現代ステリー小説の読後評2014

※タイトル横に【ネタバレ注意】の表記がある作品はその旨ご注意を

2014年月読了作品の感想

『祈りの幕が下りる時』(東野圭吾/講談社) 【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2014年版(2013年作品)10位作品。最新ベスト10作品2作目。東野作品を読むのはこれで14冊目。こんなに読んでいることに今回初めて気がついた。綾辻作品や京極作品は意識して集中的に読んでいたが、意識せずにこれだけの冊数になったということは、それだけ「このミス」ランクイン率が高いということ。ガリレオシリーズに並ぶ、人気の加賀恭一郎シリーズ第10弾だが、読んだことのあるのは第3弾「どちらかが彼女を殺した」、第8弾「新参者」。今回は、加賀が、なぜ日本橋にこだわるのか、その理由が明らかになる。

○加賀恭一郎…本編の主人公。日本橋署に勤務する警部補。加賀が12歳の時家出して、仙台で亡くなった母のことを調べている。
○宮下康代…仙台で小料理屋とスナックを経営していた時、知り合いの女将の紹介で田島百合子を雇うことになる。
○田島百合子…加賀の母。家出後、仙台の宮下が経営するスナック「セブン」で働くが16年後心不全で死去。
○綿部俊一…百合子が「セブン」で働き始めて10年後につきあい始めた男性。田島の死後、加賀の住所を調べ宮下に知らせた後行方不明に。
○松宮脩平…加賀の従弟。警視庁捜査一課に勤務。加賀と共に今回の事件を捜査。
○金森登紀子…第7弾『赤い指』で亡くなった加賀の父の世話をした女性。今回の事件の捜査に必要な写真を、カメラマンである彼女の弟から借りるために協力を要請する。
○押谷道子…滋賀のハウスクリーニング会社に勤めていた女性。東京のアパートの一室で遺体となって発見される。
○越川睦夫…道子の遺体のあったアパートの部屋の住人。遺体が発見された時には行方不明になっていた。
○浅居博美…母が借金を作って男と逃げたせいで父親は自殺し、施設に引き取られ苦労してきたが、夢を叶えて舞台女優となり、現在は演出家として活躍している。
○浅居忠男…浅居博美の父。妻が借金を作って男と逃げたせいで近所の建物から飛び降り自殺した。
○苗村誠三…押谷、浅居の中学時代の担任。教職を辞め離婚後行方不明に。
○諏訪建夫…浅居が最初に所属した劇団「バラライカ」の主宰者。浅居と結婚するが3年後に離婚。

 物語の冒頭、加賀の母が家出してから仙台で職を得て病死するまでが描かれる。加賀の母の死後、彼女と交際していた綿部がどのようにして、遺品を引き渡すために加賀の住所を調べることができたのか加賀はずっと考えていた。

 そして数年後が過ぎた現在。東京のアパートの一室で、滋賀のハウスクリーニング会社に勤めていた押谷道子の絞殺された遺体が発見される。部屋の住人である越川睦夫は行方不明。捜査の結果、押谷は、中学時代の友人・浅居博美の母が無銭飲食のトラブルを起こし老人ホームに預けられていることを知らせるために、浅居のいる東京に向かったことが確認された。浅居は、自分を捨てた母を引き取る意思がないことを押谷に伝え、押谷と別れたと証言。その後の足取りはつかめない。やがて現場近くで扼殺されたホームレスと思われた遺体が越川であることが判明。連続殺人事件の可能性が出てくる。そして、越川の部屋で発見されたカレンダーに毎月書き込まれた橋の名前を見た加賀は驚愕する。それは母の遺品の中にあったメモと、内容も筆跡も同じだったからである。加賀の母が交際していた綿部と、殺された越川が同一人物であることは、似顔絵を見た宮下の証言で確定した。カレンダーに記された橋の写真を集めた加賀は、その中に浅居が写っているものを発見し、越川のために加賀の住所を調べたのも浅居であることが分かったことで、越川と浅居には何らかの関係があると考える。また、母の遺品の中にあった時刻表についていた指紋から、越川が女川原電で働いていたことが突き止められる。さらに、浅居と押谷の中学時代の担任だった苗村が浅居と深い仲にあったこと、そして現在行方不明になっていることが分かり、苗村と越川も同一人物ではないかという線も出てきた。
 そして、ついに真相にたどり着く加賀。浅居は父の忠雄と共に借金取りから逃れるため夜逃げし、北陸で心中しようとするが、その直前に、浅居は自分を暴行しようとした横山俊一という天涯孤独の原発労働者を誤って殺してしまう。忠雄は、横山の遺体を崖下に捨て、浅居にその遺体が父親だと証言させることで自分の存在を消し、身代わりに原発労働者となる道を選んだのであった。その後、女優として演出家として成功した浅居と、横山から綿部へ、綿部から越川へと名を変えてきた忠雄が定期的に会うために決めた場所が12カ所の橋だった。加賀が見つけた浅居の写真はその時のものたっだのだ。その後、何事もなく時が過ぎていたが、上京してきた押谷に見つかった忠雄は、自分たち親子の秘密を守るため押谷を殺してしまう。浅居にしつこくつきまとっていた苗村を殺害したことを浅居に告白した忠雄は、ホームレスに偽装して焼身自殺を図るが、過去に忠雄が焼死を嫌がっていたことを知っていた浅居は父を扼殺したのだった。
 松宮は、浅居から入手した忠雄の手紙を加賀に渡してほしいと金森に託す。加賀はそれを読むとおそらく誰にも見せないだろうから、加賀の一番の理解者である金森に読んでほしかったのである。その手紙には、加賀の母親の息子への愛情が綴られていた。

 さすが東野圭吾、緻密に組み立てられた実に見事なストーリーであるが、『新参者』の深い人情味を一度味わってしまうと、本作は今一つ 物足りなく感じられる。トリックに意識がいきすぎて、加賀の人間味が十分に出ていないような気がする。また、第7弾『赤い指』以降、本シリーズのヒロインに位置づけられたらしい金森登紀子の存在感が過去のシリーズを読んでいない読者には全く伝わってこない のも大きな問題である。 もう少し彼女について描き込むべきだったのではないか。ラストで重要な役割を果たす彼女だが、なぜそのような大役を彼女が任されるのか、シリーズを欠かさず読んできた読者と作者に しか分からないのでは困る。

『犬はどこだ』(米澤穂信/東京創元社) 【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2006年版(2005年作品)8位作品。 前回、いつのまにか東野作品を数多く読んでいたことを記したが、今回の米澤作品も同様で、いつの間にか8冊目になっていた。

 主人公は紺屋(こうや)長一郎。大学卒業後、都会の銀行に勤めるが、ひどいアレルギー性皮膚炎を発症し、やむなく退職して故郷の八保市で半年引きこもる。やがて、ネット 上の友人・GENに励まされ自営業を始めることを決意するが、第1希望だったお好み焼き屋は水仕事が皮膚に良くないということで断念し、過去にバイトでやったことのある犬 探し専門の調査事務所「紺屋S&R(サーチ&レスキュー)」を開業することに。開業初日に、町役場に勤める友人・南の紹介で現れた最初の依頼人・佐久良且二(さくらかつじ)の依頼内容は、失踪した孫娘の桐子を捜してほしいという予想外のものだった。桐子は、大学卒業後、2年前に東京のコンピュータ会社に就職したが、突然辞表を出してアパートを引き払 い行方不明になったという。祖父の且二宅に住民票を移してあるが引っ越してくる様子もない。手続きを踏んで辞職し、アパートを引き払ったのであれば警察にも相談しにくいということで、紺屋の所へ話が来たというわけだが、南は 紺屋の事務所が犬専門であることは且二に言わなかったらしい。東京の調査事務所に依頼しなかったのは、桐子が八保市内から祖父宛に投函した絵はがきが届いており、彼女が八保市内にいるのではと且二が考えたからであった。
 開業2日目、紺屋の剣道部時代の後輩だった半田平吉が歩合給でいいから雇ってほしいと押しかけてくる。そこに2人目の依頼人が現れ、すでに前日大きな依頼を請け負っていた紺屋は、行きがかり上、半田を雇うことに。今度の依頼人は、小伏町谷中の自治会長をしている百地啓三 (ももちけいぞう)。公民館の建て直しに当たって、正面玄関に谷中に昔から伝わる古文書を飾りたいので、その由来を調べてほしいというものであった。本来は教育委員会に持ち込むべき話なのだが、紙くず扱いされて恥をかきたくないから という理由でここへ話を持ち込んだという。
 古文書調査の担当になった半田は、古文書のある八幡神社、古文書に詳しそうな人のことを知っていそうな町役場、専門分野は異なるものの郷土史に詳しい教員・岩茂がいる高校 などを回って情報を集め、その全てで桐子の話題が出てくるのだが、第1の依頼の内容を知らない半田は 聞き流してしまい、その重要性に全く気がつかない。
 紺屋は、桐子の勤め先であった「コーングース」に電話するが、電話に出た神崎という男はどうやら桐子と交際していた人物らしく、彼女が「全てが終わったら会社に戻りたい」と言っていたことを告げる。また、桐子の母親から桐子の友人・渡辺ケイコの名前を聞き出した紺屋であったが、PTAから協力を頼まれた野良犬退治活動のリーダーが偶然彼女であ り、見事野良犬を退治したことで彼女の信用を得た紺屋は、桐子の行きつけの場所を4カ所聞き出すことに成功する。そして彼がそれらを回ると、3日前に彼女が訪れていたことが判明。やはり桐子は八保市にいたのである。
 半田が岩茂に古文書の写真を見せると、あっけなくその中身が判明する。禁制(きんぜい)という戦国時代の御触書と借金の証文ということであった。 参考文献として岩茂に勧められたアマチュア史家・江馬常光が書いた『戦国という中世と小伏』という本を図書館に借りに行く半田であったが、貸し出し中だったため予約をする。そこに現れたのは山城について調べているという福島出身の大学生・鎌手。半田の予約した本をどうしても借りたいのだが、住民でないので借りられない、できたら半田から又貸ししてほしいという。半田は、岩茂が同じ本を持っているはずだと考え承諾するが、練馬ナンバーの黒のフォルクスワーゲンビートルで半田の後をつけ回し、調査をやめるように迫ってきたサングラスの男はいったい何者なのか。報告を受けた紺屋も頭を抱える。
 GENが調査に協力してくれたおかげで、桐子がネットトラブルに巻き込まれていたことが判明。桐子のブログの文章に難癖を付けてきた蟷螂(とうろう=かまきり)という人物に狙われているようなのだ。桐子の過去ログを調べると、桐子の勤め先のみならず、故郷まで特定できそうな情報が書き込まれていることに危機感を感じる紺屋。且二宅の屋根裏に桐子が隠れていた形跡を発見した紺屋は、そこで見つけたメモから、桐子が谷中城へ移動したことを知る。妹夫婦が営業している喫茶店D&Gで、サングラスの男の正体、東京の阿部調査事務所の調査員・田中と会った紺屋は、桐子が巻き込まれたトラブルの全貌を知る。桐子に雇われていた田中の口から語られた、桐子を追い回す真壁良太郎という男は予想以上に危険な人物であった。
 翌朝、半田から古文書調査の報告書を受け取った紺屋は、古文書の件と、桐子失踪の件がリンクしていることにやっと気がつく。そして、半田が本を又貸しした男・鎌手こそが、桐子を狙う真壁であることにも。真壁は、桐子の祖母宅の場所のみならず、彼女がその屋根裏に潜んでいたことも紺屋より先に突き止めており、江馬の著書から谷中城の位置を知り、今まさにそこに向かっているのだ。紺屋は妹に車を飛ばさせて現場へ向かう。桐子を助けるためではない。桐子の真壁殺害を止めるためである。桐子がトラブルの後もブログを続けたこと、姿を消した後もあちこちに自分の足跡を残していたことなど、全ては真壁を抹殺するための桐子の罠だったことに紺屋は気づいたのだ。しかし、紺屋は間に合わなかった。無事を確認した桐子は、一緒に山を降りることを促す紺屋の誘いを「荷物があるの。それを片付けないと」と断る。真壁はすでに死体となっているのだ。彼女はそれを埋めなくてはならない。且二に連絡を取ることを頼んで山を下りる紺屋。
 無事2つの依頼を片付け報酬を受け取った紺屋であったが、真相を知りすぎた紺屋は、頭脳明晰な桐子の次の行動に思いをめぐらせていた。彼女は自分を消そうとするのではないかと考えて、襲撃に備えナイフを持ち歩くようになり、今回の報酬で番犬を買おうとも考えている…。

 ただでさえ依頼の少なさそうな犬専門の調査事務所が果たして田舎町で商売として成り立つのかとか、退職や引っ越しの手続きが自分でとられているからといって若い女性が家族と連絡が取れない状況になっているというのは十分に警察沙汰ではないかとか、2005年の時点で調査事務所が使うカメラが使い捨てカメラというのはどうかとか、 ストーカーを退治するためにわざわざ仕事を辞めて姿を消すほどの対策を普通とるかとか、突っ込みどころはあるにはあるのだが、マニアックでユーモアあふれる文章は実に面白く、 数多く張られた伏線がラストに向けて次々に明らかになり、ひとつの真相に収束していく様は実に心地よい。最終章はなくても十分成立する話だが、シュールなエピローグはそれはそれで味がある。今一つキャラが固まっていない主人公以上に、軽薄そうで意外と仕事ができる半田、紺屋を厳しくも温かく応援している妹の梓などの脇役キャラ もいい味を出している。シリーズ化の予定がありながら、まだ発表されていないらしいが、梓の夫の友春や今回依頼人を集めた紺屋の友人の南も今後活躍が期待できそう なキャラだ。私は既読の米澤作品8作の中で本作を一番に推したい。もちろん★3つである。

『去年の冬、きみと別れ』(中村文則/幻冬舎) 【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2014年版(2013年作品)15位作品。最新版のランキング作品を読むのは、2位、10位、19位作品に続き、早くもこれが4作目。著者の中村文則氏が2005年上半期に芥川賞を受賞していたことは後で知った。印象的なタイトルが気になって手に取ったが、物語終盤に出てくる文章の一部で特に深い意味があるわけではない。主人公は、ライターの「僕」。女性2人を連続で焼き殺した容疑で逮捕され一審で死刑判決を受けたカメラマンの木原坂雄大を取材し本にするために拘置所へ面会に行くところから物語は始まるが、最終的に主人公が編集者と一緒に完成させたものがこの作品である、という体裁になっていることが結末で明らかになる。

1.木原坂との面会@…木原坂が取材を承諾したこと、「僕」と木原坂がK2という団体のメンバーであったことが明らかになる。
資料1.木原坂から姉の朱里(あかり)への手紙@…木原坂がカメラに興味を持ったきっかけについて語られる。
2.「僕」の独白…木原坂の生い立ちについて、自分がなぜK2に近づいたのかについて語られる。
資料2.木原坂から「僕」への手紙@…木原坂が自分の内面を教える代わりに、相手の内面も教えるように取引を持ちかける。
3.朱里との接触@…旅館で待ち合わせた朱里に、昔の姉弟の写真を見せてもらう約束を取り付ける。
資料3.木原坂から姉の朱里への手紙A
4.木原坂の友人・加谷との接触…「あなたの本当の疑問はおそらくこっちだ。被写体が、つまり人間が燃える時の情景を、なぜ木原坂は撮らなかったのか…そういうことでしょう?もっと言えば、せっかく燃やしたのに」という衝撃的な問いかけをされる「僕」。
資料4.木原坂から「僕」への手紙A…人形師・鈴木の作品に驚嘆した木原坂がその作品の写真を撮り、「模倣の模倣」の領域に心地よさを感じたことが記される。
5.朱里との接触A…朱里の部屋を訪れた「僕」は約束の写真を見せてもらうが、彼女と関係を持とうとして拒絶される。そして「また来て…それで私を助けて」と意味深な言葉をささやかれる。
6.木原坂との面会A…朱里が2人の男を自殺に追い込んでいることを知る。
7.斉藤との接触@…人形師に依存する人々の団体・K2のメンバーの斉藤が取材を受けるためにやって来る。
8.斉藤との接触A…斉藤は人形師の作る人形が、本物を殺せと語りかけてくること、本物が死ぬと人形がより美しくなることを木原坂に語ったことを告白する。
9.朱里との接触B…朱里の部屋を再び訪れた「僕」は彼女と関係を持つが、ある人物の殺害を依頼される。
資料5.木原坂から「僕」への手紙B…君とは別の誰かが2回訪問してきて君と同じように自分のことを本にしようとしているが1度も来ない君は誰だ?という問いかけをする。(つまり、この手紙は明らかに「僕」への手紙ではない。資料2と資料4の手紙もその可能性がある)
10.人形師との対面…人形師は、「応仁の乱の頃、ある人形師がある男に死にかけていた妻の人形を作ってやったところ、妻の死後、その人形がより美しくなった」という話を木原坂にしていた。そして、木原坂は、芥川龍之介の『地獄変』も好きだったという。木原坂は、恋人が死んでからの恋人の写真と、恋人が燃やされている時の写真と、どちらが美しいか比べようとしたのだと言う。そして木原坂はそれに失敗し、誰にも写真を見せなかったのだと。しかし、写真は人形師の元にあった。やはり、木原坂は2人の女性を殺していたのか。
(11).編集者との会話@…仕事を降りたいという「僕」に失望する編集者。
資料6.顔にタオルを巻いて性交する男女の映像の解説。
資料7.木原坂の10歳の時の作文。
資料8.木原坂から「僕」への手紙C…資料5.と異なり明らかに「僕」への手紙。取材をやめようとする「僕」に対する動揺。2人の女性を自分は殺していないと強く訴える。その一方で「せっかく燃やしたのに自分の写真には変化がない」と悔しがり、「今度こそ女を燃やした最高の写真を撮ってみせる」と宣言する木原坂。
資料9.2人目の被害者・小林百合子のツイッターと手記の内容。監禁され死に至るまでの日々の記録が残っている。
資料10.木原坂のスタジオの事件時の映像…小林百合子の服を着せられた朱里が顔にタオルを巻かれたまま燃やされ、工作した男と百合子が逃げ出す。駆けつけた木原坂は驚きながらも、写真を撮り続けてしまう。
資料11-1.1人目の被害者・吉本亜希子の元交際相手の手記@
資料11-2.1人目の被害者・吉本亜希子の元交際相手の手記A…亜希子の交際相手は、朱里が木原坂と組んで亜希子を殺したこと(亜希子が焼死したのは事故だったが、木原坂は助けようと思えば助けられたし、亜希子をさらったのは朱里だった)を知り、過去に朱里に捨てられた弁護士の男と共に復讐を計画する。そして借金に苦しんでいた百合子を仲間に引き入れ、朱里と入れ替わることで、木原坂に朱里を殺させるという計画を実行に移す。朱里は百合子として死亡し、木原坂は1人も殺していないのに死刑判決を受け、復讐は成功する。
11.編集者との会話A…未完成だった(11)を完成させた章。弁護士と組んで木原坂姉弟を陥れた亜希子の元交際相手こそ、編集者の小林だった。「僕」と並行して手紙を使って木原坂を取材していたのも小林だったのだ。彼は百合子と偽装結婚することで、朱里の死体を妻の百合子だと主張することができ、その他様々な事前の工作もあって、警察には入れ替わりがばれることはなかった。「僕」が関係を持った朱里の正体は百合子であり、彼女は大きな犯罪に巻き込まれたことを「助けて」と「僕」に訴えていたのだ。真相を知った「僕」と、知られた小林はお互いを殺そうとするが、結局2人は思いとどまる。「僕」は小説家を諦め安定を求める道を選び、小林は本を完成させ拘置所の木原坂に読ませることで復讐を完成させることになる。

 以上が、この物語のあらすじである。一言で言うと、「人間の狂気をテーマにした完全犯罪ミステリ」なのだが、正直今一つ。資料5で、木原坂と手紙でやりとりしているライターが「僕」だけではないということが発覚した時はワクワクさせてくれたし、作品全体が、黒幕が作ろうとしている本そのものというアイディアは面白いと思うが、思わせぶりな人形師や彼を取り巻くK2という組織はいつの間にかフェードアウトしてしまうし、意味もなく多い性描写には首をかしげたくなるし、一生懸命作者が登場人物を使ってフォローしているもののやはり入れ替わり殺人で警察の目を欺くのは難しそうであるし、「僕」の恋人らしき雪絵の描き方があまりに中途半端であるし、とにかくあちこちに荒さを感じる。極めつけはラストのイニシャルの謎。よく小説の冒頭には「この作品を○○に捧げる」とか書いてあり、たいてい作者の家族とか世話になった人なのだと思う。ところが、本作では冒頭の「M・MへそしてJ・Iに捧ぐ」のコメントの説明をラストでしているのだが、これが本編の登場人物に関わっているのなら一つの仕掛けとして「おっ」と感心させられるところなのに、どう見ても作品中に該当人物がいない。やはり作者の身の回りの実在の人物なのだろうか。それなら本文にわざわざ入れる意味はないではないか。作品の内容よりも、この点に一番の後味の悪さを感じたのは私だけではあるまい。
 

『ブラックライダー』(東山彰良/新潮社) 【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2014年版(2013年作品)3位作品。最新版のランキング作品を読むのは、2位、10位、15位、19位作品に続き、これが5作目。「ようこそ!ここは地球の歴史がいちど終わったあとの、弱肉強食の大西部」というフレーズから始まる帯のキャッチコピーには非常にそそられる。 さらに帯には、書評家とライターの最高級の賛辞が並ぶ。以前、大いに未来世界を楽しませてくれた、1000年後の日本を描いた貴志祐介の『新世界より』を思い出しつつ読み始めたのだが、実際には同じ貴志祐介の『天使の囀り』に近い部分があるので、駄目な人は駄目かも (グロい寄生虫が登場。最終的にはそのあたりは『ナウシカ』的だったが)。

 読み始めてみると、外国小説を翻訳したような文体で、百数十年後の異様な世界観を持ったアメリカを舞台に、何の説明もなくいきなり始まる物語は、正直読みづらくてしょうがない。 核戦争で科学文明は滅んでいるが、東部にはまだ文明が残っているようだ。だが、物語の舞台となっている西部は、銃と暴力が支配する西部劇の世界。インターネットを扱える人間が一部には残っているものの、主人公の50代の保安官バードは、インターネットの存在をあまり信用していない。食人が当たり前だったが最近禁止されたらしいこの世界には、遺伝子操作によって牛と人間を掛け合わせた「牛」と呼ばれる生物が生息している。昔ながらの牛はこの世界にはすでに存在せず、「牛」の中には人間と見分けが付かず人間に近い知能を持ったものもいる。次々登場する人物達は説明が最小限でイメージがつかめず覚えきれないのだが、この時代に大きな資産価値を持っている馬40頭を盗んだレイン兄弟一味を、保安官のバードが追っているらしいことは辛うじて分かる。 メキシコとの国境までレイン兄弟一味を追い詰めたバードであったが、あと一歩のところでメキシコに逃げ込まれる。しかし、バードは特に気にすることなく、共に旅してきた恋人のコーラとともにカンザスシティに帰っていく。ここまでが第1章の内容である。
 第2章では、第1章の終盤でバードも出会うブラックライダーこと、ジョアン・メロヂーヤの物語。第1章と比べると、こちらの方がはるかに読みやすい。ジョアンは「牛腹の子」と呼ばれる「牛」と人間の間に生まれながら、人間以上の頭脳を持った人物である。メキシコのヒラリオ農園の「牛」の飼育場で農園主の目にとまった彼は、弱体化した人間の代わりに、人間の遺伝子を未来に残すという目的で農園主に大切に育てられた。しかし、メキシコでグサーノと呼ばれる恐ろしい寄生虫が流行し農園にも蔓延する。この寄生虫は人間の呼気に卵を含ませ空気感染し、孵化した虫が体中に広がって感染した人間を死に至らしめるのだ。人間の呼気の色によってその人が感染したかどうかかが分かる能力を持ち、普通の人間と違い寄生虫に感染しない体を持っていたジョアンは、感染の拡大を防ぐために農園内の感染者達を次々に射殺し農園に火を放った。農園を出て寄生虫の調査をしながら北へ旅を続けていたジョアンは、8人の男に担がれた輿に乗って現れたドニャ・アドリアーナに出会う。彼女と彼女の統べる村人達に寄生虫の恐ろしさを理解させたジョアンは、アドリアーナの村・チャレアーダに1年と3か月食客として留まることになる。1年と3か月後についに寄生虫の感染者が出たチャレアーダを 、アドリアーナは放棄することに決め、ジョアンも村人達と共に再び旅を始める。海沿いの飛行場跡に作られたアビオン村に到達した一行は、村人同士が意気投合したことでアビアーダという共同体を作った。しかし、そこでも寄生虫が発生し、アドリアーナが賞金目当ての男達に殺害されると、ジョアンは感染者を射殺してアメリカへ向かうことを決意する。
 第3章では、メキシコに逃れ、ベニート・レオーネに用心棒として雇われていたレイン兄弟が、寄生虫に感染した母親がジョアンに殺されたことを知り、ベニートの元を去り、ジョアンへの復讐に向かう。アメリカ政府も、大勢の感染者を殺害しつつ、巨大化したジョアンが率いる共同体アビアーダを殲滅すべく第一次討伐隊を送るが返り討ちに遭っていた。第二次討伐隊の司令官に推薦されたバードは一度は妻子のために断るが、妻子が寄生虫に感染し死亡したことで、その要請を受け入れた。プエブロの町に滞在していたガイ、ロミオ、レスターの3人のレイン兄弟は、元保安官で、現在はアビアーダの一員となっているルースター・ボーンズが討伐隊に捕まって処刑されるところを見に行くが、そこでアビアーダによるボーンズ奪回作戦に巻き込まれる。そして彼らは、そこで信じられないものを目撃する。それは、レイン兄弟の末っ子・スノーがアビアーダの一員となってボーンズを助け出す姿であった。 すっかりジョアンに心酔しているスノーを取り戻すため、そしてかつてレイン兄弟を裏切った討伐隊第七大隊長のコーディを倒すため、ロミオ・レインはアビアーダに身を投じ討伐隊と激闘を繰り広げる。 戦いの中で多くの人々が死んでいく。バードもガイも死亡。ロミオとスノーは戦いに敗れ処刑寸前だったが、レスターによって救出される。しかし、ロミオの体はすでに寄生虫に冒されていた。
 エピローグでは、40数年後のベニート・レオーネの農園が描かれる。ずっと恋人のロミオ・レインの帰りを待ち続けていたベニートの娘・ルピータは兄達に無理矢理結婚させられた夫とも死に別れ、今日こそ死ぬのだとしょっちゅう言って使用人を困らせていた。その日も死んだ夫の夢を見て、今日こそ死ぬと思い込んでめかし込むが、孫のヘスス警部補が思わぬ物を持ってやってきた。それは、ロミオがルピータのために買い求めた髪飾りで、ヘススが担当した事件の関係者からルピータの名前が出て、ついに本来の持ち主の元に届けられたのであった。

 主人公と思われたバードは、第2章からぱったりと出番がなくなり、第3章であっさりと死んでしまう。第2章で今度こそ本命の主人公と思われたジョアンは、第3章で存在感がなくなり生死もよく分からないままフェードアウト。第3章では、最初からちらちら登場していたレイン兄弟の三男(本文中でも言及されているが、兄弟の名前、ガイ、イジー、ロミオ、レスター、スノーの頭文字が年齢順に「girls」になっているのは覚えるのに助かった)のロミオ・レインが主人公に躍り出て何となくエピローグにつながっていくが、このバラバラ感がどうも気持ちよくない。ラストシーンでは、アメリカは文明を取り戻しつつあるようだが、アビアーダ滅亡後の歴史はよく分からず、寄生虫の流行もどうなったのかよく分からない。クライマックスと思われた、第3章のアビアーダと討伐隊の戦いも言うほど盛り上がらず、どこに感動すべきなのかよく分からない作品だ。「小説の世界に風穴を開ける、圧倒的なマスターピース!」「物語を愛するすべての人へ。『ブラックライダー』を読まずして、何を読む?」「息を吸うのを忘れて、酸欠になりそうな面白さ」といった帯の賛辞は信用しない方がいい。唯一「すごい小説であることは間違いありませんが、万人にお勧めできるタイプの物語ではないので、お気をつけください」という部分は、まあ正しいかも。

『離れた家』(山沢晴男/日本評論社)【ネタバレ注意】★

 「このミス」2008年版(2007年作品)6位作品。作者はアマチュアの本格ミステリ作家(本業は大阪市職員)で、この作品が初の単行本とのこと。編者は「このミス05」3位『天城一の密室犯罪学教程』と同じく日下三蔵、出版社も同じく日本評論社ということで、少々嫌な予感。実際読んでみると予感は的中。読んでみて非常にがっかりさせられた『天城〜』や「このミス01」1位の『奇術探偵曾我佳城全集』と同様、今まで資料の少なかった過去の寡作作家の業績がやっとまとまった形で発表され、資料的価値があるということで票が集まって上位にランクインしたというパターン。本格ミステリ作家と呼ばれるだけあって、先の2作よりは読み応えがあったが、とにかく細かなトリック重視で、キャラクターもドラマもまるで面白みがなく、トリックマニア以外は正直苦痛ではなかろうか。第1章では探偵・砧(きぬた)順之介シリーズが4編収録されているが、こんなに印象に残らない探偵も珍しい。6編が収められた第2章も、もろにコナン・ドイルのホームズを感じさせる「神技」をはじめ、いずれも「ふ〜ん」どまり。第3章で、この本の表題となった「離れた家」がやっと登場し、時計、交換殺人、遺体の瞬間移動等のトリックをふんだんに盛り込んだ本格ミステリが楽しめるものの、第1章にも同じような作品があったが、分刻みのやたらと細かい時間トリックは読んでいてとにかく疲れる。理解が追いつかず途中から読み流してしまう。というわけで、トリックマニアの方以外にはオススメ しない。

『銃とチョコレート』(乙一/講談社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2007年版(2006年作品)5位作品。『GOTH』以来、久々に乙一作品に挑戦。読み始めると、子供向けに書かれたホームズやルパン、少年探偵団シリーズを読みあさっていた少年時代がよみがえってくる、そんな作品である。

 怪盗ゴディバは、国中のお金持ちから有名な宝石を次々に盗み出していた。それを追う国家的ヒーローの迷探偵ロイズに憧れる主人公の少年リンツは、新聞記者見習のマルコリーニから、怪盗ゴディバの現場に残したカードには水車の絵が描かれていること、そしてそのことは公には発表されていないことを聞かされる。ある時、駅の掃除人をしてい た今は亡き父に買ってもらった聖書から、ゴディバの盗んだ「英雄の金貨」と水車の絵が描かれた地図を発見したリンツは、さっそくロイズに手紙を書く。その後、町の不良ドゥバイヨルに襲われていた物乞いの男を助けたリンツは、ドゥバイヨルに仕返しされそうになった時、小太りのおじさんに助けられる。そのおじさんこそ、ロイズの秘書・ブラウニーで、リンツが助けた物乞いの男こそ、変装したロイズであった。ロイズはリンツの地図を調べるために首都からやってきたのだ。ここまでが、第1章のあらすじである。まさにホームズの世界だ。演出の意味もあるのであろう、文体のみならず、平仮名も多めで、いかにも少年向けという体裁で書かれているのが心憎い。

 第2章。リンツの家を訪れ、リンツの母の作ったシチューを絶賛するロイズ。貧しい画学生の変装をしていたロイズの去り際、リンツの母は彼に貴重なパンを持たせた。その後、リンツにとって暗いニュースが次々にやって来る。ホテルに滞在していたロイズの部屋からリンツの地図が盗まれた上に、首都に送った地図の写真の鑑定の結果、水車の絵の筆跡は、ゴディバの残したカードの物とは異なるという結論が出たというのだ。魚の死体がたくさん浮かんだ川の前で、リンツに謝るロイズ。失望するリンツは、せめて父の形見である地図だけでも取り返そうと、犯人だと考えたドゥバイヨルの元を訪れる。しかし、そこでドゥバイヨルの口から出た言葉は思いもよらないものであった。ロイズこそが地図を盗んだ犯人で、ロイズはゴディバの宝を独り占めにしようとしているのだと。

 そして、第3章。問い詰めたブラウニーの動揺ぶりにドゥバイヨルの言葉が真実であったことを確信するリンツ。しかし、ロイズは非を認めるどころか。町の広場で演説中に、リンツがロイズに会いたいがために風車の絵の入った地図をねつ造したと大衆の前で語り、リンツは町中の人々の冷たい視線を浴びることになる。リンツは、ロイズとグルだったガナッシュ警視に銃で撃たれながらも反撃して警視を殺害したドゥバイヨルとともに町を去る決意をする。 警視が持っていた地図は正真正銘ゴディバによって書かれた本物だった。その地図を持って列車に乗り、父の故郷、祖父が一人暮らしをしているレオニダスへ向かう二人。 そこで地図に聖書のあるページを組み合わせると、地図の地名が分かることに気がついたドゥバイヨルだったが、そこへロイズとブラウニー、そして人質となったリンツの母が現れ、地図を奪い返したロイズ達は、地図がヴィタメールという町のものだということを知るとドゥバイヨルを殴り倒して去っていった。

 クライマックスの第4章。ロイズ達をドゥバイヨルの運転する祖父の軽トラックで追いかけてきたリンツであったが、母を救出しようとするリンツを置いて、ドゥバイヨルだけが宝の在処へ向かう。母を見つけたのも束の間、リンツはロイズとブラウニーに捕まってしまう。地図に従って森の奥の風車小屋にたどり着いた一行。先に到着していたドゥバイヨルとロイズが組み合っている間に、なんとブラウニーがロイズを裏切り主導権を握る。全員を縛り上げたブラウニーは「GODIVA」と彫られた壁の下から掘り出された財宝を手に、小屋に火を放って逃げていった。何とか縄を解いたリンツ達は、「GODDIVA」と彫られた石臼の中から鍵を見つけ出し、焼け落ちる小屋から脱出することに成功する。鍵はロイズ達が泊まっているホテルの部屋のものだった。ゴディバの正式な綴りは「GODDIVA」であることを警察は隠していたのだ。それを知らずに偽物の財宝を持って逃げようとしたブラウニーは追ってきたドゥバイヨルを撃とうとして銃が暴発し崖下に転落した。

 ラストのエピローグ。目的の部屋に入るとそこにはすでに財宝はなかった。ゴディバが貧しい人たちに分け与えるために換金するべく別の場所に移した後だったのだ。そして衝撃の事実が明らかになる。ゴディバの正体は、リンツの亡き父だったのである。そして、母はそのことに気づいていた。だから、ロイズがリンツの家に現れた時、母がロイズに渡したパンには毒が塗ってあったのだ。そのパンはロイズへの好意の表れではなく、父の秘密を守るためのものだった。ロイズが悪人だったため、そのパンは川に捨てられ、その結果多くの魚が死んだのだ。リンツ親子は祖父の元で暮らすことにし、リンツは、母の運転する軽トラックの中で、将来「英雄の金貨」をデザインしたチョコレートを売り出す夢を膨らませるのだった。

 以上が、この物語のあらましであるが、書き切れていない仕掛けが他にもたくさんある。この少年向け探偵小説の王道の1冊を、早速自分の子供に読ませてみようと決めた。 限りなく★★★に近い★★。

 

2014年月読了作品の感想

『リカーシブル』(米澤穂信/新潮社) 【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2014年版(2013年作品)7位作品。最後まで一気に読ませる面白さ。これは★★★確定だと思いながらラストシーンに突入したら、あまりのあっけなさに拍子抜け。そういえば同じ米澤作品である『インシテミル』や『ボトルネック』もこんな感じだったような気がする。こういう作風なのだろうが、これはやはり賛否あることだろう。個人的には、ハッピーエンドでも、そうでなくてもかまわないので、もっとすっきりした読後感を味わいたい。あらすじは以下の通り。いつも通りネタバレがあるので、これから本書を読むつもりのある方はご注意を。

 会社のお金に手を出した父が失踪し、血のつながっていない母と弟のサトルとともに母の故郷・坂牧市に引っ越してきたたハルカは、中学1年の新学期にリンカという友人ができ、新生活は順調なスタートを切ったかに見えた。そんな中、小学3年のサトルは、登校途中にある報橋(むくいばし)では人が落ちたことがあ るというように知っているはずのない過去のことを知っていたり、ハルカと一緒に行った商店街の福引きで誰かが大当たりすることを予言したり、福引きの会場から逃げた置き引き犯の居場所と 彼が持っている凶器を言い当てたりと、特殊な能力を発揮し始める。社会科の三浦先生に何気なく予知能力のある子供の話を切り出したハルカに対し、三浦先生は、この 坂牧市の常井地方に伝わるタマナヒメの伝説について書かれた本「常井民話考」を貸してくれた。それによると、江戸時代に常井村の不正を免除してもらうためにお役人 に陳情し村を救ったお朝という女の子が自殺した後、タマナヒメの生まれ変わりだと村人が言ったという話があり、その初代のタマナヒメは平将門の娘であり、常井村の人々が匿ってくれた御礼に、生まれ変わっても村を守ると約束したという伝説 があるということであった。その後、寂れたこの町には、高速道路誘致に積極的なグループとそうでないグループがあること、そして、積極的なグループが五年前に町に呼んだ水野教授が報橋から転落して死亡し、誘致に有利になる「水野報告」と呼ばれる報告書が行方不明になり大人達が必死に探していることが明らかになる。
 三浦先生からタマナヒメの話を改めて聞くことになったハルカは、お朝の話がマイナーなものであること、有名なのは明治期に鉄道反対運動に荷担した芳子の話であることを教えられ、他に2人のタマナヒメの名前の書かれたプリントをもらう。タマナヒメと思われる女性の要望を聞き入れた男性のうち3人は佐井川へ転落して溺死していた。その後ハルカは図書館で水野教授の事故について調べ、サトルの言う、報橋から落ちた男性が「太ったおじいさんで学校の先生」という話が正しかったことを知る(ここでハルカが、三浦先生からもらったプリントに載っていた謎の多い4人目のタマナヒメ・常磐サクラの焼身自殺が新聞記事に出た日と、水野教授の死亡日が同じであることに気がつかないのは不自然だと読者は思うだろうが、後で気がついていたことが分かる記述がある)。そしてリンカは、三浦先生の話とは全く異なるタマナヒメの現状について教えてくれた。タマナヒメの伝説は形骸化し、今では町の宴会の挨拶係になっており、現在のタマナヒメ・宮地ユウコという女子高生をハルカに紹介してくれたのである。リンカとユウコと別れた後、ハルカは坂の途中で立ち尽くしているサトルに出会う。そこから見える家にサトルは過去に住んでいたと主張する 。
 リンカとフリーマーケットに出かけたハルカは、そのフリーマーケットが「誘致を考え直す会」を妨害するために急遽企画されたことを知る。そして、その夜、報橋の上で車が炎上するのを目撃するハルカ。ハルカは、次の日学校で、その車の事故を起こし入院したのは三浦先生であることを知り驚くが、帰りに事故現場を訪れ、そこで先に 帰ったはずのリンカがサトルの耳元に何かをささやいている姿を目撃 する。三浦先生のお見舞いに行ったハルカは、三浦先生から衝撃の事実を知らされる。警察が信じてくれたかどうかは分からないが、何者かに車をぶつけられ事故を起こしたこと、ハルカに貸した「常井民話考」という本は坂牧市内の全ての図書館・図書室から盗まれて存在していないこと、またその本の編纂に関わった人全員が不審死していること、その本の後に刊行された「坂牧民話集」にはなぜかタマナヒメに関する記述が一切なく現在でも普通に購入できること、先代のタマナヒメ・常磐サクラの焼身自殺の真相は放火によるものであるという噂が広く信じられているということなどである。 そしてタマナヒメは庚申日の七日前から肉と魚と五葷(ごくん=ニラやネギなどの匂いの強い野菜のこと)を絶って身を清めるという話から、ハルカはあることに気がつく。そして常磐サクラが焼死した時に目撃者がいたことを言い当てるハルカ。
 ハルカの家に、疾走している父から離婚届が送られてくる。母は父と正式に離婚することで、血のつながりのないハルカに中学卒業までしか面倒を見ないことを暗にほのめかす。翌朝リンカが欠席しているクラスはハルカに冷たかった。そして帰宅するとサトルが誘拐されていることが分かる。それなのにサトルを探そうとしない母。ハルカはすべてを理解する。サトルは間違いなく過去にこの町に住んでいた。だから過去にこの町で起こったことを当然知っている。そして町の人たちが、意図的に過去の出来事を再現していることの結末も予言できてしまうのは当然であった。一度もサトルを連れて来たことがないというのは母の嘘だ。常磐サクラの死を目撃し、いつその詳細を思い出すかも分からないサトルを、母はこの町の狂信的な「講」に売ったのだ。ハルカは、サトルが過去に住んでいたらしき家に忍び込み、サトルが隠していた「水野報告」が入ったMOを発見する。そして、深夜、真のタマナヒメ・リンカに取引を持ちかける。タマナヒメを自称するユウコが平気で本来絶つべき肉のサラミを食べ、リンカがフリーマーケットで注文したソバからネギをのけていたのを思い出したハルカは、リンカこそ本当のタマナヒメであることに気がついたのである。リンカと「講」の計画は、サトルに、過去と同じように庚申堂の中でタマナヒメのリンカが焼死する様を見せてMOの隠し場所を思い出させようという恐ろしいものであった。しかし、MOを渡すとリンカはあっさり計画を中止し、サトルを解放。ハルカは、サトルを背負って帰途につく。タマナヒメの転生について思いをめぐらせながら。

 冒頭で述べたように、やはり結末がそっけなさすぎる。「講」の全貌も、タマナヒメの転生についても謎のまま。それは、作品の余韻としてそのような扱いにするのも理解できなくはないが、あっさりと手を引いて姿を消してしまうリンカがあまりに物足りない。また、町を挙げての陰謀という壮大なトリックは非常に面白いアイディアだと思うのだが、その不気味さ・恐怖が今一つ伝わってこない。映画的に、もっと町の人々の狂信的な怖さを表現した方が良いのではないか。町の汚れ仕事を引き受けているらしいマルさんという人物も2回ほどちらりと出てくるだけ。せっかくの面白いアイディアなのに、とにかく中途半端な感じが否めないのだ。姉弟愛を描いた作品と言う見方もしたいのに、あちこちで弟想いハルカの姿を描きながらも、こちらも今一つ中途半端で感動できるところまでいかない。エピローグでそれを表現するのかと思いきや、ハルカ視点による、この町の謎の再確認の解説のような形になっていて、どうにもすっきりしない。オススメするに値する作品だが、個人的には、ものすごく惜しい1冊。

『生存者ゼロ』(米澤穂信/新潮社) 【ネタバレ注意】★★★

 2013年第11回「このミス大賞」受賞作品。勤めていた国立感染症研究所を追われ家族も失った感染症学者の富樫裕也と、若い部下を自分の不注意で失った陸上自衛隊の廻田三等陸佐の二人を軸に物語 が進んでいくパンデミック(流行病)・サスペンス。 いろいろと突っ込みどころはあるのだが、それらを差し引いても十分に面白かった。大絶賛というわけにはいかないが、個人的にギリギリの★★★。次回作に期待したい。あらすじと具体的な突っ込みどころは以下の通り。

 【第1章】 国立感染症研究所 の予算削減に抗議して更迭された富樫は、妻子を連れて中部アフリカのガボンに移住。そこに研究施設を建て、新種の微生物を探す研究を行っていたが、妻は新種の感染症に感染して死亡、ジャングルを彷徨った末、気を失った富樫が救出された時には、背負っていたはずの3歳の息子は行方不明になっていた。その2年後、北海道沖に浮かぶ東亜石油の石油掘削プラットフォームTR102基地から連絡が途絶えた。たまたま近くで演習を終えたばかりの廻田が隊員10名を率いて乗り込んだが、そこで見たものは職員全員の皮膚が溶解した無残な死体であった。 事件から6日後、つくば市の理化学研究所に職を得ていた富樫は、強制的に官邸に連れて行かれ首相から協力を要請される。かつての勤務先である国立感染症研究所へ移送された富樫は、かつて自分をその座から追い落とした細菌第一部長の鹿瀬からも協力を求められ、しぶしぶその仕事を引き受けるが、事件から4週間後、鹿瀬の挑発に乗って暴行を働いた富樫は研究所を追い出されてしまう。事件から30日後、ようやく隔離病棟から解放された廻田は、感染こそ免れたものの、作戦に参加していた若い部下の館山三曹の自殺未遂に衝撃を受ける。しかも、館山の希望で廻田が彼を屋外に連れ出した時、廻田が目を離した隙に館彼は再び飛び降りて死亡。廻田への処分は、市ヶ谷の中央情報隊への転属であった。
 【第2章】 事件から9か月後。北海道の川北町で再び惨劇が起こる。上司の命令で空中から現場の撮影を命じられたのは廻田であった。官邸で危急の課題は国会対策ではなく今後の防疫体制であることを訴える廻田であったが、首相は相手にしようとしない。再び官邸に呼ばれた富樫であったが、首相の責任を追求しようとする不躾な態度に、すぐに追い出される。さらに、妻子を失って以来、精神の安定を保つために麻薬に手を出していた富樫は、その後警察に逮捕されてしまう。一方、政府に愛想を尽かした寺田陸上幕僚長に、極秘に情報収集を行うよう命令された廻田は、2度目のパンデミックから1週間後、防護服を着用してその現場に足を踏み入れる。そこで抱いた感想は、感染症が発生したと言うよりは、敵軍に夜襲をかけられた混乱を想像させるというものであった。そして実際に信号機の横に取り付けられたCCTVカメラの映像を確認すると、狂ったように走り回り、その後恐ろしい勢いで人々の肉体が破壊される人々の様子が映し出された。いったい、人々は何に怯え屋外に飛び出したのか。この町ではいったい何が起こったのか。
 【第3章】 2度目のパンデミックから2か月後、今度は北海道の足寄町で3度目のパンデミックが発生し、官邸はパニックに陥っていた。最初の通報から7時間で感染者の数は少なく見積もっても8万人、しかも全員死亡である。寺田は自衛隊全部隊への治安出動待機命令を首相に要請するが、首相は、事態への対処はあくまで自治体を主体とすべきという姿勢を崩さず、政府主導の対応を懇願する北海道の田代知事を黙らせた。首相に失望した寺田にとって、残る希望は廻田だけとなった。その頃、富樫は国立精神神経センター八王子病院で禁断症状と闘っていた。そこを訪ねてきた鹿瀬と、かつて富樫の部下だった山形。山形が残していったメモに富樫は激高する。4年前に予算削減に対する抗議行動を起こして富樫が更迭されたのも、その後釜に鹿瀬が納まったのも、富樫がコカイン常習者であることを警視庁公安部に告発したのもすべて鹿瀬の謀略であった。しかも、妻の発症に際し富樫がガボンから出していた救助要請を握りつぶしたのも鹿瀬だったのだ。そして富樫は、「お前がすべてを殺すのだ」と語る神の幻覚を見る。
 感染地帯に取り残された発症していない人々も非常線を超えて移動することは許されず、治安部隊と衝突を起こしていた。そのような状況の中、廻田は専修医の伊波から発見された細菌についての報告を受ける。TR102、川北町、足寄町の遺体から発見されたものと、川北町の土壌から発見されたものが異なること、また、この細菌は大気レベルの濃度の酸素に触れると20分程度で死滅すること、つまり土壌中から気中に出たあと僅かな間に人間に感染し劇的に活動することなどである。そして廻田は、全てのパンデミックが新月の夜に起こっていたことに気がつく。 次の新月までに謎を解かなくてはならない廻田は富樫を保釈させ協力させる。脱走し鹿瀬を殺そうとした富樫を捕らえた廻田は、富樫に対し、北海道へ連れて行くことを宣言する。
 【第4章】 TR102に調査に向かうに当たってセレネスを注射された富樫は平静を取り戻す。TR102でシロアリの大群に襲われ、辛うじて帰還した2人は、昆虫学者の弓削亜紀の協力を得てついに1つ目の謎を解く。TR102の被害者は感染症によって死亡したのではなく、東亜石油が地下五千メートルから掘り当てた細菌に感染し凶暴化したシロアリに襲われたことが判明したのである。次は2つ目の謎、シロアリが北海道へ上陸するのが不可能である以上、どうやって細菌は上陸できたのかということである。弓削は削孔水を処理する産廃処理業者の関与の可能性を指摘する。弓削の父は、 乗っていた船が、この産廃処理業者・高城興業の所有する船と接触事故を起こして死亡しており、彼女は高城興業を怨んでいたのだ。 その後の調査で、高城興業の船から別の産廃処理業者・北見興産が削孔水を抜き不法投棄していたことが判明。
  【第5章】 運命の日が翌日に迫り、首相官邸とTV会議に臨む廻田、弓削、伊波、医務官・広瀬の4人であったが、首相の大河原をはじめ、危機的状況に判断を下せない政府の連中を見限るしかなかった。廻田と伊波はシロアリ撃退の任務に就き、広瀬は師団司令部へ、そして弓削は富樫と共に青森へヘリで非難することになるが、陸上自衛隊の防衛線はシロアリの大軍にあっけなく突破され、弓削と富樫の乗ったヘリは羽アリの大群と衝突して墜落。弓削と富樫の救出に向かう廻田であったが、その途中、次々にシロアリに襲われて部下を失う。2人の無事を確認したものの、特殊爆弾によって札幌を焼き払う決断をした首相に呆れる廻田。その時シロアリ同士が争っている様子を見た弓削は、シロアリが集合フェロモンと警報フェロモンを分泌していることに気がつき、それを利用すればシロアリを誘導して殲滅することができると提案する。しかし、彼らの潜んでいた場所にも遂にシロアリが襲ってくる。富樫は赤ちゃんを救って絶命するが、廻田と弓削は脱出に成功、弓削の提案が首相を動かし爆撃も中止された。
 【終章】 ガボンの富樫のかつての研究施設を訪れる廻田。廻田は富樫のノートの最後のページに、富樫の走り書きを見つける。「これこそが人類の運命を決する。下弦の刻印の意味を知るべきだ」

