現代ステリー小説の読後評2018

※タイトル横に【ネタバレ注意】の表記がある作品はその旨ご注意を
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2018年月読了作品の感想

『屍人荘の殺人』(今村昌弘/東京創元社)【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2018年版(2017年作品)1位作品。前年「このミス」第10位作品となった『ジェリーフィッシュは凍らない』は第26回鮎川哲也受賞作だったが、本作は第27回鮎川哲也受賞作。さらに、この「このミス」1位のほか、「週刊文春ミステリーベスト10」1位、本格ミステリベスト10」1位という3冠を達成。しかも本作は筆者のデビュー作というから恐れ入る。
 ネット上には厳しい書評も見られるが、100点満点とは言わなくとも久しぶりに最後まで楽しく読めた傑作。いきなり結論を書いてしまうが、久々の★★★である。

  神紅大学の映画研究部は、毎年夏休みに、OBの七宮兼光の父が所有するS県山中のペンションで映画撮影を兼ねた合宿を行っていたが、参加する男性OBに現役の部長が女子部員を生け贄に差し出すという性格が強いものであった。父が映像関係の会社を経営している七宮に気に入られると就職に有利になるということもあって、進んで参加する女子部員もいたが、前年に女子部員の退学や自殺トラブルがあり、さらに実施を阻もうとするような内容の脅迫状まで届いた今年は参加者の集まりが悪かった。
 往年のミステリ作品についての知識がほとんどない部員ばかりのミステリ研究会に対抗してミステリ愛好会を勝手に作った「神紅のホームズ」こと明智恭介(3回生)は、なんとかその合宿に参加できないかと、部長の進藤歩(3回生)に働きかけるがすげなく断られ続け、本作の主人公で明智の助手役である葉村譲(1回生)は、そんな明智に呆れていた。
 そんな彼らの前に、幾多の事件を解決した探偵少女の剣崎比留子(2回生)が現れる。理由を聞かないことを条件に、自分とセットで合宿に参加させてくれるという彼女の申し出に飛びつく明智。
 合宿には、七宮、進藤、剣崎、明智、葉村のほかに、進藤の恋人の星川麗花(3回生)、神経質な名張純江(2回生)、男勝りの高木凜(3回生)、おとなしい静原美冬(1回生)、ギャル風の下松孝子(3回生)、○○○映画マニアの重元充(2回生)、OBの出目飛雄と立浪波流也が参加することになった。そして、このペンション「紫湛荘」には、最近前任者と交代したばかりの管理人、管野唯人がいた。
 初日の廃ホテルでの撮影が終わり、バーベキュー後に、近くの古い神社に男女ペアになって札を取りに行くという肝試しを始めた直後に異変が起こる。山の向こうで開催されていたロックフェスの観客が、テロリストの撒いたウィルスによってゾンビ化し、彼らに襲いかかってきたのである。死に物狂いでペンションに逃げ込むメンバーであったが、14名中、明智、星川、下松、出目の4名を失う。
 ペンションをゾンビに取り囲まれた上に通信は遮断され、情報はテレビが見られるだけとなって、ペンションの2階以上に籠城せざるをえなくなって、完全に孤立するメンバーたち。
 そして翌朝、密室状態の自室でゾンビに襲われたらしい進藤の遺体が発見される。ドアには外から「ごちそうさま」と書かれた紙が挟まれ、室内には「いただきます」と書かれた紙が落ちていた。
 窓は開け放たれていたものの3階の部屋の窓では自由に出入りはできない。犯人は人間なのか、ゾンビなのか、はたまた知性を残したゾンビなのか、そして犯人はどこから入ってどこから出て行ったのか、謎は深まるばかりであった。
 そして、次の日の早朝、2階の非常扉が破られ、南エリアの廊下にゾンビが侵入。南エリア以外にはラウンジへつながる途中の扉をロックすることで侵入を防いだが、部屋から出られなくなった剣崎と高木。彼女たちを3階から縄ばしごを下ろしてなんとか救出するが、2階のラウンジでエレベーターのカゴから上半身をラウンジの床に乗り出すように倒れている立浪の遺体が発見される。立浪も進藤同様にゾンビに襲われた形跡があった。殺害方法として考えられるのはエレベーターをゾンビのいる1階に下ろすというものだが…。
 しかし、なぜ彼はエレベーター内で襲われたのか、そしてなぜゾンビを乗せずに立浪の遺体だけを乗せてカゴを2階に戻せたのか、また新たな謎が生まれてしまった。
 「あと1人、必ず喰いに行く」というメッセージに恐れおののく七宮であったが、ゾンビに2階を占領された後、予告通りに彼が立て籠もっていた室内で死亡しているのが発見される。
 最後の砦となる屋上への避難を始めようという時、静原にうながされて事件の真相を語り出す剣崎。
 第1の殺人・進藤殺害は、彼が極秘に部屋に入れて看病していた、ゾンビに噛まれた星川がゾンビ化して彼を襲ったものであると判明。星川は自室の窓から見ていた静原につられて窓から転落していた。
 第2の殺人・立浪殺害は、静原が睡眠薬で眠らせた立浪をエレベーターに乗せ1階に送って殺害したものと判明。カゴにラウンジにあった銅像を何体か乗せて重さを調節し、ゾンビが乗った状態では重量オーバーで2階に戻ってこれないようにするというトリックが使われていた。
 第3の殺人・七宮殺害は、静原がゾンビの血を入れた目薬を七宮のものとすり替えて彼を毒殺したものと判明。
 このように、連続殺人の真犯人は静原であった。彼女は、自分を子供の頃から可愛がってくれていた遠藤沙知という先輩が、立浪に弄ばれて自殺したことに怒り、復讐のために神紅大学を受験して、立浪のような男たちを殺そうと決意していたのだった。
 彼女のターゲットは、立浪、出目、七宮、進藤の4人。出目はゾンビ化した状態ながら刺し殺すことができ、進藤も星川に襲われているところを見殺しにすることで目的を達成。立浪をわざわざエレベーターを使って殺害したのは、人間の状態とゾンビの状態の2回殺害できるからという恐ろしいものであった。
 そして、ついに3階にもゾンビが侵入し、メンバーは屋上へ避難しようとするが、ゾンビ化した明智を攻撃できない葉村。そんな彼の窮地を救ったのは剣崎であった。彼女が明智の頭に槍を刺し、屋上の扉は無事閉じられる。
 メンバー全員が助かったと思われたが、静原はゾンビに噛まれ、自らの眼窩に槍を突き刺して屋上から転落する。その4時間後、生き残ったメンバーは自衛隊のヘリに救助された。
 それから1か月以上が過ぎ、世間は日常を取り戻していた。剣崎が明智と葉村を合宿に誘ったのは、葉村を自分の助手にしたいためだったが、静原が七宮を殺害することを知っていながら止めなかった自分にワトソン役は務められないと葉村は断る。
 そしてミステリ愛好会のたった2人のメンバーとなった葉村と剣崎は、テロを起こした斑目機関についての検討を始めるのであった。

 昨年秋から年末にかけて『ウォーキング・デッド』のシーズン7までと『フィアー・ザ・ウォーキング・デッド』のシーズン3までをすべて見て、さらに年末年始に映画『バイオハザード』のWまでを見て(これらは過去の見直し)、すっかりゾンビものにハマっていた自分にとってはドストライクの作品であった。
 とは言っても、書籍の「このミス2018年度版」は購入していたが、ランキング以外全く見ていなかったので、まさか本格ミステリの傑作とは聞いていた本作にゾンビが出てくるとは全然予想しておらず、実際に読んでいてその登場シーンに驚かされた。
 有栖川作品を想起させる明智・葉村コンビ、綾辻作品を想起させる山荘での大学生の合宿モノという、想像以上にベタな設定に、最初はこんなので大丈夫かと心配したが、ゾンビの出現ですべて吹っ飛んだ。
 突っ込みどころはそれなりにあるが、冒頭でも書いたように最初から最後までわくわくして読み進められたのは本当に久しぶり。本書の前に読んだ『連鎖』も、あの真保裕一のデビュー作ということで、新人らしからぬ出来映えにうならされたが、同じく筆者のデビュー作という本書は、エンタメ作品という視点で見れば、それ以上だと思う。
 進藤殺害の真相や、立浪殺害のトリックはなんとなく分かってしまったが、それら以外の数多くの仕掛けはお見事。星川のゾンビが窓から転落していなくなったことについても、ちゃんと事前に伏線が張ってあって感心したし、エレベーターを使った立浪殺害の理由が、2度殺したかったからという静原の計画にも舌を巻いた。巻末の鮎川哲也賞選評で加納朋子氏が述べていたように、登場人物の名前を読者に覚えてもらいやすいようなシーンを入れているのも実に親切で良かった。
 管理人や重元、主人公までもが犯人ではないかと読者にミスリードさせる数々の描写もわざとらしくはあったが、ミステリ初心者にはインパクトがあったのではないか。
 気になった点を以下にまとめておく。
 @騒がしいロックフェス会場からペンションの方へゾンビが流れてきたのは、音よりも生きた人間を感知したからだということだったが、ペンション内で音楽を流しっぱなしにするというのは疑問。やはり音はゾンビを引きつける要素の1つだろうし、ゾンビの侵入の気配を察知するためにも余計な音は出すべきではなかろう。どうしても仕掛けの1つとして音楽が必要だったのは理解できるが、もう少しうまく使ってほしかった。
 Aペンション内のメンバー全員が落ち着きすぎ。殺人者が潜んでいることに加え、周りをゾンビに取り囲まれ、いつバリケードや扉を破壊して侵入してくるかも分からない状況で、交代で見張りも付けずに管理人の1時間に1回のパトロールにすべて任せて自室で熟睡というのはあり得ないだろう。
 B探偵役の剣崎だけが妙にライトノベル的な萌えキャラなのが気になる。今時の若者に買ってもらうこともビジネス的には大事なことかもしれないが、もっとクールでミステリアスな存在にすべきではないか。ただ、ミステリに詳しい助手がほしいというだけで、あれだけベタベタと葉村に迫ってくるのは、ライトノベルに親しみのない一般読者にはちょっと気持ち悪い。
 C冒頭から誰よりもキャラが立っていた明智は、シリーズとして続けていくなら生かしておくべきだった。どんなピンチに陥っても何事もなかったように帰還する姿が似合うキャラであり、最後のゾンビ化した状態での登場は本当に残念であった。
 Dラストシーンで、剣崎の助手の誘いを断ったはずの葉村が、なぜ剣崎と一緒に斑目機関について話し合っているのか疑問。探偵と助手という関係ではなく、同じ愛好会の対等の立場になったということか?その割には「僕の償いは、ここから」とか書かれているのだが…。
 Eこのラストシーンと冒頭の報告書との関係もひっかかる。冒頭の報告書は剣崎宛になっているが、ラストシーンでは葉村が知人に頼んで調査してもらっているという描写である。あちこちに2人が調査を依頼しているということかもしれないが、ここはきれいにつなげておくべきではなかろうか。
 F前述したように、進藤殺害の犯人がゾンビ化した星川であることはなんとなく予想できていたのだが、証拠品の星川の靴が、探偵の推理披露の場で突然登場するのは本格ミステリとしてはズルい展開である。
 G犯人の静原の殺人の動機が弱い。子供の頃から世話になった先輩が自殺に追い込まれたからといって、復讐のために大学の受験先まで変えて、しかも本命の立浪のみならず、同類の男たち3人もまとめて殺してやろうというのはさすがに行き過ぎではないか。血のつながった姉が、4人に暴行の末に殺されたという過去があるのならまだ理解できるが。
 H日本政府や自衛隊、警察が、たった1か月で事態を収拾できたというのが信じがたい。前述の『ウォーキング・デッド』シリーズのように空気感染に近い状態ではなく、噛まれない限り感染しないという設定のせいかもしれないが、政府がある程度、斑目機関の研究内容を把握していたという背景がないと、このような早い事態収拾はありえないと思う。この斑目機関についての記述や事態収拾についての記述がなさすぎることについて、それらがミステリ作品として削ってもいい部分であるにしても、そこがもやもやしてしまう読者も相当数いるであろうことは理解できる。 

 

『ミステリークロック』(貴志祐介/角川書店)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2018年版(2017年作品)4位作品。 「このミス」2012年版17位作品『鍵のかかった部屋』に続く防犯探偵・榎本シリーズの第4弾で、「ゆるやかな自殺」「鏡の国の殺人」「ミステリークロック」「コロッサスの鉤爪」の4編を収める。

「ゆるやかな殺人」…★
 暴力団組員の野々垣二朗は、若頭の岡崎を自殺に見せかけて射殺。車で現場を立ち去るところを目撃された舎弟のミツオも始末することに。酒好きながら組長に禁酒を言い渡されていたミツオに本物の拳銃グロック17と同じ形状をした水鉄砲でウイスキーを飲む自分の姿を見せた後、それを本物とすり替え、それをこっそりと飲もうとしたミツオも自殺に見せかけて殺害するというトリックは成功したかに見えたが、ミツオの死で密室となった事務所の鍵を開けに来た防犯コンサルタントの榎本径によって見破られてしまう。

 ストーリーもトリックもあまりに平凡。岡崎殺しについてなどは、相手の眉間に拳銃を押しつけて相手が拳銃に手をかけたところで引き金を引いて相手の手に硝煙反応を付け、現場の部屋に駆け込んできた人間に対しては、机の後ろに素早く隠れて回避し、その後に逃げ出して自殺に見せかけるという全く芸のない内容。
 榎本が指摘したように、こめかみでなく自分の眉間に拳銃を押しつけて自殺するなど聞いたこともないし、それをろくな動機もないのに組の検分で自殺と断定されたという話にも納得がいかない。1作目でこれとは…。

「鏡の国の殺人」…★
 榎本は平松館長の依頼を受けて夜の美術館に天窓から侵入する。しかし、館長室では平松が殺されており、何者かの罠にはめられたことを知る榎本。防犯カメラにその姿をとらえられ身動きがとりにくかった榎本は、他に調べたいこともあって、まずは知人の刑事弁護士・青砥純子に、当時美術館内にいた3人のうち誰が真犯人かを明らかにするための調査を依頼する。
 当日美術館内にいたのは、「鏡の国のアリス」をモチーフとした迷路を展示室内に作っていたアーティストの稲葉透と、彼のアシスタントの石黒美玲と山本健太の3人。
 青砥はいつものように滅茶苦茶な推理を披露し、腕時計タイプの通信機でやりとりをしていた榎本をあきれさせる。
 その後、萵苣根功(ちしゃねこう)という「鏡の国のアリス」に詳しい怪しい大学教授と現場を回った青砥は、迷路の不自然な箇所を次々に指摘する萵苣根に感心する。
 その翌日、青砥と共に現場を確認した榎本は夜の美術館で稲葉と待ち合わせをする。防犯カメラに写らないように平松を殺害するための多くの仕掛けをすべて榎本に暴かれた稲葉はクロスボウで彼を殺そうとするが、榎本は鏡を利用したトリックでそれを回避。稲葉は、ハゲコウこと鴻野光男警部補に逮捕されるのであった。

 最初から文章で美術館や迷路の構造をひたすら説明されるのだが、全く頭に入ってこない。途中でやっと簡単な図面が2枚提示されるが、最初から1枚の大きな図面を出してほしい。
 その後は、「相貌失認」とか「ホロウマスク錯視」とか「瞬間調光ガラス」とか「偏光フィルター」とか「フレネル反射」とか聞き慣れない言葉が次々に登場し、トリックが延々と説明されるのだが、「へぇ」というより「はぁ?」という状態。「ガリレオ」シリーズでも読んでいるかのような錯覚に陥るが、理屈ばかりで「ガリレオ」シリーズのように楽しめない。(「相貌失認」はちょうど先日TVドラマの『相棒』でもネタになっていたが、今話題のネタなのだろうか)。
 新しいトリックを生み出そうと頑張っているのは分かるのだが、前述の現場説明同様に、トリックの説明に頭が追いつかず、疲れるだけで全く面白くない。
 面白くないと感じる一番の要因はキャラクターの魅力のなさだろう。主人公の榎本は知識が豊富と言うだけでまるで人間味が感じられない(「ゆるやかな殺人」では意外と小心者であるところが表れていたり、「コロッサスの鉤爪」では青砥に対するリアクションがユーモアたっぷりに描かれているが、本作と「ミステリークロック」ではかなり不足気味)。いじられキャラとなるべき青砥は今ひとつ中途半端 (「ミステリークロック」では馬鹿さ加減が暴走していて逆に引いてしまう)。ヒロインの青砥に代わって笑いを取るために作者が用意したキャラ・萵苣根のボケの連発は完全にスベリまくりで痛々しさすら感じられる始末…。

「ミステリークロック」…★★
 ミステリー作家・森冷子の山荘で開かれた作家生活30周年記念晩餐会に招待された榎本と青砥。その他には、かつて森と不倫の噂があった飛島書店の文庫編集長の本島、森の甥で唯一の彼女の血縁者である落ち目の俳優・川井、森の前の夫で内科医の熊倉、老害で周囲のひんしゅくを買っている売れたことのないミステリー作家・引地三郎が招待されていた。屋敷で森の他に彼らを迎えたのは、森の現在の夫で森と同じくミステリー作家である時実玄輝、森の秘書の佐々木、お手伝いの中山であった。
 森が自室で残された原稿執筆の仕事を片付けている間に、時実は広間のキャビネットに隠されていた森のアンティーク時計コレクションを参加者に披露する。@からGの番号が振られた時計は、いずれも貴重な一品ばかりで、特にEからGの「ミステリークロック」は皆の注目を浴びた。そして、この8つの時計の価格順を的中させた者に高価な置き時計をプレゼントするという時実の言葉に皆は興奮する。
 しかし、答え合わせの直前に時実が佐々木に森を呼びに行かせると、彼女は書斎で死亡していた。どうやら、作中に用いるために所有していたアコニチンという毒の入ったコーヒーを飲んだものらしい。
 残された彼女の手書きのメモから自殺も考えられたが、殺人の可能性が高いということになり、皆が時計の品定めの最中に飛島書店の清水社長と電話で話していてアリバイのあった時実は、猟銃で参加者全員を脅し、皆の証言を突き合わせて犯人をあぶり出そうとする。
 アコニチンがコーヒーに溶ける様子を観察中だった森が、パソコンのフリーズをきっかけについそのコーヒーを口にしてしまったことによる事故死ではないかという結論が出たが、納得のいかない様子の時実は、皆に犯人と思われる人物を同時に指さすよう命じ、多数決で選ばれた人物を射殺すると宣言する。誰も指を指そうとしないため、今度は全員に黒いゴミ袋を被せて同じことを行うが結果は同じ。時実は、誰かに罪をなすりつけようとした人物こそ真犯人だと考えてやったことだと皆に説明し謝罪。警察に連絡する。
 事件から2週間後、再び関係者が山荘に集められる。岩手県警の八重樫巡査部長も含めて皆が議論する様子を映像に収め、その様子を飛鳥書店が書籍化、DVD化、さらにはテレビ局との交渉次第でテレビ放映もするという清水社長の企画であった。
 そしてそこで榎本が、時実こそ真犯人であるという事件の真相を語り出す。時実の仕掛けたトリックは、電波時計をも利用した時間トリックであった。様々な仕掛けと参加者の心理を巧みに利用し、前半では12分間時間を遅らせ、後半でその時間を進めて元に戻し、自分のアリバイを作り出すというものであった。

 詳細なトリックの図説や時系列表が示され、読者に少しでも分かりやすくしようという配慮は見られるが、いかんせんトリックが複雑すぎて全てを短時間に理解できない。というより多くの時刻表トリック作品と同じで、きちんと理解しようという気にすらならない。自分には綾辻作品の『時計館の殺人』が限界のようだ。
 ミステリークロックの外観についても、榎本が事件の真相に気づくきっかけにもなったのだから、やはりビジュアル資料が欲しい。登場人物がどんなにその美しさを絶賛し、作者がその機構について詳しく説明しても、読者は全くピンと来ない。
 犯人の動機も「もっと自由に金を使いたくなったのか、ミステリークロックを我が物にしたかったのか、あるいはその両方か。いずれにせよ、私の知ったことではありません」という榎本の台詞でさらっと片づけてしまうのも少々ひっかかる。
 前述したように、仮にも有能な弁護士である青砥があまりにも「お馬鹿キャラ」に描かれているのも気になる。読者から笑いが取れるような「馬鹿さ」加減ならいいのだが、くだらなさすぎて呆れてしまう。
 刑事を含めた関係者を現場に集めて、それを書籍化、DVD化を目的として撮影するというシチュエーションにも少々無理を感じる。
 しかし、この作品の凄さは十分に理解できる。様々なものが進歩し時間トリックが困難になってきた現代において、攻略不能と思われた電波時計まで利用し、巧みに参加者のスマホは使用できなくして腕時計も取り上げ、さらには時間を短く感じさせたり長く感じさせたりするという人間の心理まで利用するという手法で、12分間のアリバイを作り出すというトリックはお見事。

