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04年 野辺山ウルトラマラソン(リタイア記)(040516)
【参加するまで】
今年の7月に50歳になる。年代別での参加は上位の可能性もあり、正月明けから練習やレースに参加し、実力のアップに努めてきた。故障もあったがほぼ、順調に仕上がっているとの感触、自信はあった。少なくとも昨年より数段、地力はアップしている感じである。
野辺山は、距離に対する少々の不安はあったが、ある程度、自信を持って参加することができた。
【前日】
8時40分頃、家を出る。練習コースである琵琶湖〜国道8号線のコースの距離やアップダウンの確認のため木本までは下道で行く。そこから、北陸道、東名、中央道と乗り継ぐ。途中、妻が希望していた高遠の城址公園を観光し野辺山に向かう。野辺山に着いたのは、15時30分頃。東京から来ている同じ会社のNさんと会うが、東京でのグループと来ており2人ではあまり話はしない。しかし、Nさんも東京のグループとは、1人を除き初対面らしい。
パーティまで時間があるので、去年と同じくファイテンのブースに並びテーピングをしてもらう。明らかに効果はあると感じる。多分、テーピングしてもらったところは大丈夫だろう。
夜のパーティは、妻と2人で参加。同じ、テーブルの仲間と話が弾む。妻も女性ランナーとマラソン談義に花を咲かせている。小さい頃から自分自身は走ることは嫌いだが、私や娘(中学、高校と陸上競技部)からの耳学問で知識があるから、話を合わせられるみたいだ。私は、茨城県から来たという54歳の昨年20位くらいだったという人と話が弾む。昨年の富士山は3時間30分ちょっとだったとか。フルも2時間51分ぐらいが最高とのこと。フルのタイムを聞かれて昨年の福知山の3時間58分とこたえる。今年は、50歳になり、年代別でがんばりたいから久々に充実した練習をしているというようなことを話す。パーティは、10回記念ということもあり、9回完走者や歴代優勝者の紹介、山梨学院のチアリーダーやダンスチームの演技となかなか楽しい時間であった。アトラクションの一つとして、抽選会があり、妻がパンの詰め合わせセットが当たるというおまけまでついた。そうこうしているうちに、パーティも終わり同席した人たちと明日の健闘を約束して別れる。
宿舎は、昨年の反省を踏まえ、1ランクアップして予約。ペンションで朝食つき6400円。大会前日の宿泊としては若干高いが不満という程でもない。明日の出走、途中の着替えの準備をする。着替えは59kmと87kmに置くことにする。ビールを飲み20時30分過ぎには就寝。しかし、飲みすぎでトイレ2回と雨の音で比較的浅い眠り。大会前日では良くあることだしさほど気にすることはない。
【スタート前】
宿の朝食は3時。他の参加者と一緒に食事をとる。見ているとお変わりをする人が多い。食事が終わりしばらく休憩し、4時10分ころ出発。小雨が降っている。4〜5分程度で会場着。さっそく、ファイテンのブースに行きクリームを塗ってもらう。
スタート時刻になっても降り止まない。途中であがること、日が昇ったら気温も上がることにかけて、ランシャツ、ランパン、軍手に富士登山競争でもらったビニール袋を被って走ることに。スタートは最前列に並ぶ。5分程前になったら、昨日のアトラクションで見せてくれた、山梨学院のチアガール、ボーイが励ましの演技。スタート前の緊張をほぐしてくれる。しかし、寒くてちょっとかわいそうである。
【スタート〜10km】
当初の予定どおり、先頭集団についていくことする。できれば、5kmぐらいは先頭集団の中で、60kmまでは上位にいることを目標に走り出す。スタートして、最初、少し速い感じで入る。60kmまでの走りだからまあいいかと思いながらそのまま行くことに。しかし、少し変である。胸が苦しい。何でこのペースで苦しいの?標高のせい?しばらくすると、太ももあたりに乳酸がたまってくる感じ。明らかにおかしい。1km過ぎあたりから少しペースを落とすことに。胸の苦しさは解消されたが、乳酸がたまる感覚はそのままである。5km手前でNさんが追いついてきた。昨年とほぼ、同じ場所である。