現代ステリー小説の読後評2020

※タイトル横に【ネタバレ注意】の表記がある作品はその旨ご注意を
(10pt太字があらすじで12pt通常文字がコメントです)

2020年月読了作品の感想

『霊媒探偵 城塚翡翠(じょうづかひすい) medium〔メディウム〕』
(相沢沙呼/講談社)
【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2020年版(2019年作品)1位作品。主人公の推理作家・香月史郎が、霊媒の若い美女・城塚翡翠と出会い、協力しながら次々と難事件を解決するという物語。大学生の青年と若き女探偵がコンビを組む「このミス」2011年版(2010年作品)4位作品『隻眼の少女』(麻耶雄嵩)をちょっと思い出した。
 プロローグでは、未解決になっている若い女性の連続殺人事件に2人が挑むことを匂わせ、その件は全4話から成っている本作の第4話につながっている。
 最初に結論を言ってしまうと、第3話までは、なぜ本作が1位になったのか分からないくらい平凡なミステリ小説である。ヒロインは確かに魅力的だが、この霊媒のヒロインはすぐに犯人を指摘するし、犯人のトリックも犯行動機も特に見所がなく、多くの読者は本作の評判の高さについて理解に苦しむだろう。
 しかし、第4話で大きなどんでん返しが待っている。一発目は、自分も含めミステリ慣れしている読者には想定内であろうが、二発目はさすがに面食らうはずだ。物語的に後味のいいものではないし、特に感動的というわけでもないが、1位に輝いたことには納得せざるを得ない。

 第1話では、香月は彼に想いを寄せている大学の後輩の倉持結花から相談を受ける。彼女の枕元に現れる「泣き女」について占い師に紹介された霊媒に相談に行きたいから付き添ってほしいというものであった。
 そこで出会った翡翠と3人で結花の部屋を訪れる約束をするが、結花は何者かに殺害されていた。翡翠は犯人が女性であることを一瞬で言い当て、香月は結花の友人の小林舞衣に自白させることに成功する。舞衣の犯行動機は、結花が無意識に舞衣からすべてのものを奪っていくことが許せなかったというものであった。

 ヒロインの翡翠は登場シーンからずっと魅力的に描かれ、ミステリアスな霊媒という設定も興味深いが、想像以上に事件解決へ向けての展開が平凡で拍子抜け。翡翠に匹敵する魅力を持つ結花をダブルヒロインに据えるのかと思いきや、あっさり殺してしまい、しかも主人公の香月が、彼女の死にあまり執着していない様子にも幻滅(この点については第4話で多少納得できるのだが)。
 「泣き女を見た者は死ぬ」という翡翠の予言に対し、彼女を信じる香月が、自分自身も泣き女を見てしまったのに、その後まったく怯えていないのも不自然。

 第2話では、作家仲間の黒越篤が、香月や翡翠も滞在する水鏡荘と呼ばれる黒越の別荘で殺害される事件が発生。そこはかつて黒書館と呼ばれた曰く付きの館であった。
 今回も、翡翠は犯人が同宿していた作家の別所であるとすぐに見抜いてしまう。しかし警察は、3人の容疑者のうち、黒越と不倫関係にあった新谷由紀乃を最も有力な容疑者であると考える。翡翠は夢で見た洗面所の古い鏡の視点で容疑者3人の行動を香月に説明して、別所こそが犯人であるという論理を構築し、別所逮捕へと見事につなげる。別所の犯行動機は、黒越の新作のトリックが別所のアイディアの盗用であることに別所が気がついたことだった。

 こちらも1話同様に平凡な印象。鏡視点からの翡翠の論理的説明にも特に感動はない。本作にますます不安を感じ始める。

 第3話では、香月は彼のファンである女子高生・藤間菜月から、彼女の通う高校で起きた連続女子高生殺人事件の解決を依頼される。そして、現場を霊視した翡翠によって、犯人が高校3年生の女子高生であることまで判明する。
 しかし、犯人の目星が付かないまま菜月が3人目の犠牲者となってしまう。彼女と仲良くなっていた翡翠は取り乱すが、香月はそんな彼女を優しく励ます。そして、彼女たちと同じ高校に通う写真屋の娘・藁科琴音が捜査線上に浮上。菜月の霊を降ろした翡翠によって次の犯行現場を知った香月は、4人目の被害者を殺す寸前だった琴音を取り押さえることに成功する。
 琴音の犯行動機は、美少女の死に顔が見たかったという完全にイカレたものだった。

 まず翡翠が降霊した菜月がなぜ次の犯行現場を知っていたのかが謎(一応第4話で説明はあるが)。この菜月の霊が「晴れやかな笑顔」を浮かべていたり、「先生のこと、恨んでませんからね」とコメントするのもよく分からなかった。

 問題の第4話。プロローグの連続殺人犯が香月であることが明らかに。その犯行場所である別荘に連れて行かれる翡翠。香月は殺人鬼の正体を現すが、絶体絶命に陥ったように見えた翡翠は別人のように豹変し、自分に霊能力などないこと、これまでのすべての霊視は自分の観察力と情報収集能力によってなしえたものであることを香月に語り、香月を大いに困惑させる。
 そして、これまで香月と一緒に多くの事件解決に関わってきた刑事の鐘場正和が部下を率いて別荘に突入し、香月はあっさりと逮捕されてしまう。香月の言動は、翡翠の罠によってすべて警察に筒抜けであったのだ。

 冒頭で述べたように、主人公=犯人というのはミステリの1つのパターンとして確立しているので香月の正体については想定内であったが、翡翠の壮絶な反撃は完全に予想外。ここまでの豹変は誰も予想できなかったはず。帯では、多くの作家が彼女の魅力を絶賛しているが、エピローグでその豹変ぶりに多少の演技が入っていたことも匂わされているものの、あれはやりすぎ。自分も含め、もう以前のような目で彼女を見ることは不可能だという読者も多かろう。自分には、彼女について最初の頃のような魅力はもう感じられない。
 序盤では、シリーズ化も考えているのだろうと思っていたが、ここまでやってしまうともう次はないという気がする。これ以上のインパクトは出しようがないからだ(映像化はありそうだが)。
 というわけで、本作を大絶賛はしないが(★3つを満点としているので★3つつけるが、★5つが満点なら★4つ)、1位には十分に納得できるし、人に勧めたい作品の1つであることも間違いない。

 

『刀と傘 明治京洛推理帖』(伊吹亜門/東京創元社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2020年版(2019年作品)5位作品。混迷を極める明治初頭の京都を舞台とした時代物。時代物は、海外物、重い警察小説と並んで苦手なジャンルの1つなのだが、思っていたよりは読みやすかった。
 ただし、主人公があまりにつかみどころがない。頼りなさそうで実は切れ者というキャラを作ろうとしたのだろうが、途中みすぼらしさが増したかと思うと、後半、やたらと尊大な感じになって、最後にはよく分からない理由であっけなく自害してしまう。しかも、その一因となっているのが相棒とも呼べる江藤新平を救うための行動によるものであったのに、結局江藤を救えなかったというオチ…。一体この作品のどこに感動すればいいのか。
  2020年版(2019年作品)1位作品の『medium』に大きな感動を得られなかったので2位以下の作品に不安を感じていたのであるが、この調子だと他の作品も心配になってきた。

 第1話では、主人公の尾張藩士・鹿野師光(かのもろみつ)が、上洛したばかりの佐賀藩士・江藤新平を仲間の五丁森(ごちょうもり)のところへ案内するが、彼は何者かに殺害されていた。彼の隠れ家を知る者は、同じ仲間の多武峰(とうのみね)と三柳(みやなぎ)と上社(かみやしろ)のみ。
 取り乱す鹿野をよそに、冷静に下手人を暴き立てることで名を上げようと考える江藤。鹿野はそんな彼に反感を抱く。しかし、江藤は鹿野が気づかなかった五丁森の自害の可能性を鹿野に示す。
 事件の真相は、三柳が五丁森を眠らせ彼の極秘の書簡を奪い、そのことに気づいた五丁森が自害を図ったが(書簡を奪われたことに加え、大垣藩邸の火事を彼が止めようとしていた戦争が始まったと勘違いしたことが原因)、死にきれ ず苦しんでいる彼を戻ってきた三柳が発見し、自害でなかったことに偽装するためと、介錯をするために滅多刺しにしたというものであった。

 ここでは、鹿野はぱっとしない若者として描かれ、江藤は鹿野より身分は下ながら、堂々とした大物の風格を漂わせる人物として描かれている。ミステリとしては普通に面白い。

 第2話では、出世した江藤新平が、弾正台の解体を進めるため、横井小楠と大村益次郎暗殺の資料を入手すべく弾正台に勤める渋川を間者に仕立てるも、渋川は密室で死体となって発見される。江藤のターゲットは大曾根という攘夷主義者で、彼こそが横井と大村の暗殺を命じた張本人だと江藤は考えていた。
 江藤は、鹿野を部下にすべく探していたが彼はずっと行方不明であった。しかし、渋川の遺体の第一発見者が、大曽根と彼をたまたま訪ねてきた鹿野であったことに驚く。
 そして江藤は、渋川が利き腕でない右手で首筋を掻ききったことを知り、他殺を確信する。江藤に追求された大曾根は、渋川殺害を認めて江藤を殺そうとするが鹿野に止められる。
 事件解決後、鹿野は江藤の説得に応じ、彼の右腕となることを承諾する。

 密室トリックがあまりにお粗末。利き腕の件もありがちだが、部屋の引戸が開かなかった理由が、細い釘で敷居と引戸を固定していたからというのは余りに酷い。「戸が破られれば釘も折れる」「そんな物、修繕した跡の1つに過ぎん」なんて、そんないい加減な…。

 第3話では、その日の夕刻に斬首が決まっていた罪人の平針が、鹿野の目前で昼食に盛られた毒で毒殺されるという謎の事件が発生する。
 江藤は、彼の刑の執行を知らなかった京都府大参事の槇村こそ犯人だと決めつけて聞かない。槇村も平針と同じく長州藩の出身であり、藩にとって不利なことを平針に喋られては困るから早く殺してしまいたかったのではと考えたのだ。
 刑の執行役は円理という若者で、彼の父は平針に殺されていたため、彼の仇討ちに注目が集まっていた。そこで鹿野は、円理がきちんと斬首ができるかどうか自信がなかったため毒を盛ったという真相にたどり着く。
 しかし、円理は自信が付くまで刑の執行を伸ばそうとわずかに毒を盛っただけであった。そこで鹿野は気づいてしまう。なぜ昼食には致死量の毒が盛られていたのか。同じように、刑の執行を伸ばすためにわずかな毒を盛った人物がもう1人いたのだ。それは、平針の取り調べの期間を延ばし、毒を盛ったのが長州藩の人間だと平針に吹き込み、平針の聴取を進めようとした江藤だったのだ。

 前作でやっと手を組んだ2人の間に一瞬でヒビが入るというエピソード。少々展開が早すぎる気もするが、本作で一番よくできた話ではなかろうか。

 第4話では、市政局次官の五百木(いおき)が妾の沖牙に刺殺される。彼女は、女中の日々乃も刺殺し、五百木に恨みを持つ脱獄犯の四ノ切を手引きして五百木を襲わせる。四ノ切が五百木の異変に気づいたときには時すでに遅く、沖牙は短銃で彼を撃っていた。
 沖牙は、かつて兄と慕った人物が落ちぶれているのが許せず殺そうと決めていたが、五百木への復讐ぐらいは果たさせてやろうと考え、五百木も殺害したのだった。
 彼女は強盗に襲われたことを装って、たまたま通りかかった江藤に助けを求めるが、江藤はすぐに彼女に疑いを抱く。
 江藤は、彼に断りなく人脈を駆使して京都へ異動になって姿を消した鹿野を追って京都に来ていたのだが、そのことを知った鹿野から、手紙でこの事件の捜査を任される。
 江藤は証拠 をねつ造して沖牙を自白させ逮捕するが、彼が証拠をねつ造したことに加え、鹿野を失脚させ東京に呼び戻すために沖牙に自害させようと計画したことに激怒した鹿野は、仕込み傘の切っ先を江藤に突きつけ、「今度会った時、あんたはおれの敵だ」と言い放つ。

 沖牙の連続殺人の偽装工作があまりに杜撰。さらに沖牙の四ノ切殺害動機も苦しい。五百木も日々乃も一緒に殺してしまおうという発想も理解しがたい。
 第3話で江藤に疑念を持った鹿野が、いきなり勝手に異動して姿を消す展開も極端だが、手紙で事件解決を依頼しておいて(ここも十分に不自然だが)、策を弄した江藤に刀を突きつけて敵意をむき出しにするのも「?」。次々と人格変わりすぎでは?

 第5話では、志半ばで佐賀に帰る途中の江藤が京都の監獄に立ち寄り、そこで彼を追っていたらしき間者の刺殺体を発見する。そして、驚くべきことに江藤に間者殺害の容疑がかかり、駆けつけた鹿野によって江藤は投獄されてしまう。
 江藤は身の潔白を証明し、鹿野こそが犯人であると指摘して勝ち誇るが、江藤は、彼が佐賀に帰った場合、暴動に巻き込まれ首謀者として処刑される恐れがあったため、鹿野が彼を京都に留め置こうとして容疑者に仕立て上げたのではないかということに思い至る。
 しかし、時すでに遅く、鹿野は仕込み傘で自害した後であった。そして江藤は、佐賀に帰郷後、佐賀の乱に巻き込まれて斬首されてしまう。

 あらすじをまとめ直してみても、鹿野の変貌ぶりだけが目立つ。江藤のやり方に同調しきれなかったから距離を置いたところまでは理解できても、江藤に殺したいくらいの憎しみを抱くのは理解しがたいし、最後には江藤を守るために無茶をし、勢い余って自害してしまうと言う展開には、ちょっとついて行けない。
 しかも、前述したように、そこまでしながら結局江藤を救えなかったというオチはいったい何なのか。たった2行で江藤の死を表現したラストがさらにその虚しさを強調しているわけだが、著者の意図がよく分からない。
 駄作とは言わないが、「面白いから是非読んでみて!」とは、とても人に言えない。 

 

『W県警の悲劇』(葉真中顕/徳間書店)【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2020年版(2019年作品)18位作品。女性警官にスポットを当てた警察小説ということで、前回述べたように重い警察小説は苦手ジャンルの1つであること、そして順位も低めということもあって不安もあったのだが、過去に読了した著者の作品2作(2014年版10位作品の『ロストケア』と2015年版11位作品の『絶叫』)については2作とも★3つという最高評価を付けているので、一応期待して読み始めたら期待以上だった。

 第1話「洞の奥」では、誰からも尊敬される模範的な警官であった父の熊倉哲警部に憧れて警官となった熊倉清が主人公となる。熊倉警部は警察内部のスパイから情報を買っていたと思われる暴力団の若頭・柏木が港湾で謎の死を遂げた翌日、三屋岳で謎の死を遂げていた。
 W県警の上層部では、W県警史上初めて警視にまで登り詰めた女性警官である松永菜穂子に責任を押しつけようとしていた。彼女が、熊倉警部に署内のスパイ探しの特命を与えた張本人だったからである。上層部は、調査が始まったことに気づいたスパイによって熊倉警部が殺害されたと考えたが、当然表沙汰にはしたくない。
 そこで松永はさらなる出世のために、表沙汰にする前に自分が解決すべく時間をもらえるよう願い出る。松永の博打は吉と出て、熊倉清から三屋岳にある父との想い出の場所を聞き出し、そこで熊倉警部の手紙を発見。それは、彼がギャンブルで作ってしまった借金返済のため柏木と関係を持ってしまったことを詫びて自殺するという内容の、娘にあてた遺書であった。上層部は、熊倉警部がスパイであったことに驚きつつも、真相を知って安心して事件をもみ消し、熊倉警部の死を事故死と認定して、遺書のことは清に伝えなかった。
 しかし、これはすべて清の策略であった。清は父が模範的な警官ではないことをすでに知っており、ギャンブルどころか幼児売春にまで手を染めた悪党であることまで把握していた。清は、柏木と父を殺害し、松永をミスリードすることで、警察と自分へのダメージを最低限にすることに成功したのである。
 危機を乗り越えた松永の耳に気になる情報が入る。清と交際しながら、浮気していたことでアリバイが確認され熊倉殺害の容疑者から外れていた谷口が行方不明になったというものだった。

 見事などんでん返しの連続である。谷口への容疑はもう少し引っ張っても良かったと思うが、熊倉警部こそがスパイだったという衝撃に加え、実は彼はもっと悪党で、それを娘が警察を欺して極秘に処理したという衝撃の二段構え。
 清が柏木と父親に続いて恋人の谷口まで殺してしまったことを匂わせるラストは、少々やりすぎ感もあるが(さすがに清は疑われてしまうだろう)、面倒な理屈や文学性を廃して、シンプルに読者を驚かせることに徹した本作は、個人的にはドストライクであった。