「コロッサスの鉤爪」…★★★

 小笠原諸島母島沖で活動している海洋研究開発機構の実験船「うなばら」。そこで働く日本潜水工業の安田は、元自分の部下のダイバーで、男女トラブルを起こして退職した後、親会社の大八洲海洋開発の令嬢・近江有里と婚約し、自分の上司として舞い戻ってきた布袋が、かつての上司の自分をいびるのを楽しんでいるのが許せなかった。
 「うなばら」でパッシブ・ソナーの運用をしている大口も、彼の注意を聞かず、パッシブ・ソナーの邪魔になる魚群探知機を使って夜釣りを楽しむ布袋に腹を立てていた。
 「うなばら」のダイバーとして深度300mの海底で三叉と横の2人の仲間と作業をしている蓬莱は、かつて交際していた渚を強引に奪った布袋を恨んでいた。
 「うなばら」船内で無人探査機の操作をしていた樽目は、海底の泥が舞い上がって視界が失われたことで、蓬莱らに作業中止の連絡をする。
 同じく「うなばら」船内でダイバーの心電図をモニターしていた千住は、蓬莱のグラフだけ突然途切れたことに疑問を持つが、蓬莱からの通信に問題がなかったことで様子見することにする。
 そして、夜釣りを楽しんでいた布袋のボートの底に、海底から浮上してきた何かが激突し、海に放り出されて何者かに海中に引きずり込まれた布袋は溺死する。
 サメかダイオウイカに襲われたという警察の捜査結果に疑問を持った近江は、青砥に「海上の密室殺人事件」の謎を解いてくれるよう依頼する。
 青砥と共に現場に向かった榎本は見事にその謎を解明する。かつて布袋は近江との交際の邪魔になった渚を始末すべく、夜の海で彼女を刺殺後、投光器を付けてダツというクチバシのとがった魚に襲われたように装い、自分は大八洲海洋開発から盗んだサラマンダースーツという丈夫な潜水服を着て逃走。
 そのスーツと凶器を発見した蓬莱は渚の死の真相を知り、三叉と横の協力を得て海底の視界をなくして作業を中止させ、サラマンダースーツを着て急浮上に耐えられる状況を作り、布袋を襲ったのであった。

 なぜ本書が「このミス」4位に選ばれるのか、3作目の「ミステリークロック」まで読んで大いに疑問であったが、この4作目を読んで納得した。
 3000万円もするサラマンダースーツが盗まれて大きな問題にならなかったことや、布袋が使用後に蓬莱が渚殺害の凶器も含めてそれを運良く発見できたこと、そのような重装備を布袋や蓬莱がこっそりと個人で脱着して使用できたこと、夜の海で多くの気泡があったとは言え、無人探査機にその形状がきちんと写らなかったことなど、突っ込みどころがないわけではないが(蓬莱のサラマンダースーツの着用については一応フォローする記載があり、本来とは逆の使用法が可能であることに言及している点は○)、海上の密室という十分な専門知識がないと書けないミステリに作者が挑戦したことは賞賛に値する。
 蓬莱の犯行動機として、恋人を奪われたことのみならず、そのペットの死まで蔑ろにしたことに対する怒りを加え、しかもそれをタイトルに反映させている点は実にお見事。個人的にはそこが一番感心した。
 榎本と青砥とのユーモラスなやりとりも本作が一番面白くまとまっている。
 前半を読んでいて、『天使の囀り』や『新世界にて』という傑作を書いたあの作者はどこに行ってしまったのかと嘆いていたが、後半持ち直したことでちょっと安心した。
 最後に、前3作中に「シングルモルトウイスキー」が登場するのは何かこだわりがあるのだろうかと思っていたが、この「コロッサスの鉤爪」には登場しなかったのが気になった。おそらく作者が単にお酒好きなのだろう…。

 

『プリズンホテル2秋』(浅田次郎/集英社)【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」1995年版(1994年作品)7位作品。『鉄道員(ぽっぽや)』で第117回直木賞を受賞し、そのほかにも様々な賞を受賞している筆者の作品を実はこれまで一つも読んだことがなかった。最新の「このミス」ランキング本の合間に読む古いランキング本は、昔の文豪の作品を読むのと同じで全く感動できず、むしろ苦痛なことの方が多かったりしたので、今回もあまり期待せずに読み始めたのだが、それは大間違いであった。
 結論から言えば大当たりであった。感動した。はっきり言ってヤクザや警察が登場するもののこれはミステリ小説ではなく、喜劇=コメディでありエンタメ要素が強い作品である。しかし、含蓄ある人情味あふれるエピソードの数々は笑いよりも感動の涙を誘うのである。そういうシーンを、これでもか、これでもかというくらいに筆者は突きつけてくる。そして登場するキャラクターも素晴らしい。メインキャストはもちろん、ちょっとしか出番のない多くの脇役すべてが輝いている。
 徹底した取材による、読者がついていけないような緻密なディテールで読者を圧倒しようとする作品が多い現代において、ただ色々な人間のしがらみを描いただけで、読者の心をこれだけ揺さぶれる筆者の力量は本当に凄い。完全に脱帽である。
 全4作のシリーズ中、「このミス」にランクインしたのはこの第2弾だけだが、残りの3作も近いうちに絶対に読みたい。主人公が女性や子供を虐待するシーンに嫌悪感を抱く読者がいるかもしれないが、第3弾、第4弾で彼が改心していることを望む。
 読んでいて、「このミス」2015年版8位作品である黒川博行氏の『破門』と雰囲気が似ているなと思ったのだが、浅田氏同様に直木賞を受賞した黒川氏の受賞直後のインタビュー記事の中で、浅田次郎氏を賞賛するコメントがあったので納得。
 感動のあまりコメントを先に書いてしまったが、あらすじは以下の通り。

 恋愛小説を書き続けていながら極道小説『仁義の黄昏』で不本意にもベストセラー作家となった木戸孝之介は、8代目関東桜会総長の相良直吉の葬儀を取材してはどうかと出版社から提案され機嫌を悪くするが、唯一の血縁者であった叔父の木戸仲蔵が関東桜会五人衆の一人であったことから、その葬儀に参加することにする。
 葬儀後に仲蔵が経営する「プリズン(監獄)ホテル」こと「奥湯元あじさいホテル」へ行くことになった孝之介であったが、乗り込んだ仲蔵の車に往年の大物歌手・真野みすずが乗っていたことに驚かされる。そこには定年間近の渡辺莞爾が幹事を務める慰安旅行の警視庁青山警察署の一行と自首する若手組員の壮行会を行う任侠大曽根一家の一行が向かっていた。
 ホテルに着いて初めて事実を知る渡辺をはじめとする警察署の一行。身内の団体だと勘違いしていたホテル側も大いに驚くが、木戸組の若頭でホテルの番頭・副支配人も務める黒田と、大手ホテルから引き抜かれた熱血ホテルマンの花沢支配人は、万全のサービスで乗り切ろうと決める。しかし、街宣バスでやってきた大曽根一家の一行に、泥酔していたマルボウの鬼松こと松倉警部補は過剰に反応する。
 服役しているヒットマンの妻・田村清子を愛人にしている孝之介は、旅にはいつも彼女を同行していたが、母の看護のため同行できない彼女の代わりに自分の身の回りの世話をさせるべく、彼女の6歳の娘・美加を連れて行く。
 ホテルには元アイドルの柏木ナナと元敏腕マネージャーの林章太郎が宿泊していた。ナナは将来を期待されていたにもかかわらず、野望を抱いた林が事務所から独立したことで芸能界から干されてしまい、今は惨めな地方周りの生活を送っていた。自分の人生を台無しにした小林を殺す決意を抱きつつ向かった大浴場で出会った真野みすずに、嫌々歌っていることを見透かされるナナ。みすずは「いい歌い手になると思ったんだけど」と言い残しナナの前から去って行った。
 料理長を務めていた大手ホテルから飛ばされてきた若手看板シェフ・服部正彦が、ただ一人尊敬する料理人である板長の梶平太郎から希少な包丁「千代鶴」を使わせてもらって自分の未熟さを思い知らされた直後、厨房にナナが現れる。思い詰めた表情で包丁を貸してほしいと言うナナに、あっさりと「千代鶴」を渡す梶に驚く服部。
 厨房に包丁を借りに行くナナを見かけて機転を利かせた番頭の黒田は、林を別の部屋に移し、林を殺しにやって来たナナを説得しようとするが、ナナの打ち明け話に同情し、包丁の代わりに拳銃を渡すのであった。
 花沢支配人は、自分の元でフロントマンとして修行中の不良息子の繁の成長ぶりに少し感動していたが、自分たちが警察署の団体を受け入れたことに全く動じるどころか、ゆっくりくつろいでもらうよう指示する
オーナーの仲蔵にさらに感動するのであった。
 このホテルには大学教授を名乗る怪しい旅人が宿泊していたが、彼こそは世間を騒がせている集金強盗こと香川新介であった。このホテルに犯罪者が宿泊することは珍しいことではなく、支配人の花沢、番頭の黒田、黒田と駆け落ちした孝之介の母で女将の千恵子が、それぞれの人生経験を生かしてカウンセリングを行うのもこのホテルの売りであったのだが、花沢は彼は自分の担当であると心に決める。最初は花沢を信用できなかった香川も、花沢の誠実さに彼を信頼するようになる。
 襖1枚を隔てて全く人種の異なる2つの宴会が同時に始まるが、予想通り両団体は大乱闘を始める。そしてそれを止めたのは林を探して会場に乗り込んできたナナの銃声であった。宴会場は凍り付くが、この緊急事態を見事に収める仲蔵。ヤクザと警官たちは車座になって飲み始めるのであった。
 離れの茶室で語り合う仲蔵、渡辺、みすずに同席する孝之介。仲蔵とみすずは両想いであったにもかかわらず、それぞれの道で成功するために別々の道を歩んでいたことを知る孝之介。相良の支援もあって、仲蔵は立派な親分になり、みすずは愛人となって歌手して成功をおさめていたのだった。
 バーラウンジで午前2時30分から始まったみすずのナイトショーは奇蹟の歌声で大いに盛り上がる。そしてみすずにラストソングの続きを託されたナナは「惚れた男のために唄うのよ」というみすずのアドバイス通りに歌い、美しい歌声を取り戻せたことに感動の涙を流す。そして憎んでいたはずの林を愛していたことを再確認する。仲蔵を残して去っていくみすずの姿に、みるみる縮こまる仲蔵を孝之介は励ますのであった。
 そんな時、美加は自分は邪魔者ではないかと思い込み「千代鶴」で自殺を図ろうとしていた。やっとのことで美加を見つけて必死で止めようとする孝之介だったが、奇跡的に包丁が折れて美加は助かる。
 翌朝、自首する桜会の若者を松倉が励ました後、同様に渡辺が逮捕したという扱いで自首することになった香川が現れる。そして香川は、
玄関の両側に勢揃いした仲蔵はじめ桜の大門を染め抜いた半纏を着た組員によって見送られる。
 孝之介はパパと呼ばせてほしいという美加に、お父さんと呼べと言い、芸術の才能を磨くように励ますのであった。

 

『悪人』(吉田修一/朝日新聞社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2008年版(2007年作品)17位作品。筆者の作品は「このミス」2015年版11位の『怒り』しか読んだことがなく、それも正直あまり印象にも残っていないのだが、本作は毎日出版文化賞と大佛次郎賞をダブル受賞し、2008年本屋大賞4位を獲得、さらに2010年には妻夫木聡と深津絵里の主演で映画化され好評を博したとのことで期待して読み始めた。
 読み始めると、ミステリというよりはサスペンスで、長崎と佐賀を結ぶ三瀬峠で福岡市内に住む保険外交員の石橋佳乃の絞殺体が発見され、長崎市郊外に住む若い土木作業員が逮捕されたというように、冒頭で犯人がだいたい明らかになっているのだが、この冒頭部分ではなぜか犯人の名前は出さず、もしかしたら真犯人が別にいるのかもと思わせておいて、やはり犯人はその土木作業員だったという、なんとなく中途半端な展開はちょっと気になった。あらすじは以下の通り。

 理容店を営む石橋佳男の一人娘の佳乃は福岡市内で短大卒業後に保険の外交員を始めてから実家に寄りつかなくなっていた。妻の里子が最近客の髪を刈らなくなったことにも佳男はいらついていた。
 同僚の沙里と眞子と食事に出かけた佳乃は、湯布院で旅館を経営している家の御曹司である大学生の増尾と交際しているように2人にこれまで嘘をついており、今夜も彼に会うことを装いながらも、実際に会う約束をしていたのは、お金を返してもらうためだけに会うことになっている、出会い系で知り合った男たちの中の1人、土木作業員の清水祐一であった。
 しかし、祐一との待ち合わせ場所で偶然増尾に出会った佳乃は、すっかり浮かれて祐一を放置し、増尾の車に乗り込んでしまう。増尾は図々しく車に乗り込んだだけでなく、べたべたと話しかけてくる佳乃にうんざりし、三瀬峠で彼女を無理矢理下ろし立ち去ってしまう。車で追いかけてきた祐一は彼女を送ろうとするが、惨めな姿を見られた佳乃は激怒し、祐一を暴行犯として訴えると叫び出す。本当に訴えられたら自分の言い分など誰も信じてくれないと考えた祐一は、恐ろしくなって彼女を絞め殺してしまう。これが物語終盤で明らかになる事件の真相であった。
 沙里と眞子は佳乃が増尾と会うと思い込んでおり、増尾自身が数日前から行方不明だったこともあって、警察は増尾の行方を追うことになる。
 眞子は、佳乃と祐一との関係を知ってはいたが、出会い系で男を求めるような女の友達と思われるのが嫌で警察にその存在を隠したため、捜査の方向を狂わせることになったのである。
 その後、祐一は携帯電話の履歴によって一度は捜査線上に上がったものの、事件当日祐一の車が自宅にあったという近所の老婆の証言があったのと、警察も世間も増尾が犯人であると思い込んでいたため、それ以上の捜査の手が及ぶことはなかった。
 母子家庭だった祐一は、幼い頃に母に捨てられ、母方の祖父母に育てられた。病がちな祖父の勝治の面倒を見るのに苦労していた祖母の房枝は、健康食品の説明会に行くことを数少ない楽しみにしていたが、漢方薬の高額契約を強要されてしまう。
 紳士服量販店に勤めていた馬込光代は、来年30歳になることで焦っており、以前出会い系で話したことのあった祐一にメールをし、佐賀駅で会うことになる。
 すっかり意気投合した2人であったが、2回目に会って分かれた直後に、祐一は増尾が名古屋で身柄を拘束されたというニュースを聞く。さらに祖母から自宅に警察が来ていると聞いた祐一は慌てて光代の元へ引き返す。光代は殺人を犯し自首したいという彼に、一緒に逃げようと持ちかける。
 ずっと逃げ回っていたが、とうとう警察に追い詰められた2人。潜伏場所に踏み込まれる直前に、祐一は光代の首を絞めようとする。
 結局、祐一は逮捕され、光代は脅されて無理矢理連れ回された被害者として、元の生活に戻る。光代はインタビューに「あの人は悪人やったんですよね?その悪人を、私が勝手に好きになってしもうただけなんです。ねぇ?そうなんですよね?」と答えて物語の幕が閉じる。

 結局、筆者が何を訴えようとしているのかよく分からない。善人も悪人も紙一重ということか。祐一は根は善人なのだが、交際相手は出会い系でしか探せないという設定。それは悪と断じるべきものではないのかもしれないが、好ましいものでないことは確か。しかし、理由はどうであれ殺人は悪だ。そんな彼は同情すべき人物として描かれ続ける。果たして彼は美化されるような人物か。最後に、自分を捨てた母親から最近お金をせびっていたという事実が判明。自分を捨てた母の罪の意識を薄めてあげようという心遣いによる行為なのか。もしそうなら、まるで意味不明な発想だ。この行為は祐一のそれまでの描かれ方からすると、ものすごく違和感がある。このエピソードは蛇足ではないか。
 最後に彼が光代の首を警察の前で絞めたのは、光代を共犯にしないための演技で、明らかに彼の善の部分を描こうとしているのだろうが、光代は本当に理解しているのだろうか。彼は悪人だったんですよね?と彼女が連呼するラストシーンを読むと彼女は彼の真意が分かっているのかどうか不安になる。分かっていて言っているように見える一方で、何の迷いもなく彼の裁判にも関わろうとせず日常に戻る彼女は一体何なのか。そもそも「一緒に逃げよう」と祐一に言い出した彼女は愚かすぎる。他にもたくさん登場する出会い系利用者の1人というだけで十分に残念な人物なのだが。そして、その話に乗ってしまう祐一も祐一。
 佳乃については良い面も描かれているが、多くの読者にとっては基本的に受け付けないタイプだろう。殺人は間違いなく悪だが、自業自得とののしられてもやむを得ない人物だ。増尾のところへスパナを持って乗り込んでいく佳乃の父にも全く共感はできない。
 悪徳商法に騙された房枝が、意を決して事務所に乗り込んでいくシーンがあるが、チンピラの前で啖呵を切ったのはいいが全く相手にされず帰ってきただけ。空回りもいいところ。なぜ警察に相談しないのか。なんのカタルシスも得られない。いくら根が善人であろうとも、そんな業者に簡単に騙される時点で共感も同情もできない。
 とにかく、登場人物がことごとく愚かすぎる。人間は根本的に愚かな存在であると言いたいのか。確かに根がどんなに善人であろうが、不器用で誰かに迷惑ばかりかける人間は悪だ。聡明な善人は存在しないのか。善人がことごとくお人好しで無知で愚か者に描かれるのは不愉快極まりない。現代社会では、そんな善人は幸せに生きられないということを筆者は伝えたいのか。
 増尾は本作では悪人の1人なのだろうが、彼には意外と怒りを感じない。峠に女性を置き去りにしたり、被害者の父親に暴力を振るったり笑いのネタにしたりするのは、許されるべきことではないが、佳乃に腹を立てる気持ちは理解できるし、武器を持って目の前に現れた不審人物に対抗しようとするのもやむを得ない気はする。それ以外の場面では、それほど彼は極悪非道な振る舞いをしていない。彼のひねくれた性格や、時に見せるむしゃくしゃした様子は、御曹司というだけで彼の周りに人が集まってくることに嫌気がさしていたことによるものではないか。彼が登場人物の中で一番普通な気がする。
 また、本書では、話のあちこちに後日のインタビュー記事的な文章が挟まれ、ルポタージュ風になっている。光代について語る、光代の妹の珠代のインタビューが出てきたりすると、ラストシーンで祐一が光代と心中でもするのかと思わせられたが、そんな展開はなし。これも筆者の策略か。色々な可能性を想像させつつ、結局無難なところに着地するこの話の展開は前述したとおり、どうにも気持ち悪い。
 結局、本書の中での本当の悪人は悪徳商法の連中や被害者の自宅に嫌がらせのFAXを送りつける連中くらいだが、不器用さも含め、ほとんどの登場人物に悪の要素があり、そのせいもあってか、善人だろうがなんだろうが共感できる登場人物が1人もいない。最大の元凶は佳乃ということで間違いなしだが。
 現代社会の男女交際事情をある程度リアルに描き、いつの世も善人は生きづらいものだという筆者のメッセージは分からないではないのだが、結論としては本作は期待外れ。「このミス」17位という順位は妥当なところ。文学賞をダブル受賞したのは全く理解できない。

 

『カムナビ(上)』(梅原克文/角川書店)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2000年版(1999年作品)17位作品。 角川ホラー文庫化から文庫化されたものの現在は絶版となっている模様。ハードカバー版が図書館にあることは以前から知っていたが、結構な厚さの上下巻で過去の作品ということもあり長い間敬遠していた。いざ読み始めるとホラーというよりは歴史SFものだった。