5kmはほとんど並んで通過する。23分46秒。すぐに離れるかと思ったがさほど離れない。昨年はどんどん離れてすぐに見えなくなったが、今年はNさんも練習不足か。しばらく、ナンバーカードが確認できる距離でついていく。7km地点ぐらいでJRの最高地点。「お父さん!」という聞きなれた声。ふと見ると妻がいる。後で聞いたら観光でJRの最高地点を見に行ったら走ってくる人がいる。そしたらすぐに来たとのこと。ここら辺から少しずつ登りが始まる。妻の応援むなしく太ももはパンパンでとても登りを走れる感じではない。さらにペースを落とすことに。当然、Nさんは視界がすぐに消える。しかも、大勢の人が抜いていく。ペースを落とすと、登りにもかかわらず身体が冷えてくる。
10kmの通過 53分03秒。
【10km〜20km】
登りがずっと続く。今回、一番練習重ねて来たのが登りと砂利道の下りの練習。しかし、登りでは足が全然動かない。抜かれる一方で、一人も抜き返すこともなく進む。道は砂利の少ない轍の後は水が流れ砂利の多い場所を選んで走る。標高が上がるにつれて軽い頭痛が出てきた。高山病の感じで症状である。もうこうなると最悪である。さらに、身体も冷えてきた。15kmの通過1時間39分19秒。この5kmを45分近くかかっている。ずっと登りが続く。この間も太ももの乳酸の感じ、軽い頭痛は続く。下りになれば回復することを信じひたすら走る。
20kmの通過 2時間19分27秒。
【20km〜30km】
やがて、コースの最高地点1880m。もうここで身体はよれよれである。下りになって太ももの乳酸の感じは解消される。しかし、ペースは上がらない。抜かれる一方である。下りなのに平地でのジョグ感覚のペースである。ここの5kmは(たぶん)距離が長いから相当悪いタイムを予想しながら走る。25km2時間56分00秒。37分かかっている。思った以上にかかっている。ここら辺ではじめて関門が気になる。横を走っている人に最初の関門の場所と時間を聞く。このペースなら大丈夫ですよとの答え。ひとまず安心して、復調を信じ我慢して走る。しばらく、登り下りを繰り返すうちに身体が冷え切り腹痛。トイレの要求。途中での行動も考えたが次のエイドまで我慢することに。これらの条件の中で、とうとう歩きが入り始める。これで、今回の目標の一つ、最低60kmまで走るということは破れてしまう。やっとの思いでエイドについたら、トイレには数人並んでいる。待つこと数分、寒くて寒くて身体の振るえが止まらない。稲子温泉のことが頭にちらつく。太ももの感じは、下りになるとおさまるが登りなると同じ感覚になる。登り下りを繰り返すうちに身体の冷えのせいか右足付け根の部分に軽い痛みが走る。走っているうちに徐々に痛みが増してくる。温泉のことが頭の中に大きく膨らむ。温泉に入って痛みや乳酸の感じが解消されなければ関門にかかるのは間違いない。そのままいけば次の関門はクリアできるだろう。しかし、完走は無理かもとの予感。ここで温泉に入り14時間完走を決意。
30kmの通過 3時間38分51秒。
【30km〜40km】
30kmを過ぎてからは、温泉だけを楽しみに走る。ここら辺になると、抜いたり抜かされたりとそんなに順位はさがらない。右足の痛みは増してきたがまだ我慢できる痛さである。やがて、35kmの稲子温泉。お汁粉を2杯食べる。温泉に入るといってもタオルはない。温泉の人にいったらタオルは200円とのこと。当然、お金はない。では、タオル無しで入るといったら、「仕方ないね。」といって古いタオル(きれいでした)を貸してくれる。古びた温泉で良い感じで滝見の湯と大違いである。何人かのランナーも身体を暖めている。「ここで、ゆっくりしていたら完走できるかな」と言ったら「ここで10分、20分ゆっくりしても後、60kmあるんだ。余り気にしないほうが良いですよ」とのアドバイス。「そうですね。」との返事。
温泉を出ると身体も温まり良い感じである。走り始める時、時計を見たら4時間37分。ここは約35km(後で確認したら35km地点)で3倍したら14時時間以内で完走できるペースである。温泉からしばらく登りが続くが、休養と身体の温まりで順調に走れる。下りになっても走れる。頭痛もなくなり、足の痛みも感じない。しかし、ここら辺でいつもの眠気が襲ってくる。半分目をつぶりながら走る。バス亭とか雨があたらない場所を探して走るが見つからない。