 第2話「交換日記」では、コンビを組む上原佑司刑事に想いを寄せる女刑事の日下凛子が主人公となる。2人は小6の江川瑠美殺害事件を追っていたが、一向に捜査は進展しない。瑠美が誰かと交換日記をしていたらしいという情報を得るが、その相手も分からないままだった。
 そんな中で、上原が女刑事に想いを寄せていることに上原の妻が気がつくシーンが挟まる。さらに、日下が上原こそ犯人ではないかと気がつくことを匂わせるシーン、上原の妻が日下を尾行して日下に殺意を抱くシーン、上原の妻が上原の部屋の棚の裏から瑠美との交換日記を発見するシーン、上原聡美と名乗る人物が日下に日記の写真を見せ、「明日からも後輩として普通に接してもいいし、捕まえてもいい」と告げるシーンが登場。
 上原の逮捕が近いと確信した読者の度肝を抜くのが、そこから続く聴取室のシーンである。日下が上原に犯行を自白させたのかと思いきや、真犯人は寺田「祐司」という瑠美の同級生の母親で、上原「佑司」は日下と一緒に、寺田祐司から母親が犯人であるという証言を聞き出したというシーンなのだ。
 本作は完全な叙述トリックであり、上原の妻はすでに病死しており、読者が上原の妻と考えていた人物は、上原の日下への想いを書き綴った日記を見つけた上原の姉の聡美と、息子の寺田祐司に異常な恋心を持つ母親・寺田和音の両方であった。
 ラストシーンで日下は上原に強引に逆プロポーズして、上原は気圧されたようにそれを受け入れるのであった。

 著者は所々で「佑司」と「祐司」を書き分けているのだが、最低限の箇所なので読者はそんなことに気がつかない。上原聡美も寺田和音も日下を尾行したことがあるのだが、読者にはその識別はできず、しかも上原の妻がすでに故人であることは最後まで明らかにされないのは、かなりアンフェアである。
 さらに和音が息子の祐司と肉体関係があったことで、和音が祐司の瑠美との浮気(?)を妬むシーンを、読者が上原とその妻の話だろうと思い込むのはギリギリセーフの設定だとしても、読者を混乱させるために祐司と瑠美が刑事ごっこというロールプレイをしていたという設定はさすがに無理矢理過ぎる反則だろう。
 それでも意外と著者を許せてしまうのは不思議だ。読者を楽しませようというサービス精神が作品全体ににじみ出ているからであろうか。
 「明日からも後輩として普通に接してもいいし、捕まえてもいい」という上原姉のセリフはなかなか秀逸だと思う。

 第3話「ガサ入れの朝」では、W県警本部鑑識課に所属する千春が主人公となる。彼女にはガサ入れで獲物を見つける才能があったが、過去のガサ入れの時に獲物のドラッグの隠し場所に気を取られていたせいで、彼女の代わりに半グレに撃たれて怪我をしたのが彼女が想いを寄せていた野尻警部補であったため、彼女は落ち込んでいた。
 野尻と千春の間には、それ以前にちょっとしたことで相互不可侵の壁ができてしまっており、その事件が起こったのは彼女が功を焦ったせいでもあった。
 今回新たに銃器密造の容疑がかかった部屋にガサ入れをかけたが、肝心の銃器が見つからず焦るチーム。野尻の願いを叶えるため千春は全力を尽くし、ついに自慢の鼻でドローンで屋上に運ばれた密造銃を発見する。
 ラストで、野尻が千春に近づけないのは、警察犬である千春に対し、野尻が動物アレルギーを持っていたからであったという理由が明かされる。

 ドローンのトリックはたいしたことがないが、千春が臭いで屋上に運ばれた密造銃を発見するという展開にさすがに無理があるのではと思いきや、千春が実は警察犬だったという衝撃のオチ。
 千春と野尻の間の壁がアレルギーであることは何となく想像できていたが、女性警官の千春が動物を飼っていたせいだと思って読んでいた。
 2002年に読了した綾辻行人氏の『どんどん橋、落ちた』(1999年作品)に、人間だと思っていた主要人物が実は動物だったというネタがあったと思うが、もしかしたらそれ以前にモチーフとなる作品があるのかもしれない。

 第4話「私の戦い」では野倉署生活安全課に所属する葛城千紗が主人公となる。
 ユーチューバーのピコタこと井浦明日翔は、警官をからかい逮捕されたが、略式起訴されて罰金を払ったのち活動を再開したことが分かる。彼を取り調べた主任の矢野は、井浦の反省していない様子に憤慨 する。
 その後、女子高生の北咲良が痴漢に遭う事件が発生。被疑者の宮川満はかたくなに黙秘を続けるが、彼を取り調べている過程で葛城はあることに気がつく。
 矢野は宮川に対し過酷な取り調べを行うが、無実の証拠映像の存在が明らかになり、宮川は釈放されることに。しかも、宮川が眼鏡に仕込んだカメラで撮影したと思われる矢野の不当な取り調べの様子が井浦のユーチューブで公開され、矢野は依願退職することになる。
 井浦と北と宮川はグルだったのだ。そして葛城は、自分に対しセクハラを続けていた矢野を許すことができなかったため、宮川の撮影に気がつきながら沈黙を通していたのだった。

 主人公の葛城の真の敵は電車痴漢の犯人ではなく、セクハラ上司の矢野だったというオチ。井浦一味のやりすぎ感は不愉快極まりないが、矢野が退職に追い込まれるラストにはカタルシスを感じる読者も多いのでは。お見事。

 第5話「破戒」では、W県警日尾署刑事課所属の滝沢純江が主人公となる。
 ある日、神父の佐山伸一郎が父親を殺害したと自首するが、彼を昔から知る滝沢は信じることができない。誰かをかばっていることは明らかだったが、当初真犯人ではないかと疑われた助祭の吉村と畠山にはアリバイがあった。
 そして滝沢は佐山がかばっている相手に思い当たる。それは父親であった。自殺はキリスト教における大罪であり、敬虔な信徒であった父親を最後まで立派な信徒として天国に送るために、佐山は普通の犯罪とは逆の偽装、つまり自殺を殺人に見せかけるトリックを用意したのであった。
 滝沢は偽証もキリスト教における罪の1つであることを利用して佐山を追い込むのであった。

 特に感銘を受ける内容ではないが、宗教がらみの事件ならではの展開はそれなりに面白い。

 第6話「消えた少女」では、第1話から、脇役として登場を続けていたW県警初の女性警視・松永菜穂子がついにメインキャストとして登場する。
 彼女は念願の警視正に昇進し、警視正以上のみが参加することのできる円卓会議で、W県警を改革をするための決意を新たにする。
 そんな時、下田杏奈という小学3年生の少女の行方不明事件が発生し山狩りが始まるが、その途中に松永が少女の母親を追求し、彼女に娘に虐待をしていたことを告白させる。結局、少女は自分の意思でどこかに隠れているだけだという判断が下され、山狩りは中止される。
 鋭い観察眼を賞賛される松永であったが、署長と課長の打ち上げの誘いを断り、過疎地へ向けて車を走らせる。実は山狩りに向かう途中に、松永は少女を跳ね殺してしまっていたのだ。こっそりと死体を処分しようとしていた松永であったが、彼女を尾行していた巡査にすべてを暴かれる。
 この巡査こそ、第1話の主人公の熊倉清であった。熊倉は自分の行ってきた行為は正義として認められるが、松永の行為はアウトであるとジャッジし、彼女に「あなたがいなくなってもいずれ改革は進みます」「安心してお休みください」と告げて特殊警棒を振り上げるのであった。

 序盤から松永に付き添っていた巡査が、実は熊倉清だったという展開はお見事。しかし、熊倉が松永を殺害しようとするシーンで幕を下ろす物語展開はいささか乱暴すぎる印象である。確かにドラマチックでショッキングなエンディングであり、熊倉の殺した父親が悪党であった一方で、松永の殺したのは罪のない少女だったのだから松永はアウトだという論理は分からないでもないが、松永を殺して一体どうなるのか。
 少女共々行方不明にするのか。松永の罪を暴いて松永を自殺に見せかけて処分するのか。いずれにせよW県警内での女性警官の地位向上の機会は遠のくばかりではないか。熊倉のようなタイプなら、松永の弱みを握って自らの出世につなげるという思考の方がありそうな気がするのだが。
 行方不明の少女が虐待されていたという情報が明るみに出た瞬間に山狩りが打ち切られ、打ち上げモードになる警察の対応は、時代遅れがどうのこうのという問題ではなく違和感しかなかったのも大いに気になるところ。

 トータルすると第5話と第6話以外は十分に楽しませてくれたので、★3つということにしたい。5点満点なら4点かもしれないが、ミステリ好きな人にはオススメできる。 

 

『昨日がなければ明日もない』(宮部みゆき/文藝春秋)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2020年版(2019年作品)8位作品。著者がいくつか持つシリーズの中でも人気の杉村三郎シリーズの第5弾である。第1弾『誰かSomebody』はこのミスランク外だったので未読だが、第2弾『名もなき毒』、第3弾『ペテロの祖売れる』、第4弾『希望荘』はすべて読了している。
 著者は好きな作家の一人だが、このシリーズに関しては「人の悪意」をテーマにしているということもあって、読んでいて不愉快になることが多く、読了した3作ともあまり良い印象がない。
 本作を読み始めてさらに気がついてしまったのだが、主人公の杉村があまりにも優秀すぎて隙がなく、こんな人いるわけないだろうとなってしまうのも個人的マイナス点。情報収集の達人である木田に助けを求めることも多いし、人情味溢れるシーンも時々あるのだが、あまりに人間離れしていて共感しづらい。
 若竹七海の葉村晶シリーズの主人公・葉村と結構キャラがかぶっている(葉村は女性で葉村晶シリーズの方がずっと新しいのだが)気がするのだが、杉村は葉村ほどの人間味を感じない。

 第1章「絶対零度」では、筥崎静子という夫人から、嫁に行った娘の佐々優美が自殺未遂をして入院したと娘の夫の佐々知貴から聞かされるが、その原因が母親の静子にあるといって知貴が優美に会わせてくれないという相談が持ち込まれる。
 杉村の調査によって、娘の夫の知貴が大学時代のホッケー愛好会の先輩の高根沢輝征に心酔しており彼の言いなりになっていること、優美の入院直後に高根沢と知貴の後輩である田巻の妻が自殺していることが判明する。
 実は優美は入院しておらず、高根沢の別荘にいることが判明し、彼女が静子の元に戻ったため杉村の調査は終了となるが、ことはそれで終わらなかった。
 事件の真相は、高根沢とその仲間の重川と知貴が、優美の手引きで田巻の自宅に押しかけて田巻の妻を暴行したため、優美が不安定になり、その後、田巻の妻は自殺したというものであった。
 田巻は、高根沢と重川を殺害し、杉村の事務所に顔を出してから自首する。取調中の田巻と会った立科警部補は、彼から杉村の話を聞き、杉村に興味を持つ。杉村の事務所に現れた立科は「以後お見知りおきを」と言って去って行くのであった。

 本作にも相変わらず不愉快さMAXの連中が登場するのだが、それ以上に、読み始めた後の「先を読みたいと思わせる力」が半端ないため、ぐいぐい読める。この話単独なら★3つレベルである。
 主犯格の高根沢はもちろん、知貴もその妻の優美もとにかく「クソ」なので、読んでいて不愉快なのは間違いないが、とにかく一気に読める。
 登場人物以外で不満があるとすれば、ラストシーンの立科の登場シーンであろうか。杉村に対しそれほど挑発的なわけでもない立科に、「家宅捜査令状をお持ちですか」と楯突き、さらに過去に高根沢を逮捕し損ねていた立科に皮肉を言う杉村の様子は、ちょっと普段の杉村のイメージと違っていて、いただけない感じがする。
 探偵ものには珍しく、主人公なじみの警官が登場しないのがこのシリーズの特徴の1つだったのに、著者がライバル的な登場人物の必要性を感じたのだろうか。

 第2章「華燭」では、杉村は事務所兼自宅の大家である竹中夫人から、知人の結婚披露宴への同行を依頼される。
 竹中夫人の知人・小崎佐貴子は、自分の結婚式の時に結婚相手を自分の妹に奪われるという地獄を味わい、妹とはもちろん妹に味方した実家とも絶縁していたが、その妹の娘の宮前靜香の結婚披露宴に招待され、当然拒否したものの、佐貴子の娘の中学生の加奈が参加したいというので、加奈の付き添いとして、足の悪い竹中夫人と共にボディガードとして参加することになったのだ。
 ところが式場に着くと、靜香より前に始まる予定の披露宴が、新婦が行方不明になったことで開始が遅れており、靜香の方の披露宴も、結婚相手の元カノが押しかけてきたためトラブルになっていた。
 前の披露宴トラブルについては、新婦が政略結婚をつぶすために計画的に行ったことが判明し、竹中夫人は彼女の逃亡に手を貸す。
 靜香の結婚の方も破談になったが、靜香は、靜香の母が自分が姉に対して行ったことの因果応報で娘の結婚が破談になったことを悔いているのを、これでチャラになったんだからと慰める。
 その話を聞いた杉村は、靜香が、ずっと姉を不幸にしたことに苦しんでいた母の呪いを解くために、もう1人の新婦とともに、計画的に2つの披露宴潰しを計画したのではないかということに思い至るのであった。

 こういう結婚式でのドラマチックなトラブルは、映画やドラマなどの創作物ではありがちな展開だが、さすがに2つ重なることはない。
 結局、それらは同時に仕組まれたものであることが判明するのであるが、謎が解けたことの爽快感以上に、こんなことされたら式場(や招待客)は本当にいい迷惑だという感想しかなかった。

 最後の第3章「昨日がなければ明日もない」では、究極のトラブルメーカー・朽田美姫とその娘の漣が登場。
 何にでもクレームを付けお金をむしりとることしか考えていない美姫は、元夫に引き取られた息子が高齢者の交通事故に巻き込まれたのは、元夫の母親の陰謀だから、それについて調査してほしいと杉村に依頼してくる。
 調査の過程で、美姫がいかに無茶苦茶な人間で、多くの人を不幸にしてきたかが明らかになり、杉村は何とかことを穏便に済ますために奔走する。
 綿密な調査報告書を送りつけることによって、美姫を大人しくさせられたと思われたのもつかの間、美姫が元夫が再婚の邪魔をしようとしたのに激怒した彼女の妹が美姫を殺害してしまって物語は幕を閉じる。

 本書の表題作でもあるので期待していたのだが、結論としては最悪である。
 この章では、筆者の「人間の悪意」を描きたいという熱意が遺憾なく発揮され、読者は究極の不快感を味わう羽目になる。一体誰がそんなものを求めているのだろうか。
 前の第1章と第2章は、不快感を物語の巧みさが上回っていたので耐えることができたが、この章は耐えられない。
 せめて美姫の娘の漣が、実はまともな娘だったという話だったら救いがあったのに、物語の中盤まではそういう予感があったにもかかわらず、終盤では漣が母の美姫を殺害した母の妹を暴言を吐いて脅迫するという最悪な展開。
 第1章のラストに登場した立科が、またラストに登場して美姫の妹の自首に一役買うのだが、この人はまとも。にもかかわらず、なぜ完全無欠な主人公が、この立科に限って反抗的なのか理解ができない。

 やはりこのシリーズは自分には受け付けないことがよく分かった。確かにミステリ作品は人の不幸が当たり前に登場するものであるが、病的なまでの究極の悪意など知りたくもない。途中までは★3つつけるつもりでいたが★2つが限界。第3章だけなら★1である。 

 

『予言の島』(澤村伊智/角川書店)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2020年版(2019年作品)19位作品。恐ろしい伝承が伝わる瀬戸内海に浮かぶ孤島・霧久井島を舞台にした物語。
 最初に登場人物を整理しておこう。

 大原宗作…京大卒の30代。勤めていたベンチャー企業でパワハラにあい自殺未遂を起こして退職する。
 
岬春夫…定職につかず各地を旅しながら住み込みで働いたりボランティア活動をしたりしている。退職して地元に帰ってきた宗作を励ますため、宗作と同じく幼なじみの淳とともに旅行に行くことを企画する。藍というパートナーがいる。
 
天宮淳…駄菓子メーカーの平社員。父親に複雑な思いを抱いている。
 
宇津木幽子…宗作達が小学生の頃に人気だった霊能者。22年前の霧久井島のテレビ取材の2年後、 「20年後にこの島で6人が死ぬ」という予言を残して死去する。
 
虚霊子(うつろれいこ)…幽子を崇拝している霊能者で、宗作達と同年代の女性。宗作達と同じ船で霧久井島にやってくるが、船で島に向かう人々には行くことをやめるよう説得しようとしていた。「民宿あそう」に宿泊。山田タミ江という本名を嫌っている。
 
麻生…「民宿あそう」の主人。宗作達が予約していた「むくい荘」での宿泊を突然断られたため彼らを受け入れる。東京から脱サラして移住してきた。
 
橘昭二…霧久井島の駐在。よそ者の麻生夫婦を除けば島で一番若い57歳。
 
遠藤晶子…息子の伸太郎とともに旅行で霧久井島を訪れ、「民宿あそう」に宿泊している老女。子離れができていない。
 
遠藤伸太郎…晶子の息子で20代。小学校でいじめにあって以来、学校に行っておらず言動が子どものまま。晶子をママと呼ぶ。
 
江原数美…小柄でぽっちゃり体型で走るのが遅く、霧久井島に渡る船に乗り損ねそうになった女性。登場シーンでは年齢を示唆する描写が一切なかったが、後に30歳で元看護師であることを告白。「民宿あそう」に宿泊。
 
