現代ステリー小説の読後評2017

※タイトル横に【ネタバレ注意】の表記がある作品はその旨ご注意を
(10pt太字があらすじで12pt通常文字がコメントです)

2017年月読了作品の感想

『ジェリーフィッシュは凍らない』(市川憂人/東京創元社)【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2017年版(2016年作品)10位作品。年末年始の楽しみは、ランキングが発表されたばかりの「このミス」最新版の上位作品が読めること。ベスト10作品のほぼすべてを運良く年末に確保できたので、とりあえず10位作品から読書スタート。「21世紀の『そして誰もいなくなった』登場!第26回鮎川哲也受賞作」という帯のキャッチコピーにも期待が高まる。

  第1章…舞台はパラレルな現代。具体的には1972年にフィリップ・ファイファー教授らの研究グループにより窒化炭素という特殊な素材が開発されたことによって「真空気嚢」が生み出され、気嚢式浮遊艇が可燃性ガスの危険性から解き放たれて、さらには大胆な小型化に成功した世界である。教授達が立ち上げたベンチャー企業を吸収したU国(アメリカをイメージしたと思われる国で、そのライバル国としてロシアをイメージしたらしきR国、 作品に登場する九条漣刑事の母国として日本をイメージしたらしきJ国が登場)のUFAという企業によって、その気嚢式浮遊艇は1976年に「ジェリーフィッシュ(海月・くらげ)」という商品名で実用化され、J国では全く普及していないものの、U国内ではすでに100機前後が販売されていた。
 1983年2月7日、UFAの技術開発部部長となったフィリップ・ファイファー、副部長のネヴィル・クロフォード、研究員のクリストファー・ブライアン、ウィリアム・チャップマン、リンダ・ハミルトン、派遣社員のエドワード・マクドゥエルの6名を載せた次世代型のジェリーフィッシュは、極秘の長距離飛行試験の2日目を迎えていた。フィリップは肩書きのみの存在で現在は酒浸りになっており、技術開発部の実権はネヴィルが握っている。計器のチェックと主要部品の目視確認くらいしか仕事のないウィリアムは、陽気なクリストファーにからかわれながら、自分をないがしろにしているようなネヴィルの態度に不満を感じている。リンダは、仕事熱心ではなく、ネヴィルの命令にもふて腐れたような態度をとっている。エドワードは、臨時開発要員として配属された若者だが溌剌さを欠いており、フィリップの世話を押しつけられたことを不満に思ってか、ことあるごとにウィリアムに冷たい視線を送っている。エドワードの主な任務は、新型に新たに搭載されることになっている自動航行システムの構築であった。そして試験飛行最終日となるはずだった翌朝、ウィリアムは苦悶の表情を浮かべたフィリップの遺体を発見する。

 第2章…2月11日、地上では、A州F署刑事課所属の九条が上司のマリア・ソールズベリーを電話で叩き起こして、H山系の中腹にジェリーフィッシュが墜落し乗員6名の死亡が確認されたこと、遺体の中に明らかに他殺体がある旨を伝えて、一緒に現場へ向かう。ところが マリア達が空軍のジェリーフィッシュで現場に到着すると、現場検証もろくに行わないまま、空軍のジェリーフィッシュは墜落したジェリーフィッシュの残骸を回収し、九条とマリア、検死官、鑑識官数名、そして大型ヘリと6つの遺体を残して去ってしまう。マリアの呑み仲間である検死官のボブ・ジェラルドは、乗員の遺体を調べて墜落死ではないと断言する。状況は明らかに墜落ではなくせいぜい不時着で、乗員はその後に殺し合いをしたのだとマリアは言い放つ。

  第3章…2月8日、フィリップの遺体を囲む5人の残された乗員達。ネヴィルは持病の狭心症の発作だろうと言うが、エドワードはその発言に疑問を投げかける。フィリップが喉をかきむしっていることから毒殺の疑いがあるのではと提起したのである。しかし、ネヴィルはその意見を一蹴し、航行試験続行を命じる。現在の周囲に何もない荒野の停泊地で警察を呼んでも、終着地点で警察を呼んでも変わりはないというのだ。さらには航行試験の件が外部に漏れたらただでは済まないとも…。そこにいる全員は、何者かに命を狙われているかもしれないという可能性があることを自覚しており、黙って各自の持ち場へ戻るのであった。彼らはスポンサーとの関わりが公になること、それ以上に「彼女の一件」が暴露されることを恐れていたのである。そして犯人像を想像する暇もなく、ジェリーフィッシュが予定のコースをはずれ、自動航行システムも解除を受け付けないまま、山肌に向かっていくことに艦内はパニックになる。

 プロローグで、何者かがレベッカという女性の敵討ちを計画していることが語られる。このジェリーフィッシュにはレベッカを死に追いやった犯人と復讐者が同乗しているらしいことが明らかになるわけである。そして新型ジェリーフィッシュ試験飛行最終日に第1の殺人が発覚。第2章で物語は一気に4日後に飛び、残った5人の乗員も全て死亡したことが明らかに。インタールードで過去の出来事が語られ、時系列をずらした3つの物語が並行して語られる手法はよく見かけるが、これによってミステリ作品らしく効果的に話を盛り上げている。

 第4章…2月12日、再び九条に電話で叩き起こされたマリアは、九条と共に関係者への聞き込みを行う。UFA社の第三製造部部長のケネス・ノーヴァックは、技術開発部は全くの別会社であると言って彼らの研究の詳細は知らされていないという。
 真空気嚢製造課主任のカーティス・プリッドモアは、彼らが持ち込んだ素体(気嚢の素材)は色合いがまちまちだったが、最後の素体だけは通常品と同じ色でトラブルもなく真空気嚢の完成にこぎ着けたという。
 第三製造部品質管理課のジュリア・ハワードは、下請けから納入された部品を技術開発部に一度引き取ってもらい、加工されたものを後でまた戻してもらって組み立てており、最後の試験機の外回りにはゴムみたいな暗い灰色っぽい変な素材が外側に貼られていたと証言する。
 そして、無人となった技術開発部の建屋に入ったマリアと九条は、失敗の連続だったことを思わせる日誌を発見するが、そこにはRという6名のメンバー以外のイニシャルが記されており、「死ぬ前に訊き出すべきだった」という不穏な言葉が記されていた。ネヴィルがRの持っていた知識への渇望を日を追うごとに募らせていることがうかがえる日誌の次に発見したのは、写真立ての裏に隠されたメンバーと一緒に写ったRの写真であった。
 さらに自動航行システムの作成に使われたと思われるコンピュータの中身が消去されていることが明らかになった直後、技術開発部への侵入者が現れる。2人が取り押さえた人物は、ジェリーフィッシュの墜落現場で、ジェリーフィッシュを奪っていった空軍の指揮官であった。

 第5章…2月8日、墜落をまぬがれたジェリーフィッシュは、何者かにプログラムされたかのように絶壁に囲まれ雪に覆われた窪地に着陸した。強風に飛ばされないように期待をワイヤーで固定した乗員は疑心暗鬼に陥っていた。毒を恐れて艦内に設置されているタンクの水を飲まずに唯一ワインを飲んだネヴィルが死亡し、リンダは大いに取り乱す。「これはあの娘の、レベッカの」という叫びをウィリアムが怒鳴って黙らせる。ウィリアムの心配は見事に裏切られ、聞かれたくなかったエドワードにその名を聞かれてしまう。「レベッカとは、誰ですか」…エドワードだけが彼女のことを知らなかったのだ。

 プロローグに登場したレベッカを表すと思われる人物が、第4章でRというイニシャルのみで登場。彼女は少女でありながら真空気嚢の研究において重要な役割を果たしていたこと、そしてこれまでの話の流れから、彼女の死には研究員全員が責任があるらしいことが明らかになる。本章のラストで空軍の関与もはっきりして物語はさらに盛り上がる。
 第5章では、ジェリーフィッシュ内で2人目の犠牲者が出る場面が描かれ、この仕事に後から加わったエドワードのみがレベッカのことを知らないことが明らかになる。しかし、この2つの章の間にインタールードUとして隠された主人公とレベッカの出逢いについて語られる章があるのだが、この隠された主人公、つまり真犯人である復讐者の正体がエドワードである可能性も捨てきれない。レベッカのことを知らないふりをしているだけで、後からこの仕事に加わったことが逆に怪しいとも考えられる。また、主人公が男であると断言できる表現も見当たらないことから、リンダの可能性も残されている。真犯人は、この時点で生き残っている4名全てに可能性があるわけだ。もちろん、かの名作『そして誰もいなくなった』をモチーフとしているだけに、すでに死亡している2人のうちのどちらかが真犯人で、事前に仕掛けたトラップによって生き残った者達を全滅させようとしている可能性もゼロではない。インタールードUのラストに登場したサイモン・アトウッドは、この後どのように話に絡んでくるのだろうか。

 第6章…マリアと九条が取り押さえた人物、第12空軍少佐のジョン・ニッセンは、敵国の工作員が技術開発部に侵入したものと考えてこの建屋に踏み込んだのだと2人に謝罪する。彼は運輸安全委員会との主導権争いを有利に進めるため警察への協力を約束するが、彼はフィリップ達と連絡が途絶えたのは実際に航行試験に出発した6日前ではなく、航行試験の直前の3日前だと言って話がかみ合わない。マリアはそこを追及せずにジョンから情報を引き出し続けるが、その手際に九条は舌を巻く。フィリップ達が死亡したのは不時着後であると考えていること、敵国の動きが全くなく工作員の仕業とは考えにくいこと、新型ジェリーフィッシュの新しい機能がステルス機能であることを語ったジョンは、今度はマリアに警察の持つ情報を要求する。マリアが外部犯の犯行ではなく乗員の中に犯人がいるのではないかという考えを伝えると、驚いたジョンは遺留品の写真を2人に提示する。それは実験ノートの表紙とページの1つのコピーであり、その表紙にレベッカ・フォーダムという名前を見つけたマリアは驚愕の表情を浮かべる。

 これでRの正体がレベッカであり、彼女がジェリーフィッシュの開発に大きな貢献をしていた人物でありながら、何らかの事件・事故によって死亡しており、残された技術開発部の研究者達が彼女の死の真相を隠しつつ彼女の研究成果に頼っていたことはほぼ確定となる。特にどんでん返しもなく最初から臭わせていた通りなので少々物足りない展開だが、この後、きっとさらなる驚愕の事実が明らかになるのだろう。
 第6章の後のインタールードVで、サイモン・アトウッドがレベッカの高校時代の先輩であること、彼女がアルバイト先の模型店に顔を出すことが少なくなったのは研究が忙しくなったからであることが明らかになる。彼女ほど話題が豊富でない主人公は自分を海月のようだといって卑下するが、彼女はそんな彼を、「海月はたとえ凍ってしまっても、温かくなればまた生き返るんだって」と励ます。タイトルの「ジェリーフィッシュは凍らない」の意味がここでやっと垣間見えることになる。

 第7章…レベッカとは誰なのか追及するエドワードに「黙れ!」と怒鳴りつけるクリストファー。ウィリアムが割って入って皆は沈黙するが、エドワードは犯人が自分たち4人の中にいない場合の方が問題だとして船内の確認を提案する。異常は見つからず動揺が収まらないメンバーに対し、エドワードは「レベッカという人を殺したんですね」と詰め寄る。ウィリアムとリンダのリアクションは明らかに肯定を表していたが、そこへ席を外していたクリストファーが散弾銃を持って現れる。彼は乗員を皆殺しにするつもりだった。

 第8章…マリアと九条とジョンの3人は、今回の事件はレベッカから真空気嚢の発明を奪い彼女を殺した者達への復讐劇ではないかということに気が付く。しかし、ステルス性のある真空気嚢を開発できないまま航行試験を強行したのはなぜかという謎が解けない。そして、レベッカが13年前に大学の実験室で操作を誤って死亡していることが判明するが、その状況は明らかに他殺らしいのに事故扱いで処理されていたことに憤慨するマリア。復讐であるならば、墜落現場の遺体のうち少なくとも1体は復讐を終えて自殺した者のはずであるが、全員他殺という検死結果にマリアは愕然とする。7人目がいたのか、もしいたならどこから来て、どこへ消えたのか。

 第9章…散弾銃を持ったクリストファーに同時に立ち向かったエドワードとウィリアムは、彼から散弾銃を奪うことに成功。それでもナイフで襲いかかってこようとしたクリストファーをウィリアムは射殺してしまう。ウィリアムは、自分たちとレベッカの関係についてエドワードに告白するが、エドワードはその言葉に多くの嘘が混じっていることを感じていた。

 第10章…マリアは、「殺人者は6名の中にいる」、「殺人者は6名の中にいない(工作員または復讐者)」という3つの仮説を立てるがいずれの説にも疑問点があった。ジェリーフィッシュは2隻あって、殺人犯がもう1隻で追跡し乗員殺害後にそれを使って逃亡したのではというマリアのアイディアも九条とジョンによって様々な問題点を突きつけられて一蹴されてしまう。しかし、次にマリアが言い出したフィリップ達の夜逃げ=亡命説にはジョンは同意を示す。そこへ、フィリップの別荘が全焼したというニュースが飛び込んでくる。

 第11章…ウィリアムは殺人者のクリストファーが死亡したことで安心して眠っていたが、ドアを叩く音で目を覚ます。そしてリンダの刺殺体を発見し、当然のように彼女を殺したのはエドワードであると考えた彼は、彼の名を呼びながら食堂で座っていた人影の肩を掴むと、その身体はバラバラになって崩れ落ちた。絶叫して銃を乱射する彼であったが、弾を込めている最中に何者かに撲殺されてしまうのであった。

 第12章…フィリップの別荘では何かを埋めたような跡が発見されたが、そこから遺体は発見されなかった。そこへ、フィリップの自宅から脅迫状と盗聴器が発見されたという知らせが入る。そして、検死の結果を検討するマリア達。身元がはっきり判明していなかったフィリップとネヴィル以外の、4つの遺体は、刺殺された女がリンダ、射殺された男がクリストファー、撲殺された男はウィリアム、そして首と手足をバラバラにされたのはサイモンという結果はマリアの予想通りであった。そこへジョンがまた不可思議な新情報を持ち込む。フィリップ達はステルス型ジェリーフィッシュの開発に成功していたことは間違いなく、しかし、墜落したジェリーフィッシュにはその技術が採用されていなかったと言うのだ。その1時間後、マリアはついに真相に迫る結論を導き出す。

 衝撃のクライマックス。謎は多々あるものの、様々なことがあまりにも予想通りに進むため拍子抜けしていたら、最後の最後で爆弾が投下される。バラバラ死体になってしまったと思われていたエドワードであったが、その遺体はサイモンのものであり、マリア達警察も最初からそのように予想していたというのだ。航行試験の予定表にも技術開発部の黒板にもサイモンの名前があり、写真立ての写真にもサイモンが写っていたのであり、最初からマリア達はエドワードの存在など知らなかったのだ。このどんでん返しはお見事としか言いようがない。

 エピローグ…レベッカの墓参りに現れたエドワードに任意同行を求めるマリア。エドワードという名は偽名であったが、彼はたった1つの正しい質問にしか答えないと宣言する。そしてマリアの発した「あんた、誰?」という質問は正解で、彼は「10数年前、ショッピングモールの模型店でアルバイトをしていた少女と、その店に通っていた10歳の子供。ただそれだけの、赤の他人同士です」と素直に答える。技術開発部のメンバーの中で脅迫に怯え亡命計画から降りようとしていたサイモンは、ネヴィルによって殺害されフィリップの別荘近くに埋められたのをエドワードが掘り起こし、バラバラにしてクーラーボックスに詰め、ジェリーフィッシュに持ち込んだのだった。ジェリーフィッシュはマリアが考えていたように2隻存在し、1隻が亡命組のネヴィル、クリストファー、サイモンの乗るステルスタイプの新型で、比較用のフィリップの私物であった通常タイプには、生け贄組のフィリップ、リンダ、ウィリアム、エドワードが搭乗する予定であった。結局、搭乗を拒否したサイモンの代わりに新型にはリンダが引き抜かれ、2隻は目立たないように100km離れて飛行していたのだ。エドワードはH山系に入る前にフィリップを殺害し、合流地点に設定していた窪地で残った4名を次々に殺害していったのだった。全ての真相が明らかになった時、自動航行システムをプラグラムされた新型ジェリーフィッシュが出現し、縄ばしごにつかまってエドワードは大慌てのマリア達の前から去っていった。

 エドワードの本名が最後まで謎のままなことや(確かにこれは設定する必要はないが)、あまりにもエドワードの計画通りに上手く進みすぎているのは気にならないではないが、一応全ての読者の疑問に対してのフォローはされている。モチーフとなっている名作『そして誰もいなくなった』では、真犯人も被害者に紛れて死亡しているため、今回も当然そこはなぞってくると予想していたが見事にはぐらかされた。エドワードが生きていたのは良いとして、それでも結局逮捕はされてしまうのかと思いきや、アニメや漫画の主人公のように颯爽と空に消えていくというエンディングも、出来すぎのようにも思えるが、個人的にはこれも見事な結末だと思う。昨年の9月以来、久々の★★★を付けたい。10位作品でこのレベルなのだから、未読の1〜8位作品は、本当に楽しみだ。

 

『おやすみ人面瘡』(白井智之/角川書店)【ネタバレ注意】★

 「このミス」2017年版(2016年作品)8位作品。昨年度の「このミス」において、本書の著者の『東京結合人間』が16位にランキングされたほか、「本格ミステリベストテン」にもランクイン、さらに日本推理作家協会賞候補作になるなど話題となったが、読んでみたらとんでもない「ぶっとび系」でがっかりした記憶があるので正直読むのは不安だった。しかし、昨年度よりは大幅にランクが上昇し、帯のキャッチコピーが「綾辻行人&道尾秀介両氏がいま最も注目する鬼才が放つ、衝撃作。狂気の本格推理に度肝を抜かれろ。」と来たら、やはり期待してしまうだろう。さっそく読み始めた話のあらすじは以下の通り…。

 全身に人面瘡が現れる人瘤病という奇病が蔓延した世界。感染者は死亡こそしないものの、その9割は悪性で知能が退化してしまい、残りの良性の1割も、その醜さや他人の咳き込む音に反応して暴走してしまうという症状によってまともな社会生活が送れなくなり自殺する者が多かった。症状が安定してしまえば感染はしないが、人面瘡を切除するとさらに増加してしまうという恐ろしい病気であった。誰にも忌み嫌われる病気であったが、仙台では「こぶとり姉さん」という人瘤病に感染した女性が働く風俗店が繁盛していた。そこに通称イモコと呼ばれる人瘤病の女性をいたぶることが趣味の女性客が現れ、ロウソクを使ったプレイで店を全焼させてしまい、イモコは逃亡、相手をしていたスズという人瘤病の女性は焼死してしまう。経営者のポッポは1年間の営業停止を決め、従業員だったカブと後輩のジンタは、1年後、再び勤務することになる。カブには悪性の人瘤病に感染した妹のナオがおり、カブは彼女を施設に預けていたが、一時スズを一緒に預けていた時、間違ってナオを店に連れてこようとしたジンタを暴行した過去があった。

 周囲からサリーと呼ばれていた海晴市立第一中学校1年のサラは、生徒から暴行を働かれたことをきっかけに退職したミカン先生の代わりに赴任してきた、歯が浮くようなセリフを平気で話すハヤシ先生に不信感を抱く。不登校を続けていて妊娠の疑いを掛けられているクラスメイトのツムギの様子を見てきてほしいとハヤシ先生に頼まれたサラは、会いに行ったツムギに4ヵ月だと告げられる。ハヤシ先生の前で完全否定の報告をできなかったため、ハヤシ先生はツムギの妊娠をクラスに報告し彼女を学校に連れてこようと呼びかけ、クラスは大いに盛り上がる。その後、学校に遅刻して教室に入ったサラは、教壇で椅子に縛り付けられているツムギの姿を見て驚愕する。風邪をこじらせていたという嘘をついていたツムギに罰を与えないといけないと宣言したハヤシ先生は、生徒達に彼女の腹を殴るよう命じる。次々にツムギの腹を殴る生徒達。臆病者のミサオは逃げだし、サラと仲の良いウシオはサラと協力してツムギを逃がそうとする。乱暴者のクニオがハヤシ先生にまたがって首を絞めるが、生活指導のダルマ先生に見つかり、クニオ、ウシオ、ミサオ、ツムギ、サラの5人は武道場で暴行を受ける。なんとか反撃してダルマ先生を気絶させ、職員室に助けを求めに行こうとしたサラは、ツムギは妊娠していないとみんなに告げる。人瘤病を発症したツムギは子宮内に人面瘡ができてお腹がふくらんでいたのだ。結局ダルマ先生のみが処分を受け、海晴市の実力者の甥っ子であったハヤシ先生はおとがめなしであった。そして病院に収容されていたツムギは失踪してしまう。

 17年前にマッドサイエンティストのバイオテロによって人瘤病が爆発的に広がった海晴市にパルコという人瘤病の女性を買い付けに行くことになったカブとジンタ。ジンタの兄で警官をしているキンタの紹介で、パルコに会ったカブ達は騙されたことを知る。パルコは繰り返し人面瘡の切除を行ったせいで異常な数の人面瘡が身体を覆い、4mもの化け物になっていたのであった。パルコの伯父と契約書を交わした後だったためやむなくパルコを引き取ったカブは、ジンタの入れ替わりに気が付く。その人物こそジンタの双子の兄のキンタで、警官姿のキンタは別人だったのだ。入れ替わりが行われたと思われる駐在所で、ロッカーに閉じ込められていたジンタを救出したカブは、パルコを積んだドライバンで仙台を目指した。

 サラは、人瘤病の感染爆発で多数の死者が出た時に作られた海晴市の瘤塚の管理人のメメタロウが、管理棟の地下室でツムギを匿っていることを知る。ウシオ、クニオ、ミサオにそのことを伝え、みんなで見舞いに行くことにするが、クニオとミサオと共に瘤塚を訪れたサラは、ツムギは風邪気味で会えないとメメタロウに断られてしまう。しかし、サラはメメタロウも咳に怯える人瘤病感染者であることに気が付き、クニオとミサオのみがツムギのいる地下室へ行くことで問題は解決する。青年会の人達がツムギを仙台へ売ろうとしているのではと考えた彼らは、ツムギを守るために警戒にあたるが、そこでサラはミカン先生を気絶させて団地の空き部屋へ連れて行こうとするハヤシ先生の姿を目撃する。これでハヤシ先生を刑務所へ送れると考えたサラであったが、パルコと思われる人瘤病感染者の暴走に出くわし、さらにハヤシ先生に見つかって彼に見下されたサラは警察への通報を諦める。そして、翌日、再び瘤塚を訪れたサラ達は、メメタロウとツムギの遺体を発見する。

 仙台では、パルコが誰かの咳に反応して暴走し、街中で大火災を引き起こしていた。ドライバンで現場から脱出したカブは、ドライバンのコンテナにパルコを暴走させるために仕掛けられたと思われる咳の音を流すテープと、ジンタの死体を発見する。

 深夜に校庭に集まったサラ、ウシオ、クニオ、ミサオの4人は、ミカン先生の知り合いだと称するカブが現れる。彼はこの4人の中に犯人がいると宣言し、様々な根拠を並べウシオが犯人だと断定する。ウシオが否定して彼の肩を叩くと、転倒して頭を打ったカブはあっけなく死亡してしまう。しかし、カブの脳瘤が続けてしゃべり出す。カブも感染者だったのだ。カブとは別人格の彼の脳瘤は、また様々な根拠を並べてクニオこそが犯人であると断定する。身に覚えがなく、動機なんて知らねえという脳瘤に激怒するクニオ。すると今度は別の脳瘤がカブの右腕を操って、最初の脳瘤の口にワイヤーを突っ込んで黙らせる。そしてその脳瘤は、ミサオこそが犯人であると断定する。

 その頃、カブはポッポに紹介された探偵のユシマのもとを訪れていた。ジンタが後頭部を殴られた後、麻紐で首を絞められ首もとには鋭利な突起で刺した傷があったが、そこまで執拗にジンタが傷つけられた理由がカブには分からない。しかし、ユシマはジンタを殺した犯人は分かっていると即答する。ユシマは、ジンタが早い段階で双子の兄に殺されており、ロッカーに閉じ込められていたのは兄が化けた偽のジンタが先回りしていただけの同一人物であり、カブはそれを本物を救出したと思い込んでいただけだというのだ。

 サラ達の所に現れた駐在員のカネダことジンタの兄・キンタは、倒れている人物をカブとは別人だと言って彼女達を驚かす。サラ達がカブだと思っていた人物はユシマであった。4日前に1日で戻ると言って事務所を出て行ったユシマが帰ってこないことを不審に思ったカブは、再び海晴市へ向かう。駐在所から現れたジンタとそっくりの双子の兄と思われる人物のあとをつけていくと、彼はカサネ団地の405号室に入っていく。部屋から出てきたジンタの兄をバットで殴り倒したカブは、ユシマが監禁されていると思った室内に中学生4人が監禁されていることに驚く。直後、その彼を襲ったのは、ポッポことハヤシ先生だった。ポッポはウシオを撲殺し、次にサラを殺そうとした瞬間、仙台で暴走後に焼死したはずのパルコが現れる。ポッポはその怪物に下半身を潰され、さらに暴れようとするパルコを鎮めたのは、玄関口に現れた車椅子の青年・ジンタであった。ジンタは好意を寄せていたパルコを助けるべく計画を練っていたのだ。

 ジンタの入院している病院で、ジンタの計画の一部について思いついたことを語るカブ。風俗店で焼死したのはイモコであり、ジンタはスズを逃がしていたのだ。そして、ジンタはパルコを積んだ車をすり替えることでパルコの仙台行きを阻止し、スズに人面瘡の切除手術を繰り返すことにより、彼女の人面瘡を増殖させパルコの偽者を作ることに成功したのだった。しかし、ジンタはスズの暴走に巻き込まれ死亡。しかし、脳瘤が首を絞めて止血し、首元に錐で気管までの穴を空けることで呼吸を復活させ生き延びたのだ。

 そしてメメタロウは死んではいなかった。ツムギとメメタロウの死亡時間が割り出されれば、パルコが脱走した時間が正確になってしまい、ハヤシ先生や青年会に先代に売られたはずのパルコが残っていることがばれてしまうが、別の死体を用意してメメタロウと交換して、ツムギの死亡時刻までをずらそうと、ジンタのために兄のカネダは考えた。サラ達は代わりの死体が届く前の生きたメメタロウの死んだふりをした姿を見たのだ。サラ達がメメタロウの潰れた顔だと思っていたものは、感染によって肥大した陰嚢を、メメタロウ自らが潰したものだったのだ。ツムギ殺しについては、お前らで勝手に決めてくれと言ってカブは去っていく。

 雑木林の中の掘っ立て小屋の中で「ツムギを殺したのはあなたでしょ」とサラが女に向かって呟き、「やっぱり見ていたのね」と女は答える。サラは、あらゆる証拠を並べて抵抗する相手を屈服させる。「犯人はサリー、あなたですよね」と宣言したのは、サリーの舌にできた人面瘡のサラであった。しかし、サリーは「おやすみ、サラ」と言ってサラの眼球にピンを突き刺す。

 ラストシーンでカブは、カネダから衝撃的な事実を知らされる。スズをDNA鑑定した結果、カブとの血縁関係が明らかになったというのだ。容姿のよく似た妹のナオとスズが施設内で入れ替わってしまっていたことに気付いたカブは、ショックで道路上で固まってしまい、今まさにタンクローリーに撥ねられようとしていた。

 やられた。前作に負けず劣らずの「ぶっとび系」であった。人瘤病という奇想天外な設定はともかく、教師が妊娠した生徒の腹をクラス全員で殴るよう指示し、生徒達がそれに従うシーンで、これはもう駄目だと確信。なんとか耐えながら最後まで読破したが、終盤のカブの偽者が次々といい加減な推理をぶちまけ始めるあたりからのグダグダ感はハンパない。とにかく無理矢理、投げやりな部分が目立ちすぎる。ラストシーンの死亡時刻トリックの解説や、サラとサリーが別人格であることが公表されるあたりでは、もう正確に事情を理解するのも億劫になっていた。
 これが「このミス」8位とは嘆かわしい限り。amazonの書評はどうなっているのだろうと覗いてみると、他のランキング作品とは異なり、なんと1月4日現在のレビューがゼロ。一般読者には完全に見限られているのではなかろうか。

 

『罪の声』(塩田武士/講談社)【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2017年版(2016年作品)7位作品。1984〜1985年に発生したグリコ森永事件をモチーフにした作品で、このように実際に起こった事件を下敷きにした作品は色々あるが、主人公が父親の遺品の中から自分の子供の頃の声で録音された恐喝テープを発見し、父の犯罪への関与を疑うという展開からは、むしろ父親の書斎の押し入れから自分の母親と思われる女性の幼い頃からの連続殺人の告白が綴られていた日記を発見したことから物語が始まる沼田まほかる『ユリゴコロ』(「このミス」2012年版5位作品)を想起させられた。
 実際に起こった事件を下敷きにした作品としては、同じグリコ森永事件を扱った村薫『レディ・ジョーカー』(「このミス」1999年版1位作品)、東電OL殺人事件を扱った桐野夏生『グロテスク』(「このミス」2004年5位作品)のほか、3億円事件を扱ったものが特に多いのではなかろうか。

  第1章…父・曽根光雄の後を継いで京都でテーラーを営む主人公の曽根俊也は、ある日父の遺品の中から謎のカセットテープと黒革のノートを発見する。カセットテープに自分の子供の頃の声で録音されていたのは、かつて製菓メーカーの「ギンガ」と「萬堂」が恐喝され世間を騒がせ未解決となっている「ギン萬事件」で使われた恐喝音声であった。そしてノートには難解な英文と共に「ギンガ」「萬堂」の文字が。父の犯罪への関与を疑った俊也は、父の親友であったアンティーク家具店を経営する堀田信二を頼る。
 そして堀田は、自分も初めて会うという光雄の兄・達雄の友人のフジサキと3人での食事会をセッティングする。堀田によれば、ノートに書かれた英文は1983年11月、ギン萬事件の起きる4ヵ月前にオランダで発生したハイネケンの経営者誘拐事件の手口と逮捕された理由について記されており、30年以上前にイギリスで消息を絶っている達雄によって書かれたものと考えられ、俊也を驚かせる。フジサキと堀田は、光雄の父つまり俊也の祖父の清太郎が、仲良くしていた過激派の内ゲバに巻き込まれて45歳の若さで死亡し、極左集団に関わっていたと決めつけて清太郎を冷たく扱った彼の勤め先がギンガであったことを語り、俊也はさらに驚く。達雄と光雄はギンガに恨みがあったのだ。
 さらにフジサキは衝撃的な事実を語る。ギンガの菊池社長が犯人グループに誘拐される1ヵ月前に、達雄は犯人グループがターゲットにした会社の株について、当時金融関係の会社に勤めていたフジサキに尋ねており、暴力団員や利権屋など何人かの名前を示し、その中に知り合いがいないかという質問までしたというのだ。その名前を教えてくれるようしつこく食い下がる俊也に、フジサキは渋々犯人グループの会合を見たという知人を紹介するのであった。

 大日新聞の文化部記者の阿久津英士は、社会部事件担当デスクの鳥居から、年末企画として昭和平成の未解決事件の特集を組むからギン萬事件を担当するよう命じられる。まずはハイネケン会長誘拐事件を調べるように言われた阿久津は、ハイネケン誘拐事件発生時から現場周辺で探偵まがいの行動をしていた東洋人がいたという事実に驚く。
 ロンドンで元誘拐交渉人のコリン・テイラーと接触した阿久津は、コリンから、その東洋人が中国人であり、彼の行方は分からないが、彼が付き合っていた女性なら身元が分かると伝えられる。さっそく、その女性・ソフィー・モリス教授と会うが、彼女はその話は嘘だと言い、阿久津は失望するのであった。

 第2章…元社会部の次長で現在関連会社の大阪大日広告へ社長として出向している水島から、犯人は株で儲けたとらしいという誰でも知っている話を聞いた阿久津は、菊池社長が監禁されていた場所を訪れた後、かつて証券会社に勤めていた立花幸男から仕手筋についての話を聞く。事件当時に容疑をかけられていたマジック・タッチというグループ以上に、一橋大学出身の関西の裏事情に詳しい若者がいたという話に興味を持つ阿久津。

 俊也は堀田と共に、犯人グループが会合を開いていたという小料理屋「し乃」を訪れる。俊也は父の話も包み隠さず話すが、女将には取り合ってもらえない。しかし、会合自体を否定されなかったことに手応えを感じた俊也は板長から会合があったのは事実であったことを聞き出すことに成功する。高校時代の達雄の写真を見せても板長は分からないというが、達雄と堀田が通っていた柔道教室の先輩で警察OBの生島秀樹の特長を堀田が伝えたところ、間違いなくその人物はいたと言う。残念ながら、来客があったせいで、なぜその会合が犯人グループのものだと分かったのかは聞けないまま、店を後にする俊也と堀田。
 俊也はその後、堀田から、生島には当時中学3年生の長女と小学2年生の長男がおり、ある日を境に一家全員が神隠しにあったように消えたという話を聞き驚愕する。事件当時、犯人が録音に使ったとされる子どもは3人おり、うち1人が自分で、あとの2人の特徴がその失踪した生島の子どもに一致するのだ。

 第3章…阿久津は水島から新しいネタを仕入れる。犯人達の無線でのやりとりを録音した名古屋のヤマネと名乗るトラック運転手と接触しながら逃げられてしまったという話である。袋小路に逃げ込んだ彼が消えたのは、その地域の誰かが彼を匿ったと考えられた。当時の水島が行ったようにヤマネが消えた周辺の家を1軒1軒聞き込みに回る阿久津であったが収穫はない。しかし、後日最後に聞き込みに訪れた木村由紀夫という人物からお詫びの手紙と共にCDが届く。元中学教師だった彼は山根治郎という教え子を匿ったことを認め、山根から入手したCDをわざわざ送ってくれたのだ。 一緒に添えられていた山根の手紙には、金田哲司というかつての仕事仲間が、録音されている犯人グループの声の主の1人であったことから思わず逃げてしまったこと、彼が大阪堺の小料理屋「し乃」の女将とできていたということが記されていた。

 生島の娘・望の担任だった大島と接触した俊也は、望の失踪当時の様子を聞くが、生島が勤めていた警察を不祥事で懲戒免職になったことでの夜逃げと判断され、警察も真剣に動いてくれなかったことを知る。

 本作を読むにあたって、事前にグリコ森永事件をざっと復習したのだが、父が事件の関係者ではないかと悩む俊也と、新聞の年末企画のために困難な過去の事件の取材を続ける阿久津の2人の物語が並行して語られる一方で、かなりのスペースを割いて説明されている事件の詳細が、まさにグリコ森永事件そのままであることがよく分かる。それが本作にリアリティを与えていることは間違いないのだが、逆にそれに助けられているようにも感じ、なかなかオリジナリティが感じられない点に読みながらもやもやが募っていた。
 しかし、俊也が、自分の伯父の達雄に続き、生島という警察OBが事件に関わっていあたことを突き止め、阿久津が、金田という男が犯人グループの一味であったことを突き止めたあたりから一気に面白くなってくる。

 第4章…阿久津は「し乃」の女将に接触するが金田哲司との交際を否定され追い返される。次に接触した金田の同級生だったという秋山宏昌からは、金田が事件に関わっていたことは間違いないと聞かされ、その根拠として金田がキツネ目の男と一緒に写っている写真を見せる。阿久津が持ち帰った写真を見た鳥居は興奮し緊急会議を開く。キツネ目の男は確かに実在したのだ。キツネ目の男の名は金田貴志と言い、哲司の仕事仲間らしい。
 裏を取るために再び「し乃」を訪れた阿久津は、板長から犯人グループらしき団体7人がこの店で会合を開き盛り上がっていたことを聞く。そして板長が聞いた「テウチ」という言葉から、大企業と警察を「手討ち」にするという意味か、グループ内の2つの班が仲違いして、その「手打ち」の酒だったのか思いを巡らせる。その時、写真に一緒に写っていた刈り上げの男が、以前立花が気にしていた裏社会に詳しい若い男ではないかと気が付いた阿久津は早速立花に連絡を取り、その勘が正しかったことを知る。
 立花が兜町の人脈から探し出したニシダという人物の話によれば、この刈り上げの男は吉高宏行という名のニシダの株の弟子で、事件直前に食品関係の銘柄を調べていたこと、吉高の金主が上東忠彦という利権屋であったことが明らかになる。そして山根から入手したテープの中で、金田哲司と話しているのが吉高であることが確認できた。

 俊也は「し乃」の板長が阿久津という記者が訪ねてきたことを手紙で知らせてきたことに恐怖を感じる。阿久津が事件の真相に迫り、俊也の家庭が壊されるのではと怯えるようになるが、父の元で働いていた腕の良い職人から自分の仕立てたスーツを褒められ、少し落ち着きを取り戻すのであった。

 第5章…阿久津は、大津サービスエリアでキツネ目の男が目撃された当時の資料を見ていて、彼がベンチの裏に指示書を貼っていたという情報と、観光案内板の裏に指示書が貼られていたという情報の「ズレ」に気が付く。そして彼はキツネ目の男が2人いたのではないか、指示書も2枚あったのではないかという考えを抱くようになる。
 さらに中村という刑事の遺族から提供された手帳から「京都、もぬけ」という気になる言葉を見つける。その後、その後輩の刑事の話から、もう1人のキツネ目の男が落としたメモによって滋賀県警が京都のアジトを急襲したが、そこはもぬけのからで、そこから生島の指紋が出てきたらしいことをつかむ。

 俊也は望の友人だった天地幸子に接触し、望の失踪後も幸子が彼女と連絡を取り合っていたことを知り驚く。犯人グループが分裂し、生島が殺されたため、生島側の曽根と山下という男が、生島の妻と子どもたちを匿おうとしたらしい。しかし、望は何者かに殺され、弟の聡一郎は殴られて静かに暮らすよう脅され、望の母の千代子とはその後連絡が付かなくなってしまったことを聞かされ、犯人グループに対し怒りがこみ上げる。
 その後、千代子の実家を訪れた俊也は、暴力団組長の青木が生島を殺し、青木は生島の妻の千代子を自分の組で働かせ逃がさないようにしたが、組員の1人と聡一郎と思われる少年が事務所に放火して逃亡したらしいことを知る。

 第6章…大日の取材班は青木龍一をボスとする7名の犯人グループの名前を確定させた。阿久津は、この青木に反旗を翻したのは誰なのか、「し乃」での会合は何を意味したのかを考える。
 阿久津は「し乃」を訪れ、板長から青木が会合にいたことを確認するが、板長は俊也の存在を洩らしてしまう。阿久津は、グループが7人ではなく9人だったと訂正した板長との会話の中で、ソフィー教授が一緒に住んでいるという話のあった中国人こそが、日本人の曽根達雄ではないかと気が付く。そして、ついに阿久津は俊也と接触する。

 俊也は阿久津の突然の訪問に混乱し、家族を守るために追い返すが、阿久津は「あなたの伯父さんに会ってきます」と言い残して立ち去る。

 再び海を渡った阿久津はソフィーから達雄の居場所を聞き出す。達雄は、阿久津に対し、生島、山下、谷という自分たちのグループメンバーを明らかにし、父が過激派組織に殺されたことで対立組織に身を置くが、父が望まない生き方をしていると考えるようになりイギリスに渡ったことを語る。そして達雄の所に「金持ちに一発かましたろと思うんやが」と行ってやってきた生島に、達雄は奮い立ったのだという。達雄が株で利益を上げる計画を立てるが、最初に株で儲けた金を平等に分配しようとせず、さらに身代金でも儲けようとする青木、金田、吉高らのグループと対立するようになった達雄達は、一度は「し乃」での会合で和解する。しかし、青木の条件にごねた生島が消されて、グループは崩壊したらしい。生島殺害を青木の弱みとにらみ、青木らのアジトをわざと落としたメモで警察に知らせようとした達雄達であったが、それが失敗に終わったことを達雄は阿久津の話から初めて知る。すぐにイギリスに逃亡したため、同じグループの山下や谷の行方も知らないと言う。「あなたには正義がない」と責める阿久津に対し、達雄は「もうお話しできることはありません」と言い残し去っていった。

 第7章…達雄の自供レポートを阿久津から渡された俊也は、父の事件への関与がなかったことに安堵するが、自分のテープの録音についての記述がなく、聡一郎の消息が不明であることが気になっていた。阿久津に誘われ、俊也は聡一郎と千代子の消息を探すことになる。
 青木組の元組員から組事務所に放火して逃亡した津村が広島の雀荘にいることを聞き出した2人は早速広島に飛ぶが、津村は岡山で聡一郎らしき人物を見つけ姿を消した後だった。目的の岡山の中華料理店にたどり着いた2人であったが、聡一郎はすでにそこにはおらず、彼をかばおうとする店長から責められる。なんとか店長を説得し、聡一郎が東京の靴修理店で働いていることを聞き出した2人は東京八王子を訪れ、ついに聡一郎と会う。彼のこれまでの苦難に満ちた人生を知った阿久津は、彼を何としても母親に会わせることを心に誓うのであった。