 主人公は、東亜文化大学で比較文化史学の講師をしている葦原志津夫。彼は10年前に謎の失踪を遂げた考古学者の父・正一の行方を捜し続けていた。
 ある日、茨城県内の縄文時代の石上遺跡の発掘現場の近くで、1200度以上という考えられない高熱で焼かれた焼死体が発見される。被害者は、その日、志津夫が会う約束をしていた新治大学の竜野助教授であった。志津夫は、竜野から父の行方を知っていると聞き、「前代未聞の土偶」も見せてくれるというのでやって来たのだが、竜野の部下である講師の小山麻美は何も知らないという。
 志津夫は大学の事務員を騙し、竜野の研究室に入ることに成功する。そこで純度の高いコバルトブルーに輝く青い土偶と、父・正一の現在の姿と思われる写真を発見する。それは時代的にありえない高熱でガラスコーティングがされたことを証明する、まさに「前代未聞の土偶」であった。

 志津夫は、写真裏のメモから、竜野が年代測定を依頼したのがクロノサイエンス社であることを知り、そこを訪れる。運良く大学の同期であった大林がそこに勤めており、彼から聞き出した測定結果が3000年前であると知って志津夫は驚愕する。その時代、つまり縄文時代後期から末期にかけてはもちろん、その後の弥生時代にすら、きれいなブルーガラスを製造する1200度以上の高熱を発生させる技術はなかったはずだったのだ。
 再び事件現場に戻った志津夫は、坂田充という地方気象台の調査官と、安土真希と名乗る美貌のフリー記者に出会う。坂田は、事件のあった深夜に気温が13度から39度にまで跳ね上がる異常をアメダスが検出したため、現場に駆けつけて焼死体を発見したという。そして志津夫は、刑事から竜野教授と一緒にいた正一らしい人物の目撃情報があったことを告げられる。

 真希は過去にも高熱が発生した実例を挙げ、大昔から神域とされてきたカムナビヤマ=神の火の山と関連性があるのではないかと志津夫に訴えかける。麻美が土偶を隠し持っていると考えた2人は、文化財法保護法違反を盾に彼女を脅すが、彼女は頑として土偶の存在を認めようとしない。そして、その日の深夜、山中に土偶を埋めようとしていた麻美を問い詰めると、彼女は観念し真相を語り出した。
 ある夜、竜野たちが調査している石上遺跡の発掘現場の近くで、正一が土偶を掘り出しているところを麻美は偶然目撃したという。正一は胴体部分のみを持って逃亡し、麻美は土偶の首の部分が残されているのを発見する。報告を受けた竜野はその土偶の首を独り占めしようとするが、後日竜野の元に正一が現れる。竜野は正一の教え子であった。

 正一は、人間が触れるべき領域ではないと告げ、土偶の首を渡すように要求するが竜野は納得しない。説得を諦めた正一は、「どれだけ危険なものかわからせてやろう」「見せてやろう、カムナビを」と竜野に告げ、深夜に石上遺跡で待ち合わせする。
 待ち合わせ場所に潜み、そこで麻美が見たものは、くねくねと動く高熱を発する光の柱であった。驚愕する竜野をよそに、正一は竜野を光の中に突き飛ばそうとしていた。しかし、躊躇している正一より先にパワハラで竜野を憎んでいた麻美が竜野を突き飛ばし、竜野は光の中で焼死する。「復讐した証が欲しい」と訴える麻美に、いつか取り戻しに行くまで預けると告げて正一は姿を消す。

 真相を話し終えた麻美は、熱の発生原因を立証できない限り私を逮捕することは誰もできないと言い、土偶を置いて去って行った。土偶に直接触ると危険であるという警告を残して。やっと土偶を手に入れた志津夫であったが、相手を窒息させるという特殊能力を持つ真希によって奪われてしまう。
 麻美の
右手の甲には奇妙なウロコ状のものができており、それは大林の手の甲にもあったものだったが、そのウロコが志津夫の右手の甲と左胸に広がっていたことに気付き彼は恐怖する。
 真希が残した甲府市の比川遺跡についてのニュースを録画したビデオテープをヒントに、甲府市内の神社に電話をかけまくる志津夫。するとニュース映像に正一と共に映っていた
神主らしき人物が、志津夫を正一と勘違いして対応する。志津夫は、正一の振りをしたまま、翌日その伯川神社の神主と会う約束を取り付ける。
 しかし、志津夫が到着したとき、その神主・白川伸雄は撲殺されていた。失望する志津夫の前に現れた地元の湘北大学の民俗学科の学生・稲川祐美と行動を共にするうちに、彼らは江口泰男という不審な人物に出会う。江口こそ幻の古文書と呼ばれる「旧辞」を伸雄から奪うため、彼を殺した犯人だと突き止めた志津夫であったが、江口は強盗に襲われ「旧辞」を奪われる。強盗の正体は祐美とその父で、白川家一族の彼らは、自分たちの手にそれを取り戻しに来たのだった。祐美の超能力で吹き飛ばされた志津夫は彼女たちを取り逃がしてしまう。
 東京の自宅に帰った志津夫は、大林からウロコ状の手が治ったという連絡を受けるが、彼の方は悪化する一方であった。そして祐美からの留守番電話で、正一が母の墓参りに行くという情報を得て長野の日見加村に向かう。
 あと一歩のところで正一を見失った志津夫は、母のいとこにあたる登美彦神社の宮司である名椎善男の元を訪れる。そして、善男が正一と連絡を取り合っていること、今夜山奥で秘祭を執り行うことを知った志津夫は秘祭の現場に潜入する。
 そこで生まれたばかりの赤ん坊を青い土偶に触れさせるという儀式を見た志津夫は、自分も同じ儀式を受け、夢の中でその情景にいつもうなされていることを思い出す。そこに現れた真希の本名が、名椎真希であることが明らかになり、彼女は赤ん坊の内に土偶に感染させてカムナビの後継者を育てることが秘祭の本来の目的であるにもかかわらず、日見加村では逆に後継者を育てないためにこの儀式を続けているのだと謎の説明をする。本来はカムナビの後継者とするためにアラハバキ神を体内に宿らせるのだといい、ウロコに覆われた全身を志津夫に見せつける。
 アラハバキ神の正体を地球外生命体だという彼女は、またしても不思議な力で志津夫を窒息させ、善男と正一の電話を録音したテープを志津夫から奪い取って姿を消す。惨めな思いで儀式の行われていた洞窟に戻って青い土偶を前にした志津夫の耳に、何者かから「我に触れよ」という波動が聞こえてくる。
 真希のような姿になることを恐れる以上に、彼女を超える力を欲していた彼は土偶をつかむ。全身に異変を感じた彼は悲鳴を上げるが、土偶は彼の手から離れようとしなかった。

 歴史的なうんちくもそれなりに興味深いし、読ませる力もそこそこあると思うのだが、なんとなく話が古くさい。1999年の作品だから多少は仕方はないのだが、デジカメや携帯電話が登場していても感覚的には1980年代の匂いのするストーリー。
 ところどころ説明不足な部分も気になる。「今主人公はどこに向かってるの?」とか、「借りた車はいつ返したの?」とか、「正一は結局どうやって土偶の埋められた場所を知ったの? 」とかいった気になる部分がいくつかあった。
 第三話で「付近には七台の車が停めてあった。カローラ、サニー、ミラージュといった大衆車が多い。他にパジェロやテラノなどの4WD車もある。」という表記があるが、カローラ以外見事に全て現在は絶版車。他にも、スターレットやファミリアなどが登場しているが、これらも同様。
当時これらの車が10数年後になくなっていると誰が予想したであろうか。物語には全く関係のない話だが隔世の感がある。
 今まで「このミス」では読んだことのない系統なのでとりあえず投げ出さずに読めてはいるが、結論は下巻次第。これだけ長い作品を読ませてガッカリはさせないでほしいもの。

 

『カムナビ(下)』(梅原克文/角川書店)【ネタバレ注意】★★

 上巻の続きだが、無駄に長すぎる。あらすじとしてまとめるとごくわずか。

 土偶に触れることで、人の動きを一瞬止める力と無意識にカムナビを呼び出す力を得た志津夫であったが、同時にヒートシリンダーとも呼ぶべき異常気象を各地に引き起こしていた。
 志津夫はウロコに覆われる自分や父の体を元に戻す手がかりをつかむため、自分の青春時代を台無しにした日見加村をカムナビで焼き尽くすことが目的の真希と組んで、草薙剣が収蔵されている名古屋の熱田神社へ向かう。
 せっかく再会しながらも何も教えてくれない父とは物別れに終わり、カムナビを無意識に拝殿に落とすことで白川幸介・祐美親子の追跡をかわし、2人はついに草薙剣を手に入れる。
 彼らは次に同じようにヒートシリンダー現象を起こしていた奈良県桜井市の三輪山を目指す。その斜面で見つけた社殿の下に、何かを封じているらしき心の御柱を見つける2人。2人に追いついた正一と幸介・祐美親子は2人を止めようとし、志津夫の気を失わせることには成功したものの真希に倒されてしまう。
 そして真希は御柱を抜き、大蛇男ナガスネヒコが復活。ナガスネヒコを従えようとした真希であったが彼女の術は全く効果がなく、逆に弾き飛ばされてしまう。ナガスネヒコは山頂に登り、自分の国が異民族に支配されたと思い込み、無差別にカムナビを落として桜井市を地獄に変える。
 カムナビとは、オルバースのパラドックスを解決するもので、全宇宙に存在する星々の熱と光エネルギーを、太陽系を包むガス状の生命体「アラハバキ神」が地球上に照射するシステムであった。
 正一は自分がおとりになってナガスネヒコを引きつけ、志津夫は草薙剣でナガスネヒコの頭部を貫くことに成功する。パニックに陥ったナガスネヒコは自らにカムナビを落下させ、正一と共に焼け死んだ。
 意識を取り戻し、洞窟に潜んでいた真希は、ナガスネヒコの最期を見届けてからその奥に踏み込んでいく。そこが、訪問者を永久にさまよわせる仕掛けになっているとも知らずに。
 事件の翌日、三輪山を訪れた神職者たちは、抜かれた心の御柱を見つけ慌てて元に戻す。磐座の裏に洞窟があったことを初めて知った彼らであったが、のぞき込むとそこは塞がっていた。神職者たちの中の1人であった出仕は、大雨の後に洞窟の中だけ乾いていることを疑問に思う。そして立ち去るときに、誰かの悲鳴を聞いたような妙な気分を味わうのであった。 

 下巻を読み始める頃には、すっかり筆者のペースに慣れ、集中して読むことができるようになっていたが、上巻と比べるととにかく展開が遅く無駄に長い。真相を聞き出そうとする志津夫と拒否する正一。志津夫を挟んでにらみ合う真希と祐美。ひたすらその繰り返し。
 さらにイラつくのは、学者とは思えない志津夫の頭の悪さ。ウロコに覆われた体を元に戻すため(それも半分は自業自得なのだが)というだけの理由で、後先考えずに無茶なことを続けるのだ。意味もなく草薙剣を盗み出したり、明らかに抜いては駄目そうな心の御柱を抜こうとしたり。それらの行為が、問題解決につながるとなぜ考えるのだろうか。何もかも真希の思うつぼ。
 直接の引き金を引いたのは真希だとは言え、結局大惨事を引き起こしてしまう。本人は最後にやっと反省するが、時すでに遅し。家と土地を処分して被災者支援にあてると言っているが焼け石に水だろう。
 主人公の行動原理としては、甦らせてはいけないものを甦らせようとしている悪の組織の企みを阻止するために全国を駆け回るという展開の方が、よほど読者は納得できるだろう。本作の主人公の行き当たりばったりの行動は明らかに滅茶苦茶である。結局最後までカムナビをまともに使いこなすこともなく、父親を犠牲にしてボスキャラを倒したこと以外、主人公らしいことを何もしていない。
 真希に聞かせたくないからと言って、いつまでも真相を語らない正一にも大いに問題があるのだが。
 エピローグも無駄に長い。ラストの神職者たちのシーンはどういう意味なのかよく分からない。洞窟内部が濡れていなかったことで、雨がやんだ後に磐座が倒れたのかと出仕は考えているが、元々倒れていたのではなかったか。真希が入った後、閉じたというシーンがあったのなら、彼女が雨の後に出て行ったというニュアンスを出せるが、出仕が立ち去るときに妙な気分を味わったというのは、彼らが心の御柱を元に戻したせいで真希が永久に洞窟に閉じ込められたことを象徴しているのでは?
 あと、全体的に気になったのは同じ説明・表現の繰り返し。「映画『ロッキー』で老トレーナー役を演じた、俳優の故パージェス・メレディスに…」って何回繰り返せば気が済むのか。他にも「火葬スラグと呼ばれるもの…」とか。しつこいくらい繰り返され本当にくどい。
 三種の神器の残り2つにも先住民族の怨念がこもっていて、カムナビの火種は残っているといったことが記されていたが、草薙剣には「チ」がこめられているとは記されていたものの、そのような邪悪なものが込められているような表現は全くなかった。むしろ結果的には邪悪な者を倒すために使われたのであって、整合性に欠ける気がする。
 このように突っ込みどころは満載なのだが、歴史とSFの両方が好きな読者は結構楽しめるのではなかろうか。ただし普通のミステリ好きには勧めない。

2018年月読了作品の感想

『家族狩り』(天童荒太/新潮社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」1997年版(1996年作品)8位作品。
 初の直木賞候補となった「このミス」2000年版(1999年作品)1位作品『永遠の仔』(2000年の作品『ありふれた愛』でも候補に)と、ついに直木賞を受賞した『悼む人』(2009年作品)の2作品しか天童作品は読んでいなかったのだが、どちらも当時の私の評価は★★★。そのどちらよりも古い作品ながら「このミス」でベスト10入りしていて山本周五郎賞も受賞している本作を読まないわけにはいかないと思い、久しぶりに読み始めた。

 第1章
 高校で美術を教えている巣藤浚介は、2年間交際している国語教師の清岡美歩が鬱陶しくなりかけていたが、彼女から妊娠したことを告げられ恐れを感じる。
 その直後に、彼のアパートの部屋と隣り合う家庭内暴力の少年を抱える麻生家から異様な悲鳴を聞くが、その後は何も聞こえなくなる。
 巣藤は美術室で芳沢亜衣が描いていた絵を褒めるが、彼女は絵を投げ捨てて逃げ出してしまう。その後、彼女は売春容疑で補導され、彼女が巣藤に暴行されたと主張したせいで児童相談センターの氷崎游子に責められた巣藤は訳が分からないまま怒りを覚える。
 かつて敏腕刑事だった馬見原光毅は、精神科に入院中だった妻・佐和子の退院を理由に、交際していた冬島綾女に一方的に別れを告げる。息子の研司も馬見原を「お父さん」と呼んで慕っていたが、彼の気持ちは変わらない。綾女は、幼い息子の頭の骨を折って刑務所送りとなった夫の油井の出所を恐れていたため、馬見原は彼が彼女に近づかないよう手を回すことは忘れなかった。
 佐和子を入院に追い込んだのは馬見原自身であった。彼は、長男をロボットのように厳しく育て、その反動で、ある日羽目を外した長男は交通事故死。その責任を佐和子になすりつけて彼女の心を壊してしまったのだった。それを許せなかった娘の真弓は覚醒剤に手を出して逮捕され、馬見原の出世はなくなり、捜査対象に情報を流して金を受け取るような悪徳警官に落ちぶれていた。そして、真弓を殴った馬見原の頬を打ったのが、児童相談センターに入所したばかりの氷崎游子であった。
 ある日、麻生家から漂ってくる腐臭に耐えられなくなった巣藤は、麻生家を訪問して、家庭内暴力を振るっていた少年・麻生達也によって皆殺しにされた家族の腐乱死体を発見する。通報で駆けつけた馬見原は、2階で自殺している少年の遺体も発見し、隣家の異常を察知していながら警察に連絡しなかった巣藤を厳しく責める。

 第2章
 銀行に勤める亜衣の父の孝郎は、以前から妻の希久子と喧嘩ばかりして亜衣を苦しめていた。古い慣習にとらわれた亜衣の祖母と希久子との陰湿な争いが元であったが、祖母の死後、夫婦喧嘩はなくなったものの、家の中には重い虚ろさが横たわり、両親の愛情を感じられなかった亜衣はどんどん壊れていった。
 麻生家の事件を無理心中で片付けようとする警察の中で、違和感を感じて捜査を続ける馬見原は、麻生家の写真を持って児童相談センターの游子を訪ね、そこで暴れる駒田という男を逮捕する。娘の玲子に虐待を続けていた駒田から玲子を引き離し保護した游子が彼に襲われそうになっていたからだが、馬見原は、游子が馬見原の姿を見つけ、わざとそう仕向けたことに気づいていた。游子は馬見原に娘の真弓と話し合うことを主張するが、馬見原は受け流すだけであった。
 巣藤は、自分を貶めるような嘘をついた亜衣を教室で問い詰めるが、逆上した亜衣と言い争いになった挙げ句、彼女にキスしてしまう。亜衣は教室を飛び出していき、彼は自分の行為に足が震える。
 馬見原は部下の椎村と共に、悩み電話相談を行っている大野加葉子の元を訪れる。麻生家にこの相談所の電話番号が残されていたためだ。そこへ、麻生家を皆殺しにしたという人物から電話がかかってくる。自分の家族を殺すための予行練習だとわめいて一方的に切れた電話機を呆然と見つめる馬見原であった。
 恐ろしい事件に遭遇して引っ越すことを決めた巣藤は、不動産屋から紹介された廃屋同然の住宅を見に行き、そこで出会った白蟻駆除の業者の男から早急に手を打つことが必要だと言われて名刺を受け取る。男が去った後、巣藤は父親を乗せた車椅子を押す游子に出会う。近くの彼女の自宅を訪れた巣藤は、そこに生けられた花が、彼女が過去に担当した馬見原の娘から送られてきたものであることを教えられる。
 亜衣の自宅を訪問し、むげに追い返された巣藤は、登校拒否を続けている生徒・実森勇治の自宅を訪れる。そこで刺激臭を感じた巣藤が勇治の母に尋ねると、白蟻駆除の薬剤を知り合いに撒いてもらったという。その5日後、その実森家で、勇治の両親が焼かれ勇治が灯油を飲んで自殺するという事件が発生する。

 第3章
 麻生家と実森家の少年による一家心中事件が続いて起こったことで、巣藤の勤務する高校に押し寄せるマスコミ。過食と嘔吐を繰り返し症状が悪化していた亜衣は、マスコミの取材に「クソ見てぇな家族は死んで当然だよ」などと暴言を吐き続ける。それを止めた巣藤であったが、「学校側にだって当然問題はあった」とコメントして問題を大きくし、美歩に見限られた上、高校からは自宅待機を命じられる。
 引っ越しを済ませた巣藤は、以前出会った白蟻駆除業者の大野が、引っ越し先で試しに薬剤散布を行っているところに出会う。そこで車にひかれ瀕死の猫を、一気に首をひねって眠らせた大野の手際に感動する巣藤。そして、巣藤は麻生家と実森家の両方で灯油系の白蟻駆除の薬剤の匂いを嗅いだことを思い出し馬見原に連絡する。
 馬見原は貸しのある東京地検刑事部の藤崎に無理を言って、麻生家と実森家の床下を調査する許可を得る。実際に同じ業者と思われる人物によって駆除作業が行われていたことが確認されるが、その業者はつかめない。
 家庭訪問に来た教師たちに暴言を吐き自宅を飛び出した亜衣は、公園の公衆電話から悩み電話相談に電話をかけ、電話に出た加葉子に「家族3人死んでただろう」「あれで練習も終わりだよ。もう飽きた。今度は、うちの親をやることに決めた」と告げる。そして、巣藤が大野に電話したところ、加葉子が電話に出たことで、加葉子と白蟻業者の大野が夫婦であり一緒に暮らしていることが読者に明らかになる。その事実を、巣藤と馬見原が改めて確認する。
 大野の仕掛けた罠によって、駒田の所に呼び出された游子は駒田に刺されて重傷を負い、駒田は行方不明になる。駒田は、大野によって、以前処分した猫同様にハンマーで遺体を潰され焼却炉で焼かれていた。