 突っ込みどころとして、まず気になったのは、第1章で感染症研究所に呼ばれた富樫が、どれくらい研究を進められたのかもよく分からないまま、鹿瀬の策略であっという間に放逐されてしまうところ。必死の研究の末、もう少しで富樫が真実に到達しそうな状況になった時に、ライバルにその成果を横取りされるという展開なら分かるのだが、そこまで富樫が苦労した感じも表現されず、何の前触れも盛り上がりもないまま、政府の肝いりで研究所に戻ってきた富樫が突然追い出されるのは違和感ありまくり。第2章の冒頭にも違和感。警察署が駐在所から受けた電話の向こうから聞かれる銃声。シロアリの大群相手にいくらパニクったからといって警官が発砲するだろうか。事件の原因は病原菌以外の可能性もあると (テロリストによる攻撃とか)、読者を強引にミスリードしようとしている感じ。そして、政府の愚かさをさらけ出す第3章。結末での政権交代の描写からも分かるように、失策続きで自民党から政権を奪回された民主党を 暗示しているのは明らかだが、ここまでまともな判断のできない首相はそういないだろう(第5章での首相の暴走ぶりも半端ない)。第4章以降で、廻田と弓削が 急に惹かれ合うようになるのにも違和感。もう少し人間ドラマを描き込まないと、薄っぺらなロマンス小説になってしまう。同様な理由で、第5章の4人のチームの描かれ方にも違和感。いかにも苦楽を共にした結果、結束の堅いチームになったみたいな話になっているが、そこまで結束が固まるような描写がどこにあったのか。あれだけ暴走していた首相が、ラストで簡単に爆撃中止 要請を受け入れるのも拍子抜け。そして一番の問題の終章。富樫の残したメッセージが象徴的すぎてよく分からない。本作の原題は「下弦の刻印」 という名称で、ネット上には、このままの方が良かったという意見も多いが、分かりにくいキーワードをタイトルにするよりは、B級パンデミック・サスペンス小説(テイストの似た『ジェノサイド』などと比較するとどうしてもそういう位置づけになる)であることがストレートに読者に伝わる「生存者ゼロ」の方が良いという編集者の判断だったの だろう。

『アリス殺し』(小林泰三/東京創元社) 【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2014年版(2013年作品)4位作品。主人公は大学院生の栗栖川亜理(くりすがわあり)。いつの頃からか、夢の中で「不思議の国のアリス」の世界に迷い込むようになり、その世界の中でアリスとして彼女は生きている。そして、その不思議の国で次々に登場人物が死亡し、アリスが容疑者扱いされる。ここまでは何とか理解できるとして、この先がすごい。夢の中で誰かが死ぬと、現実世界でも亜理の身近で誰かが死ぬのである。しかも、死亡した人物も含め、亜理の身近には亜理と同じ夢の世界を共有している人物が数多く存在しており、彼らは不思議と簡単にその事実を認めていく。最初に夢の世界の共有の事実を亜理に知らせた井森建は、この現象を「アーヴァタール現象」と呼んだ。これは一体どういうことなのか。とにかく奇想天外な舞台設定である。さらに文章も独特で、ほぼ会話文のみ、地の文は最低限しかない。不思議の国の世界での、頭のおかしい登場人物達のふざけた会話の応酬には、慣れるまでかなりイライラさせられもする。「不思議の国のアリス」の世界観もある程度知っていた方が良い(きちんと呼んだことがなかったのでネットで一応予習)。

 最初に、現実世界と不思議の国の世界での、序盤の登場人物の対応表を記録してお く(ちなみにこれらは本書の前半部において自己申告されたものであり、この中に嘘をついている人物がいる)。@栗栖川亜理(中沢研の学生)=アリス(探偵を気取る帽子屋と三月兎から、ハンプティ・ダンプティとグリフォンの殺害容疑をかけられている)、A王子玉男(玉子という綽名の博士研究員・屋上から転落して死亡)=ハンプティ・ダンプティ(塀から転落して死亡)、B井森建(亜理と同学年で石塚研の学生)=蜥蜴のビル(頭が悪く記憶力がほとんどない)、C田中李緒(亜理の1年先輩の女子学生)=白兎(ハンプティ・ダンプティの死亡した庭に出入りしたのはアリスだけだと主張するオスの兎)、D篠崎教授(牡蠣中毒で死亡)=グリフォン(牡蠣をのどに詰まらせて死亡)、D広山衡子(ひろやまとしこ・篠崎研の准教授)=公爵夫人(自称女王のライバル)、E田畑順二(篠崎研の助教)=ドードー 、F谷丸(今回の事件を捜査している警部)=?(帽子屋と思わせておいて…?)、G西中島(今回の事件を捜査している巡査)= ?(三月兎と思わせておいて…?)、H武者砂久(李緒を刺殺した覚醒剤中毒者)=スナーク(何者かによって白兎に送りつけられたブージャム)。あらすじは以下の通り。

 【王子の死】転落死したハンプティ・ダンプティの遺体を調べる帽子屋と三月兎の夢を見た亜理は、実験のための蒸着装置の予約を譲ってもらうため接触した井森に、「スナークは」と語りかけられ、全身に電撃のような悪寒が走る。それは夢の中で蜥蜴のビルと取り決めた合い言葉の問いかけだったからである。夢で見た通り「ブージャムだった」と答えてしまった亜理は、現実と自分の夢の世界がつながっていること、そしてそれが他人の夢ともつながっていることを認めざるを得なくなる(スナークとは「不思議の国のアリス」の作者、ルイス・キャロルによるナンセンス詩「スナーク狩り」に登場する架空の生物。スナークには様々な品種があり、中でも最も危険なものがブージャムである。ブージャムに出くわした者はこの世から消滅してしまう)。井森は、死んだ王子が、夢の世界でハンプティ・ダンプティであったと認めていたことも語る。夢の世界でハンプティ・ダンプティが死亡した直後に王子が死亡したことで、井森は、夢の中のアリスがハンプティ・ダンプティ殺害の容疑で有罪判決が下って死刑になると、現実世界の亜理も死んでしまうと断言する。
 【篠崎の死】夢の世界のアリスの無罪を証明するため、夢の世界と現実の世界で捜査を開始する2人に対し、夢の中で白兎が現実世界での田中李緒であることを告白するが、その直後グリフォンの死亡が明らかに。そして現実世界ではグリフォンと同じ死因で篠崎教授が死亡していた。篠崎研で、教授の突然死に戸惑う准教授の広山と助教の田畑は、亜理と井森に、自分たちも夢の中で不思議の国の住人であることをあっさり認めるが、多忙を理由に2人の捜査に対しては協力的ではなかった。現実世界で2人に近づいてきた谷丸警部と西中島巡査は、自分たちが明らかに夢の世界の住人であることを臭わせて、亜理と井森が夢の世界で誰に該当するのか聞き出そうとするが、2人は危険を感じて返答を拒否。彼らは一旦は退散する。
 【李緒の死】まずは李緒を調査しようと決めた亜理であったが、昼下がりのキャンパス内で亜理と話していた李緒は、亜理の目の前で包丁を持った男 ・武者砂久に刺殺され、男もその場で自殺してしまう。 夢の世界での李緒、つまり白兎は、何者かによって送りつけられたブージャムによって消滅させられていた。女王がアリスを捕まえたがっていることから女王が一連の事件の真犯人ではないかと疑われたが、女王にはアリバイがあった。また、井森は助教の田畑の奇行にに注目する。広山に確認すると、田畑は篠崎から多くの仕事を押しつけられていたことが判明する。井森の田畑真犯人説に、亜理は「不思議の国でグリフォンを殺しても、現実の世界では殺人は成立しない。だけど、篠崎先生は死ぬ。一種の完全犯罪と言えるわね」と同意する。2つの世界の間の死のリンクを絶つことを誓う亜理に対して、広山は協力を約束し、両方の世界で田畑=ドードーを追求することになる。
 【井森の死】その後、真犯人に至る重要な事実に気がついた井森であったが、夢の世界の蜥蜴のビルは、アリスの前でそれを上手く思い出せない。現実の世界に戻ってから聞けばよいと思っていた亜理だったが、何者かによって公爵夫人の家の裏の物置小屋に呼び出された蜥蜴のビルはバンダースナッチに食い殺され、現実世界では泥酔して路上で眠っていた井森が野良犬に食い殺されていた。
 【広山の死】蜥蜴のビルが残した「公爵夫人が犯人だということはありえない」というダイイングメッセージから、亜理は、白兎の家政婦のメアリーアンこそが広山であり、真犯人であることに気がつく。目の悪い白兎はハンプティ・ダンプティ殺害犯を目撃したわけではなく、匂いでアリスだと思い込んでいた(白兎がメアリーアンとアリスを間違えるシーンは「不思議の国のアリス」の中でも描かれている)。メアリーアンとアリスが似た匂いを持っていることで、白兎がこれまでに何回か2人を勘違いしたことがあったことに思い至ったのだ。メアリーアンしか知り得ない事実を広山が知っていたことで、亜理は彼女が真犯人であると確信したのだ。10年以上前から夢の世界の存在に気がついていた広山は、自分を教授に推薦しなかった篠崎教授に恨みを抱き、ハンプティ・ダンプティを人違いで殺害、その後、グリフォンこそ篠崎教授のアーヴァタールであることを突き止め彼を殺害したのである。追い詰められた広山は、亜理の目の前で鋲打ち銃で自殺してしまう。夢の世界で、自分の無罪を証明できる人が全ていなくなってしまい途方に暮れるアリスの元に、メアリーアンが真犯人であることを知っているというフードをかぶった女性が現れる。彼女に付いていったアリスは彼女の罠にはまり、白兎の家で鎖につながれてしまう。フードの女性の正体はメアリーアンであった。白兎の研究を盗んでいた彼女は、不思議の国こそが本当の世界であり、地球こそが夢の世界だと言う。不思議の国で死んだ者は地球上でも死ぬが、その逆はないというのだ。メアリーアンは残酷な方法でアリスを殺害するが、アリスは死ぬ間際にポケットから眠り鼠を逃がす。
 【結末】地球上で復活した広山の前に現れる死んだはずの亜理。何とアリスのアーヴァタールは亜理ではなく、亜理の飼っていたハムスターで、いつもアリスのポケットにいた眠り鼠のアーヴァタールこそ亜理だったのだ。広山は、 自分の犯した罪の数々の自白を亜理に聞かれたくらいでは問題ないと考えていたが、谷丸警部と西中島巡査もその自白を聞いていた。しかも、彼らは不思議の国での 実力者である女王と公爵夫人であったことから、不思議の国ではメアリーアンの死刑が執行される。地球での広山も電車にはねられ瀕死の状態となり、めでたしめでたしと思いきや、メアリーアンが無茶なことをやりすぎたせいで、地球の世界は崩壊を始める。その影響で地球の世界に出現したチェシャ猫は、 亜理に対し、「夢の世界を作り出す赤の王様が再び眠りにつけば、また、すぐ次の地球の夢を見始める」と語り、亜理は 崩壊していく世界の中で「次の地球がいい地球でありますように」と祈りながら物語の幕を閉じる。

 現実の登場人物達があまりにもあっさりと自分のアーヴァタールを明らかにすることから、誰かが嘘をついており、それが真相につながっているのだろうという想像はつくのだが、広山の正体がメアリーアンであり真犯人であるとは簡単に分かりそうにない。それなりに作品中にヒントは散りばめられているのだが、気がつく読者は果たしているのだろうか。メアリーアンは作中にチラチラ登場はしており気にはなるのだが、彼女が白兎の家政婦であることすら「不思議の国のアリス」を熟知している人でないと終盤まで分からない。これは少々フェアではない気がする。しかし、そんなことは些細なこと。本当の世界が、地球の世界ではなく不思議の国の世界の方であ ったこと、亜理=アリスではないというどんでん返し、さらには地球の世界が崩壊してしまうラストは強烈の一言。「このミステリーがすごい!」にピッタリな作品であることは間違いない。このランキングは良いか悪いかではなく、すごいかすごくないかという基準で選ばれている のでは?と言うことはよくあるので。このとんでもない世界観と、あっと思わせる終盤の急展開を見せられると、個人的評価としては限りなく★★★を付けておきたいところなのだが、前述したように、あまりにも馬鹿げた会話文にイライラさせられることと、「不思議の国のアリス」の前知識が必要なこと、不必要にグロい描写の連続 が不快なことなどをマイナスして★★にしておく。

『ビブリア古書堂の事件手帖5 〜栞子さんと繋がりの時〜』(三上延/角川書店)★★★

 前作のシリーズ第4弾が、ついに「このミス」2014年版で19位にランクイン。シリーズがランクインされる前から読み続けていた者としては感慨深いものがある。今回も発売されて間もないシリーズ第5弾をランクインに関係なく読むことに。 結論から言えば、個人的には文句の付けようのない作品。好みの問題もあるかもしれないが、シリーズもので今これだけ楽しく読めるものは少ない。さんざん盛り上げておいて、ラストで不幸のどん底にたたき落とす展開はちょっと酷だが、次回作以降でハッピーエンドが待っていることに期待しよう。

【第一話「彷書月刊」】大輔は、同業の滝野蓮杖から、古書に関連したテーマを扱う雑誌「彷書月刊」を売りに来ては買い戻すという奇行を繰り返す年配の女性がいるという情報を仕入れるが、その女性がついにビブリア古書堂へ現れる。失踪した夫を捜すために、夫の蔵書を売ったり買い戻したりしていることが分かった大輔は、常連であるせどり屋の志田が最近連れてくるようになった年配の紳士こそ彼女の夫ではないかと考えるが、栞子は、彼女の夫が志田であることを見抜き、彼女の伝言を志田に伝える。以前から栞子の様子を智恵子に伝えていた志田に対し、大輔の告白に返事をする前にどうしても母の智恵子に会いたいと告げる栞子であったが、志田は、現在、智恵子と連絡が取れなくなっていた。
【第二話「ブラック・ジャック」】滝野蓮杖の妹であり、栞子の親友である滝野リュウから、高校の後輩・真壁菜名子の父の漫画のコレクションから「ブラック・ジャック」が何冊かなくなったので相談に乗ってやってほしいという依頼が栞子の元に舞い込む。盗んだのは、菜名子の弟の慎也であったが、慎也は、母親が危篤の時に、父親がすぐに病院に駆けつけず、古書店に立ち寄って「ブラック・ジャック」を購入したことで、母が脳死状態になる前に病院に着けなかったことをずっと怨んでいたのであった。栞子は、その本が稀少な初版本であり、菜名子と慎也の両親にとって若い時に貸本屋で見つけた思い出の本であったこと、そして、父親が買ったのはその貸本屋が閉店セールで売りに出していた、まさにその本であったことを突き止め、慎也に真相を語る。父親が母親の意識を取り戻させるために買い求めた本であることを知った慎也は、栞子の父親と和解するようにという話を素直に聞き入れるのであった。
【第三話「われに五月を」】ある日突然、篠川家に押しかけてきた門野澄夫は、栞子が一昨年、盗品をビブリア古書堂へ持ち込んだことで店への出入りを禁止した人物であった。澄夫は、栞子に対し、亡くなった兄の勝己から寺山修司の「われに五月を」の初版本を譲ってもらえることになっていたのに、以前からトラブルメーカーだった彼は家族から信用してもらえず、もらえるべきものがもらえないので何とかしてほしいという依頼をする。調査を始めた栞子は、澄夫が幼い時に、勝己の大事なコレクションの1つであった寺山修司直筆の下書き用紙を落書きに使ったことが勝己の怒りを買い、それ以降2人の仲は悪いままであったことを知る。やむをえない事情と思われたが、栞子は真相を突き止める。当時、勝己のために貴重な商品を仕入れてきていたのは智恵子であり、結婚前から勝己の家に出入りしていた勝己の妻・久枝は、智恵子の話ばかりする勝己が許せなくなり、つい彼が最も大切にしていた寺山修司の直筆を消してしまったのだ。そのことにあとで気がついた勝己は、澄夫と仲直りするために初版本の譲渡を澄夫に申し出たのであった。栞子の元に持ち込まれる相談は、すべて栞子の力を試す智恵子からの課題であったが、智恵子と会う決心をした栞子の前に智恵子がついに姿を現す。智恵子が母と会いたがったのは、智恵子と父との関係を聞き出し、自分が智恵子と同じように突然大輔の前から消えるようなことにならないようにしようと思ったからであった。智恵子は、栞子も自分と同じ道を歩むであろうと断言し自分のパートナーとして栞子を連れて行こうとするが、栞子は大輔を選んだ。大輔の求愛を受け入れるという栞子の返事に驚く大輔であったが、喜びも束の間、栞子に大怪我を負わせながら保釈中だった田中敏雄からの脅迫状が店に届き、2人に不吉な影を落とす。

 マニアでなくとも本好きの人には、こんなに楽しい作品はそうないだろう。恋愛小説でもあるが、古書の魅力、ミステリの魅力、そしてキャラクターの魅力が前面に出ているため、微笑ましくはあっても、恋愛ものにありがちな恥ずかしさやいやらしさは全く感じない。★★★で。

『リバーサイド・チルドレン』(梓崎優/東京創元社) 【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2014年版(2013年作品)6位作品。デビュー作『叫びと祈り』は次回作に期待を抱かせるものであったが、本作は果たしてどうか。前半は、あまりミステリー色はなく、あることがきっかけでカンボジアでストリート・チルドレンにならざるを得なかった日本人少年と、その仲間達との、過酷でありながらも自由で生き生きとした幸せな生活が描かれ、そこに次第に死の影が忍び寄ってくるという展開である。観光化が進むカンボジアの暗部ともいうべき社会問題に光を当てつつ、少年少女のまわりで起こる様々な出来事が色彩豊かに描き出されている(良い出来事にも悪い出来事にも「色」は頻繁に印象的に用いられている)。後半の謎解きはいかにもミステリーであるが、これには賛否が分かれるところであろう。終盤で突然現れる探偵役は名前も名乗らず、主人公を真相に導いた途端にフェードアウト。こんなパターンはそうない。『叫びと祈り』の主人公・斉木のようだが、その作品を知らない読者には、この展開は異様としか感じられないではないか。事件の真相も読者によっては唖然とするのではないか。教養のない子どもが、あることを証明するために自分なりに必死に考えた末に行った犯罪なのだが、それを切なく思える読者がいる一方で、馬鹿馬鹿しく感じられる読者もいて当然だと思う。犯人をあえて生死不明とする意図もよく分からない。過酷な状況で人間として必死に生きようとする子どもたちに僅かでも希望を残そうというものと思われるが…。個人的に評価は微妙。

 交通事故で母と弟を亡くした水澤岬は、小学校を卒業したばかりの3か月前に父とカンボジアに旅行に来ていたが、父の旅行の目的が岬の臓器を岬ごと業者に売り飛ばすことであることを知りホテルから逃げ出した。ヴェニィをリーダーとするストリート・チルドレンのグループの仲間入りをした岬は、明るく聡明で面倒見の良いヴェニィ、ヴェニィの兄で足が不自由なソム、金持ちの親に見捨てられた泣き虫なハヌル、大柄で荒っぽい副リーダーのティアネン、岬がフラワーと呼ぶ美少年のフラウェム、そして長髪で神経質なコンという仲間と共に、ゴミ山から拾った金目の物を工場に売って生計を立てていた。街と山との間にある遺跡に住み着く「墓守」と呼ばれるグループに絡まれたり、ストリート・チルドレンを助ける活動をしているNGOで働くストリートエデュケーターのヨシコにしつこくホームへ誘われたりしている中で、ある日、「黒」と呼ばれている私服警官にヴェニィが射殺され、ティアネンも耳を撃たれる。ヴェニィを失い、気分を損ねてゴミ山へ「狩り」に行くことも拒絶するティアネンを残し山へ出かけた岬達であったが、みんなの収入を独り占めしたコンは岬に殴られて逃げ出す。自分を殴った岬に復讐するため、「墓守」に自分たちの隠れ家を教えてしまうコン。警官に住処を襲撃され仲間の1人ルウを射殺された「墓守」は、岬のグループが警察に「墓守」の住処を教えたことで襲われたに違いないと考え、岬のグループの隠れ家を襲撃する。逃げ出す途中で木の枝に激突して気を失うが、意識を取り戻した岬は、新聞紙に埋もれた「墓守」のリーダーのザナコッタの撲殺された遺体を発見し再び意識を失う。岬は、雨乞いと呼ばれ周囲から忌み嫌われている老人に救われるが、そこには崩壊した「墓守」の元にいた少女ナクリーもいた。最近街には警官が増え、ゴミ山に運び込まれるゴミの量が減るという、岬達にとっては困った変化が起こっていたことについて、観光客が増加したカンボジアで、さらなる観光収入を得るための国の政策によるものであったことを雨乞いに教えられる岬。なぜ、子どもたちが次々に殺されるのか調べるためナクリーと共に遺跡を訪ねた岬は、顔一面を血で赤く塗られたティアネンの遺体を発見する。そこをヨシコに目撃された岬は、ヨシコが父の手先であり、そのことを知られたティアネンは口封じのために殺されたのではないかと考える。ナクリーにその可能性を否定された岬は、次に自分たちの隠れ家へ向かうが、そこでコンと「墓守」のメンバーの1人が衰弱しているのを発見し、さらに川の向かい側の小屋の中でソムの遺体を発見する。衰弱している2人を助けようと岬達は彼らを医者の元へ運ぶが、そこでは売春が行われており、「黒」もその仲間で、岬達はその地下に監禁されてしまう。同じ部屋に監禁されていた若い日本人の男に全てを告白した岬であったが、その男は監禁犯のチェックを逃れた携帯電話で警察に助けを呼ぶと、事件について検討を始める。ザナコッタ、ティアネン、ソムの3人を殺したのは一体誰か。岬はソムこそが犯人であるという推理を披露する。愛する弟のグループを襲った「墓守」のリーダーに復讐し、副リーダーとしてグループを守ろうとしなかったティアネンを始末して、自殺をはかったというものだ。しかし、旅人と自称する若い男はその推理を否定し、その後の説明を聞き岬も真相に至る。警察に救出された岬は、真犯人の元へ向かうが、彼はちょうど「黒」に撃たれたところだった。真犯人はハヌルであった。「黒」の「人間を傷つけられるのは人間だけ」という論理に従って、自分が野良犬ではなく人間であることを証明するため、人間だけが活かせる情報が載った新聞にザナコッタを埋めることによって「人間は考える葦」という見立てを行い、人間であるザナコッタを殺した自分を人間であると示そうとしたのであった。そしてティアネンの顔を血で赤く塗ったのは、ヨシコが「人間は恥ずかしがって赤面するもの」と言ったことを憶えていたからであった。しかし、その現場で「人間のやることではない」という叫びを聞いたハヌルは、どれだけ見立ててもやっぱり偽物は偽物で、本物の人間を殺さないと自分が人間であることの証明はできないと考え、「自分は偉大な人間だ」と言っていたヴェニィの実の兄・ソムが人間であることに間違いはないと考えソムを殺したのだった。しかし、誰かに遺体を発見されないとそれが他人に証明できないことに気づいたハヌルは、誰も気がつかない場所でソムを殺したことを反省し、次に、ヴェニィを殺した本物の人間「黒」を殺そうとして返り討ちにあったのであった。岬は、そんなことをしなくてもハヌルは人間であることを懸命に言い聞かせるが、雨で増水した川が橋ごとハヌルを押し流した。結局ハヌルの遺体は発見されず、岬は「狩り」と称するゴミあさりを続けていた。そして、仲間と共に死者に祈りを捧げるのであった。

『死神の精度』(伊坂幸太郎/文藝春秋) 【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2006年版(2005年作品)12位作品。本書の続編である2014年版(2013年作品)5位の『死神の浮力』を図書館で借りたものの、やはり前作を読んでおいた方がいいかと思い直したところ、たまたま奥さんが所有しているのを聞きつけ貸してもらって読み出した。あまり期待していなかったのだが、予想以上の面白さに続編を読むのが大変楽しみになった。
 主人公は、死神の調査部員・千葉。死神の調査部員達は、情報部からの指示を受けて、その仕事に最もふさわしい姿で現実世界に出現する。調査部員の仕事とは、情報部に指定された人物を1週間調査し、その対象者に「死」を与えるべきか否かの最終判断を下すというもの。ここでの「死」とは、事件や事故によるものであり、病死や自殺、極刑、寿命によるものは含まれない。ほとんどの情報部員は「可」の報告を情報部に行い、「見送り」の報告をしない限り、8日目に「死」は実行に移される。情報部がどのような基準で対象者を選んでいるのかは謎で調査部員も知らない。8日目までは、いかなる理由でも対象者が死ぬことはない。死神達は音楽を好み、仕事の合間にCDショップに入り浸る。彼らに食事や睡眠は必要ではなく、彼らが素手で人間に触ると触られた人間は失神し寿命を1年削られる。したがって必要な場合、彼らは手袋を装着する。人間社会に何千年も関わっている割には人間社会の常識にうとく、的外れな受け答えをすることが多い。本書には、千葉が関わった以下の6つの物語が収められている。

【死神の精度】今回の千葉の調査対象者は、大手電機メーカーの苦情処理の電話対応係・藤木一恵。彼女は、毎日の理不尽な仕事に疲れ、「死にたい」が口癖になっていた。彼女の今の一番の悩みは、商品にクレームをつけてきた男性が、何度も彼女を名指しで電話をしてきて無理難題をふっかけるということである。そのストーカーとも言うべきクレーマーにカラオケ店に連れて行かれそうになった一恵は、店に入る直前で逃げ出すが、それを目撃した千葉は、その男を知っていた。彼は、つい最近立ち読みした音楽雑誌に載っていた天才プロデューサーだったのだ。彼は、彼女の声を「本物」と判断し、歌手としてデビューさせるべく追いかけていたのである。千葉は珍しく「見送り」の報告を情報部に送った。

【死神と藤田】今回の千葉の調査対象は、古い任侠の男・藤田。藤田と対立する男・栗木の情報を持っていることをちらつかせ、藤田の舎弟・阿久津にわざと捕まった千葉は、藤田のマンションに連れて行かれる。組織の上層部が藤田を切り捨てる判断をしており、栗木の待ち伏せによって藤田が処分されることを知っていた阿久津は、藤田を救うため千葉を連れて栗木のアジトに乗り込むが、2人はあっけなく捕まってしまう。2人を人質に藤田をおびきよせようとする栗田に、千葉はあっさりと藤田の電話番号を教え、激怒する阿久津。しかし、死神の千葉は、藤田が明日死んでも今日は死なないこと、別の死神が先に付いていた栗木が今日死ぬことを知っていたのだ。「藤田が負けるのか?」「おまえは、藤田を信じていないのか?」と千葉に問いかけられた阿久津は、1人で乗り込んでくる藤田を信じて待つことにしたのだった。

【吹雪に死神】突然の大雪に信州の山奥の洋館に閉じ込められた人々が次々に死んでいくという、いかにもミステリらしい物語。今回の千葉の調査対象は、東京の開業医・田村幹夫の妻・聡江。田村夫婦と、初老の男・権藤とその息子の英一、女優の卵・真由子の5人は、豪華な洋館での2泊3日の宿泊旅行に招待するという当選ハガキが送られてきて集まった人々であった。洋館には、ほかに童顔の料理人が1人と、吹雪から避難してきたという設定の千葉がいるだけ。2日目の朝、服毒死した幹夫の遺体が発見され、3日目の朝、権藤が雪の上で刺殺されていた。そしてそこに現れた真由子の恋人・秋田は、千葉の同僚だった。どうやら真由子も死ぬ運命にあるらしい。秋田は、真由子のことを「結婚詐欺師に近い酷い女」であることを千葉に伝える。日が変わった深夜、真由子の死を見届けた秋田は、千葉に挨拶してから去っていった。真由子の殺害犯の名を秋田から聞いていた千葉は、「どうせおまえたちには、全貌の把握はできない」と情報部に言われたことが気にくわず、事件の真相を明らかにしようとする。田村夫婦の一人息子・和也は真由子に騙されて自殺していた。田村夫婦と、料理人の聡江の弟、真由子を調べていた刑事の権藤、和也の親友で旅行会社に勤めていた英一らは、真由子への復讐のため、示し合わせて今回の計画を立てたのであった。最初に幹夫が死んだのは、毒を盛った真由子の料理を千葉が食べてしまい、毒の効き目に疑問を持った幹夫が毒を口にして死亡したというものだ。権藤は真由子を刺殺しようとして返り討ちに遭い、英一がついに真由子を仕留めたというのが真相であった。千葉は今回のことは忘れることにすると言い残し、洋館を出て行った。

【恋愛で死神】今回の千葉の調査対象は、ハンサムなのに女性に外見で判断されたくないという理由でわざとダサいメガネをかけているブティック店員の青年・荻原。彼は、千葉の調査8日目に、彼が片想いしていた女性・古川朝美のマンションでストーカーに刺されて死のうとしていた。荻原は自分の店に服を買いに来た朝美に想いを寄せ、彼女が買おうとしていた商品がバーゲン除外品であったことに彼女がショックを受けているのを見て、彼女に内緒で自腹を切ってバーゲン最終日に安く売ってあげたことがあった。偶然、近所に彼女が住んでいることを知った荻原は、バス停で彼女に声をかけるようになるが、彼女は荻原を頻繁に電話をしてくるストーカーと勘違いする。誤解を解いた荻原は、趣味が合う彼女と親密になるが、凶刃に倒れてしまうことになったのだ。荻原は、それでも「良かった」と千葉に告げる。荻原は癌で余命1年しかなく、どうせ死ぬなら好きな子のために死ぬのも良かったと言うのである。服を安く売ってくれた店員のことを憶えていなかった朝美に、今日は荻原に会っていないという嘘をついて千葉は去っていった。

【旅路を死神】今回の千葉の調査対象は、幼い頃、誘拐された経験を持ち、それが大きなトラウマとなっている森岡という20歳の男。彼は、母を刺した上、勢いで繁華街で見知らぬ男を刺殺し、千葉が運転していた車に乗り込み、千葉を脅迫して十和田湖を目指す。森岡を誘拐した4人組は、3人が事故死、監禁場所で森岡を監視していた深津という男が、事故現場から血まみれで帰ってきて、森岡を解放していた。森岡は、母が深津と電話しているのを聞きつけ、誘拐事件に母が絡んでいたと考え、母を刺し、深津も刺すべく彼が住んでいる十和田湖へ向かおうとしていたのだった。しかし、千葉の推理は違った。深津は犯人グループの1人ではなく、森岡同様、被害者であり、足が悪かったことから縛られずに森岡の監視役を任されていたのではないか、森岡の前で犯人を装っていたのは、自分も弱い被害者だと森岡に知られたら、深津を頼りになると考えていた森岡が幻滅すると考えたからではないかというものだった。戸惑いながらも、凶器を持たずに深津に向かって駆け出す森岡に、泣きそうな顔をして歩み寄っていく深津の姿を千葉は見た。

【死神対老女】今回の千葉の調査対象は、高台から海を見下ろせる美容室を1人で営む70過ぎの老女・新田。彼女は、千葉の髪を切った後、「人間じゃないでしょ」と語りかけ、千葉を感心させた。彼女は、父と、最初の恋人、夫、長男を不慮の死で亡くしており、千葉から同じ「死」の空気を感じたというのである。死を予感した彼女が、最後に死神に持ちかけた依頼は非常に奇妙なものだった。それは、明後日限定で、10代後半の男女4人くらいを客として連れてきてほしいというものだ。老女の依頼を引き受けた千葉が、お金を配ってまで客を集めた甲斐あって、その日は大繁盛であった。翌朝、千葉に種明かしをする老女。絶縁していた次男の子供、つまり老女の孫が老女に会いたがっているので、日を指定して孫を客として行かせると行ってきたのだが、突然孫に会うのが恥ずかしいと思った老女は、わざと同年代の男女を集めて、どの子が自分の孫かあえて分からないようにしたというのだ。「それで、良かったのか?」と尋ねる千葉に「誰だか分からないけど。でも、それくらいがちょうど良かったと思う。それ以上は罰が当たるよ」「どの子もいい子に見えたよ」「一生懸命頑張って、どの子も凄く似合う髪にしてあげたから」と答える老女。千葉は、老女と外の天気について賭けをするが、老女の言うとおり、窓の外に見たことのない晴天が広がっていることに驚かされる。老女との会話と、彼女が常連の女性の竹子に与えた古いジャケットから、老女の正体が、過去に自分が関わった古川朝美であることに気づく千葉であった。

 最終話で、第1話に登場した藤木一恵が後に歌手として成功したことが明らかになったり、死の前にささやかな幸せを手にした老女が第4話に登場した古川朝美だったりという仕掛けはもちろん、すべての物語に感動がある。なぜ、千葉が「見送り」の結論を出したのが第1話のみなのか、その基準が今一つ分からないが、ベスト10入りしていないのが非常に不思議な傑作である。

『死神の浮力』(伊坂幸太郎/文藝春秋) 【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2014年版(2013年作品)5位作品。今回の死神・千葉の調査対象は、10歳の娘を殺された作家の山野辺遼とその妻・美樹。夫婦の娘を殺した犯人は、親の残した遺産で悠々自適の暮らしをしているサイコパス・本城崇。本城には、逮捕後、彼に有利な証拠が次々に出てきて無罪判決が出ていた。それは、山野辺夫婦を苦しめるための本城の計画的演出であったのだが、一方で山野辺夫婦も彼が無罪になるように仕向けていた。彼らは本城に直接復讐するために、彼が司法の手から解放されることを願ったのである。

【調査1日目】千葉は、遼の幼稚園時代の同級生を語り、本城が釈放された後の移動先の情報を持って夫婦に近づく。遼の元担当編集者・箕輪がもたらした情報と千葉の持っていた情報は一致しており、夫婦と千葉は、その本城への独占取材のために雑誌社が用意したというホテルの一室に翌日向かうことになった。

【調査2日目】本城のいるホテルの1室に部屋に乗り込んだ3人であったが、本城は彼らが来ることを知っていた。本城の取材のために部屋を借りた記者は千葉の手に触れて気絶。夫婦は、防犯スプレーとスタンガンで本城を拉致するつもりだったが、千葉の不用意な一言のせいで、気がそれた遼に隙ができ、本城に逃げられてしまう。

【調査3日目】深夜営業中のミュージックストアで、千葉は自分より2日前から対象者の調査をしている同僚の死神・香川に会った翌日、遼の携帯に轟という男から「会って話がしたい」というメールが届く。轟は、事件前から本城に自宅窓からの景色をビデオ撮影しておくよう頼まれていた男で、この男のビデオは、本城の無罪判決に大きく貢献していた。3人が轟のマンションに到着すると、轟は駐車場に停めてあった自分の車の運転席に猿轡をかまされて縛られていた。運転席のドアを開けると爆発する仕掛けに気がつくが、あえて指摘しない千葉。会話の流れで遼もやっと爆弾の存在に気がつき、轟は後ろのドアから助け出される。仕掛けたのは本城であることは間違いなさそうだったが、一旦3人は夫婦のマンションに引き上げる。マンションで、本城のいたホテルの部屋から持ち帰った取材用のビデオカメラを再生したところ、香川の調査対象が本城であったことを知る。再び香川に会った千葉は、高級住宅地に住む佐古という老人の家に本城が隠れていることを知るが、千葉がマンションに戻ると、箕輪からの情報で、本城が浜離宮恩賜庭園で人と会う予定になっているというので、夫婦はそこへ向かうらしい。これまでの箕輪の情報は明らかに怪しいのに全く疑念を持たない夫婦。そしてあえて警告しない千葉。案の定、レインコートを着た3人組の男に捕まってしまう3人であった。

【調査4日目】 建築現場らしき1室で2人の男に拷問を受ける千葉。なぜかもう1人の男は山野辺に銃を渡し、彼らを撃って千葉を助けるように促し姿を消す。しかし、拷問の痛みも訴えることなく難なく縛りを解いた千葉に呆然とする2人の男達を置いて逃げ出す山野辺夫婦と千葉。遼は、そこで初めて姿を消した男が本城であったことを千葉に知らされショックを受ける。気がついていれば本城を撃てたのに、なぜ気がつかなかったのか、本城はなぜ自分に銃を渡したのか、うろたえ困惑する遼であったが、一度マンションに戻ってから、千葉が教えた佐古の家に向かう。本城によって取り付けられたらしい多数の防犯カメラを確認した一行は、食事の宅配サービスを利用して佐古に近づくことを思いつく。

【調査5日目】食事の宅配業者の店舗を訪れ、外で病人の振りをした山野辺夫婦が従業員を引きつけている隙に、千葉が店舗内から制服とプレートを盗もうとするも、銃を落として通報されそうになる。しかし、小木沼という若い従業員の機転によって危機を切り抜けた。遼の作品の読者であった小木沼の協力で佐古に接触することに成功するが、佐古は2時間後に来てくれと言う。実は、特に山野辺夫婦に味方する気のない千葉は、この訪問を、本城担当の同僚の香川に話してしまっていた。仕方なく出直すことにした一行であったが、千葉は、冷静にこれまでの経緯を分析して山野辺夫婦に披露する。本城の目的は、山野辺夫婦を殺すことではなく、社会的に追い込んで苦しめあざ笑うことであるという結論である。これまでの本城の行動からは、山野辺夫婦に轟爆殺の罪を着せよう、誘拐犯射殺の罪を着せようという意図が見えると。そして今度は、本城を匿った佐古毒殺の罪を着せようとしているのではないかと。案の定、佐古は毒を盛られていたが、一行が早く発見したこともあり、なんとか死なせずに済んだ。しかし、山野辺夫婦は殺人未遂で指名手配される。そして、千葉は監査部から衝撃の事実を知らされる。香川が本城の死を「見送り」にしたというのである。香川本人からも、本城の命は20年保証されたと断言される。つまり、山野辺夫婦の復讐は成功しないということだ。

【調査6日目】本城が、今度は箕輪を爆殺しようとしていることが分かり、本城に、ある場所へ呼び出された一行であったが、千葉の能力により箕輪の監禁場所が判明して救出に成功する。待ち合わせ場所で、出し抜かれたことを遼に告げられた本城は動揺し、遼を車から振り落とし、当初の計画通りに、遼の娘の書いた絵本のストーリーに沿ってダムにシアン化カリウムを撒こうとする。千葉は、自転車の後ろに遼を乗せて千葉を追う。ダム近くで追いついた遼は本城の車に乗り移り、シアン化カリウムの入ったバッグを持って飛び降りる。遼の娘のぬいぐるみがブレーキペダルに引っかかり、減速できなくなった本城の車はガードレールに激突してから、ダムに水没した。

【調査7日目】結局、本城の罪は暴かれ、山野辺夫婦の潔白は証明された。そして、夫婦は知らないことだが、20年の命を保証された本城は、捜査の及ばないダムの湖底で20年間生きたまま苦しむこととなった。

【エピローグ】50代になった美樹は幼稚園で働いていた。そして、千葉に「可」の判定を出されていた遼は、千葉の調査8日目に交通事故で死亡していた。ある日、幼稚園の運転手が千葉に話しかけられる。山野辺の話題になり、「初期の作品が面白いみたいですね」と語った運転手に対し、千葉は「晩年も悪くなかった」と答え、美樹をじっと見つめていた。

 きまじめな千葉が、普通の人間と会話がかみ合わない様子をユーモラスに描いているところは面白いのだが、前作同様、千葉の判断基準というのが、やはりよく分からない。仕事とは言え、危険をかえりみず(彼に危険などないも同然なのだが)山野辺夫婦に常に付き添ったり、膨大な労力を必要とする(彼に疲労という概念はないのだろうが、調査対象への協力に対し面倒臭そうな態度はよくとっている)自転車での本城追跡を自分から申し出て実行したりする一方で、箕輪からの情報が怪しいことや、轟の車に爆弾が仕掛けられていることをあえて山野辺夫婦に教えなかったり、山野辺夫婦に不利になることが明らかな、佐古宅への襲撃情報を事前に本城側へ流してしまったりする。そして、これだけ彼らと行動を共にしながら、監査部への反抗の気持ちもあったにしろ、あっさりと遼の死に対し「可」の判定を出し迷う様子もない点が、何より不可解だ。千葉が100%「可」の判定を下す人物ならば理解もできようが、彼は前作で一度、調査対象者に「見送り」の判定を出したこともある。あれは一体何だったのか。その調査対象者の運命が大きく変わりそうな場合のみ「見送り」判定を出し、それ以外の情は一切挟まないという解釈で理解できないことはないが、ここだけは、どうしてもすっきりしない。まあ、そこを読者に考えさせるのも、この作品の味わいの1つなのだろう。
 さて、千葉のことは置いておいて、本作において、千葉の言動以外で私が特に印象に残ったことがある。それは、遼の父のことである。「死」が恐ろしくて、どうせ死ぬなら好きなことをしようと家族をかえりみず好き放題やって遼に嫌われ、結局病死するのだが、死に際して「死ぬことは怖くない」ということを悟り、遼にそれを伝えようとするというエピソードである。ここ1、2年で、まさにかつての遼の父と同じように「死の恐怖」について考えるようになった私にとっては、非常に考えさせられる話であった。死神という独創的な視点から生と死について深く考えさせられる本作には、前作同様★★★を付けておきたい。

 

2014年月読了作品の感想

『ノックス・マシン』(法月綸太郎/角川書店) 【ネタバレ注意】★

 「このミス」2014年版(2013年作品)1位作品。2位から7位作品まで読了し、ついに1位作品に手をつけることに。単にいつも貸し出し中で借りられなかっただけなのだが。本作には、表題の「ノックス・マシン」を含む4編が収録されている。「このミス」は、そのタイトル通り、「面白い」作品というよりも「すごい」作品が上位にランクインすることが多々あるが、本作もまさにそういう系統。よって、一般的なミステリとしての評価は、人によって大きく違うはず。個人的には、過去の「すごい」作品同様かなり厳しいと言わざるを得ない。胡散臭い科学的解説がやたらと並び、途中で読むのをやめてしまう人も多いのではないか。一応話題作だし、とりあえず読んでおきたいという人に勧められるのは、せいぜい第1話「ノックス・マシン」と第2話「引き立て役俱楽部の陰謀」まで。第1話の世界設定は結構面白い。コンピュータによる自動創作が当たり前となり、過去の文豪の新作が次々に発表される一方、人間の作家が全て失業してしまっている近未来が舞台である。そこまでは、ちょっと興味を持てたのだが…。第2話「引き立て役俱楽部の陰謀」については、古今東西のミステリに精通していない自分には、よく知らないキャラが多いのだが、詳しい人にはそれなりに楽しめるのだろう。史実であるアガサ・クリスティの失踪事件もうまく絡めてあるあたり、これはこれで面白いのだが、著者が自分で述べているようにオチはたいしたことがない。第3話「バベルの牢獄」は、捕虜の精神がデータ化されて幽閉されるという著者オリジナルのSF設定は面白くはあるが、脱出に際してひたすら次々と独特のオリジナルSF設定を押しつけられ続ける物語内容は正直苦痛。第1話の続編となる第4話「論理蒸発−ノックス・マシン2」に至っては、第3話以上に苦痛を味わわされること請け合い。ラストで主人公が涙しているが、もらい泣きする読者は皆無であろう。

【第1話「ノックス・マシン」】時は2058年。コンピュータによる文学制作「オートポエティクス」によって人間の脳と手による創作は駆逐されてしまっている時代。自動創作の発展のために栄華を極めた数理文学解析という学問はすでに下火になっており、それを今だに上海大学で専門に研究しているのが主人公の27歳のオーバードクター、ユアン・チンルウである。アメリカの作家、S・S・ヴァン・ダインが1928年に発表した「探偵小説作法の二十則」を解析モデルとして探偵小説の数理文学解析を行ってきた先達の研究結果に満足していなかったユアンは、イギリスの作家のロナルド・ノックスが1929年に発表した「ノックスの十戒」をモデルに採用しようとするが、指導教官のホイ教授に反対される。その第5項に「探偵小説には、中国人を登場させてはならない」という差別的な内容が含まれていたからである。ユアンは、研究を強行し見事に成果を上げるが、教授は自分の言うことを聞かなかったユアンの就職斡旋を拒絶する。そんな彼の元へ国家科学技術局から召喚メールが届く。彼が、その場違いな場所へ呼び出された理由は驚くべきものであった。この時代には、実はタイムトラベルが可能となっていたのであるが、大きな問題が1つあった。それは、過去に人間を送り込むことはできても、過去に到着した時点で世界が分岐してしまい、二度と同じ世界に戻れないという致命的欠陥である。ところが、国家科学技術局の科学者達は、「ノックスの十戒」の書かれた1928年2月28日だけは特異点とも言うべき特別な日であり、この日に限ってはタイムマシンで行って戻って来られる日だと言うのである。「ノックスの十戒」の専門家であるユアンでなければ、双方向タイムトラベルという難事業は成功に導けないと荒唐無稽なことを言う長官に対し、研究者としての将来を既に閉ざされていたユアンは、彼の依頼を受け入れ、過去へのタイムトラベルを志願する。ユアンには、ノックスがなぜあのような第5項を書いたのかを知りたいという欲求もあった。そして、1928年2月28日のノックスの書斎に出現するユアン。第4項までの内容を暗唱するユアンに驚愕するノックスであったが、第5項は、ユアンの暗唱したものとノックスの書いたものとは全く異なっていた。すでに世界が分岐してしまったと絶望するユアンを励まし帰還を勧めるノックス。ユアンが消えた後、結局ノックスはユアンが暗唱したとおりの内容に第5項を書き換えた。タイムマシンが実用化されれば、どんな犯罪も自由自在に行うことができ、探偵小説など存在意義がなくなってしまうと考えたノックスは、タイムマシンを使えるのが中国人だけであるならば、中国人を探偵小説に登場させなければよいという結論に行き着いたわけだ。

【第2話「引き立て役俱楽部の陰謀」】古今東西の探偵小説に登場する迷探偵の引き立て役達が所属する団体が「引き立て役俱楽部」であり、その会長はホームズの引き立て役ワトスン博士である。主人公は、ポワロの引き立て役、アーサー・ヘイスティングズ。彼は、ヴァン・ダインが提出した「A・Cの処遇について」という議案の会合に招集される。『テン・リトル・ニガーズ(そして誰もいなくなった)』の発表直前の原稿を入手したワトスンは、引き立て役をないがしろにするアガサ・クリスティを暗殺しようというのである。賛成票4、反対票3、棄権が1で、議案が採択されそうになった時、議案提出者のヴァン・ダインが毒殺され、結局この議案は廃案となる。毒殺したのは、アガサ・クリスティに依頼されたヘイスティングズであり、彼女から手渡された毒を発射する万年筆を使い、ヴァン・ダインのコーヒーに毒を盛ったのであった。

【第3話「バベルの牢獄」】サイクロプス人の統治下にある惑星ガラテアに潜入し、ガラテアの独立運動を支援する地球の工作員が主人公。サイクロプス人に捕まり精神分離器にかけられて、肉体と分離させられデータとして幽閉された彼は、サイクロプス人対策として人為的に作られた鏡像人格と協力して脱出を図るというSF小説。

【第4話「論理蒸発−ノックス・マシン2」】タイトルの通り「ノックス・マシン」の続編。世界初の物語生成方程式共同開発し、ノーベル文学賞を受賞したナレンドラ・ヒューマヤンの娘のプラティバは、地球上のあらゆる情報を収集・保存・管理する巨大複合知性体であるゴルプレックス社ナンバー2のケヴィンに呼び出される。量子化されたテキストの一部が燃えており、その火元となったのが、プラティバが大学時代に研究していたエラリー・クイーンの〈国名シリーズ〉だ ったためマークされていたのだ。犯人は、彼女の元恋人のテロリストであることが判明したが、彼女はユアンなら火を消せるとケヴィンに宣言し、行方不明になっていたユアンを見つけ出す。双方向タイムトラベルを世界で初めて成功させたユアンは、国家的英雄になるどころか研究サンプルとしてありとあらゆる検査と実験の対象にされた結果、捨てられてオーストラリアで修道士となっていた。彼は超伝導超大型加速器を利用して仮想環境内に片道切符で飛び込み鎮火に成功する。

『パーフェクト・プラン』(柳原慧/宝島社) 【ネタバレ注意】★

 久しぶりに「このミス大賞」受賞作を読んでみることに。まだ読んでいないのは3冊くらいなのだがその中から2003年の第2回大賞受賞作の本書を選択。4人の男女がエニグマという組織を結成し、敏腕トレーダーを巻き込んで、株価操作を行い一攫千金を狙うが、その両方をハッキングしていた謎の男が、彼らを攪乱するという物語である。先月読んだ『生存者ゼロ』で描かれた政府にたてつく4人グループは、その結束の不自然さが強烈な違和感を感じさせたが、本作の4人に関しては、それなりの前振りがあって、彼らの結束にはそこそこ納得できる。ただ、とくかく物語が煩雑というか荒削り。文章も今一つ洗練された感じがしないし、登場人物の会話もやたらとベタである。こんなに話があっちへ行ったりこっちへ行ったりする構成にする必要があったのかも非常に疑問。俊英の片腕である山中がベンチャー企業に捕まって殺されそうになるエピソードとかは、本編への絡み方が中途半端で不要に見える。

【第1の誘拐】三輪俊英は投資アドバイザー「インフニティ」の総師を務める敏腕トレーダーであったが、会社の危機もあって自宅にほとんど帰っていない。妻の咲子はそんなストレスもあって息子の俊成を虐待していた。代理母として俊成を産んだ小田桐良江は、咲子がホストと不倫中に、俊成を救うため彼を連れ去ってしまう。良江に想いを寄せるキャバクラの元店長・田代幸司、その兄貴分でアングラカジノの店長・赤星サトル、元相場師の張龍生の3人は、誘拐事件にならないように俊成を家に帰して、犯罪であって犯罪でない計画を思いつく。

