの事件に食いつかせることに成功。ケトルからヒ素が検出されたことで、ケトル内部にゼラチンでヒ素を固定し何回目かの使用時にヒ素が溶け出すトリックを湯川は考えるが、ゼラチンがまったく残らないのは不自然ということでこのアイディアは没となる。ミネラルウォーターのペットボトル内に仕込まれていたのではという考えも、空ボトルからヒ素が検出されなかったことで却下され、浄水器にも細工をした形跡がないことが明らかとなって、事件は迷宮入りかと思われた時、湯川は最後のトリックを思いつく。それは浄水器のフィルターに1年も前からヒ素を仕掛けておいて、殺害実行の日まで、誰にも浄水器を使わせないようにするという奇想天外なトリックであった。そして、スプリング8という研究機関で精密な検査をした結果、フィルターから微量のヒ素が検出され、湯川の推理は的中したが、ヒ素の量が微量であったことで裁判を維持するにはあまりにも弱い証拠であった。しかし、事件直後に綾音が浄水器内のヒ素を完全に抜くために大量の水をプランターの水やりに使っていたことを思い出す草薙。草薙は、空き缶を利用した綾音手作りのじょうろを保管しており、そこからヒ素が検出されたことで、綾音の容疑は固まった。綾音は、1年前の結婚時に、義孝が綾音が妊娠しないことを理由に離婚を申し出た場合の義孝殺害を決意しており、義孝の心変わりに期待して、この1年間義孝を「救済」し続けていたのであった。
 いつもの東野作品の例に漏れず、十分に面白く読みやすい作品だが、やはりこのトリックには無理がありすぎるというのが正直なところ。1年前から毒殺トリックを仕掛けておくというアイディアを思いついた作者が、それに見合ったストーリーを見事に作り上げた点は大いに評価できるが、1年間この装置を維持し続けることは現実問題として不可能に近く、かつ、完全な証拠隠滅をはかることも相当困難のように思われる。また、本作品は長編の形をとっているが、内容的にいつものような短編としてまとめることも十分可能だったのでは?長編にする必要が果たしてあったのか?と思われるところもひっかかる。と辛口に記したが、例のごとく東野作品全体のアベレージの高さによる相対的評価であり、オススメの一冊に入れて全く問題のないことは断っておこう。

『真夏の方程式』(東野圭吾/文藝春秋) 【ネタバレ注意】★★★

 ガリレオシリーズ第6弾。「このミス」2012年版(2011年作品)ランク外作品。この年の「このミス」での東野作品は、『麒麟の翼』が20位、『マスカレード・ホテル』が22位と今ひとつ。2011年週刊文春ミステリーベスト10では、『マスカレード・ホテル』4位、『麒麟の翼』7位、『真夏の方程式』9位と上位を独占しているのだが、同様の傾向が見られた2008年作品の『聖女の救済』も含め、投票者層の違いが相当にあるのだろうか。本作はガリレオシリーズの劇場版第2弾として映画化もされているのだが…。
 小学5年生の柄崎恭平は、両親の仕事の都合で、伯父の川畑重治、叔母の節子、その娘・成実が経営している旅館「緑岩荘」で夏休みを過ごすことになる。恭平が「緑岩荘」へ向かう途中の電車内で、老人に絡まれているところを助けてくれたのが湯川であった。「緑岩荘」は、美しい海が自慢の
玻璃ヶ浦という町にあったが、その町は今ではすっかり寂れており、海底鉱物資源開発に期待する者と自然保護のためそれに反対する者とで議論が繰り広げられていた。湯川は、その町で開かれる海底鉱物資源開発の説明会において海底鉱物資源開発側のアドバイザーとして招かれていたが、彼らの用意した高級ホテルへ宿泊することをよしとせず、恭平に教えてもらった「緑岩荘」に宿泊することにしたのであった。しかし、湯川が宿泊した当日、もう1人の宿泊客であり、説明会の参加者でもあった元警視庁捜査一課刑事・塚原正次が行方不明になり、翌朝、堤防下の岩場で遺体で発見され る。発見当初は単純な事故死と見られていたが、先輩刑事の死を知り駆けつけた警視庁の多々良管理官は塚原の遺体の状態から単なる転落死ではないことを見抜き、県警の捜査とは別に、草薙に独自の捜査を命じた。草薙と旧知の仲であり、これまで数々の難事件解決に貢献してきた湯川が同宿していたことを知っての配慮であったが、その湯川も、遺体が発見現場にふさわしくない下駄を履いていたことから事件性があることに気がついていた。そして、解剖により塚原の死因が一酸化炭素中毒であることが判明し、どこかで殺害された後、発見現場に遺棄されたとの見方が強まる。
 成実の同級生で県警の刑事の西口は、塚原が海底鉱物資源開発説明会への参加のみならず、16年前に元ホステスの三宅伸子に借金返済を迫って彼女を殺害した罪で塚原自身が逮捕した仙波英俊の自宅を見るために玻璃ヶ浦へ来ていたことをつかむ。草薙は薫とともに捜査を進め、塚原が仙波を捜していたこと、捜されていた仙波の方は病気であったこと、また仙波が16年前の事件前夜に被害者となった伸子の前で泣いていたことを突き止める。成実は自分と同じ環境保護活動家で、フリーライターの沢村から好意を寄せられていたが、そのはっきりしない物言いに、返事ができないでいた。そんな成実は、湯川の「相手の仕事や考え方をリスペクトしてこそ、両立の道も拓けてくる」という言葉に心動かされ、自然保護一辺倒だった自分の考えを改めるようになっていた。湯川は、捜査員の様子から塚原の死因を 一酸化炭素中毒死であると推理し、独自の調査によって川畑重治が事件に関係していることを草薙に伝えるが、ある人物の人生がねじ曲げられる恐れがあるため、今は真相を語れないと言う。草薙は、その後の捜査で、川畑一家が、仙波が事件を起こした荻窪に住んでいたことをつかみ、また、塚原が調布駅のそばから海底鉱物資源開発説明会への申込書を投函したことを知る。 そして薫は、調布駅周辺の病院をしらみつぶしに当たり、ついに仙波の入院先を発見した。そんな時、重治は警察に自首する。ボイラーの不調で一酸化炭素中毒になり死亡させてしまった塚原を、町の評判を落としたくないために沢村と相談して堤防下に遺体を捨てたのだという。
 草薙と薫の捜査結果を聞いた湯川は、ついに真相を語り始める。実は、成実は、節子が重治との結婚直前に、仙波と一夜の関係を持った時にできた娘であり、そのことを知って、荻窪に住んでいた節子を強請ろうとした伸子を、当時中学生だった成実が殺害。その罪を節子から相談された仙波がかぶったのであった。仙波から当時の事件の真相をついに聞き出した塚原は、なんとか成実を、死が迫っている仙波に会わせたいと考え、彼女が出席予定の海底鉱物資源開発の説明会に参加申込をしたのだ。しかし、成実に仙波に会ってくれるよう頼む塚原の言葉を盗み聞きした重治は、過去を隠し続けるため塚原殺害を決行したのであった。恭平に、花火が飛び込まないよう煙突にフタをしろという指示によって。なんと塚原殺害の直接の実行犯は恭平だったのである。結局、警視庁の多々良は湯川の推理を認めつつも立証は不可能ということで表沙汰にすることはなく、県警は真相を知らぬまま過失致死事件で一件落着させてしまった。湯川は成実に語る。「恭平君は今後、大きな秘密を抱えたまま生きていくことになる。だけど、いつかきっと知りたいと思うときが来るだろう。なぜ、あの時伯父さんは自分にあんなことをさせたのか、とね。もし彼がそのことを訊いてきたら、どうか真実を包み隠さずに話してやってほしい。その上で彼に、どうするかを選ばせてやってほしい。人の命に関わる思い出を抱えていく辛さは、誰よりも君が一番よくわかっているはずだ」と。そして、恭平にも。「今回のことで君が何らかの答えを出せる日まで、私は君と一緒に同じ問題を抱え、悩み続けよう。忘れないでほしい。君は一人ぼっちじゃない。」と。

 子供は論理的でない行動をとるから嫌いだと公言していた湯川が、少年にいろいろな実験を見せたり宿題を教えたりと交流 を深めていく様子が描かれ、湯川 の人間味がこれまで以上に味わえる1冊。また、これまでの警察から事件を紹介され解決を依頼されるパターンとは異なり、湯川自身が事件に遭遇し、積極的に事件解決に向けて行動する様子も新鮮 。しかし何より、シリーズ第2弾『予知夢』の中の第4章「絞殺る」で見られたように、事件の真相をあえて公に暴かない湯川の姿勢に衝撃を受ける。『予知夢』では自殺を他殺に見せかけたものの誰かに罪をかぶせたわけではないのだが、今回は殺人事件の真相が2件も闇に葬られるのだ。1件は志願したとはいえ犯人ではない別人が刑に服し、もう1件では実行犯が明らかになることなく過失致死事件で幕を閉じてしまう。両方とも悪意のない未成年が関わっていることから真相が暴かれることはなかったという展開だが、深く考えさせられる問題作である。自分はこれをシリーズ中、一番に推したい。

