『第三の時効』(横山秀夫/集英社)【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2004年版(2003年作品)4位作品。F県警強行犯シリーズ第1弾。尾関刑事部長、田畑捜査第一課課長の指揮の下、捜査第一課強行犯の3つの班がしのぎを削り事件を追う。青鬼と呼ばれる理詰め型の捜査一係班長・朽木、公安上がりの謀略型の捜査二係班長・楠見、動物的カンを持つ天才型の捜査三係班長・村瀬。個性的という言葉では片付けられない、恐れすら感じる3人の班長達の存在感は圧倒的。ライバル2人が競い合う構図はあっても、3人のリーダーが張り合うというパターンの警察小説は過去に見たことがない。そして、一見冷徹に手柄を争っているだけのように見えて、彼らが部下や被害者や先輩に対して垣間見せる人情味は実に魅力的。引き込まれて、短編6編をあっという間に読了。★★★確定の傑作。

 第1話「沈黙のアリバイ」では、強盗殺人を犯し自供までした犯人の湯本が、裁判で一転して、主犯で逃走中の大熊の愛人の所にいたというアリバイを主張。不適切な取り調べをした上に犯人の策にまんまと乗ってしまった一係の島津は辞表を出すが、班長の朽木は、湯本が、大熊とその愛人を殺害しているという真相にたどり着く。大熊の愛人が死んでいるからこそ、永久に肯定も否定もされない完璧なアリバイが成立していたのだが、死体の遺棄した場所まで朽木に言い当てられた湯本は、目を血走らせて震えるしかなかった。

 こんなに頭の回る殺人犯がいるのか、そんなに頭の良い殺人犯がなぜこんなに最後に動揺して犯行を認めるようなことをしてしまうのか、なぜ朽木は僅かな情報で大熊の死体がある場所まで思いついたのか、といった疑問がないわけではないが、いきなり読ませてくれる。

 第2話「第三の時効」は、本間ゆき絵を暴行し、その夫を刺殺した武内の時効が迫っている場面から物語が始まる。武内は逃走中にゆき絵に連絡を取ろうとしていた。武内は逃走中の一時期、海外に出国しており、その時期が時効までの日数にカウントされないことを武内が知らなければ、つまり第二の時効の存在を知らずに連絡をしてくれば、第一の時効が訪れた直後に連絡をしてきた武内を逆探知で逮捕できるのではないかと警察は考えていた。しかし、武内は知っていた。武内は第二の時効が完成した後に連絡をしてきたが、二係の班長・楠見の仕掛けた「第三の時効」という荒技が見事に決まる。逮捕されてもいないホシを起訴して、時効を6日間延ばしたのだ。無線で武内が逮捕される様子をゆき絵の前で中継する楠見に不快感を抱く捜査員達。そこで意外なことが起こる。ゆき絵が夫殺しを自供したのだ。武内はゆき絵をかばっていただけだった。楠見はすべてを見通しており、起訴したホシというのもゆき絵であった。

 第二の時効はよくある話だが、第三の時効はさすがに強引な技。しかも、そこからさらにもう一つ仕掛けが用意されているところがお見事。ただ、一係の森が結婚を考えている子持ちの女性を調査した楠見が淫売呼ばわりしたのに森が激高し、それでも結婚の意思は揺るがず、ゆき絵の娘まで一緒に暮らそうと考えているというオチのエピソードは少々痛い。他の人間ならいざ知らず、優秀な楠見の調査は信用できそうで、その時点でこの結婚が相当危険なことが感じられるのに、そこに森とも相手の女性ともまったく無関係な女子中学生も自分の家族にしてしまおうと楽観的に考えている森には非常に共感しづらい。作者は「ちょっといい話」を狙ったのだろうが、本書をすべて読むと楠見の魅力が読者に伝わってしまうので、ここはちょっと失敗ではないのか。

 第3話「囚人のジレンマ」では、「主婦殺し」「証券マン焼殺事件」「調理師殺し」という3つの殺人事件を同時に抱え、記者との駆け引きに苦悩する田畑課長の姿が描かれる。田畑は癖のある3人の班長の扱いに頭を痛めていたが、退官間際の三係の刑事・伴内に最後の手柄を立てさせたくて一係が尽力し、記者の真木を自分との媒介役として貴重な情報が三係にそれとなく伝わるようにし、それを三係が神妙に受け止めたことを知り、捜査一課の砂漠には水も緑もあったことに気付く。