【第2の誘拐】4人はエニグマという組織を名乗り、俊成を誘拐。俊成を咲子の虐待から守るため保護していることを俊英に伝えると同時に、有望なベンチャー企業の情報で一儲けすることを俊英に持ちかける。俊英はその話に乗るが、両者はハッカーのヨシュアによって監視されており、ヨシュアは彼らの妨害を計画する。

【第3の誘拐】咲子は、俊英宛のエニグマからのメールを見つけて、俊英になりすまし、俊成を取り戻そうとする。ヨシュアの工作により、エニグマと俊英達がつり上げていた企業の株価の暴落を始めるが、彼らは辛うじて株を売り切り莫大な利益を手に入れ、逆に彼らを困らせてやろうとしていたヨシュアの方は、あまりの急激な暴落に大損失に見舞われ、すべてを無にしてやると誓う。幸司と良江は、俊成を俊英に返すためにメールで指定された場所に向かったが、そこで待ち構えていた鬼の形相の咲子を見て俊成を連れたまま逃げ出してしまい、俊英にまでその真意を疑われ、本当の誘拐犯になってしまう。ヨシュアは、龍生のパソコンに警察が動き始めたことをメールで知らせるが、龍生は幸司達が裏切ったと思い込み、最愛の父を守るために自分たちの情報を持っている彼らを消すことも視野に入れて彼らを追って良江の生まれ故郷の佐渡を目指す。

【第4の誘拐】女刑事・鈴村馨は、ヨシュアによるパソコンの遠隔操作が事件の根底にあることに気づく。幸司は龍生を止めるため、龍生の父とともに佐渡を目指すが、龍生に説明するまもなく殴られ父を取り返される。佐渡の荒れ果てた生家にたどり着いた良江の前に現れる龍生。そこへ馨が現れて銃で龍生を威嚇するが、突然産気づく良江。幸司もそこへかけつけ、良江のためにみんなで協力して出産の手助けが始まる。そこにヨシュアに導かれて現れた咲子。咲子がヨシュアに渡された爆弾によって、咲子と龍生は死亡するが良江は無事出産する。

【終章】良江と幸司は生まれた子供と一緒に暮らすことになり、老人ホームに入った龍生の父も将来引き取るという。一方、赤星のパソコンに細工するために変装してエニグマのアジトに現れたヨシュアの自転車の登録番号を良江が覚えていたことであっけなく逮捕されたヨシュア。しかし、彼は母親に電話をする振りをして携帯電話から最悪のウイルス「ジョーカー」をばらまくことに成功する。

 あらすじを眺めてみてもとにかく展開が煩雑。ベタな話をあれこれ詰め込みすぎではないか。複雑な内容が緻密に計算されて構成されているというのとは違う。登場人物も「?」な者ばかり。子供を誘拐されながら金儲けに夢中で咲子への対応も中途半端な俊英、優秀なハッカーのくせに相場で大損したり、結末であまりにあっけなく逮捕されてしまったりするヨシュア、俊成を殺しそうなことを臭わせながら突然態度を変えて結局何がしたいのかよく分からない龍生、エキセントリックなキャラ設定がされているとはいえ人間味があるのかないのかよく分からない良江、逃走中に馬鹿正直に本名で携帯を契約する幸司など、突っ込みどころが満載。過去に読んだ大賞受賞作の中では『トギオ』の次くらいに残念な作品。

『サウスポー・キラー』(水原秀策/宝島社) 【ネタバレ注意】★★

 2冊続けての「このミス大賞」受賞作。2004年の第3回に深町秋生『果てしなき渇き』と共に大賞を受賞した本書は、プロ野球を舞台にしたハードボイルド小説である。主人公の沢村は、人気球団オリオールズ(明らかに実在の読売ジャイ○ンツをモデルとしたチーム)のサウスポー投手。高校で甲子園に出場したわけでもなく、東京6大学に属する大学の弱小チームでプレーした後、アメリカに留学し、そこでのピッチングがオリオールズ監督の葛城(こちらも長○茂雄がモデル)に認められて、本人も予想していなかったドラフトでの入団となった。といっても、プロ野球の世界をよく知らなかった沢村はオリオールズ入りに特に感銘も受けず、オリオールズの様々な古い体質になじめず、チーム内では浮いた存在になっていた。まだ、プロ2年目で、ずば抜けた能力があるわけでもなく、先発ローテーションに入ったばかりの沢村は、特にイケメンでもなく、知名度も今一つでファンも少ないという設定だ。主人公のキャラ作りは良くできていると思う。不自然にクールすぎず、暑苦しすぎない。脇役達も同様によくできていると思うが、ヒロインの美鈴、助っ人の記者・下平、刑事の筒井は、もう少し活躍させても良かったかも。悪役の高木については、なかなか存在感のあるキャラだが、ラストで主人公が黙って見送ってしまう程の人物ではないように思う。黒幕の人物とは、もう少し残虐性に差を付けて、クールな犯罪者としての人間的魅力を前面に出した方が良かったのではないか。物語の展開は非常にオーソドックスで、主人公が身に覚えのない八百長疑惑を自ら晴らそうというストーリーであるが、今一つドキドキハラハラ感に欠ける。特に前半は少々退屈な感じが否めない。後半も、黒幕が明らかになるところか、その後の満身創痍状態での登板のところか、どちらがクライマックスなのかはっきりしないのが気になる。どちらもクライマックスと呼ぶには中途半端な感じで、今一つ盛り上がりに欠ける。全体的には、「プロ野球を舞台としたハードボイルド小説としてキャラ設定も物語も良くできているが少々面白味に欠ける」といった評価。あらすじは以下の通り。

 同じサウスポーでトレードの噂がある同じ歳の塩崎にからまれ、ベテラン投手の三浦に助けられた沢村は、その夜、マンション前で待ち構えていたヘビのような男に「約束は守るものだろうが」と暴行を受ける。三浦の150勝記念パーティで、売れない女優の黒坂美鈴と出会い沢村は惹かれるが、彼女の伝言に従って向かった先にはヘビ男を含む3人組が待ち構えており、前回以上にひどい暴行を受け、その様子がスポーツ紙の1面を飾ることになる。監督室に呼び出された沢村は、球団副社長の波多田隆から、ベースボールジャッジなる者から、沢村が八百長をしているという告発状がメールで届いていることを告げられる。次のメールで最初の襲撃の様子の映像も流出し、ますます追い詰められる沢村。
 自宅謹慎は3日で解けたが、二軍暮らしは気の滅入るものだった。美鈴から沢村を襲った1人が美鈴の過去の役者仲間の太田と分かり、そこから3人組のあと2人が、高木と吉見という人物であることが判明する。主犯格のヘビ男が高木であった。ベテラン記者の下平の協力も得ながら独自の調査を進めていく沢村は、二軍の練習を休み、ドームを訪れ、記者達の前で無実の会見をする。吉見のアパートで高木の写真を手に入れた沢村は、吉見が高木に弱みを握られて利用されていることを知る。また、下平の調査で、オリオールズからサウスポーばかりがトレードで放出されていることを知った沢村は、放出された選手達と接触するため三浦に協力を求める。三浦の協力を得て接触できた選手達は、皆何らかの弱みを高木に握られて金を要求され、やがてその弱みが明るみに出て放出されるというパターンでチームを去っていた。球団の実質的な経営権のある波多田の関与を疑い始めた沢村であったが、塩崎のパソコンからベースボールジャッジのメールの送信記録を発見。塩崎は謹慎となる。しかし、暴漢に襲われ引退した選手の1人は、襲ったのは塩崎や高木ではないと言う一方、高木の写真を見て彼を警官だと言った。
 3度目の告発メールで再び二軍行きを命じられた沢村は、進退を賭けて予定通り一軍での登板を訴え、受け入れられる。大学時代のチームメイトで現在は刑事をしている筒井から高木が強請の常習犯で警察を退職しているという情報を入手した沢村は、自分の計画を筒井に打ち明け協力を要請する。高木に拉致された沢村は、目隠しされた状態で何者かに暴行を受けるが、沢村には相手が分かっていた。黒幕の正体は三浦だったのだ。三浦は、歳と共に力が衰えてきていたが、妻の浪費癖のため引退するわけにもいかず、自分の居場所を確保するため実力のあるチーム内のサウスポーを排除すべく以前からベースボールジャッジを名乗って活動していたのだ。警察の突入によって沢村は救出され、三浦と吉見は逮捕され、高木は逃亡する。
 三浦の逮捕によって事件の真相が明らかになったにもかかわらず、監禁と暴行、睡眠薬によって満身創痍の沢村は、進退を賭けた登板を強行する。7回まで奇跡的に無得点に抑え込んだ沢村は、8回裏に4番の池ノ内と対決。粘られた末に16,7球目で打たれたゴロを必死で1塁にトス。そのまま動けなくなる。この戦いは後に「今年最も感動したシーン」の2位に選ばれる。
 葛城監督の引退パーティで、美鈴に別れを告げられる沢村。下平に追うように言われて会場を出たところで整形した高木に出会う。急にアメリカ行きが決まって挨拶しに来たという高木を、捕まえることなく見送る沢村。その後、沢村は高木に会うことはなかった。

『ベルカ、吠えないのか?』(古川日出男/文藝春秋) ★

 「このミス」2006年版(2005年作品)7位作品。第二次世界大戦時、キスカ島から撤退する日本軍に取り残された4頭の軍用犬の子孫が、その後の数奇な運命に翻弄される姿と、それに関わる多くの人々の人間模様が描かれる。そして、犬達の歴史と並行して、20世紀の戦争をはじめとした各国の歴史が語られていく。ちなみに「我が輩は犬である」的な犬の視点で書かれているわけでなく、「お前達はどこにいる?」「お前達は走る」「お前は何を感じる?」というように2人称で語られたりする。はっきり言って特にまとめるようなあらすじもなく、されて困るようなネタバレもない。そもそも、本書は明らかにミステリ作品ではない。時々「このミス」ランキング作品に見られる相当な広義でのミステリものである。緊迫した国家間の対立、マフィアとヤクザの抗争など、所々引き込まれるところがないわけではないが、基本的に、読みながら早く終わってくれないかなという気分が最後まで続く作品だった。「すごい」作品ではあるが「面白い」かと言われると答えに詰まる例のパターン。やはり、どうせなら「すごく」て、かつ「面白い」作品を読みたい。

 

2014年月読了作品の感想

『贄の夜会(上/下)』(香納諒一/文藝春秋) 【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2007年版(2006年作品)7位作品。結論から言うと、この年の1〜6位作品『独白するユニバーサル横メルカトル』『制服捜査』『シャドウ』『狼花 新宿鮫IX』『銃とチョコレート』『名もなき毒』のいずれよりも、本作が一番読み応えを感じた。 読み始めてすぐに気がつくのは、最初の容疑者の中条のモデルが、神戸連続児童殺傷事件の犯人・酒鬼薔薇であることだ。他にも、親の遺体を隠して子が年金を受給していた事件、米兵による幼女強姦未遂事件、暴力団の抗争や警察の汚職事件など、現実の事件が数多く物語の中に散りばめられている。このことが汚れきった社会に対する問題提起を促すと共に、作品にリアリティをもたらしている。かなり欲張って詰め込んでいるが、見事にまとめきっている。逆の見方をすればオリジナリティに欠けるとも言えるが。主人公の大河内は、暑苦しいハードボイルドとまではいかない、程よい温度の刑事で、感情移入もしやすい。真犯人が警察に近い仏教関係者ということがかなり早い段階で分かっていながら(その時点で該当者は1人しかいない)、そこに絞り込む最後の材料が、本当に最後の最後まで出てこないというのはどうかと思わないでもないが、十分に満足できる作品である。あらすじは以下の通り。 ちなみに文庫版の下巻で誤植を1カ所見つけた(202ページ2行目×横山→○菊池)。

【第1章 殺人】「犯罪被害者家族の集い」に参加した木島喜久子と目取真(めどるま)南美の2人が、その帰りに残虐な方法で殺害された。警視庁捜査一課の刑事・大河内茂雄は、遺体と面会した南美の夫 ・渉が、指紋を付けないように何にも触らないようにしていることに気が付き、背中がざわつく。目取真渉が勤めていた会社が暴力団の持ちビルの中にあるペーパーカンパニーであることが判明するが、彼は帰宅するとすぐに姿をくらました。そして、捜査上にもう1人の有力な容疑者が浮上する。「犯罪被害者家族の集い」にパネラーとして参加していた弁護士・中条謙一である。彼は、中学2年生当時、同級生の首を切り取り、校門にさらした猟奇殺人犯であった。

【第2章 難関】プロのスナイパーだった目取真は、相棒の古谷から、妻を殺害した容疑者として中条の名前が浮上していることを聞き復讐を考える。中条に完璧なアリバイがあり目取真の行方もつかめないため、捜査が行き詰まっていた大河内は、上司の小林係長から、公安部が目取真の捜査を引き取ることになったことを聞かされ困惑する。そして、大河内に接触してきた、19年前に中条の精神鑑定をした精神科医の弟子・田宮恵子は、当時中条が主張していた「透明な友人」が実在し、その人物が中条を操っていた可能性を訴える。

【第3章 接触】中条に「透明な友人」から久しぶりの電話がかかっていた頃、目取真は、 この国の闇社会を牛耳ると言われる共和会中の最大勢力・葛西組の長、葛西宏光襲撃の仕事を請け負い、組まされた素人のせいで苦労しながらも辛うじて成功させていた。偶然撮影された事件現場の映像の中に目取真の姿を見つけた大河内は、 目取真の正体に気づくと共に、その後の捜査で、幼い頃の南美を米兵から救った少年こそ、目取真ではないかと考える。また、田宮から、「透明な友人」の正体が警察関係者か警察に極めて近い位置にいる人間ではないかと聞かされた大河内は、唾を呑み下した。その頃、目取真は、チャットで接触してきた「透明な友人」が、目取真達のことを熟知していることに驚かされ、相棒の古谷は、「透明な友人」が「警察の中に情報網を持っている」人間であると予想する。

【第4章 決断】大河内は、従兄であり公安部に所属する中園に田宮の考えを聞かせ、中条の更正に関わった人間を調べてほしいと依頼する。そして帰宅後、 過去に事故死した娘のことを思い出していた。目取真は、葛西襲撃時に組んだ暴力団員を始末すべく彼らの隠れ家に乗り込んだが、待ち伏せにあう。裏切った彼らを何とか仕留めた目取真であったが、相棒の古谷は死亡してしまう。目取真 は、彼らの処分を命じた新谷 から暴力団と警察組織の癒着について聞き出した後、新谷を始末するが、待ち伏せにあった時のダメージにより網膜剥離が進んでいることを知り、復讐を急ぐべく焦り始める。

【第5章 慟哭】 木島喜久子の手首の画像をネットに流したらしき男・渋沢秀俊の惨殺死体が自宅浴槽から発見されたが、その口の中から数珠が見つかった。彼が「透明な友人」なのか、それとも「透明な友人」の正体が仏教関係者であることを暗示しているのか、大河内は悩む。「犯罪被害者家族の集い」の創設者の神足(こうたり)充三郎が、お坊さんであることを突き止めるが、木島喜久子とも目取真南美とも面識がないのではないかという関係者の証言があり、彼を聴取した刑事も注意対象外に分類していたため、大河内は今この男に力を振り向けるのは無駄と判断した。田宮は、渋沢も「透明な友人」に操られていた1人であり、彼を殺害したのは同様に「透明な友人」に操られた中条で、中条は「透明な友人」の呪縛から逃れるべく、「透明な友人」の正体を暗示した者を死体の口に隠したのではないかと推理する。そして、2人の女性が殺害されてから11日目にして、渋沢の部屋から中条の指紋が発見され、捜査は大きく進展する。池袋サンシャインシティに中条を追い詰めた警察であったが、大河内の部下の横山が中条に頸動脈を切られて死亡、中条も目取真に狙撃されて死亡するという最悪の結果を迎えることとなる。警察の不正と、中園がそれに深く関わっていることを知った大河内は、中園を追求するが、中園は大河内に真相を告げた後、川に飛び込んで死亡した。

【第6章 暴走】大切な部下と従兄を目の前で続けて失った大河内は、無意識に別居中の妻の元を尋ねていた。警察を辞め、妻と共に生きようと決めた大河内であったが、田宮がテレビに出演後、行方不明になっているという知らせを受けて捜査に復帰する。中園の上司の津島を拉致し、「透明な友人」の正体を聞き出そうとする大河内の前に現れる目取真。そこを共和会の殺し屋が襲い、返り討ちにするが津島が殺される。大河内と目取真は情報を持ち寄り、目取真による中条狙撃の現場を見ようとしていた神足こそ「透明な友人」であると断定する。神足の寺に乗り込んだ2人は、神足の差し向けた若い僧に襲われ、目取真は重傷を負う。神足が田宮を監禁していた共同墓地にたどり着いた大河内は、神足に殺されそうになる寸前、目取真に助けられる。目取真は神足を射殺すると満足そうに息を引き取った。そして、全てが終わってマンションに帰った大河内を迎えてくれたのは妻だった。不覚にも目頭が熱くなる大河内であった。

『検察側の罪人』(雫井脩介/文藝春秋) 【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2014年版(2013年作品)8位作品。 4月に入って急に忙しくなり読み終えるのに2週間以上かかってしまったが、本の厚みの割には、話は非常にシンプルである。過去に有罪にできなかった犯罪者を今度こそ法で裁くべく証拠を捏造してまで追い込もうとするベテラン検事と、その不正に少しずつ気がついて苦しむ教え子の若手検事の物語である。もう少し詳細にまとめたあらすじは以下の通り。

 ベテラン検事の最上毅は、大田区で発生した老夫婦刺殺事件の容疑者の中に見覚えのある名前を見つける。最上が大学生時代に住んでいた学生寮に一緒に住んでおり、可愛がっていた管理人夫婦の中学生の娘が殺害された事件で、重要参考人に挙げられながら結局自供が得られず証拠不十分で解放された人物・松倉重生の名前がそこにあったのだ。事件は時効を迎えたが、最上をはじめ、捜査関係者は松倉の犯行を確信していた。最上は、今度こそ松倉に法の裁きを受けさせるべく全力で事件に当たるが、松倉は時効となった女子中学生殺害については自供したものの、今回の事件についてはなかなか自供しない。最上の教え子である若手検事の沖野啓一郎は、最上から事件の担当を任され、彼の期待に応えようと松倉を厳しく取り調べるが、取り調べをすればするほど松倉が犯人とは思えなくなってきていた。そんな時、矢口昌広というチンピラから、焼き鳥屋で弓岡嗣郎という男と居合わせた時に、弓岡が事件をほのめかすような発言をしたという証言を得る。弓岡も老夫婦刺殺事件の容疑者の1人であり、多くの知人に金を貸していた老夫婦の元に弓岡の借金の借用書が1枚も残っていなかったため、沖野が最初から目をつけていた人物であったが、最上の指示で彼の捜査は後回しとなっていた。弓岡の情報で、松倉の取り調べに対するモチベーションが一気に下がる沖野に休暇を与えて、最上はとんでもない行動に出る。物語冒頭に登場し、沖野が取り調べで苦労した口の堅い諏訪部利成という闇ブローカーに拳銃を調達させ、弓岡を匿ってやるふりをして人気のない別荘地に誘い出して、彼から刺殺事件で使用された凶器を受け取ると、その場で射殺し埋めてしまったのである。行方不明となった弓岡への捜査は打ち切られ、最上が松倉の部屋からこっそりと持ち出したスポーツ新聞に包まれた凶器が河川敷から発見されたことで、行き詰まっていた事件は一気に松倉犯行説で進展する。しかし、どうしても納得のいかない沖野は検事を辞職し、松倉の国選弁護士となった小田島誠司に協力を申し出る。同じく小田島に協力することになった「週刊平日」記者の船木賢介が、冤罪事件を得意とするベテラン弁護士・白川雄馬を小田島の事務所へ連れてきたことで、事件は徐々に世間の注目を集めるようになり、弓岡の遺体が発見されたことでそれは加速する。そんな時、田名部管理官こそ、この事件をミスリードしようとしている黒幕と考えていた沖野は、「週刊ジャパン」記者の水野の何気ない会話から、最上が女子中学生殺害事件のあった寮に住んでいたことを知り、恐ろしい真相に気がついてしまう。船木は、弓岡失踪当時、最上が叔父から友人とキャンプをするからと車を借りに来たことも突き止め、それが記事になると一気に形勢は逆転し、最上は逮捕され、松倉は釈放された。白川の事務所での松倉の釈放パーティでは、松倉は中学生殺害についても否認し、命の恩人であるはずの沖野を目にすると松倉は激高し沖野に唾を吐きかける。その後、沖野は最上の収監されている拘置所を訪れるが、最上の弁護を志願するが丁重に断られる。沖野は、何が正義なのか、自分は何を間違ったのか何も分からなくなり、急行電車に向けて咆哮するだけだった…。

 前述したように物語は、非常にシンプルなのだが、各登場人物に関する人間性の描き込みは素晴らしい。特に最上に関しては、己の信じる正義のために冤罪事件を作り上げようとする彼に反発したくなる読者は多かろうが、旧友との心温まる交流、崩壊しかけていた家族が修復されていく様子を通して描かれる彼の姿に共感する部分もあるだろう。結末の、彼の旧友の1人である弁護士の前川と一緒に拘置所の面会室ですすり泣くシーンには心打たれる。平岡の捜査が簡単に打ち切られるのが不自然すぎるとか、最後にみたび登場し何もストーリーに影響を与えることなく舞台を去る諏訪部にどんな意味があるのか、とか細々した突っ込みどころがないではないが、冤罪事件を扱った物語だけに考えさせられることの多い作品だ。おそらく、世間には冤罪で有罪にされた人がいる一方で、犯罪を実際に犯しているのに証拠不十分のために冤罪事件と騒がれ裁判で勝利してヒーロー扱いされている人もいるはずだ。個人的に後者については以前から不条理なものを感じていた。最上のやり方は決して許されるものではないが、ヒーロー気取りの松倉を心から祝福できる読者はいないものと信じたい。

『怪盗グリフィン、絶対絶命』(法月綸太郎/講談社) 【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2007年版(2006年作品)8位作品。 今回借りたノベルズ版の表紙を見ても分かるように、1月に読んだ同年5位の『銃とチョコレート』同様、少年向けのちょっとライトな作品である。主人公のニューヨークに住む怪盗ジャック・グリフィンは、少年向けの作品らしくイラストからは10代の少年に見える。それはさすがに現実離れしているので、まあ、20代の若者をイメージして読めば間違いなかろう。保険会社の依頼で、高額な保険のかかった盗難品を合法的に取り戻す仕事を本業としており、盗みの方も「あるべきものを、あるべき場所に」を信条とし、私利私欲にまかせた盗みは決して働かない人物として設定されている。あらすじは以下の通り。

 ある日、グリフィンの元に、オストアンデルという人物から、メトロポリタン美術館に展示されているチャールズ・オドラデクという贋作者が描いたゴッホの作品を本物とすり替えてほしいとの依頼が舞い込む。オストアンデルのボスはS・R・ハマースタインという知らぬ者がいないほどの大富豪で、オドラデクの作品をコンプリートするために本物を差し出すというのである。しかし、美術館で騒ぎを起こして見事作品をすり替えたというグリフィンの前に現れたオストアンデルの後方には、ニューヨーク市警が待ち伏せていた。オドラデクが用意した作品こそ贋作と判定したグリフィンは結局すり替えを行っていなかったのだが、グリフィンが持っていた作品は、巧妙に仕掛けのされた紛れのない本物だった。彼らの手に落ちたグリフィンは、親しくしているフレミング夫妻を共犯者として扱わないことを条件に、新たな仕事を引き受けさせられる。それは、カリブ海にあるボコノン共和国の首都、サン・アロンゾに潜入し、軍の最高司令官、エンリケ・パストラミ将軍から、米国の最高機密を収めたマイクロチップが隠された古いマスコット人形を盗み出してほしいというものであった。1986年にバチアタリーノ政権の圧政と腐敗にたまりかねた反政府グループが軍の改革派有志と密かに手を結び共和国首都を手中に収めた、いわゆる「ボコノン革命」の、反政府運動の若き白人リーダーが、現在の共和国大統領、フェデリコ・ガルバンゾーであり、クーデターを成功に導いた立役者が、当時大佐の地位にあった改革派の黒人将校、エンリケ・パストラミである。2人は同じマニ(ピーナッツ)の殻から2つのマニを分け合い、同士の誓いを立てたという「マニの誓い」というビラを黒人兵にばらまいてクーデターを成功させたのであった。グリフィンは、オストアンデルの部下・アグネスを伴い、新婚旅行中のジャーナリストに扮し、雑誌の取材と称してパストラミに接触を図るが、そこでグリフィンは、「マニの誓い」が世間に言われているような美談ではなく、自分の血と名前を封じ込めた呪いの土偶を一体ずつ作ってその場で交換し、裏切り者はたちどころに罰せられるというシステムであったことを知らされる。オストアンデルが欲しがっているのは、パストラミが所有する、ガルバンゾー大統領の生死を左右する呪いの土偶であったのだ。実物を見せてもらえることになったグリフィンであったが、狙撃によって土偶は砕け散ってしまう。しかし、それは偽物だった。アグネスの細工によって空調が狂ったため、本物の在処へ急ぐパストラミのあとを付けていったグリフィンはパストラミに正体を明かし、本物の土偶を手に入れるが、モゲラ大佐の発射した毒矢が、アグネスの首と土偶の左胸に刺さる。なんとかアグネスとともにパストラミ邸を脱出したグリフィンは、かつてパストラミたちに呪いの土偶を作った女まじない師・マリアの娘で、同じくまじない師を生業にしているマルタにアグネスの治療を依頼し、土偶を本部に送るが、パストラミが心臓発作で倒れ、ガルバンゾーの身に何も起こっていないとは、一体どういうことなのか?グリフィンが本部に送ったのはダミー人形だったのだが、オストアンデルは、グリフィンを疑うことなく、ガルバンゾーの所有している呪いの土偶にこそマイクロチップが隠されていると訂正し、再度グリフィンに土偶奪取を依頼する。しかし、グリフィンは、マイクロチップは元々存在せず、呪いの土偶が入れ替わっているのではないかとオストアンデルを追求する。オストアンデルもパストラミが保身のために土偶をすり替えたのだろうとその意見に同意。2人はFBI捜査官を装い、大統領官邸に乗り込むことに。しかし、2人の作戦は、これまで彼らの邪魔をしてきた「蚤の目」ことジェイムズ・アレンによって、ガルバンゾー側にはすべてお見通しであった。ジェイムズは国防総省がオストアンデルの作戦を封じるべくボコノンに派遣した人物であり、オストアンデルは国防総省と対立するCIAが送り込んだ作戦部長だったのだ。しかし、銃を突きつけられたグリフィンは、既に土偶はすり替えてあり、自分が持っている土偶こそガルバンゾーの名の書かれた紙片の入った土偶であると主張。ガルバンゾーが金庫から取り出した土偶をペン先で刺しても何の痛みも感じないガルバンゾーが、土偶の腹から紙片を取り出すと、そこにはパストラミの名が記されていた。その瞬間、グリフィンの手に持つ土偶が最高の人質の効果を発揮する。秘密の抜け穴を利用し官邸から脱出した2人は、エージェントのエミリオの運転するタクシーに乗り込み一息つく。そこで、グリフィンは種明かしをする。土偶をすり替えたというのは嘘であり、ガルバンゾーとパストラミが同じように相手を疑って土偶をすり替えた結果、結局、相手の土偶を所有することになっていたのだった。つまり、パストラミは自分の呪いの土偶に毒針が刺さったから死亡したのではなく、単に心理的ショックによる心臓発作で死亡したのだ。しかし、あやふやな推測だけで官邸に乗り込んだグリフィンに納得できないオストアンデルに対し、グリフィンは最後の種明かしをする。グリフィンは、パストラミ邸から盗み出した本物の土偶の腹を割き、ガルバンゾーの名の書かれた紙片を取り出し、ガルバンゾーが無事なことを確認し、呪いが単なる迷信であることを確認していたのだった。ガルバンゾーの土偶を手に入れ彼を操ろうともくろんでいたオストアンデルは、本物の土偶が既に失われたことを知り激怒し、グリフィンを人里離れた空き地で射殺しようとする。だが、グリフィンはオストアンデルの呪いの土偶という最後の切り札を用意していた。オストアンデルは、呪いを信じていることをグリフィンに言い当てられても、オストアンデルは自分の本名ではないから効果がないと余裕を見せていたが、グリフィンに彼の本名「チャールズ・オドラデク」を言い当てられ、地に膝をつく。1か月間姿を消していたグリフィンはアグネスの前に現れ、彼が潜伏中に撮影した、彼女が見たがっていたボコノンの虹の写真をプレゼントする。

 「このミス」2014年版1位の『ノックス・マシン』はひどかったし、それ以前に読んだ2つの法月作品『 生首に聞いてみろ』(「このミス」2005年版1位)、『キングを探せ』(「このミス」2013年版8位)も、数多くの突っ込みどころがあって今一つという印象だったが、本作はライトな作品の割に、そういう突っ込みどころもほとんど見当たらず、法月作品の最高峰と呼べるほどのものではないにしろ(おそらく作者本人もそう呼ばれたくはあるまい)、よくまとまった秀作だと思う。

『神様ゲーム』(麻耶雄高/講談社) 【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2006年版(2005年作品)5位作品。 久々にぶっ飛んだ問題作の登場。読了したばかりの『怪盗グリフィン、絶体絶命』と同じシリーズのノベルズ版で、表紙こそハードカバー版から一転して大人向けの感じだが、中身は『怪盗〜』同様、少年向けである。しかし、読むと分かるが、それは読み始めのイメージだけで、大人の観賞にも十分堪えるというか、最初から少年向けを装いつつ大人向けに書いたのではないかと疑ってしまうような内容。表紙の折り返しには、「これはトイレ掃除を通して、小学生と神様の心の交流を描いたお話です」という筆者のメッセージが記されているが、なかなか言い得て妙である。主人公の少年は、自称「神様」の転校生の話をトイレ掃除の時間に黙って聞き入れることを「神様ゲーム」と称していた。最初は都会で流行っているゲームなのだろうと思って話に付き合っていたが、次第に信憑性の高い「神様」の話に引き込まれていく。今回はまとめるにも相当字数の必要な結構複雑なストーリーである。あらすじは以下の通り。

 主人公は、7月11日の10歳の誕生日プレゼントにスーパー戦隊「ダビレンジャー」に登場する合体ロボット「ジェノサイドロボDX完全版」を買ってもらって大喜びするような小学4年生の黒沢芳雄。しかし、毎年のようにケーキの蝋燭の火を1本だけ吹き消せないことを気にしている。芳雄の住む神降市では、猫殺し事件が連続して4件発生しており、芳雄が想いを寄せる東京から転校してきた山添ミチルが可愛がっていた野良猫が4件目の犠牲者であったこともあり、刑事である父に解決を強く訴えるが、父は小出町で起こった殺人事件の捜査で忙しいらしい。芳雄は浜田探偵団という浜田町出身の同級生で結成した少年探偵団に所属している。メンバーは、芳雄とミチル、そして中学生並の体躯を持ったリーダーの坂本孝志、ミチルとは対照的に活発で気が強く孝志が想いを寄せている辻聡美、運動音痴で担任の美人教師・沢田先生の写真ばかり撮っている内海俊也の5人である。親の歯医者を嗣ぐため田舎では珍しく塾に通っている岩渕英樹は、1年前のキャンプ以来、芳雄の親友となり探偵団に入りたがっていたが、浜田町出身でないため入れてもらえず悔しがっていた。
 ある日、半年前に転校してきたものの話しかけられても気のない返答ばかりしているせいで友達もいない鈴木太郎とトイレ掃除当番が一緒になった芳雄は、掃除中に思い切ってどこから来たのか彼に話しかけてみた。すると彼から思いがけない返事が返ってきた。それは、自分は天から来た神であり、ビッグバンが存在していないこと、担任が不倫していること、芳雄が36歳の時に飛行機事故で死亡すること、芳雄の親が本当の親ではないことなどを次々に語って聞かせ、芳雄は衝撃を受ける。次の日も、芳雄は太郎に質問を続け、芳雄の本当の誕生日は7月25日であると教えられ、毎年の誕生パーティでケーキの蝋燭の火がいつも1本消せないのはそういうことなのかと考える。そして、連続猫殺しの犯人の名前もあっさりと答えた。三井沢町に住む秋屋甲斐という大学生だという。その日は、神降山にある廃屋をリフォームして秘密本部としていた浜田探偵団の本部集合日で、芳雄は秋屋という大学生が怪しいという話を仲間に聞かせるが、秋屋が聡美の従兄・光一の家が経営しているアパートの問題ありの住人であることが分かり、メンバーは早速、光一の家に向かう。中学2年の光一は、これまでに手足、頭部、尻尾が切断され殺害された猫の状況から、それらが秋屋の名前をアルファベットで表したものではないかということに気がつき、それを警察に知らせることになる。
 翌日、トイレで、なぜ秋屋が猫殺しの犯人だと分かったのかと質問する芳雄に対し、太郎は「ぼくはすべてを知っているんだよ」と答え、「あんなやつ、地獄に堕ちればいいのに」と呟いた芳雄に対しては、「お望みとあらば、秋屋甲斐に天誅を下してあげてもいいよ」と答える。チャイムが鳴って神様との対話が中断された芳雄は、探偵団で何かあったのかと英樹にしつこく追求されるが、鉄の掟があるから答えられないという芳雄に対し、英樹から見切りを付けられ喧嘩別れしてしまう。
 翌日の木曜、ダビレンジャーの番組の最後で全国で5名限定のプレゼントとして紹介されていた未発売のスペシャルTシャツが当たったのを見せびらかす英樹であったが、話しかけた芳雄は無視される。彼の怒りは収まっていないらしい。この日の放課後、自宅でゲームをしていた芳雄は孝志から本部に来るよう呼び出される。集合日は火曜と金曜と決まっているので、これは緊急事態である。集合したメンバーが知らされた事実は、駿也が本部のある山中の廃屋につながる県道から降りてくる英樹を目撃したというのだ。限定Tシャツを着ていたので見間違いはないという。本部が部外者に見つかってしまったことにがっかりしながらも、本部で誰かをみつけて英樹が逃げ出したのではないかと考えたメンバーは、本部で侵入者の姿を探す。そして、孝志は本部の裏口が外から掛け金がかかっていることに気がつく。裏口の向こうはトタン塀に囲まれた裏庭で、外側から掛け金が下ろされているということは、そこに誰かがいるということである。孝志と芳雄が繰り返して体当たりをして裏口を壊して裏庭へ出たメンバーだったが、そこには誰もいなかった。いつもはたらいのような蓋がかぶせられている中央の古井戸が明けられていることに気がついたメンバーが中を覗き込むと、そこにはこちらを見上げる英樹の死体があった。メンバー全員が廃屋を飛び出し、ミチルの助言により、芳雄が刑事である父に電話で知らせることになった。芳雄の父は、芳雄に英樹の生死をもう一度確認するように伝え、自分も直ぐに駆けつけると答える。孝志が水中の英樹の腕の脈を測るが、やはり英樹は死亡していた。駆けつけた芳雄の父は、裏庭で唯一人が隠れることができそうな物置小屋を調べるが、厚く埃が積もっており誰かが潜んでいた形跡はなかった。トタン塀も人が乗り越えた形跡がなく、結局警察は事故死と結論づける。いったい犯人はどこに消えたのか?廃屋から立ち去ったはずの英樹がなぜ井戸の中にいたのか?前者の謎は、孝志や聡美の制止を振り切って(俊也は事件依頼引きこもっている)現場に戻った芳雄とミチルが解くことになる。井戸のたらい状の蓋の中に子供なら隠れられることが分かったのである。        
 7月20日の終業式の日、芳雄は自称神様の太郎に質問する。「英樹は事故じゃなく殺されたんだよね」「そうだよ」「英樹は井戸に突き落とされたの?」「違うよ。他の場所で殺されたあと、事故死に見せかけるために井戸に投げ込まれたんだよ」「誰に殺されたの?同じ小学生?」「犯人は君が思っているように子供だよ」「この前、猫殺しの犯人に天誅を下してくれるといったよね。もしかして…」「まだ下していないよ。岩渕君は犯人じゃないよ」「あれを英樹を殺した犯人に変更することはできるかい?」「いいよ」「ありがとう、鈴木君」恐ろしいやりとりの後、太郎と別れた芳雄は、その直後、さらに恐ろしい事故に遭遇する。探偵団のメンバーが集まっている所へ後者の大時計の針が落下してきてミチルの体を貫いたのである。その場をウインクして立ち去る太郎を見て、芳雄はミチルが犯人だったことを知る。
 ショックで病院で3日間も意識を失っていた芳雄が意識を取り戻した翌日、孝志と光一が見舞いにやって来て、芳雄は、聡美が同じ病院に入院していること、秋屋が猫殺しの犯人として逮捕されたことを教えられる。そして、最初に井戸を覗こうとした時にはなかったはずの英樹の帽子が、二度目に英樹の生死の確認をしに行った時にはあったという孝志の証言から、英樹発見前に現場付近から走り去った英樹は偽物だったのではないかと光一は推理する。犯人は、英樹殺害後、英樹のTシャツと帽子を身に付け現場から去った後、現場に戻って何らかの方法で英樹に服を着せたのではないかと。確かに水中にあった英樹の死体が最初服を着ていたかどうかは誰も気にしていなかったのだ。
 そして夜明け前に目覚めた芳雄は事件の真相に気が付く。翌朝、病室の入り口に太郎が立っていた。犯人は、天誅が指し示したとおりミチルであった。ミチルは英樹殺害後、英樹のTシャツと帽子を着用して着替えに帰り、着替えた後、再び英樹のTシャツと帽子を隠し持ってメンバーの1人として現場に駆けつけたのだ。ミチルからTシャツを受け取って、英樹に再び着せるにはどうしても共犯者が必要である。芳雄は、その共犯者にも天誅を与えることを太郎に依頼してから、唯一分からなかった英樹殺害の動機を太郎に尋ねる。太郎が語った真相は、ミチルは、共犯者と探偵団の集合日以外の日に本部でエッチをしていたのを英樹に目撃されて殺意を持って彼を襲ったのである。ミチルは英樹殺害後、彼の血の付いた自分の服では目立つと考え、血が付かなかった英樹のTシャツと帽子を着用して着替えに帰るところを俊也に目撃されたのだった。そして、芳雄は太郎と永遠の別れをする。来学期には、太郎がいたことすら皆忘れているだろう。
 7月25日。太郎の教えてくれた芳雄の本当の誕生日に芳雄は退院する。そして、芳雄は退院祝いのケーキの蝋燭の火を見つめながら自分の推理を確認する。Tシャツを脱がせた英樹の死体と一緒に裏庭でミチルの帰りを待っていた共犯者は、俊也の出現によって裏庭から出られなくなる。共犯者は死体を井戸に沈めたのち物置小屋に隠れて、探偵団が死体を発見して逃げ出すのを見届けてから、ミチルがソファーの裏あたりに隠していったTシャツを取り出し、井戸から引き上げた英樹の死体に着せ、再び井戸に沈める。そして開かずの間に隠れ、メンバーが死体を再確認するため、再び裏庭に向かった時に廃屋から脱出したのだ。そんなことができるのは誰か?それは芳雄の父しかいない。物置小屋を調べて何の痕跡もないと断言したのは芳雄の父自身であるし(その後の捜査で父の足跡が見つかっても、あるのは当然なので疑われることはない)、芳雄たちに英樹の生死を再確認に行かせるという父の指示は、まさに自分が廃屋から脱出するために必須のものだったからだ。
 しかし、衝撃の結末がこの後待っている。芳雄によって吹き消されたはずの蝋燭の火は、空中を移動し向かい側に座っていた人影に燃え移った。その人物は、芳雄の予想を裏切った。炎に包まれていたのは芳雄の父ではなく母であったからだ。「神様は間違えない」。芳雄は静かに目を閉じた。

 以上が、本作のあらすじだが、この結末に多くの読者はあっけにとられるはずだ。最初に、古井戸で殺されていた被害者が英樹であることに驚かされた読者も多いだろう。その犯人がミチルであることにさらに驚かされ(それが明らかになる展開は、さすがにぶっ飛びすぎで呆れてしまったが)、主人公がたどり着いた「共犯者は自分の父」という真相にも驚かされ、もうお腹いっぱいというところに、この衝撃の結末である。

 要するに、太郎の下した天誅の相手が正しいのであれば、芳雄の母が、ミチルとのエッチの相手でありミチルの共犯者ということだ。裏庭で隠れていた場所は、物置小屋ではなく、最初に芳雄が推理したように井戸の蓋の中だったということになる。蓋の中には子供なら入れるという話だったが、冒頭の誕生パーティのシーンで、「母さんがけっこう小さいから」(ノベルズ版10p)としっかり伏線が張られている。英樹の生死を探偵団が再確認に行った時に、俯いて泣いていた聡美の姿について「黒い服装と相まって、小さく丸まったその姿は、二年前のおじいさんの葬式で喪服で泣いていた母さんを思い出させた」(ノベルズ版118p)という表現も同様である。歳の離れた女同士という組み合わせには、さすがに思いもよらなかったが、その点に関しても、「ただ一ヵ月前に六年生に告白されて、『他に好きな人がいるから』と断ったという噂を聞き、実際少し前にぼくん家のことを何度か訊かれたので、もしかしたらって、わずかな希望は持っているけど。」(ノベルズ版p22)という描写が、後になって思えば伏線となっているわけだ。作者の緻密な罠には本当に脱帽するしかない。しかし、芳雄の推理通り、父の犯行の可能性もゼロではない。最愛の妻を奪うことが、父に対する天誅と言えなくもないからだ。もちろん、この推理は、太郎が本当に神様であることが前提であり、そうでないなら父の犯行の可能性はより高くなるだろう。もちろん、第3の可能性として、鈴木太郎犯人説を挙げる方もおられるだろう(彼が本物の神様なら、彼が天誅を下した2人同様に簡単に人を殺せる訳なので、その可能性を除外した場合の話)。彼を普通の人間として捉えた場合、確かに彼はあまりにもあらゆる真相を知りすぎている。動機も、第1容疑者、第2容疑者と同様であると考えられないこともない。しかし、彼の神様としての能力を疑うことは、この物語を読む限り難しい。やはり、真犯人はミチル、共犯者は芳雄の母で確定だろう。

 蛇足であるが、自分が36歳の時(7月22日)に飛行機事故で死亡すること、現在の親が本当の親ではないことを神様から告げられ、しかも、想いを寄せていたクラスメイトを神様に殺人者への天誅を依頼したせいで失い、さらには母親がクラスメイトの女子と不適切な関係を持ち、殺人に手を貸した上に、自分が神様に天誅を追加依頼したせいで不慮の死を遂げるといった災難に次々に見舞われた芳雄は、悲惨としか言いようがない。まだ小学生の芳雄には36歳という年齢にぴんと来ていないようだが、36歳での死はあまりに早すぎる。これから彼は死の恐怖と戦うことになるのであろう(もうそんな感覚も麻痺しているかもしれないが)。飛行機に乗らなくても自分の所に飛行機が落ちてくると太郎は言っていた。36歳の事故の日まで決して死ぬことはないということも。芳雄はいかにして事故の被害を最小限にするかについて考えるだろう。自分が原因で大事故が起こる可能性もあるのだから。36歳の運命の日より前に自殺することも叶わないとなると、相当やっかいだ。「北海道行きの旅客機に乗って日本海に墜落」という太郎の言う未来の歴史がどこまで現実に反映されるのか分からないが、太郎の言うように「当日飛行機に乗らない」という選択が可能ならば、「自分で軽飛行機の免許でも取って自分1人で海に墜落する」という選択が最も被害を小さくする手段であろう。読了後に、真剣にこんなことを考えさせられてしまうくらいハマった作品であった。

 

2014年5月読了作品の感想

『赤い指』(東野圭吾/講談社) 【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2007年版(2006年作品)9位作品。加賀恭一郎シリーズ第7弾。 帯には「直木賞受賞第1作」とあるが、正確には筆者が『容疑者Xの献身』で直木賞を受賞した後に最初に発表された作品であり、読者に対しあたかも本書が受賞作であるかのような誤解を与える、ありがち、かつ非常に不愉快な宣伝手法である。『容疑者Xの献身』の出版元が、講談社でなく文藝春秋であることも宣伝しにくい理由ではあるのであろうが。終盤までは、書き下ろし長編にするほどの話なのかと首をかしげたくなるほどの平凡でシンプルな物語である。息子の殺人の罪を認知症の母になすりつけようとする男に対し、主人公の加賀が情に訴えて真相を自供させようというストーリーは、1話完結のTVの刑事ドラマの中の1つのエピソード程度のネタとしか思えない(実際に2011年1月にTBSで放映されているが、新春ドラマ特別企画としてだった)。要は、ラストのどんでん返しにこの話の価値のほとんどが詰まっているわけだが、それが蛇足に思えてならない。確かに認知症と思われていた母が、実はまったくぼけていなかったというのは驚きではあるが、それまでの人情話の感動がすべてふっとんでしまう。母の口紅に絡んだ身の潔白を証明するための工作は、一応、これ以上息子が罪を重ねないようにという気持ちでやったことだと加賀の口から説明はされているが、母が自分の保身を行っていることも確かなわけで、息子や孫の罪を黙って引き受けるという筋の方が余程読者は納得しやすいのではなかろうか。母が最後まで息子の前で正気に戻った姿を見せないのも読者を興ざめさせない配慮と思われるが、正直あまり効果はない。結局、読者は、後述したあらすじの中に書いたような加賀の人間味の方で感動を味わうしかなく、それだけで読者が満足できるのかどうか非常に疑問である。
 念のためフォローしておくが、本作が読者を引き込む力は強大である。冒頭の、前原家の崩壊具合(特に八重子の人間性。結婚に妥協すると人生台無しになることがよく分かる)にはひたすら不愉快さしか感じないのだが、ページをめくる手は止まらない。東野圭吾恐るべしである。『新参者』のような有無を言わせないような感動的な物語を今後に期待したい。本作のあらすじは以下の通り。

 金曜の夜に職場に残っていた前原昭夫は、妻の八重子から「早く帰ってきてほしい」「電話じゃ話しにくい」という連絡を受け、仕方なく仕事を切り上げ帰宅してみると、庭で少女が死んでいた。引きこもり気味の中学3年の息子、直巳が自宅に連れ込んだ挙げ句に殺してしまったらしい。警察を呼ぼうとする昭夫を、息子を溺愛している八重子は必死で引き留める。結局、変質者の仕業と見せかけるべく、近所の公園のトイレに死体を遺棄する昭夫。警視庁捜査一課の松宮脩平は、犯人は車を使っていると考えるが、練馬署の刑事課に勤める加賀は、犯人がビニールにもくるまず尿で濡れた遺体を直接段ボールに入れて運んだ点から、犯人は車を使わず自転車を使ったと推理する。遺体に残っていた芝から、犯人宅には芝があるという観点で警察の捜査が進むと、昭夫は八重子と相談して認知症の進んだ母親の政恵を犯人に仕立て上げようと画策する。政恵の逮捕直前、加賀の機転で、政恵の杖に昭夫が子供の頃に作った名札が今でも付けられていることを知った昭夫は真相を語り謝罪する。しかし、昭夫はすべてを理解していなかった。実は、政恵は認知症のふりをしていただけで、自分が犯人でないことを証明するため、事前に手を打ってあったのだ。事件前に、たまたま自分の指に塗っていた口紅を、昭夫の妹の春美に預けていたのもその1つであった。口紅の付いた手で誰かを絞め殺せば当然痕跡が残るはずだが、そのような痕跡は実際には遺体にはなかった。
 松宮は、加賀の父、隆正の妹の息子であり、母と自分を支援してくれていた隆正を心から慕っていた。その一方で、病床の隆正を見舞おうともしない従兄の加賀に反発心を持っていた。しかし、加賀の鋭い推理力や犯罪者の心を洗うような自供のさせ方、父を看取らなかった理由が父自身が孤独死した母を想って希望したことだったこと、病床の父と看護婦を通じて将棋を指していたことなどを知り、加賀に対する考え方を改めていく。

『弁護士探偵物語 天使の分け前』(法坂一広/宝島社) 【ネタバレ注意】★★

 「このミス大賞」2011年の第10回大賞受賞作。 ユーモアにあふれた文章はどこかで読んだような既視感もあるが、これはこれで楽しめる。ただ、主人公のひねくれ具合は少々度が過ぎており、国選弁護人を解任されるくだりも、誤認逮捕されて取り調べを受けるくだりも、まともに自分の正当性を訴えようとせずに周囲を不愉快にしようとしかしていないところは、読んでいて気持ちの良いものではない。このキャラの味付けを、読者が喜ぶだろうと思って筆者が行ったのならばそれは間違いだと思う。このひねくれ具合が拘留7日目にころっと態度が変わって、検事と理解し合った上に、いがみ合っていた強面の刑事と握手をして別れるくらいにムードが変わるところもかなり違和感を感じた。笙子の夫の遺体を発見しながら、現場を荒らした上に警察に連絡しないのも異常。クライアントの守秘義務が何とかとか、余裕がなかったとか、無理がありすぎる。この後の展開は、後述したあらすじを見ていただいても分かるとおり、もうドタバタ。悪党の手先の小橋からの恐ろしい伝言が看護婦の口から語られるのも変だし、寅田が死んでいるのも唐突。悪党の岡山がショウコに撃たれるまで相手に気がつかないのも不自然。過去に岡山がショウコを殺そうとしていたというのもよく分からない。ショウコというキャラ自体、笙子の偽物だったことが判明するところまでは良かったが、そのあとがグダグダすぎる。事件の詳細が最後のシーンの携帯電話の伝言メモで語られるのもどうか。後書きにもあったが、最初の原稿ではここはもっとひどかったらしい。ラストで繰り返される事件の適当な要約がまたしつこい。個人的に、京子というキャラをもう少し生かすべきだと思う。突っ込みどころ満載の本作だが、続編が既に出ているらしい。決して駄作だとは言わないが、続編を読みたくなるほどの魅力は正直あまりない。本作のあらすじは以下の通り。(文庫版初版p241に 誤植あり。×「寅田氏はの可能性が高いということA型ですか」→○「寅田氏はA型の可能性が高いということですか」)

