『13階段』(高野和明/講談社)【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2002年版(2001年作品)8位作品。 「これだけの傑作が8位?」というのが正直な感想。この年のベスト10作品は、これまでに6作しか読了しておらず、1位の『模倣犯』、2位の『邪魔』は確かに素晴らしく、5位の『超・殺人事件』も大いに楽しませてもらった記憶はあるが、第47回江戸川乱歩賞に満場一致で選ばれたというのは伊達ではないことを思い知らされた一作。本書の存在は以前から気にはなってはいたものの、内容が重そうで敬遠していたところがあった。著者の作品は、恥ずかしながら『ジェノサイド』しか読んだことはなかったのだが、本書が著者のデビュー作であることを今回初めて知り、その完成度の高さに驚かされた。死刑制度や犯罪者の更生について刑務官の立場からの様々な意見が記されており、色々と考えさせられるところも本書の魅力だが、死刑囚の死刑執行が迫る中、彼を救うため奔走する主人公たちの前に、新事実が次々に浮かび上がっていくというストーリーは実に見事。真犯人像も二転三転していく中で、何と言っても、ついに発見した凶器からまさかの人物の指紋が発見されたシーンには仰天。もちろん全ての伏線が収束するラストのクライマックスシーンや、最後の主人公の手紙も文句なし。これはオススメ。

 主人公は、飲食店でからんできた佐村恭介という青年を殺害してしまったことにより傷害致死罪で服役し仮釈放されたばかりの青年・三上純一と、彼を、ある仕事のためにスカウトした刑務官の南郷正二。南郷は、杉浦という弁護士を通じて、匿名の人物から10年前に保護司の宇津木夫婦を殺害した容疑で逮捕され死刑囚となった樹原亮の冤罪を証明するための調査を依頼される。南郷は、約束されている多額の報酬でパン屋を開き、別居中の家族との生活をやり直すことを夢見ると共に、これまで職務として2人の死刑囚を処刑した心の傷を追っていたため、何としても冤罪による死刑は回避したかった。また純一も、佐村恭介の父・佐村光男への謝罪を済ませた後、自分のせいで光男への賠償金の支払いに苦しむ両親のために南郷に協力し懸命に調査に取り組む。一番の問題は、被害者の財布を所持していて捕まった樹原が、事件直後のバイク事故により記憶を失っていたことだった。しかし、その樹原が事件当時「死の恐怖を感じながら階段を上っていた」ことを思い出す。真犯人に脅されて協力させられていた可能性が出てきたのである。調査を進めていく中で、2つの可能性を見出した2人。1つは、すでに逮捕され死刑囚として収監されている31号事件と呼ばれた連続殺人事件の犯人・小原歳三が真犯人ではないかという可能性。もう1つは、当時宇津木夫婦に保護観察を受けており、殺人で無期懲役の刑を受け14年間の服役経験のある室戸英彦が、宇津木に仮釈放を取り消されそうになり事件を起こしたという可能性である。しかし、結果はどちらもシロ。しかし、その調査の過程で、宇津木が保護観察の対象者達を脅迫していた疑いが出てくる。宇津木夫婦殺害現場近くの山腹に、増願寺という寺と階段が土砂崩れで埋まっていることを突き止めた2人は、そこでついに凶器と行方不明になっていた宇津木の印鑑を掘り出すことに成功するが、何とそれらから見つかった指紋は純一のものだった。事件当時高校生だった純一は恋人の木下友里と共に家出しており、現場近くにいたことは南郷も知ってはいたが、予想外の事実に大きな衝撃を受ける。
 警察に追われる身となった純一だが、純一には全く身に覚えがなかった。ホテルのオーナーで、保護観察中の樹原の面倒を見ていた安藤紀夫こそ今回の調査の依頼者だと考えていた南郷は、危機を乗り切るため安藤に協力を依頼する。警察の追跡をかわし、埋もれた寺の仏像内から、真の凶器と通帳を発見した純一は、真犯人が安藤であったことを知る。安藤は保護観察を受けていた過去について宇津木に脅迫され、多額の金を宇津木の口座に振り込んでおり、その証拠を隠滅するために通帳を奪い隠していたのだった。純一より先に真相に気付き、純一の向かった寺から離れた場所に安藤を誘導した南郷であったが、安藤に襲われた南郷は正当防衛とは言え安藤を殺害してしまう。そして、純一は寺で別の男に襲われていた。佐村光男である。彼は息子を殺された怒りから、湯飲みに付いた純一の指紋を利用して偽の証拠を捏造し、純一を宇津木夫婦殺害の犯人に仕立て、処刑台へ送り込もうと計画していたのだ。今回の冤罪調査も、安藤ではなく佐村光男が純一を陥れるために杉浦弁護士に依頼したものだったのだ。そして、佐村光男は計画を変更し、真相をつかもうとしている純一をその場で猟銃で射殺しようとしたが、猟銃の発射した散弾が寺の柱を破壊し寺が崩壊したことで純一は危機を脱出した。
 死亡した安藤が真犯人であったことが明らかになったことで、樹原の死刑執行は直前で回避され再審が認められた。佐村光男は猟銃で純一を襲ったことについて殺人未遂罪で逮捕されたが、純一を処刑台に送り込もうとしたことについては罪に問われなかった。そして、殺人罪で逮捕され、無罪を勝ち取るため周囲の人々が尽力していた南郷の元に、純一から手紙が届く。そこには衝撃的な事実が記されていた。高校時代の家出中に純一は佐村恭介に出会っており、その時、恋人の木下友里を強姦された復讐のため、最初から佐村恭介を殺害するつもりで彼に近づいたこと、彼に対する贖罪の気持ちが全くないことが記されていたのだ。それから1年後、樹原は無罪を言い渡された。