『Another(アナザー)エピソードS』(綾辻行人/角川書店) 【ネタバレ注意】★★

 この7月に刊行されたばかりなので、「このミス」2014年版(2013年作品)でのランクは未定。綾辻行人完全復活作品と言われ、アニメ化や漫画化までされて話題となった『Another』のスピンオフ作品ということで、珍しく発売から数ヶ月で読むことに。
 恒一と鳴が夜見山北中学の3年3組で災厄に見舞われた年の夏、鳴が1週間ほど夜見山を離れたときに彼女が体験した話を恒一に語るという形になっている。その話の内容とは、幽霊となった知り合いの青年・賢木晃也と鳴が再会し、彼と一緒に彼の死体を捜したというものである。物語の前半は、晃也の視点で語られていく。彼は中学時代、例の災厄で事故に遭い、多くのクラスメイトを失うとともに足が不自由になっていた。そんな彼の生前の最後の記憶は、自宅の屋敷のホールで2階から転落し、姉の月穂と甥の想の目前で息を引き取る場面であった。その後、幽霊として復活した彼は、死の前後の記憶が欠落しており、自分の死の真相を明らかにするため、まずは自分の死体探しから始める。そんな時、彼を訪ねてきた鳴と再会する。鳴の左目は「死」を見ることができる義眼であり、その力で自分を見つけてくれたと認識する晃也。幽霊として現れることができる時間と場所は不特定であったが、なんとか鳴の希望の時間に合わせて出現できるようになる晃也は、自分が自殺しようとしていた可能性と共に、姉の月穂に2階から突き落とされたのではという疑いも持っていた。そして彼はついに死体の場所を突き止めた。何者かによって巧みに隠蔽された第3の地下室。しかし、その死体のある部屋に出現し、そこから出られなくなった晃也は、あまりの恐怖に半狂乱で助けを求める。その彼を助け出したのは鳴であった。そして、鳴は彼に告げる。「あなたは死んでなんかいない」と。
 晃也の幽霊の正体は、甥の小学校6年生の想であった。憧れの晃也の転落死を目撃したショックで、晃也の人格がその中に生まれてしまったのである。実に綾辻作品らしい叙述トリックである。死の前後の記憶が曖昧なのも、過去の記憶の多くが欠落しているのも当然のことであった。晃也本人ではないのだから。月穂と夫の修司は、身内の自殺は名家の不祥事になると考え、彼の死体を地下室に隠し、彼は旅行に行っていると周りに告げていたのであった。
 想に真実を告げないまま彼に付き合っていた鳴が、彼に真実を告げるシーンは確かにインパクトがあるが、それ以外はどうにもすっきりしない。彼が晃也の幽霊としてあちこちに出現している時、彼は想を見ていることがあるし、本来は想である晃也に対し、鳴以外は誰も関心を払わなかったなどという数々の叙述を説明するのは、あまりにも苦しい。その突っ込み対策か、物語の終盤で恒一がそのことについて説明するシーンがある。想が想自身をどのように認識していたかということについて3つのパターンを示して解説しているが、そんなパターンを示されたところで読者は納得しないだろう。この作品は、別にアンフェアな要素を一切排除した本格ミステリではないんだよ、と言われても読者はすっきりしないはずだ。前作も、そんな独特のルールだらけではあったが。結局、最後に警察が介入しつつもニュースにもならず、修司も月穂も逮捕されることがなかったというのも不自然だ。そして極めつけは、想から鳴に手紙が届くというラストシーン。想が、修司・月穂夫婦から離れ、夜見山市の「赤沢」家に住むことになったことが示されて終わるのだが、多くの読者は「?」という感じではないだろうか。夜見山市という住所については、将来彼が夜見山北中学に進学するかもという、続編が作られたときの前振りなのだろうが、問題は「赤沢」だ。正直「誰?」という感想しか浮かばない。前作での重要人物の一人なのだろうと調べてみると、恒一と鳴のクラスメイトで、あの年の「災厄」で悲惨な死を遂げた一人らしい。どうも小説では目立たなかったが、アニメ版で人気キャラとなり綾辻氏自身のお気に入りでもあったようだ。アニメ版を知っている人は、このラストに「うぉぉぉ!」と感じ入るのであろうが、小説版しか知らない読者は置いてけぼりではなかろうか。

 

2013年11月読了作品の感想

『キングを探せ』(法月綸太郎/講談社) 【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2013年版(2012年作品)8位作品。微妙な順位ではあるが、週刊文春2012ミステリーベスト10で5位、ミステリが読みたい!2013(早川書房)で2位、2013本格ミステリベスト10(原書房)で1位と、大健闘の作品であり期待が高まる。

 ゴミ拾いのボランティアで知り合ったカネゴン(関本昌彦)、夢の島(渡辺清志)、イクル君(楢崎翔太)、りさぴょん(上嶋務)の4人が、繁華街のカラオケボックスで四重交換殺人の結団式を開いているところから物語は始まる。風変わりな4人の名前はボランティアの担当箇所にちなんでつけられたキャラクター名そのままである。リーダー格のカネゴンは、くじ引きのためにトランプを用意し、最初に夢の島はスペードのエースを引いた。自分のターゲットを自分で殺す意味はなく、二人でお互いのターゲットを殺し合うと、ただの交換殺人になってしまい警察に目を付けられやすいため、何回かの引き直しと、カードの交換の後、ターゲットが決定する。その後、ハートのカードで殺害順も決定した。

 ちなみに、りさぴょんも作品中で述べているが、四重交換殺人を成立させる組み合わせは6通りしかない。A、B、C、Dの4人の参加者に対し、それぞれ殺してほしい人物をA’、B’、C’、D’とすると、@A→B’、B→C’、C→D’、D→A’、AA→B’、B→D’、C→A’、D→C’、BA→C’、B→A’、C→D’、D→B’、CA→C’、B→D’、C→B’、D→A’、DA→D’、B→A’、C→B’、D→C’、EA→D’、B→C’、C→A’、D→B’の6通りである。

 この時点で読者に判明しているくじ引きの結果が以下の通りであるが、明らかにされていない部分があり、筆者はここで読者をミスリードしようとしているわけだ。また、この時点では殺害順も明らかにはなっていない。

  Aカネゴン(関本昌彦) 殺したい人・A’?         /殺す人・キング?(王様の絵)=?
  B夢の島 (渡辺清志) 殺したい人・B’渡辺妃名子(妻)/殺す人・エース=C’安斎秋則
  Cイクル君(楢崎翔太) 殺したい人・C’安斎秋則(伯父)/殺す人・ジャック=?
  Dりさぴょん(上嶋務) 殺したい人・D’?         /殺す人・クイーン=B’渡辺妃名子

 ここから先に挙げた6通りのパターンの中のEに当たることが分かる。

 サラリーマンの夢の島は、妻の事故死をきっかけに職場の不倫相手・妃名子と再婚したが、前妻が事故の直前に生命保険を解約したせいで保険金を受け取れなかったことを悔やんでおり、再婚時にはお互いに多額の生命保険に加入した。妃名子は不倫相手として申し分なかったが、妻としては至らない女で、しかも鬱病を発症したこともあって、夢の島は妃名子の殺害を決意。妻に愛想を尽かしただけでなく、鬱病のせいで免責期間に自殺されては、保険金が下りないと考えたからだ。こうして、交換殺人の話に乗った夢の島は、くじ引きで決まったとおり、イクル君の伯父宅に強盗に入り伯父を殺害する。しかし、その伯父が隠して持っていた現金を持ち帰ったことが後にあだとなる…。フリーターのイクル君は、伯父の遺産の相続人として真っ先に警察に疑われるが、当然のように完璧なアリバイがあった。
 そして、次に殺害されたのは妃名子。警察の捜査により、死体の状況から自殺に見せかけた絞殺と判断された。保険金が下りなくなる自殺に見せかけようと細工されていたことや、アリバイがあることによって、法月警視は、夫の夢の島を容疑者からはずそうとするが、法月の息子の綸太郎は、ずさんな細工が逆にあやしいと感じていた。そんな時、夢の島の前に、妃名子の友人が現れ、妃名子が知っていた特殊な方法で自殺した可能性を保険会社の調査員に話さない代わりに現金を要求してきた。夢の島は、そんな女には汚れた金がふさわしいと、イクル君の伯父から盗んだ現金を銀行のATMから彼女に振り込もうとするが、伯父が製作した偽札であることが判明してパニックを起こし、銀行の前で事故死してしまう。夢の島が持っていた偽札が、イクル君の伯父宅から盗まれたものであることを突き止めた法月警視は、夢の島とイクル君による交換殺人に思い至るが、イクル君は行方不明になった後だった。そして、夢の島が持っていたトランプが、スペードのエースとハートのエース、イクル君宅から発見されたトランプが、スペードのジャックとハートの3だったことから、綸太郎は単なる交換殺人ではなく三重交換殺人の可能性を提示する。イクル君に妃名子の死亡時刻のアリバイがあったことから、その可能性はますます高まった。
 その後、法月警視は、放火の疑いの火事によって上嶋悦史が死亡した事件が、ジャックのカードに関係しているのではとにらむ。悦史は、中学の非常勤講師で小説家志望のりさぴょんこと上嶋務の兄である。悦史は一流企業を辞めて自宅に引きこもっていたが、彼が弟の神経を逆なですることを言ったり母親を奴隷のように扱っていたことで、殺人の動機が十分な弟こそ第三の犯人ではないかと綸太郎は考えていた。ところが、この弟にも、夢の島とイクル君同様にアリバイがあった。そこで、綸太郎は父の法月にさらなる可能性を示す。4番目に殺人を犯すキングのカードの人物が存在するのではないかと。そうして綸太郎が提示したのは以下のような仮定であった。先に挙げた@のパターンである。

 1番目 B夢の島 (渡辺清志) 殺したい人・B’渡辺妃名子(妻)/殺す人・エース=C’安斎秋則
 2番目 Aカネゴン(関本昌彦)【この時点では警察には不明】殺したい人・A’【この時点では警察には不明】/殺す人・クイーン=B’渡辺妃名子
 3番目 Cイクル君(楢崎翔太) 殺したい人・C’安斎秋則(伯父)/殺す人・ジャック=D’上嶋悦史
 4番目 Dりさぴょん(上嶋務) 殺したい人・D’上嶋悦史 (兄) /殺す人・キング?=A’【この時点では警察には不明】

 4番目の殺人は防ぐことができるのか、それとも実行されてしまった後なのか。悩む法月警視を横目に、綸太郎は、りさぴょんに対し、イクル君を装った手紙を出し、揺さぶりをかけることにする。犯行をばらされたくなかったら逃走資金を送金せよという、りさぴょんを脅迫する内容だ。大いに動揺するりさぴょんであったが、それはイクル君に裏切られたせいではなく、事実と異なることが書かれた文面からこの手紙が警察関係者の作った偽物であることに気づいたからであった。急遽カネゴンと接触し、ダメージを最小限にするための提案を行うりさぴょんにカネゴンは同意する。その後、りさぴょんが警察に自首するという急展開を迎える。警察にマークされていたりさぴょんが自首前に接触したことで、カネゴンも任意出頭を求められ犯行を自供。四重交換殺人の首謀者でモデルガンショップ経営者のカネゴンが殺害したかった人物は、綸太郎の予想通りイニシャルがKの小出俊平という人物で、りさぴょんが殺害の実行を予定していたとのこと。だが、事件は法月警視が「尻すぼみの結末」と称する綸太郎の期待からは遠く離れた結末を迎えようとしていた。カネゴンのショップの経理を担当している小出にはカネゴンに命を狙われる覚えがなく、カネゴンの妄想性障害が疑われた。しかも、妃名子の自殺が明らかになり、量刑が一気に軽くなりそうだったのだ。安斎を殺害した夢の島は死亡。上嶋悦史を殺害したイクル君は行方不明。りさぴょんは、ターゲットの小出を殺害する前に出頭しており、仲間に殺害を依頼した兄も自殺の可能性が残っているとあれば、カネゴン同様、すぐに仮釈放ということもありえるという状況で、これでは死んだ者達が浮かばれないと、法月警視は愚痴をこぼすのであった。

 そこで、綸太郎は妃名子の死が自殺ならば、りさぴょんにも妃名子の偽装工作が可能であったことに気がつく。りさぴょんのターゲットは、小出ではなく最初から妃名子だったのではという推理である。よって、最初のEのパターンに戻るのかと思いきや、さにあらず。再捜査によってカネゴンが真に殺したいと思っていた人物が明らかになる。その名は謝花優也。彼こそがジャックの人物であり、上嶋悦史はジョーカーの人物だったのだ。つまり、最初からキングのカードはなかったということである。法月警視の執拗な追求に、ついにカネゴンはすべてを自供した。最終的な組み合わせは以下の通り。

【最終的に明らかになった実際の組み合わせ・パターンE】
  Aカネゴン(関本昌彦) 殺したい人・A’謝花優也(客)  /殺す人・ジョーカー=D’上嶋悦史
  B夢の島 (渡辺清志) 殺したい人・B’渡辺妃名子(妻)/殺す人・エース=C’安斎秋則
  Cイクル君(楢崎翔太) 殺したい人・C’安斎秋則(伯父)/殺す人・ジャック=A’謝花優也
  Dりさぴょん(上嶋務) 殺したい人・D’上嶋悦史(兄)  /殺す人・クイーン=B’渡辺妃名子

【法月親子が当初予想していた組み合わせ・パターン@】
  Aカネゴン(関本昌彦) 殺したい人・A’小出俊平(仕事仲間)?/殺す人・クイーン=B’渡辺妃名子
  B夢の島 (渡辺清志) 殺したい人・B’渡辺妃名子(妻)/殺す人・エース=C’安斎秋則
  Cイクル君(楢崎翔太) 殺したい人・C’安斎秋則(伯父)/殺す人・ジャック=D’上嶋悦史
  Dりさぴょん(上嶋務) 殺したい人・D’上嶋悦史 (兄) /殺す人・キング?=A’小出俊平?

