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オーストリアの歴史を考える会

戦間期の歴史 〜第一共和国成立から第三帝国まで〜

 

2. 第一共和国の成立

第一次大戦の敗戦と帝国の解体

 1914年のサラエボ事件をきっかけに第一次大戦が勃発する。暗殺されたのは,帝位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻である。
 1882年,オーストリアは、ドイツ・イタリアと三国同盟を締結しており,大戦では,ドイツと同盟国を形成して協商3国(イギリス,フランス,ロシアの3国により1907年に成立)などによる連合国と戦った。予想に反し,戦争は長期に及んだ。
 1916年には,帝国統一のシンボルであったフランツ・ヨーゼフ1世が崩御し国内の絆が揺らぎ始める。
 1918年,第一次大戦に敗北したオーストリア・ハンガリー帝国はもろくも崩壊し,チェコスロヴァキア,ハンガリーなど帝国内の諸民族が次々と独立を果たしていくことになる。

 

オーストリア第一共和国の成立

 第一次大戦に敗北し,帝国内の諸民族が独立していった結果,「残余国家」としてドイツ系オーストリア(Republik Deutschösterreich)が成立する。
 1919年,第一次大戦の講和条約であるサン・ジェルマン条約では,ドイツとの合併(アンシュルス)が禁止され,国名からも「ドイツ系」が削除される(→Republik Österreich)。
 一つの経済圏を形成していた帝国から切り離されたオーストリアは「望まれない国家,経済的に生存不可能」だと一般に信じられるようになっていた。
 講和条約による禁止にもかかわらず,それ以降,アンシュルスを求める運動が展開されていくことになる。

 

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Last Updated : 2006/09/03
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