 離婚調停中のクライアントの夫、佐藤から呼び出され苦痛な2時間を過ごして事務所に帰った主人公の弁護士「私」を待っていたのは、3年前に発生した母子殺人事件の被害者の夫、寅田半次郎であった。事件当時、匿名の電話通報で現場に駆けつけた警官が見つけたのは、被害者の母子の遺体とともに血まみれになっていた内尾という20代半ばの男だけ。内尾は犯行を否定し、国選弁護人となった「私」もその方向で弁護するつもりが、第1回公判で内尾が突然公訴事実を認めたことから、内尾の供述調書を捏造してまで内尾を有罪に持って行こうとする裁判所と検察庁と対立する「私」。ルール違反である裁判官室や拘置所の接見室での録音を行い、 女新聞記者、坂上の協力も得た「私」であったが、結局弁護人を解任され、所属事務所も追い出され、1年間の業務停止処分となる。内尾の裁判については、裁判長と検事は入れ替えられ、内尾の精神鑑定の再鑑定結果は「責任能力なし」とひっくり返り無罪となった。
 そして、業務停止の期間が残り1か月になった時、「私」はある女と出会う。 それが現在のクライアント、佐藤笙子であった。結局「私」と寅田は酔いつぶれ、要件を告げぬまま寅田は立ち去った。気になった「私」は寅田の勤めていた病院に電話するが彼はすでに辞めており、自宅も更地になっていた。次に内尾が入院させられた大野原病院を訪れ、澤井佳耶というアルバイトの受付嬢と知り合うが、総務課長の小橋に冷たく追い返される。「私」は、翌日再び精神保健当番弁護士という制度を利用して大野原病院を訪れ、佳耶の協力も得て内尾の病室を探るがそこはもぬけの殻であった。小橋によれば、内尾は昨日脱走し、病院は「私」の関与を疑っているらしい。帰りに事務所から100メートル手前の交差点でニット帽の男とぶつかった「私」が事務所にたどり着くと、そこには内尾の絞殺死体があり、「私」はトイレから飛び出してきた大男に後頭部を殴られ気を失う。意識を取り戻した「私」は踏み込んできた警官に殺人の容疑で逮捕されるが、「私」は鬼瓦と勝手に名付けた刑事の執拗な取り調べを、7日間のらりくらりとかわし続ける。7日ぶりの検察庁で検事の島原がある程度の情報を提供してくれたことで、「私」も当日の詳細な状況と、現場に残された2メートルのザイルの不自然さについての話をしたところ、島原の理解が得られ、その2日後に「処分保留」という理由で「私」の釈放が決まり、鬼瓦と握手をして留置場をあとにする。
 自宅に戻った翌日、事務所に寄ってから公園のベンチに座っていると笙子が現れ、「調停は取り下げた」「もう話し合いはできないと思う」「もっと早く会いたかった」と告げて去っていった。笙子の夫が言っていたようにイタリア語には詳しくなかったこの女性が笙子本人ではないことに気がついた「私」は、夫が実質住んでいるウイークリーマンションを訪ねるが、そこで夫の遺体を発見する。クライアントの守秘義務もあり、警察には知らせず本物の笙子の自宅も訪ね、やはり自分のクライアントが笙子の偽物であることを確認する。笙子の偽物=ショウコを探さねばと考えつつ、深夜事務所に戻ると、そこには寅田が待っていた。「私」の予想通り、先日の事件で事務所に内尾の遺体を担ぎ込んだのはニット帽の男であり、偶然それを目撃して彼と格闘し怪我をしてトイレに潜み、その後帰ってきた「私」を殴り倒して逃げたのは寅田であった。 寅田は、「私」がまさか自分をかばってくれるとは思わなかったとひたすら謝る。
 坂上の協力もあり、5年前に大野原病院で薬剤過量投与による死亡事故があって担当看護婦が自殺していることが分かり、そこから「私」は病院が保険金詐欺や薬の横流しを行っていること、自殺に見せかけて殺されたのが佳耶の姉であり、佳耶が復讐を計画していることに気がつく。病院から遺産を狙われている事故で死亡した女性の夫、今村を寅田とともに病院から脱出させるとともに、佳耶を病院から引き離そうとする「私」。寅田を彼の潜伏先の鳥栖で降ろし、寅田から紹介された長崎の精神科医院にたどり着いた「私」であったが、鳥栖の病院に電話をすると、取引をしたいという小橋からの伝言を聞かされる。鳥栖に引き返そうとした時、グローブボックスから出てきた写真から、ショウコの正体が大野原病院の院長の姪であることが分かる。院長の岡山の指示で、鳥栖市民の森にやってきた「私」は、寅田の遺体を発見するが、直後にスタンガンで気絶させられる。山中のあばら屋で意識を取り戻した「私」が岡山と対峙するところへ小橋の車がやってくる。車から降りてきた人物は佳耶を抱えていたが、いきなり岡山を射殺したその人物は小橋ではなくショウコであった。ショウコはしばらく「私」と語り合うと自首の勧めを断りバイクで去っていった。「私」は残された車にあった小橋の刺殺体を車から降ろし、岡山と差し違えたように偽装し、寅田の死体と眠らされている佳耶を鳥栖の医師に預けた。コートの胸ポケットにショウコが入れたらしい佐藤の携帯電話には、事件に関する貴重な証言の数々が録音されおり、佐藤が、佳耶の姉と寅田の妻を殺害にかかわっていたことのみならず、岡山がショウコの命まで狙っていたことが明らかになる。携帯を処分して、事務所に戻ってきた「私」を待ち構えていたのはボスの秘書の京子だった。心配する京子に事件のあらましを適当に説明した「私」は、警察に説明するために、さらに適当な話を考えていた。

『蒲生邸事件』(宮部みゆき/文藝春秋) 【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」1997年版(1996年作品)4位作品。 主人公の高校生が、タイムスリップした先で殺人事件の解明に挑むというSFミステリ。1997年の第18回日本SF大賞を受賞、1996年下半期の第116回直木賞の候補にもなった(筆者はその後、1998年下半期の第120回直木賞を『理由』で受賞)。 読み始める前にネットで評判を調べてみた時には「宮部作品としては微妙」という書評も見たが杞憂に終わった。やはり、宮部作品は別格であることを思い知らされる傑作であった。SFもミステリも、今回の「歴史に向き合う人間の生き方」というテーマを掘り下げるための手段でしかない。以前にも書いたかもしれないが、★★★という個人的評価には5段階評価の4(とりあえず特に大きな問題点を感じない良い本)と5(文句なしの傑作で絶対読んでほしいオススメ本)が含まれていて、最初から5段階評価にしておけば良かったと後悔することがあるのだが、本作は私の中では間違いなく5。今回読んだのは文庫版 だが、少年少女向けのノベルズ版も出ているらしい。若い人に、この物語の良さの全てがどこまで理解してもらえるかは分からないが、その片鱗は絶対に感じてもらえるはず。老若男女問わずに是非読んでほしい1冊である。

 舞台は1994年の2月の東京。主人公の尾崎孝史は、受験した大学にことごとく落ち、今度は予備校受験のため、大学受験時に宿泊していた父が用意した古いホテル「平河町一番ホテル」に再び舞い戻ってきた。そこで周囲の光がゆがんで見えるくらいに暗い雰囲気の宿泊客の男に出会うが、彼が非常階段から消失し再び現れるのを目撃し動揺していると、ホテルの フロントマンは、このホテルが建つ前に、この場所に建っていた蒲生邸の主人で、二・二六事件当日に自殺した蒲生憲之大将の幽霊の話を孝史に聞かせる。
 その夜、ホテルが火災に見舞われ、逃げ場を失った孝史を救ってくれたのは、あの暗い男であった。そして、その男の持つ能力は恐るべきものであった。 男が火災から逃れるため孝史を運んだ先は58年前の同じ場所、昭和11年2月26日の蒲生邸の敷地内。つまり男は時間旅行者 だったのだ。彼は、この時代では平田次郎と名乗り、あらゆる時代を行き来して歴史が簡単には変えられないことを痛感し、なぜかこの住みにくそうな時代に蒲生邸の使用人として住み着くべく準備を進めてきたらしかった。孝史は、自分の世話をしてくれる蒲生家の可愛い女中、向田ふきに想いを寄せると同時に、 その主人、憲之の死を願う後妻の鞠恵と、その愛人で憲之の弟の嘉隆に不愉快さを感じていた。平田は、孝史を自分の甥っ子ということにして、しばらく一緒に住まわせようとするが、孝史が強行に元の時代に帰ることを主張したため、やむなく平田は孝史を連れて再びタイムトリップに挑戦する。しかし、平田の恐れていたとおり孝史を連れての連続タイムスリップは困難であえなく失敗。2人は昭和20年5月25日の東京大空襲の日に出現してしまう。やむなく元の時代に引き返す2人であったが、引き返す直前に空襲でふきが焼死するのを目撃した孝史は、大空襲の日までに彼女を蒲生邸から 連れ出すことを心に誓う。何とか昭和11年の蒲生邸に戻ってきた2人であったが、無理がたたって平田は意識不明の重体となる。そんな時、憲之の部屋から銃声が聞こえる。二・二六事件当日に軍部の独走を憂えて彼が自決することが史実であることは、ホテルに掲げられていた文書を読んだ孝史も知っていたが、憲之の長男、貴之が 遺体の周辺で必死に何かを捜している不可解な行動に対し、孝史は疑念を持つ。 さらに貴之は邸の電話線を切断した上に、平田を診察に来た主治医の葛城には憲之の死を公にしないよう依頼し、憲之の死亡現場を警察の現場検証も待たずにベテラン女中のちゑに片付けさせていた。我慢ができなくなった孝史は、貴之が探しているものが自決に用いたはずの拳銃であることを指摘し、これは殺人事件だと宣言する。
 葛城の提案で蒲生邸の人々が居間に集められた。葛城と孝史、憲之の長男の貴之、その妹の珠子、憲之の歳の離れた弟の嘉隆、その愛人で憲之の後妻を主張する鞠恵、そして、女中のふきとちゑの8名である。二・二六事件で道路が封鎖され、室内の窓に鍵がかかっていたことから外部の犯行ではないことは確かであったが、この中の誰かが犯人であるという決定的証拠も動機も確認できないまま、その場はお開きとなった。そこで平田がホテルの非常階段の2階の部分から消失したことを思い出した孝史は、平田が邸の2階の憲之の部屋へ彼を殺害するためにタイムトリップしたのではないかという疑いを抱く。
 では、平田の憲之殺害の動機は何なのか。自決するはずの人物を、わざわざ先回りして殺害する理由とは…。2月27日の朝、そんなことを考えながら暖炉の中を覗いた孝史は、煙突に続く金網の上に金属の物体を発見する。見つかっていない拳銃かと思われたそれは、以前邸に勤めていた憲之の付添婦、黒井の煙草入れであることが判明する。憲之に重用される黒井に嫉妬した鞠恵が隠したものらしい。そして家人から黒井に関する様々な証言を聞いた孝史は、ある確信を持つ。平田は、自分には同じ能力を持った叔母がいたと言っていた。その叔母が、黒井の正体なのではないか。 黒井は憲之を何度も現代に連れて行っていたのではないか。その結果、憲之はそれまでの思想を転換して軍部の独走を憂えるようになり、黒井は無理がたたって死亡してしまったのではないか。平田は、その 黒井の復讐をするため憲之の名誉の自決を阻止し、単なる殺人事件におとしめようとしたのではないか。しかし、そのことを問い詰める孝史に対し、平田は、憲之を殺してもいないし、怨んでもいないと答え、何日かたったら真相を話すと約束する。
 葛城は、孝史と2人きりになった時、「君は、輝樹さんではないのか」と孝史に尋ねる。輝樹というのは憲之の妾の子で、貴之と珠子の腹違いの弟であり、母親とともに満州に渡ったらしい。当然のように否定する孝史。その夜、書斎で、貴之と嘉隆と鞠恵とで今後の話し合いが持たれることになったが、室内を覗こうとした孝史は珠子に後頭部を火かき棒で殴られ倒れる。その珠子は、火かき棒の次に拳銃を取り出した。貴之の予想していたとおり、憲之の自決は本当にあったことであり、その拳銃を持ち去ったのは、最愛の父を困らせ続けてきた嘉隆と鞠恵の殺害をもくろむ珠子だったのだ。 その時、貴之、嘉隆、鞠恵の3人は、珠子によって睡眠薬入りの紅茶で眠らされていたのだが、意識を失いつつある孝史と、拳銃をかまえた珠子の前で驚くべきことが発生する。6時の置き時計の鐘の音とともに黒井がタイムトリップして現れたのである。予想外の状況に戸惑った 様子の黒井であったが、嘉隆と鞠恵の腕をつかむと、「どうぞ坊ちゃまにお伝えくださいましよ。黒井は約束どおりにやってきたと、すべては片がつきましたと」「お嬢さま、どうぞお幸せに」と 珠子に言い残し、嘉隆と鞠恵とともに姿を消した。孝史は、珠子の落とした拳銃をつかむと、倒れた珠子とともに意識を失う。
 2月28日の朝、意識を取り戻した孝史は、貴之から珠子を止めてくれたことの礼を言われ、孝史は、これまでの全ての事実を貴之に打ち明ける。それに対し、貴之は憲之が黒井とともに時間旅行していたことを知っており、自らも体験していたことも含め、これまで隠してきたことを孝史に全て語ってくれた。黒井が貴之に対し、嘉隆と鞠恵を駆け落ちに見せかけて他の時代へ連れて行く約束をしていたことも。孝史は、珠子とふきにも真相を教えてやってほしいと頼み、再び眠りにつく。孝史にとって残った謎は、なぜ平田がこの時代に来たのかということだけだった。
 そして、3月4日に病院から帰ってきた平田は孝史に語る。「これからやってくる戦争の時代を、この時代に根をおろして、この時代の人間として体験するんだ。…そうして闇雲に生き抜いたとき、あるいはそこで死ぬとき、抜け駆けのない同時代の人間、今この時代を生きる大勢の人たちと同じ立場にたって、叔母や蒲生大将について、私はどんな考え方をするだろう?…怒り狂うかもしれない。でもそれは、まがい物の神じゃない。人間としての怒りだ。先回りして知っていたくせに、なんで俺たちを批判できるんだと、歴史の部品であるひとりの人間が、ひとりの人間として抱く怒りだ。…だがもしかしたら、叔母を、蒲生大将を、許すことができるかもしれない。彼らのしたことを、せずにはおれなかったことを、同時代の人間として許せるかもしれない。そしてそのときは−そのときにこそ、私も許されるのかもしれない−そう思った。…そして私は人間になれる。まがい物の神ではなく、ごく当たり前の人間に。…そのためにこの時代に来たんだよ」
 孝史は、平成の時代にふきを連れて行こうとするが、造船会社に勤める孝史と同じ歳の弟を置いてはいけないと断られる。そして、孝史が来た年の4月20日に雷門の下で会う約束をして 、孝史は現代に帰った。火災から1週間後に一時的な記憶喪失状態で自宅に帰ってきたという設定で、何とか通常の生活に戻った孝史は、ホテル跡で出会ったホテルのフロントマンに教えられた写真館で蒲生邸の写真を手に入れる。そこには平田が小さく写っていた。ホテルの非常階段から消えた時の平田が行ったちょっとしたいたずらに孝史は微笑む。その写真館にはさらに驚くべきものがあった。それは輝樹が描いた珠子の肖像画であった。いつ しか珠子たちが輝樹と巡り会い、和解して、珠子の援助で輝樹が有名な画家になったことを知り、孝史は喜ぶ。珠子はタクシー業界最大手の会長夫人として昨年大往生したという。
 4月20日、雷門の下に現れたのはふきの手紙を持った彼女の孫娘であった。ふきは6年前に亡くなったという。手紙には、タクシー運転手と結婚したこと、空襲の日に黒井が連れ去った嘉隆と鞠恵が現れて 焼死したこと、貴之が小学校の教員となって51歳で世を去ったこと、平田が硫黄島で戦死したこと、ふきが病のせいでもう孝史には会えそうにもないこと、そして最後に、孝史の幸せを願っていることが綴られていた。孝史の頭の中には永遠に変わらぬふきがいた。

『臨場』(横山秀夫/光文社) 【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2005年版(2004年作品)9位作品。 珍しくテレビドラマ化された方を先に見ていた作品だったので、なかなか読む気になれなかったのだが、奥さんが文庫本を持っているのを知って借りて読むことに。まず思ったのは、テレビドラマで主演していた内野聖陽(うちのせいよう・つい最近まで本名の「まさあき」という読み方だった)が、いかにはまり役だったかということ。彼の演技が素晴らしいだけでなく、自分がそういう目で読んでしまっているせいもあるかもしれないが。ちなみにwikiで内野聖陽を調べていたら誕生日が同じ(9月16日)ことに気がつきちょっと嬉しくなった。今まで同じ誕生日の有名人と言えば東国原英夫くらいしか知らなかったので(他にもいるにはいるが本当にメジャーな有名人が少ない)。さて、話はそれたが、近づきがたそうな男臭さを持ちながら、後輩やマスコミ関係者まで連れて毎日のように飲み歩き、若い警官から慕われている主人公の倉石義男は、なかなか魅力的なキャラである。このあたりがハードボイルド小説とはちょっと違う。他に普通のハードボイルドと異なるのは、彼が普通の刑事ではなく、L県警本部の捜査一課検視官であること。タイトルの「臨場」が示すとおり、鑑識と共に事件現場に赴き、死体を検分し初動捜査にあたるのが彼の仕事である。一見自殺と思われる案件を殺人事件と判断したり、逆に殺人と思われたものを自殺と判断したりして、しかもその見立ての正確さは飛び抜けて高く、「終身検視官」とか「校長」とまで呼ばれて、警察上層部からはよく思われていない。このあたりは、ハードボイルドっぽいか。2回もテレビドラマ化されているにもかかわらず、本書に収録されているのは8編の短編のみで、収録されていない4編を合わせても12編しか発表されていない。もっと多くのエピソードを読みたくなる傑作。8編のあらすじは以下の通り。

 「赤い名刺」…倉石の下で見習い中の一ノ瀬は、自宅に帰ろうとしていた矢先に飛び込んできた首つり自殺の通報の内容に驚愕する。自殺者が、かつて自分が不倫をしていた女、ゆかりだったからだ。すでに彼女とは別れた後だったが、現場である彼女の部屋には、自分の指紋は勿論、自分の名刺が貼られた手帳があることを一ノ瀬は知っていた。面倒なことにならないように、倉石に同行 を申し出る一ノ瀬。誰にも気づかれずに彼女の手帳を回収することに成功した一ノ瀬だったが、彼女に結婚の予定があることを聞いていた彼は、彼女のしていた指輪がなくなっていることからも、殺人事件ではないかという疑念を抱く。 彼女の隣人を疑い、思い悩んだ末に倉石に知っていることと自分の推理を報告するが、倉石はすでに真犯人を見抜いていた。特殊な開け方が必要なゆかりの部屋のドアを何の問題もなく開けた警察医の谷田部が犯人だったのである。

 「眼前の密室」…新聞記者の相崎は、刑事顔負けの推理力を持つキャップの妻の甲斐智子とコンビで、県警本部の官舎で張り込みをする。老婆殺しの容疑者 に関する情報を、官舎に帰ってくる大信田班長を待ち伏せして聞き出すためである。ポケベルで呼び出された15分だけやむなく現場を離れた相崎であったが、デスクの赤石に教えられたとおりドアノブに小石を乗せて、班長の帰宅が分かるよう仕掛けをしておいた。ポケベルはライバルのいたずらと判断し、小石があるのを確認して張り込みを再開した50分後、帰宅した班長から有力な情報をつかんで喜んだのも束の間、班長の妻の変死体が発見される。相崎の仕掛けによって班長宅は密室であったはずであったが、犯人は、相崎の仕掛けも知っている赤石であった。自分の息子が、班長の息子にいじめを受けていたことに対する報復だったらしい。なぜ、警察が赤石に目を付けたかというと、倉石が赤石のスズムシ外交に気がついたかららしい。事件とは関係のない妖しげな叙述トリックが仕掛けられた冒頭部や、倉石と組ませたら無敵ではないかと思える甲斐智子のキャラの魅力には引き込まれるが、メインの密室トリックはたいしたことがなく、スズムシの話も倉石を登場させるために無理矢理出してきたようなもので、後味が今一つの作品。

 「鉢植えの女」…姑に孫をせがまれ続け、夫からは自分だけに不妊治療をさせられてうんざりしていた45歳の主婦の小寺裕子は、 出会い系サイトに走る。そして、そこで知り合った年下のサラリーマン、筒井道也に夢中になるが、いつしか連絡が取れなくなって追い込まれていた。彼に捨てられるくらいならと 、裕子は彼の部屋に忍び込み、眠っていた道也に口移しで青酸カリを飲ませて無理心中を図る。高嶋課長から警察庁への出向の打診を受けていた一ノ瀬は、 倉石が到着するまでに完璧な検視を行おうと気合いを入れていた。彼は、この事件を「倉石学校」の卒業試験と 自分で決めていたのだ。そんな時、検視官時代に「ミスターパーフェクト」の異名を持っていた高嶋は、郷土史家の上田昌嗣が書庫で死亡している現場にいた。倉石をよく思っていない高嶋は、その現場を殺しに見せかけた自殺と判断し、倉石を試そうと考えた。上田が自殺前に書き残したと思われるダイイングメッセージから、上田が開催していた自分史教室に通っていた須藤明代を陥れるための自殺と見ていた高嶋であったが、倉石は同じ自分史教室に通っていた佐々木奈美によって監禁・殺害されそうになった上田が、佐々木の犯行であることを知らしめるために行った自殺であると断定。高嶋は自分の見立ての間違いを知りショックを受ける。一方、倉石から最初の見立てに駄目出しをされていた一ノ瀬は修正案を倉石に提出。一ノ瀬に「銀座で飲む時は電話よこせ」と笑みを浮かべる倉石。一ノ瀬は見事卒業試験をパスしたのだ。倉石の人間的魅力が伝わってくるいい話。

 「餞(はなむけ)」…定年退職が間近に迫っている小松崎刑事部長には、気になることが1つあった。それは、13年前から欠かさず彼の元に届いていた 差出人不明の年賀状や暑中見舞い。「霧山郡」とだけ記されていたが、消印から絞れる「霧山郡霧山村」に関係する人物に手錠をかけた記憶はない。去年の年賀状を最後に ハガキは途絶えたため、差出人は死亡したのだろうと考えていたところに女子大生殺しの通報。その事件をあっさりと解決した倉石に思い切って相談してみると、倉石は、霧山郡で昨年亡くなったのは11歳の少女と77歳の老婆 で、老婆は七三で自殺の可能性が高いという。小松崎は、おそらく差出人は老婆の方だ と考え、彼女がいた老人ホームを訪れる。そして、彼女が自分を産み捨てた実母であると確信する。退任セレモニーの日、倉石は小松崎に、老婆の死因は事故死だと報告する。三が十に昇格したことに倉石なりの「餞」だと思った小松崎であったが、倉石は「自慢の息子を持った母親が自殺したケースは過去に1件もない」と断言する。直後に音楽隊が「蛍の光」の演奏を始め、小松崎は涙をこらえることはできなかった。(これもいい話。)

 「声」…自分の通う短大創立5周年記念講演会に講師として来ていた美形のカウンセラー、見供政之に一目惚れした斎田梨緒 は、彼に講演内容に関するレポートを送る。年賀状で正月休みに自宅に遊びに来るよう招待された梨緒 は完全に舞い上がるが、彼女は見供に眠らされ乱暴される。短大を中退し四年生大学へ入り直して司法試験に合格した梨緒は実務実習生となっていたが、彼女が自殺したという報告が検事の三沢 勇治の ところに入る。彼女の部屋に向かう間、彼女に想いを寄せていた三沢と検察事務官の浮島は、お互いに彼女の自殺の原因を作ったとなじりあう。彼女の部屋に着くと、フロア中に「死ね !」と書かれた ファックス用紙が散らばっており、2人は唖然とする。2人は殺人を主張するが、その場にいた倉石にことごとく論破され、彼女が自殺であり、間接的に自分たちが殺したことを認めざるをえなくなる。(女性の心の傷に関して深く考えさせられる作品。最後の最後にまで筆者の仕掛けが仕込まれている。)

 「真夜中の調書」…高校教諭殺しの犯人として逮捕された深見忠明は黙秘を 続けていたが、科捜研のDNA鑑定の結果を聞いた途端に犯行を自供した。深見を落とした刑事の佐倉は科捜研の北沢と飲む約束をしていたが、科捜研 の所長のところに倉石から「DNAをちゃんとやれ」という電話が入ったせいで北沢の到着が遅れる。 今回一致したDNAの型は100万人に1人の珍しい型のため深見の犯行は間違いないと思われたが、佐倉は 倉石が血液型の話を聞いたというL医大の西田教授から、両親の血液型から生まれるはずのない血液型の子供が生まれるという話を聞き出し全てを理解する。深見は自分の息子があり得ない血液型だったため、妻を疑い離婚していた。しかし、その特殊な血液型に関する新聞記事を読んで、もしかしたらという疑念を持ち、きちんと検査するため自分の捨てた息子の勇作を追っていた。そして、勇作が教諭を殺す現場に居合わせてしまう。勇作をかばうために彼は咄嗟に逮捕される道を選んだのだ。そして、犯人のDNAが非常に珍しい型で、自分のものと一致することが分かり、勇作はやはり本当に自分の息子だと確信して犯行を自供し、息子をかばい通す決心をしたのだった。佐倉は深見の口から真実を聞き出すが、その前に倉石が彼の元を訪れていた。(救いようのない物語の中に倉石の人情が光る話。)

 「黒星」…落ち目の演歌歌手・十条かおりがホテルの部屋から転落死し、元恋人の体操のメダリスト、大磯一弥の電撃婚約のニュースを聞いての発作的な自殺だと判断されるが、 倉石だけは殺しであると主張する。部屋の真下はハボタンの花壇だが、隣のアリッサムの花壇に転落していたことから、何者かが薬物で眠らせ、その薬物臭を相殺できるほどに匂いの強いアリッサムの花壇に意図的に落としたという判断である。倉石の初黒星かと思われたが、すぐにマネージャーが殺人容疑で逮捕され事件は解決した。その頃、婦警の小坂留美の元に 、自分も含めた警察学校の同期3人で1人の男を取り合った友人の1人、春枝から電話がかかってくる。 その男とはもう1人の友人、久乃が結婚したのだが、春枝も10年前に警察を辞め結婚していた。自分だけ警察に取り残され噂の的にされた留美は、春枝との話が弾むはずもなく、春枝は「明日あたり会うかもね」 と言って電話を切る。翌日、排ガス自殺と思われる状況で春枝の遺体が発見される。倉石に呼び出された留美は、春枝の予言通り春枝 に会うことになったのだ。誰もが自殺と判断する中、倉石だけが殺しだと断定する。 しかし、捜査を進めれば進めるほど春枝の自殺は確かなものとなっていく。そして、ついに倉石は他殺説を撤回し自殺と認める。留美は分かっていた。不幸な結婚をした春枝が出し続けていたSOSを誰も受け止めてやろうとしなかったから、倉石は本当の彼女の自殺の理由をみんなにきちんと知ってほしかったのだと。しかし、1つだけ分からなかったことが。なぜ倉石は、自分の輝かしい経歴に「初黒星」をつけてまでそこまでやるのか。倉石は彼女の疑問に答える。「部下だからだ」…春枝は1年ほど倉石の部下だったことがあるのだ。留美はそれまでの男性観が変わるくらいの衝撃を受けた。(この後の、息子夫婦のために刺殺する老人の話や、留美を独身の記者に東京へ連れて帰れと勧める倉石の話なども含め、実にいい話。)

 「十七年蝉 」…高嶋課長は署長ポストを用意して検視官10年目に入る倉石に異動を勧めるが、倉石は「十七年蝉」という言葉を盾にしてその話を断る。L県警巡査部長の永嶋 武文は「改心組」と呼ばれる元不良少年の経歴を持つ警察官であるが、彼は、突然、調査官心得への異動の辞令を受け、倉石の元で働くことになる。仕事に忙殺される中、 彼は過去を思い出す。高校時代の恋人、朱美が、中学時代の同級生に騙され暴行されて自殺し、激高した彼はその浮流たちを不良たちを半殺しにしたのである。そして、不良高校生の射殺事件が発生 。倉石は永嶋に野次馬の中に知っている顔がいたら知らせろという指示を与える。倉石は、17年前と34年前に起きていた 不良少年の殺害事件に関連した事件が今年起こると予想していた。それが「十七年蝉」だったのだ。高嶋は、倉石が永嶋を疑っているのではと思い、永嶋自身もそのように考え始めるが、倉石の真意は全く異なっていた。倉石は朱美の父を疑っていたのだ。永嶋は、自分を容疑者扱いしているのではという疑いは晴れたものの、納得し切れていなかった。だが、倉石の言動でついに気がつく。いいかげんに朱美のことを忘れるべきだということ、16歳の永嶋を朱美の家から突き出したのが倉石だったこと。永嶋のかすんだ視界には、永嶋に想いを寄せてくれている早瀬あや子の姿が浮かんでいた。 (これも最後を締めくくるにふさわしいいい話なのだが、倉石が癌などの重い病気に冒されていることをうかがわせるラストがあまりにもの悲しすぎる。)

『星籠(せいろ)の海(上/下)』(島田荘司/講談社) 【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2014年版(2013年作品)9位作品。分厚いハードカバーの上下巻という組み合わせに長い間読むのを躊躇していたのだが、とうとう観念して読むことに。しかし、導入部は意外にも軽い感じで比較的物語の世界には入りやすい。著者の代表作とも言える御手洗潔シリーズ最新作で、筆者が本シリーズ1作目『占星術殺人事件』でデビューしたのは知っていたが、それが何と30年以上前の1981年で、本作はシリーズ38作目にもなるというのは今回初めて知った。もちろん本シリーズ以外にも多数の著作があり、過去に読んだ本シリーズに属さない『奇想、天を動かす』と『写楽 閉じた国の幻』はどちらも傑作であったので、今回の期待値は低くはなかった。本作は、一言で言えば、「500年の時を超えて、瀬戸内海を舞台に村上水軍の秘密兵器『星籠』が、新興宗教団体という現代の黒船を撃退する」という物語である。主人公の御手洗潔は天才肌の名探偵で、探偵というと警察に煙たがられるタイプも多いが、彼は 事件の真相をあっという間に見抜き、てきぱきと警察に的確な指示を出し、警察も何のためらいもなく全て彼の指示通りに動くという、神がかった人物。何らかの国家機関とも関係があるらしく、そのことが彼の権力とも関係があるようだ。ワトソン役の助手として石岡和己が常に帯同しており、彼の視点で書かれている部分が多い。結論から言うと、 非常に読み応えはあるのだが、これだけ次々に奇想天外な事件を起こして話を複雑にし、物語を長引かせる必然性はあったのか、というのが正直なところ。連載誌の都合があったのかもしれないが無駄に長すぎる気がする。 事故で女優への夢を絶たれる田丸千早のエピソードなどは特に。そして長いわりには最後のオチが今一つという長編小説にありがちなパターン。最後の「星籠」の活躍のシーンはもう少し盛り上げられたのではないか。 ある意味この物語の主役なのに、肝心のクライマックスに登場した瞬間失われてしまうなんて…。ここが一番残念なところ。あとは、原発批判がさりげなく入っているが、妙に及び腰で中途半端なのが気になる。他に些細なことだが、「ヴォランティア」とか「ヴィニール」とかいった表記には違和感を感じる。筆者のこだわりなのだろうが、明らかに変。あらすじは以下の通り。 いつものように物忘れの激しい自分のためにメモっておく。

【第一章】瀬戸内海の興居島に1年弱の間に6人もの身元不明の遺体が流れ着くという話を聞いた御手洗と石岡は、通産省(現経済産業省)の水理実験場を訪れ、ボールを使った実験によって遺体の出所が福山であることを確認する。

【第二章】小坂井茂は、高校の同級生、田丸千早に言われるがままに演劇部に所属し、卒業後も彼女に誘われるがままに福山から上京し、一緒に演劇を続けることになる。しかし、順調に女優への道を歩んでいく千早に対し、演劇にも勉学にもやる気のない小坂井は、劇団も追い出され千早にも見捨てられる。ついにテレビドラマで大役を射止めた千早だったが、ロケ初日に大きな交通事故に遭い女優への道を絶たれ、見舞いに訪れた小坂井と共に福山に帰ることになる。しかし、まともな職にも就けず、千早にも愛想を尽かされつつあった小坂井は、日東第一教という新興宗教にはまっていく。千早はパリで自殺未遂をしたことを周囲に漏らした小坂井に激怒し、彼の目前で「呪い殺してやる」と言う言葉を残し焼身自殺するが、小坂井は彼女が運び込まれた病院で世話になった辰見洋子という看護学生に惹かれていく。そして2人が交際を始めて1年後、ついに千早の呪いが牙をむく。ある雨の夜に、小坂井は洋子からベビーシッターのバイト先に呼び出される。性行為を求めたと思ったら、自分の腹部をノミで刺し、小坂井に両手首を棒に縛り付けて、その棒をテーブルに打ち付けるよう要求する洋子に、パニックになる小坂井。洋子は病院から処理を頼まれたドラッグをヤクザに襲われて奪われたことにすると説明する。

【第三章】福山署に行く途中で日東第一教会の合同結婚式の会場に立ち寄った御手洗と石岡は、瀬戸内海の恐竜について書かれたチラシを見つける。「食べられた被害者は、今のところ6人だね」と真顔で呟く御手洗。彼らが福山署に着くなり、マンションで女性の変死体発見のニュースが飛び込んでくる。さらに、御手洗が警察に死体をそのままにしておくように指示すると、直後にその死体を運び出そうとした男たちが逮捕される。御手洗は何に気がついたのか。そして今度は歩道橋から男が突き落とされ死亡。両方の死体の持ち物の中に同じマークが入ったものが見つかり、「これですっかりストーリーが読めた」と言う御手洗。

【第四章】ストーカーにつきまとわれていた福山市立大助教授の滝沢加奈子は、福山歴史博物館の富永から黒船対策の幕府の新兵器に関する資料が発見されたという連絡に驚喜する。「星籠」と言う名の未知の兵器の正体に胸躍らせ博物館を後にした加奈子を、彼女に想いを寄せる同僚の藤井照高が待っていた。2人が「星籠」について議論しながら歩いているところに、またしてもストーカーが現れる。ストーカーともみ合いになった藤井を置いて逃げ出す加奈子。

【第五章】マンションで殺害された宇野芳江の一人息子の智弘は、母の生前、いじめっ子に仕返ししようとしていたところを、小さな造船会社社長の忽那准一に止められる。智弘が自宅に帰ると、母の店では客たちが瀬戸内海を泳ぎ回る首長竜の話で盛り上がっていた。

【第六章】藤井が行方不明になっている福山市立大学を訪れた御手洗は、いきなり加奈子への追求を始める。彼は全て見抜いていた。加奈子が配偶者を求めて日東第一教に入信していたこと、彼女があてがわれた相手に失望し無断退会したこと、その後その相手にずっとつきまとわれていたこと、そして藤井が彼女を守るためにその相手を歩道橋から突き落とし逃げていることである。全てを認めた加奈子は「星籠」の謎を解くため御手洗に協力を依頼する。村上水軍は信長の巨大鉄船に一度敗れるが、水軍の新兵器「星籠」によって報復し沈めたのだと御手洗は断言する。村上水軍以外に有力な水軍がいなかったか尋ねる御手洗に、加奈子は「忽那」という水軍がいたことを教える。

【第七章】母の死後、智弘の保護者となることを約束した忽那は、入院した智弘に弁当を買った帰りに、ホステスの交通事故現場に出くわす。そのホステスが宗教にのめり込み店の客を勧誘するのを見かねた従業員の夫婦が説教したせいで、店を飛び出したところを車にはねられたのだ。病院に戻った忽那は、医師から智弘が白血病で助からないことを聞かされショックを受ける。忽那は、智弘にどうしても見せたいものがあると告げる。

【第八章】松山市の埋蔵文化財センターで調べ物をしている藤井が警官隊に取り囲まれていることを知った御手洗、石岡、加奈子は、高速艇で現場に駆けつける。御手洗のアドバイスを聞かずに藤井の人質となってしまう加奈子であったが、御手洗の機転で藤井は自首する。御手洗の強引なやり方に激怒する加奈子であったが、翌日には機嫌を直して、信長の巨大船を沈めた秘策の謎を握る人物、忽那与左衛門の子孫を一緒に訪ねる。「星籠」に関する資料は見つけられなかったが、それが載っているかもしれない『岩流星籠』は江戸時代に忽那槽兵衛の手に渡ったらしい。その子孫は忽那造船の忽那准一だという。宇野芳江殺害容疑者の日東第一教の教祖、ネルソン・パクは全く証拠を残しておらず、捜査の行き詰まりに悔しがる御手洗であったが、そんな時、パク本人と思われる人物から加奈子にメールが届く。メールで指定された場所に警官隊と共に駆けつけた御手洗たちは、乳児の遺体と縛られた居比修三、篤子夫婦を発見する。保護された夫婦は、乳児を誘拐され身代金を運んできて襲われたこと、乳児が誘拐された時にいたベビーシッターは犯人に刺されて入院中で、警察には届けていないことを告白した。そして、御手洗はついにパクの尻尾をつかんだと確信する。

【第九章】第二章の洋子の事件が洋子視点から語られる。自分の不注意により居比夫婦から預かっていた乳児を死なせてしまった洋子は、咄嗟に誘拐事件を自作自演することを思いつくが、ドラッグがらみの事件だと勘違いした小坂井の話に合わせることになった。ドラッグと思い込んだ乳児の遺体が入った紙袋を持ち去った小坂井と入れ替わりに帰ってきた居比夫婦は、洋子のストーリーを信じるが、小坂井は帰りに事故を起こし、駆けつけたパクに全てを話してしまっていた。パクは、ドラッグの正体が乳児の遺体であることを知り、信者に脱会を勧めた上に事故死させた居比夫婦に復讐することを計画したのだった。入院中の洋子を訪ね、パク逮捕のために真実を話すよう説得する御手洗であったが洋子は応じようとしない。御手洗は自信満々に小坂井に自白させることを宣言する。

【第十章】居比夫婦が革製品製作の工房を古い船の船室内で再開することになり、お披露目に街の店の関係者が招待されたが、クルージング中に船が座礁。船底に穴が空いて浸水が始まると、招待者の1人だった小坂井は、穴をふさぐため、数多くの引き出しのある戸棚から金槌を迷わず取り出した。そのことをすかさず御手洗に指摘された小坂井は動揺する。御手洗の仕掛けたお芝居に引っかかった小坂井は、自ら居比夫婦の部屋に入って金槌を使ったことがあることを証明してしまったのだ。

【第十一章】忽那は智弘を病院から連れ出し、あるものに乗せて瀬戸内海の海底を見せていた。智弘はいじめっ子への復讐を止めてくれた忽那に感謝の言葉を述べたが、忽那は後悔していた。余命僅かな智弘は、いじめっ子たちが落ちぶれていく姿を見ることはできないのだ。

【第十二章】御手洗は、忽那と加奈子を前にして「星籠」の正体を潜水艇であると断言する。驚く加奈子、黙り込む忽那。忽那は図面と模型を見せ、優秀な漕ぎ手がいないと動かせないと語るが、エンジン動力なら楽にいけそうですがねという御手洗の言葉に、再び無言になる。そして御手洗は忽那に尋ねる。「もう一度黒船が襲ってきたら、戦っていただけるか」と。機動隊出動を要請してから教団に突入するまでには5日を要し、突入した機動隊は幹部全員を拘束したが、パクは発見できなかった。パクだけが北朝鮮行きの貨物船で脱出していたのだ。

【第十三章】高速艇で何とか貨物船に追いついた御手洗たちであったが、貨物船は停船しようとしない。高速艇の燃料はとても北朝鮮までは持たない。万策尽きたと思われたその時、瀬戸内海の怪物が姿を現した。忽那の乗る潜水艇「星籠」だ。忽那は「星籠」から飛び降り、「星籠」を貨物船に」衝突させて見事に貨物船を止めることに成功した。

【第十四章】福山駅の新幹線のホームで関係者に見送られる御手洗と石岡。福山市街が遠ざかっていく中、ビルの屋上に忽那の姿を発見する石岡。「瀬戸内水軍の魂は、まだ死んではいなかったね」と呟く御手洗であった。

 

2014年6月読了作品の感想

『ロスト・ケア』(葉真中顕/光文社) 【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2014年版(2013年作品)10位作品。 本書を読了し、同点10位の2作を含めベスト10作品全11作をやっと読み終えたことになるが、正直この11作の中で「これは!」というものはなかった。しかし、あえて私が1作挙げるなら本書である(1位の『ノックス・マシン』は絶対にない)。日本の高齢社会の問題に鋭く切り込んだ本書は、ミステリとは切り離しても一読の価値がある。いかにもミステリ的なラストのどんでん返しが多くの読者を驚かすであろうが、これはなくても良かったのでは?とも思えるくらい、現在の日本が抱える大きな問題について考えさせられる物語である。しかし、そのどんでん返しも、読み進めていくとその必然性が理解できる。巻末に「作中に描かれる完全犯罪の手法は物語上都合の良い情報だけで構成された創作であり、現実には成立しません」とわざわざ断り書きが入っているが、突っ込みたくなるような大きな破綻は読書中には感じなかった(あえて挙げるならば、作中に何度か登場する犯人の真の目的であろう。連続老人殺害は目的の半分で、残り半分は後のお楽しみという形で冒頭からラストシーンまでずっと引っぱり続けるのだが、それは隠すまでもなく読者には明らかなことなどで、なぜそこまで思わせぶりに引っぱるのか少々疑問である)。読了後に本書のテーマを誤解する読者がいるかもしれないが、決して介護に苦しむ人々を救うための殺人を肯定するような物語ではない。筆者も作中の犯人のような問題提起を社会に対して行いたいという気持ちは同じであろうが、終章で「絆は呪いだ。それでも。それでも、人はどこかで誰かと絆を結ばなければ生きていけない。」と述べている。これが、本書のすべてを物語っていると言えよう。あらすじは以下の通り。

 40人以上の老人をニコチン溶液を注射することで殺害してきた犯人が法廷で裁かれようとしている。その被害者のほとんどが要介護度の高い老人である。死刑は確実であると思われた。そんな中、被害者家族の1人、羽田洋子は、他の被害者家族に聞いて回りたい衝動に駆られていた。「ねえ、あなたたちは〈彼〉に救われたと思ったことはない?」と。実際に洋子は、娘や孫の顔も忘れて暴れる痴呆症の母の介護に疲れ切っていた。彼女は、確かに〈彼〉によって地獄から抜け出せたのだった。

 時は、事件発覚前に遡る。検察官の大友秀樹は、旧友の佐久間功一郎の紹介で、彼の勤めている総合介護企業「フォレスト」が経営する富裕層向け高級有料老人ホームに父を入所させた。入所に必要な料金は3億円。大友に「フォレスト」の明るい未来を語る佐久間であったが、実は介護保険制度の改正で経営は傾きかけていた。介護保険制度の施行により介護企業が大きな利益を上げだすと、政府は介護報酬の引き下げを行い、企業が懸命な努力で何とか利益を確保すると、さらなる介護報酬の引き下げを行ったため、介護業界は介護報酬の水増し請求や事業所指定の不正取得といった不正を行わなければ成立しない状況に陥っていたのである。その不正が明るみに出て「フォレスト」は倒産。倒産直前に裏稼業に転職した佐久間は、大友を偽善者と考え憎んでいたが、「フォレスト」から持ち出した個人情報を材料に大きな稼ぎを得ていた。しかし、事業拡大をしようとしてパートナーと対立し殺害されてしまい、その知らせを聞いた大友はショックを受ける。

 「フォレスト」傘下であった「八賀ケアセンター」に勤める斯波宗典は、父の介護で苦労した末に、父の死後、その経験を生かすべくこの業界に入った。彼は、訪問介護先のキーが何者かによってコピーキーとすり替えられていることに気がつく。従業員の誰かが、その家に忍び込むためにコピーを作り、オリジナルのキーと間違えてコピーを戻してしまったものと考えられた。彼はそのオリジナルのキーをケアセンターに預けた顧客の老人、梅田久治宅に張り込みを始める。斯波は、人望の厚いセンター長の団啓司を疑い始めていたが、やはり現場に現れたのは団であった。梅田宅に侵入後、現場から立ち去ろうとする団に声をかけた斯波は団に襲われる。

 その頃大友は、佐久間が流出させたと思われる「フォレスト」のデータから、「八賀ケアセンター」の利用者の死亡率が他の事業所と比較して異様に高いことに気がつく。そしてその死亡推定時刻と従業員の勤務シフトから、1人の容疑者を割り出した。上司のゴーサインを得て、容疑者の〈彼〉の任意事情聴取を行うと、〈彼〉は連続老人殺害をあっさり自供した。そして、老人とは別にイレギュラーで殺してしまった人物のことも…(ここで読者は混乱を始める。団が斯波を殺したのか?斯波は怪我をしただけで警察に救出保護されるという展開ではないのか?なぜなら斯波は冒頭の裁判シーンで傍聴していたではないか?)。そして〈彼〉の自供通り死体が発見される。それは団の死体であった。団は、斯波を襲ったが抵抗され死亡したのだ。団は単なる物盗りで、斯波こそが連続殺人犯だったのである。

 斯波は自分の父も手にかけていた。穴の底で、愛情と負担の狭間で、もがき苦しんでいる人々がいるにもかかわらず、世間はその穴を埋めようとはせず、想像力を欠いた良識を振りかざし、そんな人たちをさらに追い詰める。そんな人たちを救う手段が『ロスト・ケア』、つまり要介護者の殺害だと斯波は主張する。大友は、いつものように犯罪者に罪悪感を抱かせるため、ありとあらゆる言葉を斯波に投げかけるが、ことごとく斯波に論破され、かつてない敗北感を味わうのであった。

『シリウスの道』(藤原伊織/文藝春秋) 【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2006年版(2005年作品)6位作品。直木賞を受賞した『テロリストのパラソル』と同じ設定世界の9年後が描かれているようだが、その作品を読んでいなくとも特に問題はない。
 大手の広告代理店・東邦広告京橋十二営の営業部副部長として勤める辰村祐介は、大手の電機メーカー・大東電機から 突如降ってわいてきた、予算18億円という 巨額の競合事案に関わることになる。大東電機は、同じ東邦広告の銀座六営が抱えるメーンスポンサーなのに、なぜ京橋十二営が指定されたのか。そこには大東電機の常務・半沢智之の思惑が絡んでいた。祐介は、中学生時代に大阪で、勝哉、明子という幼なじみと共に貧しいながらも幸せな日々を送っていた。そんなある日、明子の父が明子へ性的な暴行を振るっていることを知った祐介と勝哉は、彼を亡き者にしようと計画する。しかし、用意した包丁を使うまでもなく2人の目前で明子の父親は事故死した。その後3人はバラバラの道を歩むが、明子は歌手となって活躍し、引退後に半沢の妻となっていた。その半沢の元に、明子の過去を暴くような脅迫状が届き、半沢が明子の過去を知る祐介に接触を図ろうとしたというのが、この謎の競合の真相だった。そして、脅迫状を書いたのは勝哉であった。大東電機の下請けをやっている男に脅されてやむなくのことであったが、勝哉は、祐介と会った後、その男を刺して逮捕されることでけじめをつける。
 このあたりが、この作品がミステリ小説に分類される所以であるが、実はこの作品のポイントはそこではない。文庫版の上下巻両方の裏表紙のあらすじにも書かれているように、これは「ビジネス・ハードボイルド」なのである。離婚による子供との別れに苦しみながらも仕事では見事に部下をまとめ上げる有能な美人部長・
立花英子、 現職閣僚の息子 で僅か2年の都銀勤めから転職してきたことで当初はその能力を疑われながらも真摯な態度で仕事に向き合い少しずつ頭角を現してくる戸塚英明、 面接に金髪のカツラで現れるなど自由奔放なところはあるが今回の競合には欠かせない株式取引の知識が豊富な派遣社員・平野由佳 など、個性豊かなメンバーと共に、 社内の対立勢力とのトラブルに巻き込まれ飛ばされそうになりながらも、厳しい競合に勝利すべく努力を積み重ねていく過程が、読んでいて非常に心地よい文章で語られていく。祐介が対立勢力を排除する場面、戸塚が競合での勝利を捨ててでも愚問を発した大東電機社長相手に毅然とした態度で臨む場面も実に爽快だ。ミステリ要素が少々期待はずれだったことと、祐介と立花の絡みが中途半端に終わってしまったところが少々物足りなく感じたことで★★としたが、十分に満足できる作品であった。なかなか実情を知ることができない広告業界のことも、筆者が広告代理店に実際に勤めていたこともあって、その一部を垣間見ることができ良い勉強になった。

 

2014年月読了作品の感想

『仮想儀礼』(藤原伊織/文藝春秋) 【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2010年版(2009年作品)7位作品。この年のランキングのベスト10作品で唯一読んでいなかったのが本書である。