【最初に読者が読み取っていたであろう組み合わせ・パターンE?】
  Aカネゴン(関本昌彦) 殺したい人・A’?         /殺す人・キング?(王様の絵)=?
  B夢の島 (渡辺清志) 殺したい人・B’渡辺妃名子(妻)/殺す人・エース=C’安斎秋則
  Cイクル君(楢崎翔太) 殺したい人・C’安斎秋則(伯父)/殺す人・ジャック=D’上嶋悦史?
  Dりさぴょん(上嶋務) 殺したい人・D’?         /殺す人・クイーン=B’渡辺妃名子

 これを見ると、真の組み合わせは、最初のEのパターンと変わっていないように見えるが、読者がミスリードさせられていたことがよく分かる。ます1点目、カネゴンが王様のカードを引いた描写について、キングを引いたとはどこにも書かれていない。バイスクルのトランプのジョーカーには、悪魔ではなく自転車に乗った王様の絵が描かれていることを知っている読者は少ないのではないかという点はアンフェアな気がしないでもない。しかし、2点目の罠、ジャックが上嶋悦史だと思い込まされた読者については、作者の勝ちであろう。ジャックが上嶋悦史だったならば、カネゴンのターゲットには自分が殺したい人物しか残らない。それでは交換殺人自体が成立しない。イクル君のターゲットに上嶋悦史を当てはめた時点で、Eはもちろんすべての成立パターンから外れてしまうのだ。

 四重交換殺人は確かに特殊な事件かもしれないが、淡々と事件が進行する前半は正直退屈だ。夢の島のミスにより四重交換殺人という大事件が一気に明るみに出るところも拍子抜けしてしまう。この作品の見所は、後半、犯人をついに追い詰めたと思ったところで、犯人の2人が、りさぴょんの奇策により無罪放免にはならなくとも最小限のダメージで切り抜けようとするところ、妃名子の死因が自殺と判明するところ、ジョーカーの存在が明らかになるところ、そして、りさぴょんの策略を法月親子が見事阻止するところであろう。しかし、りさぴょんが奇策でピンチを切り抜けようとするところは確かに面白いが、それに対抗する法月親子は、ラストシーンに限らず、あまり魅力を感じないキャラである。あまりにも個性がない。父の警視は特に切れ者というわけでもなく、かといって無能でもなく、実に中途半端なポジションで、その息子も主人公と呼ぶに値しないくらい存在感がない。たまに父に気の利いた推理を披露するだけで、時には間違った推理もするし、自分が捜査をするわけでもなく、父から教えられた捜査内容に驚いたりもする。父が名ばかりのダメ刑事で、息子がそれをさりげなくフォローする天才探偵という設定の方が余程分かりやすいのではないか。場合分けの話も何回か出てくるが、モントール数だの何だの繰り返し説明するまでもなく、6通りしかないのは明らかだし、余程熱心な読者でない限り、そういう部分はあまり細かいことを考えずさらっと読んでいそう。最後の最後にきれいなオチをつけてくれているが、やはりこの作品の最大のネックは法月親子のキャラの弱さ。前回読んだ『アナザー』と異なり、読者が謎に挑戦できる正統な「本格ミステリ」であり、そこは大いに評価できるが、小説である以上、キャラの魅力は大事な要素であることを痛感させられる1冊であった。

『楽園のカンヴァス』(原田マハ/新潮社) 【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2013年版(2012年作品)6位作品。これが6位とは信じられない。この年の「このミス」1位の『64』、2位の『ソロモンの偽証』、3位『機龍警察 暗黒市場』…、いずれも傑作には違いないが、今年読んだ過去発表の作品全てを含めても、本作が私にとっての今年のナンバー1である。発売時期がノミネート期間の終盤だと投票数が伸びずにランキング上位が困難になることはあるが、本作は2012年1月刊行なので、それが上位を逃した原因ではあるまい。普通のミステリとはちょっと違ったジャンルの作品ということで「このミス」投票者にあまり読まれていなかったのではないだろうか。前半は、どのように話が進むのか全く先が読めず何とも評価のしようがない展開だが、終盤はとにかく「これでもか」というくらいの感動のシーンの連続である。絵画ミステリ ーというと、ダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』と島田荘司『写楽閉じた国の幻』くらいしか読んだことがないが、いずれの傑作にも負けないくらいの作品。第25回山本周五郎賞受賞は伊達ではない。

 第1章の舞台は現代(2000年)の倉敷。本作のヒロイン・早川織絵は、かつてフランスで新進気鋭の美術研究家としてフランスで活躍していたが、現在は訳あって帰国し、実家のある岡山の大原美術館で監視員として働いていた。そんな彼女が、ある日突然館長に呼び出される。暁星新聞社が東京国立近代美術館と組んでアンリ・ルソーの大規模な展覧会を企画するにあたり、MoMA(ニューヨーク近代美術館)所蔵の『夢』を借り ようと計画したのだが、MoMAのチーフ・キュレーター(学芸部長)ティム・ブラウンが、本件の窓口を彼女にせよと指名してきたというのである。そして、舞台は17年前のニューヨークに遡る。ティム・ブラウンは当時30歳、MoMAのアシスタント・キュレーターとして、チーフ・キュレーターのトム・ブラウンの下で働いていた。トムは世界的に知られたピカソの研究家で、彼がルソー展を企画するにあたり、学生時代からこつこつルソーの研究をしてきたティムの知識が買われた ようだった。そんなティムの元に、ある日、伝説の絵画コレクター、コンラート・バイラーの代理人から招待状が届く。パリのバーゼルにあるバイラー邸にて、バイラー所有のルソーの名作の調査を他言無用で行ってほしいという依頼であった。明らかにトム宛の手紙を 1文字タイプミスしたものと思われたが、ティムは出世を夢見てトムに相談することもなくパリ行きを決めてしまう。 しかし、バイラー邸に招かれていたのは彼だけではなかった。もう1人の鑑定人は、当時すでにルソー研究の第一人者であった織絵だった。そして2人の前にバイラー所蔵の未発表のルソーの大作がついに姿を現す。それは、『夢』そっくりの『夢をみた』というタイトルの絵であった。しかも近代美術史の世界的権威アンドリュー・キーツの証明書付きである。衝撃を受けたティムの第一印象は「真作」。だが、織絵は「贋作」と答える。そして、バイラーの代理人・コンツは2人に驚くべきことを告げる。7日間の間にできることは、ある物語を1章ずつ読むことだけ。絵画自体は調査することはおろか見ることすらできない。そして、最終日に、より優れた講評を述べた者にこの絵の取り扱い権利を譲渡するというものであった。第三者に売ろうが、展覧会に出そうが、闇に葬ろうが、選ばれた者の自由ということだ。

 著者名もタイトルも書かれていないその本には、ルソーの晩年の様子が記されていた。誰かの創作なのか、それとも事実なのか、そこにはこれまで知られていないルソーの姿が描かれていた。鑑定期間の間に、少しずつライバルの織絵に惹かれていくティムであったが、クリスティーズのニューヨーク支社のディレクターポール・マニングに、「絵を手に入れてクリスティーズに出品しなければ今回の行動をトムにばらす」と脅迫されて苦しむ。そして、そんなティムをさらなる衝撃が襲う。盗品の美術品の行方を調査しているインターポールのアートコーディネーター、ジュリエット・ルルーが接触してきて、彼に重大な情報を伝えたのだ。『夢をみた』が盗品であること、その絵の下にはピカソの「青の時代」の大作が眠っており多くの人物がそれを狙っていること、そして織絵がその狙っている人物の1人、キーツの愛人であることである。ティムは自分が敗れてMoMAを追われることになっても、『夢をみた』を織絵が守ってくれるならそれでいいと思い始めていたが、ジュリエットの言うことが事実なら、自分が敗れた場合、『夢をみた』は永遠に失われてしまうことを意味する。打ちのめされるティム。そして、バーゼル滞在5日目の夜、なぜかコンツから夕食の招待を受けたティムと織絵。妊娠中であることをコンツに指摘されたことに織絵が気分を害し席を立った後、ティムはコンツこそマニングに情報を流している張本人であることを確信する。そして実際、コンツはティムがトムのふりをしていることも知っていた。最終日の前夜、再びティムに接触してきたジュリエットは、ある取引を提案する。ティムが講評に勝利した後、『夢をみた』をインターポールに引き渡してくれれば、調査の後、元の持ち主から絵を在るべき場所に寄贈させ、ティムの立場も確保するというものだった。その「在るべき場所」とは、フランスに開館予定の国立ピカソ美術館であり、ティムはそこのキュレーターになればよいという提案である。ジュリエットもティムの正体を知っていたのだ。そして、ジュリエットが自分の正体も明かそうとした時、ティムはトムを目撃して驚愕する。

 そして、最終日の7日目がやってきた。バイラーの本の中には、貧しく、世間に全く認められない中でも、めげることなくひたすら創作に打ち込む初老のルソー、『夢』の中の裸婦のモデルであり、最初はルソーを見下していたものの、少しずつルソーの作品に惹かれていく人妻のヤドヴィガ、ヤドヴィガよりも先にルソーの魅力にとりつかれ彼を応援しようとする夫のジョゼフ、そして、当時ルソーの最大の理解者であり、近い未来にルソーが世界で認められることを予言したパブロ・ピカソ、彼らの様子が生き生きと描かれていたが、最終章ではついにルソーの人生の幕が下りる。ついにやって来た講評の時間、ティムは真作だと確信しながらも、織絵を助けるため贋作だと言い放つ。それもピカソによる贋作であると。驚く周囲の反応の後、織絵の結論に、今度はティムが驚かされる。この作品には情熱がある、よって真作であると。思わず前言を撤回し織絵に同意してしまうティム。そんな2人を前にバイラーが下した結論は、ティムを勝者とするものであった。ティムは、権利書にサインした後、その場に現れたバイラーの唯一の血縁者に権利を譲ることを宣言する。それはジュリエットであった。マニングと共に絵をクリスティーズに出品し大金を得たいコンツは、ティムがトムの偽物であることを明らかにし権利書の無効を訴えるが、バイラーはティムこそ自分が招待した人物であり何も間違いはないと断言し、絵は正式にジュリエットのものとなった。その後、織絵もティムの正体に気づいていたこと、本の物語の作者がヤドヴィガであったこと、ヤドヴィガの夫ジョセフこそバイラーその人であったことが明らかになる。バイラーは妻が描かれた絵を守りたかったのだ。結局、今回の件はトムにはばれておらず、トムはルソー展を大成功させる。その後、大学で教鞭を執るためMoMAを退職したトムに代わって、ティムがチーフ・キュレーターの座に着いたのであった。そして、ティムは織絵と再会する機会をずっと待ち続け、ついに念願が叶ったのである。