40kmの通過 5時間12分03秒。
【40km〜50km】
40km過ぎて50kmまではほとんど下りだ。体調も徐々に回復しほぼ順調に走れる。やがて42.195kmの標識。5時間23分24秒。ここら辺の順位でゆっくりでも走ると順位はすこしずつ上がっていく。ここらへんで、完走は確信しながら走る。この眠たさも、経験敵に20分程横になると収まるはずだ。青木湖の付近で少し古ぼけたバス停を発見。予定どおり横になる。少しうとうととすると、眠気も回復。たぶん、15分前後。少しずつ、順位を上げながら走る。しかし、走っているにもかかわらず、身体の冷えが再びでてくる。59kmまでの辛抱だ。59kmで長袖、長パンツに着替ようと思い走る。順調に50km到着。6時間23分18秒。途中休憩を差し引くとこの調子ならまあまあの時間である。後、50km7時間半で走れば良い。冷えさえ解消されたたら十分な時間である。
50km通過 6時間23分18秒
【50km〜59km】
50kmのエイドでは、おにぎり、若干冷えたそばを美味しくいただく。エイドを出ても寒さは気になるが比較的快調に走れる。この分だと馬越も走れそうだし、13時間半ぐらいかなと思いながら走る。後は59kmで長袖、長トレに着替え、滝見の湯でも入るかと思いながら走る。軽いアップダウンの後55kmのエイド。7時間8分46秒。50km以降、ここまで、20〜30位ほど順位を上げてきた。ここから片道4kmは折り返し区間である。エイドを出てすぐに、右足付け根の痛み。100m程度走ると激痛に。多分、エイドでの休憩で身体が冷えて痛みを招いたものと思われる。とうとう歩いてしまう。数十mでまとも歩くこと困難に。5歩、6歩、歩いては立ち止まりの繰り返し。屈伸をすると10m前後は歩ける。今度は、その繰り返し。ぼけた頭で考える。やはり、冷えからの痛み、暖めたら歩けるかも。スクワットをやると数十mは歩ける。やはり冷えからの痛みのようだ。ここら辺で完走は完全に断念。59kmまでなんとか行きたいとの思い。非常に長い4kmだ。久々に感じる苦痛。58km過ぎでスクワット直後に走り始めるとジョグできることがわかる。59kmまでの1kmは何とか走ることできやっとの思いでエイドに着く。
59kmエイド 8時間15分48秒。
【リタイア後】
すぐに着替えて、暖かい飲み物もらう。ここで、正式にリタイアの報告。痛みはやはり寒さのせいであったのであろう。着替えてあたたまったらほとんど歩くには支障がない。軽く走っても軽い痛みのみだ。ここで、リタイア者10名あまりとバスに乗り込む。40年近いランニング人生の中で初めての収容車。やはり気分は重い。
帰りのバスの中で、多くの一生懸命走っている人を見かける。少なくとも折り返しに向かっている大半の人は完走無理だろう、折り返して走っている人も、半分以上は完走は無理であろうと思う。しかし、主催者から止められるまで走るその気持ちと自分の意思でやめた自分の心を思うと複雑な心境である。バスは滝見の湯経由でゴール地点へ戻るという。滝見の湯で下車し温泉に入ることにする。こちらの温泉は、最近できたらしく近代的な設備である。ゆっくりと温泉につかる。いろいろな思いが交錯する。ただ、今は身体を休めよう。
スタート地点に戻る。次々とランナーがゴールする。マラソンは、ゴールして初めてマラソンというのを実感する。完走者のメダルがまぶしい。しばらく、横になっているとNさんの姿。昨年よりだいぶ速い。といっても昨年のアクシデント(59km地点の着替えでチップ着け忘れ)を考えると、昨年並みの記録であろう。この条件の中で良い記録だ。「おめでとう。」身体的にも精神的にも相当の強さを感じる。
しばらくすると、といっても1時間ぐらいだがNさんと同じクラブのFさんの姿。女子の6位とのこと。強い。
豚汁を食べていると昨日、パーティ同席した人が「どうでした?」「リタイアです。」「私もです。」昨年20位の人もリタイアか。完走率の悪さが予感される。富士山での健闘を約束して別れる。