 俊也は、母の真由美の口から、彼女がテープを録音した張本人であることを知る。彼女も達雄と同じ活動家だったのだ。彼女は父が警察の不祥事の濡れ衣を着せられたことで警察を深く恨んでおり、達雄の話に奮い立って協力したのだという。

 聡一郎は記者会見を行い、事件の真相が世間に明らかになった。そして、特別養護老人ホームにいた千代子が彼の母親であることを名乗り出たことによって、親子の再会が実現する。使命を果たした阿久津と俊也は、感傷にひたりながら別れを告げるのであった。

 終盤のハイペースな展開は、よく言えばテンポが良いが、急に話をまとめなくてはならなくなったような慌ただしさも感じる。何か事情があったのかも知れないが、結果的に読者は全く休む間もなく最後まで読まざるを得ないくらいに物語に引き込まれる。
 この物語は、あくまで実際の事件を元にしたフィクションなのだが、この物語こそが事件の真相だったのではと思わせるくらいの説得力がある。最初は実際の事件をなぞっているだけではないかというモヤモヤ感にずっと悩まされたが、中盤以降の物語の盛り上げ方は圧倒的で、何者をも寄せ付けない力があった。事件に巻き込まれた子どもたちの苦悩に光を当てようとしたという著者の着眼点には舌を巻くしかない。まさに傑作。「このミス」8位作品にはちょっと幻滅したが、7位がこれなら、これから読む6位以上の作品にはまだまだ期待して良さそうだ。

2017年月読了作品の感想

『リボルバー・リリー』(長浦京/講談社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2017年版(2016年作品)6位作品。何かと忙しく、なかなか読み進める時間がなくて、珍しく一か月以上もこのページの更新ができず、2月中旬になっと読み終えたのだが、決して本書が読むのが苦痛な作品だったというわけではない。
 時は大正時代。関東大震災後の東京を舞台に、元女スパイが帝国陸軍に追われる少年を救うべく、あらゆる場所で派手な銃撃戦を繰り広げるというハードボイルド小説。

 貧しい山村で人買いに売られる運命に疑問を感じていた小曽根百合は、筒井国松という男を通じて、経済の面から日本を世界に並ぶ強国にしようと奔走していた実業家の水野寛蔵に拾われる。彼女は水野の指示により、秘密組織・幣原機関で訓練を受け、若干16歳で実戦投入された彼女は、東アジアを中心に日本にとって不利益な人物を次々に暗殺していく。各国大使館から「最も排除すべき日本人」と呼ばれた美しき諜報員「リボルバー・リリー」は、20歳になって水野の子を宿したことで活動を停止し、消息を絶つ。任務か子供かの選択を迫られた彼女は、水野の意向もあって子供の方を選んだのだが、水野が病死した直後に、水野の活動を快く思わない軍人の一派に屋敷を襲われ、その結果子供の命は奪われ、百合も重傷を負っていた。一命を取り留めた百合は、水野から風俗街であった玉の井一帯の土地家屋の権利を引き継ぎ、銘酒屋(売春宿)の主人として新しい人生を送っていた。

 帝国陸軍の独自の資金を作る指南役となって世界の株式相場を操作していた細見欣也は、陸軍に内密に海外の自分の口座にその稼いだ資金をため込んでいることが発覚し、陸軍に追われる身となっていた。彼の息子である13歳の慎太と11歳の喬太は名前を変えさせられて欣也から遠ざけられていたが、その先の秩父の学校で理不尽ないじめに合う。彼らは学校を忌避し、隠居生活を送っていた国松という元軍人と仲良くなり、彼の飼っていたニホンオオカミのルパを可愛がるようになる。慎太達が学校でいじめられ、教師達にも不当な扱いを受けていることを知った国松は、弁護士を雇い、文部省の知り合いに連絡を取って、あっという間に問題を解決してしまい、慎太達を驚かせる。

 誰にも内緒で東京の実家に旅をしようと考えていた慎太達は、突然現れた父の欣也に「すぐに逃げるんだ」と告げられる。欣也は、慎太の腹に白いさらしを巻き、そこに封筒を挟み、細見家全員の写った写真を渡す。陸軍に捕まり秩父の家に集められた慎太達の両親、姉、2人の女中は殺され、慎太達は国松を頼る。国松は、国松と水野、百合とその子供が写った写真を慎太に渡し、百合に助けを求めるように言って彼らを逃がし、時間稼ぎをするため陸軍の追っ手と銃撃戦を繰り広げるが、応戦空しく津山大尉に射殺されてしまう。

 ヤクザに襲われたところを百合に助けられたことのある元海軍の弁護士・岩見良明は、百合の依頼で玉の井の女達のために働いていた。ある日、百合の店に水野武統が挨拶に現れる。武統は水野寛蔵の息子で、勤めていた香港会社を辞めて、寛蔵の妻が寛蔵から引き継いでいた水野通商の跡目を継ぐことになったのだった。

 元中国の盗賊団の女首領で、処刑されそうだったところを水野に拾われた奈加は、百合と一緒に暮らしていたが、彼女が百合に差し出した新聞には、日清戦争の英雄であった国松の、秩父での自殺の記事が掲載されていた。百合は奈加の反対を押し切って、この事件の真相を秩父に調べに行くことを心に決めていたが、そこへ2枚の写真が入った速達が届き彼女の決意は、より固いものとなる。国松と一緒に撮った写真と一緒に入っていた写真には見知らぬ少年達が写っており、裏には「助けて下さい」とだけ書かれていた。

 熊谷駅で列車を降りた百合は慎太を見つけるが、潜伏先に火を放たれ弟の喬太はすでに死亡していた。慎太と共に乗り込んだ列車の中で追っ手と撃ち合う百合。百合は妊娠してからは基本的に殺人は犯さなくなっていた。急所を外して相手の動きを封じるのみである。列車から飛び降りてからもさらに追ってくる敵を捕らえた百合は、彼らから情報を聞き出す。3週間前に着任したばかりの津山大尉の指示で細見一家が集められ、欣也が金のためには手段を選ばず各所で恨みを買っている人物であったため、彼のせいで不幸になったくめという女性に細見一家全員を刺殺させ、罪をすべてくめにかぶせたというのが事件の真相であることが判明する。陸軍は細見の隠した莫大な陸軍資金の在処を記した書類を探しているらしい。

 小沢陸軍大佐は、陸軍資金の回収の他に、ある貴族院議員から百合の処分も依頼されており、暴力団である水野通商の武統にも協力を要請していた。小沢は武統に対し、細見に与えられていた役割について語る。対米戦略のための経済策として参謀本部と細見が立てたのが榛名作戦という陸軍独自の資金作りの作戦であり、細見によって隠されたその資金を奪い返すために動いているのが津山大尉の部隊であり、他に幣原機関が生み出した謀殺専門の南特務少尉が単独で動いているという。

 百合達は酒井というヤクザの親分に一晩匿ってもらうことになったが、陸軍や水野通商を恐れる酒井はあっさり裏切って子分に百合達を襲わせる。しかし、百合達が大金で子分達を買収し逃げおおせたせいで、酒井は津山によって連行されていまう。

 夏休みの小学校に逃げ込んだ百合達であったが、その小学校に火を放つ南。南の狙撃を回避し竹林に逃げ込む百合達、探している書類を失うリスクのある放火に憤慨する津山。津山は竹林の中で百合達を追うが、彼女の仕掛けたトラップに兵士達が次々に掛かってトラックを奪われ逃げられてしまう。百合達は最新型のトラックを持つ繊維会社の男を脅して大宮へ向かう。激しいカーチェイスの上、追っ手を振り切った男は仲間の疑いを掛けられないように自分の腕を撃ってくれと頼み、撃たれた腕で交番へトラックを走らせ、百合達は彼女の隠れ家へ向けて歩き始める。

 浦和市の鉄砲点で銃弾を補充した百合が隠れ家へ戻ると慎太がヤクザ達と睨み合っていた。百合はヤクザの望通り、銃を使わずヤクザ達を倒す。そのまま爆発物を作るための材料を盗み出すために化学薬品会社に侵入する百合達。そこで三田寛吉という宿直当番の少年を人質にし、運搬船を奪って逃亡する。津山達の追っ手の船に一度は捕まるものの、百合が用意した金属ナトリウムの化学反応爆発で何艘かを転覆させ再び逃走。追っ手を振り切ってようやく岸に着いた時、勘吉が慎太にナイフを突きつけ書類を奪って姿を消す。勘吉の正体は南特務少尉であった。南から小沢の手に渡った書類であったが、小沢は「こんなものに用はないよ」「やり直しだ」と机の脚を蹴り上げる。今回奪われた、細見が要人のために続けてきた不正蓄財と脱税の台帳は、百合の考えていたとおり、小沢の探している重要書類とは別物だったのだ。

 やっと玉の井に戻ってきた百合達であったが、書類が探していたものと違ったことで、追っ手の手は緩まない。自分の店「ランブル」に帰り着いた百合を猟銃を持って出迎える奈加。加奈に医師の所に連れて行かれ銃創の治療を受ける前に百合に問い詰められた慎太は、ついに腹に巻かれたさらしに赤い糸で縫いつけられた住所を見せる。

 元陸軍中将、升永達吉の隠居場を訪れた岩見は、榛名作戦の詳細を聞かされる。当時の国家予算の10分の1にあたる1億6千万円もの金を、細見はわずか6年間でかき集め隠したのだ。そして彼は百合達を助けてくれるよう岩見に依頼する。彼女らを救うことが現陸軍大臣の宇垣の失脚に繋がるという。戦死した同胞の遺族や戦傷者のために使われていた機密費を自分達の政治資金に流用した宇垣達を枡永は許せなかったのだ。細見の陸軍資金はフランスの銀行にバニシング契約で預けられていた。預け主の亡命が拒否されると、自動的にその資金が置き換えられた金銀が市場で投げ売りされ、その国の金銀の価値が暴落するため、その国は契約者の亡命を受け入れざるを得なくなるという契約だ。慎太のさらしに縫いつけられた住所には震災被害者遺品預かり所があり、そこには欣也の最初の妻、慎太の本当の母の骨壺が預けられており、その骨壺の中にバニシング契約を解除するためのコード番号を記した紙が収められていた。小沢の探していたものはこれだったのだ。欣也の子供達3人の指紋も登録されているため、コード番号だけではこの資産を引き継ぐことはできない。これで武統が慎太の具合を心配していた理由もはっきりした。

 岩見は旧知の山本五十六海軍大佐と会い、山本は、百合と慎太の命の保証の代わりに、陸軍資金の分配率を海軍4、陸軍4、内務その他が2と提示し、岩見はそれを受け入れる。百合はそのことを追っ手の津山に伝え、戦いの終結を提案するが、津山は納得しない。いつか慎太が自分と自分の家族に復讐するというのだ。慎太は津山に倒された振りをして百合に気を取られた津山を銃剣で刺すことに成功するが、国松のベレッタでとどめを刺す前に手榴弾で自決されてしまい、慎太は悔しがる。

 慎太は電話で山本と話し、岩見との交渉結果を受け入れる。しかし、海軍は表だって動けないため、百合と慎太を保護するためには海軍省へ自分たちの力でたどり着くしかないと山本は告げる。そして最後の戦いは始まった。陸軍兵士1,000人以上、武統の部下を入れれば1,500人もの戦力が百合達の海軍省への駆けこみを阻止すべく立ちはだかるのだ。

 水野寛蔵の妻で武統の母である、水野通商の大姐を旅館へ呼んだ加奈は、武統を百合に殺されないためにも、武統を止めてもらえないかと説得するが、大姐は一旦受け入れたと見せかけて加奈を裏切り、旅館も戦場となる。

 圧倒的に不利な状況の中、激しい戦闘を繰り返し、文部大臣にも助けられ、海軍省に少しずつ近づいていく百合達。執拗に襲ってくる因縁の南特務少尉も岩見によって倒される。岩見が日比谷公園の林の中に残って盾になり、百合はコード番号が記された紙を破って捨てる。百合達が海軍と話を付けてしまった以上、陸軍以外に資金が流れるくらいなら慎太を殺害すると決めた陸軍にとって、そのコード番号は命の保証にならない。そしてついに海軍省の近くまでたどり着く2人。門までの距離が絶望的であったが、山本の指示によって突如敷地の壁に穴があく。慎太はその穴に百合を投げ込み、慎太自身も山本に引き込まれ、2人は助かり、山本と睨み合った小沢は去っていった。

 百合達が助かったことを武統から電話で聞いた奈加は、武統の依頼で大姐を殺し、武統と戦いを終結させることになるが、武統に裏切られ殺されてしまう。武統は丸の内ホテルへ向かい、電話中の小沢大佐を射殺。同席していた准尉を小沢自決の証人とさせる。

 あの夜から半年以上一度も慎太に会っていなかった百合は、慎太の見送りのため初めての警護官なしでの外出をする。宇垣は陸軍大臣のままであったが、榛名作戦関係者の粛清があった。生還した岩見は枡永から様々な政界の要人を紹介され、いくつかの顧問契約を結んだという。百合は、バニシング契約の解除コード番号を縫い込んだレースのハンカチを、スイスに留学する慎太に渡し、別れを告げる。帰り道、列車内で百合に元関東軍の連中が迫る。百合はバッグの中のリボルバーを握りしめるのだった。

 読みながら、物語としてはひたすら追っ手を振り切って逃げ続けるというシンプルなもので、あらすじを書くのは楽そうだと思ったが、いざ書き始めたら細かいところを省略するのが惜しくなって結局いつもと同じくらい長くなって疲れた。作中で慎太が述べているように、「撃ち合いというよりは斬り合い」と表現した方がふさわしいくらいのハードな戦闘シーンが売り。軍部を含めた大正時代の雰囲気をリアルに感じさせてくれる点も含め、★★という評価にしたものの、限りなく★★★に近い★★と断っておく。

 では、どの辺りが★1つ分の減点なのかというと、まずは何よりも百合に100%感情移入できないところだ。彼女は日本にとって利益にならないという水野寛蔵の判断のみで、これまでに多数の人間を殺害している。殺された者達全てが罪なき人とは言えないだろうが、100%悪党とは思えず、彼女の行為が正義とは決して言えないだろう。そして彼女はそのことを特に反省している様子はない。そしてまた今回、多くの兵士をはじめとする追っ手の人間達に、命は奪わなくとも重軽傷を負わせている。確かに何の罪もない慎太を追っ手から守ることは正義なのかもしれないが、慎太の父が行ったことは間違いなく犯罪であり、陸軍が資金を取り戻そうとする行為は、手段はともかく不当とは言い難いもので、最初は陸軍は慎太を殺害する意図もなかった。陸軍には若干同情してしまう。百合は玉の井で新しい生活を始めてから人間らしい人情に目覚めたというはっきりとした設定があるわけではなく、情があるのかないのか微妙で分かりにくい人間として描かれているのも感情移入できない一因だ。

 そして、もう一つ気になるのは慎太があまりにも有能すぎること。ただの育ちの良い中学生が、元エリート女スパイと行動を共にしてほとんど足手まといになることもなく、家族の復讐のためとはいえ何のためらいもなく銃を使いこなし、先頭のプロである陸軍やヤクザの追っ手と対等にやり合えるというのはどうにも違和感がある。

 慎太との別れのラストシーンもたいした感動もなく期待はずれ。イメージとしては古いたとえになるが「銀河鉄道999」的なものを想像していたのだが、あまりにもあっさり。慎太を送り出した百合が、また命を狙われるという展開も、物語に余韻を残すと言うよりは、お腹いっぱいという感じ。もう勘弁してやれよというのが正直な気持ち。

 

『半席』(青山文平/新潮社)【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2017年版(2016年作品)4位作品。帯には「直木賞受賞第一作」の文字が踊り、その意味は「直木賞受賞後に初めて出版した作品」というもので、どこの出版社でもやっていることではあるのだが、書店で「この作品で直木賞を受賞したのか…では買って読んでみよう」と思う人も多いはずであり、明らかにそれを狙ったこの表現は抵抗がある。ちなみに著者が直木賞を受賞したのは2015年の『つまをめとらば』。本作は6つの短編を収めた時代小説であり、東野圭吾の加賀恭一郎シリーズの江戸時代版のような雰囲気である(主人公の立ち位置は全く異なるが)。

第1章「半席」…全ての御用を監察する目付の耳目となって働く徒目付(かちめつけ)の片岡直人は、一刻も早く御家人の支配勘定から旗本の勘定へと駆け上がらなければならなかった。片岡の家は「半席」だったのだ。御家人から身上がりして旗本になるには、御目付以上の御役目に付かなくてはならないが、当人が旗本になれても、代々旗本を送り出す身になる家になるためには、少なくとも2つの御役目に就かなくてはならない。これを果たさなければ、その家は一代御目見の「半席」となる。二度の御目見以上という条件は、父子二代にわたって達成しても良いことになっており、父の直十郎の代に初めて小十人入りを果たして旗本になった片岡家は、何としても直人も旗本にならなくてはならなかったのだ。

 出世の見込みのない上司である徒目付頭の内藤雅之から、外から持ち込まれた頼まれ御用の仕事を振られる直人。現在抱えている自分の仕事が遅れるのは嫌だったが、雅之から振られる頼まれ御用は意外と人間臭く励み甲斐があって、つい引き受けてしまう。

 頼まれ御用の内容は、表台所頭を務める矢野作左衛門が木置き場でタナゴ釣り中に水死した事件の真相を調べてほしいというものであった。89歳の彼は、間もなく72歳を迎える跡継ぎの信二郎に役目を譲るどころか、次の御役目にも意欲を示していたため、信二郎による犯行が疑われた。直人は、作左衛門が大切にしていた高級な竿を信二郎が水に投げ込んで、作左衛門がそれを取り戻すために飛び込んで水死するよう仕向けたと考える。しかし、信二郎が作左衛門を許せなかったのは、家督をいつまでも自分に譲らなかったことではなく、作左衛門から引き継ぐことを楽しみにしていた名刀を、作左衛門がタナゴ釣り用の竿を手に入れるため、竿と交換して手放してしまったことであった。信二郎は我を忘れて何をするか自分でも分からなかったので、作左衛門からすぐに離れたが、作左衛門は生きている限り家督は譲れないと言って自ら竿を水に投げ込んで、その直後に走って飛び込んだことが、信二郎の口から明らかになる。信二郎は走り出す作左衛門を止めようと思えば止められたが、家督への欲が出て止めなかったのだ。信二郎は真相を吐き出せて楽になったと直人に感謝し、直人も仕事をやり遂げた達成感に浸る。

 その後、この御用の頼み人が明らかになる。若い時に作左衛門に世話になり、彼の指導のおかげで現在は出世して、やんごとなき地位になった人物であった。その話を聞いて、ますます頼まれ御用の仕事に魅力を感じ、「半席」のことが気にならなくなった直人であった。

 「半席」の説明が分かりやすく、半席ではない永代の旗本になろうと頑張りながらも、その障害となる頼まれ御用の仕事に魅力を感じてしまっている主人公の心境もよく伝わってくる。あえて難を言えば、作左衛門の自殺の仕方が常人には理解できないものである点と、今回の頼まれ御用の内容が、直人に半席のことを忘れさせるほどの魅力的な仕事だったかというと、読者には微妙な印象なのではないかという点。その2点に尽きる。

第2章「真桑瓜」…雅之から三度目の頼まれ御用を引き受ける直人。八十歳を越えてまだ御役目に就いている旗本が所属する白傘会は、持ち回りで仲間のいずれかの屋敷に集まって酒肴を共にしていたが、その当番だった岩谷庄右衛門が、その酒宴の締め近くに仲間の山脇藤九郎に斬りつけられた謎を解いてほしいという。

 直人は偽系図屋を営む沢田源内という男から買った病の時の禁忌一覧の印刷物をヒントに真相をつかむ。藤九郎の息子が麻疹にかかった時、息子が真桑瓜を食べたいと言い出したので、藤九郎が親友の庄右衛門に大丈夫か確認したところ問題ないと言われたので食わせたら翌日死んでしまった。あえて庄右衛門を責めることはしなかった藤九郎であったが、当然そのことを気に病んでいると思っていた庄右衛門が酒宴の最後の水菓子として真桑瓜を出したことで、彼がまったく気に病んでいなかったことを知って激怒した藤九郎は思わず庄右衛門を斬りつけてしまったというのが事件の真相であった。真相を知った庄右衛門が藤九郎の所へ出向き互いに謝るが、その翌日、胸のつかえが取れて安心したのか、体の弱っていた藤九郎は亡くなってしまったのであった。

 この後のエピソードにも登場することになる沢田源内も良い味を出しているが、雅之が直人に仕事を依頼する時に決まって利用する居酒屋「七五屋」での食事シーンが、この後どんどんグルメ小説っぽくなっていく点にも注目。本筋の謎解きの方は、納得の展開。よくできていると思う。

第3章「六代目中村庄蔵」…大番組番士の高山元信が、一季奉公として20年以上も高山家に仕えてきた中村庄蔵こと茂平に殺される。主殺しは親殺しより罪は重く鋸挽という死刑の中でも最も残虐な処刑方法がとられる。誰よりも真面目に主に仕えてきた茂平がなぜ主を手に掛けたのか、その謎を解き明かすのが、今回直人に与えられた御用であった。

 茂平は重い病にかかったことで、主に迷惑はかけられないと自ら高山家を飛び出して放浪していたが、1ヵ月半後にとうとうどうにもならなくなって高山家に戻ってきた。そこで2日間眠り続けた茂平は、目を覚ましてから、茂平失踪の1ヵ月後に主が新たに雇った侍を紹介された直後に主を突き飛ばし、打ち所の悪かった主は死亡したらしい。

 直人は、島崎貞之と名を変えて比丘尼のヒモとなっていた沢田源内と再会し謎解きのヒントを掴む。茂平は、新たに雇われた侍に自分と同じ中村庄蔵という名が与えられていたことにショックを受けて思わず主を突き飛ばしてしまったのであった。主にはまったく悪意はなく、高山家に仕える家侍には代々中村庄蔵という名が与えられ、その六代目にあたる茂平があまりに優秀だったため、それにあやかろうと次の家侍にもその名を与えたことを茂平は知らなかった。直人は、主の奥方から預かった金で茂平を畳の部屋に移してもらい、茂平は刑が執行される前に畳の部屋で息を引き取ったのであった。

 前回のスズキに引き続き、今回の七五屋のメニューは、鱈の胃袋の内藤唐辛子和えに、黒鯛の若魚カイズに焼き塩を振って遠火で炙ったもの。もう完全にグルメものだ。それは置いておいて本筋は今回もお見事、と言いたいところだが、茂平が自分と同じ名前の侍に出会って、パニックの末に主を突き飛ばすという展開は微妙。茂平がショックを受けたのは分からないではないが、意図的ではなかったとは言え、結果的に主を突き飛ばして殺してしまうというのは少々無理がないか。また、主が新しい家侍に茂平と同じ名を与えた真意が茂平に伝わらないまま、茂平が亡くなってしまった点にも不満が残る。

第4章「蓼を喰う」…御賄頭(おまかないがしら)の古坂信右衛門が、同じ叩き上げの旗本である勘定組頭の池沢征次郎を手に掛けた。征次郎の命に別状はなかったものの、2人の接点がまったく見えてこない。どちらも恨みを売ったり買ったりする人間ではないという。そして雅之は、ある事実を付け加える。信右衛門の家系は、将軍直々の隠密御用を担う御庭番家筋だというのだ。頼み人は信右衛門より3つ上の72歳の御庭番家筋らしいが、その依頼の意図も雅之は掴めず、それは雅之の方で調べるという。

 2人は溝浚いを主な仕事とする同じ下水の組合に入っていたが、信右衛門はその家柄から溝浚いに参加することが免除されており、彼はそのことに心苦しさを覚えていた。そんなことを全く知らなかった征治郎は、溝浚いにこだわりがあったため、使用人も使わず自ら信右衛門の屋敷の門前近くの溝浚いをした。組合の者からのあざけりを感じていた信右衛門には、その征治郎の行為が自分を愚弄しているものと映って、思わず斬りつけてしまったのであった。

 事件の解決を源内に伝えようと、彼の屋台へ駆け付ける直人であったが、屋台はすでに引き払われた後であった。

 完全に楽しみの1つとなってしまった七五屋の今回のメニューは、鰹の子供である「めじか」の新子。この店で出る魚は、すべて釣り好きの主人の喜助が釣り上げたものばかり。雅之曰く、もちもち感が半端ならしい。そして直人が七五屋で出てくることを期待しながら出てこなかった本場黒江町の青柳が、たまたま立ち寄った屋台で登場。青柳は、それ自体よりも旬の蓼を使った蓼酢を楽しんでもらいたいと直人に語りかける屋台の主人が沢田源内だったという絶妙な展開。ちょっと話ができすぎだが良しとしよう。謎解きに関しては可もなく不可もなくと言ったところだろうか。

第5章「見抜く者」…直人や雅之も通う石森念流の道場「錬制館」の道場主を務める直人の上司、芳賀源一郎が襲撃に遭う。直人は、徒目付という仕事が人の恨みを買うことがあるものであり、自らも武士として死を意識せねばならないことを再認識する。源一郎を襲った元大番組番士の村田作之助の74歳という年齢に驚く直人であったが、今回の御用は作之助の動機を明らかにすることであった。防と制を重んじ、殺を使わない石森念流であったが、作之助の剣技の凄まじさは、作之助が心臓発作で倒れなければ、もう一歩で源一郎に殺を使わせるところだったという。

 直人の作之助に対する「始末ですか」というストレートな問いに「そのとおりです」と答える作之助。大番の御役目を果たすために梶原派一刀流を極めた作之助であったが、せっかく身につけた剣技を一度も実戦で用いぬまま持病の心臓病で死ぬことを良しとしなかった彼は、当代随一と評判だった源一郎を相手に選んだのだった。しかも、時代は武の番方から、文の役方へ移ろうとしており、役方の中でも特に重きをなしていて、かつ番方に取って代わろうとしている監察の役目を果たしていた源一郎は、作之助にとってもっともふさわしい相手であった。源一郎に深謝していたことを伝えてほしいと直人に告げた作之助は、その未明の発作で亡くなってしまうのであった。

 今回は、いつものようなグルメ話がほとんどなく、源内も登場せず、いつも以上に「武士」を意識させるようなシリアスな話で、これまでの物語をまとめつつ結末へ向かおうとするのを臭わすエピソードである。直人の上司であり、当代随一の剣豪である源一郎が、老剣士に苦戦しつつ辛くも勝利し、時代の移り変わりの象徴とも言えるその老剣士も、晴れ晴れとして死んでいくというストーリーは、時代小説好きな読者にはぐっとくるものがありそうだ。職場では雅之の補助をしている源一郎が、雅之に対し、雅之こそ開祖の後継者にふさわしいと直人の前で語るシーンもなかなか。

第6章「役替え」…15歳の頃から権家の屋敷に通い詰め、小普請から抜け出すことのできたのは、直人と、近所で子供相手に剣術の手ほどきをしていた北島泰友の息子の士郎だけだった。ある日、直人は落ちぶれた姿の泰友を見かけ思わず声を掛ける。病で職を失った士郎の世話をしていた泰友は、町人の振りをして稼がねばならなかったが、それは立派な罪であった。見て見ぬ振りをした直人は雅之に相談もできず悩んでいたが、士郎とは違って出世の道が見えている直人をねたむ泰友は、直人をつけ回すようになり、とうとう雅之のいるところで直人を襲撃する。あっけなく泰友の剣を落とした直人であったが、泰友の罪を隠した上に、より重い罪を彼に背負わせてしまったことを悔いて辞表をしたためる。しかし、雅之は直人に辞表を焼くよう指示して、泰友の罪を軽くする代わりに、直人の勘定書行きはなしとし、ずっと徒目付を続けてもらうという罰を与える。徒目付の仕事に魅力を感じ始めていた直人は、その罰を取り消される方が罰であると言い、雅之を喜ばせるのであった。

 ある意味、予想通りのオチではあるが、序盤ではあまり上司らしくなく、その魅力が分かりづらかった雅之が、物語が進むにつれてグルメ話や剣技でその魅力を次第に高め、徒目付の仕事の魅力に気が付いてくれた直人に対し、心から喜ぶラストシーンは読者を思わず笑顔にする感動を与えてくれる。最初は限りなく★★★に近い★★という評価にしようと思っていたが、この見事なまでに洗練された美しい時代小説に★★はやはり付けられない。

2017年月読了作品の感想

『真実の10メートル手前』(米澤穂信/東京創元社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2017年版(2016年作品)3位作品。今年は年始からずっと何かと多忙すぎて全く読書が進まずストレスがたまっていたが、本書も2月下旬から読み始めたものの全く進まず、3月中旬の久々の休日に一気に読破 。
 帯には「史上初ミステリベストランキング3年連続第1位」と大々的に謳われているが、「このミス」では、2015年版1位『満願』、2016年版1位『王とサーカス』に続いての3年連続1位は惜しくも逃している。内容は『王とサーカス』の主人公のフリージャーナリスト・大刀洗万智が、様々な事件で真相を突き止める物語が6編収められた短編集である。それぞれの作品に万智の取材の随伴者がおり、彼らの目から万智が独自の切り口で真相に近づいていく様子が驚嘆を込めて語られているのが特徴である。

 「真実の10メートル手前」…万智がフリージャーナリストになる前に勤めていた東洋新聞での記者時代の物語。ベンチャー企業のフューチャーステアが倒産し、社長と共に疾走した社長の妹で広告担当者だった早坂真理を見つけ出し、取材するのが今回の万智の仕事であった。真理の妹の弓美から提供された電話の会話データから彼女の居場所の目星を付けた万智は、新人のカメラマン藤沢吉成を連れて山梨県へ向かう。
 万智は、電話の会話データから、真理が食事をしていた店の条件を掴み、タクシー運転手の話からその条件に該当する店を絞り込み、その店にたどり着く。昨夜、泥酔していた真理を介抱したらしい不法就労の外国人の店員を説得し、店の裏の川沿いに車を駐めていることを聞き出した万智であったが、時すでに遅く、真理は車内に排気ガスを引き込んですでに死亡していた。

 あとがきによれば、長編の冒頭部分として書かれたものを短編かつ表題作として、本書の最初に掲載したとのことだが、正直なところ、本作が一番インパクトに欠ける。まさに長編のプロローグという雰囲気の作品で、読了後は「これで終わり?」という拍子抜け感しかない。些細な情報から真理の居場所を突き止めたり、店の店員を外国人だと見破ったりというミステリ小説らしさはあるが、他の作品と比べても事件自体に深みがない。万智は真理の自殺の可能性も十分に考えていたはずであるのに、たいして焦る様子もなく、のんびりと食事している点も引っかかった。

 「正義漢」…夕方の吉祥寺駅での人身事故現場で現場写真を嬉々として撮ろうとしている女性を冷たい視線で見つめる人物。その人物に近づいてきた女性は、「人を線路に突き落とした感想はいかがですか?」と聞いてくる。
 たまたま現場にいた万智は、仕事の関係で一緒にいた高校時代の同級生に協力を要請し、まわりの迷惑を考えない記者を演じて真犯人を引き寄せ、取り押さえることに成功したのだった。彼女は協力してくれた同級生から自分が貸したカメラを回収すると、自分が被疑者確保に関わった以上、この写真は記事にできないと言ってデータを消去し、彼の前から去っていくのであった。

 読者は、冒頭の一人称の人物が万智であると思い込んで読み始めるが、実はその人物こそが真犯人で、彼を現場に引き戻した傍迷惑な女記者こそが万智だったという叙述トリック作品。読者は一瞬相当混乱するはず。「電車に飛び込んで死ぬような人間は育ちが悪かったに違いない」というような冒頭部の記述は問題発言ではないのかと冷や冷やしながら読んでいたが、狂気じみた犯人の心の声だということが後で判明し、読者も納得するという仕掛けだ。著しい迷惑行為を行うような人物には犯罪者でなくとも殺意を抱いてしまうとか、目の前で事件に遭遇してしまうと記者は本能的に喜んでしまうとかいった人間の暗部を万智を通してさらりと描き出し、万智のクールさを際立たせた作品。

 「恋累心中」…三重県の恋累(こいがさね)で起きた桑岡高伸と上條茉莉という2人の高校生の心中事件は世間に大きな衝撃をもたらした。週刊深層の編集部に配属されて3年目の都留正毅は、その事件の取材に際して編集長からコーディネーターとして大刀洗万智というライターを手配したという連絡を受ける。気が進まなかった都留であったが、万智がすでに2人が通っていた高校の教師2人に取材のアポを取っていたことに驚かされる。万智は三重県の教育委員会や県会議員に爆弾が送りつけられる事件を追っており、その取材に影響がないか心配する都留であったが、万智は問題ないと言う。万智は、都留に対し、2人の遺書には公開されていない部分があり、典型的な心中の文面の最後に「たすけて」という謎の文字があったことを明かす。
 茉莉の担任をしていた下滝誠人という国語教師と、2人の部活動の顧問をしていた春橋真という物理教師に取材すると、春橋は桑岡が楽に死ぬ方法を知りたがっていたこと、悩み事を下滝に相談していたらしいことを万智らに語る。三重県が備品管理の強化に乗り出すことについて理科主任の春橋をねぎらう万智に、都留は下手な誤魔化しとしか感じなかった。
 その後の捜査で、茉莉が親戚の男に妊娠させられたにも関わらず親がだんまりを決め込んで失望していたこと、ナイフと川への飛び込みという方法で死んだ2人が服毒もしていたことが明らかになる。「たすけて」というメッセージは、黄燐という毒で長時間苦しむことになった2人が思わず書き残したものと考えられた。そのような長時間苦しむ毒を自殺にふさわしい毒だと誤った知識を与えて彼らに誘導したのは誰か。都留は春橋を疑うが、犯人は下滝であった。爆弾作りのために持ち出した黄燐の量が減っていることが県の調査で明らかになることを恐れた下滝は、桑岡に盗み出させることでその量を分からなくしようとしたのだ。都留は2つの事件の真相を掴んだ万智に舌を巻くのであった。

 本書の中でもっともミステリ小説として優れているのは本作ではなかろうか。一件無関係そうな2つの事件の真相を一気に突き止めてしまう万智の力量には都留でなくとも圧倒される。ただ万智が真相にたどり着いたきっかけが、心中した高校生の2人が別々の場所で死んだことだったと語られているが、そこは引っかかるところ。服毒によって苦しんだことと、2人が別の場所で死んだことを結びつけるのは今一つ弱い気がする。毒による苦しみがあまりにひどく、女の苦しむ姿を見るに見かねた男が女を刺し、同じ場所で死ぬつもりだった男はナイフが折れてしまったことでやむなく川に飛び込むしかなかったという筋書きも分からないではないが…。

 「名を刻む死」…福岡県で一人暮らしの老人、田上良造が自宅で遺体で発見される。第一発見者である中学3年生の檜原京介は、警官からの事情聴取の中でもマスコミからの取材の中でも、打ち明けたいことを打ち明けられずに苦しんでいた。
 死体の発見から20日後、万智の取材を受けた京介は、次に田上の息子の取材に向かうという万智に同行することを申し出る。田上の息子はろくでもない人間であったが、彼は父親をさらに腐った人間だったと言い放つ。
 田上は「名を刻む死」を望んでいた。それは肩書き付きで死ぬことであり、死んだ後に無職と呼ばれることが、元会社役員であった彼には許せないことであった。そんな彼が死の直前に書き残していたアンケートハガキには職業の欄の無職の所に○がつけてあった。アンケートハガキが届いていた11月4日が田上の死亡日と考えられていたが、11月3日が本当に死んだ日であり、その日危篤状態だった田上に会っていた息子はそれを無視して見殺しにし、後日アンケートハガキを書いて死亡日を誤魔化したのだ。
 そして、京介が隠していたことも万智はすでに知っていた。「名を刻む死」を望んでいた田上は、印刷会社を営む京介の父に自分を雇うよう懇願し、父がそれを断ったことをずっと負い目に感じていたのだった。
 そんな彼に万智は「そんな言葉にいつまでも囚われていてはいけない」「田上良造は悪い人だから、ろくな死に方をしなかったのよ」と冷たく低い声で言い聞かせるのであった。

 心優しい中学生を厳しく諭す万智の姿が印象的な作品。いかにも中学生が何か犯罪を犯しているのではと読者をミスリードしていおいて、そのポイントは全く別の所にあるという趣向。『正義漢』以上にクールな万智の姿を描いているが、悪人でも救ってあげたかったという中学生に対し、悪人は悪人として突き放すべきという態度を貫く万智の姿勢には、爽快感すら覚える。漫画やアニメなどではともかく、普通の小説でこのようなことを堂々と子供に言い放つ主人公はなかなかいない。
 しかし、万智が取材に中学生の同行を認めてしまう点や、田上の新聞への投書の内容に登場人物が言うほど異常性を感じない点、ほとんどの老人が「無職」という肩書きで亡くなっていく中で、田上がそれほどまでに自分の死に際して肩書きにこだわる理由が分かりにくい点など、気になる部分がないわけではない。

 「ナイフを失われた思い出の中に」…ユーゴスラヴィア出身のヨヴァノヴィチは、ビジネスのついでに、過去に妹が日本に滞在していた時に友人だったという万智を訪ねる。彼は、姉の幼い娘を殺害した男の事件を取材する万智に同行する。
 松山良子という20歳の母親の留守中に、1人で寝ていた3歳の娘の松山花凛が、良子の弟の良和によって服を脱がされ刺殺されたという事件であったが、良和が幼児性愛者だったという世間の見方に万智は疑念を抱いていた。花凛の致命傷からは繊維が発見されていたことから、花凛を殺害したのは母親で、彼女をかばおうと弟が犯人を装う演技をしたのだということにヨヴァノヴィチは気付かされるが、万智の推理はさらにその先を行っていた。良子も良和も窓を開けていたはずなのに、犯行現場の窓は閉まっていた。それが可能なのは鍵を持っていた良子と良和の父親であり、彼こそが犯人であるというのが万智の結論であった。
 一時は万智の人間性を疑ったヨヴァノヴィチであったが、この取材を通して彼女を見直し、今は亡き妹の思い出を語り合うために夕食を共にすることを申し出るのであった。

 前話で取材の同行者が中学生になったことには驚かされたが、今度は事件とは全く無関係の外国人。ちょっと暴走気味な感じもしたが、『王とサーカス』を思い起こさせる社会派の物語に仕上がっている。しかし、他の短編と比べるとやや難解な部分が多く読みづらいのが気になる。
 姉をかばおうとしつつも、真実を知ってほしいという気持ちで良和が書いたとされる手記も、ちょっとあり得ない設定。さりげなく証拠品の隠し場所が独特の言い回しで書かれていて、それに気付いた万智がそれらを次々に発見してしまうという…。万智は、それらを元通りにし、自分が届け出なくても警察がやがて発見してくれるというが、本当に発見できるのか不安になる。特に図書館の焼け跡に埋められた凶器など、万智が見つけられたこと自体奇跡的だと思うのだが…。

 「綱渡りの成功例」…8月に長野県南部を襲った水害で陸の孤島となった高台の民家から 数日後に救出された戸波夫妻。 消防団の大庭は、戸波夫妻が、夫妻の息子の平三が置いていったコーンフレークを食べて生き延びたという美談に眉をひそめる。平三は自分の子供に食べさせるために大庭からコーンフレーク購入し、余った分を夫妻の家に置いていっただけだったのだ。
 そこに大学の先輩だった万智が現れる。戸波夫妻への万智の取材に同行した大庭は、万智のコーンフレークに何をかけて食べたかという、夫妻に対する意外な質問に驚愕する。そして、泣き出した夫妻に対しても。
 戸波夫妻の家は電気を失っていたが、隣の原口家には電気が来ていた。原口家は寝室だけが土砂に埋まり、原口夫妻の救出は不可能だった。戸波夫妻は、その家に侵入して冷蔵庫を借りて牛乳を冷やしていたのだった。

 どうやって電気を失った家で飲み物を確保できたのか疑問を持つ人が現れ、原口家から食料を奪ったのではというありもしない噂が広まるのを防ぐために万智はこの件を記事にすると大庭に語るのだが、それはどうなのだろう。別にコーンフレークは牛乳でなくともペットボトルの飲料や水をかけても食べようと思えば食べられるではないか。これは巻末に来ても仕方がない作品。

 いい話もあるのだが、やはりトータルとしては、★★★はちょっと付けられない。
 全く作品の評価とは関係ないのだが、事件関係者の名前を見ていると、早坂真理、下滝誠人、春橋真、田上良造、松山良子、松山良和など、「真」「誠」「良」という文字が入っているのが妙に目立つ。本書には人間の暗部を描き出した作品が多いが、善人と思われる人間の中にも悪の心は必ず存在することをシニカルに訴えたいのか、あるいは、これだけ暗部を抱えた人間にもやはり良心はあるのだということを訴えたいのか、そんなことをふと考えた。

 

『静かな炎天』(若竹七海/文藝春秋)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2017年版(2016年作品)2位作品。2016年版4位作品『さよならの手口』に続く葉村晶シリーズ第5弾で、最初から文庫版で出版された。主人公の葉村晶は、40代の女性でミステリ専門書店「マーダーベアブックショップ」のバイト店員にして白熊探偵社の調査員という斬新な設定。先日読了したばかりの『真実の10メートル手前』の大刀洗万智同様に頭のキレる女探偵を主人公に据えた作品なのだが、若くてとことんクールな万智と比べると、中年で健康面に何かと気を遣う晶は、読者から見れば親しみが湧きやすいキャラではなかろうか。年齢の近い読者ならば、なお親近感が湧くであろう。