 美術の専門の知識などなくても謎解きの楽しみがあちこちに散りばめられている至極の絵画鑑定ミステリーであり、究極の恋愛小説・家族小説である。謎解きの部分で言えば、186ページ、1908年当時バイラーが20歳だったという部分で、ジョゼフと同一人物であることに気がついた時は思わず嬉しくなった。また、物語の各章の最後に記されたアルファベットの謎は、あまりに簡単すぎると思ったら見事に作者のミスリードであった。そして何よりラストのクライマックスは圧巻である。本の物語の結末、ティムと織絵の講評対決、バイラーのティム招待の真実、本の物語の作者の正体、バイラーの正体、織絵の親子の交流、そしてティムと織絵の再会…、次々と感動の波が押し寄せ息つく暇もない。冒頭の第1章で、ティムがMoMAのチーフ・キュレーターに出世していることが明らかになっているので、第2章以降、どんなに彼がピンチになろうがそれほどドキドキハラハラはしないことと、トムに何の相談なくバイラーのもとに向かうティムの無謀さに僅かな引っかかりは感じるものの、最後まで上質な映画を鑑賞しているような気分を味わえた。文句なしにオススメの1冊である。

『消失グラデーション』(長沢樹/角川書店) 【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2012年版(2011年作品)6位作品。ほかに2011本格ミステリベスト10(原書房)で6位、 そして第31回横溝正史ミステリ大賞受賞作というのが光る 。帯には、綾辻行人氏、北村薫、馳星周氏など、そうそうたるメンバーの賛辞が並び、否が応でも期待は高まる。本作が筆者のデビュー作だが、「樋口真由『消失』シリーズ」として、続編や外伝がこの後発売されているようだ。

 主人公は、女子バスケの名門・藤野学院高校2年で男子バスケ部の椎名康。練習はいい加減で女たらしだが、男子バスケ部の主将・鳥越の練習相手、そして 本作の探偵役で放送部員のクラスメイト・樋口真由の助手として、バスケ部の記録係という居場所を確保している。椎名が思いを寄せる網川緑は、女子バスケ部のエースにして雑誌モデルも務めるスーパースター。ところが、前主将の伊達をはじめとする強力な3年が引退した後は、 網川の動きに合わせられるチームメイトもおらず、網川自身も合わせようとしないため、女子チームの雰囲気は最悪であった。 網川は退部を決意していたが周囲がそれを許さない。深く思い悩みリストカットを繰り返す網川の一面を知り、理解を示す椎名と樋口であったが、 そんなある日、椎名がいるクラブ棟の屋上にカッターを持った網川が現れる。網川がリストカットすることで精神の安定を保っており、決して死ぬ気がないことを知っていた椎名は、彼女の気の済むようにさせるため彼女をおいて消毒液を取りに行くが、その直後、椎名が見たものは屋上から転落し血にまみれた網川の姿であった。慌てて駆け寄る椎名であったが、後ろから何者かに首を絞められ意識を失ってしまう。そして、目覚めた時、目の前から網川の姿は消えていた。網川は自殺を図ったのか、事故だったのか、それとも何者かに突き落とされたのか。

 ビデオカメラを手にした樋口と共に、真相を探るべくあちこちを取材した椎名は、網川が都外の婦人科を回っていたことを突き止め、一つの結論を導き出す。今年こそ結果を出さなくてはならないと焦っていた女子バスケ部監督の坪谷が、チームの和を乱し妊娠の可能性のあった網川を排除しようとしたのではないか。事件当時、アリバイがなく、校舎の屋上からクラブ棟の屋上にいる網川にボールをぶつけ て転落させることができる技術があったのは坪谷しかいない。しかし、肩の故障で現役を引退した坪谷には不可能であることを知った椎名は打ちひしがれる。椎名の推理も行動もお見通しだった樋口は、「区切り」をつけようと宣言し、女子バスケ部の主要メンバーを集めるが、そこで小学校から網川の親友だった柴田の口から衝撃の事実が語られる。網川は「男性性仮性半陰陽・アンドロゲン不応症」というホルモンの病気の一種で、外見は女の子でも実は男であり、成長すると本来の姿に戻っていくというのだ。それが網川が婦人科を回っていた理由であり、バスケ部を辞めようとしていた理由だったのだ。しかし、病気のことを受け入れ、将来は別の土地で男として暮らすことを決め、柴田と話し合って真相を周囲に知らせないまま退部しようとしていた網川が自殺するはずはないと、樋口は言い切る。

 卒業式の日、椎名は帰宅途中の伊達を呼び止める。網川を突き落としたのは伊達であり、伊達は自分を殺すつもりで間違って網川を突き落としたのだろうと告げる椎名。坪谷に告げたことと同様のことが技術的にできたのは伊達以外にはいないと。そして、網川と同じような背格好で同じ服装をしていた自分と網川を伊達が見間違ったのは仕方のないことだと。ここで明らかになる2回目の衝撃的事実。椎名が網川と同じ服装をしている、つまり、椎名は女だったという叙述トリックがここで初めて明らかになる。だが、伊達は網川をボールをぶつけて転落させたことは認めながらも、椎名と間違えたわけではないと断言する。網川と一緒にバスケをすることを楽しみにしていた伊達であったが、網川自身は椎名と一緒にプレイすることを楽しみにしていたことが伊達には許せなかったのだ。そして、その数ページ後、3回目の衝撃的事実が明らかに。ヒロインと思われていた樋口は何と男。結局、屋上から転落した網川は、負傷しつつも、その場に居合わせた制服窃盗の常習犯であるヒカル君こと久住の協力で、椎名の制服を着て現場から去り、治療も受けて生存していることが明らかになる。網川の無事を知り安心した椎名は、坪谷の強引な誘いで女子バスケ部に転部し新しい一歩を踏み出す。

 以上が、本作のあらすじである。網川転落の真相は単なるバスケットボールによる攻撃?と一瞬読者をがっかりさせ、それが誤りだと思いきや、結局犯人は別人だが方法は同じという、さらなるがっかりが待っている。しかし、この作品のポイントは犯人捜しにあるのではなかった。それは、その犯人が判明する前後で明らかになる3つの衝撃。横溝賞の選考委員の方々は、この部分を絶賛しているわけだが、正直素直に賞賛できない。1つ目の衝撃「実は網川は男だった」。インパクトはあるが、あまりにも珍しい病気すぎて誰も予想ができない。2つ目の衝撃「実は椎名は女だった」。これは確かに強烈な一撃。作品冒頭から女たらしの人物であることを読者に強く印象づけ、その後も見事に読者をミスリードしている。しかし、男子バスケ部で一緒に練習しているという描写はさすがにアンフェア。3つ目の衝撃「実は樋口は男だった」。「康」という名前で女というのもどうかと思うが、「真由」と言う名前で男というのはどう考えてもアンフェアだ。何より樋口というヒロイン像に好意を持ち始めていた読者には大きな裏切りであろう。そこが筆者の狙いでもあるのだろうが…。網川の転落現場からの脱出方法については自分の予想通りだったので(さすがに椎名と制服を交換したというトリックには思い至らなかったが)衝撃にはカウントせず。偶然居合わせた犯罪者が網川の脱出に積極的に協力したり(彼の消失トリックは結局トリックですらなかった)、屋上から転落した彼女が死ぬどころか自力で歩いて学校から出て行ったという展開もかなり無理がある。こういう突っ込みどころさえなければ、「このミス」でも本格ミステリベスト10でも、もっと上位を狙えたはず 。

『盤上の夜』(宮内悠介/東京創元社) 【ネタバレ注意】★

 「このミス」2013年版(2012年作品)10位作品。帯には「デビュー作にして第33回日本SF大賞受賞作・2013年版このSFが読みたい!国内編第2位・第147回直木賞候補作」といった文字が躍るが、結論から言えば、私にはこの作品の良さが分からない。内容はあるジャーナリストがボードゲームに纏わる6つの物語について語る形式となっている。囲碁がテーマの第1話「盤上の夜」、チェッカーがテーマの第2話「人間の王」、麻雀がテーマの第3話「清められた卓」、チャトランガがテーマの第4話「象を飛ばした王子」、将棋がテーマの第5話「千年の虚空」、再び囲碁がテーマの第6話「原爆の局」。この中から、あえて面白かったものを挙げるとすれば、最もミステリーらしい第3話「清められた卓」であろうか。
 第1話は、中国に卒業旅行中、何者かに攫われて手足を切断され好事家向けの商品とされながらも、必死に囲碁を覚え日本人棋士・相田に救われて無事帰国し、女流棋士となって活躍する灰原由宇の物語。囲碁の盤面を触覚として感知できる能力の持ち主であったが、棋士としてより強くなるためにそれらを言葉で詳細に分類しようとし、ありとあらゆる外国語を覚え続け、ついには精神の中で言葉の爆発が起こって話せなくなり、姿を消してしまうという展開である。着眼点は面白いが、主人公の設定がえぐすぎるのでは…。第2話は、チェス盤を用いた簡易なゲーム「チェッカー」をめぐる人間の王者・ティンズリーとシェーファーの組んだコンピュータープログラムとの戦いについてインタビュー形式で物語が進んでいく。終盤で、インタビューの相手が、すでに故人となっているティンズリーの意識を死後復活技術によりよみがえらせたものであることが明らかになる。このあたりはまさにSF小説。第3話は、闇に葬られた麻雀の第9回白鳳位戦の謎を描く。決勝に勝ち上がった4名のうち、プロは新沢1名のみ。あとの3名は新興宗教の女性教祖・真田と彼女を取り戻すため参戦した医師の赤田、そしてアスペルガーの少年・当山であった。第一戦、まるで全ての牌が見えているかのように勝ち続ける真田に疑問を抱いた新沢は、第二戦で、すべての観客とスタッフを会場から閉め出し、挙げ句の果てに賭け麻雀を提案する。ありとあらゆる手段で真田の魔術を妨害しようとする3人であったが、その甲斐あって最終的に勝利を手にしたのは赤田であった。その時点では、まだ誰も真田が全ての牌が分かった理由を理解していなかったが、彼女が対局中に歌を歌うことによって、各牌が持つ固有振動数の違いによる共鳴音の違いを聞き分けていたということが後に明らかになる。第4話は、将棋やチェスの起源となったチャトランガという古代インドのゲームがいかにして生まれたかという歴史ドラマ。第5話は、資産家に引き取られた身寄りのない兄弟が、その家の性嗜好異常の娘の綾にもてあそばれつつも棋士を目指す物語。弟は統合失調症を発症しながらも白星を重ね、兄の方は政治家に転身し、量子歴史学の研究の拡充に腐心する。しかし、弟はコンピュータとの戦いに敗れて病に倒れ、兄は量子歴史学により正史など存在しないことを証明した後に過去の乱れた生活を暴露され転落、綾は自殺してしまう。量子歴史学のくだりは興味深いが、何とも救いようのない物語である。第6話は、再び灰原由宇の物語に戻る。ただし舞台はアメリカに移っている。第2話のシェーファーや、第3話の新沢が登場したりするが、特に見所は感じない。各ゲームに精通している読者なら楽しめるのかもしれないが、ある程度ルールが分かっている自分でも面白いと思えないのは、単に好みの問題だろうか。