サナエ…霧久井島に住む老婆。宗作達のことをテレビスタッフだと勘違いする。
 
古畑…髭は伸ばし放題で襤褸をまとっている霧久井島の旗振り役。サナエに宗作達がテレビスタッフでないことを諭す。よそ者の麻生の島への移住を認め、彼にうち解けてくれた数少ない島民。
 
須永
…「むくい荘」の主人。じきに怨霊が降りてくるからその対策のためにサービスできないという理由で、予約客の宗作達の宿泊を拒む。22年前のテレビ取材時にスタッフ達に対応した島民の1人。 

 今年の8月25日から26日の未明にかけて霧久井島で6人が死亡するという霊能者の予言があることを知った春夫は、幼なじみの傷心の宗作を励ますため、同じく幼なじみの淳と一緒に、8月24日に霧久井島に渡る。
 急遽変更となった宿泊先の「民宿あそう」では、春夫の様子がおかしく、話しかけても上の空であることが多かった。
 翌朝宗作に起こされた淳は、宗作から春夫がいなくなっていることを知らされる。春夫は雨の中、着替えて外出したらしい。
 淳は港の海上に浮かぶ春夫の遺体を発見するが、助けを呼ぶ淳の呼びかけに、なぜか島民は一切応えず自宅から出てこない。
 橘と宗作の協力によって引き上げられた春夫の遺体は連絡所に運ばれ、橘は早々に事故死であると宣言し、遺体に触らないよう言い残して去って行くが、後から現れた数美は自分が元看護師であることを告白し、遺体を調べて死因が溺死ではないこと、後頭部の骨が砕けていることを明らかにする。
 自分を励まそうと旅行を企画したせいで春夫を死なせてしまったと激高した宗作は、雨の中を誰よりも怪しい橘の自宅に向けて走り出す。
 連絡所に残された数美、淳、霊子も彼の後を追うことにするが、数美の持っていた数珠に霊子は驚愕する。それは宇津木幽子の数珠だったからである。そのことを指摘された数美は、自分の正体が、宇津木幽子の孫・沙千花であることを明かす。
 一行が橘の自宅に着くと、中は荒らされており大量の魔除けの木炭人形「くろむし」に囲まれて、橘が死亡していた。「くろむし」の1つで殴り殺されたらしいが、宗作の姿はない。
 そこへ淳の携帯電話に宗作から電話がかかってくるが、「今すぐ逃げろ。この島は危険だ」「僕はもう間に合わない」「ヒキタの怨霊だ。予言もきっと当たる」「ああ、もうお終いだ」といった言葉を残して電話は切れてしまう。
 橘の自宅の勝手口近くにあった疋田山登山口には、立ち入り禁止の立て看板と共に宗作のものと思われる真新しい足跡がいくつも残っていた。淳と紗千花は決意を持って登山道に足を踏み入れた。
 連絡所に残っていた霊子からの、台風で警察も救急も海上保安庁も島に来られないという知らせを聞きながら、淳の中で嫌な予感が膨らんでいく。
 そして淳と紗千花は疋田山にある墓地にたどり着く。そこでは天に向かって叫ぶ古畑と、彼に襟首をつかまれた宗作の姿があった。宗作は辛うじて生きていた。古畑は宗作を放置し、「沙千花のお祖母ちゃんが作り出した、ヒキタの怨霊の祟りじゃ!」という謎の言葉を残して姿を消す。
 「民宿あそう」に宗作を運び休ませた後、沙千花は祖母の幽子にも自分にも霊子にも霊力などないことを語る。沙千花は疋田山で幽子が倒れたのは怨霊のせいではないことを証明するため再び疋田山を目指す。
 そこへ現れる島民達。真実を隠蔽するために「民宿あそう」にいる人々を皆殺しに死そうな勢いだったが、なぜか島に鳴り響いたサイレンを聞いて先を争うように去って行く。そして淳の携帯に沙千花から「みんな逃げて怨霊」というメールが着信。その後、沙千花が現れ「説明はあとで」と言って、皆を率いて島民と共に疋田山より高い山に避難する。
 そして「怨霊」の正体が、雨の日に産業廃棄物から発生する硫化水素という毒ガスであることが明らかになり、老人と思われた古畑の正体が、プロローグで登場した比呂であり、実は淳や沙千花たちと同年代であることも明らかになる。
 橘の銃を持って現れた古畑比呂は、島の秘密に気づいた春夫を橘が殺したこと、そしてその島の秘密を知って混乱した古畑自身が、橘を殺したことを告白する。そして自分を殺せと言って古畑が沙千花に銃を差し出したところを皆が取り押さえる。
 しかし、避難所の物置に閉じ込められた古畑は逃亡して、自分が住んでいた廃校に戻ってしまう。避難所より毒ガスの影響を受けやすい廃校から古畑を引き戻すため、沙千花と淳は廃校へ向かうが、古畑は廃校内で自殺していた。
 春夫、橘、避難中に毒ガスを吸った島民2人、そして古畑と、死亡者は5人となった。あと1人で幽子の予言が成就する。予言が真実なのであれば、逆に誰か1人死ねば、それ以外の人は助かるということ。そう考えた者が、銃と包丁で沙千花を殺害する。それは、ずっと淳と行動を共にしていた「淳の母親」の天宮敏江であった。

 まず、「今は亡き有名な霊能者による不吉な予言、そしてそれを現実のものにすべく起きる殺人」というテーマが、同じ年度の話題作であり「このミス」3位作品となった『魔眼の匣の殺人』と丸かぶりなのは不運としか言いようがない。
 しかし、『魔眼〜』もシリーズの前作と比べるとパワーダウンを感じたが、本作はその『魔眼〜』にも、はるかに及ばない。
 孤島で霊能者の予言通りに起きる謎の連続死というネタは、定番でありがちながらも、ごちゃごちゃと時代設定や人間関係を描き込んだ多くの現代の作品の中では、分かりやすく興味も引かれるのだが、文章がとにかくあちこち不自然で、所々で 「誰視点なの?」と考えさせられる部分が多々ある。
 荒削りな文章だなあという印象を持ちながら読み進めていたが、最後に叙述トリックであることが判明して、とりあえず納得。ミステリ慣れしていない読者だとそこに感動する人もいるのかもしれないが、個人的には「ああそうなの」という感じ。淳には、実は読者には気づかれないように常に母親がつきまとっていたという唐突なオチだが、一応フェアに描かれているというだけ。作中のいくつか要素については、その母親の存在とつながりはあるものの、それら以外については何の深い意味もない。ただ、最後に読者を驚かすためだけに仕込んでおいたという程度のもので、「それ必要?」というレベル。
 本当に面白い作品なら、そこで全体を最初から読み直して、「ここはそういうことだったのか!」という再発見の楽しみもあるのだろうが、残念ながら本作については自分は読み返す気になれない。
 ヒロインの沙千花がまったくヒロインとして機能していないのも評価を下げる要因。登場シーンでは団子頭のぽっちゃりした女性という程度の描写しかなく、詳細な容姿はもちろん年齢の分かる描写すらない。途中でやっと淳たちと同年代であることが明らかになるが、霊能者の祖母を嫌っている鈍くさい不思議な中年女性という程度の印象しか持てず、好意を抱くどころか感情移入すらできない。
 本作は最初から誰が主人公なのかよく分からないのだが、終盤で主人公らしさが出てくる淳が、この沙千花に好意を抱くようになる理由が全く理解できない。最低でも淳が沙千花に魅力を感じる描写を入れなければ読者は共感できないだろう。「美人ではないがどこか愛嬌を感じさせる」とか、「祖母を批判する厳しい表情の中に、憎めない不思議な魅力を感じた」とかいった描写が欲しい。
 宗作を助け出した後、再び疋田山に向かおうとする沙千花がこけるシーンがあるが、何のためにあるのか全く不明。もしかして笑いを取りに来てるのか?こういう場所にこそ淳視点の心象描写がいるだろうという話だ。
 毒ガスから逃れるために「民宿あそう」の人々を誘導する沙千花が、「説明はあと」と言って、毒ガスのことをいつまでも「怨霊」と呼び続けるのも不自然でイライラする。
 避難所の物置に閉じ込めていた古畑が逃亡し、廃校に移動したのを追うシーンあたりから、淳の沙千花に対する好意が強く出てくるのだが、そもそも古畑を追いかける意味がよく分からない。廃校の方がガスにやられる可能性が高いから助けにいこうとするという感じなのだが、自分の意思で移動した古畑をなぜそこまでして呼び戻す必要があるのか理解に苦しむ。
 霊子も描き方次第でダブルヒロインにもなれそうなキャラなのに、とにかく中途半端。ダブルヒロインにしないならしないで、崇拝する幽子の予言を実現させるために島民を襲おうとする凶人として描くのも手だったと思うが(沙千花はそれを予想して心配していたが)、そういう行動に及ぶこともなく終盤にはほぼ存在感を失っている。腰の持病も何かの伏線なのかと思ったが、結局なんでもなかった。
 民宿の主人の麻生も、沙千花と淳が再び疋田山を目指す緊張感の必要なシーンで「僕はこんな世界に憧れていた。まさに三津田、まさに京極、まさに横溝獄門島」と言い出す始末。ここは笑うところなのか?その直前に沙千花が「真実はいつも1つ」と叫んでいる時点でアウトなのだが。
 こんなに危険な島から脱出しようともせず、行政に訴えようともしない島民達も不自然極まりない。子どものいる家庭はさすがに移住したようだが、移住の件は先祖代々の土地を守る義務があるからという理由で置いておくにしても、訴えを起こさない件に関しては、産廃業者から莫大な報酬を受け取ってしまった以上、訴えることもできないといった描写が必要なのではないか。
 著者は三津田作品のようなホラー感を出したかったのであろうが(元々著者はホラー作家らしいが)全く出せていない。そして上記のような突っ込み所満載で、著者の自己満足としか思えない必然性のない叙述トリックにとどめを刺される作品。叙述トリックを読んでみたいから紹介してと人に言われても、叙述トリックの傑作なら他にいくらでもある。あえてこれを人に勧めることはないだろう。

2020年月読了作品の感想

 

『罪の轍』(奥田英朗/新潮社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2020年版(2019年作品)4位作品。

 舞台は終戦から18年後の高度経済成長期の日本。幼い頃に義父に虐待され脳に障害を負った20歳の青年・宇野ェ治は、集団就職した札幌で盗みを働き少年院に入れられ、その後故郷の礼文島に戻るが、島民には莫迦呼ばわりされ、網元の酒井にこき使われる毎日であった。
 漁師仲間の赤井にそそのかされ、放火騒ぎに紛れて酒井の屋敷に盗みに入って礼文島から船で逃げ出すェ治であったが、いつの間にか赤井によって盗んだ金品はすべて奪われ、船の予備燃料は海水にすり替えられていた。そのまま船上で餓死させられるところだったが、なんとか岸に泳ぎついたェ治は、憧れの東京で空き巣を始める。
 町井明男というチンピラと仲良くなるが、母親と一緒に旅館を経営している明男の姉のミキ子は、ェ治と付き合う明男に不安を感じる。
 暴力団とつながりのあった資産家が撲殺され、警察は最近出没し始めた北国訛りの若い男に注目し、落合昌夫をはじめとした刑事達は、ェ治の存在を突き止める。
 ェ治が資産家宅から盗まれたと思われる金貨を明男に譲り、それを明男が質屋に持ち込んだことで、捜査は大きく進展する。
 結局、資産家は暴力団の組長に殺されていて、たまたまその家に空き巣に入っていたェ治は罪をなすりつけられていたことが判明する。
 その後、児童誘拐事件が発生し、その直後に急に金回りが良くなるェ治と明男。そして身代金要求の電話の声が全国ニュースに流れ、その声がェ治のものではないかという証言が出てくる。
 ェ治は交際相手の喜納里子と熱海に旅行に行き、その後新宿に逃げるが、パチンコ屋であっけなく逮捕される。里子の絞殺死体が発見され、ェ治は児童誘拐と里子殺しの容疑で取り調べを受けるが、一向に認める様子はなく、脳に障害のある彼には嘘発見器も効果がなかった。
 取調中に、刑務所にいた義父の出所の話を聞いたェ治は、里子殺しの罪だけを認め、その実況見分中に逃亡する。
 逃亡の目的は義父への復讐と考えられた。義父のいる北海道へ向かう途中、世話になった老刑事の大場に殺害した児童の遺体の場所を連絡し、ェ治が里子だけでなく児童も殺害したことが明らかになる。
 落合達は青函連絡船の出航直前にェ治を取り押さえることに成功する。
 殺害された児童の自宅での葬儀に警視総監が弔問に訪れるが、ミキ子の母が「やい、警察!子供の命も守れないのか!」と叫ぶ。葬儀の手伝いに来ていたミキ子は弔問客の1人1人に丁寧に頭を下げ続けるのであった。

 東京オリンピックを直前に控える中、障害者の扱いや児童虐待、収入格差、在日韓国人の問題等の問題を抱える社会の様子が描かれているが、まさに現在の日本と同じである。このあたりは著者の意図したところであろう。
 リアルに描写された当時の社会情勢や空気感だけでなく、登場人物達の描き込みも素晴らしい。主人公周辺の人物をはじめ、刑事達、町井家周辺の人々、左翼の活動家達、暴力団員など、どの登場人物も実に生き生きと描かれている。
 しかし、正直なところ、著者が何を伝えたかったのか分かりにくいのも事実。
 障害者が資産家殺人事件と誘拐事件に関係しているらしいが、なかなか真相が明らかにならない。やがて資産家殺しの容疑は晴れるが、交際相手を殺した容疑が新たに加わり、後者の罪を認めたと思ったら、義父を殺すために警察から逃亡し、逃亡中に児童誘拐に加え児童殺しも認め、最後は義父への復讐を果たせないままあっけなく捕まり、物語は終了…。
 そもそも取調中に義父から受けた虐待行為を思い出し、急に義父殺しを思い立つ主人公も不自然。義父の住所をあっさり教える弁護士もおかしいし、交際相手と児童の殺害理由は衝動的なものという簡単な説明だけで、再逮捕されたェ治のその後も分からないのも読者には不親切。
 話を遡れば、まだ電話が普及していなかった時代の話とは言え、誘拐事件にまともに対応できない警察の様子もひどい。
 薄い内容に最後まで付き合わされた読者は、この結末にはかなり不満を持つのではないか。物語の舞台の時代を生きてきた読者にはノスタルジーを味わう楽しみもあるかもしれないが、それより若い層の読者にはうけない作品だと思う。

 

『殺人鬼がもう一人』(若竹七海/光文社)【ネタバレ注意】★

 「このミス」2020年版(2019年作品)12位作品。先日読了したばかりの『W県警の悲劇』も悪徳女性警官の物語だったが、こちらはもっと分かりやすい女性悪徳警官の話。

「ゴブリンシャークの目」…辛夷ヶ丘市の場末の所轄に飛ばされて、やる気のない長身の女性主人公の砂井三琴と肥満体の田中盛とのコンビ。なにしろ勤務先が、全署員が総力を挙げて窃盗の被害をなかったことにし、平和な街を数値の上でも平和な町にしようとしているような警察署なのである。
 ある日、辛夷ヶ丘市に大きな影響力を持つ箕作(みつくり)家の当主である老婆・ハツエが白昼路上で強盗に遭うという事件が発生。店子の一人である老人の長沼に集金中の60万を奪われたという。実は長沼が奪った現金は65,000円だったのだが、砂井の上司達はハツエの言うことが絶対で、長沼がその証拠に65,000円で買った当たり馬券があったが砂井達に逮捕されたとき紛失したという主張も却下される。当たり馬券の存在も事実であったが、上司の「存在しなかった」という意見を尊重し、逮捕現場で拾った当たり馬券を換金して得た117万円を田中と山分けする。
 そして今度は、ハツエが大切な雪舟の掛け軸を、親戚の近藤昭穂にだまし取られたかもしれないという事件が発生。しかし、近藤宅から出火し、昭穂は焼死、焼け跡から雪舟の掛け軸の焼け残りが見つかる。
 さらにハツエが振込詐欺に遭うという事件も発生。砂井はハツエの悪行を見抜き、ハツエに対し、今回の事件が保険金目当ての自作自演であり、迷宮入りしそうになっていたゴミ屋敷の放火殺人事件も、近藤昭穂の焼死事件もハツエの仕業であることを匂わせる。
 ハツエの血の気の失せた顔色を見て、以前テレビで見たサメを思い出す三琴であった。

 女探偵・葉村晶シリーズは嫌いではないのだが、この話は面白いのか。悪人と悪徳警官が共存する話。1話目からこれでは、2話以降が心配になる。 倫理観がないならないで、それなりの面白さが欲しいし、そうでないなら最後に悪を追い込んで、それなりのカタルシスが欲しいところ。