『虚像の道化師』(東野圭吾/文藝春秋)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2012年版(2011年作品)ランク外作品。人気のガリレオシリーズ第7弾だが、実はこのシリーズ、第3弾の『容疑者Xの献身』が1位になった以外は、一度も「このミス」のベスト10に顔を出しておらず、20位以内で探してみても第5弾の『聖女の救済』が「このミス」2009年版で18位に入ったのみである。「このミス」は、ここ最近は70人前後の投票者によってランキングが決められているが、2012年度版では73人の投票者のうち2つの大学サークルが4番目と5番目に本書に投票したのみ(1人につき6番目まで投票)。結果、順位は50位くらいといったところ。Amazonの書評も結構厳しめ。読んでみるとそこまでひどくはないのだが、確かにマンネリ化を感じるし、あまり物語に奥行きがなく、連続TVドラマシリーズの脚本っぽい(実際にTVドラマ第2シリーズで映像化されている)。
 単行本と2015年に刊行された文庫版では構成が変わっており、元々単行本に収録されていた「幻惑す(まどわす)」「心聴る(きこえる)」「偽装う(よそおう)」「演技る(えんじる)」の4編に、第8弾『禁断の魔術』に収録されていた「透視す(みとおす)」「曲球る(まがる)」「念波る(おくる)」の3編を加えた7編が文庫版に収録されている。第8弾『禁断の魔術』の残る1編「猛射つ(うつ)」は、長編作品に改稿され、文庫版オリジナルの『禁断の魔術』として刊行されているので後日読む予定。

 第1章『幻惑す』は、新興宗教もの。教祖が念を送ると、送られた者の体が温かく感じるのを、湯川がマイクロ波によるものと見破る話で、もろにTVドラマの脚本という感じ。
 第2章『透視す』は、草薙が湯川を銀座のクラブに連れて行き、レイカというホステスの透視能力に湯川が驚かされるところから物語が始まる。レイカは会社で不正経理を働いていた男の鞄を透視したことで、その男に殺害されてしまう。透視能力の種明かしは、袋に入れてあった赤外線カメラという芸のないものなのだが、レイカと継母との確執の真相が明らかになるラストは好み。
 第3章『心聴る』では、脳内音声装置というものを用いて、上司を自殺に追い込み、同僚の活躍を妨害し、想いを寄せる女子社員にサブリミナル効果で自分を好きにさせようとする男の犯罪を描いているのだが、致命的なのはこの物語のメインアイテムとも言うべき脳内音声装置が実用化されていない架空のものだということ。それは、どんな不思議な事象も現代の科学で解明できるという、このシリーズの根幹に関わる大問題なのでは?
 第4章『曲球る』では、戦力外を宣告された上に、車上荒らしに妻を殺害されたプロ野球の投手・柳沢が、スポーツ誌に載っていた湯川の記事がきっかけとなり、湯川に投球の分析をしてもらうことになる。その中で、生前浮気を疑われていた柳沢の妻が、実は夫に台湾で野球をさせてやろうと奔走していたことが明らかになるという物語。心温まる話と言えばそうなのだが、結局、プロ野球の変化球の話に加え、消火液が車の塗装を傷めるというネタと、台湾では置き時計を贈り物にすることはタブーであるというネタを、とりあえず詰め込んだだけのやっつけ仕事的なところが今一つ。
 第5章『念波る』は、双子の姉妹がテレパシーで通じ合っているという導入で、妹が胸騒ぎがすると訴えると実際に姉が何者かに襲われ病院に運ばれていたという展開が待っているのだが、実際には、妹は姉の夫が姉に殺意があることを最初から知っていたという身も蓋もない話。
 第6章『偽装う』は、湯川と草薙が友人の結婚式に参列するために山奥のホテルに向かう所から物語が始まる。そこで大雨により土砂崩れが発生し、参列者が帰れなくなるというありがちなパターンに入っていくのだが、実はそこは本筋とは全く関係がない。事件はホテル近くの別荘で発生する。湯川達がホテルに向かう途中にタイヤがパンクしてタイヤ交換をしている時に傘を貸してくれた女性・桂木多英の両親がその別荘で殺害されているのを多英が発見したのだ。父親は猟銃で撃たれ、母親は扼殺されていた。母親の首には父親の血が付いており、猟銃が外に投げ捨ててあったことから、犯人は、まず父親を射殺後、母親を殺害して逃走したと考えられた。しかし、草薙が現場で撮った写真を見て湯川は現場の偽装に気付く。ロッキングチェアに座ったまま銃で撃たれた場合、反動で前に投げ出されるはずなのに遺体が座ったままだったのは、反作用を生むような状態で撃たれたから、つまり自分で自分を撃った自殺だったからだと判断したのだ。真相は、養子縁組をしていない義理の父の遺産を手に入れるため、母親が先に死んだことが明らかになると困る多英が、その順番が逆に思われるように母親の首に父親の血を付けるという偽装したというものだった。ここまでは、平凡な展開だが、最後に「傘を借りた御礼」と称して、「父の血の付いた猟銃は暴発が怖くて庭に捨てた、その血の付いた手で母の首に触ってしまったと警察に言えば問題ない」と多英にアドバイスをして、偽装の罪を消し去ろうとする湯川の行動は、ちょっとイイ話かもしれない。
 第7章「演技る(えんじる)」は、劇団の主宰者・駒井の胸に元恋人の敦子がナイフを突き立てるシーンから始まる。平凡なアリバイトリックで読者を拍子抜けさせておいて、実は真犯人は駒井の現在の恋人・聡美だったという大どんでん返しの趣向。それはそれなりにインパクトがあったが、敦子は聡美をかばったわけではなく、劇団員として犯人の気持ちを味わいたかっただけで、自分が疑われても最後には聡美が逮捕されるだろうと割り切っていた単なる役者馬鹿だったというオチ。これが本書の『虚像の道化師』というタイトルの由来になっているのだが、感動と言うより唖然呆然という感じ。この話に湯川を絡めるために、湯川が劇団のファンクラブの会員だったという設定も何か無理を感じるし、やたらと出てくる花火のトリックの話も、別にここにはなくてもいいのではと思える。
 結局、どの話もぱっとせず、第2章ぐらいしか印象に残らなかった。文庫版オリジナルの『禁断の魔術』に期待したい。(「このミス」の最新版に再ノミネートされるのだろうか?)