 第4章
 馬見原は大野の元を訪れ薬剤の提出を申し出るが断られる。馬見原は大野がかつて教育相談所の相談課長であったこと、家庭内暴力を振るうようになった息子を殺害して服役し、一度離婚した妻の加葉子と再婚したことをつかんでいた。
 亜衣は自分を人形だと自分に言い聞かせることで落ち着きを取り戻し高校に復帰していたが、教師とクラスメイトから容赦のない責めによって倒れてしまう。部屋に閉じこもった亜衣は、無理矢理部屋に入ろうとした孝郎にカッターで切りつけ希久子に衝撃を与える。希久子に相談を持ちかけられた加葉子は亜衣の部屋を訪れるが、缶ジュースをぶつけられ拒絶される。「きっと救ってあげるからね…」という言葉を残して立ち去る加葉子。
 その頃、大野は馬見原家を訪れ、佐和子に自分が持ち込んだ白蟻を見せて駆除の依頼を取り付ける。
 高校を辞めさせられた巣藤は清掃会社で働き始めるが、そこは綾女の勤め先であった。綾女は研司が怪我をしたという知らせで早退し、彼女が馬見原にも連絡したため、馬見原は佐和子との約束を破って研司の元へ向かう。馬見原に裏切られた佐和子は隣家の犬を殺す。連続して発生していた動物殺害事件は馬見原の気を引こうとしていた佐和子の犯行だったのだった。また、研司の怪我が油井によるものと判断した馬見原は、油井の元を訪れ彼を半殺しにする。
 亜衣は「今から親を殺して死ぬ」という電話を巣藤にかけるが、その直後、芳沢家に連続一家殺害犯の大野夫婦が押し入って、亜衣は拘束される。過去の事件同様、亜衣の目の前で、彼女の両親に拷問を行う大野夫婦。
 芳沢家に向かっていた馬見原は油井に刺され倒れ、逃走した油井は暴走族と事故を起こして即死する。巣藤と游子と共に芳沢家にたどり着いた椎村は大野に刺され、大野夫婦は亜衣を人質にして車で逃走し、警察に追い詰められた彼らは車ごと海に飛び込むが、亜衣は奇跡的に沈む車内から脱出に成功する。

 エピローグ
 馬見原も椎村も命に別状はなかったが、大野夫婦の遺体は発見されなかった。馬見原は回復した佐和子に助けられてリハビリに励んでいる。巣藤が游子と共に自宅に帰ると亜衣が絵を描いており、巣藤に「結婚すんの」と聞く。
 小学3年生の男の子が悩み相談ダイアルに電話をかけてくる。友人の妹の2歳の赤ん坊を殺してしまい、その友人を自殺に見せかけて殺して罪をなすりつけようという内容を伝えて電話は切られる。

 登場人物がとにかく酷すぎる。主要登場人物にまともな人間が1人もいない。
 まずはツートップの主人公である馬見原と巣藤。家族を顧みないどころか完全に破壊して、それでもなお反省が足りない馬見原は最低。恋人の美歩を妊娠させても家族を作ることから逃げようとし、勤務先の学校の対応に対する不満をマスコミにペラペラしゃべる巣藤もろくな人間ではない。物語の進展と共に、まともな面も見せ始める2人だが、最初の印象が悪すぎて全く感情移入できない。
 美歩も、女性としても教師としても問題のある人間として描かれているし、一応本作のヒロインと言える游子にも全く魅力を感じない。巣藤といつの間にか恋人関係のようになるのも不自然。
 どんな理由があろうとも、家庭内暴力などの限度を超えたトラブルを引き起こす亜衣たち若者にも同意できない。さらに、ラストシーンで突然改心している亜衣は不自然極まりない。突然の改心と言えばラストシーンの真弓も同様。馬見原が娘の真弓と孫のために貯金していたことを彼女が知ったことを匂わせているのだろうが、それだけであそこまで態度を変えるだろうか。
 子供に無関心な亜衣の父・孝郎をはじめとする駄目親にも反吐が出るし、子供を虐待する油井や駒田などの鬼畜は論外であるし、駒田をかばう新興宗教の教祖のような加葉子にもドン引き。加葉子に至っては、夫の大野と共に異常犯罪者ということで、ドン引きどころではないのだが。
 現在起こっている様々な社会問題に絡む極端な実例として登場人物たちを設定しているのは理解できるのだが、いずれも極端すぎて読むに堪えず、なかなか読み進めることができなかった。
 非常に良く作り込まれた物語だとは思うが、あまりに異常な登場人物たちに辟易したことと、ラストの脳天気な展開の数々に興ざめしたことを差し引いて、★★評価とさせてもらう。 

2018年月読了作品の感想

『いまさら翼といわれても』(米澤穂信/角川書店)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2018年版(2017年作品)17位作品。
 米澤作品はなんと過去に14作品も読了しており自分としてはかなり多い方の部類に入る作家さんなのだが、米澤氏の代表作と言ってもよく、アニメ化までされている「古典部シリーズ」(アニメはシリーズ第1弾の「氷菓」がそのままタイトルになっている)は1つも読んでいなかった。
 理由は簡単で、これまで「このミス」の上位にランキングされたことがなかったから。シリーズの第6弾にあたる本作がギリギリランク入りしたという感じ。

「箱の中の欠席」…★
 主人公の折木奉太郎が生徒会長選挙の不正事件に挑む話。

 トリックを楽しむミステリではないと分かっていても、開票所に届いた投票用紙が1クラス分多かったという不正事件の真相が、どこかのクラスの選挙管理委員のふりをした犯人が予備の投票箱に偽の投票用紙を1クラス分入れて開票所に置いていっただけというオチではさすがにガッカリ。
 マイナーなミステリ作家の作品集とかでよくありがちな、トリックを意識するあまりに物語が全く面白くないというのよりはマシなのだが、トリックも物語ももうちょっとなんとかならなかったのだろうか。

「鏡には映らない」…★★
 中学時代に卒業制作で鏡のフレームを分担して製作した折木たち。折木は自分の班のパーツを1人で引き受けたが、鷹栖亜美がデザインした葡萄のつるの形状を全く無視したパーツを提出したことで、亜美はもちろんクラス全体から恨まれることになる。
 しかし高校2年生となった今、ふとしたきっかけで同じ古典部の伊原摩耶花はそのことに疑問を感じ、関係者達に聞き込みを始める。
 真相は、クラスのイジメっ子であった亜美がイジメの対象にしていた鳥羽麻美をさらに貶めるべく、葡萄のつるで「WE HATE ASAMI T」とデザインしてあったことに気づいた折木が、自分の担当パーツのSを取り除くことで文章を「WE HATE A AMI T」と変えて亜美に仕返しし、麻美を救ったというものであった。

 「なるほどね」と思える展開ではあるが、「AMI」の前に「A」が不自然に残ってしまうなど今ひとつ綺麗なオチではないのが惜しい。
 むしろ摩耶花が何度も連呼している「ふくちゃん」の正体が、折木の親友の福部里志だったことの方が印象的であった。シリーズをずっと読み続けている読者は全く気づかないだろうが、初めて本書を読む読者は「おっ」と思ったのでは?
 読みようによっては「ふくちゃん」が福部とは関係のない摩耶花の別の女友達のように感じられ、作者が意図的にやっているのかと思ったが単なる偶然か…。

「連峰は晴れているか」…★
 放課後に高校付近に飛んできたヘリの音に「小木が、ヘリ好きだったな」と呟く折木。かつて中学の英語の授業中に教師の小木が、授業を中断して飛んでいくヘリに見入って笑顔で「ヘリが好きなんだ」と言っていたのを思い出したのだ。
 しかし、福部から、小木は3回も雷に打たれたことがあるという話を聞いて、彼は急に何かを調べ始める。折木は、小木が登山家であったことをつかみ、その授業中の出来事は、前日に遭難した登山仲間にやっと救助ヘリが向かってくれたことを喜んだのではないかと思い至る。
 そして、その登山仲間が結局助からなかったことを知った折木は、小木を「ヘリ好き」という言葉で軽く片付けていたことを反省するのであった。

 上記のあらすじの後半は自分の想像がかなり入っている。物語がものすごく抽象的で分かりにくいのだ。ミステリかぶれしている読者の中には、マナーの悪い登山者に怒りを覚えていた小木(そういう記述が作中にある)が、そのような登山者を罠に陥れ、うまくいったことに笑みを浮かべたのでは…とか想像した人もいるのではないだろうか。
 ネットで調べると、そこまでの読みをした人はいなさそうではあったが、やはり分かりにくかったことは確かなようだ。アニメの17話で放送されたときは、まだ本書が刊行されていなかったため、視聴者は出典も分からず、なお混乱したらしい。

「わたしたちの伝説の一冊」…★
 古典部の伊原摩耶花は漫画研究会にも所属していたが、その漫画研究会は、最近になって漫画を読むだけ派と漫画を描きたい派に分かれて険悪な雰囲気になっていた。
 描きたい派の浅沼に同人誌に載せる漫画の執筆を頼まれた摩耶花はその依頼を引き受け、ネームを描き始めるが、読むだけ派の新部長の羽仁にネームノートを盗まれてしまう。
 ノートを返すという羽仁との待ち合わせ場所に怒りを押し殺して向かった摩耶花は、そこで待っていた人物が元漫画研究会の先輩部員で、読むだけ派のリーダーだった河内亜也子であったことに驚く。
 亜也子は時間稼ぎのために羽仁にノートを盗ませたことを認め、摩耶花は派閥争いを楽しんでいる浅沼に利用されているだけだから、漫画研究会を辞めて描きたいものを描くべきだと訴える。
 そして、一緒に伝説に残る1冊を作ろうという亜也子。彼女の熱意に負けた摩耶花は漫画研究会を退部したのであった。

 それこそ『バクマン。』の主人公達のように本当に摩耶花と亜也子に才能があって、この後彼女たちが努力して本当に高校で伝説を作り、ついにプロデビューを果たすというところまで物語が進むのであれば、この話はそのエピローグとして「あり」だとは思う。しかし、この話単独で終わってしまうものならばただの「痛い」話に過ぎないのではないか。
 読むだけ派と描きたい派でいがみ合うという構図も意味不明であるし、「あたしたちで伝説を作るよ。神山高校に残る伝説の一冊を…」と摩耶花を誘う亜也子は、完全に中二病全開だと思うのだが…。

「長い休日」…★★
 何となく朝から調子がいいと感じた日曜の午後、何となく荒楠神社を訪れた折木は、そこが十文字かほの自宅だと気がつく。話の流れで、彼女の家の神社のお稲荷様の祠の掃除を手伝うために訪れていたヒロインの千反田えると一緒に掃除をすることになる折木。
 そこでえるは、折木が「やらなくてもいいことなら、やらない」といつも言うようになった理由を尋ねる。折木は遠回しな話で、小学生の頃に自分が便利に使われていたことに気づいたことがきっかけだったということを伝える。
 その時、自分がやらなくてもいいことは絶対やらないと誓った折木は、それを知った姉から「あんたはこれから、長い休日に入るのね」と言われる。
 えるは同情の表情を浮かべるも、一転して、折木が言いにくいことを話してくれたことに対する喜びを折木に示す。
 その時、折木は当時姉から言われた「きっと誰かが、あんたの休日を終わらせるはずだから」という言葉を思い出すのであった。

 退屈そうな閑話休題だと思って読んでいたら、意外と深い物語であった。タイトルの「休日」には、その日の現実の「休日」と、折木が心を閉ざしていた期間の「休日」が掛けてあり、後者の「休日」を、折木の姉の予言通りにヒロインのえるが終わらせようとしていることを暗示するエピソードであったという…。
 折木の想いは十分に理解できるものであり、比較的多くの読者にとって感情移入しやすい話であると思われる。
 ただし、本書全体に言えることだが、シリーズ全体に慣れ親しんでいる読者になら楽しめても、そうでない読者には、かほやえるの立ち位置もよく分からず、印象としてはかなり弱い。

「いまさら翼と言われても」…★
 文化会館での合唱祭に出るはずのえるが行方不明になる。合唱団の世話役の段林が焦りを隠せないのとは対照的に、えると一緒に文化会館までやって来たという横手という老婦人は「もうすぐ来ると思いますけどねえ」と平然としている。
 折木は、えると一緒に来たという横手の嘘を看破し、彼女の居場所を聞き出す。横手はえるの伯母であり、えるは横手家の蔵にいるらしい。
 えるは蔵の中で1人で発声練習をしていた。折木は、最近のえるの様子から、彼女が思うように歌えなくなったのは、えるが千反田家の跡取りだと言われ続け、彼女がそれを受け入れていたのに、急に自由にしていいと言われたことで困惑しているからではないかと語りかける。
 「いまさら翼といわれても、困るんです」と、折木の言葉を肯定し沈黙するえるであった。

 えるの置かれた状況、例えばえるの家がどれだけ由緒正しい名家で、それを彼女が継ぐことに対し彼女がどれくらい悩んできたかといったことについて、これまでのシリーズでどこまで語られているのかは分からないが、少なくとも本書でこのシリーズを初めて知った読者には「置いてけぼり感」が強すぎる。
 あくまで話のメインではないと分かっていても、冒頭の角砂糖の謎のエピソードや横手の嘘を見破るミステリ要素があまりに物足りない点も不満点を増加させる。
 独特の雰囲気で語られる悩み多き高校生の男女の日常、そこに散りばめられたミステリ要素という、このシリーズの魅力は何となく伝わってくるし、シリーズの最初からずっと読んでいればかなりハマりそうな作品であることも予想はつく。
 しかし、あくまですべてのシリーズを読んでいることが前提であり、古典部シリーズ初体験という読者には勧められる作品ではないことは間違いない。よって★★とさせていただく。

 

『月の満ち欠け』(佐藤正午/岩波書店)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2018年版(2017年作品)18位作品。

 白髪交じりの小山内堅は、東京駅で待ち合わせをしていた女優の緑坂ゆいと、その娘のるりと会う。もう一人の約束をしている人物・三角哲彦は現れない。

 かつて石油元売りの企業に勤めていた小山内は、高校の2年後輩だった梢と結婚し、瑠璃という娘を授かる。その瑠璃は小学2年生の時に高熱を出してから大人びた態度を取るようになる。小学生が知らないような昔の知識をたくさん持っており、彼女がぬいぐるみにつけたアキラという名の実在の人物のところへ行ってしまうのではないかと本気で心配する梢を、梢の心の病と受け取る小山内。
 そして瑠璃は一人で勝手に遠出して高田馬場の駅で保護される。いつになったら一人で旅行していいのか聞く娘に小山内は高校を卒業したらと答え、その後は何事も起こらなかったが、高校を卒業してすぐ彼女は梢と共に交通事故死してしまう。

 梢と瑠璃の死から15年後、小山内は、自分の母親と、荒谷清美という女性と、その女性の連れ子であったみずきとの4人で暮らしていた。三角哲彦は、梢の友人・三角典子の弟で、現在は大手建設会社の本社総務部長であったが、その三角が小山内の自宅にやって来る。

 三角は、大学2年生の時、高田馬場のレンタルビデオ店でアルバイトをしていたが、ある雨の日に、正木瑠璃という人妻と運命的な出会いを果たす。瑠璃と深い関係になった三角は、かつて喫煙具専門店で働いていた瑠璃が、そこで今の夫の正木竜之介と出会ったという話や、夫の職場の先輩が「ちょっと死んでみる」という遺書を残して自殺した話を聞かされる。そして瑠璃は、月の満ち欠けのように生と死を繰り返し、何度でも哲彦の前に現れると語るが、その1週間後、彼女は地下鉄で事故死してしまう。

 小山内が緑坂らとの待ち合わせ場所に持ってきたものは、娘の小山内瑠璃が生前描いた油絵であった。そこには三角の若かりし時の姿が描かれていた。緑坂るりは、それは自分が三角の20歳の頃の姿を描いたものだと言う。彼女は、かつて小山内瑠璃であり、それ以前には、正木瑠璃という存在だったと言っているのだ。そして、高校を卒業した小山内瑠璃は三角に電話で会う約束を取り付け、梢と一緒に三角のところへ向かう途中に交通事故死したことが明らかになる。
 緑坂るりは、母親のゆいが席を外した後、自分が生まれた8年前の話を小山内に語り始める。1級建築士だった正木は、銀座の喫煙具専門店に務めていた奈良岡瑠璃を強引に口説き落として結婚する。しかし、その4年後、正木のホステスとの浮気を知った瑠璃は家を出た直後に地下鉄で事故死してしまう。
 信頼する先輩に続き、愛妻を失って投げやりになった正木は勤め先も解雇され、どん底の生活を送っていたが、小沼工務店という小さな会社に拾われる。そして、その小沼家の幼い娘の希美が、高熱を出した後に妻の瑠璃と同じ癖を見せるようになったことに正木は気がついた。彼は過去に小山内瑠璃にも会ったことがあり、正木瑠璃が小山内瑠璃に生まれ変わり、小山内瑠璃が小沼希美に生まれ変わったと確信する。しかし、希美に頼まれて三角に会いに行こうとした正木の行為が誘拐とみなされ、その途中に希美が事故死したことで、正木は誘拐殺人犯として逮捕され、その後死亡したのであった。緑坂るりは、自分が4代目の瑠璃だと小山内に告げる。

 緑川ゆいは、今は亡き娘の小山内瑠璃の親友であった。小山内は、三角に続いて彼女の突然の訪問があった日のことを思い出す。彼女は高校時代に、小山内瑠璃から前世の恋人であるという三角の話を聞かされていたことを語る。そして、娘のるりが小山内瑠璃時代に自分の描いた三角の肖像画を母親のゆいに見てほしいと言っていることを聞く。この話を聞いたからこそ、小山内は今回その油絵を持ってきたのであった。
 そして今回、妻の梢が小山内を追って小山内と同じ東京の大学に進学していたことを小山内は初めて知らされる。梢との大学での出会いは偶然ではなかったのだ。緑坂るりは、かつて母親だった梢がそのことを小山内に言わなかった理由をこっそりと小山内の耳元でささやく。「喋っちゃうと、パパがつけあがるからね」と。

 そして、小山内の帰り際にやっと三角が現れ、彼が小山内に会釈をした直後、自分と同じように梢も小山内の身近で生まれ変わりを果たしているかもしれないと小山内に語りかける緑坂るり。そこで、小山内は、一緒に暮らしている荒谷みずきこそ、梢の生まれ変わりであることに思い至る。

 三角が小山内を訪ねた約1か月前。緑坂るりは三角の会社へ押しかけていた。散々待たされた挙げ句、会社の男たちと警官に追い出されそうとしていた時、三角が現れる。「ずっと待っていたんだよ」と彼はるりに静かに呼びかけたのであった。

 冒頭のるりの小山内に対する態度でかなりの拒絶反応。大人に生意気な口をきく小学生の女児というだけで不愉快だが、それがかつての大人の女性の転生した姿だと分かった後でも、かつて一時的であれ父親だった相手に取る態度とはとても思えない。
 初代ヒロインである正木瑠璃にはそこそこ魅力があったが、それ以外の転生後のヒロイン達は、ひたすら思い出の中年男を追い求め親を困らせるわがままな女児。これはどうなのか。
 不倫を美化した上に、死んだ女性の転生先がすべて女児という設定が本作の一番の問題点であろう。おじさんと前世の記憶を持った女児との再会のシーンや、その後の未来について想像をめぐらせると、「気持ち悪い」という印象しかないのだが。
 転生先の女児は7歳になると発熱して、前世の記憶を思い出すという設定なのだが、それまでの記憶はどうなるのか。本作を読む限りは前世の記憶に完全に乗っ取られるわけではなく、一応生まれてからの記憶も残っているようだが、それまでの自分の子供自身の記憶が、前世の記憶のせいで心の奥の方へ押しやられてしまう親が不憫でしょうがない。
 そもそも4回もの転生が必要だったのか。彼女の転生のせいで多くの人々が困惑し、中でも不幸な死を遂げる梢、正木に至ってはあまりに哀れ。
 このあたりが素直に純愛小説として感動できない部分である。
 また、現在と過去の物語が交互に語られるのはいいのだが、数々の微妙にずれた現在のシーンの時間軸が分かりにくいのも引っかかる。一応クライマックスとなるラストシーンが最新の現在ではないのが一番の興ざめだ。
 かといって本作を全く評価していないわけではなく、梢が小山内に隠し事をしていたこと、その理由を緑坂るりから明かされるシーンは素晴らしいと思う。梢の生まれ変わりが荒谷みずきだった部分なども、なかなかいい話だったので、もう少しそこにボリュームがあったらもっと良かったのではと思う。
 最後に表記の面で、「自身」を「じしん」、「気持ち」を「気持」と表記しているのが妙に気になった。