『制服捜査』(佐々木譲/新潮社) 【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2007年版(2006年作品)2位作品。この年のベスト10作品は、1位『独白するユニバーサル横メルカトル』、3位『シャドウ』、4位『狼花』、6位『名もなき毒』、10位『夏期限定トロピカルパフェ事件』と5作読んでいたが、すべて★★で今回の作品も★★。この年はどうも不作だったようだ。佐々木作品を読むのは4作目で、さすがに警察小説の大御所の一人だけあって『警官の血』『警官の条件』は傑作であり、本作も上位にランクインするだけあって決しては悪くはないのだが、微妙に後味の良くない作品で自分好みではなかった。

 主人公は、札幌で刑事をしていたが道警の不祥事による大異動で農村の駐在所に単身赴任してきた川久保。本人が不祥事を起こしたわけでもないのに刑事が急に駐在所勤務になることもあるのかと少々驚いたが、執筆に当たって十分な取材はされているはずなのでそういうことも実際あるのだろう。全ての警察官に捜査権があるといっても実際には所轄の刑事が捜査を行うわけで、私服刑事でなくなっ制服警察官の川久保が、いかに身動きが取りにくい状況の中で捜査を進めていくかというのが本作の肝になっている。しかも犯罪の現場は閉鎖的な農村部。川久保が赴任してきた志茂別は、一見犯罪のない平和な土地に見えたが、防犯協会をはじめとした旧態依然とした組織や人物によって数々の犯罪が隠されていた。
 第1話「逸脱」では、男子高校生の山岸が行方不明になるが家族以外誰も危機感を持たず、やがて遺体となって発見されるも盗難バイクによる事故死で片付けられたことに憤りを感じる川久保が描かれる。川久保が、バイクは地元で有名な悪ガキの上杉が盗んだものであることをつかみ、山岸は上杉に殺されたのではないかと考えていたところ、交通事故現場で瀕死の上杉に遭遇する。死ぬ間際に山岸殺しを自供させた川久保は、山岸の死を単なる単独の交通事故と断定した交通課の係長・宮越に、再び殺人があったことを主張する。
 第2話「遺恨」は、酪農家の大西の飼い犬が散弾銃で殺害されてるのが発見されたところから始まる。川久保は聞き込みの中で、大西が同じ酪農家の篠崎と、篠崎のところで住み込みで働いている中国人研修生の扱いをめぐってトラブルになっていたことを知る。そんな時、篠崎の父が殺害される。ひどい待遇に反発した中国人留学生の仕業と見られたが、犯人は篠崎であった。篠崎は自分の母を自殺に見せかけて殺した父に復讐するため、父に保険金をかけて殺し、中国人研修生に罪をかぶせるため彼らも殺したのであった。川久保は篠崎にプレッシャーをかけ彼を自首させることに成功するが、川久保は篠崎の父の犯罪をうやむやにし、その結果今回の犯罪の発生を招いた当時の駐在警察官に怒りを感じていた。
 第3話「割れガラス」では、母親とその再婚相手に冷遇され高校にも行っていない浩也を、川久保が、前科者であるものの今は真面目に大工として働いている大城に紹介して、良い師弟関係ができつつあったところへ車上狙いが連続で発生する。地元の有力者達は根拠もなしに大城を疑い、その結果、刑事の工藤は彼を容疑者として警察に連行したため、大城は職を失い、浩也は児童相談所へ連れて行かれてしまう。川久保は、工藤に対し「無能な刑事」と言い捨て、大城に車上狙いの容疑をかけようとした町会議員の妻の不倫を夫の前で暴き一矢報いる。ここまででページ数は半分位である。
 第4話「感知器」では、連続放火事件が発生し、地元住民はなかなか犯人が捕まらないことに業を煮やし自警団による夜間巡視を主張する。刑事の長嶺は、夜回りは犯人を追い詰め、より放火の規模を大きくするからと、川久保に対し、住民の夜回りをやめるよう説得を依頼する。何とか説得に成功したその夜、防犯協会のメンバーで会社社長の大路の事務所から出火。川久保は非難を浴びるが、その直後に長嶺らによってホームレスの放火犯が逮捕され、その結果、大路の火災保険目当ての自作自演が明らかになる。捜査に貢献した川久保に対し、長嶺からプレゼントは何がいいか聞かれた川久保は、「大路が落ちたというニュースだけで十分」と答えた。
 第5話「仮装祭」では、13年ぶりに開かれる仮装祭での少女誘拐事件が描かれる。13年前、別荘に来ていた少女が仮装祭の最中に行方不明になったが、警察と対立していた地元住民が情報提供を怠ったことで、事件か事故かさえはっきりしないまま迷宮入りしていた。その仮装祭が久々に復活したその日、再び少女が行方不明になる。その少女が行方不明になる直前に、親が与えた覚えのない、13年前に行方不明になった少女が付けていた物と同じティアラをしていたことが明らかになり、川久保は同じ誘拐犯による事件であると確信する。緊張感のない防犯協会のメンバーに怒りを覚えながら少女の捜索のため、てきぱきと周囲に指示を出す川久保。しかし、地域係に性犯罪の前歴者を調べさせ、全く該当者がいないことに違和感を抱いた川久保は、防犯協会が性犯罪をはじめとする多くの犯罪をもみ消していたことに気がつく。駐在警察官も含め、彼らは「村から被害者を出さないこと」のではなく、「村から犯罪者を出さないこと」に血道を上げていたのである。川久保が防犯協会会長の吉倉から変質者の情報を聞き出そうとしている時、ついに有力な容疑者が明らかになる。その人物、前教育長の隠し子の菅原のいる住居に川久保が踏み込み、少女を救出して物語は幕を閉じる。

 5つの話のいずれも一応の解決は見ることができているのだが、前述したようにとにかく後味が悪い。第1話では、殺人犯の上杉は社会的に裁かれることもなく死亡し、事件をうやむやにしようとした宮越が事件を再捜査することになったかどうかも明らかではない。第2話でも、現在の犯罪は明らかになったが、過去の殺人事件はうやむやのままである。第3話も、車上狙いの真犯人が捕まって、大城に罪をかぶせようとした町会議員の妻の不倫が明らかになったところで、犠牲となった大城と浩也は不幸なままである。第4話では、どうやら事件は完全解決しそうな雰囲気であるが、その場面が描かれることはなく、それ以上にそこへ至るまでの読者のストレスがこれまでの物語の分と加算されて相当なものになっている。第5話で、この田舎に巣くっていた悪の根源がついに明らかになるが、だからといって何の爽快感もない。誘拐された少女は無事救出されるが、同じ犯人に13年前に誘拐された少女は二度と生きて帰ってはこないのだ。彼女は、誘拐犯と古い村意識に支配された人々によって殺されたのである。エピローグも何もなく、突然物語の世界から放り出された読者は、何とも言えない虚しさを味わう。もちろんそれも一つの文学なのだが、こんな気分を何度も味わうのは遠慮したい。

 

2013年12月読了作品の感想

『地の底のヤマ』(西村健/講談社) 【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2013年版(2012年作品)5位作品。この年のベスト10作品で未読だった最後の1冊である。別に避けていたわけではなく、実物を見かけなかったのであえて探してまでは読もうとしていなかっただけなのだが、今回見つけて手に取ってみて少々引いた。総ページ数は863。登場人物紹介のページ(これをなぜか批判する人がいるが個人的にはあった方がありがたい)には65名もの人物名が並んでいる。帯には第33回吉川英治文学新人賞、第30回日本冒険小説協会大賞、2012年度福岡県文化賞、大牟田市市政功労賞の4つを受賞しての「4冠」の文字。もちろん「このミス5位」の文字も大きく印刷されている。作品の内容を期待してよい賞かどうかは微妙なところだ。全然前知識はなかったのだが、読み始めると、どうやら炭鉱を舞台にした警察小説らしいことが分かった(ベスト10作品を詳細に解説した「このミス」2013年版は読んだはずだが全く記憶に残っていない)。119ページにタイトルの由来となる表現があるので引用しておこう。「ここ大牟田では我々の直ぐ足下、地の底にヤマがある。警察は人の心に埋もれた、事件(ヤマ)を探って掘り起こす。なるほどなぁ、炭鉱マンも我々と同じ。どちらもヤマを掘るのが仕事、というわけだ」

 冒頭の短い「序」では、本作の主人公の警官・猿渡(さるわたり)鉄男が、炭鉱の事故でCO中毒患者となった江藤を自宅に送り届ける様子が描かれる。舞台は現代で、定年間際の彼は出世しているとは言い難く、有明海密漁機動取締隊という地味な部署に所属し、時々、恐ろしい過去の記憶が夢に現れ苦しめられている。続く第1 部から本格的に物語がスタートする。時は昭和49年まで遡る。当時大正町派出所に勤めていたまだまだ新米の猿渡は、以前上司だった福岡県警本部の若きエース・安曇に指名され、三池炭鉱旧労組書記次長・樺杵の殺害事件の捜査に参加することになる。旧労組、新労組関係なく住民に接し、地元で一番人望があった警官でありながら炭鉱事故の日に何者かに殺害された父の存在のおかげで、住民達は息子の猿渡に色々と情報を提供してくれたが、 結局捜査本部は解散してしまう。しかも、派出所勤務に戻ると、そこでは彼を妬んだ先輩警官達による陰湿ないじめが待っていた。そんな中、旧労組派と新労組派の喧嘩の仲裁を通して、猿渡は 「序」に登場した江藤に出会ったのである。三川派出所に異動してからも、猿渡の立場は微妙だったが、町の暴れん坊として有名だったヒカッしゃんが暴れているのを上手くなだめたことで同僚の態度ががらりと変わった。その後、幼なじみの白川が売春組織で儲けているという情報を得る。 この件は第2章に深く絡んでくる。そして、猿渡が事件を改めて独自に再捜査しようと矢先に、漁師からの新たな情報で樺杵が転落した場所が判明し、犯人が中学生だったことが明らかになる。猿渡が勧めたとおり彼が自首したことで事件は解決したが、後味の悪い結末となった。