「丘の上の死に神」…辛夷ヶ丘市の市長選において現職の高橋市長の勝利を希望する三琴の上司は、形勢が有利な対抗馬の英遊里子を貶めるべく、彼女の夫の死を彼女のせいにするよう指示を出す。
 三琴は、英の夫の死亡前に彼女の自宅から男女の言い争う声を聞いたという証言をした新城という男の遺体を発見し事態は混迷する。
 結局、英の夫は高梁市長とつながっており、妻を睡眠薬で眠らせ川に落として殺害しようとしたが、彼女が自宅に生きて戻ってきたのに驚いてショック死したことが明らかになる。英の疑いを晴らした三琴は英に自分の収益につながる要望を出す。
 そして三琴は、ショックで倒れた夫を全く介抱しようとせず、その死を待った英に十分な殺意があったことにも気づいていたのであった。

 英を犯罪者に仕立て上げようと彼女を連行して一緒に取調室に立て籠もる課長の行動は滅茶苦茶。三琴がその取調室に入って課長を気絶させ英と話を付けるラストは、まあ面白いが、課長のその後がはっきりせず今ひとつスッキリ感がない。
 英との交渉で、ハツエを通じて不労所得を得ようとする三琴の悪知恵や、容疑が晴れたと思ったら実はやはり悪意が存在したというオチの英の真意については、前章から一貫性もあって悪くはない。

「黒い袖」…七緒は妹の梅乃の結婚式の一切を取り仕切っている。代々警務のスタッフ部門である七緒の一家に対し、新郎側の内村家はバリバリの刑事系一家で、両家は仲が悪く七緒は苦労していた。
 そこへブライダル担当スタッフから梅乃が控え室に立て籠もっているという連絡が入る。梅乃に話を聞くと、彼女につきまとっていた元新聞記者の猪狩による招待客分のシャンパンを持ち込みたいという申し出を、見栄っ張りの母親が承諾してしまったというのだ。
 なんとかうまくとりなすも、次々にトラブルが起こり、今度は新郎が控え室に立て籠もるという問題が発生。その問題がなんとか解決したと思ったのも束の間、猪狩が意識不明の状態で倒れているところを発見されたことについて話を聞くために刑事がやって来る。企業恐喝の常習者だった猪狩は、式場のある建物にある企業に接触するためにこの結婚式を利用しようとしていた。
 猪狩は一瞬意識を取り戻したときに「黒い着物の袖」と呟いたらしい。七緒は緑の着物を着ていたが、実は尼である七緒は普段は墨染めの衣で生活しており、忘れ物を取りに行ったときに猪狩を見つけて締め落としたのは七緒だったのだった。
 刑事はあっけなく立ち去ったが、お色直しの最中にまた梅乃が立て籠もったという連絡が入るのであった。

 悪徳女性警官を主人公としているところに『W県警の悲劇』との類似点があるという話は前述したとおりだが、その第2章「華燭」と同じく結婚式場でのドタバタ劇がここにも登場して驚いた。警察関係者とは思えないクズばかりの参列者、そして何より立て籠もりを繰り返す新婦がうざい。
 メインの事件は、ストーカーが路上で締め落とされていたというだけ。で、犯人が新婦の姉で、緑の着物を着ていたから「黒い着物」を着ていた容疑者から外れているのかと思いきや、実は彼女は尼なので普段は黒い衣を着ていたというオチ。それだけのために、主人公を尼という特殊な設定にする必要性はあったのか?
 三琴もどこかに登場していた気がするがもう記憶にない。

「きれいごとじゃない」…母親の向原悦子が経営する向原清掃サービス会社の専務でもある理穂は、年末の各家庭を回る仕事に、潜入捜査をしたいという三琴を新入社員として同行していた。大晦日に押し込み強盗があるらしく、その家には盗聴器が仕掛けられているようなので、それを見つけたいという。
 しかし、理穂は、三琴がいつの間にか拾ったという金貨を持ち歩いているのを見つけて、彼女が向原清掃サービスを利用して金持ちの家を物色しているのではないかと疑い出す。
 だが、それが事実だとしても、理穂らには三琴を責める権利はなかった。彼女は大手の清掃サービス会社に奪われた顧客を取り戻すために、事前に作ってあった合鍵を使って元顧客の自宅で盗みを働いたり、顧客の個人情報を流して大手の信用を落とすという犯罪行為に手を染めていたのだ。
 そして三琴はついに目的の家を見つける。その家の息子が仕事のために持ち帰る警備会社のシステムのコピーが犯人グループの目的らしい。強盗犯が無事捕まったことで、一旦は三琴を信用した理穂であったが、貸した向原清掃サービスの制服を着て会社の車でどこかに向かう三琴を目撃した理穂は、やはり三琴が悪いことを企んでいるのではないかと考え、その後を追う。
 三琴を尾行した理穂がたどり着いたのは理穂の娘・桃葉の家で、そこでは理穂の母親の悦子が殺されており、桃葉と三琴が血で汚れた部屋を掃除していた。桃葉の夫は母親に捨てられた経験があったため、母親らしい人と接すると暴れる癖があり、だから理穂や悦子を自宅近づけないようにしていたのだという説明が初めてここで桃葉の口から語られる。

 三琴も、善人そうなその関係者も、お互いに悪の行為に手を染めているという構図が、第1章、第2章と共通なのは一貫性があって良いが、ラストシーンはサプライズというより、ただただ唐突。
 まず、桃葉の夫にそんな危険な性癖があるなら、理穂や悦子にはちゃんと事前に説明すべきであろう。そして、何より三琴の最後の行動が謎。警察も呼ばずに後片付けを手伝ってると言うことは、桃葉から口止め料を貰って協力しているということなのだろうが、二人はいつからそういう関係なのか?何かそういうものを匂わせるシーンが事前にあったか?こちらが見落としたのかもしれないが、印象に残らないほどの描写だったのならやはり問題なのでは。

「葬儀の裏で」…辛夷ヶ丘市千倉地区で本家として力を持っていた水上家。現在の当主・水上サクラは、何者かに襲われたことで入院し1年後に病院で死亡した姉の大前六花の葬儀に来ている。親戚達は六花の後継者問題で険悪な雰囲気を漂わせている。
 葬儀場にやって来た三琴は、六花が襲われる直前に彼女の家から男女の言い争う声が聞こえたという造園業者の証言についてどう思うかサクラに聴取するが、サクラは造園業者が嘘をついていることを看破して、それを三琴に告げ、高価な数珠を三琴の安価な数珠と交換した。
 喪主で、六花の孫の堀之内健斗は式場でもスマホゲームを平気でするような25歳の若者で、サクラから香典の全てを奪い、彼女を殺そうとするのを、サクラは返り討ちにする。
 そこへやって来た親戚達は、仲の悪そうだった雰囲気から一点、一致団結してサクラの指示通り堀之内を生きたまま焼却処分することに同意する。
 サクラは、造園業者に襲われて倒れた六花を発見しながら救急車も呼ばずに放置し、その後1年間も植物人間にした堀之内を許せなかったが、サクラも六花がひとりぼっちで死ぬ日が来ることに耐えられず、その1年後に六花の呼吸器を外して彼女を死に至らしめたことが最後に明らかになる。

 サクラと三琴の数珠の交換シーンは、サクラが三琴の有能さと悪賢さに気がつき、何かあったときには上手く取り計らってもらえるよう、サクラが賄賂をつかませたということだろうか。
 堀之内の最期にはそれなりのカタルシスがあるが、とにかく親戚の登場人物が多すぎて理解する気が失せる。もっとシンプルにすべき。
 サクラの姉の殺害動機は分からないではないが、死因を調べられたらばれたりしないのだろうか。

「殺人鬼がもう一人」…某組織の秘書を通して、様々なクライアントからの依頼を受ける殺し屋のローズマリーこと蒲原マリ。妻からの依頼で浮気をしている夫の殺害に成功したマリは、次に辛夷ヶ丘市の今田好継という結婚間近の老人の殺害を依頼される。
 しかし、彼女が今田宅を訪問したときには今田はすでに殺害されており、しかもその現場は20年前に発生した〈ハッピーデー・キラー〉という連続殺人犯の殺害現場と酷似していた。
 マリの弟・誠治は当時その犯人として疑われた末、事故を起こして植物人間としてマグノリア・ホスピスという病院に入院していた。
 病院を訪れたマリは、三琴が、誠治が植物人間のふりをしているのではないかと誠治の病室を訪れ、訳ありの患者から大金を巻き上げて院長やスタッフが潤っていることを皮肉っぽく院長に指摘する姿を目撃する。
 マリが病院から立ち去ろうとしたとき火災が発生。2階の屋根部分まで誠治を運んだマリは、院長と看護師をメスで襲う女性を目撃する。それは今田の婚約者であった金丸香恋であった。彼女こそ20年前に3人を殺害したハッピーデー・キラーであり、今田を殺したのも彼女であった。
 マリを殺そうとする金丸を殺す三琴。出血が止まらないマリは考えがまとまらないが、三琴はハッピーデー・キラーの姉が、殺し屋になって頭がおかしくなって大量殺人を行ったという筋書きを用意しているらしい。マリは誠治を抱き上げて目を閉じた。

 ハッピーデー・キラーの正体や、マリが精神に異常を来して植物状態の弟と常に会話していることも分かった。が、このエピソードでの三琴の目的はいったい何なのか?ハッピーデー・キラーの正体を明らかにしないことは、確かに警察の威厳を保つには必要なのかもしれないが、そのために、金丸を殺し、マリを出血多量で見殺しにするのか?その行為に見合う利益が彼女にあるとは思えないのだが。表題作の割には、かなり理解に苦しむ物語。

 全体的に話の作りが雑。主人公の思考がよく分からない。ゆがんだ正義感に凝り固まった『W県警の悲劇』に登場する悪徳女性警官たちと比べれば、最初は親近感が持てそうかもと思った設定の三琴だが、あまりに冷酷すぎてまったくそんな気分になれない。ただのサイコパスではないか。
 そして前半ではちょこちょこ登場した相棒の存在感がどんどんなくなっていき、まったく生かし切れないまま後半では消滅。はたして彼は必要だったのか?
 ずっとベスト10入りしていた著者の作品が、本作で圏外になったのもよく分かった。人にオススメはできない。 

2020年月読了作品の感想

 

『潮首岬に郭公の鳴く』(平石貴樹/光文社)【ネタバレ注意】★

 「このミス」2020年版(2019年作品)10位作品。多忙だったこともあるが、あまりにも面白くなくて読了に2か月もかかった。まず、いきなり最初の登場人物紹介のページに並べられた人名が24人分。物語が進むにつれてさらに増えていき、覚えるのがどんどん面倒くさくなる。
 いつものようにあらすじを詳細に記録するのも面倒な作品なので、ざっくり紹介する。

 第1章で函館の商事会社会長・岩倉松雄の孫の美人3姉妹の末っ子が行方不明になり遺体で発見される。第2章で次女が殺害され、その状況から、会長宅にあった芭蕉の4つの句にからめた見立て殺人と考えられた。
 第3章では、予想通り長女が殺害されるが、同時に会長も殺害される。第4章では会長の後妻の連れ子の友人(!)のフランス人(!!)の高校生(!!!)が突然探偵役になり、物語の中でまったく存在感のない主人公である湯ノ川署警部補の舟見俊介から聞いた捜査のあらましから、一気に事件の真相に気づき、捜査本部のある会議室で刑事達を前に真犯人について語る。
 真犯人は会長の娘の岩倉千代子で、3姉妹の母親だった。医師であった死んだ夫の岩倉祐平は、愛人の浦嶺竹代の卵子を使った人工授精によって妻の千代子に3姉妹を生ませていた。
 そのことを知った千代子は激怒し、父親の松雄と共謀し、死んだ夫への復讐のため、竹代と3姉妹を殺害し、死を望んだ松雄も殺害してしまったのだった。

 とにかく複雑な家族構成の岩倉家をはじめ大勢の人物が次々と登場するのに、まずうんざりさせられる。筆者としては、疑わしい人物をたくさん登場させて、読者に推理の楽しみを与えたいと考えたのかもしれないが、読者からすれば苦痛なだけ。文章が面白ければ救いはあるのだが、決して下手ではないにしろ、まったく面白みがない。なぜここまで存在感を殺す必要があるのかといぶかしく思えるくらい地味な主人公の捜査状況が淡々と語られていくだけで、読んでいて何の楽しみもない。
 そして最後の章で、突然前述のフランス人の少年にスポットがあたり、あっという間に事件を解決してしまう急展開についていけない。次女の殺害トリックや、祐平の愛人の名前のアナグラムの説明なども実にしょうもない。
 ラストの千代子の女の情念のこもった殺害動機を語るシーンは、ちょっと読み応えがあったが、それ以外はまったく見所のない作品。東大名誉教授という筆者の肩書きと、ホラーミステリーを期待させるようなタイトルと、今風のタッチで描かれた表紙の美人3姉妹のイラストに惹かれて買ってしまった読者は多そうだが、これで「このミス」のベスト10に入ってしまうというのは正直信じられない。
 この年がよほど不作だったのか、「このミス」投票者の見る目がなかったのか…。映画などはたとえ失敗しても2時間程度のロスで諦めもつくが、読書はその数倍の時間を要する。人生も残り少なくなってきた今、僅かな傑作に出会うために、その数倍の作品を読むのに時間を費やすことがだんだん惜しく感じられるようになってきた。読書趣味もそろそろ引退かもしれない。

 

『殺人犯 対 殺人鬼』(早坂吝/光文社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2020年版(2019年作品)17位作品。 前作読了後に、読書趣味から引退して映画・アニメ鑑賞に移行しようかと思っていたのだが、すぐに読書に戻ってきてしまった。
 結論から言えば、前作よりはマシだけれども、大きな感動はなし。やはり詳細なあらすじを記録するのは面倒になったので、前回同様ざっくり紹介する。

  孤島の児童養護施設「よい子の島」に住む30人の子ども達は、船で本土の学校に通っていた。主人公の網走一人は、想いを寄せる少女・五味朝美(いつみあさみ)を自殺未遂に追い込んだいじめっ子達の殺害を、施設職員が不在になった実行に移そうとするが、最初に狙っていたいじめっ子のボス・剛竜寺が何者かに殺害されてしまう。その異常な死体の装飾を行った人物を殺人鬼と断じ、その正体を突き止めようとする網走。
 この後、施設での出来事と殺人鬼の過去が、交互に語られていく。
 順調にターゲットを殺害していく網走であったが、もう一人の殺人者も殺人を続けていく。
 終盤でもう一人の殺人者の正体が明らかになる。足原鈴という筋トレによって外敵から身を守っていた少女で、彼女こそ五味の仇を取るため、いじめっ子グループの3人を殺害しようとしていた人物であったのだ。
 そして網走の殺人の動機は、実は五味の仇をとるためのものではなかった。彼こそが過去のシーンで、その身の上が語られてきた殺人鬼の正体であり、網走の母親を襲った精神に異常をきたした少女と共に、誤って母親を殺害してしまったことがトラウマとなり、悪霊を振り払うため、名前のしりとりで次々に殺害対象を決めて殺していく異常者であった。五味の仇討ちをするどころか、五味に手を掛けたのも網走であったことが判明する。
 ラストシーンで対峙した両者であったが、網走は、足原との格闘の最中に自らの武器のフォークを誤って自らの喉に刺してしまうことで死亡する。網走は死の直前、自分の死によって、名前のしりとりの円環が完成することに気づくのであった。

 最初に良かった点から。過去のシーンで語られる殺人鬼が、実は主人公その人であったというところはお見事。そして、いじめっ子グループのメンバーの一人が御坊でなく飯盛であったという部分の説明は少々苦しいものがあったが、いじめっ子グループへの復讐こそが主人公の殺人の動機であると読者に思わせる作者のミスリードも素晴らしかった。
 もう一人の殺人者は、病院を抜け出した五味ではないかとか想像を働かせた読者は多かろうが、このあたりのトリックにはほとんどの読者が欺されたことだろう。
 もう一人の殺人者によって予定が狂った主人公が、次々に別ルートを用意して殺人を続けようとする設定にも感心した。

 しかし、感心したのはここまでで、突っ込み所も満載。
 まず、登場人物の名前が違和感ありすぎ。人名が本作のメイントリックに関係があるとか、キラキラネームが全盛であるとかいっても、明らかにあり得ない変な名前ばかり。稲荷神社の跡地に住んだせいで「狐憑き」になったのではと母親に心配される少女の名前が「力重狐々亜(ここあ)」なんて適当すぎる。調べてみたら、そもそも「狐」という字は人名に使えない(意外にも網走の母の幽子の「幽」は使える)。
 そして主人公の網走の精神の壊れ方が異常。いくら母の幽子の教えが根底にあったとしても、名前のしりとりで殺害相手を決め、次々に殺人を繰り返すことで悪霊から逃れられるという発想が理解不能。とりあえずしりとりでつながるからと、近所のお婆さんを衝動的に殺すシーンには唖然。その3人目の殺人という行為のおかげで一時的に悪霊から逃れられたため、彼はその後本格的に殺人を繰り返すようになるのだが、「悪霊から逃れるため」という動機のみで何の躊躇もなく人を殺し続けようという考え方をする人間が果たして実在するだろうか。このあたりはリアリティがなさすぎる。
 ちなみに網走の母の幽子は網走の撃ったアーチェリーの矢で死ぬのだが、その真相を突き止められない警察は無能すぎる。警察は、蔵という密室内で幽子と狐々亜とその両親が殺し合いをしたという結論を出したそうだが、アーチェリーという特殊な武器を、入手した幽子以外が、とっさに手に取って使用しようとするだろうか。実際の警察はそんなに愚かではない。ここも著しくリアリティのないご都合主義だ。
 他にも、施設には30人もの児童が暮らしているのにまったくそのような雰囲気が感じられないし、そのような設定の必要性も感じないのが引っかかった。最初からもっと小規模な施設の設定でよかったのではないか。
 190ページの「では、そこに切り込むとしよう」のように、地の文なのに、主人公の網走ではなく探偵役の探沢ジャーロ視点の表現が見られる部分があるのも作者のミスだろう。