2018年月読了作品の感想

『鷲は舞い降りた』(ジャック・ヒギンズ/早川書房)【ネタバレ注意】★★★

 「東西ミステリベスト100」1986年(1975年作品)5位作品。ほぼ古典作品と言って良いこのベスト10作品のうち2作品だけずっと未読のままだったのだが、そのうちの1冊である本書をたまたま図書館で見つけてしまったので読むことに。
 ミステリ作品と思いきや「このミス」にはありがちの冒険物の作品である。「冒険物」「歴史物」「外国が舞台」と3拍子揃うと、読み進めるのが苦痛になる作品も多いのだが、まれにぐいぐいと読ませてくれる作品もあり、本作はまさにそんな作品であった。

 著者のジャック・ヒギンズ自身が、アメリカのある雑誌の依頼で書いている歴史物の取材のためチャールズ・ガスコインという人物の墓を探してイギリスの教会を回っているときに、スタドリ・コンスタブルという村の教会の墓地で、「1943年11月6日に戦死せるクルト・シュタイナ中佐とドイツ落下傘部隊員13名、ここに眠る」という碑文を見つける。
 イギリスで死んだドイツ軍人の遺骨は1967年にスタフォンドシャ州のドイツ軍人墓地に移されたはずであり、大いに興味をそそられた彼は、さっそくその村で聞き込みを始めようとするが、神父のフィリップ・ヴェリカをはじめ村人たちはそのことに触れられたくない様子で、彼を脅して村から追い出そうとする。
 墓守のレイカー・アームズビイのみが、5ポンド紙幣と引き換えに「彼は、ミスタ・チャーチルを撃つために、部下を連れてやってきたドイツ人だ」と答えて去って行った。
 そしてジャックは、真相を知るためにその後丸1年を費やす。

 1943年9月、オットー・スコルツェニイなる男が、ドイツ特殊部隊長に任命され、失脚し幽閉されていたイタリアの指導者ムッソリーニを救出し、ヒトラーの元に連れてくるという偉業を成し遂げる。ヒトラーはその業績を称える一方で、優秀な人材を集めたはずの軍情報局(アプヴェール)が何の実績も上げていないと、その長官であるヴィルヘルム・カナリス提督を責める。そして情報局の人員と装備があればイギリスのチャーチル首相を自分の所へ連れてくることすら可能なはずだと言い出す。
 オフィスに帰ったカナリス提督は、ヒトラーの命令が実行不可能であり、ヒトラー自身も本気では言っていないはずだと考え、万が一、ヒトラーが話を蒸し返したときのために、部下のマックス・ラードル中佐に、実行可能性調査を行い、もっともらしい長文の報告書を作成するように命じる。
 しかし、その1週間後、ラードルは助手のカール・ホーファ軍曹から興味のある情報を得る。イギリスのスタドリ・コンスタブルという村に住むジョウアナ・グレイという情報局の優秀な女スパイの情報によれば、チャーチル首相が11月6日にザ・ウォッシュのイギリス空軍爆撃基地を視察した後、ロンドンに帰らず、スタドリ・コンスタブルの村から5マイルほど離れたスタドリ・グレインジの退役海軍中佐サー・ヘンリイ・ウィロビイの家で週末を過ごすことになっているというのだ。
 ヘンリイの友人であるジョウアナは、彼から付近の地雷の設置場所まで聞き出しており、ホーファがクルト・シュタイナ中佐という、この作戦の指揮官に適任である落下傘部隊長を見つけてきたことで、ラードルは作戦の成功を確信し、落下傘部隊によるチャーチル拉致作戦を立案する。
 しかし、ヒトラーへのポーズだけ見せれば良いと考えていたカナリス提督は、その報告書を見ても気乗りする様子ではなく、この作戦はお蔵入りするかに見えた。しかも、シュタイナはユダヤ人の娘を助けた罪で危険な最前線に送られていた。
 ところがSS(親衛隊)長官のヒムラーはこの作戦の存在を嗅ぎつけ、ラードルを呼びつけてヒトラーの極秘命令書を見せ、独自にこの作戦を実行するよう命令し、シュタイナは前線から連れ戻される。
 現地のスタッフとして老婦人であるジョウアナだけでは不安を感じたラードルは、元IRAの兵士で現在はベルリン大学でイギリス文学を教えているリーアム・デヴリンを呼び寄せる。デヴリンは2万ポンドの報酬と引き換えにその任務を引き受ける。
 ラードルは、その後、落下傘部隊がイギリス軍人に偽装するために英語が話せる人員が少なすぎることを心配するヒムラーの推薦で元イギリス自由軍兵士ハーヴィ・プレストン少尉を渋々メンバーに加える。
 また、ラードルは、優秀なパイロットでありながら国家元帥ゲーリングに失言したことで騎士十字勲章をもらい損ねているペイター・ゲーリケ大尉をスカウトする。
 無事にスタドリ・コンスタブルに着いたデヴリンは、ジョウアナの紹介でヘンリイから沼沢地管理人の仕事をもらうが、村娘のモリイ・ブライアとの仲を深めたことで、木こりのアーサー・シーマーと対立したこともあって村人から冷たい扱いを受ける。それも気にすることなく、作戦遂行のために必要な軍用トラックやジープなどを闇商人のガーヴァルド兄弟から調達するデヴリン。
 しかし、兄のベン・ガーヴァルドが手下を使ってデヴリンを殺そうとしたため、デヴリンは反撃。その怪我が元でベンは死亡し、そのことを恨んだ弟のルーベン・ガーヴァルドが警察に洗いざらい取引の内容をしゃべったことで、デヴリンがイギリス国内に潜伏していることが警察に知られてしまう。
 ルーベンは、デヴリンが軍人を装って酒保補給倉庫を襲う犯罪を企んでいるに違いないと警察に訴えるが、デヴリンが元IRAの幹部であることを知ったロンドン警視庁のジャック・ロウガン警部は、もっと大きなことを計画しているのではないかと考え捜査を始める。
 作戦実行が近づいてきたある日、スタドリ・コンスタブルに近いメルサム・ハウスに、ロバート・E・シャフトゥ大佐の率いるアメリカのレインジャー部隊が訓練のためにやって来る。シャフトゥの部下であるハリイ・ケイン少佐に、神父のフィリップ・ヴェリカの妹・パミラ・ヴェリカは好意を抱く。
 濃霧により作戦の実行が危ぶまれる中、やっと吹いた強風によって霧が晴れ、ついにシュタイナの率いる鷲は飛び立つ。しかし、敵機に偽装してシュタイナ達を運んだゲーリケは、帰還中に味方に撃墜されてしまう。
 無事にスタドリ・コンスタブルに着地したシュタイナ達は、ポーランド独立落下傘中隊を装い、村人やアメリカのレインジャー部隊を欺くことに成功する。しかし、増水した川に転落した村の5歳の少女、スーザン・ターナーと、彼女を助けようと飛び込んだした11歳の少年、グレアム・ワイルドを助けた後に水車に激突して瀕死の重傷を負ったシュタイナの部下、ヴァルター・シュトルムを介抱する際に、同じくシュタイナの部下のブラントは取り返しのつかない失敗を犯してしまう。シュトルムの着ていたポーランド軍の制服を脱がせて、その下に着ていたドイツ軍の制服を村人達に見せてしまい、正体がばれてしまったのである。
 シュタイナ達は作戦が外に漏れないよう教会に村人を集める。パミラはジョウアナ・グレイがドイツのスパイであることを知って驚愕するが、ジョウアナに撃たれながらもハリイ少佐のところへ知らせに向かう。
 ハリイより先にパミラから村の状態を知らされたシャフトゥは、軍内で冷遇されている自分の状況を変えようと暴走し、部下を闇雲に村に突入させて部隊に大損害を与えた上に、自分自身もジョウアナに射殺されてしまう。そしてジョウアナもシャフトゥが連れていた通信手のクルコウスキによって射殺される。
 ハリイ少佐は、チャーチル首相を護衛していたコーコラン大佐に接触し、行き先をメルサム・ハウスに変更させることに成功する。教会でシュタイナとデヴリンに再会したハリイは、村人を人質にせず教会から解放するというシュタイナの言葉に驚く。
 デヴリンの正体を知ったモリイは激怒するが、デヴリンが彼女に残した手紙に感動し、彼を助けることを決意する。度重なる戦闘で、シュタイナも次々に部下を失っていく。戦闘が再開された教会内で追い詰められたドイツ軍の僅かな生き残りであるシュタイナとデヴリン、リッターの3人を秘密の地下通路を使って脱出させるモリイ。
 ロウガン警部とグラント警部補の待ち伏せにあい危機に陥るデヴリンだったが、ロウガン警部を射殺して何とか難を逃れる。デヴリンとリッターは彼らを回収するEボートに向かい、シュタイナのみが、イギリスの憲兵隊になりすまして任務を遂行すべくチャーチルが保護されているメルサム・ハウスに向かう。
 ついにチャーチルと向き合ったシュタイナであったが、引き金を引くのをためらっているうちに、駆けつけたハリイに射殺されてしまう。

 関係者に取材を続けるヒギンズはモリイに会い、彼女がデヴリンの子を出産していたことを知る。彼女から子供の写真を預かったヒギンズは、アイルランド政界の地下組織の偉大なる神話的人物となっていたデヴリンに届ける。ヒギンズから息子の写真とモリイからの伝言を受け取ったデヴリンは涙を流しながら、彼を追い返すのであった。
 再びフィリップ・ヴェリカに会ったヒギンズは、彼から衝撃的な事実を聞かされる。シュタイナがターゲットにしていたチャーチルは影武者だったのである。たとえ、シュタイナが引き金を引いていたとしても、すべては無駄な努力であったのだ。
 しかしヒギンズは思う。あの夜、シュタイナの死後に、チャーチルの影武者が口にした「たとえどのようにいわれようと、彼は、勇気のある立派な軍人であった」という言葉で全てが終わったことにすればいいのだと…。

 噂に違わぬ冒険小説の傑作。鷲が舞い降りるまで(作戦開始まで)がやや長いが(マップや登場人物一覧含め全566ページ中、鷲が飛び立つのは387ページ目、舞い降りたのは395ページ目で、全体の7割も待たされる)、それをあまり感じさせないのはさすがである。
 主人公のシュタイナ達が最終的に任務を果たせなかったことは冒頭部で分かってしまっているのだが、結末が分かっていながら、主人公達に感情移入し、応援したい気持ちにさせ、最後までドキドキハラハラさせられる作品はなかなかない。
 そしてどうせ失敗するのだろうという認識で読んでいても、予想以上に作戦が成功寸前まで行ったことがラストで分かり、良い方へ読者の予想を裏切っている点も素晴らしい。
 完全版の方を読むことができたため、登場人物達のその後の分かるエピローグが読めたのも良かった。
 あえて言えば、シュタイナが、あそこまでターゲットに迫っておきながら、最後の最後で決断できずあっけなく射殺されてしまうのはちょっといただけない気もする。ためらった理由がはっきりしているのならばいいのだが、そこが曖昧なため、この作戦のために死んでいった部下達が浮かばれない気がする。
 ヒロインのモリイの魅力があまり伝わってこないのも気になる。正直言ってデヴリンがそこまで彼女にはまる理由がよく分からない。
 クライマックスとも言える最後の戦闘シーンが分かりにくいのも少々引っかかる。大勢の人物が登場しすぎて、敵味方の区別や位置関係などが今ひとつ分かりにくいのである。
 また、翻訳は菊池光氏なのだが、作品全体において文章自体が分かりにくい部分が何カ所もあった。調べてみると本作では誤訳も結構あるらしい。
 本作の一番の魅力は、それまで悪役が定番だったドイツ軍がヒーローとして描かれている点だと思うが、現代では子供向けのアニメや特撮物ですら悪役に焦点をあてるのが当たり前になっているので、現代人があまり期待して読むと肩すかしと感じられるかもしれない。現代の優れたクリエイターがリメイクすれば、さらに登場人物を魅力的に描いてくれそうだ(それを願っているわけではないが)。
 最高の冒険小説は本作ではなく、「東西ミステリベスト100」ベスト10作品中で唯一読んでいないギャビン・ライアルの『深夜プラス1』だと主張する方もいるので、今年中に是非読みたい。

2018年月読了作品の感想

『どこかでベートーヴェン』(中山七里/宝島社)【ネタバレ注意】★★

 第8回「このミス大賞」(2008年)において『さよならドビュッシー』で大賞を受賞した岬洋介シリーズの第5弾で2017年5月に刊行。過去に遡り、高校時代に彼が人生で初めて接した殺人事件を、級友の鷹村亮の視点で描いた作品。

 敏腕検事の父親・恭平の転勤によって音楽科のある岐阜県立加茂北高校に転校してきた洋介は、ずば抜けたピアノの演奏技術で他の生徒達を圧倒し、彼らの学力や演奏技術についてのコンプレックスを増大させるが、そのことに全く気付かない洋介を亮は心配する。
 そして夏休みの登校日に事件は起こる。大雨とそれによる大規模な土砂崩れで、山中の加茂北高校は孤立してしまったのだ。命がけで橋の流された川を渡り救助を呼びに言った洋介であったが、彼はヒーローとして称えられるどころか、クラスメイトの岩倉智生の遺体が洋介の通った道の付近で発見されたことで容疑者扱いされてしまう。父が検事であったことが明らかになるとあっさり警察から解放された洋介であったが、突発性難聴の発症で学校祭でのクラス発表を台無しにしたことも加わって、クラスメイトの洋介に対する態度はますます陰湿なものとなる。
 洋介は、再び大雨が学校を襲った時、マネキンを使った実験で川に流された人間が道路に打ち上げられる現象を証明する。その後、洋介達のクラスメイトで、いつも洋介をかばっていた鈴村春菜が自首して岩倉殺害を自供する。
 春菜の父の鈴村町長が、加茂北高校の校舎建築の入札の際に、岩倉の父親が経営するイワクラ建築に便宜を図った証拠をつかんだ岩倉が、春菜を脅迫したことが事件の発端であり、春菜は自分の将来を守るために岩倉の口をふさぐべく、彼の頭を石で殴って川に転落させたのだった。そして、容疑の晴れた洋介であったが、父の転勤によってクラスメイトには黙って学校から姿を消してしまう。
 それから10年後、亮は、洋介が一度捨てると宣言したピアノの世界に戻ってきてくれたことを喜ぶと共に、犯人が春菜であることを最初から知っていながら洋介達に隠していた罪を償うべく、その真相を記した小説を書き始める。パソコンに打ち始めたタイトルは「〈どこかでベートーベン〉中山七里」というものであった。

 岬洋介の高校時代が、そして彼の最初の事件が語られる、というだけで、このシリーズのファンは大喜びであろう。実際読んでみても、それなりにファンを満足させる作品だと思う。
 ただミステリ作品としては微妙。事件の真相も、その証明の仕方も今ひとつであるし、父親が敏腕検事と分かっただけで警察から洋介が解放される展開はテレビドラマ的というかマンガ的すぎるし、何より洋介に対するクラスメイトの陰湿な態度の数々は、読んでいてとにかく不愉快なだけ。
 オマケで付いている本編のストーリーと時間の流れが並行した、恭平が主人公のサイドストーリーの方が、まだ読み応えがあるような気がするが、こちらも事件の真相がほぼ予想通りの展開。しかも、こちらもトリックが微妙で、憎んでいる人物の社会的信用を失わせるために、その人物の指紋の付いた包丁で寿司屋の主人が自殺するという話なのだが、衛生第一の寿司屋が、自分の包丁の柄と、憎んでいる人物の使っていたノコギリの柄を交換して、店内で襲われたように見せかけるというのはかなり無理があるのではなかろうか。ノコギリの柄は相当汚いだろうし、洗えば指紋は落ちてしまうしで、できあがった包丁は警察の鑑識の目から見たら相当不自然な物だったと思われるのだが…。

 

『かがみの孤城』(辻村深月/ポプラ社)【ネタバレ注意】 読書中

 「このミス」2018年版(2017年作品)8位作品。「2018年本屋大賞」大賞受賞作品。

 小規模な小学校から大規模な中学に進学した安西こころは、クラスメイトのいじめによって不登校になる。そんな5月のある日、自室にある姿見が発光し、中に吸い込まれる。気がつくとそこには狼のお面をかぶった女の子、オオカミさまがおり、目の前には西洋の城が建っていた。「願いを何でも一つ叶えてやる」という女の子の叫びを無視して自分が出てきたであろう発光する鏡に飛び込むと、彼女は自室に戻っていた。
 翌日こころが再び鏡の中に入ると、そこにはこころと同じ中学生が6人いた。ジャージ姿のイケメンのリオン(中1)、ポニーテールのしっかり者のアキ(中3)、眼鏡を掛けた声優声のフウカ(中2)、ゲーム機をいじる生意気なマサムネ(中2)、『ハリー・ポッター』のロン似のスバル(中3)、小太りで気弱そうなウレシノ(中1)の6人は、誰も昨日こころのように逃げたりはしなかったという。
 オオカミさまの説明によれば、1人だけが入れる「願いの部屋」を開ける鍵を3月30日までに城の中で見つければ、何でも願いが1つ叶うらしい。城に入れるのは日本時間の朝の9時から夕方5時まで。それを過ぎても城に残っていると、その日城に来ていた者は全員連帯責任でオオカミに食べられてしまうという恐ろしいペナルティもある。
 中学校に行けないこころは、学校に行けない子供達が集まる「スクール」を母に勧められるが、そこへも通うことができず、鏡の中の城に通うようになる。
 こころの願いは、いじめグループの中心である真田美織がこの世から消えますようにというものだった。しかし、こころも含め、子供達は鍵を真剣に探そうとはせず、各自に与えられた個室や「ゲームの間」と皆が呼ぶ応接間で毎日をのんびりすごしていた。
 9月にスクールの喜多嶋先生から「こころちゃんは毎日、闘っているでしょう?」という言葉をかけられ勇気づけられるこころ。
 10月にはみんなで本格的に鍵探しを始めるがなかなか見つからない。そして、鍵を見つけて誰かが願いを叶えたら全員が城での記憶を失うという話をオオカミさまから聞かされたみんなは動揺する。せっかく友達ができたのに…楽しい思い出ができたのに…とショックを受けるこころ。
 ある日制服姿で現れたアキの姿を見て、7人全員が雪科第五中学に行けていない生徒だということが判明する。城の外でもみんなと会えるかもしれないと期待を抱くこころ。
 12月、マサムネが3学期の始業式に雪科第五中学の保健室に集まろうと提案し、みんなも賛成するが、誰もが学校で仲間と会うことはできなかったことにショックを受ける。
 そして、ずっと城に来なかったマサムネが2月になって現れ、みんなパラレルワールドの住人だと思うと結論づける。そして「オレたちは助け合えない」とつぶやく。
 3月29日、城へ行ける最後の日の前日。近所の東条さんと仲直りできて喜んでいたこころは、突然自室の姿見が割れて驚く。現実世界に戻りたくないアキがルールを破って夕方5時以降も城に残り、ペナルティが発動してしまったのだ。
 みんなの助けを呼ぶ声に勇気を振り絞って割れた鏡の中に入るこころ。こころは、この城の世界が、みんなが考えているような『赤ずきん』の世界をモチーフにしたものではなく、『7ひきの子やぎ』をモチーフにしたものだと気付く。城内のあちこちに記された×マークは子やぎたちが隠れた場所。そこにこころが手を触れると、そこにペナルティから隠れたであろう6人の記憶がこころの頭に流れ込んできた。
 かつて学校を見下し学校なんて行く必要がないというマサムネの言葉に衝撃を受け、ゲーム機の開発者が知り合いだというマサムネに感嘆の声を漏らしたこころであったが、それはマサムネのホラ話で、彼が学校へ通えなくなった理由の1つであった。ハワイにサッカー留学しているものの、病死した姉と比較され母に遠ざけられているだけだと感じているリオン、義父から虐待を受けているアキ、幼い頃にピアノの天才と呼ばれながらピアノに全てを捧げてきたのに挫折して苦しんでいるフウカ、両親に捨てられ不良の兄の影響が増しつつあるスバル、誰にでも一目惚れして馬鹿にされるウレシノ…、全員がこころと同じように苦しみを抱えていたのだった。
 そして、この城に集まった7人が、パラレルワールドではなく、時間のずれた同じ世界の住人であることに気付いたこころは、鍵を大時計の中から見つけ、「アキのルール違反をなかったことにしてください」という願いを叫ぶ。復活したアキを除く5人と共に、ついにアキを彼女がとらわれていた願いの部屋から引っ張り出すことに成功するこころ。
 7人は違う時代の同じ街の住人同士であることを確認し、記憶を失いながら、それぞれの世界に帰って行く。
 マサムネの尊敬するゲーム開発者こそがスバルで、こころたちの心の支えとなる喜多嶋先生こそがアキであったことなどが、次々に読者に明かされていく。そして最後にオオカミさまが、リオンの姉であったことが判明。リオンの姉は、死に行く直前に神様にお願いしてこの世界を作り出し、病床の中で時空を超えてこころたちを自分の城に呼んでいたのだった。
 現実世界に戻ったリオンは、姉に頼み込んで唯一記憶を残していた。雪科第五中学への転入生となった彼は、新年度、中学校の校門に現れたこころに「おはよう」と笑いかけるのであった。