『虚ろな十字架』(東野圭吾/光文社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2015年版(2014年作品)19位作品。2作続けての東野圭吾作品 となったが、気が付けば東野圭吾作品はもう20作目。一時期凝って大量に読んだ江戸川乱歩作品を別にすれば、綾辻行人作品の23作に続く多さである(あとは京極夏彦作品18作、伊坂幸太郎作品11作、大沢在昌作品11作、北村薫作品11作、米澤穂信作品10作、宮部みゆき作品9作という感じで続く)。本書の内容はというと、つい先日読了したばかりの『13階段』同様に死刑制度の是非をテーマにした作品である。

 主人公の中原道正は、11年前に小学校2年生だった娘を強盗に殺害される。中原夫婦の願いが叶い、犯人の蛭川和男は死刑となったが、この事件が原因で妻の小夜子と離婚。現在は、以前勤めていた広告代理店を退職し、伯父の経営していたペットの葬儀屋を引き継いでいた。そんな道正の元に、当時の担当刑事だった佐山から、フリーライターとなっていた小夜子までが強盗に殺害されたという話が飛び込んでくる。小夜子を殺害したのは町村作造という無職の老人で、娘の花恵の夫である医師の仁科史也に生活を支えてもらいながら、金目的で小夜子を襲い、自首してきたというのが事件の概要だった。納得のいかなかった正道は、真相を知るために調査を始める。そして、小夜子が万引き依存症の井口沙織という女性を取材していたこと、小夜子の遺品の中にあった「こども医療相談室」の案内状の担当医師が仁科史也だったこと、井口沙織と仁科史也が同郷であったことを知る。そして正道がつかんだ事件の真相は、次のようなものであった。
 高校1年生だった史也と中学3年生だった沙織が交際中に、沙織が妊娠。家族に知られないよう自宅の風呂場で出産した沙織は、史也とともに生まれたばかりの赤ん坊を殺害し青木ヶ原樹海に埋めるという罪を犯す。沙織がこの経験こそ万引き依存症の原因となっていることを小夜子に告白したことで、小夜子は、史也にも自首を勧めるべく行動に移す。それを知った作造は、娘の幸せを守るため、小夜子を殺害したのであった。結局、史也と沙織は自首するが、警察は赤ん坊の遺骨は発見できず、不起訴処分になる可能性が高まる。小夜子の両親は作造の死刑を願っていたが、義理の息子の犯罪を隠すためになったとなれば死刑どころか無期懲役もなくなりそうである。その義理の息子の犯罪が証明できない状態で、作造の裁判が進められることに、道正は「矛盾だらけだ」とつぶやくのであった。

 作中にも登場する「死刑判決が出ても全く反省の色がない者がいる」、「死刑囚が死刑になっても死んだ者は帰らない」、「冤罪の可能性がゼロではない」…といった主張は決して死刑反対の理由にはならないと思う。殺人犯に全く反省の色がなくても、犯人が生きていること自体許せない遺族は多いだろう。死んだ者が帰ってこないからといって、それが殺人の罪を許す理由にはなり得ないことは明らかである。冤罪の可能性についても、それをなくすために慎重な裁判が存在するのであって、その前提がなければ全ての犯罪自体裁けない。実際の殺人事件のほとんどは犯行が明らかであるのに、それらまで全て冤罪の可能性を考慮して刑が甘くなるのでは遺族はたまったものではない。そういう意味で、離婚後も死刑推進派として精力的に活動していた小夜子に共感を覚えた読者は多いはずだ。ところが、物語が進むにつれ小夜子の描かれ方が変化してくる。明らかになることによってどんな犠牲が生まれようが殺人は絶対に明らかになるべきであり、基本的に殺人者は死刑になるべきであるという小夜子の主張に対し、何の反省も示さない牢獄の死刑囚とは違い捕まりはしなかったものの苦しみながら誠実に贖罪に努め続けている史也を見逃してほしいと涙ながらに訴える史也の妻・花恵の主張の方が、読者には受け入れやすいのではないか。著者もそのように読者を誘導しているふしがある。確かに殺した人数によって死刑になるかどうかが決まる現在のルールはおかしいと思うが、いかなる理由があっても殺人は即死刑というのは大問題であろう。今回の史也と沙織のような未成年の特殊な犯罪を、小夜子の論理と比較し、小夜子を悪者風に描くのはちょっとフェアではない感じがする。あとは、ずっと屑人間として描かれていた作造が、娘とその夫のために突然殺人を犯すという展開があまりにも受け入れがたい。また、捜査には素人の一般人の道正がたどり着いた真相に、優秀なはずの日本の警察が全く近づいてもいない点もマイナス。死刑制度についてそれなりに考えさせられるもので決して悪い作品ではないが★★★には届かない。ランキング前後の作品はほとんど未読だが19位は妥当なところだと思う。

