・オーストリアはヒトラーの侵略政策の最初の犠牲になった自由な国であり,ドイツの支配から解放されるべきである。
・1938年3月15日のドイツによるオーストリアの併合を無効であると考える。それゆえ,自由で独立したオーストリアの回復が望まれる。
・オーストリアにはヒトラー・ドイツの側に立って戦争に参加した責任があり,これを回避することはできない。しかし,自らの解放に対するオーストリア自身の寄与は考慮されるであろう。
(1943.11.01) ・・・英米ソ外相会談
◆オーストリアの抵抗運動を励まし,ヒトラー・ドイツを弱体化するための宣伝手段であり,連合国の戦後のオーストリア政策を公的に示したものではない。

a)併合(Annexion)論
オーストリアはアンシュルス後,独立した国家として存在することをやめた。というのも,主権のメルクマールがすべてなくなったからである。
b)占領(Okkupation)論
オーストリアはアンシュルスの結果,存在することをやめたのではない。単に1938〜1945年の間,占領されていただけだ。

・モスクワ宣言による正当化
・非ナチ化・・・関与の度合の違いにより党員を区別
・1955年 国家条約の締結・・・講和条約ではなく[占領論の立場]
※永世中立の宣言を宣言することにより,連合国による占領から解放される。(←東西冷戦の影響)
戦後のオーストリア政治を担ってきた国民党と社会党には,それぞれ触れられたくない過去があった。
・“オーストリア・ファシズム”体制の担い手であったキリスト教社会党→国民党
・アンシュルスに対して賛成した社会民主党→社会党
「反ナチ」の精神に基づいて建国されたオーストリア第二共和国においては,犠牲者神話が確立される。