 前回読了した『潮首岬〜』のように、ひたすら状況説明ばかりで何も起こらない超絶退屈な話と比べれば、テンポ良く話が進む本作は、ベタなクローズド・サークルものではあるものの普通に楽しめる。
 「最近のクローズド・サークルもので、暇つぶしにちょうどいいものない?」と聞かれれば、勧められなくはない作品である。

2020年月読了作品の感想

『本と鍵の季節』(米澤穂信/集英社)【ネタバレ注意】★★

 「このミス」2020年版(2019年作品)9位作品。 高校2年生の図書委員の二人、主人公である堀川次郎と、その友人で皮肉屋の松倉詩門のコンビが、身近な人々から依頼を受け、日常に潜む謎を解いていくミステリ作品。
 この作者の作品を読むのは2年ぶり16作目。人気作家で「このミス」へのランキング率も高いので、読了した作品数も多いわけだが、過去15作品の評価を見ると★★★が2作品、★★が12作品、★が1作品と、可もなく不可もなくといった感じ。

 第1話「913」…★
 図書委員の先輩で堀川が想いを寄せていた浦上麻里から、亡くなった祖父の書斎にある金庫を開けてほしいという依頼を受ける二人。
 書斎にあった本の分類番号が金庫の番号になっていることに気がつく二人だが、浦上と姉、母親の様子がおかしいことに疑問を抱く。この家が浦上の祖父の家であったとしても、浦上たち3人は一緒に暮らしてはいないのではないかと。堀川が3人を引きつけている間に、松倉は辛うじてまだ生きていた祖父を発見して救急車を呼び救出に成功する。

 まず問題なのは、書斎に並べてある本の分類番号が金庫のダイヤル番号になっているなど、所有者の孫が図書館司書になっていたとしても普通は気がつくまいということ。そしてこの手の小説にありがちだが、そんなことに気がつける高校生探偵もいないだろうということ。
 次に問題なのは、存命中の祖父を死んだことにして金庫を開けさせようとした浦上家の人間たち。普通に犯罪だろうし、この場を切り抜けたとしても、あとで祖父が生きていたことが主人公たちにバレれて公にされたらやはり大問題だろう。
 基本的に浦上家に問題があるわけだが、家庭にどのような事情があるかも確認せず、救急車を呼んだ松倉も無謀。殺されかけていたとか大怪我をしているとかならともかく、痩せ細っていたというだけで勝手に救急車を呼ぶという判断はどうなのか。
 色々と感心できない作品。

 第2話「ロックオンロッカー」…★★
 堀川は、行きつけの美容室が友人を紹介することで、紹介する人もされた人も4割引になるキャンペーンに松倉を誘う。店長の「貴重品は必ずお手元にお持ちくださいね」という言動から、店内で盗難事件があったことに気がつく二人。
 退店後、閉店時間なのに3人の客が入店するのを見て、それが店の用意した「おとり」であると考えるが、二人の予想は的中し、堀川の電話予約を受け付けた近藤というスタッフが証拠を捕まれたのか、店を飛び出し警察に追われ逃げていくのを見送る二人だった。

 美容室など、大学生の頃しか利用していなかったので、今ひとつイメージがつかめないが、隣に座った客同士でおしゃべりする様子に違和感。それだけならともかく、スタッフにカットしてもらっている最中に店長の言動についておしゃべりするのは「なし」だろう(さすがに途中で話題を変えていたが)。
 近藤だけ「おとり」作戦を知らなかったので堀川の電話予約を受けてしまったこととか、店長がカット中に精算を求めた理由が盗難事件について堀川たちに気づかれないようするために行ったことだとかは、よく考えられていると思った。
 ラストシーンに警官が登場するが、「おとり」の3人が警察が用意したものなのかどうかが曖昧なのがちょっと引っかかった。
 そもそも、簡単に犯行がばれそうな、店内で盗難事件を起こすスタッフなどそういるとも思えないし、警察を事前に呼んでこんな大ごとにする店はありそうにないのが、本作の一番の問題点。

 第3話「金曜に彼は何をしたのか」…★
 図書委員の後輩である植田登から、試験の答案を盗むために高校のガラスを割って侵入しようとしたという疑いが掛けられた兄の無実の証拠を見つけてほしいと依頼される。
 植田の兄は証拠となるものを持っているので安心していいと言っていたが、不安な登は、堀川たちを兄の留守中に自宅に呼び、それを見つけてもらうことに。
 結局、中華料理店のサービス券がその証拠品であることが判明するが、高校のガラスを割った犯人が最後にあっさり明らかに。学校に迷い込んだメジロを外に逃がすために松倉が割ったことをさらっと堀川に告げるのであった。

 植田は、兄が無罪の証拠を持っていると言っているのに、なぜわざわざ堀川たちを自宅に招いてまでその証拠の存在を確認したがるのか。最後にちらっと話題に出てきたように、逆にその証拠を握りつぶそうとしているというのなら理解できるが。弟が勝手に同級生を家に上げて家捜しさせたことを知ったら兄は激怒するだろう。
 一番気に入らなかったのは、メジロを逃がすためという理由で学校の窓を平気で割り、誰に疑いがかかろうが名乗り出ることもしない松倉。誰もその優しさに感動などしない。彼はただの犯罪者である。

 第4話「ない本」…★★
 堀川と松倉の二人は、3年生の長谷川から1週間前に自殺した香田という同級生が最後に借りて読んでいた本を探してほしいと依頼される。長谷川は、その本に香田が書いていた遺書が挟まれているかもしれないと言う。
 しかし、貸し出し履歴は規則で見せられないと拒む松倉。やむなく長谷川は香田が読んでいた本の特徴を思い出して二人に告げるが、二人はその嘘を見抜く。長谷川は香田から受け取った遺書を持っており、香田が借りた本の間に挟もうとしていたのだ。
 松倉は長谷川のねつ造を疑うが、堀川は長谷川が香田の自殺の意思を知りながら止められなかったことを人に知られないよう偶然発見されたことを装いたかっただけではないかと推測する。
 長谷川の前で激しい議論を繰り広げた二人に怒った長谷川は、捨て台詞を残して遺書を持ったまま去って行く。長谷川を疑った松倉は反省し、ため息をつくのであった。

 重いテーマを扱っているが嫌いではない。長谷川の嘘に気づいた理由が、本の装丁の細かい名称についてということでややマニアックなきらいはあるが、第1話の分類番号ほどではなくフェアではある。前話で見限りたくなった松倉が最後にちゃんと反省しているのも救い。

 第5話「昔話を聞かせておくれよ」…★★

 堀川に突然宝探しの話をしようと言い出す松倉。堀川が子どもの頃のプールでのエピソードを話した後、松倉は自分の過去について語り出す。
 自営業をしていた松倉の父は、偽警官に欺されて貯め込んでいた現金をどこかに隠したがその直後に死んでしまい、松倉は母と経済的に苦しい生活をしているという話だった。堀川は残された手がかりから推理し、二人は今も6年前に亡くなった松倉の父が所有していたバンが月極駐車場に停められているのを発見する。
 現金は見つからなかったものの、父の事務所があったと思われるどこかの建物の502号室の鍵が発見されたことで松倉は満足する。その建物のあるエリアも特定できたことで宝探しは現実味を帯びてきたが、そのことで堀川は、その場にいるべきではないと判断する。
 その堀川の気持ちを理解した松倉は「ありがとう、堀川。そして…すまなかった」と告げるのであった。

 これも重い話ではあるが、「宝探し」というワクワク感があって面白い。堀川と松倉のそれぞれの父親の子どもに対する思いも伝わってきていい話だと思う。
 問題は、その宝探しがあまりにもスムーズに進むこと。6年間も月極駐車場に死んだ人間の車が放置されているなどあり得ない。そのあたりは次の話できちんと説明されるのだが、これだけ聡明な主人公の堀川がそれをあまり気にしていないのは、次の話を作るためのご都合主義っぽくて、そこだけはマイナス。

 第6話「友よ知るなかれ」…★★★

 前話の続き。松倉の父の一件に疑問を感じた堀川は、図書館で過去の事件について調べ、松倉の語っていた偽警官こそ松倉の父であることを知る。そこに現れた松倉は、堀川が真相にたどり着いたことに感嘆し、堀川の想像通り収監中の父が弁護士なりを通じて駐車代金を払っていること、松倉の父は実際に自営業者から現金を盗んでどこかに隠しているらしいことなどを告げる。
 ただ、現金を見つけたら被害者に返すつもりという話だけは堀川は信じなかった。松倉もそれを認め、使うつもりはないが気休めとして手元に置いておきたいと言う。堀川は、手元にあれば必ず手を付けてしまい松倉が犯罪者になってしまうことを必死で訴える。
 「お前はいいやつだよ」と言って去って行く松倉に、「また月曜に図書室で会おう」と呼びかける堀川。
 そして月曜。堀川は事件の被害者について調べ、悪徳商人であったことに少しだけ安心していたが、なかなか図書室に現れない松倉に、少しだけ腹を立てるのであった。

 前話の問題点は解決。松倉が、かつて自分の父が悪徳商人から盗んだ大金を我が物にするのかどうかは明らかにされず、読者の想像にお任せという余韻を残したエンディングが心地よい。松倉の気持ちも、堀川の気持ちも実によく分かる。このエピソードだけは★★★を付けたい。

 この作品を読み始めたときは★1.5くらいかと失望していたのだが、後半で挽回し★2.3くらいまで上昇した。作者の作品が好きな読者には勧めても問題ないと思う。

 

『火のないところに煙は』(芦沢央/新潮社)【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2019年版(2018年作品)10位作品。2015年11月に読了した「このミス」2013年版(2012年作品)17位作品の『残穢』(小野不由美)を想起させる、筆者によるルポタージュ風のホラーミステリ。『残穢』の方は、ホラーの苦手な自分にとって怖すぎないところは良かったのだが、逆に拍子抜けしてしまうレベルでオチもつかないところにがっかりした記憶がある。
 今回のこの作品は全6話から構成されているが、次男を散髪に連れて行くときに時間つぶしに持参したら、待ち時間に第3話まで一気読みしてしまうほど世界に入ることができた。それぞれが独立した話ではなく、ちゃんとつながっているところが良い。

 第1話「染み」…★★
 新潮社の位置する神楽坂を舞台とした怪談をテーマとした短編小説の依頼を受けた小説家の著者=芦沢は、嫌な記憶を甦らせる。
 8年前、ある出版社で働いていた新卒3年目の芦沢は、大学時代の友人である瀬戸早樹子に角田尚子という女性を紹介される。いいお祓いの人を紹介してもらうため、芦沢の知り合いのオカルトライター・榊桔平と連絡を取りたいというのである。
 角田は、神楽坂の母と呼ばれる現在は行方不明の謎の占い師に交際していた彼氏との仲を占ってもらったが、別れた方が良いという占いの結果に、彼氏が占い師に対し激怒。彼氏は大声で怒鳴って代金も払わず出て行ってしまう。その態度に角田は彼氏に対する気持ちが冷えてしまい、悩んだ末に別れるが、彼氏は自殺し、角田が仕事で製作するポスターには謎の染みが印刷されるようになる。
 その染みをルーペで拡大すると、そこには「あやまれ。あやまれ。あやまれ。…」という無数の文字が。最初は、角田に対し、彼氏の霊が「自分に謝れ」とメッセージを送っているのではないかと考えられたが、榊に相談した芦沢は、その占い師が「ヤバい」人物であることを聞かされ、彼氏の霊は「占い師に謝れ」というメッセージを送ってるのではないかということに気がつく。
 しかし、時すでに遅く、角田に連絡を取ろうとした前夜、角田は突然悲鳴を上げて車道に飛び出し死亡していた。そして瀬戸までが同じ死に方をし、瀬戸に榊の言葉を伝えなかった芦沢は深い後悔を抱いていた。
 そして、芦沢はこの話を掲載し、読者から占い師の情報を集めようとするのであった。

 文字で染みを作るという物理的な霊障は、なかなかにインパクトがある。謎の占い師は、この後の物語にも関係していて、そのあたりのつながりも面白い。
 1点だけ引っかかったのは、「少なくとも早樹子はあの占い師を怒らせてはいなかったはずだ」という芦沢のコメント。「絶対に別れたらいけない」と占い師に言われたのに、瀬戸も彼氏とその後別れていたのだから、占い師にそういうことを察知する能力があるなら怒らせる理由としては十分にありえるのでは?

 第2話「お祓いを頼む女」…★★
 芦沢の「染み」が「小説新潮」に掲載されてから、それを読んだフリーライターの鍵和田君子から、10年近く前の榊が絡んだ怪異話を持ち込まれる。
 鍵和田は、彼女のファンを自称する平田千惠美という女性から、尻尾を踏んだ狛犬に家族が祟られているからお祓いのできる人を紹介してほしいという鬼気迫る電話依頼を受ける。
 小学生の息子は謎のひどい痣が体にでき、夫は何かを車ではね、肩を痛めて車にへこみはできたものの何も発見できなかったという平田は、ついに鍵和田の職場に押しかけてくる。
 鍵和田は、息子が学校でいじめられ、夫は犬をはねてその犬は逃げていっただけだろうと考えるが、そこにたまたま掛かってきた榊からの電話のおかげで真相が明らかになる。
 榊が言うには、夫が息子をはね、息子が逃げたのだろうというのだ。平田はその推理をあっさり受け入れ、鍵和田に謝って帰って行った。
 しかし、その後、平田が旅先で焼死していることに鍵和田は衝撃を受ける。平田の息子から、彼が姿の見えないおばあさんの怒鳴り声のような笑い声のせいで父の車の前に飛び出したという証言を聞き、やはり何らかの怪異現象があったことに鍵和田は恐怖するのであった。

 病的な平田の言動にはとにかく不快感しかなく、霊的な怪異より何より、イカレた人間ほど恐ろしいものはないと痛感させられるが、ことのあらましを聞いただけで一瞬で事件の真相を見抜く榊の推理力には感服。
 今回も1点だけ問題点を挙げるなら、ラストのおばあさんの声の登場。第1話には最初に占い師が登場しているので、その呪いによって何かが起こったという流れは理解できるが、今回はあまりに唐突すぎる。
 どうしても第1話と関連付けたかったのかもしれないが、なぜこの件におばあさん(第1話の占い師?)が絡んでいるのか、なぜこの家族が呪われることになったのか、まったく分からないところが不満。この後のエピソードで、この辺の謎がうまく回収されることに期待。

 第3話「妄言」…★★
 榊から9年前の事件のネタを提供してもらう芦沢。
 当時32歳だった塩谷崇史は、妻と共に埼玉の郊外に中古の一軒家を購入する。しかし、最初は関係が良好だった隣人の前原寿子が、塩谷の浮気現場を目撃したと妻に吹き込み、塩谷は妻との関係が悪化する。
 その後、妊娠中だった妻は流産してしまい、さらに塩谷が女性を殺したと騒ぐ前原に塩谷は激怒する。そんな塩谷に前原が飛びかかってきたため、塩谷は無意識に前原を突き飛ばし彼女を死亡させてしまう。
 塩谷は正当防衛を訴えるも傷害致死罪で4年6か月の実刑判決を受け服役することになったが、訴訟記録を読んでいた榊はあることに気がつく。
 それは前原の自覚のない予知能力であった。前原は、未来の塩谷と同僚との食事場面を浮気現場と判断し、未来の自分の死を塩谷の起こした殺人事件と判断していたのだと榊は見抜いたのだった。

 この作品のどんでん返しも面白い。が、前作の平田同様、前原の狂気的な様子に対する不愉快度が異様に高い。煽りすぎといってもいい。前原の異様な言動は、彼女の無意識的な予知能力によるものというオチがついたところで、すっきりしないのがこの作品の難点。
 そもそも現実と区別が付かない予知能力なんて持っていたら、まともな日常生活は送れないはず。それに自分の予知能力に気づいていないという設定なのに、冒頭では塩谷の妻の妊娠に「もしかして…」という感じで普通に気がついている。このあたりに矛盾を感じ納得できない。

 第4話「助けてって言ったのに」…★★
 ネイルサロンで働く智世は夫の実家で義母の静子と暮らすことになったが、それから火事の夢で苦しめられることになる。そしてその夢は、かつて静子が苦しめられていたものであった。
 結局、その家を親戚に売却し引っ越すことになり、榊が連れてきた拝み屋の陣内という老人により、お祓いも済ませた。
 しかし、これで全て解決はしなかった。その家に試しに住み始めた親戚には何も起こらなかったが、カメラマンである智世の夫が、記念に自分たちと親戚の写真を撮ったところ、智世と親戚の娘の周囲にだけ白いもやが写り込み、親戚が家の購入を取りやめてしまい、やむなく住み続けた智世が高熱を出して死亡してしまったのだ。
 智世の夫が自分より収入の多い妻を支える存在でいることを続けたくて悪意なく写真をねつ造し、自宅の売却以外の方法を見つけようとした結果こうなってしまったということに、榊から気づかされた芦沢は衝撃を受ける。
 智世の夫は、自分の母の静子と妻の智世の共通点は「働いている」ことだと考え、働くことをやめさせれば怪異は収まるのではないかと思い至り、仕事を辞めさせようとしていたのだった。