『イニシエーション・ラブ』(乾くるみ/文藝春秋)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2005年版(2004年作品)12位作品。文庫版裏表紙によれば「最後から二行目(絶対に先に読まないで!)で、本書は全く違った物語に変貌する」との記載があり、叙述トリック作品であることがうかがえる。よし、それでは万全の注意を払いながら読もうと気合いを入れたが、読み始めてみると、たっくんと繭子という若い男女2人を巡る、いまだかつて読んだことのない拍子抜けするくらい超ベタな恋愛小説的内容に半分呆れてしまう。しかも、2004年発表の作品にもかかわらず、舞台はなぜか1986〜1987年。前半のside-Aでは大学4年生のたっくんが、後半のside-Bでは社会人1年生のたっくんが描かれている。「繭子に別の男の影?」「あれ、そんなこと前に書いてあったっけ?」「主人公ってこんな性格だったっけ?」などと、所々に違和感を覚えつつも、それほど気にもせず読み進み、やっと最後の2行目にたどり着くと、確かに読者は大きな衝撃に見舞われることになる。

 前半のside-Aでは、今一つさえない静岡大学4年生の鈴木夕樹が、友人の望月に誘われドタキャンしたメンバーの代打として4対4の合コンに参加する。そこで夕樹は、歯科衛生士の成岡繭子に惹かれるが、彼女も彼を気に入り、経験の浅そうな2人の初々しい交際がスタート。繭子は、夕樹の夕と言う文字から彼を「たっくん」と呼ぶことし、たっくんは彼女のアドバイスに従って眼鏡をコンタクトに変え、自動車免許も取得する。合コンのメンバーでテニスに行った日、初めて繭子を相手に女性経験をしたたっくんは、クリスマスイブに静岡ターミナルホテルを予約し、彼女と人生最高の幸福な時を過ごす。
 後半のside-Bでは、静岡大学を卒業し、社会人1年生となったたっくんの奮闘が描かれる。繭子のためにあえて内定の決まっていた大手メーカーを蹴って地元企業への就職を選んだものの、彼の優秀さ故に東京勤務となってしまったたっくんは、毎週繭子のアパートを訪れるよう努力するが、才色兼備の同輩、石丸美弥子に迫られ、美弥子に繭子という恋人の存在を伝えるものの、結局関係を持ってしまう。繭子の妊娠・堕胎をきっかけに繭子との関係が気まずくなっていたたっくんは、繭子の部屋のベッドの上で繭子を美弥子と呼んでしまったことが決定打となり、繭子を捨て美弥子に乗り換えることを決意する。ある日、美弥子の実家を訪問することになったたっくんは、美弥子の部屋で何となく繭子に思いをはせていた。その姿を見た美弥子は「……何考えてるの、辰也?」と訝しげに声を掛けるのであった。

 ラストシーンで、読者は「辰也って誰!?」「夕樹はどうなったの!?」と茫然自失するという仕掛け。要するにこの物語は、繭子が、鈴木夕樹と鈴木辰也という2人の男性と並行して付き合っていた、つまり二股をかけていたという物語なわけである。舞台をあえて1980年代に持ってきたのも、その時代のカセットテープを思わせるside-A、side-Bと言う言葉で物語全体を区切り、そういう構成になっていることを暗示させるためだったようだ。タイトルの「イニシエーション・ラブ」については、作品中で美弥子が辰也に語っているシーンがあるが、「大人になるための通過儀礼的な恋愛」を指す。そのシーンでは、辰也にとっての繭子との恋愛がそうだという説明であったが、結局、繭子にとっても辰也との恋愛が「イニシエーション・ラブ」だったというオチなのである。本書については、その時系列表をはじめとして、ほぼ完璧な分析を披露している「ゴンザの園」という有名なブログがあるので、様々な仕掛けを全て理解されたい方は、そちらを参考にしていただければベストかと思う。
 さて、私個人の評価だが、確かに全編にわたって巧妙に仕掛けられた仕掛け・伏線は素晴らしく、ラストシーンで読者に前代未聞の衝撃を与えるという作戦は見事に成功していることは間違いないものの、それだけで高い評価をしてしまっていいものかという思いがある。その最後の仕掛けのためだけに存在する物語というのはどうなのか。確かに、甘く切ない恋愛ストーリーもそれなりに楽しめる人もいるのだろうが、あまりにベタすぎて、このストーリーに感情移入できるのは中高生までではないかと思える。正直「陳腐」という言葉しか思いつかない。こういう本の楽しみ方もあるのだという可能性を示してくれた作品ではあるが、心に残るのが最後のトリックだけというのはあまりに寂しくないか。文学作品として、作者はもう少し読ませるものにできたのではないかと思えてならない(ちなみに作者は男性である)。

『第三の時効』(横山秀夫/集英社)【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2004年版(2003年作品)4位作品。F県警強行犯シリーズ第1弾。尾関刑事部長、田畑捜査第一課課長の指揮の下、捜査第一課強行犯の3つの班がしのぎを削り事件を追う。青鬼と呼ばれる理詰め型の捜査一係班長・朽木、公安上がりの謀略型の捜査二係班長・楠見、動物的カンを持つ天才型の捜査三係班長・村瀬。個性的という言葉では片付けられない、恐れすら感じる3人の班長達の存在感は圧倒的。ライバル2人が競い合う構図はあっても、3人のリーダーが張り合うというパターンの警察小説は過去に見たことがない。そして、一見冷徹に手柄を争っているだけのように見えて、彼らが部下や被害者や先輩に対して垣間見せる人情味は実に魅力的。引き込まれて、短編6編をあっという間に読了。★★★確定の傑作。