 第2部では、7年後に舞台が移る。安曇と猿渡のチームは次々と事件を解決し、その名をとどろかせていた。しかし、その一方で、仕事に忙殺されるあまり、猿渡は妻の富美との仲が崩壊寸前であった。高利貸しの男を射殺した容疑で和木というチンピラを追っていた猿渡は、同じチンピラの塩屋を隠匿容疑で問い詰めるが空振り。しかし、運送屋の田谷が匿っているのではという情報をつかむ。そんな中、幼なじみで検察庁の検事となった管(すが)が猿渡に接触してくる。三池鉱業所労働課長として辣腕をふるった廬山(ろうやま)が組合潰しのために工作資金として捻出したR資金が、民自党衆議院議員の曰佐(おさ)に流れているのを暴きたいから協力してほしいというものであった。しかし、猿渡が聞き込みを始めた途端に周囲に怪しい動きが。R資金の関係者が警察内部にもいることを感じる猿渡だが、捜査中にチンピラに足を撃たれた猿渡は、それを理由に捜査から外されてしまう。白川の持つ売春客リストには明らかにR資金の流れが分かる関係者の名前がずらりと載っているのだが、それを管に知らせれば、管は出世できても白川がただでは済まない。2人の幼なじみの間で葛藤 しながらも、本来の刑事としての仕事に戻れば安曇にも心労をかけることなく、富美との仲の修復にも努められると、猿渡は徐々にR資金の件から離れる方向に気持ちが傾いていく。その中で、猿渡をいつも苦しめている黒雲の悪夢の内容が明らかになる。中学時代の炭鉱爆発事件のあった日、管が老人一人で経営しているスポーツ用品店に逆恨みで放火し全焼させた事件に手を貸したことがトラウマになっていたのだった。まさにその日に父が何者かに殺害されたことで、自分が罪を犯した報いがあったのだと、なおさら強力に心に傷として刷り込まれていたのだ。自分の罪を再確認したことで、安穏な日々に逃げ込むことは許されないと考え始めた猿渡に、第1部で不本意にも殺人を犯してしまった中学生から手紙が届く。一人前の自動車修理工になり一生懸命働いていることの報告に加え、猿渡に心から感謝しているその内容に心打たれた猿渡は、彼に顔向けできる人間であるために、R資金の件に向き合う決意をする。安曇と白川に詫びを入れた後、田谷の父を通じて田谷を説得し、R資金解明の糸口となる和木を自首させるとともに、その直前、和木に独自に金の流れを自供させたテープを管に渡す。本部へ和木を護送しながら、正義にために刑事としての本線から脱線してしまったことを痛感する猿渡であった。

 第3部では、さらに8年後の猿渡が描かれる。猿渡は、黒雲の悪夢に加えて、娘が結婚相手を連れてくるという悪夢にも苦しめられるようになっていた。 娘は乳児のうちに事故で亡くなっているというのに…。そのことがきっかけで妻び富美とも別れていた。例の一件以来、刑事の職から外され上内駐在所でのんびりした生活を送っていた猿渡の前に陰惨な事件が発生する。粗暴で知られた伊佐沼家一家が、仕事を手伝わせていた政木一家を皆殺しにしたという事件である。 事件の首謀者の伊佐沼貞実が、過去に母親も殺害しているのではという疑いが持ちあがり、地元に詳しい猿渡に捜査の協力要請が来る。時間を見つけて積極的に捜査を行う猿渡であったが、麻雀仲間のミカン農家・長塚貞次が貞実の実の父親であり、彼こそが貞実の母殺害の真犯人であったことに気がついた時には時すでに遅く、長塚は自殺した後であった。またしても難事件解決の伝説を作りつつも後味の悪さを残す猿渡であった。また、この第3部では、猿渡、白川、菅、櫟園(いちぞの)の4人組が中学時代に犯したもう一つの犯罪が明らかになる。それは、放火よりはるかに罪の重い殺人であった。スポーツ用品店への放火は管が独断で行ったもので後の3人は結果的に巻き込まれた形であったが、櫟園の父親の殺害は、CO中毒で暴れる父親から櫟園一家を救うために計画的に4人で行われたものであった。2つの大罪を全く気にしていない白川と管に不快感を持っていた猿渡であったが、櫟園が自分と同じように今も苦しんでいることを知り安堵するのであった。

 第4部では、いよいよ舞台は現代に。冒頭の「序」に続く形として物語は展開する。父と同じように伝説の警官として周囲から一目置かれながらも、出世コースから外れ、有明海密漁機動取締隊の一員として警官の仕事を続ける猿渡。彼は、定年までに何とか父の死の真相をつかもうと心に決める。 密漁や麻薬取引に目を光らせながら、父殺害事件の捜査を続ける猿渡の前に次々と明らかになる新事実。容疑者が浮かんでは消え、浮かんでは消えする中で、ついにたどり着いた真犯人は、もっとも信頼していた伯父の新田伊功(よしのり)だった。猿渡の父・石男を崇拝していた伊功の目には、炭鉱会社と旧労と新労の間を余計な犠牲者が出ないように懸命に行き来する石男の姿がスパイのように映り、裏切られたと感じたのであった。打ちのめされた猿渡に追い打ちをかけたのは、その伯父を、姉が父の復讐のために薬物で殺害していたという事実であった。櫟園の父殺害に手を染めた過去のある猿渡は、自分には殺人者一族の血が流れていると絶望し、警察を辞める決意をする。しかし、殺人罪で逮捕されていた白川に、施設にいる幼い娘の面倒を見てくれと泣きつかれ、辞表を破り捨て再び生き甲斐を見いだす猿渡であった。

 昭和から現在に至るまでの炭鉱の町を舞台にした歴史小説とも言える大作。そういう意味での資料価値は非常に高く、2012年度福岡県文化賞、大牟田市市政功労賞受賞も納得。ミステリとしても十分に読み応えはある。あえて言えば、今まで迷宮入りしていた父殺害事件の真相が現代になって急に次々と明らかになる点、そして何より話が長すぎる点が問題か。感動のラストは少々唐突だが、どうせならもう少し盛り上げても良かった。

『黄金を抱いて翔べ』(高村薫/新潮社) 【ネタバレ注意】★★

 「このミス」1991年版(1990年作品)9位作品。久しぶりに古い作品に手を出してみたが、同じ筆者による「このミス」1994年版1位作品『マークスの山』で得られたような感動は得られなかった。内容は、6人の男達が銀行の地下金庫に眠る金塊を、周到な計画の元に強奪しようというドラマである。主人公は、これまでにも隠れた犯罪を続けてきたことをうかがわせ、現在は倉庫で働く幸田。そして、その友人で、幸田と異なり妻子持ちでごく普通の家庭を持ちながら、これまで幸田と共に犯罪を重ねてきた過去があり、今回も具体的な計画を立案する北川。北川の弟で、幸田と同じ会社で働くも、北川の電話を盗み聞きしたり、暴走族とトラブルを起こすなど何かと問題を起こす春樹。北川が引き込んだコンピュータシステムに詳しく女の扱いも得意な野田。元北朝鮮の工作員で現在は大学に出入りしている爆弾作りのエキスパートのモモ。エレベーター関連会社の元社員で今回の計画に欠かせないジイちゃんこと岸口。幸田達は、北川を中心に時間をかけて周到に準備を進めていくが、元から何者かに追われる者、どこからか情報が漏れて追われる者、トラブルを起こして追われる者が次々と現れ、いつ計画が白紙に戻ってもおかしくない状況が続く。準備の様子については、銀行の周辺の様子が詳しく語られ、設備に関する専門用語がやたら多く登場するなど、強奪計画が詳細に語られていくが、そこは正直リアリティを感じる以前に、流し読みをしてしまうくらい鬱陶しい。メンバーが脱落していく中、最後の最後でやっと計画が実行に移されると、その後の展開はスピーディーだが、銀行脱出後が、また物足りない。登場人物も読者も、たいした達成感を感じられないまま中途半端に物語に幕が下りる感じ。そもそも登場人物達が、金塊を手に入れた後どうするのかという夢が語られるシーンは最後まで全くない。終盤で香港ルートで換金しようという話がちょっと出てくるだけである。岸口が幸田の父だったというサプライズも、幸田自身、何の感慨も抱いていないし、読者も、岸口についてはメンバーの中で最も詳しく描かれていないので、ふーん、くらいで終わってしまう。最愛の妻子を殺された北川、最愛のモモを殺された幸田の反応も全く感情移入できない。特に妻子を殺されて全く取り乱さずに計画を推し進める北川の様子には、他のメンバー同様、計画成功後の夢について語られていないだけに、なおさら強い違和感を覚える。何が彼を、彼らをそこまで、この計画にのめり込ませているのか?想像できないことはないが、やはりオススメ度は高くはない。

『絆回廊 新宿鮫]』(大沢在昌/光文社) 【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2012年版(2011年作品)4位作品。新宿鮫シリーズ最新刊にして最高傑作と呼ばれる本作は、この年のベスト10で最後まで手をつけていなかった1冊である。以前にも書いたように、警察小説もハードボイルド小説も読めばそれなりに面白いのだが、読み始めるのにはどうも何か抵抗を感じてしまう。最近全く京極作品を読まなくなったように、そのあたりのジャンルに食傷気味なところもあるが、たぶんそういう警察組織の枠にとらわれない自由な作品の方が自分の好みなのだろう。

 自分から妻子を引き離した刑事への怨みを胸に秘めたまま、殺人を犯して22年という長期刑を終えて新宿に帰ってきた大男・樫原茂は、昔のつてを頼って拳銃を入手しようとしていた。その依頼を断ったヤクの売人の露崎は、自分の商売に目をつむってくれることと交換条件で、樫原の捜査に協力することを 鮫島に約束する。そんな頃、鮫島は、雑誌記者から、鮫島の恋人であり人気バンド・フーズハニイのリードボーカルである青木晶にクスリがらみの内偵が入っていることを知らされる。晶と会った鮫島は、晶を信じており警察の仕事よりも晶の方が大事だと宣言して晶を驚かせる。樫原が、今は解散してしまった暴力団・須動会に貸しのある男がいると言っていたことを手がかりに、上司の桃井と共に、その男 ・松沢が移った栄勇会を調べようとすると、半年前から別件で栄勇会を内偵していた組対(組織犯罪対策課)からストップがかかった。やむなく須動会を解散させた2代目組長・姫川の元を訪ねる鮫島であったが、つかめたのは 、松沢が養子に入って吉田に名前が変わったということ、その吉田の妻は残留孤児二世であること、そして吉田が栄勇会で出世した理由を姫川が隠そうとしていることであった。露崎からの情報で、栄勇会の 勢いがいいのは中国本土の連中とコネがあり、クスリを直で持ってこられるルートがあるからであることを知った鮫島は、それこそが吉田の出世の理由ではないかと考える。