 優秀な都庁職員だった鈴木正彦は、ゲームメーカーの孫請けをやっていた編集者の矢口の口車にまんまと乗せられて、憧れていたゲーム作家への転身を図るが、勝手に都庁を退職した上、退職金で事務所まで勝手に借りたため妻に離婚され、やっとのことで5千枚の原稿を書き上げたところで、矢口の会社が倒産して矢口とは音信不通となったため、38歳の若さで惨めな失業者となる。自殺を考え始めて2週間後に偶然公園で見つけた矢口を捕まえた正彦は、矢口を事務所へ連れてくるが、さんざん罵声を浴びせた後は殴る気にもなれなかった。そんな時、アメリカ同時多発テロ事件のテレビ中継を目撃した2人は驚愕する。そして矢口は、「実業の象徴、ワールドトレードセンターが、虚業の象徴、宗教によって壊された」「これからは虚業の時代」と訴え、正彦に2人で宗教を営むことを提案する。とりあえず「聖泉真法会」という名称でホームページを立ち上げたところ、次々にメールが届き 、手応えを感じる2人。
 マンションの1階の貸店舗を3階の自室と交換して礼拝の施設とし、桐生慧海(きりゅうえかい)という名で教祖の座に納まった正彦の元に次々と訪れる人々。大物代議士の父と自分の兄に性的虐待を受けていた徳岡雅子、密教マニアでいじめられっ子の高校生の竹内由宇太、東北から家出してきて社長に3年以上囲われた末に捨てられたサヤカ、新興宗教の奉仕作業で体を壊し教団から捨てられた金髪娘の伊藤真実、祭壇に手を合わせただけで頭痛と耳鳴りが治り、家出娘が帰ってきて夫にも優しくされたせいで10万円のお布施を持って入信した主婦の山本広江、広江の友人で、仏像に手を合わせたおかげで末期癌の母の容体が持ち直したという藤田圭子 、マンションの1階が礼拝の施設になる前に、そこで自殺を図ったことのある板倉木綿…。やがて増えた信者たちはトラブルを起こし始め、大教団の元信者で多くの信者を引き連れて入信した島森麻子が、若い信者達の勝手な振る舞いと、それを放置している正彦に失望して、自分が連れてきた信者と共に離れていく。
 多くの信者を失い窮地に陥った正彦であったが、広江が連れてきた総菜会社モリミツの社長・森田を不幸のどん底から立ち直らせ、彼の信用を得たことで、モリミツのバックアップにより 「聖泉真法会」を急速に成長させていく。 そんな中、ぼや騒ぎを起こし教団を飛び出した由宇太は、他の教団で殺人事件を起こした上、逃走中に高野山中で凍死し、彼を救えなかった正彦は、矢口と共に悲嘆に暮れる。 それでも、モリミツの閉鎖した工場を再利用した立派な礼拝施設「真法会館」が完成し、神戸の資産家・祖父江から神戸支部とするための土地建物を寄進され、ますます勢いに乗る「聖泉真法会」 。
 しかし、芥川賞作家から落ちぶれた人格破綻者の井坂を広告塔に引き入れたことで歯車が狂い始める。彼は祖父江の若い妻と共に、自分の妻子を捨てて駆け落ちしてしまったのである。激怒した祖父江は「聖泉真法会」から一切手を引くことを宣言し、できたばかりの神戸支部は閉鎖され、灯明祭を間近に控えた正彦は、またしても窮地に陥った。様々な仏像仏具を正彦に販売してきた怪しげな美術商ヴィハーラ商会の石坂は、そんな正彦に、関西にちょうどよい土地建物があると近づいてくる。彼が正彦に引き合わせたのは、大物代議士・丸岡定次郎をバックに付けた大教団 「恵法三倫会(えほうさんりんかい)」の教祖・回向法儒(えこうほうじゅ)であった。回向の目的が、金に困っている宗教法人の法人権利を正彦に売る手助けをすると見せかけ「聖泉真法会」をさんざんビジネスに利用してから呑み込もうという腹だと分かった正彦は 、丁重にその申し出を断った。回向の妨害を受けながらも何とか灯明祭を成功させた正彦であったが、そこにモリミツのインドネシア工場焼き討ちのニュースが飛び込んでくる。ここまでが上巻のあらすじ である。

 インドネシアの工場焼き討ちは、工場長の斉藤が、現地の女性従業員に様々な宗教的な儀礼を強制したせいであった。その後もヴィハーラ商会から購入した仏像が盗品であることが発覚したり、何者かに駅のホームから突き落とされたり、国税庁調査査察部に踏み込まれたりとさんざんな目に遭う正彦。査察の狙いは「恵法三倫会 」にあり、「聖泉真法会」はその関係組織とみなされ狙われたのであった。ヴィハーラ商会の石坂は何者かに自殺に見せかけて消され、回向法儒は逮捕されて、一息付けたと思いきや、モリミツには真法会館に絡んだ脱税容疑で2億円以上の追徴課税が課せられ、「聖泉真法会」には、悪徳宗教団体「恵法三倫会」の関係組織として世間からの強いバッシングが始まる。さらに若い信者が、「聖泉真法会」についての中傷記事を書いた出版社に殴り込みをかけ、ますます正彦達のイメージは悪くなっていく。そして、「聖泉真法会」は、経営者が娘婿に代わったモリミツからも見放され、本部のある真法会館を追い出されることになる。
 襲撃事件から3か月後、集会所に少しずつ人が戻り始めた頃、占い師の女性・如月秋瞑が入信してくるが、霊感体質の彼女には不気味なものが感じられた。そして、モリミツのみならず、「聖泉真法会」にも3000万円を超える追徴課税金が課せられ、スッテンテンになる正彦。マンションの家賃も、集会所の管理費も払えなくなった正彦と矢口は、女性信者達が共同生活をしているホームに転がり込む。こうして正彦のマンション暮らしは、3年8か月で終わりを告げた。やがて、疫病神の井坂がホームに現れ、お人好しの信者達の意見に従い、やむなくホームに住まわせることになるが、案の定トラブルを起こし、とうとうキレた正彦にたたき出される。正彦の意思と関係なく「聖泉真法会」をカルト教団化させていくホームの女性信者達に、正彦は恐れを感じ始める。狂信的なものを帯びてきた女性信者達は、矢口に続き広江を襲って、広江は脱会してしまう。女性信者達を教団から取り返そうとする家族達の行動も激しさを増す中、矢口がサヤカにつきまとうストーカーに暴行を働いたことで逮捕される。追い込まれた正彦に一筋の光を与えたのは、彼に力を貸してくれる硬派のルポライター・安藤の出現だったが、その支援を得る前にホームは放火される。焼け出され、完全に心が折れた正彦は、女性信者達に教団の解散を宣言する。しかし、何かにとりつかれたような女性信者達に拉致された正彦は彼女たちに車に乗せられ放浪の旅に出る羽目に。その途中で、雅子を追ってきた雅子の兄を彼女達は殺害し、合流した矢口を病死させてしまう。逃避行の末、ついに逮捕された正彦は、雅子の兄の殺害はすべて自分の指示であると自供。女性信者達の自供とは内容が食い違ったが、彼女達の自供はマインドコントロールによるものと判断され、正彦には懲役14年の刑が確定する。
 その後、正彦より先に出所した女性信者達は、モリミツの元社長・森田と共に老人向け給食サービス事業を立ち上げ、正彦の帰りを待っていた…。以上が下巻のあらすじである。

 金儲けをもくろんで教団を立ち上げた主人公であったが、運にも恵まれ、特にあこぎな詐欺行為を行うこともなく比較的真面目に働いて教団を拡大していくが、それでも別れた妻に見下され、やがて様々な個性を持つ信者達をコントロールしきれず振り回され、悪徳大教団や悪徳業者に絡まれたせいで、世間からたたかれ一気に堕ちていく。決して新興宗教を肯定し同情を誘おうとする物語ではないが、最終的には信者が起こした殺人にも責任を感じ、自分の指示であると偽証し責任をとる主人公は、哀れとしか言いようがない。しかも、主人公の出所後には、人生をやり直すどころか、恐ろしい狂信者達が教祖としての彼 の帰還を待っているのだ。実に救いようがない。多くの人の救いとなる一方で、世界中で戦争の一因ともなっている「宗教」。真面目に取り組んでも世間からたたかれ ることもあれば、あこぎな商売をしてもしぶとく生き残れるのが「宗教」というものであり、安易に手を出してはいけない世界であることを痛感させてくれる。冒頭で、いつまでも矢口に敬語を使う正彦に違和感を感じたが(矢口も正彦に対し敬語を使っているので会話が分かりにくい)、その後は、どんどん物語に引き込まれた。最初の展開から、もっと悪 の道に走る主人公を予想していたが、最後まで真面目に生きようとしていたことに拍子抜けしながらも、そんな主人公だったからこそ、彼の悲哀が強調されたと言える。広義でのミステリ小説であるが、いろいろと考えさせられる1冊であった。

『犯人に告ぐ』(雫井脩介/双葉社) 【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2005年版(2004年作品)8位作品。 今年4月に読んだ、同じ著者による「このミス」2014年版8位作品『検察側の罪人』は、なかなか読み応えがあったので、「第7回大藪春彦賞」受賞作にして、「週刊文春ミステリーベストテン」1位に輝いたという本作は、かなり期待して読み始めた。文庫本2冊分のあらすじは以下の通り。

 神奈川県警本部捜査一課特殊犯係管理官の牧島史彦は、若い頃は「ヤングマン」というニックネームで呼ばれた「太陽にほえろ」に出てきそうな独特の風貌の刑事らしからぬ刑事であった。巻島が46歳の夏、神奈川県警は、5歳児誘拐事件において、「ワシ」と自称する犯人が次々に指示する取引場所への移動が遅れるという失態を繰り返した挙げ句、不審者を人混みの中で見失う。結局、事件は児童の遺体が発見され迷宮入りするという最悪の結末を迎える。県警本部長の曾根に全ての責任を負わされた巻島は、記者会見の場でのマスコミの執拗な攻撃に対し、当時自分の娘が出産後に生死の境を彷徨っていたこともあって、マスコミの前でキレて暴言を吐いたせいで曾根によって左遷された。
 その6年後、神奈川県で、「バッドマン」を名乗る犯人による連続幼児誘拐殺人事件が発生する。県警本部長に出世していた曾根は、足柄署を検挙率県下トップの座に押し上げた功労者が、因縁のある巻島であることを知り、彼を呼び寄せる。曾根が難航している捜査の打開策として考えたのは、捜査責任者をニュース番組「ニュースナイトアイズ」に出演させ、目撃情報を求めると共に、犯人自身に対話を呼びかける「劇場型捜査」であり、その責任者に巻島を据えたのである。一度転んだ者は、何度転ぼうがかまわないという発想であった。すっかりクールで無表情な男に変貌していた巻島は、上層部やマスコミからの様々な圧力をものともせず、「劇場型捜査」を進めていく。目的は、犯人からの手紙による接触を持つこと。犯人に共感を感じているかのような巻島の発言に、世間からのバッシングは高まっていくが、犯人しか知りえない情報を記載した手紙がついに届く。しかし、今度こそ正真正銘の本物という手紙が後日届き、県警は混乱する。巻島の直接の上司で、曾根の甥であり、巻島より20歳も年下の刑事総務課長の植草は、大学の同級生で「ニュースナイトアイズ」のライバル番組「ニュースライブ」のアナウンサー・杉村未央子の気を引くために、最初の手紙が巻島の手による偽物であるという噂を流し、巻島はますます追い込まれることになる。しかし、巻島は、大胆なトラップで、植草の情報漏洩の尻尾をつかみ彼を表舞台から退場させた上に、偽の手紙が曾根の手によるものであることも突き止め、曾根の設定した期限までに事件を解決すべく全力を尽くす。信頼できる部下の本田、足柄署で巻島を支えていた津田のバックアップもあって、事件は一気に解決に向かう。犯人が落とした手紙から居住範囲が限定され、ローラー作戦によって、警察の掌紋チェックを避け、臙脂色とベーシュ色を勘違いしている犯人像と一致する人物がついに見つかったのである。その一方で、巻島は「ワシ」に孫を誘拐され、彼の指示に従って単独で彼を追っていた。「ワシ」らしき人物がすでに自殺していたことを知っていた巻島の前に現れたのは、6年前の5歳児誘拐殺人事件の被害者の父親・桜川夕起也であった。彼に刺されながらも一命を取り留める巻島。入院先で、バッドマン逮捕と桜川の自首の報告を聞いた巻島は、児童連続殺人事件の被害者の母親の1人の訪問を受ける。そして、感謝の言葉を述べて深々とお辞儀をする彼女の姿に、巻島は胸を打たれるのであった。

 なかなか面白かったのだが、前述した最新作の『検察側の罪人』と比較すると、わずかに突っ込みどころが多い。県警本部に戻ってくる巻島にはもう少し大きな変貌を期待したかったし、物語終盤では、曾根も植草と同じくらいやり込めてほしかった。また、数少ない巻島の理解者である本田は活躍しているが、同様のポジションの津田が今一つ生かされていない気がする。どの脇役もしっかり描き込まれて、生き生きと動き回っていた中で、この人だけ目立っていなかった。巻島がわざわざ前の職場から引っぱってきた先輩なのだから、もう少し重要な役どころを与えても良かったのではないか。また、巻島と娘との関わりも、もう少しあっても良かった。冒頭で死にかけて巻島をさんざん心配させておきながら、後半での存在感があまりにもない。最愛の孫を誘拐された割に、取り乱さず淡々としている巻島にも結構違和感を感じる。「ワシ」と推定された人物・有賀についても、記述が少なすぎて分かりにくかった。そして、最後のあまりにあっけない終わり方は余韻がなさすぎる。しかし、不満と言ってもこれくらいがせいぜいで、後は十分楽しめる内容であった。ちなみに映画化された時の主演は豊川悦司だったそうだが、ちょうど本書の読書中にテレビドラマ『TEAM -警視庁特別犯罪捜査本部-』のビデオを奥さんが見ていたため、自分の頭の中での主人公のイメージは小澤征悦 だった。こちらも似合っていると思う。

『2.43清陰高校男子バレー部』(壁井ユカコ/集英社) 【ネタバレ注意】★

  先に断っておくが、本書はミステリーではない。いろいろと事情があって読むことになった。ちなみに「2.43」というのはバレーボールの試合でのネットの高さを表している。東京のバレーボールの強豪校で問題を起こしたせいで、幼少期を過ごした福井へ帰ってきた灰島であったが、転校先の中学はまるでやる気のない部員しかいないバレーボール部であった。幼なじみで身体能力が抜群なのにヘタレな黒羽は、同じバレーボール部員として灰島といいコンビになりつつあったが、黒羽が最後の県大会に遅刻。すでに試合で惨敗した後だった灰島に、「おまえの評価≠ヘ、わかった。もういい……」と告げられ絶縁状態になる。地元の清陰高校に進学した2人であったが、バレーボール部に入ったのは黒羽のみ。熱血主将の小田の勧誘で灰島も入部し、仲直りした灰島と黒羽の2人は、仲間達と共に再び全国を目指す。そして、県高校秋季大会を順調に勝ち上がる清陰高校男子バレーボール部。しかし、ボウリング場で起こった喧嘩騒ぎに黒羽が関係しているという話が持ち上がり、準決勝は出場辞退、当分の間活動停止処分というが下る。左の頬に痣を作った黒羽が現場近くで目撃されていたからであったが、真相を語ろうとしない黒羽に仲間達は厳しい目を向ける。そんな黒羽を誘って、灰島は学校をサボって東京のかつての仲間がいる銘誠学園中学・高等学校に向かう。流れで道場破りのような試合をする羽目になる2人であったが、勝利した瞬間灰島が発熱で倒れ病院に担ぎ込まれる。大事には至らず福井に帰ることになった2人に、黒羽の無実が証明されたという主将からの電話が入る。黒羽が従妹の絃子に暴言を吐いたら、彼女に殴られたという、それだけのことであった。2人はまた、学校の体育館で全国を目指す夢を語り合うのであった。

 ネット上の評価が二分しているのもよく分かる青春小説。中高生の中にはこれで十分に満足できる者もいるのかもしれないが、やはり大人の目で見ると厳しい。何と言っても、チームが大会出場辞退になるというのに、その原因を作っている黒羽が一体どんな重大な理由で口をつぐんでいるのかと思いきや、その理由があまりにくだらなくて呆然。黒羽の、この判断に共感できる読者がいることが信じられない。そして、出場辞退になった後、東京の高校で道場破りの試合をするという展開もかなり苦しい。しかも、この一連のエピソードがこの物語のクライマックスなのだから、もう残念としか言いようがない。ヒロイン(?)の末森と日光が苦手な棺野とのからみや、黒羽の従兄・頼道が意外といいヤツだったりする話は悪くないのだが…。あと、福井県民として、作中の福井弁は結構おかしいと思う。

 

2014年月読了作品の感想

『人間動物園』(連城三紀彦/双葉社) 【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2003年版(2002年作品)7位作品。これまでずっと「このミス」上位の作品を中心に読書しているが、実は2004年作品より前の作品はあまり読めていない。2002年作品も1位から4位までの4冊しか読んでいなかったので、今回読むことに。あらすじは以下の通り。

 母子家庭の海原家から4歳の少女ユキが誘拐されたという通報が隣人の坂上礼子から警察に届く。坂上は前日に自分の飼い犬が誘拐されたという通報をした人物であったこともあり、なぜ隣人から通報?ということも含め警察は当初いぶかしがるが、海原宅には犯人によって複数の盗聴器が仕掛けられていることが分かり、警察は坂上宅から海原宅を監視することになる。しかし、坂上宅にも盗聴器が仕掛けられていることが発覚。警察は、それに気づかないふりをして犯人をだまそうとするが、混乱の中でうやむやになってしまう。誘拐されたユキが汚職疑惑の渦中にある大物政治家・家野大造の孫娘であることから、義憤に駆られた人物による犯行という見方も浮上するが、なかなか犯人像は絞り込めない。大造の三男で、大造に身代金の1億円を工面させようとしているユキの父・家野輝一郎、何かを隠している様子のユキの母・芳江、そして坂上宅の向かいの家から坂上宅を監視し盗聴も行っている謎の新聞記者・大任達夫をはじめ、坂上すらも誰かからの電話を待っているようで怪しさを臭わせる。そこでまた新たな謎が。用意された身代金はいつの間にか白紙にすり替えられていたのである。やむなく表面だけ刑事達がお金を出し合って実物の1万円札に替えた。そして、犯人からの指示で、若手刑事の朝井と体裁だけ繕った身代金を積んだ覆面パトカーを芳江が運転し、国道をひたすら走ることになるが、突然車を止めた芳江は、犯人から朝井が共犯であると聞かされていることを告げ、身代金と車を朝井に引き渡そうとする。結局ユキは誘拐されておらず輝一郎の再婚相手と一緒にいただけで、事件は真相が明らかにならないまま一旦幕を下ろす。そして、警察署に届いたトランクからは刑事達が提供した1万円札14枚がすべて新札に替わっているという新たな謎が…。
 その後、主人公の発田元雄のもとに、輝一郎から事件の真相を記した手紙が届く。主犯は自分であり、共犯は自分の再婚相手と、大任、そして真相を見抜きながら公表しない発田であること、政治家とその手先となっている警察を貶めるために起こした事件であること、そして、自分はその奪った身代金をグライダーで空からばらまいた後、国会議事堂に落下する予定であることなどが綴られていた…。

 感想はというと、いきなり1ページ目から印象が悪い。登場人物が何人いるのか、どういう状況なのかなかなかつかめない分かりくさ。なんとか読書が軌道に乗って一気に読み終えたものの、何かエグい内容を期待させるものがあるタイトルが期待はずれに終わったことが分かり拍子抜け。筆者は動物がらみの話題を各所に散りばめてはいるが、別にそのようなことを絡ませなくとも、この作品は成立する。大雪に閉じ込められるという設定も密室ミステリにはありがちだが、今回はあまり本筋に関係はない。また、作中には、誰かが何か行動を起こそうとすると、それを邪魔する何かが起こるというパターンがやたら多い。例えば刑事の1人が重要な思いつきを仲間に話しかけようとした瞬間に近くの電話が鳴り出すとか。これは少々しつこい。そして肝心の事件の真相。犯人が人質に取ったのは、実は現場に張り付くことになる刑事達、そしてその身代金は、白紙にすり替えられた1億円の見た目をごまかすために刑事達が提供した14枚の1万円札。奪った1億14万円を空から国民にばらまいて、悪徳政治家とその手先の警察に一矢報いようという犯行動機。なんとも共感しようのない犯人の思考パターンに対し「なんじゃそりゃ?」としかコメントしようがない。

『笑う警官』(佐々木譲/角川春樹事務所) 【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2006年版(2005年作品)10位作品。本作が10位というのは少々疑問。2004年末刊行の作品ということで2005年作品扱いでノミネートされたため投票者の印象が薄れてしまったのだろうか?突っ込みどころもなく最後まで一気に読ませてくれた傑作で、個人的には文句なしの★★★。上位にランクインしていても全く不思議でない作品である。ほとんど邪魔が入ることなくスムーズに捜査が進みすぎという印象もあるが、逆にストレスなく読め、警察本部を欺いて真犯人を見つける痛快さを満喫できるとも言える。あえて突っ込むならばタイトルだろうか。タイトルの「うたう」とは、警察関係者の隠語の一つであり、犯人が「自白する・自供する」という意味である。この言葉は犯人のみならず警察官に対しても用いられ、その場合は「警察に不利な情報を供述する・漏洩する」という意味になる。本作は警察の不正がテーマであり、それらの不正をただすため勇気ある警察官が「うたう」という記述が多数登場するので、原題の『うたう警官』というタイトルはピッタリだったのだが、世間一般に「わかりにくい」という理由で、映画化に際して原作も含め『笑う警官』に改められたらしい。海外の警察小説に実在するタイトルであり、その作品へのオマージュの意味も込めての改題ということだが、本作中に警官が笑うシーンなど全くなく、読者には『笑う警官』の方が余程理解しがたいのではないかと思う。とにかく10年近くも前のランキング下位作品から傑作を発見できたことは実に喜ばしい。あらすじは以下の通り。

 警察がアジトとして利用していた札幌市内のアパートで婦人警官・水村朝美巡査の変死体が発見された。交際相手の津久井卓巡査部長が容疑者とされ、犯行現場から覚醒剤と拳銃の実弾が発見されたと発表されたことで道警本部から津久井の射殺命令が下る。主人公は今年44歳になる大通署の佐伯宏一警部補。佐伯は、ある危険なおとり捜査で津久井と組んだことがあり彼を信用していた。津久井から電話で無実を訴えられた佐伯は、津久井を匿い真犯人を捜し出すことを決意する。津久井は明日開かれる道議会の百条委員会に呼ばれており、そこで道警の不正について認める証言をする予定になっていた。道警本部は、水村の一件でこれ幸いと、ろくな捜査もせずに津久井の口封じを決定したというわけである。盗品売買と関税法違反で追い詰めた犯人に拳銃を突きつけられたところを佐伯に救われた若手刑事の新宮昌樹巡査、盗犯係の年上の捜査員でダジャレ好きな植村辰男巡査部長、最初に現場に急行した強行犯係の町田光芳警部補と岩井巡査、離婚歴がある総務課の小島百合巡査、前年まで大通署で15年盗犯係を務めていたベテラン刑事の諸橋大悟警部補ら、仲間を集めた佐伯は、退職警官が経営しているジャズ喫茶の2階に秘密の捜査本部を立ち上げて捜査を開始することになる。しかし、早々に岩井が離脱。彼は警察に不利な証言をしようとしている津久井が許せなかったのだ。佐伯は、津久井を小島の弟のアパートに匿うことにするが、急遽変更。その後、小島の弟のアパートに警察が突入しようとしたことで岩井に疑いの目が向けられる。しかし、情報を漏らすならチームから離脱はしないと佐伯は考える。他にチーム内にスパイがいるのだ。極秘捜査チームは、前科のある谷川五郎という宅配会社の従業員を連続空き巣事件の容疑者として特定し、彼こそが水村殺害の真犯人と考えた。しかし、谷川は、水村を殴ったことは認めたものの首を折って殺害したことは認めない。小島の活躍で、水村の現在の交際相手が生活安全部長の石岡正純警視長であることを突き止め、何らかのトラブルで石岡が水村にとどめを刺したという真相が浮かび上がってきた。佐伯に呼び出された石岡は、犯行を自供し自首を誓うが結局自殺してしまう。谷川は自首させたものの津久井の射殺命令は取り消されないまま、百条委員会の時間は迫ってくる。佐伯の策にまんまと引っかかり、誤った津久井の居場所を本部に流していたスパイは植村であることが明らかになり、津久井は無事道庁に入ることができた。佐伯は道警本部9階からの何者かからの視線を感じるのであった…。

『警視庁捜査二課・郷間彩香 特命指揮官』(梶永正史/宝島社) 【ネタバレ注意】★★

 「このミス大賞」の大賞受賞作は全て読んできたが、最新の第12回(2013年)大賞作品がまだであった。それが本作。若い女刑事が銀行強盗の現場を指揮するは、警察庁のキャリアが介入するは、しかもSATを連れてくるはと、ありえないことだらけなのだが、エンターテイメントとしては面白い。次々と事件の真相が明らかになっていき、最後にどんでん返しがあるのが一番のポイントなのだが、何と言ってもすべての登場人物のキャラが立っているのがお見事。三國と吉田のキャラが少々かぶっているのが気になるが、どちらもイケメンそうで女性読者受けしそうなキャラであるし、主人公を心から心配する野呂夫婦、主人公をいじめそうで実は陰から支えてくれる後藤も良い味を出している。もちろん主人公の彩香も言動がユニークで実に面白い。★★★でも良かったのだが、あとちょっとが何か物足りない。クライマックスも含めて全体的にほのぼのしていて、のんびりしすぎていて今一つ緊張感に欠けるのだ。登場人物が一部の悪役を除いてみんないい人過ぎるというか…。あらすじは以下の通り。

 東京・渋谷のデパート内にある新世界銀行の支店で立てこもり事件が発生し、当日支店長の取材をしていた落ち目のジャーナリスト丸山一が巻き込まれ人質の1人となる。犯人グループは、現場指揮官兼交渉役として、なぜか強行犯捜査とは無縁の警視庁捜査二課の女刑事、郷間彩香を指名してくる。彩香が駆けつけた現場には、口の悪い捜査一課特殊犯捜査係SIT隊長の後藤、本来捜査に介入しないはずの警察庁キャリアでつかみ所のない吉田、そして彼が連れてきたSATの狙撃手・如月が待っていた。刑事であった彩香の亡き父と友人であった刑事部長の野呂警視監は、娘同様の彩香を心配するが、現場に出ることができなかった。彼は警察庁の会議室になぜか「監禁」されており、そこには、警察庁のナンバー2である次長の百瀬と、ナンバー3である官房長の佐伯がいた。百瀬は、この事件に都市伝説的な存在「ブラッド・ユニット」がかかわっていることを野呂に臭わせる。そして、犯人グループ3名の中の主犯格の國井は、元捜査二課の刑事であることが判明する。ここまでが、第1章。
 後藤と吉田と少しずつ信頼関係を築いていく彩香の前で、10人の人質のうち8名が解放される。残された人質は丸山と、30代後半の女性が1人。國井が現役時代に、ある贈収賄事件を追っていたことをつかんだ彩香は、國井が法で裁けない罪人を独自に処理する謎の組織、ブラッド・ユニットと手を組んでいる可能性を吉田から知らされ驚く。そしてついに國井が警察に伝えた要求とは、救民党代表の伊藤と会談したいというものであった。伊藤は丸山がスキャンダルをスクープしようとして失敗した相手だった。その伊藤は、野呂達のいた警察庁の会議室に、新世界銀行会長の寺内と共に現れていた。百瀬、佐伯、伊藤、寺内の4人は、明らかに一刻も早い突入、つまり國井の射殺を望んでいた。野呂は何か気持ちの悪さを感じる。かつて新世界銀行と救民党の不正行為について捜査していた國井は、上層部からの圧力で警察を追い出されたが、ブラッド・ユニットと組んでその証拠を地下の貸金庫から奪おうとしており、警察庁の会議室にいる連中がそれを阻止しようとしているという推理を立てる彩香。彩香は、國井の立てもこる銀行に乗り込んでそれを國井に話すが、國井は「外れてはいない」とだけ答え、5人分の食料を要求する。食料搬入に乗じて、SITによる突入を提案する後藤にはSATによる國井射殺を封じる意図もあったのだが、國井はSIT突入前にSATの如月に胸を狙撃されてしまう。SITが突入した銀行内にはあと2人いたはずの犯人はおらず、下水道から逃走した後であった。ここまでが第2章。
 丸山から教えられた、吉田からの「私を追え」という伝言について考えていた彩香は、撃たれた國井と付き添いの吉田が乗った救急車に乗っていた救急隊員が、銀行から先に逃走した2人であることに気がつく。ブラッド・ユニットと思われる彼らは、知りすぎた國井と吉田を消そうとしているのではないか。そんな思いを胸に、ブラッド・ユニットとグルと思われる如月を尾行する彩香。そして、彩香は信じられない光景を見る。如月に吉田が合流したのだ。吉田の無事を一瞬喜ぶも、吉田までブラッド・ユニットのメンバーであることに思いが至った彩香は激怒する。國井の無念を想い、羽田空港に併設されたホテルに向かう2人に銃を向ける彩香。しかし、彼らが案内したホテルには元気な國井が。彼らは、隠れた陰謀を明らかにし司法の手にゆだねられるような流れを作る組織「ユナイテッド・ブラッド」の一員であり、今回のユニットを組織したのは、彩香の亡き父であることが明らかになる。吉田は、イタリアで行われる次のミッションに彩香を誘う。有休などもらえないと答える彩香に、次の刑事部長の許可があればなんとかなると答える吉田。刑事部長の野呂は次長に、そしてその後釜に吉田が任命されることが決まっていたのであった。  「このミス」2011年版(2010年作品)4位作品であり、「週刊文春ミステリーベスト10」でも4位だった作品だが、原書房の「本格ミステリ・ベスト10」では、堂々の1位を獲得。これはと思い、『祈りと叫び』に引き続き図書館で借りて読むことにした。作者・麻耶雄嵩氏の作品を読むのはこれが初めてなのだが、問題作ばかり書く作家と聞いていたので、これも興味を引いた。

 

2014年月読了作品の感想

『貴族探偵 対 女探偵』(麻耶雄高/集英社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2014年版(2013年作品)13位作品。未読の古いランキング作品を探すのがなかなか困難になってきたので、新しい作品でベスト10にランクインできなかった作品の中に傑作が埋もれていないか探してみようと、数冊まとめて図書館で借りてきたうちの1冊。「2014本格ミステリ・ベスト10」第1位作品なのに13位…?これは気になる。主人公は、今は亡き師匠から独立したばかりの女探偵・高徳愛香。彼女は名を上げるため次々と起こる事件に張り切って臨むのであるが、なぜか現場に居合わせる謎の貴族探偵に振り回されてしまう。彼女の推理はことごとく間違っており、自らは推理しない貴族探偵が自分の使用人に推理させて事件をあっけなく解決してしまい、女探偵が屈辱を味わうというパターンが繰り返されるという内容だ。本書を読み始めてすぐに思い浮かんだのが、同じ作者の手による「このミス」2011年版4位の『隻眼の少女』。女名探偵の娘・御陵(みささぎ)みかげが、ある連続殺人事件を探偵デビューするための最初に解決する事件にしようと決め自信満々に推理をするもののミスを連発するという前半の展開が、文体といい、ノリといい、本作に非常に似ているように感じられた。それよりはコメディタッチに振ったのが本作なのだが、結論から言うと個人的評価は「微妙」。まず、様々な仕掛けや推理が正直分かりにくすぎなのだ。よく理解できないまま読み進めてしまう読者も多いのではないか 。

 特に第4章は難解だ。月に一度だけ願掛けのイベントがある温泉旅館に愛香達は宿泊する。宿泊客の中に「赤川和美」という女性と「田名部優」という男性がいるのだが、「赤川和美の撲殺死体が浴場の片隅で発見されたのは翌朝のことだった」という一文で事件が明るみに出る。そして愛香は捜査の結果、犯人として貴族探偵を名指しするのだが、その時の「あなたが田名部さんを殺したんですね」というセリフに読者 の混乱は必至。殺されたのは赤川では…?と理解不能に陥る読者が多いはずだ。貴族探偵の使用人・佐藤が「高徳様は殺されたのは田名部様だと考えておられます。しかし実際に殺されたのは赤川様なのです」と、さらにたたみかけられるともう大混乱。誤植なのでは ?と考えた読者もいるだろう。これは、地の文で巧みに死体は女性であるかのように思わせておいて、実は発見された死体は男性だったという叙述トリックである。赤川が殺されたとは誰も発言していない。それは地の文にあるだけなのだ。死体を名前ではなく「被害者」とやたら記述している時点で怪しいのだが。では地の文に嘘があるのかというとそうではなく、死体は間違いなく赤川なのである。一体どういうことなのか。ネット アイドルの女子大生・有畑しずるを交際の後自殺に追い込んだ田名部優という 人物の存在を知っていた彩香は、田名部のことを当然男性だと考えていた。これは読者も同様である。ところが実は田名部は女性 であり、有畑の復讐のため何者かに狙われるかもしれないと考えた田名部は、田名部を名乗らせた赤川和美という男性を伴い、自分は赤川を名乗って いたのだ。したがって、死体は田名部を名乗っていた「赤川という男性」というのが真相で、それを愛香は「田名部という男性」と勘違いしており、読者は「赤川という女性」と勘違いしているという、実にややこしい構図なのである。

 それも含め、本作の仕掛けや推理についての詳細はSAKATAM氏のこちらの分析を参照していただくとして、全体の物語の流れもどうかと思う。5編が収められているが、4編は前述したパターンで女探偵の連戦連敗。ラストでやっとまともな推理をして事件を解決したと思いきや、彼女の雇い主が実は貴族探偵で、結局使用人代わりに女探偵が貴族探偵に使われたというオチ。こういう展開は一般的に面白いのか?『隻眼の少女』はまだ見所があったが、次に読んだ「このミス」2012年版7位『メルカトルかく語りき』には失望、さらに次に読んだ「このミス」2006年版5位『神様ゲーム』は結構高評価だっただけに、個人的には当たり外れを感じる 作家さんである。一応、あらすじをいつものように記録しておく。

 第1章「白きをみれば」…友人・平野紗知の山荘に招待された愛香は、地下室で招待客の1人・笹部の遺体を発見する(何か「名探偵コ○ン」みたいな展開。実際「コ○ン」おなじみののキャッチフレーズが作中に登場する…)。しかも、愛香を乗せてきたタクシーが灯油を載せた軽トラックと橋の上で衝突し炎上。山荘は孤立してしまう(いきなりなんと強引な展開!)。愛香は自慢の推理力で招待客の1人の男・亀井を犯人であると名指しするが、その男は、亀井は文字通り仮名であって自分は貴族探偵だと名乗る。さらに彼はヘリで執事の山本を呼び寄せると、彼に推理をまかせてあっという間に事件を解決してしまう。殺人を計画していたのは今回の被害者・笹部であり、犯人はその人物を返り討ちにした畦野であった。

 第2章「色に出でにけり」…旧華族の家柄で、大手製薬会社会長の娘・玉村依子は、複数の恋人を別荘に招待していた。そしてその夜、恋人の1人・稲戸井の絞殺死体が発見される。依子は、1人だけアリバイのない恋人の1人・中妻を救うべく、過去の事件で知り合っていた愛香を呼ぶ。別荘に到着した愛香は、依子の3人目の恋人が貴族探偵であることに驚く。愛香は本当にアリバイのないのは貴族探偵だけであると再び彼を犯人と名指しするが、またしても貴族探偵は彼女の推理を否定し、使用人に推理を任せる。今回推理を担当することになったのは、貴族探偵が依子に貸し出していた料理人の高橋。彼は、占いの最中に依子の父の後妻が産んだ子の本当の父親が依子の兄・豊であることに気づいた稲戸部を消そうとした豊の犯行であると見抜く。

 第3章「むべ山風を」…都内にある大学の一室に愛香と貴族探偵は同席していた。その部屋の主の女准教授韮山瞳が貴族探偵の恋人の1人で、たまたまある事件の仕事でキャンパス内にいた愛香を見つけた貴族探偵が彼女を誘ったのだ。そして女性の悲鳴。3つ隣の部屋で院生の大場が絞殺されているのを助手の修善寺が発見したのだ。気まぐれで愛香に事件解決の依頼をしようとする貴族探偵に対し、自主的に捜査を開始することを宣言する愛香。そして、彼女の推理はみたび、貴族探偵こそ犯人であるというものであった。そして、彼はまたしても使用人に推理を命じる。今回指名されたのは彼が連れてきていたメイドの田中。田中は、犯人の陥穽に気づいた女学生の田京が犯人の置いたティーカップを移動させたため話がややこしくなったことを見抜き、院生の原木が犯人であると断言。原木は罪を認めて連行され、貴族探偵もメイドの田中も自分たちは関知していないと刑事に言ったため、今回は愛香の手柄となったが、愛香にとっては今回も屈辱以外の何ものでもなかった。

 第4章「幣もとりあえず」…新潟の山間にある温泉旅館「浜梨館」を訪れた愛香と紗知。ここには一生に1回だけ願い事を叶えてくれる座敷童伝説が残っており、今回は願い事のある紗知の付き添いとして愛香は同行していた。そして、そこでまたしても恋人を伴った貴族探偵と出会う。いづな様と呼ばれる座敷童に願いを叶えてもらうためには、夜、奥館にある浴室に順番に入らなくてはならない。奥館には女将によって鍵がかけられ、単なる付き添いの愛香と貴族探偵は閉め出されることになった。そして翌朝、赤川和美の撲殺死体が発見され 、土砂崩れで警察はすぐに来られないという。貴族探偵に挑発され、今回は緊急避難であると素直に真相解明を引き受けた愛香は、懲りもせず犯人として貴族探偵を名指しする。貴族探偵は名誉挽回のため、いつものように使用人を指名。今回は、土砂崩れを乗り越えてやって来た運転手の佐藤。佐藤は言う、「高徳様は殺されたのは田名部様だと考えておられます。しかし実際に殺されたのは赤川様なのです」と。ネット上で大勢のファンがいた女子大生の有畑しずるを自殺に追い込んだ田名部優という女性は 、護身のため田名部を名乗らせた赤川和美という男性を伴い、赤川を名乗って「浜梨館」にやって来ていたという真相を佐藤は見事に解き明かし、アリバイのなくなった有戸という男を犯人と断定した。

 第5章「なほあまりある」…具同政次という元伯爵が所有する高知県の沖に浮かぶ亀来島に呼び出された愛香。亀来島には政次の2人の孫、真希と佳久、その先輩の有岡葉子、使用人の平田、そして依子と貴族探偵が…。夕方、もう1人の政次の孫・弘基と従姉妹の国見奈和が合流。夕食時、ワインで酔った葉子は2年前に目撃した轢き逃げ犯の顔を思い出したと語り出す。そしてその夜、平田と葉子が殺される。 今回は、愛香が推理を誤ってもそれを正す貴族探偵の使用人はいない。愛香は、轢き逃げ犯であることがばれ、それを隠蔽しようとした奈和が犯人であると推理。 その推理は的中し、奈和は罪を認める。久々に愛香は気をよくするが、貴族探偵は出払っている使用人の代わりに今回雇ったのが愛香であることを明かして 、事件を解決したのは今回も自分であると豪語。愛香は呆然と立ち尽くすのであった。

『美人薄命』(深水黎一郎/双葉社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2014年版(2013年作品)12位作品。前回同様、新しい作品でベスト10にランクインできなかった作品の中から傑作を発掘するために借りてきた1冊である。今回はあらすじを先に…。

 主人公は、今時の二流私立文系大の学生の礒田総司。彼は大学の単位をもらうために指導教官からフィールドワークを強制され、一人暮らしの老人に弁当を配達するボランティア団体「ひまわり給食サービス」の手伝いを嫌々始める。すぐにでもやめるつもりで始めたボランティアであったが、内海カエという慎ましい暮らしの中にもユーモアあふれる老婆と仲良くなり、2週間に1度の配達を何となくやめられずにいた。カエの名前をアナグラムにした馬券で大穴を当て、得意げにカエに報告し感謝する総司の話を嬉しそうに聞くカエ。ある日、総司はカエの若い頃の話を聞かせてくれるようせがみ、彼女が様々な不幸な過去を背負いながらも戦死した許嫁の男性・五十治を今も一途に想い続けていることを知る。そして、またいつものようにカエのアパートに配達に来た総司が見たものは、火事で煙を上げるアパートであった。なんとかカエの部屋に飛び込んで危機一髪で救出に成功するが、カエは病院で死亡してしまう。その後、末永という弁護士から、カエの予想以上の高額な遺産の相続人に自分が指定されていたことを聞かされ驚く総司。総司は末永に、戦死した五十治の血縁の者にそれを渡したいと受け取りを拒否するが、末永の調査でカエの多くの嘘が発覚する。カエの許嫁だったはずの五十治には妻子がおり、出征前日にカエと過ごしたという話も嘘で、彼と死別した後、呉服屋に嫁に行くがこき使われた挙げ句四年で追い出されたという話も嘘であった。なかなか納得できない総司に、末永は部下の女弁護士・白浜に後を任せる。白浜は、カエが嘘をついた一つ目の理由は、せめて思い出の中だけでも五十治と相思相愛でいたかったからだと説明する。さらに二つ目の理由として、総司に淡い恋心を持っていたからだと説明され驚く総司に、白浜はアナグラムの意趣返しの話をする。イソダソウジ−イソジウソダ…。この簡単なアナグラムで、自分の嘘は総司に伝わるとカエは考えていたのだと。結局、2人の弁護士の懸命な説得にもかかわらず、彼は遺産の受け取りを拒否し、「ひまわり給食サービス」にカエからの寄付ということで全額渡すことに決める。このような経験を通して将来は福祉の仕事に就くと決めた彼であったが、彼にはどうしても確認しておきたいことがあった。それは、以前図書館で読んだ特攻隊の辞世の句の作者を調べることだった。そして、靖国神社付属の遊就館に行き、自分の推理が正しかったことを確信する。図書館で総司の目にとまった句にはカエのフルネームが詠み込まれており、その作者はまさしく五十治だったのだ。五十治とカエが両想いだったことを生前のカエに伝えられなかったことを悔やむ総司であったが、弁当配達のボランティアをできなくなるまで続けようと誓うのであった。

 老婆の悲惨な過去の思い出と、ほのぼのとした老婆と大学生との現在の交流の様子が交互に語られる。一体いつミステリ的な展開になるのだろうと待っていたが、あっという間に結末近くまで来てしまった。本当にあっという間だった。本書にはそれだけ読ませる力があるということで、それはそれで良いのだが、強烈ながっかりがクライマックスに訪れる。上のあらすじにも書いた「アナグラムの意趣返し」の話である。この話は必要なのか?五十治という人物自体空想の存在で、カエが総司と出会った後に カエが頭の中に作り上げた人物だというならまだ理解できるが、そうでないなら、これをアナグラムだというのはおかしいのではないか。「あれは君に向けられた壮大な謎掛けだったんだよ」という末永弁護士のセリフに、さらに閉口。辞世の句の話だけで十分なのに、この蛇足なエピソードでクライマックスの感動が半減してしまった。 この作品をミステリ小説だとすると、白浜が探偵役ということになろうが、最後にちらっと登場するだけで存在感がなさ過ぎ。あと、思わせぶりな話題を振られていたボランティアのリーダー・杉村女史に関して結局最後まで何事も起こらなかったり、総司の高校時代の同級生で高校のアイドルだった沙織が主人公と一瞬絡んだだけであっさり舞台から消えたり、カエのところに時々届いていた切手の貼っていない茶封筒の正体が最後まで謎だったり、 カエが雨上がりの夜に来てくれと言っていたのも謎のままだったり、配達途中の弁当が盗まれる話もその後全く進展がなかったりと、久々に突っ込みどころ満載の作品だが、一番許せないのは帯のキャッチコピー。「殺される運命≠ニ知っていた。それでも愛していた−」…何か他の作品と間違っていませんか?と言いたくなるくらいデタラメである。「世界が反転する驚きと、溢れ出る涙の最終章。至高の本格ミステリー。」…確かに主人公の予想と実際のギャップという展開は、メインのクライマックスのみならず物語の随所に表現されており、筆者が描こうとしているものは理解できるが、この作品を 本格ミステリというジャンルにくくる必要を全く感じない。せっかく基本的に「いい話」なのに、色々と損をしている作品だと思う。

『代官山コールドケース』(佐々木譲/文藝春秋)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2014年版(2013年作品)14位作品。あらすじは以下の通り。

 2012年に川崎のアパートで若い女性が殺害され、その現場から採取されたDNAが、1995年に代官山で発生したのカフェ店員殺人事件の現場で採取されたものと一致。しかし、代官山の事件の被疑者は事件直後に死亡していたのだ。川崎の事件では、神奈川県警が代官山の事件の被害者のアパートに出入りしていた3人の男のうち1人を重要参考人としてマークしているらしい。警視庁では、代官山の事件は被疑者死亡で解決済みと発表していたため、これが17年にまたがる連続殺人事件で犯人逮捕を神奈川県警に先起こされたとなると警視庁の面目は丸つぶれである。なんとしても神奈川県警に負けるわけにはいかない。ただし、17年前の事件は解決済みと発表している以上、公には捜査ができない。そこで、特命捜査対策室の水戸部裕(みとべゆたか)に極秘捜査の命令が下った。相棒として配属された朝香千津子とともに捜査を開始した水戸部は、まず過去の事件を検証する。被害者はファッションの専門学校を中退しカフェ店員をしていた中牧みちる。被疑者は交際していたカメラマンの風見陽平で取り調べの後、溺死体で発見されていた。被害者の部屋では、風見のDNA以外に2人の陰毛が発見されており、そのうちの1人が今回の川崎の事件の犯人と考えられた。当時の事件を渋谷署で担当した捜査一課の時田は、荒川区で女性看護師が他殺体で発見された事件を捜査していたが、水戸部の極秘捜査を知り協力を申し出る。物語は、水戸部と時田、そして両方の事件現場の試料を調査する科捜研の中島翔太、この3人の視点で進んでいく。
 水戸部達は、みちるの勤め先の同僚だった女性から、事件当時彼女が隠していた、みちると関係があったかもしれない男性について聞き出すことに成功。建築家の高宮章二とAV製作会社の木島淳、そして名前の分からない不動産関係の男。木島はDNA鑑定に簡単に応じたため容疑者から外れた。高宮は出張中で、代わりに高宮のライバルの建築家・津田を訪ねるが、彼から羽振りの良かった不動産屋・ふーちゃんの存在と高宮が過去に犬を飼っていたことを聞き出す。
 時田の方では、相棒の久保木と共に被害者である炭谷真紀の関係のあった歯科医の片野俊也を訪ねる。彼のアリバイを確認後、次に訪れた年配の内科医・佐久間誠一から、真紀と親しかった本多孝司の名を聞き出すが、本多のアリバイを確認した彼の妻から、真紀の本命は小児科の梶村裕一という男だと聞かされる。梶村は事件当日講演会に参加し、夜は映画を観て軽く飲んでから自宅に帰ったという。そして、医師の合コンに女性を紹介する不動産屋の存在を臭わす。
 中島は、想いを寄せる同僚の吉住理恵の協力で、17年前の現場から採取されたものの中にあった白い毛が犬のものであることをつかむ。そして風見のデスクのゴムマットの下に隠されていたコンタクト・プリントに注目する。そこには暗闇に車と男が写っていた。その写真のネガは現場から発見されていなかった。何者かが盗んだのである。
 水戸部は時田にコンタクト・プリントに写っている人物こそ真犯人ではないかと伝える。そして水戸部は、みちるの第2発見者の不動産屋社員の倉橋冬樹が「ふーちゃん」であり、みちるの部屋に証拠を残した男の1人ではないかと考える。そして高宮の自宅を訪れた水戸部は驚愕する。彼こそコンタクト・プリントに写っていた男だったのだ。彼がいくつかの嘘をついている手応えを感じた水戸部。
 中島は、風見の暗室のゴミ箱から回収されていた印画紙から指紋と犬の毛を発見する。さらに、川崎の現場で採取されたベッドのヘッドボードの染みの成分が珍しい整髪料であることを突き止め、それを聞いた時田は、梶村こそ犯人であると確信する。梶村は整髪料の件と、防犯カメラの映像で時田に追い詰められついに自供する。被害者の部屋に入るために倉橋から鍵を借りたことも。
 高宮の方も、水戸部が指紋と犬の毛を材料に追い詰めるが、高宮は2つの殺人事件が同一犯であるという話を聞いた途端、DNA鑑定に応じる。水戸部と朝香は、風見がみちるを殺害した高宮を脅迫したことで、高宮が風見を殺したと考え、その線から再度高宮を攻める。高宮の乗っていた車が博物館に今でも保存されており、そこに風見のDNAが残っていることを示唆したことで、ついに高宮も落ちるが、水戸部はすっきりしない。そして、倉橋をゆさぶった結果、倉橋は逃亡。取り押さえて取り調べた結果、高宮がみちるを薬で眠らせて現場を去った後、倉橋がみちるを殺害したという真相が明らかになった。もちろん川崎の事件も犯人は倉橋であり、他にも多数の余罪が疑われた。高宮はみちるの件については自分が殺してしまったと思い込んでいただけで、風見を殺してしまったのだった。