 第1話「沈黙のアリバイ」では、強盗殺人を犯し自供までした犯人の湯本が、裁判で一転して、主犯で逃走中の大熊の愛人の所にいたというアリバイを主張。不適切な取り調べをした上に犯人の策にまんまと乗ってしまった一係の島津は辞表を出すが、班長の朽木は、湯本が、大熊とその愛人を殺害しているという真相にたどり着く。大熊の愛人が死んでいるからこそ、永久に肯定も否定もされない完璧なアリバイが成立していたのだが、死体の遺棄した場所まで朽木に言い当てられた湯本は、目を血走らせて震えるしかなかった。
 こんなに頭の回る殺人犯がいるのか、そんなに頭の良い殺人犯がなぜこんなに最後に動揺して犯行を認めるようなことをしてしまうのか、なぜ朽木は僅かな情報で大熊の死体がある場所まで思いついたのか、といった疑問がないわけではないが、いきなり読ませてくれる。
 第2話「第三の時効」は、本間ゆき絵を暴行し、その夫を刺殺した武内の時効が迫っている場面から物語が始まる。武内は逃走中にゆき絵に連絡を取ろうとしていた。武内は逃走中の一時期、海外に出国しており、その時期が時効までの日数にカウントされないことを武内が知らなければ、つまり第二の時効の存在を知らずに連絡をしてくれば、第一の時効が訪れた直後に連絡をしてきた武内を逆探知で逮捕できるのではないかと警察は考えていた。しかし、武内は知っていた。武内は第二の時効が完成した後に連絡をしてきたが、二係の班長・楠見の仕掛けた「第三の時効」という荒技が見事に決まる。逮捕されてもいないホシを起訴して、時効を6日間延ばしたのだ。無線で武内が逮捕される様子をゆき絵の前で中継する楠見に不快感を抱く捜査員達。そこで意外なことが起こる。ゆき絵が夫殺しを自供したのだ。武内はゆき絵をかばっていただけだった。楠見はすべてを見通しており、起訴したホシというのもゆき絵であった。
 第二の時効はよくある話だが、第三の時効はさすがに強引な技。しかも、そこからさらにもう一つ仕掛けが用意されているところがお見事。ただ、一係の森が結婚を考えている子持ちの女性を調査した楠見が淫売呼ばわりしたのに森が激高し、それでも結婚の意思は揺るがず、ゆき絵の娘まで一緒に暮らそうと考えているというオチのエピソードは少々痛い。他の人間ならいざ知らず、優秀な楠見の調査は信用できそうで、その時点でこの結婚が相当危険なことが感じられるのに、そこに森とも相手の女性ともまったく無関係な女子中学生も自分の家族にしてしまおうと楽観的に考えている森には非常に共感しづらい。作者は「ちょっといい話」を狙ったのだろうが、本書をすべて読むと楠見の魅力が読者に伝わってしまうので、ここはちょっと失敗ではないのか。
 第3話「囚人のジレンマ」では、「主婦殺し」「証券マン焼殺事件」「調理師殺し」という3つの殺人事件を同時に抱え、記者との駆け引きに苦悩する田畑課長の姿が描かれる。田畑は癖のある3人の班長の扱いに頭を痛めていたが、退官間際の三係の刑事・伴内に最後の手柄を立てさせたくて一係が尽力し、記者の真木を自分との媒介役として貴重な情報が三係にそれとなく伝わるようにし、それを三係が神妙に受け止めたことを知り、捜査一課の砂漠には水も緑もあったことに気付く。第2話ではちょっと滑ってしまった「ちょっといい話」が今回は上手い具合に決まっている。
 第4話「密室の抜け穴」では、入院した村瀬の代わりに班長代理を務める東出の失態を描く。殺人死体遺棄事件の容疑者・早野が暴力団関係者であったことから、尾関部長からの命令でやむなく暴対課と共に早野のマンションに夜から張り込んでいた東出であったが、予定通りに翌朝部屋に踏み込むと東出は消えていた。そして、早野は昔の女のアパートに現れ姿を消したという情報が。一体誰が早野を見逃したのか。幹部捜査会議は限りなく「裁判」に近いものとなっていた。突然姿を現した村瀬は、時間はたっぷりあると言い、ミスがないならマンションの全戸捜索を命じろと東出に怒号を飛ばす。東出が命令を出そうとした瞬間、暴対の氏家が携帯を握りしめ早野の新たな目撃情報を叫ぶが、それこそが抜け穴作りであった。東出は村瀬の真意に気が付いた。氏家は早野とグルでマンション内の別の部屋に早野をかくまい、偽の目撃情報を流していたのだ。東出ら三係は見事に早野を逮捕する。
 東出は、村瀬が単に自分をスペア扱いしているのではないかという疑念を持っていたが、決してそういうわけではないことに気付き、毛嫌いしていた同期のライバル・石上とも最後は軽口を叩いて別れる。これもなかなか良くできた「ちょっといい話」なのである。
 第5話「ペルソナの微笑」では、特定郵便局長殺人事件を解決し、打ち上げの最中の一係のもとに、隣県で発生した青酸カリによる殺人事件の報告が入る。F県警では、管内で13年前に少年を利用した青酸カリによる殺人事件が発生し未解決になっていたため、その手の事件には敏感であった。犯人にそそのかされた少年・阿部勇樹が、何も知らずに父親を殺してしまったのだ。朽木の指示で主任の田中と若手の矢代が隣県にタクシーを走らせる。殺害されたのはホームレスで身元は不明であったが、現場で目撃された犯人の顔は、13年前にF県内で起こった青酸カリ殺人事件当時に描かれた似顔絵そっくりであった。果たしてこれは13年越しの連続殺人なのか。朽木が勇樹の元に通い続けていることを知った矢代は、朽木が勇樹に何らかの疑いを持っていることに気が付く。真相は、13年前に勇樹の母親を毒殺しようとした男から青酸カリを受け取った勇樹は憎んでいた父親を殺害、そして13年後、その男がホームレスになっていたことを知って、勇樹は13年前に自分が適当に書かせた似顔絵と同じ変装をして、母を殺そうとした復讐のためホームレスを殺害したというものだった。
 矢代と勇樹のあまりに軽い会話に違和感を覚えるが、矢代の思い過去と、軽い会話から一転して勇樹を怒鳴る矢代の急変に引き込まれた読者も多いはず。テレビドラマの脚本風だが、良くできた話だと思う。
 最終話「モノクロームの反転」では、5歳の男の子を含む一家3人刺殺事件を担当する3係に、さらに1係を応援に出す田畑。尾関はそれが気に入らないが、田畑は1プラス1が3にも4にもなる方に賭けると言い張る。実際には情報も交換せず、我が道を進み続ける2つの捜査陣。三係は、殺害された妻の方が、小学生時代の同級生の男達から多額の借金をしていたことを突き止め、黒い車に乗る中学教師の久米島を疑うが、向かいの家の男性によって目撃された犯人のものらしき車は白であった。一係の朽木は、実験を重ねて男性が覗いた穴と光の反射の加減で白く見えた犯人の車が黒色であったことを明らかにし、それを三係の村瀬に伝える。ネタを流した理由として葬式で子どもの棺を見たからだろうと村瀬は朽木を追及するが、朽木が答えることはなかった。
 犯人を追及する材料としてチューリップのネタも利用しているが、別にそれはなくても良いのではと思える。確かに光の加減のネタだけでは弱いのだが。どちらにしてもミステリーとしては微妙なのだが、それでもこの物語がそれなりに輝いているのは、朽木の人情味がにじみ出た話だからであろう。