 内容に関しては全く前知識なしで読み始めたのだが、2作続けていじめの話か…という点でまず気が重くなり、「現実逃避したい女の子が鏡に吸い込まれるとそこには城が…」という、いきなりのベタなファンタジー展開にも絶句。
 しかし、本屋大賞に選ばれるほどの作品なのだし、前回3年前に読んだ筆者の『オーダーメイド殺人クラブ』は好印象だった記憶があるので、何とか頑張って読み進めていく。
 展開はともかく、7人の子供達の事情は十分に理解でき、「弱すぎ」と切り捨てたくなるような子は1人もいない。彼らが交流を深めていく様子は読んでいて決して悪い気はしない。
 この作品を「ミステリ」に分類した読者は、「パラレルワールドの住人かと思いきや実は時間が違う世界の住人の集まりだった」という点に注目したのだろうが、その時間が異なる世界を描いた作品に関しては、近年の『君の名は。』などに代表されるものをはじめとしてパラレルワールドものと同じくらい例があるので、正直そこはあまり感動できなかった。むしろ最初から「あれ、時間が違う世界の人の話じゃないの?違うの?」と戸惑いながら読み進めていたくらい。
 こころが、ラストシーンでみんなを助けようと割れた鏡に入っていく場面も何となくバタバタ。なぜ彼女は次々と×印に触れるのか。なぜ彼女が触れるとみんなの記憶を知ることができるのか。読者に登場人物の知られざる過去を説明する機会を与えるためのご都合主義を少々感じる。
 しかし、それでもなお、なんとも言えない切ない読後感のある作品。記憶というものの大切さ、その記憶を失ってもなお結びつこうとする友情の力。「本屋大賞」大賞受賞作にも納得。★★★を付けさせていただきたい。  

2018年月読了作品の感想

『盤上の向日葵』(柚月裕子/中央公論新書)【ネタバレ注意】★★★

  「このミス」2018年版(2017年作品)9位作品。「2018年本屋大賞」2位作品。多忙のため読了に随分時間がかかってしまったが、その気になれば一気読みできる魅力ある作品。前回読了した『かがみの孤城』とは、「このミス」ランクも「本屋大賞」ランクも1つずつ下になるが、読み応えは互角と言って良い。
 藤井聡太の活躍による将棋ブームにうまく乗っかった作品と言えなくもないが(ちなみに執筆を始めたのは藤井聡太がメジャーになるブーム前である)、本作には彼をモデルとしたような天才棋士・壬生芳樹が登場する。そしてその対戦相手として世間の注目を浴びているのが、実業界から転身して特例でプロになった東大卒のエリート棋士・上条桂介であり、彼こそがある事件の容疑者として主人公達が追う人物なのである。

 年齢制限のため奨励会を退会しプロ棋士になることを諦め刑事になった佐野直也は、癖のある敏腕刑事の石破剛志と組まされて、ある事件を追っていた。埼玉の山中から発見された遺体と共に高価な将棋の駒が発見されたのだ。
 現存数が限られた駒の消息を一件一件訪ねていく2人の様子を描いた現在のシーン。そして、父親から虐待されながらも健気に生きていた上条と、彼に将棋を教え、彼を息子のように見守る元教師の唐沢浩一郎との交流を描いた昭和46年から始まる過去のシーン。この2つのシーンが交互に語られながら物語は進んでいく。
 そして上条が東大に進学してからは、過去のシーンの主体が唐沢から上条に代わる。上条は、上京の際に唐沢から高価な将棋の駒を贈られるが、真剣師の東明重慶に騙され、勝手に売却され人手に渡ってしまう。上条は東大卒業後必死で働いてその駒を買い戻し、独立して社長になるが、彼の出世を知った彼の父が金を無心するために会社に現れる。
 何とかして父から逃れたいと考えていた上条のところに、今度は東明が現れる。東明は上条の駒を勝手に売却した借りを返すため、上条に委託殺人の話を持ちかける。
 上条は父の殺害を依頼し、仕事を成し遂げた東明であったが、病にむしばまれた彼は、山中で上条と将棋を指した後、自害して果てる。東明を憎みきれなかった上条は、彼を将棋の駒と共に葬ったのであった。
 ついに上条のところにたどり着いた佐野と石破であったが、新幹線のホームで佐野から声を掛けられた上条は、無言でホームに入ってきた新幹線に身を躍らせるのであった。

  冒頭での主人公は佐野っぽい。奨励会出身のプロ棋士を諦めた刑事という斬新な設定はなかなか面白い。しかし、その設定があまり生かされないまま物語は進み、物語が進むにつれ、彼の存在は次第に薄くなり、上条へのウエイトがどんどん高まっていく。
 捜査の過程で奨励会時代の佐野の知り合いが時々登場するが、そこから話はまったくふくらんでいかなくて肩すかしを何度も食らう。
 佐野とコンビを組む石破も、こういう刑事ものでは定番のアウトローな敏腕刑事なのだが、駅弁の購入で多少わがままを言う程度の優しいオヤジで、今ひとつインパクトがない。もっと振り切った無茶苦茶なキャラでも良かったのではないか。
 本作が映画化されたりすれば(前作『孤狼の血』は映画化されたので可能性大)、おそらく上条と佐野はW主役という配役になると思うが、その時は石破も含め、バランスを一考した方が良い気がする。せっかくのいい感じのキャラ2人がもったいない。
 タイトルにも用いられている「向日葵」の作中での存在感もちょっと弱くて、あまり印象に残らない。映画化されれば、いくらでもビジュアルで強調できるだろうが。 
 上条に次ぐ魅力的なキャラはやはり東明であろう。人間的にはどうしようもないクズだが、将棋だけは圧倒的に強い。ちょうど真剣師を描いた漫画『ハチワンダイバー』を読んだばかりだったので彼のキャラには非常に引きつけられた。
 著者も真剣師の本を何冊か読んで、本作の執筆を思い立ったらしい。詳細な棋譜が何度も登場するので、もしかしたら著者も相当な腕前の女流棋士かと思いきや将棋は素人とのこと。ここまで勉強しないと小説家は務まらないのだと思い知らされた。
 ちょこちょこと突っ込みは入れてみたものの些細なものばかりである。最後まで読み応えがあって十分に楽しめた。

2018年月読了作品の感想

『機龍警察 狼眼殺手』(月村了衛/早川書房)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2018年版(2017年作品)3位作品。『機龍警察 火宅』に続く「機龍警察」シリーズ第6弾。これまで「このミス」にランクインしてきた第2弾『機龍警察 自爆条項』、第3弾『機龍警察 暗黒市場』、第4弾『機龍警察 未亡旅団』の3作を読了しているが、いずれも好印象だったのでそれなりに期待して読み始める。
 ただ好印象と言っても、印象に残っているのは警視庁内で裏切り者呼ばわりされる特捜部のリーダーで元外務官僚の切れ者の沖津、特捜部の人型秘密兵器「龍機兵(ドラグーン)」の訳ありパイロット3人組である、姿、ユーリ、ライザのキャラクターイメージのみで、他のキャラやストーリーは何となくしか記憶にない。
 今回も多数の名前が並ぶ登場人物表に掲載されている人物以上に多くの登場人物が次々登場し、最初のうちは本編と表との往復が結構大変で、なかなかストーリーに没頭できなかった。
 そこそこキャラの立っている人物もいるものの、過去の登場シーンを覚えていないと立ち位置をうまくつかめない人物が結構いたのもストレスの原因。わざわざ過去のあらすじをチェックする余裕もないのでその辺は想像で補って読み進めた。

 経済産業省と香港の企業であるフォン・コーポレーションが進めていた日中合同の一大プロジェクト「クイアコン」に絡んでいると思われる連続殺人事件が発生。警視庁特捜部は、捜査一課、捜査二課と合同で捜査に当たるが、「クイアコン」の正体が、従来うたわれていた既存のインフラを利用した新世代量子通信ネットワークなどではなく、既存のインフラを全く必要としない軍事的にも画期的な量子通信システムであることが明らかになる。それは、特捜部が所有する龍機兵の極秘の稼働システムそのものであり、龍機兵を活用している特捜部ですら完全に解明しきれていないシステムに関係するものであった。このシステムが完成し世界中に普及してしまえば、特捜部のアドバンテージが失われるのはもちろんのこと、世界中の軍事バランスが大きく崩れてしまう。
 特捜部が以前から「敵」と呼んでいる組織は、「狼眼殺手」と呼ばれる暗殺者を雇い、中国にこの技術を奪われないように連続殺人事件を起こしていると考えられた。国益を守るためとはいえ、そのような暴挙を見逃せない沖津達は事件に立ち向かうが、「敵」は警察上層部や政界にも巣くっており、あちこちからかかる圧力で思うように捜査は進まない。
 暗殺者「狼眼殺手」の正体は、ライザの因縁の相手でもある元IRFのテロリスト、銀狼ことエンダ・オフィーニーであった。特捜部技術班主任の鈴石緑を人質にライザをおびき寄せるエンダ。緑はライザを救うために、フォン・コーポレーションが送り込んだエンダ暗殺部隊の1人であった少年を射殺してしまい、心に大きな傷を負う。
 エンダの最終ターゲットは沖津であった。沖津は龍機兵のパイロット3人の協力で彼女の逮捕にようやく成功するが、「敵」の流した情報によって邪魔が入り、またしてもエンダに逃げられる。
 ライザは渋谷の地下水路でエンダを追い詰めるが、厳命されていた生け捕りを諦めざるを得ない状況に追い込まれ、やむなく彼女を射殺する。
 「敵」のメンバーであることが確定していた警察庁警備局警備企画課長の堀田と、警察庁長官秘書官の白井は無理心中という形で「敵」に葬られるが、そのような状況の中、「敵」の「敵」とも呼べる存在として國木田経産大臣が浮かび上がる。果たして大臣は敵か味方か…。
 ライザは緑が入院している病院を訪れ、緑の父の著書に救われたと礼を言う。緑に命を救われたことに対しても。何も言い返せなかった緑であったが、ライザが去った後、緑は涙を流しながら、亡き父に「ありがとう」という言葉を繰り返すのだった。

 基本的には過去のシリーズ同様に面白いと思う。面白いのだが、これまでの作品では、それぞれ物語の中心となる人物がはっきりしていたのに対し、今回は誰が主役なのかはっきりせず、感情移入がしにくい点が引っかかる。ライザならライザ、緑なら緑と主人公を決めて、もう少し焦点を絞るべきだったのでは。
 ストーリー上、仕方がないとはいえ、次々と特捜部の動きに邪魔が入ることや、いつまでたっても警察の他の部署が「敵」の存在をはっきりと認めず、特捜部に全面協力しようとしないことにもイライラさせられる。「敵」の正体もそろそろはっきりさせないと、いい加減引っ張りすぎではないか。
 そして本シリーズの要である「龍機兵」が、本作中で一度も機動しないのが最も致命的。これは多くのファンの期待を裏切ったはず。
 読者に飽きられないように、次回作では「敵」の正体を明らかにし、「龍機兵」を大暴れさせるのが必須条件と考える。

 

『ホワイトラビット』(伊坂幸太郎/新潮社)【ネタバレ注意】★★

  「このミス」2018年版(2017年作品)2位作品。 伊坂作品は『ゴールデンスランバー』(「このミス」2009年1位)や『死神の精度』(「このミス」2006年12位)をはじめ好きな作品も多いのだが、ご都合主義的な展開が多かったり、その面白さがよく理解できない作品も目立つ。本作は残念ながら後者か。コメディタッチのやたら複雑なミステリ作品なのだが、ただややこしいだけでどこが面白いのかよく分からない。
 コメディなので必要以上にキャラを深める必要もないのだが、それにしてもどのキャラにもあまり魅力を感じないのはなぜだろう。

 仙台で起きた白兎事件。しかし、その人質立てこもり事件を白兎事件と呼ぶ者はいない。
 兎田孝則は若い起業家によるベンチャー企業の社員であったが、その業務内容は依頼者からの依頼を受けて行う誘拐という犯罪行為であった。
 年上の部下である猪田勝によれば、会社の金を横領した経理の女が捕まったが、彼女をそそのかしたコンサルタントの「オリオオリオ」こと折尾豊は逃走中で金の行方が分からず社長は焦っているらしい。
 そんな兎田の妻・綿子が誘拐される。綿子を人質に取られ、折尾を探すよう命じられたのだ。

 仙台での人質立てこもり事件は、そんな兎田が、ある家庭に押し入ったことから始まる。折尾の荷物に忍ばせたGPS信号を追ってやって来た家に、なぜか折尾の姿はなく、若い男・勇介とその母親をとりあえず人質に取る。

 空き巣グループの一員である黒澤は、ある詐欺師の家に彼が海外旅行に出かけた隙に侵入することになるが、仲間の中村と今村が最初に家を間違え、隣の家の2階に自分たちがポリシーとして盗難先に置いてきている盗難内容の領収書を落としてきてしまったと言う。
 やむなくそれを回収に向かった黒澤であったが、その家こそが兎田の立てこもっていた家で、兎田にその家の主であると勘違いされた黒澤は、勇介達と一緒に人質になってしまう。

 兎田の隙をついて勇介が警察に通報したことによって、警察は事件の発生を知る。近所の聞き込みによると事件の発生した佐藤家は3人家族らしい。そして、その立てこもり犯は折尾という名のコンサルタントを探せと警察に要求してきた。

 勇介の母親は、夫からの電話に出て、あっけなく黒澤が夫ではないことが兎田にばれてしまい、事情を正直に兎田に話す黒澤。

 警察にあっさり発見される折尾だが、オリオン座のうんちくばかり語る折尾に、警察のイライラが募る。犯人は折尾におにぎりを運ばせろと要求するが、身の危険を感じた折尾は当然抵抗する。

 仙台港近くの倉庫で人質の綿子を蹴りつけていたのは、ベンチャー企業の創業者である稲葉。兎田からは、折尾をどうにかして見つけて警察の注意をそらして脱出するという連絡があり、彼はもう少し兎田を待ってやろうと考えていた。

 折尾は危険なおにぎり運びを引き受ける代わりに、オリオン座を利用した占いのような方法でリゲル=犯人の居場所につながるヒントのポイントを警察で調べてほしいと要求する。そしてその地点がはっきりした途端、犯人らしき人物が2階から飛び降りるという急展開が183ページに待っている。

 さらにその183ページで本物の折尾はすでに死亡しているという新情報が飛び出し、この物語の種明かしが始まる。事件前に折尾は勇介とトラブルを起こし、勇介に足をつかまれて転倒した弾みで死亡していたのだ。勇介とその母親は、死体を自宅の2階に隠し、GPS発信器の入った折尾のバッグは自宅のゴミ箱に捨てたため、兎田に目を付けられてしまったのだ。
 そこで兎田に自分の正体を明かした澤田は提案する。自分が折尾となり警察を騙し、中村が犯人役、今村が勇介役なって隣の詐欺師宅で立てこもり事件を演じている隙に、警察が突き止めた稲葉の居場所を澤田から入手した兎田が綿子を救出に行くという作戦である。

 立てこもり犯の居場所につながるヒントになるという着信だという折尾役の澤田の持つ携帯を調べて場所をはじき出した警察。警察側は真剣にそこを調べる気はなく、情報を得た兎田はそこへ向かう。運悪く稲葉に気付かれ奇襲は失敗するも、警察の夏之目課長の突入によって稲葉とその一味は逮捕され事件は多くの謎を残して解決するのであった。

 「この事件を白兎事件と呼ぶ者は誰もいない」というフレーズが冒頭から何回か登場するのだが、それは必要なのか。ありがちなフレーズではあるが、本作ではキーワードとして全く機能していない気がするのだが。
 なぜ誘拐グループのメンバーの兎田が妻を人質に取られて折尾探しを命じられるのかについても、一応説明はあったものの全く説得力がなく最後までモヤモヤ。グループを裏切ったことがばれたからというのならまだ理解できるが、グループの中で一番仕事に一生懸命で、かつ人質として効果のある妻がいるからというのは、理由として全く理解できない。
 勇介の母親が、夫からの電話に対し、発信者名に「お父さん」と表示されていたからと言って、自分の父親だとでも兎田に嘘をついて適当にごまかせばよかったのに、そんな知恵も回らず、「あなた、申し訳ないですけど、後で折り返しますので」と答えてしまうのにもガッカリ。作者のウケ狙いなのかもしれないが、そこでは吹き出す読者よりはイラッとする読者の方が多そうだ。
 種明かしはそれなりにインパクトはある。すでに本物の折尾は死亡していた件とか、立てこもり事件の発生箇所を隣の詐欺師の家に移動させて、仲間を証言者にして「佐藤家」という実在しない家族を作り出していたとか。ただ、やはり、いつもながらのご都合主義のオンパレードという印象は否めない。
 オリオン占いを警察が受け入れるとはとても思えないし、事情をろくに話さずに稲葉の発信記録を警察に調べさせるというのも強引であるし、兎田の綿子救出作戦自体かなり無理があるし、夏之目課長の絶妙なタイミングの突入で全て解決などというのはご都合主義のまさに典型であるし…。
 多くの個性的なキャラが登場するものの、その人物像は前述したようにやはり魅力に欠ける。妻子を失った過去があり、その原因を作った占い師を復讐のため殺害し、今回の事件後に自首するという夏之目課長が最も人間くさくて良かったと思うが、それ以外はどうも…。
 これが「このミス」2位というのは正直信じがたい。 

 

『いくさの底』(古処誠二/角川書店)【ネタバレ注意】★★

  「このミス」2018年版(2017年作品)5位、「ミステリが読みたい!」2018年版国内編2位作品。第71回毎日出版文化賞受賞作。

 太平洋戦争中のビルマ戡定(かんてい=平定)後、重慶軍の侵入が見られるようになった北部シャン州の山中にあるヤムオイ村へ警戒のため徒歩行軍する日本軍。扶桑綿花社員の依井は、通訳として、その行軍に将校待遇で同行していた。
 依井の足が遅かったせいもあって予定より遅れたものの、なんとか低い山に囲まれた村に到着する一行。部隊を率いる青年指揮官の賀川少尉は村長と顔見知りであったが、村人達はあまり部隊に愛想が良くなかった。
 その夜、賀川少尉は厠で何者かによってダアと呼ばれる鉈で首を斬りつけられ殺害される。部隊内で次席に当たる杉山准尉は、賀川少尉がマラリアで倒れたことにし、第一発見者である将校当番の近見崎上等兵に命じて遺体を連隊本部まで運ばせる。部隊内で賀川少尉の死を知る者は、不寝番の高津上等兵と、杉山准尉、近見崎上等兵、そして依井の4人のみ。
 果たして、殺人者は部隊内の誰かか、村人か、侵入してきた支那兵か。杉山准尉は、適性住民の存在を確信しているようであった。
 連隊本部から近見崎上等兵が帰還して間もなく、連隊副官の上條という青年将校が新しい指揮官として現れ、杉山准尉たちを驚かせる。上條は、物理的には犯人は高津上等兵の可能性が高いと言いつつも兵隊のしわざではないと考えているのは明らかであった。
 捜索班の報告によれば、近くの峰に支那兵が作ったと思われる監視哨の痕跡があったという。また、前年にこの村に賀川少尉が指揮する歩兵小隊が警備駐屯に訪れたとき、支那兵の銃撃があり、20名ほどの支那兵を敗走させたものの、小隊側でも3人が死亡、8人が負傷するという事件が起こっていたことが、村の助役のオーマサの口から明らかになる。

