フランクルの『夜と霧』といえば,強制収容所での体験を綴った,あまりにも有名な書である。
ここでは,『夜と霧』を題材に考えてみたい。
ヴィクトール・E・フランクル(Viktor Emil Frankl)
(1905/03/26-1997/09/02)
ウィーン大学在学中よりアドラー,フロイトに師事し,精神医学を学ぶ。
1942年秋,妻,両親とともにテレジエンシュタット(Theresienstadt)強制収容所へ移送される。
1944年,アウシュヴィッツ(Auschwitz)強制収容所へ送られ,その後, ダッハウ強制収容所付属のKauferingとTurkheim強制収容所へ移送される。1945年4月27日,アメリカ軍によって解放される。
戦後,ウィーン大学神経医学・精神医学科教授。
VIKTOR FRANKL INSTITUT
The Official Website of the Viktor Frankl Institute Vienna
http://logotherapy.univie.ac.at/

現在,日本では以下の2冊が出版されている。
- V.E.フランクル(著), 霜山 徳爾(訳)
『夜と霧―ドイツ強制収容所の体験記録』
(みすず書房,1985)
- ヴィクトール・E・フランクル(著), 池田 香代子(訳)
『夜と霧 新版』
(みすず書房,2002)
原題:"Ein Psychologe erlebt das Konzentrationslager" (1946)

ここでは,ある高校生の読書感想文を紹介したい。
知ることは超えること−『夜と霧』を読んで−
(クリックすると,別のウィンドウで開きます。)
ここには,“考える会”に通じる思いが語られている。
この読書感想文は,全校生徒約1,200名の某高校で最優秀賞をとったが,校外のコンクールでは,賞をとることはできなかった。
その内容が,“社会的に受け入れられるものではなかった”ことがその一因かも知れない・・・。

人生のほうはまだ,あなた方一人ひとりに対する期待を決して捨てていないはずです。“あなたを必要とする何か”がどこかに必ずあり,“あなたを必要としている誰か”がどこかに必ずいるはずです。
そしてその“何か”や“誰か”はあなたに発見されるのを待っているのです。

神様からのお迎えがくるその瞬間まで,あなたを待っている人がいます。
その人を待たせたまま,置き去りにしてよいのですか?
待っている人からあなたを奪う権利が誰にあるというのですか?
自ら命を絶つという選択,誰かの命を絶つという行為,それがいかに愚かなことか,許されざることかわかるでしょう。