2015年月読了作品の感想

『桑潟幸一のスタイリッシュな生活』(奥泉光/文藝春秋)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2012年版(2011年作品)17位作品。6月末からの3泊4日の出張のお供に、全面改訂で文庫化されたばかりの東野圭吾の『禁断の魔術』と一緒に持って行ったのだが、移動中に読もうにも酔い止め薬が効き過ぎて睡魔になかなか勝てず、結局この1冊しか読了できなかった。筆者は1994年に『石の来歴』で芥川賞を受賞し、2012年から芥川賞の選考委員もされている奥泉光氏。作品として知っているのは「このミス」2011年版5位作品『シューマンの指』のみだが、今一つ好印象はなかった記憶がある。過去の自分のコメントを読み直すと、「あまりにアンフェアなミステリーだが、文学性の高さから一応オススメする」という感じであった。

 さて、本書はタイトルからも表紙のイラストからも芥川賞作家の作品とはとても思えないライトさであるが、中身を読み出すとそれ以上にライトなことに驚かされる。これでもかというダメっぷりを発揮する主人公の三流大学准教授・クワコーこと桑潟幸一、彼を使える手駒として潰れかかった短大から引き抜いた、権力好きで怪しい経歴の持ち主・鯨谷光司教授、そして、クワコーが顧問をすることになった文芸部の個性溢れる部員学生達が織りなすハチャメチャな物語である。テレビドラマ向きだなと思っていたら、すでに2012年に全8話でドラマ化されていた(奥泉作品唯一の映像化作品でキャラ設定は本作以上にぶっとんでいる)。文章を読む限り、クワコーは中年太りの冴えない男なのだが、表紙のイラストは単行本も文庫本もなぜかイケメン。で、テレビドラマの主演も佐藤隆太になったようだ。

 文章の特徴として、笑いのポイントが太字になっているところが面白い。また、学生が使いまくる若者言葉もインパクト絶大で、これもなかなか面白かった。あと、著者の文体で唯一気になった点が1つ。『シューマンの指』にもあったのかどうか記憶がないが、「桑幸が遠慮がちに意見をいったのへ坊屋はまた軽く応じた」(p79) の「〜のへ」という表現に強烈な違和感を覚えた。最初「〜ので」の誤植かと思ったが、本来は「〜ことに対し」「〜のに対し」あたりを用いるのが適当だろう。本作中には、この箇所の前後に同様の表記が7カ所ほどあった。雑誌ならいざ知らず、普通の単行本の文章に違和感を覚えることは今までほとんどなかったのだが(20年以上愛読している車雑誌「ベス○カー」の誤字脱字の多さは以前有名だったが)、今回はさすがに引っかかった。

 本作には、「呪われた研究室」「盗まれた手紙」「森娘の秘密」の3編が収められている。
 「呪われた研究室」では、鯨谷の誘いで、潰れる直前の関西圏随一の低偏差値を誇る麗華女子短期大学・通称レータンから、元女子短大で男女共学の4年制になったばかりの千葉県のたらちね国際大学へ転職できたことを喜んでいたクワコー が、与えられた研究室で昔首つりがあり、毎年4月に「出る」という話を聞かされる。しかも、泥舟から助け船に乗り移ったはずが、その助け船も経営の苦しい泥舟であることが発覚、さらには文芸部顧問を押しつけられ、研究室は、バスの車掌のような変なファッションに身を包んだ部長・木村都与に率いられたおかしな学生達がたむろする部室と化してしまう。そしてある夜、研究室の通風口から笑い声が聞こえ、4階にある研究室の窓を叩く音にびびったクワコーは悲鳴を上げて逃げ出した。その後、ホームレス女子大生で2年生部員のジンジンこと神野仁美は、事務室の園村課長をはじめとする覗きグループが、樹木の 成長の関係で4月限定で女風呂を見ることのできるクワコーの研究室を夜間に独占するため、研究室の主に対し毎年悪戯をしていたという真相を突き止める。