「青い影」…ある日、晶は、狐久保の交差点近くで、運転手が急病のため暴走したダンプカーが原因で発生した大規模な交通事故に遭遇する。そして、ダンプカーにはね飛ばされたブルーの小型車から、ブルーのバックを提げて蛇のようになめらかに障害物をよけて立ち去る女性を目撃する。
 その車を運転していて死亡した女性・門脇つぐ美の母親・門脇寛子が、娘の大事にしていた手帖の入っていたブルーのバッグが行方不明になっていることを嘆いていることを知った晶は、さっそくそのバッグを持ち逃げした「蛇女」の調査に乗り出す。「蛇女」の履いていたオレンジ色のスリッポンをヒントにスリッポン専門店を訪れてみると、なんと彼女はその店の店長であった。しかも彼女を尾行してみると、彼女が、住人の在宅中に盗みを働く「居空き」であることが判明する。翌日、再び「蛇女」こと緑川操の尾行を継続し、彼女が宅配便のドライバー・小浦隆司と共犯であることを知るが、その直後、彼女らは警察に連行されてしまう。2人はすでに警察にマークされていたのだ。
 結局青いバッグは見つからず、操は捨てたと証言したが、操の交際相手が、つぐ美が手帖に記していたレシピをSNSにアップしていることが判明し、激怒する晶であった。

 確かに親しみが湧く主人公ではあるのだが、なかなかスムーズに尾行が進まない様子は、読んでいて主人公以上に読者にストレスを与える。犯人があっけなく逮捕されたのは良いとしても、肝心のバッグが見つからないことで全く爽快感がない。結局、犯人の同性の愛人がそれを持っていたというオチなのだが、最後までただただ不愉快なだけの作品。そんなところに感情移入できても読者は全く嬉しくないのだが…。★

「静かな炎天」…次々に仕事の依頼が舞い込むが、いずれも幸か不幸かあっけなく調査が完了して調査報酬が少なくなってしまったことを嘆く晶。そして、夜に開催されるショップのイベントの準備をしていた晶の所へ、町内会長の糸永がやってきて、しつこく知り合いの所へ本の買い取りに行くことを勧めてくる。あまり魅力的でない話に困り切る晶であったが、店内のあまりの暑さのために「お母様はご無事なんですか」と思ってもみないことを口走ってしまう。
 しかし、晶の直感は的中していた。糸永は近所迷惑になっていた自分の母親を熱中症にして殺害しようと計画していたのだ。近所のスケジュールを全て把握し、外出の予定のない者は全て自宅から遠のけようと策を巡らせ、晶に次々と仕事の依頼が舞い込んでいたのもそのせいであったのだ。糸永は我に返って自宅に戻っていき、母親は救急車で病院へ運ばれ、彼は自家用車へどこかへ出かけようとしていた。
 晶は考える。今ならまだ言い訳は通る。W・F・ハーヴィーの「炎天」のラストの一文のような。「この暑さじゃ、人間の頭だってたいがいへんになる」

 晶の周囲で起こっていたこと全てが、母親の殺害を計画していた糸永の策であったというオチはなかなか。しかし、大きな音を立てるような殺害計画でもないため、近所の人々をわざわざ遠ざける必然性をあまり感じない。この作品で一番痛いのはそこ。糸永が自首するのかどうかもはっきりしないところも、もやもやする。★★

「熱海ブライトン・ロック」…35年前、熱海で失踪した若き小説家・設楽創の特集を深交出版が出しているサブカル系雑誌「東京FIX」で組むにあたり、失踪の謎に挑む女探偵という企画で晶に調査の依頼が舞い込む。創は、当時は知られていなかった合法ドラッグを扱った作品で霜月書房文藝新人賞を受賞した作家であった。
 叔母の自宅に残されていた創の日記に書かれていた「航」「工藤靖生」「アキフミ」「西修」「イシモチ」という人物を捜し出し、1人1人に当たっていくことにした晶であったが、不動産屋の工藤はおかしなUFOマニアで話にならず、アキフミこと日高彰文は大手のドラッグストアチェーンのどら息子で会うことすらできない。倒産した霜月書房の編集者だった西修については同期の滝沢イサムに会うことができたものの、健康マニアの彼からは、西が嫌われ者だったという情報しか得られなかった。創の大学の先輩で篠田商事に勤めていた加藤航に至ってはゴキブリマニアというありさまで、取材対象の変人ぶりに辟易する晶。加藤は設楽から薬物をもらっていたことを告白する。晶は「イシモチ」と一緒に記述されていた「アングラ」という言葉から、イシモチが演劇関係者であると考えていたが、アングラ合成薬品製造者の可能性に思い至る。
 西に会うことのできた晶は、工藤が用意した工場で、日高と加藤が用意した材料を使って、イシモチなる人物が薬物を製造していた可能性を彼にぶつける。創の作品によって合成ドラッグは世間に広く宣伝されることになり、創の金を着服し贅沢していた西も巻き込まれたのであろうことも。実際には、工藤は切り捨てられ、日高の船内で薬物は作られることになったのだが、突然その計画をやめると言い出した創が日高に殺されたことを告白した西は、晶を気絶させて逃亡する。その時海中に没した晶のICレコーダーは死に、晶の記事もお流れになってしまったのであった。

 次々と登場するマニアな変人達は面白いが、ミステリとしては普通。短編ということもあって、先の2作同様に真相にはすぐにたどり着くのだが、過去の犯罪が世間に公表されることもなく終わるため、相変わらず爽快感は微塵もなく、もやもやだけが残る後味の悪い作品。★★

「副島さんは言っている」…晶が勤めるミステリ専門書店マーダーベアブックショップの店長の富山は、「学者ミステリフェア」の開催を提案する。お気に入りの作品で、植物学者が主人公の駒井圭城『アンモニア』(マイナーなものも含め多数のミステリ作品を登場させる本書の中では数少ない架空の作品)が本になっていないことを思い出した富山は、自分の店で小冊子にして売り出すことを思いつき、駒井に出版の許可を取ることを晶に押しつける。
 富山が連絡先をメモしたという『アンモニア』の掲載誌を探している晶の元へ、かつて晶が所属していた長谷川探偵調査所の同僚で元警察官の村木義弘から、星野久留美という女性について大至急調べてほしいという連絡が入る。依頼を無視して見つけた『アンモニア』を読み始める晶。それは動物の排泄物や死骸が出すアンモニアを好むアンモニア菌と呼ばれるキノコの群生を見つけた主人公が、その群生の下から大学教授夫人の死体を発見するという話だった。
 読書中にテレビのニュースで星野久留美が殺害されたことが流れていることに気付いた晶は、ネットのニュースで見直してみると、久留美は古くなった家を買い取っておしゃれにリノベーションして転売することを仕事にしており、殺されそうな女性ではなさそうであった。約束の1時間後に電話をしてきた村木は、彼女が殺されたことは知っており、トラブルの相手は見つかったかどうかを問い詰めてくる。期待はずれの晶の答えにがっかりする村木に対し、リノベーションの工事の騒音トラブルではないかと言ってみる晶。ニュースで言っていたマンション内で「騒ぎを起こした男」が事件に関係がありそうだとも言ってみるが、その線はないと一蹴する村木。明らかに村木が怪しいのだが、村木の経営しているバーのホームページに村木と久留美のツーショットが掲載されているのを見つけ、晶の疑念はますます深まる。そして病院で人質を取って立てこもっている男のニュースがテレビで流れ、その映像で村木の顔を確認した晶は危うくコーヒーを吹き出しそうになる。
 久留美がかつてパワハラで訴えた女上司に晶が連絡を取ってみると、彼女は容疑を否認し、粟屋弁護士と共に訴訟の報酬を3割ずつ久留美から受け取ったパワハラ問題に関するNPO代表の若松が怪しいと言う。そしてその若松はインドを放浪中であることが分かり、調査は暗礁に乗り上げるが、そこで流れたニュースに、あっけにとられる晶。立てこもり犯の名前は「副島順平」。村木ではなかったのだ。
 村木は人質になっている病人の方で、副島は村木の店の常連とのこと。久留見殺しの容疑者として追われている副島の言い分を、村木は「〜と副島さんは言っている」と晶に次々と伝えていく。その晶のいる店内になだれ込んでくる警察官達。警部補の関水は、副島以外の容疑者が見つかったと嘘をついて副島を油断させるように晶に強要してくる。意を決した晶は、粟屋弁護士は奥さんが失踪して意気消沈し甥に事務所を譲った、その事務所の庭にはアンモニア菌が生えている、その事務所を久留美が買い取った、粟屋弁護士の甥はその庭を掘り返されると困る…という推理をでっちあげ、その推理に食いついた副島はあっけなく突入した警官隊に逮捕される。
 警察で延々と説教を食らった晶であったが、席を外した関水が戻ってくると、幽霊でも見るかのような目つきで、例の庭から白骨死体を掘り起こしていた男が逮捕されたことを伝えた。晶のでっちあげの推理は的中していたのであった。

 本書の中では、これが一番漫画チックで面白いのではないか。テンポの良い展開で、ミステリとしてよくできていると思うし、富山はもちろん、村木、副島、関水ら登場人物のキャラも見事に立っていて楽しめる。大きな突っ込みどころも特になかった。★★★

「血の凶作」…マーダーベアブックショップのハードボイルドフェアにゲストとして招かれたハードボイルド作家・角田港大は、店に入ってくるなり、「オレ、2週間前に死んだんだわ」と告げる。よくよく聞いてみると、三鷹のアパートの火事で焼け死んだ男の賃貸契約書に付いていた戸籍抄本が、港大の本名である「角田治郎」のものだったというのだ。警察の捜査が進まないことに業を煮やした港大は、晶に調査を依頼する。
 「角田治郎」が辛子で豆腐を食べている写真をヒントに石川県の出身者ではないかという推理を晶が披露すると、港大は、小学生の頃、夏休みに加賀温泉郷で過ごして仲良くなった「ノブ」に間違いないという。しかし、ノブの生存を確認したという晶の連絡に、ノブの通夜でウイスキーを一本空けてしまったという港大は不満たらたら。次に、晶が「角田治郎」行きつけの食堂の隣の美容室に「角田港大先生江」と書かれた歌手のサイン入りポスターを見つけたことを港大に報告すると、「角田治郎」の正体は、その歌手のマネージャーをしていた白川に間違いないという。しかし、またしても晶は白川の生存を確認し、その報告を聞いた港大は、白川をしのんで開けたラフロイグをこぼしてしまったと不平を言う。
 「角田治郎」が勤めていた清掃会社で晶が聞き込みをすると、彼は正社員になる話を断る不思議なところがあり、少ない収入の割りに食事にはお金を掛けており、料金の高い指圧院に通っていたことが明らかになる 。運良く指圧院の先生の弱みを握った晶は、「角田治郎」の正体が古閑寛太であることを聞き出すが、彼の住所は高田馬場の「呪われた土地」にあった。土地の権利者が5人いたのが、死んで相続が始まるとねずみ算式に権利を主張する人間が増え、大勢の人間がその権利争いに巻き込まれて死んでいるらしい。その報告を港大にした直後、急に現れた古閑寛太本人に脅される晶。 彼はその土地の権利を主張してホームレスのようにそこで暮らしていた。そして古閑の運送会社で働いていた津田次郎という人物こそが、「角田治郎」の正体であることが遂に確定する。古閑は土地を奪おうとしていた萩登という詐欺師を殺害して収監されていたが、どうやらその場に津田もおり、津田は萩から奪った3000万円という大金でちびちびと贅沢をしていたらしい。古閑運送のあとに勤めた引っ越し業者での仕事中に港大の戸籍抄本を手に入れた津田は、それでアリバイを作っていたのだった。

 前半の、晶と港大との掛け合いは漫才みたいで面白いのだが、後半が煩雑。「津田治郎」の正体が分かったと思ったら間違いで…というパターンの繰り返しに、だんだん飽きてくるし、しかも話が複雑になってきて、なおさら読者を疲れさせる。津田が港大の戸籍抄本でアリバイを作ったというあたりがよく理解できないし、白川のいい話で締めくくろうとしている結末も分かりにくくて微妙。★★

「聖夜プラス1」…多摩湖の近くで白骨死体が見つかり、その土地の持ち主が、数年前『リアルスパイの肖像』を出版して話題になった元外交官の園田均だという話を富山から聞く晶。終活を始めた園田の蔵書の処分をマーダーベアブックショップが任されることになっていたのだが、クリスマスイブの朝、仕事を終えて4時に帰宅した晶を7時に電話で起こし、園田の蔵書の目玉とも言えるギャビン・ライアル『深夜プラス1』のハードカバー初版原書サイン本を園田宅まで取りに行くよう富山に命じられた晶は、怒りのため再び眠ることもできない。店に寄って手土産も持って行くようにという追加の指示に、呆れながらも寝不足と風邪でボロボロの体を引きずって8時半にアパートを出る晶。
 富山の指示通り晶がたどり着いた場所は、富山のミスで、園田の自宅ではなく白骨死体が発見された現場だったためキレる晶。なんとか園田の自宅にたどり着いたものの、入れ違いで園田は外出し、園田の妻から手渡された本は園田が政治家に渡すために昔用意した偽のサイン本だった。園田夫人から知人2人にシュトレンを届けるよう頼まれた晶は、園田宅を出た直後に、男に荷物を奪われそうになるがなんとか取り戻す。富山からクリスマスケーキを買ってくるよう命じられ、1軒目の配達先で、さらにもう1軒の配達を頼まれる晶。その配達先、小石原宮子の家に晶が着くと、宮子が包丁を持った娘婿の男に追われている現場を目撃。なんとか娘婿を撃退し警察に引き渡すが、ぼけた宮子は晶のハンドバッグを自分のものだと言って離さない。警察署でシュトレンを餌になんとかハンドバッグを取り返す晶。宇佐見という担当の捜査員の話によれば、娘婿は多摩湖で見つかった白骨死体を失踪中の妻だということにして保険金を手に入れたかっらたしい。
 園田邸に戻った晶は、園田からそのサイン本が偽物であることを晶に打ち明けられ、園田は本物を渡してくれる。やっとマーダーベアブックショップにたどり着こうかという晶を男達が襲い、サイン本を奪っていく。彼らは園田の蔵書の処分をマーダーベアブックショップが任されたことをよく思わない早稲田の古書店の人間だったが、晶はちゃっかりと彼らには偽物をつかませた。本物のサイン本とクリスマスケーキを店に届けると、パーティー中の店内では歓声が上がるが、彼女が出ていくのを誰も止めようとはしなかった。

 晶が次々に色々な人物から無理難題を押しつけられ、追い込まれていく様子を面白おかしく描いたつもりなのだろうが、これは面白いのだろうか。前作の『血の凶作』同様に話が煩雑だし、個人的には、主人公同様にイライラが募ってストレスがたまるだけで、読んでいて不愉快で苦痛なだけだったのだが。すべての任務を果たし、立ち去っていく主人公を誰も引き留めないというエンディングに言いようのない切なさを感じるが、印象的なのはそこだけ。★★

 冒頭で述べたように、確かに主人公の葉村晶は、大刀洗万智と比べれば人間的で親近感が湧く キャラではあるのだが、とうが立ちすぎというか、別の意味で近寄りがたい雰囲気を醸し出しているのがどうも…。筆者が今までにない探偵像を作り出そうとしているのは分かるのだが、痛々しさだけが目について心から楽しめない。そこは笑うところだから、そんなにくそ真面目に捉えなくてもという意見もあるのだろうが、なんとなく弱者をあざ笑っているような雰囲気があって今一つ好きになれない。

 

『涙香迷宮』(竹本健治/講談社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2017年版(2016年作品)1位作品。主人公は、若き天才囲碁棋士の牧場智久。「牧場智久(ゲーム3部作・牧場智久&須堂信一郎)」シリーズが4作(外伝がさらに1作)、「牧場智久&武藤類子」シリーズが3作、「雑役」シリーズが2作刊行されており、本書はそれらの集大成とのこと(wikipediaを見ると若干捉え方が違う)。過去の作品の紹介が中途半端なため、実は智久が高校生であるとか、類子に憧れる津島の立ち位置とかが全然読者に伝わっていないのは問題。

「発端」…智久が、自分がプロ棋士になる前に巻き込まれた事件の担当刑事だった楢津木と話している最中に、楢津木に新しい事件発生の知らせが入る。その事件が囲碁に関係していることを知った楢津木は現場の旅館に智久を連れて行く。旅館の一番奥の部屋の現場では、アイスピックで背中を刺された男が碁盤に突っ伏して死んでいた。現場にある碁石が通常より多いことに気が付く智久であったが、それ以上のことは分からずじまいであった。

「もうひと一つの発端」…目黒のホテルのミステリ・ナイトというイベントに参加した武藤類子、三原祥子、一年後輩の津島海人の高校生3人組は、黒岩涙香研究家の麻生徳司から話しかけられる。3人の会話の中の「類子」という言葉に反応したためであるが、ミステリ研のメンバーということもあり、涙香のことを知っていた類子達に麻生は大いに喜び、麻生にラウンジに誘われる3人。様々な涙香の功績を3人に語って聞かせていた麻生の元に、興奮状態のミステリ評論家の大館茂が現れ、麻生に涙香の隠れ家を茨城県の明山で発見したことを報告する。ある暗号を解いてその隠れ家を発見するきっかけを作った人物が智久であることを知った3人は驚き、祥子の「この類子、牧場さんの彼女なんですから!」という叫びに、麻生と大館のみならず、彼らの会話に聞き耳を立てていた智久のファンの女性4人組も驚きを隠せないのであった。

「経緯」…その4日後、智久と類子は麻生邸に招待される。そこには、麻生と大館のほかに、ゲーム評論家の井川邦芳、涙香マニアの永田靖宏、歌人の菱山弥生がいた。その集まりは、智久へのねぎらいが主たる名目であったが、事情がよく呑みこめていない類子のために、これまでの経緯の説明から始まった。
 涙香が有能なジャーナリストであったこと、五目並べのルールを整備して正式な競技として連珠を成立させたのが涙香であったこと、連珠の26の基本形に付けられた名前に暗号が隠されていたことなどが語られ、そこから明山に何かがあることを智久が突き止めたという話に至る。さらに涙香が都々逸に入れ込んでいたこと、競技かるたの創始者が涙香であったという話に驚きっぱなしの類子であった。

「発掘調査」…8月13日に涙香の隠れ家の長期間の発掘調査の許可を得たという知らせを受けた智久は、最低でも3週間はかかる調査のうち何日かだけでも調査に加わってほしいと持ちかけられる。8月22日に日立市で覇王戦の決勝がある智久は、20日から類子を伴って参加することに。井川と弥生のほか、パズル作家の小峠元春も参加し、険しい山道を進みついに目的の廃墟にたどり着く一行。現地では、麻生と永田のほかに、地元のミステリマニアである緑川拓郎と榊美沙子、そして編集者の家田美津夫の3人が作業を行っていた。廃墟の地下には、十二支にちなんだ12の部屋があり、それら全ての部屋の四方の壁に、涙香の作ったいろは歌が刻まれた青銅板が埋め込まれていることに一行は驚かされる。しかもその48首は、冒頭の文字が全て異なった、ひと揃いの歌になっているという。

 読み始めた時は2016年作品でぶっちぎりの傑作の予感がしたのだが、登場人物達が類子に説明するという形で、実在の人物であった黒岩涙香の功績と、涙香らが残したいろは歌などについて、延々と語られる点については、暗号ミステリが大好きでたまらないという読者以外には退屈に感じられるかもしれない。なにしろそれだけで前半が丸々使われているのだ。前半部分の「発端」「もうひと一つの発端」「経緯」「発掘調査」の4つの章の物語の進展としては、それぞれ、旅館での殺人事件発生、類子達と麻生との出逢い、麻生邸でのこれまでの経緯説明、登場人物達が山中の涙香の隠れ家にたどり着いて涙香のいろは歌を目にしたこと以外には特にない。『スケバン刑事』や『ちはやふる』が登場するなど、アカデミックな話ばかりでないことには好感が持てるのだが、文章の多くが物語の展開よりも蘊蓄に割かれているのは個人的には少々きつい。

「嵐の前」…智久のケータイに旅館で刺殺された被害者の身元が判明したというニュースが届く。旧ルールの連珠の団体の会員であった菅村悠斎という人物らしい。麻生は涙香展準備会のパーティに菅村が参加しており、涙香展にメモリアルになる何かを進呈したいと申し出ていたことを思い出す。
 21日に翌日の対局に備えて隠れ家を出る智久。22日には24日あたりに超大型台風が直撃するというニュースが入る。対局を優勝で飾って隠れ家に戻ってくる途中、謎の落石によって危うく死にそうになる智久であったが、足の怪我のみで済み類子によって隠れ家まで運ばれる。

「嵐」…何者かが発掘調査の妨害を企んでいるのではないかという小峠。井川は、智久を襲った犯人が、この廃墟近辺に死体かそれに準ずる物を隠しているのではという考えを披露し、皆は部外者の侵入に警戒するようになる。
 涙香の残した48首のいろは歌の頭文字から、49首目の「いちつ」の歌を発見、さらに暗号いろはが指し示す「柊」というワードまで見つけてしまう智久。謎解きは順調に進んでいたが、その夜、調査メンバーの1人、榊美沙子の遺体を類子が発見する。彼女は毒殺されており、智久のコップを使って飲み物を飲んだ形跡があることから、落石事故のことも考えると、犯人は智久を狙っていることが確実となった。しかし、嵐で孤立した山奥の廃墟からでは、スマホの電波状態も悪く警察への連絡もまともにとれない。

「暴風雨の底で」…犯人は外部ではなく内部にいる可能性が高まったが、持ち物検査をしても毒物を持っている者はいなかった。智久が、今回の事件に、菅村が涙香展に進呈しようとしていた何かが絡んでいるのではと言うと、緑川が、それは犯人が喉から手が出るほど欲しいものか、逆に世に出ることを何としても阻止したいと考えるものかのどちらかではないかと同意する。智久は、麻生と緑川を容疑者から外し、彼らは安心するが、それ以上は絞りきることができない。そして智久は、あることを類子に耳打ちするのであった。

「解読」…類子は広間の天井にある二十八宿が暗号に関係あるのではという意見によって、推理に行き詰まっていた智久は新たな視点から暗号解読を進めていく。その脇で井川が「ウミガメのスープ」という謎解きゲームを皆に対して始める。
 そのゲーム終了後に、智久の推理は大きく進展していた。さらに推理を進めるのに並行して、今度は小峠が「涙香と秋水」という謎解きゲームを始める。その途中、ついに智久は涙香の暗号の完全解読に成功する。先に見つけた「柊」というワードは間違いであり、「うる」と「ひき」こそが答えであることが判明。そして広間の天井にあった二十八宿の内、うるき星とひきつ星のパネルを外すと、その裏にはそれぞれいろは歌が刻まれた青銅板が隠されており、それは完全に逆文になった一対のいろは歌であった。その超絶技巧に驚愕するメンバー。この一対のいろは歌こそが、涙香のお宝であったのだ。
 暗号の謎解きを終えた智久は、小峠を誘ってトイレに向かうがそこで小峠に襲われそうになる。それを未然に防いだのは、事前の智久の耳打ちに従って小峠にスチールパイプを振り下ろした類子だった。

 「真相」…犯人の小峠の口から、菅村が涙香展に進呈しようとしていたものが詰連珠の棋譜であったことが明らかになる。旧ルールでの完全案と呼ばれる詰連珠はこれまで誰も作ったことがなく、世界に名を残したいと考えた小峠は、菅村を殺害してそれを奪ったのであった。
 小峠はメンバーの前で、その解答手順を示していくが、終盤でふと行き詰まる。菅村は用心して一部の石を除いた棋譜を用意していたというのだ。自分なりに完全案を見つけ出そうと悪戦苦闘していた小峠は、智久の天才ぶりを知って自分の犯罪が暴かれることを恐れ、彼の殺害を決意したのであった。

 「解放」…台風の通り過ぎた25日に警察のヘリによって救出される調査メンバー。あの不完全な詰連珠を智久なら完成させられるのではと言う類子に無理だと答える智久。智久は小峠が出題し、途中になっていた「涙香と秋水」の謎解きゲームの進行を引き継いで、皆に考えさせるのであった。

 確かに「すごい」ミステリ作品であることは認める。「このミス」1位にも文句はない。しかし、結局、前半は涙香についての蘊蓄で、後半はほぼ全編が難解な暗号解読ミステリであり、よほど言葉遊びが好きな読者でないと最後まで心から楽しめないであろうというのが正直な感想。
 涙香が作ったとされる、お宝の逆文いろは歌も含めた、本作中の膨大な数のいろは歌はすべて筆者が作ったのであろうが、それだけで賞賛に値する (それらを登場人物達が絶賛している様子が筆者の自画自賛全開に感じられて少々引いてしまうのも事実。これらの作品を何らかの形で世に発表したくて本作を書き上げたのではと、うがった見方もしてしまう。菅村が作ったとされる詰連珠にしても、本当は、いろは歌同様に完成形を出したかったのだが、どうしても極めきれず未完成状態であのような状態で本作に登場させたのではないか)。
 筆者の神がかった能力には舌を巻くが、前述したようにその「すごさ」は、ごく普通の読者には伝わりにくかろう。「へー」「ふーん」で終わってしまえばまだしも、面白くないと言って途中で読むことを放棄する読者もいそうだ。
 「すごい」謎解きに関しても、感心する部分ばかりではない。309ページに書かれている智久の謎解きで、「四十九番目のいろはを縦に半分に割り、その右側の十番目の文字を拾っていけ」と解釈をし、十番目の「ひ」と二十番目の「き」の文字を選ぶ場面があるが、その二文字をあぶり出すために前半の「縦に半分に割る」意味は全くないではないか。
 菅村が涙香展に進呈したいと考えていたものが自作の詰連珠の棋譜だったことが判明するが、いくらそれが「完全案」と呼ばれるすごいものであっても、涙香の知られざる作品であったならともかく、菅村の自作というのはどうなのだろうという点も気になった。涙香自身の作である、今回発見されたいろは歌の数々は涙香展の目玉になるであろうが、涙香とは「連珠」という繋がりしかない一般人の、半分自慢のような詰連珠作品の展示は、ちょっと違うような気がするのだが。
 暗号解読以外の物語の部分は、ごく普通の「嵐の山荘」もので、目新しさはない。小峠の犯行動機は理解できなくもないが、智久が彼を疑った理由が非常に曖昧。智久と類子以外のキャラは、キャラとして全く立っていなくて、メインの智久、類子にしても地味で不十分。もっと個性的にして読者を引きつけるキャラにしてほしい。余韻を残す小峠の謎解きゲームが未解決の部分もモヤモヤ感が残る。やはり、物語自体に面白みがないのが、本作の一番の欠点と言えよう。
 というわけで、「このミス」1位に異を唱えるものではないが、万人受けするミステリとは到底思えないので★★という評価とする。暗号ミステリが大好きな人には間違いなくオススメだ。

 

『ビブリア古書堂の事件手帖7 栞子さんと果てない舞台』(三上延/KADOKAWA)【ネタバレ注意】★★★

 楽しみにしていた本書が先月末発売になり、「このミス」2018年版(2017年作品)にランクインはされるのかどうかは分からないが、さっそく購入した奥さんから借りることに。

 主人公・篠川栞子の祖父である久我山尚大は、栞子が生まれる遙か昔、娘の智恵子にシェイクスピアの古書3冊を示し、その中から本当に価値のある1冊を見つけるという問いを与え、正解したら全ての財産を譲るというテストをしようとしたが、智恵子はそれを拒否。怒り狂った尚大は、それらの貴重な本を海外に流出させ、そのことを良しとしないであろう智恵子が世界中を放浪するように仕向けた。智恵子がかつて栞子ら家族を捨てて失踪したのは、彼女がそれらの本の流出に気づいたからだったのだ。
 尚大の腹心だった吉原喜市は、尚大の後継者として、吉原ではなく尚大の娘が選ばれたことを根に持ち、尚大の智恵子への復讐を継承するべく3冊の本をすべて集め、智恵子とその娘の栞子を苦しめようと企んでいた。

 かつて尚大に妻のいることを知らずに彼と交際をし、智恵子を身ごもった栞子の祖母に当たる女性が水城英子という人物であることが明らかになる。彼女は黒い革張りの本を尚大から譲られていたが、彼に騙されたという思いを持っていた彼女は素直に受け取らず借用書を書いて預かるという形で所有していた。尚大の蔵書を全て買い取った吉原は、その本の所有権も主張し、英子はあっさりとその本を渡すのだが、娘の智恵子が修復したその本を本当は大事にしていたことを知っていた英子の現在の家族は、それを取り戻してほしいと栞子に相談を持ち込む。

 吉原は、戸塚にある古書会館の古書交換会にその本を出品し、栞子が落札できないよう妨害工作をするが、栞子の同業者である井上の協力で無事落札に成功する。

 そしてついに吉原は次の古書会館での古書交換会に問題の赤・白・青の3冊の本を出品すると栞子に宣言。それはシェークスピアのファースト・フォリオと呼ばれる稀覯本であり、1冊が本物、残り2冊が複製本であるという。英子の手元に戻った黒表紙の本も尚大が3冊作らせた複製本のうちの1冊であった。2百数十部しか現存していないファースト・フォリオの本物はかつて海外のオークションで6億の値が付いていた。本物か複製かを鑑定しようにも、その3冊の表紙は全て新しいものであり、中身は怒り狂った尚大によってすべてのページが接着剤で糊付けされてしまっていた。妹・文香の進学資金や、吉原から買い戻した太宰治自家用の『晩年』の代金支払いによって経済的に追い詰められていた栞子は、この本を探し続けていた智恵子も敵に回して、店を抵当に入れ4,500万円の資金を作り、本物を落札する勝負に挑む。

 本物の可能性が最も低かった青い本に智恵子が入札したことに驚く栞子と大輔。結局1度だけ入札ができる出品者の吉原が発声し、持ち主の元に帰っていく。次の白い本も複製の可能性が高かったが、なぜか智恵子は執拗に入札。ついつい応戦する栞子。大輔が、栞子の資金を削ろうという智恵子の目的に気が付いた時には、栞子は500万円で落札してしまっていた。そしていよいよ本物の可能性の高い赤い本の入札が始まる。白熱した入札合戦の末、とうとう栞子の資金の限界の4,000万円を超える額を提示する智恵子。しかし、大輔は栞子に内緒で母親と相談して自宅を抵当に入れ、独自に1,050万円の資金を作っていた。そして、限界ギリギリの5,050万円で栞子がついに落札する。

 ここで吉原が爆笑しながら、専門家の鑑定で3冊すべてが現代の紙によって作られた複製品だったことを明かす。しかし、栞子と智恵子は彼より上手で、この本の真実をすでに見抜いていた。栞子は赤い本の小口と天地を切り開くよう大輔に指示する。実は接着剤でとめられた外側の部分は本の「函」にあたるものであり、その中から本物のファースト・フォリオが姿を現したのだ。

 吉原はショックで心臓発作を起こして入院し、栞子は智恵子による1億5千万円での買い取りを素直に受け入れる。栞子を母親に会わせる約束の日、栞子の家へ彼女を迎えに行った大輔はついにプロポーズし、彼女はそれを即答で受け入れる。あっという間に用事が済んでしまった大輔は、約束の時間までどうしようか戸惑うが、栞子は貸金庫に預けてあったはずのファースト・フォリオを出してきて、その中身を大輔に語って聞かせるのであった。

  あとがきを読むまで本書でシリーズが完結したことに気付かなかったが(今後スピンオフ作品は書かれるらしい)、ほぼ文句なしの傑作。「このミス」には結局1度もベスト10入りしないまま完結を迎えてしまいそうだが、「このミス」審査員には商業的に成功したシリーズものには投票したくないという変なプライドがあるのだろう。
 相変わらずえげつない悪役が登場するところは読んでいて気分の良くない部分ではあるが、いつも通り最後には、相手をやり込める場面があるのでスッキリする。
 といっても全く突っ込みどころがないわけではない。例えば、進学資金に困っている妹のためとはいえ、こんな桁違いの金額の大勝負に栞子が参戦するというのは、完結編だから盛り上げないと…という制作者側の意図は分からないではないが、これまでの物語の質素でつつましやかな雰囲気からすれば、かなり違和感がある。
 他には、284ページの真ん中あたりで智恵子による栞子の資金削り作戦に大輔が気付く場面。すでにそこで気付いているのに、その後「違和感が点ったのは、金額が300万円を超えたあたりだった」と改めて記述し、さらに次のページで、「あ…」とまた何かに気付くような描写が引っかかる。そもそも、智恵子の作戦に、栞子よりも先に大輔が気付くことが不自然。大輔はそんなに優秀だっただろうか。
 さらに変なのは、その後、「むしろ、俺たちは追い詰めてたんだと思う」「落札価格が上がるのが分かってて、あの人は栞子さんを振り市に誘いました。それなのに、正々堂々と声を出して落札しないのは変じゃないですか?」と栞子を励ます大輔のセリフに違和感。青い本や白い本へ入札することが、本来の智恵子ならしないような小細工だと大輔は言いたいのか?そうは思わないが…。
 そして、このよく分からない大輔の励ましに「やっぱり大輔君はすごいです。こんな時に……本当にすごい」と素直に感動してしまう栞子。愛は盲目と言うが、大丈夫か、栞子。
 しかし、まあそのあたりには目をつむって、4作目、5作目に続く3度目の★★★を付けたい。 

2017年月読了作品の感想

『図書館の殺人』(青崎有吾/東京創元社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2017年版(2016年作品)20位作品。多忙だったとは言え、月に1冊しか読めなかったのはちょっとショック。親に勘当され、通っている風ヶ丘高校の部室に住み始めた駄目人間、裏染天馬を主人公としたシリーズの第4弾。駄目人間と言っても、成績優秀で探偵としての能力も抜群という設定。アニメオタクという一面もあって、文中にはアニメ好きをニヤリとさせるようなフレーズが多々登場する。第1弾『体育館の殺人』、第2弾『水族館の殺人』、そして第3弾の短編集『風ヶ丘五十円玉祭りの謎』を読んでいなくとも本作を読むのに特に問題はないが、過去の作品内での出来事を臭わすような場面が結構あるので、本書が本シリーズ初体験の読者には若干ストレスに感じるのではないか。その辺りは、著者のシリーズ愛読者へのサービス精神が、シリーズ初体験者への配慮を少々上回っている印象を受けた。

 風ヶ丘高校2年生で図書委員長の城峰有紗は、従兄の大学生、城峰恭助の協力を得て、自作のミステリー小説『鍵の国星』を行きつけの風ヶ丘図書館にこっそり置いて、その閲覧者を観察するという密かな楽しみを持っていた。そんなある日、恭助が図書室で撲殺死体として発見される。何かで血がかすれた跡とともに、床に血で記された「く」というダイイングメッセージが発見され、司書の久我山が疑われる。実際に久我山は通用口の夜間パスワードを恭助に教えていた。さらに、現場からはもう1人の別人の血痕も発見され、謎が深まっていた。

 天馬は過去の活躍からアドバイザーとして捜査に参加し、様々な解決のヒントを見つけたそぶりを見せるが、十分な説明を周囲に行わないため皆をいらつかせる。恭助の持っていたカッターナイフの刃の破片を、あたかもそこにあるのが当然かのようにトイレの張り紙のガムテープの裏から発見するが、彼は詳しい説明をしようとしないのだ。それでも彼自身もなかなか真相にたどり着かずに、悩みながら真相に近づいていく。

 事件の真相はと言えば、風ヶ丘図書館をクビになった元司書の桑島が『鍵の国星』のトリックを自分のものにしようと恭助を脅迫。恭助は証拠となる本を回収するため、久我山に夜間に調べ物をしたいと嘘をつき、久我山から夜間パスワードを聞き出して夜の図書館に侵入。偶然、恭助の身元を調べようと恭助の侵入直後に図書館に入って恭助のデータをパソコンで検索していた桑島を、恭助の後をつけてきた恭助の母、美世子が本で殴り倒してしまう。気絶しただけの桑島が死んだと勘違いした美世子は、自首を勧める恭助を桑島と同様に本で殴り、殺してしまったのだった。死体を確認するためにかがみ込んだ時、長い髪に血をつけてしまったことに気が付いた彼女は、図書館のトイレに向かい、恭助が持っていたカッターナイフで髪を切る。カッターナイフはこの時床に落とされ、破片が偶然ガムテープにくっついてしまったのだった。

 事件解決後、桑島が絶賛した『鍵の国星』を読んでみたいという天馬に、有紗は天馬なら読まなくても犯人をあててしまいそうだと語る。そして実際に天馬はあててしまう。その犯人は被害者の母親だったのだ。

 いかにもライトノベルといった感じの登場人物が多数おり、勉強が苦手なヒロインの袴田柚乃をはじめとした多くの個性的な高校生達、優秀な県警の刑事だが天馬と妹の仲を妄想してすぐに取り乱す柚乃の兄の袴田優作、優作を見下す一方で天馬に運命を感じる少年好きな保土ヶ谷署の女刑事の梅頭咲子など、ユニークなキャラ達は実に魅力的。ただ、高校の生徒達は前述したように過去作品のエピソードと絡めた形でちょこちょこと登場する程度であり、冒頭部で読者を強力に引きつけた咲子は、すぐにフェードアウトしてしまって完全に拍子抜け。実にもったいない。

 そして肝心の主人公であるが、優秀だがつかみどころがないという以外、もうあとワンポイントの魅力に欠ける。実は人間味のある大きな弱点を持っているとか、人の知らないところでものすごく人情深いとか、ミステリアスな部分を残しつつ、人間的な魅力をもっと持たせてほしい。そして、彼が解き明かす事件の真相もかなりご都合主義的。何より最愛の息子を成り行きで殺害してしまう母親という犯人像に無理がある。ろくに取り乱しもせず、血液反応を鑑定されるのを恐れて現場で冷静に自分の髪をカッターで切るのも理解に苦しむし、折れたカッターの刃がトイレのガムテープの裏にあることを天馬が予測するのも無理がありすぎる。

 また、ラストシーンで、天馬が『鍵の国星』の犯人を当てるところは一瞬「おっ」と思ったが、「く」の付く人物という部分まで当てるところは、正直何を狙っているのかよく分からなかった。恭助が死の間際に有紗の作品を再現したことに何か深い意味があるのか、有紗の身近に「く」のつく危険人物が存在することを暗示しているのか、などと色々シミュレーションしてみるが、やはり分からない。トータルな評価としては、ライトノベルとしてもミステリとしても中途半端な印象を受けた作品というものだ。 

2017年月読了作品の感想

『聖女の毒杯 その可能性はすでに考えた』(井上真偽右/講談社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2017年版(2016年作品)11位作品。 『その可能性はすでに考えた』シリーズ第2弾。前作も嫌いではなかったが色々と気になるところもあってその前作には★★を付けた。前作と今作のどちらが良いかというのは賛否あるようだが、個人的には今作の方が好みである。よって★★か★★★でかなり悩んだが 、結局★★で。面白いとは思うのだが…。

 カズミ様という聖女伝説が伝わる地で、成金の俵屋一族の元へ、父の借金のために嫌々嫁ぐことになった娘・和田瀬那。結婚式の会場で盃を回したところ、その盃に入っていたと思われるヒ素によって3人の死者が出る。しかし、それはなぜか飛び石状に出て、死亡したのは新郎と新郎の父、新婦の父、そして新婦の付き添いの娘の飼い犬。犯人は新婦か、新郎の素行の悪い2人の妹か、妹たちの従兄か、新郎の母か、家政婦か、新婦の付き添いの娘か…。

 そこに颯爽と現れた主人公の上苙丞(うえおろじょう)の元弟子で、小学生探偵の八ツ星聯は、明晰な頭脳であらゆる可能性を検討するが結局犯人は絞れない。新郎の妹たちの従兄にあたる橘翠生は、新郎の上妹の愛美珂を犯人と断定するが、激高した愛美珂は、自分の母親と関係を持っていた翠生こそ有力な容疑者であると反論する。その後、翠生の母も推理に参加し、愛美珂は新婦の付き添いの娘の山崎双葉を犯人と指摘。そこで復活した聯が、これまでに登場した5つの仮説を一気に論破し潰すが、結局犯人は分からないままだという。とうとう双葉が伝説の聖女・カズミ様の仕業とまで言い出す始末であったが、そこで冷静に状況を見守っていた元中国黒社会の幹部の美女・フーリンは「せいぜい気張るがよい」と心で呟く。そう、真犯人はフーリンだったのだ。