 中国の不動産投資で成功した陸永昌(ルーヨンチャン)は、カンボジアのポイペトでカジノの入ったホテルを買収し売春ビジネスを始めようとしており、東京には北朝鮮ルートのクスリを流していた。ポイペトに盧(ルー)と銭(チェン)、東京に黄(ホアン)という手下を持ち、日本政府とのつながりもあった永昌は、日本の情報機関に樫原の捜索を依頼する。鮫島は組対の田所に事情を話し、彼から、組対が調べているのは「金石(ジンシ)」と呼ばれる危険な集団であることを聞き出すが、樫原と吉田こと松沢の関係を確かめるため再び姫川の元に向かうと、姫川は「金石」と思われる組織に殺害された後であった。露崎から、「金石」のメンバーをさらって返り討ちにあった藤野組の国枝という男がいるという情報を得た鮫島は、さっそく国枝の自宅に赴き、さらった男の名が田(テイエン)といい、田中という名で池袋の「癒し庵」というマッサージ店の常連になっていることを突き止め自分も店の会員になるが、田中に会うことはできなかった。

 「松毬(まつかさ)」という小さなバーを営業しながら樫原を待ち続けていたトシミは彼の身元引き受け人になり、彼の息子 に手紙を書き続けていたが、ある日、その店にかつて鮫島のライバルであり、前作で警察を辞職した香田が現れる。香田の現在の職業は何なのか、何が目的なのかは一切明かされないまま、彼はトシミと雑談後、連れと共に店を去る。そして、その直後、香田が「東亜通商研究会」というところで内閣情報調査室の下請けをやっており、組対の持つ「金石」の情報をおさえに来たことが明らかになる。露崎からの情報で、吉田の姉が、吉田に 残留孤児二世の妻を紹介したこと、吉田の姉が働いていた店「ルビー」でボーイをしていた男・市野が、「ノールス」というバーを何軒も持っていて羽振りよくやっていることを知った鮫島は、さっそく 市野に貸しがあるという露崎を連れて会いに行く。 吉田の姉の名は真知子、妻の名は遥といい、遥の紹介で入った女・ミユが「ルビー」を買い取り中国人相手の「天上閣」というクラブに変わってしまったこと、真知子も遥も今どうしているか知らないと言う市野。たいした収穫のないまま「ノールス」をあとにした2人であったが、「金石」のメンバーが2人の帰りを待ち伏せしていた。拳銃で威嚇した鮫島は無事だったが、露崎は行方不明に。「ノールス」に引き返し市野を問い詰めると小林保という客に鮫島のことを話したと言う。小林こそ姫川殺しの「金石」のメンバーであることを告げ、さらに鮫島に追求された市野は、熊谷という金融屋に「ノールス」の開店資金を出してもらっていること、熊谷は現在行方不明で、彼の事務所を市野が引き継いでいることを吐かされる。ミユこと田中みさとが熊谷と付き合っており、小林を市野に客として紹介したのもみさとで、熊谷が行方不明になった時期にみさとが「ルビー」を買い取ったという話から、鮫島は小林が「金石」のメンバーであることを確信する。

 成田に着いた永昌を出迎えたのは香田、そして城山という男。永昌は城山に「おみやげ」と言って北朝鮮の情報が入ったUSBを渡す。この見返りの金が今の永昌の地位を築いたの だ。日本料理屋に案内された永昌は、香田に調査を依頼した樫原について尋ねる。永昌は、樫原…自分の父親の服役の罪状が殺人であったことを初めて知る。

 一刻も早く露崎を救い出すべく吉田への接触を決意する鮫島と桃井だったが、吉田の反応からは楔にすらなっていないことがうかがえたため、鮫島は、再度市野を締め上げてみさとの居場所を聞き出し押しかけるが、彼女は「金石」について知っていながら一切口を割ることはなかった。小林保と、みさとの兄の田中光甫という2人の「金石」メンバーの名が明らかになったが、別のメンバーの遺体が発見されたという報告が入る。その男・周を殺したのが樫原だったことは、この時点で鮫島も永昌もまだ知らない。「金石」のメンバーであった黄は、「金石」に迫ってきた鮫島に危機感を感じ、暗殺を永昌に依頼する。樫原の暴走のせいで、「金石」と鮫島の両方から攻められている吉田はトシミの元を訪れ、樫原が自分の罪をかぶってくれたこと、樫原が彼から妻子を引き離したと思い込んで怨んでいる刑事の件は誤解であることを告げる。フーズ・ハニイにがさ入れがあったことを晶から知らされ辞職も覚悟した鮫島は、千葉で露崎の遺体が発見されると、千葉県警に「金石」の件を洗いざらい話した。そこで初めて鮫島は、自分が探している大男が、樫原茂と言う人物であることを知る。そして樫原が命を狙っている刑事というのが桃井であるということも。「金石」は樫原を始末すべくトシミを人質にとって待ち構えるが、その2人は樫原にあっけなく殺される。完全に追い詰められた吉田は、自分を死体の始末に呼び出した樫原に対し意見しようとするが、樫原は全く耳を貸そうとしない。

 捜査に行き詰まった鮫島は香田を頼り、鮫島の熱意に負けた香田は、身元引き受人であるトシミの存在を教える。桃井と共にトシミの店「松毬」に乗り込む鮫島だったが、永昌と樫原の22年ぶりの親子の対面を邪魔しないようトシミに説得され一旦引くことに。永昌との対面を果たした樫原は永昌 とトシミを逃がし、再び訪れた鮫島と桃井と格闘になるが、樫原に手錠をかけた直後、店に戻ってきたトシミの拳銃が暴発し桃井は殉職する。晶が鮫島を守るため 、鮫島とはすでに別れているという記者会見を行ったことに加え、警察内での数少ない理解者であった桃井を失った鮫島は打ちのめされる。疲れ切って帰宅したところを永昌の差し向けた暗殺者・銭と朱に狙われるが、藪から預かった桃井の銃で撃退に成功する。

 あらすじは以上のようなものだが、やたらと説明じみた部分が多いのが気になるのと、それ以上に、今までになく「お涙ちょうだい 」的なシーンが多い。とにかく全てが湿っぽいのだ(その割に、情に訴える展開が多い一方で、樫原の誤解を解けないまま終わってしまったのは後味がかなり悪い。 永昌が、自分の組織を優先するのか、父親を救うことを優先するのかという究極の選択を迫られそうな展開を予感させつつ、結局うやむやになってしまったのもいただけない)。そして肝心の主人公が、特に その傾向が著しい。ただでさえハードボイルドらしさのない一匹狼の鮫島が、これまでになく感傷的で弱々しいの には大きな違和感があった。これが「新宿鮫シリーズ最新刊にして最高傑作」?前作の時も思ったが、シリーズのレベルの高さに慣れてしまって、ないものねだりになっているのなかしれない。しかし、今回は、これはちょっと「新宿鮫」らしくなさすぎるのでは?と思わされた。

『教場』(長岡弘樹/光文社) 【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2014年版(2013年作品)2位作品。この5年間の「このミス」(2009〜2013年版)ベスト10作品は、2010年版7位作品の『仮想儀礼』を除いて読み終えたこともあり、早々と発表されたばかりの2014年版のランキング上位作品に手を出すことにした。前回「警察小説はちょっと…」と言っておきながら、前知識なく読み始めてみたら「警察学校小説」だった(「教場」とは、警察学校の「クラス」を表すものらしい)。しかし、帯には全国の書店員の絶賛の声が並び、「このミス」2位のみならず、「週刊文春ミステリーベスト10」で1位を獲得しているとなると期待は高まる。

 病気で休職した教官の植松に代わり警察学校にやってきたのは、白髪頭で義眼のような目を持ち不思議な雰囲気を漂わせる男・風間だった。本作には特に主人公と言える人物はいないが、ミステリ小説として探偵役を挙げるとすれば、この風間がそれにあたる。本作では、初任科第98期短期課程に入学した風間教場の学生達の卒業までの 半年が描かれるが、その年を通して風間の観察眼の鋭さから逃れられる者はいないことを学生達は身をもって知らされることになる。物語は入学から2か月弱たった5月の下旬から始まっており、その時点で入学時41名(うち女子6名)だった学生は37名に減っていたが、そこからさらに、過酷な状況の中で異常な行動に走った学生達が次々と脱落(退学)していく。

 第1話「職質」の主人公は、大学生時代に雪の中で事故に遭い、死にかけたところを駐在所の警官に助けられたことで警官に憧れ、一度は小学校に勤めるものの辞職して警官を目指したという変わり種の宮坂。植松の職質の授業で劣等生の平田以上に下手な職質をし、警察官なんて絶対に無理だと植松に酷評されるが、授業を見学していた風間には、それが演技であることを見抜かれていた。平田の父こそ宮坂の命の恩人の駐在所の警官だったからなのだが、宮坂の演技を見破っていた人物がもう1人いた。それは平田であった。彼は宮坂に情けをかけられていることが許せず、入浴剤と洗剤を使って宮坂を巻き込んでの自殺を図るが、計画を風間に見抜かれて失敗。5人目の脱落者となって学校を去る。

 第2話「牢問」の主人公は、女子学生の楠本。彼女は花粉症の薬を服用していることで授業中睡魔と戦っていたが、眠気を覚ますために教官の質問に挙手し的確に答えたことで、同じ女子学生の岸川を救うことになる。その岸川は、続けて送られてくる脅迫状にノイローゼ気味になっていたのだが、その送り主は楠本だった。楠本は、婚約者を轢き逃げした犯人を捕まえるため、インテリアコーディネーターの職を投げ出し警官を目指したのだが、入学した警察学校で婚約者を轢いた珍しい色の車の写真を持つ岸川に出会い、彼女こそ犯人だと確信したのであった。しかし、手紙に付いていたミントオイルの匂いが楠本の眠気覚まし用のものだと気がついた岸川は、駐車場のリフトのピットに楠本を突き落とし機会に挟まれて大怪我をさせる。風間と宮坂によって楠本は自分の誤解を知らされ退学を決意するが、風間はそれを許さなかった。そして岸川は6人目の退学者となった。

 第3話「蟻穴」の主人公は、音だけで物のスピードを言い当てられるという特技を持つ、白バイ隊員志望の鳥羽。しかしプールでの救助訓練で鼓膜を痛めたことを隠すために、聞いてもいないことを日記に記してしまったことで、親友の稲辺が無断外出をしていないというアリバイを知っていながら教官に証言しなかった。そのアリバイを証言することは、日記に嘘を記したことを明らかにする行為であり、日記に嘘を記すことは警察学校では即退学となるのである。稲辺が怒っていないことに安心していた鳥羽だったが、風間は全てを見抜いていた。風間は稲辺に謝れば嘘の件は見逃してくれると言ったが、謝る前に稲辺は仕返しを実行に移してしまう。蟻の入ったイヤープロテクターを瞬間接着剤をつけて鳥羽にかぶせたのだ。さらに鼓膜にダメージを負った鳥羽は白バイ隊員を諦めざるを得なくなり、稲辺は おそらく7人目の退学者となった。

