ナチズム(Nationalsozialismus/国民社会主義)の最大の特徴は,極端な人種主義的反ユダヤ主義,ユダヤ人絶滅政策だと考えられる。
総統アドルフ・ヒトラーがその世界観形成に大きな影響を受けたとされる人物こそ,ウィーンで活動していた反ユダヤ主義者として有名なカール・ルエーガー(Karl Lueger) ,そしてシェーネラー(Georg von Schönerer)であった。
ここでは,オーストリアのユダヤ人について簡単に見ておこう。
※野村真理
『ウィーンのユダヤ人―19世紀末からホロコースト前夜まで』
(御茶の水書房,1999)が詳しい。
1848年革命後−ユダヤ人に対する移動の制限が解かれる
1867年−オーストリアのユダヤ人の法的解放・・・居住,職業の自由
◇オーストリアのユダヤ人口の分布
7割以上がガリツィア・ブコヴィナに居住(都市部)
1900年 ガリツィアの総人口の約11%,ブコヴィナの総人口の約13%
レンベルク,クラカウ約28%,チェルノヴィッツ約32%
◎ウィーンへのユダヤ人移住者の3つの波
@1848年革命前・・・その多くはボヘミア・モラヴィア出身者
1848年革命直後も同様
A今日のスロヴァキア地方,ブルゲンラントの一部にあたる上ハンガリーおよび西ハンガリーからの移住者
B19C.末〜 ガリツィアからの移住者が急増→アメリカへの移住も多い
※1881,82年ロシアでのユダヤ人に対するポグロムの影響
世紀末ウィーンの上流・中流階層のユダヤ人の中核=1,2期の人々
・同化ユダヤ人
・・・その土地の人と同じ言葉を話す
キリスト教への改宗
富裕な層が多い
*新聞・デパート・医者・弁護士・大学教授などへの進出
・東欧ユダヤ人
・・・くずれたドイツ語であるイディッシュを話す
独特の容姿をしている正統派ユダヤ教徒
貧しい層が多い
◎ユダヤ人の間での分裂
・ユダヤ人を民族独立要求や政治的自治権要求の主体と考える立場
→シオニズム
・あらゆる民族的党派の圏外に立つべきとする立場
(ユダヤ性を自覚することは求めるが,独立や自治の主体とするような
民族とは捉えない立場)
「ユダヤ人は,チェコ人やポーランド人のようにいかなる自治権も独立も要求せず,オーストリア国民であることに徹するがゆえに,ユダヤ人こそ真のオーストリア人」
⇒ハプスブルク帝国の神話化 超民族国家

1914/09〜 ガリツィア,ブコヴィナから大量の難民
(大半がユダヤ人難民)→多くがウィーンへ
・・・正統派ユダヤ教徒が多く,話す言葉もイディッシュ
食糧難(闇取引),住宅難,不衛生などを理由に反難民感情が強まる

第一次大戦後 難民の帰還問題
→1919/09「外国人追放令」−国籍取得問題・・・ほとんど効果なし
かなりの数のユダヤ人がオーストリアに残る←不満,非難の対象
“東欧ユダヤ人攻撃からユダヤ人攻撃へ”