 第2話ではちょっと滑ってしまった「ちょっといい話」が今回は上手い具合に決まっている。

 第4話「密室の抜け穴」では、入院した村瀬の代わりに班長代理を務める東出の失態を描く。殺人死体遺棄事件の容疑者・早野が暴力団関係者であったことから、尾関部長からの命令でやむなく暴対課と共に早野のマンションに夜から張り込んでいた東出であったが、予定通りに翌朝部屋に踏み込むと東出は消えていた。そして、早野は昔の女のアパートに現れ姿を消したという情報が。一体誰が早野を見逃したのか。幹部捜査会議は限りなく「裁判」に近いものとなっていた。突然姿を現した村瀬は、時間はたっぷりあると言い、ミスがないならマンションの全戸捜索を命じろと東出に怒号を飛ばす。東出が命令を出そうとした瞬間、暴対の氏家が携帯を握りしめ早野の新たな目撃情報を叫ぶが、それこそが抜け穴作りであった。東出は村瀬の真意に気が付いた。氏家は早野とグルでマンション内の別の部屋に早野をかくまい、偽の目撃情報を流していたのだ。東出ら三係は見事に早野を逮捕する。東出は、村瀬が単に自分をスペア扱いしているのではないかという疑念を持っていたが、決してそういうわけではないことに気付き、毛嫌いしていた同期のライバル・石上とも最後は軽口を叩いて別れる。

 これもなかなか良くできた「ちょっといい話」なのである。

 第5話「ペルソナの微笑」では、特定郵便局長殺人事件を解決し、打ち上げの最中の一係のもとに、隣県で発生した青酸カリによる殺人事件の報告が入る。F県警では、管内で13年前に少年を利用した青酸カリによる殺人事件が発生し未解決になっていたため、その手の事件には敏感であった。犯人にそそのかされた少年・阿部勇樹が、何も知らずに父親を殺してしまったのだ。朽木の指示で主任の田中と若手の矢代が隣県にタクシーを走らせる。殺害されたのはホームレスで身元は不明であったが、現場で目撃された犯人の顔は、13年前にF県内で起こった青酸カリ殺人事件当時に描かれた似顔絵そっくりであった。果たしてこれは13年越しの連続殺人なのか。朽木が勇樹の元に通い続けていることを知った矢代は、朽木が勇樹に何らかの疑いを持っていることに気が付く。真相は、13年前に勇樹の母親を毒殺しようとした男から青酸カリを受け取った勇樹は憎んでいた父親を殺害、そして13年後、その男がホームレスになっていたことを知って、勇樹は13年前に自分が適当に書かせた似顔絵と同じ変装をして、母を殺そうとした復讐のためホームレスを殺害したというものだった。

 矢代と勇樹のあまりに軽い会話に違和感を覚えるが、矢代の思い過去と、軽い会話から一転して勇樹を怒鳴る矢代の急変に引き込まれた読者も多いはず。テレビドラマの脚本風だが、良くできた話だと思う。

 最終話「モノクロームの反転」では、5歳の男の子を含む一家3人刺殺事件を担当する3係に、さらに1係を応援に出す田畑。尾関はそれが気に入らないが、田畑は1プラス1が3にも4にもなる方に賭けると言い張る。実際には情報も交換せず、我が道を進み続ける2つの捜査陣。三係は、殺害された妻の方が、小学生時代の同級生の男達から多額の借金をしていたことを突き止め、黒い車に乗る中学教師の久米島を疑うが、向かいの家の男性によって目撃された犯人のものらしき車は白であった。一係の朽木は、実験を重ねて男性が覗いた穴と光の反射の加減で白く見えた犯人の車が黒色であったことを明らかにし、それを三係の村瀬に伝える。ネタを流した理由として葬式で子どもの棺を見たからだろうと村瀬は朽木を追及するが、朽木が答えることはなかった。

 犯人を追及する材料としてチューリップのネタも利用しているが、別にそれはなくても良いのではと思える。確かに光の加減のネタだけでは弱いのだが。どちらにしてもミステリーとしては微妙なのだが、それでもこの物語がそれなりに輝いているのは、朽木の人情味がにじみ出た話だからであろう。