 さすがにハズレなしの佐々木譲作品だけあって普通に面白い作品なのだが、今一つ読中読後の感動がない。タイトルの通り、代官山が舞台とあって(訪れたことはないが)、これまでの作品のどことなくいかにも警察小説的なタバコ臭く汗臭い雰囲気と違って、表紙も含め全編がオシャレでスタイリッシュな感じでまとめられており、佐々木譲作品らしからぬ印象を受ける。そこは問題ないのだが、気になるのはキャラ作りと、風見の撮った写真の取り扱い。捜査対象となる人物が多く、その辺は集中力が必要で読んでいてちょっと辛いが、警察側の人物は、水戸部、朝香、時田、中島、吉住の5人が中心で、主体が頻繁に入れ替わるものの特に分かりにくさはない。みんなキャラがそれなりに作られていていて一応の魅力はあるのだが、物語の中心となる水戸部と時田の人間味をもう少し出した方が良かったかも。個性が弱くただの優秀な刑事という印象がぬぐえない。中島のキャラは良い味を出している。そして、写真の件。良くできた話ではあるのだが、風見が自分で写真に撮った真犯人を強請っていたのではという発想を最後の方まで警察側の誰も持たないのが不思議。それ以外は恐ろしく優秀なのに。そう、主人公達があまりに優秀で、捜査があまりにスムーズに進んでいくのも物足りなくなる理由の1つかも。そのストレスのなさが良いという読者もいると思うので、そこは好みの問題かもしれないが。

『屍者の帝国』(伊藤計劃×円城塔/河出書房新社)【ネタバレ注意】★

 「このミス」2013年版(2012年作品)11位作品。普通のミステリとはちょっと変わったものを読みたくなった時に、どちらかというとSFにジャンル分けされる本書を図書館で見かけ、著者の伊藤計劃が癌で死去し、生前親交の深かった円城塔が引き継いで完成させたという成り立ちにも引かれて借りることにした。成り立ちについて読了後にさらに調べてみると、伊藤氏が執筆したのはエピローグのみで、ほぼ円城氏の作品とみなしてよさそうだ。 「日本SF大賞」特別賞受賞、「SFが読みたい!2013年版」ベストSF2012国内編第1位、「一個人別冊2012年度」最高に面白い本大賞文芸部門第1位、「2013本屋大賞」ノミネート作品と、本書の帯にはそうそうたる受賞歴が掲載されてはいるが…。

 19世紀末に、屍者が労働用や軍事用として使役されている世界を舞台に、イギリスの医学生ジョン・ワトソンが、国家の諜報部員としてアレクセイ・カラマーゾフ率いる「屍者の帝国」の実態と、カラマーゾフの真意を調査するために、アフガニスタンに向かうという物語冒頭。もちろん、あのワトソンであり、あのカラマーゾフである。有名作品の登場人物や史実の人物が次々に登場するのも本作の特徴。屍者が普通に労働力として社会に溶け込んでいる世界観は面白そうなのだが、屍者を作り出すメカニズムがあまりにも適当でリアリティがなく、まずそこでテンションが下がる。屍体の頭部に電極等を差し込んで新たな記憶を上書きするだけで、あとは定期的なメンテを施すだけで睡眠なしで20年は使役でき、その屍者には感情がなく話すこともできないという設定なのだが、なぜ記憶を上書きするだけで屍体が復活するのか、なぜ腐敗が進行しない状態で活動できるのか、何をエネルギー源にしているのかといったことに全く説明がない。豪傑のフレデリック・バーナビ-大尉と情報部員クラソートキン、そして屍者の従僕・フライデーを伴いだらだらと旅を続け、やっとカラマーゾフに出会う。このあたりまではかなり睡魔との戦い。そして、彼の口から、ヴィクター・フランケンシュタインが生み出した最初の屍者、ザ・ワンが現在も生存しており、屍者創造の秘密を記した「ヴィクターの手記」を彼が持っていることが語られる。ワトソン達は、彼と手記を追って明治維新後の日本に向かう。ここでの戦いはハリウッド映画的でちょっと読書意欲を取り戻せたが、ここまでが集中力の限界。日本を出国後、南北戦争後のアメリカに向かい、ノーチラス号でロンドンに帰還し、ワトソン達とそこでついに対面したザ・ワンは、人間の意識は菌株の働きによるものであるという自身の研究結果をワトソン達に語り、復活した彼の花嫁と共に姿を消す。ワトソンは、フライデーの従僕としての任を解き、旅の途中で入手した謎の十字架を自らの頭部に刺す。一足先に未来を覗くために。そして、フライデーは意識を取り戻し覚醒するのであった…という後半部分は正直理解できない。「amazon」のレビューなどを見ると、同じような感想の読者がいる一方で絶賛する人も多く、総合評価は5点満点の3.5となっている。自分の読書力の未熟さもあるのだろうが、やはり一般人にはお勧めできない。

 

2014年10月読了作品の感想

『麒麟の翼』(東野圭吾/講談社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2012年版(2011年作品)20位作品。加賀恭一郎シリーズ第9弾。

 日本橋の欄干にもたれかかっていた男の胸にはナイフが刺さっていた。その後、病院で死亡したその男は建築部品メーカー「カネセキ金属」の製造本部長・青柳武明で、その直後、武明の財布を所持したまま交通事故にあって意識不明になった男は、「カネセキ金属」に過去に派遣社員として勤めていた八島冬樹であった。当初は武明に復職を迫って断られた矢島が逆上して刺したと考えられ武明の家族には同情が集まったが、八島が労災隠しのために退職させられたことが報道されたことで武明の家族は被害者側であるにもかかわらず苦しめられることになる。八島犯人説に疑問を持った日本橋署の警部補・加賀恭一郎は、従弟の警視庁捜査一課の松宮脩平とともに、事件の真相を突き止めるため独自に捜査を進める。そして武明が水天宮参りを続けていたことを知った加賀は、その理由をついに突き止めた。中学時代に水泳部に所属していた武明の息子の悠斗には、仲間の杉野と黒沢と共に後輩の吉永を夜の特訓で溺れさせるという事件を起こした過去があった。水泳部顧問の糸川が個人練習中の事故として警察に届けたため事件は大きくならなかったが、吉永が今も意識不明のままであったことを知った悠斗は、彼の意識回復を願って水天宮参りを始め、吉永の母親のブログに女性の名前を語って水天宮や折り鶴の写真を投稿していた。写真投稿のことを父の武明に知られ悠斗はその行為をやめてしまうが、武明はそれをこっそりと引き継いでいたのだ。そして、過去の事件の真相に気づいた武明が杉野を呼び出したところ杉野に刺されたのだった。悠斗は真実を知り、吉永の母親に謝罪することを決意する…という物語である。

 
 確かにいい話ではあるが、「帯には『加賀シリーズ最高傑作』と謳っているととだろうと思います。その看板に偽りなし、と作者からも一言添えておきます。」という帯の作者メッセージに過剰に期待すると、期待はずれに終わるかも。自分でそこまで言うか?という気持ちももちろんある。そのあたりが20位というランキングに現れているような気もする。全然加賀との仲が進展しない金森登紀子というヒロインの扱いが気になる以外、突っ込みどころも特にないのだが、「最高傑作」と言えるほどの感動は自分には正直ない。読者が真相を推理していく楽しみを味わうタイプの作品ではないこともあるが、父と子の絆を描こうとしている作品の割には、その距離がありすぎる気がした。『真夏の方程式』読了後にも書いたが、2011年週刊文春ミステリーベスト10では、『マスカレード・ホテル』4位、『麒麟の翼』7位、『真夏の方程式』9位と東野作品が上位を独占し、『麒麟の翼』以外はランクインすらしていない「このミス」とはかなり様子が違う。『マスカレード・ホテル』は未読だが、個人的には『麒麟の翼』よりも『真夏の方程式』の方が好みの自分としては、どちらのランキングも自分とは合わないのかもしれない。

『奇譚を売る店』(芦辺拓/光文社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2014年版(2013年作品)20位作品。ランキングは『麒麟の翼』同様に振るわなかった作品だが、何となくタイトルに引かれて読むことに。

 内容は、売れない小説家の「私」が古書店で入手した本にまつわる6つの短編からなり、その入手した本の題名がそのままタイトルとなっている。そして、すべて「また買ってしまった」という一文から物語が始まる。全編を通して乱歩の時代の匂いがぷんぷんするにもかかわらず、あくまで「私」は現代の人間というのが不思議な感じを与える作品である。
 第1話『帝都脳病院入院案内』は、タイトルの通り、「私」が購入したものが本ではなくパンフレットというのがいきなり斬新。それに魅せられた「私」はなぜかその病院の模型を作ってしまう。そしてそのパンフレットの中に掲載されていた医師の1人が自分の親戚であることに気がつき、彼がその病院で謎の転落死を遂げていたことを知る。そしてその模型の中に当時の人々が出現し、患者の女性に眠らされたその医師が、1階の部屋に偽装された2階の部屋で目を覚まし、中庭に出るつもりで転落死させられたという真相を知ってしまう。そして、その模型の中の女性は、次に「私」をその謎の世界に引き込もうとし、「私」は恐怖するのであった…。
 第2話『這い寄る影』では、「私」は、売れなかった作家が雑誌に載った自分の小説を切り抜いて製本した昭和20年代の本を購入する。満点星子という女探偵が活躍するそのシリーズは、売れなくて当然のB級作品ばかりであったが、ある新人賞に応募してきて落選した作品の中に、満点星子を主人公とした作品があったことを知る。彼はまだ執筆を続けているのだろうか。『這い寄る影』の作者が過去に住んでいた家を訪れて以来、急に筆が進むようになる「私」。いつしか「私」は、満点星子を主人公とする作品を書いており、それは編集者の眉をひそませるものであったが、「私」は『這い寄る影』を次に開いた時、その作品の全てに共感できる自分に驚くのであった…。
 第3話『こちらX探偵局/怪人幽鬼博士の巻』では、その漫画作品には「私」がずっと気にしていたことがあって、その謎が解かれるまでが描かれる。ラストシーンで行方不明となる主人公の少年探偵は一体どうなったのか、元々のシリーズの主人公であったはずの十文字探偵は一体なぜ姿を消したのか、という謎である。ある女子高生から課外学習の一環としてインタビューを受けた「私」は、『こちらX探偵局/怪人幽鬼博士の巻』について語り出すが、その話に熱心に聞き入って去っていった制服姿の女子高生を、彼女を見かけた「私」の仕事仲間は「私服姿の男子学生」だったと表現し「私」は大いに戸惑う。その後、「私」はなぜか『こちらX探偵局/怪人幽鬼博士の巻』の続編製作に取りかかり、最終話に登場した博士に命を狙われていた美少女こそ少年探偵自身であったという結末を描き切る。そして、私はなぜかディスプレイの中の少年探偵=美少女と会話を始め、インタビューに現れた女子高生こそ作中の美少女自身であり、「私」自身が十文字探偵であることに思い至るのであった…。
 第4話『青髯城殺人事件映画化関係綴』では、またしても本ではなく、映画製作関係の資料という変わったものを「私」は購入する。その中にあった美少女女優の写真に引かれた「私」であったが、まったく同じ容姿の女性にたまたま訪れた撮影所で出会い「私」は驚く。不老不死の秘術を心得た化け物ではないかと恐怖する「私」であったが、何者かに殺された高齢の撮影所の門衛も同じような疑念を持ったらしかった。出版社に勤める藤戸によって彼女がその女優の曾孫であることが判明し安心する「私」であったが、不老不死の力を持っていたのは実は藤戸=不死人であり、「私」も門衛同様殺されようとしていた…。
 第5話『時の劇場・前後篇』では、過去に見かけたことのある『時の劇場・前篇』を購入した「私」がその本を読んでみると、自分の両親のことが描かれていることに気づくことから物語が始まる。自分と思われる子供が産まれるところで前篇が終わっており、後篇には自分の未来すらも描かれているのではと必死で後篇を探す「私」。ネットオークションでの落札に失敗した「私」は、ある古本の入札大会に目的の本が出品されていることを知り参加するが、なんと「私」も含めた入札者全員の入札額が同額で、入札者同士の話し合いで購入者を決めることになる。何としても内容を知りたい「私」はその本を持って会場から逃げ出す。他の入札者に追われケージのないエレベーターから転落した「私」は死の直前、本を手にした他の入札者達の会話を聞く。本は途中から白紙になっており、だからこそ自分はこんな目に遭ったのだと悟る「私」であった…。
 第6話『奇譚を売る店』は、そのタイトルからも分かるように、まさに本書を「私」が入手するところから始まる。タイプライターをひたすら打ち続けている店主から購入した「私」は、その奇妙な本を一読し、このまま持っていてはいけないという気になって購入した古本屋を再び訪れる。すでに閉まった店からは相変わらずタイプライターの音が聞こえてきたが、帰る気になれない「私」は裏に回って土蔵の中に多数の死体を発見する。そして、店主に発見された「私」も殺された。店主は自分の蔵書を生活のためにやむなく売っていたが、固定客に作家として成功した人間が多数いることが許せなかったため、タイプライターで自分の作品を作りつつ、客を次々に殺害していたのだ。店主は、必死にタイプするあまり、やがてタイプライターと一体化し、物語と一体化していく。そしてこの本を手にした読者に、暗闇と背後に気をつけるよう警告して物語を終える…。

 2年前に読んだ「このミス」2011年版10位作品の『綺想宮殺人事件』でがっかりさせられたことを覚えていれば読まなかったかもしれないが意外と面白かった。

『私が彼を殺した』(芦辺拓/光文社)【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2012年版(2011年作品)ランク外作品。加賀恭一郎シリーズ第5弾であり、かつ『どちらかが彼女を殺した』に次ぐ、高難易度犯人当て小説第2弾である。はっきり言って物語に引き込む力は半端ない。これだけの傑作が「このミス」にランクインできなかったのは、やはり犯人当てが難しすぎる上に、何より作中で犯人を明かしていないせいであろう。正直自分も全く分からなかった。

 女性関係にだらしない脚本家の穂高誠が、結婚式当日に結婚式場内で何者かによって毒殺される。容疑者は3人。穂高の結婚相手で売れっ子の詩人・神林美和子と近親相姦関係にあり、彼女を手放したくない兄の神林貴弘。穂高に捨てられ自殺した浪岡準子に想いを寄せていたため穂高を怨んでいた、大学時代の友人であり現在彼のマネージャーである駿河直之。そして美和子の担当編集者であり、過去には穂高と深い仲にありながらも穂高が美和子に乗り換えたため準子同様に捨てられた雪笹香織。準子は穂高と心中するため、穂高がいつも飲んでいる鼻炎用カプセルに見せかけた12個の毒物入りカプセルを用意していた。結局穂高の死を見届けることなく、穂高の結婚式前日にそのカプセルの内の1個を飲んで穂高邸の敷地内で自殺する準子。結婚式を無事に済ませるため、準子の遺体を穂高と駿河が準子のマンションに運び込むところを香織は目撃していた。駿河と香織には準子の部屋でカプセルを入手する機会があり、貴弘には準子がこっそり穂高邸内のピルケースの中に仕込んだカプセルを入手する機会があった。3人はそれぞれの方法で穂高を毒殺しようと考えており、彼が死亡した時には自分が殺したものだと思い込んでいた。しかし、その後の加賀の捜査でそれらがすべて失敗に終わっていたことが明らかになる。だが、別の方法で殺害に成功していた人物が3人の中にいたのである。「犯人はあなたです」という加賀の一言でこの物語は幕を閉じ、読者に犯人の名は最後まで明かされない。袋とじの解説に、ピルケースが2つ存在していたことと、そこに付いていたある人物の指紋によって犯人が絞れるというヒントが書かれているが、それを読んでもまだ分からない人には分からないだろう。ネタバレの詳細はnemurineco氏の東野圭吾さんファンサイトを見ていただくのが早い。要するに、ある人物、つまり穂高の前妻が随分前に指紋を付け最近は使われていなかったピルケースに毒物入りカプセルが入れられて、全く同型の現在使用中のピルケースとすり替えられており、それができたのは誰かという話で犯人は駿河であると確定するのだが、前妻の指紋が消されずに残っているということは犯人の指紋も当然その上に残っていたということで、多くの読者にはちんぷんかんぷんでも警察には実はバレバレだったというわけだ。この作品にあえて突っ込むとしたらそこなのだが、個人的には前述したとおり本作は傑作であると記しておく。

『陽気なギャングが地球を回す』(伊坂幸太郎/祥伝社)【ネタバレ注意】★★

 今年41冊目の読了。10月にしてついに年間40冊という昨年の読書記録を更新してしまった。仕事は例年以上に多忙なのだが反動が出るのだろうか…。さて、「このミス」2004年版(2003年作品)6位作品である。『オーデュボンの祈り』『ラッシュライフ』に続く作者のデビュー3作目。「嘘発見器男」と呼ばれるほどの他人の嘘を見抜く特殊能力を持ち、普段は市役所に勤務している銀行強盗グループのリーダーの成瀬、「演説の達人」と呼ばれるくらいにひたすらしゃべりまくり、そのデタラメな話で仲間を困らせる喫茶店経営者の響野、グループの紅一点で、正確な体内時計と華麗なるドライビングテクニックで逃走時の運転手担当を務めるシングルマザーの雪子、そして、強盗による収入が入るたびにニュージーランドへ羊を見に行くのを楽しみにしているスリの天才でグループ最年少の久遠。個性豊かな4人の銀行強盗の活躍がユーモアたっぷりに描かれるコミカルなミステリ作品である。あらすじは以下の通り。

 4人はいつものように銀行強盗に成功するが、手に入れた4千万円を積んだ車で逃走中、突然現れた現金輸送車襲撃犯に車ごと売上金を奪われてしまう。久遠が犯人からすった運転免許から犯人の1人である林の住所を突き止め成瀬と雪子がそこを訪れるが、林は死体となっていた。一方、響野と久遠は、雪子の一人息子の慎一がやろうとしていた、不良少年達に拉致された友人救出に協力するため廃業したパチンコ店に向かっていた。不良少年達を撃退した響野達の前に拳銃を持った謎の中年男が現れるが、この地道という男は、雪子の別れた夫、つまり慎一の父親であり、神崎が率いる現金輸送車襲撃グループの1人であった。雪子は地道の借金1千万円を肩代わりすることになっていたが、地道が雪子達の強盗計画を神崎に伝えてしまったため、神崎に雪子達の4千万円の売り上げ全てを奪われるはめになったのだった。仲間の誰もが地道を許せない中、成瀬だけが、神崎から金を取り戻すより地道を仲間にして新たな銀行強盗を実行した方が早いと提案する。実は、地道を欺いて予定より早く強盗を実行したのだが、地道の方も盗聴器を仕掛けた携帯電話をメンバーに配ることで、計画は神崎に筒抜けになっていた。雪子の用意していた逃走車に乗り込み、成瀬達の逃走を妨害しようとする神崎であったが、成瀬達は裏の裏をかいており、いつの間にか林の死体を積んだその車に神崎を閉じ込め警察に逮捕させることに成功する。地道は姿をくらまし、成瀬達4人は、またいつものように強盗を実行するのであった…。

 最初から最後まで伊坂節全開の軽快な会話のやりとりが楽しめる作品で、ネット上のレビューの多くの高評価もベストセラーになったこともまあ理解できるのだが、個人的に大絶賛と呼べるほど面白かったかというと正直微妙。まず、何の罪悪感もなしに銀行強盗を繰り返し、しかも正義の味方ぶる主人公達に、エンターテイメントだからといって簡単に割り切れないものを感じる。ジャンルは全く違うが、違法な暴走行為を堂々と繰り返している『頭文字D』や『湾岸ミッドナイト』以上のモラルのなさがどうにも気になる。そして何よりストーリー全体の平板な感じ。あまりの読みやすさと、気の利いたユーモアあふれる伊坂節の連発に騙されてそれほど気にならないのかもしれないが、読んでいて盛り上がる場所がほとんどない。主人公達の強盗実行シーンは結局冒頭のみだし、慎一の友人救出シーンはすっきりしないまま終わるし、ラストの雪子の救出シーンも今一つ盛り上がりに欠ける。『アヒルと鴨のコインロッカー』で感じた時以上の不完全燃焼感がぬぐえない。印象に残ったのは唯一、林の部屋の電話を成瀬がリダイヤルしたら響野が出たというシーンだけ(これも種明かしをしたら何のことはなかったのだが)。しかし、伊坂節にすっかり慣れてしまったというのが今一つ本作を楽しめない一番大きい理由のような気もするので、初めて伊坂作品を読む人、伊坂作品を読み始めてファンになったばかりの人にはオススメの作品かもしれない。

『ぼっけえ、きょうてえ』(岩井志麻子/角川書店)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2000年版(1999年作品)16位作品。少々古い作品だが目を引くタイトルを図書館で見つけてつい借りてしまった。この独特のタイトルは岡山地方の方言で「とても怖い」という意味。そういえば2012年作品で一番のお気に入り『楽園のカンヴァス』にも岡山弁が登場していた。そして本作は『楽園のカンヴァス』同様、山本周五郎賞受賞作であり、日本ホラー小説大賞受賞作でもあるということで、かなり期待して読み始めた。本書には、明治後期の岡山地方を舞台にした「ぼっけえ、きょうてえ」「密告函」「あまぞわい」「依って件の如し」の4つの短編が収められている。

 「ぼっけえ、きょうてえ」は、遊郭の遊女が、自分の罪にまみれた生い立ちを客に語って聞かせる物語。幼い頃から中絶専門の産婆をしていた母親の手伝いをしていた「妾」は、父親を殺し、遊女になった後も同僚を殺していた。そして、それらの犯罪は全て髪の中に隠していた双子の姉の指示であったというホラー小説である。
 「密告函」は、コレラが蔓延する山村の役場に勤める弘三が、助役のアイディアで設置された感染者を密告する箱の担当者になり苦しむ物語。避病院に隔離されたくない村人は罹患を隠そうとし、それを暴く仕事をしている弘三を冷たい目で見ていた。そのストレスに耐えられなくなった弘三は仕事を投げ出し、怪しい祈祷師の娘、お咲のところに通い詰めるようになる。弘三に尽くし続けていた妻のトミは、密告函にトミの名を書いた紙を投函し、ついにはトミの家に火を放った。そしてコレラ菌に汚染された川で魚を捕り、弘三に食べさせようとするのであった。
 「あまぞわい」は、貧しい島の漁村に嫁に来たユミが、島の中で孤立し、非業の死を遂げるまでの物語。町育ちのユミは漁師の錦蔵に見初められて島に渡ったが、夫にはすぐに飽きられ、村民には酌婦あがりと呼ばれ、のけ者にされていた。孤独に耐えられなくなったユミは、網元の倅で足が不自由なせいで漁にも出られず結婚もできない教員の恵二郎と深い仲になる。それを知った錦蔵は恵二郎を殺害し、「あまぞわい」と呼ばれる場所に舟で死体を運び沈めた。「あまぞわい」には「海女」と「尼」にまつわる2つの言い伝えがあったが、その両方に取り憑かれたユミは恵二郎の死体が発見された後、自ら海中に没したのであった。
 「依って件の如し」は、貧しい山村で牛のようにこき使われてきた兄妹のおぞましい物語。由次という男の所有するツキノワと呼ばれる穢れた地で、利吉とシズの兄妹の母は死んだ。2人の父親は誰か分からない。利吉の出征後も、預けられた由次とナカ夫婦の家で、シズは家畜のように扱われ続けていた。そんなある夜、由次の家に押し込んだ人物によってシズ以外の人間が皆殺しにされる。竹爺と竹婆に引き取られたシズは人間らしい生活を取り戻すが、家の裏の小川にだけは水を汲みに行っては行けないと言われていた。1年後、戦地から戻ってきた利吉に竹爺と竹婆は驚く。シズは由次一家を皆殺しにしたのは利吉であることが分かっており、利吉はそれをあっさりと認める。凶器の鎌は竹爺の家の裏に埋めてあると。そこには竹爺と竹婆の放蕩息子が2人に殺されて埋められており、彼らが目を光らせている限り凶器は見つかることはないのだと。そして利吉は旨そうに牛肉を食べるのであった。

 日本の貧しい時代の暗部をこれでもかというくらい濃密な文章で描いており、その歴史的なムードは桜庭一樹の『赤朽葉家の伝説』を、そしてホラー的要素は三津田信三の刀城言耶シリーズを思い起こさせる。★★★にしようとも思ったが、『赤朽葉家の伝説』ほどの魅力を感じなかったことと、ホラー的なもの以上に人間の暗部に関する様々な話の後味のあまりの悪さに★★としておくこととした。

『シャングリ・ラ』(池上永一/角川書店)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2006年版(2005年作品)16位作品。「シャングリラ」は時々耳にする名称だが、ウィキペディアによると、「イギリスの作家ジェームス・ヒルトンが1933年に出版した小説『失われた地平線』に登場する理想郷の名称。ここから転じて、一般的に理想郷と同義として扱われている。」とのこと。今回そのことを初めて知ったが、本書が昔、自分が創刊号から愛読していた「月刊ニュータイプ」で連載していた作品であったことを知ってまた驚いた。「2005年SFが読みたい!国内編」3位、「本の雑誌が選ぶ2005年度のベスト10」2位、第27回日本SF大賞候補作で、アニメ化もされているという。「このミス」にランクインした日本を舞台にしたSFというと貴志祐介の『新世界より』が一番印象的だったが、あれが1000年後の日本を描いているのに対し本作はもっと近未来を描いている。舞台は、地球温暖化が進み、熱帯性のスコールが降るたびに都市機能が麻痺してしまう近未来の東京。温暖化阻止と先進諸国で取り入れられた炭素税削減のため、日本は国家プロジェクトとして東京の森林化を進め、その上に空中都市「アトラス」を建設した。完成すると13層にも及ぶ巨大な空中都市であったが、計画当初は都民全員が移住できるはずだったにもかかわらず、実際には350万人のスペースしか用意されておらず、その結果大量の「難民」が地上にあふれることになった。彼らがアトラスに住むためには、高額な「アトラス国債」を購入するか、年に1回実施されるアトラスくじに当選するか、あるいは数世代にわたってアトラスランクをE以上に上げるしかない。東京の森林化は東京の気温を確実に下げてはいたが、マラリアをはじめとする多くの熱病が発生するなど地上の環境はどんどん劣悪になり、その格差は反政府組織「メタル・エイジ」を生み、若き総裁・北条國子が仲間と共に政府に立ち向かうというSF大作である。あらすじは以下の通り。

 16歳の時に政府軍の陰謀で学校に催涙ガスを撒いたという容疑で逮捕され少年院に送られていた北条國子が2年後に出所した。彼女を出迎えたのは、彼女の育ての親でニューハーフのモモコ、反政府組織「メタル・エイジ」の参謀を務める武彦達。國子は新大久保にある「メタル・エイジ」の拠点ドゥオモに戻り、養母の北条凪子から「メタル・エイジ」総裁の座を引き継いだ。國子の帰還を祝って発電のため盛大に薪を焚くドゥオモであったが、国連の監視衛星に排煙をキャッチされ炭素税を上げられることを恐れた政府軍がさっそく攻撃してくる。総裁としての初仕事として、停戦交渉に成功する國子であったが、その直後、池袋方面から謎の砲撃を受けドゥオモは大きなダメージを受ける。
 モモコの元同僚のニューハーフ・ミーコは、アトラスくじに当選してアトラス入りを果たすが、そこで同じく同僚だったラブがモモコ達を騙して店の経営権を手に入れ商売をしていることを知る。アトラスの第6層にある新迎賓館に住み、アトラス内で大きな権力を持つ謎の少女・美邦(みくに)に仕えることになったミーコは、ラブを新迎賓館に招待し、ラブに次々に嘘をつかせて復讐を果たす。美邦には、彼女に嘘をついた者をむごたらしい死体に変える能力があったのだ。
 鉄筋コンクリートでは支えきれなくなったドゥオモをアトラス同様の炭素材で補修することになり複雑な気持ちの「メタル・エイジ」のメンバー達だったが、謎の植物がその壁面を覆い始める。補修のため焼き払うことを決定した直後、また謎の砲撃が始まり、なんとその攻撃先は政府軍の練馬駐屯地であった。 と、このあたりまではそこそこ面白かったのだが、このあとひたすら戦闘シーンがダラダラ続くのにだんだんとうんざりしてくる。その戦闘も、主人公の國子がブーメランを投げると戦車がバラバラに切断されるとか、鞭でヘリを落とすとか漫画チックで、主要キャラは何度も死んだと思わせてすぐに復活するのにも閉口。経済炭素のやりとりで莫大な利益を上げるカーボニスト達の争いも相当しつこい。
 いろいろな謎を簡単に説明すると、謎の砲撃というのは熱源を感知したダイダロスという植物が種を放出していたというもので「メタル・エイジ」は森を焼き払うことを決定する。アトラスは実は関東大震災を防ぐため大地のエネルギーを空に放出するシステムとして建設されたものであったが、その大地のエネルギーを計算に入れずに設計したため4種の神器がないとその振動を押さえられず、その神器をコントロールできるのが皇位継承者と呼ばれるトリプルAのアトラスランクを持つ人間であり、それが國子と美邦、そして政府軍の若き少佐、草薙国仁の3人であった(3人とも「クニ」という言葉が名前に入っている)。國子は神武天皇のミイラからクローン再生された存在であり、美邦の母を代理母として生まれたため美邦の姉にあたる。真相を知った國子は、アトラスによって国を治める帝になることを決意し、戦いの末、アトラスのメインコンピュータのゼウス、人類に牙をむいた経済炭素予測システムのメデューサなども倒し、ついに平和を手に入れる。
 政府に騙され劣悪な地上に残された人々の怒りは理解できる。しかし、生活のために自前の発電施設を稼働させて煤煙を排出したり、政府軍の攻撃に武力で対抗したりするのもやむを得ないとしても、20年前に「メタル・エイジ」が実行したアトラス攻略作戦には同意し難いものがある。「メタル・エイジ」が組織した500人のゲリラがアトラス第4層を制圧し、2か月の戦闘後に政府軍は30万人の住人を犠牲にしてゲリラを全滅させ第4層を廃墟にしたというものだ。もちろん政府のやり方も許されないが、「メタル・エイジ」の見通しも相当に甘かったと言えよう。しかも、「メタル・エイジ」は再び同じような作戦を実行に移す。あまりに無謀で感情移入できない。また、多数登場するキャラはよく描き込まれているが、いずれも漫画チックで強烈すぎ。美邦やそれに仕える小夜子など残忍な悪人として登場しながら後半ではすっかり善人として描かれるキャラがいるのもどうか。改心すればそれまでの悪事はなかったことになるのか。小夜子の後任で小夜子以上の悪人の涼子などは、改心することすらなくラストでは内閣総理大臣に就任しているのだ。悪人はすべて死ぬべきだとは言わないがあまりに不条理。このように前述した通り、無名キャラは多数無惨な死に方をするにもかかわらず、主要キャラのほとんどが何だかんだで生き残るのもこの作品の特徴。結論としては、もろにアニメ向けの作品で、楽しめる人には楽しめるが個人的にはちょっと…という感じ。舞台設定が面白いだけに惜しい。

『鷺と雪』(北村薫/文藝春秋)【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2010年版(2009年作品)11位作品。第141回直木賞受賞作。「不在の父」「獅子と地下鉄」「鷺と雪」の3編を収録している。正直北村作品には今一つなじめず、今まで読了した5作には★★★を付けたことがなかったのだが、今回初めて付けさせていただいた。読んでいて非常に心地よい美しい文体にうならされる。さすが直木賞受賞作品というところか。最初はあまり北村作品らしさを感じなかったが、読み進めるうちに「円紫さん」シリーズに通じる雰囲気が次第に感じられるように。ミステリーを前面に出した作品ではないので「このミス」11位というランキングもやむなしと思ったが、「本格ミステリベスト10 2010」で6位、「週刊文春ミステリーベスト10」で3位にランクインするなど、ミステリー作品としての評価もそれなりに高いようだ。昭和初期の東京を舞台に、良家の令嬢・花村英子が、その家のお抱え運転手・ベッキーさんこと別宮みつ子の知恵を借りつつ謎を解いていくというベッキーさんシリーズの第3弾という位置づけである。様々な伏線が最後の一文に収斂していく様は見事の一言。

 「不在の父」では、英子の友人である桐原公爵家の娘・道子を通じて知った、子爵の滝沢吉広が5年前に妻子を残して屋敷から忽然と姿を消した話の謎に挑む。英子の兄の雅吉が浅草の暗黒街で滝沢そっくりのルンペンを見かけたという話を聞いていた英子であったが、自分で探しに行くわけにもいかずベッキーに相談する。するとベッキーは似顔絵を使ってあっという間に馬さんという名でルンペンをしていた滝沢を捜し出しアポまで取り付けてきた。英子と会った滝沢は、英子の考えた滝沢の消失トリックを認めた上で、妻子を愛してはいるが価値観の違いからもう家に戻ることはできないと告げ去っていく。そして後日子供を助けるために交通事故死した馬さんと呼ばれるルンペンの新聞記事を見て心を痛める英子。そんなある日、ある講演会で知り合いになった陸軍少尉の若月に再会した英子は、探していた詩集を彼からプレゼントされる。犯罪名とそれに関係なさそうな単語を連ねた詩の一節「騒擾ゆき」に何となく引かれる英子であった。

 「獅子と地下鉄」では、英子の叔母から中学受験を控えた息子の巧が上野の美術館付近で補導されたことについて相談され、彼の日記帳に書かれていた「ライオン」「浅草」「上野」という3つの言葉の謎に挑戦する姿を描く。上野で「ライオン団」と呼ばれる集団について調べ始めたところを不良達に襲われた英子は、銃を持ったベッキーに救い出され、上野の美術館近くにある表慶館の獅子像と浅草の花屋敷にある獅子像のところに案内される。そして三越のライオンの存在に気づかされた英子はその真相にたどり着き、巧と会って確認することができた。巧は父から三越のライオンに誰も見られずに登ると試験に受かると聞いてそれを実行したがルンペンに目撃されてしまい、父の思いを無にしたくなかった巧はどうしてもやり直したくて表慶館の獅子像に登ろうとしたところを補導されたのであった。巧の失敗をなかったことにするため、獅子に乗る文殊菩薩で知られた埼玉の寺へ行ってお札と絵馬を手に入れてきたベッキーに、英子はただただ感心するばかりであった。

 「鷺と雪」では、能面の展覧会で失神して倒れた、学校の同窓で子爵令嬢の小松千枝子から相談された写真の謎に挑む。彼女が失神するほど驚いたのは能面の一つが婚約者の顔にそっくりだったからで、なぜそれくらいのことで失神したのかというと、親友の有川八重子と写真機を買いに行った時に彼女を撮った写真に、その時は台湾にて日本にいるはずのなかった婚約者が写っていたからというものだった。当時は、離魂病いわゆるドッペルゲンガーは死の前兆であると言われていたため千枝子は苦しんでいたわけだが、ベッキーは英子から八重子の性格を聞き出すと、もう真相をつかんだ様子であった。結局お金持ちの八重子は悪戯心で写真機を事前に購入して千枝子の許嫁と一緒に写真屋の前で写真を撮り、後日千枝子と写真機を購入しに行った時に買ったばかりの写真機とすり替え、自分の弟に1枚目だけ写真を撮るふりをさせたのであった。そんな時、英子の元に再び若月から本が送られてくる。御礼に時計を贈ろうと英子が服部時計店に電話をしたところ、電話に出たのは何と若月本人。彼はその偶然に喜びつつも「武運長久を祈って下さい」という言葉を最後に電話はすぐに切られてしまう。番号が1番違いのかけ間違えた先は首相官邸。「その年、昭和十一年。−二月二十六日のことだった。」という1文で物語は締めくくられる。

『虹の谷の五月』(船戸与一/集英社)【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2001年版(2000年作品)6位作品。第123回直木賞受賞作。2作続けて直木賞受賞作を読むことに なったが、今回も直木賞は伊達ではないと言うことを思い知らされた。船戸作品は北村作品以上に苦手意識があったのだが、読み始めると意外に引き込まれ たのだ。ジャピーノと呼ばれる日本人とフィリピン人の混血児であるトシオ・マナハンが、様々な命懸けの事件に巻き込まれる中で成長していく3年間の姿を描いた物語で、ミステリの要素はそれほどでもないが読み応えは抜群である。この現代において日本ではあり会えない数々の途上国での不条理に不愉快さを覚える読者も多かろうが、それも作者の訴えたかったことの一つであろう。少々血なまぐさすぎるきらいはあるが、色々と考えさせられる社会派の1冊としてオススメである。

 「ジャピーノ13歳 1998年5月」…トシオは、フィリピンのセブ島の山奥のガルソボンガ地区で祖父 のガブリエルと2人暮らし。日本人の父はフィリピン人の母が身ごもったことを知ると日本に帰ってしまい、母はトシオが幼い時にエイズで死亡していた。トシオは祖父から闘鶏を学び、初めて自分が雛から育てたゴールデンアロー号で初めての闘鶏に挑むが、警察署長ペドロ・ビガイの不正によって祖父の2羽の軍鶏ともどもアメリカ人とフィリピン人の混血児、ビリー・ジョーの軍鶏に敗れて殺されてしまう。失意の中、家に帰ったトシオが見たものは、喉をナイフで切られて殺された育成中の3羽の軍鶏の死体だった。中学校の校庭の隅で焚き火をしていた4人組の男達を疑うトシオだったが、日本人の画家と結婚し金持ちになってガルソボンガ地区に帰ってきたクイーンことシルビアの依頼で、その4人組とともに「虹の谷」へシルビアを連れて行くことになる。そこは丸い虹が見られる秘密の場所であり、トシオが敬愛するラモン・スムロン、その妹メグとともにトシオが面倒を見ているリベルタ婆さんの息子・元新人民軍副指揮官のホセ・マンガハスの隠れ家のある場所でもあった。「虹の谷」に一泊した翌朝、ホセと 4人組は銃撃戦となり、まさかホセが彼らのターゲットだったとは知らなかったトシオは激しく後悔する。 シルビアはホセと共に政府と戦う女戦士だったが、ホセに捨てられた上にホセだけが今も戦い続けていることを怨んでこの地へ戻ってきたのだった。4人組のうち2人を倒しながらも、トシオが人質となったことで4人組のリーダー、ミゲル・ピログに捕らえられたホセであったが、トシオの懇願もあってホセはシルビアに殺されずにすむ。去っていくホセの背に「もう闘うな、ホセ!」と叫ぶシルビア。トシオはここで起こったことを誰にもしゃべらないとシルビアに約束する。

「ジャピーノ14歳 1999年5月」…メルナンガ山中の蝙蝠台地に立て籠もっていた新人民軍を政府軍が攻撃し、新人民軍は壊滅状態になった。メグはシルビアからの養女の誘いを断り続けている。そんな中で開かれた地区首長を決める地区選挙の立ち会い演説会では、立候補していた3人が演説を行ったが、理想論を語るラモンの不利は明らかだった。現職のエドアルド・チャペスをその座から引きずり下ろすために多額の賄賂を使ったロベルト・バルバスは自信満々の演説をするが、最後に演説台に上がったチャペスは、シルビアの力を借りて台湾のビジネスマンと組み、ガルソボンガに観光業者を呼び込むプランがあることを語り区民を引きつける。しかし、彼の妻により自分の娘を孕ませたことを暴かれ失脚する。銃の密造をしているホアキン・ブンミエが自宅で殺されているのを発見したトシオは警察署長ビガイの聴取を受けるが、祖父からホアキンの違法な仕事を放置していたことを指摘されたビガイは狼狽える。結局地区選挙はバルバスが圧勝し、彼はアルフレド・バヤボという謎の男を地区の協力者として区民に紹介する。前年街に出て行ったラモンの恋人・トニアがエイズになってガルソボンガに帰ってくるが、結局その身を悲観して自殺し、選挙に敗れたラモンをさらに落ち込ませる。そんなある日、トシオは、メルナンガ山を追われた若いゲリラ兵3人に、ホセに合流したいからと虹の谷へ案内させられる。しかし、虹の谷で3人のうちマイクとテリーがバヤボに殺され、トシオはバヤボに捕まってしまう。バヤボは国家警察軍の特殊部隊の人間で、ホセを殺すためにガルソボンガにやって来ていたのだ。ホアキンを殺害したのもバヤボであった。しかし、ホセは怪我を負いながらもバヤボを倒しトシオを救出する。そしてホセは、唯一生き残ったゲリラ兵のジミーに、自分の怪我の治療を評価して医者を目指せと告げる。

「ジャピーノ15歳 2000年5月」…選挙に惨敗し恋人のトニアも失ったラモンは酒に溺れていた。ラモンを立ち直らせるため、妹のメグはシルビアの誘いに応じて日本へ行くことを決意する。2年ぶりに闘鶏に挑戦したトシオと祖父は自慢の軍鶏ラプラプで勝利を重ね大儲けし、長年世話になっていた日本人医師のマサハル・ナカノにたまっていた診療代や薬代を払いに行くが、ビサヤ地域独立行動隊という組織の3人組にに身代金目的で誘拐された直後であった。ナカノの妻は犯人がTVで放送されていた中国系実業家長男誘拐事件の犯人と同じだと証言するが、警察署長ビガイは全く取り合わない。トシオはその3人をニュースで見て覚えていた。その中の1人は、あのミゲル・ピログだったからだ。祖父は、トシオにビガイが犯人とグルであることを伝え、メルナンガ山中の蝙蝠台地に連れ去られたであろうナカノを救出すべくホセに手紙を書き、トシオと、ナカノの元で働いていたジミーにそれを託す。手紙を読んだホセは、トシオとジミーと共にホアキンが裏庭に埋めていた密造銃を掘り出してメルナンガ山へ向かう。途中で出会ったビガイを殺し蝙蝠台地にたどり着いた3人だったが、犯人グループ3人のうちの1人、アルツーロ・ナサレロを倒したところで、あとの2人に奇襲を気づかれてしまう。やむなく取引に持ち込もうとしたホセであったが、急に駆けだした水牛に反応した犯人グループの1人、ムハマド・アマトンがナカノを射殺してしまう。そしてホセは、アマトンを倒したもののピログに射殺されてしまう。そこでトシオは迷わずピログを射殺した。トシオにとって初めての殺人であった。トシオは、ジミーと共に水牛にホセとナカノの遺体を積んでガルソボンガに帰った。そして、ホセが自分の叔父であることを知る。祖父は、息子のホセだけに戦いを続けさせたこと、世話になったナカノを救えなかったことの償いとして単身セブ・シティに向かい、今回の誘拐事件の黒幕である元国家警察軍の第一治安局長のビセンテ・カンダオを射殺し、自らも警官に射殺された。祖父の遺体を引き取ったトシオは、ホセを埋葬した隣に祖父を埋葬し、メグとの約束を果たすため、彼女を共に虹の谷に連れて行く。そして雨季にしか見ることのできないはずの丸い虹が2人の前に出現する。2人は虹が消えた後も虹の谷を黙って眺めるのであった。

『青の炎』(貴志祐介/角川書店)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2000年版(1999年作品)15位作品。母は、人間のくずだった再婚相手・曾根隆司とは離婚したはずだった。しかし、その男はある日突然秀一の自宅に上がり込み居座り続けるようになる。知り合いの弁護士に相談するも、母の態度が煮え切らないため有効な手が打てないまま平和を奪われた家族の辛い日々は続く。酒に溺れ、妹名義の通帳のお金を使い込み、母に暴力を振るうその男の殺害を決意した秀一は、ありとあらゆる方法を模索した結果、鍼を利用した感電による殺害を実行に移す。しかし、幼なじみの石岡拓也に凶器を隠すところを目撃されてしまう。拓也に脅迫された秀一は、拓也に秀一のアルバイト先であるコンビニを襲わせて金を渡す計画を持ちかける。以前に拓也から取り上げたナイフを使い正当防衛に見せかけて拓也を刺殺することに成功した秀一であったが、警察は様々な点から秀一に疑念を抱く。逃げ切れないと判断した秀一は、自分に想いを寄せ自分をかばってくれた福原紀子に最後の別れを告げ、被疑者死亡という形で事件の幕引きをはかるため、ロードレーサーでトラックに突っ込んでいく…という物語である。
 こうして簡単に要約できてしまえるくらいに話はシンプルで一気に読めてしまう内容である。それでも一瞬★★★をつけようかと思ってしまったくらい感情移入できる物語だったのだが、どうしても物足りない部分がいくつかあって結局そうはしなかった。曾根がどれだけ悪党なのかと思いきやそれほどでもなく、それは秀一が後悔するくらい実は善意のある人物だったというどんでん返しがあるのかと思いきやそれもなかったのがまず一つ。これには大いに拍子抜け。そして、曾根殺害時に主人公が一瞬ピンチを迎えるのかと思いきやあっさりと殺害は成功し、第2の殺人についても同様にあっさりと成功してしまうのが2つ目。このあたりは、あとで警察に追い詰められていく主人公とのギャップを演出するものなのかもしれないが、もう少しドキドキハラハラ感があってもよかったのではないか。また、第1の殺害の証拠の品を拓也が持っていることを知っていながら、拓也殺害後までその回収について秀一がまったく気にしておらず、警察に見つかることなく拓也の親が何か分からないまま処分してくれるだろうと楽観的に考えているのもかなり不自然。結末については納得のいくものであったが、15位という微妙なランキングはやむを得ないと思われる。

『ヨハネスブルグの天使たち』(宮内悠介/早川書房)【ネタバレ注意】★

 「このミス」2014年版(2013年作品)15位作品。「ミステリが読みたい!」2014年版3位作品。第34回日本SF大賞特別賞。10年ほど前に「このミス」のベスト10作品を読み尽くそうと何となく思い立ってミステリを集中的に読むようになり、この5、6年で加速していたのだが、最近は11位以下にも目を向けるようになり、本書は2014年版20位以内の18冊目である。「このミス」のカバージャンルが広いおかげで、純粋なミステリのみならずSF作品も読めるのはありがたいことだ。作者の宮内氏は今のところ本書を含め2冊しか本を出版しておらず、その両方が直木賞候補に選ばれている。しかし、最近読了した『鷺と雪』『虹の谷の五月』はさすが直木賞とうならされたが、宮内氏のデビュー作で昨年読了した「このミス」2013年度版10位『盤上の夜』も本書も、正直私には面白さが分からない。「人間の業と本質に迫り、国家・民族・宗教・戦争・言語の意味を問い直す」という裏表紙のコメントも分からないではないが、抽象的かつ観念的すぎて、内容をすんなりとは理解しがたい読者の方が多いと思われる。良さが分かる人にだけ読んでもらえばよいということだろうが、スイートスポットは相当に狭い。収録された5編に共通して登場する日本製の人型ホビーロボットDX9が一番の目玉なのだろうが、その使われ方はというと、それが大量に落下してくるイメージで統一されているというのがまた理解しがたい。
 第1話「ヨハネスブルグの天使たち」は、戦災孤児のスティーブとシェリルは民族紛争で荒みきったヨハネスブルグで軍人を襲うなど危険な行為を続けて生き続けていた。ひたすら落下試験を続けているDX9の中の1体、PP2713とのアクセスを続けそれを手に入れようとする2人。そして2人の成長を見守るPP2713。時が過ぎ大統領となったスティーブは、今は亡きシェリルが実用化したマンマシン互換アダプタで、自分たちが征服した対立民族から希望者を募り、その人格をDX9に書き込み砂漠に放つ。オリジナルは処刑されるという残酷な共存への解決策にスティーブは自分の力のなさを実感するのであった。
 第2話「ロワーサイドの幽霊たち」では、9.11直前の世界貿易センタービルの様子が描かれる。しかし、それは2001年のことではない。あれから40年後、40周年企画として地区の再開発のために、再建されていたツインタワーに再び飛行機を突入させるというプロジェクトが進行していたのだ。ビル内には当時の被害者達の人格を書き込んだDX9が配置され、エンジニアのビンツもその1人であった。しかし、飛行機のパイロットのDX9がテロリストに乗っ取られ突入目標が変更されてしまう。ビンツは「父」の指示に従ってガードを外され、ネット経由でパイロットの制御を取り戻し、当初の予定通り9.11は再現された。そして、ビンツは窓から落下しながらビルとビルの間に「未来」を見るのであった。
 第3話「ジャララバードの兵士たち」では、パシュトゥン人のゲリラに追われるルイこと日本人旅行者の隆一と護衛の米兵ザカリーの苦難を描く。パシュトゥン人の投入したDX9の改造兵に追い詰められた2人だったが、鳥葬に使われるすり鉢状の穴の中に飛び込み、その中に開けられたトンネルを利用して脱出に成功する。女性の米兵・ナオミの射殺遺体が発見され現場に駆けつける2人であったが、真相は、彼女の開発した生物兵器「種子」が彼女に意図とは違う方法で使用され、それを調査していた彼女を、大統領選に支障が出ないよう上司の命令でザカリーが殺害したのであった。しかし、ザカリーまでもが米軍に追われる身となり、2人は米軍の追っ手と戦うことになる。致命傷を負ったザカリーは自決、ザカリーから聞き出したアキト・イシルガというザカリーの上司の名を胸に刻み、ルイはカブールへ向かうのであった。
 第4話「ハドラマウトの道化たち」では、マディナと呼ばれるゲリラ組織と協力し、ハドラマウト・シバームの街に興りつつある新宗教を叩くというミッションを課せられたアキトの部隊を描く。マディナの幹部であり、窓口でもあるタヒルに街を案内してもらうことになったアキトは、タヒルがDX9であることに驚く。彼らは、自らの人格をDX9に転写しオリジナルの人間は自爆攻撃を仕掛けるのだ。なぜDX9の方ではなく人間が自爆攻撃をするのかというと、その方が神に近づけるからだという。タヒルは新宗教との共存を願っており、同様の意見を持っていたアキトは新宗教の教祖ジャリア・ウンム・サイードに接触する。そしてそこにルイがいた。勝手に付いてきたアキトの部下が住民とトラブルを起こし住民に重傷を負わせたことで交渉は決裂、改めて部隊を率いてジャリアの拠点を攻めるアキトであったが、ルイの配置したDXに行く手を阻まれ、ルイはアキトから奪った「種子」を使用し、鉄砲水でアキトの部隊だけが流された。なぜ民衆だけが動けるのか不思議がる捕らわれたアキトに対し、ルイは事前に抗生物質を民衆に配り「種子」による発症を防いでいたことを告げる。そして、タヒルはジャリアの人格のコピーであることも。「この街で起きていたことは、1人の人間の、異なる二つのぶつかりあいだった」というルイのつぶやきの後、ジャリアからアキトの処刑命令が出るが、アキトはタヒルとともに脱出を図るのであった。
 第5話「北東京の子供たち」では、北東京の団地で暮らすルイの弟・誠と幼なじみの璃乃の物語が描かれる。誠の母は精神病院への入退院を繰り返し、父はそのケアで疲れ切っている。団地では、毎晩のようにDX9が屋上から飛び降り、また登っていくということが繰り返されており、クラスメートの禹錫(ウソク)は落下してきたDX9の直撃で死亡していた。このDX9を使った遊びは、暮らしに疲れた元プログラマの主婦が始めたもので、よその団地やマンションに広まっており、璃乃の母もDX9との接続に浸り精神が壊れかけていた。璃乃は誠に、この馬鹿げた循環を辞めさせる提案をする。エレベータの回路をいじってDX9を別の階に閉じ込めることに成功した2人であったが、璃乃の母の症状は悪化し、結局元の循環を復活させる。しかし、母の回復のため璃乃は自分もDX9との接続を行うようになり誠から離れていく。
 こうしてまとめてみると、第1話、第2話あたりはプロットとしては結構面白そうなものだが、実際読んでみてそう感じないのはなぜだろう。やはり抽象的、観念的なことに加え、倫理的に問題がありすぎることか。もう少し、見せ方というものがありそうなものだが…。特に第2話のような狂気のプロジェクトが簡単に実現するはずはなかろう。もっと説得力のある話の持って行き方はなかったのだろうか。第3話以降には全然魅力を感じない。第5話にいたっては完全に蛇足ではなかろうか。一主婦が団地の屋上から毎晩ロボットを飛び降りさせる遊びを初めて、それが広まるなんて全く意味不明である。