 事件から1週間以上が経過した頃、フーリンは彼女のかつての仕事仲間のリーシーからの、かつて所属した組織の大ボスである沈老大の身内の葬儀に参列するようにという要請を渋々受ける。会場の豪華客船に参じたところ、そこに飾られた特大の遺影の姿にフーリンは驚愕する。それは、フーリンが抹殺した男達と一緒に死亡した双葉の飼い犬だったのである。沈老大の飼い犬・ビンニーは、日本の旅館で沈老大からはぐれてしまい、双葉に拾われていたのだった。沈老大から拘束している関係者を拷問するように支持されるフーリンであったが、そこに聯が登場。しかしあっという間に囚われの身となる聯。師匠の上苙がこれは「奇蹟」であり、犯人はいないと主張していたという聯の話に驚くフーリン。上苙は母親の起こした数々の奇蹟をバチカンの奇蹟認定の審査委員であるカヴァリエーレ枢機卿が認めなかったことで、母親が不遇な晩年を送ったことを根に持ち、奇蹟の証明に全てを捧げている男であった。聯の主張を沈老大の部下のエリオが論破し、聯は窮地に陥るが、そこに上苙の飛ばしたドローンが出現上苙は「奇蹟」を主張する。フーリンは上苙が真相に気が付いていないか、あるいは気が付いた上で自分をかばっているのではないかと考える。ドローンを撃墜したリーシーは、容疑者の中にヒ素に耐性のある者がおり、その者こそが犯人であると全員にヒ素を呑まそうとする。そしてついに現れる上苙。

 上苙が真相に気付いていないと判断したフーリンは、上苙を敵と見なし、リーシーに自分の罪を告白し彼女を味方に付ける。しかし、フーリンが共犯者に選んだ家政婦の珠代にエリオが目を付けフーリンはピンチに陥る。フーリンの命で、リーシーはエリオの説を潰しに掛かるが、これが裏目に出てフーリンの犯行に沈老大が気付いてしまう。しかし、それでも上苙は屈しない。フーリンの犯行の可能性もすでに考えており、それでもなお彼は奇蹟を主張する。フーリンの犯行計画は失敗していたというのだ。ビンニーの死だけは説明が付かなかったが、それはエリオが沈老大を暗殺するために鈴に毒を仕掛けていたことによるものであることが明らかになる。エリオは上苙が自分をかばってくれていたと考え自害する。

 上苙の奇蹟の主張が認められ、容疑者はすべて解放される。すべてが片付いたと思われた時、新婦の伯母の時子が現れ、「真実を、知りたいですか?」という彼女の言葉に上苙は凍り付く。真犯人は新婦の父と時子で、愛美珂に罪を着せようとして失敗したというのが事件の真相だったのだ。上苙はフーリンの隣で「次こそは必ず…」と呟き続けるのであった。

 前回キャラ立ちが中途半端だった登場人物が見事に生き生きと描かれているのが前作以上に本作を評価したい部分である。小学生探偵の聯は実にかわいらしいし、フーリンにライバル心を持っていそうなリーシーが実はフーリンを慕っている様も良かったし、沈老大もエリオも良いキャラだった。そして今回抜群に良かったのはやはりフーリンだろう。上苙が自分をかばってくれているのではないか、いや、全然自分のことに気が付いていないではないか、と心情が二転三転する女心の描きっぷりは実に読んでいて微笑ましかった。
 これだけ前作を超えるところが多々あっても、やはりネックは読んでいてくたびれる延々と続く推理合戦。そして最後のオチも残念。新婦の父と伯母が組んで行ったというトリックがあまりにお粗末でとても成功する気がしない。次回作に期待したい。

 

『パイルドライバー』(長崎尚志/KADOKAWA)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2017年版(2016年作品)14位作品。

 横浜市金沢区の住宅街で守屋家三人の惨殺死体が発見される。その犯行現場の様子は15年前の秋津家一家殺害事件の現場にそっくりであった。ピエロのような化粧が被害者全員に施されたところまで…。
 神奈川県警刑事部の巡査部長・中戸川俊介は、実家の豆腐屋を継ぐため警察を辞めるつもりだったが、15年前の事件を解決できないまま定年退職した「パイルドライバー」の異名を持つ伝説の元刑事・久井重吾と組んで、この事件の捜査に加わることになる。久井の場合の「パイルドライバー」とは、プロレスの技のことではなく、建設機械の杭打ち機を指すらしい。中戸川は、久井が守屋家ではなく秋津家の関係者に聞き込みを続けることに不満を感じるが、秋津家の被害者の1人である秋津未来が同級生の田口亜美にいじめられていたことを知る。
 そして、15年前の事件にも詳しい駐在所の木下警部補のところに、今回の事件の犯人を名乗る広田という男が現れ、身柄を拘束される。広田は15年前にも捜査線上に浮かんだ人物であったが、彼は過去の事件への関与は否定する。
 難民支援団体のスタッフで守屋家の遺体を発見した荘田友里にも聞き込みをする久井に中戸川は安堵するが、それでも彼は久井が何を考えているのかまったく理解できない。
 そして警察の手によって事件現場に連れてこられた広田が林葉という男に斬りつけられて死亡する。
 独自に事件を追う友里は、密入国を助ける活動をしているアフマドという人物の存在をつかむ。ついにアフマドとの接触に成功した友里であったが、彼からは、「二度と自分に会いに来てはいけない」「アメリカに逆らってはいけない」と忠告される。
 久井は、林葉が過去に起こった少女殺人事件の犯人であり、そのことを知った人物が彼を脅迫して広田を襲わせたのではないかと考える。そのことを追及された林葉は観念し、自分を脅迫した人物が警察官だと告白する。その警察官とは木下警部補であった。
 自殺しようとしていた木下を止めた久井と中戸川。2人は聞き込みの中で、木下の息子・敏哉がかつて強姦未遂事件を起こしていたことを知る。そして敏哉が田口亜美の依頼で秋津未来を襲おうとしていたことが判明し、中戸川の背筋に寒気が走る。秋津家惨殺事件の犯人が敏哉である可能性も浮上。黙秘していた木下も、息子の犯罪を黙っていてやる代わりに広田を殺害して自殺するするよう何者かに命じられ、林葉を利用したことをついに白状する。そして、敏哉の強姦未遂事件をもみ消した沢辺課長が理事官級に出世した上に、内調の嘱託になったという、新たな謎が浮かび上がる。
 犯罪者に残酷な拷問を繰り返すアメリカの収容所「ブラックサイト」が横浜に存在し、そこから脱獄したマレーシア人が守屋家に逃げ込み、アメリカの派遣した何者かが守屋家の家族ごと脱獄者を処分したという可能性が浮上する。
 再びマンションの自室でアフマドと接触することのできた友里であったが、アフマドは彼女を殺そうとする。そこへ助けに現れたのが久井だった。彼はこうなることを予想し、いつの間にか彼女の部屋の隣の部屋に住み、合い鍵まで用意していたのであった。
 その後、敏哉達の強姦未遂事件のもみ消しの真相が明らかになる。そのグループの中に県知事の孫がいたためであった。その男、松丸唯男は、強姦が未遂に終わったのはある少年に見られたからだと証言する。
 そして久井と中戸川は、経営コンサルタントの岡田義美という人物にたどり着く。彼の自殺した息子・蔵人こそが強姦未遂事件の現場にいた少年であり、秋津家一家殺害の真犯人だったのだ。そして蔵人を殺人現場から逃がしたのが義美であった。
 事件解決後、久井は離別していた娘に会うべく旅に出る。そして中戸川は友里の住むマンションに嬉々として向かうのであった。

 主体がコロコロ変わって読みにくい。しかもその主体を、意図的にハッキリさせない部分も多々あってなおさら読みにくい上に、それがあまり効果的ではない。特にタイトルにもなっている「パイルドライバー」こと久井に主体が移った時が微妙。ただでさえ久井のすごさがあまり伝わってこないところが大いに問題ありなのに、彼に主体が移っても描き方が妙に中途半端なのは変わらず。こんな状態になるくらいなら、久井はすべて中戸川の目線から描いた方がその存在感が高まったのではないか。「パイルドライバー」という異名にも完全に名前負け。元刑事としてそれなりに優秀なのは伝わるが、その異名からしたら、もっと豪快で無茶しまくりの人物でないと読者は納得しないだろう。本当に「ただのちょっと頭が切れる人」という程度の印象しか残らない。
 中途半端と言えばヒロインの荘田友里も同様。ただの脇役の1人かと思いきや、後半で急にヒロインらしく仕立ててくるものだから、ものすごく違和感を感じた。ヒロインらしい魅力的な描写がほとんどなく、主人公がなぜそんなに彼女に引かれていくのかまったく理解できない。浮ついた脳天気なラストシーンは特にひどい。
 他にも登場人物が無駄に多いのが気になる。特に警察関係者は誰もがキャラが十分に立っておらず描き分けがハッキリしていなくて誰が誰だか読んでいて分からなくなる。
 捜査の展開にも不満が多い。どんでん返しをたくさん用意して読者を喜ばせたいという気持ちは分かるが、木下が胡散臭いのはミエミエだし、どんでん返しに感動する以前に、とにかく話がややこしいし、何より終盤で突然登場する松丸と岡田には閉口。後出しにも程がある。
 ネット上の書評が結構良いのが私には理解できない。このように突っ込みどころ満載なので、あまりオススメはしない。

2017年月読了作品の感想

『十二人の死にたい子どもたち』(冲方丁/文藝春秋)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2017年版(2016年作品)16位作品。

 廃業した病院で集団自殺をすることになったインターネット上での繋がりしか持たない少年少女達12名。自殺サイトには共同声明という形の遺書が残してある。彼らが決められた金属の数字を持って集合場所になった病院の地下に集まってみると、あらかじめ用意してあった12のベッドの内の1つに12名以外の少年の遺体が横たわっていたことで、彼らは激しい議論を行うことになる。

 1番の少年・サトシ…今回の集団自殺のサイトの管理者である14歳の中学2年生。念入りに前日から準備を行うが、前日オフにしておいたはずの配電盤の電源が当日なぜかオンになっており、前日はなかった煙草の吸い殻がベンチのそばに2つ落ちていることを不審に思う。
 2番の少年・ケンイチ…親戚の結婚式で着せられたスーツを着用して現れた16歳の少年。ロビーのソファに座っている時、人が転んだような音を聞くが振り返っても誰の姿もなかった。カウンターに戻った時、カウンターの上にあったはずの誰かのマスクと黒いキャップ帽がなくなっていることを不思議に思う。ベッドの置かれた地下の多目的ルームで最初に少年の遺体を発見する。自殺実行の決を採る時に、1人だけ反対に挙手をする。
 3番の少女・ミツエ…念入りにメイクをしピンクのゴシック衣裳に身を包む感情的な少女。1階の女子トイレで左足のスニーカーを発見する。自殺実行の決を採る時に絶対賛成と大騒ぎする。
 4番の少女・リョウコ…地味なブラウスに地味なカーディガンを羽織り、ニット帽を目深にかぶってマスクで口元を隠す。2階のトイレにいる時、外で人が倒れるような音を聞き、ドアの隙間から何者かが足音を立てずに目の前を通り過ぎるのを目撃する。
 5番の少年・シンジロウ…しゃれたハンチング帽をかぶり、ワイシャツに黒いネクタイをし、紺のズボンとジャケットという出で立ちの17歳の少年。開かないはずのロビーの自動扉が開いたことに驚く。何者かが、モップを使って頭上にあるスイッチを入れたらしい。スイッチを切った彼は、自動販売機の受け取りスペースに商品が落ちてくる音を聞く。2番目に多目的ルームに現れる。
 6番の少女・メイコ…学校の制服と変わらないようなスカートにワイシャツを着て、大きなピンクの造花の髪留めという姿でやってきた彼女は、会場の病院が予想以上に綺麗で明るくてお洒落なことに驚く。7番の少女・アンリに病院の前で声を掛けられ一緒に金属の数字の入った金庫に向かう。
 7番の少女・アンリ…全身黒ずくめの長身で大人っぽい少女。カウンターを出てすぐの所にあって進路を妨害していたキャスター付きの椅子をカウンターの内側の端へ運ぶよう、6番の少女・メイコに指示する。
 8番の少年・タカヒロ…自動販売機で買ったペットボトルのコーラをなんとなく持っている。何らかの病気で病院通いを余儀なくされ、睡眠障害のため処方された薬に頼っているが熟睡できた例しはない。集合場所の地下に行く前に高い場所で太陽と青空を目に焼き付けておこうとするが、エレベーターが4階で止まったままであることに気が付く。そして階段を上ると、キャスター付きの椅子と消火器によってエレベーターの扉が閉まらなくなるように細工してあることが判明する。声をつっかえさせながらしか話せない。
 9番の少年・ノブオ…病院の4階で8番の少年・タカヒロの前に現れた2人の内の1人で、眼鏡を掛けた丸坊主の小柄な少年。柔和な話し方をする。
 10番の少年・セイゴ…病院の4階で8番の少年・タカヒロの前に現れた2人の内の1人で、がっしりとした体格で派手ながらのTシャツを着て、いつも煙草を吸っている15歳の少年。親に保険金目当てに殺されそうになっており、その計画を妨害しようと自殺を決めた。
 11番の少女・マイ…制服を着た、不治の病に感染した金髪の17歳の少女。自分が自殺することでみんなが同情してくれることに期待している。病院の裏口で黒いキャップ帽とマスクが落ちているのを発見する。
 12番の少女・ユキ…何者かによって引きずられる少年の裸足の足を目撃するが、黙っていると決めている小柄な少女。4階のトイレに隠れていたが、1階に降りる時に使ったエレベーターの中に右足のスニーカーが隅に落ちていることに気が付く。

 謎の少年の遺体のせいで、自殺の実行について決を採ることになるメンバー。一刻も早く自殺実行を望むメンバーの中で、ケンイチだけが反対をする。このまま集団自殺を実行すれば、遺書のない彼は、自分たちが殺したことになってしまうのではないかとケンイチは心配していた。そして議論の途中に、部屋の中に病院のものではない車椅子があることに気が付くメンバー達。何者かがあれで謎の少年の遺体を運んだのかという可能性が生まれる。
 そして、2度目の決を採った時、反対派にシンジロウが加わる。そして、謎の少年の遺体を観察した彼は、「あれは殺人だと思う」と衝撃的な発言をする。

 車椅子の生活を送っていたと思われるゼロ番と呼ばれるようになった少年が自力でここまで来たとは思えないこと、残された空の薬剤の包装シートと遺体の状態が一致しないことを他殺の理由として挙げるシンジロウ。そしてシンジロウの提案に従って、メンバーみんなで病院内の不審な点を調べることになる。
 煙草の吸い殻や黒いキャップ帽、ゼロ番のものと思われるスニーカー、エレベーターを止めていた椅子や消火器などを確認するメンバー達。そして屋上に出た時、タカヒロはノブオに「き、君が、あの子を殺したの?」と語りかける。

 ノブオは「うん、僕がやったんだ」と認めた上で、改めて部屋に戻って決を採ることを提案し、アンリは戻る前に自由時間を取って2度とメンバーが地下から出ないことを提案する。皆がそれらの提案に賛成し、ノブオはトイレで「僕がここに来た理由はね。人を殺したからなんだ」と心の中で呟く。そんな彼はトイレを出た後、何者かに階段で突き飛ばされ、部屋に戻ってくることはなかった。

 集合時間になっても戻ってこないノブオを「逃げた」と断じるアンリ。サトシが代表として病院内を見回りに行くも彼は発見できなかった。その後、セイゴの指摘で、リョウコがサトシより先に病院に来て喫煙していたこと、顔を隠していた彼女が芸能人のリコであることが明らかになる。自殺した芸能人の後追い自殺をしようとしていたミツエは、「あたしみたいな人をこれ以上増やさないで!」とリョウコを止めようとするが、リョウコは「馬鹿じゃないの」とミツエを突き放す。

 探偵役とも言えるシンジロウがリーダーとなって話し合いは続き、病院に着いた順、病院に入った順、金属の数字を取った順、多目的ルームに入った順を整理するが、誰かが嘘をついているとしか思えない。メンバー1人1人に与えられた30分の時間を次々に使って、話し合いの時間はどんどん延びていく。

 その中でマイの自殺志願の原因がただのヘルペス感染であることを知り、難病を抱えたシンジロウは呆然とし、座り込んでしまう。虚脱したシンジロウをよそに口論は白熱するが、ゼロ番の突然のげっぷに驚くメンバー。ノブオがゼロ番を殺害したというのは嘘で、ゼロ番はまだ生きており、植物状態で眠っていただけだったのだ。

 復活したシンジロウは嘘を付いている可能性が一番高いのはリョウコだと指摘するが、そこへノブオが現れ否定する。彼は自分を階段に突き落とした犯人はメイコだとメンバーに告げる。そしてノブオは、かつていじめっ子をメイコと同じ方法で殺害したことを告白する。

 シンジロウは、ノブオとアンリが、メンバーの誰かが連れてきたゼロ番を見つけて彼を運んだという推理を披露する。そして、ゼロ番を連れてきた人物がユキであることも。それは事実で、ユキはゼロ番が自分の兄であることを告白する。ユキは兄の運転する自転車の後ろで兄に悪戯をしたため事故に遭い、2人は大怪我をして、兄は植物状態になってしまい、2人で一緒に死のうとしていたのだった。

 1人だけ自殺志願の理由がはっきりしなかったアンリは、ついにその動機を「不妊報酬制度」を広めるためだと告白する。しかし、メンバーの誰もが共感するどころか、この世に生まれてきたこと自体には後悔していないと、彼女の発言をきっかけに生き続けることを選ぶ。

 1人1人会場を去っていくメンバー。主催者のサトシは、実はこの企画を実施したのは3度目であり、過去の2回もメンバーの全員が生きたまま帰っていったことが明らかになる。次の企画も考えているというサトシに、最後に残ったアンリは「私も参加するわ」と言い残して去っていった。

 ゼロ番の殺害を認めたノブオに対し、他のメンバーが、その訳を追及するどころか、そのことにほとんど反応を示さないことにものすごい違和感を感じる。目の前に殺人犯がいるのに、のんびりとみんなで今から自由時間にしましょうという展開は、さすがにおかしすぎるのではないか。また、些細なことではあるが、他の企業に買い取られたとはいえ、改装工事待ちで人の出入りがない病院内の自販機が、飲み物やスナック菓子などの商品が入れられたまま稼働しているというのはあり得るのか。
 そして後半はひたすらシンジロウを中心とした、メンバーの到着順にこだわった推理話が展開されるのだが、列車の時刻表トリックものを読んでいるような面倒くささがある。メンバーが自殺を志願するそれぞれの動機話でかろうじて読むに耐えるものになっているが、決して面白くはない。
 ノブオの再登場も、ゼロ番の生存も、ゼロ番を連れてきたのがユキであったことも、ゼロ番を運んだのがノブオとアンリであったことも、アンリの自殺したい動機が「不憫報酬制度」であったことも、何もかもが全くサプライズ効果がなく、クライマックスがないままだらだらと結末を迎えるのは、ミステリ作品としては致命的(著者はミステリとして書いたつもりはないと主張するかもしれないが)。
 アンリの自殺したい動機については、読者も登場人物達と同様にポカーンという感じだろう。彼女の意見を聞いただけでメンバー全員が自殺を取りやめることを決意してしまうという展開にもポカーン。
 中高生に読ませると、「それぞれの悩みを抱えつつも、同じような悩みを抱える者同士で話し合った結果、やはり生き続けることを選択し、全員が生き残るというハッピーエンドに感動した」という感想が出てきそうな作品であるが、大人が読むような話ではない。
 そこそこ読みやすく、読後感の悪くない結末も評価するが、自殺に関心のある中高生向けということで…。

 

『許されようとは思いません』(芦沢央/新潮社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2017年版(2016年作品)5位作品。 帯には「すべてのミステリーランキングにランクイン」「次世代ミステリの台風の目はここにある−今読むべき傑作短編集」のキャッチコピー。実際に「このミス」5位以外に、「週刊文春2016ミステリーベスト10」、「ミステリが読みたい!2017年版」7位にランクイン。これは期待できそうである。

 「許されようとは思いません」

 諒一は18年前に亡くなった祖母の納骨をするために、交際中の水絵を伴い東京から彼女の住んでいた東北の山村・檜垣村に向かっていた。結婚を意識する水絵に対し、彼女との結婚を決められない諒一。祖母には曾祖父を刺殺した前科があったからだった。
 閉鎖的な檜垣村で、惚けた曾祖父が勝手に水門を操作し村の農作物に損害を与えるようになったことで、よそ者だった諒一の祖母は、全ての責任を押しつけられ村八分状態に陥っていた。そしてとうとう曾祖父を刺殺。裁判では全ての罪を認め「許されようとは思いません」と証言して、懲役5年の刑で服役し、肺がんのため獄中死していた。祖母の遺骨は村内の墓に納められたが、事件を起こしたことで村十分扱いとなった祖母の遺骨は村人に掘り出されて村の境界の道祖神の脇に捨てられてしまう。
 その遺骨を預かっていた諒一は、18年たった今、もう大丈夫だろうと考え、母と申し合わせて再び村の寺の墓に納骨しようとしていたのだった。しかし水絵は、子供の頃の諒一が祖母のテレビを壊し、祖母がテレビを買い直さなかったという諒一の話から、祖母が自分の死期を悟り、村十分になるためにあえて事件を起こしたのではないかと指摘する。村八分のままでは、死後については村の一員として扱われてしまうが、村十分になれば、死後、嫌いだった村や曾祖父らとの縁が完全に切れると祖母は考えたのではないかというのだ。諒一は納得し、散骨などを検討することにする。「私だったら海がいいけど」と言う水絵に、思わず「了解、覚えておく」と呟いた瞬間、「それって、もしかしてプロポーズ?」と尋ねる水江。諒一は「そうなるな」と頷くのであった。

 なるほどいい話。だが、やはりイジメをテーマにした話は、どんなにオチがハッピーエンドであろうと個人的には気分は良くない。
 諒一達が村に入った後、村の手前で謎の土砂崩れが起きて母が来られなくなったこと、そして墓地に続く寺の門が最初は閉まっていたのに、実は最初から開いていたこと。このようにミステリアスな出来事が2つ起こるのだが、このエピソードは必要だったのか。前者は、諒一と水絵に2人きりの状態を作ってプロポーズしやすい状況を作ってやりたい、後者は村の墓に入りたくないという、どちらもあの世の祖母の想いが引き起こした奇蹟なのだろうが、ちょっと演出過剰気味か。
 ここからまだ話が続くと思っていたのにあっけなく終わってしまって拍子抜けしたが、全体としては悪くない。

 「目撃者はいなかった」

 葛木修哉は、社内で先月の営業成績表が貼り出された時、定位置の最下位ではなく真ん中あたりに名前があることに驚く。それもそのはず、修哉は注文のあったテーブル材を1枚のところ11枚で製材所に誤発注してしまっていたのだ。
 彼は会社を早速早退し、運送業者から納入先の入り口で納入先の社員を装って11枚の商品を受け取り、自腹で代金を払って商品を受け取る。その後、今度は運送業者を装って1枚のみ商品を納入し、その場を去ろうとする。
 しかし、その時事件が起こる。納入先を去る直前に目の前で交通事故が発生したのだ。信号無視の乗用車がワゴン車に激突しワゴン車は横転。事故をはっきり見ていなかった納入先の社員に、警察に何か聞かれたら協力した方がいいと言われる修哉。
 翌日、その事故でワゴン車を運転していた男性が死亡したこと、乗用車を運転していた女性が、死亡した男性の方が信号無視をしたと主張していることを知って動揺する修哉であったが、自分の発注ミスを隠すため警察に真相を話す気になれない。納入先から警察からの問い合わせで運送業者の名前を聞かれた修哉はいつもの運送業者名を答えるが、その配達担当者が事故について語れるわけはない。事故を目撃したのは修哉なのだから。視界が暗くなる修哉の前に、1人の女性が現れる。彼女は事故で死亡した男性の妻であった。彼女は配達された商品数の辻褄が合わないことを知っており、修哉を問い詰めていく。修哉は吸っていた煙草を落とすくらい動揺する。冷静に吸い殻を拾った女性は、修哉こそ目撃者であったことを知る。証言をしようとしない修哉に対し、修哉の会社に真相を話すという女性を、もしそんなことをしたら男性に不利な証言をしてやると脅して追い返す修哉。
 何とか危機を乗り切ったと思った修哉の所へ警察がやってくる。修哉が早退した日に近所で起こった放火事件についての聞き込みであったが、納入先へ隠蔽工作に行っていて放火事件のことを知らなかった修哉は不自然なことしか答えられない。寝込んでいたはずの修哉を目撃したという証言があり、しかも現場に修哉の吸い殻が捨てられていたことで連行されることになった修哉。交通事故で死亡した男性の妻による復讐が果たされた瞬間であった。

 どうにも救いようのない後味の悪い物語。領収書の偽造などは確かに問題だが、別に横領などの大きな犯罪を犯した訳ではないのだから、修哉は誤発注のことは会社に黙っていてほしいと警察に頼んで捜査に協力すれば良かっただけの話ではないのか。
 納品先での話の辻褄が合わないことは警察も絶対に疑問に思うはずなのに、警察よりも先に被害者の女性がすべてをつかんで修哉の所に乗り込んでくるのはいかにも不自然。しかも、この女性が修哉に復讐するために、会ったばかりの彼の吸い殻を咄嗟に回収するところなどは普通に考えてありえない。
 浅はかな考えのせいで、どんどん追い込まれていく主人公という展開もありがちで、評価は低め。

 「ありがとう、ばあば」

 帰国子女で友達づきあいが上手にできない孫娘の杏を、何とか一流の子役にしようと、マネージャーとして必死になる主人公の私。
 娘の作っている年賀状に使われている写真の杏の姿が、アメリカ時代の太っていて表情の良くないものだったことに対し、流出したらどうするのかと激怒する私であったが、娘は意に介さない。杏もそれを望んでいると、しつこく食い下がる私に娘はヒステリックに反撃する。「杏はお母さんに気を遣っているだけ」だと。
 事務所で杏の先輩になる美月から喪中ハガキが届き、杏に喪中の意味をパソコンで調べさせた私は、美月は母親を亡くしたことで、今度父親を病気で亡くす役をやることになっている彼女にとっては芝居に深みが出て仕事が増えるかもしれないと杏に告げる。
 その直後、杏の小学校の担任から電話があり、クラスで飼っていた金魚が死んだ時、杏がそれをトイレに流したことが問題になっていることを伝えられる私。終業式後のクリスマス会への誘いを杏に確認もせず勝手に断った私は、杏に「杏ちゃんが生き甲斐なの」「そのためなら死んだっていいくらい」と杏に語りかける。
 そしてロケで訪れた福井の宿泊先のホテルの7階の部屋で、私はバルコニーへ名刺を飛ばしてしまう。それを拾いに出たところを、杏に扉を閉め切られ凍える私。色々と思い当たることを思い出して杏に謝る私に対して、杏は「これでばあばが死んでくれたら、年賀状出さなくてよくなるんだよね。ありがとう、ばあば」と呟くのであった。

 上記のあらすじでは省略したが、いきなり主人公の祖母が冬のホテルのバルコニーへ最愛の孫娘によって閉め出されるシーンから始まるシュールな物語。終盤の回想シーンに登場する「杏ちゃんが生き甲斐なの」「そのためなら死んだっていいくらい」という祖母のセリフは完全に死亡フラグで、ちょっと笑ってしまった。
 しかし、最後の肝である杏のセリフはちょっと引っかかる。この話は結局、杏が祖母と全く正反対の想いを持っていたにもかかわらず、それに気付かず自己満足の愛情を押しつけていた祖母が杏から復讐される話であろう。とすると、杏が年賀状を出されることを祖母と同じように嫌がっていたのかは疑問。本心は祖母よりも母親の方に近かったとしたら、杏は年賀状の写真をそれほど気にしていなかったのではないか。
 だから最後の一行を読んだ時、思わず「そこ?」と思ってしまった。「これでばあばが死んでくれたら、美月ちゃんのように深みのある芝居ができるようになるのね」とでも言ってもらった方が、まだ読者には理解しやすい気がするのだが。
 それとも「ばあば、何も分かっていなかった。杏ちゃんが、本当は子役をやりたくないなんて」と杏に謝罪する祖母に対し、「やっぱり、ばあばは何も分かっていない」という皮肉 を込めたメッセージだったのだろうか。

 「姉のように」

 冒頭に、母親による3歳の女児虐待死の記事。
 私は、絵本作家であった自慢の姉が事件を起こした後、姉に関する記事を読みあさり、姉に憎しみを抱く夫に心が許せなくなる。さらには、ママ友までが私から距離を置くようになり、ある日突然誘ってくれたママ友達とも結局気まずく別れることになる。最後の救いだった自分の母親はいつの間にか得体の知れない宗教にはまっており、わがままがエスカレートする娘について相談する相手が誰もいなくなってしまう私。
 姉の事件から3か月後、甥っ子を滑り台の上から落としたと決めつけられた私は、とうとう娘に暴力を振るうようになる。そしてついに、娘を階段から突き落として死亡させてしまう。
 刑事は「どうしてこげなことをしてしまう前に誰かに相談しなかったとですか」と私に語りかけるが、「子供の教育費のため、という理由で、ママ友の家からお金や物を盗んだ人間の妹の相談に、相談された人はどんな感想を抱いただろうか」とぼんやり考える。
 刑事は「被害妄想ですよ」「肉親が罪を犯したからと言って、あなたへの見方が変わるわけではなかはずです」と続けて語るが、「姉が犯した罪が窃盗でなく虐待だとして伝えられていたとしたら、私の言動はちがうものに見えていたはずだ」「結局のところ、姉の罪と私への見方は無関係ではないということになりはしないか」と結論づける私であった。
 巻末に、最初の事件から半年前の姉の起こした絵本作家の窃盗事件の記事。

 要するに、冒頭の私が起こした事件の記事を、読者に対して姉の起こした事件に見せかけた叙述トリックものである。そこは確かに読者にインパクトを与えるところなのだが、ラストシーンのそれ以外の部分が正直さっぱり分からない。
 「姉が犯した罪が窃盗でなく虐待だとして伝えられていたとしたら、私の言動は違うものに見えていたはずだ」ということは、まさに読者がそのように感じていたことで実証されており、そのように読ませて読者を納得させようとする試みは面白いと言えるが、それがどうして「結局のところ、姉の罪と私への見方は無関係ではないということになりはしないか」という私の結論に繋がっていくのか全く理解できない。
 姉の罪のせいで、妹が多少周囲から意識して変に見られてしまうのは理屈抜きに仕方のないことであろう。そのプレッシャーの中で色々と不幸なことが重なり、娘のわがままがエスカレートすれば、彼女が壊れてしまうのはそれなりに理解できる。それを刑事の言う「被害妄想」とか、彼女自身の言う理屈によって事件が起こったと結論づけようとするのは一体どういうことなのか。
 前者は実際に姉が虐待事件を起こしていれば被害妄想という考え方も理解できるが、すでに確認したとおりそうではないのだし、この話を読む限り、私が窃盗という行為を意識し苦しんでいる場面はママ友の家での1シーンだけで、私が窃盗という行為にこだわっている(姉と同じような過ちを犯さないようにしようという)様子も他に全く見られないため説得力に欠ける。虐待も窃盗も関係なく、単に「犯罪者の妹の相談には誰も乗ってくれないのではないか」というそれだけの被害妄想と言うことか。後者の私の理屈もよく分からない。
 「同じ出来事でも、別の情報をつけて見せられれば全く違う印象になる」ということをミステリ小説として形にしてみたかった作者の気持ちは分かるが、例えがあまりに不完全ではないか。
 育児に苦しむ若い母親をこれだけ見事に生々しく描いておきながら、読者を混乱させるだけの結末しか用意されていなかったのは非常に残念。

 「絵の中の男」

 浅宮二月という女流画家の作品に魅せられて、家政婦から画廊勤めに転職し、二月の担当者として二月の身の回りの世話をするようになった女性が、一人称で最初から最後まで語り続ける物語。
 画廊に二月の絵を売りに来た客に、この絵は二月の絵ではないと伝えて買い取りを一度は断った後、その作品に作者のサインを見つけてやはり買い取りたいと言い出した私は、その客に事情を説明し始める。
 私は、何十年も前に、二月の夫でイラストレーターだった中村恭一に「私はもう描けない」という悲痛な叫びと共に匕首で斬りつける二月を目撃してしまう。恭一は死亡し、二月は殺人罪で起訴され服役するが、私には納得がいかなかった。
 二月は結婚して出産後、スランプに陥っていたが、幼い息子の猛が自宅の火事で焼死したことをきっかけに、炎に焼かれて絶叫する人々を描いた地獄図で復活する。二月の絵には破格の値が付いたが、同様の題材で依頼を受けた恭一の絵は全く話題にもならず、恭一への地獄図の絵の依頼はその一度きりとなってしまった。
 そして3年後、二月は再びスランプに陥り絵が描けなくなる。「お前はたった3年で猛の死から立ち直るのか」と恭一に罵られていた二月はついに前述の事件を起こす。そして世間は、猛が死亡した時と同様に現代版「地獄変」という噂を流す。傑作を描くために、スランプから抜け出すために、二月は夫を手に掛けたのではないかと。
 私は事件について考えることをやめていたが、この日鑑定依頼のあった手元の絵を見てある結論に至った。恭一は匕首で自殺しようとしており、二月はそれを止めようとしていたのではないかと。恭一は、二月の目の前で衝撃的な死を迎えることで、彼女の傑作の中で自分が生きた証を残せると考えたのではないかと。この日持ち込まれた絵は、恭一がかつて一度だけ描いた地獄図で、その絵を実物として再現するために自殺したのではないかというのだ。
 ではなぜ、二月はそのことを証言しなかったのか。おそらく彼女は刑務所にいる間は絵が描けないため、絵が描けないことのこれ以上ない理由を作るために望んで服役したのではないかと、私は結論づけるのであった。

 「姉のように」 同様に、淡々としつつも鬼気迫る筆致で読者を引きつける文章力は見事。しかし、期待値が高かっただけに結末が物足りなかったのは残念。「姉のように」ほどの失望感はないが、この日画廊に持ち込まれた絵が恭一の絵であることは話の途中で読者はすぐに気がついてしまうだろうし、それをきっかけに主人公が事件の真相に気付いたというのも少々強引な感じですっきりしない。肝心の事件の真相も、納得がいかないわけではないが、たいした意外性もなく満足できない。

 相変わらず本の帯には「すべてのミステリー・ランキングにランクイン!」「絶賛率99.9% 今年度最高のハズレなし本!!」「次世代ミステリの台風の目はここにある−今読むべき傑作短編集」といった、ど派手なキャッチコピーがずらりと並ぶが、そこまでの作品ではないと断言できる。
 「このミス」
2017年版ベスト20にランクインした21作品中、ベスト10の10作品を含む14作品を読了したが、正直なところ印象に残った作品がほとんどない。4位作品『半席』、7位作品『罪の声』、10位作品『ジェリーフィッシュは凍らない』の3作には★3つを付けさせていただき、それなりにオススメできるものの、この数年の中では不作の年なのかもしれない。

2017年月読了作品の感想

『彼女がエスパーだったころ』(宮内悠介/講談社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2017年版(2016年作品)16位作品。 タイトルからはSFチックなミステリかと予想していたが、そうでもなかった。いきなりニホンザルの行動についての研究ドキュメンタリーのような話が始まったので面食らったが、それはあくまでの短編の1つ。雑誌記者の主人公の視点から超常現象をテーマに描かれているという共通点を持つ、表題作を含む6編の短編が収録されており、物語はいずれも大事件が起こるわけでもなく淡々と進むが、なかなかに引き込まれる。

 「百匹目の火神」

 S県歌島のニホンザルが人間の真似をして火をおこす方法を覚え、S県の廣岡郡で放火を始める。怒った人々は彼らが天然記念物であるにもかかわらず根絶やしにするが、生き残ったアグニという名を持つサルが本州を北上し、火のおこし方を仲間に伝えていくという現象が起こる。
 房総大学の高村教授は、アグニを「極めて遅い群れ落ち」であると主人公の取材に答える。そして、サルに火のおこし方を教えたのは宗教法人のリエントランスのメンバーだったが、そのリエントランスの教祖、澁川菅生は「百匹目の猿」現象と呼ばれるものだと語る。あるサルが芋を洗って食べるようになり、その行動がサルの中で流行した時に、それが遠く離れたサルにも伝播したという話である。これは共時性と呼ばれ、人間にも備わっているものだという。
 全国でサルの放火は続いたが、ある日突然終結する。サルたちは火のおこし方を忘れたのである。そしてアグニの死体が種の極限を越えた北海道で発見される。
 高村は主人公と共に北アルプスを登りながら、アグニをここで発見した時のことを語る。アグニを見つけた時、共時性に異を唱えていた川崎大学の冴嶋三郎が四国で強盗に襲われ死亡したという知らせを聞き、彼はアグニを殺すことを決意したと言う。戸惑う主人公に、高村は「これが共時性なのですよ」と口にする。高村こそがアグニを殺害し北海道までその遺体を運んだ犯人だったのだ。高村は、主人公に、未来を考えないサルよりも未来を考える人類の方が脆弱であることを語るのであった。

 放火するサルと、犯罪に絡めた共時性の話は妙にリアリティがあって興味深くはあるが、全体的に抽象的で何が言いたいのかよく分からない物語。本書のタイトルと全くイメージの違うものを読まされた読者に、それなりのインパクトは与えられたかもしれないが…。

 「彼女がエスパーだったころ」

 超能力を現代的にアップデートした人間として注目を浴びた女性、及川千晴。5歳からスプーンを曲げ始めた彼女はメディアに露出するようになってから否定的な評価をされるようになるが、あっさりと結婚して表舞台から去ってしまう。
 彼女の結婚相手が超能力の懐疑派であった秋槻義郎であったことに世間は驚くが、その彼がマンションの非常階段から墜死したことで千晴に疑いの目が向けられる。警察は事件性なしと判断したが、彼女は静かに病んでいった。
 睡眠薬に溺れ自傷行為を繰り返す、どん底の生活から復帰した彼女の取材を始めた主人公は、彼女が過去に勤めていたソフトハウスの上司の駒井や、彼女の母親にも取材を行う。彼女は、主人公に頻繁に電話をするようになっていた。
 主人公は千晴に秋槻の墜死現場となったマンション屋上の非常階段へ案内してもらうが、1人で現場を確認した後に戻ろうとしたところ、何者かに屋内に通じるドアをロックされたことを知る。犯人は、千晴と過去に交際していて、現在はストーカーとなっていた駒井であった。主人公は、超能力でドアノブをねじ切った千晴によって救出される。
 そして主人公は推理した真相を彼女に語る。彼女が悪戯で秋槻の鍵を曲げたことで、部屋に入れなくなった秋槻は非常階段を通じて窓から部屋に入ろうとして墜死したのではないかと。「自分で自分を罰しなければならない」と言って涙を流す彼女の姿に、かつて彼女が自傷行為を繰り返していたという話を思い出す主人公であった。

 表題作ということで期待したのだが、なんとも微妙な作品。千晴の超能力が科学的に解明されるわけでもなく、千晴の夫の事故死の真相が衝撃的なものであったというわけでもない。真相はむしろあまりにもつまらない。驚くことに彼女はこの後の物語にヒロインとして再登場するのだが、その前振り以上の意味はないのではないか。なぜ表題作になったのか謎。単に読者の目を引くからでは?