 賀川少尉の死から2日後、今度は村長が同様に厠で殺害される。疑心暗鬼に陥る村人たち。そして上條は、オーマサ、コマサ、イシマツとあだ名が付けられた3人の村助役の序列に不審なものを感じ、調査の結果、村長が偽者であるらしいことを依井に伝える。
 そんな中、コマサが村長を殺したのは自分だと名乗り出る。村長夫婦の正体は、実はかつて重慶軍と行動を共にしていた華僑で、重慶軍の行軍について行けず孤立していたのを村人たちが匿ってやったのに、村人たちをだまして村長の座に収まったのが許せなかったというのだ。コマサは死を覚悟しており、それを依井は、華僑を殺した真犯人は本当の村長であるオーマサだと住民が断じている証拠だと考える。
 その夜、村を逃げだそうとした華僑の妻とイシマツが捕まる。華僑の妻の取り調べ中にイシマツが支那兵であることを暗示すると、妻は顔色を変えた。華僑が村長になりすましていることを知った重慶軍が、日本軍の情報を得るために村に送り込んだのがイシマツであると考えられたのだ。
 イシマツの取調中、上條は偽村長の華僑を殺害したのはオーマサだと伝えるがイシマツは否定する。真相を話そうとしないイシマツは、依井とだけで話をすることを希望し、上條はそれを許可する。
 依井と2人きりになったイシマツは、依井に対し賀川少尉を殺害したのは自分だと告白する。そして華僑を殺したのも自分であると。
 さらにイシマツは衝撃的な告白をする。過去にこの村であったと言われている支那兵による襲撃はなかったというのだ。賀川少尉が拳銃を暴発させて部下の1人を殺害してしまい、それを支那兵の襲撃によるものということにして村の外へ追撃の兵を出し、支那兵との戦闘によって日本軍はさらに2人を失ったというのが真相であった。そしてその2人のうち1人は遺体の回収ができなかった。その回収できなかった日本兵こそ、重慶軍の捕虜となり、生かされることと引き換えに重慶軍の情報員となったイシマツであったのだ。イシマツは人でなしの華僑と、仲間の敵である賀川少尉の両方を手に掛けたのであった。
 イシマツは依井に逃がしてもらえるよう頼む。イシマツの存在は誰にとっても利にはならない。イシマツの故郷では彼だけが生還すれば家族が肩身の狭い思いをするし、日本軍にとってもイシマツの生存とその証言は軍を貶めることにしかならないからだ。最初はためらっていた依井も、彼の申し出を聞き入れるしかなかった。そして上條もそれを分かっていて立哨を外していた。
 イシマツは華僑の妻を連れて、夜の闇の中に消えていったのであった。

 賀川少尉と村長の死が描かれるところまでで、約200ページある物語の語全体の半分を使っているが、その流れはただひたすら淡々としている。
 128ページで殺された村長が偽者らしいことが明らかになり、135ページのコマサの偽村長殺害の自供でやっと物語が動き出すが、そのコマサの自供があったにもかかわらず、さらに、それまで村人は日本軍を疑っていたような雰囲気だったのに、142ページで「華僑を殺したのはオーマサだと住民の多くが断じている証拠」と突然書かれているのに戸惑いを感じた。村に必要とされている本物のオーマサが日本軍に処刑されては困るから命がけでコマサが彼をかばおうとしたという理由は分からないではないが、どうにも飛躍を感じてしまう。
 華僑の妻の取り調べの中で、突然イシマツの正体が支那兵であることが明らかになる場面もインパクトはあるが、前述の部分同様にその展開が分かりにくく、素直に驚けない。
 「実は村長はいつの間にか入れ替わっていた」、「実はイシマツは支那兵だった」に続く、「実はイシマツは戦死したはずの賀川少尉の元部下であった」という最後のどんでん返しで、やっと素直に感動できたという感じ。
 ビルマ人も含め、登場人物たちは皆、常に敬語で会話する真面目で礼儀正しそうで、かつ感情表現に乏しい者ばかりで、いくつかのどんでん返しはあるものの、物語も最初から最後まで淡々としすぎていて、ものすごく「薄味」な印象。
 ターゲットに忍び寄る殺人者の影の様子、攻撃の機会をうかがう重慶軍との緊迫感、村人と日本軍の一触即発の緊張感など、もう少しスリリングな状況を描き込めば、もっとドキドキハラハラできたであろうに、とにかく全てが淡泊。
 帯のキャッチコピーや書評、コメントに期待をしてはいけないことは、これまでの経験で十分分かっていたつもりだが、「究極のホワイダニットがここにある!」「今年度、最も注目を集める戦場ミステリの傑作!」「ほれぼれするほど完成度の高いミステリ」「息苦しいまでのサスペンス」「終盤の展開には圧巻の迫力」「戦場ミステリの逸品」「いささかも揺るがない強固な説得力」という美辞麗句の数々には、ビジネスとは言え閉口するしかない。
 決して駄作ではないが、そのような言葉で積極的に人に勧めようとは思わない作品である。

 

『がん消滅の罠 完全寛解の謎』(岩木一麻/宝島社)【ネタバレ注意】★★★

  「第15回このミス大賞」(2016年作品)大賞受賞作。テーマはずばり「殺人事件ならぬ活人事件の謎を解く」というもの。なぜ末期がんの患者が完全寛解(完治)したのかという謎 の解明に医師が取り組むという前代未聞の医療ミステリ。

 日本がんセンター呼吸器内科医員の夏目典明は、元自分の患者だった江村理恵の肺門部原発扁平上皮がんが完治し、怪しい宗教団体の宣伝に利用されていることを知り、同センター研究所に務める羽島悠馬に相談を持ちかけるが、羽島は一卵性双生児を利用したトリックであることを見破る。

 厚生労働官僚の柳沢昌志は、浦安の湾岸医療センターで、呼吸器外科医の宇垣玲奈によって肺腺がんの切除手術に成功する。この施設は、最新設備で小さながんを見つけることができ、転移していても独自の治療法でがんの進行を抑えられるという評判で、政治家などの社会的に成功した人々が大勢利用しているらしい。
 しかし半年後、がんの転移が判明し、柳沢は大きなショックを受ける。宇垣から保険の効かない独自の治療方法で進行を抑えられると聞いた柳沢は、それを受け入れるしかなかった。

 完全寛解の可能性の低い肺腺がん患者の小暮麻里を担当することになった夏目であったが、リビングニーズ特約のついたがん保険に加入後すぐに、がんの診断が出た患者の事例が夏目の担当患者だけで小暮も含め4件も続いたことで、保険会社に勤める高校時代からの友人の森川雄一が夏目の元を訪れる。
 たまたまだと答える夏目であったが、その4件の患者が全員完全寛解するという奇跡が起きる。江村のように一卵性双生児を使ったトリックもないことが確認され、優れた治療法を発見しながら、それを困窮している人を保険金で助けるために隠している医師がいるのではないかという仮説を立てる羽島。
 この活人事件に湾岸医療センターが絡んでいることを知った夏目たちがそのホームページを調べてみると、そこの理事長は夏目の東都大学大学院での恩師で、誰にも理由を言わずに大学を去って行った西條征士郎であった。
 西條や宇垣は、あるトリックを使って、がんを完全寛解に導いたり再発させたりといったコントロールを行い、生活困窮者をがん保険で救う一方で、社会的に力を持った人々を言いなりにし、がん医療の進展をより早くさせるという活動を行っていたのだった。

 西條らが何らかのトリックを行っていることに気付いた夏目たち。そしてまたしても羽島が新たな仮説を立てる。湾岸医療センターでは、早期がんを切除後、そのがんを培養し、既存の抗がん剤の効果を確認して、よく効く抗がん剤が見つかった場合のみ、培養したがん細胞を患者に注射して人工的に転移を起こし、予め効果が確認されている抗がん剤を投与してがんの完全寛解を演出しているのではないかというものだ。
 柳沢と組んで西條らの不正を暴こうとした夏目らであったが、それは失敗に終わる。柳沢のがん細胞に効く抗がん剤が発見されず、羽島の出来レース仮説が否定されてしまったのだ。しかし、羽島は次の仮説にたどり着く。

 ついに西條と接触することができた夏目と羽島。羽島は富裕層に利用したトリックは解明できなかったが、小暮ら低所得者層に利用したトリックをついに突き止め、その概要を西條の前で夏目が披露する。患者に強力な免疫抑制剤を投与し、がん保険に加入させた後で他人のがん細胞を注射することによってがんを発症させ、がん保険が下りた後で免疫抑制剤の投与を打ち切ることで、拒絶反応によってがんは自然消滅するというトリックである。
 そのトリックを認めた西條であったが、直接経済支援を行えば済むことではないかという夏目らに対し、それはすでに試し効果がなかったという。一度死の淵を覗き込んだ者のみが魂が救済されるのだと主張する西條。
 その西條は、夏目らとの別れ際に何者かに拉致されてバラバラ死体で発見される。過去に死亡し保管されていた娘のDNAによって西條の死は確認されたのだった。

 西條らが富裕層に行っていたトリックは、遺伝子組み換え技術によって、がんに自殺装置を組み込むというものだった。ある化学物質を注入するだけで、その自殺装置のスイッチが入り簡単に完全寛解が起こるのだ。
 西條の死によって絶えたように思われたがんを利用した人類救済計画は宇垣らが継続していた。そして宇垣と共に別荘で過ごしていたのは、その死んだはずの西條であった。死んだ西條の娘は、大学の事務長と西條の妻との間に生まれた子で、西條と血がつながっていなかった。一方で西條が学生時代に精子提供ボランティアに参加して生まれた子が宇垣だった。西條は宇垣らと計画的に事務長を殺害し、自らの死を偽装したのだった。

 どうやって殺したかではなく、どうやって不治の病を治したのか。斬新な切り口に引きつけられるものの、医学的知識がない一般読者は、この謎解きに参加できないので、そこは仕方のないところなのだが、そんなことが全く不満に感じないところが素晴らしい。とにかく医療に関するメカニズム的な説明が分かりやすく、どの場面でも頭にすんなり入ってくる。読んでいて引っかかるところや突っ込みどころがほとんどない。
 しっかり
設定された多くの登場人物のキャラが今ひとつ立っていない印象がある点が若干気になるものの(森川と水嶋はもう少し描き込んでいればラストシーンの掛け合いがもっと生きてくると思うし、夏目に続くナンバー2主人公の羽島もクールな設定は理解できるが、ただ頭が切れるだけではない何らかのインパクトが欲しい。宇垣もミステリアスな魅力を持つ女医というキャラをもっと読者に印象づけた方がいい。夏目の冬木紗希に至ってはせっかくの美味しいポジションなのに、それが全く生かされていないのが惜しい)、文句なしの★★★。

 

『あとは野となれ大和撫子』(宮内悠介/角川書店)【ネタバレ注意】★★

  「このミス」2018年版(2017年作品)13位作品。第157回直木賞候補作。

 中央アジアに位置する架空の国・アラルスタンで戦争孤児となった日本人少女ナツキ。5歳だった彼女はこの国の後宮のボスであるウズマに拾われる。後宮と言っても、2代目大統領のパルヴェーズ・アリーは女を囲うことに興味がなく、孤児となった少女たちを将来の政治家として育成するための教育機関として機能していた。そこで、リーダーのアイシャや一匹狼だったジャミラといった仲間たちと充実した暮らしを送っていたナツキであったが、演説中にアリー大統領が狙撃され死亡したことで、アラルスタンは大混乱に陥る。

 ただでさえ隣接するカザフスタンやウズベキスタンの脅威にさらされ不安定なアラルスタンであったが、大統領の死に乗じて反政府組織のAIMが進軍してくるという情報に議会の議員の男たちは一人残らず逃げ出してしまう。
 そこで後宮の少女たちが立ち上がる。アイシャは大統領のサイン入りの書類を偽造し、大統領代行として臨時内閣を発足させたのだ。ナツキは国防相をまかされ、ウズマによって査問委員会に召喚されたアイシャの代わりに国防省での演説に臨む。アイシャに託された原稿を忘れてきてしまい、やむなく好き放題に喋ったナツキであったが、本人の意思とは裏腹に聴衆から拍手喝采を浴びてしまう。

 首都マグリスラードでAIMの軍を迎え撃つことになったアイシャたちであったが、AIMの幹部・ナジャフによって、ナツキに目を掛けてくれている国軍大佐のアフマドフとともに、あっけなくAIMの捕虜となってしまうナツキ。
 アラルスタンを危機に追い込んだ「石の礫」と呼ばれるAIMの気球兵器は、アラルスタンを建国した「最初の7人」の1人である「バックベアード」によってもたらされたことをナジャフから知らされ、ショックを受けるナツキ。「最初の7人」はアリー大統領のほか、レオンチェフとマグリスぐらいしか名が知られておらず、残りの人物は謎に包まれていたのだった。
 ナツキが事前に極秘に遊牧民に協力を要請していたことで国軍優勢で戦いは終結し、国軍大将のイズマイールがナジャフの提案した捕虜交換に同意したことで、ナツキは危機を脱する。

 毎年恒例の予言者生誕祭に合わせた出し物の歌劇の練習に打ち込む後宮の女たち。民衆をはじめ、各国の高官たちが観劇するため、劇を通して国威発揚をしつつ、近隣諸国に向け穏健なメッセージを発しなくてはならない難しい出し物である。後宮に出入りする吟遊詩人かつ武器商人のイーゴリは、シルヴィの書いた今ひとつの脚本を見事に直す。
 そんな中、ウズベキスタンと共同開発していたアラルスタンの油田をウズベキスタン軍が占領したという情報が入ってくる。

 ウズベキスタンの建前は、アイシャたちの統治が不十分なことによりAIMのようなゲリラの跋扈を許しているので油田をAIMから守るために軍隊を派遣したというもので筋は通っていた。そしてAIMは、暫定政府がどのような態度をとろうとアラルスタンの土地を守るため油田を取り戻すとウズベキスタンに宣戦布告する。AIMのナジャフから極秘に共闘を持ちかけられたナツキであったが、勝てる見込みのない戦いをするわけにはいかない。国軍の支援もなく、イーゴリから武器を仕入れ戦いに臨んだAIMはウズベキスタン軍の前に敗れ、ナジャフ戦死の報がもたらされた。

 ナツキは、ジャミラに対し出身地を偽っていたことを白状させ、「アリーを撃ったのもあなたね」と語り掛ける。チェルノブイリの事故で父を失ったジャミラはロシアを憎み、ウズベキスタンの工作員となっていたのであった。そしてソビエトの生物兵器が埋められているダムをイーゴリが破壊しようとしていることをナツキに告げる。

 歌劇本番の当日、ダムの様子を見に行ったナツキは、ダムに爆弾を仕掛けたイーゴリと出会う。イーゴリこそが「最初の7人」のうちの1人、「バックベアード」であった。気まぐれな強風でナツキがよろめき、無意識に助けようとしたイーゴリは起爆装置を捨て谷底へ落下していった。
 実は生きていたナジャフのバイクに乗せられ歌劇が行われる国民広場へと運ばれるナツキ。そして歌劇は大成功を収める。

 アラルスタンに平和が戻った途端に、逃げた議員たちが戻ってきてアイシャを審判にかける。そして、最後の証人として「最後の7人」の1人が呼び出される。その人物はウズマであった。アイシャたちと敵対していたウズマは、アイシャの用意した文書が偽物であることを証言するのかと思いきや、本物であると証言。弾劾裁判は、いつの間にか信任採決に変わっていた。
 憧れの遊牧民の仲間入りを果たしたナツキであったが、彼女は乾いたアラルスタンに雨を降らせるため後宮に舞い戻ってきて物語は幕を下ろすのであった。

 いつものようにキャッチコピーを見てみよう。「『今、ここ』で頑張るすべての人に贈る、とびっきりの冒険エンタテイメント」「史上最強のガールズ活劇にして、今年最高のエンタメ小説がここにある。」…
 エンタメだから何でもありでいいのだが、5歳の日本人孤児の少女が政情不安定な国で生き延びて後宮入りし、後宮仲間の少女たちと共に勢いだけで暫定政権を樹立して、難局を乗り越えるって、あまりに無理がありすぎではないか。
 いかにもミステリっぽく、冒頭に後宮見取り図、本文中に首都周辺マップが登場したりするのだが、謎解きにはまったく無関係。というより、作中で確かに重要人物が死亡し意外な犯人が明らかになるのだが、それは全体のほんのわずかな一部分であり、ミステリと言うよりは冒険活劇といった感じだろうか。
 実はヒロインと過去からつながりがあったナジャフ、ナジャフ同様に実は死んでいなかった強烈な個性を持つイーゴリなど、後宮の少女たち以上に魅力あるキャラが脇を固めてはいるものの、主人公も含め、もうちょっとが足りない登場人物たちが惜しい。
 そもそも「大和撫子」とタイトルでアピールしている割に、主人公が日本人である必然性が全くない。日本の女性らしい振る舞いが異国の人々に影響を与える話なのかと思いきや、異国の地で孤児になった年齢が5歳では日本人らしさも何も身につけているわけもないのだが。
 また、作中には多くの仕掛けがあるのだが、あらゆる仕掛けが滑り気味で、結局どこにも感動できないのが一番気になる。笑いを狙ったポイントも多いが、すべてが微妙。中高生あたりはクスリとしたりするのだろうか。
 駄作とは言わないが、積極的に人に勧めるのは憚られる。

2018年月読了作品の感想

『天翔ける』(葉室麟/角川書店)【ネタバレ注意】★★

 ミステリから離れて歴史小説に手を出してみた。ミステリではないので、あらすじを省略しコメントは簡潔に述べておく。
 幕末四賢侯の1人・松平春嶽の活躍を描いた作品。歴史小説の割に比較的読みやすい方だとは思うが、登場人物がやたらと多く、ある程度歴史的人物やその時代の情勢について知識がないと少々苦しい。年代が所々で前後するのも、知識の乏しい読者には読みにくさの原因になるだろう。
 ラストの大政奉還に向けてドラマチックに盛り上がっていく展開かと思いきや、全体的に淡々としていて、前半の坂本龍馬の登場シーン前後や、島津斉彬が将軍継嗣について春嶽に熱く語るシーン以外は、特に盛り上げるような演出もなく物足りない。
 ただ、幕末の歴史の勉強にはなる作品ではある。

 

『キラキラ共和国』(小川糸/幻冬舎)【ネタバレ注意】★★★

 こちらも前回に引き続きミステリから離れての選択。何の前知識もなく適当に選んで借りてきたのだが大当たり。
 「本屋大賞2017」で4位に入った『ツバキ文具店』の続編とのことで、主人公の女性は、文具店と営みながら代書屋の仕事もしているという斬新な設定。
 主人公の鳩子が、過去には現在の姿からは想像できないようなガングロ女子高生であったという設定とか、主人公がある登場人物に「リチャード(半)ギア」という名前を付け、ずっと物語の最後までその表記で通すところなど、なかなかに面白い。
 前作を知らない自分のような読者は状況をつかむまでに少々時間を必要とするが、すぐに慣れる(主人公がいきなり子持ちの男性と結婚するところから始まり、代書屋の話もなかなか出てこないので、突然その仕事の話が出てきたときにはかなり戸惑う)。
 『ビブリア古書堂の事件手帖』は大好きなシリーズだが、あれからライトノベル臭やダークな部分を取って、ほのぼの感を目一杯詰め込んだ感じの心温まる短編集である。
 本書も『本屋大賞2018』候補作らしいが、前作も是非読みたい。

2018年月読了作品の感想

『爆身』(大沢在昌/徳間書店)【ネタバレ注意】★★

  「このミス」2019年版 にランクインするかどうか分からないが、「『新宿鮫』を初めて読んだ時を思い出した。久々の大沢氏の大作に心が躍った」という帯のコメントに引かれて借りてみた。本名も年齢も分からない謎のボディーガード、通称キリが主人公のハードボイルド小説である。