珈琲店タレーランの事件簿 また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を』(岡崎琢磨/宝島社)
【ネタバレ注意】★★

 久々に「このミス大賞」作品、しかも大賞受賞作ではなく隠し球を読むことに。奥さんがたまたま持っていた本作は2011年第10回の隠し球作品である。主人公は、機嫌を損ねた嫉妬深い恋人の虎谷真実のあとを追っている途中にタレーランという喫茶店を見つけ、そこで理想的な珈琲を淹れるバリスタ・切間美星に出会う。彼女の特技は美味しい珈琲を淹れることのみならず、日常の謎を見事に解き明かしてしまうこと。大叔父がオーナーを務めるその珈琲店で主人公の推理を「全然違うと思います」と否定した上で、ハンドミルで珈琲豆を挽きながら独自の推理を行い、「その謎、たいへんよく挽けました」の一言で解決してしまうのだ。
 第1章では、2回目に店に訪れた主人公の傘が、いつの間にか全く別の傘に変わっていたことの謎を解く。犯人は、主人公より先に店を出ていた真実の友人の戸部奈美子で、主人公と2人だけで話がしたくて仕組んだものという結末。
 第2章では、親戚の女子大生・小須田リカ(登場人物には皆珈琲に関連した名前が付けられている)から恋人の浮気調査を依頼された主人公の苦悩を描く。主人公は本人と出会いシロと判断するが、美星の判定はクロであった。帰国子女であるリカには「付き合ってくれ」という男の言葉のニュアンスが分からず、自分で勝手に交際しているつもりになっていたというオチ。ブラックコーヒーのうんちくも絡んでいるのだが、第1章以上にお粗末な種明かしにがっかり。
 第3章は、道行く人に牛乳をねだるハーフの少年の謎に迫る話。牛乳を必要とする謎についてはあまりにありがちでどうということはないのだが、叙述トリックが2カ所ほど仕込まれていて、やっとミステリらしくなってくる。
 第4章では、久しぶりに再会した真実に復縁を求められて追い回され何とかタレーランに逃げ込んだ主人公のところに、なぜ真実が現れることができたのかという謎に迫る。ここで、2人の動きを説明するためにやたらと物語の舞台となっている京都周辺の地名が出てくるのだが、そんなローカルな地名を次々に出されても地元民以外には全く意味をなさないということに作者は気がつかないのだろうかと、この作品に限らないものの疑問に感じた。リアリティを出しているつもりなのかもしれないが読者にはストレスにしかならないのではないか。しかも結局のところ店のオーナーが真実に知らせただけというオチに失望。
 第5章では、主人公が雑貨店でダーツの矢を気に入り衝動買いしようとしたところ試投中に売り切れてしまい、後日主人公が美星にそれをプレゼントされた謎に主人公が挑む。そんなある日、主人公の前に現れた胡内波和という男から、美星が過去に心を開かせた男の告白を断ったことで危険な目にあい、ある人物によって助けられたという話を聞かされた主人公は、胡内こそダーツの矢を社員割引で代理購入し美星に渡した人物だと確信する。しかし、社員に代理購入してもらったという推理は正しかったものの、美星が主人公に紹介した彼女の友人である社員は、水山晶子という全くの別人であった。そして主人公は確信する。胡内こそ過去に美星を苦しめた男の正体であることを。このあたりから本格的なミステリらしさが出てくる。
 第6章では、美星を救うため身を引こうとする主人公を責める晶子によって心が動き、考え方を改めた主人公は、珍しい猿珈琲を入手したことを美星に伝え、美星が主人公の自宅に来ることになる。しかし、そこで2人が発見したものは、主人公が美星にプレゼントするはずだったぬいぐるみが無残に切り裂かれた姿であった。胡内の仕業かと、さんざん恐怖をあおるだけあおって、結局は美星のバッグの中に入っていた猫の仕業であることが判明して拍子抜け。
 最終章では、胡内に殴り倒され入院した美星の復讐を果たすため、主人公が胡内に罠を仕掛ける。タレーランから出てきた主人公と退院した美星を再び襲おうとした胡内であったが、女性の方は美星ではなく柔道の有段者の真実で、胡内は真実に痛めつけられるという展開が冒頭で展開されるが、これが二重三重の大がかりな叙述トリックになっている。最初に胡内に襲われたのは実は主人公であり、美星を守るため、復縁と引き替えに真実に胡内を懲らしめる協力を仰いだのであった。主人公は、美星に対し珈琲の味が変わってしまったと別れを告げ、美星の方では、主人公の名前が物語の中でずっと語られていたアオヤマではなく、タレーランの味を盗みにきた同業者、つまりバリスタの青野大和であることを暴く。胡内と青野の二度にわたって男に苦しめられた美星は二度と人の心をのぞき込むことはしないと宣言するが、なぜか青野はそれを責めて去っていく。そして青野は美星のことを忘れて、独立して店を出すことに意識を向けようとするが、美星に渡されたメッセージを見て、彼女が青野の真意を見抜いていたことを知る。
 エピローグでは、また冒頭から叙述トリックがあり読者を混乱させる。青野が自分の職場のロックオン・カフェにいると見せかけて、実はタレーランにいるという趣向だ。結局真実にふられた青野は、タレーランを訪れ美星と和解する…といった物語である。
 どう読んでも『
ビブリア古書堂の事件手帖』シリーズの影響大の作品である。その点は個人的に決してマイナスではないのだが、トリックにおいても、うんちくにおいても、こちらは完敗と言わざるを得ない。あちこちに見られる叙述トリックは少々使いどころが変化球気味であるし、おっと思わされたのはヒロイン以上に主人公の方に謎があったという部分くらい。そして一番気になったのはキャラ作り。『ビブリア〜』に負けないくらい頑張ってキャラ作りをしているのは分かるが、ヒロインの美星に『ビブリア〜』の栞子のような魅力が今一つ感じられない。頭脳明晰で聡明なのはよく分かるが、人間的、女性的魅力に欠ける。主人公がヒロインに強い好意を抱く説得力に欠けるのだ(逆も同様だが)。ところどころにちょっとしたことで赤面する可愛らしさを演出した場面が描かれているが、それだけではまだ足りないし、駄洒落好きという設定は滑っている感がある。容姿の記述も少ない。これも読者の想像を良い方向に膨らますには必要不可欠な要素であろう。シリーズ化され3作目まで出ているそうなので、そのあたりが改善されていることに期待したい。

『夜の国のクーパー』(伊坂幸太郎/東京創元社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2013年版(2012年作品)19位作品。 とうとう今年の読了50作品目となった。延々300ページ以上にわたる、猫の語る奇想天外な話に退屈し、途中で投げ出す読者もいるかもしれないが、終盤でどんでん返しがやってくるとそれなりに満足感が得られるはず。また、その段階でも「謎は解けたけど主人公の存在意義はあるの?」という疑問がわくだろうが心配無用。そのあとにちゃんとオチが用意されている。しかし、書き上げるのに2年半近くかけた大作という割には微妙な読後感。猫の会話が中心となって進む展開も、独特の世界観も、終盤の「イイ話」も悪くないのだが、『アヒルと鴨のコインロッカー』を読んだ時ほどではないものの、もうちょっと読者を感動させるような持って行き方があったのではと思わされた。変にそういうところを狙わず、さらりと書き上げるところが作者の持ち味なのかもしれないが…などと、読み終えた直後には不満もあったのだが、時間がたつと「なんかイイ感じのおとぎ話」だったと思えるのが不思議。読み返すごとに味わいが深まるタイプの作品なのかもしれない。 しかし、やはり評価は大きく分かれる作品だろうと思われる。自分も★★★は絶対に付けられない。

 妻に浮気された主人公が株取引の次に作った趣味は魚釣りであったが、ある日舟が転覆して意識を失い草むらで目覚めた彼はなぜか縛られていた。その胸の上には人語を操る灰色の猫・トムが乗っていた。トムが語る話は主人公の想像を絶するものであった。
 そこは、まったく未知の異世界であり、その戦争に敗れたばかりの小国には、戦勝国である隣国の鉄国の兵の第1陣が乗り込んできたところであった。その国の民は馬も銃も見たことがなく、鉄国の片目の兵長が、その国の指導者であり民に慕われていた冠人を広場で射殺した時には、民はその銃声の大きさに大いに驚く。そして、冠人の息子の酸人は冠人とは正反対の残虐で自分勝手な男で民に嫌われていたが、父が殺されたにもかかわらず鉄国の兵に取り入って保身に走り、民のひんしゅくを買っていた。
 鉄国の兵長はこの国に出現するクーパーという怪物に関心があるらしい。この国にはクーパーという怪物が毎年出現し、それが町に来るのを防ぐために毎年町から選抜された兵が複眼隊長と呼ばれる人物の指揮の下に杉の林に送り込まれていた。毎年町から離れたところにある杉林の中の5〜10本くらいの杉がサナギになり、そのうちの1本がクーパーになって(残りは元の杉の木に戻る)動き出したところを、クーパーの兵士と呼ばれた兵達が谷底へ突き落として退治していた。しかし、クーパーの毒の体液を浴びた兵士は死にはしないものの透明になると言われており、複眼隊長を除いて町へ帰っては来なかった。幼陽と呼ばれた男だけが透明にならず瀕死の状態で帰還し数日後に死亡していたが、彼が透明にならなかったのはクーパーを倒す前に逃げてきたからだと考えられていた。その年には毎年唯一帰還していた複眼隊長も帰還しなかった。派兵はなぜか幼陽が帰ってきたその10年前に終わっていたが、透明になった兵士は町に何か困ったことが起こった時に町に帰ってくるという言い伝えがあり、鉄の国の兵とともに無人の馬が町に現れた時、民はクーパーの兵士が町を助けに来てくれたのではと密かに期待していた。そして、鉄国の兵が、各家を回って怪しい人物を捜しているのは、そのクーパーの兵士を見つけようとしているのだと民は考えた。
 トムは、ネズミとの関係についても主人公に語る。町の猫達はいつも衝動的にネズミを襲っていたが、ネズミ達はトムにこれ以上自分たちを襲わないように交渉を持ちかけてきた。やがて、ネズミ達は襲ってもいいネズミを猫達に差し出すから他のネズミには手を出さないようにしてもらえないかという条件を出してきてトムは困惑する。
 ある日、鉄国の兵長は、鉄国の代表と町の代表を銃で決闘させて、町の代表が勝ったら要求を聞き入れてやるという余興を行う。鉄国の代表は酸人、町の代表者は弦。酸人は自分が負けたふりをしてやると弦に持ちかけ先攻の弦はわざと弾を外すが、酸人は裏切って倒れようとせず弦を射殺しようとする。しかし、酸人の銃には細工がされており弾は出なかった。「今度は外すなよ」という兵長の言葉に酸人は恐怖するが、トムはこの兵長こそ死んだと思われていた複眼隊長ではないかと気づく。
 冠人は民を騙して鉄国に炭鉱夫として民を貢ぐことを続けており、それをやめさせようとした複眼隊長を殺そうとしたため、複眼隊長は姿をくらましていたのだった。そして10年後、鉄国の新しい支配者が町をつぶそうと兵を送り込もうとしていたこの機会に、町を守るため山村に逃がしていたクーパーの兵士を引き連れて町に帰ってきた複眼隊長は、まず冠人に復讐を果たしたのだ。鉄国の兵のふりをして戻ってきたのは本物の鉄国の兵を欺くためで、山賊が鉄国の兵を装って悪さをしていると鉄国に思わせれば町に害は及ばないと考えてのことであった。複眼隊長達が町中で怪しい人物を捜していたのは、彼らが襲って縛っておいたものの逃げ出して追ってきた本物の鉄国の兵の1人だったのだ。数の上で明らかに劣勢の彼らは、あとで鉄国に真相がばれないようにするため家族と面会することもなく本物の鉄国から送り込まれた兵達と戦おうとするが、町に帰ったトムの上げた花粉の狼煙に反応して主人公が鉄国の兵達の後方に姿を現すと、兵達は恐れをなして逃げ出し、複眼隊長率いるクーパーの兵士達は戦わずして勝利することができた。この世界では、主人公は通常の町の人の数倍の身長があったのだ。現実世界での役所での仕事の経験を生かし、町で活躍する主人公であったが、ある日町の外で海と自分
の舟を見つけ、自分の世界に変えることを決意する。

 この世界では主人公が巨人だったというオチは、物語の冒頭がもろに『ガリバー旅行記』なのでインパクトに欠けるのが惜しい。こういうオチを用意しているなら、主人公が気がついたら拘束されていたという展開は避けるべきだったのではと思う。主人公がデジカメを拾い、伝説の光る石というのはデジカメのフラッシュだったのかもしれないと考える場面があるが、この世界の人間にとってはデジカメは相当大きいものなのではないか。石というよりちょっとした岩なのではないかと思ったりもする。

 本書には様々な教訓や世の中の理についても書かれているが、338ページの「国王が、国をまとめるためのこつを知っているか」「外側に危険で恐ろしい敵を用意することだ」という冠人の言葉が特に印象的だった。分かりきっている人には別に今更取り上げることもない珍しい言葉ではないのだろうが、自分は敬愛するマイクル・クライトンの『恐怖の存在』を読んでそのことを深く認識させられた思い出がある。ソ連という「敵」を失ったアメリカが次に用意した「敵」は「地球温暖化」だという内容だ。隣国の某大国や同じく某半島にある某国の異常な日本叩きも、間違いなく「国をまとめるため」の手段の一つであろうということを、この『恐怖の存在』を読んで以来、理解できるようになった。ちょっと心配になるのは、果たして そのように思想を操作されているのはそれらの国の国民だけなのかということ。マスコミには毎日のようにそれら某国の日本に対する理不尽な言動が記事として流れ日本国民を不愉快にしている。ネットが普及していなかった頃にはほとんどなかった感情が多くの日本国民の中に生まれているのは事実であろう。それが、もしかしたら我が国のマスコミを利用した国策の一つなのでは…と疑っているわけなのだが、それも分かりきっている人には別に今更取り上げることもないことなのだろうか…。

『冷血(上)(下)』(村薫/毎日新聞社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2014年版(2013年作品)15位作品。村作品を読むのは、『黄金を抱いて跳べ』(「このミス」92年版9位)、『マークスの山』(「このミス」94年版1位)、『レディ・ジョーカー』(「このミス」99年版1位)に続いて4作目。前科のある冷血無比な2人の男が、歯科医一家4人を無残に殺害し金品を奪って逃走するという事件を圧倒的な情報量で描いた作品。Wikiで「冷血」を検索すると、アメリカの小説家・トルーマン・カポティが1965年に発表した同名の小説の方がヒットする。1959年に実際に起こった事件について加害者を含む関係者にインタビューをして書き上げたという点は本作と異なるが、何の罪もない一家4人が2人組の男に惨殺される事件を描いているという大きな共通点があり、作者が全く意識していなかったわけでもなさそうだ。むしろ、フィクション作品として、ノンフィクションのトルーマン版『冷血』のリアリティに迫るものを狙ったのかもしれない。初出のタイトルが『新冷血』であったというのも、そういう意味があってのことではないか(と、考えていたら「村薫」のWikiページに「トルーマン・カポティの同名作品へのオマージュとされる(要出典)」という一節を発見)。
 さて、上巻の前半の第1章「事件」では、事件前の関係者の様子が詳細に描かれている。被害者家族の1人、中学1年生の高梨歩(作品中ではなぜか漢字表記と平仮名表記が混じる)の視点から、年末にディズニーシーへ家族旅行に行く直前の高梨家の様子が詳細に語られるのと並行して、ネット上でATM荒らしを募集する井上克美の書き込みに応えてしまった、刑務所を出所したばかりの新聞配達員・戸田吉生の視点から、彼が殺人犯という人生のどん底へ堕ちていく様子がこれまた詳細に語られる。早熟な女子中学生の日常をリアルに描き込んでいるのは、事件によってその幸福な日常、人生が一瞬にして絶たれてしまう残酷生をより引き立たせるためであろう。戸田同様に若い頃から前科があり、後先考えずにATM荒らしやコンビニ強盗、自動車窃盗を繰り返す井上、そして慢性的な虫歯の痛みに耐えつつ、そんな彼を軽蔑しながらも付き従ってしまう年長者の戸田の救いようのない愚かさは、今の日本の底辺を象徴しているように思われる。井上と戸田の描き分けが今一つで、2人の口調が同じ上に、彼らの名の表記が名字になったり名前になったりするので少々読みづらい部分がある。結局、第1章では殺人事件直前までが描かれて終わる。
 上巻の後半の第2章「警察」は、事件発覚後の話となり、事件後の警察の捜査の様子が、刑事・合田雄一郎の視点で描かれていく。本書は合田雄一郎シリーズ第5弾で、『マークスの山』が第1弾、『レディ・ジョーカー』が第3弾だったらしいが、彼の過去の活躍については、もうすでに全く記憶にない。警察は、2人の行き当たりばったりの荒っぽい手口によって、犯人の1人が暴力団関係者と暴走族とトラブルを起こしたばかりの井上ではないかということをすぐにつかむ。犯行に使われた「シルビア」を「セダン」と読んでいることに著しい違和感を感じながら読み進めると、事件発覚から1か月以上たってから発見されたシルビアから出てきた指紋で、ついに戸田の名前も浮上する。なんとお粗末な犯罪か。やがて、戸田は歯科医に駆け込んだことがきっかけであっけなく逮捕され、その後、井上もパチスロ店で発見されて逮捕され、第2章の幕は下りる。
 下巻は第3章「個々の生、または死」のみが占め、あっけなく逮捕された2人の取り調べの様子が延々と語られる。はっきりしない動機に納得できない合田は、面会や手紙のやりとりによって2人と交流を続けるが、戸田は事件のちょうど1年後に病死、井上は5年後に死刑になって物語は終わる。合田に宛てた2人の手紙の文章が、上巻からは考えられないくらい妙に知的なのが気になった。工芸や映画にいくら詳しくても、文章力というものはそう簡単に身に付くものではなかろう。この下巻では、特に衝撃的な真実が明らかになるわけでもなく、2人の人間性に劇的な変化があるわけでもない。死刑制度の是非を問うものでもない。凶悪犯も1人の人間なのだな、という程度の感慨は若干頭をよぎるものの、それほどの深い感動を与えるものでもなく、生と死について深く考えさせられるものでもなかった。作者は、これはミステリでもエンターテイメントでもないと言うのだろうし、訴えたかったことも何となく分かるが、自分にはリアリティを追求しただけの犯罪小説という印象しか残らなかった。

『街の灯』(北村薫/文藝春秋)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2004年版(2003年作品)18位作品。先日、「このミス」2010年版(2009年作品)11位作品にして直木賞受賞作品である、ベッキーさんシリーズ第3弾『鷺と雪』を読了したところだが、北村作品は奥さんの蔵書にたいていあることを思い出し、さっそく本書を借りてみた。「虚栄の市」「銀座八丁」「街の灯」の3編を収録。爵位こそないが士族の出である花村家の令嬢・英子が、その家のお抱え運転手・ベッキーさんこと別宮みつ子の知恵を借りつつ謎を解いていくというベッキーさんシリーズの第1弾であり、その2人の出会いから描かれている。

 「虚栄の市」では、英子とベッキーさんこと別宮との出会いが描かれる。花村家の正運転手・山崎が引退し、それまで英子の通学等の運転手を担当していた園田が正運転手に昇格。新たに雇われたのが英子の父の知人の娘、別宮みつ子であった。女性運転手などほぼ皆無の時代に、先進的な父が連れてきた若い女性の登場に周囲は大いに驚くが、大変知的で、暴漢をあっという間に撃退してしまう度胸と技術も持った別宮を英子は大いに気に入り、たまたま友人の依頼で調べていた、サッカレーの小説『虚栄の市』に登場する魅力的な女主人公の名にちなんで、別宮にベッキーさんというあだ名を付ける。
 ある日、早稲田大学の学生・権田の死体が自分が掘ったらしい穴に埋まった状態で発見されるという新聞記事を発見した英子。殺鼠剤入りの酒を飲んで死んだらしいその男が江戸川乱歩の愛読者であったことで「猟奇の徒」扱いされていることを ベッキーに伝えると、彼女は乱歩の文学性の高さについてすらすらと語り英子を驚かせる。英子は、権田と同じ下宿に住んでいた尾崎という男が同じ日に行方不明になっており、後に水死体で発見されていることを知り、二つの事件の関連性について、尾崎の妻をめぐる殺人事件ではないかという推理を ベッキーに披露するが詳細な真相までは分からない。しかし、後日、ベッキーが英子に渡した乱歩の短編集によって、それを読んだ英子は一気に真相にたどり着く。彼女の推理を聞いた検事の叔父が警察を動かし、尾崎の妻は逮捕される。キーとなった作品は『屋根裏の散歩者』。『屋根裏の散歩者』の影響を受けた権田は下宿の屋根裏を散策中に尾崎夫婦のトラブルを知り、尾崎の妻の共犯となって妻が毒殺した尾崎の死体の処理を引き受けるが、尾崎の妻は権田をも毒殺してしまい、2人を同じ穴に埋められなかった尾崎の妻は、尾崎の遺体を川に遺棄したというのが事件の真相であった。事件解決後、英子は天上を眺め、「我々を見つめている眼があるのだとしたら、その瞳に、我々の日々の行いはどのように映っているのであろう」と、天からの眼に思いをはせていた。

 「銀座八丁」では、銀座の新名所となった服部時計店の時計塔に登る英子の様子が冒頭で描かれる。そこで「天空の眼」という言葉を思い浮かべる英子。前章の「虚栄の市」と巧みに繋がりを出しているわけだ。今回は英子の同級生の間で流行っていた、本を利用した暗号のやりとりが物語の発端になる。その話を聞いた兄の雅吉が友人の大町にその話をしたところ、大町は新しい暗号を考案し雅吉に挑戦してくる。自分が雅吉に郵送する4つの品物をヒントに、指定の時間にある場所に来いというものだった。シャツ、眼鏡、ボタンが送られてきてすっかり頭を抱える雅吉であったが、その話を英子から聞いたベッキーは銀座の夜店へ出かけ、何丁目のどこに何の店が出るか厳しく決められていること、その中にボタンの店があることを英子に伝える。それをヒントに夜店がいろは歌に対応していることに気がついた英子は、最後の商品がアイヌ民芸品であることを的中させ雅吉を驚かせる。大町の指定した場所は服部時計店であった。

 「街の灯」では、夏休みに軽井沢の別荘へ避暑に出かけ、そこで事件に巻き込まれる英子を描く。英子はそこで、一緒に軽井沢を訪れていた検事の叔父とともに、新興財閥の息子・瓜生豹太が主催する映写会に招待される。彼は、英子の級友で桐原公爵家の次女・道子との結婚が噂される人物であった。映写会はささやかなもので、英子とその叔父、道子、子爵令息の由里岡、豹太の妹の女家庭教師だけが観客であり、あとは映写する豹太とその助手のキノコ売りの地元の少年だけだったが、豹太の悪戯心で蛇の群れの映像と共に銅鑼が鳴らされたことで女性達は悲鳴を上げ、上映は中断されてしまう。そして女家庭教師は息絶えていた。ショックのあまりの心臓発作と考えられたが、英子は上映前から彼女が死んでいたのではないかと考える。案の定、真相は芸術映画を撮りたいと迫った豹太ともみ合いになった末に相手の女家庭教師が死亡したことを隠すため道子が考えた芝居だった。上映前に椅子に座らされていた女家庭教師に瓜生が語りかけた時、返事をしたのは助手の少年のふりをしていた道子だったのだ。結局事件は明るみに出ることなく、こんなことになっても瓜生と結婚するつもりなのかと道子に問いかける英子に対し、道子は自分が駄馬だと分かっており、その相手は千里の馬より駄馬の方がふさわしいし、瓜生と結婚すればこれまで同様何不自由ない暮らしができると淡々と答える。

 昭和初期の上流社会で彼女なりに生き生きと生きる英子の様子が『鷺と雪』と変わらぬ優雅で美しい北村節で語られ、その描写力にはあいかわらずうならされるが、ミステリ小説としての本書を考えてみると、ミステリ要素はかなりお粗末な感じが否めない。「虚栄の市」では、英子の推理によって事件が解決したことになっているが、警察がこの程度の真相をつかめないとは思えない。次の「銀座八丁」も前章同様に乱歩的な作品で目新しさはない。桐原公爵家の長男・勝久大尉がベッキーに強い関心を抱く点、そして彼の働きかけによって、ベッキーが常時拳銃を所持し、その腕前が相当なものであることが明らかになる点が興味深いくらい。最後の「街の灯」は、本書のタイトルにもなっているくらいなので期待したが、その事件の顛末はあまりにも貧相。道子のドライな結婚観にほぉと思わされるくらいで、ラストの貧乏人に同情する英子をたしなめるベッキーのシーンも取って付けたような印象。世間離れした登場人物の言動が気に障る読者を意識して、英子が庶民の暮らしを気にする描写によってそれをカバーしようとしているような感じ。ミステリ要素を除いても、このシリーズ第1弾では、『鷺と雪』で感じられたような文学的深みはまだ感じられなかった。

『コモリと子守り』(歌野晶午/光文社)【ネタバレ注意】★

 「このミス」2014年版(2013年作品)18位作品。これでこの年度のベスト20作品を完全読破。特定の年度のベスト20作品を完全読破したのは今回が初めてなのだが、気分は盛り上がらず。この年度の作品として、1位作品『ノックス・マシン』、15位作品『ヨハネスブルグの天使たち』に続く3作目の★1つ作品となったからである。ほとんど記憶が残っていないのだが、歌野作品としては、7年前に「このミス」2004年版1位作品『葉桜の季節に君を想うということ』を読んで★3つの記録をしているので、今回もかなり期待して読み始めたものの完全に裏切られた。
 主人公は、過去に兄にかけられた殺人容疑のせいで引きこもりになってしまった17歳の馬場由宇。そして彼を助けるヒロインが、彼の小中時代の同級生で、歳の離れた弟の子守りに忙しい優等生の舞田ひとみ。本書のタイトルはここからつけられているわけだ。そして舞田ひとみシリーズの3作目らしい。ちなみに本のカバーには、物語に登場する様々なアイテムが、タイトルと共に版画調に散りばめられている。532ページと結構な厚みのある本書だが、冒頭部分を数十ページ読むだけで正直放り出したくなった。理由は、主人公の馬場があまりにも馬鹿だから。彼は、自宅裏のアパートで幼児虐待が行われていることを随分以前から知りながら全く行動を起こさない。あとでヒロインのひとみに責められているように、児童相談所なり警察に通報すれば済むことなのに、やっと行動に移るのかと思えば意味不明な行動に留まり、挙げ句にパチンコ店の駐車場からその幼児・通称ポニョを誘拐してしまう。さらには、ひとみに助けを求めに行っている間に、また別人にポニョを誘拐される始末。もう滅茶苦茶である。結局、ひとみの協力で、気の迷いでポニョを連れ去った中年女性を特定し取り戻すことに成功するのだが、ここまで読むのが本当に苦痛であった。しかし本題はここからで、ポニョは後日また別の誘拐事件に巻き込まれる。二組の夫婦が連続幼児誘拐事件の被害者となり、その一方がポニョの親の大久保夫婦だったのだ。被害者夫婦が犯人にさんざん振り回される様子が延々と描かれ、結局もう一方の六浦夫婦には子供が戻り、大久保夫婦の方にはポニョは戻ってこないという結末で一旦事件は終結する。そして400ページが近づいてきた頃にやっとメイントリックの種明かしが顔を出す。この事件の真犯人は大久保夫婦であり、虐待して死亡してしまったポニョの代わりに六浦夫婦の子供を誘拐し(つまり馬場が誘拐した子供はポニョではなかったのだ)、児童相談所の目をごまかそうとしていたところ、児童相談所の訪問日前日に、誘拐したばかりのその子供を馬場に誘拐されて焦りまくり、子供を取り戻した後は連続誘拐事件を装って、六浦夫婦からの身代金を手に入れて子供を返すと同時に、ポニョが戻ってこなかったことでポニョがいなくなった理由を合理的に作り出したのである。馬場がもっと早くしかるべきところに通報していればポニョは死なずに済んだはずだったわけだ。それなのに十分な反省もないまま、ドラマは犯罪に手を染めている馬場の兄を説得する物語に移行していく。偽名を使って脱法ハーブの製造に荷担している兄の居場所を突き止め、悪党の目の前で兄が必死で自分の本名を隠そうとしているのに、空気も読めずに兄の本名を連呼する馬鹿さ加減には本当に呆れる。兄や自分の身に危険が及ぶということが想像できないのだろうか。なぜそこまでするのかというくらい主人公に協力するヒロインも痛々しい。結局兄がどうなったかは明かされずじまいで余韻を残して物語が幕を閉じるのはよいにしても、これは正直大人の読む作品ではない。せいぜい高校生向けであろう。

 

2014年11月読了作品の感想

『ターン』(北村薫/新潮社)【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」1998年版(1997年作品)14位作品。今年『鷺と雪』『街の灯』に続く3作目、トータルで8作目の北村作品である。円紫さんシリーズは何となく不倫の香りがし、『盤上の敵』はあまりに内容がえげつなかったので、北村作品はあまり好きになれなかったのだが、『鷺と雪』でちょっと見方が変わってきた。しかし、今回も奥さんから借りた今回の『ターン』は「時と人 三部作」の2作目なのだが、その1作目『スキップ』が今一つだったため、今回はあまり期待せず読み始めた。だが、予想は良い方に裏切られた。大絶賛とまでは行かないが★★★評価である。
 内容はミステリと言うよりはSF。あらすじは以下の通り。
 まだ無名の版画家である森真希が交通事故に遭い、気がつくと自宅の座椅子でまどろんでいた。そこはいつも自分が生活していた町なのだが、なぜか自分以外の人間は誰もいない。彼女は町を彷徨うが、翌日の3時15分になると、また自宅の座椅子に戻っていた。彼女は事故後、なぜか前日の世界に戻っており、24時間たつとまたその場所と時間に戻ってしまうというループに陥ったのだ。記憶は蓄積されていくものの、それ以外は何も翌日に持ち越せない真希は、創作意欲も失い絶望の日々を送っていた。そして150日後、無人の世界にいたはずの真希に電話がかかってくる。現実世界のイラストレーター、泉洋平が彼女に仕事を依頼しようとかけた電話が、奇跡的に異世界につながったのである。彼は真希の状況を理解し、電話をつなぎっぱなしにして毎晩8時に話し相手になる。そして、彼女は彼の調査によって、自分が交通事故の結果、意識不明のまま入院生活を続けていることを知る。
 やがて強く惹かれあうようになる2人だが、ある日事件が起こる。真希以外には誰もいないはずの異世界に、柿崎という若い男が現れたのだ。彼は、幼女をひき殺そうとした犯罪者で、彼も事故を起こして入院し、精神だけがこの世界に取り残されていたのだ。洋平の上司によって電話が切られ二度とつながらなくなってしまい、柿崎に執拗に迫られる状況に恐怖する真希であったが、突然柿崎がループの時間でもないのに消失する。現実世界の柿崎が死亡した瞬間であった。生と時間の大切さを思い知った真希は、失っていた創作意欲を取り戻し作品制作に取り組む。そして、作品を持って自分の入院しているはずの病院へ向かう。洋平の声に導かれ、病院の屋上へ向かった真希は、洋平に押されている車椅子に乗った自分の肉体に戻り、ついに目覚める。そして「ただいま」と洋平に言うのであった。

 「君は〜する」といった2人称で語られる小説は初めてだったので最初は混乱したが、真希の運命の人とも言える洋平の精神が、洋平の知らないところで彼女の幼い頃から彼女の心の中に存在しており、ずっと彼女は彼の声と会話することが日常になっていたという設定だった。しかし、やはり何と言ってもインパクトがあるのは、自分の精神のみが無人の町で延々と歳もとらないままループし続けるという斬新な世界観であろう。その世界では、自分以外の人間が誰もおらず、記憶以外は翌日に持ち越せないが、町は探索し放題で、好きな場所で好きなものを食べることができるのだ。これくらいなら、意識不明患者の夢で片付けられるが、本人が知らなかったことを、町を探索することで新たに知ることができたりするのだ。例えば図書館で本人が入院前に知らなかったことまで情報収集ができてしまうというとんでもない設定なのである。記憶喪失患者でなくて、自由にそういう無人世界と行き来できるのであれば、それはある意味夢のような世界であろう。しかし、その異世界に閉じ込められた主人公は地獄の苦しみを味わうことになる。その苦しみの中で、最後に生と時間の大切さを再確認した彼女は生きる意欲を取り戻し、覚醒・復活を果たすのである。ありえないことだらけのトンデモ小説ではあるのだが、ちょっと感動してしまった。10月以降『私が彼女を殺した』『虹の谷の五月』『鷺と雪』の3作に★★★を付けたが、だからといって正直身近な人に是非読んでみてと強く進められる作品かというと微妙な作品ばかりである。要するに読む人を選ぶ作品なわけだ。しかし、本書は誰にでも読みやすい1冊として問題なくオススメできる。

『死ねばいいのに』(京極夏彦/講談社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2011年版(2010年作品)12位、「週刊文春ミステリーベスト10」2010年9位、「本格ミステリーベスト10」2011年19位作品。一時期かなり読み込んだ京極作品だが、あの膨大な情報量の作品群を読むのに疲れ、しばらく離れていた。本書はこれまでの京極作品のような辞書のような厚みもなく、これまでさんざん読んできた妖怪ものでもないようなので久々にチャレンジしてみた。
 「一人目。」から「六人目。」までの6章からなる本書は、殺害された派遣社員の鹿島亜佐美の人柄について関係者に尋ねてまわる渡来健也という謎の若者と、それぞれの相手とのやりとりの様子が、相手の視点から語ることによって構成されている。あらすじは以下の通り。

 「一人目。」での健也の訪問相手は亜佐美の派遣先の会社の社員のヤマザキ。最初は健也を見下し邪険に扱っていたヤマザキも、健也が亜佐美との不倫の証拠を握っていると分かるや豹変。会社や家庭への不満を漏らし始めるが、そんなに辛いなら「死ねばいいのに」という健也の言葉が突き刺さる。
 「二人目。」での健也の訪問相手は亜佐美の住んでいたマンションの隣人の女性、篠宮佳織。佳織も、ヤマザキ同様に最初は亜佐美のことを「いい子」と言っているが、健也の質問に答えているうちに次第に様子が変わってくる。そして、亜佐美のパソコンに佳織が匿名で送っていた膨大な誹謗中傷メールが保存されていたことを健也から知らされた途端、元彼を奪った淫乱女として亜佐美を罵倒し始める。健也の決め台詞で調子の狂ったところに、元彼が亜佐美に乗り換えた真相、マンションの管理人が佳織を恐れている真相を健也から聞かされ、佳織は自分が「嫌な女」であることを再確認させられる。結局、ヤマザキも佳織も亜佐美のことを全く理解していないことに失望する健也。
 「三人目。」での健也の訪問相手は亜佐美を情婦にしていた暴力団の下っ端、佐久間。物語の進行に応じて亜佐美の現実離れした日常もどんどん明らかになっていく。口のきき方を知らない健也を一度は殴った佐久間であったが、だんだんと健也のペースにはまっていき、反論できない自分に気がつき始める。佐久間は、組では佐久間の地元の先輩だった高倉の子分だった。その高倉が亜佐美の母親から借金のカタに20万で買った亜佐美を10万で佐久間に払い下げたというのが、亜佐美が佐久間の元に来たいきさつだ。亜佐美を自分のペットだと言い切り、それでも彼女を好きだったから何でも買ってやったと見得を切る佐久間に、健也は不快感を募らせていく。そして、これまでの2人同様に、亜佐美のパソコンに収められていた情報で佐久間を揺さぶる。亜佐美が佐久間に貢いでいた金は、佐久間が買い与えていた物の代金にすぎなかったということを。そして、先の2人同様愚痴り始めた佐久間に、今回も健也の決め台詞が炸裂。さんざんやり込められた佐久間は「殴り返せよ」と健也に声をかけるが断られ、彼が立ち去るのをただ見送るしかなかった。
 「四人目。」での健也の訪問相手は亜佐美の母親。実の娘を借金のカタに暴力団に売り、挙げ句に娘の保険金で自分のギャンブルの借金を返すという極悪非道なこの女は、昔はお嬢様だったにもかかわらず、親の計画した政略結婚に失敗し、子供だけ産まされて苦労したという愚痴を延々こぼし始める。しかし、大学進学前に子供を作ったのも、三度も結婚に失敗したのも、誰がどう聞いても彼女の責任であった。そして、当然そんな彼女には健也の決め台詞が振り下ろされる。さらに亜佐美が「死にたい」とこぼしていたこと、「母親には育ててもらった恩がある」と言っていたことを聞き、号泣する彼女を置いて健也は立ち去る。
 「五人目。」での健也の訪問相手は事件の担当責任者の警部補、山科。個人情報は教えられないという山科に食い下がる健也だったが、関係者に警察より早く接触し多くの情報を持っていそうな健也に対し、山科は次第に尋問口調になっていく。それに対し健也は、山科が結果を出そうと焦っていること、亜佐美のことを実は何も知らないことをずばり指摘し、山科を動揺させる。自分は泣くことも笑うことも怒ることも許されないんだとキレる山科に、ついに健也の決め台詞が発動。そして、健也はあっさりと告白する。「あんたさ。いい人だと思うよ。でも、もういいって」「アサミ殺したの俺だから」と。
 「六人目。」での最後の健也の話し相手となったのは健也の弁護をすることになった弁護士の五條。五條は、健也の罪状の方針を、殺人か過失致死かのどちらかに 定めなくてはならない。ところが健也の動機が全く理解できない上に、健也は死刑を訴えてくるため困惑するしかない。 「君には贖罪の気持ちがある」「亜佐美さんは不幸で辛かった」「あなたは嵌められた」「彼女には強い自殺願望があった」「彼女は自分では死ねなかった」「だから君を利用した」「自殺の幇助だった」「君の刑が軽くなる」と健也にたたみかける五條に対し、健也は「犯罪者の罪軽くすんのは変だって」と反論する。さらに「アサミはさ、こんなヘンテコな人生だけど幸せだって、そう言った」「このままずっと幸せでいたいんだけど、どうしたらいいだろうって、そう尋いたんだよ」「だから、幸せでいるうちに死ねばいいのに」と言ったと語る。そして、「そうね。死にたい」と亜佐美が言ったから殺したのだと。死ぬのを怖がらない亜佐美に恐怖を感じていた健也は、「君は人殺しだよ」と五條に言われてやっと安心するのであった。

 本書の一番のポイントは自分は「アサミの知り合い」だと言って関係者を訪ね歩く若者が、小説にありがちな彼女の家族でも恋人でもなく、本当にただの知り合いで、しかもフリーターのチャラ男だという点、そしてそれだけでも十分にインパクトがあるのに、一見頭の悪そうな健也が話している途中から相手と立場が逆転し、自分の日常の不満しか語らない相手の問題点をずばずばと突きまくり、一方的に説教で何も反論できないところまで追い詰め、最後に「死ねばいいのに」という決め台詞でとどめを刺す痛快さであろう。そして、彼にやりこめられる側にも、読者が少なからず共感を覚えてしまうところも見逃せないポイントだ。★★★を付けてもいいかなと思えるくらいに引き込まれたのだが、真犯人が健也自身ではないかと結構早い段階で想像できてしまう点(健也は亜佐美と4回しか会っておらず、そのうち2回しか彼女の部屋を訪れていないにもかかわらず、彼女のパソコンの中のデータを見て消去しており、彼女が「死にたい」と言っていたことを知っている唯一の人物である。前半の情報は後で出てきたものだが、後半の情報は最初から出されている。)と、後半の「五人目。」で警察を訪れてから急に健也の影が急に薄くなり、それまで読者を痛快にさせていた勢いが止まってしまう点が今一つ。そして、何より気になるのは、最後まで健也という人物が理解できない点。チャラ男という設定なのに年上の一癖も二癖もある人物達を論理的にことごとくやりこめる姿は痛快ではあるのだが、やはりそのあり得ないギャップに違和感がぬぐえない。そしてそれだけ誰よりもまともな倫理観を持ちながらあっさりと亜佐美を殺してしまう点に多くの読者は果たして納得できるのだろうか。「死ぬのを嫌がらない存在が怖くなったから」という殺人動機は、犯人が異常者なら理解できなくもないが、非倫理的な人物達を糾弾し続けた健也がそれを言うのはおかしいだろうと。いくら自らの罪を認め自分は死刑になるべきだと主張していても、自分は納得できない。

 

2014年12月読了作品の感想

『リセット』(北村薫/新潮社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2002年版(2001年作品)ランク外。『スキップ』『ターン』に続く「時と人」三部作の完結編。といっても三作品に全くつながりはない。

 第1部の主人公は太平洋戦争末期に軍需工場で働く女学生の水原真澄。幼い頃、父と獅子座流星群を見た思い出から物語は始まる。年頃になり友人の従兄の結城修一に淡い恋心を抱き始めた真澄は、ふと思い立って工場に落ちていたジュラルミンのくずを加工して作ったフライ返しを修一の元に届ける。その後のある晴れた日のこと。空襲警報が鳴り響く中、真澄達女学生は先に工場から避難するが、その途中で工場の横で待機している修一と目が合う。丘に避難が完了した直後に工場には無数の焼夷弾が投下され、真澄は修一のことを心配するのであった。
 第2部では話がいきなり現代に飛ぶ。入院中の50代くらいの男性が自分の子供に語りかけるように、自分の子供時代のことをラジカセに吹き込んでいる。オリンピック開催が近づいていた昭和30年代の頃の彼の思い出話が延々と続くのは、その時代に思い入れがある人以外には少々苦痛に感じるくらい長い。その主人公の少年の名前は村上和彦。小学5年生である。友人がラジオの残骸を拾うのに付き合って普段通らない道に入り、そこで小学生に本を貸し出す女性と出会う。その女性は4年後の獅子座流星群と、戦争で中止になってしまった東京オリンピックを楽しみに待っているのだという。交流を深めていくうちに、女性が取り出してきた啄木かるたの中のあまり有名でない歌をすらすらとそらんじる和彦に女性は驚愕する。中学生になり久しぶりに訪れた女性の自宅でホットケーキをご馳走になることになった和彦は、女性からフライ返しを渡された瞬間、「まあちゃん」と呟く。この女性こそ真澄であり、和彦は修一の生まれ変わった姿だったのだ。自宅に帰った修一が発熱し、数日後に完治した時には、真澄はどこかへ引っ越した後だった。やっと真澄の引っ越し先を突き止め、押しかけた修一だったが、深夜になってしまったため真澄に付き添われ電車で自宅へ送り届けられることになる。ところが、その電車が脱線事故を起こし、修一をかばって真澄は死亡する。
 第3部では、第1部の続きが真澄の視点に戻って語られる。戦後東京の出版社に就職した真澄は、子供向けの本を担当し、結婚もせずに一生懸命働く。30歳になって一戸建ての貸家に住み始め、小学生に本を貸し出すようになった頃、真澄は和彦と出会ったのだ。そして話は脱線事故を思い出す和彦の視点に転じる。現在の和彦は、真澄の父がハミガキ会社に勤めていたことを聞いていたため、自分もハミガキ会社に就職していた。そして彼が神奈川の工場に出かけた時、ドイツ語の歌を口ずさんでいた彼に合わせて歌う中学生の少女が現れる。「いうまでもない。これがお前達のお母さんだ」とラジカセに語る和彦。そして、「我々は死んだりはしない」という言葉を繰り返し想いながら、獅子座流星群を子供たちと一緒に見た思い出を語るのだった。

 途中にも書いたように、とにかく前振りが長すぎる。第1部の真澄の戦争体験はともかく、第2部に突然登場する現代のおじさんの子供時代の話は、一体何が始まったのかと混乱する上に、かなり長いものだから相当な苦痛を感じる読者も多かろう(作者の子供時代の思い出をひたすら記録し書きとどめようとしているのではないかと思ったが、巻末にある膨大な参考文献リストを見るとそうでもないらしい)。しかし、彼の交流していた女性が、成長し社会人となった真澄だと次第に分かり、さらに彼が修一の生まれ変わりだと分かった瞬間、読者は大いに驚き我に返るのだ。しかも、真澄がすぐに死亡してしまい、彼女も転生して現在の彼の妻になっているという急展開。紆余曲折を経て幸福な家庭を作った2人を描いたラストの数ページで、それまでの不満のおおかたは消し飛ぶはずである。