 「ムイシュキンの脳髄」

 房総大学の医師である小宮山和志の行ったオーギトミーという脳外科手術によって暴力性を抑えることに成功したムイシュキンことミュージシャンの網岡無為。しかし、彼は音楽をやめ、バンドは解散。交際していたバンドメンバーの秋月かなえとも別れることになる。
 その後、フリージャーナリストの古谷圭二は音楽を捨てた彼を廃人と呼び術式を批判したが、その古谷が刺殺され、網岡が容疑者として逮捕される。
 暴力性をなくす手術を受けた自分がそのような事件を起こせるはずがないと無罪を訴えようとしていた網岡に、拘置所で自分の推理を聞かせる主人公。以前の取材では元に戻ることに否定的で、それを恐れてさえいるようなことを語っていた網岡であったが、孤独な生活を送るという独自のリハビリによって暴力性を取り戻すことに成功したのではないかと指摘する主人公。さらに新しい恋人と一緒に写った秋月かなえの写真を見せられて激高する網岡。主人公の推理は的中していたのだった。
 そして同じ拘置所に殺人幇助の罪で収監されている小宮山から、網岡に手を貸した理由を聞かされる主人公。オーギトミーによって人格が変わった網岡を、新たな人類の誕生すら予感させる傑作だと信じていたのに、それを「廃人」と呼んだ古谷が許せなかったというものであった。

 元に戻ることを望んでいなかったような振る舞いは見せかけで、実はそれを強く望んでいた網岡。そのあたりの描き方はなかなかだとは思うし、小宮山の動機にも一応納得できる。
 しかし、網岡が孤独になるだけで簡単に暴力性を取り戻せてしまうという展開はちょっとどうかと思う。簡単に逮捕され、自供までしてから、裁判でそれを翻そうという網岡の作戦も意味不明。

 「水神計画」

 主人公は、「水神計画(ヴァルナプロジェクト)」の取材に消極的であった。その母体である品川水質研究所の所長黒木一カと所員の時坂くないの主張する、水に「ありがとう」と語りかければ、その水が波動によって浄化され、しかもその効果は他の水に入れることで、拡大していくという話がとても信じがたいものであったからである。
 彼らのプロジェクトの目的は、台風によって炉心溶融事故を起こした海に浮かぶ原発「浮島」内の冷却水を浄化しようというものであった。
 主人公は彼らの信用を得て、種子となる水を染みこませたマフラーを原子炉建屋の水没したトーラス室に投げ込む予定で、首に巻いて現地に取材に向かう。しかし、会議室にマフラーを置いてトイレに立った直後にマフラーに染みこませてあった液体爆弾が爆発する。時坂くないの正体はテロリストだったのだ。
 テロは失敗し、時坂くないは逮捕され、主人公の無実が証明される。釈放後、黒木の自宅に向かった主人公は、「あの水にはどのような言葉を籠めたのでしょう」と黒木に質問する。黒木は、当時妻のお腹には息子がおり、その腹をさすっている時にふと口に出た言葉は、もちろん「ありがとう」だったと答えるのであった。

 これはもうSFを超えた「バカミス」の域ではないか。液体爆弾はともかく、言葉で浄化した水で、全ての水を浄化しようという荒唐無稽な話には付いていけない。最後に妊婦の話で綺麗に締めくくろうとしているが、そういう問題ではないだろう。

 「薄ければ薄いほど」

 北海道郊外にあった末期癌患者などが集う「死を待つ家」と呼ばれた「白樺荘」。そこでは薬は薄ければ薄いほど効果があるということで、生薬を極限にまで薄めた量子結晶水なるものをみんなが飲んでいたが、それがただの生理食塩水と変わらないことを主人公は突き止めていた。
 そこで糸川千次という患者が浴室内で硫化水素を使って自殺するという事件が起こる。彼は自殺するような人物ではなかったので、他の患者は殺人を疑う。
 やがて元ポルノ女優だった結城かずはが亡くなった後、NPO団体であった白樺荘の代表であり、自らも癌を患っていた野呂から、「あなたが殺したのですね」と告げられ、それを認める主人公。主人公の書いた量子結晶水がインチキであることを暴いた週刊誌の記事を読んだ糸川が、将来を悲観して自殺したのではないかという指摘であった。
 野呂は、量子結晶水がインチキであることを認めた上で、「自己存在を限りなく薄めたその最果てに、自己の不滅があるのだ」と主人公に語る。そして、その後かずはのメモリーカードを入手した主人公は、白樺荘が世間からどのように見られているのかを知りたいという彼女の要望に応えたことを思い出す。世間の評判を知った彼女は、震える指で「薄っぺらいんだよ」とタイプしたのであった。

 結局全くミステリではない話なのだが、野呂の主張も、かずはの言わんとしていることも正直よく分からない。かずはが世間の人々の「それらしい正論」を批判しようとしているのは分かるが、それ以上の真意を読み取るのは難しい。

 「佛点」

 環境テロ事件から食うに困った主人公は、社長と自分を入れても5人しかいない小さなソフトハウスに再就職を果たしていた。
 そんな主人公が、かつて取材をした及川千晴から相談を受ける。アルコール依存症の友人Mが依存症者匿名会へ通うようになったのだが、そこの教祖的なロシア人主宰者が女性参加者に関係を迫っているというのだ。
 その後、現場を確認した千晴から話を聞かされた主人公は、同じ会社に勤めるロシア人のイェゴールに伝えるが、彼が警察に訴えたことで最悪の結果を迎える。教祖夫妻は会員達と共に集団自殺してしまったのである。Mはそこに参加していなかったことで助かったが、それでもPTSDを発症し実家へ帰ることになり、イェゴールは自責の念から自殺未遂を起こす。
 Mは教祖の語っていた転換点の話を主人公に語る。我々の社会には集団の性質がいっせいに塗り変わる沸点のようなものがある。それをもたらすのは、社会の少数者にほかならないというのだ。
 主人公は、ロシアに帰国したイェゴールの自宅を訪ねていた。その帰り道、携帯端末に千晴から電話がかかってくる。「テレポートできるかな」という言葉の後、突然主人公の目の前に現れる千晴。イェゴールが彼の行き先を彼女に教えていたことに思い至る主人公。彼は千晴をお茶に誘い、賛成する千晴であった。

 とりあえずハッピーエンドになったのは分かるが、沸点の比喩と物語との関係性が今一つ弱くてすっきりした読後感が得られない。突然物語全体のヒロインの座に躍り出た千晴の存在にも違和感が。

 結局どの短編にも感動できなかった。短編集だとトータル的にぱっとしなくても1つくらいは気に入った話があるものなのだが今回はなし。過去に読んだ『盤上の夜』『ヨハネスブルクの子供たち』の2作にも★1つしか付けなかったが、これでもデビューから2作連続の直木賞候補らしい。自分に見る目がないのか。自分とは余程相性が悪いのか。

 

『望み』(雫井脩介/KADOKAWA)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2017年版(2016年作品)13位作品。

 建築デザイナーの石川一登は仕事も順調で、校正者の妻・貴代美、高1の息子・規士(ただし)、中3の娘・雅と、それなりに幸せに暮らしていた。しかし、夏休みに入って規士が無断外泊するようになり、顔に痣を作って帰ってくることもあって心配する一登と貴代美。規士が購入した切り出しナイフを見つけ、取り上げる一登であったが、その後規士が失踪し、彼の友人の1人・倉橋与志彦の遺体が事故を起こした車のトランク内から発見され、現場からは2人の少年が逃走する姿が目撃される。
 警察の捜査によって、規士を含む、与志彦と交際のある3人の少年が行方不明になっていることが分かる。規士は果たして加害者側なのか、被害者側なのか。しかし、それはどちらにしても地獄であると思われた。ネット上では規士が犯人扱いされ、一登の自宅にはマスコミが押し寄せ、玄関に卵を投げつけるなどの嫌がらせが始まり、一登の仕事にも支障をきたすようになる。
 一登は規士の無実を信じるが、それは規士がすでに死亡していることを意味し、加害者でもいいから生きていてほしいという望みをもつ貴代美と対立するようになる。
 やがて主犯格の少年が捕まり、2人目の少年の身柄も確保され、彼らの証言によって1人の少年の遺体が発見される。警察に呼ばれた一登と貴代美は、その遺体が規士であることを知り泣き崩れる。規士から取り上げたはずのナイフがなくなっており、規士が取り戻し持ち出したとばかり思っていた一登は、規士の机にそれが戻されていたことを知って、このナイフがあれば規士は自分の身を守れたのではないかと後悔する。
 規士は命を落としたが、彼が加害者でなかったことで残された家族3人の未来は救われた。しかし、そんなふうに考えることが不幸なのかどうか、貴代美には分からなかった。

 近年まれに見るシンプルな話。ここに記録するために、複雑な話のあらすじをまとめるのにいつも苦労しているのだが、話の骨格は上記の通り本当にシンプル。上記以外にも登場人物はいくらかいるのだが、基本的に夫婦の対照的な考え方の対立が軸である。
 どちらの気持ちも分からないではないが、個人的には一登寄り。特に終盤で、貴代美に規士の無実を信じていることを熱く語る規士の友人を冷たく突き放す貴代美の様子は、極限状態だったとは言え、かなり異様に感じた。異様と言えば、一登にも理解しがたい場面があり、規士が持ち去ったと思っていたナイフを発見した一登が急に与志彦の葬式に無理矢理参列しようとする姿も異様。ナイフを発見したことで規士の無実を確信したという判断、無実なのだから与志彦の葬式に参列しても誰にも文句を言わせないという判断は、どう考えてもおかしい。一番不愉快だったのは、序盤で貴代美の姉が、規士が加害者であると決めつけて貴代美と接していた場面だが。逆に規士の妹の雅はもっと荒れてもいいと思う。聞き分け良すぎ。
 話がシンプルなことを内容が薄いとか言って批判するつもりは毛頭ない。テーマとしては★★★でもいいと思っているくらいなのだが、上記の理解しがたい部分がどうしても気になる。一登と貴代美の異様な行動については、精神状態が普通ではなかったため、そういう態度をとってしまったのだという、本人達の冷静になった時の反省の弁などの記載がもう少しあれば、すっきりできたのにと思う。あとは、結末の事件の真相の説明。誰の口から語られるでもなく、ただ最後に長々と真相を説明して、おしまいという展開に閉口。せめて刑事や加害者から語らせるとか、何か工夫ができなかったものか。何となく惜しい1作。

 
 

『誰も僕を裁けない』(早坂吝/講談社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2017年版(2016年作品)15位作品。主人公は前代未聞の「援交探偵」上木らいち。その名の通り援助交際で稼いでいる美形の現役女子高生という設定。史上初の「社会派エロミス」と謳っているが、小説に性描写は珍しくないのにと思いながら読んでみると、性犯罪で捕まってしまうもう1人の主人公・戸田公平をはじめ主要人物たちが高校生となれば納得のジャンルかも。「社会派」という部分には大いに疑問に感じる。

 公平は、高校2年の夏休み直前に、クラスメイトの春日部という地味な女子が廃工場内で2人の男と性行為に及んでいる場面を目撃し、しかもその彼女と目が合ってしまう。その直後に彼女が自殺したことを知った公平は心に大きな生地を追うが傷を負うが、ボディガードを撒こうとする逆井重工ナンバーツーの令嬢・崎(みさき)に協力したことで彼女と親密になり心の安定を取り戻す。
 崎の住む屋敷に深夜に忍び込むよう崎に誘われた公平は、侵入直前に、その屋敷の一室の窓に死んだはずの春日部の姿を見つけて驚愕する。錯覚か他人のそら似だろうと割り切って、2階のトイレから無事屋敷に侵入した公平は、望み通り崎とコトに及ぶが、不覚にも崎の父に見つかって警察に通報され、青少年淫行という条例違反で逮捕されてしまう。ずっと年上だと思っていた崎は、公平の1つ下の17歳だったのだ。
 警察に連行された公平は浦和という傲慢な中年刑事に取り調べを受け、犯罪者扱いに納得できない彼は、与野という初老の弁護士を雇って無罪を勝ち取るために戦うことを決める。

 らいちは超高層マンションを別宅兼仕事場とし、援交ビジネスに励んでいた。ある日彼女は、逆井重工の社長である逆井東蔵からメイドとして雇いたいという依頼状を受け取る。その不審な依頼に対し、「多額の給金」というフレーズに惹かれて行くことを決めたらいちは、その夜の客であった警視庁捜査一課の警部補・藍川の相手をするが、翌朝様子のおかしい藍川を見て救急車を呼ぶ羽目に。藍川は「腎虚」と診断されて入院することになるが、彼の部下の小松凪が彼に想いを寄せていることを知る。
 東蔵の屋敷を訪れたらいちは、東蔵をはじめ、初老の使用人の渋谷らが、彼女の訪問を予想していなかったことを察知する。東蔵は戸惑いながらも何事もなかったように彼女を雇うことを、同居する3人の息子(一心、二胡、三世)と1人の娘(京)、そして妻(火風水)に宣言する。いったい誰がらいちを呼び寄せたのかを調べるつもりらしい。二胡と三世は、らいちの登場に明らかにおかしい反応を見せ、誰かが何かの目的のために彼女を送り込んだと考えているようであった。
 らいちが東蔵の屋敷を訪れた翌朝、三世の自室で彼の絞殺死体が発見される。警察から来た初動捜査員の中に小松凪を見つけて驚くらいちは、一心からの弟の殺害犯を見つけてほしいという依頼を50万円で請け負うが、何の有力な情報も得られないまま、次の朝に二胡の撲殺死体と対面する。さらに次の朝、東蔵の刺殺死体が発見されるが、今度は密室。しかも円形状の2階が2部屋分回転して止まっていることが明らかになる。

 密室の謎を解いたのは小松凪であった。犯人を待ち伏せしていた東蔵は犯人ともみ合いになり、その時犯人が持っていたリモコンに体があたって、2階が回転し、水槽にリモコンが落下して故障したというもの。ただ、現場に閉じ込められた後、自分にしか使えないルートで脱出したことが分かると、自分が犯人であることがばれてしまうので、普通に屋敷の回転を利用して自室に戻った後、また2部屋分2階を回転させたことを装うために、糸を使った密室トリックを使ったという推理である。そして、犯人が実際に脱出に使ったものを「戸田公平が登った木」と表現することで、読者に大きな衝撃を与える。

 つまり、公平が訪れたのは東蔵の弟である逆井玉之助の屋敷であると読者に思わせておいて、実は玉之助は逆井重工の会長であり、兄で社長の東蔵こそが会社の「ナンバーツー」、つまり崎の父であり、その東蔵の屋敷に公平は訪れていたのであった。崎の正体は京。京崎(みやこみさき)が彼女のフルネームであった。公平の見た春日部らしき女性は崎によって呼び寄せられたらいちが、崎に指定されたウイッグをかぶらされた姿であった。
 崎は東蔵の愛人の子で、屋敷内でいじめにあっていた。親友だった春日部が二胡と三世に暴行された挙げ句、東蔵に事件もみ消しのため自殺を装って殺されたことを知り、彼ら3人と、春日部を助けようとしなかった公平に対し、春日部とそっくりならいちを屋敷に呼び寄せて彼らを混乱させた後、復讐しようと崎は考えたのだ。

 崎は渋谷と共に20年間逃亡を続けた後逮捕されるが、公平は、埼玉県と東京都の境界に建っている屋敷が回転したことで犯行場所が特定できなかったため、すぐに無罪釈放になる。20年後、弁護士となった公平は、崎の弁護人となって彼女のために戦うことを彼女に認めさせるのであった。

 冒頭に、らいちが東蔵の屋敷を「いかにも○りそうな形」と伏せ字で表現している部分があるが、伏せ字にする必要はあるのか。「回りそうな形」ということは容易に予想が付く。しかし、本当に回るとは…。実際に回転する展望レストランは存在するが、2階にはトイレだけでなく風呂もあり水回り関係の設計が相当困難そうだし、しかも1階と2階が中央のホールを残して反対方向に音もなく回転するなんて相当非現実的だ。しかも、この屋敷を作った東蔵の父が、京以外の家族に回転することを見せもせず伝えもしていなかったというのは、ありえなくないか。そのような設計にした理由は作中で述べられているが、それなら周囲にもっとアピールするはずではないか。金持ちの考えることは分からないが、実は屋敷が回転するという秘密を自分だけが独占することに喜びを感じていたというのは理解に苦しむ。

 別の作品で語られているのかもしれないが、なぜらいちが援交に励んでいるのか、どのような家庭環境で生活しているのか全く説明がなく、このことが彼女への読者の感情移入を大きく阻んでいるように思う。違法行為を行っている主人公など珍しくもないが、そこに明確な理由が存在しないと、売春という違法行為を行っている彼女に他人の罪をとやかく言う権利はないと主張する他の登場人物の方に同意してしまう。「彼女はお金が好きだから」という理由で十分でしょ、とこの作者は言いそうだが。ルールうんぬんの話もあまり心に響かない。「契約に基づく関係は、どんな男女関係より清廉潔白」というのはさすがに問題発言ではないか。
 しかし、個人売春が違法であっても、罰則が存在していないということを初めて知った。パチンコにしても風俗業にしても、本当に日本の法はやはりいいかげんなところが多いことを実感してしまった。

 それにしても、性行為中にベッドの下で眠らせておいたターゲットを絞殺してアリバイを作るというトリックは前代未聞。「エロミス」を標榜する本作にしかできないトリックかもしれない。まあ、前述したように無茶な屋敷回転トリックと組み合わせて初めて成立するものなので大絶賛するわけにはいかないが。

 いきなりラストは20年後に話は飛び、それなりの決着がつくのは良いとしても、主人公らいちの存在がまったくないのはどうか。崎の居場所を通報した匿名女性というのが、らいちっぽいが、さすがに美少女の主人公の20年後を公には描きにくかったのか。このいきなり20年後という展開には、麻耶雄嵩の『隻眼の少女』を思い出した。

 ここまで不満点について色々述べたが、前半の冗漫な展開に辟易していたところに、綾辻行人ばりの屋敷絡みの大きな叙述トリックが明らかになるシーンでは大いにうならされた(後で調べたら作者は綾辻行人も麻耶雄嵩も読んでいるらしい)。同じ場所で2つの事件が並行して行われていたとは…(同じ場所と思わせておいて実は全く別の場所の話だったというのは、綾辻氏の館シリーズにある)。「エロ」も一応ミステリに必然性があってのもので全面否定はしない。★★★を付けるには色々な意味で抵抗があるので★★とするが、ミステリ好きなら一読の価値はあると言っておこう。

 

『こめぐら』(倉知淳/東京創元社)【ネタバレ注意】★

 「このミス」2011年版(2010年作品)17位作品。第1弾『なぎなた』と同時刊行された「ジュンクラウチミステリーワールド」第2弾ということになっているが、短編集なので特に第1弾を読んでいなくとも大丈夫。6編収録されており、普通はこの中に表題作があるものだが『こめぐら』というタイトルの短編は存在しない。あとがきに表題のことについても書かれているが、特に深い意味はないらしい。

「Aカップの男たち」

 ブラジャーを付けることを趣味とする5人の男達の物語。バーの密室でオフ会を楽しむ彼らであったが、メンバーの1人、杏野が持ってきた自慢の金属製のブラジャーの鍵が紛失し、一生外せなくなったら大ごとだと大騒ぎになる。しかし、これは新人の岸田を試す杏野の芝居であった。

 昔からそういう趣味を持つ人が一定数いることは知っていたので特に驚きはしないが、知らない人を驚かせる意味でもタイトルには一工夫欲しかったところ。内容がバレバレ。人がどのような趣味を持とうが、法に触れず人に迷惑をかけなければどうでもいいとは思うが、彼らには全く共感できないし、この話自体くだらない。以上。

「真犯人を探せ(仮題)」

 犯人当て懸賞ラジオ番組の候補作原稿を読み上げるディレクターの月形。番組制作プロデューサーの大垣は、その陳腐なトリックに呆れてしまう。結局2つ目の案が採用されたのだが、その2作は月形の友人でもある同じライターの手による作品であった。実は最初に月形に提出された作品があまりに微妙だったため、月形はそれを良く見せるためにわざと陳腐な作品をもう1本用意させるという「比較優劣レベル下げ作戦」を実行したのであった。

 「あるある」な内容ではあるが、作品としては実にしょうもない。作者は思いついたミステリネタがつまらないことを分かっていながら捨てるのが惜しくてこのような形で世に出したのではないかと勘ぐってしまう。

「さむらい探偵血風録風雲立志編」

 主人公は、最近B級物のビデオを借りることを楽しみにしていた。その主人公が借りた時代劇の冒頭で、屋台の蕎麦屋の前を通り過ぎた侍・香坂が辻斬りに殺害される。しかし、駆け付けた蕎麦屋の親爺も、反対側から戻ってきた蕎麦屋の客2人組も犯人の姿を見ていない。夜の一本道で犯人はどこへ消えたのか。主人公は、その謎解きを楽しみに物語を見続ける。
 時代劇の定番をこれでもかと盛り込んだ物語の展開に呆れながらも何とか耐えてラストシーンまで来ると、主役の片平清十郎はカメラの死角に姿を隠し、これが犯人消失の真相だと語る。呆れかえる主人公の前で物語は幕を閉じるのであった。

 前作以上に開き直った作品。前作同様に敢えてしょうもないオチでウケを取ろうとしている点はともかく、時代劇の突っ込みどころ満載の部分を皮肉たっぷりに描いているところはそれなりに面白い。東野圭吾の『超・殺人事件』を思い出した(これは大好きな作品)。その域にはまだまだ届いていないが。

「偏在」

 主人公は、かつて栄えた田舎の旧家で母親と2人でひっそりと暮らしていた。都会の学校にも、中退して就職した地元の役場にもなじめず、まわりから陰気な男と見下されていた彼は、まわりの連中こそ愚劣で低能だと見下していた。
 そんな彼は伯父の残した古文書の研究資料を書庫で発見する。それは世界に災いを招くことを代償にして不老不死の力を得ることのできる儀式の研究であった。その儀式には身内の心臓が必要であったが、伯父は、浪費によって家の財政を傾かせた祖父を殺し、心臓を取り出そうとしているところを取り押さえられ自殺していたのだ。
 ある日、主人公は、旧家の格式にこだわる母親と口論の末、誤って彼女を殺害してしまったことで、儀式の決行を決意する。山奥の洞窟の奥にあった祭壇で儀式を決行した彼は、洞窟から出ると、大地が割け、巨大な津波がすべてをのみ込む大災厄の中で大岩に潰されてしまう。
 こうしてアトランティス大陸は沈み、人類は新たな文明を生み出したが、永遠の命を手に入れた主人公は肉体を失いながらも原子レベルで地球上全ての場所で生き続けていた。この現代の地球が悪意に満ちているのは彼がいるからである。

 いい年をして自分だけが特別な存在だと信じている中二病全開の主人公を描くことを通じて、同様のことを考えている多くの人間を皮肉った作品かと思いきや、現在の日本と思われていた物語の舞台がアトランティス大陸上にあった文明国家であったという力業の展開に唖然呆然。しかし、シュールな結末は嫌いではない。

「どうぶつの森殺人(獣?)事件」

 肉食動物と草食動物が仲良く暮らす「どうぶつの森」。その南西にある広場で嘘つきキツネの撲殺死体が発見される。イヌのお巡りさんがキツネの死亡推定時刻のアリバイを動物たちに確認していくが、犯人像はなかなか浮かび上がらない。
 そこへフクロウ博士が街で活躍するネコ探偵を連れてくる。そして彼は、凶器の鉄パイプが血の付いた部分だけでなく、すべてきれいに拭き取られていることから、握った箇所に個人判別のできる指紋の付いてしまうサルこそが犯人であると断定。指摘されたおサルの親方は、その場に崩れ落ちる。
 さんざんアリバイの話で引っぱっておいてこのような解決でよいのかと不満を言う動物たちに、探偵ネコは「別に構わないじゃないですか。世界で最初のミステリにおいても(ネタバレはいけません)」「決め手になった証拠も、日本で最初に証拠として語られた本格ミステリの(ネタバレはいけません)」と言い残して去っていくのであった。

 「ネタバレはいけません」の部分はバレバレなわけだが、この話も『真犯人を探せ』『さむらい探偵血風録』に続く「ゆるゆる」の作品。この「ゆるゆる」を心から楽しめる人が一体どれくらいいるのだろうか。17位に入るくらいだから相当いることになるのだが正直理解に苦しむ。
 子供向けのミステリとして仕事の依頼があった時に自分でボツにした作品を復活させたものであると、あとがきに書かれていたが、復活させるべきではなかった。さんざんアリバイの話で引っぱっておいて、このオチとは読者を馬鹿にしすぎである。あとがきには「長々と引っぱって『こんなオチかあっ』と読者をずっこけさせるのは割と好きなパターンではある」とも平気で書かれているが、ずっこけて笑って許してくれる読者ばかりではないことを作者は知るべきだ。

「毒と饗宴の殺人」

 写真界の中堅三羽烏と称されている溝呂木、三田谷、滑川の3人。この中の溝呂木が日本フォトギャラクシー賞を受賞し、あとの2名を発起人とした記念パーティーが開かれる。そして最後の乾杯の時、壇上に上がってグラスを口に運んだ3人の内、溝呂木だけが毒によって即死する。
 事情聴取を求められた滑川は、グラスに目印もなく3人同時にグラスを手に取ったのに、なぜ犯人扱いされなければならないのかと激怒する。
 人の代理でパーティーに参加していた探偵の猫丸は、3分の1の確率なら自分には絶対に当たらないと信じている人物こそが犯人であると刑事に告げる。それは、会場の入り口でビンゴカードの受け取りを拒否し、変色した生ガキをむさぼり喰っていた三田谷が犯人であることを示していた。
 猫丸は、腹の辺りをさすって青白い顔をしている三田谷を見て、「今なら自白するかもしれませんねぇ」と気楽な調子で語るのであった。

 そもそも乾杯とはパーティの最初にするもので、締めにするものではないのではないか。そんな突っ込みが霞んでしまうくらい呆れたオチ。こんなハイリスクな犯罪を犯す犯罪者はいない。何のひねりもトリックもなく「バカミス」確定の作品。

 トータル評価だが、ちょっとだけ笑える『さむらい探偵血風録』がなかったら即★1つ確定。しかし、オチの酷さから考えても、それ1作で本書を★★に引き上げるのは不可能。1月に読了した『おやすみ人面瘡』以来の★1つとする。

 

『灰色の虹』(貫井徳郎/新潮社)【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2011年版(2010年作品)20位作品。平凡なサラリーマンが6年前に冤罪で投獄され出所するまでの物語と、その男が自分を陥れた関係者を復讐のために次々に殺害していく 現在の物語 が交互に語られる。現在の物語では、1章ごとに殺害される人物が1人1人深く掘り下げられ、その最後で襲われて命を落とすという構成になっている。

 地味な会社員の江木雅史は、同じく地味な3年後輩の新入社員の由梨恵と話すようになり、デートを重ね、ついにプロポーズを受け入れてもらって幸福の絶頂にあった。姉の結婚が間近だったため、正式な婚約は先延ばしになっていたそんな時、人生を揺るがす大事件が発生する。
 勤務時間中に社員の評判が悪い上司から由梨恵を侮辱された江木は、思わず上司の胸ぐらを掴んでしまう。 由梨恵に止められてそれ以上のことはしなかったが、この上司が社長の甥であったことから、江木は翌日会社をクビになること を言い渡されるのを恐れていた 。しかし、その上司は2度と出社してくることはなかった。前夜に何者かに殺害されていたのだ。おかげでクビになる話にはならなかったが、それ以上の地獄が江木を待ち構えていた。
 江木はその夜、人気のない場所に1人で釣りに行っておりアリバイがなく、被害者の衣服には江木の指紋が残っており、現場近くで江木を目撃したという証言まで出てきたのだ。警察署に連れて行かれた江木は、強引な捜査で悪い噂の絶えない伊佐山に繰り返し恫喝されて、とうとうやってもいない罪を認めてしまう。
 弁護士の綾部は明らかにやる気がなく、伊佐山の供述調書の作成時に、またしても繰り返される恫喝で調書内容を認める指印を押してしまった江木は、さらに追い込まれる。検察官の谷沢に理詰めで冷たくあしらわれ、調書の作り話を否定する気力を失った江木は、結局起訴され、懲役6年の判決が下される。2審判決でも控訴を棄却され、この世に正義などないことを知る江木。最高裁への上告も棄却され刑は確定する。
 6年後、出所した江木は、迎えにきた母が自分たちの生まれ育った団地から引っ越したこと、婚約破棄された姉が家を出て行ったことは知っていたが、父が鬱病を発症して自殺したことを初めて知る。さらに再会した由梨恵に別れを告げられ自殺未遂を起こした江木は、「やるべきことを見つけた」と母に言い残し姿を消す。

 いつものように強引な取り調べで、容疑者から殺人の自白を弾き出した伊佐山は、夜の大通りで何者かに背中を押されてトラックに轢かれて死亡する。

 過去に携わった事件の犯人と思われる人物からの怪文書が次々と送られてくる谷沢を、県警捜査一課の山名が心配してくれる。谷沢は自分でその容疑者を特定し、その知らせを受けた山名からその人物を任意同行したことの報告を受ける。その後逮捕されたという知らせを聞いて喜ぶ谷沢であったが、何者かに自宅で刺されて死亡する。

 綾部は、妻を殺害した暴力団の幹部の秋成の弁護を担当し、正当防衛を主張して無罪判決を勝ち取る。秋成の信頼を得た綾部は、秋成から仕事を回してもらい、さらには愛人まで世話してもらって幸福の絶頂にあった。しかし、何者かに命を狙われていることを悟り、秋成にボディガードとして川北という男をつけてもらう。それでも、結局川北の隙を突かれて、何者かに刺されて死亡する。川北は犯人を追うが結局捕らえることはできなかった。

 綾部と伊佐山が同じ事件に関わっていたことを知った山名は、谷沢までもがその事件の担当検事であったことを知り驚愕する。江木が復讐のために連続殺人を行っているということは容易に想像できた。当時の関係者を洗い出し、これ以上被害者を増やさないようにしようと努力するが、江木の事件を担当していた裁判官の田中がジョギング中に道路に飛び出して死亡していたことが明らかになり、しかも現場で江木らしき男が目撃されていないということに衝撃を受ける。これは「天意」なのか。

 同じく江木の事件を担当していた裁判官の石嶺は、警察からの度重なる警告よりも妻の浮気に気を取られており、警備の手薄なところへ自ら赴いた結果、何者かに刺されて死亡。これで被害者は5人となった。

 江木の事件で、現場で江木を目撃したという証言をした雨宮健は、今でも当時注目を浴びたことが忘れられず、ブログでそのことを自慢し続けていたが、警察の警告で慌てて削除したものの時すでに遅く、犯人はすでに彼をマークしていた。証言が嘘であったことを山名に告白した雨宮は、会社内で清掃業者の中年女性に襲われる。危機一髪で犯人は山名に取り押さえられ雨宮は無事であった。

 最初の3人を殺したのは江木であったが、江木は川北に刺され、逃げ込んだ母のアパートで死亡していた。江木の母が彼の遺志を継いで連続殺人を継続していたのであった。

 お見事としか言いようがない。なぜこれが20位なのか。刊行された時期が不利に働いたのか。主人公の江木や母親には激しく感情移入してしまう。復讐は罪であり悪であることは誰でも知っている。しかし、江木や母親の言い分には誰も何も言い返せない。江木は元々何も悪くなかった。運が悪かっただけであった。悪いのは江木を怒らせた無能の上司であり、彼を殺害した真犯人であり、嘘の証言をした雨宮であり、強引な取り調べを行った伊佐山である。彼らに復讐することは罪であることが分かっていても、江木を支持する読者は大勢いるだろう。復讐が成就していくたびに、満足感すら得ていた読者も少なくないはずだ。上司を殺害した真犯人が結局分からないまま物語が終わってしまうのが、残念でしょうがない。その人物にこそ天誅を与えてほしかったのだが。
 心が折れて何度も罪を認めてしまう江木にイラッとする読者もいるだろうが、極限状態に置かれるとこういうことも実際に起こりえるのだろう。
 この作品の素晴らしいところは、主人公の心の葛藤のみならず、復讐の対象となる人物達の日常がそれぞれ深く掘り下げられて描かれているところだろう(綾部が再登場した時、最初の人物と同一人物に思えなかったのはちょっと引っかかったが)。そこは本当に素晴らしい。気になったのは、警察が雨宮の護衛になかなか動こうとしなかったところくらいか(どう考えても雨宮はターゲットの有力候補だろうに、物語の展開上、警察が彼をあまり重視していないという描写にはもの凄く違和感を覚えた)。
 最初は母親が江木を殺してしまったのかと思ったが、川北に深手を負わされて、母の元で死亡したという設定には納得。ただし、何の訓練も受けていないただの中年女性が、息子の遺志を継いで見事に復讐殺人を成功させ続けてきたことにはちょっと疑問を感じる。
 結論としては、本作は文句なしの★★★。
 

2017年月読了作品の感想

『僧正殺人事件』(S・S・ヴァン・ダイン/東京創元社)【ネタバレ注意】★★

 「東西ミステリベスト100」ベスト10(1986年)9位作品。ランキングは古いが、久々に海外作品に挑戦することに。

 主人公は、アマチュア探偵のファイロ・ヴァンス。本作はヴァンスが活躍するシリーズの12作中4作目にあたる作品で1929年に発表され、3作目にあたる『グリーン殺人事件』と並んで高い評価を受けているとのこと。
 アーサー・コナン・ドイルのホームズシリーズ(1887〜1927年)で言うところのワトソンにあたる人物として登場するヴァンは、ヴァンスの長年の友であり法律顧問という設定で、本作の書き手という扱いだが、巻頭の登場人物一覧にはなぜか名前がない。ヴァンスとヴァンのコンビというのも名前が似すぎで分かりにくいと思ったが、途中からいるのかいないのか分からなくなるくらい存在感がないので全く問題はなく、登場人物一覧に名前がないことにも納得。「父親の経営するヴァン・ダイン、デイヴィス&ヴァン・ダイン法律事務所を辞めた私は、ヴァンスの仕事の専属になった」という記述があるが、「デイヴィス」が父親の名前だとして、なぜ「ヴァン・ダイン」という名前が2回も出てくるのか?誤植なのだろうか?よく分からない日本語である。本作の作者自身が作中にメインキャラクターの1人として登場するという趣向は理解できるのだが、彼にはもうちょっとワトソンのように活躍の場を与えてあげればいいのにと思う。
 本作は、童謡殺人に分類される最初期の見立て殺人事件をモチーフとしたミステリの代表作の1つであり、本作の11年後に、同じジャンルで本作以上に有名なアガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』が発表されている。
 ちなみに、1978年から40年近くも連載が続いているマンガ『パタリロ!』に登場する「クックロビン音頭」の元ネタがマザーグースにあることを今さら知った。

 ニューヨーク地方検事のジャン・F・X・マーカムからの電話を聞いたヴァンスは大いに興奮する。著名な数理物理学の元教授であるバートランド・ディラード邸のアーチェリー練習場で、彼の姪のベル・ディラードに想いを寄せていたアーチェリー選手のジョーゼフ・コクレーン・ロビンが心臓を矢で射貫かれて死亡しているのが発見され、彼のライバルで、直前まで彼と一緒にいた同じくアーチェリー選手のレイモンド・スパーリングが姿を消したことから彼に容疑が掛かるのだが、そこには実に不気味な謎が潜んでいたからである。イギリスの童謡の1つであるマザーグースの1篇にある「コック・ロビン」の歌詞と事件内容が酷似していたのだ。
 童謡ではコック・ロビンがスズメの矢によって殺されるのだが、現場に駆け付けた殺人課の部長刑事であるアーネスト・ヒースも事件と童謡との関係に気付いて呆然とする。
 朝10時にベルを尋ねてきたロビンとスパーリングは、テニスに出かけていたベルを応接室で待っていた。その後、バートランドが11時40分頃に屋敷の裏手のバルコニーから下の練習場を見下ろしてロビンの遺体を発見したのだが、朝、バートランドを訪ねてきたのは、他には隣人の科学者のアドルフ・ドラッカーだけだという。
 ベルは、ロビンともスパーリングとも結婚する気はなかったと言いつつも、ロビンは殺されるような人ではないし、スパーリングも人を殺すような人ではないと証言する。バートランド、ベルに続いて、バートランドの養子で数学の准教授であるシガード・アーネッソン、使用人のパインとビードルにも尋問をするが、ヴァンスは皆が何かを隠していると嘆く。そんな中、探偵の仕事に興味のあったアーネッソンが捜査への協力を申し出て、マーカムはそれを快く受け入れ、ヴァンスもうんざりした様子でそれに同意する。
 そこに現れたのは、数学者でチェスの名手であるジョン・パーディー。通りの真向かいに住んでおり、ディラード家と親しい付き合いがあるという。しかし、彼からもたいした情報は得られなかった。そして、彼が去った直後に郵便受けから、犯人と思われる「僧正(ビショップ)」を名乗る人物からの、事件とマザーグースとの結びつきを暗示する怪しい手紙が発見される。
 ヴァンスは隣人のアドルフに会いに行くと言いだし、まず精神を病んでいる母親のレディ・メイに会う。彼女の部屋からはアーチェリーの練習場が見渡せるのだが、彼女の悲鳴を聞いたというアドルフの証言を否定すると共に、練習場も見下ろしたことはないと否定する。ヴァンスは、アドルフもアドルフの母のレディ・メイも何かを隠していると感じる。
 色々と推理をめぐらせるヴァンスとマーカムをよそに、ヒースはスパーリングが犯人であると決めつけるが、練習場ではなくアーチェリールームが殺害現場であるという推理をヴァンスが的中させたことで勢いを失う。
 そして、ついに最重要容疑者のスパーリングが身柄を確保されディラード邸に連れてこられる。彼は、凶器として発見された弓が女性用であったことから犯人がベルであると考え、彼女をかばうため虚偽の自白をして逮捕されることに。
 ディラード邸の郵便受けに投函された怪文書は各新聞社にも送りつけられていたため、「僧正殺人事件」として世間を騒がせることになるが、事件はさらに恐ろしい進展を見せる。この事件の9日後、ジョン・E・スプリッグという大学生が公園で射殺される事件が発生するのだが、これもまた、マザーグースの「小さな男が昔いた」という童謡の歌詞に対応していたのだ。
 ヴァンス達がディラード邸を訪れると、スプリッグはアーネッソンが目をかけていた優秀な学生で、ディラード邸にも来たことがあり、ディラード邸の誰もが彼のことを知っているという事実が明らかになる。そしてアーチェリールームの戸棚の引き出しからスプリッグ殺しに使われたと思われる32口径のピストルがなくなっていることも判明する。
 ドラッカー邸を再び訪れたヴァンス達は、レディ・メイから、犯人と思われる人物が深夜彼女の部屋に忍び込もうとし、チェスのビショップの駒を置いていったという事実を知らされる。
 その後の捜査で次々とアドルフにとって不利な証拠が出てきてマーカムは彼こそが犯人であったと断じるが、ヴァンスは、この凶悪な連続殺人を計画した犯人ならばこれほど多くの手がかりを残すはずはないと反論する。
 そしてそのような会話がなされた翌日、事件は急展開を迎える。アドルフが自宅近くの公園の高い壁から落下して死亡したのだ。それはまたしてもマザーグースの童謡「ハンプティ・ダンプティ」の内容の再現であった。そのヴァンスの発想を、マーカムはこじつけであると一蹴するが、僧正はまたしても新聞社に事件とマザーグースを関連づける怪文書を送りつけていた。さらに僧正は、息子の死を心臓の悪かった母親のレディ・メイに知らせることで、彼女も心臓麻痺で間接的に殺していた。
 警察の中でパーディーこそが犯人であるという結論に達しようとしていた時、彼がディラード邸のアーチェリールームでピストル自殺をしたという報告が入る。
 世間がこれで忌まわしい連続殺人事件が終結したと考えるようになった頃、バートランドに呼び出されるヴァンス達。その帰りにヴァンスは「ついに真相を掴んだ」と静かに言う。自分の養子のアーネッソンこそが犯人であると直接言いたくなかったバートランドは、彼の好きだった芝居の話をヴァンス達に聞かせたのだが、その登場人物の中に文学史上最も悪魔にして凶悪な人物の1人と言われるオスロの僧正、ニコラス・アルネッソンがいたのである。しかし、彼の好きな芝居の中に名前があるからと言って彼を逮捕するわけにはいかない。
 困っているヴァンス達の元に、今度は少女誘拐の報告が入る。さらわれたのはアドルフの友人でもあったマデラン・モファット。「かわいいマフェットちゃん」もマザーグースの中の1つであることに気づいたヴァンス達は、ディラード邸を強制捜索し、屋根裏部屋から僧正の使っていたと思われるタイプライターとアドルフの元から盗まれた研究ノートを発見する。そして無人となっていたドラッカー邸から、閉じ込められて酸欠で死にかけていたマデランを無事救出する。
 ディラード邸で大学から帰ってきたアーネッソンを問い詰めるヴァンス達。その中で、バートランドが青酸カリの入ったワインを飲んで死亡する。この連続殺人事件の真犯人は、アーネッソンの才能に嫉妬し、可愛がっていたベルを奪われると思って彼に憎悪の念を募らせていたバートランドだったのだ。彼は、すべての罪をアーネッソンにかぶせてから彼を殺そうとしていたのに、なぜ自殺したのか。
 その真相を暴いたのはヒースであった。アーネッソンのグラスにバートランドが透明な液体を注入しているのを目撃したヴァンスが、その後、そのグラスをバートランドのグラスと交換したのをヒースが目撃していたのだ。
 「ひょっとして、僕は逮捕されたりするのかい?」というヴァンスのセリフで長い物語に幕が下ろされるのであった。

 恐ろしい連続見立て殺人事件が発生し、容疑者が浮かび上がってくるたびに、その人物が死亡し謎が深まっていくという展開を見せる本作が、ミステリ史に残る傑作の1つであることは認める。しかし、日本で高い評価を保っている本作も、アメリカ本国では忘れ去られようとしている作品の1つらしいという話にも納得してしまう。
 発表当時はインパクトがあったであろうが、あらゆるエンターテイメント作品があふれている現代において、本作は正直言って退屈極まりない作品である。新しい事件が起きる場面はそれなりに興味を引くが、それ以外のヴァンス達の長々と続く聞き込みのシーンは苦痛でしょうがなかった。頭の切れる探偵役が一見意味不明の調査や聞き込みをし、それに周囲が戸惑ったりイライラしたりする場面は現代の作品でも見られるが、読者がその周囲の登場人物同様にイライラしてしまう作品は現代では通用しない。昔はそれでも良かったかもしれないが、現代の作品では、そこに読者が退屈しないようなキャラ設定とドラマが必要とされる。そういう意味で本作を軽々しくオススメすることはできない。
 また、主人公のヴァンスがラストで真犯人を殺してしまうという展開にも疑問。確かに、「コイツは死んで当然だ」、「主人公が犯人を殺してくれてスッキリした」という作品もないではないが、本作はその必然性をあまり感じない。ヴァンス本人も認めているように、バートランドがグラスに毒を入れている時点で取り押さえる手もあったのではないか。ヴァンスが彼を殺したいほど憎んでいる理由がよく分からない。
 アーネッソンがベルと結婚してノーベル賞を受賞したとか、ディラード邸が取り壊された跡地に建てられたアパートの正面に弓の的を思わせるレリーフが作られたとかいったエピローグも蛇足に思える。 

 