 キリは24歳の時、強くなるために鳥取の大山で師匠の工藤俊元から2年間古武術を学び、そこで人間の弱さを知り、弱い人間を守るボディガードを始めたという経歴の持ち主である。
 ニュージーランド在住のフィッシングガイドのトマス・リーから日本での警護を依頼されたキリであったが、リーは来日後にキリと待ち合わせたホテルのレストランで謎の人体発火現象によって死亡してしまう。その後警察は、その原因を突き止めることができず、ガス漏れによる引火事故と断定する。
 そこに現れたのは「本物」のフィクサーの睦月。睦月は、リーの正体が増本貢介というかつてのビジネスパートナーであり、その死因を調査してほしいとキリに依頼する。増本は呪殺を恐れていたらしい。睦月は、調査の参考にと、自分と組む前からの増本の知人であった弁護士の向坂士郎の名を挙げた。
 キリは相棒とも言えるネットセキュリティの専門家の佐々木に協力を要請し、事件の真相に挑むこととなる。
 佐々木は、呪殺のプロの情報を得るために、保険金詐欺のアドバイザー・底井三郎の名をキリに教える。
 キリは向坂の事務所に向かうが、対応した女性事務員の秋川英梨の反応を見て、彼女が増本の身内であることを確信する。向坂に会えないまま事務所を出たキリの後を付けてきた上原という男はキリと同じような古武術を身につけていた。キリに反撃され立ち去る上原。
 底井に接触したキリは、呪殺者の存在を確認するため、客を装って底井に呪殺を依頼するが、底井はキリの嘘を簡単に見破る。
 底井に連絡先を教えて別れた後、向坂に会うことになったキリは、向坂から増本を恨んでる人物として桑野献吉の名を教えられる。さらに増本がキリと同じ古武術を使えることを聞いて驚くキリ。どうやら増本はキリにとって兄弟子に当たるらしい。さらに向坂から桑野と付き合いのあった元極道の進藤を紹介される。
 進藤の経営するクラブ「クランプ」を訪れたキリは、進藤から桑野という人物のことは知らないと一蹴されるが、店内でのトラブルをキリが収めたことで、桑野のことを知っていることを進藤から告げられる。桑野はおそらく死亡しているが、彼には息子がおり、本人の了解を取った後でその息子を紹介すると約束してくれる。
 その後、秋川から連絡があり、彼女は自分が増本の娘であることを告白し、キリと会うことになる。そこに秋川に好意を寄せている上原が妨害に現れるが、またしてもキリに撃退され去って行く。秋川によれば、上原はかつて増本のアシスタントをしており、古武術も増本から学んだらしい。
 そして秋川は、増本が結跏社という呪術師の団体に狙われていたことをキリに伝える。ニュージーランドに観光に来ていて増本と親しくなった結跏社の一人が、増本にこっそり依頼人の名前を知らせ、増本はその依頼を取り下げてもらうよう依頼人に接触しようとしていたという。
 その後、底井と会うことになったキリであったが、キリを信用できなかった底井は悪徳刑事を金で雇ってキリを襲わせる。しかし、キリにはかなわないと判断した刑事は立ち去り、キリは底井にすべてを正直に話す。それでも底井の信用は得られず、キリは自分の失敗を知る。
 佐々木の調査によれば、結跏社は大正時代に生まれた呪術集団で、教祖の初井タエとその娘のセツを中心に拡大したが、昭和に入ってから官憲に弾圧され解散したという。そのことを睦月に知らせると、睦月は結跏社のことを知っており、米国の依頼で調査もしたことがあるという。睦月はキリにキャンベルとデクスターという人物と引き合わせる。京都大学の教授もしていたキャンベルは睦月の恩師で軍の情報部にいた人物であり、デクスターは呪術を軍事利用しようとする現役の海兵隊の軍人であった。
 キャンベルによれば、結跏社はセツの養子になった初井功に受け継がれ、本部を一時鳥取に置いたときに、桑野献吉が資金面で支援していたという。初井功の旧姓は工藤であり、キリの師匠・工藤俊元と関係がありそうであった。
 佐々木の調査によって鳥取には「無縁神木流體術」という工藤玄丈が宗家を務める一子相伝の古武術があり、どうやら俊元はここを飛び出したらしい。そしてその関東支部長が桑野広一郎という人物であることが分かり、佐々木とキリは「つながった」と確信する。
 そして、進藤から桑野献吉の息子の件で連絡がある。長男の雄一郎はキリに話すことはないと言っており、次男の広一郎とは面識がないが10代の頃に無縁神木流に弟子入りしたらしい。その結果、桑野献吉と広一郎は親子で無縁神木流と一体化していた結跏社に取り込まれてしまったようだった。
 そこに雄一郎が現れる。彼は銀座で割烹をやっており、かつて父の献吉が向坂と増本相手に地上げ合戦に敗れ全財産を失い行方不明になったことを語る。そして、当時事業を手伝っていた広一郎は今でも二人のことを恨んでいるかもしれないという。
 そこへ秋川から向坂が拉致されそうになって怪我をしたという連絡が入る。そしてさらにキリの師匠の工藤俊元からも連絡があり、初井功が自分の息子であるという衝撃的な事実を知らされる。
 キリは、なじみの刑事の金松から、向坂を襲ったグループの運転手が山岸英樹という名の元レーサーではないかとにらんでいること、その人物が実家のガソリンスタンドで働いているということ、という情報を得る。
 キリがそのガソリンスタンドを訪れると、英樹の姉で常務のこずえが対応。こずえは英樹から小山という男に仕事を頼まれたことを聞き出す。こずえの話によれば小山はこずえの元婚約者で、結跏社のメンバーであり、メンバーになることを拒否したため小山とは結婚に至らなかったという。そして小山の姉の夫が桑野広一郎で、彼が教祖に増本の呪殺を依頼したこと、その事実を増本とフィッシングツアーを通じて仲良くなった増本自身に伝えたことが判明する。
 小山と接触したキリを銃で武装した偽刑事の集団が襲う。デクスターの手下と思われる男たちはキリの抵抗によって撤退するが、アメリカにものが言えない警察は事件を表沙汰にしなかった。デクスターたちは、小山を拉致して桑野や初井功の情報を得ようとしたらしい。
 キリと佐々木は、癌で入院中の桑野広一郎よりも、その妻の委津子がキーパーソンであると考える。向坂を拉致する指示を出したのは委津子だと考えたのだ。そしてその彼女がかつて広一郎の兄の雄一郎と一緒に暮らしていたことを進藤から聞いて驚くキリ。
 キリは小山に対し、これ以上米軍が強引な行動を起こさないように睦月を通して米軍と交渉しようと持ちかける。米軍が強引な行動を続けるなら睦月を初井功による呪殺の対象とするという提案まで行う。
 向坂を拉致しようと再び現れる偽刑事たち。その正体はデクスターに雇われた民間軍事会社サンダーストーム社のヒロタが率いる部隊であった。キリは向坂、上原、秋川らとともに、自ら睦月やデクスターたちと会いに行くと伝える。そしてキリは彼らに、増本の死の真相究明を続けることと、初井功と接触し米軍への協力を打診することを約束する。
 初井功と桑野広一郎が三浦半島の病院にいることをつかんだキリたち。ついに初井功に接触したキリは、今の自分に人を焼き殺す力はないと告げられる。米軍側と実際に会ってそのことを説明するように促すキリに対し、初井功は先代に託されたことを話してよいものかどうかを考えてから返事をするという。
 だが、その後、病院が謎の火事によって消失し、初井功も桑野広一郎も死亡する。キリは、初井功が先代に託されていたこととは、発火能力を失ったときには「赤屋」と呼ばれる放火のプロの力に頼ることだと考える。正体を知られたくない「赤屋」が初井たちを始末したのではないかと。
 睦月は底井を脅迫して「赤屋」の情報をキリに提供させる。昔、三村という腕のいい「赤屋」がおり、今は生きてはいないだろうが弟子がいるかもしれないという。そして、キリはその三村の弟子こそ桑野雄一郎であると気がつく。
 桑野兄弟のもう一人の敵である向坂の身の危険を感じたキリは向坂の事務所に急行する。一度は雄一郎を取り押さえたキリであったが、ヒロタからの電話に出ている間に雄一郎に逃げられる。
 駆けつけたヒロタとともに雄一郎を発見するキリ。ヒロタと一緒に現れたデクスターは、雄一郎との間に、彼を警察に引き渡さない代わりに彼のノウハウを教えてもらうという契約を結ぶが、部下を雄一郎に殺されたヒロタは逆上してデクスターの肩を撃つ。
 しかし、その瞬間雄一郎が撒いたアセトンに引火しヒロタは火だるまになる。それでもヒロタは雄一郎に銃弾を撃ち込み続け力尽きる。逃げようとするデクスターの足をつかんだのは雄一郎で、デクスターも炎に包まれる。
 翌朝警察署から解放されたキリは、待ち構えていた睦月から報酬の1千万円を渡される。今後の仕事の依頼をする睦月に対し断るキリであったが、「君はもうこちら側の人間だ」と笑って睦月を乗せた車は去って行くのであった。

 さすがにベテランの大沢氏。最初から読ませる、読ませる。『新宿鮫』シリーズのような圧倒的なダーク感や緊迫感には少々欠けるが、あらゆるシーンでの丁寧な描き込みはお見事。
 しかし、突っ込みどころもないではない。冒頭部の人体発火事件で、警察が発火原因を突き止められずにガス漏れによる引火事故と断定したとあるが、そのようなことはあり得るのか。原因不明はともかく、ガス漏れでないことは簡単に証明できてしまうのでは。
 結跏社の関係者が、いくら相手が親しい人物だからといって呪殺依頼人の名を呪殺対象者に教えてしまうという展開にもビックリ。結跏社のようなやばい団体だったらなおさらであろう。下手したら自分が消されてしまう。
 そして、その事実を知って、自分を殺そうとしている相手にその依頼の取り下げを依頼しようとする増本もおかしい。自分の死以外の相手が納得するような償いの方法を用意していたというなら交渉の余地もあるかもしれないが、そのような記述は全くなかった。のこのこ会いに行ったらその場で殺される可能性だってあるだろうに。
 そして、本作で一番筆者が心を砕いたであろうところにして、一番読者を悩ませるのが登場人物の人間関係の複雑さ。父だ、兄だ、弟だ、姉の夫だと、とにかくややこしすぎる(その割にジュリとか上原とか委津子とか今ひとつ中途半端な登場人物も多い。ジュリや上原などは、今後のシリーズの中で再利用するつもりなのかもしれないが)。
 そして、そうやって人間関係の理解に中盤以降かなり疲れたところに、最後で意外な真犯人を提示されても驚く元気も残っていないし、その真相自体、なるほどそうだったのか!という爽快感もあまりない。人体発火のノウハウとやらも結局うやむやのまま。
 「このミス」2019年版ランキングのベスト10入りは、他のノミネート作品のできにもよるが正直厳しいのではないかと思う。

2018年10月読了作品の感想

『All You Need Is Kill』(桜坂洋/集英社)【ネタバレ注意】★★

  9月にAmazonプライムで無料のプライムビデオを見ているうちに何となくSF映画にはまり、某オススメSF映画サイトで勧められていたトム・クルーズ主演の同名の映画を観て面白かったので、原作と原作を元にしたコミックを購入して読むことに。いわるるループもののSF小説。日本のライトノベルがアメリカで実写化されたのは初ということだが、納得の面白さ。映画版はかなり改変が加えられているが、賛否両論あるとは思うものの、個人的には映画版の方が分かりやすくて面白かった。コミック版は、多少簡略化されているものの原作に忠実に描かれている。原作と映画版の一番の違いは、原作がバッドエンドで、映画版がハッピーエンドなところ。
 初年兵が自分の意思とは無関係にゲーム感覚で生と死を繰り返し、戦闘技術を磨き、異星人が地球に送り込んだギタイと呼ばれる戦闘マシンを倒していく中で、無敵のヒロインと仲を深めていくという物語。
 どうやら敵もタイムループ機能を使って地球軍との戦いを有利に進めてきたという設定で、その機能を停めるべく主人公は奮闘している訳なのだが、そのあたりの説明が少々分かりにくいのが難点。それ以上に、それなりに描き込んではいるものの、やはりライトノベルの特徴というか、主人公とヒロインの人間性が十分に描き切れていないことで、ラストシーンで十分に感動できないのが惜しいところ。
 よって評価は★★なのだが、★★には人に勧められるものと勧めにくいものがある中で、本作は前者。14年も前の作品なのだが、未読の方は、是非映画版とあわせて鑑賞していただきたい。

2018年12月読了作品の感想

『沈黙のパレード』(東野圭吾/文藝春秋)【ネタバレ注意】 読書中

  メインのHP更新のほか、コミックや無料配信映画鑑賞に忙殺され、遠ざかっていたミステリ小説に2か月ぶりに戻ってきて最初に手を出したのは、初の「このミス」2019年版(2018年作品)ランキング作品で、4位にランクインした本作。言わずと知れた大人気のガリレオシリーズ第9弾である。

 「キクノ・ストーリー・パレード」で有名な菊野市(架空の街)で定食屋「なみきや」を経営する並木祐太郎・真智子夫妻と次女の夏美を苦しめていたのは、3年前に行方不明になった当時19歳だった長女の佐織のことだった。佐織は、地元で有名な資産家でいくつかの音楽スタジオを持つ新倉直紀と、その妻の留美が、歌手としてデビューさせるために大切に育てていた将来有望な娘でもあった。
 その佐織の遺体が静岡のゴミ屋敷の火災現場で所有者の老婆の遺体と共に発見される。老婆は6年ほど前に自然死し、佐織も失踪直後に頭部への打撃によって死亡していたものと考えられた。そして、佐織殺害の容疑者として浮上した男の名が蓮沼寛一であった。彼は老婆の息子であり、佐織の失踪直前に佐織につきまとって「なみきや」を出禁になったことがあり、さらには別の少女・本橋優奈の殺害容疑で逮捕され、犯人の可能性が濃厚ながら証拠不十分で無罪となった過去があった。佐織と交際していた高垣智也も蓮沼のことを疑っていた。
 警視庁の理事官となった多々良から捜査を任された草薙俊平は、部下の内海薫と共に捜査を開始する。Nシステムの記録によって、佐織の失踪直後に蓮沼が菊野と静岡の間をライトバンで往復していることが判明し、蓮沼の昔の勤め先の制服から佐織の血痕が見つかったことで、ついに蓮沼は逮捕される。しかし、蓮沼はまたしても証拠不十分で処分保留となる。
 研究のため渡航していたアメリカから帰国し、菊野市の研究施設に勤めていた草薙の大学時代の親友である物理学者の湯川学と再会した草薙は、この事件のことで湯川に愚痴をこぼす。その時に耳にした「なみきや」に、湯川は週2回ペースで食事に通い始める。
 そんな時、「なみきや」に蓮沼が現れる。自分は無実の罪で犯人扱いされた被害者だから、並木達に賠償金を請求をすると言う。並木や並木の友人の戸島修作は怒りにまかせて追い返すが、蓮沼は図々しくも菊野市の倉庫事務所に住み始めたらしい。
 そこで、並木と戸島たちは、新倉や高垣も仲間にして、頼りにならない警察に代わって蓮沼に鉄槌を下す計画を練り始める。
 そしてパレードの日がやって来る。夏美は常連客となった湯川をパレードに案内するが、「なみきや」で客の中年女性が食中毒のような症状を訴えたため、並木と真智子は病院へ付き添うなど慌ただしかった。結局、病院で客の女性は回復し何事もなく、事は済んだ。
 パレードが終わり、湯川が食事をとろうとしていた「なみきや」に、パレードを仕切っている宮沢麻耶が飛び込んでくる。蓮沼が死んだというのだ。
 草薙も耳を疑った。住処にしていた事務所の部屋の中で倒れているところを、同居していた増村という男に発見されたというのだ。死因は不明で、溢血点があったことから窒息死の可能性が高いが、絞殺や扼殺にしては少なく、首を絞められた跡もないという。草薙は、かつて様々な事件解決に協力してくれた湯川に、今回も協力を仰ぎ、現場を見たいという湯川の要望も聞き入れる。
 湯川は、蓮沼が寝泊まりしていた3畳ほどの部屋を密室にしてヘリウムガスで酸欠状態にしたものと推理する。盗まれて使用されたガスボンベと、頭に被せたと思われるビニール袋も発見されるが、内海はその回りくどい殺害方法に疑問を抱く。その指摘に応え、湯川は別の推理を打ち立てる。それは、室内に液体窒素を流し込んで同じように窒息させるという殺害方法であった。
 そして、液体窒素を容易に調達できる戸島が中心になって計画し、並木、新倉、高垣たちが協力して行った犯行の全容が明らかになる。蓮沼と同居していた増村は、実は蓮沼に最初に殺害された本橋優奈の伯父で、復讐のために彼と親しい関係になっていたことも判明する。酸欠で蓮沼を苦しませ、並木と新倉が蓮沼を尋問することが目的だったが、並木の店のトラブルで計画がキャンセルになったにもかかわらず、新倉が独自に尋問を行い、佐織殺害を認めた蓮沼を勢い余って殺害してしまったというのが真相であった。
 しかし、湯川は納得がいっていないようで、内海に新たな指示を出す。そして新たな事件の真相が明るみに出る。高垣との恋愛に夢中になり歌のレッスンに身が入らなくなった佐織を公園に呼び出した新倉の妻の留美が、佐織が高垣の子を妊娠し、さらには新倉達の努力を無にするような言動をとったことに激高し、佐織を突き飛ばした結果、頭を打った佐織は動かなくなり、留美は逃走。現場を目撃した蓮沼が佐織の遺体を隠し、その後留美を脅迫したというものだ。新倉は、留美の犯罪を隠すために並木を現場に来られないように細工をして独断で蓮沼を殺害したのだ。
 しかし、湯川はさらに事件を掘り下げ、真の真相にたどり着く。佐織の失踪した公園の現場に残されていたバレッタに血痕が付着していないことから、蓮沼が佐織を運んだときにはまだ佐織は生きており、やはり佐織を最終的に殺害したのは蓮沼だったというものだ。
 高垣は、佐織を妊娠させて歌の道を捨てようとさせたことを並木に謝罪するが、並木は恨むどころか感謝していると答える。そして、この街の施設での研究を終えた湯川は、戸島と同じく悔しい思いをしている友人を救うために事件解決に協力したのだということを夏美に告げ、街を去って行くのであった。

 さすが、東野圭吾作品。最後まで超安定の吸引力に、とどめの2段階のどんでん返し。★3つでも問題ないのだが、ところどころにモヤモヤしたものが残る。
 前半では警察の不甲斐なさがまず気になる。しかし、現在の法律では本作と同じような展開になってしまうのは事実なのだろう。本作によって犯罪者の黙秘が増加しないことを願う。また、蓮沼の、義母の年金不正受給の件も黙秘で切り抜けられたのかという点も引っかかった。
 そして何より、後半での、事件のきっかけを作った佐織の留美に対する言動と、周囲の反応である。話を読む限り留美の怒りはもっともであり、新倉や留美の努力を無にするような、高垣や佐織の軽率な行動は腹立たしく思える。そして、その2人の行動をあっさり許すどころか「感謝している」とまで言ってしまう並木に違和感が感じられてしょうがない。いや、不快感と言ってもいい。この点が本作の一番の問題点だろう。
 この違和感をなくし、読者の佐織への共感を高めたいのであれば、新倉や留美が、読者が佐織に同情するくらい厳しく接していたことをもう少し描くべきだった。単に佐織を実はちょっと悪い娘だったというように描きたかったのなら、それはそれでいいのだが、それならば、序盤でもう少し佐織の性格について伏線を張るべきであるし(良い娘として描きすぎ)、真相を知った後の父の並木はもっと殊勝な態度を取るべきである。自分の娘が事件のきっかけを作り、多くの不幸を呼んだのだから。
 かといって高垣に感謝するというのはどうか。とんだお人好しではないのか。高垣は限りなく佐織と同罪であろう。佐織を妊娠させ、佐織に歌を捨てさせる原因を作り、それを止める行為も行っていない。作中でもっと高垣を好人物に描いておかないと読者の共感をまったく得られないと思う。現状では単なる優柔不断な軟弱男にしか見えない。
 あとは、警察側の人間の描き方か。湯川は珍しく実に人情味あふれる人物として描かれているが、その点が目立つだけに、それと対照的に草薙と内海が中途半端な存在に見える。草薙は存在感がないし、彼に代わって湯川との掛け合いで話を盛り上げてほしい内海が生かし切れていない感じ。
 湯川の善人ぶりは決して嫌いではないのだが、ちょっとキャラを変えすぎな気はする(加賀恭一郎とキャラがかぶる)。また最近は、湯川=福山雅治というイメージが自分に(おそらく世間的にも)定着してしまい、完全に福山の姿をした湯川を思い浮かべながら読み進めたのだが、福山主演のドラマ化や映画化を意識したシーンが目立つのも気になった。湯川にギターを弾かせるシーンなど、そのもっともたるものである。読者サービスのつもりかもしれないが、あざとすぎて何だかなあという印象を受けた。
 以上のようなモヤモヤ要因がいろいろあったため★2つとさせていただいたが、特に細かいことは気にならないという読者には、普通にオススメできる良作である。

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