最近は、親御さんが我が塾に来てくれていたという、いわゆる親子二代で来てくれる生徒が多くなった事に、嬉しさを感じながらも、よく長くやってこれたものだと、我が塾を選んでくれた生徒に感謝してやまない!
今年度も一人中学3年生の生徒が、希望高校に合格して、『先生の御陰で合格できました!コツコツ勉強する習慣が出来ました。また、高校に行ってから、やばくなったらお願いします。』と、この生徒は、二月で、塾を卒業したにもかかわらず、直接お礼が言いたいと言って三月に親子で来てくれた、本当に有難く思う!この生徒のお父さんが、当塾に来てくれていたのだが、真面目でコツコツ勉強するタイプだったと記憶している。 この生徒は、実力があったので、当塾に来なくても希望校に合格していただろう。
『学力』とは、才能のほんの一部分である知的な面であり、この知的な面を訓練していくことが『学力をつける』という事だと考える。
勉強のやり方を変えて成績が伸びた、出来ないと思っていた教科が、先生が変わって、先生が好きになって教科に対する興味が湧き、成績が上がったといったことをよく耳にします。僕は、やり方さえ良ければ学力は確実に上がると信じています。
僕は、生徒に勉強を教えながら、生徒から教え方を教えてもっらていると考えています。
この30年間、いかにベストな最良の方法がないか考えて来ましたが、まだ現在もより良い方法がないか日々考え続けています。
よく、入塾時の面談のときに、『この塾では、解るまで教えてくれますか?』と聞かれることがあります。僕は、こう聞かれた時によく返答を迷うことがあります。『それは、生徒の能力によって異なるので、何ともいえません』と言いたいのであるが、このように言うと、何とも頼りのない塾に見られそうで、塾の営業面から考えるなら、即座に、『解るまで、懇切丁寧に何度でも教えます!』と、言うべきであろう。
生徒の能力を引き出し伸ばす事を本当に考えるのであれば、懇切丁寧に教えてはならない!何度でも教えてもらえるなんって思わせてはいけない!と考えるからです。
中間テストや定期テストでは、練習したものと同じ問題が出るかもしれない。しかし、高校の入試問題や大学センター試験では、同じ問題など出るわけがなく、自分自身で考え、答えを導き出さなければならないからです!
僕は、大学に行っていたときに出会った、数学の教授のことをよく思い出します。代数学という学問で抽象的で、論述がすごく難しく感じる教科でした。ある時、出された課題のレポートを何度出しても一問だけOKが出ず、1週間一問だけをただひたすら考え、図書館で調べまくり異なった答えを書いて、教授に見せるのですが、『まだまだ、考えが浅いよ!』と答えるだけで、ヒントすら与えてくれませんでした。
僕は、もう限界だと感じて、こんなことを続けていたら他の教科の単位を落としてしまうと思い、これが最後だと決意して、今まで考えたことを教授にぶつける気で教授の部屋に行くとそれを悟ったのか、教授は、『実は、もう正解は出ているんだよ。』というではありませんか。僕は、安堵感と共に怒りが込上げてきて、今までの一週間を無駄にしたように思え腹がたって、顔が鬼のようになっていたと思います。
教授は、何とも憎めないような笑みを浮かべながら『君なら色々な考え方をしてくると思っていたよ。どの考え方も、たくさん勉強したのでしょう。筋が通っていて面白かった。正解を出すだけでは、能力は上がらないからね。』と言うのを聞いて、してやられたと思いながらも、教育の奥深さを思い知らされました。
指にペンだこが出来るまで日々勉強して、『これでもう俺が解けない問題はない!』と自分を奮い立たせ東大を受験し 、我が塾最初の東大生となった石橋尚樹君。東大で博士号を取ったと言っていたが、その後どうしているだろう。彼は、きっと研究を続けているだろう。
小学2年生から高校3年まで11年間我が塾に通ってもらった、田中 翔馬君
小学生から英語を始め6年生で英検3級に合格した。英検だけに合格するのではなく、中学1年から3年までの英語の本の内容を全て書けるようになっていた。(当塾では、小学生も英語の勉強する内容は、中学生と同じです。)
小学生から英語の単語を覚える訓練をしたせいか、記憶力が抜群に付いた生徒で、当塾の訓練法をより理解してくれた生徒の一人だと思う。彼は、気比中学では、3年間の間、学年1位を守り通したと記憶している。神奈川県で、念願の教師をしていると聞いている。勉強も出来たがバスケットも優秀で、小学生から高校3年までやり通したと思う。彼ならきっと良い教師になるだろう。
彼の弟も高志高校から現在は、京都教育大に行っていると聞いている。兄弟とも良き教師になるに違いない!