『貴族探偵』(麻耶雄嵩/集英社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2011年版(2010年作品)20位作品。運転手の佐藤、メイドの田中、執事の山本という3人の使用人を従え、彼らに推理させて自らは何もしないで事件を解決する貴族探偵の活躍を描いた5編の短編を収めたシリーズ第1作。読了したばかりの『灰色の虹』と同じ年度の作品で順位も全く同じ。続編の『貴族探偵対女探偵』(「このミス」14年版13位作品)を先に読んでしまったのが少々引っかかるが、今年の4月にテレビドラマ化されたばかりの作品でもあるので、それなりに興味を持って読むことに 。

「ウィーンの森の物語」

 都倉計器の社長・都倉政一が山荘で自殺を装って何者かに殺される。三塚電機の会長を大口契約の接待を兼ねて招待してあったため、頭を抱える営業部長の正津幸彦。前夜には社長夫人の光恵と、社長の秘書であり愛人であった旗手真佐子が、社長からプレゼントされた同じブランド物のバッグを持っていたことから大喧嘩して、光恵が真佐子を追い出すというトラブルがあったばかりだというのに…。事故で両親を亡くし政一に引き取られた彼の姪の江梨子は将来を期待されていたがまだ大学生で、政一の息子の忠仁も後継者としては不安が多すぎた。
 密室で殺害された政一の上着のポケットには糸を使ったトリックで部屋の外から鍵を入れようとした形跡があった。そして部屋の合い鍵が入っていた光恵のバッグから幸彦の指紋が検出されたことで、幸彦は窮地に陥る。しかし、三塚会長から話を聞いて現場に現れた貴族探偵は、執事の山本に命じてあっという間に事件を解決してしまう。
 犯人は光恵であった。合い鍵を持っていることで自らが疑われることを防ぐため、前夜の喧嘩中に真佐子のバッグと自分のバッグを故意に入れ替えた光恵であったが、鍵を政一のポケットに入れるための糸が途中で切れてトリック作りに失敗。慌てて真佐子の自宅に押しかけ彼女を撲殺して鍵を取り返し、切れた糸を現場から回収して、今度は忠仁に罪を着せようとしたが、前夜に光恵が真佐子に投げつけた真佐子のバッグに、それを拾った幸彦の指紋が付いたことで、光恵が持っていたバッグが真佐子のものと証明され、光恵によるバッグのすり替えが明らかになったのだった。

 凡庸な糸を使ったトリックと見せかけて実は…というパターンであるが、それ自体は特に感銘を受けない。警察の上層部も逆らうことができず、推理は使用人任せで、自分は美しい女性を口説くことを優先するという貴族探偵という設定はなかなか面白く、まさにテレビドラマ向けだと思うが、その初登場を印象づけるエピソードとしては、やや話が地味な気がする。ただし、本書の前に冗漫な印象がぬぐえない『僧正殺人事件』を読了したばかりであったため、話のテンポの良さは(「前置きはいい」と主人に言われて、山本がいきなり犯人の名前を言ってしまうところとか)、気持ちが良かった。やはり、いくら名作と呼ばれていようが古典は古典であって、自分には現代の作品が合っていることがよく分かった。

「トリッチ・トラッチ・ポルカ」

 小都市の郊外にある廃倉庫から頭部と両腕の切断された遺体が発見される。遺留品から被害者は専業主婦の宇和島逸子と判明。頭部と両腕の入った段ボール箱が河原で発見され、その中に身元の分かる遺留品があったのである。その箱を埋めようとしていた高校教諭の浜村康介が重要参考人として尋問されるが、彼は犯行を否定。その後、彼が逸子に恐喝されていたことが判明し容疑は深まるが、アリバイが成立したため捜査は振り出しに戻る。
 刑事の古川は浜村こそ犯人であると彼のアリバイ崩しに躍起になるが、犯行現場に現れた貴族探偵の指示を受けたメイドの田中が、あっけなく真相を言い当ててしまう。
 殺害時に雨が激しく降っていたのに犯人が廃倉庫の窓を閉めなかったのはなぜか、それは本当の殺害時刻が雨の降る前だったからであり、雨の降り出した後に被害者が美容室にいたという目撃証言は、真犯人である美容師の小関仁美が被害者の頭部と両腕を使ってそこにいたように偽装したためであると看破したのだ。
 猟奇殺人事件を解決した2人は、広げていたティーセットを片付け、白いテーブルと椅子と菓子を残して優雅に去っていくのであった。

 頭部と両腕のない死体から考えられるのは、犯人が被害者の身元を隠そうとしているというのがセオリーだが、あっさりと被害者の身元が判明してしまう。どういうオチが待っているのかと思いきや、なんと切断した死体の一部を使った犯行時間の偽装。これはちょっと思いつかない(最近Amazonのプライムビデオで見た『仮面ライダーアマゾンズ』で、美容師が客の洗髪中にその首を自作のギロチンで切断するというシーンがあったが、このエピソードをモチーフにしたのでは、とちょっと思った)。
 ユーモアとテンポの良さは相変わらずだが、ラストで「白いテーブルと椅子と菓子を残して」去っていくのは、全然優雅ではないと思うのだが。

「こうもり」

 寺崎紀子と安永絵美の2人は大学の卒業旅行で北陸にある高級旅館を訪れていた。ストーカー被害で落ち込んでいる紀子を、お嬢様の絵美が励ますという意味もあった。絵美の「高級ジャケットの彼」が後から合流する予定もあった。
 そこで2人は、松野彰という男前の男性から、明後日この近くで、恋人同士が一緒に灰をかぶると永遠に結ばれると伝えられる「蝶陣祭」という鍾乳洞の奥で護摩を焚く行事があること、そして人気作家の大杉道雄と堂島尚樹がこの旅館に宿泊していることを教えられる。その2人と出会って会話することができた紀子と絵美はテンションが上がる。
 大杉達は、大杉の妻の真知子、真知子の妹の水橋佐和子、佐和子の夫の洋一と一緒に宿泊しており、堂島と後から来る堂島の彼女、水橋夫妻は「蝶陣祭」に参加するという。
 その夜飲み過ぎた紀子は、寝過ごして絵美とのランチに遅刻してしまう。絵美は高級ジャケットを羽織った貴生川敦仁とコーヒーを飲んでおり、彼が席を外してから2人は遅いランチを食べ始めた。
 昼食後の散歩中に、紀子と絵美は、堂島と佐和子が口論しているのを聞いてしまう。どうやら2人は過去に交際していたことがあり、堂島がいまだに諦めていないこと、佐和子の新しい愛人がこの旅館に宿泊していることが分かる。
 そして、その夜に紀子はまた深酒してしまい、大杉達と約束していたランチに遅れてしまう。そこには絵美の他に真知子と貴生川がいた。「大杉先生達は『蝶陣祭』に行かないんですか」という絵美の問いに、「寒いのは苦手だし若い読者と色々話す方がためになる」と答えるが、それに真知子は「私との愛なんてどうでもいいんですか」と突っ込み仲睦まじいところを見せる。
 ランチが解散した後、コーヒーカップをハンカチに包んで持ち帰ろうとする絵美。「それ大杉先生が使っていたカップじゃない」という紀子の注意も聞かず、絵美は「記念よ、記念」と言って、それをカバンに仕舞ってしまう。
 そして、事件が発生する。「蝶陣祭」が終わった直後に、佐和子の絞殺死体が発見されたのである。関係者全員にアリバイが成立し捜査が難航する中、たまたま同じ旅館に宿泊していた貴族探偵がメイドの田中を伴って現れる。いつものように貴族探偵は田中に推理させ、犯人が大杉であることを宣言する。
 大杉は事件発生当時、紀子や絵美達とランチをしていたはずと思いきや、それは大杉が雇った大杉のそっくりさんの貴生川であり、本物の大杉は佐和子を殺害するため「蝶陣祭」に向かっていたのだ。そこにあるはずの大杉の指紋の代わりに貴生川の指紋が付いた、絵美の持ち去ったコーヒーカップが動かぬ証拠となった。真知子は大杉とグルになって、大杉の子を妊娠した佐和子を亡き者にすべく、紀子と絵美を騙してアリバイの証人に仕立てていたのだ。
 そして事件解決後、絵美は貴族探偵を私の彼だと嬉しそうに紀子に紹介するのであった。

 本書の一番の問題作がこれであろう。読者の多くは最後まで読んで何が起こったのか理解できず混乱するはずだ。そっくりさんを使った替え玉殺人という部分はしょぼすぎるが、この作品のポイントはそこではなく、読者を騙す叙述トリックにある。絵美の彼というのが貴族探偵であることは、冒頭部分でも結末部分でも間違いないのだが、途中に登場する貴生川が、名前と服装、そして絵美の彼に対する態度から、貴族探偵その人であると読者に思い込ませるトリックだ。
 読者の多くは、貴族探偵の本名が突然明らかになったことにちょっと驚きつつも、その普段と異なる雰囲気に違和感を持つことであろう。それも当然、貴生川はあくまで大杉のそっくりさんであり、作中の会食シーンでの紀子と絵美は、その彼を大杉と認識して接しているのに、筆者の巧みな罠によって、読者は、大杉と貴生川=貴族探偵の両方がそこにいるのだろうと錯覚を起こすように仕組まれていることに気づかないのである。
 読み返すと、確かに大杉と貴生川の2人が同時にそこにいるようには書かれていない。アンフェアなミステリとして読者に叩かれそうなギリギリの変化球であるが、これは「やられた」と正直に認めるしかなかろう。
 

「加速度円舞曲」

 編集者の日岡美咲は、食中毒になった親友に、一緒に行くはずだったイタリア旅行をドタキャンされ、さらには別荘にいる恋人からも二股をかけられていたことが判明し、怒りのあまり山道を荒い運転で走っていた。
 そこへ落石があり、その大きな石に美咲は車をぶつけてしまう。幸い怪我はなかったが、山中で携帯電話もつながらず途方に暮れてしまう美咲であったが、そこへ運転手の佐藤が運転する黒塗りのリムジンに乗った貴族探偵が通りかかる。
 衛星電話で警察を呼びつつ、単純な落石ではないと判断した佐藤の言葉を聞いた貴族探偵は、落とし主に文句を言いに行こうと言い出す。そこは美咲もかつて来たことのある、ミステリ作家の厄神春柾が仕事に使っていた富士見荘という小さな別荘であった。
 そこで、彼らは春柾の死体を発見する。大きな石はジャッキを使って下に落とされた形跡があったが、春柾の死亡時刻は落石の時間よりも前と考えられた。つまり、春柾を殺害した犯人が石を落としたのだ。
 警察と春柾の妻の令子、春柾の担当編集者の滝野光敏が到着しても、真相は全く分からない。しかし、早く美咲とディナーに行きたい貴族探偵は、佐藤に推理をせかす。
 犯人は、令子と滝野であった。自宅での不倫の現場を春柾に見つかって春柾を殺害。別荘で殺されたことにしようと2人は別荘に死体を運んだが、倒れた位置、頭部の傷、血痕の付いた枕の位置を考えると、別荘の寝室の模様替えをしなくてはならなくなった。その結果出入り口を本棚がふさぐ形になり、春柾が勝手口から普段出入りしているように装う必要が出てきた。しかし、今のままでは大きな石が邪魔になって、狭い駐車スペースに車を駐めると勝手口が使えない。だから2人は石を下に落とすことにしたのであった。
 不運続きだった美咲は、ちょっと変わった貴族探偵へのディナーの誘いに喜んで乗るのであった。

 なんか色々と無理がある話。普通の人がこんな面倒な偽装工作をするだろうか。それが十分に報われるようにも思えない。2人が完全に容疑者から外れるわけではないし。
 温室を増築したことが駐車スペースを狭くした原因といったようなことが書かれているが、その程度で車もまともに駐められない設計をするのがそもそもおかしい。
 このエピソードはつまらないと思う。

「春の声」

 吉野杉で財をなした由緒ある桜川家の当主・鷹亮は、孫娘の弥生に跡を継がせるべく、有名な会社の子息である水口佳史、高宮悟、尼子幸介の3人を婿候補として屋敷に呼び、弥生に選ばせようとしていた。しかし、屋敷に招待されていた貴族探偵の目から見ても、ろくでもない人物ばかりであった。
 しびれを切らした鷹亮があと3日以内に決めるように期限を決めた直後に3人が殺害されるという事件が起きる。現場の状況から、水口殺しの犯人が尼子で、尼子殺しの犯人が高宮で、高宮殺しの犯人が水口ではないかという、互いに尻尾を呑み合うヘビのような状況が生まれ、捜査は混乱する。
 そこへ貴族探偵は、佐藤、田中、山本の3人の使用人を投入して捜査に当たらせ、真相を解明する。水口が高宮に、高宮が尼子に、尼子が水口に殺されたと、当初の予想とはまったく反対の結論に達し、最初に殺された者が最後に殺すことはできないという謎も、水口が自分が刺されたことに気づかずに気を失い、意識を取り戻した後に尼子を殺して内出血で死亡したということで解決したのであった。

 刺されたことに気づかずに、その後行動を続けるというパターンは、小説やマンガなどいくつかの作品で見たことがあるが、ミステリの謎解きとしてはあまり面白いものとは言えない。鷹亮や弥生が被害者3人に殺し合うように仕向けたというような話が入っていればまだ読み応えがあったが、鷹亮も弥生はもちろん、思わせぶりに最初から登場する鷹亮の外孫の皐月も全く関係していなくて拍子抜け。ラストの貴族探偵と皐月の会話も、たいして深い意味もなさそうで、本書の締めとしては非常に中途半端な印象。

 結局、「おっ」と思わせてくれたのは「こうもり」だけ。これも反則すれすれではあるのだが。貴族探偵という設定自体は、リアリティなんかは置いておいて、エンターテイメントとして面白いと認めるが、肝心の物語が今ひとつそれを生かし切れていないように思う。
 それでも決して本作が嫌いなわけではない。『僧正殺人事件』に引き続き★★とするが、前述したように、いかに『僧正殺人事件』のプロットの方が緻密であろうとも、『僧正殺人事件』と本書のどちらかを人に勧めるならば、この『貴族探偵』の方を勧めるであろう。

 

『琉璃玉の耳輪』(津原泰水/河出書房新社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2011年版(2011年作品)17位作品。 現代を舞台としたものではないので少々抵抗があったが、無駄がなく (夢のシーンなど冗長な場面も多々あるが、これは原作者の尾崎翠の文章をなるべく残そうとした結果らしい)テンポの良い、所々講談がかった文章は意外と悪くない。

「プロログ」(原文ママ)

 時は昭和3年。東京地裁の検事である岡田卓三に厳格に育てられた娘の明子は、父の理想を体現したかのように男勝りに育ち、東京探偵社の女探偵として活躍していた。その明子は両親と共に避寒に訪れていた熱海で、同じく両親と共に避寒に訪れていた櫻小路伯爵の息子・公博に一目惚れしてしまう。しかし、公博は宿泊していたホテルの上に建つ洋館で目撃した少女にすっかり心を奪われていた。
 ある夜、とうとう我慢ができなくなって少女を見た洋館の窓枠によじ登った公博は、琉璃玉が埋め込まれた白金の耳輪をしたその少女が、変態性欲を持つ男に飼われていることを知り衝撃を受ける。ホテルに戻って明子と鉢合わせした公博は、彼女との会話の途中で、特注品である鳥打帽を窓の下に落としてきたことに気づき思わず取り乱す。翌日も両親の相手で帽子を探しに行くことができず、次の朝、ホテルの部屋の窓から変態性欲の男を見つけるが、ホテルを飛び出した直後にぶつかった明子と離している間に男を見失ってしまう。
 明子に気もそぞろな公博の態度に失望する彼女の姿をなめ回すように見ていたのが、変態性欲の男・山崎であった。彼は開放的すぎる熱海の別荘を引き払い、耳輪の少女を連れて高い塀に囲われた我が家へ帰るところであった。
 一方、浅草でスリを担当していた刑事の田邊は、新世界署に勾留されていた「石火のお龍」と呼ばれたスリの名人・北前龍子に、「耳輪のお瑶」と呼ばれる新人のスリの逮捕に協力すれば朝鮮に逃がしてやると持ちかけ、龍子はその話に乗る。

「春」

 東京に帰った明子は、謎の貴婦人から高額な報酬(月500円=現在の価値で100万〜150万円)で人探しの依頼をされる。それは、琉璃玉の耳輪をした、黄瑶子、黄N子、黄e子の3姉妹を探し出し、1年後の4月15日に丸の内ホテルの西館15番室に連れてきてほしいというものであった。明子は、熱海からの帰りの列車の中で、南京町のマリーと呼ばれる売笑婦の所へ公博が通っており、その女の耳には琉璃玉の耳輪があるという3人の紳士の話を思いだし、もしかしたら調査の過程で公博に会えるかもしれないという思いから、その怪しい依頼を引き受けてしまう。
 明子が貴婦人と会っていた頃、山崎の屋敷にツェッペリン八重子こと金丸八重子という好奇座の芸人が訪ねてくる。彼女は山崎同様に琉璃玉の耳輪をした女を探しているという。山崎は一緒に暮らしているe子の存在を隠し、彼女の話を聞く。すると彼女は、南京町で見つけたN子と思われる女は自分が探していた女ではないと言う。そこで山崎は、八重子が探している女…かつて八重子と一緒に好奇座で働き、彼女の目を潰して3年前に逃げ出した女は、瑶子だと確信する。そして、八重子の「瑶」の文字が彫られた義眼を見て悲鳴を上げたのだった。
 かつて山崎は、親に捨てられた支那語を話す3人の女児を引き取って育てていたが、長女の瑶子は妻のお峯によって好奇座に売り飛ばされ、お峯の死後に姉妹に暴力を振るうようになった山崎を恐れて、山崎の妻同然に暮らしていた次女のN子も金持ちの田貫という男の元へ逃げ、三女のe子のみが山崎の元で暴力に耐えていたのだ。
 明子は公博が通う南京町の料亭を突き止めるが、女性は入れないことが分かり、女学校卒業後に京都帝大籍を置く催眠学の権威・音無兼吉に1年間学んだ自己催眠の技術によって、仕立屋の試着室の中で香港からやって来た宝玉商の岡田明夫に変身を遂げる。人格や声、さらには体格まで男っぽくなるというこの技は、東京探偵社代表の唐草七郎すらも驚かせるものであった。
 男装して料亭奥の阿片窟への潜入を果たした明子は、そこを支配するマリーこと黄N子と、阿片に溺れる公博を発見するが、人格が変わった明子はN子と恋に落ちる。公博はN子に捨てられ、人生の面白おかしい一季が今幕を閉じたことをかみしめるのであった。明子と街に出たN子は、彼女を執拗に探し続けていた山崎に見つかってしまう。何とか逃げおおせたものの、明子には彼が自分の亭主であったことを正直に語る。

「夏」

 N子は自分の波瀾万丈の人生を明子に聞かせる。世界中を放浪していた研究者の父・黄陳重は行方不明、母の荔枝(れいし)も浮気した挙げ句、3姉妹の前から姿を消し、母の経営していた料理店を引き継いだ山崎に引き取られて、不幸な青春時代を送ったのだった。一時は田貫の元へ身を寄せたものの、山崎の追跡から逃れるため、今日まで阿片窟で隠れ暮らしていたのだと言う。
 瑶子はというと、好奇座で八重子と深い仲になるが、百舌と呼ばれる男に八重子を奪われてから関係が悪化し、ついに八重子の目を潰して姿を消す。八重子も失明によって好奇座を離れる。座長に復讐かと聞かれて、百舌とのことを詫びる機会がなかったために苦しんできたのだということを訴えるのであった。
 その頃、唐草七郎は四谷にそびえる櫻小路伯爵邸を訪れていた。彼は、部下の明子に不可解な仕事を依頼した謎の貴婦人の正体を、櫻小路伯爵の後妻・荔枝(りえ)であることを突き止めていた。最初は認めなかった彼女も、ついに唐草に真相を話す。黄陳重の研究が危険なもので、何としても彼を日本から出したかったこと、琉璃玉の耳輪は人類を滅ぼしかねないものであり、それを娘達に預けてしまったことを深く後悔していることを…。
 再び山崎に遭遇し危機に陥ったN子を救うため、明子は横浜の南京町からN子を離れさせ、東京探偵社の守衛である萬の池袋の家の離れに匿うことを決める。
 山崎とe子の居場所を突き止めた公博は、下女の寅を買収し、屋敷からe子を救い出すことに成功するが、そこで同様にe子を救いに来た明子と対峙することに。明子は公博をうちのめし、うっとりするとともに、明夫の人格に体を支配されつつあることに不安を感じたが、その隙にe子を見失ってしまう。

「秋」

 スリの瑶子を捕まえるなら真新しい近代的施設の電氣館であると言う龍子の主張に驚く刑事の田邊に、龍子はその理由やスリの手口について詳しく説明する。そんな瑶子に田邊は、「お前さんたちをね、ふん捕まえて自由を奪うのを職務と感じたことなんか、この30年間、私は一度もないんだよ。お前さんにしろ瑶子にしろ、出会えたことを今生の縁と感謝して、その幸せのために働いているんだ」と告げ、瑶子の心を揺さぶるのであった。
 浮浪者に身を堕とした八重子は偶然にも荔枝に保護される。有馬医院で回復した八重子は、有馬医師が電氣館でスリにあったという話を耳にし、そのスリが自分の探している瑶子であると直感する。清水医師を伴って電氣館に向かった八重子であったが、瑶子に気づかれ逃げられてしまう。同じく瑶子を見つけるために張り込んでいた田邊と龍子との会話によって、清水医師の正体が唐草であることが明らかになる。
 京都で長期間音無教授の検査を受けていた明子は、東京に戻ってN子が萬宅を追い出されて失踪したことを知り失望する。N子は南京町に舞い戻り山崎に捕まっていた。そんな失意の明子の元に行方不明だったe子が現れ彼女が保護することになるが、これまでe子を匿っていたのが唐草だと知った明子は激怒し探偵社を辞めると言い出す。しかし、N子が山崎に囚われたことを知り、すぐに救出に向かうという明子に唐草は呆れる。八重子と共に山崎邸に乗り込んだ明子は、山崎の待ち伏せに遭いまんまと捕まってしまう。

「冬」

 明子はいつの間にか山崎の元から救出され病院に寝かされていた。同じく救出されていた八重子から話を聞いた明子は、救出後、明子がずっと別人格のまま病院で過ごしていたこと、自分が明夫となって山崎を殺害していたという事実に驚く。
 八重子のアドバイスによって、ついに瑶子をスリの現行犯で捕まえた田邊であったが、手裏剣で傷を負わされ逃がしてしまう。それでも田邊は十分に満足していた。容疑が固まったことで手配書が回せることと、瑶子がボスに無断で仕事をしたことが明らかになり、彼女がボスのところへ帰りづらくなったためである。
 その瑶子は櫻小路邸へやって来ていた。母の荔枝が経営していた料理店に通っていた小父さんが櫻小路伯爵であることに気づき、その後妻こそ母ではないかと思い至ったからである。母は、そのことを認めなかったが瑶子を優しく迎えてくれた。しかし、伯爵が悪党の本性を現す。彼は、黄陳重の核エネルギーの研究を我がものにし、大きな権力を得るという野望を持っていたのだ。そして、3姉妹が持つ琉璃玉にその秘密が隠されていたのだった。4月15日に来日するエプスタイン博士にそれを見せれば核エネルギーの研究は完成するはずであった。悪はまだ滅びではいなかったのだ。N子とe子の身柄引き渡しを要求してきた伯爵に対し、唐草や明子達は乗り込むことにするが、唐草は「いえいえ、戦うなんて。僕は結託しようと思っています」と謎の言葉を呟く。

「エピログ」(原文ママ)

 明子が荔枝と約束していた昭和4年4月15日の丸の内ホテルの西館15番室が最終決戦の場となった。そこで唐草は伯爵にとんでもないことを言い出す。琉璃玉を差し出す代わりに、爵位と3姉妹の身柄の引き渡しを要求し、3姉妹は麻薬を飲ませて上海に売ると言うのだ。その証拠に唐草は瑶子に薬物を無理矢理飲ませて失神させる。唐草を信用した伯爵は、妻の荔枝に3姉妹の耳輪を外させる。それは荔枝の歌声の高音によって外れる仕掛けになっていた。
 伯爵が琉璃玉を手にしようとしたその時、八重子が好奇座で身につけた身軽さでそれを奪って逃走。屋上のアドバルーンで脱出する算段であったが、やけになった伯爵の発砲で八重子は爆死してしまう。伯爵は八重子の可愛がっていた木助に全身を複雑骨折させられ、木助は伯爵の銃弾で死亡する。
 唐草の裏切りは演技であり、瑶子はただの強い酒を飲まされただけで意識を取り戻す。瑶子は八重子の遺品として焼けただれた短剣を受け取り顔を覆う。琉璃玉は八重子が奪った直後に龍子に渡されており無事であった。琉璃玉が専用の機器によって映し出した数式とローマ字を見てエプスタイン博士は黄陳重の核エネルギーの研究を把握する。そして黄陳重が夢想していたのは原子爆弾の製造ではなく、核エネルギーによって人類を飢えと寒さから救うことであったと語る。
 そこで明子に何と山崎の人格が発現。N子とe子を人質に琉璃玉の入った機器を渡すように迫る。一瞬の隙を突いて瑶子が八重子の短剣を明子に投げつけるが、明子をかばったN子の背に刺さってしまう。
 明子は正気に戻り、N子も一命を取り留める。唐草は他の人格が残る明子を受け入れ自分の傍にいてほしいと言い、明子も涙してその申し出を了承する。瑶子は好奇座に、N子は南京町に戻り、e子は公博のいる伯爵家にとどまることに。伯爵は黄陳重殺害容疑の証拠を公博に突きつけられ自殺する。そして龍子は当初の約束通り、田邊に見送られ朝鮮行きの船で日本を離れていくのであった。
 
 登場人物の過去や心の動き、人間関係の構築について事細かに描いている点は好感が持てるが、物語の前半の方では、田邊と龍子、龍子と瑶子の関係が今一つ描き切れていない気がした。前者については、田邊がそこまで龍子の世話を焼こうとする理由がよく分からない。龍子自身が指摘しているように、新人のスリの瑶子を捕まえても、その師匠である龍子を解放したら意味はない。両方を改心させる自信があるからなのだろうか。
 後者の龍子と瑶子の関係については、なぜか他の登場人物のように詳しく書かれていないため、龍子が瑶子を裏切る心理がよく理解できない。2人に深い絆があったなら、この展開はもちろんおかしいし、かといって2人が反目しているような記述もなく、龍子が積極的に瑶子を裏切る理由も見いだせない。そんなに朝鮮で自由の身にしてやるという田邊の話が魅力的に感じたのだろうか。
 そのような疑問も読み進めていくと、あまり気にならなくなってくる。前述したように、複数の登場人物の何度も登場する夢のシーンや、捕まっては逃げるという展開の繰り返しなど冗長な部分も見られるが、キャラクターがしっかり作られているおかげでストーリーは普通に面白い。
 ただ、ラストはもっとベタでも良かったと思う。基本的に悪党以外は皆ハッピーエンドなのだが、唐草の明子に対する態度はプロポーズではなくビジネスライクであるし、龍子と田邊の別れも同様で今一つ読者が感動しきれない。公博とe子の行く末も十分な言及がなく、冒頭であれだけ存在感を示した公博の恋愛成就の喜びのシーンをもうちょっと描いてあげても良かったのではと思ってしまう。瑶子とN子に至っては、元の生活に戻るだけという展開があまりに安易すぎて 、その結末が本当の幸せだとは思えないのも引っかかる。
 後書きを読むと、作者が原作の物語に登場人物を追加したりすることで、とても昭和初期に生まれた話とは思えないくらい十分に盛り上げてくれたことがよく分かる 。したがって、あまり贅沢は言えないのだが、もう少しのところがもったいないと思う。★★★に限りなく近い★★。

 

『猫には推理がよく似合う』(深木章子/KADOKAWA)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2017年版(2016年作品)20位作品。

  老弁護士の田沼清吉が経営する法律事務所に事務員として勤める椿花織は、人間関係で苦労した前の事務所と比較すると、のんびりした田沼と猫しかいない平和な今の職場に大変満足していた。しかも、その猫は特定の人間と話すことができるのだ。自分と話せることが分かった椿は、ひょう太と呼ばれていたその猫の本当の名前がスコティであることを言い当てて可愛がっていた。
 やたらとミステリーに詳しいスコティは、猫好きでミステリー好きでもある花織に、「見立て殺人って何が面白いの?」「ダイイングメッセージって何が面白いの?」「時刻表を使ったアリバイトリックって何が面白いの?」と、次々に質問を浴びせた挙げ句、自分がミステリーを書いていることを告白する。
 ある女性が失恋の末に自殺。彼女の飼い猫が餓死ではない状態で死亡しているのが部屋で発見され、他の飼い猫が密室だった部屋の中で行方不明になっている謎を解くミステリーであったが、花織は一瞬でその謎を解いてしまう。行方不明の飼い猫は、読者に猫と錯覚させるように書かれていただけで実はハムスターであり、飼い主が毒で殺したハムスターを飼い猫が食べて死亡し、ハムスターは消失したというトリックであった。スコティは、負けじと次のネタを示すが、それもあっけなく花織に解き明かされた上に内容を完全否定され、すっかり機嫌を損ねてしまうスコティ。

 事務所には、色々な客がやってくる。

 【客その1】町工場の社長の吉川夫婦とその息子の直人。息子が恐喝容疑で逮捕されたが、田沼が刑事事件専門の弁護士を紹介したことで起訴猶予処分となって釈放されたことで、吉川夫婦は大喜び。

 【客その2】大地主の息子である菅山と別れたい彼の妻の恵。彼女は、チンピラの小平との浮気の証拠として菅山に取り上げられたダイヤの指輪を田沼が預かっていることを知り乗り込んでくるが、彼女は拒否した田沼に暴言を吐いて去って行く。田沼が調べてみたことろ、そのダイヤはイミテーションらしい。
 その後、宝飾店から9,000万円相当のダイヤの指輪が盗まれ、男が逮捕されたというニュースを見たスコティは、その犯人の写真を見て、小平の車の運転をしていた男だと花織に伝える。手配されている共犯の男女が小平と恵である可能性が高まり、田沼の預かっているダイヤの指輪の本当の価値を知った花織は驚く。

 【客その3】田沼の高校時代の友人で、末期癌に冒されて入院中の池島俊彦の甥(俊彦の上の弟の息子)である池島幸一とその妻の裕子。彼らは田沼が預かっている俊彦の遺言状の内容を知りたがる。田沼が拒否すると、勝手に養子手続きをすると言い出した幸一達を怒鳴って追い返す。幸一は手癖が悪く俊彦がさんざん尻ぬぐいをさせられていた、できの悪い男だった。
 大学で教鞭を執っている俊彦の下の弟の敦彦も誇大妄想狂があり欲深い男で、田沼は幸一同様に嫌っていた。さらに幸一の妹の三輪田瑛子も加えた4人の前で、ついに遺言状が公開された日、「東京都に全財産を遺贈する」というその内容に幸一夫婦と敦彦は激怒。瑛子が田沼にお金を渡して遺言状をなかったことにしてもらおうという提案をしたところで、ついに田沼の雷が落ちる。

 【客その4】エス・ケイ工業総務部長の山下とその部下の澤。会社の金を使い込み、詫び状を残して半年前に失踪した木塚を新社長が告訴するというので、彼らはその相談のため事務所を訪れる。さわやかで猫好きな澤を、花織とスコティはすっかり気に入ってしまう。

 【客その5】田沼の亡くなった妻の姪、五十嵐一美。元々田沼の妻の飼い猫だったスコティに会うために、買い物のついでに事務所に立ち寄る。しかし、スコティを可愛がる一美の姿に花織は不快感を抱く。

 花織がスコティの世話をするため日曜も事務所に来ることを知っていた澤は、田沼に頼まれた書類を一刻も早く事務所に届けるため、花織が事務所に来る時間が午後3時であることを彼女から聞き、その時間に事務所を訪問することを彼女に伝える。花織は澤が自分に気があるに違いないと、すっかり舞い上がってしまう。

 そして日曜、花織によって田沼の死体が発見される。普段から鍵が掛かっていない事務所の金庫からは、ダイヤの指輪、池島俊彦の遺言状、木塚の詫び状を含めたすべてのものが消えていた。そしてスコティも。
 しかし、この事件は花織に挑戦しようとするスコティの新作ミステリーの内容であった。田沼家の家政婦、小平、菅山恵、吉川直人、敦彦、幸一夫婦、瑛子、瑛子の夫、山下…、花織の指摘する犯人を次々と否定していくスコティ。そしてとうとう降参した花織に向かって、ついにスコティが真犯人を発表する。それは花織自身という驚愕すべきものであった。スコティの説明には隙がないが、全く身に覚えのない花織は混乱する。そして、そのさなか彼女は何者かに殴られる。もうろうとする意識の中で、彼女は真犯人が五十嵐一美であることに思い至る。そして事務所にやってきた澤にそのことを必死で伝え、気を失う花織。

 結末では、田沼と20年前に田沼の事務所で修習をしたことのある睦木怜弁護士との会話で、花織が統合失調症らしい病気を再発したことが明らかになる。全ては花織の妄想で、無事に保護されたスコティことひょう太は話すことなどできず、一美は事件に無関係であり、花織は自分で自分を灰皿で殴って倒れた自作自演の事件であると警察は考えていた。金庫から奪われたのはイミテーションのダイヤの指輪のみで、今のところ未発見。
 しかし、田沼は花織が事件を起こしたということが信じられず、睦木に調査を依頼する。そして、睦木が花織が残した手記を元に割り出した真犯人は澤であった。花織はひょう太の名を澤にはスコティと紹介していたのに、澤は「ひょう太は無事なのか」という田沼の問いに何の迷いもなく応えていたのがポイントであった。澤は事務所に盗聴器を仕掛けており、それによって猫の本当の名前がひょう太であることや、鍵の掛かっていない金庫に高価なダイヤの指輪が仕舞われていることを知ったのであり、日曜に約束の時間より早く来ていた花織が猫に向かって叫んだことに驚いた澤は、思わず彼女の後頭部を灰皿で殴ってしまったのではないかというのが、睦木の推理であった。
 後日、ひょう太を引き取った五十嵐一美の元を訪れた睦木は、ひょう太に見つめられ、思わず「スコティ」と呼んでしまうのであった。

 冒頭で、「猫が猫のために書いた猫の物語」という言葉に思わず眉をひそめてしまったが、現実のシーンに転換して安心したのも束の間、やはり先の言葉がほぼ真実であったことにショックを受ける。ファンタジーが嫌いなわけではないが、どうにも緊張感が保てない。
 花織が初めてスコティがしゃべれる猫であると気が付くシーンでは、散々スコティと話してから驚く花織に、「いくらなんでも気が付くのが遅すぎ!」という突っ込みを入れた読者は多かったことだろう。
 本作を読みながら、本作がもしファンタジーではないとしたら花織は病気なのだろうと思っていたら本当に病気だった。一番いい人そうに描かれている澤が犯人なのだろうと思っていたら、こちらも案の定だった。いくら花織が澤のことを好きだったとしても、あれだけスコティと緻密な推理合戦をしている中で、澤が犯人候補に全く挙がってこないのはさすがに不自然すぎた。
 余韻たっぷりのエピローグも悪くないのだが、やはり終盤で突然登場する探偵役の睦木の唐突感はどうしても否めない(前半で田沼が吉川社長に紹介した刑事事件専門の弁護士が彼女であったことが、終盤で明らかになるのだが)。最後に突然探偵役が現れて事件を解決するミステリーというのはあまりないのではないか。イイ感じのラストを飾る人物なのに、十分にキャラが確立していないため感動が薄まるのが惜しい。何より彼女が真犯人と指摘した澤のその後について全く語られていないのは大きな手落ちでは?
 全体的によく練られた作品だとは思うが、やはりオススメする相手は、ミステリー好き、かつ猫好きな読者がベストであろう。

 

『硝子の葦』(桜木紫乃/新潮社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2011年版(2010年作品)16位作品。

 冒頭では、刑事の都築が久しぶりに赴任した北海道厚岸の寂れた飲み屋「たけなか」を訪れている。その店のある「すずらん銀座」で店を続けているのは2軒のみ。女将は、暖簾の向こうに久しぶりに帰郷してきたと思われる女性を見つけ、駆けて行って声を掛けてから戻ってくる。その女性は、母親の愛人を寝取って社長夫人に収まり、今日は夫とは別の男を伴っているという。その直後、スナック「バビアナ」から爆音と共に大きな火が上がる。駆け付けた都築は、「中に人がいるんだ」と叫ぶ男を羽交い締めにする。男は40歳の税理士・澤木昌弘、一部の骨しか発見できなかった被害者は幸田節子30歳とみられた。
 節子は娘に売春させるような母の元を離れて高校生活を送るが、母・律子の愛人で、釧路でラブホテルを経営している幸田喜一郎と関係を結び、さらには彼に就職先として紹介された税理士事務所の上司であった澤木とも関係を持ち、結局歳の離れた喜一郎と結婚していた。
 この火災の直前に交通事故で意識不明の重体となっていた喜一郎は4か月後に死亡。彼の葬儀を終えた後、事務所で仕事をしていた澤木の元へ都築がやって来る。

 7年前に短歌会に入った節子は、喜一郎に「一度ちゃんと自分の書いたものと心中してごらん」と勧められ、『硝子の葦』という歌集を自費出版していた。「もう手直しできないというところまで持って行かねば、新しいものは生まれない」と彼は言った。性愛をテーマにした歌を作る節子に対して、その対極にあるような家庭の幸せを歌う佐野倫子から、ゆっくり話をしたいと言われた節子であったが、娘のまゆみを虐待していると思われた倫子に自分の母・律子の姿を重ねていた節子は拒絶する。
 その直後、喜一郎が交通事故にあって意識不明の重体であることが分かる。律子と会った節子は、喜一郎が律子に会いに行った帰りに事故にあったことに気が付く。律子は、喜一郎の遺産の相続権のある喜一郎の前妻の娘の梢を探すように澤木に依頼する。やっと見つけた梢の生活は荒みきっており、節子は梢に大麻をやめるように説教し生活費を渡す。
 喜一郎の入院する病院の玄関前にまゆみの姿を見つける節子。まゆみは「この子を預かって下さい」という倫子の手紙を持っていた。訳が分からないまま節子はまゆみの部屋着や下着を買い込むと、梢のところに彼女を預ける。そして、まゆみが母親の倫子からではなく、父親から虐待を受けていたことを知る。
 その後しばらくは、梢とまゆみはうまくやっていたが、やがてまゆみが出て行ってしまう。そして、釧路駅構内でまゆみは保護され、身代金目的の誘拐事件として報道されていることに節子は驚く。脅迫状は真由美の父親であり、倫子の夫である佐野渉が書いたものであった。お金に困っていた渉は、節子を自宅に呼び出し500万円を出すよう要求する。そうすれば警察に倫子を出頭させ、母親の虐待から逃げた娘を節子が保護したという形で丸く収めるというのだ。その理不尽な要求を受け入れた節子には、ある考えがあった。翌日再び佐野家を訪れた節子は、土産の菓子箱に睡眠薬と倫子への手紙をしのばせていた。倫子は節子の思いをくみ取り、睡眠薬入りのコーヒーで渉を眠らせることに成功する。節子と倫子は渉を湯船へ運び、倫子は迷うことなく渉の手首をカッターナイフで切った。「経済的な事情と、誘拐の自作自演の発覚と、妻や子供への暴力が明るみになることへの恐怖」という倫子の主張する自殺理由を警察は受け入れ、渉の遺体は司法解剖にもまわされることなかった。
 澤木を厚岸へドライブに誘う節子。節子は異臭の漂う節子の実家「バビアナ」で自分のアルバムを澤木に見せる。訪ねてきた「たけなか」の女将と話すため節子が玄関に出た隙に、澤木はたった1枚しかないという笑顔の節子の写真を懐にしまう。そして「バビアナ」を後にする2人。節子は、喜一郎が惚れていたのは自分だけだと言って節子を罵る律子を突き飛ばし、後頭部を打った律子が死亡してしまった日のことを思い出す。彼女は律子の死体を床下に隠したのであった。忘れ物をしたと言って「バビアナ」に再び向かった節子は澤木のところへは戻らず、「バビアナ」は炎に包まれた。
 都築から焼死体が律子ではないかという話を聞いた澤木は、節子の写真を送ってきた倫子の引っ越し先の帯広へ向かう。1週間前からパン屋を開いていた倫子の口からは節子の生存は確認できず、1人だけ働いていた職人も節子とは似ても似つかない女性であった。それでも澤木は帰途に就くその職人の背中に「幸田さんが死んだ」と語りかける。警察が節子を疑っていることを伝え、「節ちゃん、逃げてくれ」とかすれた声を出す澤木。去っていく職人とすれ違って澤木の前に立ったのは都築であった。
 澤木は祈り続ける。節子は生き続ける。今夜、全ての舞台に幕が下りますように…。