 これも面白い。しかし、結局「火事の夢」を見る原因が突き止められないまま終わってしまっているし(あらゆる伏線を回収する最終話でも触れられていない)、智世の夫が気づいた静子と智世の共通点というのも正直しょうもない。せめて夫の罪を公に明らかにしてくれれば、多少スッキリ感があったかも。

 第5話「誰かの怪異」…★★
 大学に推薦合格を果たした岩永幹男は、大学に近いTコーポに住み始めるが、鏡に女子高生の姿が映ったり、浴室に長い髪の毛が落ちていたり、見ていたテレビが勝手に幼児番組に切り替わったりするという怪異に襲われる。
 友人の中嶋に紹介してもらった霊感の強い岸根という彼の友人は、特別に祈祷してもらったという塩で廊下に盛り塩を作りお札を家の扉に貼って帰って行った。
 しかし、その夜、岩永の部屋の中を白い光の玉が飛び交うという怪異が発生し、隣に住む粟田にはがタンスが突然倒れて下敷きになるという現象が起こる。
 岩永が岸根に電話をすると「言いつけを守らなかったんじゃなんですか」と答え、確かに盛り塩は崩れ、お札も破れていた。
 榊は、盛り塩とお札の件について、中嶋や岸根の仕業である可能性を芦沢に匂わせつつ拝み屋の陣内を呼ぶが、陣内は隣人の粟田の仕業であることを見抜く。
 粟田は女の子の幽霊の話を聞きつけ、4歳の時に誤嚥事故で亡くなった自分の娘の霊だと考え、その霊に会いたくて故意に盛り塩を崩し、お札を破ったのだ。その結果、その報いとして今まで現世にアプローチできなかった低級霊が力を持って霊障が発生したのだった。

 アパートに現れる女の霊という話は特に珍しいものではなく、オチも特に意外性のあるものではないが、榊の話によって、芦沢の中の犯人像や解釈が色々と変わっていく様子は面白い。終盤がちょっと分かりにくいか…。

 最終話「禁忌」…★★
 芦沢が書き上げた5つのエピソードをまとめた単行本が出版されることになり、新潮社の新刊情報誌『波』に榊が書評を書いてくれることになった。
 しかし、早く書評を書き上げた榊から芦沢のところに、急に原稿を差し替えたいという連絡が入る。岸根が突然叫びながら車道に飛び出し死亡したというのだ。榊は、岸根の用意した塩が、謎の占い師に祈祷してもらったものではないかと考えた。岸根は、岩永の部屋で再び怪異が起こったことで占い師の力を疑い、その報いとして祟り殺されたのではないかというのだ。
 そして、芦沢は思い至る。「妄言」の寿子が帰依していた「シンドウさま」というのも、その占い師だったのではなかったかと。
 早樹子が死んだのも、占い師の言うことを疑い、分かれてはいけないと言われていた彼氏と別れたせいではないかと。
 そして、「お祓いを頼む女」の平田も、その占い師を「インチキ」扱いしたから死んだのではないかと。
 「助けてって言ったのに」の静子が相談にまわった霊能者の中に女性はいなかったと聞いて、自分の思い過ごしだと思い直す芦沢であったが、あることに芦沢は気づく。
 静子と智世の火事の夢の中に出てきた女性は、何か別の悩みで自分を救ってくれなかった謎の占い師を恨んでおり、その謎の占い師に髪型が似ていた静子と智世を攻撃したのではないかと考えたのだ。
 芦沢は榊に全てを笑い飛ばして否定してほしかったが、榊とは連絡が取れないままであった。

 ほぼ全ての伏線が回収される結末。謎の占い師が関係するのは最初の2話のみかと思いきや、やはり全てに関係していた。
 当初納得のいかなかった早樹子の死因についても触れられている(今頃気づいたのか!と突っ込みたくはなるが)。しかし、早樹子と平田の死が謎の占い師に関係していそうなのは理解できるが、寿子の帰依していた「シンドウさま」が謎の占い師ではないかという部分には発想の飛躍を感じる。
 一番残念だったのは、最後の最後のオチで、「静子と智世が女の霊に攻撃されたのは、女の霊が恨んでいた謎の占い師と髪型が似ていたからではないか」と芦沢が結論づける部分。第4話の、智世の夫が気づいた2人の共通点と同じくらいしょうもない。
 最後の最後の最後のオチである「榊と連絡が取れない」というのも少々ベタすぎる。「普段から居場所がつかめない住所不定のライター」という設定ならともかく、榊が普通にライターとして生活している人間なら、本気で手を尽くせば行方をつかむのは難しくないはず。のんびり構えている芦沢に違和感がある。

 紙のカバーを掛けて読んでいたので表紙は見ていなかったが、もしやと思って確認してみたら、裏表紙に例の「染み」がしっかり再現してあった(ルーペを持っていないので拡大してみていないが、おそらく例の文字で作られたものだろう)。こういう遊び心は好きだ。
 6話全てに★★を付けたが、トータルでは★2.5から2.6ぐらい。久々の★★★とする。

 

『ノースライト』(横山秀夫/新潮社)【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2020年版(2019年作品)2位作品。帯にはデカデカと「本屋大賞ノミネート!」の文字が。2020年4月7日に発表された結果では、本作は4位で大賞は逃している(1位の大賞は『流浪の月』凪良ゆう/東京創元社)。「このミス」ランキング上位20作品の中では本作がトップで、「このミス」1位の『medium霊媒探偵城塚翡翠』は6位。それ以外の作品はノミネート(10作品)もされていないということで、本作にはそれなりに期待して良さそうだ。

 一級建築士の青瀬稔は、インテリアプランナーのゆかりと結婚し、日向子という娘にも恵まれ、一見幸せな日々を送っていたが、コンクリート打ちっぱなしの洋風建築を得意としていた彼は、和風のマイホームを望むゆかりと対立し、さらにバブル崩壊の余波で仕事を失ったことからさらに溝が深まり離婚することになる。
 再就職に苦労するも、辛うじて大学の同期であった岡嶋が所長を務める現在の事務所に拾ってもらった青瀬は、吉野陶太というクライアントからの「青瀬自身が住みたい住居を建ててほしい」というオーダーに奮い立ち、『平成すまい200選』という本に掲載されるような自信作を完成させる。
 子どもの頃、ダム建設に従事する父に連れられ、全国のダムの建設現場を転々とする「渡り」という生活を送ってきた青瀬には、どの飯場にもあった北側の壁の大きな窓からもたらされる物静かな光「ノースライト」が好きだった。その「ノースライト」を主役に据えた家を作り上げたのだ。
 月に一度しか会うことのできない娘の成長に、毎回戸惑うばかりの青瀬であったが、彼の代表作とも言える吉野邸に彼女が興味を持ったことに複雑な気持ちを抱く。
 そんな青瀬の元に、吉田邸には人が住んでいないのではないのかという情報が入る。
 不安になった青瀬は、岡嶋と共に吉田邸のある信濃追分に向かう。そこには確かに無人の吉野邸があった。引っ越してきた様子すらなく、空き巣の侵入した形跡があり、青瀬が持ち込んだものではない、有名な建築家であるタウトの椅子だけが残されていたのが謎であった。また吉野邸付近の蕎麦屋に、吉野が女房ではない長身の女性と現れたという情報も入り、ますます謎は深まった。

  このあたりまでで全426ページ中の90ページくらい。ここまではミステリーっぽくて、まあまあ楽しめる。ただし、主人公の青瀬にはなかなか感情移入できない。
 青瀬が設計した自宅の完成をあれほど喜んでいた吉田が、その後一切の連絡を寄越さず、しかも実際には住んでいなかったことに怒りを感じている青瀬の気持ちは理解できないことはない。しかし、その吉田邸が空き巣に入られたことを警察に届けるべきだという岡嶋に対し、それを頑なに拒否して、淡々と業者に壊された鍵の交換を依頼する青瀬の態度は腑に落ちない。かなり病んだ感じの主人公だが、この後の展開は大丈夫だろうかと不安になる。

 S市が計画している画家の藤宮春子の博物館「藤宮春子メモワール」の建設コンペへの参加を青瀬に内緒で岡嶋が狙っていることを知った青瀬は、自分を外そうとしているのではと疑う。
 青瀬はなんとかして吉野の行方を突き止め、自信作の家に住んでくれなかった理由を突き止めようとするが、なかなか情報が得られない。分かったのは指にギブスをしたカタギではなさそうな男が、吉野を探していたらしいことのみ。
 タウトがかつて暮らしていた「洗心亭」に足を伸ばした青瀬は、タウトに詳しい新聞記者の池園孝浩と知り合う。
 「藤宮春子メモワール」の指名業者の一社に岡嶋設計事務所が選ばれ、建設コンペが、彼が名を上げたいという思いは間違いなかったものの、意外にも青瀬と最後は一緒にやると宣言する。黒子に徹してほしいという岡嶋の願いを聞き入れる青瀬。
 しかし、指名を取るために多少の無茶をした岡崎の行為をかぎつけた反市長派の東洋新聞記者の繁田が岡嶋を揺さぶりに来る。その繁田との面会の直前、青瀬のことを興信所が調べていたことを岡嶋から聞かされ驚く青瀬。そして、青瀬は吉野失踪の真実に少しずつ気がつき始める。
 池園から入手した情報で、吉野の父を知っている人物が見つかる。吉野のルーツは仙台にあった。

 岡嶋の青瀬外しの心配は杞憂に終わったが、岡嶋の野心の印象は、自分の息子のためとはいえ、読者としてはあまり気持ちのいいものではなかった。
 青瀬は失踪した吉野の消息をつかもうとするが、今のご時世に吉野の子どもが通っていた小学校へ聞きに行く行動にはドン引き。
 そして何より、この後も延々と続く吉野の捜索に関する話は正直なところ退屈である。340ページあたりまで苦痛ですらある。

 岡嶋の賄賂行為が記事になり、コンペから下りることになって意気消沈する岡嶋設計事務所のメンバー。さらに岡嶋は胃と十二指腸の潰瘍のため入院するが、病院の窓から転落死する。当然のように周囲は自殺と考えたが、青瀬は岡崎が残したスケッチを見て、メモワールを諦めていないことを知り、事故死と確信していた。
 青瀬は事務所を閉めるという岡崎の妻を説得し、コンペ続行を事務所のメンバーに宣言する。ライバルである能勢の事務所にプランを持ち込んでプレコンペをするというのだ。
 張り切った事務所のメンバー総出のプランに能勢は圧倒される。青瀬はこのプランを能勢に無償で渡す代わりに、岡崎の息子に父親が建てたものだという話をする許可を能勢から得る。
 ついに青瀬の前に現れた吉野は真実を語る。吉野の父は、かつて青瀬の父の転落死の原因を作ったことを後悔し、自分の子ども達に、青瀬に償いをすることを強く願い、それを受け入れた吉野がゆかりの知恵を借りて自宅のオーダーをするという形でそれを実行したのだった。
 吉野自体は不仲になった妻と別れ、さらに妻の兄を怪我させたことで逃亡生活を送ることになり、その家には住むことができなくなっていたのだ。
 青瀬が吉野から家を買い取り、ゆかりと寄りを戻せそうな雰囲気の中、物語は幕を閉じる。

 あまりにも退屈な展開に、これはもう★二つ確定かと思っていたところで、341ページの岡嶋の死で潮目が一気に変わる。岡嶋の遺志を継ぐべく必死でプランを作り上げていく事務所メンバーの熱意には感動を覚える。そして、ライバルの名前で世に出ることになったとはいえ、岡崎のプランが採用されそうな展開は文句なし。
 あえて言えば、スタッフの中のマユミが目立ちすぎて、西川や竹内、石巻らが今ひとつ光っていない。物語の序盤からもっと詳細に描いておいてほしかったところ。そうすればラストの感動はさらに増したはず。
 肝心の吉野の謎についてもとりあえず納得。吉野が一緒にいた長身の女性の正体がゆかりで、吉野邸の建築にゆかりが関わっていたのだろうことは、物語の当初からなんとなく感じられてはいたが、まあ許容範囲であろう。
 最終的な結論としては、★3.0点満点中の★2.7〜2.8点ということで、★★★に決定。
 ここで初めて気がついたが、著者の作品を本作を含め8作読了したが、そのうち★★★が6作という圧倒的強さ。横山秀夫恐るべしである。

2020年月読了作品の感想

 

『蟻の棲み家』(望月諒子/新潮社)【ネタバレ注意】

 「このミス」2020年版(2019年作品)19位作品。この著者の作品を読むのは初めてである。

プロローグ…1991年生まれの吉沢末男はシングルマザーの毒親に犯罪を強制されて育つ。なんとか就職したものの、母親の借金と、身に覚えのない自分の勤務先での手提げ金庫の盗難が明らかになり、このままでは会社にいられないと末男は考える。

第1章…蒲田署管轄内のゴルフ場近くで顔を潰された男の死体が発見される。同時に東中野のコンビニ近くの路地裏で身元不明の若い女性の射殺体が発見される。その4日後には、神崎玉緒の住むアパートの部屋で22歳の座間聖羅という売春で生計を立てていたシングルマザーの射殺体が発見される。やがて身元不明の遺体は、森村由南という風俗嬢であることが判明。森村の幼い息子がスーパーで大量の万引きをしたことがきっかけだった。
 雑誌「フロンティア」の看板記者であり、フリーライターの木部美智子は、蒲田の弁当工場で続いていたクレーム事件を追っていた。フロンティアの編集長・真鍋は美智子の原稿を褒めつつ新しいものを求め、原発マネーのネタを提案する 美智子に真鍋は満足する。
 美智子はフロンティアの数少ない正社員・中川からのメールで森村の事件の詳細を知る。美智子は報道番組のチーフをしている浜口に連絡を取り、浜口から飲みに誘われる。
 工場のクレーム事件というのは、コンビニに弁当を卸しているサンエイ食品工業六郷北工場にやってくる同じクレーマーからのクレームに対し、工場長の植村がクビになりたくなくて何度も自腹で現金を払い続けているというものだった。さらには、パート従業員の娘を誘拐したから200万円を用意しろという脅迫電話が工場にかかってくる。その時に相手の男が振込先に指定してきた口座は、クレーマーがいつも指定していた「ノガワアイリ」名義の口座だった。そのパート従業員というのが誰かも分からず、パート従業員の誰からもそのような申し出もなく、植村が「そういう話なら本社にしてくれ」と返事をすると犯人からの連絡は途絶える。
 パート従業員の中に野川美樹というベテランがおり、その娘が野川愛里という名であることが判明するが、美樹は娘がどこで暮らしているのかすら知らず、消息不明であった。
 ある日、植村から呼び出された美智子は、「さんにんめのぎせいを出したくなければ2000まんえんを用いしろ。ゆうよは3か」と書かれた脅迫状を見せられる。報告を上げた本社からは警察には連絡するなと言われているらしい。
 美智子は、知り合いの警視庁捜査一課の警部補・秋月薫に相談するが、サンエイが被害を受けていない以上、罪には問えないという。
 2件の射殺事件は線状痕が一致したことで連続殺人事件となり、警視庁は75人体制の特別捜査本部を立ち上げた。
 マスコミの流す、世間の同情を引くような森村の事件の報道姿勢にしらける美智子。そして、別の場所で同じニュースを食い入るように見つめる白衣の男の姿があった。彼こそがクレーマーであり脅迫犯の正体・吉沢末男であった。彼は最初の勤め先を半年で辞めていた。

 ここまでで65ページ。とにかく内容が胸くそ悪い。プロローグの毒親の話から始まって、本編に入ったらいきなり死体が3体。うち2人は同情の余地のない屑な生活をしていたシングルマザー。
 クレーマー事件もひどい。サンエイ食品の本社が警察に色々と調べられると困ることがあるという理由で、事件を警察に届けないのだろうということになっているが、そのようなことがありえるだろうか?パート従業員側から誰も何も言ってこないからとも書かれているが、普通の誘拐犯が警察に知らせるなというのは常套句であり、勤め先になどそもそも相談しないだろう。この会社も工場長の男も無茶苦茶である。この木部という主人公らしき女性が、この事件をどう扱いたいのかもよく分からない。
 さらに、話があちこち飛ぶし、説明も分かりにくいところが多数あって、かなりストレスがたまる。クレーマーの正体が末男だと明らかになった瞬間、今度は突然、慶大生の長谷川翼が登場。早くも読み疲れたのでしばらく休むことに…。