『11(イレブン)』(津原泰水/河出書房新社)【ネタバレ注意】★

 「このミス」2012年版(2011年作品)12位作品。タイトルの由来は2011年に発表された11編を収めた短編集ということで特に深い意味はないようだが、各作品の内容はかなり異様である。「このミス」らしいランキング作品であるが、一般読者が全く受け付けないほどのぶっ飛んだ作品というわけではないので、興味のある方はチャレンジしてみても良かろう。しかし、それなりの覚悟が必要なことはお忘れなく。
 第1話「五色の舟」は、戦時中の日本で異形の旅芸人の一行が、「くだん」という人と牛の交雑種を手に入れようとする物語。この世界では、未来に不幸があると分かれば、別の肉体をその世界に残し、別の世界(パラレルワールド)に逃げることができる。主人公は予知能力と異世界への橋渡し能力を持った「くだん」の死ぬ間際の働きによって、不幸な未来から解放され幸福な人生を送るという結末を迎える物語。この1話だけで作者の尋常ではない世界観を見ることができる。
 第2話「延長コード」では、17歳で家出し死亡した娘の住んでいたところを訪ねる父親の物語。そこには遺品として大量の延長コードが残されていた。彼女がその家の窓から見ていた景色を確かめるべく、延長コードをつないで電気スタンドの光でその景色の先を確かめようとする父親。林の中を歩き続け、やがて川の手前でコードが足りなくなる。同行した彼女の同居人の男性は、彼女が家を飛び出した時、その川の向こうまで彼女を追えなかったという。消えちゃったと。そこで突然物語は終わる。なんとも言いようのない読後感が残る。
 第3話「追ってくる少年」は、アツシという少年に追われる「私」の物語。両親と妹と自分の家族4人で暮らしていた「私」の家に父の妹が入り浸るようになる。父とその妹が交通事故死した時に、轢いてしまったのが近所の少年アツシであった。「私」は、アツシが自分の家に入り浸る予感に怯える。わずか6ページほどの短編だが、「延長コード」同様に常人には理解しがたい世界観である。
 第4話「微笑面・改」は、彫刻家の「私」が美人の妻・絹子の顔を狂気の果てにバーナーで焼いてしまうという物語。別れた妻の顔が常に視界に現れ、その顔は日に日に「私」に近づいてくる。その顔はついに「私」と一体化するかと思いきや、その顔は自分の顔にめり込んできて物理的な痛みが彼を襲う。入院させられた病院で、自分が雇った探偵の話によると、妻は離婚後、美容整形によってその美しさを取り戻したらしい。顔の半分がつぶれたところで、不意に妻の顔の浸蝕は終わり、彼は妻の顔も思い出せなくなっていた。これもまた理解不能の作品。
 第5話「琥珀みがき」では、琥珀を磨く小さな工房に勤めていたノリコが、東京へ使いに出された時に、そのまま華やかな東京に残ることを決心しながらも、男に騙され、病気までうつされてやむなく故郷に帰る物語。彼女は元の勤め先を覗いてみるが、再び都会へ舞い戻ることを決める。しかし、身の丈にあった幸せをつかもうと希望を持つ彼女には、誰も何もあたえてくれないという暗い予感もあった。なんとの救いようのない物語だが、彼女と同じような人生を送っている者は多いに違いなく、これを読めば身につまされるものがあるだろう。
 第6章「キリノ」は、チマツリという男子高校生とおぼしき主人公が、彼との仲をからかわれたことのある美人の同級生キリノについてひたすら語り続ける物語。文体が最初からぶっとんでいてそこから受け付けない読者も多かろう。『桐野夏生スペシャル』という本のために書いたものらしいが、元々読者を想定して書いていないので、作者と桐野夏生はこんな感じの人間なのだ、ということがうかがえる程度の話。
 第7章「手」は、友人の美和に家出に付き合うよう言われ烏屋敷と呼ばれる空き家に連れて行かれる少女の物語。美和が待ち合わせしていた男2人と行為に及ぶのを見て部屋を抜け出した彼女は、この家の相続人だという少年と出会う。少年は「ここにいるあいだに外でいろんなことが起きてて、あとでびっくりする。そういう場所なんだ」と彼女に教える。意識を失った彼女が目覚めてから屋敷の中を回っても、美和達がいた形跡も残っていなかった。屋敷を出た少女は父の会社の同僚に呼び止められ、火事で家族は全員死んだと聞かされる。彼女は家族の遺体のある病院ではなく、レコード店へ向かうようその男に頼む。厳しい母に買うことを禁じられていたレコードを買うためだった。しかし、レコード店に入った瞬間、店内は瞬く間に古ぼけ、乗ってきた男の車も消えていた。これもまた何とも言えない作品。
 第8話「クラーケン」は、立て続けに4頭のグレート・デンという大型犬にクラーケンという名前を付けて飼い続けた女の物語。犬の訓練所の少女と怪しい関係になったものの彼女に死なれた女は、失意の中、離婚届を持ってきた夫に4頭目のクラーケンが好物の糖蜜をかけてやろうとするが、彼は去った後だった。彼女は思い直して自らの顔にたっぷりと糖蜜をかけ、クラーケンに差し出すのであった。これもまた、何ともシュールな話である。
 第9話「YYとその身幹」は、主人公が予備校の同級生との同窓会で出会った夫のいるYYと関係を持ち、その後、彼女の夫から呼び出されるという物語。彼女は殺人事件に巻き込まれ殺されていた。彼女の夫は形見分けだと言って食玩を彼に渡す。大事な話は一つもなく、彼女の夫は去っていった。その後、その夫はYYの殺害犯として逮捕された。これまた意味不明な話。
 第10話「テルミン嬢」は、スカーフで顔全体被って書店勤めをするという奇行に走る眞理子という女性の物語。店長はそれを個性と許容し、美しい眞理子に恋をする客も多かった。やがて眞理子は客の1人の由利夫と結婚する。しかし、2人の夫婦生活は異常としか言いようがなかった。眞理子の右後方以外に由利夫が近づくと、眞理子はアリアを歌い出し止まらなくなってしまうため、2人はその位置関係に常に注意を払わねばならなかったのだ。一応最後まで読んだが、本短編集の中で一番ぶっ飛んだSF小説。正直ついて行けない。
 第11話「土の枕」は、戦争に召集された子だくさんの小作人・葦村寅次の身代わりとなって出征した、地主の嫡男・田仲喜代治の物語。苦労の末、何とか帰国した喜代治であったが、寅次に田仲家が乗っ取られることのないよう喜代治は死んだことにされていた。寅次として生きていくことを決心した彼は、戦後土地持ちとなるが、経済成長と共に彼が手をかけてきた田畑は失われていった。死の間際、彼は自分が喜代治であることを告白するが、妄想として片付けられてしまう。なんとも切ない物語であるが、本短編集の中では一番まともな話かもしれない。

『水底フェスタ』(辻村深月/文藝春秋)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2012年版(2011年作品)13位作品。あらすじは以下の通り。
 主人公の湧谷広海は、ロックフェスの誘致で活気を取り戻した湖畔の山村・睦ツ代に住む高校生で、音楽に理解を示す村長の父親を尊敬していた。そんな広海が、同級生の市原と門音と共に参加したムツシロロックフェスの夜に8歳年上で地元出身の落ち目の女優・織場由貴美を見かける。地元では嫌われ者の彼女は、その日から東京に戻らず、母の死後誰も住んでいない睦ツ代の実家に住んでいるらしい。フェスの日から10日あまりたってから、広海は湖畔で由貴美に再会する。由貴美はフェスにいた広海を覚えており、彼の携帯番号を聞き出すと去っていった。彼女と別れて3日たった夜、彼女に自宅に呼び出された広海は、村に復讐するのを手伝ってほしいと広海に頼む。しかし、詳しいことは教えてくれず、明日また来るよう広海に伝える。次の夜再び由貴美の自宅を訪れた広海は、彼女の誘惑に負けて関係を持ってしまう。そして、彼女から復讐の理由を告げられる。それはこの村でよそ者として辛い日々を送った挙げ句自殺した母のことを、この村に隠蔽されたことがきっかけだった。そして母の口から村長選のたびに村中にお金がばらまかれていることを聞いていた由貴美は、その不正を公にして村に復讐をしたいというのだ。由貴美から霧蕗ロックフェスに誘われた広海は、そこで彼女から衝撃的な事実を聞かされる。村で疎外されていた由貴美の母は、権力者の家の人間と付き合うことこそが自分のプライドを満たすものだと考え、広海の父の愛人となっていたというのだ。そのフェスからの帰り道、2人は会いたくない人物、日馬達哉と出会ってしまう。睦ツ代を豊かにした立役者である日馬開発の次男坊の達哉は、広海の1つ年上で、粗野で乱暴で下品なことで皆の嫌われ者だったが、広海は周りに知られないように親しく付き合っていた。その達哉がやたらと由貴美の自宅の場所を知りたがっていたのを、彼女への無関心を装って広海は教えずにいたのだ。広海に裏切られたと感じた達哉は激高し、広海に激しい暴行を加える。立てなくなった広海の次に由貴美をターゲットにした達哉であったが、由貴美の振り回した鉄骨が直撃した達哉は湖に沈んだまま浮かんでこなかった。人を呼ぼうとする広海を必死で止めようとする由貴美を見て、彼は彼女を守るため口をつぐむことを誓う。診療所で治療を受け、自宅に帰った広海は冷蔵庫の中から村の不正の証拠となるノートを発見する。達哉が行方不明になったことで村が騒がしくなった中、広海は由貴美の家にいるところを、従兄の須和光弘と父の飛雄に踏み込まれる。そして光弘の口から語られた真実は、芸能界で行き詰まった由貴美が達哉の兄・京介と共謀して村の不正を暴き、社会派のイメージで芸能界で返り咲こうとしているというものだった。そして2人は広海の自宅へ連れて行かれる。日馬はよそ者だからと事件を隠蔽しようとしていた湧谷家に集まった大人達に反発する広海。湧谷家に軟禁された由貴美と話すことができるようになった広海は、彼女の口から、京介と共謀し芸能界での返り咲きを狙ったのは事実だが、今回の一番の目的は、由貴美の母に嫌がらせを続けて自殺に追い込んだ広海の母から広海を奪うことだったと告げる。そして何よりも由貴美と広海は姉弟だから一緒に暮らすべきだと言うのだ。由貴美も飛雄の子供なのだと。一度は由貴美から逃げ出す広海であったが、飛雄から由貴美は実の娘ではないからこの家で彼女と一緒になるのに何の問題もないと勧められ、2人で家を出ることを決心する。が、追っ手に迫られ由貴美は湖に飛び込んでしまう。あとを追って飛び込んだ広海は意識を失う寸前に由貴美をとらえたはずだった。しかし、湧谷家で目覚めた広海は、由貴美は見つかっていないと告げられ取り乱す。父に説得され何事もなかったように登校する広海であったが、その鞄の中には例のノートがあり、達哉の家政婦だった英恵と日馬京介に村の不正を伝えることを心に決めていたのであった。
 以上が、この物語のあらすじであるが、ネットの書評を見てみると辻村ファンにはあまり評判が良くないようだ。しかし、個人的にはかなり面白かったと思う。これがこの年の13位とは到底信じられない。それほどまでに過去の辻村作品が素晴らしかったのだろうか。本作を読んだだけで作者が3度も直木賞候補にノミネートされ、2012年に3度目にして受賞したのも頷けるのだが。あえて苦情を述べるなら、やはりすっきりしないエンディングであろう。由貴美を救えたように思わせておいて救えなかったという絶望感。そして、由貴美に代わって村への復讐を果たそうとする広海をさらっと描いてさっさと幕を閉じてしまう中途半端感。これがどうにも腑に落ちない。確かに一番無難かつ文学的なエンディングなのかもしれないが、読者は不完全燃焼なのではなかろうか。もう少し読者に具体的な希望を見せてくれても良かったのではないか。そう思えてならない。

『象と耳鳴り』(恩田陸/祥伝社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2001年版(2000年作品) 6位作品。先日読んだばかりの「このミス」2012年版(2011年作品)12位作品『11』に近い印象を持つ12編を収めた短編集であるが、美しく読みやすい文章で、ミステリとして分かりやすい内容なのはこちら。主人公は退職判事の関根多佳雄。老人を主人公に据えたミステリは珍しい。
 @「曜変天目の夜」では、妻と美術館へ曜変天目の茶碗を見に行った多佳雄は、10年ほど前になくなった友人のことを思い出す。そして、彼の死の真相がアルツハイマーに冒されつつあったことを悲観してのヒ素を使った自殺であったことに思い至る。しかし、いくら友人とは言え、死の真相をそれとなく伝えるべく死の直前に自分の髪の毛を送りつけるというのは普通あり得ない。勘弁してほしい。
 A「新・D坂の殺人事件」は、その名の通り乱歩作品をモチーフとしたもの。渋谷駅前の人混みの中で落下音がしたと思ったら突然死体が現れる。しかし、誰も落下したところは見ていない。直接の原因は心臓麻痺で、細かい骨折があったことが検死で明らかになる。死体の出現を目撃した男は、現場に居合わせた老人の口から真相を聞かされる。被害者は覚醒剤中毒患者でリンチにあって瀕死の状態であったところ、夜の7時に周囲の人々が一斉に携帯電話をかけたせいでその電波によって死亡したのではないかと。斬新ではあるが、ちょっと無理がある話。
 B「給水塔」では、多佳雄が散歩仲間の時枝に「人喰い」の噂のある給水塔に連れて行かれる。そこで奇怪なものが目撃されたり不可解な事故が起こっていることを時枝から聞かされた多佳雄は、殺人者がそこに死体を埋めて掘り出す機会をうかがっているという仮説を立てる。時枝は大笑いした後、今までの話が嘘だったと告げ、その場を離れようとするが、多佳雄は時枝の不審な態度から、そこにはやはり死体が埋められており、掘り出そうとしている誰かがそこにいることを確信するのであった。乱歩の香りが漂う秀作。
 C「象と耳鳴り」では、多佳雄は喫茶店のカウンターで、ある老婦人から象を見ると耳鳴りがするという話を聞かされる。彼女は幼い頃両親にイギリスに連れて行かれた時に、留守番中に象に殺される男を目撃したせいだと言う。しかし、彼女が帰った後、多佳雄は、彼女は象を見ると耳鳴りがするのではなく、象を見ると嘘をつきたくなるのだと分析する。老婦人の幼なじみだという喫茶店の主人は、イギリスに向かう船の中で、両親も含め大勢の人がコレラで死に、船酔いで食事ができなかった彼女だけが助かったのだという話をする。多佳雄は、インドには象の姿をした神がいることを語り、旅行が苦手な自分を苦しめた父に罰を与えることを願っていた彼女が本当に父が死んでしまったことに罪の意識を感じて象を恐れているのだと考える。そこまでの話はまあ分からないではないが、その後の、喫茶店の主人が店に象の置物を置いている理由が多佳雄には分かったようだが、自分にはよく分からなかった。
 D「海にゐるのは人魚ではない」は、「海にいるのは人魚じゃないんだよ」「海にいるのは土左衛門沙さ」という小学生の会話が発端になっている。多佳雄は、自宅に温泉をひいた富豪から招待されていたが、息子の春は多佳雄に「自宅に温泉をひくのはなぜか」という問いかけをする。さらに春は、彼が3人の殺人容疑がかかった人物であることを告げ、犯罪を告白したがっているのではと言う。そして多佳雄の方は、先の人魚の話は、飛び込みの一家心中事件で1人だけ死体が見つからない妻が足ひれを付けて現場から逃げたものを目撃されたのではと考える。その妻の死体も発見されると、彼女は家族殺しの罪を着せられて殺されたのであり、家族も一家心中を装って毒殺され、その首謀者こそが例の富豪ではないかと、春は結論づける。短編にしてしまうには惜しいトリックというか、ちょっと無理にコンパクトにまとめすぎのような気がする。
 E「ニューメキシコの月」では、骨折して入院した多佳雄のもとを友人の検事・貝谷が見舞いに訪れるところから物語が始まる。彼は、多佳雄に9人を殺し死刑判決を受けた医師・室伏から送られてきたという絵はがきを見せる。そして多佳雄は、被害者はすべて自殺志願者であり、室伏はそれに協力したのではないかと看破する。そして絵はがきの写真が、人類の緩慢な自殺と今回の殺人の動機を暗示していたことに思い至るのであった。色々と考えさせられる話ではあるが、いきなりその推理は飛躍しすぎのような気が。
 F「誰かに聞いた話」では、ある日、多佳雄が食事中に、妻の桃代に銀行強盗が寺の銀杏の木の根元に現金を埋めたという話を誰から聞いたのか思い出せないという話をする。妻の知恵を借りて、色々と思い出してみると、たまたま耳にした全く別の話から自分が無意識に推理を働かせていたことに気がつく。そして、最後にはその話をしていった女性の夫こそがその銀行強盗ではないかというところにまで話が行き着くという、わずか7ページながらもなかなか密度の濃い物語。
 G「廃園」では、多佳雄が昔付き合いのあった女性・結子の娘・結花から、結子の住んでいた家に招待される。その家の庭は立派な薔薇園だったが今はその面影はない。そして、多佳雄は記憶をたどっていくうちに、結子が庭に農薬を大量に撒いて彼を殺そうと計画していたのに、結花がそれを無意識に邪魔をしたせいで、結子自身が蒸発した農薬を吸い込んで死亡したという真相に思い至る。それにしても、結子が多佳雄に「殺しに来て」というメッセージを発していたという話、庭には白い服のじょうろを持った女性の幽霊がいつもいたという話は、よく理解できないのだが。
 H「待合室の冒険」は、本書の中で最も分かりやすいミステリらしいミステリ。息子の春と駅で電車待ちをしていた多佳雄は、春から「人が駅の待合室に来るのは何のためか」という問いかけをされる。その春は、多佳雄の前で不可解な行動を繰り返すが、最後には見事に警察に覚醒剤の取引現場を押さえさせ、売人と受取人を逮捕させることに成功する。そして、多佳雄は友人の検事から聞いていた、春には検事としての「ツキがある」という話に納得するのであった。
 I「机上の論理」では、多佳雄の息子で検事の春と、娘で弁護士の夏の2人に、従兄弟の隆一が、ある部屋の写真を見せてどのような人物の部屋か推理するよう持ちかける。2人は見事な推理をしてみせ、夏が殺人を計画している植物学者、春は犯罪者を張り込む刑事という結論を示すが、隆一の答えは2人を驚かせるものだった。その部屋の主は、2人の父、多佳雄だったからだ。隆一にワインをおごってもらうつもりだった2人は、悔しさのあまり、やけ酒に走るしかなかった。これも分かりやすいミステリで、ホームズを読んでいるような楽しさがあった。
 J「往復書簡」は、多佳雄と姪の新聞記者・孝子との手紙のやりとりの内容がひたすら続く斬新な内容。そのやりとりの中で、孝子の悩みをずばり的中させ、彼女の追っている連続放火事件に興味を示す多佳雄。そして多佳雄はその手紙のやりとりだけで、見事に放火犯が孝子の職場の先輩の緑川であることを突き止めてしまう。決して手紙の内容だけで犯人を突き止めたわけではないことが後に記されてはいるが、その推理のプロセスの見事さには恐れ入る。
 K「魔術師」は、都市伝説をテーマにしたミステリで、その着眼点も面白いし、D「海にゐるのは人魚ではない」に通じる「言葉」がらみの面白さも感じられる物語なのだが、買った包丁をバスの中で確認しようとした男が急ブレーキのせいで腹に刺さって死んでしまった話や、子供たちが市の統廃合で学校がなくなることを恐れて自分たちだけの学校を作ることを思い立ち学校の一クラス分の椅子を盗み出したという話は、ちょっと無理があるのではと思われても仕方がない。

『ゲームの名は誘拐』(東野圭吾/光文社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2004年版(2003年作品)11位作品。広告代理店の敏腕プランナー・佐久間は、 日星自動車会社の新車をプロデュースするにあたって、オートモービルパークという巨大プロジェクトを推し進めようとしていたが、その企画を気に入らなかった自動車会社の新副社長・葛城によって潰されてしまう。怒りにまかせ何となく葛城の自宅に向かった佐久間は、塀を乗り越えて自宅から抜け出そうとしている女性の姿を見つける。彼女を尾行して声をかけると、彼女は佐久間の 長女であり、愛人の娘の樹理で、本妻の娘である次女の千春と喧嘩して家出してきたという。佐久間に復讐したいという利害が一致した2人は、協力して身代金3億円を奪う狂言誘拐を実行に移す。見事身代金の奪取に成功し、樹理を自宅に帰したはずの佐久間であったが、樹理は行方不明のまま公に報道されることになり、その顔写真が見知らぬ女性であったことから彼は混乱する。佐久間が報道機関を装って調査を始めると衝撃的な事実が発覚する。彼が行動を共にしていた女性は樹理ではなく千春だったのだ。やがて、樹理の死体が発見され、佐久間は事件の真相に気づき始める。自宅で衝動的に樹理を殺してしまった千春は、彼女を樹理と思い込んだ佐久間を利用して父の葛城と共謀し、自分の殺人を佐久間になすりつけようとしていたのだ。千春に 睡眠薬を盛られて死を覚悟する佐久間であったが、行動を共にしていた時の千春の写真をパソコンに残しておくという切り札によってなんとか身を守ったのであった。

 上記のように、あらすじはあっという間に説明できる。それくらいシンプルな話。佐久間と葛城が身代金の引き渡しをめぐって様々なやりとりする場面がこの物語の見所の一つなのかもしれないが、正直平凡で退屈なので、あらすじを述べるにあたって大胆にカット しても問題がない。樹理の正体が千春ではないかということも次第に分かってきてしまって、終盤のどんでん返しもたいしたことはない。最後の佐久間の用意した切り札もびっくりするようなものではない。葛城は最初から佐久間を殺すつもりはなかったようだが、 千春の写真が佐久間殺害を思いとどまるような切り札とも思えない。確かに佐久間が殺された後、佐久間のパソコンから千春の画像が警察に発見されれば千春や葛城には不利 になったかもしれないが、結局警察が知る前に彼らに明かしてしまったら、その時点でもう身を守る材料にはならないではないか。東野氏にしては安易にまとめてしまった作品という感が否めない。

『私たちが星座を盗んだ理由』(北山猛邦/講談社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2012年版(2011年作品)15位作品。少年少女 向けの様々なジャンルの5編の作品が収められたミステリ短編集で、読み始めた時は、読者対象も中高生あたりをターゲットにしている感じで大人が読むには少々厳しいのではないかと思ったが、実際にはなかなかの奥深さのある作品 群である 。カバーのそでに記された「主人公たちの物語は余白に続く」という作者のメッセージ通り、主人公の結末のその後は読者の想像にゆだねられる形になっているが、いずれも救いようのない話ばかりで、受け付けない読者も多かろう。個人的には「妖精の学校」と「終の童話」が良くできていると思う。

 @「恋煩い」は、幼なじみのシュンとトーコとの3人で行動することの多い高校2年生のアキの物語。シュンからの告白を断り、シュンが彼に想いを寄せるトーコとくっついてくれればいいと考えていたアキは、1つ上の学年の海野先輩に恋をしていたが、駅のホームでいつも見かける名も知らぬ彼に声すらかけられずにいた。そんな時、校舎の階段を後ろ向きに12段下りると片想いが両想いになるというおまじないをトーコから聞いたアキがこっそりそれを実行に移したところ、直後に海野先輩の生徒手帳を拾い、彼と知り合いになることに成功する。しかし、なかなか2人の仲は進展せず、恋人らしき女子高生と一緒にいる海野先輩を見かけてアキは焦り、クラスで耳にするくだらないおまじないを次々に実行していた。その中の1つを実行するべく深夜の廃校に忍び込んだアキは抜け落ちた床から這い上がれなく危機に陥る。そんな彼女を救助してくれたのはシュンだった。そしてシュンの推理に彼女は驚愕する。クラスに広められていた様々な恋のおまじないの噂は、すべてアキを危機に陥れるためのもので、犯人はただ事故が起こるのを待つだけでよいという「プロバビリティの犯罪」が仕掛けられていたというのである。そして、その犯人はトーコであると。
 あまりの子供っぽい内容の連続に読んでいて苦痛だったが、ラストはそれなり。トーコは、アキがシュンのことを好きだったと思い込んでいたということだが、アキの行動をつけ回していたトーコが、アキが想いを寄せていた海野先輩の存在に全く気がつかなかったというのはちょっとひっかかる気も。

 A「妖精の学校」は、小さな島の施設のベッドで目を覚ました少年の物語。リーダーの少年・ウミネコから、ここでは少年少女たちが、大人ではなく妖精になるために暮らす施設で、大人の先生たちと、話しかけてはいけない魔法使いが一緒に暮らしているのだと説明される。記憶を失っていた主人公の少年はヒバリという名を与えられ、そこで不思議な生活を始める。この島の子供たちは、時々やって来る「影」と呼ばれる存在に怯え、魔法使いたちは、「影」が島にばらまく「その場所は何処にも属さない!」と書かれた紙を回収している。そんな生活に疑問を感じていたヒバリのクラスメイトのクイナは大人たちが虚(うろ)と呼ぶ穴こそがこの世界の出口だと信じ、訓練日にそこを目指すが行方不明になってしまう。ヒバリには、彼がこの世界から脱出できたのか大人たちに捕らえられたのか分からない。ヒバリはある日の混乱に乗じてクイナの目指した虚とは別の虚に飛び込むが、その浅いコンクリートの穴の底にはネットが張ってあり、その下には岩が見えるだけだった。虚に入ったことはばれないまま無事に戻ったヒバリは、医務室で記憶を消されたクイナに再会する。ヒバリは、そこで虚の中で見たプレートに刻まれた数字が、過去にいた世界で気になっていた女の子の涙の形に見えてならなかった、という結末である。
 これは普通の読者にはチンプンカンプンであろう。最後の数字の羅列はどこかの座標を表していることは分かったのだが、これはどうやら沖ノ鳥島の座標らしい。 沖ノ鳥島は日本の最南端にある2つの岩からなる島である。ヒバリたちのいる島は、沖ノ鳥島の岩の上に築かれた人工の島であり、作中の虚は2つの岩の頂点に作られたものであることが うかがえる。なぜ、そんな施設がこんな所に作られているのか。この件について色々とネットで調べてみて驚かされた。この島の施設は、日本が
排他的経済水域を主張するために作ったものであり、時々轟音と共に 現れビラを撒いて去っていく「影」とは、日本の主張を非難する他国 (おそらく今現在も異議申し立てをしている中国と韓国)の軍用機であり、「はっきりとは見えづらい」魔法使いとは、おそらく光学迷彩などの装備を身にまとった自衛隊員であろうという解釈である。つまり本作は、国が子供を盾にして領土 の維持を行っているという恐ろしい政治SF小説なのである。これだけで一本の長編を書けるネタであり、短編に使ってしまうのはもったいないと思うのは私だけだろうか。 それにしても、ここまで読み取れと言うのは、やはり普通の読者には相当困難ではないかと…。

 B「嘘つき紳士」は、入社した友人の会社が倒産し、友人の代わりに借金を返し続ける生活をしている、東京に来て5年目の「俺」の物語。たまたま拾った携帯電話の履歴から見つけた、その携帯電話の持ち主・白井勇樹の交際相手のキョーコから金を振り込ませることを「俺」は計画する。「俺」は白井が携帯電話を拾う直前に交通事故死していたことに驚くが、遠距離恋愛中のキョーコはその事実を知らないらしい。罪の意識にさいなまれながらも恋人を装いメールでのやりとりを続け、ついに100万円を振り込むことに同意させる。キョーコから別れ話を切り出され、携帯電話の中の画像を記念に欲しいと言われた「俺」はデータの入ったカードを郵送し、スムーズに縁が切れたことにほっとするが、いつまでたっても「俺」の口座に金が振り込まれた形跡はない。そんな「俺」は、男と待ち合わせしているキョーコを目撃する。キョーコは男と共謀して保険金目当てに白井を殺害し、男の姿が写った画像の入った白井の携帯電話を手に入れようと「俺」の芝居に付き合っていただけだったのだ。東京が彼女を変えたのだと「俺」は納得する。
 どうにも救いようのない話である。面白さとしては可も不可もなくというところか。

 C「終(つい)の童話」は、10月に読了した「このミス」2013年版(2012年作品)19位作品の伊坂幸太郎『夜の国のクーパー』に近い雰囲気の作品。ウィミィはガリカ村の木こりの家の跡取り息子。母は病死し父と2人暮らしだが、父は城へ木材を献上するため家を空けることが多く、その間、羊毛織りの家の娘の10歳年上のエリナが彼の面倒を見てくれていた。ウィミィが10歳になったある日、村に石喰いという化け物が現れる。石喰いは触る生き物をすべて石に変え、それを食べてしまうという化け物である。鳥打ちのジャックネッタによって石喰いは倒されるが、エリナはウィミィを助けるために石にされた後であった。11年後村に奇跡が起こる。王に仕える医師にして科学者、騎士にして密偵という、天才探偵ワイズポーシャが、石にされた村長の息子を聖水によって人間に戻したのだ。村人は喜ぶが、聖水を作るには最低でも28日かかり、村人はくじ引きによって順番を決めた。しかし、何者かによって村の中の石像の破壊が続き、順番を繰り上げたい村人の仕業と考えられた。ついにエリナの順番が回ってきてウィミィは喜ぶが、ジャックネッタは治療を拒否する。劣化が進んだ石像は人間に戻った瞬間に苦しんで死ぬだけだというのだ。そして過去に起こった石像の破壊も、そのような悲劇を起こさないためにジャックネッタが行ったことであることが明らかになる。そこに石喰いの呪いで石喰いになってしまったジャックネッタが現れ、ワイズポーシャを襲う。石喰いとワイズポーシャは谷底に消え、ワイズポーシャが残した石像を砕く杖と聖水を前に、ウィミィは究極の選択を迫られる。
 「ウィミィはついに決断し、それを手に取ると、立ち上がった。手に持ったまま、彼女を強く抱きしめた。『エリナ姉ちゃん』雪と同じ冷たさだった。そこには人の温もりなど、なかった。」という思わせぶりなラストでは、結局ウィミィはどちらを選択したのか。杖で砕いていれば抱きしめようがなく、聖水で人間に戻していれば、すぐに死んでしまったとしても全く温もりがないということはないだろうから、彼はどちらも使わなかったというのが正解なのであろう。人間に戻してしばらく時間がたった後の描写という可能性もゼロではないが。

 D「私たちが星座を盗んだ理由」は、勤め先の病院で、死んだ姉の麻里の同級生の夕兄ちゃんに再会した姫子の物語。夕兄ちゃんに星を見に行こうと誘われた姫子は、20年前、夕兄ちゃんが首飾り座を夜空からどうやって夜空から消したのかという疑問を彼にぶつける。夕兄ちゃんは首飾り座を夜空から盗み、麻里にプレゼントするという計画を姫子に打ち明け、実際に首飾り座が消えたのを麻里も姫子も目撃していたのだ。姫子は夕兄ちゃんに実際に首飾りを見せてもらっていたが、それが麻里に手渡されることはなく麻里は死んでしまった。死の直前に「本当に首飾り座が消えている」と麻里はつぶやき、この計画は麻里には伝わっていなかったはずでは?という疑問が読者に浮かぶが、これは後に解消する。星座の消失の種明かしは、こうである。夕兄ちゃんが麻里に首飾り座として教えていたものは、実は南の冠座であり、満月の明かりによって星座の弱い光を打ち消していたというものであった。麻里が星座の消失を知っていた件については、麻里の死の直前の七夕の短冊に、麻里は「看護婦になりたい」と書き、姫子は「星の首飾りがほしい」と書いていたのを、夕兄ちゃんは逆に取り違えていたため、彼は星の首飾りにこだわっていたのだが、姫子の真の願いを知っていた麻里は、星座が夜空から消えたのを見て姫子の願いが叶ったと思ったのであった。姫子は、首飾り欲しさに苦しむ姉を見殺しにしたことを夕兄ちゃんに告白し、自分の彼への恋心を夕兄ちゃんに打ち明けようとするが、彼と彼女の前に彼の妻子が現れ物語は幕を閉じる。
 星座消失のトリックはたいしたことはないが、それ以外での見所が多い作品。ただし、これまでの4作同様、救いようのない話で、気が滅入ることには変わりがない。

『神々の山嶺(いただき)』(夢枕獏/集英社)【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」1998年版(1997年作品)6位作品。今年は例年以上に多忙な年だったのだが、なぜか読書量は自己記録を更新し続け、ついに62作目。筆者の夢枕獏の作品は10年以上前に『陰陽師』を読んで以来久しぶりである(当時はミステリ以外は読了記録を残していなかったので「おすすめ現代ミステリー小説」のページに記録はない)。最初は随分古い作品に手をつけてしまったと思ったのだが、調べてみると筆者は今年の秋から登山者向けの雑誌『岳人』に本作の創作ノートを連載中で、2016年には映画化も予定されているらしく、意外にもホットな作品であったことに驚いた。良いタイミングで読むことができたようだ。図書館で本書の上下巻を見つけた時はその分厚さに少々気後れしたが、読み始めると一気に物語に引き込まれ、数十ページ読んだところでもうこれは★★★確定と確信した。本作は、天才登山家・羽生丈二が、これまで誰も成し遂げていないエベレスト南西壁冬期無酸素単独登頂に挑む姿を見届けようとするカメラマン・深町誠の物語である。 (羽生には森田勝という実在のモデルがおり、彼の著書と本作が似すぎているという批判もあるようだが、今はその件は検証しようがないので触れないでおくこととする。 )これは究極の山岳小説である。筆者自身6度もヒマラヤを訪れたというが、それだけのエネルギーを使った者にしか書けない傑作である。ミステリ小説には常に死が描かれるが、ここまで人間の生と死の狭間を描き切った作品はそうはなかろう。あえて気になるところを挙げるならば、ヒロインの岸涼子の魅力が今一つ伝わってこないこと。容姿もその人柄についてもほとんど触れられていないのに、いつの間にか深町が強く惹きつけられ不動のヒロインの座におさまっているのに少々違和感を覚えた。元恋人の加代子の方が余程印象的なのだが…。あとは、ネパールで深町がトラブるたびに、やたらとナラダール・ラゼンドラが登場する点にも違和感を感じた。しかし、それらは些細なことであり、本書は間違いなく自分の読書歴ベスト10に入る1冊となった。
 本作では、「なぜ山に登るのか」「そこに山があるからだ」という言葉で有名な登山家・ジョージ・マロリーの謎についても語られており、それがこの本がミステリというジャンルに分類される一要因になっている。その名言がマロリーのものであることを今回初めて知ったが、これは正確には誤訳であり、また本当に本人の言葉かどうかも不明確らしい。このマロリーの謎についてネットで調べてみたが、これだけでも十分に面白く興味深かった。本作のあらすじは、以下の通り。

 序章前半では、1924年にイギリスの第3次エベレスト遠征隊の一員であったノエル・オデルの視点から、同隊のジョージ・マロリーとアンドリュー・アーヴィンがエベレストの初登頂にアタックする様子、そして初登頂に成功したかどうか不明のまま彼らが行方不明になるところまでが描かれ、序章後半では、1995年の同じ場所で1人の男が遭難寸前のビバーグをしている様子が描かれる。この男が本作の主人公の深町 である。そして彼は、彼がこのような目に遭っているのは、その2年前に羽生に出会ったからだと述べる。
 その2人の出会いについて語られるのが第1・2章である。1993年、深町は6人の仲間とエベレストに挑戦し、2人の死者を出して敗退した直後であった。1人カトマンドゥに残った深町は、サガルマータという登山用品店で「ベストポケット・オートグラフィック・コダック ・スペシャル」という壊れたカメラを見つけて興奮する。1924年にエベレスト初登頂に挑戦し行方不明になったマロリーがその時所持していたカメラが同じものだったからだ。もし、そのカメラが本当にマロリーのもので、そのフィルムに登頂時のものが写っていれば、1953年にイギリスの遠征隊のエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイがエベレスト初登頂を果たしたという登山史が書き換えられる大事件になるのだ。そのカメラにフィルムは入っていなかったが、彼はそのカメラを高額で購入する。カメラはその価値に気づいた登山用品店の店主・マニ・クマールの策略に よって盗まれてしまうが、そのカメラは元々盗品であり、元の持ち主だった日本人が取り戻す。その日本人こそ羽生であった。深町は、カメラもそのカメラに支払った金も取り戻せなかったが、日本に帰国後、羽生について調べ始める。
 第3章では、マロリーとアーヴィンの最期と、彼らのどちらからしき遺体が中国人の登山隊員・王洪宝によって一度目撃されていたことについて語られる(その後その遺体の場所はまた分からなくなってしまうが本作の出版から2年後に英米合同調査隊によってマロリーの遺体が発見されている。王が目撃した遺体と同一かどうかは不明。)。
 第4・5章では、羽生の登山家としての壮絶な過去について、第6章では、長谷常雄という彼のライバルの出現について語られる。
 第7章では、深町自身のかつての恋人・加代子と彼女を奪った彼の友人・加倉典明について語られ、その後、羽生を慕っていた後輩で、羽生と登山中に事故死した岸文太郎の妹・岸涼子が持っていた羽生の遭難時の手記の内容が明らかにされる。
 第8章では、それまで登山家として決して恵まれていなかった羽生が、東京山岳協会のヒマラヤ遠征隊の一員に選ばれた時のことが語られる。しかし、彼はわがままばかりで隊を困らせ、最後には南西壁第1次アタック隊に選ばれなかったことを理由に勝手に下山し失踪してしまう。結局南西壁へのアタックは失敗し、南東稜隊の方は長谷が成功させていた。
 第9章で、深町はアウトドア雑誌の副編集長・宮川に、カトマンドゥで出会った羽生とカメラの話を明かし協力を求める。その中で長谷が2年前にK2登山中に事故死したこと、その長谷がK2無酸素単独登頂を思い立った原因が羽生との接触にあるのではないのかということが語られる。羽生が過去に老シェルパのアン・ツェリンの命を救っていたことを知った深町は、羽生とアン・ツェリンと接触するためネパールに戻ることを決意する。
 第10章で 、ネパールに戻った深町は再び登山用品店のサガルマータを訪れるが、店主のマニ・クマールからは情報を得られず、金の匂いをかぎつけた彼にしつこく事情説明を迫られるだけであった。ついにアン・ツェリンを町で見つけ尾行を開始した深町であったが、マニ・クマールの店で以前にも会ったことのある裏の仕事をしている男、ナラダール・ラゼンドラの使い のモハンに話しかけられたことで、彼を見失ってしまう。 ナラダール・ラゼンドラはカメラの価値を理解しており、マニ・クマール同様に、その捜索のための協力とそこから得られる利益の分配を求めるのであった。
 第11・12章では、岸涼子が深町の前に現れるが、彼女はマロリーのカメラを手に入れたい何者かに誘拐されてしまう。そこへ現れた羽生はすでに彼女の救出のために手を回しており、犯人が、ムガル、コータム、モハンの3人組であることを知ると、裏社会に詳しいナラダール・ラゼンドラのところへ彼らの居場所を聞きに行くことを提案する。ここまでが上巻の内容である。

 第13章で、涼子は無事救出されるが羽生は翌朝姿を消してしまう。ナラダール・ラゼンドラに羽生が住んでいるところに連れて行ってもらった深町と涼子は、羽生からエベレスト南西壁冬期無酸素単独登頂に この冬本気で挑戦しようとしていることを聞き驚愕する。そこには羽生の妻子もいた。
 第14章で、羽生を諦めた涼子は帰国するが、羽生からもらったトルコ石のネックレスを羽生に返してくれるよう深町に託す。深町は、宮川からの支援を取り付け、羽生の挑戦に同行することを決意した。
 
第15章で、アン・ツェリン同様の名シェルパであるダワ・ザンブーからこれまでのネパールでの羽生の苦難について聞 いた深町は、アン・ツェリンの娘であり羽生の妻であるドゥマから、深町の持っているトルコ石のネックレスが元々自分の母のものであ り、父のアン・ツェリンが母の死後に羽生に与えたものであることを聞かされる。
 第16章では、標高5400メートルのベースキャンプでひたすら羽生を待つ深町の前に、ついに羽生とアン・ツェリンが現れる。羽生は深町にマロリーのカメラを与えると、早速ベースキャンプの設営を行い、その後、マロリーの遺体を発見した時の様子、カトマンドゥで長谷と会った時の様子などを、深町に語る。
 第17章、それから天候に恵まれない日が続き、2週間後の12月12日、ついに羽生が前人未踏のアタックを開始する。
 第18章では、必死で羽生の後を追う深町の様子、第19章では、1泊目のビバーグ以降の様子が描かれる。幻覚を見ながら、自問自答を続けながら登り続ける深町を襲う落石。意識を失った深町を助けたのははるか先を行っていたはずの羽生であった。
 第20章、羽生と同じテントで夜を過ごした深町は、羽生から岸の事故死の真相を告げられる。ザイルが岩角にこすれて切れて転落したとおいのが警察の発表で、羽生が自分が助かるために切断したという噂もあったが、実際には岸自身が羽生を助けるために切断したのが真相であった。そしてもうろうとした意識の中で、羽生から登頂までのプランを聞いた深町は、「結局、ノーマルルートで登頂するということか」という恐ろしい一言を言ってしまう。南西壁さえクリアすれば、その後はノーマルルートで登頂しても南西壁からの登頂として認められており、羽生もその予定だったのだが、深町のその言葉は、羽生により危険なルート、つまり頂上直下ウォールを選ばせるに十分な一言だったのである。
 第21章で、深町は羽生と別れて下山を開始する。すぐにベースキャンプまで戻らず、体力の限界まで頂上付近が見えるポイントで羽生を見届けようとカメラを構えて待ち続ける深町が見たものは、南西壁をクリア後、深町が恐れていた頂上直下ウォールを登っている羽生の姿であった。そして、オデルの前でマロリーとアーヴィンが霧に中へ消えていったように、羽生の姿も深町の前で霧の中に消えていった。
 第22章には、極限状態での羽生の手記のみが記される。
 第23章。結局羽生は戻ってこなかった。羽生と深町の違法な登山が世間に明らかになり、深町は10年間のネパールへの入国禁止を申し渡されたが、羽生の挑戦とその失敗、そしてマロリーのカメラの発見が話題を呼び、深町の仕事は増えた。涼子ともうまくいっていたが、深町はどうしてももう一度エベレストに戻りたくて日々苦しんでいた。
 終章。これが上巻の序章後半につながっている部分である。深町はエベレストへ戻ってきた。ネパールには入国できないためチベット側からエベレストに挑戦したのだ。ノーマルルートでの無酸素単独登頂に成功した深町であったが、下山中に食料を全て失い遭難しかける。そんな時、岩陰でマロリーと共に眠る羽生の遺体を発見する。羽生は登頂を成功させたものの下山ルートを間違えて、反対側へ下りてきてしまっていたのだ。深町は、羽生に渡してした食料がそのまま残してあったのをもらい、生還への望みをつないだ。マロリーの遺体からフィルムを捜すエネルギーまでは残っていなかった。深町はトルコ石のネックレスを羽生の首にかけ下山を開始するのであった。

『民宿雪国』(樋口毅宏/祥伝社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2012年版(2011年作品)11位作品。今年の読了63作目。国民的画家であり老朽化が進んだ民宿「雪国」を新潟の寂れた港町で経営している丹生雄武郎(にうゆうぶろう)が享年97歳で亡くなった。しかし、彼の生涯には知られざる恐るべき秘密があった。これは、その秘密が明らかになっていく様子を描いた物語である。雄武郎が物静かで情に厚い民宿のあるじと思わせておいて実は稀代の殺人鬼だったという第1部だけでも十分短編として成立するインパクトがあるが、作者の描きたかったことは、いかれた殺人鬼の話ではなく、性差別、人種差別に苦しむ人々の嘆きのようである。第2部では、雄武郎は第1部とは打って変わった善人として描かれ読者を混乱させ、第3部で読者をひと休みさせ様々な伏線を追加した上で、最終部で全てを明らかにするという構成だ。しかし、どんな崇高なテーマを掲げてみたところで、やはりいかれた殺人鬼の話であることに変わりはない。人間の暗部をそういう形で描いたと言えばそれまでだが、正直個人的には悪趣味としか言いようがない。差別問題に真摯に向き合っているという感じではなく、ただそこに呪詛をぶつけただけのような作品だ。雄武郎の膨大な殺人が全てもみ消されてしまうという結末もある意味救いがない。せめて最後にもう少し文学的な救いの物語を残せなかったのだろうか(エピローグで雄武郎とハンシュエらしき人物が微笑している絵が発見されたというエピソードが付けられているがこれだけでは焼け石に水)。様々な昭和・平成の実際の事件や実在の人物を絡ませているのも、あまりに無理矢理過ぎて、巧みと言うよりあざとい感じが否めない。斬新な切り口のミステリであることは認めるが、好き嫌いが大きく分かれる作品であることは間違いない。巻末の対談は完全に蛇足である。あらすじは以下の通り。

 第1部では、彼の民宿を、地震による事故で亡くなった雄武郎の息子・公平の友人で吉良正和と名乗る男が訪ねてくる。この時、この宿には、過去に雄武郎と共に悪事を働いていたオヤジとその妖婦、そしてその手下の与太者が居座っていた。過去の悪事をネタに雄武郎を強請り、若い警官を拉致して射殺するなど好き放題をして、車椅子の雄武郎と公平の妻を苦しめていたところに、初老の警官が若い警官を捜してやって来る。そして、その警官が地震詐欺の人相書きを皆に見せようとしたところで、いきなり吉良は警官を射殺する。彼こそが地震詐欺の悪党だったのだ。吉良は、オヤジ、与太者、妖婦を次々に殺害し、命乞いをする公平の妻も射殺した。後は奥の部屋で休んでいるはずの雄武郎のみ。しかし、吉良は雄武郎が作った罠で地下室に転落し、気がつくと2本の足で屹立する雄武郎に縛り上げられていた。結局吉良は雄武郎に陵辱された挙げ句に殺されて他の死体と共に裏庭に埋められる。
 第2部では、保育士でDVの夫から逃げている柳下響子に想いを寄せる事件記者の矢島博美が、仕事で新潟を訪れ「雪国」に宿泊するが、そこで見た夢の中で吉良から雄武郎が殺人鬼であることを告げられる。しかし、夢の内容を警察に伝えるわけにもいかず宿を引き払えないでいると、響子から夫が博美を殺す気で彼の元へ向かっていることを電話で連絡してくる。響子の夫と手下の女に襲われた博美は雄武郎の発砲した猟銃に救われ、2人は警察に突き出されるが、被害者の博美も取り調べられ、性同一性障害で男の格好をした女であることが明らかになる。恥辱にまみれた取り調べと、響子が博美を裏切って彼の居場所を夫に知らせたこと、そして響子が児童虐待で逮捕されたことを知り、博美は打ちのめされる。自殺を決意した博美であったが、雄武郎に過去を全て話し、それを受け入れて東京でもう一度闘えと言う雄武郎に励まされ思いとどまるのであった。
 第3部は、過去に「雪国」で働いていた2人の従業員の証言という形で書かれている。1人目はホテルニュージャパンのオーナー・横井英樹をモデルとしたらしき人物が描かれ、裸の大将・山下清が一時期逗留していたことが明らかになる。2人目は麻原彰晃をモデルとしたらしき人物で、雄武郎の甥だった彼は北朝鮮のために拉致の仕事に手を染めたことを雄武郎にいさめられて新潟を離れ教団を興したという。その教団の名前は雄武郎の雄武の読み方を変えたものであることも明らかになる。
 第4部では、矢島博美の取材によって記された丹生雄武郎正伝という形で書かれている。そこでは、彼の死後に発見された日記により、これまで語り伝えられていた雄武郎の生い立ちは嘘だらけであり、彼の作品の多くが山下清の残したスケッチを元にしていたことが明らかになる。そこには自分をいじめ抜いた父と2人の兄を「雪国」に招いて殺害したこと、自分の母が朝鮮人であったこと、ハンシュエという置屋の女性に想いを寄せ、その想いから帰国後一切男以外とは性交をしなかったというゆがんだ性癖などが記されていた。しかし、彼は実際には仲居を妊娠させたことがあり、彼女が産んだ子の息子、つまり自分の孫まで射殺したことがあった。「雪国」の敷地からは膨大な遺体が発掘されたが、慰安婦問題を大ごとにしたくない一部の国会議員らによってもみ消され、雄武郎には国民栄誉賞が授与されたのであった。

『丸太町ルヴォワール』(円居挽/講談社)【ネタバレ注意】★

 「このミス」2011年版(2010年作品)11位作品。大晦日に読んだ今年最後の1冊。1年で64作という自己記録は二度と達成できない気がする。大病院の御曹司で中学3年の城坂論語は、京都の祖父・慈恩の屋敷で療養中に不思議な体験をする。うたた寝中にジーンズのポケットから携帯電話を取り出そうとしたところ、そこにないはずの女性の腕をつかんでしまう。網膜剥離の治療中で目の見えなかった論語は、ルージュと名乗り彼の携帯電話を使ってペースメーカー利用者の祖父の殺害を計画したという女性の腕をつかんだまま2時間あまり話し込むが、いつの間にか盛られた薬で眠り込んでしまう。彼が眠りから覚めると祖父は死亡しており、その近くから論語の携帯電話が発見されて彼は容疑者となるが、結局祖父は論語の父と叔父の汚い取引によって自然死として処理される。3年後、平安貴族の死闘制度に由来する私的裁判・双龍会(そうりゅうえ)の被告となる論語。ルージュの正体は誰なのか?事件の真相は?という謎が、その裁判の中で明らかになっていくという物語である。今回は、あらすじと感想を並行して記す。

 殺人の方法があまりにチープなのは置いておくとして、論語とルージュのウイットに富んだ語らいを描いた第1章はまあ良い。しかし、双龍会関係のメンバーが次々登場し、だらだらとおしゃべりを続ける第2章は正直うんざり。あまりの面白なさに、なかなか内容が頭に入ってこない。本書のメインとなる第3章に入ってもすぐには双龍会は始まらず結構イライラさせられる。そして全体のちょうど半分位のところからやっと裁判が始まる。弁護士にあたる青龍師を務めるのは、金髪で肩で風を切って歩く、赤いカリスマの異名をとる瓶賀流(みかがみつる)と、その後輩・御堂達也。検事にあたる黄龍師を務めるのは美剣士と呼ばれる10代の龍樹大和(たつきやまと)。流は、公には明らかになっていなかったルージュの存在を明かし論語の無罪を証明しようとするが、黄龍側はなんと大和の姉の落花が、自分こそルージュであり自分には慈恩の死亡時刻にアリバイがあることを主張し青龍側を驚かせる。捏造した証拠を攻められた青龍側は窮地に立たされるが、達也は流こそルージュであると語り出し両陣営を驚愕させる。叙述トリックによってここまで読者は騙されてきたが、確かに流は女性だったのだ。2人のルージュの出現に混乱する会場だったが、達也は黄龍側が青龍側の盗聴を行っていたことを明らかにして、落花ルージュ説を崩す。これで青龍側の勝利が確定したはずだったが、なんと被告の論語が黄龍師となることを申し出る。そして彼は、睡眠薬は論語の前でカップに入れられたのではなく最初からポットに入っていたのであり(あまりにしょうもない種明かし)、それができたのは屋敷の裏口で慈恩の愛人の出入りのチェック係をしていた老女のあおさんこと、姫名葵だけであると断言する。今は亡きあおさんと慈恩は過去に相思相愛の仲だったが、慈恩が野心のためにあおさんを捨てており、その復讐こそが今回の事件の動機だったというのだ。手紙のやりとりだけの間柄だったら、相手が老女でも感動のロマンスと言えなくもないが、事件当日に実際に論語とキスまでしているとなると、さすがにどん引きの展開。しかし、どんでん返しは終章でも続く。論語の携帯電話にルージュから電話がかかってくるのである。ルージュは姫名葵ではなかったのだ。そして達也は、落花の弟の大和が落花の妹の撫子と同一人物であり、彼女こそルージュであるという真相にたどり着く。ラストシーンで、論語、流、達也、落花、撫子の5人は一緒に飲みに行くことになり、落花と2人でタクシーに乗った論語は彼女に口説かれるが、彼女が撫子の変装であることを見事に見破る。別れを告げようとする撫子に論語は愛の告白をし物語は幕を閉じる。はっきり言って、どんでん返しの連続だけに主眼が置かれた作品であり、巻末の解説を担当した麻耶雄嵩のコメントの歯切れの悪さにも納得。第1章の2人の会話が中学生のものだというのは到底納得しかねるし、他のキャラクターも読者を叙述トリックで欺くためだけの存在としか思えず魅力を全く感じない。恋愛小説としてとらえようとする読者もいるようだが、それも無理がありすぎる。読者を欺くため、撫子の存在をずっと目立たせないように話を進めてきたのだから無理もない。過去にないミステリを書こうという筆者の意気込みは分かるが、読み物として全体のバランスが悪すぎ。どんでん返しで読者を驚かそうとする前に、魅力的な物語で読者を作品に引き込むことをまず考えてほしい。

 

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