 「盗まれた手紙」では、クワコーがセキュリティ−会社のタムコの総務部次長の柿崎から、故・春狂亭猫介が書いた、ある重要な手紙の保管を依頼されたにも関わらず、それを盗まれてしまう。数年前に「日本近代文学者総覧」が編纂されることになった時、クワコーは自分の専門である太宰治を担当したがったが、所詮三流准教授にそのような大きな仕事が割り振られるはずもなく、マイナーな文学者を多数担当させられたうちの1人が、春狂亭猫介であった。猫介は実はタムコの会長であ った人物であり、柿崎はライバルの佐藤を蹴落とし2代目猫介を襲名するために、クワコーが持っているはずの、柿崎を後継者とする文言が書かれた手紙を50万円で買い取ると申し出てきたの であった。たらちね国際大学での初月給が驚愕のわずか11万円で困窮していたクワコーは即引き受ける。部員の協力で研究室内から何とか手紙を発見したクワコーは、ホームレス生活をしているジンジンにその手紙を預けるのだが、それを何者かによって盗まれてしまう。最初は敵の佐藤陣営ではないかと疑ったが、またしてもジンジンが一気に事件を解決する。真犯人は、柿崎自身であり、自分が捏造した手紙を詳細に鑑定されないように写真だけを撮って現物は処分してしまおうと考えたのだった。しかし、 そのことに事前に気が付いたジンジンは、すでに手紙の入った封筒の中身をすり替えていた。柿崎に暗殺されることを恐れたクワコーは、ジンジンから手元に戻ってきた偽の手紙を柿崎に郵送するが、事情を知らない柿崎は、クワコーを名探偵と褒め称え、この件は胸にしまっておいてくれと5万円を振り込んでくる。そして、50万円は逃したものの、その5万円に大喜びするクワコーなのであった。

 「森娘の秘密」では、鯨谷のライバルの馬沢を蹴落とすために、馬沢が森という女子学生にセクハラをしているという噂があるからその証拠写真を撮ってこいと鯨谷に命令され、従うしかないクワコーの姿を描く。森という女子学生のことを知ろうと、それとなく部員に聞くと、なんと彼女達は本人をクワコーの前に呼んできた。アンドレ森と呼ばれる彼女はプロレスが趣味の巨大な女性で、明らかに馬沢のセクハラ相手ではなかった。結局、噂の森という女子学生は「森」という名前の人物ではなく、「森ガール」と呼ばれる「森にいそうな女の子」をテーマとするファッションの女の子であることが判明する。いつまでたっても証拠写真が撮れないクワコーに下った鯨谷の次の指令は、営業用に業者から50万円で購入した地元の高校生の名簿をPCに入力することであった。ところが、この名簿が金庫から消え、鯨谷はクワコーに弁償を迫る。馬沢、または森ガールが犯人ではないかと疑われたが、そこで名探偵のジンジンが登場し、またしてもあっさりと事件を解明してしまう。真犯人は鯨谷で、彼は偽の 古い名簿をつかまされたことに気が付き、教授会で責任を追及される前に、クワコーに管理不行き届きの罪を押しつけて古い名簿の存在を抹消しようとしたのであった。ちなみに森ガールの正体は馬沢の娘であり、馬沢の娘がいない時に見られた女性の正体は馬沢の女装した姿だったというオチ。名簿はジンジンが鯨谷のロッカー内から発見し回収しており、「家に持って帰っていました」と言って鯨谷の所へ持って行けばいいというアドバイスまでクワコーに与えてくれたジンジンであったが、しっかりと探偵料1万円を請求。貧乏なクワコーはローン での支払いを提案するのであった。

 疲れている時にさらっと読み流す分には、それなりに楽しめる作品だが、真面目な読者には、あまりに情けない主人公と、あまりにも頭の悪そうな今時の学生達の言動に対しストレスがたまるかもしれない。ミステリとしても第1話のトリックは全くたいしたことななく、第2話と第3話にいたっては、大事な文書が盗まれ、その犯人は保管の依頼主だったという全く同じパターンの話というのは、さすがにいただけない。しかし、「続編があったら読んでみたい 」(実は『モーダルな事象』 というクワコーが登場する作品が先に存在し、さらに正当な続編『黄色い水着の謎−桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活〈2〉』が2012年9月に発売されており、2015年4月に文庫化もされている)、「ドラマの再放送があったら見てみたい」という願望が 不思議とわいてくることも確か。評価が分かれるのは間違いない作品であろうが、個人的には、今、奥さんに強くオススメしようとしている自分がいることを認めざるを得ない。 (奥さんの読後評はクワコーが「ダメ男」すぎて萌えないとのこと…)

『禁断の魔術』(東野圭吾/文藝春秋)【ネタバレ注意】★★★

 先日読了した『虚像の道化師』のところでも記載したように、2012年10月に刊行された4つの短編を収録した単行本『禁断の魔術』から、『虚像の道化師』の文庫化にあたって「透視す(みとおす)」「曲球る(まがる)」「念波る(おくる)」の3編を『虚像の道化師』文庫版に移動させ、残った「猛射つ(うつ)」を長編作品に改稿して、これのみで文庫版オリジナル『禁断の魔術』として成立させたのが本書である。この6月に刊行されたばかりなので当然最新の「このミス」のランキングには登場しておらず、そもそも全面改稿して再登場した作品が次年度のランキングのノミネート対象になるのかどうかも不明。元が短編なだけにプロットは至ってシンプルである。

 湯川の母校の後輩にあたる古芝伸吾は、自分の所属する高校の物理研究部が存亡の危機に際していた時に、湯川の指導によって新入生を驚かす実験を成功させ、その危機を脱したことがあった。その古芝は湯川を慕って帝都大に進学するが、育ての親だった姉の秋穂が病死したことで大学を中退して町工場に就職する。しかし、彼のこの行動には大きな理由があった。秋穂の死因は卵管破裂によるショック死であり、倒れた彼女を救急車も呼ばずにホテルに置き去りにして死に至らしめた、彼女の不倫相手の代議士・大賀への復讐が、古芝の真の目的だったのである。古芝は、高校時代に湯川と共に作ったレールガンを夜の町工場の工作機械を使って改良を重ね、日に日に精度を高めていた。大賀の不正疑惑を追っていたフリーラーターの長岡が絞殺され、姿を消していた古芝の関与が疑われたが、犯人は大賀が地元で進めていたスーパー・テクノポリス・プロジェクトの反対派組織内で、大賀側のスパイとして反対派の動きの情報を流していた勝田という男であった。古芝は警察の目を欺き、大賀殺害にあと一歩のところまで迫るが、湯川にレールガンのコントロールを奪われる。湯川は、どうしても大賀を殺したいのであれば、自分が古芝を指導した責任を取ってトリガーを引くと宣言するが、過去に海外で地雷製造に携わっていた古芝の父が、贖罪として帰国後に地雷撤去のための機械の研究に打ち込んでいたことを湯川から聞かされた古芝は、実行を断念する…という物語である。