 愛理は、妹の借金を背負ったことで行き場のなくなっていた末男を翼に紹介する。翼は大手広告代理店の修飾への就職も決まっている順風満帆なイケメンであったが、怪しげなビジネスで裏社会とつながり稼いでいたが、街金から借りた莫大な借金に頭を悩ませていた。
 自分の妹を誘拐し、父親から300万円を手に入れた翼であったが、2,000万円の借金返済にはほど遠い。
 サンエイ食品への脅迫は、愛理と山東海人がこそこそやっていたことを翼がシステマチックにしたもので、そこに末男が加わることになる。街金からの取り立てに追い詰められた翼は、愛理の誘拐をでっちあげ、母親を脅迫するが無視されたため、その勤め先のサンエイにターゲットを変更する。
 しかし、そのサンエイでも総務部長に馬鹿にされて電話を切られた翼は、まったく無関係な亀一製菓に愛理の写真と脅迫状を送る。要求額は2,000万円から2億円に上げられていた。そして、さらに同じ物をマスコミ各社に送りつける。
 マスコミの中でTBTのみがニュースに流し、事件は国民全体が知るところになる。
 美智子は、秋月から、犯人がサンエイに送りつけられたものの中に座間聖羅の毛髪があったことを聞かされ、連続殺人事件と今回の誘拐事件がつながっていることを知る。
 番組製作会社の浜口から、捜査一課が長谷川透という医師に張り付いているという情報を得た美智子は、フロンティアの中川に、長谷川について調べてもらうことにする。
 美智子は工場長に呼び出され、サンエイへのクレームについて、自分への嫌がらせのために本当に異物が混入されていたのではないかと告白する。

 ここまで150ページ。翼という人物が全く理解できない。頭が良いのか、悪いのか。
 身内を誘拐し脅迫するのにも呆れるが、愛理の母親が脅迫に従わないからといって、その勤め先を脅迫するのも意味不明であるし、そこでも蹴られたら、今度は無関係な製菓会社に脅迫状を送るという滅茶苦茶ぶり。さらには、マスコミにまで脅迫状の内容を送りつけるという…。
 そんなに注目を浴びたら、仮に製菓会社がお金を出すことになっても、受け取りが困難になるだけなのでは…?本当に読み続けるのが辛いので、またまた長期の休憩に…。

 199ページ全体の6割あたりまで来たところで、犯罪グループ関係者があっけなく全員逮捕。翼と末男の証言は真っ向から対立するが、警察は、山東海人殺害についてアリバイのある末男よりも容疑が強い翼を、女性連続殺人の犯人と断定して捜査を進めていく。
 しかし美智子は、翼を連続殺人犯に仕立て上げることで翼と縁を切りたかった翼の父・長谷川透と、妹から被せられた借金返済のための鐘が欲しかった末男の利害が一致して、2人が共謀していたのではないかと疑いを持つ。
 保釈された末男から予想通りの証言を得る美智子。末男は昔拾った拳銃で女性2人を射殺し、山東海人が拳銃を入手したと見せかけるために透が彼を殺害していたのだった。末男はそれを証明しようがないと去って行くが、美智子は末男の証言をこっそり録音していた。
 しかし、美智子はそれを警察に提出することなく、データを消去してしまうのであった。

 翼、末男、愛理の逮捕後、やっとそれなりに読めるような内容になっていく。どうやらこの話のテーマは「命の重さは平等ではない」というダークなもののようだ。キレイ事を言っている人々を見下している筆者の姿勢が作品の端々に窺える。
 権力者とそうでない者との間でこのテーマが取り上げられることはあるが、ここでは、真っ当に暮らしている一般人と、人間のクズのような生活をしている者との間の話をしている。ラストで、主人公の一人である美智子も、そのダークな側に立ってしまうというオチである。
 この主張を読者に納得させるために、著者は、読んでいて不愉快極まりない人間達を前半に存分に描いたのであろう。なんとか前半を耐え忍んで、そのあたりはようやく理解したが、すべてに共感はできなかった。
 恵まれない環境の中で多くの人の愛情を受けながら、生きるために彼らを裏切り続け、まったく後悔していないと言い切る、もう一人の主人公の末男に、感情移入できる読者は多くはなかろう。
 末男の家族を馬鹿にした愛理に腹を立てた末男の心理は理解できたが、そこで愛理を殴るのではなく、翼を殴るという展開も今ひとつ理解できない。暴力で圧倒して翼を犯行に引き込むためという流れは分からないではないが。
 人間のクズの一人である翼を、見事連続殺人犯に仕立て上げる末男の手腕にカタルシスを感じたとしても、あまりにご都合主義的な展開なため素直に拍手も送れない。
 タイトルも物語とのつながりが見えない。
 2月に読了した「このミス」2020年版(2019年作品)4位作品の『罪の轍』と、時代背景などは異なるが、主人公の立ち位置など雰囲気が大変良く似ていると感じた。
 この作品は、とにかく前半の面白なさが致命的。★3.0点満点中の★1.4点が限界。よって★1つとしたのだが、後でamazonのカスタマーレビューを見て驚愕。評価が4.5もあり、最低の2を付けた1名以外、全員が好意的なコメント。しかしコメントが13しかないところから怪しさも感じた。 

 

『ビブリア古書堂の事件手帖U〜扉子と空白の時〜』(三上延/メディアワークス)【ネタバレ注意】★★★

 なぜか「このミス」 にまったくランクインしないこのシリーズもついに9作目。8作目は栞子の娘の扉子が登場し、タイトルから通し番号が消えた。主人公交代でシリーズ継続と思われたが予想通り。ただし、タイトルに「U」が付いたのはなぜか今回から。前回は様子見だったのか。再販分から前作に「U1」、本作に「U2」と付くのかも。

プロローグ…扉子は祖母の智恵子に呼び出される。父の大輔が記録している事件手帖の2012年版と2021年版を見せてほしいというのだ。父の許可を取って待ち合わせ場所で扉子はその事件簿を読み始める。

第1話 横溝正史『雪割草』T…2012年、栞子は井浦清美という女性から、亡くなった伯母の上島秋世のもとから盗まれた横溝正史の幻の作品『雪割草』の行方の調査を依頼される。
 秋世の妹である清美の母・初子と、その双子の姉の春子が容疑者であった。若い頃からずっといがみあっていた2人であったが、実は、その『雪割草』を相続することが決まっていた春子の息子・乙彦がその『雪割草』を持って海外転住をする前に、2人がそれを読みたかったがために、2人が協力して事件を起こしたというのが真相であった。
 『雪割草』は無事発見され、謎を完全に解いたと思った栞子であったが、新たな謎が彼女を襲う。『雪割草』を鑑定した古書店主から秋世が購入したという横溝正史の直筆原稿が失われていたのだ。

 いがみあう姉妹が、幻の本読みたさに奇策を練って実行する展開にはかなりの無理を感じるが、普通に満足できる作品である。
 気になるのは、このシリーズの読者に圧倒的人気を誇っていたであろう栞子が、大輔と結婚後、何の遠慮もなく大輔にべったりする感じになったのが、ちょっと引く。筆者にはあまりベタなラノベ色を出し過ぎないよう注意してもらいたい。
 この物語以上に、『雪割草』という作品の成り立ちに非常に心引かれた。新聞の連載小説が単行本化されず、切り抜きを装丁したものが幻扱いされる価値を持つという点が大変興味深かった。
 作中、何度も大輔の口から語られるように、横溝作品風の不気味な雰囲気を出そうとしているが、そのような雰囲気は特に感じられず、良い意味でいつも通りである。

第2話 横溝正史『獄門島』…小学3年生の扉子は、古書店「もぐら堂」に取り置きしてある『獄門島』で読書感想文を書くことを楽しみにしていた。
 しかし、父の大輔と共に「もぐら堂」を訪れると、取り置きしてあったはずのその本は消えていた。
 店主の妻が、店主である夫が大事にしていた本を店頭に並べたのに心を痛め、取り置きの本とは知らずにこっそりと購入していたことが判明するが、その妻が置いたはず場所にもその本はなかった。
 その本は、その古書店夫婦の娘・戸山圭がこっそりと読んでいたことが判明。扉子は圭と仲良くなり、大輔も「もぐら堂」の店主と交流するようになるのであった。

 どこかに悪意がありそうで、実はまったくないという、閑話休題にぴったりのエピソード。扉子の探偵ぶりがなかなか様になっている。
 そして、この話を読んで、『雪割草』以上に『獄門島』を読みたいという気持ちが高まった。おそらく近日中に入手すると思う。

第3話 横溝正史『雪割草』U…井浦初子が自分の蔵書をビブリア古書堂に売ってほしいという遺言を残して亡くなったという連絡が入る。
 その依頼を引き受けた栞子であったが、初子の蔵書の整理中に、あの失われたはずの横溝正史の直筆原稿が発見される。しかし、それは偽物であった。
 そして、その後、井浦清美から衝撃の事実が語られる。彼女の息子の創太が犯人だったというのだ。彼女は彼のスマホに残された直筆原稿の画像からそれを知ってしまったのだ。
 そして、栞子の策によって直筆原稿は姿を現す。原稿は乙彦の元に戻ってきており、偶然原稿を発見した創太が3か月前に乙彦に返してくれたという。祖母に罪をなすりつけ嘘をつく創太に大輔は怒りを感じる。
 栞子の厳しい追及に抵抗する創太であったが、創太の行為によって家庭を壊された乙彦は、この原稿も自分の蔵書も創太には相続しないと厳しく告げ、創太は飛び出していくのであった。

 まあ、後味の悪い話ではあるが、9年後には創太を許せるかもしれないという乙彦の態度が、この話の救いになっている。ミステリとしては申し分ないと思う。

 エピローグ…事件手帖を読み終えた扉子の前に祖母の智恵子が現れる。聡明な扉子は、智恵子の扉子を呼び出した目的が、この事件手帖を扉子に読ませることにあることに思い至る。
 そして、この事件に登場する直筆原稿を売った古書店主こそ智恵子であることにも気がつく。
 さらには、その対価が現金ではなく、『雪割草』を読ませてほしいというものであったことにまで。
 『雪割草』の直筆原稿が本物なのかどうか質問する扉子に答えず、智恵子は「また、遊びに来るわね」という言葉を残し去って行くのであった。

 要は、智恵子が扉子の聡明さをテストしたという話だったということ。物語としてはよくできていると思う。
 直筆原稿は智恵子の作った精巧な偽物である可能性が濃厚であることを匂わせるところがタチが悪いが、自分の読書欲を満たすために世間にも公表されていない希少な自分のコレクションを惜しげもなく提供する、ちょっとカッコイイ智恵子を描く案も当然著者の頭の中にはあったことだろう。
 しかし、その可能性も残しつつ、あえて後味を悪くする方が効果的という結論を著者が出したのは理解できる。
 本作は、文句なしの★3つである。

 

『まほり』(高田大介/角川書店)【ネタバレ注意】★★★

 「このミス」2020年版(2019年作品)19位作品。読了まで大変だった『蟻の棲み家』とまったくの同点作品なのでちょっと心配だったが、amazonの評価が非常に高いことを知り、ちょっと期待値が上がった 。
 それでも『蟻の棲み家』より下なのが 気になったが、読み始めるとその心配は杞憂に終わった。前半、あれほど読むのが苦痛だった『蟻の棲み家』と比べると、最初から物語に引き込まれグイグイ読める。

第1章「馬鹿」…都会育ちの長谷川淳は妹の療養のため家族と山村に越してきたが、地元の子供たちに馬鹿にされないよう一人で沢に登り、山女魚を釣り上げて認めてもらおうとしていた。
 その山奥の川辺で時代錯誤な和装の少女と出会い、その少女が淳を見つめたまま小用を足し始めたことに衝撃を受ける淳。
 その少女は彼女を追ってきたらしい男たちに連れ去られるが、渓谷から帰宅して曾祖母にその話をすると、その子は「馬鹿(知恵の回らない子)」で、山向こうは「むつかしい」連中が住むところだから行ってはならないと注意を受ける。

第2章「説話の変容」…大学4年生の勝山裕は、大学院の社会学研究科を目指し、他の学生とはろくに交流も持たず研究に没頭していたが、「都市伝説の伝播と変容」というテーマに取り組もうとしている卒研グループ研究の一派から助けを求められる。
 裕が彼らに助言を与えた後に開かれた酒宴の席で、加藤という女学生が話した「二重丸のお札」という話に彼は興味を持つ。

第3章「蛇の目」…裕は加藤の紹介で、その話を彼女に話した田淵佳奈という別の大学に通う女学生から詳しい話を聞くことができた。
 小学生の頃、群馬県北部の奥利根の宿場町で暮らしていた佳奈は、二重丸が描かれた紙が町の至る所に貼ってあることに興味を持ち、あるとき、友人たちと調査を行うことにな る。
 ガキ大将を仲間に入れて「こんぴらくだり」の参道を登っていく渓流沿いの山道の捜索の帰途、「小曲がり」というバス停に札がないことに気がついた一行は川の対岸にある旧道を目指す。
 そこで岩肌にめり込むように設置されたお堂を発見する一行。そこは縁の下が底抜けになっており、覗いた二人が「誰かがうずくまってる」と証言したせいで皆は逃げ出すことに。一人は「眼帯をしていた」、もう一人は「目隠しをしていたか、包帯をしていた」と言う。
 佳奈の住んでいた町は裕の故郷のすぐ隣であった。そして「こんぴらさま」の字は「金毘羅」でもなく「金刀比羅」でもなく「琴平」と書くことが判明する。

第4章「帰郷」…裕は帰郷先の町の図書館で調べものに行き、そこで司書のバイトをしていた中学時代の塾の同級生・飯山香織に再会する。
 裕は香織に、父子家庭で育った自分が戸籍上は庶子であることを告白する。亡くなった母親が父親と同じ戸籍に入っていないばかりか母親不詳となっており、母親の姓がはっきりしないということも。
 母親は旧姓を毛利と言っていたが、遺品の手紙の宛名は琴平だった。絶縁している父親は何も教えてくれない。裕は、母親を戸籍法の上では存在しない人間だったと考えていた。

第5章「神楽」…夏休みに入ると淳の曾祖母の家には親族の一部が集まり始めた。祭りの屋台で鍋いっぱいのおでんを買ってくるように頼まれた淳は、神社の境内で剣舞のような舞の奉納が行われているのに目を奪われる。
 しかし、目隠しをされた娘と2匹の狐が配された里神楽に見入っていたのは淳だけではなかった。彼は、同じように里神楽に見入る裕の姿が気になっていた。裕は香織と一緒に歴史民俗博物館へ寄って資料を漁る予定で、たまたまこの神社に立ち寄っていたのだ。
 淳は、おでんを買った帰り道に、あの渓谷で出会った少女を見かける。

 ここまでで全492ページ中の114ページ。現代にひっそりと息づいている山村の謎の因習の不気味さ、山奥のお堂に隠された謎、そして、それらの謎と主人公の出生の秘密との関係…。冒頭から面白すぎる。
 頭の固そうな主人公にアカデミックな話ばかり語らせていては飽きる読者もいそうなものだが、そこに飯山香織という、一見田舎者でありながら知的で魅力的なヒロインを配置し、裕と良い雰囲気を出しているところが実に上手い。
 難点を挙げるとすれば、些細なことだが第2章のゼミのメンバーを名字でしか表記していないため男女の識別が難しくストレスになる。逆に淳の名字が「長谷川」であることは後半になってやっと明らかになる。第15章に登場する講師も、フルネームで紹介されるものの、女性だということがしばらく分からない。このあたりの著者のバランス感覚がよく分からない。

第6章「縁起の転倒」…香織が伝手をつないでくれた歴史民俗博物館の学芸員・朝倉氏から神道と仏教の関係について持論を聞く裕。

 ここには本作のこの後の展開の伏線になっている重要な要素が色々と含まれていると思われるが、自分も含め多くの読者には少々難解で辟易するかも。京極夏彦作品を思い出す。

第7章「井戸」…裕は香織と共に佳奈たちが小学生時代に訪れたお堂をついに発見する。穴の中は暗く、人影も像もなかったが、二重丸の札が祠の内壁を埋め尽くしている様子に二人は不気味さを感じる。
 何となくこれは井戸ではないかと了解していた裕であったが、山の尾根筋に、しかも沢に降りればいくらでも水が汲める場所に井戸を掘る必要などないことに思い至る。

第8章「戒壇石」…裕はお堂の穴が古い墓ではないかと考える。そして車が停めてある所まで戻ってきた二人は、車を覗き込んでいる少年の姿を見つけるが逃げられてしまう。
 山道を降りる途中の山寺で戒壇石を発見する二人。そこには天明の飢饉の惨状が刻まれていた。一部が削り取られていたが、それは飢餓のあまり餓死者を食べることもあったという記載であったことは二人に簡単に想像できた。

第9章「資料館」…郷土資料館員の古賀から神社の由緒について問い合わせる裕。古賀は山寺の戒壇石のことも知っていた。古賀は、当時の飢饉の様子を様々な文献を挙げて教えてくれた。
 資料館を後にするとき、香織は裕の鞄にお守り袋が付けられていることに気づく。彼女には、そのお守りの出所はすでに問うまでもないことのように思えた。