 「もう手直しできないというところまで持って行かねば、新しいものは生まれない」という喜一郎の言葉を実践した節子。文中にあった喜一郎の資産の使途不明金1,000万円というのが、節子の成形手術代になったということなのか(倫子の出店資金は渉の保険金だろう)とどうでもいいことに思いが至ると共に、最後に澤木の前に都築が現れたのはちょっとしつこすぎないだろうかと思ってしまった。これ以上節子と澤木を追い込む必要があるのか。「今夜、全ての舞台に幕が下りますように」という澤木の心の声も理解できない。「節子が生きてくれてさえいればそれでよく、今夜は警察に捕まって罪を償ってくれ」と言っているようで、「逃げてくれ」という最初の言葉と矛盾を感じてしまう。「今夜、節子生存の手がかりが途絶えたと、これ以上彼女を探すことを都築が諦めて大人しく去っていく」という展開を期待したものならば分からないではないが、とてもそのようには読み取れない。
 直木賞作家だけあって文学性に富んだ美しい文体にはさすがと言うしかない。しかし、あまりにも湿っぽい。最初から最後までこんなに湿り気を帯びた作品も珍しい。
 「夫の事故から何かが狂い始めていた」というような節子の言葉が繰り返し書かれているが、彼女が育った家庭環境が悪かったとは言え、彼女自身にも十分すぎるほどの問題があり、もっとずっと前から狂いっぱなしではないか、このようなドロドロの状況に陥るのも自業自得ではないかという思いが強かった。とても感情移入のできる主人公ではない。完全に昭和のお昼のメロドラマであり、特定の読者はハマるのかもしれないが、自分にはどうしてもなじめなかった。

2017年月読了作品の感想

『MISSING(ミッシング)』(本多孝好/角川書店)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2000年版(1999年作品)10位作品。はっとさせられるユニークな表現が随所に見られる短編5編を収めた著者のデビュー作。さてオススメ度はいかほどか。

「眠りの海」

 自殺の名所であった崖の上から飛び降り自殺を図ったものの地元の少年に助けられる主人公。彼は、焚き火にあたりながら助けてくれた少年に自殺しようと考えるようになった経緯を話し始める。
 幼い頃両親を交通事故で亡くした主人公は伯母夫婦の元で暮らし、高校教師になった後、伯母の家を出て一人暮らしを始める。両親の事故の原因は子供の飛び出しで、その子供の父親の柳田耕造が少なくないお金を振り込み続けてくれていたおかげで彼の生活は楽だった。
 そんな時、彼は佐倉京子という生徒と出会う。死んだと聞かされていた父親が義理の伯父に当たる人物で、母親がその伯父からお金を引き出すためだけに自分を生んだことを知った京子は母親を責めるが、母親はアル中になり、彼女はグレることはなかったものの情緒不安定になる。
 似たもの同士ということもあり関係を持った2人。京子があと半年で卒業というところで2人の関係が学校にばれるが、校長は別れればもみ消してくれるという。たった半年間我慢すればいいと京子を説得する主人公であったが、彼は過去に別れた女性同様の結末を予感していた。
 彼女はかつてのアルバイト先の先輩からスポーツカーを借り、主人公にドライブに連れて行くよう要求する。そして彼が彼女とのドライブ中にカーブを曲がろうとした時、京子が彼に抱きついたため事故を起こし京子は死亡。京子と職の両方を失った彼は、京子を殺したという罪の意識に苛まれ自殺を決意したのであった。
 その話を聞いていた少年は、その事故は京子の計画した無理心中だと断言する。彼の運転中に彼の膝に頭を置いていた彼女は、彼のシートベルトを外し、空き缶をブレーキペダルの下に挟んでブレーキを効かなくした上で、彼の伊達眼鏡に映る映像でカーブを察知し、彼に飛びついて事故を引き起こしたのだ。
 「これからどうすればいい?」と尋ねる主人公に、少年は「おっさんはオッサンの世界で生きるしかない」と言って消えていく。主人公は漆黒の海に背を向けて歩き出すのであった。

 男女の物語については、あまりにも小説にありがちな話。少年による謎解きも無理矢理ミステリ仕立てにしようとしているようで、トリックのしょぼさも合わさって痛々しさすら感じる。謎の少年の正体は、かつて主人公の両親の事故の原因となった子供が飛び降り自殺して幽霊となって現れたもの、というオチだが、こういう事故で事故原因を作った子供が自殺したと言う話は聞いたことがなく、しっくりこない。しかもその自殺した少年が、小難しい言葉を使って大人の主人公に説教をするというのは、さすがに違和感がありすぎる。★★

「祈灯」

 主人公は妹の真由子に「幽霊ちゃん」という渾名の友人を紹介される。彼女は葉山典子だと自己紹介するが、真由子によれば、彼女の本名は葉山美郷だと言う。
 雨の日に母親に傘を届けに行った、まだ幼かった葉山姉妹。そして妹の典子が道路に飛び出して車に轢かれて死亡するという悲劇が発生し、生き残った姉の美郷は責任を感じ、姉の自分が死んだと思い込むことで精神の均衡を保っているのだという。
 1か月後、主人公は美郷に再会し、彼女から姉の美郷(実際には妹の典子)が赤いスポーツカーに轢き逃げにあったことを事故現場で告げられる。
 その後、事故の目撃者と話をする機会を得た主人公は、当時の目撃情報では加害者の車のタイプや色がバラバラで、結局警察は美郷の証言を信用して赤いスポーツカーに絞って捜査したが犯人が捕まらなかったことが分かる。
 そして、主人公は彼の自宅に真由子を訪ねてきた美郷と話して、彼女が理性を保っており、自分が妹の典子だと思い込んでいるというのも演技であることを確信する。美郷は、両親がそれぞれ浮気していることを許せず、その両親を苦しめるために演技を続けていることを告白する。
 その後、火事の家から女の子を救い出そうとして美郷が死亡したという話を真由子から聞かされる主人公。彼女の死の意味を知っていそうな主人公を追及する真由子に対し、主人公は、不仲だった両親に家族に戻ってもらうため、妹を意図的に死に追いやったのではないかという推理を披露する。赤いスポーツカーの話も、真犯人を捕まらなくすることで事件の詳細を分からなくして、自分の妹への殺意を隠すための嘘の証言だったのではないかと。
 真由子によれば、美郷は「ささやかな暮らしのために祈る人と、そのささやかな暮らしを呪う人」がいると言っていたという。真由子は前者になりたいと呟くのであった。

 精神の異常を装って実は両親を苦しめる演技だったという点には納得。そして、真由子から美郷が死のうとした理由を聞かれた主人公が、美郷から聞いた話をそのまま伝えるのかと思いきや、そこに独自の推理を加えて、事件の真相を明らかにするという展開もなかなかである。
 しかし、気になる点も結構ある。まず、友人のいない美郷が真由子と仲良くなれたのは同じような暗い過去があるからという設定についてだが、真由子には15歳での中絶経験があるというのはやりすぎ感がある。しかも、そこには物語の中であまり深く触れられていないため、よりモヤモヤ感が強い。
 美郷の妹への殺意も説得力に欠ける。両親の浮気をやめさせるために妹を殺そうなどと普通考えるだろうか。妹が目が悪かったという話はあったが、そのせいで姉の美郷が相当犠牲を強いられていたとか、両親が妹をひどくえこひいきしていたという話でも入っていないと読者はすんなり納得できないのではないか。
 最後の美郷の死に方も今一つ。妹を死に追いやったことに実は負い目があったため、火事から逃げ遅れた女の子の姿に妹を重ねて思わず火の中に飛び込んでしまったということか。
 色々とすっきりしない話であった。★★

「蟬の証」

 老人ホーム「緑樹荘」で暮らす祖母から、同じ入所者である相川という老人が若い金髪の男が来てから機嫌が悪くなっていることの理由を探ってほしいと頼まれた主人公。孫娘に騙されて一文無しになって公園で死んだ、同じ入所者だった向井という老婆の二の舞になってほしくないというのが理由であった。
 まず、相川の保証人を訪ねてみたところ、それは想像していたより若い女性であった。過去に相川と組んで結婚詐欺を働いていたらしい。
 彼女から金髪男の情報を得られなかった主人公は、金髪男が老人ホームに置いていったマッチ箱の店を訪ね、その大沢という男との接触に成功する。大沢によれば、吉村愛という高校生を尾行してその様子を報告するというバイトを相川に頼まれていたが、1週間で嫌になって断りに言ったら代わりが見つかるまでと相川に頭を下げられたらしい。
 大沢は、主人公を相川が見つけた自分の後継者だと思い込み、早速愛のところへ連れて行く。愛は大沢の尾行に早くから気づいており、大沢と主人公は仕方なく相川の依頼の件を愛に話すが、愛は相川を知らないと言う。
 相川が癌で入院したという話を祖母から聞いた直後、主人公は老人ホームを訪ねてきた愛に出会う。彼女は、相川の正体が分かったと言う。愛は幼稚園の頃にスクールバスが起こした事故が原因で足を悪くしていたが、その事故の後、彼女の家には定期的にお金が届くようになった。その送り主はバスの運転手しか考えられなかったが、お金に困っていた吉村家はあえて送り主を捜さなかった。しかし、今回の件があって調べてみたところ、当時の運転手が相川という名前であったことが判明したのだ。
 主人公と一緒に相川の入院先を訪れた愛は、相川にこれまでのことを感謝し、ずっと看病すると誓う。
 突然祖母から向井の墓参りに誘われる主人公。相川の件については「一人で死ぬのが怖かったんだろ」と切って捨てる祖母。そこへ向井の孫娘の秀美が花束を持って現れる。祖母は「私らの花なんてどけていいからね。それを飾っておやりよ」と静かに語りかける。向井の墓の前にひざまずいた秀美は花束に顔を埋めるように嗚咽していた。

 ばあちゃん子の自分としては無条件でこういう話を良しとしてしまいがちだが、実際にここまでの3話の中では一番出来のいい話だと思う。老人ホーム側が簡単に他人に入所者の保証人の名前を教えてくれるのかとか、今時人捜しにマッチ箱なんてとか、突っ込みどころもないではないが、相棒のタツ婆さんと共に緩急のしっかりついた言動を見せる祖母が実に良い味を出している。
 ここまで、すべて複雑な事情を持った家庭と交通事故をモチーフにした話ばかりだが、もちろん意図的にやっているのだろう。偶然同じような話になってしまったというのでは、さすがに著者の技量を疑ってしまう。★★
 
「瑠璃」

 主人公は小学校6年生。在籍する音大の代表として海外で演奏することになった姉について行くという海外旅行を計画した両親は、主人公がまだ終業式を迎えていないということで彼には留守番をさせることにする。そんな彼と一緒に留守番することになったのが、退屈だからという理由で高校を3日で辞め、アルバイトで貯めたお金でふらりと旅に出る日々を送っていた従姉のルコであった。
 ルコはやってくるなり主人公の父親の車を傷だらけにしながら勝手に運転し、彼を小学校に連れて行き、始業前の学校のプールに侵入し泳ぎ出す。しかし、彼はそんな自由奔放な彼女のことが好きだった。
 主人公が高校生になった頃、ルコから突然呼び出される。ルコは妻子ある男性に恋をし、どうしていいか分からないというのだ。ルコの車でまた小学校のプールへ行くことを提案する主人公。そこで彼は、彼女に相手の男性に気持ちを伝えるべきだと助言する。
 姉の結婚式の日、式が終わった後に、式に参列しなかったルコが主人公の自宅前に現れる。結局相手の男性と結婚したものの1年後に離婚してしまったルコは、式に参列しなかった理由として、主人公と会ってがっかりされることが怖かったと告白する。
 何をがっかりすることがあるのかと問う主人公に、「つまらない男を好きになって、つまらない結婚をして、つまらない離婚をした、つまらないただの24の女なの。あんたの好きな、あのルコじゃないの。もう違うのよ。お願い。分かって」と訴えるルコ。「私と寝たい?」と尋ねるルコに、「寝たいけど寝ない」と答える主人公。「ありがとう」という言葉を残して去っていったルコに主人公が会うことはもうなかった。彼女は25歳で歩道橋から飛び降り自殺をしたのだ。
 その後、ルコのカウンセリングをしていた医師が、主人公宛の彼女の手紙を持って現れる。彼女から彼女の死の半年後に主人公に渡すように託されていたという。しかし、その手紙を受け取った彼は、医師からの内容を教えてほしいという要望を拒否したばかりか、その手紙を読むことすらしなかった。
 彼は、小学生になった甥っ子にルコの物語を聞かせる。さらに話をせがむ彼に、主人公は「お話より、もっとおもしろいことがある」とささやいて、立ち上がるのであった。

 正直なところ、冒頭部分は不愉快さしかなかった。日頃の鬱憤がたまっている中高生なら、自分たちのできない無茶を平気でやってくれるルコに感情移入しやすいのだろうが、大人の目から見たら彼女の行為は度が過ぎている。
 そんな自由奔放な彼女が平凡な恋をしてしまうという急展開。主人公のアドバイスに従って相手に告白し結婚にこぎ着けるものの、結局離婚し自殺してしまうという展開は衝撃的ながらもベタであるが、そんな彼女にストイックな態度を最後まで貫き通す主人公には好感が持てないではない(彼女の遺書を読もうとしないのは理解できないが)。
 ラストの甥っ子に対して主人公がルコのように振る舞うシーンは微笑ましい。★★
 

「彼の棲む場所」

 辞書の類が9割近くを占め、ほとんど来館者がいないという特殊な私立図書館に勤める主人公は、変わった辞書を3冊読了した後、聖書を読む日々を送っていた。そんな主人公が、小中高と同級生で、たいして親しくもなかった「彼」に、突然ホテルのラウンジに呼び出される。「彼」はさえない主人公とは対照的で、有名私立大学教授という肩書きを持ち、テレビでも活躍する有名人であり、多忙な日々を送っていた。
 子供の頃から優等生で誰からも一目置かれていた「彼」は、主人公にある告白を始める。最近自殺した国会議員を追い込んだのは、テレビ番組でその議員をやり込めた自分ではないか、そして高校時代に野球部を喫煙問題で大会出場停止に追い込んだマネージャーを自殺させたのも自分ではないかという話から始まり、なぜか、その話は誰も記憶にとどめていない高校時代の同級生「サトウ」の話題に向かう。
 「彼」の話によれば、高校時代、教室では「彼」の後ろで主人公の前に座っていたはずだという「サトウ」は、高校1年生の時に3年生の不良を陰で痛めつけていたという。主人公の記憶にもまったく残っていなかった「サトウ」は、その現場を目撃した「彼」に対し、一緒に痛めつけようと誘うそぶりを見せたという。結局逃げるようにその場を立ち去った「彼」であったが、「彼」はその後、その誘いに乗らなかったことをずっと後悔していたらしい。正義感にあふれる彼は、つねに悪人に殺意を抱き、その衝動をこらえるのに必死だったというのだ。そして「サトウ」はそんな「彼」の気持ちを見抜き、なかなか行動に移せない「彼」を哀れむように言葉をかけ続けていたという。
 そして「彼」は、野球部のマネージャーを最後に自殺に追い込んだのが「サトウ」であり、例の国会議員までも、再び「彼」の前に現れた「サトウ」が殺害を臭わせたということを主人公に伝える。
 別れ際に、「彼」は最近ある作家と口論したことを主人公に告げる。主人公は「彼」がその作家を今度こそ殺害するのではと想像するが、いつまでたってもそのようなニュースは流れず、テレビから流れ続ける「彼」の声が、とても空虚なものに感じられるようになった。
 主人公は、暇つぶしに和英辞典を読むようになった。ありえるはずのないものを勝ち誇ったように並べているところなど、たまらなく微笑ましい。

 「彼」はおそらく相当精神的に病んでいるのであろう。「サトウ」という人物の存在すら「彼」の想像の産物のように思われる。少なくとも、最近「彼」の前に現れた「サトウ」は間違いなく幻影であろう。しかし、結局「彼」はその殺人衝動を実行には移すことはなく、主人公の予想は外れる。主人公はそれを期待していたのかもしれない。彼が行動に移さないことで期待が裏切られ、彼の言葉が空虚に聞こえるようになったのかもしれない。
 しかし、結局「彼」の真意も、主人公の真意も分からない。ことごとく読者の期待を裏切り、ありがちな展開にならないところは興味深いが、意味の分からない結末など、モヤモヤ感の大きい作品。★★

 微妙に読者の期待を裏切る展開が用意され、独特の不思議な読後感が残る本書に対し、読んで損をしたという思いはないが、 強くオススメするほどの作品ではないことも確か。

 

『ガラパゴス(上)』(相場英雄/小学館)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2017年版(2016年作品)19位作品。

 迷宮入り寸前の殺人事件を捜査する警視庁捜査一課継続捜査班は、一課や三課の大部屋からはじき出された訳ありの刑事ばかりが集められる部署であった。しかし、体を壊したことで「一課の墓場」とも呼ばれるこの部署に勤務することになって間もなく6年になろうとしていた田川信一は、地道な捜査で結果を出す優秀な刑事であった。
 ある時、警察学校の同期である鑑識課の木幡祐治にノルマ達成の助力を求められた田川は、渋々身元不明死体の調査に協力する。そして集合住宅の一室で練炭自殺を図ったとされる遺体が、その写真から毒殺され自殺を偽装されたものであることを見抜く。

 業務上過失致傷、致死事件を専門とする刑事の鳥居勝は様々な業界の弱みを握り、金品を要求する代わりに、上司や自分の天下り先を確保することに精を出していた。ある日、交通事故現場に臨場した鳥居は、事故を起こしたトクダモーターズのハイブリッド車であるエクセスLの運転席で、トクダモーターズの弱みを握ることのできるあるものを発見し口元が緩む。
 トクダモーターズは正社員を削減し派遣社員を増やすことで人件費を大幅に圧縮し、粗悪なハイブリッド車を安く販売することで業績を伸ばしていた。鳥居は、派遣会社パーソネル・ホールディングスを立ち上げ急成長させた高校の先輩である森喜一に恩義があり、その弱みを森に報告。森は、過去のある事件でトクダモーターズとの間に築いたパイプをより太くすることに成功する。

 その頃、追突事故に巻き込まれた田川の妻の里美が、エクセスLを代車として保険会社から借りることになるが、彼女は、その乗り心地の悪さと、宣伝されているものとは明らかに劣る燃費に不満を感じるようになる。

 木幡とコンビを組んで捜査を進める田川は、偽装殺人が行われた部屋で発見されたメモの紙片から、被害者が宮古島出身の仲野定文34歳であることをつかむが、そのことを知った鳥居は危機感を感じる。仲野を殺害したのは、トクダモーターズにとって不利な何かをつかんでしまった彼を消してトクダモーターズとのパイプを作ろうともくろんだ森であることを知っていたのだ。

 仲野の高専時代の親友である有吉宏二郎や、田川家の近所の精肉店の店主である木口の口利きで正社員としての就職ができた工藤の話から、派遣社員の過酷な現実を知り愕然とする田川。高専卒業後、大手のソラー電子への就職の権利を有吉に譲った仲野が、パーソネル系列の派遣会社で酷い環境の中、働かせられていたことを理解した田川は心を痛めるのであった。

 筆者の作家生活10周年記念作品にあたるものらしいが、初めて読む作家。しかも上下巻構成ということで、読み始めるのにはそれなりの覚悟が必要であったが、読み始めるとその不安もすぐになくなった。そこそこ面白く読みやすい。ただ、駅前で3名の死者を出した通り魔殺傷事件と重なったからといって、警察が毒殺事件を練炭自殺として処理してしまったという今回のエピソードの発端は、警察関係者なら怒りを感じるのではないかと思われるくらい、ありえなさそうな話。
 また、「ハイブリッドカーは本当にエコカーなのか?日本の家電メーカーは、なぜ凋落したのか?」「大企業にとって、非正規雇用労働者は部品と同じである」という帯のキャッチコピーは、「そこ?」という印象も。ミステリとしてだけではなく、そのあたりも今回の作品で訴えたいポイントとなのは理解できるが、帯にまで書くことだろうか?そのくせ、それだけ挑発的なコピーをちらつかせながらも、作中ではホンダのフィットがホンマのフィッターに、トヨタのアクアはイヨタのアクラというように、最近は小説内での実名表記の方がむしろ多い中で変な名称が付けられ、自動車業界に中途半端に配慮しているのはどうなのだろう(最初は悪役のトクダモーターズがトヨタ役なのかと考え、おっと思ったのだが、こちらは完全に架空のメーカーであった)。
 あと気になるのは登場人物のキャラ立ち。悪役の鳥居がダントツに濃いキャラで立ちまくっており、人情深い一面もあって良い味を出しているのだが、肝心の主人公の田川や、相棒の木幡が今一つぱっとしない。田川に関しては、体を壊して訳ありの部署に長くいる点からは鳥居のような脂っこい中年キャラのようでもあり、有能で多くの人物と温かな交流をしながら事件の真相に近づいていく姿からはダンディなイケメンキャラのようでもあり、要はビジュアルが定まらない。前作『震える牛』や本作の冒頭部には説明があったのかも知れないが、ある程度繰り返し記述することで読者に上手く刷り込んでほしいところ。立ち位置的にも、上層部に煙たがられるアウトロー的な主人公刑事はミステリには多いが、そこままでもない中途半端な田川の描き方はかなり微妙。トクダモーターズの松崎社長やパーソネルの森社長も、もう少しビジュアル面の表現を補強してもらいたいところ。
 とりあえず個人評価は暫定で★★。下巻での巻き返しに期待したい。

 

『ガラパゴス(下)』(相場英雄/小学館)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2017年版(2016年作品)19位作品。

 田川の地道な捜査によって、殺された仲野とかつて同僚だった清村と長内の2人が殺害の実行犯として逮捕される。清村は派遣社員から正社員に這い上がるため同僚の素行を上司に密告するような人間であり、仲野がトクダモーターズのエクセスLに安全性を無視した薄い鋼板を使用されていることをネットに書き込んだことを報告した上に、同じく派遣社員から正社員に昇格したがっていた長内を巻き込んで犯行に及んだことが明らかになったのである。
 仲野殺害を指示したパーソネルの森社長の秘書である高見沢紅美は、捜査が進んでいることを感じ取って森に見切りを付け、代議士である浜田の秘書に転職するが、彼女も殺人教唆で逮捕されることになり、浜田からも切り捨てられる。
 しかし、警察の手が及んだのはここまでで、トクダモーターズの松崎社長とパーソネルの森社長は引退。森社長に警察の情報を流し続けていた鳥居は懲戒免職。トクダモーターズの不正の証拠を買い取った浜田は権力の座に居座ったままで、彼らは誰一人として罪に問われることはなかった。
 田川は派遣社員として苦しめられてきた長内に優秀な弁護士を付けると約束し、松崎と森を絶対に許さないと宣言するのであった。

 上巻同様に読みやすかったが、読了後は「このカタルシスのなさはなんだ?」という感じ。2人の実行犯が判明し逮捕され、本作中最も感じの悪いキャラだった高見沢も、罪を逃れそうなところしっかりと追い込まれたのは良かったのだが、メインキャラの1人である鳥居は、監察に拘束されたところまではともかく、その後ごねだして、懲戒免職になったこと以外はよく分からない中途半端な退場(次回作で登場させますから今回はこれくらいで…次回作をお楽しみにという印象)。実行犯の清村の全く反省していない様子もかなりストレスであるし、田川が殺人者である長内を妙にかばうことにも違和感。
 松崎と森は現職を引退するだけで済み、田川が彼らを絶対許さないと啖呵を切るものの、どうやって今後彼らを罰するのか全く見えないことが最大の問題。代議士の田川は、トクダモータースの不正の証拠を買い取ったことが高見沢の口から警察に伝わってしまうのが確実だと思うのだが、全くのノーダメージ。現実問題として代議士の力で簡単にもみ消されてしまうということだろうか。それとも浜田に渡るはずだった買い取り代金の1億円は、高見沢の逮捕が決まった時点でなしになったということだろうか。
 自動車業界や家電業界の派遣社員を中心とした生々しい諸問題を社会に訴えた功績は讃えられて良いと思うが、ミステリ作品としては微妙。 

 

『東亰異聞 (とうけいいぶん)』(小野不由美/新潮社)【ネタバレ注意】★

 「このミス」1995年版(1994年作品)14位作品。第5回ファンタジーノベル大賞最終候補作で、筆者が初めて賞に絡んだ作品。その後も1999年に『屍鬼』(「このミス99」4位)が第12回山本周五郎賞と第52回日本推理作家協会賞(長編部門)の候補に、2002年に『黒祠の島』が第2回本格ミステリ大賞の最終候補に、2003年に『くらのかみ』が第4回本格ミステリ大賞の最終候補に挙がるも、なかなか受賞には恵まれず、2013年の『残穢』(「このミス13」)17位で第26回山本周五郎賞をついに受賞。
 私の敬愛する綾辻行人氏の奥方であり、作風も似通ったところがある。最初に彼女の『屍鬼』を読んだ時は登場人物の多さに辟易したものの途中から妙に引き込まれた記憶があるが、ついに賞を獲得した『残穢』では残念ながら自分の心には響かなかった。彼女の初期作品(といってもデビューから6年はたっているのだが)に触れ、『屍鬼』を読んだ時の感動を再び、と思って読み始めた。

 舞台は明治29年を迎えた東京のパラレルワールドである帝都・東亰(とうけい)。そこでは、全身が炎に包まれ、人を高所から突き落とす火炎魔人、赤姫の扮装をして鉤爪で相手を惨殺する闇御前、螢売りのように袋に人魂を入れて歩き回る人魂売り、辻斬りの男が切断した首を弄ぶ首遣いなどの魑魅魍魎が跋扈する世界であった。黒衣の人形遣いの男と、彼の持つ精巧な人形の娘との会話、そして、その後登場する主人公たちのやりとりで物語は進んでいく。
 主人公は、帝都日報の記者・平河新太郎。そしてその相棒を務めるのが、浅草界隈に根城を置く大道芸師であり、桝屋一家預かりの客分で便利屋として働いている万造。
 魑魅魍魎の取材をするうちに、闇御前に襲われつつも助かった常(ときわ)こと元摂関家の鷹司常熙(たかつかさつねひろ)の存在を知った新太郎と万造は彼の屋敷を訪れる。彼の公爵後継者らしからぬ娘のような人柄に驚きつつも、たいした収穫のないまま辞去する2人。
 その後またしても火炎魔人が出現し、男を露台から突き落として男は入院、下敷きになった女性が死亡するという事件が発生するが、その被害者の男は常の使用人の左吉であった。魑魅魍魎の被害者15名のうち2名が主従関係にあるというのは不自然であり、何かあるのではないかという万造。調べていくうちに鷹司家のお家騒動が絡んでいるのではないかと考える2人。
 常の母の初子には子がなく、鷹司家の長男・直(なおし)こと直熙(なおひろ)も、次男の常も、三男の輔(たすく)こと信輔(のぶすけ)、四男の熙(ひかる)こと信熙(のぶひろ)も、それぞれ別の側室の子であった。初子はなぜか直を嫌って遠ざけ、常を跡取りとして大事に育ててきたようだが、常はいかにも頼りなく花柳界の有田菊枝という女の世話に忙しく、左吉が嫌う菊枝は今回の事件に何かあるなら、直を疑うべきだと新太郎たちに告げる。前年に初子が1人で小舟で海へ出て謎の死を遂げたことについても菊枝は直を疑っているようであった。
 直の屋敷の周辺で聞き込みをしようとした新太郎たちは、常とは対照的で軍人のような直本人に偶然出会い、彼の屋敷に招かれる。そこには、直こそが鷹司家の真の跡取りであり、自分がその妻になるのだというお転婆娘の九条鞠乃と、一見女中にしか見えない直の実母・千代がいた。公爵家の跡取りに興味のない直は、京都から最近東亰に移ってきたらしい輔が継いでくれればいいと考えており、今回の事件は単なる偶然だろうと言って2人は帰される。
 常と直にその気はなくても彼らに跡を継いでほしいと考えている者はそれぞれにおり、さらには常が知らないうちに東亰に転居してきた輔の存在にも嫌なものを感じる2人であった。
 そしてついに直が五重塔で火炎魔人に殺されてしまう。しかし、事件後に直の自宅の部屋に入った新太郎と万造は、直が火炎魔人だったと思われる証拠の品々を発見する。母親の千代は昨日までなかったものだと訴え、その言葉を信じるという新太郎たちを前に、千代は泣き崩れるのであった。
 さらに今度は左吉が闇御前の手に掛かって死亡する。同時に火炎魔人によって女性も殺害されていた。新太郎は常をはじめとした関係者の前で、直殺害の犯人は輔であるという推理を披露するが、輔には宮城にいたという立派なアリバイがあった。そして万造は、常こそが無力な女や老人を切り刻んだ闇御前の正体であり、直こそが火炎魔人の正体であると看破する。そして、その動機とは、2人の兄弟が、できうる限り安全に相手に家督を譲ろうとしたというものであった。万造は、初子が直を嫌っていたのも、常だけを愛していたというのも、遺言も、すべては嘘であり、初子が熙通卿を憎んでおり、彼の庶子に血を血で洗う争いをさせてみたいという呪詛がすべての始まりだったのだと語る。
 そこへ明治天皇崩御の号外を配る声が響き渡り、万造の態度が急変する。天皇陛下は優れた呪者であり、彼の死によって再び東亰は魑魅魍魎の世界の戻ると万造は言う。国の要である呪力をないがしろにする熙通卿を、術者の家系であった倉橋家出身の初子はずっと恨んでいたのだと言うのだ。万造の正体は黒衣の人形遣い、そして人形の娘は鞠乃であった。常は源太という人形の姿に変えられ、彼らは忽然とその場から姿を消した。そして、夜が人のものであった時代は終わったのだった。
 東亰は水没し、水と霧の都となった。新太郎はあれきり万造と会うことはなく、舟で水路を行く者が、素晴らしく見事な娘と源太の人形を遣う見世物に行き会ったという噂を耳にするばかりであった。

 明治時代の東京のパラレルワールドという設定は面白いが、わざわざパラレルワールド設定にしなくてはいけないほど内容がぶっ飛んでいる訳ではない。ラストシーンではその帝都が水没し、本当に魑魅魍魎があふれてくるという場面があるが、それまでの世界観では、それらしきものが跋扈しているという噂があるという程度のもので、最初からそういう世界を舞台にした方がよほど面白かったのではないかと思う。
 そう、この物語は悪い意味で全然ぶっ飛んでいないのである。至極のホラーミステリであると絶賛する読者もおられるようだが、そのように呼ぶには全く物足りない。乱歩の世界観の方が、よほどおどろおどろしい。
 常、直、新太郎、万造、、左吉、菊枝、鞠乃といった主要人物のキャラ立ちも今一つで、物語が淡々と進む後半は読むのがかなり苦痛であった。どんでん返しを評価する読者もおられるが、どの部分を指して言っているのだろう。被害者と思われた常と直が、両者共に真犯人だったという事実に対しては、ああそうなの、という程度の感想しか持ち得ない。
 Amazonのレビューを見ると、5段階評価の5が13名、4が18名、3が3名、2と1が1名ずつの平均4.1とかなりの高評価。これらはもともと筆者のファンが中心と思われるので多少甘くなるにしろ、4.1は高すぎだと思う。個人的には5段階中の1に近い2。このHPは★3つが満点なので★1つ。

2017年10月読了作品の感想

 

『挑戦者たち』(法月綸太郎/新潮社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2017年版(2016年作品)12位作品。これは驚いた。なんと本格ミステリの種明かしの前にあるアレ、つまり「読者への挑戦状」をひたすら書き連ねたものなのだ。最初は古今東西のミステリの中から「読者への挑戦状」を集めて紹介しているのかと思いきや、それらをパロディにしたもの、筆者のオリジナルも多数あり、その境界が実はよく分からない。しかも巻末の読者プレゼントも含めると「読者への挑戦状」が全部で100もあるのだ。世界中探してもこんな作品はあるまい。
 「このミス」ランキング作品にありがちな「ぶっとび」系で、こういう系統でランクインしている作品は、たいてい読んでみると意味不明だったり不愉快になるだけであったりと、がっかりするものばかりなのだが、これは嫌いではない。中にはしょうもないものや、マニアにしか意味が分からないディープなものもあるのだが、皮肉の効いた普通に面白いものも結構ある。

 「ジョジョの奇妙な冒険」をパロった8「J・Jの奇妙な挑戦」、お笑いのネタとしか思えない11「こんな『読者への挑戦』はイヤだ!」、「読者への挑戦」など別になくても困らないのでは?という皮肉を込めた13「お詫びと訂正」、ぜひ解決編を読んでみたいと思わせる、作者が犯人を当てるという前代未聞の趣向を示した24「正解率百パーセント」、作者が「読者への挑戦」を作品に入れたくないというもっともらしい理由が語られた上に何とも言えないオチが付く26「編集者への手紙」、読者への挑戦の中にCMを盛り込もうという突き抜けた馬鹿馬鹿しさが面白い29「最多挑戦記録」など、序盤からニヤリとさせられる作品が目白押し。
 「ドラマの完結編は映画館で!」という商法を皮肉った32
「警部補・団藤光三郎」では、最近その手法で話題になったばかりの福士蒼汰・川口春奈主演のドラマ『愛してたって、秘密はある。』を思い出した(ドラマ自体は見たことはない)。この場合は、完結編は映画ではなくインターネット動画配信サービスのHuluで、という今時のパターンであったが。
 このパターンの走りは1992年に放映された加勢大周・菊池桃子主演の『パ★テ★オ』だろう。当時は斬新な手法だったこともあって面白がられ、それほど批判はされていなかった記憶があるが、映画が大ヒットしたという記憶もない。
 最近では(でもないか)2009年に放映された平成仮面ライダーシリーズ第10弾『仮面ライダー・ディケイド』がその手法で大問題になった。平成仮面ライダーシリーズのプロデューサーS氏は、その中途半端なTV版の最終回(ライダー達が敵と戦っている途中で終わるという結末)について、「元々第1話のシーンに戻る展開として決まっていたもので、あくまでも劇場版は予想以上にTV版に人気が出て急遽映画化が決まったもの」というような言い訳をしていたが嘘くさかった。どちらにしろディケイドは過去のライダーが次々登場するというポイント以外全然面白くなかった。前作の第9弾「キバ」はもっと面白くなかったが。
 ちなみに平成ライダーは2004年放映の第5弾「剣(ブレイド)」から2016年放映の第17弾「ゴースト」まで子どもと一緒に見続けてきたが、次の「エグゼイド」の途中で力尽きた。個人的に一番面白かったのは第12弾の「オーズ」。それに続くのが「剣」、第11弾「W」、第8弾「電王」か。主人公の存在感では「電王」の佐藤健も素晴らしかったが、やはり第7弾「カブト」の水嶋ヒロが圧倒的だったと思う。小説家デビューを果たしてから世間の評価が急降下してしまったことは残念でならない。
 完全に話がそれてしまったが、中盤へ進もう。あるミステリシリーズの熱烈なファンが、シリーズの名探偵を犯人にしてしまった作者が許せずに作品の矛盾点を探し出して、それを作者に見つけるように挑む34
「作者への挑戦」もなかなか。この後も、よくもまあ、これだけネタが思いつくなあと感心するくらいのバリエーションが続くが、特に印象的なものはない。
 そして終盤も実にバリエーション豊富なのだが、雑誌連載作品にいつ「読者への挑戦状」掲載されるかを読者に当てさせる80
「抜き打ちテストのパラドックス」、姉と友人に校正刷りを見せた作者が犯人を当てたのはどちらかを読者に当てさせる83「先行テスト」、挑戦状付きの問題編を配付し犯人を当てるモニターを募集する94「モニター募集」などは面白かった。

 1つ1つは短いので、飽きることなく、さっと読めるのだが、面白いものばかりというわけでもなく、馬鹿馬鹿しいもの、マニア以外には意味不明なものも多く、トータル評価は★★。

 

『儚い羊たちの祝宴』(米澤穂信/新潮社)【ネタバレ注意】 ★★

 「このミス」2010年版(2009年作品)17位作品。昭和初期あたりを舞台にした、別々の主人に仕える5人の召使いたちの物語。

 「身内に不幸がありまして」

 丹山因陽の娘・吹子に仕える村里夕日の物語。吹子に頼まれて秘密の書架を作った夕日は、いつしかそこに隠された吹子の蔵書をこっそりと読むようになる。
 大学に進学し、「バベルの会」という読書団体に所属した吹子は蓼沼の別荘での読書会を楽しみにしていたが、読書会の2日前に丹山家を勘当された吹子の兄の宗太が猟銃を持って屋敷に押し入る。吹子の刀で腕を切り落とされ宗太は逃げるが、不祥事をもみ消すため因陽は彼を亡き者として扱い葬儀を執り行うことになり、吹子は読書会に参加できなくなる。
 1年後、吹子をいじめていた吹子の叔母の満美子が殺害され、さらに1年後には同じくかつて吹子をいじめていた大叔母の神代が殺害される。
 いずれも宗太の仕業という噂であったが、夕日は自分が無意識の中で起こした事件ではないかと疑っていた。そして次の1年後、満美子と神代の殺害の罪を被せられ夕日は吹子に殺害される。吹子こそ連続殺人の犯人であった。吹子は夕日同様に、睡眠中に思いもよらない行動を自分がとることを恐れ、宿泊を伴う読書会を欠席する理由を作るために、身内の殺害を行っていたのであった。

 「北の館の罪人」

 製薬で財をなした六綱虎一郎が愛人に生ませた娘・内名あまりは、母の遺言により六綱家に身を寄せることになった。六綱家は虎太郎の次男である光次が跡を継いでおり、彼女は長男の早太郎が幽閉されている北の館で彼の身の回りの世話をすることになる。
 かつて海難事故に遭った早太郎は、六綱家の跡を継ぎたくなかったこともあって、そのまま姿をくらまし放浪の旅をしていた。しかし、それにも飽きて六綱家に戻ってくると彼は死んだことになっており、すでに次期会長に納まっていた光次は後継者争いを避けるべく彼を幽閉することにしたのであった。
 やがて早太郎は紫の空の絵を残して病死する。その絵には退色によって少しずつ赤くなっていくという仕掛けがあることに気がつく光次の妹の詠子。詠子は、その色を大学で籍を置いている「バベルの会」で見たことがあるという。
 しかし、その仕掛け以上に、そこに塗り込められた彼の髪の毛が、あまりにとっての気がかりだった。あまりは虎太郎の遺産を少しでも多く相続するため、早太郎にヒ素を少しずつ盛って中毒死させていたのだ。その証拠がその髪の毛には残っている。
 かつて早太郎は、光次の言った言葉として「殺人者は赤い手をしている。しかし彼らは手袋をしている」とあまりに告げていた。そして、早太郎があまりに残したもう1枚の絵。そこに描かれたあまりの手に、同じような赤く変色していく仕掛けが施されていることに気がついたあまりは笑みを失う。早太郎はあまりの殺意に気がついていたのだ。そして詠子も…。

 「山荘秘聞」

 羽振りの悪くなった前降家から、前降家に紹介された目黒の貿易商・辰野家へと勤め先を移した屋島守子は、別荘地の八垣内に建つ飛鶏館の管理人を任されることになる。しかし、完璧な手入れをしているにもかかわらず、1年間、誰も飛鶏館を訪れる者がいないことに気がつく守子。彼女は前降家のお嬢様が所属していた「バベルの会」のメンバーをここでお世話できたらという妄想にひたる。
 そんな悶々した日々に変化が訪れたのは、越智靖巳という大学生の遭難者を発見し、飛鶏館に連れ帰ったことがきっかけであった。
 そして翌朝、産大山岳部の部長が率いる捜索隊が飛鶏館に現れる。彼女は越智が飛鶏館の一室にいることを教えず彼らをもてなす。その後、捜索隊は越智のストックを発見し、飛鶏館に戻ってくる。彼女は捜索隊全員を泊めるべく11人分のベッドメイキングをしてあったが、泊まったのは地元の登山会のメンバーを除く7名のみであった。
 翌朝、登山会の応援に混じって、近くの別の別荘の管理人夫婦の娘・歌川ゆき子が手伝いにやって来る。捜索隊は越智のアイゼンの片方を見つけただけで、当然ながら越智自身を発見できずにいた。夕食用に地下に変わった肉があるからと、ゆき子に語りかけたものの、結局料理したことのない食材をお客に出すわけにはいかないと思いとどまる守子。
 捜索は翌日打ち切られるが、ゆき子は捜索隊がストックを見つけるのが分かっていたかのように11名分のベッドメイキングをした守子を疑う。彼女は守子が越智の靴で足跡をつけて捜索隊がなるべく長く逗留してくれるように工作していたことも知っていた。そして地下にある「変わった肉」の正体が越智の遺体ではないかという恐ろしい想像を守子に突きつける。
 「変わった肉」の正体は熊の手だった。守子は、越智にゆき子を殺したことを伝え、越智も亡き者にするのであった。