現在松陵中学で、野球部顧問をしている、北野 広樹君。
確か小学6年生の時に、塾に入って来てくれたときの印象は、男の子なのにとても綺麗に英語の字を書く、おとなしい生徒っだたと思う。
ところが、中学2年か3年生の時、気比中学の野球部の試合を何度か見に行った時の彼の印象は、闘志あふれる野球少年だった。当時の気比中野球部は、かなり強く全国大会にも何度か出ていると記憶している。彼は、数学もかなり出来たと記憶しているが、英語の教師をしているようだ。松陵の彼の教え子が、当塾に来てくれている。なかなか、評判の解りやすい先生とのことで、とても嬉しく思っている。
弟おもいで、がんばり屋だった、姫野 千明さん。
彼女も小学6年生の時に入塾し、高校3年まで来てくれてた。高校3年のとき、金沢大学に合格する実力がありながら弟が、もしかすると私立大へ行くことになるかもしれないからと、福井大の教育学部に入学して、敦賀から電車で通っていたと思う。さらに、平和堂で、アルバイトをしている姿を何度か見たことがある。結局、弟の航輔君も頑張り富山大に合格した。
千明さんは、念願の福井県の教員採用試験に合格し、教師をしているそうで、努力する生徒、実力のある生徒が報われることはとても気持ちの好いことである!
高専生が多いのも我が塾の特徴といえよう。
今年度も二人受験して、見事二人とも合格を勝ち取ってくれた。敦賀から受験したのが九人だそうなので、当塾の割合が高いといえる。
今から五年前は、確か七人受験して、七人合格した。受験数が多いのは、僕が、『高専は、一流企業に就職出来るし、大学に行きたいなら、5年生から編入学で国公立大に入学できるぞ。』と呟いているからかもしてない?通自君という三人の兄弟は、三人とも高専に行き、一番上はトヨタ自動車、真ん中の順也君は筑波大に編入したと聞いている。編入の試験は、一般の大学受験に比べれば簡単なので、賢い選択といえよう。
中学2年から、やる気スイッチが入った、吉田 直矢君!
今年度、京都大学工学部の合格を勝ち取ってくれた!
彼も、小学6年生のときに入塾し、我が塾の英語の記憶法や数学の理解法をよく理解し、身に付けてくれた一人といえよう!
中学二年生の1学期までは、松陵中学で、10番から20番代位だったと思う。それが、2学期から、やる気スイッチが入ったのか、1番か2番になるようになり、学力診断テストで確か450以上であったので、他の生徒同様に、藤島・高志・武生高校のいずれかに行くものと思っていたら、する勉強は同じなのに家から遠い学校に行く必要がないということで、敦賀高校に入学した。敦賀高校に入ってからは、常にトップで、福井県でも50位以内だったと思う。当塾には、高校2年二学期まで、来てくれた。それ以降は、当塾では、高校生の補習が出来ないために、駿台予備校を薦めた。そして先日、親御さんと共に我が塾を尋ねてきてくれて、『先生の御陰で、合格できました。有難うございました。やる気を育ててくれた御陰です。』と、わざわざお礼を言いに来てくれました。こんなときほど、塾をやっていて良かったなと思うときはありません。正直な話、彼ほどの実力があれば、我が塾に来なくてと、当然、結果は同じであったと思えるし、僕のアドバイスがなくとも自分の能力を引き出せたと思います。僕の方こそ、『塾に来てくれて有難う!』と言いたい位である!