 第4話「調達」の主人公は、元プロボクサーの日下部。最年長であることから級長を務めているが、学科の成績が良くないことを気にしている。少しでも点数を稼ぐため学生の不正行為の密告を続けていたが、「調達屋」と呼ばれていた樫村の不正行為を告発しようとした時、彼から取引を持ちかけられる。見逃してくれる代わりに、学科の点数につながる情報を教えてくれるというのだ。その提案に乗った日下部は、教官の服部が出題したガス爆発を誘発する仕組みについてすらすらと答えたことで、学校内で犯人捜しが行われていた備品が焦がされた事件の容疑をかけられてしまう。その経緯をまたしても全て見抜いていた風間は、さらなる深部まで見透かしていた。覚醒剤所持容疑で逮捕された、樫村の大学の先輩の巡査部長・尾崎こそが、備品を焦がした張本人であり、樫村は彼の「無罪」を調達しようとしていたという事実である。そして樫村は おそらく8人目の退学者となった。

 第5話「異物」の主人公は、過去にスズメバチに刺された経験があることでアナフィラキーショックに怯える由良。車に詳しいことで自動車警ら隊を志望しているが、四輪スラロームの実技中に運転していた車内にスズメバチがいることに気がつきパニックを起こして風間をはねてしまう。2人組での仕事を由良が押しつけていた安岡が怪しいと考え安岡を脅す由良であったが、全てを見透かしていた風間に咎められる。風間に一人呼び出された由良であったが、風間は彼に彼の長所と短所とともに、スズメバチへの対処の仕方と車内にスズメバチが入っていた理由をさりげなく教える。協調性がなく色々と問題を抱えていた由良であったが、風間のおかげで一つ成長する。 これまでのパターンならば、安岡が由良への仕返しとして犯罪を犯して退学となりそうなものだが今回はそのような展開はない。

 第6話「背水」の主人公は、成績優秀な都築(つづき)。 優秀であるが故に、自分を追い込み、その壁を乗り越えた経験がない都築は、卒業を間近に控えて著しい体調不良に陥っていた。そのことを見抜いていた風間は都築に退学を申し渡すが、学校に残りたいと訴える都築に対し、「ならば私を納得させるしかない」と告げる。そして都築は、ライバルの宮坂からの厳しい応援もあって、拳銃検定で上級を獲得、職質コンテストで優勝を果たし、見事、名誉ある卒業生総代に選ばれ、風間の期待に応えて見せた。しかし、風間を何より満足させたのは、都築の「背水の陣」をしいた度胸であった。都築は卒業文集に、原稿の締め切り日にはまだ行われていなかった拳銃検定での上級取得と職質コンテストでの優勝を書き綴っていたのである。どちらかでも逃していれば、それは嘘を記したことになり、即退学になっていたのである。これ以上の「背水の陣」はなかろう。風間の「まずまずの度胸だ」という褒め言葉は、都築にとって最高の賛辞であったであろう。

 「警察学校とは、こんなにえげつないところなのか?読んでいてただただ不快。」「こんなにトラブル続きなのはいかにも小説という感じ…。」「 『いじめ→報復→報復者の退学』というワンパターンの繰り返しはどうなのか?」などなど、最初はあまり印象が良くなかったのだが、終盤に向けて話が進むにつれ、風間の学生に対しての厳しくも温かいまなざしがくっきりと浮かび上がってくる。警察小説というよりは学園ドラマに近い。卒業式から半年後、初任科第100期短期課程の入学式で、学生の前で語る風間の姿を描いたエピローグも、実に気が利いていて秀逸。5段階評価の5を付けるほどの引き込まれる要素には今一つ欠けるのだが、3段階評価なら間違いなく3である。(実は最近になってこのコーナーの個人的読後評を5段階にせず3段階にしたことを後悔している。5段階評価にして、普通にオススメの4つ星と、絶対読んでほしい5つ星に分けるべきだったと今更ながら考えている。自分の中ではその差は大きいのである。)

『硝子のハンマー』(貴志祐介/角川書店) 【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2005年版(2004年作品)6位作品。この年のベスト10作品を読むのは実はまだこれが6冊目。上位4冊が今一つぱっとしなかったので、それ以降の作品を読む気になれなかったというのもあるのだが、今回思い切って読むことに。過去に読んだ貴志作品は、『黒い家』を除き、『天使の囀り』『新世界より』『悪の教典』のいずれも強烈なインパクトがあり好印象だったので、かなり高い期待を持って読み始めた。ネタバレが困る方のために先に書いておくと、結論から言えば、そこそこオススメな本格ミステリである。本書には登場人物の一覧表などがないので最初に登場人物をまとめておく。

○青砥純子…本編の主人公の弁護士。久永専務の依頼を受けて彼の無罪を証明しようとする。
○榎本径…防犯グッズ店を経営しながら防犯コンサルタントとして活躍しているが本業は泥棒。青砥の依頼で調査に協力する。
○沢田正憲…六本木センタービル警備員。ギャンブル中毒で家庭が崩壊し今の仕事が最後の砦の53歳。
○石井亮…六本木センタービルの警備のバイトをしている機械工学が専門の大学生。
○穎原昭造…六本木センタービルの10〜12階に入っている介護サービス会社「ベイリーフ」の社長。80歳近く、本人は知らないが脳腫瘍で余命1年と宣告されている。密室状態だった社長室で撲殺死体として発見される。
○穎原雅樹…昭造の息子で冷酷な副社長。「ベイリーフ」の上場が近づいているため会社の悪い評判は最小限にしたいと考えている。30代。
○久永篤二…「ベイリーフ」専務。社長に次ぐ高齢。社長殺害の容疑者として拘束される。
○伊藤寛美…社長秘書。
○松本さやか…副社長秘書。会社に内緒で女優の副業を持っている。
○河村忍…専務秘書。元キャビンアテンダントで介護ビジネスにロマンを感じ転職したが後悔している。冒頭では主役的なポジション。
○小倉…総務課長。
○安養寺…介護システム開発課長。介護ザルの研究をしている。フサオマキザルの「房男」と「麻紀」を可愛がっているが、副社長には実用段階にないと切り捨てられる。
○岩切…課長。介護ロボットの研究開発を担当している。介護ロボット「ルピナスX」を開発。
○藤掛…「ベイリーフ」顧問弁護士。「ベイリーフ」へのダメージを最小限にするため、久永の心神喪失状態での犯行を主張しようとしている。
○今村…青砥の同僚。藤掛の方針に従おうとしており青砥と対立している。以前青砥と交際していたことがある。
○鴻野…警視庁の刑事。榎本とは腐れ縁で、不本意ながら榎本と情報を交換している。
○椎名章…父が作った借金が原因で闇金業者に追われることとなり、同郷の引きこもりである佐藤学の身分を用いて東京で逃亡生活を送っている。
○鈴木英夫…椎名の親友。色々と相談に乗っていたが闇金業者に殺害される。
○小池健吾・青木哲夫…闇金業者で暴力団の準構成員。章の両親と友人の英夫を殺害している。

 あらすじは以下の通り。上場が間近に迫った「ベイリーフ」では役員の日曜出勤が当たり前になり、秘書も出勤せざるを得ない状況であった。そんなある日曜の午後、ビルの窓を清掃中だった清掃会社社員が、窓の外から社長室で倒れている社長を発見する。社長室のある12階の廊下の防犯カメラに誰も映っていなかったことから、ドアでつながっている隣の隣の専務室で仮眠していた久永が容疑者として拘束された。隣は副社長室であったが、副社長の雅樹は外出中でアリバイがあったのだ。久永の依頼を受けたものの、密室の謎が解けない弁護士の青砥は、防犯コンサルタントとして活躍していた榎本に助けを請う。その榎本が容疑者リストのトップにあげたのは、意外にも介護ザルとそれを扱える安養寺であったが、調査の結果、その可能性は消滅し、次の候補であったルピナスXの線も消えた。社長室が調べられたことに動揺する久永、久永が自殺する可能性に動揺する雅樹の様子に、疑念を抱く青砥。過去に空気銃による社長室狙撃事件があったことをつかむが、それが社長の自作自演であったことを突き止めた榎本は、外部の犯行に見せかけた狙撃事件と、内部の犯行にしか見えない今回の事件との矛盾点について考えをめぐらせるが、鴻野からの指紋の情報で、久永がはめられたことを確信する。そして、社長と久永が6億近い会社の金を横領しているとことをつかんだ青砥と榎本は、その金が姿を変えたものが社長室に隠されており、犯人はパチンコの不正操作に用いる体感器を利用して、コマ送り撮影をしている防犯カメラの隙を突いて社長室に侵入したと考える。しかし、廊下のカメラが通常の撮影をしていることが判明し、その可能性も消滅。やはり事故だったのではという結論が出かかった時、深夜の社長室に侵入した榎本は、ついに真相に気がつく。

 第2章では、全く別の時間軸で犯人のストーリーが語られる。主人公は椎名章。父が作った莫大な借金のため、闇金業者に追われる身となり、やむなく引きこもりの佐藤学という人物の身分を利用して、東京で逃亡生活を送っていた。転居を重ねた末、清掃会社に入社して六本木センタービルの窓の清掃をしている時、偶然ベイリーフの社長室で社長がダイヤを見ている様子を目撃してしまう。不正な金で得た物だと直感した彼は、何度もビルに侵入し、盗聴を重ね、防犯システムを調査し、ついにダイヤの隠し場所を発見する。何度目かの侵入でダイヤを奪った椎名は、窓の清掃の途中に、クスリで眠っている社長を介護ロボットを遠隔操作で窓際に運び、社長の頭を押しつけた防弾ガラスに、持参したボウリングのボールを打ち付けることで殺害に成功する。完全犯罪が成立したと確信した椎名であったが、榎本は社長室の防弾ガラスが可動式に細工されていることに気がついてしまったのだ。椎名を呼び出し、彼のアパートでダイヤを発見したことを椎名に語ったことで、椎名は白旗を揚げるしかなかった。青砥を通じて久永からの成功報酬50万円を得た榎本であったが、彼は椎名の奪った619個のダイヤの内24個を偽物とすり替え莫大な利益を得ていた。あきれる青砥をしつこく食事に誘う榎本であった。

 久しぶりの本格ミステリに胸が躍る。読者が最初に疑うであろう、副社長の雅樹、介護ザル、介護ロボットの犯行の可能性を冒頭でさっそく打ち消し、読者を途方に暮れさせる手法はなかなかのもの。読者は、青砥と榎本と共に真剣に犯人捜しをすることになる。しかし、あらすじにも書いたサルの犯行説や、あらすじではカットした秘書達による素早い変わり身による犯行説など、トンデモ犯行説が次々に示された挙げ句、最後の最後に明らかになる、はめ殺しの防犯ガラスを可動式に細工するというトリックも、かなりのトンデモ系であり、読者は今一つ爽快感が味わえない気がする。そもそも、そんな大がかりな細工に優秀な日本の警察が気がつかないというのも変である。美人弁護士の青砥と、彼女に好意を寄せる泥棒の榎本というコンビは、なかなか面白そうで、実際シリーズ化されているようだが、やはり3つ星はちょっと無理か。

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