第10章「巣守郷」…裕は香織と共に「こんぴらくだり」の支流筋からは尾根一枚向こうにあたる典型的な山間離村である巣守郷(うろもりごう)を目指した。途中の山道ですれ違った軽トラの老夫婦から不躾な視線を送られ憤慨する二人。
 廃屋が続く寒村で見つけた神社は「毛利神社」であった。琴平、毛利、裕の母の旧姓をめぐって沙汰されていた名字は、いずれも当地の社号だったのだ。母はこの近在に出自を持つのかと震える手で鳥居を写真に収めた。
 暗い参道を進み本堂にたどり着いた二人であったが、そこに棒を振り回す初老の男が現れ、香織の車をどけるように乱暴に迫られる。大人しく退散する二人であったが、そのとき裕は崖の上に少年の姿を見つける。
 裕と香織は少年が山を下りてくるのを待ち伏せて、現れた少年の自転車を車で追いかけるのであった。

第11章「琴平、毛利」…ついに邂逅した裕と香織と淳。淳は裕たちに村ぐるみの虐待を訴える。
 「ほっとくわけにはいかない」と告げて淳と別れた悠は、「いち」と呼ばれていたその少女を巫女だと考える。

第12章「古文書」…悠は古賀から飢饉の時に口減らしのため全国で子殺しが行われていたことを聞く。そして、そのことを「山芋掘り」とか「蟹取り」とかいった言葉で言い換えていたことを知る。

 第6章がさらにエスカレートしたのが第9章や第12章。やり過ぎ感のある延々と続く古文書の解説に、興味のある読者は楽しめるかもしれないが、アカデミックな内容が苦手な読者には少々苦痛かも。

第13章「翻刻」…裕は「毛利」の原型を「毛保利」と考え、子間引きの忌み言葉「芋掘り」の転訛ではないかと古賀に提案するが、古賀には恣意的な読み方だとたしなめられる。
 また、今回の調査結果の公表が差別を生む原因になる可能性があることを古賀に指摘される。

第14章「市子」…裕に香織から緊急連絡が入る。淳が巣守郷の住宅に不法侵入したことで警察に補導されたという。
 淳は裕を呼ばないと事情を話さないと言っているらしい。やむなく裕と香織は淳の自宅へ向かい、彼の両親と共に淳の言い分を聞くことに。
 淳は巣守郷で隠された自分の自転車を発見し、近くの廃屋で少女の自由を奪っていたと思われるを手かせを発見した直後、村人に捕まったのだった。
 裕は児童相談所への通告は自分がやると淳の両親に伝え、少女を救い出すことを心に誓うのであった。

 淳の父親が、裕に香織との関係を問いただし、裕がしどろもどろになるところから、裕の香織への告白、そして香織が勝ち鬨をあげて帰って行くという流れとなる一連のシーンは秀逸。ここまでの緊迫感が良い感じで和らぐ。

第15章「まほり」…飢饉によって子殺しが発生、そこから片目になりながらも生還した子供を巫女として養育するということがあったという話が、飢饉が連続したことで、片目の巫女を立てることで飢饉に対応しようとした、という因果関係が逆になっている文献があることに気がつく裕。つまりそれは、意図的に片目の巫女を用意したということに…。
 大学の女性語学講師の桐生は、裕の「毛利の語源は子間引きの忌み言葉である芋掘りの転訛ではないか」という説を一蹴する。そしてその真の語源が「目掘り(まほり)」であることに気がつく。
 毛利神社では、飢饉に備える巫女を立てるために、少女の目をえぐるという蛮行を行っていたのだ。
 毛利神社の祭礼が明日行われることを知った裕は、少女とそこに向かったと考えられる淳を救うため香織と共に巣守へ向かう。

第16章「孟蘭盆」…巣守で例の廃屋が証拠隠滅のため燃やされていることに驚く淳。隠されていた自分の自転車の残骸が見当たらなかったことから捨てられたと考え、捜索の末、何とか発見する。
 次に少女救出のため、大曲がりの祠に向かう淳。そこで少女を発見したものの、村人に見つかり、少女の代わりに祠に閉じ込められてしまう。
 雷鳴によって別の出口を発見する淳であったが、そこは太い木組みの格子で塞がれていた。淳は声を枯らして叫ぶしかなかった。

第17章「奪掠」…裕と香織は淳を救出し、少女が目をえぐられる儀式を行うであろう毛利神社を目指す。
 間一髪で少女を救い出す裕たち。殺気だった村人に囲まれるが、口論の末、村人たちの犯罪行為を厳しく糾弾することで何とか村人たちを黙らせ、その場から脱出することに成功する。

第18章「形見」…香織が気にしていた裕のお守りの中には亡くなった戸籍のない母親の形見が入っていた。それは蛇の目が描かれた義眼であった。裕の母もまさに毛利神社で目を奪われた巫女だったのだ。

 裕の母親の正体については、多くの読者が相当前から見当をつけていたであろう。もう少しここで読者が衝撃を受けるような工夫が欲しかったところ。
 しかし、主人公が毛利神社の正体をつかむまでの流れは見事。古文書の解説が必要以上にくどくて興をそがれるところはあるが、大変読み応えがあった。
 一番の不満は犯罪行為を長年にわたって行ってきた巣守の村人たちに、何の天誅もくだされないところである。ここは甘過ぎではないのか。裕に下手な取引などさせず、ちゃんと警察が介入する展開にすべきだった。
 今回の少女への虐待が未遂に終わったとしても、村人には過去に多数の犯罪行為があるはずで、なぜそれを見逃すのか。今回のこの少女にしても、いったいどこから連れてこられたのか明らかにされていない。村人の誰かの娘ではなさそうなので、どこからか攫ってきたのではないのか。ここを曖昧にして終わるのは大いに問題ありだ。
 そもそも、飢饉などないこの時代に、そのような風習が延々と続いているという設定自体に無理があるのではないか。筆者は「差別」問題を結構強調しているが、「日本でも山奥の村ではこのような風習が残っているのだ」ということを描いている筆者こそ差別的と批判されそうな気がする。
 宮司を筆頭とした村人たちが逮捕され、取り調べを受けているらしいといった記述がないと読者はやり場のない怒りにもだえるしかない。
 しかし、トータルでは高い評価をさせていただかざるを得ない。3点満点の2.5点ということでギリギリ★3つとさせていただく。

2020年月読了作品の感想

『凍てつく太陽』(葉真中顕/幻冬舎)【ネタバレ注意】 ★★

 「このミス」2019年版(2018年作品)9位作品。終戦間際の昭和20年の北海道を舞台に、特高警察と連続毒殺犯「スルク」の戦いを描くという、何となく重々しそうなあらすじに、ちょっと抵抗があってなかなか手を付けられなかった作品だったが、いざ読み始めると意外にもペース良く読める。
 筆者の葉真中氏の過去の読了済みの作品を調べてみたら、読了した3作全てが★3つ。これは期待できるかもしれない。

 序章「潜入」…昭和19年12月、日崎八尋は室蘭港の軍の支配下にある軍需工場で石炭を運ぶ人夫として働いていた。八尋は特高警察の刑事であるが、彼が暮らしているのは朝鮮人が集められた飯場。1か月程前に脱走が不可能なはずの飯場から抜け出した大山という人夫がいたことから、その逃走経路を探ることが彼に課せられた任務であった。
 ある日、八尋の同僚の特高刑事である三影美智雄が飯場に乗り込んできて、人夫の世話をしている棒頭の娘・伊藤京子に暴力を振るおうとしたところを八尋は体を張ってかばう。それは事前に打ち合わせていたことであったが、母親がアイヌ人であった八尋を良く思っていない三影は、加減することなく八尋を打ちのめす。この一件で人夫たちの信用を得る八尋。
 八尋を慕うヨンチュンこと宮田は、大山から聞いていた脱走の手口を八尋に話し、脱走の日、警官隊に囲まれたヨンチュンは、正体を明かした八尋に呪いの言葉を吐きながら連行されていった。
 その頃、南方の野戦病院での地獄から帰還したスルクという男が、芸妓から、ある将校の情報を聞き出していた。

 第1章「毒牙」…昭和20年1月、室蘭で軍需工場を統括している金田少佐と、朝鮮人人夫を仕切っている棒頭の伊藤は、遊郭の座敷で遊んだあと、芸妓の菊乃と月見に出掛ける。
 伊藤は菊乃の機嫌を取るために、以前から彼女に漏らしていた軍事機密のあるものの暗号名に、アイヌ出身の菊乃が教えてくれた「カンナカムイ」というアイヌの神の名を付けたことを告げる。
 しかし、その直後、金田と伊藤はアイヌ人らしき男に毒殺される。
 金田と伊藤が殺害されたことを知った八尋は、酒の密造の密告情報のあった白石村で、憲兵隊に取り囲まれる。八尋は金田と伊藤殺害の容疑者となっていたのだった。
 そこに現れた三影によって難を逃れた八尋であったが、今度は三影に札幌署に連行されて厳しい取り調べを受けることになる。
 三影と八尋の共通の師である能代警部補によって助け出されるが、そこで八尋は自分が疑われた理由を知る。金田と伊藤の殺害に使用された毒は、八尋の母の家系が受け継いできたものであり、八尋の父がかつて研究・製造していたものだったのだ。
 八尋はすでに亡くなっている父の助手をしていた畔木利市という青年を思い出すが、能代によれば畔木は戦死しているという。
 畔木のアイヌ人の妻・緋紗子も行方不明だが、能代は彼女よりも菊乃の行方を捜さねばならないと言って、八尋を迎えに来たと告げる。
 警察は、反日分子もしくは行方不明のロシアのスパイ・ドゥバーブなどの関与を疑っており、単なる殺しではなく朝鮮人がらみのテロなら内鮮係の八尋が適任だと考えていたのだ。
 八尋は三影らと共に再び室蘭に向かうことになる。

 ここまでで129ページ。アイヌ絡みの物語ということで、頭の中のビジュアルは完全に『ゴールデンカムイ』であるが、そういう読者は多いのではないか。 
 金田と伊藤を殺害した犯人はアイヌに関係のあるスルクという男で、同じくアイヌ出身の菊乃もグルなのだろう。八尋の父の助手の畔木が実は戦死していなくて、彼こそがスルクの正体なのか。そして菊乃の正体が緋紗子なのか。
 金田の話していた軍事機密の正体は、日本がドイツなどからの技術提供を受けて開発している原爆だろうか。そんなものに畏怖すべきアイヌの神の名を付けた上に、自分を恐ろしい戦地に送り込んだ日本の軍人に迎合している朝鮮人をスルクは許せず、殺害したのだろうか。
 それでは、あまりに当たり前すぎるので、何か大きなひねりがこの後待っているのだろう。期待することにしよう。

 八尋は、自分が騙していた京子に謝りに行った後、独断で愛国第308工場の調査に向かう。工場裏の高台で設楽という男の遺体と、金田と伊藤の殺害現場にあったものと同様の血文字を発見するが、事件はもみ消される。
 その後、故郷の畔木村を訪れた八尋は、村の長老の貫太郎から、戦地から帰還した利一が緋紗子とともに現れて、隠してあった毒を持ち去ったという話を聞き、利一こそスルクの正体であると確信するが、その直後に、金田と伊藤殺害の容疑で三影に逮捕されてしまう。
 延々と続く拷問に殺されると感じた八尋は、罪を認め監獄に入ることを選ぶ。
 その頃、愛国308工場の敷地内では、悪党たちがスルクによる仲間の暗殺に怯えていた。鵲(カササギ)こと金田、雉(キジ)こと設楽が殺され、四十雀(シジュウカラ)こと桑田もこの後殺害されてしまう。残ったのは頭目の鷲、その部下の梟(フクロウ)、そしてこのプロジェクトの要とも言える朱鷺(トキ)の3人だけになる。

 第2章「使命」…ドイツの降伏が伝えられた日、八尋に無期懲役の判決が下されたことを知らされる三影。三影は、は八尋逮捕の経緯を思い出す。
 室蘭防衛司令の東堂武政中将に呼び出され、彼は愛国308工場に関する捜査から三影たちが手を引くことと引き換えに、金田と伊藤殺害の事件解決に協力すると言う。
 そして、彼の部下の御子柴中尉の言うとおり、八尋の住まいを調べたところ事件に使われた毒が発見されたのだった。
 網走刑務所に収監された八尋は同房となったヨンチュンと5か月ぶりの再会を果たす。しかし、ヨンチュンからは恐れていた報復はなく、他の同房のカミサマこと柊寿明も精神がおかしくなった人畜無害の男で、マツゲンこと松木玄太が八尋に執拗に嫌がらせをしてくるようになる。
 八尋はヨンチュンを仲間に引き入れ脱獄を企てる。あやうく失敗しそうになるが、カミサマが救いの手を差し伸べ危機を脱する。精神異常者の囚人を装っていたカミサマこそ、有名なソ連のスパイ・ドゥバーブであったのだ。
 無事脱獄に成功した八尋はドゥバーブと別れ、ヨンチュンと共に故郷を目指す。
 三影は「犬」たちを使って独自の捜査を進めていた。東堂こそが鷲、そして御子柴こそが梟の正体であり、朱鷺こと古手川が愛国308工場でウラン爆弾を開発しつつ、彼らが軍の予算を横領していたことが明らかになる。

 第3章「雷神」…三影は東堂たちの活動をつかみ、「雷神作戦」と呼ばれるウラン爆弾を使った特攻作戦が行われようとしていることを知る。
 脱獄後、なかなか故郷にたどり着けなかった八尋たちであったが、ついに貫太郎と出会う。八尋は、貫太郎からスルクから預かったという手紙を渡される。
 三影は、イタンキ浜の崖の洞窟に潜む緋紗子を発見する。緋紗子は三影にスルクを止めてほしいと懇願する。スルクは室蘭防衛隊に潜り込んで、カンナカムイで室蘭を吹き飛ばそうとしていると言う。防衛隊の一員なら、洋上特攻に志願すれば労せずしてカンナカムイことウラン爆弾を手に入れることができるわけだ。
 三影は、御子柴にスルク正体を教えることを引き換えに特攻の志願兵の首実検をさせろと迫る。緋紗子から入手した横領の証拠も渡してやるという条件に、東堂たちはその取引をのむ。
 しかし、首実検に向かう途中で事態が急変する。能代が毒を塗ったナイフで御子柴と三影に斬りつけたのである。
 スルクの正体は能代であった。野戦病院で利一と知り合った能代は彼の遺志を引き継いでいたのだ。能代は東堂にナイフを突きつけて古手川の所に向かう。ここでカンナカムイを起爆して、室蘭ごと日本を腐敗させている「鳥」たちを葬ろうというのだ。
 なんとか彼らに追いついた八尋であったが、古手川はカンナカムイなど存在しないことを告白する。資金だけ横領して、いざとなれば爆弾は不発だったことにすればいいという考えだったのだ。
 そこへ米軍の砲弾が着弾する。吹き飛ばされ瀕死となった八尋であったがヨンチュンに救出される。

 終章「敗戦」…敗戦と従兄の偽証が明らかになったことで、殺人と脱獄の罪を背負っていた八尋は裁判で無罪となる。能代と緋紗子、そして「鳥」たち悪党は全員死亡し、東堂が蓄財していた金塊は進駐軍に持ち去られたらしい。
 八尋は、東京でヨンチュンの始めた行商の仕事を手伝うことなるのであった。

 カンナカムイや菊乃、カミサマの正体など、何から何まで先読みできてしまう展開が微妙な感じであったが、スルクの正体が能代であったことだけは予想できなかった。
 能代が方言のせいもあって、設定の40歳とはとても感じられず、定年間際の老刑事にしか思えなかったので、最初の方からそこだけが気になってしょうがなかったのだが、ここはまんまとやられた。
 八尋が畔木村に帰省したときに、長老の貫太郎が1年前に戦地から帰った利一と緋紗子に会ったと話す場面があり、貫太郎が利一とはほとんど話さなかったとかいう記述もなかったし、「能代の存在を貫太郎が長年一緒に暮らしていた利一とあっさり誤認してしまったのは不自然ではないか?ここは筆者のすりあわせ不足ではないか?」と思ったが、読み返してみると、脱獄後に八尋が貫太郎に再び会ったときに「儂は嘘は言ってねえぞ。戦地から帰ってきたのはスクルだ」という貫太郎のセリフがあった。これが伏線だったわけだ。
 三影については、物語が進むにつれて少しずつ「実は訳ありで良い人」設定が加わってくるが、なぜかこちらが予想しているアイヌを憎むきっかけになるようなエピソードは出てこない。結局彼の数々の拷問殺しの罪を許容できるような気持ちにはまったくなれず、主人公に手を貸した後、不幸な最期を迎える彼にまったく同情できないままであった。
 筆者は、なんとかして三影を読者にとって魅力あるキャラに仕立てようとしているが、それにはせめて三影がアイヌによって相当酷い目に遭ったというエピソードを用意しないと無理だろう。いかなる理由があっても人種差別はあってはならないが、理由もなくアイヌを「土人」と見下し、有罪無罪に関係なく容疑者を拷問によって殺してきた彼を肯定できる要素はどこにもない。
 主人公も今ひとつキャラが立っていないし、結局一番魅力的な登場人物はヨンチュンか。
 トータルとしては、大変読みやすくテーマも分かりやすい話であったものの、面白さという点では今ひとつであった。スルクの正体のどんでん返し以外、これといった見所がない。
 4作品連続の★3つに期待したが、3点満点中の2.3〜2.4点というところ。一応人には勧められる作品だが、ギリギリで★3つはなしである。

 

トップページに戻る