 「玉野五十鈴の誉れ」

 小栗純香は駿河灘に面した高大寺という土地に根付いた名家・小栗家のただ一人の子供だった。彼女が15歳になった日、純香は小栗家の支配者である祖母から玉野五十鈴という同じ歳の召使いを与えられる。
 書物に詳しい五十鈴を気に入った純香は、五十鈴を連れて大学に進学にすることを祖母に認めてもらうことに成功し、大学で籍を置いた「バベルの会」で存在感を示した五十鈴を蓼沼での夏の読書会に連れて行くことを楽しみにしていた。
 しかし、そんな純香を事件が襲う。彼女の父親の兄が強盗事件を起こしたせいで、祖母によって入り婿の父親は小栗家を追い出され、純香は大学をやめさせられた上に奥座敷に幽閉され、五十鈴も取り上げられてしまう。
 母親は再婚させられ、男の子が生まれると、五十鈴が祖母の言いつけで純香のところへ毒杯を運んでくるが彼女は拒否。食事を減らされた純香は、やがて栄養失調で気を失ってしまう。
 彼女が意識を取り戻したときには、すべての状況が変わっていた。弟は焼却炉に迷い込んで焼死し、そのショックで祖母も死亡。新しい父親は小栗家を追い出され、枕元には母と戻ってきた実の父がいた。
 使用人は五十鈴も含め全員いなくなってしまったと聞かされるが、純香は父親に五十鈴を探してくれるようお願いする。純香には、五十鈴が弟を焼死させ自分を救ってくれたのだという確信があったのだ。

 「儚い羊たちの晩餐」

 ある晴れた日の午後、ある女学生が荒れ果てたサンルームで「バベルの会はこうして消滅した」という言葉から始まる日記を見つける。それは大寺鞠絵という女性によって記されたものだった。
 彼女は、成金の父親の送金が遅れたせいで「バベルの会」の会費を払えず除名になったことにショックを受けていた。
 ある日、「バベルの会」の会長と会った鞠絵は、除名になった本当の理由を「バベルの会があなたには必要ないからです」と告げられる。「幻想と現実とを混乱してしまう儚い者たちの聖域」が実際家である鞠絵には必要ないというのだ。鞠絵は心の底から納得する。
 鞠絵の父親は一流の厨娘(ちゅうじょう)・夏を雇ったことで有頂天になっていた。彼は祖父を殺して今の地位に着いた。鞠絵が本当に実際家であれば、そのことに感謝すべきであったが、鞠絵は祖父の敵討ちを夢想する自分がいることに気がつく。
 父親は夏を困らせるために鞠絵に難しい食材を提案させ、鞠絵はアミルスタン羊を指定する。夏の助手である文から、夏の料理は大量の食材から最もおいしい部分だけを取り出し残りは捨ててしまうという大変贅沢なものであることを知った鞠絵は、アミルスタン羊を狩りに行った夏が、全て取り尽くしてしまうのではないかと夢想する。帰ってきた夏は、アミルスタン羊の唇の蒸し物を作るという。
 日記の最後のページには、「いつか訪れる儚い者へ」という言葉で締めくくられていた。
 女学生は、ここが私のような者が集まる場所になればいいと考える。バベルの会はこうして復活した。

 「身内に不幸がありまして」は、どこかで読んだことがあるような話。オチも予想通り。
 「北の館の罪人」を読むと、本書の短編が全て「バベルの会」という共通のキーワードでくくられていることが分かるが、今作への絡ませ方は一番強引。殺された早太郎に加え、妹の詠子にまで主人公の企みがばれているというオチには、今ひとつ緊張感がなく「だから何?」という感じ。詠子に悟られたからといって主人公が危機に陥るという感じが全く漂ってこないのは問題ではないか。それがあれば、主人公が詠子に殺意を抱くさまなど、読者の想像をよりかき立てると思うのだが。
 「山荘秘聞」は、主人公が保管している「変わった肉」の正体を読者に遭難者の人肉と思わせておいて、実は熊の肉だったとはぐらかせつつ、でも結局主人公が口封じに遭難者を殺してしまうという展開の揺さぶりがポイントなのだろうが、今ひとつハラハラドキドキのホラー感に欠ける。前の雇い主のところで暗殺の仕事も請け負っていたことが明らかになるところなどは面白いのだが、どうもそういう設定を生かし切れていないのがなんとも惜しい作品。
 「玉野五十鈴の誉れ」は、名家の支配者である祖母に振り回される家族の様子が面白いが、オチが分かりにくい。純香の弟を殺したのが五十鈴であることは分かったが、彼女が自分のためにやったのか、主人である純香を救おうとしてやったのかが曖昧であり、それに対する純香の想いも曖昧で感情移入できない。それまで祖母の言いつけだけを従順に守り、純香の前では迷う素振りすら見せなかった五十鈴が、なぜ急にそのような行為を行ったのかもよく分からない。
 「儚い羊たちの晩餐」に至っては、もう何が言いたいのかさっぱり分からない。「バベルの会」のコンセプトが明らかになるという意味では、価値のある話なのかもしれないが…。他の作品も含め、マニアックな知識がないと分からないネタも多数あるみたいだが、分かる人にだけ分かる話というのは、知識のない人には本当につまらないことが多い。できればどちらも満足させるような作品に仕上げてほしいものである。
  どの話も簡単に人を殺しすぎるのも気になるところ。そういう嗜好の読者には何の抵抗もないのだろうが、「そんな理由で殺してしまうのか?」と、そのハードルの低さには少々呆れる。
 メイドを主人公にした短編集ということで、萌えな表紙にして再販すると売れそうな気はするが、個人的な満足度は高くなかった。

 

『さよなら妖精』(米澤穂信/東京創元社)【ネタバレ注意】 ★★

 「このミス」2005年版(2004年作品)20位作品。主人公・守屋路行、ヒロイン・太刀洗万智(2015年に刊行された「このミス16」1位『王とサーカス』、「このミス17」3位『真実の10m手前』に登場する女性記者)ら高校3年生の男女と、ユーゴスラビアからやってきた少女マーヤとの交流を描いた社会派青春小説。

 舞台は地方都市の藤柴市。1992年7月、彼らは高校生だった1年前を振り返るために集まることになるが、万智は忘れたいからと参加を拒否する。

 15か月前の4月のある雨の日、守屋と万智はユーゴスラビアからやってきた同世代の少女マーヤと出会う。政府高官である父が大阪で2か月間仕事をする間、マーヤは藤柴市の知人のところで日本についての勉強をする予定であったが、その知人が亡くなっており、彼には遺族もいなかったことから途方に暮れているという。
 2人は自宅が旅館を経営している同級生の白河いずるを頼り、マーヤはそこで旅館の手伝いをしながら暮らすことになる。
 5月に守屋、文原、額田の出場している弓道の大会を見るために、マーヤ、万智、いずるの3人がやってくる。そして守屋達は、日本文化に強い興味を示すマーヤを地元の司神社に案内する。多くの国を父と回って様々なことを学び、将来は政治家になってユーゴスラビアに新しい文化を作りたいというマーヤに、自分の矮小さを痛感させられる守屋。
 紫陽花のバレッタをマーヤにプレゼントした守屋は、万智にもプレゼントすべきだとしずるに注意されるが、守屋には意味が理解できない。
 守屋は本を買い込んでユーゴスラビアについて調べ始めるが、マーヤの帰国の日が刻一刻と迫ってくる。そしてユーゴスラビアで独立戦争が始まる。
 送別会の日、守屋はマーヤに自分も連れて行ってくれと頼むが、あっさりと拒絶される。

 高校卒業後に守屋達が集まったのは、帰国したマーヤがユーゴスラビアを構成する6つの国のうちどこへ帰ったかを検討するためであった。彼らは彼女がなるべく安全な国で元気に暮らしていることを確認したかったのだ。しずるは比較的安全なセルビアかモンテネグロであるという推理を披露し、その集まりは終了するが、守屋は独自にマーヤと交わした数々の会話を思い出し、彼女の帰国先がボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエヴォであると結論づける。そこは彼らにとって望ましい国ではなかった。

 その夜、万智からの電話で呼び出され、彼女から手紙を渡される守屋。それはマーヤの兄から万智に届いたもので、マーヤの死を知らせる内容であった。これが、万智が仲間の集まりに参加しなかった理由であったのだ。マーヤが狙撃兵によって首を撃たれて死亡したという内容にショックを受け、これまで黙っていた万智を責める守屋であったが、万智の想像以上の苦しみを守屋は知ることになる。
 2人は、手紙に添えられていたバレッタでマーヤの墓を作る。「…ユーゴは、続けるの?」という万智の問いに、覚悟を決められない守屋は何も答えられないのであった。

 2作続けて米澤作品を読んだが、本作は前述したようにミステリではない。ミステリっぽくするために、いくつかの謎かけが登場するが、それらはあまり必然性のない、正直、感心できないものばかりである。
 雨の中を傘も差さずに傘を持って走って行く男の謎の解答が、燃えないゴミの日に捨てに行っただけというのには開いた口が塞がらなかった。
 「困ってる」「司神社なら大丈夫」「もちを作っていく」「先立つ」という通りすがりの男達の言葉から「もちを神社に奉納して何か神頼みをしようとしている」と考えたマーヤに対し、明かされた「生活費に困っている男達がとりもちを使って賽銭泥棒を計画している」という解答にも拍子抜け。
 墓に供えられた紅白まんじゅうの謎が、死者を冒涜し遺族を悲しませようという悪意によるものという解答も、ありえなさすぎて絶句。日常の謎に挑戦というコンセプトから外れすぎ。
 最後のマーヤの帰国先についての推理合戦的な部分が、かろうじてミステリっぽいと言えるだろうか。勢いだけでユーゴに行こうとする守屋にはイラッとさせられるが、それが若さというものだろう。ちなみにユーゴは2006年に消滅している。マーヤのキャラは素晴らしく、社会派青春小説という視点では、それなりに評価したいが、中二病っぽい主人公や、変に大人びた万智には感情移入しづらく、あまりオススメ度は高くない。 
 

2017年11月読了作品の感想

『退出ゲーム』(初野晴/角川書店)【ネタバレ注意】 ★★

 「このミス」2009年版(2008年作品)20位作品。清水南高校に通うハルタこと上条春太と、チカこと穂村千夏の2人の高校1年生を中心に物語が進む「ハルチカ」シリーズの第1弾(シリーズ最新刊は2017年2月刊の第6弾『ひとり吹奏楽部ハルチカ番外篇』)。
 「結晶泥棒」「クロスキューブ」「退出ゲーム」「エレファンツ・ブレス」の4編が収録されている。
 2016年1月からTVアニメが放映され、2017年3月には実写映画(主演は佐藤勝利と橋本環奈)が公開された。

「結晶泥棒」

 廃部寸前の吹奏楽部の部員であるフルート奏者のチカとホルン奏者ハルタは幼なじみ。2人は顧問の音楽教師・草壁信二郎を巡って三角関係にあった。
 その2人は、文化祭まで1週間を切った秋のある日、学校の掲示板に「屋台の食べ物に毒を盛る」といういたずらの脅迫状が3年連続で貼られるという問題解決に挑む。
 これまでは特に何も起こらず、ただのいたずらで済んでいたが、今年は化学部から文化祭で展示予定の硫酸銅の結晶が何者かに盗まれていた。本来なら劇薬の硫酸銅の盗難は警察に届けるべきレベルの問題であったが、文化祭が中止になってしまうことを恐れたチカたちは、ギリギリまで教師達に知らせずに探し続け、最後の手段としてハルタを頼ってきたのであった。
 脅迫状を書いた犯人はマジック同好会の小泉であったことが早々に判明するが、彼は単なる冗談であると答え、本当に文化祭が中止になったら困ると主張する。
 そしてハルタは真相を突き止める。生物部の飼育している観賞魚コバルトスズメの白点病を治療するために、予算不足で薬が買えない生物部の女子部員が盗み出したのであった。
 硫酸銅は水溶液の状態で戻り、コバルトスズメは生徒のカンパで買った薬で助かり、生徒の間ではチカが最大の功労者ということになった。チカはハルタの能力を認め、そんなハルタに草壁を取られてしまうのではと不安になるのであった。

「クロスキューブ」

 バザーで売れ残ったルービックキューブが吹奏楽部でブームになり、それが全校に広まっていた。そのブームが衰退の兆しを見せ始めた頃、ハルタがルービックキューブで意外な才能を発揮する。その完成スピードで学校の頂点に君臨するようになったハルタが挑戦を始めたのは、全ての面が真っ白なルービックキューブであった。
 部員が9名しかいない吹奏楽部を何とかしようと、チカとハルタは同級生で中学時代にオーボエ奏者として活躍していた成島美代子に目をつけていた。しかし、彼女にその気はまったくなく、しつこく彼女を追い回す2人に彼女の手から渡されたのが、例の白いルービックキューブであった。
 成島の弟は小児脳腫瘍という病で、成島が吹奏楽の全国大会に出場していた日に亡くなっていた。パズル愛好家だったその弟は多数のパズルを遺しており、成島はそれらのほとんどを解いていたが、その白いルービックキューブだけが解けなかったのだ。
 期限の日の放課後、ハルタは成島の前で油絵の具でルービックキューブに着色し彼女を驚かす。しかし、ハルタはやけを起こしたわけではなく、9カ所のブロックの表面が剥離して弟の書いたメッセージが現れる。
 「正解だよお姉ちゃん」という9文字が、彼女の閉じていた心に春の訪れを呼び起こすものになるとチカは信じるのであった。

「退出ゲーム」

  成島を吹奏楽部に入部させることに成功したチカとハルタ。ある日、チカはハルタと成島が演劇部の手伝いをしている姿を目撃する。
 ハルタと成島は、プロのサックス奏者を父に持ち、本人も優れたサックス奏者であるマレン・セイという演劇部部員を吹奏楽部に引き込もうとしていたのだった。
 演劇部部長の名越も、やる気のないマレンを持て余していたが、一度も舞台に立たせないまま吹奏楽部に行かせるのは無責任だと言う。そこでハルタが演劇部も吹奏楽部もハッピーになれる公演を演出することを約束するが、できあがった「彼女がガチャピンをはねた日」という脚本に絶句するチカ。そして名越はそのルーズリーフを破り捨てる。
 名越は藤間弥生子という看板女優を紹介し、マレンを賭けた「退出ゲーム」という勝負をチカとハルタに提案する。「退出ゲーム」とは、設定されたシチュエーションの中で役になりきり、制限時間内にステージから退出できた方が勝ちという名越が考案したゲームで、名越・藤間のペアと、チカ・ハルタのペアが客席を前に戦うことに。
 前半戦「恩師の送別会において、最後の別れの挨拶の前に退出する」で、名越にもてあそばれたチカ・ハルタペアは、後半戦「ニセ札班、時効15分前の状況で、潜伏場所から退出できるか?」で挽回に挑む。後半戦の勝利条件は、名越・藤間ペアが成島を退出させる、チカ・ハルタペアがマレンを退出させるというもの。
 またしても名越に押されるチカ達であったが、ハルタはマレンをうまく使って状況を好転させる。そして潜伏場所をマレンの出生地である中国の蘇州に設定し、ついにマレンを退出させることに成功するハルタ。
 マレンには、中国の一人っ子政策のため、アメリカの里親に育てられたという過去があった。その過去に向き合うことを避けていたマレンであったが、今回の件で考えを改めたマレンは蘇州を訪れ、マレンに蘇州から手紙を送り続けていた弟に返事を出して帰ってきたのであった。

「エレファンツ・ブレス」

 ある日、生徒会長の日野原がチカに特命を持ちかける。問題を解決すれば、古い体育用具室を吹奏楽の個人練習に使っていいと言う。その問題とは、発明部の萩本兄弟が起こしたトラブルを解決してほしいというものだった。
 萩本兄弟は、発明した「オモイデマクラ」を学校のホームページ上で1個1万円で勝手に販売し、2個が売れてしまったというのだ。「オモイデマクラ」は、過去の思い出を、その思い出にまつわる色というフックで連想させるもので、それを3つの音で行うという画期的な発明であった。
 購入者が分からないため、不良品であるという偽情報で購入者をおびき寄せたところ、やって来た1人目がハルタであったことにチカは椅子からずり落ちる。
 そして真の問題は、もう1人の購入者が「エレファントブレス」という正体不明の色で「オモイデマクラ」を注文してきた謎を解くというものであった。
 やがて購入者が後藤朱里という中学生であることが判明する。朱里の祖父は、若いときに祖母を捨ててアメリカに渡り帰ってこなかった。高齢になって帰ってきたときには記憶を失っており、彼女が唯一聞き出せたのが「エレファンツ・ブレスを見たよ」という言葉だったのだ。
 そして、ハルタは真相にたどり着く。朱里の祖父は祖母を捨てたのではなく、アメリカでベトナム戦争に従軍させられており、その時に色ではないエレファンツ・ブレス、つまり滅多に見ることのできない像の寝息を立てる姿を見たのであった。

 「結晶泥棒」を読み始めると、いかにもゆるい感じの学園もののライトノベルで、謎も全然たいしたことのない話なのだが(劇薬盗難を隠し続ける高校生達の常識のなさにいらだちや怒りさえ感じる)、「クロスキューブ」からシリアス要素が大きく入ってくる。とは言っても、これも謎自体はちょっと普通では気がつけないトリックで面白みはないのだが、表題作となる「退出ゲーム」から作者の真骨頂が見え始める。中国の一人っ子政策の弊害という重い社会テーマを絡めつつ、決して話が重くならないようにメインストーリーはこれまで通りユーモアたっぷりに進んでいくのが実に心地よい。
 同様にベトナム戦争という重いテーマと、奇想天外な発明品を巡るドタバタ劇を組み合わせた「オモイデマクラ」も秀逸。
 トータルでは★5つが満点なら4つは付けたいところだが、★3つのここでは2つで。

2017年12月読了作品の感想

 

『砕けた鍵』(逢坂剛/集英社)【ネタバレ注意】 ★★

 「このミス」1993年版(1992年作品)12位作品。 百舌シリーズ(公安警察シリーズ)第4弾(シリーズ最新刊は2015年11月刊の第7弾『墓標なき街』)。

 主人公は警察官の不祥事を取り締まる警察庁特別監察官の倉木尚武、その妻で同じ警察官として公安四課に勤める美希、そして、かつて倉木と共に民政党の陰謀を阻止するために戦い、現在は警察官を辞めて調査事務所を開いている大杉良太の3人である。

 権藤刑事は謎の人物「ペガサス」と共に暴力団・桃源会が経営するコカイン工場に踏み込むが、「ペガサス」に裏切られ、桃源会の下働きをしていた不良外国人の剣持もろとも射殺されコカインは奪われてしまう。
 倉木美希は夫の尚武に内緒で、難病の息子・真浩の医療費の足しにすべく共済組合に足を運ぶが断られ、そこで出会った総務部福利課の笠井涼子にお金を用立ててもらうことになる。

 倉木尚武は、権藤の射殺事件の捜査のため権藤の相棒であった池野英秋の取り調べを行う。彼は事件当時、石原まゆみというホステスと一緒であったことを証言するが、その後石原まゆみは、桃源会若頭の柏崎昇に拉致され、彼女が呼び出した池野と共に「ペガサス」のところへ連れて行かれる。柏崎は「ペガサス」にだまされ、池野がコカインを奪い、そのコカインを「ペガサス」が買ったと思い込まされていたのだ。「ペガサス」の策略によって、池野と柏崎は差し違えて死亡。なんとかその場から逃げ出したまゆみも、後日「ペガサス」によって殺され、権藤射殺およびコカイン強奪の罪は池野が犯したことになってしまう。

 倉木は、現職警官が執筆していると思われる「警察官告白シリーズ」を出版して儲けている桜田書房の社長・小野田輝昌が、警視庁の、どのあたりとつながっているのかを調べてほしいと大杉に依頼する。大杉は一度は断ったものの、気になって調査を開始する。偽名を使って小野田に近づいた大杉であったが、小野田の指示を受けた大東興信所の所長・前島賢介に尾行される。

 ホテルの一室で覚醒剤・麻薬担当の女性刑事・成瀬久子が殺害されているのが発見され、その場でコカインを吸引して寝ていた山口牧男が逮捕されるが、彼はかつて大事件を起こして警官を免職になった人物であった。勤務中にOLを暴行の末に殺害し逮捕されるも、心身耗弱状態にあったと鑑定されて短い刑期が言い渡されたため、世間から大きな批判を受けていた人物であったのだ。そのため、警察を揺るがす大きな騒ぎとなる。しかも現場で押収されたコカインは、桃源会のコカイン工場から奪われたものだった。
 倉木は、剣持になりすました「ペガサス」が山口にコカインを与え、成瀬を殺害してこの事件を演出したのではないかという推理を大杉に聞かせる。

 笠井からお金を借りた直後に大杉と再会した美希は、一緒に息子の入院する病院に向かい、そこで倉木と出会うが、その時爆音が鳴り響く。同じ病院に入院していた法務次官の倉本真造を殺害するために持ち込まれた爆弾を、看護婦が倉木夫婦の息子の部屋に間違って運び込み、そこで爆発したのであった。倉本真造宛ての菓子箱の字を倉木真浩と見間違ったのだ。息子と看病に来ていた母を同時に失った美希は、犯人に復讐を誓う。

 復讐に燃える美希は、テレビ局のリポーターになりすまして、病院内で独自の聞き込みを開始する。そこで清掃員の佐野から、例の菓子箱の入った丸松デパートの紙袋を持った人物を事件直前に見たという、警察もつかんでいない証言を得る。その男の捨てた週刊誌にはさんであった和風パブ「アスカ」の優待券から、犯人への糸口をつかめそうになった矢先に、美希は一緒に食事をした笠井と共に、何者かに車でひき殺されそうになる。

 笠井と共に病院に運ばれた美希に、倉木は独自の捜査をやめるように迫るが、美希は聞く耳を持たない。病院を抜け出した美希は「アスカ」に向かい、問題の優待券は尾形江里子というホステスが客に渡したものであることが判明する。そして、その客が、昼は塾の講師をし、夜は電線工場の夜警をしている馬場一二三という男であること、彼が新高ビルという建物に出入りしていることをつかむが、そのビルの前で大杉を見つける。
 そのビルには、大杉を尾行した前島のいる大東興信所があったのだ。事務所に乗り込むが前島に冷たくあしらわれて追い出された大杉は、美希に声をかけられ驚く。大杉の話と照らし合わせると、馬場が出入りしていたのは大東興信所と同じ階にある名簿販売会社の東京リストサービスか、日本文化調査会という謎の調査事務所のどちらかと考えられた。美希は、馬場が爆弾魔である可能性が高いと伝えて大杉に協力を仰ぐが大杉は断る。ため息をついて去って行く美希を見捨てられない大杉は、思わず彼女を追うのであった。

 思い切って馬場に電話をかけた美希は、彼が「ペガサス」らしき人物から優待券の挟まった週刊誌をもらったという話を聞き、その人物の似顔絵を描いてほしいと懇願する。彼の話をすっかり信じた美希は彼の住み込んでいる電線工場を訪れるが、それは彼の罠だった。ベルトで首を絞めようとする馬場にナイフで反撃する美希であったが…。

 電線工場に踏み込んだ倉木と大杉は、馬場の刺殺体を発見する。警察は、美希が息子の敵を取った後、工場裏の隅田川に身投げしたと発表する。さらに、馬場の部屋から桃源会から奪われたコカインが発見され、権藤刑事殺害、成瀬刑事殺害、池野刑事殺害、そして病院での爆弾事件といった、一連の警官が絡んだ事件の真犯人が「ペガサス」こと馬場であると結論づけられてしまう。

 倉木たちに協力的な特別監察官の津城俊輔警視正は、警視庁の公安部と公安調査庁を合体させて公安庁を設置する狙いが上層部にあるらしいことを大杉に教える。そこで大杉は新高ビルにある日本文化調査会が公安調査庁の下請け調査をしていたことを思い出す。そこに馬場が出入りしていたとすれば、それは面白い取り合わせで、あり得ないことではないと津城は言う。そして、大杉はノンキャリアの間に労組を作ろうとする動きがあることを津城に伝える。

 隅田川河口付近で女性の水死体が発見されるが、それは美希ではなく江里子であった。

 倉木は、独自の捜査で、美希と笠井を車で襲った人物が、笠井からの借金を帳消しにしようともくろんだ不良警官の三宅の仕業であることを突き止める。あとで借用証が発見されてもそれをもみ消せる人物がバックにいるはずだと考えた倉木は、彼をとことん追い込んで、その人物が公安特務一課長の球磨であることを吐かせる。

 倉木は、かつて山口に殺害された女性の母親のもとを訪れ、彼女が高柳憲一という男性と交際していたことを知る。そして津城の調査で、その高柳が日本文化調査会を仕切っていることが明らかになる。

 美希は生きていた。彼女は新興宗教の施設に幽閉されており、そこでついに「ペガサス」と対面する。彼こそが警察への復讐心に燃える高柳憲一であった。そして、そこに現れた笠井は、高柳の姉であった。笠井も警官の夫が殉職した際に、幹部や上司からひどい扱いを受け警察を恨んでいたのだ。
 そして彼女とつながっていた球磨課長は、警官がらみの大事件を次々に起こして公安庁設置に誰も反対しなくなるよう世論を利用しようとしていた。全ての事件は、笠井がペガサスに指示し、馬場などの過激派を使って色々やっていたのだ。
 しかし、彼女が多くの警官に金を貸すことで仲間を増やし、憎むべき警察組織に対抗する労組設立をもくろんでいたことを知った球磨は、彼女を抹殺しようとして三宅を使って美希もろとも彼女を襲わせたのだった。
 笠井から労組設立に協力するよう迫られた美希は、誓約書を書くふりをして彼女にボールペンを武器に襲いかかる。

 球磨を拉致した倉木と大杉は、彼を脅して美希が捕らえられている施設へ向かう。二手に分かれて施設に潜入した2人。大杉はついに美希を助け出すが「ペガサス」に見つかってしまう。そして「ペガサス」がこれまで何度も会っていた前島であったことに驚く。前島と高柳は同一人物だったのだ。
 高柳は美希を人質に奪った上に大杉の肩を撃ち大杉は倒れる。そこへ笠井を人質に取った倉木が現れるが、高柳は何のためらいもなく、笠井と共に倉木を撃つ。そこで美希と大杉も反撃を試み乱闘に。高柳に撃たれそうになった美希を倉木が高柳を撃ち倒すことで救うが、再び仰向けになった高柳の銃弾が倉木を襲う。なんとか高柳を仕留めた大杉であったが、倉木も同時に高柳に再び撃たれていた。倉木は大杉に「美希を頼む」という言葉を遺して死亡してしまう。

 大杉の入院する病院の病室にて、球磨は懲戒免職になるだろうが、高柳も笠井も死亡した今、球磨のバックにいる政治家に法の手が伸びることはなく、倉木は犬死にであると言う美希に対し、津城は、我々が彼の遺志を継ぐことで犬死ににはならないと応え、自分の元で仕事をしないかと美希を誘い彼女は驚く。
 津城は、気を利かせて病室を出て行き、2人きりになる大杉と美希。そして、美希は大杉にキスをして、大杉の妻子と入れ違いで病室を出て行くのであった。

 非常によくできた物語だとは思う。TVドラマ向きだと思ったら実際ドラマ化されたらしい。ただし、突っ込みどころも満載。
 なんと言っても、息子の敵を討ちたいとは言え、夫の制止も聞かず暴走する女主人公の美希がひどい。
 自分が通い詰めていた病院に、髪のカットとメイクのみで変装できたと信じ込み、リポーターを名乗って取材に乗り込むとかありえない。
 危険を感じながらも無謀に敵の懐に飛び込み、案の定罠にはまって大ピンチ。
 結局彼女を救い出すために夫の倉木が犠牲になって死亡。それなのにラストシーンで妻子のいる大杉にキスするとか、ますますありえない。
 倉木、美希、大杉の3人が主人公かと思いきや、倉木の影がどんどん薄くなり、大杉も美希にいいように振り回される。彼らの味方となりそうな津城がもう少し活躍してくれるのかと期待したが、こちらも影が薄い。終盤では、倉木と会話させることで、これまでの話の流れをまとめる役割を果たしているだけのような気がする。
 柏崎が、なぜあんなに簡単に高柳の嘘を信じたのかも謎。
 最近までずっとハマっていたアメリカのゾンビをテーマにした人気TVドラマ「ウォーキング・デッド」と、そのスピンオフ作品「フィアー・ザ・ウォーキング・デッド」がずっと頭の中で本作とかぶっていた。前者の物語冒頭では、主人公の男性が入院中に、彼が死亡したと思い込んだ妻が主人公の同僚と深い仲になるという展開が描かれ(現在シーズン8放映中)、後者では、美希以上に強烈な女主人公が、家族を守るためとはいえ、次々と自分たちが逃げ込んだコミュニティを破壊していくという暴走ぶりが描かれている(現在シーズン4制作中)。
 色々突っ込んだが、決してそこまでひどい作品ではない。しかし、ランキングにランクインしていない同じシリーズの別作品をわざわざ読もうとは思わないというのが正直なところ。
 

 

『R.P.G.』(宮部みゆき/集英社)【ネタバレ注意】 ★★

 「このミス」2002年版(2001年作品)19位作品。「R.P.G.」とは一般的に認識されている通り「ロールプレイングゲーム」のことである。
 警視庁捜査一課四係のデスク担当であるガミさんこと武上悦郎、洒落者のトクマツこと徳永、放火事件の捜査中にはみ出し行為をしたことによって本庁から杉並署に降格させられた石津ちか子、杉並署警邏科の若い府警・淵上美紀恵らが、ネット時代ならではの不思議な事件に挑む。

 杉並区新倉町の住宅地の一角の建築中の住宅の中で食品会社オリオンフーズの課長・所田良介の刺殺体が発見される。
 また、その3日前、渋谷区松前町のカラオケボックス「ジュエル」で同店アルバイトの今井直子という女子大生が絞殺されるという事件が発生しており、その両方の現場から共通の特殊な繊維と白ペンキという遺留物が発見されたことから、2つの事件に関連性がある可能性が浮上する。
 杉並区の事件は三係が担当することになり、そのデスク担当は武上の先輩である中本房夫であった。そして渋谷区の事件は武上の四係が担当することに。
 やがて、今井直子が過去にオリオンフーズの食品モニターのアルバイトをしていたことが判明し、2つの事件の関連は決定的なものになる。
 そこへA子という今井直子の大学のゼミの同級生という有力な容疑者が浮上する。彼女は今井直子の恋敵で、今井直子はA子の彼氏を横取りしていた。納得のいかないA子は何度も今井直子に話し合いを持ちかけ、その場に一度だけA子の元彼だという所田が立ち会ったことがA子の口から語られ、A子への疑いはますます深まる。しかし、なかなか証拠が出てこないことに、中本はA子犯行説に疑念を抱き始める。
 そんな中本はデスク担当から捜査の前線に戻ることを希望しており、その願いが叶ったのもつかの間、心筋梗塞で倒れてしまい、武上に白羽の矢が立つ。
 武上たちの最初の仕事は、所田の会社にあった遺品のチェックを所田の妻の春恵にしてもらうことと、娘の一美を、彼女が見たことがあるかもしれない、ある人物たちに会わせることであった。
 所田は、若い女性に人気があって彼女たちと浮気をしていただけではなく、ネット上に架空の家族を持っていたのだ。一美は「お母さん」「カズミ」「ミノル」というハンドルネームを持っていた3人の事情聴取をマジックミラー越しに見つめる。彼女が特に気にしていたのは、本名ではないのに自分と同じ名前のハンドルネームを持っていた「カズミ」であった。
 そして「カズミ」以上に挙動の怪しかったのが「お母さん」役を演じていた三田佳恵であった。彼女は疑似家族の枠を越えて所田と関係を持ちたがっていた様子がうかがえた。取調室での「カズミ」「ミノル」「お母さん」の雰囲気が険悪なものになる中で、犯行現場で犯人が着ていたと思われるパーカがゴミ捨て場で発見されたというニュースが飛び込んでくる。
 そのニュースに一番動揺したのは一美であった。彼女が連絡を取ろうとした彼氏の石黒が警察に連れて来られ、今井直子と所田を殺害したのが一美と石黒であったことがついに判明する。
 すべて中本の書いたシナリオ通りであった。罪を償った後、所田と疑似家族を作っていた3人に復讐するかもしれないと武上を脅す一美に対し、マジックミラー越しに一美の前で取り調べを受けていた彼らが偽物であり警官であったことを武上から知らされ愕然とする一美。そして所田がメールを送った相手の三田佳恵の正体が「お母さん」ではなくA子であったことを知り、一美は呆然とするのであった。

 これは、いわゆる「どんでん返し」が売りの作品らしいのだが、被害者の娘の一美が犯人であったことには十分な動機があるため、それほどのインパクトはない。むしろ中本以外の警官たちがなぜ彼女を疑わなかったかということの方が気になる。
 一美が犯人であることはとっくに警察にはバレており、一美がマジックミラー越しに見ていた取調室の「カズミ」「ミノル」「お母さん」の3人が、実は全て偽物で警官が演技していただけだったという「どんでん返し第2弾」の方が作り手の本命なのかもしれないが、これは正直狙いすぎで興ざめだ。あの生々しい3人のやりとりがすべて演技だったと言われても無理がある。全然「騙された!」「やられた!」という爽快感がなく、むしろ不愉快だ。
 「どんでん返し第3弾」の三田佳恵の正体がA子だったという部分については、ああそうなの…という程度。
 筆者の代表作である『摸倣犯』の武上刑事と『クロスファイア』の石津刑事がコラボするのも本作のポイントのようだが、よほどの宮部ファンでなければ響かないのではないか。この2作を知らなくても特に問題なく読めはするのだが、未読の読者にはそのあたりの描写が少々鬱陶しい。『模倣犯』を読了済みの自分でも、武上に対する記憶がほとんどなく何の感慨もなかった。
 浮気癖が直らず疑似家族を作っていることを娘に知られてもなんとも思わないダメオヤジの所田、夫の浮気癖を諦めてしまっている妻、そして自分こそが正義と信じて疑わない娘…、所田家の全員に不快感を感じただけで終わりという感じの作品。宮部作品にしては、かなりの物足りなさを感じ残念だった。19位という順位がそれを如実に物語っているのではないか。

 

『連鎖』(真保裕一/講談社)【ネタバレ注意】 ★★

 「このミス」1992年版(1991年作品)18位作品。真保裕一のデビュー作にして第37回江戸川乱歩賞受賞作。元食品Gメンの主人公がチェルノブイリ原発事故によって放射能汚染された食品に絡む事件に挑む社会派ハードボイルドミステリー。

 6年前、東京検疫所の広報担当だった羽川の前に、高校時代からの親友で「週刊中央ジャーナル」の記者であった竹脇史隆が取材に現れた。竹脇は、チェルノブイリ原発事故の影響で放射能に汚染された食品が不正に輸入されている現状についての告発文を、輸入食品検査センター副所長の篠田誠一の協力で発表する。羽川がマスコミの取材対応に疲弊する一方で、竹脇は有名人となり、羽川の恋人であった枝里子を奪って結婚する。
 そんな竹脇に復讐すべく、2週間前に枝里子と関係を持った羽川であったが、彼女がそのことを竹脇に話したことが原因と思われる自殺未遂事件を晴海埠頭で起こす竹脇。

 そんな時、東京検疫所にファミリーレストランチェーンの「ミートハウス」の冷凍倉庫内の肉に毒物を混入したという文書が届く。上司である高木義久総務課長と警察に連絡する羽川。彼は、竹脇らの告発によって日本茶専門店の「花菱」や牛丼チェーン店の「松田屋」が大きなダメージを負ったことを思い返す。
 高輪署の安藤刑事、高木課長に続き、検疫所に現れたのは篠田であった。2年前に関東大学助教授の座を追われた篠田を高木は快く思っていなかったようであった。
 警察の捜査で、倉庫の警備員は何者かによって眠らされ、倉庫内にはびっしりと農薬がまかれていたことが判明する。そして、警察から検疫所が食肉の残留農薬検査をするよう依頼され、所長の田所は仕方なく引き受けることになる。篠田による検査の結果、ベトナム戦争で使用された枯葉剤と同様の成分が検出される。高木と羽川は汚染の度合いを検査することを主張するが、「ミートハウス」社長の藤枝の食肉はすべて破棄するという方針によって却下されてしまう。そして羽川は、篠田が某私立大学からの誘いを受けることになったことを知る。また、枝里子から自宅が何者かによって荒らされていると連絡を受ける。
 そして検疫所に消費者連絡協議会という団体から汚染食品の横流しの真相究明を求める文書が届き、ルートを究明するよう高木から命じられる羽川。かつての仕事であった食品Gメンこと食品衛生監視員の身分証を与えられ捜査を始めた羽川は、野上商会の野上啓輔という人物が処分を受けた食品を買い集めようとしていたこと、そしてその彼を追う男たちがいたという事実を知る。羽川は、その野上なる人物が竹脇であったことを突き止め愕然とする。
 篠田の話によれば、竹脇が目を付けていたのは「ミートハウス」と「茅崎製菓」で、横流しの出所は「五香交易」という東欧圏との貿易を専門に扱っている商社だという。「ミートハウス」と「茅崎製菓」に接触した途端に何者かに追われるようになった竹脇は、妻の枝里子に危害が及ばないようマンションを出たという。彼が家を出た理由は妻の浮気にショックを受けたせいではなかったのだ。

 そこに本作の真のヒロイン、凄腕保険調査員の倉橋真希江が登場。
 自殺した松田屋の輸入担当重役・桑島の自宅を訪ねた羽川は、彼の15歳の娘の真由子から葬儀の様子を聞く。そして桑島夫人から、真由子が竹脇と一緒に松田屋の社長・楠原を追い返したという話を聞く。羽川は楠原を訪ねてその日の事情を聞くと、竹脇が楠原のしていた保険の話に突然割り込んできたという。その話にピンときた羽川は、積戻しを繰り返した挙げ句、保険会社を乗り換えた五香交易について真希江が調査していることに気づく。そして、二人はコンビで捜査を継続する。
 横流しに関わったと思われる菊岡運送は廃業に追い込まれ、その,残務処理を請け負っていた柳会計コンサルタントは火事で全焼していた。証拠隠滅が図られていたのは一目瞭然であった。さらにやっと集中治療室を出られた竹脇の点滴が何者かに抜かれ、竹脇は集中治療室に逆戻りすることに。

 夜帰宅途中に男たちの集団に襲われ捜査を中止するよう脅された羽川は、真希江に竹脇の妻の浮気相手が自分であり責任を感じていることを打ち明けるが、真希江も、保険を契約してくれた友人が保険金殺人に巻き込まれたことで、保険金殺人が許せなくなったことを告白する。絆を深めた二人はお互いを相棒と認め、菊岡運送の元従業員の並木に会いに行く。
 そこで谷沢という運転手が城東商事という大手から転職してきて、彼によって並木が仕事を辞めざるをえなくなったこと、城東商事から谷沢が持ってきた仕事の中に積戻しの回収があったことが明らかになる。さらに系列の城東火災海上の海損部部長の中村から、城東商事のココア調整品の輸入担当者が、積戻しに絡み、車で川崎港に飛び込んで自殺しているという事実を知る。
 その自殺した担当者・小林の遺族から、五香交易に勤めていた小林の大学時代の友人が谷沢であったことを竹脇が聞き出していたことを聞いた羽川は、五香交易がフィリピンに送ったコンテナの中身を横流しした上で、密輸品を入れて回収していたという推理を導き出す。そして今回は、それを参考にした谷沢が、脱脂粉乳の中にLSIを入れて密輸していたのだった。

 並木から思い出したことがあるので会いたいという伝言を受けた羽川と真希江は、その待ち合わせ場所で谷沢に襲われるが、高木が呼んでくれた警察によってピンチを脱する。真希江が持っていたスタンガンをヒントに、自分の意思で海に飛び込んだように見えた竹脇が、線路から流された電気による電気ショックを使ったトリックによってそのように装われていたことを見抜いた羽川。

 そして羽川は、篠田が自分の検査ミスを隠すために「ミートハウス」の倉庫に農薬をまき、竹脇を暴力団に差し出したことを暴く。さらに、その検査ミスを起こさせたのが高木であることも。高木は、娘の婚約者を死に追いやった篠田に復讐するために検査ミスを仕組んだのだった。
 高木は姿を消し、羽川は真希江に一緒に探偵事務所を開こうと誘われる。竹脇の病室の前で彼を見舞うために立っていた真由子一緒に病室に入る羽川であった。

 食品Gメンを主役に据えて、当時話題になっていた放射能汚染食品にまつわる事件に立ち向かうという物語が話題になったのは、その斬新さとタイムリーさから十分にうなずける(今となっては「自動車電話」とか「LSI」とか「32ビット」とか時代を感じさせる言葉が懐かしい)。様々な出来事が、緻密に組み上げられているストーリーもお見事。
 惜しむらくは、後半に向けてどんどん事件が複雑さを増し、登場人物もどんどん増えていって、読者がそれを頭の中で整理して理解するのが面倒になってきてしまうことか。正直なところ、結構読んでいて疲れる。
 主要登場人物のキャラクターの立たせ方も、やや中途半端。ハードボイルドと呼ぶにはにはあと一歩で今ひとつ魅力に欠ける主人公。ヒロインの真希江も今ひとつ目立たず華がない。真の黒幕である高木は、こういうパターンの例に漏れず、冒頭から好感度高めに描かれていたが、もっとその辺は強調してあっても良かったと思う。篠田に関してはまったく個性が感じられず、それ以外の登場人物も同様な感じ。
 電気ショックを用いた車での飛び込み自殺トリックについては現実味があるのか微妙。仮に可能だったとして、車内にぶら下がった配線や放置されたチェーンなど不審点があるのに警察がまったくをそれらを気にしていない点が不自然に思える。
 トータルでは★★が妥当と思われる。

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