 このようにシンプルな話ではあるが、「シリーズ最高のガリレオ」と筆者自身が自負するだけのことはあり、面白いのは間違いない。ただ、そのキャッチコピーを帯で見てしまうと過剰な期待が生まれて少々肩すかしを食らうのも事実。「科学は使い方を誤ると人を不幸にする『禁断の魔術』となる」というのが、この物語のテーマの1つであるが、そもそもレールガン自体、想定される一番の用途は軍事兵器であり、そんな危険なものを高校での新入生勧誘の見世物として湯川が用意するというところから、いかにもこの物語のために作られた無理のある話ではある。せっかく盛り込んだフリーライター殺害のエピソードも、古芝がからんでいそうな雰囲気が最初からあまり強く出ていないため緊張感をうまく醸し出せていない。大賀の描き方についても、終盤で、ただの悪役ではなく、秋穂を惹きつけた人間的魅力の持ち主として上手く描いてくれてはいるが、どうせなら秋穂を死なせてしまったことに対する改悛の情をもう少し見せてくれれば良かったのにと思う。リアルな政治家らしさを追及しすぎて物語的に損している感じがする。重箱の隅をつつくような突っ込みばかりしているが、ガリレオファンにお勧めな1冊であることは保証する。

ゴースト≠ノイズ(リダクション)(十市社/東京創元社)【ネタバレ注意】★

 「このミス」2015年版(2014年作品)15位作品。筆者名は「とおちのやしろ」と読むらしい。本作がデビュー作で、作品名は「ゴーストノットイコールノイズ」と読むのだろうか、よく分からない。

 主人公は一居士架(いちこじかける)という高校一年生。架は入学してからずっと教室の一番後ろの席から座席が替わることはなく、クラスでは「幽霊」扱いされている。ヒロインの玖波高町(くばたかまち)が架の前の席に座るようになってから、彼の生活が少しずつ変わっていくという物語である。1ページ目からいきなり叙述トリックの匂いがプンプンするが、@主人公は生存していて自覚がある(イジメを受けはぶられている)、A主人公は生存しているが自分を幽霊だと思いこんでいる、B主人公は幽霊で自覚がある、C主人公は幽霊だが生きていると思い込んでいる、という4パターンのうちのいずれなのかがはっきりしない。著者は、あらゆる可能性を臭わせながら、のらりくらりと読者を揺さぶってくる。例えば、クラスメイトの徹底した無視ぶりと、架の自覚ぶりからして、明らかにBのように思わせておきながら、「(架が)授業を抜けだしたことは仲のいい三人から(高町の)耳に入る可能性はある」(p78)といった記述で、@やCのような可能性もちらつかせるのだが、その揺さぶり方があまりに大雑把で惹きつけられない。ヒゲを蝶結びされた2匹のネズミの死体、尻尾を蝶結びにされた2匹のトカゲの死体に続き、骨を砕かれた前脚を結ばれた状態の猫の死体が高校の敷地内で発見されるというミステリ的事件も挿入されるが、たいしたインパクトはない。で、前半のクライマックスとも言える7章末で、架は、自宅が火災に遭い、両親が死亡し自分だけ助かって入院中であり、学校にいる自分は「生き霊」であることを高町から認識させられる。結局@〜Cの可能性はすべて否定され、「そうきたか」とは思ったが特に感心もしない。

 そして、後半、連続動物虐待事件の犯人の高町の先輩・末田仁が学校祭当日に自殺したことをきっかけに、高町が末田同様に施設出身であること、施設から玖波家に引き取られた高町と、難病を抱え死亡してしまう高町の妹・夏帆とは血がつながっていないこと、高町が養父から性的虐待を受けている可能性があることなどが次々と明らかになる。架は、何とか高町を養家から救い出そうとするが、高町は、自分を弄びつつ夏帆の死を望んでいた養父母 (実子より養子を大切にするという設定は新鮮ではあった)を殺害し、自宅に火を放って自分も死ぬ道を選ぶ。と読者に見せかけておいて、実は養父母は外出していて無事であり、高町は架に助け出されていたというオチ。つまり、架は幽霊でも生き霊でもなく、最初から実体を持った普通の人間だったのだ (「手のひらの向こうに高町の顔が透けて見えた」(p132)とまで書いておいてアンフェアにもほどがある)。高町は、自分を幽霊だと思い込んでいた架を、まずは生き霊だと思わせ、段階を追って実体を持った人間だと自覚させようとしていたということか。以前、高町が架に見せた一居士家の火事の新聞記事は偽物であり、裏が白紙であることを、その時の高町は隠そうとしていた、というフォローがここで入るのだが、そんなものは両面に記事のある切り抜きである必要はなく、片面しかないコピーであっても全然問題ないではないか 、と思わず心の中で突っ込んだ。放火事件後、突然、一斉に架に話しかけ始めるクラスメイト達の様子のなんと不自然なことか。末田の起こした連続動物虐待事件はこの物語に必要だったのか (そのような内容の事件を起こした理由には一応納得できたが)。本書を叙述トリックというなら、先日読了した『イニシエーション・ラブ』の方がはるかにまし。とにかく作りが「雑」な印象が強い作品である。 読了後に、amazonのレビューの高評価コメントに続き、「今年読んだ100冊の中で一番面白かった本は ゴーストノイズリダクションでした」というブログの見出しを見つけて絶句。あとの99冊って何を読んだのだろう…。